美廣園


愛知県の守山市(現在は名古屋市守山区)に住んでいた中学生の時代、昭和37年の冬に丹羽郡の大口村竹田にあった「美廣園」へ親父が連れて行ってくれました。
名鉄犬山線の柏森駅を降りて、見通しの良い田んぼの中を南西に向かってしばらく歩くと、遠くに美廣園の温室群が見えてきました。
ここには近くに綿の実ピートを生産している前田綿業とか、鬼頭さんと言う名人専門業者がおられました。
「美廣園」は今は無くなってしまったようですが、近くの大口村外坪の「五十鈴園」は今でも健在です。
その後、度々行くことになったこの美廣園はマミラリアとかノトカクタス、パロジアなどが得意な業者さんで、春先に行くと色とりどりの美しい花が温室を飾っていました。
安く分けてくれる事でもぴか一で、それで仙太郎はその後、片道25kmの遠い道のりを自転車で足繁く通ったんですね。
少しふかし栽培気味で、買って帰ってから鍛え直すのにちょっと手間のかかるサボテンが多かったんですが(~-~)


美廣園の入り口エントランスの眺めです。(我が親父撮影)
生け垣があって、ちゃぼひばが植えられてなかなか雰囲気があり、温室は全部で大小15本くらいある大きな業者さんでした。
当時の専門業者の温室は全部ガラス張りで、防寒はムシロで覆うだけと言うのがこの写真で分かりますかね。
園主の前田さんが親切で優しい人でした。
園主の奥様が当時の仙太郎を玄関に案内して下さるところを親父が撮影した情景です。
遠くに見える学生帽をかぶった黒学生服が当時の仙太郎です。
仙太郎の左横あたりには巨石をあしらった大きな庭がありました。
サボテンの植え替えを行う作業場は左に見える大きな二階屋で、その南に張り出し部分が作られており、園主さんはいつもそこにおられました。
7〜8回通ったと思うのですが留守だったことは一度もなく、必ずそこにおられました。


温室内の風景 1(我が親父撮影)
マミラリア温室の一つです。
当時のサボテン温室はこのように作りが独特でした。
半地下式と言って、通路が掘り下げてあって、サボテンが置いてある高さが地面の位置なんですね。
その地面には常に水がまいてあり、これで高い湿度を保ってサボテンを早く大きく育てていたのです。
それにしても冬というのに、初めて入った冬の業者温室の暑さにはビックリ。
真冬でも温室内は色とりどりの花が咲いて綺麗でした。
暑さにのぼせ上がっている左隅の冴えない中学1年生はだれだろねf(^-^;)


温室の風景 2
ノトカクタスの「雪光」です。
勢い良く育って、そろそろ互いに押されて四角くなる直前かな。
トロ箱と呼ばれる木箱に植えてありました。
箱の横にはよくキノコが生えていたものです。
サボテン業者がたまに四角いサボテンを送ってくることがあったのはこんな状態だったからですね。
欲しいサボテンがあればその中から自分で箸を使って隣の苗の根を痛めないように慎重に掘り起こし、空のトロ箱に集めて会計に持って行くのです。


温室の風景 3
どこの業者さんにも「輸入球」を置いているコーナーが必ずありました。
特に「兜」「鳥羽玉」「牡丹」などは人気があったので、殆どの業者さんに置いてありました。
これは山堀の鳥羽玉と鯱頭でしょう。
鯱頭は赤い刺が美しかったですが、カラーでないのが残念。


追記:美廣園の痕跡が残っていた(2015年3月3日)

Webには有名なgoogleMapのストリートビューがあります。
仙太郎はこれを利用して、世界の各地を旅行して回っています。
サボテンの産地は勿論、エッフェル塔、凱旋門、サグラダファミリア教会、ケルン大聖堂、アリゾナ大隕石穴、ヨセミテ公園等々・・・。

本日は昔、名古屋の守山市に住んでいた中学生時代に美廣園までの25kmの長い道のりを自転車で足繁く通った道を暇に任せてストリートビューでたどってみました。
途中の道は大きく変化していて、小牧市に入るまでの道はかなり迷ったけれど、かつて美廣園があった丹羽郡大口町竹田までたどり着
く事が出来ました。
途中には懐かしい実生園や五十鈴園もありましたし、立ち寄って水筒の水を飲んだ小さな神社も残っていました。
でもさすがに美廣園は跡形も無いだろうと思っていたのですが、現地に行ってみるとなんと一部の建物と庭が残っているんですね。

美廣園の最初の写真に写っていた正面の大きな古い母屋はなくなって、その手前にあった巨石をあしらった庭とちゃぼひばが植えてある生け垣の奥側も切り取られてそこに新しい家が建っていたけれど、写真の左側に見えているサボテンの植え替えなどに使われていた二階建ての大きな作業場の建物は今でもそのまま残っていました。更には行く度に前田園主さんが迎えて下さった南の作業場の張り出し部分もそのまま残っていました。
この張り出しの東の扉を開けると毎回園主さんが中央の椅子に座ってサボテンの植え替えなど続けながら笑顔で迎えて下さったものです。
そして早速仙太郎は空のトロ箱と箸を受け取って、廻りを埋め尽くしている温室群に楽しいサボテン漁りに出かけて行ったものでした。
当時のサボテン業者は今のように個別に鉢に植えてなく、トロ箱に植わっている寄せ植えの中から購入者が箸で掘り返して空のトロ箱に集
めてあとで集計してもらうという方式でした。
いっぱい抜いて持っていくと、一つ一つほぼ目分量で寸法を測りながら値段を付けて下さったものですが、遠路わざわざ来てくれたからと言ってカタログ上で4センチ80円の雪光の5.5センチくらいある苗を抜いて持っていっても80円とか。全ての苗がそんな調子でした。
だから美廣園の中でも特にこの作業場の張り出し部分は最も長く滞在した場所としてひときわ想い出があります。

    今も残る美廣園の作業場の建物と南の張り出し部分。
    張り出し部分の東に見える扉(今は白いアルミサッシみたいです)を開けると毎回そこには前田園主さんの笑顔がありました。

     園の廻りに植えられていたちゃぼひばの生け垣も一部残っています。



美廣園までは片道3時間以上かかりましたから、朝出かけても美廣園に着くのはお昼前になってしまったものですが、優しい園主の奥様が遠路自転車でやってくる中学生の仙太郎にお昼ご飯をご馳走して下さったものです。
そして、行くたびにマミラリアを中心に20種類以上ものサボテンの苗を箱詰めしてもらって、自転車の荷台に積んでその重さによろけながらニコニコ顔でまた25kmの道のりを家路についたものでした。

廻りの道路付けもかなり変わってしまったし、温室があった辺りは跡形もないけれど、園主さんと楽しいお話をしていたあの作業場の張り出し部とその周辺を、他人の家だというのに懐かしくてしばらく廻りをうろうろしてしまいました。
もし実際に現地に行ってこれをやっていたらあまりの怪しさに通報されてしまったかもf(^-^;)