クルセ・モスク事件とタクバイ事件 (目次に戻る)

タクバイ事件

クルセ・モスク事件

⇒南タイで武力衝突112名が死亡、死者の大半は10代の若者(04年4月28日)

4月28日未明から山刀や斧と少数の銃で武装した若いイスラム教徒が警察署を襲撃した事件をきっかけに、事前に情報を得ていたタイ軍と警察が待ち伏せ攻撃に出 て前例のない死者を出した。

軍が国民に対して発砲するというのは、普通は考えられないことであるが、タイでは警官が平気で国民を殺している。 タクシンは犠牲者の家族に対して「お悔やみ」の言葉ひとつ発していない。

警察官と軍人はそれぞれ3名と2名のし死者を出している。イスラム教徒側の死者は少なくとも107名に上っているが、銃を持たない「暴徒」が大半で、 しかもそのほとんどが10代の若者であるという。

これは一種の軍による虐殺事件に等しいという非難の声が上がっている。

特に、パタニ州の歴史的建造物としても有名なクルー・セ・モスクに立てこもった若者32名を虐殺した行動はイスラム教徒の激しい怒りを買っている。あたかも米軍のイラクにおけるモスク攻撃の蛮行を思わせるものがあったという。

この殺戮を指揮したのは国内治安維持軍副司令官のパンロップ・ピンマネ将軍であり、チャワリット副首相の時間をかけて説得するようにという命令を無視してロケット砲弾などを打ち込み1名を除いて皆殺しにしてしまった。

怒ったチャワリットはパンロップを即座に解任したが、時既に遅くとんでもない事件になってしまった。

タクシン首相は犯人は再び武器を奪い密輸しようとしたならず者の集団であると簡単に決め付けているが、それが原因であるにしては死者の数が多すぎる。 また、タクシンは犯人たちは麻薬を吸引して攻撃しかけてきたと語っている。真偽のほどは定かでない。

タクシンの感覚からは、先の麻薬撲滅キャンペーンで2,500名以上虐殺した経緯もあり、麻薬をやっていたというだけで殺してもやむをえないということだったのかもしれない。

4月のはじめにチャトルン副首相が南タイ問題は、政府の高圧的な弾圧政策では問題が解決しないとして戒厳令撤廃を含む「融和的な政策」を作成したが、 強硬派のタクシンはこれに反対し、お蔵入りとなった。

軍部もこれに反発し、かえって現地住民を挑発するような行動に出たとも言われている。

もともと1月の武器庫襲撃事件の黒幕はタクシンの与党タイ・ラク・タイ党の国会議員であるとされ、真相解明が進む前にさらに現地を混乱に陥れる陰謀すら感じられる。

このことによって、タクシンのポピュリスト政策がいかなるものであるかが、少なくとも南タインおイスラム教徒は身にしみて理解できたことであろう。南タイのイスラム教徒とタクシン政権は和解不可能な点にまで突き進んでしまった感は否めない。

従来、タイには仏教徒とイスラム教徒の対立は皆無に等しかったが、タクシン政権になってから、やたらにギクシャクし始めた。今回の事件をきっかけに南タイでは仏教徒は枕を高くして眠れなくなったといえよう。

一方、タクシンは自分の末娘を名門チュラロンコーン大学の通信技術学科にもぐりこませようとして失敗し、「涙の記者会見」をやったというのだから、あきれるほかない。この件は入試問題の流出の疑惑も持たれ、教育相アディサイが非難の矢面に立っている。


タクバイ事件

50-6. 南タイでデモ隊80名以上が殺害される(04年10月26日)

タイ政府の発表では10月25日(月)に南タイで逮捕された6名のイスラム教徒の釈放を要求して1,500名ほどのデモ隊・群集が警察署に押しかけた。これに対し、軍・警察が発砲し、少なくとも6名が死亡し、20名程度が負傷したという発表があった。

しかし、その後今日になってパタニ県の陸軍基地で78名の死体の検死を行ったと、検死官のポーンティップ博士が記者団に語った。彼女によれば死因は死者の80%は窒息死 であり、その他は圧死などと見られるとのことであった。(BBC,インターネット版、WSJ、インターネット版、アジア欄)

78名の死亡の原因は1,300名近い逮捕者を大型トラック(何台かは不明)に乗せて、現場から5時間も離れた軍事基地まで輸送した途中に窒息、その他で死亡したものと考えられている(BBC)。

現地の副司令官であるシンチャイ少将は、「彼らはイスラム教徒の断食月で体力が弱っていたため死んだのであろう」と説明している。要するに逮捕者を人間扱いしていないタイの軍人の態度が如実に現れている。

この事件をきっかけに、タイのタクシン政権、仏教徒とイスラム教徒の抗争はいっそう激化するであろう。Relatives check names of the dead outside army camp in Pattani (27/10/04)

10月26日(火)のThe Natipn の報道のあらまし;

ナラティワットで約3,000人のデモ隊と軍隊が衝突し、少なくとも6名が死亡し、20名以上が負傷した。軍隊は催涙ガスダ弾を発射し、デモ隊はタク・バイ(Tak Bai)警察署に対し投石を行った。

目撃者のはなしによれば、軍隊はデモ隊に向け発砲した。指揮官は威嚇射撃は命じたが、人に向けて発砲しなかったと語っている。また、ある目撃者によれば、兵士は人に向けて発砲し、デモ隊を銃の台尻で殴打したり、蹴ったりていたという。

その際、約1,000名のデモ参加者が逮捕され、陸軍基地に連行されたという。

⇒その後死者は81名に増加。合計87名死亡。(04年10月27日)

その後、タク・バイ警察署付近の川から、3人の遺体が発見され死者は銃殺されたもの6名、窒息を含むその他の死因のもの81名合計87名の死亡が確認されている。

タクシン首相は軍・警察に落ち度はなく、彼らの行動は賞賛に値すると語った。また、死亡したイスラム教徒は断食で体力が弱っていたためであると、現地の軍関係者と同じ発言をしている。

ポーンティップ博士によればさらに付近の病院には16名の重傷患者が運び込まれており、危篤状態の者かなりいるとのことである。

イスラム教徒を家畜以下の扱いで搬送し、80名もの死者を出した軍隊を賞賛するという、およそ一国の首相としては考えられないような発言をしたタクシンに国際的な批判が集中したのは当然である。

周辺のイスラム諸国の怒りはもちろん、米国政府でさえも、詳細な調査を要求している。

こうなると、さすがのタクシンも「死者に哀悼し、真相の調査を約束する」と言明した。もちろん4月28日の虐殺事件の「真相究明」もおざなりにしたタクシンのことであるから、どこまで本気で対処するかは言わずもがなである。

そもそもタクシンがイスラム教徒とトラブルを必要以上に起こし始めたのは昨年APEC前に訪米し、ブッシュ大統領に会い、タイの「テロリスト」・イスラム過激派征伐をすることを要請され、二つ返事で帰国してからである。

シンガポールからの「情報」に基づいて、ジェマー・イスラミアのシンパを割り出し、逮捕したことに端を発する。タクシンとしてはさらにイスラム教徒の「分離独立運動」などを暴き出し、これを徹底的に弾圧することで国民の支持を得ようとした。

04年1月の軍事基地襲撃事件がタクシンの与党TRTの国会議員たちによって企画されたという容疑は、かなりの真実性がある。その後はイスラム教徒とタクシン政府の「激突」はエスカレートするばかりであった。

事態はタクシンの思惑をはるかに超え、宗教戦争にまで発展し、「泥沼」化してしまった。タクシンの最大のミスはタイ人は「恐怖政治に屈服する」と勘違いしていたことである。

彼の在任中は南タイのイスラム教徒の紛争は収まらない。悲劇は繰り返される可能性がある。タクシンは弾圧政策でイスラム教徒を制圧できるといまだに信じているはずである。それはついこの間の軍部の人事異動にも現れている。

⇒南タイのイスラム教徒の報復始まる(04年10月30日)

10月29日南タイで2件の爆弾事件があり、警察官1名が死亡し、19名が負傷するという事件が起こった。 タイ政府は反政府行動が北上しバンコクで爆弾騒動が起こるのではないかと強い懸念を示している。

バンコク市内にもイスラム教徒は多数居住しているが、今までのところは不穏な動きはない。

また、マレーシアではクアラルンプールのタイ大使館に500名のデモ隊が押しかけ、タクシン首相の辞任を求めたり、「タクシンとブッシュは同じだ」などというシュプレッヒ・コールを繰り返したという。

タイ国境に近いコタバルでは5,000名の、ペナンでは3,000名のデモがあったと伝えられている。

インドネシアでも反タクシンの抗議行動があったとテンポ紙で報じている(人数は不明)。

 

⇒国王がタクシンに穏健な手段で早く平和を取り戻せと諭す(04年11月2日)

プミポン国王は悪化する一方の南タイの紛争を憂慮し、タクシン首相を呼び「穏当な手段で早く紛争を収めるように」と諭したという。タクシンは過去にも麻薬取締りの際の大量虐殺についての国王の注意を無視しており、今回もどの程度効き目があるかは疑問である。

国王との話の内容はタクシンしかわからないが、タクシン流のやり方では軍警察の弾圧がイスラム教徒の報復をよび、それでまたタクシンは手段をエスカレートさせているようにしか見えない。

11月1日にはマーケットの野菜売りが殺された。11月2日にはニラチワット県のスキン地区で仏教徒の副村長が射殺され首を切られた姿で発見された。首切り事件は2度目である。 教師も殺されている。 新学期の開始が延期されている。

10月29日以降11月4日まですでに7名が殺害されている。 こんな殺し合いはまったく無意味である。「テロリストの脅しには屈しない」などとタクシンも青筋を立てているに違いない。

イスラム教徒をテロリスト呼ばわりするなら、タクシンは国家権力によるテロを即刻やめなければ事態は収まるはずがない。

これはパレスチナにもイラクにも共通する話である。