ソムチャイ事件 (トップ・ページに戻る

50-2-4 ソムチャイ事件最高裁が5人の警察官無罪を決定(2015-12-25)

50-2-3.ソムチャイ弁護士を焼却したと見られるドラム缶発見?(08年6月6日)

⇒ソムチャイ事件で誘拐実行犯の警察官に3年の有罪判決(06年1月12日)

50-2-2.タクシンの側近がソムチャイ事件に関与?(06年11月1日)

⇒ソムチャイ事件の裁判で、検察官がしばしば交代する(05年11月6日)

⇒サント警察庁長官の解任はやはりソムチャイ事件と関係(05年7月26日)

⇒警察官4名に対して逮捕状が出る、タクシンも容認(04年4月9日)

⇒ソムチャイが失踪5日前に警察のイスラム教徒被疑者拷問を非難(04年3月28日)

50-2.ソムチャイ事件(04年3月19日)

50-2-0.イスラム過激派容疑者の主任弁護人が行方不明(04年3月19日)

ジェマー・イスラミア一味として既に逮捕されている4名のイスラム教徒と今回の南タイの「暴力事件」の容疑者たちの主任弁護人であるイスラム教徒弁護士ソムチャイ・ネラパイジット(Somchai Neelahphaijit)氏が04年3月12日の夕刻から行方不明になっている。

タクシン首相は「多分家族間のいざこざ(夫婦喧嘩)によるものであろう」などというとんでもない発言をして物議をかもしている。

3月19日現在依然として行方はわからないが拉致されたことはまず間違いないであろう。何者によって拉致されたかが問題である。こういう場合は国家警察か軍の治安部隊の仕業であるというケースが過去には多かった。

タクシンもチャワリット副首相も政府関係者の仕業ではないと断言している。もちろんそうえないことを祈りたいが、政府関係者には通常の場合犯人は誰だか判っている。

なぜなら、警察はマフィアのネット・ワークをしっかり把握しており、事件が起こっても迷宮入りはまずありえない。警察も判らないケースがあるとすれば、それは素人の犯罪者の場合である。

ソムチャイ弁護士はモスレム弁護士協会の会長である。彼のみに何かが起こればタイのイスラム教徒の反政府感情はいっそう激しさを増すことは明らかである。

政府は遅ればせながら捜査本部を発足させた。しかし、初動捜査の遅れはいかんともしがたい。タクシンの不用意発言も人々の不信感を買っている。ソムチャイという人物は誰からも軽くあしらわれるような人物ではない。

ソムチャイの生死そのものが不明であるが、ソムチャイが「愛人宅」からひょっこり現れるという夢のような話で本件が落着することを祈りたい。

⇒警察長官と第4軍司令官更迭(04年3月21日)

サント警察長官と第4軍(南タイ方面)司令官ポンサク中将が3月19日付で解任された。両者とも南タイの騒動を鎮静化できなかったことが解任の理由ということである。

サントの後任にはスントン・サイクワン(Sunthorn Saikwan)が昇格した。ポンサクの後任にはピサーン・ワッタナウォンキリ(Pisarn Wattanawongkiri)陸軍参謀長が主任する。ピサーンはチャイシット・ツナワット国軍司令官とは親密な間柄であるという。

問題はサント警察長官の解任である。彼が解任されたということはもしかするとソムチャイ弁護士を消したのは警察だということなのかもしれない。

タクシンはこの人事を決めたのはチャワリット副首相だといっている。警察長官が替われば次の次(?)には自分の妻の兄リューパン・ダマポンが警察長官になれるという段取りである。さすがのタクシンもネポティズム批判は少しは気になると見える。

⇒ソムチャイが失踪5日前に警察のイスラム教徒被疑者拷問を非難(04年3月28日)

ソムチャイ弁護士は1月のナラティワットの軍事基地襲撃事件で容疑者として逮捕された5人のイスラム教徒に対し、警察が拷問を行っていると非難していたことが判明した。

これはサク・コルセンルン上院議員が5人の被疑者と面会したとき彼らから得た情報である。

上院ではソムチャイ弁護士失踪事件の真相究明を行うために委員会を設置して調査を進めており、サク議員はそのメンバーの1人である。

チャワリット副首相がソムチャイが既に死亡したという発言を議会の委員会でおこな い、その後その発言を撤回したが、ソムチャイを「警察が消した」のではないかという疑念が急速に広がっている。

南部イスラム教徒はソムチャイの無事を祈る「祈祷集会」を急遽行ったが、ソムチャイの死は遺憾ながら既定の事実であろう。

タクシンも事実関係の究明を急ぐように指示しているが、一向にラチがあかない。それもそのはず「犯人は自分自身か身内の可能性が大」といったところであろうか?タクシンにとっても大変な事件になってしまったようである。

司法医師の診断結果では5人にはいずれも拷問の痕が見られたという。

⇒ソムチャイ拉致で4名の警察官容疑者が浮上(04年4月7日)

ソムチャイ弁護士の拉致を行った容疑者として4名の警察官が浮上しており、そのうち2名は警察中佐という上級幹部であることがタイの現地紙で報じられている。

4月6日に隠れ家に隠れている警察官が仲間の名前を明らかにしても良いということを捜査本部に申し出ていることが明らかになったという。

また、この事件には警察のトッププ・クラスが関与しており、彼らの名前がタイの民主運動グループ(CFD =Confederation of Democracy)によって公表された。

4月7日の英字紙ネーションのインターネット版によれば、Kowit Watana警察将軍、 Kosin Hinthao警察少将、Kamronwit Thookprachang警察少将の3名である。CFDは他の幹部の名前も示唆している。

肝心のソムチャイ弁護士はベンコク市内のラムカムヘン通りのレストラン(Mae La Pla Pao)の前で拉致され、しばらくバンコク市内に置かれた後にラチャブリに連れて行かれ、そこで殺害されたものとみられている。

警察大佐ソンサク(Songsak Korsaengreung)はかって5名の「ジェマー・イスラミヤ容疑者」の逮捕を強行し、ソムチャイ弁護士が彼らの弁護を行っていたが、そのソンサクが「ソムチャイ 捜査本部」に加わっている。

CFDはこういうやり方をしていては到底犯人逮捕はできないのではないかと危惧を表明している。

「警察の犯行」説は最初からあり、邪魔者は消すというタイ警察の歴史的手法がタクシン政権になってからいっそう強化されてきたと見ることができる。その最大の事件は麻薬撲滅運動で起こった2,500名を超える殺人事件である。

国民を殺すことなど屁とも思っていないのがタクシン流「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の盾の裏側である。そういうことより「お上から何かもらえれば良い」と思っている大衆が多いから、ポピュリズムが成立するのである。

これは民主主義が未成熟の国に見られる現象であり、極東の某経済大国でも例外とはいえない。 その国もかつて第2次大戦前には特高警察が「共産主義者」の疑いのある人物を片っ端から引っ括って、拷問の末殺してしまったことはしばしばあった。

その国の警察も今は平和な世の中で、裏金を作って一杯やっているらしい。このほうがまだマシかもしれない。

⇒警察官4名に対して逮捕状が出る、タクシンも容認(04年4月9日)

名前は公表されていないが、ソムサク弁護士の誘拐と殺人(遺体は未確認)の容疑で4名の警察官に対する逮捕状が裁判所から出された。

タクシンも警察官の犯行であるという事実を認めているという。(WSJ 4月8日)

容疑者はシンチャイ警察中佐、ゲーン警察中佐とチャイウェン軍曹とランドーン巡査の4名である。

この4名の警官は8日夜、自首したが容疑については否定している。しかし、彼らがソムチャイ弁護士を誘拐した現場を目撃した証人がいる。 特にゲーン中佐は大柄で頭が禿げているという特徴から目撃者の印象に残ったという。

しかし、一番階級の低い2名の被疑者は、特別捜査官に対し2名の上官の命令でソムチャイ弁護士をラチャブリまで連行したことを認めているという。

また、第5番目の容疑者であるチャチャイ警察大佐に対しても近く逮捕状が出される。

しかし、本当の首謀者は大佐クラスの警察官ではなく、もっと上からの指示であることは間違いない。私はサント警察庁長官が解任された記事(上述の3月21日付け参照)でも書いたが、サント前長官まで、あるいはもっと上にまでさかのぼるかもしれない。

最近、ポキン内務相が自ら語ったところによると、南タイで警察官による誘拐・拉致事件が判明しているだけで14件発生しており、25名の「犠牲者」のうちち6名は生存が確認されているが、残りは殺されたか行方不明であるという。

こういうことが、日常的に起こるようななったのはタクシンが政権についてからのことであるというのがチュアン・リークパイ前首相のコメントである。 確かに民主党政権下ではタイの警察はかなり大人しかった。

「太陽の照るところ警察ができないことはない」というのは戦後のピブン政権下の最大実力者パオ警察長官のセリフだが、タクシンも麻薬撲滅キャンペーンを昨年開始したときこういう言葉を使っていた。

タクシンはポピュリズムと同時に高圧的政治手法を得意としており、「悪いやつは殺されて当たり前」的な感覚である。それに近い政治家はわれわれの周辺にもいるような気がするが。

⇒ソムチャイ事件は迷宮入りの様相(04年4月28日)

ソムチャイ事件の「真相解明」をタイ警察が中心になって行っているが、一向にラチがあかない。あかないはずである、警察の犯行を警察が調査しているのだから容易ではない。

目撃情報によれば、何者かがラチャブリで焼却していたという。ソムチャイの遺体が出てこなければ先に逮捕された4名も無罪放免になりかねない。ひどい話である。これでは60年代の軍事政権時代と変わらないではないか?

⇒ソムチャイ事件は一向に解明されず(04年10月1日)

ソムチャイの失踪事件でタイの上院に調査委員会が設置されて200日が過ぎたが、一向に調査は進まない。

容疑者として5人の警察官が逮捕されたが、彼らは証言を拒否しており、その後の捜査は一向に進んでいない。ソムチャイの遺体(殺害されたことはほぼ間違いないが)すら発見されていない。

5人は窃盗と監禁(ソムチャイの身柄を拘束した)の容疑では立件可能であってもそれで終わりになる公算が大きく、比較的軽い罪で放免されることとなろう。 彼らは現在保釈中である。

ソムチャイ事件は今回の南タイの騒乱のきっかけになった重要な事件であるが、このままうやむやに終わらせれば南タイのイスラム教徒の怒りは収まらないであろう。

ソポン・スパポン上院議員は本件の早期解決をしきりにアピールしているがタクシン首相は全く意に介していないという。(バンコク・ポスト10月1日インターネット版)

タイ法律家協会(会員数5万人)は警察の権限が強すぎるとして、刑事訴訟法の改正を求める運動を行うことにしたという。現在警察は逮捕者を84日間拘留でき、しかもその間拷問が行われることは日常茶飯事であるといわれている。

しかも、裁判で警察側に不利な証言をしたものは後日仕返しを受けるケースも多く、証言を拒否するケースも多いという。タイの警察は確かに先進国の警察とはだいぶズレがあるが、これはマレーシアやインドネシアでも同じようなものである。

 

⇒サント警察庁長官の解任はやはりソムチャイ事件と関係(05年7月26日)

サント警察庁長官は04年3月19日付で解任され、その後首相府で定年まですごしたが、国連人権委員会とのヒヤリングでタイ政府ははサント警察庁長官の解任はソムチャイ事件(3月12日失踪)の責任を取らされた(注意義務を怠った?)ものという説明をしていたことが明らかになった。

この文書はジュネーブから帰国したソムチャイ夫人のアンカナ(Angkhana)さんが持ち帰ったものである。

同時に、ソムチャイの誘拐と殺害にかかわったとみられる被疑者の4人の警察官については確たる物証がないので、裁判が進んでいないという言い訳をしている。(バンコク・ポスト、Internet版、05年7月25日参照)

タイ政府の説明はサントがソムチャイ暗殺を指示したとは言ってないが、ソムチャイほどの大物弁護士を消すことにつてはトップから何らかの指示に近いものが出されていたと考える方が自然であろう。ソムチャイは現場の警察官だけの判断で殺せるような人物ではない。

もしかするとタイにも「ジェマー・イスラミア」というアル・カイダ集団が存在して、その首謀者を逮捕、処罰したということを国際的(この場合は米国のブッシュ大統領に対して)にアピールすることにこだわった人物の差し金である可能性も否定できないのではないか。

真相がウヤムヤにされていると、「下司(ゲス)の勘ぐり(guess)」は際限もなく広がっていく。

なお本ページにて04年3月21日付け、4月9日付にて私はソムチャイ殺害について、警察トップ(長官)が関与しているのではないかという「推測記事」を書きました。警察の犯行を知りながら、タクシンは「ソムチャイ失踪は家庭問題のいざこざが原因だろう」などという煙幕発言をしていました。

 

⇒ソムチャイ事件の裁判で、検察官がしばしば交代する(05年11月6日)

ソムチャイ事件は警察官による犯行であるとして,既に公判が始まっており、被告の警察官はアリバイを主張して、無罪を訴えているが、なぜか検察官がしばしば交代するという世にも不思議な事件が起こっている。

11月3にも交代したばかりで過去に事情に疎い検察官が被告の証言を聞くという、タイの司法は一体どうなっているのかわからない「事件」が起こっている。

これには香港に本部を置く、アジア人権評議会(the Asian Human Rights Commission=AHRC)が問題視して、タクシン首相と検事総長に抗議文を送るよう呼びかけている。

こういう検察庁の行動は今回のソムチャイ事件の本質がどこにあるかをうかがわせるものといえよう。ソムチャイは明らかに国家権力によって抹殺されたと見るほかない。

そうでなければ、検察庁がこのような「小細工」をする必要はないはずである。検察庁にこういう行動をさせているのは誰かというのはタイ人でなくてもピンとくる。

こういうことが起こると南タイのイスラム教徒はタクシン政権への不信感をいっそうつのらせることは自明である。国民の前に「白黒」をはっきりさせてこそ、司法への国民の信頼を定着させることができる。

インドネシアでも司法の「姿勢が」問題視されているが、タイでも同じである。

 

⇒ソムチャイ事件で誘拐実行犯の警察官に3年の有罪判決(06年1月12日)

ソムチャイ弁護士を2004年3月12日に誘拐し、暴行を加えたとして起訴されていた警察少佐ゲーン・トンスク(Ngern Tongsuk)に対し、1月12日、刑法裁判所は禁錮3年の実刑判決がいいわした。

トンスク被告に有罪判決が下ったのは、現場の目撃者の証言が決め手になった。

他の4名の警察官に対しては彼らがソムチャイ弁護士の拉致の連絡に使っていた携帯電話は証拠として採用されないという判断を示し、無罪となっている。また、ソムチャイ弁護士の遺体が発見されていないため、殺人罪等の立件は見送られているという。

権力者に都合の悪いやつは消せというのがタイ流のやり方であろうか?死体をどこかに隠してしまえば、あとは目撃情報があってもたった3年の刑ですむ。これは70年代初めまでの軍事政権時代のやり方と同じである。

タクシン政権になってから、タイの民主主義、人権はそこまで逆戻りしてしまったのであろうか?

しかし、こういうことが法治国家タイの警察官であり、裁判所である。

タクシン首相は既にソムチャイ弁護士は殺害されていることは認めており、政府も調査をおこなっておりいずれ殺人罪で被疑者は裁かれることになると語っているが、それが何時のことになるかは明言していない。

 

50-2-1.ソムチャイ事件がOIC(イスラム評議会機構)の議題に(05年6月8日)

イスラム諸国(57カ国)の閣僚クラスが参加するOIC(Organization of  Islam Conference)が05年6月末にイエメンで開催されるが、南タイのイスラム教徒4名のジェマー・イシラミア容疑者裁判で主任弁護人を勤めていたソムチャイ弁護士の拉致・殺害事件が取り上げられることとなった。

ソムチャイ弁護士の遺体が発見されていない現在、ソムチャイの生死は不明だが、04年3月以来、警察官に拉致されたまま行方がわからず、殺害・抹消されたことは確実である。

それ以外にも、クルセ・モスク事件やタク・バイ事件など多数のイスラム教徒が虐殺された事件が関心を集めている。タイ外務省としては、これらの事件はいずれも国内問題であり、OICが議論することは「内政干渉」だというスタンスであるが、被害者が多数のイスラム教徒であるという事実は覆せない。

OICの雰囲気がタクシン政権のやり方に批判的になれば、今後のタイの外交政策にも大いに影響してくる可能性がある。特に石油資源問題やスラキアート(Surakiart)副首相をアナン国連事務局長の後任にという工作にも直接影響してくるおそれがある。

タイ政府としてはソムチャイ事件の内容については判っているはずであり、早めに公開して関係者の処分などを明らかにしたほうが、対外的にも、対国内的にもよいはずである。特に、南タイ問題は他に解決の糸口が見つけにくいと思われる。

 

50-2-2.タクシンの側近がソムチャイ事件に関与?(06年11月1日)

ソンティCNS(国民安全評議会)議長は2004年3月12日から行方不明になっているソムチャイ弁護士事件について、タクシン前首相の側近が関与していることを明らかにした。

ソンティ議長は個人名などは一切明らかにしていないが、タクシンの差し金によってソムチャイは「消された」という噂は事件当初からあったと、ソムチャイ夫人のアンカナ(Angkhana Neelaphaijit)さんは話している。

既に直接の実行犯として警察少佐のゲーン(Ngern Thongsuk)rら5名の警察官が逮捕されたが、結局有罪となったのはゲーンのみで、それも3年の禁固刑という義核的軽い刑で一件落着という形になっていた。ンゲーンが有罪となったのは彼がソムチャイ弁護士を車に押し込むのを目撃されたからである。

ある情報によるとタクシンの側近の一人が5名の警察官の誰かに事件当日頻繁に電話をかけていたという。押収された携帯電話は裁判ではなぜか証拠として採用されなかった。

本件は特別捜査部(DSI=Department Special Investigation)が捜査に当たっているが、一向にはかばかしい成果を挙げていない。タイ警察はクーデター後もスッキリとした動きをせず、依然としてタクシン体制の影響力が強く残っているという指摘もある。

ソムチャイ事件いついては、新政権下で警察長官に任命されたKowit Watana警察大将が拉致・殺害事件に関与していたという驚くべき情報が以前からあったのである。(上記50-2-0参照)

50-2-3.ソムチャイ弁護士を焼却したと見られるドラム缶発見?(08年6月6日

タイ警察の捜査官は08年6月6日朝7時に、メコン川のシリラク橋(Siriluck Bridge)近くで4年前に失踪し、警察によって殺害されたとされるイスラム教徒弁護士ソムチャイ氏の遺体を焼却したと見られる200リッター缶(ドラム缶)を発見したと発表した。

特別捜査局タウェー(Thawee Sodsong)局長は現地に赴き、ドラム缶を詳しく調べると語った。

前にも同様な話があり、ポンテェープ検視官が調べたが、誤りであったという結論に達した。今回もその可能性はあるが、ソムチャイは警察官に殺害されたあと、遺体は焼却され、どこかに埋められたか、捨てられたと憶測されている。(バンコク・ポスト6月6日、インターネット版参照)


50-2-4 ソムチャイ事件最高裁が5人の警察官無罪を決定(2015-12-25)

The Supreme Court on Tuesday upheld the appellate court's acquittal of all five police officers charged with the robbery and coercion of "disappeared" human rights lawyer Somchai Neelapaijit 11 years ago.

警察少佐のゲーン(Ngern Thongsuk)rら5名の警察官が逮捕されたが、結局有罪となったのはゲーンのみであった。

これは権力者が警察を使って反対勢力を抹殺しても、物証さえなければ無罪となるという由々しき判決である。
最高裁はソムチャイが死んだという確かな証拠がないとしている。

Top Thai court upholds acquittal of lawyer abduction officers

December 29, 2015 4:48 pm

BANGKOK - Thailand's top court on Tuesday upheld the acquittal of five police officers accused of involvement in the abduction and disappearance of a prominent human rights lawyer.

The decision means no one has been prosecuted for abducting Somchai Neelapaijit, a Muslim lawyer who vanished in 2004 while he was defending suspected Islamic militants who had accused authorities of torturing them while in custody.

The unsolved case has been a stain on the law enforcement record in a country where official corruption and forced disappearances are commonplace and the police have long been accused of failing to adequately investigate themselves.

Somchai disappeared from the streets of Bangkok under the government of
Thaksin Shinawatra during a surge in fighting between the army and Islamist militants in Thailand’s deep south.

Thaksin, who was eventually deposed in a military coup, was on record as saying the lawyer had been killed by at least four government officials, although his body has never been found.

Five police officers eventually stood trial over the incident after eyewitnesses reported seeing Somchai bundled into a car on the night he vanished.

But the court only considered charges of robbery and coercion, not for disappearing him or murder.

Once officer was convicted and later disappeared in a landslide while the other four walked free.

In 2011, the Appeals Court ruled all five not guilty, a decision that Thailand’s top court -- the Supreme Court -- upheld on Tuesday.

"The Supreme Court has agreed that (the petition) sounded unreasonable, therefore the court upheld the acquittal", one of the judges said in court.

- No family rights -

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The judges also ruled that under Thai law Somchai’s family has no right to bring its own civil case because there was no evidence to show he was dead or seriously injured.

"I feel very disappointed. This is a failure of the judicial process," Somchai’s daughter Pratubjit told reporters outside the court.

"I would like to ask the same question I have asked for the past 10 years: where is Somchai? Where has he disappeared to?" she added.

Rights groups accuse successive Thai governments, and the country’s Department of Special Investigations (DSI), of failing to get to the bottom of Somchai’s disappearance.

"Seven successive Thai prime ministers have admitted government involvement and pledged action in the case of Somchai Neelapaijit, but with no tangible result," Sunai Phasuk, Thailand researcher with Human Rights Watch, told AFP.

Somchai’s family had hoped a breakthrough had been made when they obtained leaked phone records from a DSI file suggesting the five officers were in close proximity to Somchai and in contact with each other on the night he disappeared.

But the Supreme Court Tuesday ruled that evidence as inadmissible because the records were photocopies and not original documents.

"We know that evidence is sitting in a folder somewhere in the DSI," Sam Zarifi, regional director of the International Commission of Jurists told AFP.

"We’re back to them now. The Thai government and the DSI need to move forward with the investigation and resubmit the evidence they have."

According to the Asian Federation Against Involuntary Disappearances, there are at least 81 open cases of enforced disappearance dating back as far as the mid-1990s.

One recent case is that of Por Cha Lee Rakcharoen, also known as Billy, a rights activist campaigning for the Karen ethnic minority, who was apprehended by national park officials in Thailand in April 2014, ostensibly for illegal honey gathering. He has not been seen since.