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バリ島爆破事件←クリック


9.イスラム過激派

バリ事件、マリオット事件(2003年)以外の外島(セレベスなど)の事件は此処で掲載します。

9-9..爆弾屋の総元締めノールディン・モハマドついに死す?(09年9月17日)

9-8.マリオット・ホテルがまたもや標的に(09年7月17日)

9-7. 爆弾屋10名逮捕、22個の爆弾を隠し持つ(08年7月4日)


9-1.⇒暴力集団FPIをインドネシア政府は放任?(08年6月5日)

 9-7. 中部スラウエシ省都パル市で爆弾事件7名が死亡(06年1月4日)

9-6. ポソで女子高生3人がクビを切られ殺害される(05年10月29日)

 ⇒容疑者のイスラム教徒3名を逮捕(06年5月15日)

 ⇒女子高生首切り殺害犯に14年〜20年の判決(07年3月22日)New

9-5. 国軍の弾薬が大量に「テロリスト」の手に渡っていた(05年6月23日)

9-4. ポソ近くのテンテナで爆破事件22名が死亡(05年5月28日)

 ⇒容疑者14名逮捕(05年6月4日)

9-3.アンボン事件再発(04年5月6日)

9-2.マカッサルのマクドナルド店爆破事件の犯人は、地元イスラム過激派(02年12月9日)

9-1.インドネシアのイスラム過激派はアルカイダの仲間か?スハルト一族の仲間か?(02年9月25日、29日)

90. Poso(ポソ=スラウェシ中部)でバスが爆破、6名死亡(04年11月16日)

80. ジャカルタのオーストラリア大使館爆破さる(04年9月9日)

 

9-1.インドネシアのイスラム過激派はアルカイダの仲間か?スハルト一族の仲間か?(02年9月25日、29日)⇒FPI関連

最近、米国のCIA(中央情報局)から外部にもれた(もらした?)情報が9月23日付の週刊誌Timeにスクープされた。それによると、インドネシアのイスラム過激派の1グループであるジェマー・イスラミヤ運動(Jemaah Islamiyah)やその他のグループはアルカイダの国際組織の一部であると書かれていた。

特に、中部ジャワのソロ根拠とするJIの指導者であるアブ・バカール・バアシル(Abu Bakar Ba'asyir)はインドネシアにおける最高リーダーであると名指されている(彼自身は否定している)。

確かにバアシルはかってアルカイダやオサマ・ビン・ラディンを讃えたことはあるが精神的および物理的な基地を提供したことはないといっている。

ことの起こりはインドネシアでとらわれたアルカイダの幹部であるOman Al-Faruqが米国に連れ出され、そこでCIAにインドネシアのテロリスト・グループについて告白したことがリークされたといわれている(ジャカルタ・ポスト02年9月23日)。

このJIという組織は東南アジアのイスラム教徒を大同団結させて「大イスラム国家」を建設することを目標に掲げており、彼らがアル・カイダの組織の一員か極めて近い存在であるという ことは米国や周辺諸国では認識されている。しかし、インドネシアのイスラム教団体はおおむねこれを強く否定している。

バアシルが議長を務めるMMI(インドネシア・ムジャヒディン評議会 =2000年にジョクジャカルタで結成)はCIAとBINと週刊誌Time社を名誉毀損で28日に南ジャカルタ裁判所に提訴した。

米国の駐インドネシア大使のボイス(Boyce)は9月24日に急遽、主なイスラム団体のリーダーと会談し、Timeの記事は米国政府の公式見解ではないとたうえで、「インドネシアのイスラム教徒はほとんどが穏健派であるが、一部にアルカイダと関係があるものがいるという証拠をつかんでいる。インドネシアに善処を望みたい」と語った。

この会談にはLaskar Jihad(聖戦軍団), FPI(Defenders of Islam), KISIDI(Komite Indonesia Untuk Solidaritas Dunia Islam=イスラム世界統一のためのインドネシア委員会)などのイスラム過激派グループは招かれなかった。

インドネシアのイスラム団体はブッシュのイラク攻撃声明に対してかねてから強い反発を示している が、今回のTimeの「情報」に対して過激派グループはスラカルタで1,500名のデモがあり、米国に対して断固聖戦を挑むと宣言した。

問題はこれら過激派グループがインドネシアの退役将軍などの軍関係者やスハルト体制を支えてきた政治家とかなり密接なつながりがあるということである。

先に逮捕され服役中のスハルトの3男トミーが過激派指導者を刑務所に呼んで密談したことは、本項2においてお知らせしたとおりだが、スハルトの次女の婿であるプラボオ元中将(故スミトロ博士の子息)もKISIDIグループと深いつながりがあることで知られている。

世上にはプラボオは妻と別居しており、スハルト一族とは関係が切れているなどという情報がながされていたが、スハルトの長男シギットの娘の結婚式にはちゃんと出席している。

2000年12月24日に起こったジャカルタとバンドンの爆発事件はJIのマレーシア組織に属するハンバリ(Hambali)と言う人物が黒幕だったと、実行犯の タウフィク(Taufik bin Abdul Halim=別名Dani)は告白している。

タウフィクはアンボン(Ambon)からスラバヤ経由でジャカルタに入り、アンボン人のグループと合流したと述べている。(Tempo9月24日号)

ということはアンボンでキリスト教徒と紛争を起こしてきたグループがジャカルタの爆発事件の実行犯一味であったことを意味している。アンボンのイスラム武闘派はインドネシア軍の特殊部隊(プラボオが元司令官)との関係が取りざたされていた。

また、フィリピンで爆発物所持で逮捕され、10年の禁固刑を言い渡されているインドネシア人のアグス(Agus Dwikama)はバアシルの組織に属していた。アグスが5月にフィリピンで逮捕された後に、彼の携帯電話の通話記録からアル・ファルクが浮かび6月の逮捕につながった。

アル・ファルクはバアシルが1999年のイスティクラル・モスク爆破も計画したとのべている。一方、バアシルはアル・ファルクとは面識がないと主張している。その他のJIの幹部もアル・ファルクについては知らないといっている。

アル・ファルクの自供のなかでかってメガワティが大統領になる前に、2度にわたり暗殺を試みたが失敗したと述べている。このストーリーはおかしいというのがインドネシアのおおかたの識者の見解で、アブ・ファルクはCIAの手先だったのではないかという説もでている(元情報局幹部Drac Manullang, Tempo 10月2日号インタビュー)。

(Ngruki Pondok ネットワーク)

戦前、日本軍政下においてイスラム教徒の戦闘集団としてヒズブラ(Hizbullah)が組織され、戦後のインドネシアの独立戦争で活躍したが、独立後はイスラ ム国家の建設を主張し、スカルノ政権と対立した。

そのときイスラムの武闘派連合がダルル・イスラム(Darul Islam=イスラムの家という意味)運動として1948年に組織化された。

彼らの西ジャワの指導者はカルトスウィロヨ(Sekarmadji Maridjan Kartosuwirjo)であり,49年にはインドネシア・イスラム国家の樹立を宣言した。彼らはインドネシア各地で国軍と戦闘を繰り返していたが、カルトスウィロヨが62年に捕らわれ銃殺され、 武力闘争は一段落した。

この戦闘により国軍(ナスティオン将軍ら)の発言権は極めて強いものになった。

カルトスウィロヨの流れを汲んでいるのが今回の主役となったバアシル(Abu Bakar Ba'asyir)である。彼は ダルル・イスラムの戦闘には参加しなかった。

しかし、精神的伝統を受け継ぎ、後にアブドゥラ・スンカール(Abdullah Sungkar故人)とともに1973年に中部ジャワの ンルキにイスラム学校(Pondok Ngruki)を開いた。

その学校は現存し、イスラム教のほか英語やアラビア語(コーランを読む上で必須)などを教育している。そこで育った人材が各地に展開しンルキ・ネットワークといわれる組織をもち、かつてダルル・イスラムが目指した「イスラム国家」建設を目標に活動している。

一部はアフガニスタンに赴きアル・カイダのメンバーとして軍事訓練を受け、対ソ連軍との戦闘にも参加している。

2001年の12月にシンガポール当局が逮捕した15名のイスラム過激派のうち13名がアフガニスタンで押収されたビデオ・テープからJI(ジェマー・イスラミヤ)のメンバーであることが確認されている といっている。

バアシルはその後反スハルト運動の容疑で1978年11月に投獄され、83年に釈放後 、いったんンルキに帰ったが、84年のタンジョン・プリオク港事件後(スハルトのパンチャシラ原則に反対したイスラム教徒虐殺)の1985年にマレーシアに亡命し、そこでJIの組織活動をおこなった。

スハルトの失脚後1999年にインドネシアに帰国した。その時、彼はイスラム教徒の間では長期間スハルト政権と闘った「英雄」になっていた。

マレーシアにも彼の弟子や信奉者が少なくない。 先ごろ逮捕されたマレーシアJIの幹部ワン・ミン(大学講師42歳)についてマレーシア政府はアル・カイダとの関係があると主張している。

彼らの組織(JI)はシンガポール,フィリピン、ブルネイにも存在すると各国政府関係者は見ている。 特に、シンガポールのリー・クワン・ユーがバアシルをテロ組織の頂点にいる人物だと指摘したことにより人気が急上昇してしまった。

 バアシルは「英雄」になったことで、各方面から「資金」が流れてくるようになったことも確かであろう。

Time(9月23日号)に掲載されているファルクの自供の記事を読んだかぎりでは、内容が粗雑でファルクとバアシルとの関係があまりすっきりしない。

また、よくわからないのはインドネシア当局がファルクのような「重要人物」を捕らえながら、なぜ自国で調べないでCIAに引き渡してしまったのか?それをメガワティが承知していたのか?

実はJIの幹部でバアシル(64歳)の弟子にあたるハンバリ(Hambali 37歳)という人物がいる。彼はアル・カイダと密接な関係にあり、アフガニスタンでタリバン軍とともにソ連軍と闘った経歴を持っている。このハンバリが武闘派のトップとしてテロ行為を取り仕切っていたと考えられている。

バアシルはハンバリとは一線を画しているといわれているが、ハンバリの行動についてどのていど関与していたかは明らかではない。

CIAはハンバリとバアシルは「同じ穴のムジナ」として早く捕らえ、実態を解明したいところであろうが、インドネシア政府は今のところ彼を逮捕する証拠はないといっている。ハンバリは現在どこにいるか不明である。

(その後ハンバリは03年8月11日にタイに潜伏中に逮捕され、身柄は米国が 確保し、どこかに隠してしまい、インドネシアの当局者にも合わせない)

ファルクは6月5日にインドネシア当局に捕らえられ、すぐに米国に引き渡され、CIAから心理的な拷問的取調べを3ヶ月にわたって受けた上、9月9日になって「全容を告白」したと書かれているが、CIAのシナリオどおりの「自供」をした可能性も否定できない。

米国はアルカイダの「残党」が東南アジア全域に拡散しているというシナリオを使い、各国に睨みを利かせる作戦にでていることだけは確かであろう。

ブッシュ政権は米国が「世界の警察」であることをことさらに望んでいるような気がしてならない。フィリピンのアロヨ大統領はそれをすんなり受け入れたが、インドネシア国民は多分「ノー」であろう。これを機にインドネシアにおける「反米感情」が逆に高まる可能性すらある。

肝心のバアシルはインドネシアで「自由の身」であり、マレーシアやシンガポールからの身柄引き渡しにインドネシア政府は応じる気配を見せていない。彼はTimeやファルクといつでも対決するといきまいている。

しかし、彼がダルル・イスラムの流れを引く人物であることは確かであり、インドネシア政府としても早晩黒白を明らかにする必要に迫られている。

なお、インドネシアのイスラム過激派については世界的にかなり研究が進んでおり、International Crisis Group (Brusselに本部がある)の"Al-Qaeda In Southeast Asia-The Case of the 'Ngruki Network' in Indonesia"が参考になる。http://www.crisisweb.org/

(インドネシア国内の過激派)

@FPI(Front Pembela Isalam=イスラム防衛戦線) ;1998年にハビビ政権をバック・アップするために国軍(当時はウイラント)の後押しで結成されたグループであり、アラブ系の血統のイスラム導師が中心メンバーとなった。

指導者はハビブ・リジエク(Habib Rizieq)であり、メンバーの数は一時期5万人と称していたが、さほどの勢力ではない。

結成の動機は反ハビビ(反スハルト)をスローガンに掲げる学生運動に対抗するためであった(軍や警察が表立って学生を弾圧するのが難しくなってきたので彼らを利用した)が、まず手始めにアンボン人のキリスト教徒を襲撃した。

その後、ジャカルタ市庁を占拠を占拠し、すべてのナイトクラブ、カラオケ・バー、トルコ風呂などをラマダン(断食月)期間中に閉鎖するように要求した。

今年10月4日にも同様の主張をして500名ほどのメンバーが中華街の何軒かのバーやディスコを襲い、存在を誇示している。活動範囲は西ジャワからスマトラ南部のランプンに及ぶ。

彼らの襲撃は日本のヤクザの流儀に似てきて「用心棒代」強要のケースが増えてきているという。警察も彼らの背景が軍の幹部なので放置しておくという。

ウイラントが失脚すると、後見人はジャカルタ地区司令官のジャヤ・スパルマンやジャカルタ警察長官のヌグロフォ・ジャユスマンに引き継がれたが、現在は軍・警察の特別の支持は 少ないと考えられる。特に警察とは「用心棒」利権をめぐって対立すらしているようだ。

彼らの主な資金的スポンサーはハビビ財閥であるが、スハルト・ファミリーからも資金が出ていた(る)可能性は高い。スハルト政権末期の財務相であった元国税庁長官ファウド・バワジールも支持者であったといわれる。

しかし、スハルト・ファミリーも最近「ものいり」で資金提供力が落ちていることは明らかで、旧軍幹部も身銭を切ってまで「資金援助」をやる気はなくFPIの動きもかなり低調である。

Aラスカル・ジハド(Laskar Jihad)はアンボンのキリスト教徒との戦闘のために最近組織された(ダルル・イスラムの後継組織とは一応別に)ものであるが、アミアン・ライス(現国民評議会議長)、ファウド・バワジール、ハムザ・ハズ(現副大統領)などの出席をえて、国民記念塔広場で10万人の発会式をおこなった。

これにはFPIKISDIも参加した。多額の資金がサウジ・アラビア王室から提供されたといわれている。しかし、ファウド・バワジールはスハルトの財団である'Yayasan Amal Bhakti Muslim Pancasila'から資金を引き出して、これに提供したと取りざたされている。

ラスカル・ジハドの司令官ジャファー・ウマル・タリブ(Jaffar Umar Thalib=イエメン系インドネシア人)は昨年5月にマルク諸島のキリスト教徒との抗争事件で逮捕されていたが、03年1月30日に容疑不十分で釈放された。

一方、キリスト教徒側の指導者アレックス・マヌプティ(Alex Manuputty)は数日前に3年の実刑判決を受けている。このような明らかな不平等判決の背後にはジャファーの釈放にはスポンサーからかなりの支援があったことをうかがわせる。(この項03年1月30日追加)

BKISDIはプラボオと個人的につながりの深い組織であり、イスラム教徒の大組織であるナフダトゥール・ウラマ(NU)やムハメディア内の反スハルト運動を牽制する組織としてつくられた。1994年にボスニアのイスラム教徒支援を名目とした旗揚げをおこなった。

この組織はスハルトの異母弟プロボステジョなども深くかかわり、いわばスハルト・ファミリー直系の組織である。

(グス・ドゥルのコメント=彼らは国内テロリストである)

前の大統領であり、インドネシアの最大のイスラム組織NUの会長でもあったアブドゥーラマン・ワヒド(通称グス・ドゥル=ドゥル兄さん)は次のようにコメントしている(9月30日、detik.com)

「MMIのAbu Bakar Ba'asyir, FPIのHabib Rizieq およびラスカル・ジハドのJafar Umar Thalibはいずれも国内テロリスト(国際ではない)であり、証拠はいくらでもある。政府は彼らを逮捕してしまったほうがよい。警察は証拠がないのではなく捕まえる気がないのだ。」

グス・ドゥルはインドネシアでは最高位のイスラム教徒の指導者であり、彼にそういわれるとなるほどと思えてくる。あわてたFPIはこれを強く否定している。しかし、教会爆破事件以外のジャカルタ証券取引所爆破事件など、これら過激派団体のどれかが関与していた可能性は否定できない。

またこれら爆発事件の多くがプラボオのジャカルタ滞在時(普段はヨルダンでビジネスをやっていたといわれている)とトミー・スハルトの逃亡時期と重なって起こっており、この辺の疑惑は現在十分に払拭されてはいないようだ。

また、使用された高性能爆発物はほとんどが国軍仕様のものであった。


9-1.⇒暴力集団FPIをインドネシア政府は放任?(08年6月5日)

ハビビ政権をバック・アップするために国軍が作ったといわれるFPI(Front Pembela Isalam=イスラム防衛戦線)はバリ事件当時一時的に鳴りを潜めていたが、ほとぼりがさめるや暴力集団としての勢力を拡張し、ラマダン(断食月)期間のバーやマサージ・パーラーの廃止を要求して、カネをくれない経営者の店を破壊するなど暴力団まがいの行動をしていた。

最近は、ジャカルタのモナス(独立記念塔のある広場)で信教の自由とパンチャシラ(インドネシア建国5原則=インドネシアをイスラム国家にはしないという規定アリ)63周年を記念するデモ隊AKKBB(National Aliance for the Freedom of Faith and Religion)にFPIのメンバーが棍棒などで襲い掛かり、70人もの負傷者を出すという事件が起こった(08年6月1日)。

FPIはアーマディヤ派(Ahmadiyah=マホメット以降の預言者を認めるイスラム教徒集団)のモスクを破壊するなどの「イスラム原理主義的行動」をキッカケに暴力性を強め、6月1日の襲撃事件も名目はアーマディア派に対する攻撃であった。

しかし、FPIは手当たり次第に棍棒で殴りつけたため、アーマディヤとまったく無関係の他派の宗教指導者や自由人権団体のメンバーが負傷した。

これに対し、グス・ドゥル元大統領などは即刻FPIを解散せよと言う声明を出し、内外(こういう記事は新聞にめったに掲載されない日本を除く)からもFPIに対する非難が沸き起こっている。米国政府も事態を憂慮する旨のメッセージを送っている。

ナフダトゥール・ウラマなどの穏健イスラム組織はFPIはイスラムの教えを逸脱した暴力集団であり、即刻解散すべ氏と言う主張をおこなって言る。

SBI大統領も「ドゲンカセニャナラン」と関係閣僚と対策を協議し、「内務省がさらに調査する」と言うことになったようである。要するにフニャフニャした態度から踏み出せないでいる。

肝心の警察が、暴力行為を目のあたりにしながら現行犯逮捕もしないのだからどうしようもない。未だに、容疑者が捕まったという報道はない(FPIの本部に乗り込んだものの一喝されてスゴスゴ引き下がってきたらしい)。

FPIには軍部の後ろ盾があるため、インドネシア政府としても容易には手が出せないようである。FPIの最近の活発化は2009年の総選挙にも絡んでいるとみるべきであろう。

「やはり軍でないとインドネシアの国内の平和と秩序は保てない」というお決まりのセリフがアチコチから出て来るのを期待している輩が未だに存在すると言うことであろう。こういう声は日本からも出かねない。その手の「識者や学者」の存在には事欠かないのが民主主義国家日本である。

 

9-2.マカッサルのマクドナルド店爆破事件の犯人は、地元イスラム過激派(02年12月9日)

 ⇒アンボン騒動は特殊部隊が首謀者である‐実行犯が自供(03年1月8日)

バリ事件は別に南スラウェシのマカッサル(ウジュンパンダン)市でマクドナルド・ハンバガーの店が爆破され3名の死者と10数名の負傷者がでた。

02年 12月5日のことである。ほぼ1時間後、トヨタ自動車の中古社販売店も爆破され、自動車は多数破壊されたがこちらは怪我人はでなかった。この店のオーナーは福祉担当調整相のユスフ・カラである。

これも犯人は例によって「アル・カイダ」であるとの報道がなされたが、これまた先走り情報である。

時限爆破装置の設定を間違った犯人が「自爆(事故死)」してしまったが、その人物は、アンサール(Ansar)であることが後に判明した。このグループこの地域のイスラム過激 派のラスカル・ジュンドゥラ(Laskar  Jundullah)のメンバーであるという疑いがもたれている。

ちなみに、フィリピンで爆弾を所持していた容疑で8年の禁固刑で服役中のアグス・ドウィカルナ(Agus Dwikarna)はこのラスカル・ジュンドゥラのリーダーである。

南スラウェシ警察本部長のフィルマン・ガニ(Firman Gani)は警察としては必ずしもLJに容疑を向けているわけではないと説明している。

警察は爆弾屋グループのメンバーを特定しており、既に数人逮捕し、家宅捜索の結果、同地区の教会所在地などを書いた地図と、2.5KgのTNTおよび黒色火薬(爆発力は低い)と爆弾作成の手引き書を押収している。また犯人グループのうちの2名はLJのメンバーであるとしている。

今インドネシアはラマダン(断食月)が明けたばかりで、12月4日(政府は5日といっている)からイドゥル・フィトリ(Idul Fitri)という、いわばイスラム正月に入っている。

こういうときに 人ごみを狙って爆弾を破裂させるのは「キリスト教徒」の仕業ということにして、この地域に新たに宗教抗争を再燃させたいという政治的意図があったのであろう。

ラスカル・ジハドはバリ事件直後に解散させられたが、同種のイスラム過激団体はまだ残っている。このラスカル・ジュンドゥラというのは「インドネシアにイスラム法を確立するための委員会=Komite Penegakkan Syariat Islam(KPSI)」というマカッサルに本部を置く団体の「実行部隊」である。

また、イスラム青年戦線(FPI)のメンバーにも容疑がかけられている。

12月11日現在犯人グループ4名が逮捕され、主犯格の1人アグン・ハミッドが指名手配中である。

警察のすばやい逮捕に対し、「警察は事件を事前に知っていたのではないか?」という疑いをもたれている。また、2000年のクリスマス・イブの教会爆破事件のとき何故犯人を捕まえられなかったのか?という当然すぎる疑惑がもたれている。

警察は事件の全貌も犯人グループも知りながら、ある事情(特殊部隊が関与)により逮捕に踏み切らなかったという見方がある。

【情報部、特殊部隊はテロリスト・グループとコンタクトを持っていた】(12月14日)

12月11日付けでICG(International Crisis Group http://www.crisisweb.org )が公表した「Indonesia Backgrounder: How The Jemaah Islamiyah Terrorist Network Operates=インドネシアの背景;ジェマー・イスラミアのテロリスト・ネットワークの活動状況」によれば、JI系のイスラム過激派爆弾屋集団はインドネシア軍情報部と特殊部隊にホット・ラインを持っていたことが関係者の証言から明らかになった。

このなかでICGは関係者へのインタビューと過去からのデータに基づきJIグループのなかの武闘派(アブ・バカル・バアシールは彼らからは疎外されていたようだ)の活動について、2000年のクリスマス・イブにインドネシア全土10数箇所でほぼ同時刻に起こった教会爆破事件にスポットを当てながら主に人の動きを中心に解説している。

本文は29ページにもおよぶ力作で、全体の紹介はできないが、まず7ページにアチェ独立運動(GAM)から離脱したグループの話が出てくる。その指導者にファウジ・ハスビ(Teungku Fauzi Hasbi)がいる。

彼はダルル・イスラム運動の指導者の息子であり、「真正GAM」のリーダーを自称しており、配下にはGAMを離脱した手下がかなりいる。彼は、また、いまやお尋ね者の筆頭の武闘派のトップのハンバリを息子のように可愛いがっている。

ハスビはJIに近い人物でありながら、1979年にインドネシア軍特殊部隊に投降して以来、当時の特殊部隊の中尉シャフリ・スジャムスディン(Syafrie Sjamusuddin)と親しい関係にあり、シャフリが少将に昇進しインドネシア国軍司令部の報道部長となっている現在も定期的に情報連絡している。

そればかりか情報部勤務が長く、現在は軍情報部長のヘンドロプリヨノ中将(Hendoropriyono)とも近しい関係にあるという(9ページ)。

この辺の情報を読むと軍情報部はことさらにCIAの情報に乗って、バリ爆破事件をアル・カイダの指令を受けたJI(ジェマー・イスラミア)の仕業だという「宣伝」をしていることの背景が読めてきそうな気がする。ご関心の向きにはICGのリポートを一読されることをお勧めする。上記のcrisiswebから簡単にダウン・ロード(付属資料込みで約50ページ)できる。

スハルト政権崩壊以降のインドネシアの爆弾テロ事件の全貌が少しずつ解明されつつある。アル・カイダの仕業だなどという単純なお話ではないことがはっきりしてきた。

 しかし、これぐらいのことはGus Dur前大統領などははじめから知っていたのであろう。だからこそ、イスラム過激派の幹部の名前(バアシール以下数名)を新聞記者が口にしたとき、かれはタンガップ(捕まえてしまえ)とはき捨てるように言ったのだ。

⇒アンボンの暴動は特殊部隊が仕組んだもの(03年1月8日)

スハルト政権が98年5月に崩壊した後、インドネシアでは軍の統制が乱れ、各地に暴動や爆弾騒動が起こった。その最終的な大事件は昨年10月12日に起こったバリ等事件であった。日本のマスコミの一部(というよりは多く)はスハルト独裁体制の方が治安が安定していてよかったという論調である。

マルク諸島のアンボンでのキリスト教徒とイスラム教徒の武力抗争はその代表的事例であった。1999年以降両者の武力抗争で約5,000人の死者が出ている。

ところが、アンボンの暴動の火付け役を果たした キリスト教徒のチョカール(Coker=Cowok Keren=イカス野郎)団の親分であるベルティ・ルパティ(Berty Loupaty)なる人物が、あの暴動はインドネシア軍特殊部隊(Kopassus)が首謀者であると告白した。

アンボンのポルトとハリア村をスピード・ボートに乗った暴力団が襲撃したのが事件のきっかけでもあるが、ボートを買う金はKopassusが出したもので、ボートには特殊部隊員も乗り込み、彼らの指示に従って攻撃を仕掛けたのだという。

それ以外に昨年の「和平協定後」のほとんど全ての抗争事件に関与し、少なくとも11件の爆破事件を起こした。これらは全て特殊部隊の差し金であった。特殊部隊はアンボンに「騒乱状態」をつくることが目的であったという。(http://www.tempo.co.id の03年1月8日の記事他参照)

なおルパティと17名の仲間はアンボン騒乱事件を起こした罪でジャカルタ警察本部に拘置されている 。本人は昨02年11月に警察に自首した。自首しなければ、口封じのために殺害される危険を感じたからであろう。

なお、Kopassusは上述の通り、スハルトの女婿プラボオ中将の強い影響下にあった組織である。 アンボン地区の宗教騒乱の背後にはKopassus がいたという話しは事件の当初から噂話としてジャカルタではささやかれていた。

私のような門外漢にすぎない一介の旅行者の耳にすら入っていた話である。それが具体的生き証人によって語られ始めたのである。

この紛争にはご存知「ジャスカル・ジハド」などハムザ・ハズ現副大統領やアミアン・ライス国民評議会議長が少なからず肩入れしてきたイスラム暴力団組織も「応援」に駆けつけて騒ぎを拡大してきた。これら暴力団組織は爆弾屋グループとも浅からぬ接点があったはずである。

今回、バリ事件をきっかけにインドネシアのいわゆる「政情不安」の根幹が急速にあばかれはじめたことによって、インドネシアの政治不安(騒乱事件、爆破事件)の1つが取り除かれる結果に終わることを祈りたい。

 

9-3.アンボン事件再発(04年5月6日)

(過去の経緯)アンボンの暴動は特殊部隊が仕組んだもの(03年1月8日)←9-2の記事から一部抜粋

スハルト政権が98年5月に崩壊した後、インドネシアでは軍の統制が乱れ、各地に暴動や爆弾騒動が起こった。

その集大成ともいうべき大事件は02年10月12日に起こったバリ等事件であった。日本のマスコミの一部(というよりは多く)はスハルト独裁体制の方が治安が安定していてよかったという論調である。

それ以前から マルク諸島のアンボンでのキリスト教徒とイスラム教徒の武力抗争は民族・宗教紛争としてはその代表的事例であった。1999年以降両者の武力抗争で約5,000人の死者が出ている。

ところが、アンボンの暴動の火付け役を果たした キリスト教徒のチョカール(Coker=Cowok Keren=イカス野郎)団の親分であるベルティ・ルパティ(Berty Loupaty)なる人物が、あの暴動はインドネシア軍特殊部隊(Kopassus)が首謀者であると告白した。

アンボンのポルトとハリア村をスピード・ボートに乗った暴力団が襲撃したのが事件のきっかけでもあるが、ボートを買う金はKopassusが出したもので、ボートには特殊部隊員も乗り込み、彼らの指示に従って攻撃を仕掛けたのだという。

それ以外に02年の「和平協定後」のほとんど全ての抗争事件に関与し、少なくとも11件の爆破事件を起こした。これらは全て特殊部隊の差し金であった。特殊部隊はアンボンに「騒乱状態」をつくることが目的であったという。(http://www.tempo.co.id の03年1月8日の記事他参照)

なおルパティと17名の仲間はアンボン騒乱事件を起こした罪でジャカルタ警察本部に拘置されている 。本人は02年11月に警察に自首した。自首しなければ、口封じのために殺害される危険を感じたからであろう。

なお、Kopassusは上述の通り、スハルトの女婿プラボオ中将の強い影響下にあった組織である。 アンボン地区の宗教騒乱の背後にはKopassus がいたという話しは事件の当初から噂話としてジャカルタではささやかれていた。

私のような門外漢にすぎない一介の旅行者の耳にすら入っていた話である。それが具体的生き証人によって語られ始めたのである。

この紛争にはご存知「ジャスカル・ジハド」などハムザ・ハズ現副大統領やアーミン・ライス国民協議会議長が少なからず肩入れしてきたイスラム暴力団組織も「応援」に駆けつけて騒ぎを拡大してきた。

これら暴力団組織は爆弾屋グループとも浅からぬ接点があったはずである。

今回の事件は4月25日に突如、再発した。おりしも、国会議員選挙の大勢が判明し、次の7月5日の大統領選挙に向けて、 主要政党が大統領候補者を誰にすべきかという論議が高まりを見せていたときであった。

第1党になった ゴルカルは党首アクバル・タンジュンと元国軍司令官ウィラントととの一騎打ちとなり、結局ウィラントが決選投票で勝利し、ゴルカル代表の大統領候補となった(#65-7に詳細あり、いずれにせよウィラントが大統領に当選する可能性は極めて低い)。

ウィラントはアンボン騒動の再発は、自分の息のかかった国軍の一部が企画し、起こしたものであるという世間の疑惑を懸命に打ち消していた。

この意味は「インドネシアには騒乱が絶えないから軍人出身の大統領でなければ押さえが利かない」という世論作りを狙ったと見られていたからである。日本のマスコミや学者の中にはこういう見方が大好きな人間もいる。

なぜかキリスト教徒が先に手を出したということになっているが、イスラム教徒も教会を焼き討ちにするなどの「報復合戦」ののち、5月6日現在で双方約40名の死者を出している。

4月25日は54年前(スカルノ時代)にオランダ人にそそのかされて「南マルク共和国=RMS=South Maluku Republic」がインドネシア共和国とは独立して国づくりをおこなうという、いわば「反乱宣言」をした記念日に当たる。

RMSの支持者はオランダ人宣教師などによりキリスト教化されたマルク人であった。RMSそのものはインドネシア国軍によて壊滅させられたが、現在はChiristian Malulu Sovereignity Front (FKM)という組織で200〜300名ほどのメンバーがいるという。

この武力紛争は国家警察長官ダイ・バフティアールがジャカルタから飛んできて仲介に当たったがうまくいかなかった。インドネシア国軍は機動部隊を増援にて治安の維持に当たったいる。

国軍司令官エンドリアルトノ・スタルトは「狙撃者」を見つけ次第銃殺せよという命令を下した。もしそれが実行されると、国軍も巻き込まれて収拾のつかないゲリラ戦が展開される危険もはらんでいる。

紛争当事者双方とも国軍使用の自動小銃で武装しているといわれている。その一部は2000年6月21日に警察軍の武器庫から盗まれたものらしいといわれているが、軍が横流ししたものである可能性も否定できない。

事態を悪化させる要因がもう1つ持ち上がっている。それはバリ爆破事件の数日後に自主解散したはずのラスカル・ジハドが急遽、再結成され、マルク地方に乗り込んでくるといわれている。 (#9、イスラム過激派、および#12、バリ事件参照)

かれらこそは前回2002年のマルク紛争をこじらせた張本人である。ラスカル・ジハドの親分ジャファー・ウマム・タヒブは既に1万人ぐらいのアンボン行き志願者がいると豪語している。

結局、インドネシア政府はラスカル・ジハドの取締りを前回徹底してやらなかった。なぜなら彼らは国軍が裏で組織したイスラム過激派・暴力集団であったからである。ジャファーもブタ箱に形ばかり入れられてすぐに釈放された。

こういう集団を野放しにしておいてテロリスト(爆弾屋)対策などまともにやれるはずはないであろう。メダワティ政権の失政の1つに数えられる。


90. Poso(ポソ=スラウェシ中部)でバスが爆破、6名死亡(04年11月16日)

11月13日にスラウェシ島(セレベス島)中部のポソ市でミニバスが爆破され6名の死者が出た。犠牲者は全員キリスト教徒と考えられる。オートバイに乗った2人組の男がバスに爆発物を投げ込み、そのまま逃走したという。

ポソもアンボン島(モルッカ地方)と並んで宗教対立が激化している地域であり、すでにイスラム教徒とキリスト教徒の紛争で約1,000人ほどが死亡している。

セラウェシ島はキリスト教徒とイスラム教徒の数が拮抗しているが、従来大規模な紛争は少なかった。ところが3年ほど前から「宗教対立」が表面化し、両者の殺し合いが始まった。

インドネシア警察本部は急遽、機動隊100名を現地に送り、警備を強化するという。

ポソ地区にはイスラム過激派の本拠地があり、爆弾屋グループが存在することで知られている。

ポソとその周辺の中部スラウェシでは2000年〜2002年の間に、キリスト教徒とイスラム教徒の紛争ですでに約2000名が殺害されている。紛争の火付け役になったのは軍であると見られている。

そこに、ジャカルタに本部のあるイスラム過激派集団ラスカル・ジハドが「志願兵」を送り込んで紛争を激化させた。彼らを背後で支援していたのは軍であった。

ラスカル・ジハドは02年10月のバリ爆弾事件の直後、突如解散させられたが、いつのまにか復活し、活動を始めているといわれている。また、ラスカル・ジハドがいなくなった後も地元のイスラム過激派が「独自」にキリスト教徒を狙った襲撃事件が後を絶たない。

03年10月にはポソ地区のモロワリ(Morowali)村で覆面をした殺し屋数人が13名の村人を殺害した。彼らは地元のイスラム過激派「Mujahidin KOMPAK」であるといわれている。

04年7月にはキリスト教会の牧師が殺害された。04年11月4日にはキリスト教徒の村長が殺害され、首を切られた。11月8日にはミニバンの公共バス運転手が射殺されている。

それ以前にも数件の宗教がらみの殺人事件が起こっている。これら一連の事件にはもはや軍が関与(コントロール)していない可能性がある。すなわち地元イスラム過激派の暴走である。

インドネシア政府、軍・警察は今回の事件が拡大しないように政治・治安調整相ウィドド以下最高責任者を現地に派遣し、対策を協議した。

 

9-4. テンテナ町で爆破事件21名が死亡(05年5月28日)

スラウェシ島の中心都市ポソから南に約60Km離れたテンテナ(Tentena)町(クローブで有名なテルナテ島ではありませでしたー 地名が似ていたので筆者が勘違いしました。申し訳ありません。)で5月28日(土)朝、2ヵ所で爆弾が破裂し 少なくとも22名が死亡し、30名以上がが負傷するという事件が起こった。

爆発は人の集まる町の市場とBRI(インドネシア民衆銀行)の支店の近くで起こった無差別殺戮である。

しかし、テンテナ町はキリスト教徒が多く居住する地域で、イスラム過激派がキリスト教徒の殺傷を意図したものであると見られている。

ポソはイスラム教徒とキリスト教徒の紛争が1998年から激化し、再三爆弾事件や抗争による流血事件が起こっているが、今回の事件もその一環と見られる。

イスラム教徒とキリスト教徒は2001年に一旦は「和平協定が」が結ばれたが、最近また小競り合いが目立ち始めた矢先の出来事である。

今年初め、インドネシア国軍がポソ地域の民家から60個の手製の爆弾が発見されている。

⇒14名の容疑者を拘留(05年6月5日)

警察は少なくとも4名の有力容疑者を逮捕し、10名を拘留して取調べをおこなっていると発表した。また、さらに4名の容疑者が浮かび、行方を追っているという。容疑者の多くには地元の公務員が含まれているという。 主犯格と目される人物は中部ジャワに既に高飛びしたといわれている。

容疑者のうち4名は1999〜2001年の間に起こったポソでの宗教対立(キリスト教徒とイスラム教徒)の犠牲者に対する救援資金のうち23億ルピア(約2,600万円)をネコババした容疑で告訴されている人物である。

このことから、汚職事件から世間の注意をそらすことが目的であるという説が一部のNGO関係者から出ているが、警察は否定している。

また、その他の容疑者の中にはキリスト教徒の村長を殺害した容疑で手配中のものもいる。

この事件の動機については諸説 あるが、基本は地元のイスラム教徒の過激派集団(ジェマー・イスラミアではない)がキリスト教徒との抗争の繰り返しのなかでの報復合戦であるという見方が有力である。また、新しい過激は組織の名前も取りざたされている。

 

9-5. 国軍の弾薬が大量に「テロリスト」の手に渡っていた(05年6月23日)

インドネシアの南スマトラでランプン警察は国軍が使用する弾薬を積んだテロリストと関係があると見られるトラックを6月20日(月)深夜に捕まえたと本日のジャカルタ・ポスト(インターネット版)は報じている。

このトラックには3Kgのマリファナも積まれており、警察はまずそれを押収した。トラックの積荷をさらに調べると緑色の箱に入った次の物件が見つかった。

520発のM-16半自動小銃用弾丸、135発の9mm弾丸、M-16用の弾倉14個(502発の弾丸装着済み)、2個の手榴弾、その他軍用ナイフなどであり、いずれも国軍仕様のものである。

それ以外の積荷としては5台の発電機、玩具、缶入り飲料などが合ったという。

トラックの運転手はその場で逮捕されたが、2名の同乗者(名前は判明している)は現場から逃走した。

運転手はCV Mulia Baruという家電製品を東ジャワを管轄しているブラウィジャ(Brawijaya)憲兵隊のサリン(Salin)曹長(Chief Sgt)に届けるところであると説明している。

運転手はトラックをルクスマエ(Lhokseumawe)からジャカルタに運ぶだけで500万ルピア(526ドル)を貰えることになっていたという。 ルクスマエはアチェ北部の都市である。ここから運ばれる弾薬はいうまで絵もなくインドネシア国軍のアチェ派遣軍のものである。

それがジャカルタに運ばれて、その後は誰の手に渡るのであろうか?ジェマー・イスラミアと米国やシンガポールや日本などで言われている「イスラム教徒のテロ組織」は爆弾専門のようで、自動小銃を乱射するなどということは目下のところやっていない。

イスラム教徒が派手に鉄砲をぶっ放しているのはスラウェシ島の中部のポソ地域である。ここのイスラム教徒に武装させてキリスト教徒との武力紛争を起こさせたのはインドネシア国軍であるといわれている。今の段階では、これらの弾薬がどういう目的で運ばれたのかは断定できない。

しかし、 これらの弾薬は当然、M-16半自動小銃を持っているグループに渡されるべきものであるが、それらがインドネシア国軍ではないことは明白である。とすれば、インドネシア国軍の武器弾薬を使用しているグループが存在するということを意味する。

それがポソのイスラム教徒過激派なのか、インドネシアのあちこちにいるといわれる「民兵」なのかは今のところわからない。

ジェマー・イスラミアというテロリスト集団が農薬を加工してバリ爆破事件を起こしたといわれるているが、事件の当初は軍出身の専門家が軍用爆弾(TNT火薬)を使って爆発させたといわれていたことを思い出す。

国軍とイスラム過激派の結びつきはスハルト政権初期の陰謀家アリ・ムルトポの時代にまでさかのぼるといわれるが(上の#9-1、2参照)、本件も真相の解明が待たれるところである(多分、このまま闇から闇へ消えていくことになるであろうが)。

 

9-6. ポソで女子高生3人がクビを切られ殺害される(05年10月29日)

05年10月29日(土)中部スラウェシのポソ市の近くで、学校に通う途中で3人の女子高生が何者かに襲われ、クビを切られ殺害され、1名が重症を負うという痛ましい事件が起こった。2名のクビは近くの警察の駐在所近くに、もう1名のクビはキリスト教会の近くに放置されていた。

被害者はいずれもキリスト教徒で、犯人は6名以上いたと警察では推定している。犯人は、未確認だがイスラム教徒と推測されている。

ポソ地区は2001年ごろからキリスト教徒とイスラム教徒の紛争が激しくなり、既に双方で1,000名以上の死者が出ている。2002年には政府の仲介で一応は紛争が収まったかにみえたが、最近再び事件が起こり始めている。

2001年の紛争時に、ジャカルタに本部を置くイスラム過激派のラスカル・ジハドなどという団体が「聖戦」と称して、キリスト教徒との「紛争」支援のためポソ地区に「兵士」を多数送り込んだ。「和解成立」後も彼らの可なりの部分は現地にとどまって不穏な動きをみせていた。

今年の6月にはスマトラ北部のアチェから大量の武器・弾薬がジャワ島に運ばれる(最終目的地はポソなどの紛争地域とみられる)途中で警察に捕まっている。これは明らかに、国軍が関与している動きであり、何らかの目的で、ポソの紛争を再拡大しようとしているのではないかと憶測される。

05年5月28日にはポソ市近くのテンテナ市で22名のキリスト教徒が殺害される爆弾事件が起こっている(上の#9-4参照)。

 

⇒容疑者のイスラム教徒3名を逮捕(06年5月15日)

インドネシア警察は05年10月におこった女子学生3名の首切り殺害事件の容疑者として3名のイスラム教徒を逮捕し、いずれも容疑を告白するビデオ・テープを公開した。警察によれば、さらに2名の行方を追っているという。

主犯格とみられるハサヌディン(Hasanudin)が5月8日、イルワン(Irwan)とハリス(Haris)を5月5日に逮捕した。

そのうちのイルワン(Irwan)と名乗る人物は2004年にパル(Palu)のエファタ(Effata)教会におい女子修道院長のスシワンティ(Susiwanti)さんを銃により殺害し、2005年にはテンテナにおいて市場に爆弾をしかけ21人を殺害し、70人を負傷させた事件に関与していたことを告白しているという。

 

⇒女子高生首切り殺害犯に14年〜20年の判決(07年3月22日)

2005年10月に中部スラウェシのポソ市で起こった女子高生3名をクビを切り殺害した3人のイスラム教徒にたいする判決で、主犯のハサヌディン(Hasanuddin)については20年、共犯のイルワント(Irwanto Iranto)とリリック(Lilik Puwanto)の2名には14年の禁固刑の判決が下った。

しかし、キリスト教徒の「テロ殺人犯」には死刑を適用(20069月に処刑)していることから、イスラム教徒に対する「軽い判決」にはキリスト教徒の強い反発が予想される。

 

9-7. 中部スラウエシ省都パル市で爆弾事件7名が死亡(06年1月4日)

05年大晦日に中部スラウエシ(セレベス島、ポソの近く、上記地図参照)の省都パル(Palu)市のマーケットで爆弾事件があり、少なくとも7名の死亡がかくにんされており、50名以上が負傷するという爆弾事件が起こった。

場所はキリスト教徒が多数集まるマーケットの豚肉販売店の付近で起こり、豚肉店の経営者夫妻や、たまたま買い物にきていた国軍情報部の将校夫妻などが犠牲者となった。

犯人はイスラム教徒であることは間違いないとみられている。この種の爆弾事件は05年5月にポソ市の南のテンテナ(Tentena)町で起こった爆弾事件(22名死亡)に次ぐ事件がある。また、05年10月にはポソ市の女子高生3名の首切り事件が起こっていうr。

前の2つの事件の犯人が捕まっていない(容疑者逮捕は伝えられているが真犯人が捕まったという報道はない)。その中で、今回の事件が起こった。

地元の指導者や国会議員や人権団体などは早く、特別調査チームを組織して真相の解明に当たるべきであるとしてSBY大統領に働きかけている。その一方で、外部(地元以外)から派遣されている約4,000人の軍・警察関係者は引き上げさせるべきであるという提言もおこなっている。

このスラウエシ中部地区やモルッカ諸島でのキリスト教徒とイスラム教徒の紛争は、国軍の「特殊部隊」が演出したものがきっかけになっているというのは過去の事件から明らかにされており、国軍の駐在事態がこの爆弾事件の原因とみる向きが少なくない。

したがって、インドネシア警察長官スタント(Sutanto)は中部スラウエシ地区の警察本部長を更迭するつもりはさらさらないという。一方、現地の警察官は地元出身者がほとんどでキリスト教徒が多いといわれている。

今回の事件も地元警察がクリスマス・年末の「テロ事件警戒態勢」を強化している矢先に起こった、いわば「挑戦」とも取れる事件であり、背後に急力名バック・アップ組織がなければ起こりえない事件であったと見られている。

80. ジャカルタのオーストラリア大使館爆破さる(04年9月9日)

現地時間9月9日午前10時30分(日本時間12時30分)ごろジャカルタのオーストラリア大使館が自動車に仕掛けられたと思われる爆発物によって爆破され、死者10名 および負傷者182名が確認されている。死者は全員インドネシア人である。

強力な爆発物が使用され、深さ0.3メートル、直径30メートルにわたり地面がえぐられ、半径500メートルに爆発によるガラスの破片などが飛び散った。オーストラリア大使館の建物そのものは厳重にブロックされていたため被害は 比較的軽微であった。

大使館の所在地は南ジャカルタのクニンガン地区のJl. HR Rasuna Said にあり周囲には各国の大使館などがある。

今回の爆破事件を機に各国公館の警備体制が強化されているが、マカッサル(スラウェシの日本総領事館も警備が強化されたと伝えられている(http://tempo.co.id/ 9月10日版)。以前にもマカッサルの日本領事館にたいする爆破脅迫がなされた経緯がある。

今の段階では犯人像はつかめておらず、JI(ジェマー・イスラミア)の仕業であるということで片付けられる可能性もあるが、大統領選挙を9月20日に控えた事件だけに、政治的事件である可能性 が強い。

すなわち、軍人政治家でなければインドネシアは統治できないとする勢力(軍、特殊部隊関係者)が絡んでいる可能性がある。文民政治家メガワティ=アクバル・タンジュン・グループが勢力を盛り返しつつあるときだけに微妙な事件である。

また、オーストラリアも10月9日に国会議員選挙が予定されており、この事件をきっかけにタカ派で知られるハワード首相がいっそう有利になったと観測されている。

「テロへの恐怖」や「テロ対策」などということを絶叫していれば政権を維持できるということであればハワード首相にとってこんなありがたい事件はないハズである。

目下のところは昨年8月5日に起きたマリオット・ホテル爆破事件(11名死亡)の首謀者で逃亡中のマレーシア国籍のアズハリ・フスニ博士(元大学教授)が今回の事件の主犯であろうと という。(http://www.malaysiakini.com参照)

アズハリは爆弾屋グループ(JIと呼ばれている)のトップ・クラスの人物であり、技術面の指導者である。

(04年10月25日追記)

10月24日に11番目の死者がでた。シンガポールに移されて治療を受けていた16歳の女子高校生ムリア・アマリアさん(Muria Rahmani Amalia)が死亡した。ほかに200名もの負傷者がいる。

スシロ・バンバン・ユドヨノが政治・治安担当調整相という大統領に次ぐ直接責任者であったときにバリ事件とマリオット事件がおきている。彼は在任中に明らかに無策であった。

今回の事件も大統領選挙直前の事件であり、オーストラリアのハワード首相とともに、SBY にとっても有利な事件であったといわれている。この事件の解決こそは彼の全面的責任である。


9-7. 爆弾屋10名逮捕、22個の爆弾を隠し持つ(08年7月4日)


インドネシア警察は1人のシンガポール国籍(マレー系)を含む10人の「テロリスト・グループ」を逮捕したと発表した(7月3日、WSK インターネット版)。

彼等は22個の手製の爆弾を隠匿し、それらはオサマ・ビン・ラデンとも面識のあるシンガポール人の指導の下に作られたものだと言う。

爆弾屋はジェマー・イスラミアであると警察は呼んでいる。彼等は最初はスマトラ島での外国人をターゲットにした爆破を考えていたが、場所をジャカルタに移したとのことである。

詳細記事が出たらまた追加の記事を載せます。


9-8.マリオット・ホテルがまたもや標的に(09年7月17日)

ジャカルタのJWマリオット・ホテルとそこから100メートルほど離れたリッツ・カールトン(Ritz−Carton)ホテルで7月17日午前7時55分(現地時間)ころほぼ同時に爆弾が破裂し、9名の死者と多数の負傷者が出た。そのうちマリオット・ホテルの死者は6名である。

外国人にも多くの犠牲者が出ており、スイスのセメント会社の現地法人PT Holcim Indonesiaの社長のティモジィ・マッケイ(Thimothy Mackey)氏も亡くなられた。

マリオット・ホテルは2003年8月にも自爆テロの対象になり、12名の死者を出した。その後、この周辺のホテルのセキュリティーは一段と強化されたが、6年後に再び事件が起こった。

ユドヨノ大統領はテロリスト・グループによる残忍かつ野蛮な行為は許せないとして、犯人逮捕に全力を尽くすといっているが、犯人は前のグループ(ジェマー・イスラミア?)と同一であるとは即断できないと微妙な発言をおこなっている(WSJ 7月17日電子版)。

現在インドネシアは大統領選挙が7月9日に終わり、目下集計中であるが、ユドヨノーブディオノ組みが約60%の得票で当選確実であり、2位がメガワティープラボオ(スハルトの女婿で元特殊部隊司令官)で28%、3位がユスフ・カラーウィラント(スハルト時代の国軍司令官)が12%という大まかな得票結果が予想されている。

第2次ユドヨノ政権の誕生で「インドネシアの政治は安定し、経済発展も大いに期待される」というのが大方の見方である。これで全てはメデタイという矢先の事件である。

今回の事件は外国のメディアの多くが「ジェマー・イスラミア健在なり」というトーンで記事を書いているが、実際はスハルト時代の残党(そのうちの謀略組織)が「どっこいそうはいかないよ」といってユドヨノに「挑戦状を突きつけた」と見るべきであろう。

インドネシアの官憲は犯人はジェマー・イスラミアで首謀者のノールディン・モハマド・トップ(Noordin Mohamed Top)は依然逃亡中であるという発表をおこなった。しかし、そういっておけば、真犯人を追及しないで済むという誠に便利な口実である。なぜかノールディンは何年にもわたって「逃亡中」なのである。

具体的な人名を挙げるわけにはいかないが、スハルトの軍人脈の誰彼を思い出せば、彼らが背後にいるという疑念は自ずと沸いてくる。

2000年12月のキリスト教会爆破事件(死者19名)、2002年10月のバリ島事件(死者202人)をはじめ多くの爆弾テロ事件は全てアルカイダゆかりのジェマー・イスラミアのしわざだという見方が主流になっているが、これは今日現在においてすら大いに疑問がある。

ジェマー・イスラミア説というのはブッシューチェイニー政権が作り上げた仮説の一種に過ぎない。ただ、「爆弾屋」が存在したことは事実で、彼らがイスラム教徒であったというだけの話である。

インドネシアのジェマー・イスラミアの総元締めでいわれたバハシール師は裁判にかけられたが、実質無罪であった。ハンバリという実行犯の親分は現在グアンタナモ基地に拘束されているが、かれも罪状を否認したまま、裁判にもかけられていない。インドネシアの官憲との面会を許されないという異常な事態が続いている。

昨年11月にバリ島事件の実行犯3人が死刑になったが、未だにバリ党事件の全体像も十分に解明されているとはいいがたい。

オバマ政権になってハンバリの身柄がインドネシアに移され、改めて事情聴取がおこなわれることを期待したい。ともかく、ジェマー・イスラミア説は米国のブッシュ政権が考えた空想上の組織であり、それにシンガポールのネオ・コンが協力して作り上げたものであるという疑念は消えない。

ICGのレポートもインドネシア軍の謀略部隊との深い関係を指摘しつつも、最後は「ジェマー・イスラミア説」に妥協してしまっている。

今回の事件についておそらくユドヨノ大統領は「旧スハルト派=オルデバル・グループ」から突きつけられた挑戦状だと内心考えているであろう。ユドヨノがスハルトの残党と戦うのか否か試金石に立たされている。スハルトの残党は軍・警察だけでなく経済界にも依然大きな勢力を持っているし、閣僚の中にも「隠れオルバ」はいると思われる。


9-9..爆弾屋の総元締めノールディン・モハマドついに死す?(09年9月17日)

BBC(電子版)9月17日付けによれば、中部ジャワのソロ市に近い某所で爆弾屋一味と警察が9月16日(水)深夜から17日未明にかけて銃撃戦をおこなった結果一味のうち4名が死亡し、1名が負傷し、2名が逮捕された。

死者のうちの一人にかねてお尋ね者の爆弾屋の大親分のノールディン・モハマド・トップ(Noordin Mohamad Top)が含まれていたことをインドネシア警察は指紋照合の結果確認したと発表した。

過去にもノールディンは何度も銃撃戦の後「死亡した」と警察は発表してきたが、今度こそ本当だと警察長官バンバン・ヘンデルソ(Bambang Henderso Danuri)がテレビで語った。

ノルディンはマレーシア出身で爆弾製造の技術主任であったが、ジェマー・イスラミアの「資金担当」であり、最近は「ジェマー・イスラミア」の統括者であったという。

インドネシアにはアル・カイダ組織の下部機構のジェマー・イスラミアなるイスラム過激派が存在し、2002年のバリ事件(202名死亡)やジャカルタのマリオット・ホテル事件など数々の事件を起こしてきたといわれる。

しかし、インドネシアでは彼等は「インドネシア国内の有力者」から資金援助を受けている爆弾屋だという見方が根強い。

ジェマー・イスラミアにしてもアメリカの特務機関が作り上げた虚構の組織であるという見方は捨て切れない。

09年7月のマリオット・ホテルとカールトン・ホテルの同時爆破事件についてもユドヨノ大統領は「国内の政治勢力」が背後にいることを示唆する発言をし、アメリカの新聞から文句をつけられた。

アメリカ政府は今なおグアンタナモ基地にとらわれているハンバリの身柄を一刻も早くインドネシア側に引渡し、「アルカイダージャマー・イスラミア」の関係を解明すべきである。