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フリー・ポート社とニュー・モント社

10-1.パプア、フリーポート社にまつわる事件(02年10月6日)

10-1-1.バス襲撃事件(02年10月6日)

最近、インドネシア国軍を揺るがすような大事件が続けざまに起こった。その1は02年8月31日にパプア で起こったバス襲撃事件で2人の米人英語教師とインドネシア人1名が銃殺され14名の負傷者がでたという事件である。

当初はパプア独立運動派のテロ事件と考えられていたが、現地人の独立ゲリラの主要兵器は刀と槍と弓矢と旧式な鉄砲2丁であるため犯人は別だということになった。

その後の警察の調べで、下手人グループは国軍の特殊部隊ではないかということになってきた。パプアにはスハルト政権発足後に最初にできた外資企業であるFreeport-McMoRan社という米国の大鉱山会の現地企業があり、世界最大級の金と銅鉱山をここで操業している。フリーポート社は現地で環境破壊企業としてその名は広く知られている。

同社は米人従業員のためにインターナショナル・スクールを経営しており、そこで殺害された米国人は教師として働いており、出勤途上に悲劇にあったのである。

特殊部隊はその後現場付近でパプア人ゲリラ(OPM=Free Papua Movement)を殺害したとして、遺体を警察に引き渡したが、検視の結果、殺害されたのは24時間以上も前であったことが判明し、特殊部隊のウソがばれてしまった。

この銃撃事件の現場近くにいたパプア人の青年から特殊部隊の仕業であることが明らかにされた。ジャカルタの国軍本部はこれを一応否定して、警察の最終調査結果を待つといっているが、形勢は極めて不利である。 米国のFBIも現地調査に乗り出した。

犯人の動機は特殊部隊がフリーポート社から請け負っている「警備」の費用の値段交渉のもつれにあるとみられている。また他の会社とも金銭上の問題があったともいわれている。

また現地の特殊部隊はパプア独立運動の指導者Theys Hiyo Eluay を昨年11月に殺害したという容疑ももたれている。このような事件はメガワティがまったくあずかり知らないことであり、中央政府とは別に勝手な行動を起こす政治勢力がインドネシアには現存していることを意味する。

この事件は、その後米国のFBIが調査に参加し「軍が関与したことに疑いの余地はない」という結論に達した。これによってインドネシア国軍は非常な窮地に立たされるとともに、バリ島爆破事件ほか一連の爆破事件を何が何でも、「外部勢力による犯行」もしくは「ジェマー・イスラミアによる犯行」という形をつくらざるをえなくなった。( 青字部分は03年1月30日に追加)

しかし、これには次に見るとおりとんでもないドンデン返しが待っていた。

 

⇒米国政府の最終結論ーこの事件は現地叛徒の仕業(04年7月2日)

この事件はあらゆる点からみてインドネシア国軍の仕業と見られていたが、思いがけないどんでん返しを米国FBIが行った。つまり、この襲撃事件は現地の分離独立派によるテロ事件だというのである。

FBIとインドネシア警察が行った共同調査で、犯人としてアントニウス・ワマン(Anthonius Wamang) という人物が特定され、彼は自由パプア組織(OPM=Free Papua Organization)の作戦司令官であるというのである。

しかし、地元ではWamangは白檀(サンダル・ウッド)の小売り人で、前からインドネシア特殊部隊(Kopassus)とつながりが深い人物であり、OPMのリーダーなどではないといわれている。

反テロ対策として何とか東南アジア諸国を米国の指導・影響の下に維持したいという、露骨なブッシュ政権の意図を反映した結論としか言いようがない。

かねて無罪を主張していたインドネシア国軍は大喜びであり、東チモールの弾圧以降1999年から米軍はインドネシア国軍との関係を絶っていたが、これを機に 「テロ対策」を名目に急速に改善されるであろう。

それはイラク侵攻でみせた米国のしくじりを多少なりとも埋め合わせる(?)形作りとしか言いようがない。しかし、それは米国が人権尊重(パプア人への同情)よりも米国の影響力の確保を優先する政策の表れであり、米国は失敗の上塗りを行うことになりかねない。

一方、インドネシア国軍による現地の分離独立派の運動は今後いっそう呵責のない迫害を加えられることになりかねない。これによって多民族国家は団結よりも分裂への動きをかえって促進する可能性が大きくなる。

多民族国家をまとめていく上で大切なのは弾圧ではなく融和的な共存であるはずである。

 

⇒現地叛徒12名をようやく逮捕?(06年1月16日)

2002年8月に起こったパプアのティミカ(Timika)地区における米国のフリーポート社(Freeport-McMoRan Copper and Gold Mine Inc.) の米人社員2名が銃殺された事件で、当初犯人は国軍兵士だとされてきた。その時、インドネシア人1名が殺され、8名が負傷した。

ところが、その後(2年後)の米国FBI(連邦捜査局)の調査の結果、下手人はパプアの分離独立派の仕業だという結論になった。

しかし、警察は具体的な「犯人」を逮捕できないまま、時間が経過していたが、06年1月になってようやくアントニウス・ワマン(Anthoniusu Wamang)というゲリラのリーダー格の人物を11名の仲間とともに逮捕したと発表した。彼らはパプア解放運動(Free Papua Movement)のメンバーであるという。

2004年にはワマンが犯人だと名指しされ、追求されていた。情報によれば、ワマンという人物はインドネシア軍の特殊部隊と関係(どういう関係かは不明 だが、おそらくスパイ)をもっていたといわれる。

逮捕されたワマンは「銃撃したことを告白した」という。また、古い指紋を発見したと警察は発表している。どういう状況で採取した指紋かは不明である。その後の調で、4名は釈放され、残り8名は 取調べのため1月14日(土)ジャカルタに移送された。

また、ニューヨーク・タイムズ(1月14日付け、インターネット版)によるとワマンは軍から弾薬を渡され、フリーポート社の車を銃撃して2名を殺害したが、彼と同時に軍服を着た3人の男(多分インドネシア国軍兵士)が車を銃撃していたと証言している。

飛行場までの被疑者の輸送はヘリコプターでおこなわれた。途中の道路が、怒った民衆によって道路封鎖されていたためであるという。民衆の言い分は被疑者はパプア内で取調べと裁判を受けるべきであり、ジャカルタに移送される理由はないということである。

米国政府は「逮捕を歓迎する」というコメントを発表した。ところが、米国側から「犯人引渡し」の要求が未だに来ていないという。米国とインドネシアとの間には「犯人引渡し協定」がないためであるということだが、理由はそれだけではなさそうだ。

米国としては昨年11月にインドネシア軍との協力関係(東チモール問題で12年間、断絶されていた)が回復でき「テロリストに対する共同作戦体制」が出来上がったので、いまさら古い話しを蒸し返されて、「裁判」などをニギニギしくやられるのは迷惑な話であろう。

 

10-1-2、フリーポート社は2004年からインドネシアに約10億ドルの支払い(06年1月18日)

フリーポート社(Freeport-McMoRan Copper and Gold Mine Inc.)のリチャード・アドカーソン(Richard Adkerson)社長によれば、同社はは2004年から2年間で約10億ドルをインドネシア側に支払っていたこ。これは採掘権量や税金やインドネシア政府の持ち株(9.36%)に対する配当を含んでいる。

また、そのうち、軍へは「護衛代」として年間600〜700万ドル支払っていたことを明らかにした。

また、1998年から2004年までに軍幹部に支払っていた護衛代は合計で2,000万ドルに及ぶという。この数字はニューヨーク・タイムズが05年12月27日付けで報じたものである。それについてアドカーソン社長は根拠がわからないとしている。

この数字から単純に判断すると、銃撃事件が起こってから「護衛代」は100〜200万ドルアップした計算である。

また、同社のジェイムズ・モフェット(James Moffet)会長によれば、現地のグラスバーグ(Grasberg)鉱山には約20,000人の従業員が働いており、安全に操業していくには「特段の努力」が必要であると語った。

彼の説明はとりもなおさずインドネシア国軍に特別の支払いをして、警備を依頼していたことに対する弁明である。これは、解釈によっては「ワイロ」と受け止められないからである。石油会社のエクソン・モービルもアチェで国軍に「警備」を依頼している。

フリーポート社はニューオリンズに本社があり、現地法人のグラスバーグ鉱山は金の生産会社としては世界一であり、銅では世界第2位であるといわれている。同社はスハルト政権成立後真っ先にインドネシアに進出した企業として知られている。

フリーポート社の利益は最近の製品の値上がりによって急増しており、05年4Qの純利益(税金と配当を差し引いた)は4億7830万ドルと前年同期比の2倍以上となった。また、売り上げは前年同期に比べ61%増の14億9000万ドルに達した。

また、ニューヨーク・タイムズの05年12月27日付けの記事は”Below a Mountain of Wealth, a River of Waste”と題するA4で12ページにもわたる大ルポルタージュである。これによると世界一の金鉱山会社が現地でいかにひどい環境汚染をおこなっているかなど詳細に報じられていうる。

(http://www.thejakartapost.com/ 1月18日付け参照)

 

⇒国軍への支払いはワイローKPKの見解(06年1月19日)

ジャカルタポストによれば、KPK(Corruption Eradiating Commission=汚職撲滅委員会=政府機関)のエリー・リヤナ(Erry Riyana Hardjapamekas)委員長は「フリーポート社の軍への支払いはワイロである」との見解を示した。

しかし、検察庁からの指示がなければ、KPKとしては独自の調査をするつもりはないとも述べている。

ニューヨーク・タイムズの記事は兵舎の建設などの名目で軍と警察の司令官に対し、最大15万ドルの支払いをおこなってきたと報じている。

検察庁は記事に書かれている事実関係を調査中であるという。

また、米国内においても米国企業が海外でワイロを支払うことを禁じている「1977 Foreign Corrupt Practices Act=1977年 海外における腐敗行為禁止法」があり、同社のインドネシア国軍への支払いがその法律に抵触する可能性がある。(NYT 1月18日)

 

10-1-3. パプアでデモ隊の投石などで警察官ら5名死亡、(06年3月17日)

パプアのジャヤプラ(Jayapura)市で世界最大の金生産会社であるフリーポート社(Freeport-McMoRan Copper and Gold Mine Inc.)に対する抗議行動をおこなっていた現地住民のデモ隊が投石と弓矢と火炎ビンで攻撃し、警察官4名と空軍兵士1名が死亡し、他にも多数の負傷者が出た。

ジャカルタ・ポスト紙の報道では、警官2名は焼き殺されたという。一方、ニューヨーク・タイムズは現地の警察幹部の話として、警官3名は現地人の山刀で切り殺された報じている。現地人の死傷者についての報道はないが、おそらく多数の負傷者が出ているものと推測される。

3月16日、ジャヤプラのチェンドラワシ(Cendrawasih)大学の近くで、数百名の学生と住民がフリーポート社の操業中止とパプアの独立を求める集会を開き、彼らはインドネシア軍と警察のパプアからの引き上げ とフリーポート鉱山の閉鎖を要求していた。

道路閉鎖をしているデモ隊に最初に攻撃を仕掛けたのは警官隊で、催涙ガス弾を発射し、威嚇射撃をおこなうなどしてデモ隊を追い払おうとしたという。

現地の人々にとっては軍と警察は大部分がパプア外部から来た「占領軍」であり、フリーポート社の操業を警備してカネを貰い(#10-1-2参照)、フリーポート社が掘り出す金をパプアの外に持ち出すのを助けている。

パプアの金と銅は、ジャカルタ政府と米国人とで山分けされており、パプア現地に残されるのは大量の産業廃棄物による環境破壊と貧困だけだというのが彼らの言い分である。

フリーポート社は鉱山からでる廃土を近くのアガワゴン(Aghawagon)川に投棄しており、その廃土の中から現地住民が金を探し出して生計を立てているものが少なくない。

ところが、06年2月になって、インドネシア軍は突如として、現地住民の金の「採掘」は違法であるとして禁止してしまった。いわば生活の手段を奪われた現地住民は「反抗」に転じたのが今回の事件の背景であると見られる。

彼らは道路を閉鎖するという行動に出た。それに対し、インドネシアの軍は「ゴム弾」を発射し、彼らを追い払うという騒動になり、フリーポート社は2月には数日操業停止に追い込まれた。

ユドヨノ大統領もこの事件を重視しており、インドネシア国軍司令官、ジョコ・スヤント(Joko Suyanto)と警察長官スタント(Sutanto)は早速現地入りして事態の把握に努め、対策を協議するという。

外国人ジャーナリストの現地入りは特別許可が必要であり、その許可は滅多に下りない。したがって、現地の状況はインドネシア警察の公式発表と、現地に居る人権団体の活動家のE・メールによってしか把握できていないという。

なお、この事件に先立ち、3月14日(火)には現地人20名がティミカ市にあるシェラトン・ホテル(Sheraton Timika Hotel)を襲撃した。警察官2名が弓矢負傷し、攻撃隊15名が逮捕され、残り5名は逃走中であるという。この時、バス4台と乗用車1台が破壊されたという。

シェラトン・ホテルにはパプア州議会議員18名などが、現地調査のため滞在していたが、逃げ出してケガ人はなかったという。

⇒学生など約60名が逮捕される(06年3月18日)

 

10-1-4.フリーポート社の廃土で土砂崩れ、多数の死傷者がでる(06年3月24日)

テンポ(Tempo)のインターネット版によれば3月23日早朝にフリーポート社のグラスバーグ(Grasberg)鉱山の廃土が崩れ、3名の死者と多数の負傷者が出たという。同様な事故は2000年にも起こっている。

前々からフリーポート社の環境対策はいい怪訝であることは指摘されており、地元住民が環境対策をきちんとやるように前々から強く要求してきたが、フリーポート社はおざなりの対応詩化してこなかったと伝えられる。

さすがのインドネシア政府も自体を重く見て、ラフマット・ウィトゥラー(Rachmat Witoelar)環境相も「フリーポート社は国の中の国のごとく、勝手気ままに振舞っている。住民の感情にも注意し、国の法律には従うべきだ」という厳しい警告を出した。

しかし、フリーポートにはインドネシア陸軍が長年にわたって、警備してきたことを忘れてはならない。インドネシア軍といえども山賊の集団ではなくインドネシア政府の機関であり、インドネシア国民の生命財産を守ることが第1の任務であったはずである。

ところがインドネシア政府と軍はむしろ、フリーポート社の権益をアップアの住民から守るということを一貫して行い、フリーポート社は税金以外の報酬を軍に支払うという、きわめて「奇妙な関係」が維持されてきたのは上に見るとおりである。

インドネシア軍は一体何をしてきてきたのだろうか?国営の警備保障会社と同じだったのである。住民はむしろ「警戒すべき危険な相手」なのである。そればかりか、住民が「独立」を要求するのはけケシカランとして、過去に多くの現地人を殺害してきた。

こういう体制は「1965年9月30日クーデター未遂事件」以降に誕生したスハルト政権誕生と同時に始まったのである。スハルト政権ができてインドネシアに進出した第1号の外国企業がほかならぬ、このフリーポート社なのである。

なお、フリーポート社の環境破壊についてはニューヨーク・タイムズが06年1月19日付けの記事でA4で12ページにもわたる膨大なレポートを出している。表題は"Below a Mountain of Wealth, a River of Waste"である。

米国の会社の所業を米国の新聞が「告発」しているのである。日本の新聞などには到底できない芸当である。米国には左記のWBC(野球)で米国チームのために怪しげな判定を下した審判もいたようだが、やるべきことはきちんとやる健全な民主主義の精神も健在である。

そういう精神が希薄な日本という国はすこぶる怖い国である。アスベストス問題ひとつにしても問題の所在が明らかになってから何十年も経たないとマトモに取り上げられないというのは異常である。

国民のための政府なのか企業のための政府なのか改めて問い直されるべきである。日本の政府 も国民の福祉よりも企業の利益を重視する姿勢の方が強いのではないかと疑いたくなるような事件が今も昔も相変わらず起こっている。

政治家にだまされる国民はその報いをいやというほど受けさせられるのは歴史の示すところである。大東亜戦争(太平洋戦争といってもよい)をみれば明らかである。 あの時は全員ではないが学者もこぞって戦争に協力した。しかも「自発的に協力」したものが少なくなかった。

なお、最近パプアの住民42名が軍による迫害を避けてボートで逃げ出し、オーストラリア政府に保護を求めるという異常な事件が持ち上がった。

オーストラリア政府はインドネシア政府との関係を慮って、一時受け入れに難色を示していたが、「一時的な滞在ビザ」を出すことを決定した。

インドネシア政府はこのことに「怒り狂っている」そうだが、全て身から出た錆である。 オーストラリア駐在大使を召還するなどのヒステリックな行動に出ているが、到底国際世論の同情はえられそうもない。

ユドヨノ大統領もアチェが一段落したら,今度はパプア問題である。全てはスハルト独裁政権に問題の根源はさかのぼる。


78.ニューモント社の公害事件

78-1.北スラウェシのミナハサで水俣病発生?(04年7月26日)

北スラウェシのミナハサにあるブヤット湾(Buyat)周辺の住民が、水俣病と同様の症状を起こし、少年1人が死亡し、100名を超える住民に症状が見られるという。

この地域にはPT. Newmont Minahasa Raya(米国資本=デンバーに本社)という鉱山会社があり、金を採掘・生産している。 同社はこの件はNGOが勝手に騒ぎを起こしたものだとして、地元警察に苦情を申し立てている。

同社は現地で1996年から操業を行っており、2004年10月には資源枯渇のため操業を停止するとしている。2003年の金の生産は3,087Kg,、2004年の金の生産は1,942Kgになる見通しであるという。

インドネシア政府は警察と環境省とエネルギー・鉱物資源省と保健省のスタッフからなる共同調査チームを結成し、原因究明に乗り出した。ニューモント社は金の生産過程で水銀は使っていないと説明している。

インドネシアでは東カリマンタンのカヤン川周辺や他の地域でも同じような病気が発生しているという。

原因のひとつは周辺住民の金の不法採掘も指摘されている。金を含有する岩石等から水銀を使って金含有物を採取し、それを火にかけて水銀を蒸発させて金を取り出すという方法が使われているという。

これは全国的に行われているやり方であり、住民に不法採掘を早急に止めさせないと水銀中毒症が全国的にはびこる危険がある。

7月27日付のジャカルタ・ポストによれば環境省のナビエル・マカリム(Nabiel Makarim)長官はニューモント社は基準値以下の廃棄物しかブヤット湾には投棄しておらず、採取された魚の検査結果では砒素や水銀の含有率は基準値以下であったと述べている。

40名の住民が訴え出た皮膚の損傷は水俣病の現象とは認定されないという。

しかし、ニューモント社は廃棄物をブヤット湾に投棄している事実はあり、引き続き調査が必要であることは環境省も認めてりる。

パプアのフリー・ポート社をはじめ欧米の鉱山会社は過去において廃棄物を海や川や沼地に投棄してきたのは事実であり、今後この種の住民からの訴えは続出する可能性がある。

⇒ブヤット湾はやはり化学物質で汚染されていたーNGO(04年7月29日)

ニューモント社は水銀汚染はないと主張しているが、NGO(インドネシア環境フォーラム=Walhiなど複数の団体)の調査では、排水口付近の土壌からは高濃度の有害科学物質が検出されたと発表した。

それらは砒素、水銀、アンチモニー、マンガンなどで1996年にニューモント社が操業を始めて以来、年々増加し、水銀だけをとっても排出口付近では3.509ppmに達しており、WHOの基準値を超えていると主張している。

独立の第3者機関による正式な調査が待たれるところである。(7月29日、http://www.thejakartapost.com/)

⇒環境省もクロ認定(04年9月1日)

当初、インドネシア環境省はニューモント社には違反はないという見解を取っていたが、患者の血液中に水銀が多く含まれる点や、その後の共同調査の結果により、環境相のナビエル・マカリムも同社の廃棄物処理に問題ありとの結論に達した。

インドネシア警察は独自の調査機関を使って調査し、当初からニューモント社の廃棄物処理に問題ありという結論に達していた。

ニューモント社は04年10月から現地工場の操業を停止することを前々から決めていたが、汚染の被害についての調査と補償には協力する姿勢を今のところ示している。

⇒NMRの幹部4名逮捕(04年9月25日)

インドネシア警察はPT.Newmont Minahasa Rayaの幹部4名をブヤット湾汚染容疑で逮捕し、社長のRichard Ness氏を別途警察に出頭させ8時間にわたる事情聴取を行った。

4名のうちには米国人が1名含まれており、米国大使館は「不当逮捕」であるとして抗議を行った。また、別の6名に対して海外渡航禁止令を出した。

⇒日本の調査ではシロ判定(04年10月6日)

ブヤット湾汚染問題に協力している「水俣病研究所」の調査によれば、住民から採取した頭髪に含まれる水銀の量は一般標準と変わらなかったことが明らかになった。

その結果、NMR社は少なくとも水銀汚染を行ったとは考えられないという結論に達し、逮捕者は近く釈放される見通しである。

⇒インドネシア政府はニューモント社を告発(04年12月2日)

インドネシア政府は世界最大の金生産会社であるニューモント社を砒素と水銀でブヤット湾を汚染したとして告発することに決定した。

それとは別に住民3名が健康を害されたということと漁業補償を求めて04年8月に同社に対し5億4,300万ドルの損害賠償を請求する訴訟を起こしている。

ニューモントー社は住民の健康被害なるものは非衛生と栄養不良によるもので同社には責任はないと反論している。

また、砒素は食物連鎖はそもそも起こらないとも主張している。

 

78-2. ニューモント社は水銀を空中に放散していた(04年12月22日)

ニューヨーク・タイムズが04年の年末とんでもないスクープ記事を発表した。

それはジェーン・ペルレス(Jane Perlez)記者が書いたものがが、世界最大の金鉱山会社ニュー・モント社が採掘・精錬していたメナドのミナハサ金山において、廃棄物中に含まれる有害物質の水銀を空中に飛散させていたというものである。

上に見たようにブヤット湾(Buyat)周辺の住民が、水俣病と同様の症状を起こし、死者や病人がでており、大きな問題になっていたが、汚染物質が海中のヘドロに含まれているという前提で原因調査が行われていた。

ところが、ニューモント・ミナハサ社の内部文書で2001年に廃棄物に含まれる数トンの水銀を蒸発処理をし、空中に飛散させていたことが明らかになったというものである。 操業中に公害防止装置もしばしば「故障」で動かなかったという。

ニューモント社は米国の環境標準にのとって操業しており、特に問題ないとしている。

しかし、ネバダ大学の環境科学科の教授であり、水銀問題の専門家であるグレン・ミラー(Glenn Miler,聞いたことのあるようなお名前だが)先生は「空中に放散するにしては途方もない数字である」と驚きを隠さない。

日本でも奈良時代の東大寺の大仏に金メッキを施したときに大量の水銀を空中に放散させたため、大仏開眼後、周辺に疫病が絶えず、ついに遷都を余儀なくされたという説をどなたか唱えておられたが、ミナハサの住民にとってはタマリゴトない。

おまけに、彼らが病気になったのは「食い物が悪い上に、非衛生だからだ」などとアメリカ人にいわれては、まったく立つ瀬はない。

それにしても、貧乏ということは悲しいことである。

かって、世銀の調査部にいて、その後クリントン政権時代に財務長官をつとめ、現在はハーバード大学の学長におさまって、「合理的経営に辣腕を振るっておられる」という評判のサマーズ先生という天才経済学者がいる。

彼は、世銀時代に「空気がきれいだということは、空気が十分利用されていないという証拠である。したがって、これから工業化は空気のきれいなところで行われるべきである」というご託宣を述べられという有名なはなしがある。

そういう点から言うとニューモント社はもっともすばらしい「経済発展のお手本」を示されたということになる。しかし、なぜかフォーブズという雑誌によると、世界で最も「トラブルを起こしている500社」に同社は堂々名を連ねているらしい。

ちなみに、自他共に認める「鈍才経済学者」である私などは「経済学は貧乏解消のための科学であるべきだ」などと学生時代に教わったことをいまだに金科玉条のごとく信奉している。

ジェーン記者の力作は直接ニューヨーク・タイムズをご覧ください。

(http://www.nytimes.com/ 04年12月22日) searchの欄にindonesiaと入力してクリックすればこの記念すべき記事が出てきます。

(04年12月24日追記)

其の後、12月23日になってニューモント・ミナハサ社は「1996年の操業開始以来水銀17トンを空中に放散し、16トンを海中に投棄したが人体に影響はないていどのものである」と説明している。(ジャカルタ・ポスト04年12月24日)

 

78-3..ニューモント社 への公害訴訟で米人幹部に無罪判決(07年4月25日)

米国のニューモント・マイニング(本社デンバー)のインドネシア子会社・ミナハサ・ラヤ(Minahasa Raya)社はナドのミナハサ金山において、廃棄物中に含まれる有害物質の水銀や砒素を服も産業廃棄物を捨ててきたなどの一連の公害訴訟を受けていた。

このほど、メナド(menado)裁判所で検察側は、被告人のリチャード・ネス(Richard Ness)現法社長に対し3年の禁固刑と被告個人と会社に対しおのおの16万5千米ドルの罰金を求刑した。

07年4月24日(火)に下された判決では証拠不十分であるとして裁判長Ridwan Damanikは被告人に無罪の判決言い渡した。

この判決にはWHOの調査で「公害の証拠なし」とした報告書も影響しているようだ。米国のメディアもこの判決を歓迎している(WSJ)。

しかし、検察庁や地域住民はこれには納得せず、おそらく検察は控訴することになるであろうといっている。(控訴しない可能性もある)

なお、昨年ニューモント社はインドネシア政府からの公害訴訟(民事)については公害を引き起こしたことを認めずに、3000万ドルを支払って和解している。

これでインドネシアの裁判所がマトモであるという風に考えるのはいささか早計である。インドネシアではカネを持っているものが裁判で勝つというのはいわば常識みたいなものだからである。

インドネシアでニューモント社が品行方正な会社であるなどという評価はあまり聞いたことがない。