万本耕一さん


神戸の東灘区に住んでいた頃、隣町の住吉町に万本(まんもと)さんと言う方が住んでおられました。
この方は比較的若い内に亡くなられたらしいのですが、仙太郎がいた頃は元気にサボテンの輸入球だけを栽培しておられました。
そうです。ここの温室は1本残らず全部山堀の輸入球なんです。
奧一著の「サボテン12ヶ月」にも執筆を寄せておられました。
せっかくのカラー写真なのに色が悪くてすいません。
フィルムがあるので、フィルムスキャナーがあれば遙かに良い色でお見せ出来るんですが、持っていませんので、これは30年前の色あせたプリントのままのものです。


10月17日追記
Shizukichiさんがレタッチソフトで画像を改善して下さいました。
はるかに見易いカラー写真に戻って来ましたでしょ。
Shizukichiさん、どうもありがとうございました。


写真 1
南米物のコーナーです。
真ん中あたりの刺の強そうなのはオロヤ属ですね。
このころはオロヤ属のサボテンは色々な種類が入って来ていました。
内地実生のオロヤ属とは全く刺の太さと密生度が違うでしょう。
その左右に花座が乗っているのが、全部メロカクタスの華雲だったと思います。


写真2
牡丹類のコーナーです。
当時、牡丹類は成長が絶望的に遅いので、標本球が欲しかったら輸入球を買うしかないと考えられていました。
今じゃ考えられないですよね。


写真3
テロカクタスと太平丸のコーナーです。
太平丸はこのように、長球形に育つタイプが当時の代表的な顔でした。
これ以外に、メキシコからは現在花王丸と呼ばれているタイプが入って来ていました。
太平丸は大型でしたが、花王丸は概して小型でした。


写真4
有星類とマミラリアのコーナーです。
入り口付近の背の高い柱サボテンはネオライモンディアと言って、この年の始めに万本氏自身がペルーに採取旅行に出かけて自ら採取して来られたものです。
仙太郎もこの時にイスラヤ属やオロヤ属などの輸入球を色々安く分けて頂きました。
でも、栽培は非常に難しかったですね。2重鉢と言って、大きな鉢の中に素焼き鉢を半分まで埋め、水は外側の鉢だけにあたえて、内鉢に植わっているサボテンには素焼き鉢を通して浸みてくる水分だけが届くという特別な栽培方法が使われました。