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タイの政治経済(2002年~2006年)
123. 欧米7カ国大使、津波援助資金の使途について調査要求(06年12月27日)
122.6億バーツの津波記念博物館の建設注に浮く(06年12月26日)
110-16.タイの06年11月の貿易収支の黒字が前月比倍増(06年12月21日)
110-15⇒バンコク証券市場大暴落、730.55→622.14(06年12月19日)
121.米国がタイのGSP(特恵関税)を2年間延長(06年12月13日)
120.米国西海岸で働く奴隷状態のタイ人48名が解放される(06年12月11日)
110-15. 異常なバーツ高に中央銀行介入(06年12月6日)
⇒タイ中央銀行、為替投機防止策の妙案(?)を発表(06年12月19日)
110-14. タイの06年3QのGDPは4.7%とやや低下(05年12月4日)
119. 鉄道や港湾の民間委託経営を検討(06年11月24日)
110-13. タイの上場企業は売上増加21%、利益はわずかに1%増(06年11月20日)
110-12. タイの不動産業06年3Qは業績にカゲリ(06年11月16日)
110-11. タイの消費者信頼度指数は順調に回復(06年11月10日)
110-10. 06年の外国からの投資は減少傾向、07年はさらに悪化?(06年10月25日)
118. タイで60年ぶりの洪水、被害額は既に100億バーツに(06年10月16日)
⇒バンコクで大洪水のおそれ、今週前半がピーク(06年10月23日)
117. スリン元外相が国連事務局長の有力候補として急浮上(06年9月28日)
110-9. タイの06年2Q成長率は4.9に低下(06年9月4日)
115. シン・コーポレーションの06年2Qの純利益は約30%減(06年8月18日)
114. タイ米作者協会が50%の値上げを政府に要請(06年8月16日)
113.チャロン・ポカパン社、鳥インフルエンザで61%減益(06年8月5日)
111-24.選挙管理委員3名に有罪判決、4年の禁固刑(06年7月25日)
111-23 タイ.国王10月15日の選挙を裁可(06年7月21日)
111-22ソンティ.国軍司令官、親タクシン派軍幹部を左遷しはじめる(06年7月20日)
110-8. タイの06年6月の自動車国内販売は12.4%減(06年7月13日)Renew(9月30日)
111-21.タクシン;「カリスマ的人物が追放を策す」発言(06年7月11日)
110-7.タイの自動車生産は06年1-5月は18.2%増の49万8千台(06年6月30日)
110-6.このままではタイの06年は4%成長はムリ、産業連盟(06年6月29日)
111-20.TRT党のみならず民主党にも解散命令?(06年6月28日)
111-19. ウィサヌ副首相が辞任、タクシン首相ますます窮地に(06年6月24日)
110-5. 06年5月の消費者信頼度指数は4年来の低水準(06年6月12日)
111-18. 選挙管理委員会がTRTの解散を司法にゆだねる(06年6月5日)
110-4. タイの06年1Qの成長率は6.0%と好調?(06年6月6日)
111-16. 選挙管理委員長、辞任の意向、新党の動き活発化(06年5月17日)
112. クメール期の仏像が東北タイの水田の中から出現(06年5月14日)
111-15. TRTゲート、選挙管理委員長シドニーに逃亡?(06年5月12日)
⇒ワサナ委員長のシドニー行きの同乗者たち(06年5月21日)
56-2.iTVの免許料大幅減免取り消し判決(06年5月11日)
111-14.憲法裁判所、4月2日の選挙無効判決、やり直しを命じる(06年5月8日)
110-3. 金利を0.25%上げ4.75%に。バーツ高進む(06年4月11日)
111-13. 民主派はタクシンに対する警戒感を緩めず(06年4月8日)
111-12. タクシン辞任後は院政を目指す(06年4月5日)
111-11 タクシン首相の辞任で民主派と合意成立(06年4月4日)
111-10. TRT党への支持票が激減の情勢(06年4月3日)
⇒タクシンは勝利宣言するも、内容は大敗(06年4月4日)
111-9.サイアム・スクエアのデモ行進を決行、さほどの混乱はなし(06年3月30日)
103-2.EGATの株式上場(民営化)は不可、最高行政裁判決(06年3月23日)
110-2. 政治的混乱によって成長率は3.5%以下に?(06年3月22日)
111-8.タクシン支持派の農民など地方から集結(06年3月18日)
111-7. 警察官僚出身のチドチャイを第1副首相に任命(06年3月15日)
111-6. 国王が1992年事件のとき和平を諭した映像をいっせいに放映(06年3月13日)
111-4.国軍司令官曰く 国王は現在の政治情勢について強い不快感、(06年3月8日)
81-15.05年4Qの成長率は4.7%、通年では4.5%にとどまる(06年3月6日)
111-3. タクシン選挙を強行、3月3日に20万人の支持者集会(03年3月6日)
111-2.野党も4月2日の選挙を受けて立つ(06年2月27日)
⇒タクシンが野党の政治改革要求拒否、野党3党は選挙をボイコット(06年2月27日)
111-1.タクシンついに議会を解散、4月2日に投票(06年2月24日)
107-5. チャムロン、打倒タクシン運動に参加宣言(06年2月20日)
107-4.憲法裁判所がタクシンのビジネスに関する調査を検討(06年2月15日)
⇒8対6で調査をおこなわないことに決定(06年2月16日)
81-13.⇒自動車部門の輸出は05年は47.6%増加(06年2月9日)
102-5. 2月4日の反タクシン集会に10万人が参加、タクシン首相への失望感広まる(06年2月5日)
97-2.ジャルバン女史が会計検査院長に復帰(06年2月2日)
81-14. 2005年の成長率は4.5%程度にとどまる見通し(06年2月1日)
107-3 タクシンの税金逃れの手法に疑惑と関心が集まる(06年2月1日)
81-13. 2005年の自動車生産は21%増の112万5千台(06年1月25日)
107-2⇒タクシン一族のShin Corp.株のテマセクへの売却を正式発表(06年1月23日)
107.-2.タクシン一家がシン・コーポレーションの持ち株をテマセクに売却(06年1月13日)
110-1.2006年のタイ経済はさほど期待できない(06年1月5日)
109.中国の製造業がタイにとって脅威になり始める(06年1月3日)
90. 景気対策として3,000億バーツの予算の追加投入を決める(05年6月27日)
89. ラヨン県の水不足深刻化、10%給水制限(05年6月23日)
81-6. 中央銀行、金利引き上げ2.5%に(05年6月11日)
81-5. 05年1Qの成長率は3.3%に鈍化(05年6月7日)
85.元中央銀行総裁に43億ドルの支払い命令(05年6月1日)
84. 愛知地球博のタイ・パビリオン建設で不正?(05年5月25日)
83. スパチャイWTO事務局長、次はUNCTAD委員長に(05年5月13日)
81-2. タイ中央銀行05年成長率を4.5~5.5%に引き下げ(05年4月29日)
82. 新空港の施設を巡る大規模汚職発生(05年4月28日)
80. タクシンの息子が地下鉄の広告で10年契約獲得(05年4月5日)
79. 「欠陥日本車」たたき拡大、大使館前で騒動(05年3月26日)
78. 2月6日のタイの国会議員選挙、与党TRTが圧勝の形勢(05年1月31日)
⇒タクシンのTRT党500議席中377議席の圧勝(05年2月7日)
77. バンコクの地下鉄で衝突事故、負傷者200名以上(05年1月17日)
76. 2004年の国内自動車販売は過去最高の626千台(05年1月14日)
75. スウェーデン人1,500名以上行方不明、プーケット周辺で(04年12月29日)
64-8. 04年3Qの成長率は6.0%にダウン(04年12月8日)
74. タイ中央銀行バーツ売り介入ーさほど効果なし(04年11月26日)
64-5.⇒KTBの主要貸付先であるナチュラル・パーク社がリスケ要請(04年11月19日)
2. 台湾への出稼ぎ労働者の災難(02年8月31日)
現在タイから約13万人の労働者が台湾に出稼ぎに言っており、彼らの送金額は年間約9億ドルに達すると推測されている。
今回台湾からCLA(Council of Labour Affairs=労工委員会)主任(閣僚)のチェン・チュウ(陳菊)女史がタイ側との「労働協議会」(そこで労働協定の調印が予定されていた)に出席するためバンコク入りをしようとしたところ、中国側から横槍が入って直前になってビザの発給をタイ政府はキャンセルした。
これは明らかにタイ政府側の責任である。怒った台湾政府はタイ人労働者へのビザの発給を一時停止すると発表した。こまったタイ政府は「観光ビザ」の発給で何とか事態を収拾しようとしたが台湾側は一蹴した。なぜならタイ政府はチェン議長に対し「正式の招待状」を事前に出していたからである
これに対するタクシン首相の態度は例によってすこぶる強硬で「台湾が協定にサインしないというならほうっておけばよい」(8月31日バンコク・ポスト)というものである。こういう心無い無責任な発言は台湾側をいっそう傷つけるばかりでなく、台湾で働くタイ人の労働者の立場も無視したものであろう。
中国政府の意向が大事ならば、最初からそれなりの対策を講じるのはタイ政府の責任であったはずである。その後タイ政府は台湾政府に対し謝罪し、一応問題は収まった形になったが台湾側をいたく傷つけたことは事実である。台湾は早速ベトナムと労働力供給契約交渉に入った。
(4).ファー・イースタン・エコノミック・レヴュー(FEER)事件(タイ)(02年3月5日掲載、3月7日追加)
この記事は「アンダー・イースターン・アイズ」に掲載されていたものですが内容がタイの記事なのでここにも掲載します。
タイではFEER(Far Eastern Economic Review)という香港ベース(ダウ・ジョンウズ所有)の有名なアジア専門の週刊誌の1月10日号を発売禁止にすると同時に、駐在の記者2名(Rodney Tasker イギリス人とShawn Crispin アメリカ人)を国外追放処分にし、香港の二人の論説記者もブラック・リストにのせる(入国禁止)と発表して、国際的な大問題にまで発展した。
記事の内容は日本の新聞(2月26日号の日経や毎日など)にも報じられていたのでご存知の方も多いと思うが、昨年末プミポン国王が誕生日のスピーチの中で「タイが最近おかしくなっている」とか「傲慢さ、無原則、エゴイズム」という表現で暗にタクシン批判をおこなったのである。これはまったく前例がないといってよいくらいの異例のことである。
このことをFEERは短い論説で紹介したまではよかっただが、タクシンが国王一家の内部問題にまで干渉した疑いがあるということに国王が苛立ちを示したということを書いてしまった。また、皇太子の関与しているビジネスにタクシンは関係しているということも付け加えた。
タクシンは日ごろ24時間体制でテレビ、ラジオはもちろんのこと新聞雑誌を監視するといういかにも警察官僚出身らしい体制をとっており、3月2日号のイギリスの経済雑誌「エコノミスト」も発売11時間後につかまってタイ国内で発売禁止処分を受けている。
タイ政府の言い分(警察)としては「ナショナル・セキュリティーにかかわる記事」を書いたとしてFEERの記者は追及されたのである。
もともとタイは王室にかかわることを記事にするのは法律の規制もあって、書くのが難しいところであるが、皇太子の名前まで出てきたので国王も怒ったというのが、タイの軍・警察筋の言い分のようである。
保守派の政治家や学者の一部にもFEER記者追放やむなしという意見もあったようだが、タイの新聞(ネーションとバンコク・ポストしか私は読んでいないが)はFEER記者追放はタイの言論の自由に対する弾圧であるとして激しく反発した。
アメリカのニュー・ヨーク・タイムズやワシントン・ポストでもこの事件は報じられ、米国国務省も追放を批判した。これに対しタクシンはこれは「国家主権にかかわる問題であり、外国の干渉は受け付けない」と激しい調子で反発した。
記事の内容を見る限りは「国家の安全を脅かす」ものとは到底考えられず、タイの何人かの上院議員も国王を批判したものではないとし、ジェルムサク上院議員は「この記事はタクシンを直接批判したものであって、国王批判ではない」と述べている。(3月1日AP電、シンガポールのストレート・タイムズ)
これは大筋としてはタクシンの言論弾圧の一環と考えられるが、FEERは皇太子のビジネスの話までしたのは少しまずかったという感じはする。というのはプミポン国王の後継者はワチラロンコン皇太子ということになっているが余り国民に評判が良くないという説がある(これはタイ国内では書けないが)。
そのためシリントン王女が独身のままでいるというのである(タイでは王女は結婚すると王位継承権がなくなる)。実態はうかがい知れないがこういう風評を誰よりも気にしているのは国王ご夫妻であろう。
したがって、あまり皇太子のビジネスのことなどは書かれたくないということかもしれない。
タクシンは国王が最近病気で入院したに対し、一般国民と同じ医療カード(保険証的なもの)を渡し、国民の反発をかっている。タクシン自身の支持率も低下傾向にあり、世論調査をやっている大学の機関に最近警察が「ご機嫌伺いに」行ったということで物議をかもしている。タイも急におかしくなってきたものである。
タクシンは今回の記事を最大限に利用しようとたことは間違いなく、「国の安全(National Security)に反するというより、タクシン自身の安全」に反したということだろうと現地の新聞は皮肉っている。
3月3日に補欠選挙がおこなわれたが、タクシンの率いるタイ愛国党は14人の候補を立てたが4人しか当選しなかったという選挙速報が出ている。もしそうだとすればタイの国民自身が今回の事件に判定をくだしたことになるであろう。
FEERはタイの国会議長あてに、詫び状を3月4日に送って、事態の収拾を図ろうとしている。タイ人の一般的常識では「この辺で・・・」ということになるが、タクシンの性格からいって、まだひともめするかも知れない。
追放取り消し決定;3月7日付けのニュー・ヨーク・タイムズによればタイ政府はFEERの二人のビザ取り消し処分を撤回した。当然のことながら喜ばしいことである。
ところが話はそれに終わらずタクシンはメディアに対するいやがらせの手を緩めず、今度はマネー・ロンダリング「不正資金の洗浄」という容疑を勝手につけ、目をつけているジャーナリストたちの預金口座を調査したりし始めたとのこと。
また、軍(チャワリット副首相の影響下にある)が電波の配給権を持っていることから、ネーション紙グループの放送部門に圧力をかけ「タクシンに批判的な政治評論家とのインタビュー」番組を放送をさせないようにしたとのこと。タクシンの独裁政治家としての本領が徐々に発揮されてきたようだ。
現地駐在の日系企業や日本人も要警戒である。(3月7日追加)
3.タクシンへの権力集中に国王がクギをさす(02年10月5日)
4. 外資法改正(改悪)の動き(02年10月30日)
1997年の通貨・経済危機のときに作られた経済関係の11の法令が改定されようとしている。そのなかで特に焦点になっているのが「外国人・企業」に関するものである。
特に投資法は外国企業に大きな優遇措置が与えられ、それが国内企業(主に華人資本)を圧迫しているというのが基本的な政府の発想である。
土地の「99年の租借権」を外資に与えたことや、「破産法」が外資の貸し手に有利にできていて、国内の借り手が不利になっているとか、外資の100%所有をみとめているとかといった類である。
外国の大型小売店が入ってきて20万軒の小売業者が弊店に追い込まれたというのも、反外資法促進の理由になっている。
具体的な「法案」はまだ公表されてはいないが、タクシンの反外資姿勢がどの程度反映されるか、今後の動きには注意が必要である。
(03年2月17日追加) 日本の経団連が懸念を表明
経団連のミッションが2月13日に工業相ソムサク・テプスティンと会談し外資法11条の改正問題について懸念を表明した。この問題はナショナリストというよりはタイの華人系地元資本家が経済危機後に民主党政権下で制定された「外資に有利な」法令の改正を迫っている。
この法令では外資の土地所有の自由化、国営企業や金融機関の買収などが認められておりケシカランということらしい。
実際にタクシン政権が今の時期にこんなことをやったらひどい結果になることは明白であるが、予断は許さない。
これとは別に経団連ミッションは財務相スチャートと会談し、自動車や電気製品の部品の関税の低減を求めた。タイ側は低減措置は検討していると答えたが、同時に日本の農産品輸入関税の低減を要求した。
5. 2002年は5%をやや上回る成長。個人消費と輸出が好調。(02年11月30日)
6. タイの農産品輸出をEUがブロック(02年12月3日)
Financial Times(12月3日付け)によれば。EUはタイ産の食糧について任意に品質基準を適用し、輸入を妨害し始めたという。そのため今年の対EUの輸出は12%も減少した。タイ・国際商業会議所は「米国とEUはますます1国主義の傾向を強めている」と非難している。
タイ政府はEUとの話し合いをおこない、自主検査体制を強化しているにもかかわらず、EUはタイ産のエビとブロイラーに対して残留化学物質の検査を今年の1Qから強化し、より強力な検査機器を設置し、個別検査をおこない、通関を遅らせ、コスト増を招いている。
EUの言い分によれば、保護主義の目的で検査の強化をしているのではなく、抗生物質の残存検査はタイでもやっていることだと言っている。
タイ側はそれ以外にもEUは反ダンピング容疑を連発し、タイからの輸入を妨げていると非難している。
確かに、タイの言い分はもっともであろう。しかし、タイをはじめASEANが中国や日本とのFTAのイニシアティブをとったり、「東アジア経済圏構想」などぶち上げたり、「多角的貿易」に反するような動きをしていけば、EU側の反発は今後いっそう強まることは明らかなのだ。
そういう余計なフリクションを避けるためにも、たいした実利にもつながらないFTAなどに熱を上げるのはやめるべきであろう。日本のFTA熱(幸いあまり成果は上がっていないが)と東アジア経済圏熱は異常である。
政治家、役人、御用学者、ジャーナリズム全てが常識をかなぐり捨ててタイコを叩いている(03年1月14日毎日新聞社説「WTO重視だけでは危うい」参照)。野党もFTAの危険性についてどの程度の認識があるのかよくわからない。
こんな風にして、満州事変、中国侵略、太平洋戦争にかっての日本は突き進んでいったのだろうなと思うと背筋が寒くなる。
世界に開かれたアジアであり日本であり続けることこそが世界の繁栄と平和に繫がっていくのだ。小さい利害や、目先の損得にこだわるのは「滅びへの道」である。
7. 舞い上がるタクシン首相(03年1月15日)
8. 台湾の国会議員団19名のビザ発給拒否(03年1月21日)
タイ政府は今度は台湾の国会議員団に対しビザ発給を拒否し、再びこの問題で台湾政府を起こらせる結果となった。議員団は経済と観光を目的としたものであり、国会議員へのビザ発給拒否は前例がなく極めて非友好的であるとしている。
タイ政府の言い分としてはビザ発給そのものは問題がなく、発給事務処理の時間的余裕がなかったといっている。1月14日に申請して19日にはタイに入国するというのはむりだということのようである。しかし、そんな言い訳は納得されないであろう。
21日付けのタイペイ・タイムズは中国の要人(李嵐青副首相の訪タイ日程が近いためであつというタイの新聞(どれかは不明)報道を紹介している。
台湾議員団はタイ、マレーシア,フィリピンの3カ国を訪問する予定であったが、タイを除く2カ国のみを訪問することになった。
これはタクシン政権の「中国一辺倒」政策のあらわれだとして、タイ国内でも改めて問題視されている。現在台湾には13万人のタイ人労働者が働いており、また台湾はタイに対しては日本、香港につぐ3番目の投資国である。
今回の問題に限らず、タクシン政権の「中国一辺倒」的政策はタイの伝統と国益にそぐわないという論説は1月21日付のネーション紙の社説で論じられている。 http://www.nationmultimedia.com 参照。
確かに過去台湾は一貫してタイには友好的であった。だが、タクシンとしてはASEANと中国とのFTAを推進する旗頭でもあり、心情的にも「中国ータイーシンガポール」の華人枢軸構想もあり、「この際台湾などは」という思いが強いのであろう。
タクシンは「タイいかなる環境下においても中国との関係を損なうような危険は犯さない」などという発言をわざわざおこなって台湾側を無用に刺激している。黙っていればタイ外務省の事務方の言い訳だけで済むものを。
9. 2002年の自動車生産は584,951台と過去最高を記録(03年1月29日)
10. プノンペンでタイ大使館焼き討ち事件(03年1月30日)
1月29日、カンボジアの首都プノンペンで学生を中心とする約500名のデモ隊がタイ大使館に抗議行動をしていたが、いつの間にか群集も参加し1,000名ほどになったデモ隊がタイ大使館に乱入し建物に放火し全焼させた。また付近に駐車中の20台の自動車も放火あるいは破壊された。
さらに、暴徒化したデモ隊はタイ人の所有するロイヤル・プノンペン・ホテルに放火し全焼させた。他にタイ資本のホテルが2軒放火された。
それ以外にもタイのタクシン首相の所有するカンボジア・チナワット社(携帯電話と電話事業をおこなっている)の事務所をはじめ、タイ航空、バンコク航空、カンボジア・サマート・コーポレーション(電話と携帯)などのタイ企業の事務所も襲われ破壊された。
また、タイ国王プミポン9世の肖像画も踏みつけられ焼かれるなど、全面的な「反タイ」暴動に発展した。
タイのチャチャウド・チャーツワン大使などは塀を乗り越え、裏の川からボートで逃げ無事だった。タイ政府は大型軍用輸送機を7機派遣し合計約700名のタイ人がバンコクに避難した。
ことの発端はタイのテレビ番組の人気女優でカンボジアでも人気のスワナン・コンジンが「かってアンコール・ワットはタイのものだったがカンボジアに奪われたのでタイに返すべきだ」という歴史的事実とはまるで違う発言をしたとカンボジアのラジオと新聞が報道したことにあるという。
彼女はそんな発言をしていないといい、フン・セン首相も彼女の言い分を認めた。ただし、「彼女はアンコールに生えている雑草にも値しない」と余計なことまで言っている。
歴史的事実はタイのアユタヤ王朝軍が1431年にクメール帝国に攻め入り、首都のアンコールを占領し、多数の僧侶や役人や農民を捕虜としてタイに連れ帰り、文化的にはカンボジア人の僧侶や官僚を活用し、アユタヤ帝国の繁栄の基礎とした。
その後もアユタヤはクメールを保護領とし、19世紀にフランスの進出により保護領の権利をフランスに奪われた。
現在はアンコール・ワットを種にタイ資本が大もうけしている(観光ツアー、航空、ホテルなど)こともカンボジア人に不快感を与えているという。
タクシン首相は激怒し「これはカンボジアで選挙が近づいているので、ある政治家が選挙を有利にしようとする目的で画策した事件である」といっている。それにとどまらず「タイの軍隊を派遣し、治安回復に当たらせてもよい」と一言多い発言をした。
これはさすがに国際法上も問題があるとして軍人上がりのチャワリット副首相が止めたという。マレーシアとシンガポールの水争いひとつをとってもASEANの「地域統合」などという物語は話しが遠いようである。
タクシンは例の調子で弱い相手には歯に衣を着せずフンセン首相を攻撃し、損害の全額弁済をするまでは外交関係も元に戻さないという趣旨の強硬発言をしている。
フン・セン首相はタイ政府に対し謝罪しているが、目下のところ両国の外交関係は中断されている。カンボジア人のタイへの入国は国境で差し止められている。(これらの事態は2月4日頃から徐々に緩和されている)
おそらく日ごろタイの企業やビジネス・マンがカンボジアに大挙進出し、タイ製品も市場にあふれカンボジア人の神経を逆なでするような小事件が積み重なって今回の事件に発展したものであろう。カンボジア人の多くは日ごろタイ人から「犬」などと呼ばれ侮辱されていると考えているという。
1970年初めごろバンコクで起こった反日運動や、1974年1月の反日暴動と似たような性格の事件であろう。
人民日報(1月31日付け)によると 中国政府の外交部王毅副部長はタイとカンボジアの両国大使を呼びつけ、事態の速やかな収拾を強くアピールしたという。従来から内政不干渉を国是としている中国の今回のこういうやり方は「アジアの盟主気取り」だとして注目をあびている。
なお、1430年のアンコール制圧以降のタイとカンボジアの歴史については2月3日付のタイのネーション紙の中で、Chang Noi (小象というペンネーム)氏が”Bad Histrory and good neighbours (悪しき歴史と、善い隣人)”というなかなか読ませるコラムを載せている。
チャン・ノイの解説のあらましを紹介すると:
1594年にアユタヤ王朝のナレスアン王はクメールに攻め入り、ヨーロッパから手に入れた鉄砲とヨーロッパの武装船の応援をえて数千人のクメール人を殺戮し、稲を焼き払った。捕らえられたクメール王は首をはねられ、ナレスアンはその血を金の盆に入れ、そこに自分の足をひたして快哉を叫んだという。
アユタヤ軍は3万人の捕虜を引き連れ凱旋した。チャンノイはナレスアン王はクメール王を「捕虜にして連れ帰った」はずであり、この血なまぐさい話しは後世の作り話であろうといっている。
1768年にビルマがアユタヤ王朝を滅ぼした後タクシン将軍(父は中国人)はビルマ軍を追い払った4年後、クメールに侵攻し、プノン・ペンを焼き払った。これはビルマ軍がアユタヤを焦土と化したのと同じことをやってのけたのであった。
しかし、その後はヴェトナムがクメールに侵入し、1840年には3万5千の軍を派遣するなどしてカンボジアの南部を手に入れた。
バンコク王朝(現王朝)はカンボジア北部=バッタンバン、シソフォン、シエム・レアップ(アンコール所在地)などを支配していた。バンコク王朝はプノンペン王朝の王の任命権を握っていたこともあったが長続きはしなかった。
後に、カンボジア人はフランスが進出してきたときにはタイをアンコールから追い払ってくれることを希望していた。しかし、1867年にフランスがカンボジアを支配下に置いたとき、タイはアンコールを含む北部カンボジアを保護領とし続けた。
1907年にはフランスが北部カンボジアもタイから奪い取ってしまった。
1930年代に入るとタイはピブン政権(軍事)下で失地回復を目指した。タイとクメールの同一性を説いたりして国際的にも多少の同情を集めた。
日本軍が仏領インドシナに進駐を始めると、タイ軍は行動を起こし、1941年1月16日にフランス軍と戦い優勢に戦闘を進めた。結局、日本軍が仲介に入り、タイはバッタンバン、シソフォン、シエム・レアップを手に入れたがアンコールは除外された。
第2次大戦後、タイのカンボジア領は全て取り上げられてしまい、現在の国境線が画定された。
11. 突然の内閣改造、プラチャイ司法相、ソムキット財務相を解任のうえ副首相に棚上げ(03年2月9日)
12. 麻薬取締り大量虐殺事件. 麻薬取締り開始、50日間で密売人約1,900人が殺された(03年3月27日)全体の死者は2,500人以上。
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13. 富士通の新HDD投資への投資特典供与を保留(03年3月17日)
タイの投資委員会は富士通の新しいハード・ディスク・ドライブ(HDD)設備の投資について、投資委員会の要求基準に満たないとして、投資にかかわる免税措置などの特典を供与を保留している。
富士通(タイランド)は従来がたより小型(3.5→2.5インチ)のHDDを生産するための研究開発投資(1.6億バーツ=約4.3億円)をおこなおうとしたが、投資委員会は判断が難しいとして特典供与に難色を示している。
なお富士通はすでにタイのHDD工場では8,000名の従業員を雇用していたが、最近パトゥム・タニ工場の一部を米国のウエスタン・ディジタル社に売却し、リストラうをおこなった。しかし、この新HDD工場の稼動によって3年後には2,500人の雇用が追加されるという。
また、投資委員会はヒューレット・パッカード社がプリンター工場の新設(31億バーツ=約84億円)の申請をおこなったところ、やはり投資委員会は特典供与を拒否した。
一方、投資委員会は最近Mec Tec Manufacturing Corp(Thailand)のフレッキシブル・プリンテド・サーキットの生産設備(15.8億バーツ)には認可を与えている。雇用予定は1,000人である。
今回の投資委員会の態度は、結果はどうなるかわからないが、ハイテク企業の投資にたいしてかなり選別的であり、タクシン政権の外資にたいする冷淡姿勢の表れではないかという疑念をもたれている。(03年3月17日、http://bangkokpost.com 参照)
(タクシン政権の外資政策については本ページの項目4参照。)
14. タクシンの従兄弟が年末には陸軍司令官に-独裁体制強化?(03年3月20日)
15. タクシン企業の脱税告発の証人が殺害される(03年3月28日)
16. タクシン強気の経済目標(03年4月8日)
17. 民主党の新党首にバンヤート氏、次回選挙で惨敗確実に(03年4月21日)
4月20日におこなわれた民主党の党首を選ぶ党大会で、民主党右派のベテラン政治家のバンヤート氏(61歳、タマサート大学法学部卒)が僅差(163:150票)で若手のアビシット氏(38歳)を破り、チュアン・リークパイ前党首の後継者となった。
バンヤートはカリスマ性のない、ごく平凡なベテラン政治家で副首相の経験はあるものの国民的な人気はゼロに等しい。民主党の地盤ともいえる南部出身である。
なぜ、バンヤートが勝ったかといえば、反アビシット派の保守派グループのサナンとプラディットの後押しによるものである。民主党にはサナンという元書記長で元軍人あがり金権体質の右翼政治家がいて隠然たる勢力を持っている。
彼は、政治家の財産申告で不正申告をおこなったため、目下5年間の「公民権停止」状態で、公式政治活動はできない。しかし、サナンの子分でやり手のフラディット(46歳)が専ら活躍している。
プラディットが目下民主党の金庫番的存在といわれているが、鉄道建設の汚職関与が取りざたされるなど、いまいち評判がよくない。
バンヤートはサナンとプラディットのいわば「傀儡(かいらい)」であるというのは衆目の見るところである。バンヤートは民主党の新書記長に、プラディトを選んだ。新執行部はバンヤート派で固められた。
国民的人気の高いハンサムなオックスフォード大学卒のアビシットは副党首の1人の地位にとどまり、出番は事実上なくなってしまった。
アメリカでブッシュが僅差で、大統領になったおかげで、アメリカはとんでもない方向に進みつつあるが、バニャンの率いる民主党はタクシン率いるタイ・ラク・タイ党に対して対抗手段は何も持たない政党になってしまった。
金権体質のパットしない政党に成り下がったといえよう。この結果を最も喜んだのはタクシンであろう。タクシンの天下は当分続き、タイは東南アジアのなかでもたいした魅力のないファシズム的国家の道をたどることになりかねない。
民主党の良識派党員の困難な闘いはこれから始まるであろう。そして、いつかは彼らが勝利するのである。それが戦後のタイの政治史の教えるところでもある。好漢アビシットの自重を望みたい。
18. 巨額負債を抱えたTPIのオーナーが破産裁判で勝利(03年4月24日)
タイの民間石油化学会社である Thai Petrochemical Industry Plc(TPI) は先ごろの通貨・経済危機の際、37億ドルもの巨額負債を抱えて倒産した(現在27億ドル)。
債権者団は債権の株式化により75%の株式を保有し、経営を Effective Planners Ltd (EPL) に委託し、操業をおこなってきた。ところが、操業率が思うようにあがらず、予算コストが達成できなかったのはEPLの不手際であるとして、前のオーナーであるプラチャイがEPLを排除しプラチャイに経営権を戻すよう訴訟を起こした。
ところが、この訴訟で、大方の予想を覆して、プラチャイが勝利するという、インドネシアの裁判所並の判決を「中央破産裁判所」が下した。
それによって債権者の代理で、TPIの経営に当たっていたEPL が排除され、経営権が一時的にせよプラチャイの手に戻るという債権者に一方的に不利な判決が下された。そもそもEPLをどうするかというのは委託した債権者団が決めるべきことである。
プラチャイは計画通りの増資の払い込みもできず、再建計画の足かせになっている元オーナー兼経営者であり、現在は12%の少数株主であり、債権者団を飛び越してEPLの排除を訴えること自体異常である。
EPLは控訴することは間違いないが、再建途上の企業に余計な混乱をもたらした裁判所の判断に債権者団は困惑している。
これは債権者団がEPLに代わる経営主体を決める間の措置とはいえ、プラチャイが何をしでかすかわからない人物であると考えられており、債権者側にとっては大きな打撃である。
TPIは現在運転資金1億ドルが不足しており、債権者団は既に8千万ドル拠出し、残額についてのネゴをしている最中であるが、それも暗礁に乗り上げることになりかねない。その手当てがつかなければ7,000人の従業員の給与支払いにも影響するという。
この件についてAsian Wall Street JournalのShawa W. Chispinしは4月23日付の解説で、「タクシン政権になってから外資への風向きが変わってきた中での判決であり、外資の信頼を損なうものである」と論評している。
この判決はタイの破産裁判所への国際的信用を失墜させるものであるという厳しい見方が出てきて当然であろう。裁判所と政府は別ではあるが、たしかにタクシン政権は「地元資本の救済という使命」を帯びた政権であるといえるかもしれない。
タクシンはTPIと債権者との仲介を買って出ても良いなどといっているらしいが、語るに落ちる話である。タイは最近後退の一途である。4月24日になって、財務相のスチャートがタクシンから「調停人」になるように「任命」されたという。
ちなみに、主要な債権者は地元最大手の銀行であるバンコク・バンク、アユタヤ銀行。米国の輸出入銀行、シティバンク、世銀のIFCなどである。
5月9日になってタクシンはTPIの経営チーム再編について、プラチャイの息のかかった人物を採用するように干渉してきた。筆者はタクシン政権は「地元華人資本家救済という使命を帯びて登場した」と書いたが、まさにその通りになっている。
タクシンはTPIの元オーナーのプラチャイに明らかに肩入れしており、「TPIはタイ人の企業であることが望ましい」といっている。外国の債権者にとっては容易ならざる事態になってきた。(5月12日)
さらに、債権者にタクシンの無法行為が加えられようとしている。というのは今後のTPIの経営委員会は債権者とプラチャイ側の委員を7名ずつとし、委員長に政府使命のものを据えるという案がタクシンから出された。
これは明らかにタイの破産法に違反しており、破産法では委員は債権者に一方的に決定権がある。(5月14日)
5月16日(金)夜になって、たい財務省は異例とも言える声明を発表した。それは「タイ政府は外国の債権者の権利を尊重する」という当たり前すぎる内容のものである。
その数時間前、タクシンは「TPIの経営陣(元オーナーのプラチャイを指す)にとって受け入れがたい負債返済計画処理者を選ぶなら、それはとんでもない時間の浪費であろう」などと余計なことをいきまいていた。
このような、一方的に債務者(プラチャイ)よりの発言を一国の首相たるものがおこなうというのは、異常としか言いようがなく、各国の債権者や大使館から強い反発があったものと予想される。
そのタイが日本よりもビジネス環境が上だなどというトンチンカンなレポートが発表され、日本でも報道された。タイ人はそれを結構喜んでいるらしい。「いいじゃないのシアワセナラバ♪♪」といったところか。(03年5月18日)
19.SARS騒動で宝石の売上は激減(03年5月11日)
今回のSARS騒動では何故かタイの罹病者は7名と少なく、死者は2名にとどまっている。タクシン首相の神通力が利いているのであろうか?マレーシアもフィリピンもインドネシアも目下のところ罹病者は10名以下である。
ところが、タイ宝石商組合のスネー女史によれば、香港、中国、シンガポールからの観光客が激減しているため、国内の宝石販売は昨年比20%減の200億バーツ(約560億円)に減る見通しであるという。
しかし、輸出はSARSの影響はさほどみられず、昨年比15%増の1,000億バーツが見込まれるとのこと。
また、スネー女史は2007年にはタイの宝石輸出はタクシンのご託宣によれば2,000億バーツに達する見込みであるという。そのために宝石加工業者への付加価値税(VAT=通常7%)は免除される。
20. 日本の自動車メーカーが投資拡大(03年5月24日)
来日中のソムキット副首相は5月23日、日本の自動車メーカーは180億バーツ(約504億円)の投資をタイでおこなうであろうと語った。
三菱自動車は100億バーツを投じて、ピックアップ・トラック(1トンの小型トラック)の工場を増強する。ホンダは8億バーツをかけて研究開発施設を増強する。トヨタは50億バーツをかけて研究開発投資をおこなう計画であるという。
22 タイの鉄鋼業の話題
22-1. 熱延薄板の関税大幅アップ、自動車、電機メーカーに打撃(03年5月26日)
22-2 サイアム・ストリップ・ミル社のトリック(03年6月11日)
22-3 反ダンピング税撤廃にSSI抗議(04年3月13日)
23. タクシン今度はマファイア退治に挑戦(03年5月28日)
24. ホンダの2輪車はマイクロ・ソフト同様シェアが高すぎる(03年6月4日)
やや旧聞で恐縮だが5月13日付のThe Nation にホンダの自動2輪車の子会社、APホンダのマーケットシェアが現在70%を越えているとして公正取引委員会(アディサイ商務相が委員長)は「取引および競争法」に違反していると4月末に満場一致で決定を下した。
法律に基づき提訴されるが有罪となれば300万バーツ(約840万円)以下の罰金か3年以下の禁固刑に処される。
ホンダのシェアは1990年には38%であったものが96年には52%となり、2002年には74%にまで上昇しているという。タイのモーター・サイクルの国内需要は約130万台である。
ホンダ以外にはスズキ12.5%、ヤマハ10%、カワサキ2.5%の日系3社があるが、最近カワサキから独立してタイガー・モーター社という地元企業が登場した。こうなるとたちまち、タクシンはハッスルし、アディサイに命じてホンダ叩きを始めたものと思われる。
タイガーの言い分ではホンダは代理店に対しホンダ製品以外は扱わせないのがケシカランということらしい。しかし、もともと代理店というのはそういうものであるし、タイガーが必要なら自分で販売店を作ればよいだけの話しである。
民主党政権下ではおよそ問題になりえなかったことがタクシン政権下では次々に問題化するのはいかがなものであろうか。次にはタイは中国からの安いモーター・サイクルの大量輸入をおこなう可能性がある。
APホンダは5月13日付けで詳しい説明を求める文書を役所に提出しているが、商務省からは何の説明も聞いておらず、現在の経営方針を堅持するのみだと語っている。
(6月7日追加)ホンダは1997年に環境対策と燃費向上に寄与する4サイクル・エンジン車を投入してから、売上が伸びているという。また、今年は180万台のタイの市場で140万台(78%のシェア)を販売する見込みだという。
本件についてソムサク工業相は商務省のやり方に批判的で、ホンダの立場を支持しているという。
25. サイアム・ストリップ・ミル社のトリック(03年6月11日)⇒22-2に移行
26. タイでイスラム過激派ジェマー・イスラミア・メンバー(?)3名逮捕(03年6月14日)
27. 借金漬け地元資本救済のため1,000億バーツのエクイティ・ファンド発行(03年6月18日)
タクシン政権はTPIやSSM(鉄鋼)といった多額負債に苦しむ、地元華人資本を救済するために1,000億バーツのエクイティ・ファンドの発行を計画している。これはバユパク(フェニックス)・ファンドと名付けられている。
計画によれば30%は財務省の遊休資金を使い、40%を金融機関が買い取り、残り30%を一般に販売するという。
これに対して、政府が経営に失敗した民間企業を救済するのは、政府の「中立性」を損なうものであるという反対論が根強く存在するが、タクシン政権の使命は経済危機で破綻しかかっている「華人資本救済」にあり、これぐらいは当たり前という感覚であろう。
採算の良くない企業に貸し出されることに対する不安はぬぐいきれず、たとえ政府の保証が付いても、利率はあまり期待できないという声が、金融筋からは早くも出始めている。
⇒(03年8月3日)フェニックス・ファンドで株式投資?
このフェニックス・ファンドは政府によって株式市場で運用されるようである。スチャート財務相によれば、国民的利益が脅威にさらされるような自体になれば、政府はこのファンドを使って市場に介入するという。
しかし、株式市場の引き上げを狙うというよりは、一般大衆の株式市場への参加の促進を狙っていいるという。
これはシンガポール政府の「シンガポール投資公社」を見習ったものである。
これに対し、元財務相のウイラポン氏は1,000億バーツの資金は、タイの小さな株式市場に与えるインパクトが大きすぎるので、慎重な運営が望まれるとしている。
話しが、妙な方向に進みつつある。株式投資で失敗したらタイ政府はどうするのであろうか?そのときは納税者以外に負担する人間はいない仕掛けになっている。
⇒(03年8月26日)Economist紙がフェニックス・ファンドを批判
ロンドン・エコノミストは8月23日号でこのフェニックス・ファンド(タイ語でバユパク=Vayupak)構想を批判する記事を掲載した。
バユパクによって第1段階は財務省が抱えている株式を買うというものである。財務省の抱えている株式とは不良債権としてTAMC (タイ資産管理公社)が民間銀行から買い取った株式であり、当然買い手は少ないか、もしくは誰も見向きもしない。
これを政府が買うことによって、人気が高まり、誰か買い手がつけば政府にとっては願ったりかなったりである。
第2段階は財務省が市場から民間の株式を20%を限度として買うことである。これによって不当に投売りされる民間企業の株式を買い支えることができるという考えである。
この株式売買によってバユパック・ファンドが仮に損をしてもファンドを買った投資家には預金金利に1%を上乗せした金額で10年後に政府が買い戻すから、投資家は絶対に損をしないという結構な話である。
仮にバユパックが損金をだしたら、そのときは政府が尻拭いをするーすなわち税金で補填するというものである。タクシン政権ならではの発想である。
こういうファンドの運用は先進国では最近見られない。なぜなら、リスクを納税者(国民)に押しかぶせるようなやり方は「民主政治」体制にそぐわないし、運用の「透明性」も確保できないからである。
タイの国内でも批判が起こって当然であり、タイではナンバー・ワンといわれる経済学者アンマール・シアムワラ博士(TDRI=タイ・開発調査研究所)も批判の声を上げている。
⇒バユパク資金を使って株式市場にテコ入れ検討(04年8月16日)
最近のバンコク証券取引所の平均株価指数が600ポイントを割り込むなど、石油危機をきっかけにして急激に値下がりしてきた。
それを受けて、バユパク(フェニックス)ファンド運用委員会のオラン・チャイプラバット(Olarn Chaipuravat)委員長は株式市場へのテコ入れ資金として200億バーツ(約530億円)用意しており、投資を現在検討中であると述べた。
バユパク・ファンドは投資対象銘柄を安全性の比較的高い26銘柄に絞っているが、銘柄を拡大することも検討しているという。
どの銘柄を買うかについては検討中であるとしながらも、バユパク・ファンド会長のソムチャイヌク氏はクルンタイ・バンクやサイアム・シティ・コマーシャル・バンクなどは良い銘柄であるなどと述べている。
特にクルンタイ・バンク(国有)は最近不良債権が増えており、警戒感がもたれている銘柄である。語るに落ちるとはこのことであろう。*関連記事は#64-5にあります。
28. 03年1Qの経済成長は6.7%(03年6月18日)
29. タイ中央銀行は6月27日に公定歩合を0.5%引き下げ(03年6月28日)
30. 外資を呼び込むために機械、中間材料などの輸入関税を大幅カット(03年7月19日)
タイ政府は外国資本の投資を誘引するために、関連の輸入関税を大幅カットすることを決めた。2005年1月から、原材料は平均7%⇒1%に、半製品(中間加工材料)は12~13%⇒5%に、完成品は10%にするということである。
ただし、酒類や農産品などは従来どおりである。
タイの関税は全般に高めであり、平均すると15%程度といわれており、これを先進国並みの2~3%にしたい考えである。
これはタクシン首相とタイ産業連盟の幹部との話し合いで決まったそうである。最終案は今年の10月に財務省が纏めることになっている。
しかし、タクシンの地元華人資本優遇策が今日までのように露骨に出てきている段階で、タイに積極的に出て行くという外資はさほど多くないであろう。
31. 中国から安いエアコンがタイ市場に流入(03年7月30日)⇒37に移行
事実上、中国と生産コストがあまり違わないはずなのに、価格にして30~40%安い値段の家庭用エアコンやモーターがタイに流入してきて猛威を振るっているという(バンコク・ポスト、7月30日付)。
エアコン用モーターにいたっては、タイの製造コストが40ドルであるのに対し、中国製は20~25ドルであるという。
中国としては、現金で外貨が稼げれば、多少コスト割れしても(全部原価がカバーできなくても)輸出すれば、それだけ資金繰りもよくなるし、多分政府からの助成も受けられる(タイ業者の主張)。
たとえば、中国は、輸出については、付加価値税や消費税の戻しが15%あるという。そのため公定レート(1ドル=8.277人民元)よりも実際上はより多くの人民元を受け取れる仕組みになっている。
また、人民元はドルと事実上固定相場になっており、最近のドル安傾向により、輸出には有利に働いている。
ということで、中国企業は思い切った価格で、エアコンに限らず、カラーテレビやモーター・バイクなどで東南アジアの市場を荒らしまくっている感がある。
アメリカでもITC(国際貿易委員会)は中国製(およびマレーシア製)のカラー・テレビに対し、ダンピング調査の結果、「クロ」の仮決定をおこなった(03年6月16日)。
この決定を受けて米国商務省はダンピングの有無についての調査に入っている。(詳しくはジェトロ、通商弘報03年7月3日号参照)。
タクシン首相の音頭とりでASEAN-中国のFTAなどが正式に締結されれば、結果はどうなるか自明である。ASEAN内ではインドネシア、フィリピン、マレーシアなど早くも「腰が引け」始めており、タイのみが中国との2国間協定を進めようとしている。
先ごろ、農産物200品目のみの自由貿易協定が結ばれ、10月1日から発効の運びとなり、タクシンとしては、得意満面であるが、工業品についてそれをやれば、大量の失業者が出るのは必至である。
タイは「反ダンピング法」の適用で、被害を緩和しようとしているが、うまくいく当てはない。
32. IMFの救済からの離脱ーVATは7%維持(03年8月1日)
7月31日にタイはIMFの救済体制からの離脱に際し、タクシン首相はVAT(付加価値税=消費税)は絶対に現行の7%から引き上げないことを強調した。
タイは1997年の通貨危機に際して、IMFから160億ドルの緊急融資をうけたが、その際のIMFのコンディショナリティ(融資条件)が厳しすぎて、タイは経済恐慌に陥った。
そのなかに、VATを7%⇒10%に引き上げ、消費を抑制しろというメニューが入っていた。すでに96年から不況局面に入っていたタイ経済は一連の緊急引締め政策によって98年のGDPは実に-10.5%にまで落ち込んでしまった。
その後、輸出産業のリードによって経済は徐々に回復したことは上に述べたとおりであるが、念願かなって期限の2年前に借金を完済した。
タクシンは今日、国民に国旗を掲揚して祝うように言っている。タクシンのナショナリズムの強さにはかねて批判があるが、タクシンはそんなことはお構い無しである。
8月1日には公務員にタダの弁当をくばるはしゃぎようである。誰のおかげでココまで来たかを考えてもいないようだ。また、誰のせいでIMFの救済を受けなければならなくなったのであろうか?
はっきり言って、地元の資本家が不動産投資に狂奔したためである。バブルの崩壊に地元資本家と金融機関が耐えられなくなったのである。(詳しくは拙著「東南アジアの経済と歴史」日本経済評論社刊をお読みいただきたい。)
通貨危機に先立って、当時の政府の高官が「バーツ売りをタイ国民に禁止」しておきながら、自分達は裏でバーツ売りをやり(完全なインサイダー取引)を行ったという風評があり、現地の新聞にも書かれていた。
そのときの首相が現副首相のチャワリットであり、副首相が現首相のタクシンであったというのはいかなる因縁であろうか?
IMFの借金を返せたのだから「さあみんなでお祝いだ」などと言うはしゃぎようは異常である。IMFもやり方が悪かったかもしれないが、タイ経済の体質改善のために、タイ政府とともにそれなりの努力をしてきたことだけは認めなければならない。
タクシンの独善主義はさらに驚くべき発言となって現れる。「債務者=地元華人資本と債権者(?)とを救済するために破産法を改正する」というのだ。
債権者は破産法を厳格に適用してくれる裁判官がいればいいのだ。ところが先ごろのTPIの判決は一方的に債務者プラチャイの言い分を鵜呑みにしたものだといわざるを得ない。外国人はほとんどみんな呆れ、しらけているのだ。
こんな判決が出るようではタイは国際的な経済社会でまともに生きてはいけなくなるであろう。
外国企業にとって、これからタイの「投資環境」は次第に悪くなっていくであろう。タクシンは外資がお好きでないことだけはどうも確かなようだ。
33. タイの不良債権はさほど減っていない(03年8月20日)
タイ銀行総裁プリディヤトン(Pridiyathorn Devakula)は19日の講演会で、タイの銀行の抱える不良債権は02年12月末で7,720億バーツ(1バーツ=約2.85円)あり、02年の6月末の8,430億バーツに比べ710億バーツしか減っていないと述べた。
スタンダード・アンド・プアーズの見方によればタイの銀行資産の約30%が不良資産ということである。
タクシンは民間銀行に対し「不良債権問題を何とかしろと再三言ってきたが彼らは何もしない」と怒っている。
やりたいのはやまやまだができないものは仕方がない。タクシンは不良債務者である地元華人資本を保護しておきながら銀行に何とかしろなどといっても仕方がないことに気づいていないのであろうか?
民間銀行が破産裁判所に不良債務者を提訴しても一向にラチがあかないのは裁判官の姿勢にだけ問題があるとは思えない。
ここに来て民間銀行の融資が徐々に伸びてきており、02年の上期の伸び率は2.6%、下期は2.67%であったのに対し、03年上期は7.3%の伸びを示している。
これは個人消費が伸びていることや住宅建設需要が旺盛になっているためである。しかし、製造業の設備投資は地元資本にカギって言えばさほどの伸びは示していない。依然として外資頼みである。
34. タイとシンガポールが協力すれば2020年以前にASEANは単一市場になれる?(03年9月7日)
タクシン首相はAPECを前に特にシンガポールを訪問しゴー・チョゥ・トン首相に会い、事前協議をおこなった。華人意識の強いタクシン首相になってから、シンガポールと中国の3カ国の連携は急に強くなったように見える。「血は水よりも濃い」といったところか?
タクシンとゴー・チョク・トンは共同記者会見をおこない、「ASWAN経済共同体」結成を推進していくことを宣言した。
ASEANを「地域統合論」などという言葉で語る愚かしいノーテンキ学者が日本で幅を利かせているが、最近ASEANは見掛はともかく、「関税同盟」という本来の姿すら色あせつつある。
その最大の原因を作っているのが、タイとシンガポールである。シンガポールは製造業の競争力がなくなってきて、極度の不況に見舞われているにせよ、米国とFTAなど勝手に結んで「先進国ぶり」を誇示している。
タイはASEANの仲間より、中国に帰属意識をあらわにして、中国の「第2バイオリン」をもって任じている。
こういう両国の態度に他のASEAN諸国は苦々しい思いでいることに、この両国は気づいていないようだ。要するに彼らのカルチュアーには他国への思いやりがないのだ。
この両国は既に発足している「アジア・ボンド基金」を拡大し、同時に2国間でシンガポールのタマセク・ホールディング(Tamasek Holding=国営企業の持株会社)とタイの政府年金基金が協力して、周辺国に投資機会を見つけていこうということが話し合われた。
仲良きことは美しきかな!!ただいし、華僑・華人の間だけではいかがなものか?
35. 化粧品、アルコール、エアコン、衣類に輸入規制強化措置(03年9月9日)
タイは輸出の好調を背景に、雇用が増加し、国内景気も盛り上がりをみせている。特に8月は輸出が前年同月を10%以上上回り、70億ドルを超え史上最高を記録した模様である。
しかし、タイ政府(商務省)は化粧品、アルコール、エアコン、衣類などの輸入についていっそうの規制を強化することを検討している。
たとえば、化粧品については健康に害がないという証明書のほかに、内容成文についてタイ語で説明されているラベルを添付することやアルコールについても「保健証明(ヘルス・サーティフィケイト)」をつけ、原産地証明をつけろという。
酒が健康上無害であるとはいえないが、ともかくそれに類する証明書がいるらしい。
エアコンや衣類はタイの主要な輸出品目であり、これらに輸入制限処置をとるというのはいったいどういうことなのか理解に苦しむところである。
具体的には、衣類については皮膚に有害な漂白剤が使われていないかどうか調べるらしい。エアコンについては「省エネ」機器でなければいけないらしい。
問題は、これらの措置が「輸入抑制目的」でとられるということを商務相が公言していることで亜sる。相手国が同様な措置をとったらタイにとって不利益は明らかである。
商務省は、「タイ製品を買おう」というキャンペーンを実施中であり、タクシン政権が続く限り、それは強化されるであろう。そうなると、タイと下手に「自由貿易協定」など結んでも、どれだけ効果があるか疑問である。
36. タクシンの30バーツ診療制度にホコロビが出始める(03年9月21日)
37. タイのFTA
37-1. 対中国関係
⇒200品目についてFTA合意(03年6月1日)
⇒タイと中国のFTA交渉のその後(03年9月29日)
⇒タイの農産品の中国への輸出は思惑通りには行かず(04年3月1日)
⇒中国の農産品に圧倒されるタイ農民(04年3月8日)
37-2. 対米国関係
⇒タイと米国のFTA交渉はシンガポール方式では問題あり(03年9月29日)
⇒米国とのFTA交渉が難航-農産物に問題?(04年1月27日)
⇒米国とのFTAによって安いエイズ薬が生産できなくなる?(04年7月13日)
37-3.対日本関係
⇒ 日本ータイのFTAで全中農幹部が例外規定要請(04年4月8日)
⇒タイ側、自動車部品の輸入自由化に難色(04年9月3日)
37-4. 強まる農民の反対運動(04年7月4日)
39. カゲリの見えてきたタイ経済(03年10月1日)
40. APEC宴の後(03年10月23日)
APEC首脳会議は10月21,22日にバンコクで開催され、タクシン首相が国内の治安,清掃をはじめここぞとばかり大活躍をして、テロ事件もなく無事に幕が下りた。しかし、会議そのものはタクシンの大騒ぎの割にはたいした成果は上がらなかった。
WTOのカンクン会議の失敗の直後だけに、自由化問題もいまいち盛り上がりに欠けた。
今回、タクシンは了見の狭いところを、世界に晒してしまった。というのはAPEC首脳会議にはWTOの事務局長をオブザーバー参加させる慣わしであったが、その前例を破って、スパチャイ事務局長をシャット・アウトしてしまった。
スパチャイを各国首脳と接触させないように、タクシンはあらゆる手段を使ったといわれる。また、スパチャイがタイのテレビに放映されないように特段の注意を払ったという。
スパチャイは民主党の前の副党首であり、タクシンよりも国際的には人望があるといわれている人物である。このタクシンの行動は各国首脳の顰蹙を買ったことは確かである。
スパチャイは会場には来ており、結果的に主要国国の首脳と個別に会談した。そして、「自由かつ公正な多角的貿易」を目指すWTOのドーハ・ラウンドの成功にAPEC参加国はこぞって協力しようということで意見の一致をみた。
タクシンによってのけ者にされたスパチャイはWTO事務局長として、ベストの成果を上げた。
APECの共同宣言としてはこの地域のテロ対策をきちんとやろうという政治的宣言が出されたにとどまった。北朝鮮問題は共同宣言から外され、議長が口頭でコメントを加えるにとどまった。ロシアと中国が共同宣言に入れることを拒否したためであるという。
タイはFTAをアメリカやオーストラリアやチリと結ぼうなどという話しをして、はしこく立ち回ったが、韓国の盧武鉉大統領は「自国の農業問題の構造改革が先決」だとして消極的態度であった、
タクシンのFTA熱に国内から危惧の声が出始めているという。タクシンは明らかにWTOに背を向けているが、中国とは工業製品でまともに競合しあい、すさまじいことになることは自明である。アメリカにもバイオや金融でおしまくられるであろう。
ちなみに、タイはこの会議のために11億バーツ(約30億円)の出費があったという。
この辺の事情については24日付のタイの英字紙ネーションで詳しく論評されている。 http://www.nationmultimedia.com
41. 外国人に対する居住ビザ、ワーク・パーミットを大幅値上げ(03年10月24日)
タクシンの排外主義政策はますますエスカレートしてきた。外国人すなわち外資は歓迎しないという基本的態度である。
外国人が駐在員としてタイで働くには「居住ビザ」と「労働許可証=ワーク・パーミット」が必要であるが、今年の8月28日から居住ビザは最大4倍近くにまで引き上げられた。これは20年ぶりの引き上げである。
居住ビザは従来5万バーツであったものが19万1千バーツに引き上げられた。タイ人と結婚している外国人または未婚の20歳以下の子供は1人9万5700バーツの支払いを必要とするという。
1バーツ=2.8円として計算すると、夫婦で107万円というベラボーな金額になる。
労働省の係官は「外国人がこれ以上タイに入ってくるのを困難にするための措置である」と語ったいるという。(10月4日付けネーション)
私自身、この話しが本当だとはとうてい信じられない。後日、訂正記事が書けることを祈りたい。
42. 個人の負債が急増ー韓国経済の二の舞の不安台頭(03年11月9日)
43. タクシンの内閣改造ー中国シフト明確に(03年11月10日)
44. タイ・ラク・タイ党の書記長の一族、ネーション・グループの株式を20%取得(03年11月16日)
45. タクシン一族、航空業界に進出、許認可はお手盛りで(03年11月16日)
46. 顔役政治家,違法伐採のチーク材10万本を湖水に沈めて隠す(03年11月30日)
サムット・プラカン県(バンコクの隣)の有力政治家の所有する会社10万本のチーク材をチェン・セン湖に沈めて隠していたことが発見された。金額換算すると約3,000万バーツ=8,500万円)である。
これらは1998年にビルマで違法伐採されたものがタイに持ち込まれたものであるということになっているが,実際はタイの西部のタク県のサルウィン国立公園の自然林から盗伐されたものであることは確実視されている。(バンコク・ポスト,03年11月29日)
たがし,5年間も湖水に漬けておくと,さすがのチーク材も腐り始めてきて,湖水が汚れ,異臭を放ち始め,付近の住民が騒ぎ出したのが発覚の原因であるとのこと。
名前はいずれ表面化するであろうが,この手の悪徳政治家が地元で君臨してきたのがタイの歴史である。その点,タクシンの政党タイ・ラク・タイは比較的こういう古手政治家は少ないのも前回選挙で圧勝した理由であろう。
47. 国王が誕生日の記念放送でタクシンに苦言(03年12月5日)
48. タクシンのチナワット・テレコム社がDBSと組んで消費者金融部門に進出(03年12月13日)
50. 南タイ・イスラム地区の騒乱(04年1月5日~)
51. 三星電子とLGはタイに投資拡大(04年1月12日)
韓国の三星電子はタイにR&Dの拠点を設置すべくタイ政府と折衝を始めた。研究センターではIT関連のソフト・ウエア開発を行う。はじめはテレビを手がけ、従来型テレビからフラット型テレビの開発をおこなう。
また2億ドルを投じて既存の工場の拡張も行い、タイを東南アジアの生産拠点とする。三星の工場はラヨン県(自動車メーカーの進出が多い)にあり、当面、電子レンジ工場を新設するが、ついでフラット・テレビやコンピューターの生産も行う。
いっぽう、韓国のLGグループもインドネシアで大々的に投資することをあきらかにしているが、タイの生産能力も増強する考えで、現在は洗濯機とテレビの生産を行っているが、来年は電子レンジと冷蔵庫の生産を開始する。
52.タクシン一族の株式時価総額1兆円を超える(04年1月22日)
53. タクシン主義の本質についてータイの研究者グループの討論(04年1月22日)
54. タイの鳥インフルエンザ
55. 米国とのFTA交渉が難航-農産物に問題?(04年1月27日)→37に移行
56.iTV
56-1. タクシンが乗っ取ったiTVテレビの免許料を大幅引き下げ案に世論の批判(04年2月7日)
56-2.iTVの免許料大幅減免取り消し判決(06年5月11日)
57.
タクシンがビルマ軍事政権に対して軟弱なのはなぜかー米国上院議員(04年3月7日)
58. EGAT(タイ発電公社)の民営化は労組の抵抗により無期延期(04年3月8日)
タイのEGAT(Electricity Generating Authority of Thailand=タイ発電公社)についてタクシン首相は前々から大変な熱意で民営化を行おうとしてきたが、同社の労働組合の強い反対運動にあって4月末に予定していた株式公開を無期延期した。
プロミン・エネルギー相によれば4月末のIPO(株式公開)はスケジュール的にタイトなので延期するということである。
しかし、実際は市民を巻き込んだ労組の反対運動にタクシンも株式公開をあきらめざるをえなかったというのが実態である。
EGATの株式25%を公開販売(どの程度公平な販売になるかは不明)し、政府は700億バーツ(約1,950億円)手に入れる予定であった。
EGATの反民営化運動は他の国営企業の民営化反対闘争を誘発し、バンコク市内に大勢のデモ隊が押し寄せ、反タクシンのスローガンを掲げてている。
これに対し、タクシンは国民の反感を和らげる方針を採らざるをえず、彼にしては考えられないような譲歩を行ったと見られる。
鳥インフルエンザや南タイの騒動や中国農産品大量流入などタクシンにとっては処理に窮するような難問がいくつか持ち上がっており、これ以上バンコク市内で民衆が騒ぐことはまずいという判断であろう。
59. 03年のタイの成長率は6.7%(04年3月9日)
60. イスラム過激派容疑者の主任弁護人が行方不明(04年3月19日)⇒50.南タイの騒乱に移動しました。
⇒警察長官と第4軍司令官更迭(04年3月21日)
⇒ソムチャイが失踪5日前に警察のイスラム教徒被疑者拷問を非難(04年3月28日)
⇒ソムチャイ拉致で4名の警察官容疑者が浮上(04年4月7日)
61. 日本ータイのFTAで全中農幹部が例外規定要請(04年4月8日)⇒37に移行
62. タクシンがイギリスのプロ・サッカー・チームを買収計画(04年5月14日)
63. 中国の安値工業製品の流入に警戒心(04年6月2日)⇒37に移行
64. 2004年のタイ経済
64-1. 04年1Qの成長率は6.5%にスロー・ダウン(04年6月8日)
64-2. 不動産投資の行き過ぎに警鐘(04年6月13日)
64.-4. 04年上期の自動車輸出は42%増(04年7月30日)
64-6. 04年7月の景気指標は悪化、石油価格高騰が主因(04年9月3日)
64-.7 04年2Qの成長率は6.4%にややスロー・ダウン(04年9月7日)
64-8. 04年3Qの成長率は6.0%にダウン(04年12月8日)
64-9. 11月の自動車販売36.5%増の58,577台(04年12月16日)
64-10. 04年の成長率は6.1%(05年3月9日)
64-3. 財界にタクシン政権への不信感強まる(04年6月16日)
64-5. クルンタイ銀行(政府系)の不良債権が急増(04年8月16日)
政府系銀行のクルンタイ・バンク(Krung Thai Bank)の不良債権がこの1ヶ月の間に460億バーツ急増した。そのためタイ中央銀行は同行にたいして注意を喚起しているという。
同行はかねてから政治家との結びつきが強く、タクシン政権も政府プロジェクト(予算外)などで同行にかなりの無理を強いてきたとも言われている。
それだけでなく同行は他行に比べ、より安い金利でかなり放漫な融資を行ってきたとも伝えられる。
最近のタイ経済は国際的原油価格の高騰によってインフレ圧力が強まっており、また米国の金利上昇の圧力を受け、タイの国内金利も低水準のまま据え置く限界に来ており、バーツも下落気味である。
それを受けてバンコく証券市場も下落を続け、8月11日(595.6)にはついに600ポイントを割り込んでしまった(7月9日=666.59)。
ディーゼル油の値上げや金利上昇を行うことは何とか避けたいとしてタクシンも頑張っているが、もはや避けられない段階に近づきつつある。その場合のタイ経済への影響はかなり大きいことは間違いない。
サイアム・コマーシャル・バンクは2004年の成長率を6%に下方修正している。
⇒ソムキット財務相がクルンタイ銀行に査察委員会設置を指示(04年8月17日)
ソムキット財務相はクルンタイ銀行の不良債権急増を受け、91の債務者に対する特別調査委員会の設置を指示した。
クルンタイ銀行の不良債権は今年の3月末から急増した形になっているが、それまでどういう扱い方をされてきたかについて、投資家はタイの銀行制度について強い不信感を抱き始めている。
当然他の国営銀行や民間銀行もかなり甘い基準で不良債権を報告していたのではないかとの疑念がもたれている。
証券取引所はクルンタイ銀行やサイアム・シティ銀行に関する「悪質な噂の出所を追及する」などといきまいている。その噂とはFIDF(金融制度開発基金=銀行の不良債権預かり機関)が両行の不良債権を廃却するということなどである。
クルンタイ銀行に関して言えば頭取のウイロト・ヌルカイール(Viroj Nurkhair)が7月はじめに突如辞任したことにより、急速に市場に疑念が広がり始めた。
それまでは外国の証券会社もクルンタイ銀行株を「買い推奨」銘柄に指定していたほど、何の噂も出ていなかった。すなわち関係者一同がだまされていたのである。責任を追及されるべきは証券取引所や中央銀行、財務省であったはずである。
そもそものことの起こりはタクシン首相の「それ行けドンドン」政策にあった。通貨危機の後遺症でバンコク・バンクはじめ民間銀行の多くが慎重な貸し出し政策を取っている中で、タクシンは政府系銀行に「目標を決めて貸付を増加せよ」という命令を下していた。
その結果はタイの経済成長の伸びにいくらかは寄与したことは間違いない。タイの経済成長のベースは中国特需による輸出増加(外資が大きく貢献)と考えるべきであるが、タクシンは自分の政策によって経済が回復したと吹聴している。
この辺は小泉首相の「改革の効果がようやく出てきて日本経済は回復軌道に乗った」などという発想と同じである。日本の場合はそんなことを信じている人間は少数派であろうと思われるが、タイではタクシン経済政策は結構受けているらしい。
タクシンはとりあえずクルンタイ銀行の株価だけでも何とかしようとして、例のフェニックス・ファンドを出動させる構えであるが、タイの金融機関の中身が不透明のままではどうにもならないであろう。
⇒悪かったのは貸付担当部門ーお決まりの結論(04年8月29日)
クルンタイ・バンクの疑惑融資問題の調査の結論はタイにしては極めて迅速に出された。しかも結論も簡単である。ビロット前頭取は(7月はじめに辞めた)は貸付の書類にサインしていなかったので責任がなく、貸付部門長の責任である。
ビロット氏は10月1日から、総裁2期目に入るというものである。あきれた銀行もあったものである。14件で430億バーツ(1,140億円)の融資に総裁がサインしていないなどという馬鹿げた話がありうるのだろうか。
子供だましにもならない結論である。しかし、タクシンの言うことを聞いて融資したのに、なぜ責任を問われなければならないのかといったところである。
そもそもタクシン政権の出発から、クルンタイ・バンクは華人資本救済とポピュリスズム政策を実行する資金として野放図の融資を行ってきたのである。
2001年と02年の2カ年間で4,000億バーツ(約1兆500億円)を新たに融資し、03年には700億バーツを融資している。今回の430億バーツの不正疑惑融資などはほんの一部にしか過ぎない。このいい加減融資は必ず、後日大きな問題となるであろう。
(04年10月5日追記)
中央銀行(Pridiyathorn Devakula総裁)のイニシアチブで始まった今回の不良債権整理騒動についてタクシン首相は中央銀行は余計なことをするといって激怒しており、来年2月の選挙でタクシンが勝利した暁には、プリディヤトン総裁はクビになるという噂が広まっている(FT、10月5日記事より)
⇒KTBの主要貸付先であるナチュラル・パーク社がリスケ要請(04年11月19日)
大手不動産会社でKTBの大口融資先でもあるナチュラル・パーク社(Natural Park)が資金繰りが苦しくなったとしてKTGに融資返済延期(リスケ)を要請したといううわさが広まり、11月17日に同社の株が売られ11%も下がった。
実際、NP社はKTBに対し16.9億バーツ(約44億円)の融資返済を6ヶ月間延期するように要請していた。
タイの成長を支えてきた1本の柱であった不動産業界はそろそろおかしくなっているのではないかという疑念が広まりつつある。1997年のタイの通貨危機は不動産業の破綻が大きな要因でであった(拙著「東南アジアの経済と歴史」日本経済評論社、参照)。
今回は当時ほど不動産投資が行き過ぎているわけではないが、やはりマンションの建設ブーム的なものは起こっている。これはタクシンの積極政策によるものとも言える。
前回の経済危機から必ずしも立ち直っているとはいえない不動産会社は財務体質が脆弱なため、いったん調子がおかしくなると案外抵抗力が弱い。
不動産業界も過当競争体質がもともとある上に、借金経営で自転車操業という経営体質は今も昔も変わらない。今後、金利が着々と上昇していく中で、不動産業は経営が苦しくなり、タイの経済の重石になりかねない。
タクシンも南タイで無辜の住民の虐殺などやっている暇はないはずである。
65. 民主党が分裂し第3党結成の動き(04年7月4日)
民主党は昨年4月にチュアン・リークパイに替り、バンヤートが党首に就任した。(上記#17参照)
そのバンヤート党首生みの親とも言うべき反アビシット派の保守派グループの大ボスのサナンが次回選挙対策委員長を突如辞任し、脱党し新しい政党を作る動きに出た。(正式にはまだ離党していない)
サナンという人物は民主党の元書記長で元軍人(少将)であり、伝統ある民主党内では金権体質の右翼政治家と目されていた。
彼の脱党の理由は必ずしも明らかではないが、第3党を作り次回総選挙(来年早々にも行われる)でタクシン率いるTRT(タイ・ラック党)政権に参加し、閣僚ポストを得るためではないかという憶測が流れている。
この新政党の名前も既に内定しており、マハチョン(Mahachon=大衆)党という。正式な結党式は7月14日の予定であるという。
マハチョン党の参加者は意外に多いらしく、上院議員が4~5名参加するほか、現在の民主党副党首アネクも参加を表明している。他にもサナン派の国会議員が少なからず参加することは確実である。
国会議員2名のラサドーン党もこれに参加する。
それ以外にもNGOや学者も参加すると伝えられている。中でもタマサート大学の政治経済学担当のスイナイ教授も名前を連ねているのには驚かされる。スイナイ教授は日本の京都大学と法政大学で労働経済学を学び、博士号を取得した有名教授である。
NGOでは著名な農民運動家アウイチャイ・ワタナ他かなり進歩的と見られている社会運動家が複数名前を連ねている。政党人以外の参加予定者名簿には確かにすばらしいものが感じられる。(7月4日、ネーション、バンコク・ポスト)
なぜこういう政治的な動きが出てきたかは明らかでないが、アネク副党首の言い分によると、今の政治体制では2大政党の政権の独占が続き、国民の声が政治に必ずしも正しく反映されないということのようである。
確かに、TRTはタクシンのファミリー・ビジネスと特定華人資本家の利害を強く反映した政党であるかの感は免れない。民主党は極度にネオ・リベラル(新古典派)的な色彩が強く、IMFべったりとも言える政策を採ってきた。いわば外資指向型政治であった。
この両党からどちらかというと見放されているのが農民であり、労働者である。タクシンは「30バーツ医療」や「一村一品運動」や農民への融資といったポピュリズム政策で切り抜けてきたが、弊害や限界がもはや見えている。
確かに第3党の社会的必要性は感じられなくもない。だからといってサナンが作った政党が国民大衆の本当のニーズを吸い上げられる政党になりうるかどうか疑問なしとしない。
来年の総選挙では民主党の議席は減るが、マハチョン党はかなり健闘するであろう。TRTはかなり議席を失う可能性もある。もはやタクシン人気は確実に落ちてきている。
⇒マハチョン党の旗揚げ(04年7月28日)
マハチョン党が7月19日に多くのメディアの冷笑の中で旗揚げをした。この党の仕掛け人は上に述べたとおり、民主党内の保守派実力者サナン元書記長であり、もともと余り評判のよくない人物である。
次に、このマハチョン党というのは少数野党であるラッサドーン(Rassadorn)党が改名して新党になったという手続きを踏んでいるということである。
問題はこのラッサッドーン党の2名の国会議員が札付きの悪という評判になっていることである。マハチョン党を支持している知識人グループもこれにはショックを与えられたものが少なからず存在する。
マハチョン党の党首には驚くべきことに民主党の副党首で政策担当責任者であったアネク(Anek Laothamatas)が就任した。アネクは米国で学位を取得した、れっきとした学者上がりの政治家である。
ただし、彼は民主党内ではタリン元財務相のような新古典派系の人物とはソリが合わなかったことは確かであり、民主党の主流ではなかった。
マハチョン党の綱領は民主党のそれと良く似たものであるというが、具体的な政策提言がいくつか出てきている。そのなかで注目すべきは;
①イラクからの派遣軍(431名)の即時撤退、②周辺国、特にマレーシア、インドネシアとの関係改善(タクシンの中国一辺倒政策とシンガポールとの華人枢軸路線の変更)、③国営企業の民営化反対、④FTAへの消極姿勢などである。
これらは与党タイ・ラク・タイ党や民主党の政策とも多少なりともニュアンスが異なる点を持っている、いわば中産階級に受け入れられやすい政策であることに注目したい。
当面の政治行動としては、とりあえず、4つの県(ノンタブリ、パトゥム・タニ、サムット・プラカン、プケット)の知事選挙に同党から候補者を立て、タイ・ラク・タイと闘うといっている。
⇒次回国会議員選挙に49名の候補者を1次指名(04年8月10日)
近い将来、チャート・パタナ党(故チャチャイ元首相らが創立)がTRTに吸収合併されれば、タイ東北部ではTRTが事実上議席を独占しかねない。
そこで新設のマハチョン党は東北部を重点にTRTと対決すべく49名の第1次候補者を決めた。
候補者は新希望党(チャワリットの党)や民主党やチャート・パタナ党などの元国会議員や、有名歌手のナンティダやオリンピックの銅メダリスト(ボクシング)のウィチャイなど比較的知名度の高い人々が候補者に指名された。
TRTの候補者ほどカネはばら撒けないであろうが、かなり善戦する可能性もでてきた。少なくとも民主党候補者よりはバイタリティのありそうな勢いを感じさせる。
民主党もバニャト党首のようなカリスマ性に欠けるリーダーから、若手のホープであるアビシット副党首にバトン・タッチしていかないと次回選挙で惨敗を喫することは自明である。
コレラの候補者以外にも引き続き学者などが立候補者名簿に加わるとしている。
⇒バンコク知事選に落ちたビチットら入党(04年9月3日)
バンコク知事選で落選したビチトット元バンコク知事(6位)や著名な政治経済のコラムニストであるニティポーン(5位)氏というようなタイでは名前の知られた実力者が相次いで新生のマハチョン党に入党し、今後の政治活動を継続すことを表明した。
マハチョン党の副党首であるアカポンはさらに、トルコ風呂王チュイット(3位)にも声を掛けている。チュイットは自分自身の政党を作ると公言しているが、マハチョン党に参加する可能性もある。(結果はそうはならなかった)
最近の動きをみると、タイ・ラク・タイには断固反対だが、民主党の古い体質(変わりつつあるが)にも飽き足りない元気のよい政治家や学者が同党に集まりつつある。意外なことにタマサート大学系の人物が多い。
日本は小泉首相のご出身の慶応大学系で保守志向の強い人材が首相の周辺でやたらにご活躍されてきたのが目立つが、タイにももしかすると学閥意識的なものがあるのかもしれない。
⇒選挙で大敗したマハチョン党はアネク党首が辞任(05年3月7日)
国会議員選挙で2議席しか取れずに大敗したマハチョン党はアネク党首が辞任した。後任はサナン顧問が就任するとみられる。10人の学者グループはマハチョン党から脱退するという残念な結果に終わった。
今後、マハチョン党は与党タイ・ラク・タイ党に吸収合併されるものと見られている。そうなるとTRTは500議席中379議席を占めることとなる。
66. 選挙を控え農村に200億バーツのばら撒き(04年7月19日)
67. モンク(僧侶)はモンク(文句)をいうな、タクシン今度は坊さんに噛み付く(04年7月22日)
68. タクシン、民主党議員などの引き抜き開始(04年8月9日)
69.民主派指導者チャムロンの後悔(04年8月23日)
70. ビルマと組んで水力発電計画ー中国にもさそい(04年8月27日)
71. アピラク民主党候補の大勝利ーバンコク知事選挙(04年8月30日)
72. タクシン今度は汚職退治を指示(04年10月1日)
73. タクシン10回目の内閣改造(04年10月9日)
74. タイ中央銀行バーツ売り介入ーさほど効果なし(04年11月26日)
75. スウェーデン人1,500名以上行方不明、プーケット周辺で(04年12月29日)
04年12月26日のスマトラ島沖地震による大津波により、プーケット周辺の海岸地帯で大きな被害が出ているが、日本人を含む多くの外国人観光客が犠牲になった。
その中でも最大の犠牲者となったのはスウェーデン人であるといわれ、現在も1,500名以上が行方不明となっている。その中には病院にに入院中のものも含まれるため、死亡者の数は少なくなる可能性もあるがスウェーデン史上最大の事故死となるとみられている。
スウェーデン人はクリスマス休暇を利用して約1万~1万5千人がタイに滞在しているという。
そのほかにもドイツ人などもかなり多くの犠牲者を出していると伝えられる。
05年1月12日現在の外国人の死者不明者数は以下の通りである。ただし、タイ以外の地域も含まれる。不明者数はだいぶ少なくなったが、依然としてヨーロッパ人の不明者は多い。
国名 | 死亡者数 | 行方不明者数 |
ドイツ | 60 | 678名 |
スウェーデン | 52 | 637名 |
イギリス | 51 | 365名 |
フランス | 22 | 90名以下 |
ノルウェイ | 12 | 76名 |
フィンランド | 15 | 174名 |
南アフリカ | 10 | 111名 |
日本 | 24 | 68名 |
イタリー | 18 | 436名 |
スイス | 23 | 500名 |
オーストリア | 12 | 266名 |
韓国 | 12 | 8名 |
米国 | 37 | 不明 |
76. 2004年の国内自動車販売は過去最高の626千台(05年1月14日)
77. バンコクの地下鉄で衝突事故、負傷者200名以上(05年1月17日)
1月17日午前9時半頃(現地時間)、乗客700名ほどを載せた列車がプラット・フォームでドアを閉め、発車寸前のところに、空の電車が後ろから衝突し、212名が病院で治療を受けた。
衝突のショックで多くの人が床に投げ出されたり、人の下敷きになったりしたが、電車のドアがなかなか開かず、電車には非常ボタンもついていないという。
ガードマンがカギを探してきてドアを外から開けるのに10分程度を要した。幸い火災が発生しなかったので、死亡者の出る大惨事だけは免れた。
バンコクの地下鉄は操業開始後、5ヶ月強しかたっておらず、コンピューター関係のミスもしくは単純な人為的ミスが原因であろうと推測されている。
当局は事故原因が特定され、対策が講じられるまで無期限に地下鉄の運行を停止すると語っている。
⇒バンコクの交通渋滞元に戻る(05年1月20日)
地下鉄事故はどうやら人為的ミスということで決着がつきそうであり、事故発生から1週間程度で運転再開すると、交通当局は宣言している。
ところが、事故発生の翌日から、バンコクの市内の交通渋滞は、地下鉄開通前に戻ってしまったと報じられている。やはり、地下鉄の道路交通に及ぼす影響は大きいものがあるようだ。
また、当日、事故にあった700名の乗客すべてが、「一生涯地下鉄乗車はタダ」という、大変結構な決定がなされるようである。こんなことをやる国は他にはないであろう。いくら選挙直前だからといって、タクシンはやりすぎである。
彼のポピュリズムの手法は「自分が選挙に勝ちさえすれば、国家財政などいくら赤字でもかまわない」という基本スタンスである。これは極東の某経済大国でも同じ傾向が見られる。700兆円もの財政赤字はどこに消えてしまったのであろうか?
78. 2月6日のタイの国会議員選挙、与党TRTが圧勝の形勢(05年1月31日)
79. 「欠陥日本車」たたき拡大、大使館前で騒動(05年3月26日)
バンコクではモーター・ショーが開催されているが、「日本車に欠陥がある」として複数の所有者が騒ぎ出し、妨害行動に出ている。彼らはさらに日本大使館前に「欠陥車」を運び込み、その車ヲ叩き壊したり、火をつけるなどと脅迫している。
非難の対象になっている車は、マツダのランティス(Lantis)とトヨタのピクアップ車アルティス(Altis)と、日産のNissan Urvanである。これ以外にもベンツのS280も槍玉にあがっているという。
抗議の内容は「日本車の質が悪く、欠陥が多い」ということに尽きるようである。また、欠陥処理に当たってのディーラーの対応がなっていないという苦情が多いようである。
つい最近もホンダの乗用車を買った女性オーナーが公衆の面前でその車をハンマーで打ち壊す騒ぎがあった。これはホンダ側がその車(打ち壊された)を買い戻すということで一件落着したが、新聞やテレビで大きく報道されたため、類似の行動に出るオーナーが出てきたものと思われる。
日本の自動車メーカーは1トン・ピックアップ車(小型トラック)をタイで集中生産して、世界に輸出する動きがある(三菱自動車は10年ほど前から実施)が、部品はローカル・メーカーのものが多く、品質管理を徹底させないと思わぬ問題だ起こる可能性がある。
(http://www.nationmultimedia.com/05年3月26日、参照)
80. タクシンの息子が地下鉄の広告で10年契約獲得(05年4月5日)
81. 2005年のタイ経済(05年4月8日)⇒クリック「タイ経済」に移行
81-1.消費者心理の落ち込み急(05年4月8日)
81-2. タイ中央銀行05年成長率を4.5~5.5%に引き下げ(05年4月29日)
81-3. 05年1Qの成長率は5%以下(05年5月4日)
⇒05年1Qの成長率は3.4%の見込み(05年5月9日)
81-4. 高まるバーツ不安(05年5月18日)
81-5. 05年1Qの成長率は3.3%に鈍化(05年6月7日)
81-6. 中央銀行、金利引き上げ2.5%に(05年6月11日)
81-7. タイ銀行、05年の成長見通しを3.5~4.5%に引き下げ(05年7月29日)
81-8. 外国からの純直接投資は激減(05年9月3日)
81-9. 05年2Qの成長率は4.4%とやや回復(05年9月5日)
81-10. 金利を0.5%引き上げ3.25%に(05年9月8日)
81-11. 金利を0.5%引き上げ3.75%に(05年10月20日)
⇒金利を0.25%引き上げ4.0%に(05年12月15日)
81-12. 05年3Qは5.3%とやや回復(05年12月6日)
81-13. 2005年の自動車生産は21%増の112万5千台(06年1月25日)
⇒自動車部門の輸出は05年は47.6%増加(06年2月9日)
81-14. 2005年の成長率は4.5%程度にとどまる見通し(06年2月1日)
81-15. 05年4Qの成長率は4.7%、通年では4.5%にとどまる(06年3月6日)
82. 新空港の施設を巡る大規模汚職発生(05年4月28日)
83. スパチャイWTO事務局長、次はUNCTAD委員長に(05年5月13日)
前の民主党政権時代に副首相・商業相をつとめ、現在はWTO の事務局長に就任しているスパチャイ(Supachai Panitchpakdi)がUNCTAD(United Nations Conference on Trade and Development=国連貿易開発会議)の議長に任命されることが決まった。
是は困難な時期にWTOの事務局長を務めている実績が国際社会に評価された結果であり、タイ国民にとっては大いなる誇りであるとともに、アジアの一員である日本にとっても喜ばしい限りである。
残念なことは、スパチャイWTO事務局長の懸命の頑張りに対し、日本の小泉政権とタイのタクシン政権はきわめて冷淡な態度に終始したことである。スパチャイ氏の再三の警告を無視して日本とタイはWTOの取りまとめよりも短期の利益(にもなっていないが)を優先させFTAに狂奔してきたというのが実態である。
タイ政府としてはスパチャイよりもスラキアート(Surakiart Sathirathai)副首相をアナン国連事務局長の後任にしたい意向を持っているが、こちらのほうは難しい。というのはタクシン政権は南タイでイスラム教徒虐殺事件を引き起こし問題が片付いていないからである。
イスラム諸国を敵に回して何かをやろうとしても難しいのだ。タイの民主党はイスラム教徒を敵にするようなやり方は一切しなかった。
なお、スパチャイのWTO事務局長後任には前のEUの通商コミッショナーのパスカル・ラミー(Pascal Lamy)氏が就任することが決定した。正式就任は05年9月1日である。ラミー氏はWTO強化論者であり、適切な人事であるといえよう。
84. 愛知地球博のタイ・パビリオン建設で不正?(05年5月25日)
タイでは愛・地球博(Expo 2005 Aichi Japan)のタイ・パビリオンが貧弱だということで、前から問題になっており、パビリオン建設で何らかの不正があったのではないかという疑惑が浮上している。
今回、ヨンユット・チヤパイラット(Yongyuth Tiyapairat)天然資源・環境相はパビリオン建設にかかわった役人全員の行動を調査すると語った。
建設を請け負ったJSL社は建設予算を超過し、「仕様」に反する建設を行ったのではないかという疑惑が持たれている。
パビリオンの面積は当初1,500平方メートルで計画されていたが、実際は900平方メートル市亜kなく、予算は逆に1億5千万バーツであったものが2億バーツ(1バーツ=約2.7円)に増額された。
また、JSLはパビリオンを組織するためのスポンサー費(運営管理費用か?)をとることを認められる内容の契約になっている。
ヨンユット環境相は政府関係者を集め、真相究明を支持し、パビリオンの改修作業を6月15日までに完成させるように指示した。パビリオンはタイ王室の重要性やタイ文化、タイの食べ物、タイの観光などの宣伝を行うという。
タイには前から汚職は存在するが、タクシン政権になってから新国際空港を初めとして、この種の話が目立つようになってきた。
85.元中央銀行総裁に43億ドルの支払い命令(05年6月1日)
タイの裁判所は不思議なところである。でっち上げに等しいジェマー・イスラミア容疑者4名に無罪判決(当たり前だが)を出す良識を示したと思えば、一方において1997年の通貨危機の当時の中央銀行総裁レンチャイ氏が為替政策を間違えたとして43億ドル(4,650億円)の損害賠償を命じられた。
レンチャイがろくな展望を持たずにバーツ売りに無制限に対抗して、手持ちのドルを売りまくり、300億ドルを超えていた外貨準備をスカラカンに使い果たし,ついにIMFに助けを求めるという失態をやらかしたというのが主な罪状である。
レンチャイが有罪ならば時の首相のチャワリットや副首相のタクシンや財務相のタノンなども何らかの責任があるはずである。タクシンならば43億ドルくらいは払えるかもしれない。
ここころ、バーツ売りを当時の政府は禁止していながら、チャワリット夫人とタクシンがバーツを売ってしこたまもうけたというような記事がタイ語の新聞に出ていたなどと噂された。
もちろん、真偽は定かではないが、いずれバーツは切り下げられるという情報を知っていた政治家や銀行家は可なり儲けたはずである。レンチャイがそれに加担したというならば、ある程度の罰金やブタ箱入りは当然であろう。
レンチャイも確かに不手際をやったことは間違いないが、その時の政権を握っていた政治家の責任の方がはるかに重いはずである。レンチャイは当然控訴して争うという。とにかく彼には支払能力はない。
86. 投資委員会改組、民族資本色強まる(05年6月6日)
87.サノーの乱、TRT分裂の危機(05年6月12日)
マレーシアでは200~250万人の外国人労働者が働いており、半数近くが労働許可証(ワーク・パーミット=この制度はなぜか日本にはない)無しで、働く、いわゆる不法就労者である。
同じようなことがタイでも存在する。それは隣国ビルマ人の不法就労者である。その実態は明らかではないが、今回タイ労働省のアクラポン(Akrapol)次官が発表したところによると35万人の不法就労外国人(主にビルマ人)が存在するという。
アクラポン次官の説明によると、タイ北部のメー・ホー・ソンなどの国境沿いに130万人のビルマ人労働者が働いており、そのうち85万人が正式に労働許可証(ワーク・パーミット)を取得している。残り45万人のうち、35万人は労働許可証を持たない、不法就労者である。残りの10万人はその扶養家族であるという。
労働許可証を取得しない理由は、申請に必要なカネがないということである。
タイ政府の方針としては、労働許可証を持たない外国人労働者は厳しく取り締まり、見つけ次第逮捕して、本国に送還するという。
これらのビルマ人の労働者は多くは衣類加工などの輸出産業に従事しているが、一部は農業にも従事しているという。彼らには最低賃金制度も適用されず、時間外手当も貰えない(これは日本でもしばしば起こっているが)。
メー・ソットにあるUni Ocean Corporationという縫製工場では150人のビルマ人の賃金は1ヶ月50バーツ(135円)で1日12時間労働であるという信じがたい数字が報告されている。多分、食事代は別だろうが、これぞヒトの弱みに付け込んだ「搾取」以外の何ものでもないであろう。
なお、タイの労働法によれば、同社はこれら150人のビルマ人労働者に対して3,200万バーツの負債があることになるという(最低賃金制以下の低賃金労働は違法で、経営者に支払い義務がある)。
8http://www.bangkokpost.com/ 05年6月18日付参照)
89. ラヨン県の水不足深刻化、10%給水制限(05年6月23日)
タイ全体としては5月中頃から雨季にないっているが、ここ数年降雨量が少なく、また地域によるばらつきもある。
自動車産業などが集まっている東部臨海工業地帯のあるラヨン県では現地での雨量が少なく、ついに10%の給水制限をおこなうと6月22日(水)に発表した。ただし、一般家庭用の給水は従来通り続ける方針である。貯水池の水位も15年ぶりの低水準に下がっている。
マプタ・プット(Map Ta Phut)工業団地を含む東部工業地帯に水を独占的に供給しているイースタン・ウォーター社のワンチャイ社長は最悪20%の給水削減をおこなうかもしれないと述べている。
しかし、役所であるタイ工業団地庁(the Industrial Estate Authority of Thailand)のマプタ・プット事務所では、もしこのまま雨が降らなければ、給水削減は60%になるであろうと語っている。
現地で石油化学設備を操業しているサイアム・セメント社は既に40%の操業短縮をおこなっていると発表した。そのためサイアム・セメント社の株価は6月22日は2.56%下げて、228バーツとなった。他の110社の企業はそこまで自主的に操短はしていない模様である。
この辺の工業団地には日系企業では自動車組立工場と部品工場が多いが、大量に水を使う企業が少なく、目下のところ目立った影響は出ていない模様である。
イースタン・ウォーター社のワンチャイ社長は「王立灌漑局」から原水の供給が10%カットされたので当社で浄水して供給する量も10%削減している。もしこのまま9月まで水の供給が減っていけば、当社は3千万バーツの赤字となると自分の懐の心配を先ずしている。
民営企業とはそうしたものである。
⇒水不足対策で官民ともに迅速な行動(05年6月27日)
PTT Plc(最大の国有石油精製企業で傘下にThai OilやNational Petrochmicalなどがある)は水不足に対応するためにタンカーと陸送(タンク・ローリー)で現地に水を運ぶことにして準備を進めている。PTTでは海水から水を補給するために新たな「脱塩プラント」の建設を検討し始めた(完成には数年を要するが)。
また、タイ工業団地庁(the Industrial Estate Authority of Thailand)ではイースタン・ウォーター社にドック・クライ(Dok Krai)貯水池からノン・プラ・ライ(Nong Pla Lai)貯水池までのパイプ・ラインを23億バーツかけて敷設させることにした。これは2006年中には完成するという。
また、灌漑局ではクロン・ヤイ(Klong Yai)貯水池からノン・プラ・ライ貯水池まで早急にパイプ・ラインを敷くという。これは距離が10Kmと短く、工事も早期に完成させるという。これらの措置によって2006年には東部地区の水不足は解消される見込みであると当局は説明している。
タイの政府はアイデアは早く出てくるが、実行は遅いというのが従来の姿であった。タクシン流の「迅速な行動」が期待されている。
90. 景気対策として3,000億バーツの予算の追加投入を決める(05年6月27日)⇒「タイ経済」に移行
91.タクシンまたもや内閣改造ー新味の無い汚職隠し?(05年8月4日)
92. タイ鉄道拡張予算を大幅カット-道路建設優先主義(05年8月7日)
NESDB(国民経済社会開発委員会)と財務省は大型プロジェクト計画(#81-5参照)に含まれる、鉄道複線化工事予算を4,000億バーツ(1兆1000億円弱)を4分の1の1,000億バーツに削減してしまった。
タイは鉄道は19世紀末から精力的に敷設してきたが、近年にいたってもさほどの本数が増えず、国民の移動はバスや自動車が主流であり、道路に異常な負担がかかり、エネルギー対策上も好ましくないという指摘を受けてきたが、今回も鉄道の拡張計画はなおざりにされた感がある。
「交通の近代化=自動車」という間違った観念が政府の関係者のどこかにあるとしか思えない。切符がなかなか買えない。列車の本数が足りない。という図式は今後5年間でほとんど改善される見込みはなくなった。
その代わりというか、マレー半島の交通の要衝チュンポン(Chumphong=バスでバンコクから7~8時間)に石油のハブ(集配センター)を建設するという。そこでは港湾を改造し、飛行場を拡張するという。
バンコクーチュンポン間の道路はバス・トラックの運行で過密状態にあるいっぽう、鉄道は列車がめったに走らず、お昼寝をしている。
また、クラ地峡のラノン(Ranong)には大型船が入港できる「水深の深い港湾」を2006年には建設し、ビルマとインドへのアクセスを用意にするとしている。タイ国鉄(SRT=the State Railway Thailand)はラノンに所有する土地をコンテナー・ヤードとして提供するという。
運輸省は重量トラックのための「特別高速道路」を建設する計画である。これによって、現在の道路の補修費が軽減される筈だという。しかし、「特別高速道路」の補修費は新たに増える。役人エコノミストというのはどこの国でも発想がちょっとズレている。
また、鉄道と港湾との距離を短縮し、30~40Kmにするという。鉄道の近くに道路を建設しようということなのかも知れないが、近くても遠くても、列車がロクに走っていないのだから関係ないのではないか。
しかし、、基本的に鉄道をもっと活用するというシナリオにはなっていない。道路建設とトラック・バス輸送優先主義である。これによってどのくらいエネルギー消費の無駄が生じ、国民生活が不利益を蒙っているかをタイ政府は再検討すべきであろう。
⇒タクシン首相、鉄道強化策を検討を指示(05年8月10日)
上記のような鉄道建設予算大幅カットの案を政府機関が策定している間に、このホーム・ページの効果があった(?)はずもないが、鉄道はバス・トラックに比べ省エネ効果が高いということが判ってきたらしく、タクシン首相は急遽、鉄道の電化を含む強化策の検討を指示した。
タイの第3の英字紙ビジネス・デイ(http://biz-day.com/ 05年8月10日付け)によると、先週末の閣議で、石油価格の高騰がタイ経済を圧迫しつつある現状にかんがみ、鉄道プロジェクトのスピード・アップを図るべしトいうことをタクシン首相は強調したという。
つい先週まで、NESDBと財務省は「鉄道プロジェクト」予算の大幅カットの作業をやっていたところである。この変わり身の早さには驚くが「過ちをあらたむるに憚ることなかれ」である。
タクシンの指示の骨子は①まず、財務省が中心になって資金調達のための新会社を設立する、②7ラインの鉄道電化プロジェクトを具体化させる、③約1,300億バーツ(約3,500億円)の予算が必要だが、株式市場からIPO(株式公開)で調達するなどである。
プロジェクトの具体案は運輸省で策定することになるが、タイ国鉄(SRT)はタクシン政権になってからもほとんど鉄道の増強をやってこなかったのが今日の高速道路、国道をトラック・バスが大量に走り回るいっぽう、線路はあっても汽車の姿がみえないという歪んだ構造を生んできた。
いまある鉄道を使って、急遽車両増強によって運行本数を増やすべきであろう。
93. タイとシンガポールの親密な関係
タイとシンガポールは9月2~3日に、チェン・マイで第3回目の合同閣僚会議を開く。カンタティ(Kantathi Supamongkhon)外相によれば、協議内容は貿易、投資、テロ対策を初めとして広範囲にわたるという。
例えば、保健省はシンガポールと合同で鳥インフルエンザ用の薬品のための「中央銀行」設置を協議する(鳥インフルエンザ用の薬の備蓄を共同でおこなうという意味か?)。
教育省と情報・通信省はシンガポールの助けを借りて、e-bookプロジェクトを立ち上げる。商業省は「タイーシンガポールの自由貿易協定」にいかに他の国を引き込むかを協議するという。
ASEANという自由貿易地域の中でタイとシンガポールがさらにFTA(2国間自由貿易協定)」を結ぶというのだから、いかにタクシン首相とシンガポールのリー首相がFTA好きかが伺われる。これには日本の経済産業省も顔負けであろう。
ASEANの中で「華人枢軸」ができているというのは既に述べたとおりであるが、白昼公然とこのような合同閣議をおこなうというのは他のASEAN諸国にどのような見方をされるのであろうか?
少なくとも、民主党のチュアン・リークパイ政権時代はこのような[合同閣議」を2国間でおこなうようなことはなかった。ASEANは決して1枚岩ではない。華人系国家同士がこのような形で旗揚げしたら、イスラム系国家(インドネシアとマレーシアなど)は面白くはあるまい。
(Business Day Aug.24.2005 Internet版参照)
93-2.タイとシンガポールの経済協力強化会議(第2回)で連携強化(05年11月30日)
第2回目のタイとシンガポールの経済協力会議(STEER=Thai Singapore Enhanced Economic Relation) が先週(11月10日からの)おこなわれた。
これは両国政府の言い分では2020年にASEANの経済共同体(AEC=Asean Economic Community)の結成を目指しての「準備運動」だということである。今回わざわざこういう断り書きつけたのは他のASEAN諸国への多少の遠慮からであろう。
この第2回STEERでは両国政府と参加した企業の間で12の覚書が調印された。詳細は公表されていないがその一つに「物流面での協力」がうたわれているという。
それ以外には学習と調査についての技術開発や貿易と投資を倍増させる計画や両国の「シングル・ビザ」構想などが織り込まれており、また、タクシン政権が企画している「メガ・プロジェクト」へのシンガポールの参加を促しているという。
投資についてはシンガポールはタイに1999年から17億ドルの投資をおこなっている。
タイのソムキット副首相はこの両国関係は他のASEAN諸国への「ショー・ケース」であるとして、「お手本]を示すものだというが、周辺国はおそらく納得していないはずである。
周辺諸国にとってはASEAN内部でさまざまな会議がひんぱんに持たれ、将来計画が話し合われている最中に、なぜタイとシンガポールが特別な協定を結ぶのかという不信感を持つのは当然であろう。
これはタクシン政権が登場してから露骨になった「華人枢軸」関係の強化であると見られても仕方がないであろう。
94. バンコク・ポストをタクシンの盟友が買収?(05年9月14日)
95. 中国とタイで11項目のビジネス協定(05年9月22日)
タイと中国はタクシン政権発足以来、緊密な友好関係(シンガポールも合わせて華人枢軸と私は呼んでいるが)にあるなかで農産品の先行FTA実施などに続いて、中国呉儀副首相の訪タイ(現在チェンマイを訪問中)を機に11項目のビジネス協定を結ぶことになった。
その内容は中国企業とタイ企業が結ぶ覚書であり、観光、貿易、投資などについてである。具体的内容についてはまだ発表されていないが、およそ次の内容が織り込まれているという(英字紙ネーション、9月22日付インターネット版)
①中国のCNOOP(China National Offshore Oil Corp= 中国オフショア石油公社)がタイのPTT Exploration and Production(PTT=タイ国営石油精製公社の石油開発と生産子会社)とビルマ、カンボジア、オマーン、イランにおける石油ガス開発事業を共同しておこなう。
②中国の水力発電公社であるSinohydro Corp はタイのEGAT(国営電力公社)と共同でビルマ、ラオス、カンボジアにおける水力発電事業を共同でおこなう。また、同社はタイの水資源開発事業(予算2千億バーツ)に対して工事の応札に興味を示しているという。
③PTT(タイ石油精製公社)のプラサート社長は8千億バーツの石油精製能力増強計画に中国企業が半分くらいの投資をしてくれることを望んでいるという。⇒中国側はSinochem社(化学製品の中国最大の商社)が投資を検討しているとのこと(9月23日)
④中国の大手鉄鋼会社 Capital Steel of China(首都鋼鉄)はタイで高炉一貫製鉄所の建設を計画し、タイの投資委員会に優遇措置を申請するという。(サハビリヤの計画と競合するが合弁でやる可能性もある)
これにはタイの地元企業は脅威を感じているが、ソムキット副首相は地元企業が競争によって体力をつけるのは好ましいとして投資優遇措置を与える方針であると語った。
⑤上海汽車(GMおよびVWとの合弁会社あり)はヨントラキット(タイの自動車販売/組み立て会社グループ)とE.C.I.グループ(CP=チャロン・ポカパンの子会社)と合弁で1100~1300ccおよび2300~2400ccの乗用車とミニ・バンの組立工場を建設する。
はじめは中国からCKD(完全ノック・ダウン)を輸入し、組み立てを行い、その後本格的な自社生産をおこなっていくという。生産台数は当初2万台を目指す。
ヨントラキット(Yontrakit)はPeugeot, Citroen, Aud、フォルクス・ワーゲンなどiの総代理店のほか、起亜、フォルクス・ワーゲン、アウディ、プジョーなどの組み立てもおこなっている。(9月23日)
⑥モーターサイクルの合弁2件;1件目は中国の最大のモーター・サイクル会社であるJialing (嘉陵)MotorsとタイのKMB Inter Business Co.との間でモーター・サイクルの合弁会社が設立されることが合意された。
会社名は「Sky Wing Motor (Thailand).」と称し、当初の授権資本金は1億バーツで、出資比率は中国側45%、タイ側55%とする。工場はバンパコンにつくられ、10億バーツの建設費を予定しているという。
2006年中には工場を完成させ、主な車種は125ccのオートバイで、年間の生産台数は当初は10万台とするが、5年以内に50万台にまで拡張する。生産台数の20%はASEAN諸国に輸出する。なお、Jialing Motorsは中国でホンダと提携関係にある。
2件目は中国のJiangmen Zhongyu Motor of China(江門中裕摩托集団有限公司)とタイのUnited Union Parts Co. of Thailand との合弁で、中国側35%、タイ側65%の出資比率とする。
United Union Parts Coの説明によれば、合弁会社名は「Yasuda」とし、バンパコンに6億バーツをかけて工場を建設し、年産5万台の生産を目指すという。部品の60%はタイで調達し、残り40%は中国から輸入する計画である。
工場は11月(来年の?)には完成し、M-Bikeというブランドで売り出す。製品の40%はインド、パキスタン、バングラディシュなどに輸出する。
現在はタイのモーター・サイクル市場はホンダをはじめとする日本のメーカーに独占されていて、中国製のものは3%のシェアしか占めていないという。(この項はバンコク・ポスト、05年9月24日付け、インターネット版参照)
それ以外の関係者の発言として、
①重慶産業グループ(Chongqing Industry Group)のYin Shanning 会長は両国がお互いに関税を最低限まで引き下げ、貿易上の障壁をなくしていくことが投資を促進する道であると語った。
②CP(チャロン・ポカパン)のタナコン(Thanakorn Seriburi)副社長兼タイ-中ビジネス協議会会長は今回のチェンマイ会談によって中国のタイにおける投資は10%は増加するであろうと語った。
③タイのBOT(投資委員会)事務局長のシティット(Sitit)は中国がタイに投資することを期待する分野としては、農産品(加工品)、自動車および部品、エレクトロニクス、金型、基礎金属(鉄鋼など)の5分野だとのことである。
96. タイ・ルンがインドのタタと自動車製造の合弁を検討(05年9月23日)
自動車部品メーカーの大手Thai Rung Union(自社ブランドのミニ・バンなども組み立て)はインドネシアの財閥タタ(Tata)の自動車会社(Tata Motors)と合弁でタイで小型トラック(1トン・ピックアップ車)の組み立て工場を建設することで交渉に入ったことを明らかにした。(9月22日、ネーション、インターネット版)
タイ・ルンのソンポン(Somphong)社長はタタに投資をしてもらうと同時に、タイ・ルンとしてもインドに投資をしていきたいとのこと。
タイ・ルンはい「いすゞ」のタイの現地子会社の部品メーカーとして大をなした会社であり、「いすずモデル」をモディファイした自社ブランドでミニ・バンや小型トラックの組み立て販売もおこなっている。
また、トヨタとも合弁会社(Thai Auto Conversion=トヨタが70%出資)を設立し、バンパコンの工業団地でトヨタ・モデルの現地版の多目的車の組み立てをおこなっている。
タタはインドではバス/トラックと乗用車を製造しているおり、今回のタイ・ルンとの合弁については前向きに検討しているという。タタとしては当初は年間5,000~10,000台のピックアップ・トラックを生産したいとの意向を明らかにしている。
また、タタは韓国の元大宇自動車のトラック部門も買収している。
97-1..会計検査院長の交代を国王が拒否(05年9月23日)
97-2.ジャルバン女史が会計検査院長に復帰(06年2月2日)
98. 小学校1年から北京語を教える計画(05年9月27日)
本日(9月27日)の英字紙ネーション(インターネット版)の伝えるところによれば、タイの教育省は小学校1年から代替言語(alternative language=英語教育のという意味か?)としてマンダリン(北京語)を教えることを検討しているという。
これはタクシンの中国寄り路線の徹底化とも受け止められるが、中国系タイ人がビジネス界をリードするタイにおいて,中国との経済関係が深まる中で北京語(例えば潮州人で潮州語を話す人は結構いる)を話せる人が少ないということから何とかしなければという発想であろう。
チャトロン(Chaturon)教育相(南タイ問題ではハト派で知られる)は教育システム全体として北京語を教えることを計画しているという。
小学校から北京語を教えるのは「強制」ではないとしながらも、「北京語はますます大事な言語だから早い時期に教える必要がある」という発想である。英語は小学校から教えているが英語教師が足りず、フィリピンなどからも応援が来ている。
日本語などは到底そこまではいかない(重要性からかんがみ)ということであろう。
ウサネ翻訳研究所長(教育省の組織)は「中国政府からの支援もあり、どういうテキストを作るべきか中国の専門家と研究をおこなおうとしている]と語った。
現在では300の学校で北京語を教えており、そのうち半分は公立学校である。
これに対する批判はタイ国内にもあり、あまりにも「市場志向」の教育であるというのがその趣旨である。もちろんタクシン首相の「中国寄り路線」に危惧を感じている人も少なくない。
日本人としては「ドーゾご随意に」ということになろう。
99. タクシン首相、元テレビ・コメンテーターを名誉毀損で訴える(05年10月4日)
100.
BOI「優遇措置小委員会」委員長にシン・コーポレーション会長が就任(05年10月18日)
タイの英字紙ネーション(THe Nation)の報道によれば、曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんはその著書「告白」のなかで1978年にマカオに出稼ぎに来ていたタイ人女性(アノチャと名乗る)が1名誘拐され、ピョンヤンにつれてこられ、脱走米兵と結婚させられていた。
他にもレバノン出身とルーマニア出身の女性とそれぞれ結婚していた米兵がいるという。
北朝鮮の外交官のタイ語能力は以上に高く、他にも多数、誘拐されタイ語教育に携わっていたタイ人が複数いるものとタイの情報筋では推測しているという。
また、タイ政府はアノチャというタイ国籍の女性が誘拐されたという記録は見当たらないとしている。
タイと北朝鮮とは外交関係を維持しているが、北朝鮮はタイに対してコメの輸入代金約1億ドルを20年間ほど焦げ付かせたままだという。
⇒アノチャは実在する人物で27年前から行方不明(05年11月4日)
北朝鮮に誘拐されたアノチャ(Anocha)という女性は、チェンマイ県のサン・カンペン(San Kampaeng)地区の出身で、本名はバブパ・パンジョイ(Bubpha Panjoy)といい、現地にはアノチャの兄59歳とその息子38歳が住んでいる。
彼らの話しによれば、アノチャから27年前に「近いうちに帰国する」という手紙がきてから行方不明になったという。アノチャは「美人で心の優しい娘だった」と兄は語っている。
行方不明後もアノチャの親族はどうしてよいか判らないまま、タイ政府には報告していなかった。そのためかタイ外務省は最初はそんな人物はいないといっていたが、実在の人物となれば放置することはできず、何らかの行動をとらざるをえなくなる。
北朝鮮は誘拐が日本、韓国以外にも広がったことで、いよいよ国際社会からの追求が厳しくなってくる。
(ネーション、インターネット版 http://www.nationmultimedia.com/ 05年11月4日参照)
102-1.バンコクの反タクシン集会に1万人以上集まる(05年11月13日)
バンコクの中心部にあるルンピニ公園で11月11日(金)夜、タクシンン首相から名誉毀損罪で訴えられているソンディ(Sondhi=プーチャドカン紙社主)が主催する反タクシン集会に1万人以上がが集まって気勢をあげた。
これだけの規模の反タクシン集会は2001年にタクシン政権が発足してから初めてのことである。政府系テレビなどが事前にこの集会について一切報道しなかったにも関わらず、これだけ多くの市民が集まったというのは異例のこととみられている。
そのうち3,000人は黄色のTシャツを着ており、それには「われわれは国王のために戦う(We Shall Fight For King)」と書かれていたという。
ソンディはかつてはタクシンの盟友であったがタクシンの政治手法に反発し袂を分かち、テレビ番組やプーチャドカン(Manager)紙などでタクシン批判を展開し、そのため名誉毀損で訴えられ、5億バーツ(≒14億円)という法外な「損害賠償」を請求されている(上の#99参照)。
ソンディの当日の反タクシン演説には「王室に対するタクシンの不適切な振る舞い」が指摘されたという点が特に注目されている。
それは今年4月に王宮内にある王室の守護寺院である「エメラルド寺院」(ワット・プラケオ)においてタクシンが主宰し、「南タイの騒乱が静まることを祈った」という出来事である。
このエメラルド寺院はエメラルドの仏像が祭られている観光名所でもあるが、タイでは最も神聖な場所であり、ここで年2回の 「誓忠儀式」(国王に忠誠を近い聖水を飲む儀式)やエメラルド仏の着衣を交代する儀式などを国王が主催する場所である。
国王以外の人間がここで儀式を主催したことは過去に1度だけある。1932年にプラディ(後に首相となり、タマサート大学を沿い率下)などとともに憲革命をおこない、その後首相の座に着いたピブン元帥が1939年に、王室が混乱状態の時におこなっただけであり、戦後は初めてのことである。
ちなみにピブン元帥は戦後も首相に返り咲いたが、サリット将軍のクーデターで政権を追われ、日本に亡命し1964年に相模原市で亡くなった。
タクシン首相側は事前に王室の了解を取り付けたといっているが、「申請」を出したのが「儀式」の1日~2日前で、「タクシンは参加者の1人として儀式に参列するという内容の申請」にそうものであっという。事実タクシンはカジュアルな服装で参加したらしい。
見方によってはタクシンの王室に対する態度はきわめて「不適切」なものであるということは、今回具体的な形で明らかになったが、前々からタクシンの独善的な振る舞いに対して国王から、遠まわしの表現ながら、「ご注意」を受けていた。
最近では国際空港新設にまつわる汚職事件を暴いた会計検査委員長ジャルバン女史をクビにしようとした手の込んだ「陰謀」に対して、国王は「拒否」の態度を明らかにしめした。(上の#97参照)
別に今始まったことではないが、5年間にわたるタクシン政権の問題点がこのところ集中的に現れてきている。その中でも最大の難問は「南タイの紛争」である。南タイのイスラム教徒の反タクシン感情は悪化の一途をたどっており、タクシン在任中は「騒乱」は解決しないとさえ言われている。
05年7月に発した「非常事態宣言」地域をヤラ、パタニ、ナラチワットの3県とソンクラ県のサバ・ヨイ(Saba Yoi)地区から、さらにソンクラ県のチャナ(Chana)とテパ(Tepha)の2地区にも拡大した(11月3日)ばかりである。
タクシンがエメラルド寺院で儀式を主催したなどということを南タイのイスラム教徒が知れば、彼らの反発を強め、ますます「宗教戦争」という側面が出てくることは間違いないであろう。既に、仏教寺院に対する破壊活動も起こっている。
(http://www.nationmultimedia.com/ 05年11月12日、13日、参照)
102-2.11月18日には5万人集会、タクシンの妹が槍玉に(05年11月22日)
ソンディの反タクシン集会は11月18日(金)にもルンピニ公園でおこなわれ、雨の中を6~7万人集まった(主催者側推定)といわれ、更なる盛り上がりをみせた。
その中で、ソンディはタクシン政権の「言論・表現の自由に対する抑圧」と「権力の乱用」と「EGATの民営化反対」に焦点をあわせて聴衆に訴えた。その中で新たな事実としてはタクシンの妹が軍用機を私的に使った点が暴露された。
というのは、タクシン批判の世論が高まる中で、無神経にもタクシンの妹モンタティップ(Monthathip Komutcharoenkul)が11月14日(月)に自分の誕生祝と自宅の新築祝いをかねたパーティに軍用機C-130を使って、招待客をバンコクからチェンマイまで運んだというのである。
これは、いかんとも弁明のしがたい「公私混同」であり、タクシン側もグーの音も出なかった。これは空軍参謀長のスカンポン(Sukampol Suwannathat)が承認書に署名している。
タクシンの妹モンタティップとスカンポンとはN Link Companyという通信会社の取締役を一緒にやっており、二人とも防衛大学の同級生であったということである。(男女共学らしい)。現役の軍人が民会会社の役員を兼任しているというのも変な話である。
それに先立ち、国軍総司令官のルンロイ(Ruengroj Mahasaranond)がソンダイに対して、「タクシン批判の中で王室に言及することは不敬罪に当たるので、以後慎むように」という通達を出した。同じ趣旨の申し入れが近衛部隊司令官からも出されていた。軍による[言論機関への「威嚇」である。
これは、軍の言論に対するあからさまな干渉であり、「時代錯誤」な言動として軍が世論の批判をあびる形となった。彼らは1973年に政権を追われた「タノム・プラパート」時代の軍部独裁的な政治感覚から抜け切っていないといわれても仕方がないであろう。
こういうコトがなぜ起こるかといえば、タクシンが自分の言うことを聞く「軍・警察」体制を作り上げたからである。軍・警察のトップ幹部にしてみれば、タクシンこそが自分を引き立ててくれた「恩人」であるという感覚なのであろう。仮に民主党政権であればこういうことはおよそ考えられない。
情勢が不利になったタクシンは韓国の釜山で開かれたAPECの首脳会議の帰りの飛行機の中で、「定例の(週一度)記者会見は来年まで中止する」と言明した。これは「占星術によると止めたほうが良い」という卦が出たためだという。
タクシンが占星術に凝っているという話しは前から出ていたが、まさか本気で「水星」の運行によって記者会見をやるとかやらないとか決めているわけではないであろう。それにしてもタクシン政権は乱気流に巻き込まれている。
102-3..タノンがバーツ切り下げ情報をタクシンの会社に流す?(05年12月17日)
ソンディのタクシン批判の「ルンピニ公園」集会は依然として続いているが、昨夜(12月16日金)はかねてから噂には上っていたが、タイの現代政治経済史上きわめて重要な話しが出た。
それは1997年のタイの通貨危機が始まる前夜のことである。当時タイ政府と中央銀行(バンク・オブ・タイランド)はヘッジ・ファンドなどによるバーツ売りの攻勢にたいして、あくまでバーツ価値を守るとして、タイの銀行や国民にバーツの思惑売りを禁止して防衛の協力を呼びかけていた。
ところが、バーツ防衛をあきらめることは公式発表(97年7月2日)の前の11日も前に決定し、当時の財務省であったタノン(現在財務相)がタクシンの会社のシン・コーポレーション(携帯電話などの通信会社)にタイ政府では5人しか知らなかったこの「重要国家機密」を教えていたというのである。
通貨危機直後のタイ語新聞には、当時首相であったチャワリットの夫人とタクシン副首相が「バーツ売り」を事前におこなって大もうけをしたという記事が出ていたようである。その噂が今、ソンディによって蒸し返されたのである。
タノンは政治の世界に入る前にシン・コーポレーションの財務担当役員をしており、タクシンの強い推薦でチャワリットはタノンを財務相に任命したといわれている。
そのタノンがバーツをフロート制に切り替える11日前に情報をシン・コーポレーションに流した張本人であるという「疑いが濃厚」であるとソンディが昨夜すっぱ抜いたのである。聴衆の多くは当時の噂話を思い出し、拍手喝采したとネーションは報じている。
そういわれてみると、当時多くのタイ企業が、通貨危機のあおりを受けて倒産や破産寸前に追い込まれたが、シン・コーポレーションは打撃を受けるどころか、かえってこの頃から勢いを増したようである。
そこまでいわれたら、現在タクシン政権のもとで財務相として権勢を誇っているタノンとしては黙っていられないところであろう。タクシンももちろんである。
その後、チャワリット政権は崩壊し、代わりに民主党のチュアン・リークパイ政権になったが、IMFの厳しい「融資条件」に悩まされて長いこと不況に苦しんだ。
ところが景気の立ち直りかけた2001年に資金量豊富なタクシンがTRT(タイ・ラク・タイ=タイ愛国党)を率いて政権を握り、「TRTの政策よろしきを得てタイ経済は立ち直った」というストーリーが出来上がってしまったのである。ひどい目に会ったのは民主党である。
ソンディはさらにタノン攻撃の手を緩めず、通貨危機直後に58社のノン・バンクを潰して、バーツの下落にいっそうの拍車をかけ、ドル買いをおこなった貪欲な投機者(ヘッジ・ファンドや一部のタイの政治家・企業家)にさらに大もうけをさせたというのである。
(海運会社TMN)
これ以外のソンディの話題としては副運輸相のプムタム(Phumtham)が国営海運会社(TMN=Thai Maritime Navigation)の民営化の際に70%の株式をプムタムの友人達に所有させ大もうけをさせたという。
また、プムタムはPTT(タイ石油公社)に働きかけ、TMNに石油の海運業務を割り当てるように働きかけ、赤字会社であった同社を黒字の優良会社に生き返らせたというのである。タイでも「民営化」はすばらしいものであるらしい。日本でも同じだが必ず大もうけする輩が出てくる。
また、ソンディは先に延期されたタイ発電公社(EGAT)の民営化反対も呼びかけた。
(チェンマイのタバコ工場)
また、タクシン政権の閣僚にきわめて近い女性(名前は明かされなかったが推して知るべしということか)が動いて、タイ政府はチェンマイ(タクシンの地元)に中国政府の協力を得てタバコ工場を建設している。
この工場はタイ政府は当初は90億バーツ(約260億円)で建設するということで予算計上していたが、その後180億バーツ(約520億円)という巨額予算を承認したという話しである。建設費の安いタイでは途方もない金額である。ただし、構造設計ではインチキはない模様である。
中国政府はタバコ工場新設のために「CYC」なる会社を新設して取り組んでいるというから大変な熱の入れようである。しかし、CYCはタバコ工場の建設の専門家はおらず、タバコ製造機械もイタリーの会社の図面を失敬して作っているという。
イタリーの会社は猛然と抗議をしており、この機械の出荷は現在差し止め(中国から)になっている。
当日の聴衆は2万人といわれ、前回の5万人よりも大分少なくなったと報じられている。次回は12月23日、来年は1月13日におこなわれる予定とのことである。
(http://www.nationmultimedia.com/ 05年12月17日付け参照)
102-4.タクシンは政府プロジェクトをクローニーに受注させる(05年12月24日)
ソンディはルンピニ公園集会を12月23日(金)に開き、その中での主要テーマは政府プロジェクトがいかにタクシンの仲間が受注したかを暴露した。
この集会はソンディがチャンネル9のトーク・ショー番組を降ろされてから13回目のものであった。昨夜の集会では1万人しか集まらなかった(ネーション紙の数字、バンコク・ポスト紙は4万人と報道)。ソンディはルンピニ公園への参加者は減っても衛星テレビで1000万人の国民が見ていると述べた。
ソンディはタクシンの出身地チェンマイにおける過去4年間の40件の政府プロジェクト(金額にして200億バーツ≒580億円)の大部分がタクシンのクローンー(crony=仲間)によって受注されたことを暴露した。
チェンマイのナイト・サファリ・パークのレストランの営業権(30年)は副交通相兼TRT党の副書記長という党のカナメの人物であるプムタム(Phumtham Wechayachai)に与えられた。これは公開入札無しでおこなわれた。プムタムもいっぱしの金権政治家となったようだ。
プムタムは、1973年の学士革命のときは活動家として軍事独裁政権(タノム・プラパート)打倒のために活躍し、1976年のタマサート事件の後は一時期はジャングルに逃げ込み反政府運動をやった経験がある。日本にも同様な例があるが変われば変わるものである。
チェンマイの政府プロジェクトで「獅子の分け前」を受け取ったのはチェンマイ建設(Chiang Mai Construction Co.) 会社のオーナーである地元の有力者カナエン(Khanaen Boonsupha)である。彼は首相府担当相のネウィン・チドチョブ(Newin Chidchob)の義父である。
ネウィンはクメール(カンボジア)族であることもソンディはバラし、それが聴衆の喝采を受けたという(ネーション)。私にはピンと来ないがクメール族というのはタイでは蔑視されているようである。
カナンの受注額は11.8億バーツでチェンマイ空港行きの道路などを受注している。その他の道路もいくつも受注しているが応札中間価格をゴクわずかに下回る価格で受注している。
ソンディはチェンマイのことだけを取り上げたが、これは地元で受注から外された業者がソンディに情報提供したものと推測される。他の地域でも同様なことが起こっているはずである。
また、最近、南タイでは洪水が大きな被害をもたらしているが、その対応が極めて冷淡であるとタクシンを批判した。この洪水は過去30年で最悪のものといわれ、既に南タイで死者が52名出ている。
タクシンは南タイの洪水被害は「津波ほどひどくはない」とうそぶいて現地査察すらおこなっていなかった。チェンマイではちょっとした洪水でも大急ぎで現地に赴いたタクシンを知っているタイ人にとってはどうにも解せない言動であったことは間違いない。
現地を訪問したのは被害が起こり始めてから大分経った昨日(12月23日)になってから(それも爆弾騒ぎの「歓迎」を受けた)である。
「国王が3,000袋の生活必需品物資を贈ったのに対し、資金豊な与党のTRT党は何も贈っていない。これは南タイが反タクシン色が強く、与党TRT党は今年初めの国会議員選挙で1議席しか取れなかったからである」といわれている。
また、「タクシンは南タイで行われている反乱被疑者に対する裁判抜きの軍・警による殺害(タクバイ事件はその典型)を容認する一方、南タイの騒乱を早期に収束すると約束しながら、一向に収まる気配がない。」
などの批判をおこない、タクシン首相の辞任を求める署名運動への協力を呼びかけた。
また、ソンディは過去にタクシンの熱烈な支持者であった自分を「愚かであった」と自己批判したという。さらに、タクシンは国を略奪したので不正に得た財産を国に返還すべきであるとも述べた。
タクシンはソンディに対する名誉毀損と賠償請求の訴訟を取り下げたが、ソンディの攻撃を黙って見ているわけではなく、ソンディの友人と見られるタイ航空の取締役2名を再任しない(任期は1年)ことを決めたという。
102-5. 2月4日の反タクシン集会に10万人が参加、タクシン首相への失望感広まる(06年2月5日)
ソンディの呼びかけにより、反タクシン集会が国会議事堂近くのロイヤル・プラザ周辺に約10万人が集まり、タクシンの辞任を求めて気勢をあげた。参加者の多くは王室支持のシンボルである黄色のTシャツをきていた。
最近のシン・コーポレーションの株式をシンガポールの国営持ち株会社テマセク(TEMASEK)に売却し、その代金732億バーツについてさまざまなテクニックを遣い子供達に税金を払わないでほぼ全額懐に入れさせるというタクシン得意の「離れ業」をやってのけたことも反タクシン感情をいやがうえにも燃え上がらせた。
集会は2月5日(日)の午前8時まで続いたが、参加者は比較的冷静で、警官隊との衝突もなく平穏に終わった。
タクシン自身は故郷のチェンマイに避難し、支持者の集会で参加者は「ばか者の集まりだ」とののしり、任期の切れるまで(あと3年)はやりぬくと宣言したという。
しかし、タクシン首相の「賞味期限5年で切れる」と私は予想したが、残念ながそのとおりになってしまったようだ。一言でいえば彼の政治手法はタイの国民が多くの流血の後に築き上げた[民主主義」をあまりに遠慮会釈なく踏みにじるものであったといえよう。
タイの英字紙ネーションは既に「おわりが始まった」との見方をしている。タクシン政権は議会で3分の2以上の議席を確保しているが、国民の支持が急速に失われつつある今となっては、何をやるにしても世論の動向を見極めながらやるしかない。
従来のタクシン1人が何でも決める「CEOスタイル(アメリカ企業のトップが即断即決で経営を取り仕切っていくという手法)」の政治はおこなえなくなるであろう。
閣僚も既に2名が辞任している。1人はウライワン(Uraiwan Thienthong)文化相ともう1人はソラアート(Sora-art Kinpratoom)情報通信相である。2人ともTRT内では反主流派のスノー派(タイ・ナム・イェン)に属する。ウライワンはスノーの夫人である。
103.EGAT民営化
103-1. EGATの民営化に行政裁判所が差し止め判決(05年11月16日)
タイ政府はEGAT(タイ電力公社=旧称はthe Electoricity Generating Authority of Thailand)を民営化し、そのために株式の16%に相当する12億4500万株を一般公開し、311億バーツから349億バーツ(≒1,000億円)の資金を獲得すべく今週末には上場すべく準備を進めていた.。
EGAT民営化に反対する11の市民団体が株式公開差し止めを求める「行政訴訟」をおこなっていた。これに対して、「最高行政裁判所」は期限ぎりぎりの11月15日(火)に株式公開を「差し止める」判決を下した
最高行政裁判所の判決理由は「部分的な民営化を差し止めたからといってEGATの操業にはなんらの影響を及ぼさない。一度株式を公開してしまえば、その弊害が出てきたときに、元に戻せない」ということのようである。
これは、タイ国内で、EGAT労組のみならず、200もの市民団体や広範な国民の反対の声を押し切って、タクシン首相が「民営化」を強行しようとした動きに司法がストップをかけた形となり、タイの英字紙ネーションは「民衆側の第1ラウンドの勝利」という見出しで報道している。
この判決は、タクシンの面子を潰したことになるのは間違いない(FT、インターネット版、11月16日)。
タクシン政権は民営化をきわめ熱心に推進してきたが、民営化したkらと言って、一部の金持ち階級にはメリットがあったが、一般国民には利益が必ずしも還元されていないという不信感が根強い。この辺は日本と決定的に違う(???)ところかも知れない。
民営化されれば、その会社の経営目的は「国民の福祉」から「株主の利益」へと大きく転換するのはタイに限らない。したがって水道や電力といった「公益事業」については国民の民営化に対する警戒感が強いのは当然である。
EGATはタイの電力市場の59%を支配しており、配電網は独占している。タイ政府の言い分は「民営化すれば経営が透明化するし、資本も集めやすくなる」ということであろう。
しかし、国民の共有財産が一部の金持ち階級に支配される(一般の小口株主は事実上無力の存在である)事態になれば、逆戻りは不可能になるというのが国民一般の見方であろう。
経営の透明性を高めるには「経営監視委員会」などを設置すればやっていけるはずだし、資金調達は社債の発行でも十分か可能であろう。
国営企業がなぜ問題かといえば、経営が効率的でないからだというのが俗説だが、経営を効率的におこなわせるのは何よりも行政府の責任である。民営化したからといって経営が効率的におこなわれる保証はどこにもない。
実際、日本の高炉メーカーはここ1年ぐらいは業績が急に改善されていたが、過去においてオソマツな経営(としか外部には映らない)によって惨憺たる「非効率」ぶりを衆目にさらしてきた。
一方、韓国のPOSCOや台湾の中国鋼鉄などは国営企業(今では民営化されているが)でありながら、一貫して好業績をあげてた。
要は、株式の所有者いかんに関わらず、ポイントはマネージメントの良し悪しなのである。「民間がやれるものは全て民間にやらせる」などというのはとんでもいない暴論である。最近のJR西日本の悲劇は「国鉄であれば避けられたのではないか」という疑念は私にはどうしても払拭することができない。
競争は良い面は大いにあり、私も「市場主義」を支持するものであるが、めちゃくちゃな自由競争は「弱肉強食」の修羅場を日常的に演じることになり、平和で安定的な市民生活を保障するものではない。
103-2.EGATの株式上場(民営化)は不可、最高行政裁判決(06年3月23日)
タクシン政権はEGAT(タイ電力公社)の民営化を進めるべく株式上場の準備を進めていたが、「最高行政裁判所」が05年11月15日に差し止め判決を出し、11月16-17日に予定されていた公開入札が差し止められた。
さらに最高行政裁判所はEGAT(タイ電力公社)の民営化自体が違法であるという「とどめの判決」を下した。
また、同時にEGAT(タイ電力公社)の経営監視委員会のメンバーにシン・コーポレーションの役員であるオラン(Olarn Chaiprawat)氏が入っているのは適切ではないという判断を下した。オランはタクシンの経営するチナワット大学の理事でもある。
このようにタクシン首相は要所要所に自分の部下を配置していることも、「権力の乱用」であるという批判を招く原因になっている。
この判決によって国営企業政策局長のアレポン(Areepong Bhoocha-oom)氏は今後の発電所建設計画に影響が出ると述べている。また、EGATは2007~2011年にかけて年間400億バーツ(総額2,000億バーツ=6,000億円)の建設計画を持っているという。
そのなかにはラオス、ビルマ、中国にも水力発電所を建設する計画も含まれている。これらは巨大ダムの建設を伴うものであり、タクシンは強引にこれらを推し進めようとしていたが、周辺住民や環境保護団体などから強い反対の声が上がっている。
104. タクシン首相、戦線をフィリピンに拡大(05年12月4日)
タイは先に南タイのイスラム教徒131人が軍・警察の弾圧を恐れて、マレーシアに逃亡した。この件をめぐっタイ政府はマレーシア政府の対応がケシカラン(難民として受け入れ、かつ国連難民高等弁務官のインタビューを許可した)として避難し、両国間でかなり激しい言葉のやり取りが交わされた。
その熱気もさめないうちに、今度は現在マニラでおこなわれている第23回東南アジア・スポーツ大会(SEA Games)で審判がフィリピンの選手の肩を持ち、タイの有力選手が負けたのはケシカランという趣旨の発言をした。(05年11月30日)
「ゲームの主要な目的はフェアプレイの精神を涵養し、われわれの運動能力を高めることにあり、メダルをとることではない。こんなことをやっていてはSEA Gamesの人気は落ちてしまう。タイでの大会(2007年)はその辺きちんとやる。」と一見正論風のコメントを述べた。
それがタイの新聞のみならずフィリピンの新聞にも出てしまった。
これを聞いてアロヨ大統領は柳眉を逆立てて怒ったといわれている。このタクシン発言はあたかもフィリピン人はフェアプレイの精神が欠け、審判(各国から来ている)を買収して有利な判定を得て、メダル・レース(現在トップ)をやっていると受け取られかねないからである。
一般のフィリピン国民も怒ったものが少なくないらしく、マニラのタイ大使館にデモをかける騒動に発展した。ただ、そのプラカードには「グロリア(大統領)とは違って、フィリピンの選手はフェア・プレイをやっているぞ」と書かれていたという。
フィリピンの国会議員の中からは「タクシンは内政上のトラブル(経済不振、言論弾圧、南タイ紛争など)に対するタイ国民の不満の矛先を外部に転化しようとしているのではないか」という発言すら出てきた。
あわてたのはマニラに派遣されているタイのスポーツ関係者である。彼らは大体がスポーツ経験のある常識人であり、タイ人的なデプロマシー(外交感覚)をもっている。マニラ現地でアチコチに謝りに回るという、とんでもない急用ができてしまった。
どんなスポーツでもまれには審判のミスや故意による「誤審」はつきものである。それを1国の首相がいちいち取り上げて他国に対し批判がましいことをいうのはまことに「いかがなものかと」思われる。せめて茶の間の話題にとどめておくべき事柄であろう。
このタクシン発言は閣僚の間からも「マズイ」という意見が出たと見えて、しきりに「悪意は無い」という趣旨の弁解の発言が出ている。近々、マレーシアのクアラルンプールで「東アジア・サミット」も開かれ、各国首脳が一同に会することになっている。
見方によってはタクシンという人物は「正直」に自分の心情をを吐露した、政治家としては稀有なる存在かもしれない。
しかし、1国の政治を預かる首相としては外交的配慮が欠かせないことは言うまでもない。日本人の筆者がそういうことを言うのはいささか「クチハバッタイ」点なきにしもあらずであるが。
第23回東南アジア・スポーツ大会国別メダル獲得数(05年12月4日現在)
金メダル | 銀メダル | 銅メダル | 合計 | |
フィリピン | 114 | 82 | 91 | 297 |
タイ | 86 | 79 | 115 | 280 |
ベトナム | 66 | 64 | 84 | 214 |
マレーシア | 61 | 48 | 61 | 170 |
インドネシア | 48 | 77 | 86 | 211 |
シンガポール | 40 | 32 | 53 | 125 |
ビルマ(ミヤンマー) | 16 | 35 | 48 | 99 |
ラオス | 3 | 4 | 12 | 19 |
ブルネイ | 1 | 2 | 2 | 9 |
カンボジア | 0 | 1 | 9 | 10 |
東チモール | 0 | 0 | 3 | 3 |
ネーション、インターネット版、05年12月4日付けによる
フィリピンがメダル獲得数で1位になったのは初めてである。前回(2003年)はベトナム(開催国)が1位であった。
105. 国王生誕記念演説で再度タクシンに注文、ソンディへの訴訟取り下げ(05年12月7日)
プミポン国王は12月4日(日)の生誕記念演説で、所感をのべられ、外部の批判に過剰反応を示し続けるタクシン首相に対しもっと批判をオープンに受け入れるよさとした。
国王は「首相は間違っていない。何でもできないことはない。テレビで何回も批判者をやっつける必要は無い。国民はタクシンの話し(批判者に対する悪口)は聞き飽きたので、ソープ・オペラ(安っぽいテレビ・ドラマ)ばかり見ている」とかなり強烈なタクシン批判をおこなった。
過去にも何回か国王は批判者に対するタクシンの傲慢とも思える高飛車な言動を控えるように注意を促したが、タクシンは無視し続けてきた。
しかし、今回ソンディという新たな批判者が現われ、そのタクシン批判が国民の大きな支持を得つつあることに、タクシンも危機意識を感じざるを得なくなった。与党のTRT党幹部も日ごとに支持率が低下していくことに脅威を感じ始めた。
国王はこのまま事態が進めば、国民のタクシン批判がさらにひろまり、街頭にデモ隊が大挙おしよせ、1992年5月に起こったような大惨劇(数百人のデモ参加者が殺されたといわれる)が起こりかねないという心配をしており、両者相対(あいたい)で話し合いをすべきことを示唆している。
タクシンはソンディの批判に対し、これまで名誉毀損で刑事告発するとともに、民事でも6件の損害賠償請求を相次いでおこないその総額は数十億バーツに達している。
これはタクシンの批判者に対する「恫喝」であることは誰の目にも明らかであり、かえってソンディに対する国民の同情心を掻き立てた結果となった。タクシンは裁判官のなかにも自分の息のかかったものがおり、ある程度は勝算もあったのかもしれない。
ところが、突然昨日(12月6日)タクシンの主任弁護士が名誉毀損と損害賠償訴訟を全て取り下げると言明した。
政府の報道官のスラポン(Surapong)は「政府は国王からのアドバイスを謙虚に受け入れ、これからは一般や批判者からの賞賛も批判も素直に聞く」と言明した。ただし、これが何時まで続くかは判らない。
一方、ソンディの方は、訴訟取り下げは歓迎するが、タクシン批判は従来通り続けると語っている。
(BBC,Nation,インターネット版、12月7日参照)
香港でおこなわれているWTO閣僚会議に出席しているタイのソムキット(Somkid)副首相は、中国の商務相薄煕来(Bo Xilai)と会い、近々、タイは香港を含む中国とより密接な2国間協定=CEPA(Thailand-China Closer Economic Partnership agreement)を締結するであろうと語った。
その直前にクアラルンプールで開かれている「東アジア・サミット」での個別会談で中国の温家寶首相からタクシン首相に対し、CEPA構想の提案がなされたという。
このCEPAなるものは貿易上のFTA(2国間協定)にとどまらず、投資、観光など多方面にわたっての協力関係を意味する。
ASEANと中国は「自由貿易協定」を締結することで既に合意しているが、タイと中国はこれとは別に「より密接な経済協定」を締結しようとしている。こういうことをやっているから、タイは他のASEAN諸国(除くシンガポール)から「華人枢軸」と疑惑の目で見られるのである。
また、12月13日(火)のWTOの会議には各国から「反対運動」の活動家が集まり、「WTO反対デモ」が激しく繰り広げられたが、タイからも100名程度参加しているという。
(http://www.nationmultimedia.com/ 12月14日付け参照)
107-1.タクシン一家がタイでは最大の「株持ち」(05年12月14日)
⇒タクシン一族が50億バーツの税金逃れ?(05年12月17日)
107-2.タクシン一家がシン・コーポレーションの持ち株をテマセクに売却(06年1月13日)
⇒タクシン一族のShin Corp. 株のテマセクへの売却を正式発表(06年1月23日)
107-3.タクシンの税金逃れの手法に疑惑と関心が集まる(06年2月1日)
⇒アンプル・リッチ社は子供の名義に変えられていた(06年2月1日追加)
107-4.憲法裁判所がタクシンのビジネスに関する調査を検討(06年2月15日)
⇒8対6で調査をおこなわないことに決定(06年2月16日)
107-5. チャムロン、打倒タクシン運動に参加宣言(06年2月20日)
108. 政府主催の津波1周年記念行事を一部の村人はボイコット(05年12月26日)
スマトラ沖地震による大津波から早くも1年が経ち、各地で追悼記念行事がおこなわれている。タイでも約8,000人に上る死者や行方不明者(タイ政府の公式発表は5,395人)が出ており、未だに引き取り手が判明しない多くの遺体が安置されている。
タイの津波ではタクシン首相が被害地を飛び回り、被害者の救済と復旧を陣頭指揮する姿が連日連夜テレビで放映され、しかも「タイは外国の援助は不要であり、自分達で復旧をやってみせる」などと大見得を切り、タイ国民を感動させた。
そのおかげで、当時かげりの出ていたタクシンの人気が一気に高まり、今年初めにおこなわれた国会議員の選挙で与党TRT党は大勝利を博した。まさに「タクシン劇場」を演出して見せてくれたのである。
しかし、その後どうなったかと言えば、復興が真っ先におこなわれたのは、タクシンの息のかかった「ホテル」などの観光資本であり、一般住民の被害回復は後回しであり、住宅その他未だに不十分な状態が続いているという。
また、津波警報システムの構築や医療活動については日本初め各国から多大な援助を受けたことはいうまでもない。
その中で津波1周年の記念行事がおこなわれた。しかし、それは多く村人の心情をあまりに無視したものであった。まず、追悼行事はテレビ映りがいいように「派手やかにやろう」ということが決まっていた。
そのイベントの企画を請け負ったのは、何とタクシンのクローニーであるパイブーン(Paiboon Damrongchaitham)が所有するGMM Grammy Plc.社であった。パイブーンはバンコク・ポストの買収を試みた人物である。(上の#94の記事参照)
このGMM Grammy Plc.は流行歌手や映画スターを大動員して、「津波犠牲者追悼大会」をプケットやピピ島などの各地で展開したというのだから、その神経の図太さにはいささか驚き入るしだいである。タイ政府の意図は「観光客の誘致」にあるのだという。
その費用は〆て4億バーツ(約12億円)であったといわれている。そんな金があったら被災者への援助に回してほしいというのは村人の声である。タクシンはプケットの式典に参加し「犠牲者は来世では幸せに生きるであろう」と演説した。
タクシン流バカ騒ぎに誰よりもショックを受けたのは当の被害者である村人である。彼らは、静かに仏教あるいはイスラム教の儀式にのっとり、犠牲者の鎮魂を行いたいとして、あえてタクシン政府主催の「記念行事」には参加しなかったものがかなりいたという。
訪れている観光客の多くも、静かな追悼を望む村人に同情の念を寄せているという。もちろん、被害者の遺族や友人で、犠牲者の例を弔うべくタイにやってきた外国人の神経を逆なでしたことは言うまでもない。(WSJ,Internet版、05年12月26日、参照))
これとは別な話しだが、現在、南タイは40年ぶりという大洪水に見舞われ、多くの死者がでており、経済的被害も甚大である。そこでタイのテレビ局は「洪水被害救援募金」のキャンペーンをやろうとしたところ、タクシンから横槍が入って取りやめになったという。
その理由は「タイ政府が面倒を見るから、一般国民は援助の手を差し伸べる必要はない」というものである。これに対して、先の津波の時もタクシンは同じようなことをいって、外国援助を断ったが、結局たいしたことはできなかったではないかという批判が高まっているという。
また、こういうときこそ、南タイ以外の国民(圧倒的多数が仏教徒)が被災地の住民に直接援助の手を差し伸べる機会を与えられたほうが、「南タイ騒乱」で疎外感をつのらせ、分裂状態にある南タイのイスラム教徒との一体感を取り戻すきっかけになると思うのだが。
タクシンにしてみれば「タイのことは全てオレが取り仕切っているのだ」ということであろうか。
109.中国の製造業がタイにとって脅威になり始める(06年1月3日)⇒「タイ経済」に移行
110. 2006年のタイ経済⇒「タイ経済」に移行
110-1.2006年のタイ経済はさほど期待できない(06年1月5日)
110-2. 政治的混乱によって成長率は3.5%以下に?(06年3月22日)
110-3. 金利を0.25%上げ4.75%に。バーツ高進む(06年4月11日)
110-4. タイの06年1Qの成長率は6.0%と好調?(06年6月6日)
110-5. 06年5月の消費者信頼度指数は4年来の低水準(06年6月12日)
110-6.このままではタイの06年は4%成長はムリ、産業連盟(06年6月29日)
110-7.タイの自動車生産は06年1-5月は18.2%増の49万8千台(06年6月30日)
110-8 タイの06年6月の自動車国内販売は12.4%減(06年7月13日)
⇒タイの06年上期の自動車生産は14.8%増(06年8月8日)
⇒タイの06年1~8月の自動車輸出は29%増(06年9月30日)
⇒タイの2006年の自動車販売は682,500台と3%減少(07年1月12日)
110-9. タイの06年2Q成長率は4.9に低下(06年9月4日)
110-10. 06年の外国からの投資は減少傾向、07年はさらに悪化?(06年10月25日)
110-11. タイの消費者信頼度指数は順調に回復(06年11月10日)
110-12. タイの不動産業06年3Qは業績にカゲリ(06年11月16日)
110-13. タイの上場企業は売上増加21%、利益はわずかに1%増(06年11月20日)
110-14. タイの06年3QのGDPは4.7%とやや低下(05年12月4日)
110-15. 異常なバーツ高に中央銀行介入(06年12月6日)
⇒タイ中央銀行、為替投機防止策の妙案(?)を発表(06年12月19日)
⇒バンコク証券市場大暴落、730.55→622.14(06年12月19日)
⇒株価急回復1日で64%戻し691.55に(06年12月20日)
110-16.タイの06年11月の貿易収支の黒字が前月比倍増(06年12月21日)
110-17. タイの銀行ー貸し倒れ引当金積み増しで大幅減益(07年1月23日)
110-19.タイの06年4Q成長率は4.2%と鈍化、通年では5.0%(07年3月6日)
110-20.06年の上場企業の純利益は12%減少(07年3月7日)
111.タクシンの政治危機と選挙(別ページにまとめました)
111-1.タクシンついに議会を解散、4月2日に投票(06年2月24日)
111-2.野党も4月2日の選挙を受けて立つ(06年2月27日)
⇒タクシンが野党の政治改革要求拒否、野党3党は選挙をボイコット(06年2月27日)
111-4.陸軍司令官曰く 国王は現在の政治情勢について強い不快感、(06年3月8日)
111-6. 国王が1992年事件のとき和平を諭した映像をいっせいに放映(06年3月13日)
111-7. 警察官僚出身のチドチャイを第1副首相に任命(03年6月15日)
111-8.タクシン支持派の農民など地方から集結(06年3月18日)
111-9.サイアム・スクエアのデモ行進を決行、さほどの混乱はなし(06年3月30日)
111-10. TRT党への支持票が激減の情勢(06年4月3日)
⇒タクシンは勝利宣言するも、内容は大敗(06年4月4日)中278選挙区はTRT候補社しか立候補しておらず、他はにわか作りの野党候補が出
111-11 タクシン首相の辞任で民主派と合意成立(06年4月4日)
111-12. タクシン辞任後は院政を目指す(06年4月5日)
111-13. 民主派はタクシンに対する警戒感を緩めず(06年4月8日)
111-14.憲法裁判所、4月2日の選挙無効判決、やり直しを命じる(06年5月8日)
111-15. TRTゲート、選挙管理委員長シドニーに逃亡?(06年5月12日)
⇒ワサナ委員長のシドニー行きの同乗者たち(06年5月21日)
111-16. 選挙管理委員長、辞任の意向、新党の動き活発化(06年5月17日)
111-18. 選挙管理委員会がTRT(タイ愛国党)の解散を司法にゆだねる(06年6月6日)
111-19. ウィサヌ副首相が辞任、タクシン首相ますます窮地に(06年6月24日)
111-20.TRT党のみならず民主党にも解散命令?(06年6月28日)
111-21.タクシン;「カリスマ的人物が追放を策す」発言(06年7月11日)
111-22.ソンティ陸軍司令官、親タクシン派軍幹部を左遷しはじめる(06年7月20日)
111-23 タイ.国王10月15日の選挙を裁可(06年7月21日)
111-24. 選挙管理委員3名が有罪、4年の禁固刑(06年7月25日)
112. クメール期の仏像が東北タイの水田の中から出現(06年5月14日)
113.チャロン・ポカパン社、鳥インフルエンザで61%減益(06年8月5日)
タイの地元資本の代表格で、一族がタクシン内閣の閣僚を務めるなど、「飛ぶ鳥落とす勢い」のチャロン・ポカパン(CPF=Charoen Pokaphand Foods)社が主力のビジネスのニワトリ事業が鳥インフルエンザの影響で不振となり、06年2Q(4~6月)の純利益が前年同期にくらべ63%の減益となった。
CPFはタイでは最大手の養鶏業者であり、輸出、国内ともトップのシェアを占めている。しかしながら、最近の鳥インフルエンザ騒動の再燃で、国内、海外ともに売れ行きが落ち、06年1Qの純利益は10.2億バーツ(31億円)と前年同期の27.3億バーツと約63%の減益となった。
売り上げは318.8億バーツ(970億円)と05年2Qの300億バーツを6%上回ったが、生産コストが271.2億バーツと前年同期の2336.6億バーツよりも16%も高くなっている。その主因は石油価格の高騰が直接、間接に響いたことにある。
CPFは中国で食料品関係の事業を幅広く展開しており、ショッピング・モールも所有している。
CPFの株価は8月4日は1株あたり4.96バーツと、7.29%も暴落した。
114. タイ米作協会が50%の値上げを政府に要請(06年8月16日)
タイの米作者協会は商務省に対し、ジャスミン・ライス(香米)の買い上げ補償価格を現行の1トン当たり10,000バーツ(3万1000円)から15,000バーツ(1Kgあたり48円)に値上げするよう要請を出した。
また、一般の白米(インディカ米)については1トン当たり7,000バーツから10,000バーツへと価格引き上げを要請した。
その根拠は最近の石油値上がりに伴い、生産コストが40%上がっているというものである。化学肥料も1トン当たり10,000バーツから13,000~14,000バーツへと値上げされたという。
また、トラクターのリース料も1ライ(約500坪)あたり、400バーツから500バーツに値上げされた。殺虫剤は1Kg当たり30バーツから50バーツへと上昇した。
これらを総合すると米の生産コストは35~40%上昇しているという。
現在のジャスミン・ライスの輸出価格はヴェトナム産が1トン当たり400米ドル(約46,500円)、タイ産が540米ドル(約63,000円)であるという。ジャスミン・ライスはタイ国内はもちろん中国をはじめ香港、シンガポールなどで「香米(シャンミー)」として幅広く販売されている。
もし、この値上げが政府に認められれば1トン当たり600米ドル(約70円/Kg)以上にはなると生産者協会ではみている。これに船賃や流通業者のコストと利益としかるべき関税がかかると結構いい値段にはなるであろう。
これが輸入されたからといって日本の米作農家が壊滅するなどということはおよそありえない。ただし、日本が買い始めると生産量に限りがあるジャスミン・ライスの国際価格は急騰するであろう。
(ネーション紙8月16日付けインターネット版参照)
115. シン・コーポレーションの06年2Qの純利益は約30%減(06年8月18日)
タクシンがシンガポールの国営投資会社TEMASEKに売り渡したタイ最大の通信会社であるシン・コーポレーションの06年2Q(4~6月)の純利益は16億バーツ(約49億6千万円)にとどまり、05年2Qの22億8千万バーツに比べ29.8%減少した。
また、06年1Qの純利益22億6千万バーツからみても29.2%の減少となった。
シン・コーポレーションの利益の約90%はAIS(Advance Info Service)という携帯電話会社からのものだが、AISの利益は5%減であったという。
AISはタイのケイタイ市場では42.8%のシェアをもつが、一連のタクシン辞任要求の「民主化運動」の中で他の競争相手に顧客が流れているといわれている。AISのマーケット・シェアはもともと60%といわれていた。
シン・コーポレーションの他の子会社である格安航空会社のタイ・エア・エイシア(Thai AirAsia)の持ち株比率を低下させたことによる減収要因のほかテレビ局のiTVの経営不振(広告収入減)が響いているという。
TEMASEKはシン・コーポレーションの株式の96%を握っているが、一連の騒動の中でバンコウ市民を中心とするボイコット運動的な動きもあり、今後の経営についてはかなり難しいものがあることは確かである。
116.タクシン後の暫定政権
116-1. 暫定政権首相はスパチャイで内定か?(06年9月26日)
118. タイで60年ぶりの洪水、被害額は既に100億バーツに(06年10月16日)
60年ぶりといわれるチャオプラヤ川流域の洪水はバンコクに近づきつつあるが、既に100億バーツ(320億円)の被害が出ている。上流から徐々に押し寄せてくる洪水を平野部に拡散しつつ、河口付近のバンコクに洪水被害が集中しないような作戦が取られている。
アユタヤでは王室所管の土地に水を誘導するよう国王が認可を与え、水門も一部開かれているが、アユタヤ全域にまで洪水が拡大し、寺院史跡も水浸しになっているという。
農業・農協省の発表では被害は58県に及んでいるという。最悪の時期は2週間くらいで終わるが、影響は11月末まで続くと見られている。バンコクでも懸命の防水対策をおこなっているが、場所によっては、思いがけない交通渋滞や道路の冠水が起こりうる。
⇒バンコクで大洪水のおそれ、今週前半がピーク(06年10月23日)
バンコクを流れるチャオ・プラヤ川は22日(日)に水量が海抜1.9メートルを超え、市内各所で洪水になってるが、月曜日から水曜日にかけてさらに2.2~2.3メートルにまで水位が上がると見られている。
バンコクのアピラク知事は要所要所で土嚢を高さ2.7メートルにまでかさ上げするように指示を出しているが、個人の所有地では徹底できないところもあり、市内各地で洪水が起こる可能性が高まっている。
最近では1979年と1995年に大洪水が起こったが、今回はそれを上回る可能性が高いという。ピークは今週の前半と見られている。
既に、全国では今回の洪水により100名以上が死亡し、40万人以上が伝染病などに罹病しているという。また、タイ南部でも洪水の警報が出されている。
119. 鉄道や港湾の民間委託経営を検討(06年11月24日)
プリディヤトン副首相兼財務相は民間企業に港湾施設や中長距離鉄道をリースして経営に当たらせることを検討していると語った。
この発言の主旨は過去の官僚まかせの経営では効率が上がらず、せっかくの国家資金による投資が十分生かされていないということである。
これは私達外国人がタイで鉄道を利用しようとするときに誰もが感じることである。簡単に切符がとれないほど需要があるのに列車の本数が1日数本というように、極端に少ないのである。
また、港湾施設も不十分でレバンコクに近いムチャバン港と南部のスラタニやソンクラの港をもっと利用すれば、マレー半島の道路輸送を大幅に減らすことが出来る。しかし、港湾のコンテナー・ヤードなどの施設が貧弱なためタイ湾という絶好の水路が生かされていない。
これらの問題点を解決するために「国民物流委員会」を早急に設立して、具体策を検討していく方針であるという。その場合、マネージメントを民間企業に委託するなどの抜本策が必要である。
マレー半島の長距離物流の遅れが南タイの発展を遅らせてきたことは自明であり、早急に中長期対策の策定が急がれる。
タイの場合はトラック輸送業者やバス会社の政治的影響力が強く、鉄道や海運の総合的利用という視点での合理化が立ち遅れていたといわざるを得ない。
(ネーション、インターネット版、11月24日付け参照)
120.米国西海岸で働く奴隷状態のタイ人48名が解放される(06年12月11日)
現在、米国の西海岸には学生も含め10万人のタイ人がおり、その90%が労働許可証を持たない不法就労者であるといわれている。彼らの多くは労働斡旋業者にだまされて連れてこられ、半ば監禁状態で鉄工所やタイ・レストランでほとんど賃金の支払いも受けずに働かされているという。
今回、摘発された例は韓国人の所有するコタ・マンパワー(Kota Maanpower)とHi Cap Recruitementという口入稼業の例で、カリフォルニアの鉄鋼会社(Trans Bay Steel Co.)が溶接工を募集しているという触れ込みで48名のタイ人が米国に連れてこられた。
そのうち、9名は鉄鋼会社で働かされたが、のこり39名は電気もガスも水も不十分なベッドもない部屋に閉じ込められ、パス・ポートも取り上げられ、行動も制限され半ば奴隷状態で、上記2社が経営する「タイ・レストラン」で1日10時間労働で、休日はなしで強制的に働かされたという。
これが、実に2002年の12月から最近まで続いていたというのだから驚きである。Trans Bay Steel Co.というのも労働者斡旋業で事件の発覚後100万ドルを支払うことに合意したという。
この件が発覚したのは彼らの1人が脱走し、現地のタイ仏教寺院に駆け込んで事態を明らかにしたためである。警察の手入れがあり韓国人が経営するレストランは閉鎖されたがオーナーのキム・ヨータイクという人物は高飛びして逮捕されていないという。
同種のケースは数多くあり、ここで働いていればいずれグリーン・カード(米国居住権)が取れるなどといってダマされて、何年も低賃金で酷使されているタイ人(に限らないが)は多数存在するといわれている。
(Bangkok Post、12月11日、インターネット版)
121.米国がタイのGSP(特恵関税)を2年間延長(06年12月13日)
米国議会は06年末で期限切れになる予定であったタイのGSP(Generalised System of Preference=特恵関税)をさらに2年間延長する決定を下した。これによってたとえばプラスチック製品は6%課せられると考えられていた関税がゼロで継続されることとなった。
現在米国がタイから輸入している金額のうち約19%がGSPの適用を受けており、2005年で35億ドル、06年の1~9月で31億ドルに達している。宝石だけで年間6億ドルの対米輸出があり、タイの宝石業界は来年は対米向け輸出が15%は伸びるとみている。
タイは米国向けのGSPの延長はありえないという見方が強かっただけに今回の米国の措置には大いに感謝しており、FTA交渉にも前向きの効果をもたらすかもしれない。
122.6億バーツの津波記念博物館の建設注に浮く(06年12月26日)
スマトラ沖地震による津波被害を記念する「津波記念博物館」建設計画(予算6億バーツ)がタクシン政権時代に建てられていた。それはカオ・ラク。ラムル国立公園内に建設される予定であった。
文科省はこのプロジェクトを進める方針で、建設如ル環境アセスメントのための予算300万バーツ(約1000万円)を請求したが、いまどき、6億バーツ(約20億円)もかけて「津波博物館」を建てるより、ほかにカネの使い道はいくらでもあるとの声が強く、このプロジェクトは進みそうもない。
津波、予報施設や観測装置が予算がなくて遅々として進んでいないといわれるなかで、ハコモノに大金をかけるなどということは極東の某経済大国ならいざ知らず、到底タイではやれないことは明らかである。こういう話は被災者救済のメドがたった後の話であろう。
しかし、タクシンはあえてそれを強行しようとしていた。関係している「現代美術文化局」は既にデザイン代に5,000万バーツ(1億6500万バーツ)を費やしているという。
(ネーション、インターネット版、06年12月26日)
123. 欧米7カ国大使、津波援助資金の使途について調査要求(06年12月27日)
米国、英国、フランス、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、オランダの7カ国の大使が連名でタイ政府に対し、2004年12月の津波災害時に提供した民間の寄付による援助資金(6,000万バーツ=約20億円)についてタイ警察長官コーウィットに調査を求める書簡を送った。
同時に、所管では資金の支出について民間の信用の置ける監査機関の審査を受けるように要求している。
コーウィットは急遽、副長官をヘドに据えて特別調査チームを編成すると語った。、
欧米外交団の疑念は、7カ国が供与したとされる津波被害者に対する救済基金の60%が不正または不適切に使用されたということにあるが、外交団も確たる証拠があるわけでもなく、タイ政府の事実調査と慎重な対応を求めたものと思われる。
タイ外務省は国の名誉にかかわる重大問題として捉え、各国に対し「噂を信じちゃ困る」という主旨の返答をしたという。しかし、津波発生直後、外国からの援助基金の支出を取り仕切っていたのは警察で、これは「泥棒に金庫番をさせたようなもの」というような信じがたい批判も一部にはあった。
津波による犠牲者はタイ領土内だけで、死者6,000名、行方不明者3,000名といわれ、最近まで約500名分の身元不明の遺体を補完していたが、集団埋葬したばかりである。