1967年3月のシャボテン社訪問記


1967年(昭和42年)の3月上旬、仙太郎は初めて逗子のシャボテン社を訪問しました。
当時、関西に住んでいた仙太郎は、開通してまだ3年目のピカピカの東海道新幹線に乗り、まだ白黒写真が主流であまり普及していなかった高価なカラーリバーサルフィルムを詰めた固定焦点のオリンパスペンEE3を片手に、シャボテン社に当時色々入荷していた原産地球のギムノを買いに遠路はるばる出かけたのでした。
シャボテン社では栽培担当の竹内さんが出迎えて下さり、まずはお目当ての箱いっぱいに転がっていた原産地球の中から1本刺バッテリ、セントリスピヌム(ビカラー)、九紋竜変種のニグラムなど3種類ほど買った後に引き続いて大きな標本球の温室を全て案内して下さいました。そしてそのあまりのコレクションの規模に圧倒されたものでした。
この写真はその時に撮影した標本室の中の様子です。
使ったフィルムが残念ながら外式リバーサルではなく、内式だったために経年変化で色がだいぶ変色しています。


写真1.
当時からギムノ狂だった仙太郎は、当時撮影した写真もやはりギムノが多いのです。
これは碧眼玉系のギムノの標本球が揃えられているあたりでしょうか。ラベルを見たところではドイツあたりからの輸入球が多かったようでした。竹内さんが同じ品種でも、海外から学名で入って来る姿と、日本で和名で栽培されている姿とがまるで違うものが多いので困っているんですよと言って居られたのを覚えています。当時からギムノの名前は混乱していたようでした。
中央左手あたりに今ではフェロシオールとしてすっかりおなじみの姿がありますが、当時は碧眼玉変種のフェロクスで販売されていて、将来は是非コレクションに加えたい品種だと思っていましたが、その後すっかり普及したのはご存知の通りです。
今では殆どお目にかからない黒豹玉もこの中にあったのですが、写真で見てももう分かりません。
中央上の方に当時大量入荷したモンビレイの標本球が少量並んでいるのが見えます。このモンビレイは輸入したときの根の状態が良くなかったのか、その殆どが刺落ちしていました。


写真2.
左手は天平丸で、1965年に大量入荷した今や幻のマジョールらしき姿も見えます(成長点の白毛が多い株)。
中央下あたりに九紋竜系のギムノ(主にニグラム)と天賜玉、奥の方が新天地系のギムノのようです。


写真3.
海王丸系のギムノの標本球です
中央右の少し小型の球はこの年の秋のシャボテン誌に写真を載せる予定だとの説明でしたから、おそらくこれが後にシャボテン社海王丸として語り伝えられることになる有名な球なのだと思います。他では見たことのないすばらしい球だったのですが、まだその時点では一つも出ていないそのカキ仔に対して既にかなりの人数の予約が入っているようなことを言っておられました。しかしその後、この球は実際にカキ仔が得られたのでしょうか。
でもそれ以外にもかなり良いタイプの球が当時のシャボテン社には既にあったことがこの写真で分かります。
左上に小蔦モンビー玉の標本が見えます。


写真4.
強刺系ギムノのコーナー
左には万朶玉系のギムノも見えます。羅星丸、勳装玉か剣魔玉らしきものも。


写真5.
強刺系ギムノのコーナー
当時はまだ珍しかった光琳玉もあります。
伊丹さんの元で日本で初めて光琳玉が開花したのがこの写真を撮影した年の5〜6年ほど前のことでした。
即ち、この写真を撮影した時は光琳玉はまだかなり高価なギムノだったのです。そんなことで大切にするためかどうか、ここの光琳玉も伊丹さん同様、全て竜神木の接ぎ木苗でした。今ではどうと言うことのないタイプですが、当時はすばらしタイプだなあと、見惚れたものでした。


写真6.
手前に仙太郎のこの日のお目当て、1本刺のバッテリの輸入球が見えます。種子を採るための親球として10本ほどがここには確保されており、仙太郎が買ったのはそのお余りだった訳ですけどね。
その左手の小蔦モンビー玉の左上には当時の仙太郎のお目当ての一つ、平尾稚竜玉の標本球が見えます。平尾稚竜玉には小さな仔が付いていて、竹内さんにお願いしてみたら、後になってわざわざ接ぎ木して送って下さったのでした。この稚竜玉は10年ほど前に寿命を終えてしまいましたが、今でも失った中で残念でならないギムノの一つです。
中央あたりにも稚竜玉系の色々なギムノ、その奥には守殿玉系のギムノ。


写真7.
中央に蛇竜丸系や竜頭系、左手前には牡丹玉系のギムノ。


写真8.
強刺系のギムノ。
手前中央あたりに1960年頃に大量に入った原産地球の碧厳玉がそろっています。太い刺が横に伸びてそれはすばらしいギムノでしたが、殆ど全部刺落ちしていましたから、輸入したときの根の具合が良くなかったのかも知れません。
碧厳玉は大好きなギムノでしたから、その輸入球の姿が大変気に入ったので販売している苗はないかどうか訪ねてみましたが、残念ながら販売出来るものはもう既にないような返事だったと思います。
その他、多花玉系や新天地系のギムノが見えます。


写真9.
有星類の温室
兜狂会などの活動のおかげで、今では兜の群像を見るのはそう珍しいことではなくなりましたが、当時はこれほどの兜のコレクションを見たのは万本氏の温室とここしか記憶にありません。
当時はすばらしいなあと思って見ていましたが、これを見ると、今の兜がいかに改良が進んだ姿であるかが分かりますね。
その奥が瑞鳳玉、その更に奥が鸞鳳玉でしょうか。殆ど輸入球だったかも知れません。


写真10.
マミラリアの温室
マミラリアは特に平尾さんがお好きだったようで、ここには非常に多品種のマミラリアが揃えられていました。


写真11.
牡丹類の温室。
全部輸入球ですが、当時の仙太郎が一番驚いたのが右手前に見える巨大疣の連山でした。
今では改良が進んで大疣の連山を見ることはそう珍しいことではなくなりましたが、当時は普通の大疣連山でも見ることは希、ましてやこのような巨大疣の連山はそれまで見たことがありませんでした。よくこんなのが原産地に生えていたものです。種を取ってこれを元に大疣連山の普及を計りたいと言っておられましたから、もしかすると現在の国内の改良された大疣連山のルーツ(ご先祖様)なのかも知れません。売ればとてつもない値段だったんでしょうね。


 

写真12.
花もの(ロビビアなど)、金鯱、緋牡丹錦などの温室。その奥に各種の斑ものがずらりと並んでいます。この当時はこの程度の派手斑の緋牡丹錦でも、その時の私の財産では歯が立たないほどの値段だったと思います。


 

写真13.
軟葉系ハウオルチアの温室。
シャボテン社は多肉植物にも大変力を入れていて、珍しい植物がいっぱい揃えられていました。
中央少し右下に見える、表面が白い小型種がシャボテン誌にも登場し、当時非常に話題になった、Haworthia shurdutiana var. major というハウオルチアで、小さなカキ仔が当時のお金で数万円とか言われて、私がいた神戸カクタスクラブでも欲しがっている人がいっぱい居たほどの銘品と言われた株でした。このハウオルチアはその後普及が進みましたが、それでもここで見たほどのけば立って白いタイプは結局今に至るまで見た記憶がありません。


 

写真14.
左に硬葉系ハウオルチア、中央がボルシーやセタータなどの軟葉系ハウオルチア、右手はガステリアでしょうか。
軟葉系ハウオルチアの一番窓際の少し大きめの株が神戸の谷口氏が世に出してシャボテン誌の裏表紙も飾ったことのある株だとの説明だったと思います。仙太郎も谷口氏から直接カキ仔を分けていただき、今でも大切にしている思い入れのある株。


写真15.
リトープスやコノフィツムの温室
最近はこれらの植物の栽培をしている人はあまり見かけないようなのですが、当時はリトープスやコノフィツムを栽培している人はサボテン人口に匹敵するくらいに多くて、業者の元にも色々置いてあったものです。
でも、夏に乾燥させて涼しく保つなど、サボテンと共存しないので、仙太郎は栽培が苦手だったなあ。