古曽部園芸場の五大州のカキ仔を接ぎ木しました


この五大州君には本当に手こずりました。
2001年の秋深くなった頃、村主さんから遂にこの五大州のカキ仔が送られてきました。丁度休眠期に入る前でもあり、とにかく春までは水やりも最小限に我慢して決して枯らさないようにと気を配りました。
気を配り過ぎたのか、春になっても目覚めが悪く、5月末になってもさっぱり動き出しません。
そこで遂に意を決して元気な袖ヶ浦に接ぎ木を決行しました。
切り口の色合いが少し黄色がかっているのが気にはなりましたが、接ぎ木は一見うまく行っているようでした。接ぎ口がしっかり付いているように見えたからです。ところが、同時に接ぎ木した他の20本ばかりの苗が順調に生長するのに反し、この一番大切な五大州だけは全く動き出しません。そしてとうとう2ヶ月ほどしてしぼみだしてしまいました。
こうなったら接ぎ直しです。もう一度別の元気な袖ヶ浦に接ぎ木しました。
切ってみると、接ぎ口はしっかり繋がっているように見えたので大変奇異な感じがしました。そして更に1ヶ月、またまた動きません。
焦って来ましたが、ただ、今回はさほどしぼんで来ません。
8月も終わりに近づき、これはもう一度接ぎ直しかなと思っていると、遂に9月上旬辺りから元気に新刺を上げ始めました。この時のほっとした事と言ったらありゃしません。要するに、冬の管理がヘタで、こじれていたのかも知れません。
これで一安心。と言うわけで、紅蛇丸に続いてこの五大州の成長記録も載せてみることにしました。今後どんな風に育って行くのか楽しみです。


古曽部園芸場五大州の由来

仙太郎のような古狐にとって、当時憧れのギムノの一つに、京都大学の古曽部園芸場(大阪の高槻市にあります)に戦前から残されていた貴重な五大州があります。
戸外では冬を越しにくいサボテンは戦時中に殆ど失われましたから戦後に残っていたサボテンは貴重で、中でもこの五大州はトンボの羽根のような独特の刺が優美に横に巻きつく優品でした。
五大州は仔を吹くためにカキ仔を採取することが可能で、当時、ギムノ狂達は競ってこのカキ仔を探し求めたものでした。
カキ仔しかないと言うことは極めて少ないものですから、当然の事ながら当時学生の若僧に過ぎなかった仙太郎の元に来るはずもありません。
その後、仕事の関係でサボテン栽培も殆ど中断し、数年前から再開した際に再びこの古曽部演芸場の五大州を探してみたのですが、なんと、わが家のサボテン達No,26にもある通り、村主さんの特別な御計らいによってそのカキ仔がついにわが家にやって来ました。
今度はこれまでの立場から一転してこの株をしっかり育て、子孫を残す義務を抱え込むことになりました。
接ぎ木してありますから滅多な事では失われないと思いますが、順調に育って子孫を残して行ってくれるように願っています。
優型ギムノを守る会分類のNo,39にも記載がありますからご参考に。


          
9月10日、2回目の接ぎ木後40日位。        2003年3月29日、ほぼ半年後、  
  やっと元気に刺を伸ばし始めました。       冬の間は成長が止まっていましたが、     
                                 春になってまた少しづつ新しい刺を上げ始めました。


                                          
2004年4月25日                          2005年1月25日                
刺が横に伸びて、だいぶ五大州らしくなってきました。    すっかり大きくなって、そろそろ台から降ろせそうです。