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マレーシアの自動車産業

 

32-21. プロトン首位の座をプルドアに明け渡す(07年1月25日)

32-20. GMもプロトン買収に参戦か?(07年1月10日)

32-19.プジョーがプロトンとの提携に乗りだす(06年11月19日)

32-18.吉利自動車が06年7月からマレーシアで組立て生産開始(06年3月30日)

32-17. 国民車の特別保護を撤廃の方針(06年3月23日)

 

32. プロトン社および自動車産業の話題

32-1.プロトンから三菱グループ撤退(04年2月23日)

三菱自動車と三菱商事は国営自動車会社プロトン社の持ち株15.8%をプロトンの筆頭株主である国営持ち株会社Khazanah Nasionalに売却することを決定した。

三菱自動車はマハティール政権下で発足した重工業公社(HIKOM)と合弁で自動車会社PROTON社を設立し、発足当初から経営、技術など多方面にわたって協力してきたが、最近はプロトンが三菱の協力姿勢に不満を持っていたといわれ関係がややギクシャクしていた。

プロトンの表面的な言い分は三菱から買う部品の価格やロイヤリティが高すぎるということにあったようである。プロトンが三菱に支払ったロイヤリティは2003年は316百万ドルであったとフィナンシャル・タイムズは報じている。

プロトンは1990年代の終わりにはイギリスのロータス(スポーツカー・メーカー)の買収を行うなど、露骨に三菱離れの姿勢を明らかにしていた。

三菱の株式評価額は219百万ドルといわれ、プロトンはその買い手としてイギリスのMG Roverを候補に上げているという。マハティール首相の「ルック・イースト」政策は「ルック・ウエスト」に変わりつつあったような趣であった。

マハティールは政権末期においては日本を「反面教師」としてみていたようである。ところが日本ではほとんどの オメデタいメディア、ジャーナリストは依然としてマハティールを崇め奉っている。

プロトンの株式は三菱との提携解消のニュースに下げに転じているという。

プロトンはASEANとの自由貿易協定で2005年には関税を大幅に引き下げるといっていたが、それはできないとして2008年まで引き下げ延期を決め、外国車には物品税を課してプロトンの「競争力」を維持しようとしているという。

 (http://www.ft.com/ 04年2月23日記事ほか)

 

32-2. マハティールがプロトンの顧問に、取締役の一部は猛反発(04年4月19日)

三菱自工グループがプロトン社から手を引いてしまった(上記#32参照)ことにより、国民車メーカーのプロトン社は内紛が一気に表面化したといわれている。

取締役会は社長のトゥンク・マハレール・アリフの追い出しを図ったところ、アリフはマハティール前首相に泣きついた。そこでマハティールはプロトン社の顧問として経営にタッチしようとしたということのようである。

ところが数人の取締役はこの動きに猛反発をしめし、辞任するという脅しをかけた。彼らの言い分はマハティールが顧問に入ってくる問い、彼の性格からして「過剰に干渉する」ことは目に見えているということである。

また、マハティールはわけのわからない外国企業をプロトンに引きずり込んでくるおそれもあるというのが彼らの言い分である。

確かに、マハティールはプロトン社は自分が作った会社だという意識はつよく、経営難に陥っているといわれているプロトン社も「見殺しにはできない」という心境であろう。

結局のところ、三菱を追い出した(あるいは逃げられた)ことによって、善悪はともかく、経営的上の精神的な支柱を失ったことは間違いない。三菱も技術料をもっと負けてやってでも残ればマハティールのご出馬を仰がないでもすんだかもしれない。

本件はバダウィ首相も放置できず、調整に急遽乗り出したが、解決はいまだ見ていないようである。(malaysiakini,4月19日版)

 

32-3. フォルクス・ワーゲンがプロトン支援協議(04年10月6日)

三菱から分かれて提携相手を模索していたプロトン社はついに格好の相手としてフォルオウス・ワーゲン(VW)社を見出し、提携交渉を行っていることが明らかになった。(WSJ,10月5日インターネット版その他参照)

このニュースが流れた10月4日のクアラルンプールの株式市場でプロトン株は11%も値上がりしたという。

このところ、政府の手厚い保護にもかかわらず国民車プロトンの販売市場におけるシェアは急落しており、2000年には60%を占めていたものが04年は今のところ45%に落ち込んでおり、その分トヨタやホンダに市場を奪われている。

VWがプロトンの株式を所有するかどうかまでは明らかになっていないが、少なくとも技術援助と引き換えにVWにある程度市場を割愛するという線で話し合いが進められているようである。

VWは中国市場では上海にいち早く工場進出を果たし、中国市場では目下トップ・シェアを維持しているが、そのほかはさっぱりで、東南アジアでは完全に出遅れている。

VW社にとってもマレーシア市場は残された最大のチャンスである。ただし、プロトンにとってVWがベストの選択であるかどうかははなはだ疑問である。

VWはデザイン、性能ともに余りぱっとせず、中国市場においても急速に市場シェアを失いつつあると伝えられる。

⇒VWとの提携本決まり、輸出車の組み立て(04年10月31日)

その後、プロトン社とVWとの話し合いが進み10月26日(火)に提携が公式に発表された。両者は「長期的かつ戦略的」提携関係に入り、また、「相互に独立性を維持する」と言うことであり、VWがプロトン社に出資することにはなっていない。

VWはプロトンの工場で生産した車を東南アジア市場に売りさばくことが目的である。ということは上に述べたようにマレーシアの国内市場では売らせてもらえない(しかるべき関税を払えば別であろうが)建前のようである。

ただ、VWにとっては工場建設なしに東南アジア市場にAFTA(ASEAN自由貿易地域)によって自由に売れることになればメリットは多いということになろう。

プロトンもVWが開発したエンジンや部品を買えるメリットもある。この部分のR&Dコストが省略できるメリットはプロトンにとって大きいはずである。

VWはプロトンの工場で2006年に年産1万5千台の生産を目標としているという。生産台数自体あまり大きいとはいえない。

プロトン社のマレーシア市場でのシェアはかつては60%を占めていたが、最近次第に減少し2003年には49%、04年1−8月は44.5%とジリ貧傾向にある。

プロトン社が18億リンギ(1米ドル=3.8リンギ)すなわち約500億円強投じて建設したタンジュン・マリム(Tanjung Malim)工場は2010年には年産100万台の生産を行う予定であるというが、人口の少ないマレーシアでは内需全体で40−50万台くらいがいいところであろう。

そのうち半分をプロトン車が占めるとしても年間25万台ていどであり、大量の輸出っを行わなければ到底採算ラインには乗らないことは自明である。そのうちVWが1万5千台では焼け石に水である。

プロトン社としては当然次の手を考えなければならない。

 

32-4. シンガポール政府がプロトン社の株式5.04%取得(04年11月25日)

シンガポール政府投資公社(GIC)はプロトン社の株式5.04%(2,766万株)を取得することで、プロトン社と合意した。

三菱自動車が撤退した後の始めての外資のあk部式取得であるが、さほどの影響は見られない。プロトン車のマレーシアにおける市場シェアは03年が49%、04年1-8月が44.5%とジリ貧を続けている。

 

32-5. 05年からは自動車輸入税大幅カット、物品税大幅アップ(04年12月27日)

マレーシア政府はかねての約束どおり、自動車の輸入税を05年1月1日から大幅にカットする。これで、輸入車が国民車プロトンに競争力が付くと思うのは、お人よしの考え方である。

マレーシア政府はとんでもないトリックというより猿知恵を用意していたのである。これぞ、日本人の新聞記者や学者が尊敬してやまない「マハティール流の精髄」ともいうべきものである。

ASEAN諸国で40%以上のローカル・コンテンツ(地元部品生産比率)の自動車は従来70〜190%課せられていた関税を20%にまで引き下げる。

ASEAN以外の国で生産された車の関税は従来80〜200%であったものを50%に引き下げる。

ところが、マレーシア政府は自動車に対する物品税を従来60〜100%であったものを90〜50%に引き上げる。

そのため、自動車の国内価格は従来とほとんど変わらないということになる。その理由として、一挙に安くすると「中古車」の在庫評価が下がり、自動車市場に大混乱をきたすからというものである。

なるほど、そうかと普通の人は考える。

ところがである。マレーシア政府はプロトン車(他の国民車も含め)について、この物品税をリベートするということで、国民車の価格を実質的に安く据え置くというものである。

しかし、こういう方法をとらないと、他の工業製品についても、自国製品の競争力が維持できないものが数多く出てくるのである。これがASEAN自由市場の実態でもある。

「ASEAN単一市場の成立」などというものは、およそありえないのでる。しかし、概していえば、外国資本が支配的な製品については、自由競争でどうぞおやりなさいということになる。

民族資本や地元資本が製造している製品についてはさまざま形での「保護主義」が付いて回る。プロトンはその典型的な例である。

 

32-6 04年の自動車販売は487.6千台、プロトンのシェア低下(05年1月27日)

2004年のマレーシアの国内自動車販売台数は487,605台であり、03年の405,745台に比べ20.2%増であった。05年は50万台突破は確実と見られている。各社とも金利低下を背景に自動車ローンを拡大したことが販売雑につながったと見ている。

乗用車の04年の販売台数は380,568台と03年の320,524台18.7%増となった。そのうち国民車は299,347台であり03年の271,710台に比べ、10.2%の伸びにとどまった。

シェアで見ると、国民車(プロトンやプロドア(軽自動車)など)は03年の85%から04年には79%に低下したことになる。国民車以外の外国車は、たとえマレーシア国内で組み立てられたとしても極端な関税差別を受けている。にもかかわらず、国民車のシェアは徐々に低下しつつある。

特にプロトン車のシェアは03年48%から04年44%に低下した。プロドア車も35%から30%に低下した。

 

32-7. プロトン会長、マハティールと対立して辞任(05年2月4日)

プロトンのアブ・ハッサン・ケンドゥット(Abu Hassan Kendut)会長は今週辞任したと報じられている。辞任の理由は顧問を務めるマハティール前首相が会社経営に干渉したためであるといわれている。

具体的にはプロトンの社長のトゥンク・マハレエル・アリフを業績不振を理由に取締役会が解任しようとしたところ、マハティールが自分の子分であるマハレエル社長の解任に反対し、アブドゥラ・バダウィ首相にはたらきかけて、解任案をひっくり返したことにあるとされている。

マハティールが80年代に掲げたHICOMを中心とする「重工業化計画」はほとんどが失敗し、国民車プロトンだけが何とか三菱自工のサポートもあって生き延びてきたが、最近上述のように、凋落が目立ってきた。

誰が経営しても難しい会社になってきているのである。

マハティールは首相辞任後もプロトンの顧問に就任し、経営にニラミを利かせようとして頑張っていたが、ここにきて問題が一挙に噴出してきた感は免れない。マハティールは経営者として力量があると自ら信じていた節もあるが現実はそれほど甘くはなかったのである。

同時に、マハティールの「重工業化政策」なるものが砂上の楼閣に過ぎなかったことが立証された形となった。少なくとも、最初の10年間ぐらいはマハティールの重化学工業政策が日本の学者などからは大いに賞賛されてきた。

マハティールのおかげでマレーシアは工業化に成功したなどと未だに日本では信じられている。

マレーシアの工業化の担い手は日本を中心とする外国資本であり、しかもその時期が1985年のプラザ合意以降の急激な円高の時代であったことから、たまたまマハティール政権の最盛期と一致したまでの話である。

こんな判りきった話が日本の学者やジャーナリストにはまるで見えていないようである。マハティールが独裁者であったことも日本人の学者やジャーナリストに受けた感がある。どうして皆さんそんなに独裁者がお好きなのでしょうか?

まさか日本人も内心「優れた独裁者を待望している」などとおっしゃるのではないでしょうね?優れた独裁者などいませんよ。歴史を見れば明らかではないですか?

 

32-8.フォルクス・ワーゲン、プロトン社で委託生産(05年3月13日)

フォルクス・ワーゲン社は05年末には「Passat」の組み立てをプロトン社のタンジョン・マリム(Tanjong Malim)工場で開始することを明らかにした。それに続き2006年後半には「Fox」、ついで2008/9年には「Golf」をマレーシアとインドネシアの2カ国で生産する計画である。

それいより、現在東南アジアでは1%しか有していない同社のシェアを12%程度まで高める計画であるという。

 

32-9. プロトン、05年6月からインドネシアで生産開始(05年6月14日)

プロトンはインドネシアで05年6月末から新しい乗用車の組み立て工場を稼動させると発表した。生産台数は当初は年間8,000台を見込んでおり、ウィラ(Wira)とGEN.2という2車種を生産するという。

これとは別に、マレーシアではサビー(Savvy)を月間2千台生産するという。それに続いて新たな2車種の生産も06年3月までには開始するという。ハッチバックの5ドアの小型車の値段は1台40,000リンギ(約150万円)ヲ見込んでいる。(1ドル=3.8リンギ)

サビーの生産能力は年産50,000台である。

輸出先はシンガポール、オーストラリア、イギリスである。

 

32-10. プロトンの足を引っ張るAP特権(05年7月19日)

APとは何か?プロトンの顧問を務めるマハティール前首相も運用の実態を知らなかった(?)といわれる制度である。APとはApproved Permits(自動車の輸入許可)である。この重商主義時代を思わせる「輸入特許状」は外国自動車を安く手に入れ、高く売れる大変な「特権」である。

これさえもっていれば、凡人でも明日から大金持ちになれる「打ち出の小槌」である。その実態をマハティールもプロトンの社長のマハリール(Mahaleel Tengku Ariff)も知らずに、通商産業相のラフィダ女史と特権を与えられていた業者・個人のみが知っていたというのである。

年間67,000台のAPが出されていたが、54,000台分が大口20グループに出され、12,600台分が82社に出されていたという。この詳細をマハティールはラフィダ通産相に説明するように求めていた。

このAP問題について、私が初めて目にしたのはインターネット誌Malaysiakiniの6月9日付であったが、何のことかピンとこなかった。

プロトン保護がマレーシアの産業政策の最重要課題であることは誰もが知っていることであり、輸入車問題は当然、政府部内で十分議論され尽くしていると私は単純に考えていた。

APについてマハティールとラフィダ(マハティールが辞任表明したときに壇上に駆け上がって泣いて止めたという)との間で可なり激しいやり取りがあったといわれている。

ラフィダはAPが誰に与えられたかということを最初は外部には明らかにしないと突っぱねていたが、アブドゥラ・バダウィ首相の指示によって首相府はその数字を発表した。その数字が下表である。

APの10大保有者(全体で67,158台のなかの)

   15,759 Syed Azman Syed Ibrahim, Mohd Haniff, Azzuddin Ahmad
12,524 Nasimuddin SM Amin, Sm Shalahuddin SM Amin, Zaleha Ismail
8,573 Berjaya Group Bhd., Sime Darby Bhd., Vincent Tan
2,887 Zahari Jaffar, Muhammad Fadhil Ahmad
2,496 Ayob Saad, Dr Soh Thiam Hong, Soh Ah Gong
2,148 Drb Hicom Bhd.
2,025 Tunku Zainol Tengku Izham, Ramzia Arshad
1,237 Ilyas Mohamad, Zahran Ahmad
1,026 Muhammad Faizal Zainol, Zatizam Ghazali, Faridah Ghazali
840 Mohammadiah Moner

出所;Malaysiakini,05年7月19日号

上の表に出てくる個人や会社名については内容がよくわからないものが多いが、トップのSyed Azman Syed Ibrahim, Mohd Haniff, は元通産省の職員であり、AP配分の担当者であったという。

このAPは1台あたり2万ないし3万リンギ(1リンギ≒30円)で売られていたというのである。

野党のDAP(民主行動党)はこの話しは始まったばかりであり、今後、これにまつわるさまざまな不正が明らかになってくるとしている。税金逃れの金額だけでも年間10億リンギ(300億円弱)に達するとみられている。

 

32-11. プロトンは結局フォルクス・ワーゲンの子会社化か?(05年9月17日)

プロトンは05年に入り、輸入車との競争に追われ、採算を悪化させており、AFTAにおける域内自由化の波に抗することができず、また、マレーシア政府の保護も限界に来ており、ドイツ、フォルクス・ワーゲン社との提携交渉をおこなっている。

マレーシアのインターネット、Malaysiakiniが伝えるところによれば、両社は近々、包括的な提携交渉を締結し、今Q(7〜9月)中には調印にいたるであろうとのこと。それには技術提携のみならず、将来、フォルクス・ワーゲン社がプロトンの株式51%を取得するという内容も含まれるという。

同時に、マレーシアのサイム・ダービー(Sime Darby)社が国営持ち株会社カザナ(Khazanah Nasional Bhd)よりi32%の株式譲渡を受けるという。

プロトンは05年4〜6月期には1,235万リンギ(約3.7億円)の赤字となった。昨年の同期は1億6647億リンギ(約50億円)の黒字であった。

マレーシア全体の05年8月の自動車販売は好調で50,079台が売れた。これは前年同月比19.1%の伸びである。商用車の売り上げが14,228台と7月の9,055台に比べ57%の増加となったが、乗用車は35,851台と7月の32,991台に比べ9%の増加にとどまった。

特に、国民車のプロトン(Proton)とプルドア(Perodua= 小型・軽乗用車)の売り上げが好調で28,352台(+11%)売れたが、非国民車は7月の7,549台から8月には7,499台と微減となった。

05年1〜8月の累計では自動車販売は356,941台と前年同期の317,635台に対し、12.4%の伸びであった。そのうち乗用車は258,138台で3%増に対し、商用車は98,808台と47%増の大きな伸びを示した。

05年通年では当初の目標の52万台の販売は可能であると、マレーシア自動車協会(the Malaysia Automobile Association)では見ている。

 

32-12. マレーシア政府ついにプロトンの保護に見切りか?(05年10月19日)

マレーシア政府は「国民自動車政策の枠組み」というレポートを発表し、長年育成してきた国民車プロトン(Proton)の保護政策を見直し、外国自動車メーカーにも同等の権利を与えることに踏み切ったようである。 (外資への開放)

バダウィ首相はそうすることによって、タイの自動車産業に対抗できるようなマレーシアの自動車産業の新たな育成策を策定していく考えである。

ASEAN内部においてもマレーシアはプロトンがあるおかげで「肩身の狭い思い」を強いられてきた。また、AP問題など、自動車産業保護に起因する「不正疑惑」も起こり、マレーシア政界は大揺れに揺れ、責任者であるラフィダ通商産業相が批判の矢面に立たされている。

プロトンはマハティール首相が政権についた1980年代の初めにスタートした「重工業化政策」の目玉であり、三菱自工の協力を得て、国産車プロトン(1985設立)を生産してきた。また、小型車(軽乗用車)プルドアもダイハツの協力で1993年に設立され、この両社が国産車の中心であった。

しかし、プロトンからは三菱自工も手を引き、最近はフォルクス・ワーゲンとの提携案がクローズアップされてきたのは上に見たとおりである。

マハティールの重化学工業政策はペルワジャ(鉄鋼業)を初め、次々挫折し、プロトンだけが最後に残ったため、マハティールのペット・プロジェクト]と呼ばれてきた。

しかし、国産車保護政策は隣国タイの自由化政策との競争に完敗する形となった。ASEANで域内自由貿易(AFTA)を進める中でも、プロトンが最大の弱点となっていた。

マハティール首相も引退し(隠然たる勢力は維持しているようだが)、プロトンもAPによる外国製の「安い輸入」車におされ、シェアが後退し、採算が悪化した。三菱という後ろ盾がなくなったことも大きかったと思われる。

このままの形で国産車プロトンを維持する意味はマレーシア政府にとても、なくなってきたといってよい。

マレーシア政府としてはプロトンの処理と今後の自動車産業政策を策定する委員会を作り、早急に「保護廃止」の方向で検討していくものと思われる。マハティール派からの巻き返しも予想されるが、「採算」という企業としての「大義名」分が崩れてはいかんともしがたいであろう。

(WSJ,10月19日付けインターネット版、http://thestar.com.my 参照)

 

32-13. プロトン、05年3Qは4,300万米ドルの大赤字(05年12月1日)

プロトン社は05年3Q(7―9月)の税引き前で1億5,880万リンギ(1米ドル=3.78リンギ)、円換算約50億円という同社にとっては史上最悪のQ別の赤字を計上した。05年1〜9月の通算損益は税引き前で430万リンギ(約1億3600万円)の赤字となった。

また、04年3Qは2億4,100万リンギの黒字であった。かつては市場シェア65%を占めていたプロトンも現在では40%程度に落ち込んでる。価格面でも上に見たAP騒動にみられるように、怪しげな輸入車との競争にさらされ厳しい状態が続いている。

プロトン社の赤字の最大の原因としては2004年12月にイタリーのモーター・サイクル・メーカーのアグスタ(Arusta)社の株式57.7%を3億6,800万リンギで買収したことに求められる。そのときアグスタ社が抱えていた9,000万米ドルの負債も一緒についてきた。

このアグスタ社への投資の損失をカバーするために9,000万リンギの「準備金」を積んだのが1億5,880万リンギの赤字の最大の理由(56.6%)であるという。この会社の買収は当時プロトンの顧問で経営の実権を握っていたマハティール前首相の「ひらめき」によるものであろう。

この会社を買う目的はプロトンにない技術力を持っており、その人材が活用できるという触れ込みであったが、全くの当て外れであったようだ。

プロトン社はアグスタ社を買収するために既に5億リンギ(約158億円)もつぎ込んでいる(準備金を含め)という。

プロトンはこのアグスタ社には見切りをつけて何とか手を引きたいと考えているとアズラン(Azlan Hashim Mohammed)会長は語っている。無分別な投資は会社に大打撃を与えるのはどこの国でも同じである。

しかし、このアグスタ買収の失敗が無くとも、現在プロトン社は赤字経営に陥っていることが問題である。

 

32-14. 2輪車メーカー、アグスタを1ユーロで売却(05年12月28日)

プロトン社は2004年12月にイタリーのモーター・サイクル・メーカーのアグスタ(Agusta)社の株式57.8%を3億6,800万リンギで買収した が、結局、経営に失敗し、イタリーのゲビ(Gevi SPA)社というファイナンス・カンパニーこ1ユーロ(1.19米ドル)という名目的価格で売却することとなった。

アグスタ社が抱えている1億690万ユーロの負債(買収当時は9,000万米ドルの負債)と3,250万ユーロの運転資金は買い手が引き受ける。

買収時にプロトンは赤字であったアグスタ社に7,000万ユーロの資金注入をおこなったが、それは返ってこない。

しかし、この売却によって、プロトンの赤字の最大の原因が除去され、本業に経営資源を集中でき、プロトンの業績も黒字転換できるメドがついたとしている。

プロトン社はアグスタ社を買収したことにより少なくとも5億リンギ(約158億円)をつぎ込んだといわれ、実損はそれをさらに上回ることは確実である。アグスタ買収の張本人はマハティール前首相であったことは明らかである。

 

32-15. プロトンとVWの提携交渉は失敗に終わる(06年1月13日)

プロトンとVWは株式取得を含めた「提携交渉」をおこなっていたが、VW社のベルンド・ピシェッツリーデル(Berund Pischetsrieder)社長は交渉は事実上失敗に終わったと語った。また、将来、提携の話がでるとしても「非常に限られた」内容になるであろうと述べた。

これを受けて、1月13日のプロトン社の株は11%暴落し、1株5.65リンギ(1米ドル=3.74リンギ)で終わった。

具体的に、どういう点が両社の対立点となったかについては明らかにされていないが、VWはプロトンを事実上の子会社化すること(あるいは安値で買い叩こうとした)で交渉に臨んだと思われるが、プロトン側は「ナショナル・カー」としての実態を残すべく抵抗したものと思われる。

この交渉失敗によって、プロトンは次の提携先を探さなければならなくなった。マハティールは内心嫌っているかも知れないが、結局は日本メーカーのどこかにお鉢が回ってくる可能性も否定できなくなった。

(http://www.malaysiakini.com/ 06年1月13日参照)

⇒現代自動車の名前が浮上(06年1月16日)

WSJのInternet版によると、マレーシアではVWの次の候補として、韓国の現代自動車の名前が挙がっている。ただし、現代は今の段階では否定している。

現代自動車はタイなど東南アジア市場では日系メーカーに大きく差をつけられており、マレーシアでプロトンと提携できれば、東南アジアの一角に食い込む有力な手がかりとなるはずである。

⇒三菱自工が再度面倒を見ることで決着(06年2月6日追記)

紆余曲折の末、プロトン発足の時からのパートナーであった三菱自工が、今後のプロトンの新車生産などについての技術協力をすることで合意をみた。ただし、三菱としては出資は行わないとプロトンの新社長シュド・ザイナル(Syed Zainal Abidin Syed Tahir)氏は語った。

元の鞘に納まった形となり、プロトンではさんざ苦労させられた三菱自工・商事の関係者も利害得失は別にしてホットしたことであろう。過去においてマハティールが余計な口出しをしなければここまでもつれることはなかったと思われる。

しかし、マハティールにとっては、彼の始めた「重工業化政策」が鉄鋼のペルワジャ・スチールをはじめとして次々挫折していく中で、国民車プロトンだけが生き残った唯一の「実績」ともいえるものであっただけに、思い入れが深かったのであろう。

 

32-16. プロトンの2005年のシェア41%にまで低下(06年1月26日)

マレーシアの2005年の国内自動車販売は551,045台と2004年比で12%増加した。乗用車は400,832台、商用車(トラック・バスなど)は112,531台、4輪駆動車は37,679台であった。

そのうち乗用車の内訳を見ると、国民車プロトンの2005年の販売は166,118台にとどまり、マーケット・シェアは41%に低下した。プロトン社のシェアは1999年は67%、2002年は60%、2003年は48%、2004年は44%と年を追うごとに低下してきた。

一方、小型車プペルドア(これも国民車でダイハツが出資)は、2005年は134,170台を販売し33%(2004年30%)とシェアを伸ばしている。

非国民車(トヨタ、ホンダ,日産など)は87,857台(22%)であった。

マレーシア自動車協会の2006年の予測は下表に見るごとく、乗用車の伸び3%と控えめである。

表32-16、マレーシア国内自動車販売(台)

   2005年実績 2006年予想 伸び率
乗用車  400,835   100% 413,000 3.0%
 うちプロトン  166,118 41.4    
   プルドア  134,170 29.9    
   その他 87,857 21.9    
   輸入車  12,690 3.2    
商用車 112,531   114,000 1.3%
4輪駆動車 37,679   38,000 0.9%
国内販売合計 551045   565,000 2.5%

資料出所;Malaysiakini,06年1月25日付け

 

32-17. 国民車の特別保護を撤廃の方針(06年3月23日)

マレーシア政府は国民車(プロトンとプルドア)に対する特別関税を中心とした保護を撤廃し、ASEAN内部でタイなどにマトモに競争していくことでマレーシアの自動車産業の競争力を高めていく方針を決定したという趣旨の「自動車産業政策」報告を明らかにした。

ただし、政府としてはプロトンとプルドア(ダイハツの小型・軽自動車)の2社については「支援」を続け、輸出競争力をつけるような方策を講じる。

また、新たに外国の自動車会社の投資を受け入れるかどうかについては現状では決めていないようである。

具体的な政策としては、ASEAN内部で取り決められているCEPT(CommonEffective Preferential Tariff=共通効果特恵関税)を適用し、指定された車種については5%の税率を適用する(現行5%)。その時期はは2008年初めからである。

ただし、ASEAN以外で生産された自動車については輸入税30%プラス、「物品税」がエンジンの大きさによって別に75〜125%かけられる。この物品税は今までは80〜200%であったので少しは減税されたことになる。

現在、物議をかもしているAP(Approved Permit=特別輸入許可)については2010年12月31日を持って廃止する。

このAP制度によって通産省から輸入許可を貰った「マレー人特権階層」が自由に外国車を輸入する「特許状」であって、UMNO幹部らがさんざ「美味い汁」を吸った。その分国民車(特にプロトン)は被害を受けた。(#32-10参照)

中古車の輸入は順次削減され、2010年には全廃する。

この「政策」は例えば既存の組み立て会社が「部品輸入」の輸入にどの程度の「自由度」を与えられるのかは明らかでない。

また、ローカの部品メーカーはタイに比べると雲泥の差があり、タイの向こうを張ってASEANの中で一本立ちしてやっていけるかどうか大いに疑問が残る。

しかし、国民車としての一応の基盤があり、ゼロからの出発ではないので、三菱自工がある程度犠牲を払って面倒を見ればプロトンといえどもある程度善戦する可能性もある。プルドアはダイハツの支援が続いており、かなりやれそうである。

 

32-18.吉利自動車が06年7月からマレーシアで組立て生産開始(06年3月30日)

中国のGeely(吉利) Automobile Holdings は今年7月から、セダン車の80%ノック・ダウン車の組立てをマレーシアで行い、主に右ハンドルを採用している国々に輸出していくという。

パ^トナーはIGC(Information Gateway Corp)で年産1万台を目標にするという。また、07年の中頃には2番目のモデルを生産する予定であると、ICG社のソー・テアム・ホン(Soh Thiam Hong)会長は語った。

吉利社は当面はICG社の向上で組立てを行うが、1年後には1億リンギ(約31億円)をかけて、マレーシアに輸出用の生産基地を建設する予定であるという。

吉利社は1997年に設立されたばかりの新興企業であるが、米国の自動車ショーに中国メーカーとしては真っ先に出品し、ついでマレーシアに「輸出用組立て工場」を建設するというのだから驚かされる。

(ProtonとCheryとの提携の話し合いも進行中?)

FTの伝えるところによれば(06年3月30日)、プロトン社と中国のChery(奇瑞)社はお互いの国でお互いの車種を生産するという基本的な提携関係について話し合いを行っているという。

Cheryにしてみればマレーシアで生産すれば、他のASEAN諸国に輸出できるし(AFTAの存在)、プロトンにしてみれば中国の巨大市場にアクセスできるという、相互のメリットがある。

ただし、目下のところ両社とも提携の話にはコメントできないとしている。

なお、Chery社はQQミニ・カーと称する小型車でシャエアを急増させつつあるが、これはGMのSparkのコピーではないかとしてGMから訴えられている。

 

32-19.プジョーがプロトンとの提携に乗りだす(06年11月19日)

経営不振で万策尽きたかにみえるプロトン社に「救いの神」が現れたようである。11月18日のmalaysiakini(インターネット専門誌、有料)によればフランスのPSA-Peugeot-Citroen 社がマレーシアの財務相と11月20日の週に会談を持つという。

財務省とプロトンと国営持ち株会社カザナ(Kazanah)がプジョーと提携の交渉に当たる。

プロトンの06年1〜6月は5,860万リンギ(約19億円)の赤字を計上している。

プロトンはこれ以外にもVWとの話しが再度浮上している。いずれにせよ政府の関税保護などを外されたプロトンは弱さばかりが目立つ存在になっている。

また、マレーシア政府は現在顧問に就任しているマハティール元首相にそろそろお引取りを願おうと考えているがマハティールは「これはオレが作った会社だ」として頑強に抵抗しているという。

 

32-20. GMもプロトン買収に参戦か?(07年1月10日)

マレーシアのニュー・ストレート・タイムズ紙によればGMがプロトン社の買収に興味を示し。06年11月から数回にわたってプロトンの経営陣と非公式に接触しているという。GMは1998年の通貨・経済危機のときもプロトンへの出資をマレーシア政府に打診し、断られた経緯があるという。

現在プロトン社の買収にはフォルクス・ワーゲンとシトローエンの2社が興味を示していると伝えられており、これにGMが参入するとプロトンの立場は急に有利になってくる。

GMとしてはタイでは日系企業に出遅れたが、マレーシアに生産基地を持てば、東南アジアでの劣勢の挽回に役立つだけでなく、中近東方面への輸出も便利になる。

(マレーシアキニ、インターネット版、1月10日付け参照)

 

32-21. プロトン首位の座をプルドアに明け渡す(07年1月25日)

2006年のマレーシアにおける自動車販売はプロトン(Proton)社が115,538台(乗用車シェア40%⇒32%)であったのに対し、プルドア(Perudoa)社が152,733台(シェア32%⇒42%)を販売し、ついにマレーシア市場で初めてトップになった。

プロトンの敗因はニューモデルとして売り出したSavvyがデザインも品質もいまいちで人気が出ず、一方プルドアのMyviはデザインも性能も良く、価格も安いので、注文が殺到し、数ヶ月の納期待ちとなったと伝えられる。

プロトンはマレーシア政府機関が59%の株式を保有し、プルドア社は日本のダイハツが51%の 株を保有している。両社とも「国産車」メーカーのステイタスを有している。

プロトン社は1983年に三菱自動車の協力を得て、「国民車」生産・販売会社として発足し、マハティール首相の「重工業化政策」のシンボル的工場として政府の手厚い保護政策によって守られてきた。 しかし、ASEAN内部の自由貿易体制が確立するにつれて保護政策は限界を迎えた。

その後、軽乗用車を中心とするプルドア車が設立され、次第にシェアを奪われ、ついに2006年にはプルドア社にトップの座を譲ることとなった。

マレーシア自動車協会(MMA=malysia Automotive Association)によれば2006年のマレーシアの自動車販売は490,768台と05年比11%のマイナスであった。 このうち、輸入車は80,931台で05年比15.1%減少している。

2007年の販売予想は50万台とわずかに1.9%増とい控えめな数字になっている。プロトンは今やマレーシア経済にとってのお荷物に成り下がりつつある。おそらくGMあたりの資本が入ることによって「生まれ変わる」以外に方法はない。