99. スマトラ沖大地震とインド洋大津波

99-0.スマトラ沖大地震発生津波により死者数万人規模に(04年12月26日)

スマトラ島沖200Kmのインド洋上の地下10Kmで日本時間午前10時ごろマグニチュード9.0(米国観察)という20世紀以降最大規模(5番目)の地震がが発生し、 各地に津波による膨大な犠牲者が発生している。

スリランカでは5-10mを超える津波が押し寄せ少なくとも18,706名以上が死亡し、インドネシアでは27,174名と一気に犠牲者数が増えた。インド はこれから増えてくるものと思われる。タイも1,400名に急増した。

詳しくは下の表をご覧ください。犠牲者の数は時間がたつごとに増加しています。

インドでは津波被害の実態がゴク部分的にしか掌握されておらず、犠牲者の数は1万人を超える恐れもある。

バングラディシュやビルマの犠牲者もかなりの数に上っていると思われ、全体では数万人規模に達するものと思われる。

特に、インドネシアのスマトラ島では現地とジャカルタとの通信はようやく復旧したものの、スマトラ島内の連絡が途絶えた箇所が依然多い。アチェ地区だけで4千人を超える犠牲者が出ている が、他地域でもさらに増加することが予想される。

タイもアンダマン海よりの保養地プケット(日本から直行便が飛んでいる)などにも津波が押し寄せ、日本人を含む多数のの犠牲者が出ている模様。また、普段地震がないといわれていたマレーシアやシンガポール でもゆれを感じたと伝えられる。

また、マラッカ海峡よりのメダンでもマグニチュード5程度の地震が観測されたという。 (日本時間12月26日午後19時30分書き込み)

(http://www.bbc.co.uk/)のニュースが目下のところ一番早いと思われます。

 

各国政府公表の推定死亡者数(日本時間)

  12月26日21時 12月28日4時 12月29日4時 1月2日21時 1月13日22時 1月20日6時
スリランカ 1,500 13,000 18,706 28,729 30,899 38,195
インド 1,000 6,597 6,597 9,067 10,672 10,749
インドネシア 400 4,725 27,174 80,246 110,229 166,000
タイ 156 869 1,400 4,895 5,291 5,291
マレーシア 17 51 51 67 68 68
バングラディシュ n.a. 2 2 2 2 2
ビルマ(ミヤンマー) n.a. 56 56 90 90 90
モルジブ n.a. 52 52 73 82 82
ソマリア   100 100 200 298 298
合計 3,073 25,452 54,138 123,470 157,631 220,775

上の表はBBC(インターネット版)の数字、ジャカルタ・ポストの数字などで補正したものです。また、別にタンザニア10名、ケニヤ1名という数字も報告されています。

(04年12月28日以降追記)

インドネシアだけで犠牲者は2万1千〜2万5千人に達する見込みであると、ユスフ・カラ副大統領は語っているという。 (実績は既に2万7千名を超えている。12月29日)⇒さらに10万人を超えるとも見られている(05年1月2日現在)

(05年1月2日追記)

死者は12万3千人を超える。最終的には15万人と米軍筋では推計している。しかし、私はインドはもっと多いはずだし、ビルマやバングラディシュの数字も少なすぎるように思える。

インドネシアは10万人に達するものと見られている。タイもおヨーロッパ人を中心に6,000人以上が行方不明ということである。

(05年1月5日追記)

上記の数字は外国人が含まれていると考えられるが、今なおおびただしい行方不明者を出している。特に北欧を中心とするヨーロッパ人の死者不明者が多い。

国名 死亡者数 行方不明者数 死亡者数 行方不明者数
ドイツ 60 678 60 615
スウェーデン 52 637 52 637
イギリス 51 359 53 221
フランス 22 90名以下 22 74
ノルウェイ 12 76 8 78
フィンランド 15 174 15 174
デンマーク 8 24 8 41
南アフリカ 10 93 11 15
日本 24 68 25 68
イタリー 20 268 20 190
スイス 23 250 23 240
オーストリア 15 158 13 106
韓国 12 8 12 8
米国 37 不明 37 不明
ニュージーランド 2 578 2 207
オーストラリア 23 18 23 18
香港     12 45
オランダ 6 30 9 30

資料出所;、WSJ、1月16日9時(左)、右欄1月20日21時

 

99-1. 各国から援助申し出で相次ぐ-国連中心の援助体制で一致(05年1月 7日)

各国の津波被害支援申し出額は以下の通りです。金額表示のみで、実際の内容は国別にかなり異なります。EUの某担当官は援助競争がエスカレートしてきてまるで「ビューティ・コンテスト」みたいだといっていたとのことです。

これとは別に、インドネシアなどが抱える巨額の対外債務を減免すべきであると言う主張が日本や国連からでていますが、オーストラリアなどは異論を唱えています。

1月6日にジャカルタで被災国と救援国による「津波サミット」がひらかれたが、ASEAN側の強い要望により、「国連中心」で援助体制を組むことで合意した。

当初米国は「米国や日本やオーストラリアなどを中心にしたコアー・チームで援助を行う」というブッシュ主義(イラン侵略と同じ考え方)を主張していたが、ASEAN側(特にインドネシア)の強い反対にあい、国連をセンターとすることで話がまとまった。

日本の一部の新聞報道によると、米国に一歩ひかせて国連中心主義でまとめたのは「小泉首相の米国への説得が効を奏した」などと書いてあるが、ASEANが国連中心主義を養成していたのはサミット(6日)よりもだいぶ前からである。

日本がどうしたというより、パウエル国務長官の判断力でそうなったと理解すべきであろう。ことあるごとに「日本のおかげで・・・、とか小泉首相の尽力で・・・」などというのは、いかにも「大政翼賛的」で感心しない。

アジアの新聞はどれをとっても、サミットでの日本のイニシアティブ(構想)など取り上げてはいない。

大任を負かされた格好の国連は当然各国の積極的協力を仰がなければ、援助活動を進められないが、目下のところは順調に行っているようである。

タイが身元不明者のDNA鑑定をタイ国内の鑑定機関14箇所を総動員して行っているが、2,500体以上の鑑定は処理しきれずに、タイ政府の判断で1,000体分を中国にやってもらうことになったと伝えられている。

タクシン首相と、チャワリット元首相(現副首相)は大変中国を頼りにしているようである。1997年の通貨危機のときはチャワリット首相(当時)自身が中国に出向いて、「資金援助」をお願いしたという話は有名である(答えはゼロ回答であったといわれる)。

下の表は各国の援助申し出額で、オーストラリアはさらに100億ドルほど上積みしたと伝えられる。内容もまちまちであるが、「無償供与」部分と「融資部分(返却義務がある)」とがはっきりしない。

アナン事務総長は今後半年間に9億7,700万ドルの実態のある援助をしてほしいと強く要求している。 というのは、従来の例だと、各国の「約束」は過去においては必ずしも100%実行されてこなかったという不名誉な実績があるからかもしれない。

GOVERNMENT AID
 
Australia, $764 million Germany, $674 million
Japan, $500 million United States, $350 million
Norway, $183 million France, $103 million
Britain, $95 million Sweden, $75.5 million
Spain, $68 million Canada, $67 million
Denmark, $66 million China, $60 million
South Korea, $50 million Taiwan, $50 million
Netherlands, $32 million EU, $31 million
Switzerland, $23.5 million U.A.E., $20 million
North Korea, $150,000

WSJ05年1月6日、Internet版

 

99-2. インドネシアの死者は10万1千人に(05年1月7日)

インドネシア政府が1月7日(金)に発表したところによるとインドネシアの津波による死者はそれまでの94,000人から一挙に101,318人に増加した。さらに1万人を超える行方不明者がいるとのことであろう。(ジャカルタ・ポスト1月7日による)

これによって、インド洋津波による死者は公式数字でほぼ15万人に達した(上の表参照)。これからもさらに増えていくことは確実であり20万人近くにに達する恐れもある。

今回は外国人の死傷者、特に北欧系の死者・行方不明者が多いのが特徴である。国別一覧は上の表に見るとおりであるが、日本人も240名程度が行方不明と言う見方がなされている。

また、最近の報道ではフィンランドの行方不明者は183名ではなく1,500名以上であると言われている。

イギリス人についても、上の表では死者41名、行方不明者151名、計200名となっているが、ストロウ外相は確認された死者は49名、行方不明者391名、計440名の犠牲者が出ていると語っている。(BBC、1月7日)

⇒死者110,229人(05年1月13日)

⇒死者と行方不明者240,772名に(05年2月6日)

インドネシア保健省が推計したところによると2月5日現在のインドネシアの津波による市眉宇者と行方不明者は240,772名に達した。遺体が確認された数は約11万人である。

 

99-3. バタム島、アチェ避難民の受け入れ拒否(05年1月8日)

インドネシアとシンガポールの中間にあって、工業地域として開発され、日系企業もかなり進出しているバタム島は、アチェからの避難民が親戚を頼って島にやってきたところ、入島さえ認めないという事態になっていることが判明した。(ジャカルタ・ポスト1月8日)

それはバタム島が作っている人口抑制措置のための規則であり(Batam Bylaw No. 2/2001)、バタム島に一時的に入ろうとするものは「身分証明書の提示と、往復の旅行券(船)と一定の預貯金をもっていなければならない」というものである。

その預貯金の額も滞在1日あたり13万ルピア(14ドル)という、貧しいインドネシア人にとっては途方もない金額である。

国際支援の高まりの中でインドネシアの国内で、インドネシアの官憲が援助の妨害行為を行っているという情報がかなり出てきているが、緊急事態下にあって、同国民をこのような扱いをするということは信じがたいことである。

難民の1人は親戚を頼ってバタムにやってきたが、役人があまりに多くの「要求」を出すので、「着の身着のまま」でやってきた身としてはどうしようもないと途方にくれていた。 帰りの船賃も果たして持っているのかどうか?

難民はいったんはセクパン(Sekupang)トランジット・ハウスに留め置かれ、翌日の船で強制的に追い返されるという仕組みになっている。 インドネシア政府も外国からの援助を待つばかりが能ではあるまい。こういうところを真っ先に直すべきであろう。

バタム人口管理事務所の責任者は、「現在35人のアチェ人が収容所にいる。彼らは難民と称しているが、実際はこの島に仕事を求めにやってきているのである」とまるで外国の役人みたいなことを言っている。

これを見ると、バタム島というのはシンガポール政府とインドネシア政府が外資用に共同開発した島であるが、インドネシア人にとっては災害にあっても避難してくることもできず、またシゴトを自由に求めて やってくることもできない「別の国」になっていることがわかる。

役人側に言わせると、あまりに多くのインドネシア人がバタム島にきたがるので、規制を強化せざるを得ないといっているという。

バタム島が何時から独立国になったのであろうか?しかし、これはバタム島のだけの話ではない。外国人の援助と外国人のアチェへの入境を最も嫌っていたのはアチェ駐在のインドネシア国軍であったことは良く知られている。

軍人であれ、官僚であれ、利己的な人間が少なくない。しかし、そうなったのは特に「スハルト独裁体制」になってからのような気がする。その悪しき伝統は今なお消えてはいない。

 

99-4. インドネシア政府早くも外国人のアチェへの入境制限(05年1月10日)

ユスフ・カラ副大統領は外国人のアチェへの入境とアチェ内部の行動を制限すると発表した(1月9日)。これは、アチェでの救援活動のメドが付いたといより、GAM(アチェ分離独立運動)と国軍との銃撃戦があったことによるものだとしている。

しかし、実態は国軍兵士が起こした一方的発砲事件の疑いが濃厚であるといわれており、「外国人嫌いの将軍たち」がジャカルタ政府に外国人の自由な行動を制限せよという強い要求に基づくものだといわれている。

GAMが救援活動に来た善意の外国人に危害を加えるとはおよそ考えられず、アチェでのインドネシア国軍の行動が外部にもれることを極度に警戒した措置だろう。

特に救援物資の「分配」は国軍が一手に行うことを狙っており、救援物資をめぐる新たな不正が現地では懸念されている。もちろん救援物資の分配は公正に行われなければならないが、そのための国際的監視体制が必要である。

インドネシア政府は「公正な分配」を保証する義務があることは当然であり、外国人の監視の目を避けるべきではない。

(イスラム過激派のアチェ入り)

一方において、ジャワ島のイスラム過激派集団であるFPI(イスラム防衛戦線)やMMI(ムジャヒデン協議会=バアシールが会長)のメンバーが続々アチェ入りしているという。

FPIはジャカルタの夜の繁華街をデモし、打ちこわし運動を行ったり、モルッカ諸島や中部スラウェシ(ポソなど)でキリスト教徒との紛争事件(流血事件)を起こしたりすることで有名なイスラム暴力団である。

また、MMIはこれまたイスラム原理主義運動の元締め的存在で傘下にはこれまた有名なイスラム暴力組織(Laskar Jihad,Laskar Jundullah,FPIなど)を抱えている。また自らの暴力組織であるLaskar Mujahidinを組織している。

彼らはいずれも国軍の支援を受けて設立された団体であり、国軍から武器弾薬を支給されている組織である。彼らがなぜアチェに入ってきたかといえば、津波に打ちひしがれた民衆に「精神的な支援」を与えるためであるとしている。

しかし、彼らは軍の別働隊であるとう側面は否定できず、国際的な批判にさらされつつあるインドネシア国軍にかわって、今後ある程度の「治安維持」活動を行う可能性もある。

おそらく、彼らは今後のアチェでトラブル・メーカーになるであろうことは想像に難くない。

 

99-5.マングローブとサンゴ礁の破壊が津波被害を大きくした(05年1月11日)

自然保護団体WWF(World Wide Fund for Nature=自然保護のための世界基金)によれば津波被害に対する自然の防波堤としてマングローブと珊瑚青礁の再生が必要である。

今回の津波被害の実態を見ても健全な珊瑚礁とマングローブが存在していた海外線は被害がさほど大きくならずにすんでいたとWWF のアジア太平洋地区代表のいイサベル・ルイス女史は述べている。

スマトラ島でも近年、エビ養殖地造成のためメンブローブが大幅に伐採され、津波が直接住民や住居を襲う形になってしまった。また、タイの場合はリゾート開発によってもマングローブが破壊されている。

珊瑚礁の防波効果も顕著であり、今回モルジブでも82名の犠牲者が出たが、政府の珊瑚礁保護政策がなかったら、被害はもっと拡大していたと見られている。

同様の報告は文化科学省の調査団代表、河田恵昭・京都大学巨大災害研究センター長のスリランカでの調査から帰国後のインタビューでも語られている(05年1月10日付け日経新聞)。

エビ輸入大国である、日本としても供給国の環境にも配慮した輸入政策が必要なことを認識する必要がある。安い海産物の乱食、安い南洋材の乱費など厳に自制しなければならない。

⇒インドネシア政府は早速マングローブ再生計画(05年1月14日)

コバン(M.S.Kaban)森林相は将来の津波被害の対策として、早速60万ヘクタールのマングローブ林を再生させる計画を作り、実行に移したいと語った。

現在、インドネシアには350万ヘクタールのマングローブ林があり、それは全世界のマングローブの3分の1に相当する面積である。

しかし、近年、エビ養殖池の造成、リゾート開発、工業化、移民政策などによってマングローブ林が急速に破壊されつつあり、ここ2−30年の間に30%が消滅してしまった。

コバン森林相はアチェの今回の津波被害を考えれば、「まず早急にアチェ地域に最低3万ヘクタールのマングローブ林を再生させる必要がある。そのための費用は2,000億ルピア(約23億円)必要である。」と語った。

しかし、米国の「マングローブ・行動・プロジェクト(Manggrove Action Project)」のアルフレド・カルト(Alfredo Quarto)氏によれば、「タイで試みたマングローブ再生策は失敗した。その地その地に適した方法をまず探す必要がある」とのことである。

このような、インドネシア政府の現地への「思いやり」の姿勢があれば、アチェの分離独立運動などそもそも起こりえないのである。

 

99-6. 外国人の支援部隊・個人は3月26日までにアチェから出て行け(05年1月13日)

1月9日の外国人の援助団体・個人のアチェ内の移動制限が発表されたが、インドネシア政府はさらに、3月26日までに外国の援助団体・個人はアチェから立ち去ることを要求すると同時にあらゆる外国人の「登録」を義務付けた。

これは、1月12日にBBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)大統領が出席する臨時閣議(メンバー制限)で決定されたものである。その理由として、インドネシア人は外国の援助に何時までもオンブしないで自力で復興作業を行わなければならないというものである。

大変結構かつ崇高な理由であるが、問題は1月6日ジャカルタで援助国サミット(被災国も参加)が開かれ、国連中心に救援・復興活動をやることを満場一致で決めたばかりである。

それから1週間もたたないうちに、インドネシア政府は国連やその他の主要援助国に一言の相談もなく外国人の援助は「3月26日以降は必要ないから出て行ってくれ」というご挨拶である。これには外国人一同、あいた口がふさがらないであろう。

国連や米国は怒りを隠しきれないが、自力でやるというなら、ジャカルタ・サミットでそういう留保条件を明らかにすべきであった。インドネシア政府には予算面からもハード面からも単独でアチェの復興などできるはずがないというのは明らかではないか。

実態は、私が上(99-4)で指摘したように、国軍が一方的なアチェ支配を続けたいということである。アチェの再建をインドネシア国民の統一意識向上に役立てたいというのは結構であるが、それには手順と礼儀が必要であろう。

口先で「テレマカシ(ありがとう)」といったところで、今回の非礼極まりない「一方的宣言」に対する国際的な反発は簡単には収まらない。

国軍は外国人がアチェ内で移動したり、援助活動を何時まで続けると、分離主義者(GAM)のテロにあうかもしれないなどとエンドリアルトノ・スタルト国軍司令官は言い訳しているが、GAMは過去に外国人に対する暴力事件を起こしたという話はあまり聞いたことがない。

逆に、外国人を撃ち殺した実績があるのはインドネシア国軍のほうである。今回は国軍参謀長のリャミザード(最右翼のナショナリスト)等の軍強硬派にSBYやスタルトが押し切られたと見るほうが自然であろう。

インドネシア軍がこのように急に強硬姿勢に出てきた理由のひとつには「外国からの援助がインドネシア軍の補給」に役立って、あまつさえ、彼らはアチェの民衆に対して「食料その他の生活必需物資の配給権」を確保したからだと見ることができる。

つまり、今まで以上に国軍がアチェの民衆に対して生殺与奪の権を握ったとも言える。GAM殲滅の絶好のチャンス到来という感覚であろう。彼らがアチェを暴力的に支配する現場を外国人に見られたくはないのだ。

こうなると、やはりSBY政権はナショナリストと自称する「オルバ(旧スハルト政権)」派主導の政権ではないかという疑念が改めて沸いてくる。今回の「事件」によって、今後の外国政府からの援助や外国企業の投資などに悪影響をおよぼすおそれも否定できない。

⇒外国軍隊の撤退期限撤廃(05年1月17日)

インドネシア政府(というより国軍)の身勝手発言について、米国からは「お望みなら米軍はいつでも出て行き、文民にシゴトを任せたい」といわれてしまった。国連はじめ、援助諸国からはオーストラリアを除いて反発を受けた。

インドネシア政府はおりしも、インドネシア訪問中のポール・ウオルフウィッツ国防次官と会談し、その後急遽、3月26日という外国軍の撤退期限を撤廃すると、ユオノ・スダルソノ国防相が1月16日(日)に発表した。

ユスフ・カラ副大統領やインドネシア国軍はとんだ大恥をかいた結果になった。これで国軍は懲りて、少しはリーゾナブルな存在になるであろうか?答えは残念ながらノーである。リャミザードのような極右ナショナリストを軍から追放しないかぎりそれは無理である。

SBYが処分を断行できるかというと、これまた頼りないのである。SBYはメガワティ政権時代にも「粛軍」を一切やらなかった。メガワティが軍部をあkばったからできなかったというのがSBY の言い分であろうが、彼は軍部にも担がれて大統領にしてもらったのである。

何度もいうようで恐縮だが、SBY政権内は軍強硬派やオルバ派(旧スハルト派)でかたまっており、民主的改革など「実行主体」がほとんどいないに等しい状態なのである。今回は大津波という自然災害によって、初めて軍の身勝手が多少掣肘を受けたに過ぎない。

 

99-7. 津波による死者22万人を突破(05年1月20日)

インドネシア政府は1月19日、同国の津波による死者166,000人、行方不明者6,245人という数字を発表した。これによって、今回の津波による死者は全体で22万人を突破することが明らかになった。

この数字は、さらに調査が進むにつれて増加する可能性がある。というのは、未だに連絡の取れない村落がいくつか存在するからであるという。

アチェでは80万人が家を失った。

バンダ・アチェでは人口の14%以上が犠牲になったという。

 

⇒最終の死者は30万人を超える(05年2月10日)

下表に見るとおり、インドネシア単独で死者行方不明者が242347名に達し、合計で30万人以上の犠牲者が出たことは確実である。

各国政府公表の推定死亡者数(日本時間)

  12月26日21時 12月28日4時 1月2日21時 1月13日22時 1月23日6時 2月10日6時
スリランカ 1,500 13,000 28,729 30,899 38,195 30,957
インド 1,000 6,597 9,067 10,672 10,749 16,389
インドネシア 400 4,725 80,246 110,229 173,981 242,347
タイ 156 869 4,895 5,291 5,291 5,393
マレーシア 17 51 67 68 68 68
バングラディシュ n.a. 2 2 2 2 2
ビルマ(ミヤンマー) n.a. 56 90 90 90 61
モルジブ n.a. 52 73 82 82 82
ソマリア   100 200 298 298 298
合計 3,073 25,452 123,470 157,631 228,756 295,608

注)最新の数字はBBC(05年1月20日)による。別にタンザニア等11名の死者が出ている。2月10日は新華社による。上記以外にタイには5,637名、スリランカには5,640名の行方不明者がいる。インドネシアは127,774名、インドは5,640名に行方不明者をカウントした。

 

⇒死者の数字が3通りーこれがインドネシア政府 か?(05年1月23日)

インドネシア政府はジルは3つの官庁から津波被害の死者の数字が発表されている。1つは上の数字、すなわち死者173,981名という数字を発表した保健省である。

2つ目は海外からの援助機関をサポートしている社会サービス省である。彼らは110,229人という死亡者数を発表している。

3つ目は国民福祉調整相のアルウィ・シハブ(Alwi Shihab=元外相でグス・ドゥルのPKBの党首)自身が発表している数字である。アルウィ・シハブは国軍を指揮下に置き、陸軍のリャミザード・リャチュドゥ(Ryamizard Ryacudu)参謀総長と一緒に仕事をしているということになっている。

というよりはリャミザードの代弁者のような仕事をしているといったほうが適当かもしれない。アルウィ調整相はことあるごとに、外国の軍隊に助けてもらうような緊急の仕事は終わったなどとわめき散らしている。

このアルウィ調整相が発表している数字は、確認された死者93,482名、死亡したと信じられる人数は132,172名だというのである。要するにこれがインドネシア国軍の公式数字ということになるのであろう。

本来、アルウィ・シハブは大統領ー副大統領に次ぐ、ナンバー3の地位にいるはずの現地の常駐者としてはトップの人物である。彼自身が自分の傘下の役所との調整もできていないといわざるを得ないのである。

彼は、先の2つの役所に自分のところで調整するから、その後で数字を発表しろといっているが目下のところ威令は行き届いていないようである。それは、彼がリャミザードのスポークスマンのようなことをやっているからそうなったのであろう。

各役所が自分たちの思惑で勝手に動くなどというのは、日本にありがちな現象かとと思いきや(失礼)、インドネシアではもっと激しいようである。

アルウィ・シハブが「外国の軍隊の役割は終わったからすぐに出て行け」などというのはリャミザードの本心ではあってもインドネシア政府の方針ではないであろう。

今回、改めて明らかになったことは、誰もインドネシア国軍のアチェにおける行動をとめられないということである。手っ取り早い方法はリャミザードを解任すればすむことである。しかし、この虎(ネコに鈴ではない)の首を切る勇気がある人物がインドネシア政府にいないということである。

軍の先輩としてSBY がやればよいのだが、彼はそういうことをやらない(火中の栗を拾わない)ということで身を処してきた人物である。

ということは結局、残念ながら私のSBY政権のを特徴付けた「新オルバ政権」(アーミン・ライスはオルバ第2巻といっている)ということに落ち着いてしまうことになる。これではインドネシアは21世紀に向かって、スタートから大きくつまずいてしまう。