足立喜六博士の義浄『大唐西域求法高僧伝』につき、地名の誤解から、思わぬ解釈の齟齬が生じているようなので、私のわかる範囲で地名の修正を行いました。なおインド内陸部については補正いたしておりません。
p6 海路;①沿岸航路 広州(屯門,神湾、合浦)→胆波(Kuanga-nang)⇒設那比(Sanho)⇒霊山(Khamrang)⇒門毒(Mytho=Indo)⇒郎迦戌(Rajburi=Langkasuka)⇒鶏籠島(Kelantan=Sathing Phra)⇒軍突弄山(Kuantan=Condao Island)⇒質峡(Singapore Strait=Surat Thani)⇒室利佛逝(Jambi=Chaiya)⇒褐陀(Kedah)⇒蒲甘(Pegu=Pagan)⇒訶利鶏羅(Arakan)
P44;室利仏逝はジャンビあたりと考えていた。これは間違い。室利佛逝は略奪で富強となった(45)というは誤解。
P45, 3.波魯師國はニコバル諸島。郎婆露斯もおなじ。西スマトラのBarosという足立の解釈は間違い。
p69、郎迦戌:Langkasukaでありラチャブリにあらず。盤盤をBangtapanと
:するも間違い。ダブル・ミス。
P70;訶陵州をジャワ島とみている。これは正解。訶陵州には多聞僧若那跋陀羅がいた。
P74;掘倫は箇羅國に同じBenkulen;箇羅國はKedahである。掘倫は崑崙島=Condao島(仏教事典)といわれる。
p77-80:杜和羅鉢底(Dvaravati)p80バンコクの北Dhanyaburi?
ミヤンマーの港湾地帯のTavoyからタイのRatchaburi, Petchaburi, Nakhon Patomの辺りのモン族国家の総称である。朝貢はシュリヴィジャヤによって掣肘されていたので、市舶司ベースの交易で毎年、広州に行っていたと記録されている。一時的に直接朝貢にも行ったが直ぐにやめた。
p122、羯茶:Kedahであるがスマトラ島の西北角の Kota Rajaに当たるとしている。浄廻至南海羯茶國有北方胡至云,有両僧胡國逢見。
の誤解の原因は室利佛逝をJambiに置いたがためにこうなった。無行禅師の旅程の解釈が間違った。
p124占波はChampaと解釈すればよい。占不労と同じではない。Dong Duongと考えられる
|
足立訳 |
鈴木解釈 |
盤盤 |
Bangtapan |
Bay of Bandon(Chaiya) |
郎迦戌 |
Rajburi |
Langkasuka |
杜和羅鉢底 |
Dhayaburi |
Dvaravati |
.波魯師國/郎婆露斯 |
Baros 西スマトラ |
Nicobar Islands |
掘倫=箇羅國 |
Benkuren |
Kedah |
鶏籠島 |
Kelantan |
Sathing Phra |
軍突弄山 |
Kuantan |
Condao Island |
質峡 |
Singapore Strait |
Si Surat (Surat Thani) |
室利佛逝 |
Jambi |
Srivijaya (Chaiya) |
羯茶 |
Kota Raja |
Kedah |
蒲甘 |
Pegu |
Pagan |
門毒 |
Myto |
India |
占波 |
占不労 |
Champa, Dong Duong |