足立喜六;大唐西域求法高僧伝(2018-1-07

 

足立喜六博士の義浄『大唐西域求法高僧伝』につき、地名の誤解から、思わぬ解釈の齟齬が生じているようなので、私のわかる範囲で地名の修正を行いました。なおインド内陸部については補正いたしておりません。

 

6 海路;①沿岸航路 広州(屯門,神湾、合浦)→胆波(Kuanga-nang)⇒設那比(Sanho)⇒霊山(Khamrang)⇒門毒(Mytho=Indo)⇒郎迦戌(Rajburi=Langkasuka)⇒鶏籠島(Kelantan=Sathing Phra)⇒軍突弄山(Kuantan=Condao Island)⇒質峡(Singapore Strait=Surat Thani)⇒室利佛逝(Jambi=Chaiya)⇒褐陀(Kedah⇒蒲甘(PeguPagan)⇒訶利鶏羅(Arakan

 

P44;室利仏逝はジャンビあたりと考えていた。これは間違い。室利佛逝は略奪で富強となった(45)というは誤解。

 

P45, 3.波魯師國はニコバル諸島。郎婆露斯もおなじ。西スマトラのBarosという足立の解釈は間違い。

 

69、郎迦戌:Langkasukaでありラチャブリにあらず。盤盤をBangtapan

:するも間違い。ダブル・ミス。

 

P70;訶陵州をジャワ島とみている。これは正解。訶陵州には多聞僧若那跋陀羅がいた。

 

P74;掘倫は箇羅國に同じBenkulen;箇羅國はKedahである。掘倫は崑崙島=Condao島(仏教事典)といわれる。

 

p7780:杜和羅鉢底(Dvaravatip80バンコクの北Dhanyaburi

ミヤンマーの港湾地帯のTavoyからタイのRatchaburi, Petchaburi, Nakhon Patomの辺りのモン族国家の総称である。朝貢はシュリヴィジャヤによって掣肘されていたので、市舶司ベースの交易で毎年、広州に行っていたと記録されている。一時的に直接朝貢にも行ったが直ぐにやめた。

 

122、羯茶:Kedahであるがスマトラ島の西北角の        Kota Rajaに当たるとしている。浄廻至南海羯茶國有北方胡至云,有両僧胡國逢見。

の誤解の原因は室利佛逝をJambiに置いたがためにこうなった。無行禅師の旅程の解釈が間違った。

 

124占波はChampaと解釈すればよい。占不労と同じではない。Dong Duongと考えられる

 

 

 

足立訳

鈴木解釈

盤盤

Bangtapan

Bay of BandonChaiya

郎迦戌

Rajburi

Langkasuka

杜和羅鉢底

Dhayaburi

Dvaravati

.波魯師國/郎婆露斯

Baros 西スマトラ

Nicobar Islands

掘倫=箇羅國

Benkuren

Kedah

鶏籠島

Kelantan

Sathing Phra

軍突弄山

Kuantan

Condao Island

質峡

Singapore Strait

Si Surat (Surat Thani)

室利佛逝

Jambi

Srivijaya (Chaiya)

羯茶

Kota Raja

Kedah

蒲甘

Pegu

Pagan

門毒

Myto

India

占波

占不労

Champa, Dong Duong