伊丹勝吉さん


愛昭和41年の夏に伊丹勝吉さんを訪問した時の写真です。
当時、伊丹さんは兵庫県伊丹市の西池と言う所に住んでおられて、仙太郎は休みになると福知山線の田圃のど真ん中にポツンとあった無人駅の中山寺駅からトコトコと歩いて通ったものでした。
駅から遠くに工場らしき建物以外には田圃しかない広い砂利道を南へ歩くと、やがて左手に長屋が見えて来ます。
伊丹さんはそこに住んでおられました。
訪問すると、やおらむっくりと起き上がって来られて(伊丹さんはなぜか昼間は殆ど家におられました)、置き水したバケツと目の細かいジョロと手ぬぐいをもって長屋の北にずらっと並んでいるフレームに向かいます。
フレームは夏のカンカン照りと言うのに蓋が閉めっぱなしです。
しかもその多くは殆ど素ガラスのまま。
蓋を全部開け放つと、ジョロの注ぎ口に手ぬぐいを被せて、これをフィルター代わりに丁寧に水を入れ、フレーム内全体にさっとシリンジをかけると再び直ちに蓋を締め切ってしまうのです。
これが「強光線蒸し作り」と言われる、戦前の津田宗直氏直伝の方法なのですが、これでなぜ強光線には弱い筈のギムノまで平気なのだろうと不思議な感じがしたものです。
要は冷却の問題で、水タンクみたいなサボテンは放熱効率が悪いので、熱がたまる場所におかれて放熱が出来ないと日焼けしてしまうと言うことらしいんです。即ち煮えてしまうんですね。
ですから、いくら日が当たっても、風が吹き続けたり或いは水をかけて放熱すると、球体が冷えて日焼けはしないんだとか。
とか言ったって、我が家に帰って自分のサボテンで実験するとやはり日焼けしますから、要はそのように鍛えられたサボテンならば大丈夫って事なんだろうなあ。


写真 1
強刺系ギムノのフレームの様子です。
中央縦一列に3本の天平丸が見えますね。
この内の一番上が仙太郎あこがれの「戦前ハーゲ商会天平丸」のカキ仔なんです。
伊丹さんはこの頃からその下2本の天平丸を使って戻し交配をやっておられ、その種子を分けて頂いて自分で実生した天平丸が「我が家のサボテン達」の 2.にある天平丸なんです。
天平丸の右にある刺の強い光琳玉は「サボテン12ヶ月」と言う栽培書に掲載されたこともある銘品です。


写真2
ハーゲ商会天平丸を使って戻し交配した天平丸が見えます。
早く花を咲かせて戻し交配を進めるために接ぎ木にしてあります。
刺が肌から離れて下に向かって優美に伸びる、いわゆる戦前型天平丸の典型的な姿をしています。
これらの戻し交配天平丸は今どこにいるのでしょう。


写真3
殆ど素ガラス状態のフレームの蓋が見えます。
下半分に少し塗料が塗られているようですが、日焼けに弱い種類がそこにあるんでしょうか。
フェロカクタスが多数見えますが、実は伊丹さんが一番お好きだったのがこれらの強刺類だったのです。
原産地球に殆ど遜色ない刺を出しているものが多かったです。


写真4
ギムノのフレームです。
当時、「優系ギムノを守る会」の会長の座を他の方に譲った後でしたが、ギムノ類はまだ一通り、殆どの種類を保有しておられました。
これ以外には、コリファンタとか有星類とか、後は多肉植物も沢山ありました。