昭和39年の仙太郎フレーム


仙太郎が高校生の時のフレームです。
当時は神戸の東灘区に住んでいて、用土は直ぐ近くの白鶴美術館前の河原から砂を集めて来て使っていました。
(本当は国有地だからいけなかったみたいですf(^-^;)
今使っているフレームもそうですが、このフレームも日曜大工で自分で作りました。
サイズは1.6×0.9メートルで、現在と全く同じ大きさです。
一時はこのフレームを2本作って、実生球と大球、輸入球などで使い分けしていました。


写真 1
このころから既にギムノが好きだったことがよく分かるでしょう。
一番大きな金鯱の左隣にあるコリファンタの大祥冠(原産地球)も好きなサボテンの一つでした。
今我が家にある大きな新天地はここに写っている一番大きな新天地ではなく、一番右端に写っている新天地です。
それにしてもギムノは丈夫な種類と言うのに、現実に今残っているのは少ないなあ(;^_^A

中央下2本の小さい新天地の間手前に見えるのが今も生きている白仙園の五大州、その右隣が原産地球の九紋竜変種ニグラム、その右横が2本目の白仙園五大州で、これは失ってしまいましたが現存する方の五大州よりも古曽部五大州に近いタイプ。ニグラムの上に見えるのは紅蛇丸で、津田宗直氏の豪刺紅蛇丸に酷似したタイプを仙太郎が見つけてきたもの。その他、活火山や伊丹さんの金碧のカキ仔、白刺の天平丸などが見えます。


写真2
こちらもギムノが多いですね。
実生も盛んにやっていまして、この小苗の中に今では20センチ近くまで大きくなって、我がフレームでは最大のサボテンになったギムノの天紫丸も居ます。
四角い小さいガラス板を載せている腰水中の鉢が実生中の鉢で、この時生えたハウオルチアが「我が家のサボテン達」22のボルシーです。発芽するのに40日ばかりかかる、とても生えにくい種子でした。
このころは毎年実生をやっていたと思います。

下に見えるユーホルビアのオベサ(白いガラス板の右)の右に少し見えているのが原産地球の1本刺のバッテリ、オベサの上に見えるのが白仙園の黒豹玉、その左が白仙園で黒蝶玉で売っていた鉄冠または鳳頭、その左に3本見えるのがいずれも白仙園の稚竜玉で、特に手前の1本は中刺まで出ていた銘球と言えそうなタイプ(生涯1回だけ仔吹きしたのを、苦楽園の江隈さんが持って行きました)、稚竜玉の上に見えるラベルを2枚立てている鳳頭はわが家のサボテンに載せている鳳頭です。更にその上は瑞昌玉の大球。仔吹き鳥羽玉の左が小蔦モンビー玉のカキ仔、その上に見える天賜玉原産地球はこれもわが家のサボテンに紹介していますが、現在はギムノ命さんの元に居ます。