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フィリピンの話題(2002年7月17日開設)



64. アロヨ前大統領不正選挙容疑で逮捕⇒2011-11-19)

63..ミンダナオ島マギンダナオ州の大量殺人事件に戒厳令を布告(09年12月6日)


62ミンダナオのイスラム教徒自治領拡大協定に最高裁が差し止めの仮処分(08年8月4日)

61.フィリピンには外国からの投資が少ない(08年4月8日)

60.フィリピンで米不足不安台頭、アロヨ大統領打消しにヤッキ(08年3月19日)

59. フィリピンはアウンサンスーチ女史が解放されなければASEAN憲章を批准せず(07年11月20日)

58.フィリピン下院議院の玄関で爆発、元イスラム過激派の国会議員死亡(07年11月14日)

57.マカティ市のショッピング・モールで爆破事件11名死亡(07年10月19日)

56.アロヨ大統領が議会の買収工作の疑惑に真相解明を指示?(07年10月17日)

55.米国、フィリピンのアブ・サヤフ幹部・密告者に1,000万ドルの賞金(07年6月8日)

54.フィリピン総選挙、アロヨ大統領勝利宣言するも、マニラ、マカティでは大敗(07年5月18日)

53.テキサス・インスツルメントがフィリピンに10億ドルの投資(07年5月7日)

52.ルシオ・タンの所有する10社について政府が追求(07年2月4日)

51. フィリピンでも大東亜戦争中に日本軍軍医が生体実験(06年11月2日)

50. マカティ市長60日間の停職処分で騒動(06年10月18日)

49. ホロ島で爆破事件9名が死亡、負傷者20名(06年3月28日)

48.軍事クーデター計画発覚、アロヨ大統領が非常事態宣言(06年2月24日)

47.マラカニアン宮殿で爆発騒ぎ(06年2月20日)

46. 民主派女性活動家が暗殺される(05年12月5日)

37.⇒ルイシタ農園労働組合の委員長暗殺(05年10月27日)

45.アロヨ大統領、弾劾は逃れたが株価は急落(05年9月6日)

44.クーデターの噂が飛び交い株式下落(05年6月10日)

43. ミンダナオ島の日本兵騒動(05年6月1日)

42. アロヨ大統領、夫と息子の疑惑解明指示(05年5月20日)

41 中国との経済関係強化(05年4月28日)

24-5. フィリピン政府とMILFとの和平基本合意成立(05年4月21日)

24-4. 米英政府がフィリピンへの旅行に対して危険信号(05年3月24日)

24-3. ホロ島で国軍とMNLFと大規模な戦闘、50名の戦死者(05年2月9日)

24-2.フィリピン国軍とMILFとの戦闘再開(05年1月12日)

40. クーデター未遂事件、2大佐逮捕(04年12月24日)

39. アロヨ大統領「罪悪税」増徴に踏み切る(04年12月17日)

38. ヘネラル・サントス市の市場で爆弾事件少なくとも16名死亡(04年12月12日)

32-2. ケソン州で台風による死者・行方不明者412名(04年12月2日)

  ⇒アロヨ、木材の伐採禁止(04年12月5日 )

37. ルイシタ農園(アキノ夫人の実家)で14名の死者(04年11月18日)

36. 非ASEAN 地域からの鉄鋼製品輸入関税引き上げ(04年11月17日)






1. 人口急増に経済界が懸念を表明

フィリピン雇用者連盟会長のドナルド・ディー氏はこのままの勢いで人口が増え続けると、いくら雇用を増加しても追いつかないとの懸念を表明した。カソリック教徒が大多数を占めるフィリピンでは人口抑制の観念が乏しく、アロヨ大統領自身もこの問題にさほど関心を示していない。

現在フィリピンの人口は約8,000万人であるが、そのうちの40%が1日1ドル以下の収入しかない。人口増加率はアジアではトップ・クラスで年率2.36%増である。(philstar.com7月17日付け)

ちなみに、フィリピンの失業率は東南アジアでは飛び抜けて高く2002年1月末で10.3%にも達している。タイでは2002年1月末4.2%、3月末で2.7%。マレーシアでは2001年末で3.7%(2000年末3.0%)。インドネシアでは2001年末で8.1%(2000年末で6.1%)とインドネシアとフィリピンが高い。

2. インドネシアのサリム・グループがフィリピン長距離電話会社(PLDT)の持ち株売却を図る

インドネシアの元スハルト大統領の最大のクローニー華僑資本であったサリム・グループの香港子会社ファースト・パシフィック社が97・98年の通貨危機のどさくさの間に買ったフィリピン長距離電話会社(PLDT)の持ち株24.4%とボニファシオ・ランド会社の持ち株50.4%を売却にかかっている。

ファースト・パシフィック社を立ち上げたのはフィリピン人のマネージャーであるマヌエル・パンギリナン(Manuel Pangilinan)氏であり、おそらく彼のイニシアチブでサリムはPLDTに出資した。

PLDTの会長はアントニオ・コファンコ(Antonio Cojungco)であるが、マヌエルが社長として実際に会社をマネージしている。

ところがサリムがPLDTの持ち株をフィリピン華僑の大財閥のゴーコンウエイに売ろうとしたところマヌエルが猛烈に反対した。マヌエルにしてみればサリムが株を手放せば自分の社長としての地位もなくなるので、反対する理由はよくわかる。

この話はフィリピン政府も重大な関心を示し、特に華僑資本であるゴコンウエイが大きな支配力を持つことに懸念を抱いている。

現在はサリムはコファンコに持ち株をすべて売却し、資金を他に(おそらくインドネシアに)転用しようとしている。サリムはマヌエルの画策によりゴコンウエイへの売却が失敗したと考えており、マヌエルをPLDTの社長から外すようにコファンコに強く要求している。

また、日本のNTTはPLDTの株式15%を保有しているが、ファースト・パシフィックの持分については買う意志のないことを表明したもようである。

サリム・グループがフィリピンへの投資金を引き上げる必要がなぜ生じたのか様々な憶測を呼んでいるが、おそらくインドネシアでIBRA(インドネシア銀行再建庁)が押収している資産の買戻し(押収された当時の簿価よりも平均80%は割安になっている)をたくらんでいるという見方が有力である。

いずれにせよ今後はサリム・グループは「旨みのある」インドネシアでのビジネスの再構築に全力を投入するであろう。多くの華人資本家にとってインドネシアは過去においては最高の「カモ」であったし、今後もそうなる可能性は高い。

 

3. アブサヤフ撲滅作戦と米軍

米軍のおかげで一度はアブサヤフを殲滅したが(???)(2002年8月2日)

あの憎っきアル・カイダの一味であるアブ・サヤフをフィリピン軍は米軍のトレーニングを受けつつほぼ制圧した。米国はグリーン・ベレー(特殊部隊)を含む約1,000名からなる特殊部隊訓練チームを派遣し、フィリピン軍にゲリラのやっつけ方を指導し、その任務は予定通り7月31日で完了した。

アブサヤフの幹部はアル・カイダの指導をアフガニスタンで受けたといわれるが確証はない。フィリピン自体も国際テロの標的になっていたわけではない。地元のイスラム勢力と中央政府との戦闘の継続がことの本質である。

米国は訓練だけでなく武器弾薬を含む必要な軍事援助はすべておこない、アブ・サヤフに誘拐されていた人質も米人男性(女性牧師の夫)とフィリピン人看護婦1名が死亡したほかは約100名すべて解放できた。

フィリピン軍の発表では当初1,200名いたアブ・サヤフは現在は140名に減ったという。この数字がもし正しいとすれば作戦が異常な大成功をおさめたか、あるいは「アブ・サヤフにかなりの自殺者(?)が出たに相違ない」とは現地紙(http://www.inq7.net/ 8月2日)のコラムニストの皮肉である。実際は逃亡した者が多かったとみられる。

米軍はこれで「ながのおさらば(Long Goodbye=レイモンド・チャンドラーの小説の題名)」とはいかず、訓練の成果をモニターするために、300名程度が引き続き残留するらしい。これにはフィリピン国民の間(主にインテリ層)からはかなりの批判の声がでている。

それだけではない、親米派のアロヨ大統領は米国と新たにMLSA (Mutual Logistics Support Agreement=相互物流援助協定)を結ぶ構想が浮上してきている。これは米軍がいざというときにいつでもフィリピンを軍事的に助けられるようにするためだということである。

1992年に米軍はすべての軍事基地をフィリピンから撤収したばかりであり、これにはさすがにアロヨ大統領も簡単には踏み切れないが、今後白熱した論議が交わされることは間違いないであろう。

フィリピン政府がこれを求めるのはゲリラ対策というよりも「南沙諸島」(Spratley諸島)問題が意識されているという。中国は 「超大国」ではあるが本土からあまりに遠くはなれたこのケシツブのような島々の領有権については異常ともいえる執着を示しており、将来軍事衝突に発展する可能性もゼロとはいえない。

この地域にはマレーシア、ベトナムなど他のASEAN諸国も領有権を主張している。問題はこの地域に大量の天然ガス資源があった場合である。 情報によると中国はこの地域に年産500兆立米フィートの天然ガスが算出されると見ているらしい。欧米の試算ではせいぜい0.5兆立方フィートだという。

いずれにせよ中国はASEANとの永続的経済関係の将来にわたる発展を考えるならば、このような場所で無理をするのは得策とは思えない。いざとなれば中国は「経済大国」なのだからお金を払って買えばよいだけの話である。

(8月16日追加)高級将校3名がアブ・サヤフ一行を逃がした容疑

ロメオ・ドミンゲス少将、フヴェナル・ナルシス大佐、エリセオ・カンプド少佐の3名は昨年6月に軍が支配するバシラン島のラミタン町からアブ・サヤフと数名の幹部が脱出するのを許したとして近く軍事法廷にかけられるもよう。(8月15日 http://www.inq7.net )

こういうことはありうる話である。先に述べたアブ・サヤフ部隊壊滅の話も「適当に逃がした」可能性も否定できない。

(8月23日)アブ・サヤフ・グループとられる反政府集団はホロ島で8名のフィリピン人を誘拐し、そのうちの2名のイェホバの証人の信者の首を切って殺害した。彼らは依然健在であることを誇示している。

(03年3月1日)米軍の1,700名派遣計画

結局アブサヤフ部隊は健在であった。昨年7月の大作戦はたいした成果を上げていなかった。

今回、アルカイダの手先(?)アブサヤフを殲滅すべく米国は沖縄に駐屯する海兵隊1,000名と陸軍はジャングル特殊戦闘員350名を含む750名の派遣を進めていた。

ところが意外にもフィリピン憲法では外国軍を国内で戦闘させてはならないという規定により、米軍はせっかくフィリピンにやってきても先頭には参加できないとうことになったらしい。

確か昨年はアブサヤフ殲滅作戦に米軍は演習とかフィリピン軍の訓練とか名目をつけて実際は戦闘に参加していたはずである。

ところが、今回何が変わったかといえば米国のブッシュ大統領の強引なイラク侵攻計画に対する東南アジア諸国の強い反発である。米軍との「親密さ」をフィリピンが示せばインドネシアなどと気まずい関係になるのは明らかである。

 

4. 次期大統領の最有力候補ロコ教育相が辞任

アロヨ大統領の支持率は50%をやや超え、アブ・サヤフ退治や経済がやや小康を保っていることっを背景に比較的安定した地位を保っている。最近は汚職撲滅運動うを開始したが、その槍玉にあがったロコ教育相(Raul Roco)は侮辱であるとして辞任してしまった。

ところがロコ氏のフィリピン国民の人気はきわめて高く、次期大統領としてはアロヨ元大統領以上の支持率を得ている人物である。汚職キャンペーンの一環として教育省を狙い撃ちにしたのはロコに汚点をつける狙いがあったのでなないかとさえ取りざたされている。

ラモス元大統領はロコが2004年の大統領選挙に出馬することを支持していると伝えられる。一方、アロヨ大統領も当然再選を目指す(通常大統領は2期連続では勤められないがアロヨの場合は途中からなので次も立候補可能)がその際ロコを副大統領候補にしたいというアイデアも側近から出されている。

ロコはこんな提案には乗らないで、自ら大統領に立候補するであろうし、当選の可能性も低くはない。

写真でみるかぎりではロコ氏はインテリ風の温顔をした人物である。少なくともエストラダ前大統領風の人物ではなさそうである。

 

6. フィリピンはAFTAの関税一律引き下げを遅らせるように要求(02年9月17日)

先ごろブルネイで開かれた第34回ASEAN経済閣僚会議でフィリピンは石油化学製品の関税引き下げについて猶予を求めた。これに対しシンガポールはやや難色を示したようである。

シンガポールの言い分はフィリピンがこのようなことをやると外部の投資家の信頼を損ねるというものである。

こういうことはこんかいが初めてではなくマレーシアは国産車プロトンを守るために特別扱いを認めさせている。それ以外に各国ともセンシティブ・リスト(制限項目)を出して猶予項目につき合意している。

今回問題になったのはフィリピンが今頃になって何故石油化学といった大きなアイテムを持ち出してきたかということである。フィリピン政府としては前のラモス大統領が気前良すぎたのだということである。

実際国内のメーカーは困っていることは事実でフィリピンの新聞では最近この問題がしばしば取り上げられている。

3.5億ドルかけて建設されたBataan Polyethylene Corp. は操業開始わずか4ヶ月で工場閉鎖に追い込まれ、従業員が解雇された。これは外国産の安い製品が市場にあふれているためであると説明されている。それらは主に中国とタイの製品である。

フィリピンのマヌエル・ロハス2世工業相はレシンの関税を現行の15から30%にしてもらいたいとか、他の品目も関税引き上げの要求を検討していることを示唆している。

(02年9月21日)このような問題が起こったときにASEAN内ではどう問題の処理がおこなわれるのかというと、それは「2国間協議」によって決着が付けられる。

今回のフィリピンの石油化学問題でも早速タイとシンガポールがフィリピンと話し合いを持つことが報道されている(マニラ・ブレティン9月19日号)。

これ以外にも、自動車、自動車部品、鉄鋼など多くの品目について個別の「話し合い」がおこなわれているようである。実態については外部には明らかにされない場合が多い。

(03年7月8日) 石油化学製品の関税に対しシンガポールが賠償請求

7月7日のPhilster紙の伝えるところによると、フィリピン政府は自国の石油化学産業を保護するために、AFTA−CEPT(アセアン自由貿易地域における共通効果特恵関税)の協定(一般的に03年はじめから5%以下)に反して、高関税(7〜15%)をかけてい る。

それに対してシンガポール政府は「損害賠償」として800万ドルの要求を出していると伝えられる。しかし、フィリピン政府は300万ドルに賠償額を値切ろうとしているということである。

シンガポール以外にマレーシアとタイも石油化学製品の輸出国である。

もともとAFTA協定においてはいかなる産業であっても、メンバー国は「例外」措置を求めることができたはずであるが、フィリピンは ラモス政権時代には問題にしなかった石油製品について、事前に協議することなく、高関税を維持したものと思われる。

たとえば、マレーシアは国産車プロトンを保護するために、2年間の猶予期間を申請し、承認されている。

今回のケースは、新しいAFTA-CEPTが開始されてから、初めてのケースであり、これが前例となると、何かあるたびに、賠償請求合戦が始まり、メンバー間の関係が極めてギクシャクしたものになりかねない。

シンガポールはこういう場合、かなり強硬な態度に出る可能性があり、ASEANの「地域統合」などという考え方自体が「夢物語」になりかねない。

 

7. 証券取引所の開設時間を午前中のみに短縮(02年10月11日)

フィリピン証券取引所は10月15日(火)から取引時間を9:00〜12:10までとすることに決定した。理由は取引量が少ないためである。もともと午前中のみの取引であったが、2月から午後の取引ができるようにしたが結果的に取引の増加は見られなかった。

フィリピンの経済は活気がなく株価も低迷を続けている。2001年1月26日に1708.18ポイントを記録してから下落を続け、2001年11月6日には988.56荷まで下がった。その後、やや上向きに転じ、2002年4月には1400ポイント台にまで戻したが、10月9のと現在1081.27にまで下落している。

取引額は最近では1日平均2億2300万ペソ(5億3000万円弱)である。

 

8. 中央銀行が民間銀行のドル建て債券のドル・ヘッジを勧告(02年11月1日)

フィリピンの中央銀行は通貨ペソの下落傾向をみて、将来いっそうのペソ安が懸念されることから、民間銀行が出しているドル建て債券(Bond)をドルにヘッジしておくように勧告した。 (http://www.philstar.com)

それだけ中央銀行はフィリピンの経済の先行きを悲観的にみているということである。

また中央銀行は10月に発行する予定であった70億ペソのドル建て債の発行を取りやめた。これら一連の動きは米国経済の先行き不安とそれに伴う、フィリピンの対米輸出現象の可能性を考慮したものであろう。

 

9. アロヨ大統領の東京訪問(02年12月7日)

アロヨ大統領は専ら米国を向いて仕事をしてきたといえよう。これは父親のマカパガル元大統領と同じである。親娘そろって「米国さえ向いていれば安心」という志向が強かったのである。

アロヨ大統領は就任後初めて日本にやってきてさまざまな「お土産」を持ち帰り、かなり上機嫌であった。アメリカでのお土産は「米軍の支援」が中心であったが、テロリストのアブ・サヤフの撃滅などは実際どの程度効果があったのかよくわかっていない。

ところが日本のお土産には「ご馳走」が入っていたのである。日本からの巨額の借款供与にくわえ「経済協力協定」にも署名した。

アロヨは日本から、外務省が最近やけに熱中している、例の「2国間協定(FTA)」について、水を向けられ、すっかり乗り気になっていたようだが、副大統領のテオフィスト(チトー)・ギンゴナから「水に飛び込む前に、水温や水の深さを調べるべきだ」と水を差されそのまま帰国したとのことである。

不用意発言を繰り返して株式市場を暴落させても、何食わぬ顔をしているような極東の某経済大国の経済担当大臣とはえらい違いである。人間の知性は民族や国籍などとは無関係であるというのが私の実感である。

アロヨは「日本の資本、フィリピンの人的資源、中国の市場」の三位一体がこれから21世紀を切り開いていく道であると帰国第一声で語った。実際のところ昨年あたりからフィリピンの対中輸出は急増している。急増しているのはエレクトロニクス製品だといっているが実際は「半導体」 とコンピュータ部品が中心であろう。

もしそうだとすれば、このビジネスはここ2−3年で頭打ちになる可能性がある。中国の国内でもこれら電機・機械部品の自給率はあがっていくはずである。そうなると中国はフィリピンに限らず、ASEANから買うものはめっきり少なくなる。また逆にASEANも中国から買わなければならないようなものは本来少ないのである。

アロヨの日本礼賛演説はなおも続く;@トヨタはフィリピンに自動車組立工場を持っているが、トランス・ミッション部品工場をこれから建設する。加えて、バイオ・テクノロジー研究をおこない、フィリピンに「サツマイモ農園」を開設する(!?)。A松下はフィリピンでのエアコン工場を課過大視、東南アジアの他の工場から生産を移す。B東芝は現在米国にあるコンピュータ工場をフィリピンに移し、米国向け輸出をおこなっている。

こういった一連の動きはインドネシアとは対照的である。インドネシアは労賃の騰貴(といってもまだまだ安いが)、汚職の蔓延、司法制度の脆弱性(裁判官や堅持の汚職を含め)などの「投資環境」が芳しくないため、リーボック、ナイキ、ソニーといった大企業がインドネシアから撤退している(これはシンガポール、ストレイト・タイムズの記者のコメント)。

アロヨは中国についてもエレクトロニクス、銅地金、果物がよく売れていて、かつて年間3億ドルほどの貿易赤字であったが、いまや対中貿易黒字は7億ドルになったと喜んでいる。

 

10. アロヨ大統領今度はカンラス経済企画庁長官を更迭(02年12月15日)

アロヨ大統領は11日(水)にダンテ・カンラス経済企画庁長官を更迭し、後任にロモロ・ネリ(Romulo Neri)氏を任命した。カンラス氏は良識的かつ有能なエコノミストという評判で、解任されるような失点は特に見当たらない。

巷の噂では、米国でブッシュがオニール財務長官とリンゼー経済顧問を辞めさせたので、「フィリピンでも何かしなければならない」ということではないかといわれている。不可思議な人事である。

公認のネリ氏は「7年間毎年7%成長」を提唱する、「口先エコノミスト」として有名である。彼はアジア経営大学(Asian Institute of Management) の教授であり、議会の予算委員長を務めている。

ネリ新長官になればフィリピン経済に奇跡が起こるとでも、アロヨは考えたのであろうか?せめて「お手並み拝見」とでもいいたいところだが、そんなことをいう気にすらなれない。

 

11.アロヨ大統領が次期大統領選挙不出馬宣言(03年1月5日)⇒後で撤回

アロヨ大統領は昨年12月30日に、2004年の大統領選挙に出馬しないと宣言した。ただし、彼女の本心はわからない。最近、経済の不振がいっそう表面化し、夫の汚職疑惑や閣僚人事をめぐっても合理性を欠いているとの批判を受け、支持率は急速に低下している。

このまま選挙戦に突入すれば負けるのは確実であると見られている。

また、最近になって野党側に「挙国一致」体制で政治・経済危機をのりきろうというアピールを出している。この「挙国一致内閣」体制はコラソン・アキノ元大統領もかつて提案している。要するにこういう手のものは成功したためしがないのである。不人気挽回策の1つとしか受け止められていないのである。

アロヨはテエロリストのアブ・サヤフ対策であまりにも米国に接近しすぎたため、左派グループや反米市民派は全く妥協の余地がなくなってしまったのである。インドネシアは 国際テロリストというよりは爆弾屋グループをほぼ一網打尽(主要メンバーは最初から軍や警察とお馴染みであった)にしたのに対し、フィリピンは依然として爆破事件があとを絶たない。

米軍の訓練を受けてフィリピン軍がやっつけたはずのアブ・サヤフもどの程度打撃を受けたのかわからない。 アロヨにしてみれば米軍がフィリピンにいれば軍部にもにらみが利くという思惑から米軍の長期駐留に踏み切ったのであろう。今に至るも軍がクーデターを起こすという噂は絶えない。

いずれにせよアロヨはお嬢さん大統領(メガワティがお母さん大統領とすれば)であり、とうていラモス元大統領などとは比べ物にならない。前任のエストラダが余りにひどかったので、マシに見えるだけである。

(03年6月7日追加)ところがである。こともあろうに米国のブッシュ大統領が、アロヨ大統領と会談し、すっかり気に入ってしまい。次の選挙に出て2期目を目指すべきだといったらしい。

与党は、アロヨ以外にロコ前教育相に勝てるタマがいないところから、アロヨに出馬をけしかけている。アロヨとしては選挙に出る意志はないと明言しているが、まだ流動的だとの見方もある。

しかし、やっぱりやめた法が良さそうである。彼女では悪徳政治家や軍部を抑えきれないからである。

 

12.フィリピンは貿易統計を操作し(?)ていた(03年1月18日)

フィリピンの輸入統計に大きなミス(?)があったようで2000年の経常収支の黒字は84.6億ドルと発表されていたが、実際はこれよりも50億ドルも少なかったということが中央銀行総裁ラファエル・ブエナベンツラ(Rafael Buenaventura)によって明かされた。2001年も経常収支黒字45億ドルもかなりサバを読んでいたという。

実態はまだ判明しない。しかし、その影響はすぐさま現れた。それは外債の発行予定7.5億ドルに対して5億ドルしかできなかったからである。

(03年7月18日追加)ミスの一部は2001年の電子部品関連の輸入が当初3,785百万ドルと記載されていたが、実際は7,291百万ドルであった。その差3,506百万ドルは人為的なミスであったと思われる。

 

13. ダバオ空港で爆弾テロ21名死亡(03年3月5日)

3月4日午後5時ころ(現地時間)ミンダナオ島のダバオ国際空港の待合ホールで爆弾が破裂し、米人宣教師1名を含む21名が死亡し137名以上の重軽傷者がでた。そのうち36名は極めて重傷だといわれ死者は今後増える可能性がある。

死亡者の中にはボクシングの元アジア・太平洋地区ジュニア・ミドル級チャンピオンであったアルマン・ピカール氏も含まれている。

現地の警察は犯人はモロ・イスラム解放戦線(MILF)であるとして容疑者9名を逮捕した。しかし、MILFは犯行には関与しないとしている。

一方、アブ・サヤフは犯行声明を出し、これからも爆弾テロをおこなうという声明を出している。しかし、当局はこの地域はアブ・サヤブの縄張りからは離れているとし、彼らの犯行声明は単なる宣伝に過ぎないとみている。

また、最近ミンダナオ島で電力施設の破壊行為によってしばしば停電しているが、これもMILFの犯行と見られている。現在、政府はMILFと和平交渉をおこなっており、その面からもMILF自身は犯行を強く否認している。

MILFの勢力は12,500人の戦闘員を擁するフィリピン最大のイスラム・ゲリラ勢力であり、97年にはラモス政権と和平協定が成立していた。しかし、アロヨ政権になってから米軍の影響力が強まり、フィリピン軍も反政府勢力に対しやや攻撃的になってきている。

また、軍関係者の一部はダバオは共産主義勢力の新人民軍の影響力の強い地域であり、共産ゲリラの仕業ではないか という見方をしている。しかし、新人民軍は多くの一般大衆を巻き込むような無意味なテロは行いそうもない。

フィリピン軍は先月MILFと戦闘を交え約200名のゲリラを殺害し、214千人の住民を避難させたといわれる。この時期、この地域では稲刈りの季節であり、住民の反発は強いと言われている。

(03年3月6日、10日) 犯人はMILFのメンバー?−国防省発表

国防相のスポークスマンは爆破犯人はMILFメンバーのムンタゼル・スダン(Muntazer Sudang 23歳)であると発表した。彼はリュック・サックに爆弾を詰め現地に置いたが、予定より早く爆発したため彼自身も死亡し、その遺体が確認されたという。

しかし、これについてはMILFは強く否定している。メンバーが死亡者の中に入っていたからといってそれが決定的な証拠ではないし、和平交渉の最中に爆破テロをやるような理由はないということである。 むしろ和平交渉を妨害したい勢力の犯行と見るべきであろう。

ミンダナオ出身の国会議員のゲーリー・サラプディン氏(もとモロ民族解放戦線=MNLF司令官)も軍と警察のすばやい犯人の断定に疑問を投げかけている。

というのはダバオでは2002年9月にもホテルで爆発事件があり、その時はアメリカ人(Michael Meiring 65才)が爆弾を誤って自分の部屋で破裂させ負傷したことがあった。

彼は裁判にかけられたがFBIが彼を米国に送還してしまい、それっきりになってしまった。ダバオ市長のドゥテルテ(Duterte)によると彼はCIAであったとのことである。

筆者が疑問に思うのはこの手の「動機のはっきりしない爆弾事件」がインドネシアのバリ島事件をはじめやたらに最近目立つことである。ただし犯人は「アルカイダの手先のイスラム過激派」ということで奇妙に一致している。

そうなると、もしかしてバリ島事件も含め犯人は全てCIAがらみという疑念すら湧いてくる。もっともインドネシアの場合はこれに軍がからんでいるというシナリオになるが。

 

14. ダバオ港で爆弾テロ15名死亡(03年4月3日)類似の事件が頻発

4月2日午後7時(現地時間)にダバオ港で爆弾テロがあり、15名が死亡し、少なくとも48名の負傷者が出た。アロヨ大統領は直ちに「無法地帯宣言」を出し、軍・警察が令状無しで立ち入り捜査や逮捕や検問が可能となる措置を発令した。

3月4日にはダバオ空港で死者24名、負傷者150名が出る爆破事件があったばかりである。

警察は空港の事件はMILF(モロ・イスラム解放戦線)の仕業だとしているが、MILFは政府と和平交渉の最中であり、民衆をターゲットにした事件を起こすはずがないと強く否定している。

MILFと政府の和平交渉が進む中での、これら2つの事件は明らかに「和平交渉」を妨害しようとする勢力もしくは、犯人をアルカイダであるとしてでっち上げをおこなったグループによるものであろう。

罪のない民衆を殺害しても平気でいられるのは、どうも後者の「でっち上げグループ」がくさいと思われる。

目撃者の話によると、迷彩服(軍服)を着た男が黒いバッグを持って、付近をうろついており、それが爆発したということである。

犯人はジャマー・イスラミア・グループ?、米軍との「演習」再開(03年4月10日)

フィリピン政府は一連のダバオ爆発事件で5名のイスラム過激派の容疑者を逮捕し、ジャマー・イスラミア・グループ(バリ事件の仲間?)とみられる5名のインドネシア人の行方を追っている。

ケシカランのはイスラム過激派グループで、アル・カイダの仲間がフィリピン南部で暗躍中であるとして、アロヨ大統領は国内の批判が強かった米軍とのアブ・サヤフ相当作戦(あくまで建前上は演習)を再開することに決定した。

これに対し、イスラム教徒は第3者(CIAなど)の疑念があるうちに、ダバオ市長のロドリゴ・ドゥテルテ(Rodorigo Duterute=政治的野心が強いといわれる)などの親米派の意見に引きづられて、イスラム教徒犯人説を定着化させることに反発している。

アロヨ大統領は日本軍の侵略時にバターン半島で殺された(バターン死の行進)3,000人の米軍とフィリピン人軍人の62周年記念で慰霊碑(英雄の壁)のまえで、演説し、おりしも米軍のバグダッド制圧のニュースにかなり「感動」していたらしい。

そうだ、フィリピンのアル・カイダも殲滅せねば、それには「米軍」の力を借りようということにして、国内世論を押し切ろうとしているようである。

(03年4月16日) 5人の犯人を捕まえたが、拷問による自白の可能性

上記の2つの事件の犯人として5名のMILFメンバーと見られる犯人が逮捕された。空港事件ではMILFのメンバーが現場で爆死したことになっているのに、別に真犯人がいたという妙な話しになっている。

もっとも警察と軍にとってはMILF全体が犯人で、誰を捕まえてもよいことのようだ。

最初は罪を認めていた、トハメ・バグンという19歳の男は、検察官に対し、自白は警察の脅迫によるものであると、証言したが、再度犯行を認めた。その理由を聞かれると彼は「刑務所を出ると」殺されると述べたという。

MILFとアル・カイダやジェマー・イスラミア・グループとの結びつきがフィリピン政府筋によって強調されているが、MILFはあくまで国内組織であって、モロ地区の独立を目指すものであって、外部勢力とは無関係であると指導者は主張している。

なおBBCの記者とMILF幹部のインタビューは http://newsvote.bbc.co.uk 5月9日号に掲載されている。

(03年5月10日) ミンダナオ島南のコロナダル市で爆破事件9名死亡

今度は5月10日午後にミンダナオ島の南端に近いコロナダル(Koronadal)市でモーターバイクに仕掛けた時限爆弾の爆発により、9名が死亡し、41名の負傷者が出た。 爆発物は81mm迫撃砲弾であった。

事件後、アブ・サヤフのアブ・ソライマン(Abu Solaiman)と名乗る男から犯行声明が出され、さらに次の爆発事件の予告がなされ、同時に400万ペソの要求があったという。

なぜか、米国の国務省はアブ・ソライマンの逮捕に500万ドルの賞金をかけているという。

この事件について内務相のホセ・リナはMILFの仕業だと見ている。MILF側は市民を巻き添えにするテロなど絶対にやらないと主張 している。いずれにせよフィリピン国軍の誰かが関与している可能性はありうる。

02年にアブ・サヤフから救出された米人女性グラシア・バーンハム(夫の牧師は殺された)はフィリピン国軍がアブ・サヤフに武器弾薬を供給していたことを最近の著作の中で暴露し、衝撃を与えた

フィリピン軍に限らず、インドネシア軍も同様の性格を持っているのである。反乱ゲリラがいてこそ軍隊の存在意義が認められるという発想であろう。また、武器を売れば金儲けにもなる。

フィリピン政府とMILFとの和平会談は決裂したまま再開のめどは立っていない。

 

15. 2002年には外国資本の株式投資が66.9%増(03年4月20日)

フィリピン中央銀行(BSP=Bangko Sentral ng Pilipinas)によれば2002年の外国資本による株式資産取得(Foreign Direct Equity Investments)は日本からの投資が急増したこともあって、前年比66.86%となった。

このFDEIは中・長期の株式資産取得すなわち、本格的な工場進出などを意味する。金額では14.3億ドルであり、01年には8.579億ドルであった。このうち日本からの投資は7.5412億ドル(53%)であり、01年の投資はわずかに1.928億ドルであった。

これにくらべ米国からの投資は01年1.923億ドルから02年には0.554億ドルへと急減した。

一方、短期の株式取得(短期の売買目的)であるポートフォリオ投資は2002年は18.62億ドルと前年の17.78億ドルに比べ、4.7%増であった。バブルの最盛期にはポートフォリオ投資は102.51億ドルに達していた。

このホット・マネー(短期資金)の供給者は米国がトップで6.27億ドル、ついで英国が3.88億ドル、3位がシンガポールの2.51億ドル、4位は香港の2.50億ドルであった。

 

16. ネズミ講の被害拡大(03年4月27日)

日本でおなじみの「ネズミ講」がフィリピンで大流行し、被害者は約200万人に達し、被害金額は600〜750億ペソ(1ペソ=2.3円)に達していると推定されている。この金額はフィリピンの国防費450億ペソを上回る。

ネズミ講(Pyramid scheme)の手口はさまざまであるが、なかには1週間で60%の金利で勧誘し。金は世界銀行に預けるのだから絶対心配要らないなどと荒唐無稽な話しで騙すものもあるという。

政治家の荒唐無稽な話しに騙し続けられている国民も極東の某経済大国には存在するが、このままではおそらく彼らは、せっかく維持している平和憲法などを捨てさせられ、危険な軍事国家に転落していくことであろう。

 

17. 海外労働者からの03年1Qの送金は17.8億ドル(03年5月16日)

フィリピン人海外労働者からの03年1−3月の送金は前年同期比+6.6%の17.8億ドルに達した。2002年合計では69億ドルであり、そのうち57億ドルは陸上での労働者からのものであり、12億ドルは船員からのものである。

最大の仕送り地は米国の36億ドル、ついでアジア地区が10.92億ドル、中近東は7.25億ドルの順である。中近東はイラク戦争の影響、まらアジア地区はSARSの影響により今後は減少することは確実である。

また、フィリピン人看護婦は毎年14,000名が海外に出稼ぎに出ており、国内で優良看護婦が不足しているという。統計によれば2001年には13,536名、02年1Qには2,908名が出国したという。看護婦の行き先は米国が最も多いと見られている。

出稼ぎ看護婦の月収は3,000〜4,000ドルとみられ、フィリピン国内の平均169ドルを大幅に上回っている。地方では給与はさらに低く75〜95ドルであるという。

また、フィリピン医師のなかにもビザ取得のために看護が項に入り、看護士の資格を取得するものもいるという。フィリピンでの医師の月収は300〜800ドルであるという(看護婦の項 http://atimes.com  May16,2003による)

 

18. 高野大使の発言問題(03年5月31日)

高野幸二郎駐フィリピン大使が5月29日にフィリピン外国人記者クラブで講演し「フィリピンは治安が悪く、誘拐事件やテロ事件が多発しており、夜もおちおち眠れない。また、法令もしょっちゅう変わり、日本企業は困惑している」という趣旨の発言をおこなった。

ところが、痛いところをつかれたフィリピン政府は過剰に反応し、高野大使に猛攻撃をかけ、日本政府に更迭を迫れなどというトンチンカンな発言をするものまで現れた。

フィリピンの治安の悪さは、誰知らぬものはないが日本大使の発言だからケシカランと言うことなのであろう。騒ぎが大きくなって、高野大使は外務省に出向き「お詫び=apologize」したそうであるが、発言は撤回しなかったそうである。

近日中にアロヨ大統領の訪日があり、それをやめてしまえなどという愚かしい政治家がいるという。

ところがアメリカの大使(フランシス・リキアルドン)はフィリピンは治安もよく夜もよく眠れると、あからさまに高野大使の発言を攻撃しているから笑わせる。日本への対抗意識かも知れないが子供っぽいコメントである。

治安が悪いと言われたら良くするのが先決だと思うが、どうもそうはいかないらしい。治安の悪いのは昨日や今日始まったことではないからである。しかし、ラモス政権時代に比べ、テロ事件などはあきらかに悪化している。

アロヨ大統領は最近、訪米しブッシュ大統領と会見し、大変気に入られて、数々のお土産を貰って帰ってきたばかりである。軍事費の援助や、テロ対策の米軍の常駐や対米輸出割当の増加などである。

特にフィリピンはアル・カイダと関係の深い(?)アブ・サヤフなどのテロリストた一生懸命戦っていることと、ブッシュのイラク侵略作戦を支持したという点が評価されたということである。

米軍の長期駐在についてはフィリピン憲法では外国軍の基地をおけないがテロ対策の短期目的なら良いということにしたようである。

フィリピンもタイがタクシン政権の反外資政策でもたついている間に、しっかり外資導入方策を確立すべきときである、誰がどういおうとやるべきことははっきりしているはずであり、口げんかなどしている暇はないはずである。

5月31日にフィリピン政府は高野大使の「お詫び」を受け入れないとし、日本の外務省からの反応を待ちたいと表明してきた。あきれ果てた態度というほかない。事実を指摘されて逆上するというのは全くお粗末である。

フィリピン政府にはもともと理性ある役人が少なからずいたというのが筆者の記憶するところであるが、アロヨの取り巻きは質が落ちたのであろうか?アメリカ大使のバック・アップがあっていい気になっているとしか思えない。

もっとも彼らに言わせると高野大使は日本の支援プロジェクトの落札で不明朗な動きをして、日本国内で問題にされているというのである( http://www.philstar.com 6月1日付け)。しかし、それは今回の発言問題とは関係がないはずである。

 

19. 4月の輸出は13ヶ月ぶりのマイナス(03年6月4日)

フィリピンの03年4月の輸出は27.49億ドルと前年同月比−1.8%となった。これは13ヶ月ぶりのマイナスである。これにより、03年の輸出目標+10%は大いに怪しくなった。しかし、1〜4月の合計では112億ドルと前年同期比+3.2%を維持している。

4月のマイナスで目立つのはエレクトロニクス関連で−2.2%の18.56億ドルとなった。衣類も−8.9%1.4億ドルと振るわなかった。

国別には米国向けが−25%、日本向けが−6%であった。

 

20. 逮捕されたインドネシア人のテロリストはクリスチャン?(03年7月2日)

フィリピン警察は6月17日にインドネシア人5名を南部のゼネラル・サントス市で、爆発物を所持していたということで、ジェマー・イスラミア・グループのテロリストとして捕まえた。

アロヨ大統領は警察の手腕を褒め称えたまでは良かったが、そのうちの4名はクリスチャンで残りの1名はイスラム教徒であることが判明した。

インドネシア人は見知らぬフィリピン人から良い仕事があるからといって、バス停のレストランで昼飯をご馳走になった。その男はバス停で待っているようにいいその場を立ち去った。その近くで1人で食事をし、荷物をおいたまま立ち去った女性がいた。

しばらくすると警察官がやってきて、5人を捕まえ、その荷物も彼らの所持品として押収した。その荷物のなかには爆発物が入っていたという仕掛けである。

典型的なデッチアゲ逮捕の例である。彼らが全員イスラム教徒であったら、拷問によって「自白」させられ、アルカイダの一味、ジェマー・イスラミアのメンバーに仕立て上げられたことであろう。

警察のでっちあげ逮捕がありうることを証明した事件であった。

 

21. 成長産業に課税を検討(03年7月2日)

カマチョ財務相はフィリピン政府の財政危機を救うための一手段として、携帯電話事業などの成長産業に、新たな税金を課することを検討していると語った。

また、カマチョは財政収入を中期的に確保するために、貿易の自由化のペースを遅らせることも検討していると語った。これは関税収入の確保を狙いとするものである。

貿易の自由化を急いだがためにGDPの4%相当の関税収入が失われ、2002年の関税収入はGDPの2.4%にまで落ち込んでしまったと語った。1993年の関税収入はGDPの5.6%であったということである。

また、前の政権(ラモス政権)は外資を誘致するために、税金の減免措置をおこなった結果、GDPの1%相当の税収が失われたと語った。

カマチョは現在1,500万セット販売されている携帯電話以外に燃料消費税や輸出税(商品とサービス)も検討し、IMFと協議したいと語った。

いずれにせよ、既に進出している外資系企業にとっては、あまり気持ちの良い話ではない。

 

22. イスラム過激派アル・ゴジの脱獄(03年7月14日)とその死(03年10月12日)

ジェマー・イスラミアの主要メンバーで爆発物を所持していたという罪で、フィリピン国内で逮捕され、12年の禁固刑で服役中のインドネシア人、アル・ゴジ(Fathur Rohman Al-Ghozi)が収監先のクラメ留置所から今朝方午前3時から5時の間に脱獄した。

他に2名の、イスラム過激派アブサヤフのメンバーも脱獄したとフィリピン警察は発表した。脱獄を助けたのは状況から見て内部の人間であることは明らかである。

アブダンテ警察長官は彼らを見つけ次第射殺しろなどという物騒な命令を下した。もしかすると、彼らを殺すために脱獄させたのかもしれない。そういった手法は東南アジアではお手の物である。厳重な警備のなかで、なぜ彼らが脱獄できたのか謎である。⇒この見方は不幸にも的中した。

アル・ゴジの罪状については、警察の説明によると、爆弾所持のほか、2000年12月30日のマニラで起こった5件の爆破事件(死者22名、負傷者100名以上)について14日、法廷で「罪状認否」をおこなう予定であったという。

また、彼の自白により、最近捕まったサイフラ・ユノスの同事件への共犯関係もあきらかにされたという。

検察庁の説明では、アル・ゴジとユノスはMILF(モロ・イスラム・解放戦線)の副司令官であり、マニラの爆破事件のとき使用された70kgの爆弾購入資金を調達したという。

さらに、アル・ゴジが爆弾を用意し、時限装置をセットしたことを認め、そのときユノスは爆弾に電線を接続した容疑がもたれているという。

フィリピンの情報部はMILFは外国勢力(ジェマー・イスラミア)と関係があるといい、MILFはテロリストとの関係を否定している。

フィリピン政府当局はMILFなどの独立分離派が外国のテロリストとつながりがあるほうが、ブッシュ政権の主張とも合致し、都合がいいらしい。これは、インドネシアの爆弾屋グループについてもいえることである。

(03年7月15日)おりしもタカ派で有名なオーストラリアのホワード首相が訪比中であり、アロヨ大統領は面子丸つぶれの形となった。比政府はアル・ゴジ逮捕につながる情報提供者には500万ペソ(約1,100万円)の賞金を出すと発表した。

国家警察本部付属のクラメ収容所は過去にも2度も大物の脱獄を許しているという。警備の警察官が買収されたものであろう。

(03年7月26日)アル・ゴジを脱獄させたのは警察高官−再逮捕近し?

アル・ゴジの監視に当たっていた警察官の証言によれば、上官からしばらくよそに行っているように命じられ、その隙に逃げられたという。となれば、明らかに内部の犯行である。

アル・ゴジを逃がすとなればかなりの大金が動いたはずであり、一説によれば1,000万ドルであったという。

アル・ゴジは目下ミンダナオ島のゼネラル・サントス市の近辺にまで逃げ延びているといわれ、警察長官アブダンテは現地に出向いて指揮を取っている。

さまざまな憶測が飛び交うなかで、アル・ゴジを脱獄させたのはフィリピン警察の情報部であり、彼らはアブ・ゴジの身柄をづっと確保し、ミンダナオ島までやってきたという説がある。

目的は、そこで日ごろ誘拐で大金を稼いでいるアブサヤフ・グループに身代金と引き換えに、アル・ゴジと2人の囚人を彼らに引き渡す目的であったとも言われる。いずれもフィリピンではありうる話であり、結果は数日中に明らかになるであろう。

アロヨ大統領は3日以内にアル・ゴジを捕まえると豪語している。

(03年8月7日) アル・ゴジと一緒に逃げたアブ・サヤフ・メンバーは殺された

国軍のロイ・カムコ中将が発表したところによれば、本日、アル・ゴジと一緒に脱獄したアブ・サヤフの1人であるアブドゥルムキン・エドリスはミンダナオ島のサルタン・ナガ・ディマポロ町で兵士に捕まり、武器を奪おうとして殺された。

そのとき同時に捕まったMILFの隊長マホムド・イスマエルも殺された。

もし、この報道が正しければ、アル・ゴジは既にMILFと合流している可能性もある。

この2人が殺されたのは、手錠をかけられたまま、兵士から武器を奪おうとしたからだというのは極めて眉唾の話しで、生かしたままマニラに連行できない事情があったと考えるほうが自然であろう。

もし、マニラに連れ帰れば、エドリスは「脱獄」の経緯をバラしてしまう恐れがあるからである。こういう場合はフィリピンでもインドネシアでも口封じのために、その場で殺してしまうケースが多い。

(03年8月20日) アル・ゴジは病気でマギンダナオ県に潜伏中?

フィリピン国軍はミンダナオ島のコタバト市南東のカブンタランという町の近くにアル・ゴジが潜伏しているという情報に基づき付近を捜索している。

カプンタラン付近はMILFの影響力の強い地域であり、MILFはアル・ゴジ捜索に名を借りて、国軍の前進基地を強化しようとしていると非難している。

(03年10月12日)アル・ゴジは銃撃戦で死亡

フィリピン国軍の発表によると、脱獄していたアル・ゴジは北コタバト県南部のピクァワヤンの近くで10月12日午後7時15分にフィリピン軍との銃撃戦の後に殺害されたとのことである。詳細は追って発表されるという。

一緒に逃げていたラナオは8月に殺され、ラサルは先週、サンボアンガ・シブガイ県で逮捕されている。

ところが、この事件には裏があるのではないかという記事が10月14日付けのストレート・タイムズ(シンガポール)に出ていた。

アル・ゴジが銃撃戦の後殺されたといわれる場所には銃撃戦の後はなく、実際はアル・ゴジの身柄は軍当局によって以前から確保されており、ブッシュの今週末の訪比日程にあわせて、「処刑」されたものではないかという。

また、バリ島爆破事件1周年(10月12日)を記念して処刑されたのだという説もある。これもありうる話しである。

私が、冒頭に書いたように、脱獄した日から、アル・ゴジの死は決まっていたようなものである。疑惑の残る後味の悪い事件である。

 

23. マルコスのスイスの隠し預金は政府のものに−最高裁判決(03年7月15日)

フィリピンの最高裁は7月15日、スイスの銀行に凍結されたまま所有権をめぐって、マルコス一家と政府とが争っていた6億5,820万ドル(約775億円)につき、「不正に入手したものと」認定し、フィリピン政府に帰属するとの判決を下した。

1966年から1986年まで大統領の座にあった、マルコスとその妻イメルダの給与総額は30万4,300ドルにすぎず、スイスの銀行口座に預けられていたものは正当なマルコスの資産とは認定しがたいという、当然すぎる判決であった。

1986年にスイス口座が発見されたときは3億5,600万ドルであったが、その後金利がつき、上の金額にまで膨らんだものである。

また、マルコスに人権侵害を受けたとして9,539人が米国の連邦裁判所に提訴していた損害賠償の件は、既にハワイ地裁が20億ドルの賠償を支払うように命じているが、マルコス家は1ドルも支払っていない。

(03年7月17日) これ以外にも130億ドル(1兆5,340億円)追跡

これ以外にも、マルコスの末娘であるイレーネ・アラネタが130億ドルの違法蓄財金を持っていると、元司法長官のフランク・チャベス氏は語っている。

チャベスによると、「その金はやはりスイスの銀行(Union Bank of Switzerland=UBS)に預けられており、口座番号は885931である」という。また、既に、イレーネはその金をドイツのデュッセルドルフの銀行に移すようUBSに手紙を送ったという。

USBはそのような口座の存在を否定している。

これ以外にも、マルコス一族はPLDT(フィリピン長距離電話会社)の株式など多くの資産を所有している。

このようなマルコスの不正蓄財の大部分は日本を含む外国からのODAなどの援助金から得たものであるといわれている。

 

24. モロイスラム解放戦線(MILF)など

24-1.フィリピン政府、モロ・イスラム解放戦線と停戦協定調印(03年7月18日)

BBC放送の伝えるところによれば、フィリピン政府はMILF(モロ・イスラム解放戦線)と来週早々マレーシアで正式休戦協議をおこなう予定であったが、それに先立って停戦協定に調印した。

MILFは休戦に熱心であったが、ミンダナオ島のいくつかの都市で市民を殺傷する爆弾テロが相次ぎ(上述14ダバオ爆発事件の記事参照)、そのたびにMILFが犯人扱いされてきた。

しかし、MILFの代表者はそのつど、犯行を否認し、休戦に前向きであることを主張し続けてきた。

MILFは12,500人のメンバーを擁する、フィリピン最大の反政府組織であり、これとの和平が実現すれば、フィリピン政府にとって大いに負担が軽減される。

フィリピン軍部の一部がむしろ休戦にはあまり好意的でないということも取りざたされている。それはインドネシアのアチェの休戦を望まない、インドネシア国軍の一部過激派と同じ事情によるものである。

 

24-2. フィリピン国軍とMILFとの戦闘再開(05年1月12日)

1月9日(日)から翌日にかけて、ミンダナオ島マギンダナオ県でフィリピン国軍とモロ・イスラム解放戦線(MILF)との間で中規模の戦闘があり、MILF側に13名、国軍側にに8名の戦死者を出した。

事件の発端は、現地のMILFの指導者の兄弟が何者かによって殺害された報復であるとMILF側は説明している。MILF本部は戦闘許可を出しておらず、偶発的な事件であると語っている。

MILFは現地のゲリラ組織であり、誘拐の経験もあるアブ・ソピア(Abu Sopia)という組織を「編入」しており、彼らが現地の国軍と戦闘を行ったとみられている。

アブ・ソピアは前の週に国軍と戦闘をおこなっており、その際リーダーであった、ビデス・ビナゴ(Bides Binago)というものが国軍に殺されたため、その兄にあたるAbdul Rahnman BinagoというMILF軍の隊長が国軍に復讐を行おうとしたものと見られている。

その後、国軍は攻撃用ヘリを使って爆撃を行ったため、MILF軍の戦死者は20名程度に増えたものと見られている。その後も、小規模の戦闘は続いている。

中央で交渉に当たっている国軍とMILFの代表は、仲介役のマレーシアの停戦監視団とともに現地入りし、事態を沈静化させようとしている。

問題はフィリピン国軍としても、政府予算の削減圧力を受けて、軍の縮小に抵抗しており、この種の戦闘はむしろ歓迎とはいえないまでも、多少は起こったほうが、中央政府に対して、存在感をしめす絶好の機会であるということである。

インドネシアのアチェにおいても、和平のぶち壊しを行ったのはむしろインドネシア国軍であったと見られている。

 

24-3. ホロ島で国軍とMNLFと大規模な戦闘、50名の戦死者(05年2月9日)

ミンダナオ島のサンボアンガ市南西のホロ(Jolo)島でイスラム分離主義組織,モロ国民解放戦線=MNLF(Moro National LiberatioFront)の反乱軍500名とフィリピン国軍・警察との大規模な戦闘が2月7日に起こり、国軍兵士17名が戦死し、16名が負傷した。

MNLF側も可なりの死傷者を出しており、双方で50名程度の死者が出ているものと見られている。(http://inq7.net/参照)

また、MNLF軍約300名はフィリピン国軍のパナマオ(Panamao)基地を占拠しているという。

MNLFはMILFとは別組織であり、誘拐事件を引き起こしたことで有名なアブ・サヤフ(Abu Sayyaf)系の組織と見られている。指導者はヌル・ミスアリ(Nur Misuari)という人物で、ミスアリ自身はフィリピン政府に2001年から反乱罪で捕らえられている。

MNLFの攻撃は、最近のフィリピン国軍のアブ・サヤフに対する攻撃への「報復」と見られている。

 

24-4. 米英政府がフィリピンへの旅行に対して危険信号(05年3月24日)

フィリピン政府は最近、イスラム過激派のアブ・サヤフ・グループへの武力攻勢を強めているが、アブ・サヤフも必至の反撃に出ている。

最近、アブ・サヤフはマニラを含む都市部への爆弾テロを仕掛ける動きがあり、アメリカとイギリス政府はそれぞれの国民に対し、フィリピンへの旅行の自粛を呼びかけている。

3月23日(水)にはフィリピン軍はケソン市郊外でアブ・サヤフ系のイスラム過激派1名を逮捕し、11袋の爆発物を押収したと発表した。

アブ・サヤフは先週マニラの刑務所で起こった囚人暴動で23名のイスラム過激派が殺害されたことに対する報復を誓っているという。

また、インドネシア人のローマット(Rohnat)なる人物が2月14日にバレンタイン・デイ爆破事件と呼ばれる3都市(マニラ他)にわたる爆弾事件を起こし、8名を殺害した仲間であるという容疑で3月16日に逮捕されたが、アブ・サヤフはローマットの奪還をも狙っているという。

ローマットの「自供」によれば、彼はジェマー・イスラミアのメンバーであり、他のインドネシアとともに南ミンダナオでテロのための訓練を受けたという。アメリカとそれに協力するアロヨ政権にとってきわめて都合の良い供述を行ったという。

アロヨ政権の最近の一連の「アブ・サヤフ攻撃」はマニラなどの大都市を非常に危険な地帯にしてしまったことになる。日本人旅行者も要警戒である。

 

24-5. フィリピン政府とMILFとの和平基本合意成立(05年4月21日)

フィリピン政府とMILF(モロ・イスラム・解放戦線)との和平協定は行くたびかの中断と戦闘再開により、挫折しかかっていたが、今回マレーシア政府の仲介により3日間の交渉がポート・ディクソンで行われ、ようやく基本的な合意に達した。

MILFはモロ解放戦線から分裂した少数武装集団であったが、自称12,000人の勢力で1978年から分離独立闘争を行ってきた。いったんは1996年に和平が成立し、当時の指導者はARMM(Autonomous Region in Muslim Mindanao)の役人になった。

しかし、一部の強硬派はARMMは理想と違うとして反発し、武力闘争を再開した。その最大の原因はこの地域の貧困が一向に改善されなかったことにあることは確かである。また、フィリピン政府も「マルコスの負の遺産」の解消にあえいでおり、手を差し伸べられなかったともいえる。

MILF(Moro Islamic LiberationFront)は先祖からの支配地域(ミンダナオ島全体)の支配権回復を要求して戦ってきたが、MILFはこの「壮大な要求」を取り下げ、フィリピン政府の出した条件と妥協点を探ることで合意した。

和平交渉そのものは1997年1月から何回となく行われてきたが、今年の中頃から行われる両者による「正式協議」に向けて実質的な話し合いが行われる段取りが今回の会談で合意されたという。

両者の喜びようからするとかなり話が前進したであろうことは想像できるが、具体的な内容についてはまた明らかにはされていない。

おそらく「限定的な自治権」が特定地域について与えられるkとになるであろう。27年間にわたり、10万人もの犠牲者が出た推定される、この不毛な戦いが今度こそ終わることを祈りたい。

問題はフィリピン国軍で「戦闘・戦争があってこそ軍隊の存在意義ががる」というセンチメントからなかなか脱却できない幹部が存在する。これはアチェ紛争におけるインドネシア国軍でも、かつての大日本帝国陸軍もおなじことである。

 

26. クーデター騒動(03年7月27日)(7月28日に最新情報を加筆)

マニラのマカティ地区で27日(日)現地時間午前3時30分に296名の兵士が、アラヤ・ショッピング・センターを占拠して立てこもってい たが夜9時頃全員が兵舎にもどることで合意が成立した。そのなかには70名の将校が含まれる。

彼らは赤い腕章を巻いていたが、それは1986年のマルコス追放時の軍の反乱部隊のシンボル であり、もともとは1896年のカプティナンの反乱の時、アギナルドの部隊が使っていた、独立革命軍のシンボルであるという。

数日前から軍部の若手将校の間に不穏な動きがあり、約10名の将校と50名の兵士が「職務を離脱」したと26日には報じられていた。

また、26日軍の機甲部隊がマニラに入っていた。これはクーデターの動きを察知した国軍がマラカニヤン宮殿を護衛ものであったと考えられる。

反乱軍はマグダロ・グループ(Magdalo Group)と称し、その言い分は、腐敗したアロヨ政権の退陣要求ということであったが、それ以外にも軍の腐敗の実態を暴露し、是正を要求している。

その主なものは、@ミンダナオ島ダバオ市ササ埠頭で4月に起こった爆弾テロ事件は、軍情報部の仕業である、A軍は武器弾薬をMILF(モロ・イスラム解放戦線=目下和平会談中)やアブ・サヤフに売り渡していることなどである。

国軍の武器は新人民軍(共産ゲリラ)やアブ・サヤフにも売り渡されているというのだからアブノーマルとしか言いようがない。

アブ・サヤフに夫婦で誘拐され、神父の夫のみ殺害され、生き残ったグラシア・バーンハム夫人は手記「In the Presence of My Enemies= わが敵のいる前で」のなかでアブ・サヤフはフィリピン国軍からふんだんに武器を供給されていたと述べているという。

この反乱部隊は最近まで、ミンダナオ島でMILFと戦闘をおこなっていただけに、言うことに真実味が感じられる。フィリピン国軍が密売した弾丸が前線兵士に飛んできたのではたまったものではない。

( ダバオ市の爆破事件は本ページの14にやや詳しく記載しておいたのでご参照ください。要はアルカイダの仕業だと軍は発表していたが、そうではなさそうだとコメントしておいた。 )

今回の事件の首謀者は若手の将校であり、アントニオ・トレランス海軍上級中尉以下、5名の中尉の名前が公表された。彼らは、軍法会議にかけられることを拒否していたが、最終的にどういう条件で折り合いをつけたのか今のところ不明である。

彼らは今回の行動は「クーデター」ではなくアロヨ大統領の辞任を「平和的に表現」したものだと主張している。一方、アロヨ大統領は「国内反乱状態」を宣言し、クーデター事件との認識を示している。

「反乱宣言」によれば逮捕状無しに誰でも逮捕できるということであり、「戒厳令」の一歩手前の段階の緊急措置である。

それにもまして驚かされることは、アロヨ自身が来月マニラで大規模な爆発事件を起こし「戒厳令」を出そうと企んでいたという、彼らの言い分である。

戒厳令が出れば、憲法は中止され、大統領の独裁が可能になる。この手法はかつてカルコスが独裁権を掌握するために使った「伝統的」手法である。

今回の事件で明らかになったことはアロヨ政権の腐敗に対する不満が非常に強いことと軍の幹部の腐敗と陰謀(爆弾事件を自作自演しアルカイダの仕業とするような)に対する若手将校団の批判である。

彼らを、前大統領エストラダ派だとする見方は疑問である。

エストラダ前大統領の閣僚だったラモン・カルデナス氏が警察に逮捕され、取調べを受けている。また、アキノ時代にクーデターを何回か試みて失敗し、なぜか現在上院議員を務めているホラサン元大佐は議会を欠席しているという。

彼らが、この反乱軍の背後にいるというのは、あまりに単純なシナリオで信じがたい。

(03年7月30日)フィリピン軍情報部長が辞任

国軍の情報部長ビクトル・コルプス准将はアロヨ大統領に手紙を出し、「騒乱をおさえられなかった」ことに責任をとって辞表するむね表明し、受理された。

コルプス准将は70年代に軍を辞めて共産ゲリラに身を投じたが、その後陸軍に復帰し、将官になり、情報部長にまで昇格した変わった経歴の持ち主である。反乱軍はアロヨ大統領、ライエス国防長官と並んでコルプスの辞任を要求していた。

アロヨ大統領は反乱軍が提起した問題点の実態調査を命じていたが、国軍内部の問題を同じ穴のムジナがあばけるはずもない。

情報部長の辞任は「アルカイダの仕業」とされた爆弾テロは軍情報部が仕組んだものであることを疑わせるに足る状況証拠となってしまった。

(03年8月30日)ライエス国防相辞任

アンジェロ・ライエス(Ahgelo Reyes)国防相は8月29日に辞任した。7月27日におきた軍の反乱事件の責任をとったものである。

彼はその後国軍内部でさまざまな動きがあり、それをうまく収拾できなかったという趣旨の談話を発表している。

反乱部隊はライエス国防相が汚職やイスラム反政府勢力に武器を売り渡したなどの理由で、辞任を強く求めていた。

(03月9月27日)国民の過半数が反乱部隊に同情

9月27日付サウス・チャイナ・モーニング・ポスト(香港)が伝えるところによると、世論調査では55%が7月27日の反乱部隊の「立てこもり事件」に同情的であるという。

反乱軍は軍幹部の汚職批判、イスラム・ゲリラへの武器密売、爆弾テロ事件の実行など軍の暗部を暴露し、改革をアピールした。同時に兵士の低賃金の是正も要求した。

また、52%がまたクーデター事件が起こるかもしれないと考えているという。

これに対しニューヨークに出張中のアロヨ大統領はクーデターなどありえないと強く否定した。

 

27. アロヨ大統領の夫がマネー・ラウンダリング疑惑で告発される(03年8月20日)

フィリピンのALMC(反マネー・ラウンダリング・評議会=the Anti-Money Laundering Council)は野党のラクソン上院議員に対し、アロヨ大統領の夫であるホセ・ミゲル・アロヨ氏が不正預金口座を保有しているという容疑を示す調査報告書の提出を求めた。

ラクソン上院議員によればアロヨ氏は夫人の選挙資金として集めたもののうち2億7100万ペソ(約5.9億円)の資金を銀行の秘密口座に移し保管しているという。

ALMCはこの扱いに苦慮しているが、上院で審議される可能性が強く、疑惑が立証されればアロヨ大統領は苦境に立たされることは必至である。

(詳しくは http://www.philstar.com 8月20日付)

 

28. フィリピンはアメリカとFTAを結ぶ準備はできていない(03年10月1日)

IIE(Institute for International Economics=国際経済学研究所)のシニア・フェローであるマーカス・ノランド(Marcus Noland)氏はフィリピンは米国とFTA(2国間侍従貿易協定)を結ぶ準備はできていないと語った。

ノランド氏はフィリピンのアメリカ商工会議所の招きで講演したものであるが、「フィリピンのような途上国はWTOのような多角的貿易協定に頼ったほうが良い」と述べた。

また、ノランド氏は「ASEAN-米国・ビジネス評議会は米国とのFTAには反対の意向である」ことを暴露した、というのも米国はASEAN側に、特別の条件を課す意図があるからである。

米国の大使館員は「それは汚職問題、知的所有権問題、人権問題についてしっかりとした対策を要求するということである」といっている。しかし、米国がフィリピンとFTAを結ぶことの本当の狙いは軍事および安全保障上の関心からであろう。

ノランド氏はさらに、フィリピンなどの途上国は自分に好都合な2国間協定など結ぶ力もないとこは明らかであり、むしろWTOの多角的貿易協定で行くべきであると語った。(http://www.philstar.com 10月1日付け)

まことに、ごもっともな意見である。同様な声は韓国のエコノミストからもあがっている。

PECC(太平洋経済協力評議会=Pacific Economic Co-operation Council)の金(Kihwan Kim)会長は中小国家が経済成長を確保するには自由な多角貿易(WTO体制)が唯一の方法であると述べている。

金会長は太平洋周辺圏で30ほどの地域協定が検討されているが、まことに深刻な事態であると警告した。(http://online.wsj.con 10月1日付け)

FTAが大変な悪影響を及ぼすことが懸念される中、日本は小泉総理以下WTOがカンクンで失敗したから、次はなんとしてでもFTAでなどと経済産業省、外務省、ジェトロなどが的外れに力みかえっている。

私がたまたま購読している日経と毎日はいつもながら政府に迎合的としか言いようのない悪質な論説を流し続けている(朝日と読売は最近読んでいない が同じようなものであろうー私の間違いであることを祈る)。

朝日はインターネットでみると、「アジアに開く日本」とかいう時代錯誤としか言いようのない企画をやっているが、まさに大政翼賛的お粗末内容である。アジアではなく、「世界に開かれた」日本と看板を書き換え、一から勉強をやり直して欲しい。

エライ学者もオカミも言っているのだから、これで間違いなかろうなどという知的怠慢が「大政翼賛的」になってしまう根本原因なのである。

ただ、おかしいのは日本がFTAなどといって騒いでいる割には、シンガポール以外と一向に結べないのはお笑い種である。その理由は簡単である。日本は農業問題でにっちもさっちも行かないのである。

メキシコとの交渉では豚肉の関税問題で日本は譲れないとかいって行き詰っているという。他の国とはコメ以外に多くの農産物問題があって、お先真っ暗である。コンニャク芋に1000%の関税をかけたり、養蚕農家に補助金を出したり、いろいろ大変である。

小泉内閣は郵政の民営化などに「力点」を置いているらしいが、これはおそらく国民経済的には何のメリットもない。実害が生じる可能性が高い。銀行と保険会社にとって都合が良いだろう というぐらいである。

国民の貯蓄が有り余っている現在、経営能力のお粗末な銀行など国民経済にとってはかえって足手まといである。お粗末銀行への公的資金など、いい加減にして欲しいものである。

小泉首相は「構造改革」をお題目にしながら、農業問題の改革に何故本格的に取り組まないのであろうか。「経済特区で試験的に」などという悠長なことを言っていてはどうにもならない。失われた2年間である。

それはともかく、日本はFTAなど「百害あって一利ない」ことを1日もはやく認識し、WTOの建て直しに、途上国の利害を見据えながら全力で取り組むべきである。こういうことこそが本当の国際貢献なのである。

 

29. コタバト市のモスクに手榴弾テロ−4名死亡(03年10月4日)

10月3日(金)ミンダナオ島南部のコタバト市北部の「国民灌漑管理事務所」の敷地内のモスクに何者かが手榴弾2発を投げ込み、礼拝中のイスラム教徒4名が死亡し、20名が負傷した。

金曜日の午後はイスラム教徒の集団礼拝がおこなわれ、モスク内は大勢のイスラム教徒が礼拝中であった。

死亡した4人の中には2名の灌漑事務所職員と礼拝を指導していたイスラム導師1名が含まれていた。

犯人と動機は目下のところ不明だが、@灌漑事務所内の内紛(勢力争い)によるもの、A10月にクアラルンプールで再開される政府とMILF(モロ・イスラム解放戦線)との和平交渉を 妨害するという2つの動機が考えられる。

MILFはイスラム教徒がモスクに手榴弾を投げ込むことはありえないと主張している。

 

30. アロヨ次期大統領選に立候補表明(03年10月4日)

GMA=Gloria Macapagal-Arroyo(グロリア・マカパガル・アロヨ)大統領は来年5月に予定されている大統領選挙には出馬しないと、再三にわたり宣言してきた。

ところが、本日地元のパンパンガで集まった地元の5万人の聴衆の前で、高らかに「立候補宣言」をおこなった。「党とフィリピンが私を呼んでいる」からだそうである。

彼女の政治課題は、@貧困との戦い、A政治改革、B平和と秩序、C経済発展の4項目だということである。現職の彼女にはエストラダ前大統領から引き継いだ2年半の間に、どれ1つ実現できなかった事柄である。

この5万人集会は、与党のラカス(Lakas)の決起集会となった。国会議長のホセ・デ・ヴェネシアとラカス党首のフェリシアンテ・ベルモンテも参加していた。

しかし、GMAの国民的人気はさっぱりで、9月におこなわれた、ソシアル・ウエザー・ステイション(SWS)という調査機関の世論調査では、大統領候補者の人気の1位はデ・カストロ=28%、2位はロコ前教育相=20%、3位はGMA=17%であった。

GMAの強みは、米国のブッシュ大統領の強い支持があることであるが、同時にそれが決定的な弱みにもなっている。というのは米国はフィリピン人にかなり嫌われているからである。

フィリピン人にとっては米国がマルコスを支持したがために、政治も経済もガタガタになり、今日の苦境を招いたという思いが強いからである。フィリピンはアキノ大統領時代に米軍基地を全面返還させている。

ブッシュは東南アジアに米軍の軍事的存在感を増したいという「軍国的発想」から、最も親米的なGMAをぜひ次の大統領にしたいという意向であろう。しかし、そうは問屋が卸さないであろう。

また、GMAの夫であるマイク・アロヨが隠し預金口座をもっているという疑惑にさらされている。ホセ・ピダル(Jose Pidal)という偽名で口座を持っているというという指摘が野党のラクソン上院議員からだされ、目下係争中である。

与党のLakas−CMD(ラカス・クリスチャン・モスレム・デモクラシー)党の党首であったテオフィスト・ギンゴナ副大統領はGMAとの意見の相違から閣僚の座を降りていたが、同党の委員長も辞任した。2日には同党の幹部のローレン・レガルダ上院議員も脱党した。

これは同党の執行部の多数がGMAを次期大統領候補に担いだためであろう。他にラカスには適当な候補者がいないのだから仕方がないというところだ。

 

31.カマチョ財務長官辞任ーペソ暴落(03年11月22日)

財務長官のホセ・イシドロ・カマチョ氏48歳が11月21日、突如辞任を発表した。理由は明らかにされていないが通貨のペソが20日の1ドル=52.28から21日には一時期55.585ペソまで下げ、終値1ドル=55.57ペソとなった。

何か隠された財政上のトラブルがあったとしか思えない。ただし、財政赤字は1-10月で1,638.8億ペソであり年間の赤字上限目標の2,020億ペソは守られる見通しであるという。

なおカマチョ氏は財務長官に就任する前はドイッチェ・バンクのフィリピン支店長であった。

カマチョ氏は後任には次官のフアニト・アマトン女史を推薦しているが、アロヨ大統領はいまのところ決めていない。

 

32. 自然災害

32-1. レイテ島南部とミンダナオ島で土石流災害で数百人の死者(03年12月21日)

ここ数日激しい雨が続いた南レイテのサン・フランシスコ町近郊で、大規模な土石流災害が起こり、80軒余りの家屋が一瞬のうちに土砂に埋まり、多数の死者が出た。被害の実態は把握できていない。

アロヨ大統領は国民災害対策協議会(National Disaster Coordination Council=NDCC)を急遽召集して、被害の実態把握と救助体制の整備を命じた。

それ以外にも土砂滑り災害は各地に起きており、南レイテのリロアン町でも20名ほどの死者,行方不明者が出ており、マアシン町では21名の死者が確認されほかにも多数の行方不明者がいるという。

ミンダナオ島でもビサヤ諸島など各地で同様な被害が出ているという。詳細は http;//www.philstar.com などを参照。

いずれの場合も過去における森林の不法伐採が被害を大きくしたと政府筋では見ている。1991年にも北レイテのオルモク市周辺で大洪水が起き、そのときは約5,000名もの死者を出した。

 

32-2. ケソン州で台風による死者・行方不明者412名(04年12月2日)

ルソン島マニラの東方、ケソン州で台風による洪水と土砂崩れにより死者・行方不明者412名の大災害となった。先週も台風により少なくとも87名が死亡し、80名以上が行方不明のままであるという。

フィリピンには年間20回程度台風が来てそのたびに各地に大きな被害をもたらしている。

アロヨ大統領は被害を大きくした原因は森林伐採にありとして、盗伐を厳重に取り締まるように軍・警察に指示を出した。

しかし、レアル(Real)町の死傷者(人数は不明)は避難場所として指定されていた3階建てのビルが流されてしまい、犠牲者の数が異常に増えたといわれている。

また、次の台風(27号、沖縄に向かっている)が近づいており、さらに被害が拡大するおそれがが出てきている(BBCインターネット版ほか)。

(04年12月3日追記)

その後の報道では、軍の把握している数字では死者479名、行方不明者560名とのことである。次の台風27号により被害はさらに拡大する恐れが出てきている。

⇒アロヨ、木材の伐採禁止(04年12月5日)

アロヨ大統領は1,000人を上回る犠牲者を出した今回の台風による被害の直接の原因は山間部の木材の伐採(合法、非合法を含め)にありとして、当面全ての木材伐採を全面的に禁止すると発表した。

新たな木材伐採の許可は今後出さず、盗伐した人間には「テロリストや誘拐犯と同じ」扱いで厳罰に処するむね布告した。

また、 フィリピン政府はケソン州の環境、天然資源監督官庁の8人を解職したと発表した。今回の台風による洪水、土砂崩れによる被害は、森林の不法伐採を監督官庁の担当官が見過ごしたためであるという理由である。

アロヨ大統領は被害発生の当初から、森林の不法伐採が鉄砲水などの原因であると主張しており、調査結果を待たずに、役人の解雇という強硬手段に出た。

1920年代のフィリピンは全土の60%が森林に覆われていたが、現在は20%にまで森林面積が縮小しているという。(BBC,インターネット版、Manila Bulletin など参照)

インドネシアでも同様の被害が随所で出ているが、メガワティ前大統領は口先だけで実際の行動はとらなかった。それは給与が少ない軍や警察の生活費稼ぎという側面があったのと、取り締まりにあたる警察自体が討伐に関与していたためであった。

日本政府も南洋丸太材の全面輸入禁止に踏み切るべきであろう。日本の破壊されつつある林業回復のためにも必要な措置である。

 

33. ミンダナオ島のバスケット・ボール場で爆発事件、死者10名(04年1月5日)

1月4日16時(現地時間)ごろミンダナオ島のパラン(Parang=コタバト市の北)町のバスケット・ボール会場で爆弾テロがあり、死者約10名と負傷者47名が出た。爆弾は会場の入り口付近のオートバイに仕掛けられていた。

爆弾テロの目標はキリスト教徒の町長であるヴィヴェンシオ・バタガ氏であったと警察は見ている。町長は怪我をしたが比較的軽傷であるという。 バタガ氏は退役大佐で過去にも暗殺を企てられ、常時ボディー・ガードをつけていた。

バタガ氏は現役時代イスラム教徒弾圧の急先鋒であり、現地のイスラム教徒からはかなり憎まれていたといわれている。

ミンダナオ島は元来イスラム教徒の土地であったが、20世紀に入りルソン島からキリスト教徒が移住し始め、各地で紛争を起こしてきた。今回はイスラム教徒がキリスト教徒の町長の暗殺をもくろんだものと言われている。

その後の調べで犯人は10名の死者のうちの1人であると警察では見ている。その人物の名はサルマン・マカランバン(Salman Macarambang)といい、Barira町の副町長の息子だという。

 

34. 5月10日の大統領選挙にむけて激戦スタート(04年2月15日)

5月10日の大統領選挙のキャンペーンが2月10日(火)に開始された。新聞などの世論調査では64歳の映画スターフェルナンド・ポー2世がトップで現職のアロヨ大統領がそれに次、3番手には元教育相ロコがつけているようである。

ポー候補はエストラダ前大統領の支持者であり、アメリカへ病気治療に行きたいなどといっていたエストラダも俄然元気を取りもどし、ポーの応援に一肌脱ぐつもりらしい。

「セクシイ爆弾ガール」が派手なパフォーマンスで応援し、人気コメディアンも声援を送り、芸能界総出の派手な選挙キャンペーンが繰り広げられつつある。しかし、90日間のキャンペーン期間は長すぎてどこかで息切れする可能性もある。

ポーは高校をドロップ・アウトし映画スターになった苦労人であり、正義の味方という役どころで、国民大衆の人気はすごいものがあるらしい。政治・経済に関する特別な見解はなく、ただひたすら貧乏人のための政治をスローガンに掲げている。

この点極東の某経済大国の首相の方が「構造改革」だとか「骨太何とか」だとかいうお題目を考え付いただけマシ(?)かもしれない。しかし、こちらも結局何をやっていたかといえばブッシュのお先棒を担いで、あわよくば平和憲法をぶっ潰そうとしているかの如しである。

しかし、「貧困撲滅」のほうが軍事大国化を果たし、中国などといらぬ緊張関係を増すよりはるかにマシかもしれない。

その意味でアロヨ大統領もブッシュのペットのような存在とフィリピンでは見られているようで、現職の割には人気がいまいち盛り上がらない。アロヨもたいした政治的アジェンダ(目標課題)は持っていないのだ。

ロコ元教育相は若手のインテリ層の支持は高いのだが、肝心の現ナマを持っていないらしい。何しろ大統領選挙には40億ペソ(約75億円)のカネがかかるらしい。

今のままではフィリピンの次期大統領はポー2世になりそうな勢いである。そうなるとエストラダの二の舞である。フィリピンは救いようのない混迷に陥ることになりかねない。

ただし、ポー候補は母親が米国籍のためフィリピン大統領になる資格がないのではないかという訴訟を起こされている。これはかなり重大な問題のようである。

しかし、われわれ日本人も他人の国の心配をしている暇はない。

⇒ポー氏に大統領立候補資格あり(04年3月4日)

フィリピン最高裁はポー氏の大統領候補資格問題で8-5-1で立候補資格ありとの判決を下した。

しかし、最近の世論調査ではアロヨ大統領の支持がポー氏を若干上回っているという。

⇒アロヨとポーの大接戦続く(04年4月5日)

SWS(Social Weather Stations)が3月21〜29日の間に行った調査ではポー支持がが32.0%、アロヨ支持がが31.4%と大接戦を展開していおり、元教育相のロコ候補は15%と大きく差を付けられている。

SWSの調査方法は1,400人の有権者に面接調査を行ったものであるという。

副大統領候補はアロヨと組んでいるノリ・デ・カストロ上院議員が50%の支持を集め、ポーのパートナーであるテレビ・タレントのローレン・レガルタ上院議員支持派36%である。

ロコのパートナーであるエルミノ・アキノは5%の支持しか集めていない。

⇒5月10日の投票結果は当分出ず、大混戦の様相(04年5月12日)

5月10日におこなわれたフィリピンの大統領選挙はトラブルが続出し、投票ができない人もかなりあった模様である。それでも4,350万人の有権者中81.5%の投票があり、遅れてはいるが開票は極めて徐々に進みつつある。

現職のアロヨ大統領とと人気俳優ポーとの事実上の一騎打ちが続いている。開票初期の段階ではアロヨが若干リードしているという報道がなされているが、僅差に過ぎず結果は予断を許さない。大勢が判明するのに早くて1週間、遅ければ1ヶ月かかるとも言われている。

この選挙キャンペーン期間中に既に120名もの死者が出ている。フィリピンの選挙はいつも荒れる。

SWS(Social Weather Station)が行った出口調査によればアロヨが40.84%、ポーが32.26%とかなりアロヨが優勢のはずであるが、開票初期の段階ではアロヨが2%弱しかリードしていないと言われている。

⇒アロヨが僅差のリードだが一部メディアはアロヨの勝利確信?(04年5月15日)

5月15日午前7時45分現在の集計(約15%)ではアロヨ候補が187.2万票、ポー候補が181.2万票と大接戦になっている。ラクソン候補は58.5万票、エディー・ビヤヌエバ候補は31.4万票、ロコ候補は31.0万票と3位以下は早くも脱落している。

開票の遅れは極めて不明朗な印象を与え、政府(アロヨ陣営)が開票結果を操作しているのではないかという疑念すら与えている。選挙委員会の説明によれば手作業で集計しており、夜には時たま停電があったりしてはかばかしく作業が進まないということである。

そういうなかでシンガポールのストレート・タイムズはポー候補の「敗因分析」を早くも報道している。その最大の理由はポー候補が大衆的人気を過信して、大衆にはご馳走を食べさせれば良いという感覚で、「政策論議」を避けたということにあるとしている。

欧米のメディアもアロヨの勝利が当然というような見方で記事が書かれている(WSJやフィナンシャル・タイムズの一部の記者)のが気になるところである。もう少し事態の推移を見守りたいが、アロヨの明白な勝利を確信する段階ではまだないと思われる。

⇒アロヨがリード拡大ほぼ当確圏内に入る(04年5月16日)

5月16日午後7時45分(現地時間)の段階になってアロヨ候補が一気にポー候補の得票差を拡大している。アロヨは354.6万票に対しポーは263.1万票とそのさが91万票にまで拡大した。

副大統領候補についてもアロヨのパートナーであるデ・カストロ候補は408.1万票獲得しているのに対し、ポーのパートナーのレガルダ候補は330.4万票である。

地域別に大きな得票のばらつきがなければアロヨの当選はほぼ確実と見られる。

⇒アロヨがさらにリードを広げる(05年5月18日)

5月18日午後1時の選挙管理委員会の発表によれば。アロヨ候補が510万7734票、ポー候補が387万1224票とその差が123万表に開いた。この差は決定的であり、ポー候補の勝ち目はなくなったと見てよい。

ポー陣営は当初はアロヨ側が票を不正に操作しているとアピールしていたが、得票差が広がってくるにつれその声もだんだん小さくなってきたように見える。当初は支持者がマニラで大デモンストレーションをやるなどといきまいていたが、尻すぼみになっている。

ポー候補が嫌われたのはエストラダ前大統領やイメルダ(故マルコス大統領夫人)との連携を露骨にあらわにしたことも響いている。貧しい人間が愚か者であるなどとという考え方を持っていては通用しない世の中になってきている。

日本もやがてそうなるに違いない。テレビのアホ番組(経済番組も含め)や御用新聞で朝から晩まで洗脳されていてはたまったものではないが、日本人といえどもこんないい加減な政治をいつまでも許容しているはずがない。

⇒アロヨ のリードが69万票に縮小(04年5月21日)

選挙管理委員会が発表した5月21日午後10時現在での開票中間報告(58.6%)ではアロヨ候補が736万6449票、ポー候補が668万1956票とその差が68万4493票にまで接近してきた。両者の差は一時期130万票程度は開いていたからポー候補がかなり追い上げてきた。

これはポー候補がマニラ首都圏、ルソン島中部、ミンダナオ島北部での得票を大きく伸ばしたためであるという。

しかし、ビサヤ地区などルソン島以外ではアロヨ候補が優勢であり、最後はアロヨ候補が100万票ていどの差をつけて勝つというのが大方の予想である。一方、ポー陣営は早くも勝利間違いなしということでミンダナオ島で祝勝集会を開いている。

最終結果は6月にならないと判らないという。

⇒アロヨの勝利を選管は確認(04年5月25日)

選挙管理委員会は未集計の僅かな票を残してアロヨが大統領選挙に勝利したと発表した。ただし、正式発表は国会議員(上下院)の議席が確定してから、議会で確認し発表の段取りとなる。

選管がこのような形で、最終集計を待たずに勝敗を明らかに最大の理由は、ポー候補が自分が勝利したというキャンペーンを開始し、「もし選挙結果が覆る(ポーが負ける)ことになればそれはアロヨ陣営の不正工作によるものだ」というストーリーをばら撒き始めたからだと思われる。

選管が明らかにしている数字はアロヨ候補12,554千票、ポー候補11,493千票と100万票余りの差をつけてアロヨが当選するというものである。

一方、マニラではポー候補の支援者がデモを計画しており、不安なムードが広がっているが1986年ノマルコス追放劇のような事態には立ち至らないであろう。ポー陣営のデモ隊には金銭目的以上の大義名分はないからである。

アロヨが大統領として最も適格かどうかはわからないが、エストラダの二番煎じにすぎないような俳優候補が大統領になるよりはマシであろう。フィリピンの民主主義は一応危機を逃れた結果になった。

 

35. 04年1−6月の投資は590%の急増(04年8月10日)⇒5-4.に移動

 

36. 非ASEAN 地域からの鉄鋼製品輸入関税引き上げ(04年11月17日)

フィリピン政府は前の国営製鉄所ナショナル・スチール(長らく休止していた)のオーナーがインド資本のISPATに変わり、GSII(Global Steelworks International、Inc.)と看板を書き換え、ようやく操業を再開した。

それに伴い、鉄鋼製品(熱延薄板コイル=HRC, 冷延薄板コイル=CRC)の輸入関税を3%⇒7%へ引き上げることに決定した。ただし、ASEAN諸国からの輸入は現状を据え置くとしている。

また、パイアンップル缶詰などに使われるブリキ板は関税ゼロのままである。

フィリピン政府はあきれたことにこれでうまくいくと信じているようである。しかし、実際困るのは家電メーカーや自動車メーカーである。フィリピン政府にとってはそれらは「外資企業」のビジネスであり、どうなろと知ったことかといったところであろう。

ところがGSII社は電気製品や自動車に使用できるような高級鋼板は事実上生産できないのである。フィリピン政府はそういう認識もない。それは鉄鋼製品の規格にも問題があるのである。

一般用途(主に建材用)よりグレードの高い鋼板はすべて「機械構造用」という規格で括られているからである。そうなると電気製品や自動車用といった高級鋼板を規格上は区別できなくなってしまうのである。

実際は、鉄鋼メーカーと電機、自動車メーカーが個別に仕様を決めて、一般的な「機械構造用鋼」よりはるかに厳しい仕様の製品を供給しているのである。

同じ問題が。タイでや中国など世界各地で起こっている。現地政府の役人は国際的に使用されている規格以外に何の判断材料もないから、何でも現地の鉄鋼メーカーが生産できると勘違いしている。

実態がどうのこうのという説明はなかなか受け入れられない。これは鉄鋼メーカーにも大いに責任がある。早急に高級鋼の国際規格を作成して、関税コード化すべきであろう。

この問題は日本政府がはしゃぎ回っている日本とフィリピンとの例のFTA(フィリピン側は一向にはしゃいでいないが、なぜか日本の新聞は天下の一大事のように一面記事で大々的に取り扱っているーほとんど病気としかいいようがない)にも影響を及ぼしている。

フィリピン政府は鋼板の関税引き下げをかたくなに拒否しているというのである。GSIIにそれほど義理立てする理由がどこにあるのかはわからないが、そういうことをやっていると家電メーカーや自動車メーカーがフィリピンには投資をしなくなる。

話は別だが、フィリピンとのFTAでバナナやニワトリで話がついたなどと日本政府は喜んでいるらしい。しかし、砂糖はどうなっているのであろうか。マルコス時代の失政でフィリピンは砂糖の一大輸出国から輸入国に転落してしまった。

その影響は今もつづいており、フィリピンは依然砂糖の輸入国ではないかと思われるが、数年後に突如、輸出国として再デビューを果たしてくることは間違いない。北海道の砂糖大根の農家にとっては脅威である(砂糖について4年後に協議するということらしい)。

 

37. ルイシタ農園(アキノ夫人の実家)で14名の死者(04年11月18日)

コラソン・アキノ元大統領の実家であるコファンコ家の所有するルイシタ農園(Hacienda Luisita=Tarlac地方)で農業労働者によるストが続いており、軍と警察が介入し、銃弾と催涙ガスなどにより子供を含む14名がすでに死亡した。

軍隊は殺害した「暴動参加者」の検死を拒否していると伝えられる。

2,000名の労働者とその家族は殺されてもピケは解かないとして道路をはさんでがんばっていという。農園側は「私兵」を雇っており、警察と協力して農園を警備している。

数日前から農園側の私兵もしくは警察の銃撃により死者を出し始め、それがいっそうエスカレートしたものである。アロヨ大統領は双方に冷静を呼びかけたが一向に効き目はない。(http://www.inq7.com/04年11月18日版参照)

フィリピンでは軍、警察以外に地方の有力者は武装集団としての「私兵」を自分の生命、財産保護のために抱えており、争議が起こったり、選挙のたびに彼らが動員されて死傷者が出るというのは毎度のことであるが、今回は犠牲者の数が異常に多い。

アキノ夫人は実家の騒動であり、死者に対してお悔やみの声明を出したとのことである。「人民の力」でマルコス政権を妥当して大統領になったアキノ夫人としては面子失墜もいいところである。

ことをここまでこじらせたのは実家のコファンコ一族(華人系)の責任であることはいうまでもない。

その後、12月8日にルイシタ農園労働組合の委員長であるマルセリノ・ベルトラン(Marcelino Bertran)氏がサン・セトロ・バランガイの近くの村の自宅前で銃撃され、死亡した。ベルトラン氏は病院に運ばれる途中、家族に「撃ったのは軍隊」だと語ったという。

アロヨ大統領は政府は争議には中立の立場で臨んでいるといっているが、国軍兵士がデモ隊や労働組合員(いずれもフィリピン国民)に対して発砲し、殺傷したとなると、その責任は免れない。

 

⇒ルイシタ農園労働組合の委員長暗殺(05年10月27日)

2年間にわたり労働争議の続いていたるルイシタ農園(Hacienda Luisita)で、未払い賃金を農園側が支払うということで、ようやく労使の合意が成立した。この争議では警察官3名を含む16名が死亡するという大荒れの争議であった。

ところが、10月25日(火)夜、労組委員長のリカルド・ラモス(Ricardo Ramos)氏が自宅裏庭で仲間の労組幹部たちとビールを飲んで談笑していたところ何者かに銃撃され」、ラモス氏は死亡した。

凶器はK-14ライフルであることが残された銃弾から確認された。ルイシタ農園の委員長の暗殺はこれで2件目である。

上に述べたようにこの農園のオーナーはコラソン・アキノ元大統領(通称コーリー)の実家に当たるコファンコ一族であり、コーリーは経営にはタッチしていないとはいえ、少なからず困惑をしているという。

下手人は軍関係者だという見方が一般的であるが、軍は関係ないと強く否定している。

事態を重く見たフィリピン警察はロミバオ(Lomibao)国家警察長官が中部ルソン警察に指示を出し直ちに「捜査本部」をおき犯人逮捕に全力を尽くすといっている。ロミバオ長官はタルラク県にラモス委員長の遺族を弔問した。これはきわめて異例のことである。

現地の警察ではアレハンドロ・ラピニド(Alejandro Lapinido)署長は「犯人は左翼ではないか。ラモスが農園と妥協をしたことに対する左翼勢力の反発によることも考えられる」と述べている。こんな感覚では犯人逮捕などは到底期待薄である。

フィリピンでは最近、労組幹部や左翼活動家の暗殺事件が頻発しており、マロロス市で10月25日夜、ジープニー労組の活動家のフェデリコ・デ・レオン(Federico de Leon)氏が銃殺された。

また、同日朝にはパンパンガのロスアンジェレス市で左翼政党のバヤン・ムナ(Bayan Muna)党の活動家が友人二人とともに自宅付近をジョギング中に銃撃され死亡した。バヤン・ムナ党では9月にはいってから既に18名の党員が殺害されたという。

9月にはネスレ労組のディオスダド・フォルチュナ(Diosdado Fortuna)委員長も暗殺されている。

これら一連の「左翼活動家」暗殺事件は軍の主導によるものだという見方が強い。それも特定の軍幹部(フィルスター紙には固有名詞が記載されている)の管轄地域で集中的に起こっているという。

(WSJおよびフィルスター紙10月26日インターネット版参照)

 

⇒アロヨ大統領も犯人の早期逮捕を指示(05年10月27日)

ラモス委員長の暗殺事件の重要性にかんがみアロヨ(GMA)大統領は早急に犯人の割り出しと逮捕を警察長官に指示した。同時に、犯人についての勝手な憶測は控えるように関係者に注意を呼びかけた。

犯人については「軍の仕業」という噂が以前の事件から飛び交っており、犯人と名指された軍司令官がメディアの取材を受け、弁明するなど法治国家としてはなんとも外聞の悪い事態となっていることをGMAとしては戒めたものと思われる。

KMP(フィリピン農民運動)によれば05年9月2日から、ルソン中部においてこの種の「政治テロ」で殺害された人物はラモス氏で19番目だということである。

革新政党バヤン(Bayan=New Patriotic Allaiance)は犯人としてマグサイサイ砦に本部のある第7歩兵師団司令官のホビト(Jovito Palparan Jr.)少将の名前を挙げている。彼は当然のことながら容疑を否認している。

確かに、ラモス政権時代はこの手の暗殺事件はあるにはあったが、さほど目立たなかったが、GMA政権になってからは急増しているような印象がある。軍部の右派は私兵集団(有力財閥などが抱えている)が勝手な動きをし始めているのかもしれない。

(http;//news.inq7.net/ 参照)

 

38. ヘネラル・サントス市の市場で爆弾事件少なくとも16名死亡(04年12月12日)

ミンダナオ島中央南部の大都市ヘネラル・サントス(General Santos) 市の公設市場で04年12月12日午後4時15分(現地時間)カメラに偽装された爆弾が爆発し、少なくとも16名が死亡し,60名が負傷したという速報が伝えられた。(http://www.inq7.net/)

3名は即死し、13名が近くの病院で死亡した。死傷者の大半はキリスト教徒であると見られている。

 犯人はまだ明らかではないが、軍と警察はアブ・サヤフなどの反政府グループの犯行という身からを強めているが、 ヘネラル・サントス市の市長は市場関係者の縄張り争いという可能性もあるという。

12月15日に警察は5名の容疑者を逮捕したと発表した。 男3人、女2人で場所は以前にアルゴジというインドネシア人イスラム過激派が射殺されたバランガイ・レバンガン(Barangay Lebangan)という村である。

警察は同時に手製爆弾や手榴弾も押収したという。

逮捕者はアブ・サヤフとつながりがあるとのことである。

しかし、警察関係者は市場関係者の紛争の可能性も捨ててはいないと,慎重な発言をしている。

 

39. アロヨ大統領「罪悪税」増徴に踏み切る(04年12月17日)

フィリピン政府は財政難は徴税不足が原因だとして、徴税強化をもくろんでいるが、今回、酒とタバコの税金を「罪悪税=Sin Tax」として増税することに踏み切った。

1パック=10ペソ以上の高級タバコについては、税金を25ペソ上乗せする。(1ドル=56.3ペソ)1パック=6.5ペソ〜10ペソ未満のタバコについては10.35ペソ、1パック=5〜6.5ペソのものは6.35ペソの税金、5ペソ以下のタバコには2ペソの税金といった具合である。

高級タバコほど税率が高い。

酒については蒸留酒(ウイスキーなど)には30⇒50%に引き上げ、ワインは30%、発酵酒(地酒)は20%に引き上げ、2007年から2年ごとに8パーセント引き上げていくとのことである。

これらの措置により、税収は800億ペソ増加するともくろんでいる。しかし、飛行場や港の免税店からヤミでかなりのものが持ち込まれることも考えられ、たいした成果は挙げられないと見る向きも多い。

フィリピンの税務も抜け道だらけで、金持ちがロクに税金を払わないという伝統があり(これは東南アジア共通)、庶民の取りやすいところからとるというだけでは問題の解決にはならない。(http://www.philstar.com/ 04年12月17日参照)

なお、フィリピンの04年上期の財政赤字は920億ペソであり、03年上期の806.9億ペソから113億ペソも増加している。この赤字はGDPの4.1%に相当する。

中央政府と地方政府の財政赤字は1999年1,000億ぺそ、2000年1,517億ペソ、2001年1,690億ペソ、2002年2,187億ペソ、2003年2,349億ペソと年々急増している。アロヨ大統領は2004年は1,978億ペソまで赤字を減らそうと引き締めにかかっている。

 

40. クーデター未遂事件、2大佐逮捕(04年12月24日)

フィリピン軍は12月22日(水)にアロヨ政権転覆を目的として、マニラ証券取引所ビルに爆弾を仕掛けたとして、2名の大佐を逮捕して取調べを行っていると発表した。

12月21日の夜はマニラには大勢の人が故ポー前大統領候補者の葬儀に参列しようとして該当に繰りだした。軍のなかにはポー氏を公然と支持するグループがあり、ある大佐はそのために軍務を解かれたことががる。

5月の大統領選挙ではアロヨ候補が勝利したが、ポー氏に対する支持者も多く、それだけ、エルート支配に反発する国民が多いことを物語っている。

今回の爆破未遂事件もポー氏追悼に名を借りて、騒乱状態を起こし、アロヨ政権を打倒するという国軍の一部の高級士官(将官を含む)たちの陰謀が露見したものであるといわれている。

ただ、アロヨ政権を打倒した後、誰が政権を掌握すべきかということで今回仲間割れし、結局、爆弾設置のことが密告されたという説がある。エストラダを再度担ぎ出すという案と将軍達が自分で権力を掌握したいという案とが対立したという(Philstar紙)。

ラウル・ゴンザレス司法相は軍は情報部が偶然「携帯電話の交信」をキャチし爆弾設置をキャッチしたと説明している。ゴンザレス司法相の説明の中にしばしば、エストラダ前大統領の名前が出てきたので、エストラダ氏は大いに憤慨しているという。

いずれにせよ、フィリピンの経済状態は政府発表(04年の成長率6.5%前後)とはかややかけはなれており、自動車販売も前年比マイナスになるなど、景気は決して良くない。

貧富の格差は拡大しており、庶民のフラストレーションはかなり高まっている。政府は財政赤字を減らすべく、引き締め政策を続けており、貧困対策は不十分を通り越している。

国軍によるクーデター騒動は90年代の初めに数件あったが最近10年ほどは聞かれなかった。

 

41 中国との経済関係強化(05年4月28日)

中国の胡錦濤主席はアジア・アフリカ会議の帰途フィリピンに立ち寄り、4月27日(水)にアロヨ大統領と会談し、中国は15億ドル以上の経済協力をするという協定を結び署名した。

その内容は、両国の投資協定もほか、@5億ドルのマニラからルソン島北部への鉄道工事への資金協力、A9億5000万ドルの南フィリピンにおけるニッケル鉱山の開発資金協力である。

特に、後者は中国の海外原料確保のやめの重要な投資であるという位置づけで、中国の関連企業の代表団も同席した。そのほか中国側はフィリピン側から23件の鉱山開発事業への参加を提案された。中国はニッケルとマンガンについて興味ありと回答した。

両国の経済協力協力協定の中身は、フィリピンから中国への果物の輸出、中国のフィリピンに対する鉄道、エネルギー、建設部門への投資が織り込まれているという。

また、昨年にはフィリピンにたいして120万ドルの軍事援助を行うことを約束している。

なお、胡錦濤主席はインドネシアにおいても経済協力協定に署名してきている。

中国は東南アジア諸国への経済関係強化を目指しており、東アジアにおける経済的イニシアチブをとろうとしているなどと日本では騒愚向きもあるが、やりたいようにやっていただけば済むことであろう。

(WSJ Interbet版、05年4月27日、参照)

 

42. アロヨ大統領、夫と息子の疑惑解明指示(05年5月20日)

アロヨ大統領の夫のホセ・ミゲル(Jose Miguel)と息子の国会議員フアン・ミゲル(Juan Miguel)がフィリピンの闇賭博ウエテン(Jueteng=宝くじの一種)の胴元から分け前をもらっていたと言う疑惑が持ち上がり、アロヨ大統領は窮地に立たされている 。

ファン・ミゲル氏は疑惑を否定しているが、現地での噂はおさまる気配はない。というのも彼は日ごろから汚職の噂などがあり、フィリピン人の間では評判があまりよくない。

おりしもファン・ミゲル氏は親族(除くアロヨ大統領)でシンガポールに旅行に出かけることになっており、現地では「逃亡」ではないかと言う噂が飛び交っているという。

アロヨ大統領は自分の夫と息子の疑惑について検察庁に「徹底調査」を指示した。

⇒疑惑が明らかになるにつれたアロヨの態度は豹変(05年6月1日)

ウエテン(闇賭博)の胴元の1人は5月30日に「アロヨの息子のファン・ミゲル国会議員と他の3名の国会議員」にワイロヲ渡したことを認める証言を上院議会でやってしまった。

証言に立ったウィルフレド(Wilfredo)市長は「アロヨの息子がパンパンガ州の副知事だった2002年から毎月60万ペソ(約120万円)をパンパンガの前の副市長であったアーサー・ナギット(Arthur Naguit)経由で支払ってきた」と述べた。

また彼は警察署長にもワイロを支払っていたことを証言した。これらの詳細はPhilstarのインターネット版(5月31日)に事細かに述べられている。

逆上したアロヨ大統領は「これはアロヨ一家に対する反対党の陰謀である」と怒りまくっているという。

本当にご本人は知らなかったのだろうか?2001年8月16日号のファー・イースタン・エコノミック・レビューにもアロヨの夫マイクは追放されたエストラダ前大統領にも引けをとらない「ワル」だったと書かれている。

これもあって、アロヨは04年5月の大統領選挙には出たくなかったのかもしれない。しかし、事実を究明せよと大統領として命令を下した以上、夫や息子が罪人の汚名を着せられても耐えなければなるまい。これを「反対派の陰謀」だなどといっては済まされない。

エストラダ前大統領が辞任に追い込まれたのは、このフェテン収賄疑惑が発端であった。アロヨ大統領は直接関与していないにせよ、夫と息子がエストラダと同じことをやっていたのでは世論は簡単にはおさまりそうもない。

 

43. ミンダナオ島の日本兵騒動(05年6月1日)

おそらくガセネタだということで終わりそうな今回の旧日本兵騒動は現地のゼネラル・サントス市をも一種の興奮状態に陥らせたようである。

ゼネラル(スペイン語読みではヘネラル)・サントス市は実はこのホーム・ページでは既に登場している。それは#38で書いたとおり、昨年末に起こった爆弾騒動である。

犯人はMILF(モロ・イスラム解放戦線)ではなく、別のイスラム武装集団である「アブ・サヤフ(誘拐事件で有名)」ではないかといわれているが真相はよくわからない。MILFは政府との和平交渉が煮詰まっており、市場で爆弾を破裂させるようなことはやるはずがない。

MILFが25万ドルを要求するなどという話し自体、現地の「武装集団」についての知識が十分にある人間の話とは思えない。イスラム教徒が鉄砲を持てば全てが「極悪非道のテロリスト」だなどというのはブッシュ流の偏見である。

ゼネラル・サントス市はマグロの水揚げでも有名な平和な港町である。そこで今回の日本兵事件が起こった。以下はPhilstar の5月31日版が伝える現地での話である。(http://www.philstar.com)

まず100名以上の日本人がこの町に来たのは第2次世界大戦終了後は初めてであった。しかも、膨大なテレビ放送機材を持ち込むためマニラからチャーター便を飛ばしてきたテレビ局が2社あったとのことである。それ以外のテレビ局は数千ドルも航空会社に支払ってテレビ機材を持ち込んだ。

ライト・バンや乗用車のレンタル車の奪い合いあが始まり、たちまち通常価格の2倍(6,000ペソ=約1万2千円)に料金が跳ね上がった。そればかりか、ホテルの駐車場が満杯になり、周辺の建物の駐車場を借りまくるという騒ぎになった。

現地通貨のペソも不足し、マニラでの相場は1ドル=54.4ペソに対し、現地では1ドル=50〜52ペソに跳ね上がった。

最も気をよくしたのはペドロ(Pedro Acharon Jr.)市長で「爆弾テロで悪名をはせたぜネラル・サントス市がこういうことで有名になれば今後、日本からの観光客がきてくれるかも知れない」と期待を高まらせている。

第2次世界大戦中に東南アジアで最も多くの日本兵戦死者が出たのは実はフィリピンである。60数万人が派遣されて約50万人が戦死したという。

「大東亜戦争は植民地体制に苦しむアジアの人々を解放するための聖戦である」などと当時は宣伝されていた。

今日の日本でもそれを信じている人が少なくないのには驚かされる。フィリピンについていえば当時の宗主国である米国は1934年の「タイディングス・マクダフィー法」によって1943年には独立が約束されていたのである。別に日本人のご厄介になる必要は毛頭無かったのである。

日本帝国の軍隊が乗り込んでいったおかげでフィリピン国民は飢えと破壊に悩まされた挙句、実質的な独立はかえって遅らされてしまったのである。食糧を持たないで乗り込んで 行かされた日本人はフィリピン人の食糧を奪いつくしたのである。

しかも、当時のフィリピンは農業が砂糖やココナツに特化していて(モノ・カルチャ化)、コメの自給体制が無かったのである。砂糖キビ畑にサツマイモなど栽培させたがよい結果は得られなかった。

こういった事実を見ても「大東亜戦争が聖戦であった」などというのはいかにマヤカシの議論であるかがわかる。日本帝国は東南アジアの諸国民を本気で「解放する」などと意気込んでいたとすれば、なぜ朝鮮や台湾の独立をまず認めなかったのか不思議である。 まず「隗より始めよ」である。

それどころか、独立を求める朝鮮の人々にいか過酷極まりない弾圧を日本人は加えてきたかを忘れてはならない。歪曲史観の歴史学者は「朝鮮人が望んだから日本は植民地にしてやったのだ」などといているが、それなら「独立を望めば独立させて」やれば良かったではないか。

日本帝国の東南アジア進出は「石油資源の確保」と「市場の確保」という「帝国主義的」な目的にあったことはいうまでもない。

日本との戦争に駆り出された米国の作家ノーマン・メーラーは「裸者と死者」のなかで、「この戦争は帝国主義戦争である」と述懐している。日本兵の中にもこれぐらいの認識を持った人は 少なからず存在した。

戦死した日本軍の兵士や従軍したその他の人々はまさに「日本帝国主義」の戦争の犠牲者に他ならない。「英霊」に祭り上げれば死者の霊が浮かばれるなどというのは戦争を起こした人間の論理にしか他ならない。

戦死者に報いる後世の日本人のやるべきことは世界から戦争を永遠になくすことに他ならない。それができてこそ初めて「日本人は国際社会で名誉ある地位を占める(憲法前文)」ことができるし、戦死者の霊に報いることができる。

「大東亜戦争」を美化して周辺の被害者・国家の反発を受けるようなことがあっては「英霊」は浮かばれない。ましては米軍のイラク侵略に付き合わなければ「国際貢献」できないなどという論理は日本人の行くべき道から大いに逸脱しており、「英霊」に対する裏切り行為である。

小泉首相が靖国参拝で「A級戦犯」を礼拝してくるのは、「大東亜戦争」の美化と根底においてつながっており、平和主義からの逸脱としか言いようがない。中国人や韓国人が怒る前にまず怒らなければならないのは日本人自身であるべきである。

 

44.クーデターの噂が飛び交い株式下落(05年6月10日)

アロヨ大統領は夫と息子のウエテン疑惑(闇富くじ収賄事件=上の#42参照)加え、先の大統領選挙(04年5月)で彼女自身が選挙管理委員に投票の集計を誤魔化すように指示した電話が「盗聴」されたとして、大問題になっている。

アロヨ陣営は盗聴電話のテープは偽造されたものだとして、打ち消しに懸命になっている。しかし、選挙の集計が異常に長くかかり、対立候補のポー陣営は当時から集計にまつわる不正疑惑をアピールしていた。(上記#34参照)

アロヨと選挙管理委員会との間では、電話のやりとりがあり、それが盗聴されていたというのは事実である。アロヨ陣営は盗聴されたテープに細工が施され、「集計結果改ざん」の指示の部分は別な女性の声で挿入されたものだとしている。

真相は不明だが、多くの一般国民は、アロヨ陣営の釈明を素直に受け入れるとも思えない。もともと、一般市民のうちの「低所得者層」はポー候補支持が多かったといわれている。

こういうときには、しばしば、軍の一部に不穏な動きが出てくるのが最近のフィリピンの特徴である。90年代の初めにも、コラソン・アキノ大統領は実際のクーデター騒ぎを数回経験し、そのたびに、株価が下がったのはもちろん、外国資本の投資も手控えられた。

その結果、幸運にもフィリピンはバブル経済に陥らず、通貨危機・経済危機は軽微に終わった。世の中、何が幸いするかわからない。

今回も6月6日(月)をピークに為替も株価も急速に下落している(下の表44参照)。(6月10日には株価はやや持ち直した。)

危機感を感じたアロヨ大統領は軍に中世を誓わせ、一部の軍のクーデターの噂に備えているが、マラカニアン宮殿(大統領府)は何時になく緊張感が漂っているという。

表44 最近の株価と為替の動き

  マニラ株式指数

対米ドル=ペソ

  6月1日  1964.31 54.585
6月3日 2022.49 54.525
6月6日 2051.04 54.550
6月7日 2003.02 54.550
6月8日 1953.28 54.705
6月9日 1898.24 55.005
6月10日 1937.18 55.125

 

⇒ウエテン疑惑追及は2週間延期(05年6月11日)

クーデターの噂が広がり、強硬派で知られる第40連隊司令官リカルド・モラレス大佐が急遽,解任されるなどあわただしい動きが出ている。そういう中で上院はアロヨ大統領のフェテン収賄疑惑の調査を2週間中断すると発表した。

理由は「不安定を助長する動きを封じる」為であるという。それを受けて、マニラの株式市場はやや回復した。

しかし、マニラ市内では6月12日(日)には独立記念のデモが予定されており、政府は6千人の軍・警察を配備して警戒に当たるという。

 

45.アロヨ大統領、弾劾は逃れたが株価は急落(05年9月6日)

フィリピンの下院では野党がアロヨ大統領を弾劾して,大統領職から追放する(前のエストラダ大統領は汚職の嫌疑で弾劾にあい失職した)ために3項目の「罪状」で討議をおこなっていた。

それが、9月6日(火)に全て否決され(3分の1の79票を野党はとれなかった)、上院に弾劾決議を回すことができず、アロヨ大統領の勝利に終わった。

その最大の争点は、昨年の大統領選挙期間中にアロヨ候補が選挙管理委員長に圧力をかけて、選挙結果を不正に操作したというものであった。

選挙管理委員長にアロヨが直接電話した盗聴テープなるものが出現し、当の選挙管理院長は弾劾審議が始まるとどこか外国にシンガポール経由で「雲隠れ」するというはなはだ奇怪な 事件に発展し、国民の疑惑はいやがうえにも高まった。

アロヨは電話事実は認めるが、投票の不正操作までは依頼していないという苦しい弁解をおこなっていた。

マニラでは連日アロヨ大統領の辞任を要求するデモが展開され、元大統領のコラソン・アキノ夫人も辞任要求のデモに参加するという騒ぎにまで発展した。

しかし、下院では絶対多数を擁するアロヨ大統領が多数で野党の弾劾請求を何とか潰してしまったのである。その限りではアロヨの大勝利である。そうなると本来、株価も上昇し、経済の「構造改革」もこれから軌道に乗ると思いきや、「市場の反応」はまったく逆方向に行ってしまった。

要するに、国民の疑惑は一向に晴れないまま、アロヨ大統領が議会の多数を恃んで強引に押し切ったということが、国民のフラストレーションをいやがうえにも高め、今後、街頭デモの激化など政治的な不安定要因を拡大したと投資家は見ているのである。

その点、何事があっても「長いものには巻かれろ」として権力に逆らわなず、現状追認をこととする極東の某経済大国の国民とフィリピン人はだいぶ様子が違うようである。それは1986年2月に独裁者マルコスを「ピープルズ・パワー」で追放した伝統かもしれない。

一方、フィリピン人は「熱しやすく冷めやすい」という「国民性」があるという俗説もある。それが本当であることをアロヨは祈っているかもしれない。

  マニラ株式指数

対米ドル=ペソ

 6月1日  1964.31 54.585
8月1日 1982.93 56.090
8月15日 2005.99 55.775
9月2日 1946.38 56.105
9月5日 1929.02 56.190
9月6日 1896..71 56.250

 

46. 民主派女性活動家が暗殺される(05年12月5日)

KDP(国民民主主義運動=Movement for NationakDemocrcy)のリーダーであるキャシー・アルカンタラ(Cathy Alcantara)さん(女性46歳)が12月日、朝9時ごろ、マニラから50Kmほどはなれたアブカイ(Abucay)町のバウンティ・リゾート(Bounty Resort)の門のそばでオートバイに乗った2人組の男に射殺された。

キャシーさんはバターン地区では有名な活動家で、農民や漁民の福祉向上のために働いていた。また、彼女はバターン自由貿易地区の労働組合の組織活動もおこなっていたという。

マルコス時代はバターンの原子力発電設備建設反対運動をおこない、完成後は稼動阻止運動をおこなった。そのため20億ドルをかけて建設したこの原発はついに動かずじまいに終わった。その後、原発からガスを燃料とする発電機に転換する計画もあったが、その反対運動もおこなった。

KPDの広報担当のホ・オカンポ女史によると最近頻発している左翼活動家へのテロと同様の手口でキャシーさんは殺されたという。

また、左翼政党のバヤン・ムナ(Bayan Muna)党によれば、同党の党員72名を含む、100名以上の活動家が、アロヨ大統領就任(2001年)以来、テロの凶弾に倒れているという。

下手人は一向に捕まらず、軍・警察もしくは「黒い軍団」とよばれる軍の秘密組織などが犯行に関わっていると噂されている。ルイシタ農園の組合長暗殺事件もどうやら迷宮入りのようである。

 

47.マラカニアン宮殿で爆発騒ぎ(06年2月20日)

フィリピンの大統領府であるマラカニアン宮殿内のマビニ・ホール付近で2月20日午後(ランチ・タイム)、爆発騒ぎが起こった。爆発物には火薬類は使用されておらず、化学薬品か揮発油的なもの(ラッカー・シンナーのような)が爆発したものであると警備当局は語っている。

手押し車に乗っていた石油缶がタバコの火のようなもので爆発したものであり、人身に危害を加える意図ははじめからなかったようだという。死傷者は出ていない模様である。

しかし、爆発そのものは「意図的」であり、軍の青年将校の反アロヨ組織である「青年将校連合(YOUTH)」と「新世代陸軍改革グループ(the New Generation and Reformist Armed Forceces of the Philippines=RAFP)が犯行声明を出しているという。

両者の組織実態は不明であるが国軍内部の青年将校が関与していることはおそらく間違いない。彼らの間では「反アロヨ発言」を公然とする将校が少なくないといわれている。アロヨの選挙捜査疑惑が国民の不信を買っていることが背景にあることは間違いない。

爆発の場所が宮殿敷地内だけに、フィリピン政府は危機感を強めている。

また、ほぼ同時刻にマカティ市内で爆発事件があり、子供1人が負傷したという報道がある。

(http://news.inq7.net/ 06年2月20日参照)

 

48.軍事クーデター計画発覚、アロヨ大統領が非常事態宣言(06年2月24日)

フィリピン軍が軍事クデター計画を未然に防いだとの報告を受け、アロヨ大統領は「非常事態宣言」(a state of national emergency)を布告した。

ある上級将軍が軍隊を率いて、市民の大統領に対する抗議行動に参加させようとしていたところを事前に取り押さえたいう。

その将軍とは「スカウト・レンジャー(Scout Ranger)」と呼ばれるエリート連隊の司令官ダニロ・リム(Danilo Lim)准将であり、他の10名前後の高級将校(海兵隊のエリート部隊長、特別警察司令官等)などとともに逮捕された報じられている。

国軍総参謀長のヘネロソ・センガ(Generoso Senga)将軍は、政府は全軍の支持をえていると述べている。

今年はマルコス追放20周年の年に当たり、明日2月25日(土)はその記念日ということでデモが市民グループによって計画されている。そういう情勢の中でフィリピン国軍の一部がクーデターを決行するという噂が最近しきりに出ていた。

アオヨ大統領は非常事態を2月24日(金)に宣言し「国軍と警察に必要に応じて広範な行動をとる」権限を与えたとのべた。デモ参加者や「危険分子」に対する無差別逮捕や無期限拘留をおこなうということである。

マニラ市の要所要所に検問所を設置し、兵士が配備されているという。また、2月24日(金)に予定されている全てのデモは不許可とし、学校も閉鎖された。

禁止令にもかかわらず元大統領のコラソン・アキノはデモの先頭に立つなどして、行進し始め、多くの市民が従っているという。警察はデモ隊の排除をはじめ数十人が逮捕されているという。

しかし、今回のデモはさほどの騒動にならないであろうとみられている。むしろ、アロヨ側が軍幹部と結託して「危機感を煽っている」というのではないかという見方すらあるとニューヨーク・タイムズなどは報じている。

(BBC Internet版他、06年2月24日参照)

 

49. ホロ島で爆破事件9名が死亡、負傷者20名(06年3月28日)

フィリピン南部のホロ(Jolo)島で3月27日、スル・消費者協同組合の野菜売り場で爆発が起き、買い物客や従業員など9名が死亡し、20名ほどが負傷するという事件が起こった。

協同組合は数日前にアブ・サヤフというイスラム過激組織(武装集団で誘拐事件などを過去に何度も引き起こしている)から、「カネを出せ」という脅迫状を送りつけられていたという。

アブ・サヤフはジェマー・イスラミアという組織と関係があると言われるが、単なる山(海)賊集団であるとの説もある。そもそもジェマー・イスラミアという組織が実在するかどうかは疑わしいというのが筆者の立場である。

 

50. マカティ市長60日間の停職処分で騒動(06年10月18日)

フィリピン政府の内務および地方政府省はビジネス街のあるマカティ市長のヘヨマール・ビナイ(Jejomar Binay)氏を汚職のかどで60日間の職務停止処分にした。しかし、ビナイ市長は市庁舎を去ることを拒否し、支援者約1,000名が応援に駆けつけ騒然となった。

地方政府省のロナルド・プノ(Ronald Puno)長官の言い分によればマカティ市は職員の数を実際より500名も多く登録し、2005年と2006年1〜6月の合計で1億1310」万ペソ(約2億6900万円)不正に支出されていたというものである。

それが市長のポケットに全額はいったわけではなさそうである。というのは助役他16名の市議会議員が同じく60日間の職務停止命令を受けているからである。

程度の差こそあれ、この程度の「裏金作り?」は全国的な現象ともいわれ、1年半で1億ペソていどの金額はフィリピンではそもそも「汚職」のうちに入るのかという声さえあるという。

そういえば、アロヨの夫のマイク(Jose Miguel Arroyo)やその息子も巨額汚職の疑惑で一時期アメリカに「亡命」していたこともあった。マイケルは新聞などで悪口を書かれたとして、43名ものジャーナリストや編集者を相手取って名誉毀損と損害賠償で裁判を起こしている。

実際、記事になるネタが多々あるから書かれるワケだが、批判は許さないということであろう。この辺はタイのタクシン前首相とそっくりである。フィリピンの裁判官にはインドネシアのような裁判官がいるから、新聞記者も油断がならないという。

ビナイ市長が狙われたのは、「反アロヨ大統領派の人物であり、マカティ市内で反アロヨ・デモを容認した」ことに対する、大統領側の報復措置であるというのがビナイ市長派の言い分である。

反アロヨ大統領デモは2004年の大統領選挙でアロヨ候補が選挙管理委員会に不正を働かけて当選したという疑惑に対するものであり、今日に至るまでその疑惑は一般国民が納得するような形で晴らされていないという。

ビナイ市長はこの政府命令を不服とする仮処分申請を裁判所におこなっている。(10月19日、ビナイ市長の仮処分申請は認められた)

この政府の処置はアロヨ大統領の政治的報復であるとして、10月17日(火)に弁護士や市民グループが続々と市庁舎に押しかけ、その中にコラソン・アキノ元大統領の顔もみえた。また、他の市長も声援に駆けつけるというただならぬ騒動になっているという。

フィリピンの経済界のオピニオン・リーダーのマカティ・ビジネス・クラブも事態の推移を見守りたいとしながらも、具体的な「不正行為」の実態が明らかにされておらず、また法令の適用がやや恣意的な感じを受けるというコメントを代表者は語ったという。

近く地方選挙があり、市長選挙も近いことから、この事件は政治的策謀であるという疑惑が強まっていることは間違いない。マニラ周辺では不測の事態を恐れて警察は厳戒態勢に入っているという。

アロヨ大統領は意外に陰湿な側面を持っているといわれ、左翼活動家が多数暗殺(アロヨが01年に大統領に就任してから330名)されるなど、マルコス時代に逆戻りしているのではないかという声すら聞かれる。

本日(10月18日)もマニラの東南80Kmのサン・パブロの路上で人権活動家のエドアルド・ミラーエス(50歳)氏が何者かに45口径ピストルで射殺されたという。

アロヨ大統領としては身に覚えのないことで真相の解明に努力するとはいっているが、何らかの実効が上がっているようには見えない。

(http://www.manilatimus.net 10月8日参照)

 

51. フィリピンでも大東亜戦争中に日本軍軍医が生体実験(06年11月2日)

WSJ(11月27日、インターネット版)によれば、太平洋戦争中にフィリピンのミンダナオ島において海軍の軍医付きの衛生兵曹長であった牧野明氏(84歳)は女性や子供を含むフィリピン人約30名を外科手術の練習台に使い、彼らを殺害したと告白した。

牧野氏は現在枚方に在住しており、60年間秘密にしていた出来事が悪夢として頭から離れず、告白に及んだものだという。マキノ氏はさらに、「あのような悲惨な出来事を二度と繰り返してはならない。戦争の真実を独りでも二人でもいいから語り伝えたい」と語ったという。

また、米軍のスパイだとして郡が逮捕してきた2人のフィリピン人は裸で手術台に縛り付けられ、「手術」を上官から強要され、殺害したという。もし、命令に逆らえばこちらが殺されるという「時代」であったとマキノ氏は語った。

中国大陸で731部隊が多くの中国人を生体実験で殺害したことはよく知られているが、日本国内でも米軍捕虜に対して同様の事をおこなったという告白がなされている。

「最悪の平和は最善の戦争に勝る」というのはまさに金言である。戦争だけは絶対に避けなければならない。わが麗しの祖国はそれを誓った憲法をわれわれは持っている。それは世界に誇るべき憲法である。もっとも日本を「美しい国」にするにはそういう憲法は邪魔だという人はいるかもしれないが。

(この記事は06年10月19日付の毎日新聞に掲載されていました。)

 

52.ルシオ・タンの所有する10社について政府が追求(07年2月4日)

フィリピンの最有力華人資本家のひとりとなったルシオ・タンの所有する10社についてフィリピン政府はその正当性についてPCGG(Presidential Commision on Good Government=良い政府のための大統領委員会)を通じて調査に乗り出すことにした。

日本で出回っているある解説書ではルシオ・タンは自力で幸運にも恵まれ財を成しフィリピン有数の財閥になったとされている。

ところが実際はマルコスの代理人としてビジネスを拡大し、マルコスの死後それを横取りしたという風評が絶えず、実際イメルダ夫人は「財産の返還要求」を出していた。

今回のPCGGの訴えではルシオ・タンの財産の60%をマルコスから横取りしたものとして没収 しようとするもの。フィリピン政府の見解によればマルコスの財産なるものは全て汚職などにより、国民の財産を横領したものであり、本来国家に帰属すべきモノであるという主張である。

イメルダ夫人は夫マルコスの財産は全て自分達遺族のものであるという主張だが、裁判では最近イメルダ夫人が敗訴になるケースが多い。

訴えられている10社中以下の9社の名前が明らかにされている。

@Fortune Tabacco Corp. AAsia Brewery Inc. BAllied Banking Corp. CForemost Farms, DHimmel Industries Inc. EGrandspan Development Corp. FSilangan Holdings Inc. GDominium Realty and Construction Corp. HShareholdings Inc。

1980年代の終わりにマルコスとタンはこれらの会社をShareholdings Incを持ち株会社としてまとめることで合意していたという。

1989年マルコス没後、イメルダ夫人の株式返還要求に対し、タンはこれを無視してマルコスの持分を横取りしたというのがイメルダの言い分である。

2006年3月には一旦は@BCについてはイメルダ夫人の請求には確たる証拠がないとしてPCGGは棄却した経緯がある。しかし、今回、改めて10社分がまるごと争点として取り上げられたことになる。

ルシオ・タン(Lucio Tan)は中国名陳永栽として1934年中国福建省普江県青陽鎮生まれ、7歳のときにフィリピンに移住。1965年借金で集めた70万香港ドルを元手にタバコ会社Fortune Tabacco Corp.を設立し、その後事業を拡大してマルコス政権末期に突如財閥として顔を知られるようになった。

一時期フィリピン航空を買収して、そのオーナーになったが失敗してフィリピン航空を廃業させ、大きな打撃を受けたことがある。 もともとビジネスマンとしての才覚については未知数の部分がある人物である。

マルコスの後はエストラダ元大統領と近かったがアロヨとはあまり親しい関係にはなさそうである。謎に包まれたタイ・クーン(大君=大金持ち)ルシオ・タンの実態が次第に明らかにされるかもしれない。

http://www.philstar.com/07年2月2日参照)

 

53.テキサス・インスツルメントがフィリピンに10億ドルの投資(07年5月7日)

テキサス・インスツルメント社(TI)はフィリピンのクラーク工業団地に10億ドルかけて半導体の組立てと検査プラントを建設することでフィリピン政府と合意した。

TIは既に1970年代からフィリピン・バギオで半導体組立工場を稼動させており、フィリピン人は英語の理解力もある上に勤勉であり、熟練形成も容易であり、中国との人件費の格差が縮小してきていることがフィリピンに投資を決断させた最大の理由であるという。

TIの新工場が稼動すれば3,000人の雇用増が見込まれるとしている。

工場建設は今年後半に開始される。

一方、インテル社は25億ドルの投資を中国・大連でおこなうことを07年3月に決定している。

 

54.フィリピン総選挙、アロヨ大統領勝利宣言するも、マニラ、マカティでは大敗(07年5月18日)

5月14日(月)におこなわれた上・下院選挙と地方選挙は1月からの選挙運動期間中に約140名の死者が出るという史上稀に見る荒れた選挙となったが、結果は下院はアロヨ支持派が多数を占め、上院は反アロヨ派が多数を占めるという選挙前と変わらない状態に収まりそうである。

政権に近づくことが利益につながるとと考える政治家は暴力を使ってでも政敵を倒し、選挙に勝とうとしているのであろう。不正選挙をおこなった疑惑を払拭し切れているとは言いがたいアロヨ政権下ならではの話しであろう。ラモスが大統領であったときはこんなひどい話は聞かれなかった。

下院で安定多数を占めることが確実視されたアロヨ大統領はWSJのインタビューなどで経済が順調に推移しており、失業率も下がり、「政治的安定と経済改革」が国民多数の支持を得ていることをとくとくとして語っていた。

失業が減ったとはいえ国民の1割近くが海外に出稼ぎに出ているような状態で雇用が安定しているというようなことがいえるのかどうかフィリピン人自身が疑問に思うところであろう。

ところが、マニラとマカティ(金融センター)両大都市の市長は反アロヨ色を鮮明にしている候補が圧勝してしまった。

特に、ビナイ(Jejomar Binay)マカティ市長は在職中にアロヨ政権から60日間の職務停止処分を受ける(上の#50参照)など弾圧を受けていたが、市議会の改選20議席を全て自派の候補が勝利してしまった。この二人は エストラダ元大統領に近かった人物といわれる。

マニラ市でも上院議員のリム(Alfredo Lim)候補がアロヨ派のリト・アティエンザ(Lito Atienza)市長の息子のアリ・アティンザ(Ali)候補に圧勝してしまった。

選挙の結果が正式にまとまるのはあと数週間を要するということだが、今回のフィリピンの選挙の特徴はいわゆる「タレント候補」がほぼ全滅してということである。例えば、WBCスーパー・フェザー級チャンピオンであったパキアーノ候補は非公式ながら大差で落選確実だということである。

フィリピンの国会議員選挙は中間選挙では大統領の与党が勝つことになっているが、上院議員の選挙は実質的に「大統領への国民の審判」という意味合いがあるといわれる。

今回アロヨ大統領は与党候補が上院(半数改選)で大敗することが確実といわれ、「政治的安定」とは必ずしもいえない状況にあるとみられる。かつてマルコス大統領も上院選挙で多数を取れなかったため1971年に「戒厳令」を施行し、クーデターをおこなった歴史がある。

下院で絶対多数を与党が確保していても、世論の風向きによってはひっくり返ることがありうるのがフィリピンの政治である。

日本は今年の参議院選挙でテレビ局の人気(?)女子アナまでが担ぎ出されるそうだが、フィリピンではタレント候補はそろそろ相手にされなくなってきているらしい。

日本の某女子アナは安倍首相にお近しいという以外はどういう政治信条の持ち主であるか私は知らないが、きっと立派な政治経済的識見をお持ちなのであろう。もしかすると「老人福祉」など弱者に一片の憐憫の情をかけてくれるかもしれない。いや関係ないか?

 

55.米国、フィリピンのアブ・サヤフ幹部・密告者に1,000万ドルの賞金(07年6月8日)

米国政府はアルカイダと関係があるとするイスラム・ゲリラ(テロリスト)集団のアブサヤフの幹部2人のクビに500万ドルずつの懸賞金をかけていた。一人はアブサヤフの親分のカダフィ(Khadaffy Janjalani)という人物で、彼は06年9月にホロ島の戦闘で殺された。

投降したアブサヤフの元幹部がカダフィの墓にフィリピン軍を連れて行って、そこに埋葬されていた遺体がDNA鑑定でカダフィのものだと判明したという。この元幹部は墓場に案内しただけ500万ドルせしめたことになる。有難すぎてとうてい「墓に唾」などかけられない。

もう一人はカダフィの後継者でアブ・スレイマン(Abu Sulaiman)という人物で、彼は07年1月の同じホロ島の戦闘で銃撃戦のすえ殺害された。

この2人の殺害には4人の元アブサヤフ幹部を含む「密告者」の協力があったおかげだとして、米国政府はこの4人に約束どおり合計1,000万ドル(≒12億円)の懸賞金をご褒美として支払った。

フィリピン軍は米軍の支援を得てホロ島周辺に7,000人の軍隊を動員して、米軍の「訓練を受けつつ」アブサヤフという昔から活躍しているイスラム・ゲリラ(テロリスト)の掃討作戦を展開してきた。

過去にも何度となく相手に「壊滅的打撃」を与えたが、そのたびにアブサヤフは水虫のごとく(?)復活してきた。

米国政府がこの2人の幹部をご指名で懸賞金をかけたのは、彼等は2001年にパラワン島で米人を誘拐し、クビを切って殺し、2004年にはマニラでフェリーを爆破し116名を殺した(これについては確たる証拠はない)ためであるという。

なぜ、米国政府が外国であるフィリピンの南の僻地の島に立てこもるイスラム・ゲリラの幹部に多額の賞金をかけるのかは、いまいち理由が良く分からない。アルカイダの指令で彼らが動いているなどという証拠がどこにあるのだろうか?

さらに、米国は2002年10月のバリ島での爆破事件の首謀者としてドゥルマティン(Dulmatin)とウマール・パティック(Umar Patek)という2人のインドネシア人がアブサヤフと行動をともにしているとして懸賞金をかけて追求している。

 

56.アロヨ大統領が知事の買収工作の疑惑に真相解明を指示?(07年10月17日)

WSJ(10月17日付け、インターネット版)によれば、最近の議会におけるアロヨ大統領の不信任動議を阻止するために、知事や国会議員に対し札束攻勢がかけられたという疑惑の真相解明を行うようアロヨ自身が指示を出したという。

さまざまなスキャンダルが取りざたされているアロヨ大統領に対する不信任の動きを封じるべく、最近2人の県知事(うち1人はカソリック司祭)に対し50万ペソ(≒130万円)の現金が政府の役人から支払われたということが表ざたになり、その資金の出所と目的を明らかにせよとカソリックの司教(複数)から要求が出されている。

アロヨ大統領はシブシブ政府の「汚職追放委員会」に対し「真相を究明せよ」との指示を出したという。

委員会のスポークス・マンのイグナチオ・ブニェ(Ignacio Bunye)氏は国会議員にカネが渡ったという話しを聞いてはいないし、大統領府の予算管理はしっかりしているので、官邸からカネが出るはずはないと述べている。

しかしながら新聞や情報通は最近も中国テレコムとの契約で法外なカネを払い、キック・バックを貰ったのではないかなどといった汚職疑惑の噂が絶えず、近々また議会で「不信任」動議が出されるかもしれないという。

フィリピン・カソリック司教(Bishop)評議会のアンジェル・ラグダメオ(Angel Lagdameo)大司教・議長は「このままではフィリピン経済も破滅するばかりでなく、フィリピンの道徳が破産に瀕している」と強い懸念を表明している。

フィリピンの新聞(Philippine Daily Inquirer)は匿名の国会議員の話として与党の国会議員100名以上がアロヨと面会後に現金を受け取ったという。

上記の2名の県知事は反アロヨ派であり、貰ったカネは返したが、カネの出所や目的をハッキリさせろと主張している。他の知事にもカネはばら撒かれたはずだが、何食わぬ顔をしているものと思われる。

この手の話しはフィリピンでは珍しくないが、反アロヨを旗印に当選したカソリック司祭の知事にまでカネを渡すというのはアロヨの取り巻きの失策としか言いようがない。たしかに道徳ばかりではなく、「常識」もおかしくなってきているのかもしれない。

 

57.マカティ市のショッピング・モールで爆破事件11名死亡(07年10月19日)

10月19日(金)の正午過ぎにマカティ市のグロリエッタ・ショッピング・コンプレックスで爆弾が破裂し11名が死亡し、100名以上が負傷した。重態のものが数名おり死者の数は今後増加する可能性がある。

「最初はプロパンガス・ボンベの爆発ではないという説もあったが、爆薬が使われたことは間違いない」とアヴェリノ・ラソン(Avelino Rason)警察長官は語った。爆発物の種類はまだ分からないという。

犯人像は今の段階では分かっていないが、@イスラム過激派、A共産ゲリラ、Bアロヨの取り巻きによるフレームアップの3つのケースが考えられる。

Bのケースが今回取りざたされているのは、最近アロヨ大統領の身辺に汚職の疑惑が浮上し、国会議員やカソリック司祭出身の県知事にまで買収資金が流れ、フィリピン国中の大騒ぎになっている最中の事件だからである。(上記#56参照)

こういうショッキングな事件が起こると国民の関心はアロヨ周辺の汚職事件よりも「爆弾犯人」へと関心が転換されるからである。もちろん真犯人が捕まれば事態はハッキリする。

それにしても警察長官のピンボケな発言が気になるところである。

 

58.フィリピン下院議院の玄関で爆発、元イスラム過激派の国会議員死亡(07年11月14日)

アロヨ大統領 への3度目の不信任動議が11月12日(月)にフィリピンの下院議院に提出された矢先、11月13日(火)午後8時(日本時間午後9時)にフィリピン下院議院の 玄関付近で爆発が起き、ワハブ・アクバル(Wahab Akbal)議員と運転手が死亡し、他に8名が負傷した。

爆弾は近くにとめてあったオートバイに仕掛けられ、遠隔操作で爆発させたものであり、アクバル議員を狙った犯行という見方がされている。

アクバル議員は元MNLF(Moro National Liberation Front=モロ民族解放戦線)のリーダーであり、1996年にフィリピン政府と和平合意を行い、その後、南部のバシェラン県知事になり、今年5月下院議院に当選した。

アクバル氏はもともとイスラム過激派アブ・サヤフのメンバーであったが、アブ・サヤフと喧嘩別れした後は敵対関係にあり、最近ではアブ・サヤフから脅迫されていたといわれる。

しかし、実際に今回アクバル氏が殺害されたのはアブ・サヤフの犯行かどうかは確認されていない(今のところアブ・サヤフから犯行声明も無い)。

また、11月10日(土)夕刻には選挙管理委員会の法務部長アリオデン・ダライグ(Alioden Dalaig)65歳が何者かに拳銃で撃たれ死亡した。ダライグ氏は30年間選挙管理委員会に勤務した弁護士であり、定年退職ヲ目前に控えていた。

殺害の動機は分からないが、2004年5月の大統領選挙でアロヨ候補から電話で「支援要請を受け、アロヨに有利なとり計らいをした」とされるビルギリオ・ガルシヤーノ(Virgilio Garcillano)委員と近しい関係にあったといわれる。

本件については警察は犯人のモンタージュ写真などを作成して、捜査を熱心におこなっていることをアピールしている。

しかし、10月19日のショッピング・モール爆破事件といいフィリピン警察が犯人を逮捕したという話しはほとんど聞いたことがない。特に、左翼活動家暗殺事件など権力側が仕掛けたとみられる事件は全てが迷宮入りである。

フィリピンというのもマルコス時代の空恐ろしい国に逆戻りをしてしまったようだ。

 

59. フィリピンはアウンサンスーチ女史が解放されなければASEAN憲章を批准せず(07年11月20日)

今回シンガポールで開かれているASEANサミットで新ASEAN憲章が調印される運びになっているが、アロヨ大統領は「ビルマ(ミヤンマー軍事政権)が自宅軟禁中のアウンサン・スーチー女史が解放されなければ、フィリピン 議会はこの憲章を批准しない」と言い出した(BBC,11月20日、インターネット版)

今回のASEAN憲章は人権条項が織り込まれるなど(罰則規定はないものの)従来と比べ一歩前進した内容になっているが、人権抑圧では他国に引けをとらないと目されているフィリピンのアロヨ大統領が、「大向こうを唸らせる」発言をして注目を浴びている。

もし、この発言通りアロヨがいうように国内で批准手が拒否されれば、ASEAN憲章の発効は お預けになる。結局11月20日には10カ国の首脳がそろって憲章そのものには署名したが、問題は今後に持ち越されることになった。

フィリピンでは人権抑圧や左翼活動家の暗殺で国連の調査がはいるなど、自国の人権問題について決して自慢できるような状態ではない。アロヨの本心はこの新ASEAN憲章を調印したくないのではないかと「痛くない(?)腹を探られても仕方が無い」と陰口をたたかれかねない。

ビルマ(ミヤンマー軍事政権)の今回のデモ弾圧事件ではEUは制裁強化を決めており、米国も「このままではASEANの信頼(Credibility)を揺るがしかねない」として改めて強硬な態度に出ようとしている。

米国はビルマの民主化問題の前進が無ければ、ASEANとの貿易協定は結ばないと明言している。ミアンマー軍事政権のさまざまな暴挙がASEAN全体の不利益につながることになってしまった。

 軍事独裁政権を普段憎からず思っている日本国政府もさすがに援助を差し止めたという。

これに対してビルマ(ミヤンマー軍事政権)をもっとも強硬に弁護しているのはシンガポールである。シンガポールも人権問題については「寛容な」国とは認められていない。選挙はおこなっているが、野党に対してはきわめて抑圧的である。

シンガポールの言い分は「軍事政権が崩壊すれば、ビルマは国家が分裂する」という主張で軍事政権の「正当性」を擁護している。こういう擁護論は日本にも存在する。

しかし、ビルマは1948年独立当初「ビルマ社会主義議連邦」として発足した経緯があり、一定期間(10年だったか)を過ぎれば各州は連邦国家にとどまるか 独立するか独自に決めてよいと規定してあった。現在は軍事政権が当初の「憲法を停止」しているので「独立権」は宙に浮いた形となっている。

外民族国家であるビルマは主な民族ごとに「カレン州」とか「シャン州」というように分かれている。これを強引に国家というタガをはめて無理やり発足したのが独立間もないビルマ連邦 だったのである。

それと軍事政権が崩壊したからといって民主政府下においても軍隊や警察は維持されるので、治安が現在以上に悪くなるとは限らない。現在は抑圧的な軍事政権に反発する形で各地で叛乱は起こっているのである。

シンガポールが恐れているのはASEANで民主政治や人権尊重が「当たり前」になる事態ではないかということすら言われている。また、ビルマ(ミヤンマー軍事政権)を支持している中国の代弁をASEAN内でシンガポールはおこなっているといううがった見方もある。

中国も今回シンガポールでビルマ(ミヤンマー軍事政権)に対し、「民主化を進めろ」とアドバイスしたというのだから驚きである。中国は国内で民主化を進める気があるのかどうか、態度で示すべきであろう。

いずれにせよ人権問題で前進をしつつあるASEANが「仏作って魂入れず」ということにならないよう祈りたい。

 

60.フィリピンで米不足不安台頭、アロヨ大統領打消しにヤッキ(08年3月19日)

フィリピンの農業相のアーサー・ヤップ(Arthur Yap)氏が米の供給不足が予想されるから、コメの消費を抑制するようにというアピールを出した。確かにフィリピンでは最近コメが石油価格同様値上がりしており、国民の間に不安が高まっているという。

野党が多数派を占める上院ではこの問題がここぞとばかり取り上げられ、政府に対策を迫っている。 アロヨ大統領は急遽6,900万ドル(≒68億円)を支出して、食糧不足対策に努めると約束している。

ヤップ農相は一般国民へのアピールではなく「レストラン経営者」にコメを残飯として大量に捨てずに、もっと大事にしろ訴えたと弁明している。本音はレストランではライスの注文を出す客には「パンのほうが良くはありませんか」と言ってもらいたいらしいのである。

実態は、確かにコメは不足しており、タイやベトナムから輸入しているが、世界的に穀物が不足していて、供給国もなかなか「輸出を保証」しないようである。フィリピン政府は日本い古米の在庫が倉庫で唸っていることをご存じないらしい。日本のコメは高いから問題外といったところかも知れない。

アロヨ大統領はコメ不足問題に柳眉を逆立て、高速道路の開通式に、自ら先頭に立ち、地方からコメや果物を満載したトラックを走らせ、食糧の心配は無いと声たからかに宣言したという。これはもちろんテレビで放映されたが、こういう姿を見せられると一般国民はかえって不安に駆られるものである。

フィリピンの年間のコメの消費量は1,190万トンといわれ、国内生産は980万トンしか見込めないため、今年は210万トンを輸入する計画である。農業相によると、そのうち50万トンが4月中に入ってくるが、残りは確定していないという。

現在、政府が保有しているコメの在庫はわずか57日分しかないということで危機感を募らせているようだ。

コメ価格はアロヨの「コメ不足はない」という強弁とは裏腹に急騰しており、従来1キロ=25ペソ程度であったものは現在は40ペソ(≒100円)にまで跳ね上がっている。いつものことだが華人資本が支配するコメ市場では業者の売り惜しみやコメ在庫の隠匿が日常化しているという。

政府は急遽、110万ヘクタールの水田拡張策を打ち出したという。しかし、ルソン島では農地が住宅地やショッピング・モールやゴルフ場に転用されており、水田の拡張もなかなか追いつけないようである。

(WSJおよびwww.manilatimes.net/ 08年3月19日版参照)

 

61.フィリピンには外国からの投資が少ない(08年4月8日)

フィリピン外国商工会議所連盟はフィリピン政府に対し、ASEANのほかの国に比べてフィリピンへのFDI(Foreign Direct Investment=外国からの直接投資)が少ないことへの懸念を表明した。

2007年のフィリピンへのFDIは29億ドルに過ぎず、タイでは88億ドル、インドネシアでは76億ドルにくらべ極端に少ない。

その原因としてはフィリピンにおいては役所の事務のペーパー・ワークは改善されているが、政策・政治の透明性が無く、汚職撲滅への取り組みが弱い点が指摘されている。

米国商工会議所会長のロバート・シアーズ氏は「全体として改革の遅れが指摘される」と語り、具体的には「労働力にもっと競争力をつけること、政府契約の透明性向上、役所業務の効率向上、脱税・密輸・汚職の撲滅」などを挙げている。

また、官僚主義の弊害や、道路交通の改善、鉱業・エネルギー部門の門戸開放も指摘している。

これらはインドネシアでも同然だが、フィリピンの場合はアロヨ大統領の夫がしばしば、汚職の張本人として指弾を受けたり、言論人を暗殺したりと言う、最近では他国ではあまり見られなくなった常態が日常起こっていることも外国企業の印象を悪化させている。

特に、軍の力を借りて反対派を押さえ込むというかつてのマルコス政権時代の再現とも見られるような事態がおこっており、国民のフラストレーションも高まっている。

日本との経済協力協定なども、交渉の過程での透明性が欠けるところから、野党勢力の強い上院で審議が難航しており批准がなかなか進まない。


62ミンダナオのイスラム教徒自治領拡大協定に最高裁が差し止めの仮処分(08年8月4日)

フィリピン政府はミンダナオ島のMILF(モロ・イスラム解放戦線=Moro Islamic Liberation Front)と40年にわたる武力衝突の末、ようやく7年越しの和平交渉が実り、6県にまたがるイスラム自治区をさらに712か村に「住民投票」を経て広げる協定が8月5日(火)に調停国のマレーシアで調印される運びになっていた。

ところがフィリピン最高裁はこの協定の調印は憲法上やその他の疑義があるとして、8月15日に政府に公聴会を開くよう命じる仮処分を出した。

最高裁の判断の背景にはフィリピンでは圧倒的多数を占めるカソリック教徒の猛反対がある。特にミンダナオ島のサンボアンガ市(カソリック教徒が多数を占めている)では連日激しいデモが繰り広げられている。市長自身もこの協定は「ミンダナオ島にベルリンの壁を作る」に等しい暴挙だとして猛反対をしている。

アロヨ大統領は10万人が犠牲になった紛争を終わらせるにはこの協定しかないと主張しているが、この協定が成立するとフィリピン国内に独立国ができてしまい、憲法に違反するという主張が主にカソリック教会から出されている。

実際問題として2つの村はカソリック教徒が多数を占めその他の村でもイスラム教徒とカソリック教徒が共存しているケースが少なくない。

そもそもミンダナオ島のイスラム教徒の叛乱は祖先からイスラム教徒だけで暮らしていた地域にカソリック教徒が移住してきてイスラム教徒の土地を奪ったということから発しており、712か村の選択は「祖先の土地」という判断基準でイスラム自治領にすべきだという議論がなされたものである。

このようなイスラム教徒の分離独立紛争は南タイでも発生しており、2004年の1月から既に3,000人近い犠牲者が出ている。

WSJより


63..ミンダナオ島マギンダナオ州の大量殺人事件に戒厳令を布告(09年12月6日)


去る11月23日にジャーナリスト30人を含む57人が銃殺されるという事件はさすがに政権に遠慮深いことを常日頃の信条としている日本の新聞でも報道された。被害者の多くが女性だったいわれる。

下手人はアロヨ大統領の熱烈な支持者で前マギンダナオ州知事のアンダル・アンパトゥアン(Andal Ampatuan Sr.)氏のセガレのアンダル・アンパトゥアン.・ジュニアー(地元町長)とザルディ(Zaldy)達だと目され、両人とも逮捕されブタ箱に入れられている。

殺害されたのは彼ら一家の政敵イスマエル・マングダダトゥ(Ismael Mangudadatu)の一家のものとその支持者と取材のジャーナリストの一行であった。

下手人はアンパトゥアン一家のかかえる「私兵」で、ご丁寧に地元の警察も彼らに同行して殺害現場を見ていたと伝えられる。

アンパトゥアン・ジュニアーはブタ箱から記者団に「下手人はモロ解放戦線で俺達じゃない」と主張しているという。

アロヨ大統領は国際的(特に米国)非難を避けるために、アンパトゥアン一族と急に袂を分かち、与党からも除名し、それでも不十分だと見て12月4日(金)にはマギンダナオ州に「戒厳令」を布告した。

警察は頼りないというので4,000人の軍隊を派遣しアンパトゥアン一家の家屋敷や農園などを捜索し、47人を逮捕し、銃・弾薬を多数押収した。しかし、押収された小銃などは写真を見る限りは古びた旧式のもので、新式の武器は何処かに隠匿しているものと見られる。


アンパトゥアン一家はマギンダナオ州を牛耳る殿様で、裁判官も警察も恐れおののいて全く手出しができず、機能していないと伝えられている。しかし、投票だけは一応おこなわれ、それに負ければ政権を失うことになるため、手荒な行動に出たものと思われる。

非難のホコ先はアロヨ大統領にも向けられており、こういう悪質な地方ボスに支えらていた(マニラでは大統領選挙では大敗したが、地元のボスのおかげで大統領になれたといわれている)ことが改めて浮き彫りになった。

また、今回地域限定とはいえ「戒厳令」を公布したkとはマルコス政権時代以来のことで、別に国家的な叛乱が起こっているわけではなく、単なる「刑事事件」を対象に戒厳令を公布するというのは、ゼスチャーにせよやり過ぎだというものである。

元大統領のラモス氏もこの点を批判している。アロヨはこの次もちょっとしたことで戒厳令を公布し「クーデター」をやり大統領の椅子にしがみ付く意図があるのではないかという疑心暗鬼さえもたれている。まさかそこまではやれるとは思わないが悪知恵にかけてはズバ抜けているという見方をされている。

アロヨとしては大統領を辞任後(2010年5月)に汚職などの容疑で逮捕されることを避けるために、国会議員に立候補すると最近言い出した。


64. アロヨ前大統領不正選挙容疑で逮捕⇒2011-11-19)

フリッピンのアロヨ(Gloria Macapagal rroyo)前大統領は11月18日(金)に頸椎治療のため入院している病院で「選挙を不正に操作」した容疑で逮捕された。すでに逮捕されるという観測は以前から流されており、国外で治療を受けるとして出国の準備もしていた矢先の逮捕である。

フィリピン最高裁は彼女が治療のために出国する自由を認めており、11月22日に香港に向け出国する予定であったという。最高裁の判事の多くが彼女が指名した人物であり、公正な裁判を行わないという悪名が高い。

アロヨの今回の容疑は2007年の総選挙時の不正操作疑惑である。2007年選挙では首都ではアロヨ政権は惨敗したが地方で多数を確保したという選挙結果となった。その時に地方で数々の不正が指摘されていた。彼女自身の大統領選挙についても疑惑がもたれているがそれは今回の訴因にはなっていない。

また、夫マイケルが数多くの汚職疑惑があり、それがアロヨ大統領の職権に絡むものが多く、この件についてもいずれ訴追は免れないであろう。

最高裁長官のレナト(Renato Corona)氏はアロヨと親しい間柄であり、2010年の選挙の直前に就任した。彼がいればいかなる訴追にも勝てる体制をアロヨは整えたといわれる。

アロヨは2001年から2010年までフィリピンの大統領を務めたが、その汚職と強権体質が嫌われ外資の進出が少なかった。そのため、フィリピンの工業化はASEANの中でも極端に遅れてしまった。この遅れはマルコス時代から始まったが、21世紀に入っての10年間の停滞は致命的であった。

現在はコラソン・アキノ大統領の子息のアキノ3世が2010年から大統領になっているが外資の進出は依然鈍い。フィリピンに根強い汚職体質が嫌われている面が否定できない。これはインドネシアも同じである。ASEANはタイがダントツであり、マレーシアがこれに続く。その次がインドネシア、第4位がフィリピンという順位になっている。第二次江界大戦直後は米国の植民地であったフィリピンが断然トップであった。最近インドネシアはやや見直されている。

(前選挙管理委員長逮捕⇒2011-12-14)


フィリピン警察はアロヨ大統領の2007年の選挙における不正に関与したとして、前選挙管理委員長のベンジャミン・アバロス氏を逮捕した。アバロスは2007年の上院議員選挙でミンダナオ島でアロヨ大統領の推す候補者を不正な方法で当選させた疑いをもたれている。

これとは別に最高裁判所長官のレナント・コロナ長官が故意にアロヨ大統領に有利な判決をしてきたという理由で上院の「弾劾裁判」にかけられることとなった。8つの罪状が上がっているという。コロナ長官はアロヨ大統領が違法ギリギリの手続きで強引に長官の地位につけたとも言われている。