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メガワティ大統領の問題点
目次;クリック
クイック・キアン・ギーBappenas(経済企画庁)長官の異議(2002年1月31日)
変質する闘争民主党=ジャカルタ知事スティヨソの再選をPDI-Pが支持(02年6月30日)
クイック・キアン・ギーが「闘争民主党が最も汚職が激しい」と批判 (03年2月18日)
ロシアの戦闘機購入問題でメガワティ窮地に(03年6月28日)
メガワティは次期大統領選挙で敗北の可能性(03年9月17日)
ラクサマナ国営企業担当相が疑惑の矢面に立たされる(04年9月29日)
かってパキスタンの女性首相であったブットーは夫の汚職が糾弾され、軍事クーデターにより政権を追われた。同じイスラム国家のインドネシアでも同じことが起こるのではないかと取り沙汰されてきた。
というのはメガワティの夫(3番目)であるタウフィク・キエマス(Taufik Kiemas)はメガワティ副大統領時代から「素性の芳しくない」ビジネスマンや政治家との付き合いが多く、彼の自宅は門前市をなす賑わいであった。
そういう弱点をいくつも握られメガワティはワヒドに軽んじられていた雰囲気すらあった。
タウフィクは1942年、スマトラのパレンバンで生まれ、そこのシュリヴィジャヤ大学在学中に国民党(スカルノの与党)系の学生運動のリーダーであった。スカルノの失脚後、共産主義者の容疑で1967年から70年まで獄中生活を送った。
メガワティは最初の夫であった空軍中尉を1970年に飛行機事故で亡くし、2番目の夫であったエジプト人外交官との結婚は裁判所により無効とされ(最初の夫の死亡が公式に確認されていないという理由で)、73年に タウフィクと結婚した。
1970年代に当時のジャカルタ知事アリ・サドキン(スカルノによって任命された知事で元海軍中将、民主派)はメガワティ一家に数カ所のガソリン・スタンドの営業を許可した。これはスハルトがメガワティに政治活動を思いとどまらせようとするための懐柔策であると いう見方もされていた。
ところが凋落傾向の目立った民主党(党首スルジャディ)が1986年に選挙対策の目玉としてメガワティを引きずり込んだ。民主党は旧国民党を主体とする「世俗政党」の連合体である。イスラム政党はPPP(イスラム統一党)に一本化された。
スカルノの他の子供達は民主党の誘いを断ったがメガワティは夫タウフィクの強い勧めもあり、1987年には夫婦そろって国会議員となり政界に登場した。
メガワティ効果は抜群で民主党の得票率は1983年には僅かに8%であたものが87年には11%に、さらに92年には15%へと急上昇した。このときはメガワティの弟グル(Guruh)も民主党に加わった。
スルジャディはスハルトの大統領再選に反対していたため、民主党党首の座を追われ、メガワティが93年に党首に就任した。これにより民主党の人気は一層高まった。メガワティ人気に脅威を感じたスハルトは1996年の民主党大会でメガワティを強引に党首の座からひきずりおろし、スルジャディを党首に復帰させた。
メガワティ派は直ちに闘争民主党(PDI−P)を組織し、対抗しジャカルタの民主党本部に居座ったが、軍が暴力団などを使い(資金は軍系の華人が出した)、PDI−Pを追い払い、ジャカルタは暴動 (96年7月27日事件)が起こり騒然となった。
この時日本の某大手新聞社の社長は「本紙ではジャカルタ暴動を過大にはとりあげなかったので日本ではインドネシアに対する政治不安感はさほどなく、たいした影響(投資には)はないであろう」という趣旨の話をスハルト大統領のところに言って語ったと伝えられる。(サウス・チャイナ・モーニング・ポスト1996年8月15日号)
1997年の選挙では民主党(PDI−Pは選挙に出られず)は得票率3%と大敗北を喫し、逆にメガワティ支持の強さを証明する結果に終わった。
このPDI−P創立の苦難の時期にタウフィクは政治資金調達に奔走した。このときあちらこちらにかなりの「借り」を作ったことは間違い無いであろう。
スハルト政権が経済危機と暴動のなかで崩壊し(1998年5月)、その時の辞任宣言の原稿を書いたのが現閣僚のユスリル・イザ・マヘンドラ司法・人権相(PBB=月星党=少数 イスラム政党)であるといわれている。
1999年の6月の選挙ではPDI−Pはほぼ3分の1の得票を得て第1党になった(加納啓良著「インドネシア繚乱」中公新書参照)。しかし、一時的に成立した(後にすぐに分解した)イスラム諸政党連合により、メガワティは副大統領の地位に甘んじざるをえなかった。
この時期にスハルト時代に巨額の財をなしたクローニー(取り巻き)資本家は、経済混乱期に巨額の融資を受け(インドネシア銀行から)、その資産の多くをIBRA(金融債権庁)に差し押さえられており、借金返済や資産の競売をめぐって タウフィクに働きかけたといわれている。
その代表格がテクスマコ(Texmaco)グループのマリムツ・シニヴァサン(Marimutu Sinivasan=インド人系)やガジャ・トゥンガル・マス(GTM)のスジャムスル・ヌルサリム(Sjamusul Nursalim=華人)であり、タウフィクの二人の弟がGTM傘したの会社の監査役(日本と異なり取締役より権限は強い)に就任しているといわれている。
また、メガワティとヌルサリム夫人は親しい間柄であり、シンガポールでいっしょに買い物をしていたと伝えられる。
さらにジャカルタ知事スティヨソ(Stiyoso)からも道路工事等の発注でタウフィクは便宜を受けているといわれている。皮肉なことにスティヨソは陸軍時代にPDI−Pを民主党本部から暴力的に追い出した指揮官であった。
最近、タウフィクにからんだ騒動がいくつかおこている。
@経済調整相クンチョロ・ヤクティはタウフィクからの干渉(とでしゃばり)が強く、業務に支障をきたしているとして、一時辞任のうわさが流れた。軍関係の人事についてもタウフィクは干渉していると伝えられている。(2001年12月1日ジャカルタ・ポスト)。
クンチョロ・ヤクティは昨年11月にスラバヤ工科大学で学生に講演し「インドネシアは天然資源と人的資源に恵まれながら経済発展できなかったのはリーダーに問題があったからで、無資源国日本を見習うべきであある 」と述べ暗にメガワティのリーダーシップの欠如を批判している。
A中国にラクサマナなどの閣僚を含む経済ミッションを派遣したがその団長格の大統領特使としてタウフィクが派遣された(公式な団長はエネルギー・鉱物資源相のプルノモ)。
経済調整相クンチョロヤクティの「団長にはハムザ・ハズ副大統領にすべし」という進言を退けてタウフィクを派遣したといわれている。タウフィクは一介の国会議員に過ぎず、これこそネポティズム(身びいき)との批判をメガワティは受けた。
B年末にメガワティ夫妻は特別機でバリ島に行き、国費を使って派手に新年パーティとタウフィクの誕生祝(12月31日)を行ったとして批判を受けている。
新聞の論説によれば「インドネシアは家父長社会であり、トップにあるものが範を垂れなければ国民はついてこない。国民が耐乏生活を強いられているという現実を忘れてもらっては困る」というものである。
これらはメガワティのスカルノから受けた遺伝子(おおらかさ)のなせる技かも知れないが、根本的にはタウフィクの最近特に目立つ「汚職」風が原因であろう。メガワティは昨年8月 タウフィクに「汚職に手を染めるな」と厳命しているが、効果は数ヶ月で消えてしまったということかもしれない。
メガワティが第2のブットにならなければ幸いである。
これ以外にも、最近病状が悪化し、一時的に入院したスハルト(80歳)の汚職容疑を病状と高齢を理由に取り下げるべしという意見がメガワティから出されてというニュースが流れ、物議をかもした。
その話を新聞記者に最初にしゃべったのは司法・人権相のユスリルであった。 この話は現在立ち消えになっているが背景にはタウフィクがいると考えられている。
ユスリルはスハルトの演説草稿をしばしば執筆したことのある、典型的な旧体制派の人物であるが、メガワティにこの話を持ちかけたのはタウフィクであるとされている。
しかし、犯罪人を「法の支配のもとに公正に処罰する」のは民主国家の大原則であり、ワヒドも汚職容疑で大統領の座を追われたばかりである。
当然、強い世論の反発を浴び、この件は撤回された。タウフィクに対する世論の風当たりは急に厳しくなり、週刊誌テンポの新年号(1月8‐14日)にタウフィク特集が掲載されている。(URL; http://www.tempo.co.id のEnglish version 参照)
CタウフィクはPDI-P内部で影響力を急速に強めており、それを不満とする良識派のベテラン党員の離党が始まっている。一人はソパン・ソピアン(Sopan Sophiaan)議員である。彼は駐日大使のポストを提示されたが、それを断って議員を辞職してしまった。
もう一人はディミャティ・ハルトノ(Dimyati Hartono)である。彼は法律関係の専門家である。二人に共通していることはPDI-P幹部(特にタウフィク)が旧体制(オルバ)派と次々と妥協を繰り返していることに対するあからさまな抗議行動であると言われている。
彼の離党の原因は閣僚に指名されなかったことへの不満があるとも言われているが、PDI-Pの結党者の一人であり、当然仲間もいる。現在は彼は新政党の結成を考えているという(この項は2月17日追加)。
DタウフィクについてTIME Asiaが7月15日号で特集記事を掲載している。(02年7月8日追加)
タウフィクは実力を過信し、様々な利権を要求し始めた。また、闘争民主党内部で事実上の党首のごとき言動が公然化してきた。これはかってパキスタンのブット首相がたどったのと同じようなコースである。
メガワティはその辺の危険を十分認識しているが、タウフィクの取り巻きも勝手な行動(利己的な)をとり始めており、闘争民主党内からも批判の声が上がり始めている。
5.クイック・キアン・ギーBappenas(経済企画庁)長官の異議(2002年1月31日)
クイック・キアン・ギー(Kwik Kian Gie以下KKGと略す))はその名のとおり華人である。しかし、彼はインドネシアを食い物にして蓄財してきたような華人ではない。中国からの移民の子孫として、インドネシアに根を下ろし、その国に同化し、発展に生涯をかけるというタイプの人物である。そのような華人はインドネシアに限らず、東南アジアには数多く存在する。
彼は民主党に参加し、メガワティを一貫して支持してきた。メガワティの側近中の側近である。ただし、彼は政治家というよりはエコノミストである。特にスハルト時代はその汚職体質を批判し、クローニー華人資本家に対しては厳しい態度をとり続けてきた。
アブドゥラマン・ワヒド政権発足時には経済調整相に就任し、経済政策の責任者に就任したがワヒド大統領とそりが合わず辞任させられた。それはラクサマナも同じであった(第1回、メガワティ・・・の項参照)。
ただし、ラクサマナとKKGの違いは、ラクサマナは柔軟な「自由主義エコノミスト」であるのに対しKKGの方は伝統的良識派(悪く言えば保守的)エコノミストである。
今回の閣僚の中でもクンチョロ・ヤクティ経済調整相はラクサマナとは比較的近い考え方の持ち主であるがKKGとはやや距離があるもの思われる。
KKGの言い分を聞くと確かに彼のいっていることは「正論」である。ただし、この正論を押し通すにはメガワティ政権内部にも相当の「抵抗勢力」がいて容易でないということである。下手をすれば極東の某経済大国の外務大臣と同じ運命をたどることになりかねない。
KKGが最近問題にしている点が二つある。
その1はIBRA(インドネシア銀行再建庁=ラクサマナが統括)が打ち出した、大口債務者(サリム・グループ、ボブ・ハッサン、スジャムスル・ヌルサリム等のスハルト時代の大物クローニーが含まれる)の債務返済期間を4年から10年に延期し、しかも金利を年利9%(実際の市中プライム・レートは17%)に減免するというものである。
これは、明らかにオルバ(スハルト体制)の悪徳資本家優遇策そのものである。この話はワヒド時代から出ていたが、彼らはインドネシアの大企業家であり、輸出に貢献しているというのがワヒドの言い分であった。
KKGはこのような優遇措置は477兆ルピア(約430億ドル)の負担を国民に転嫁するものであり、絶対に認められないというのがその言い分である。
この話を持ち出したのメガワティの夫のタウフィク・キエマスではないかと言われている。これに経済調整相のクントロ・ヤクティが乗せられたということであろう。改革派のラクサマナIBRA担当国務大臣 は内心KKGに同調しているとのことである。
KKGが主張するまでもなく、このオルバ資本家優遇論にはアーミン・ライス(国民協議会議長、PAN党首)をはじめ反対論が強く、メガワティも困った立場に立たされている。
オルバ資本家を優遇してもたいした意味はないというのが筆者の考えである。というのは既にインドネシア経済を動かし始めているのは普通の 、まじめにやってきた資本家(華人を含め)たちと日系企業などの外資企業だからである。
その2はBCA銀行売却問題である。IMFは前からIBRAの抱えている差し押さえ資産を早期に売却するようにインドネシア政府をせっついてきた。そうすれば国家財政の赤字が軽減されるという単純な理屈からである。
しかし、サリム・グループから差し押さえたBCA(バンク・セントラル・エイシア)はインドネシア最大の民間銀行であり、現在も盛業中であり、利益も上げている。しかもBCA資産(IBRAが51%、サリムが7%所有)の最大のものであり、この不況下で売ってしまえば膨大なロスが政府側に生じる。
KKGはこのBCAの早期売却論に強く反対しているのである。しかし、インドネシア政府としてIMFの執拗な要求に屈して、売却を約束しており、現在ビッダー(入札者)の資格審査が始まろうとしている。
さらに問題はこの買い手のなかにサリム・グループの代理が入っている可能性も否定しきれないことにある。サリムとすれば、BCAを高い価格で政府に売りつけ、安く買い戻す絶好のチャンスである。
先日おこなわれたインドモビル(インドネシア第2の自動車組み立て会社)もサリムが安く買い戻したのではないかと疑念がもたれている。もしそうだとすればメガワティ政権にとって大きな汚点となることは間違いない。KKGのいうように売り急ぐメリットは何もないことは明白である。
KKGは外国資本に売り渡すのなら即刻、利子補給をやめろとも主張している。BCAが利益を上げているのはインドネシア銀行(中央銀行)が低利の資金をBCAに融資し、BCAは高金利のインドネシア銀行債を買って利益を出しているといわれている。
2月22日現在、KKGの主張は国内世論の支持が高く、タウフィク・キエマスもメガワティにこれを強行させるリスクを図りかねていることであろう。
BBCはその後、2002年3月に正規の入札の結果、米国のヘッジ・ファンドのファラロン(Farallon)とインドネシアのタバコ・メーカーのジャルム・グループとのコンソーシアムに売却された。かねて有力視されていたチャータード・バンクは買えなかった。
銀行経営の経験のないグループに買収されたBCAはいずれ第3者に売却されるものと考えられている。そのなかには旧オーナーのサリム・グループも間接的な形で入ってくる可能性も残されている(6月8日追加)。
KKGのIMF批判(02年6月8日、12日追加)
2002年11月にインドネシアに対するIMFの「援助プログラム」は一応、終了する計画になっている。KKGはこの機会にIMFとは手を切るべきであると主張している。KKGによれば「IMFはインドネシアを植民地化」してきたとのことである。
確かにIMFはインドネシア政府に対し、急速な政府資産(財閥から接収した不良資産を含め)、早急に処分すべきであると強く主張し、個別物件についても具体的に「指示」を出すなど、われわれ日本人の常識では考えられない、「過剰な干渉」をおこなってきた。
それが、実害があったか否かという問題は、もう少し時間がたたないとわからない面はあるが、BBCの売却についでバンク・ニアガなど他の国有化されている銀行の売却もせかされている。
これは「火事場販売(fire sales)」といわれ、ドサクサ紛れの安値での叩き売りという側面が強すぎる。
それ以外にも、せっかくIMFから最近融資を受けた400百万ドルについても、インドネシアが現有の外貨リザーブを使い果たした後でないと使えないなどの制約があるということである。
それはともかく、性急な国有財産の民営化は経済情勢が悪いインドネシアでは、大きな国民的ロスに直結していることは確かである。
今、IBRA(インドネシア銀行資産処理庁)が接収している資産を処分すれば10%程度の回収率しか望めないといわれている。また、債務者の華人資本家を裁判にかけても、腐敗の著しい裁判官(スハルト時代の産物)はほとんど政府に不利な判決を下す(被告に買収されている)といわれている。
このような状況で、政府が時間に追われてことを運ぶとロクなことはないことは自明である。IMFの言い分は一日も早く政府財政の負担を軽くすべきだということに尽きるようだが、インドネシアの国民は「IMFが外国資本に有利にインドネシアの資産を買い取らせる陰謀だ」と解釈している。
ところが実際は旧債務者(大部分は華人資本)がこれらのIBRAの所有再建をブローカーに安く買い取らせ、後からほとぼりの冷めた頃を見計らって自分の資産にする目論見だといわれている。これは現にインドモビルという実例があるといわれ、かなりありうる話である。
インドネシア国民は悪徳華人資本やかれらと結託している政治家、官僚、軍人などにより、とことん食い物にされてきたのである。こういう国の大掃除は簡単には進むはずがない。スハルトなどというとんでもない人物を担いだアメリカや日本の責任もまた重大である。
KKGの意見は国民協議会義長のアーミン・ライスの支持を受けている。政府部内ではブディオノ財務相はIMFとの契約延長は必要と考えて、メガワティの了承も得ないままIMFに延期の申し入れをしてしまった。
クントロ・ヤクティ経済調整相は6月11になって引き続きIMFの融資はインドネシアの経済がある程度回復するまでは必要であると述べた。
IMFの支持があるから、国際銀行からの融資も受けられるというのが、国際的常識論であると思うが、インドネシアの場合はこのままでは国家的損失があまりに大きすぎ、IMFがもっと「手を緩めるか」何か方針転換しない限り、インドネシアにとって将来に大きな禍根を残すことは自明である。
IMFは相変わらず原理主義的な新古典派経済理論に固執し、「所得税は2段階にしろ」などと主張している。インドネシアのように貧富の格差が大きい国では累進課税を強化し、所得の再配分(という考え方が金持ち階級のための経済理論にとっては不要のようであるが)は絶対に必要である。
経済チーム(閣僚群)のなかではKKGは孤立しているかのごときであるが、KKGに対する国民世論の支持は強く、KKGを政権から外すということは難しいであろう。
6. 変質する闘争民主党=ジャカルタ知事スティヨソの再選をPDI-Pが支持(02年6月30日)
メガワティ大統領の与党である闘争民主党(PDI-P)は、かねて汚職と人権侵害で悪評の高い現職知事スティヨソの再選を支持することを決めた。これは同党を支持してきた「改革を望む国民 」の期待を大きく裏切るものであることは確かである。
6月30日付けの英字紙ジャカルタ・ポストは社説で、「なぜ、メガワティがなぜ」という見出しで、メガワティの決定を激しく論難している。
スティヨソはメガワティが民主党党首の座をおわれ、1997年にジャカルタの民主党本部に立てこもった際にジャカルタ軍司令官として、強制排除を指揮し、その後スハルトによりジャカルタ知事に任命されていた。
彼は、汚職体質の知事として悪名高く、また今年のジャカルタ洪水の処置も拙劣をきわめ、彼の再選に反対する声は巷に満ち溢れていた。
そのスティヨソがなぜメガワティから再選の支持を取り付けることになったのか?
その答えは多くのジャカルタ市民は「メガワティの夫タウフィクがビジネス面でスティヨソに大きな借りがあるからであろう」と考えている。政権維持には金がかかる。それをジャカルタのプロジェクトに求めたというのが彼らの見方である。
もう1つの見方は、2004年の大統領選を目指すメガワティは「軍部の支持」を確保するために、軍出身のスティヨソを支持せざるをえなかったというものである。しかし、この説はにわかには信じがたい。なぜなら、メガワティはスティヨソを 支持することによって国民大衆の支持を大幅に失いかねないからである。
軍もどこまでスティヨソのような人物を支持し続けるかどうか疑問である。またPDI-Pの市議会議員 団は党中央の決定に公然と反旗をひるがえし、スティヨソ支持を拒否し、タルミネ・スハルジョを知事に推すことにした。
また、食糧調達公社(BULOG)資金の不正使用をめぐって犯罪容疑がかけられている国会議長(ゴルカル党首)アクバル・タンジュンの件(BULOGATE II)を国会で審議するための特別委員会設置につき、PDI-Pは反対し(検察庁により取調べがすすんでいる理由で)、ゴルカルに歩み寄ったとみられている。
これも2004年のメガワティ大統領再選をにらんだ動きである。この世俗政党の連合に対し、イスラム諸政党も対抗する動きにある。
イスラム諸政党は99年10月にボロス・テンガ(中央枢軸)を結成し、ナフダトゥール・ウラマ(NU)のボスであったアブドゥラマン・ワヒドを大統領候補に担ぎ、いったんは勝利を収めたが、すぐに分裂してしまった。イスラム政党間の勢力争いが極めて激しいことを証明した形になった。
次の選挙では大統領の直接選挙になる可能性も残されている(1945年憲法の改正が必要)が、イスラム政党が統一大統領候補を立てるのは難しいであろう。ハムザ・ハズ現副大統領(PPP=統一開発党々首)や アーミン・ライス国民協議会議長の名前があがってくるが全体をまとめきれるようなカリスマ性はない。
また、アーミン・ライスに再三煮え湯を飲まされたアブドゥラマン・ワヒド前大統領はイスラム政党連合の動きに対し強い嫌悪感を表明している。ただし、弟のソラフィディン・ワヒドNU副議長はこれらの会合には顔を出している。
一方、PDI-Pのゴルカルへの「スリより路線」に対して、党内の反発は強く、一部に分裂の動きが出てきている。PDI-Pの党議決定に反して特別委員会設置に5名の投票国会議員が賛成票を投じ、その1人であるIndira Damayanti Sugondo女史は議員辞職願いをメガワティに提出した。
いずれにせよこの決定の裏にはメガワティの夫タウフィク・キエマスがいることは間違いない。 またスハルトの右腕であったギナンジャールの子分として財を成した悪名の高いアリフィン・パニゴロー(民間石油会社メドコ=Medcoのオーナー)がT.Kの支持を得て党内で権勢を振るい、ゴルカルとのパイプ役も勤めている。
野党イスラム勢力にとっては大きなチャンスがめぐってきた。 PDI-Pとしては国民の支持を失いかねないメガワティとタウフィクの政治的綱渡りが始まった。そしてそれは失敗の公算が極めて強い。
また、米国のインドネシア学者ジェフリー・ハンターはメガワティのことをメガワティ・スカルノプトリ(スカルノの娘という意味)ではなくてスハルトプトリ(スハルトの娘)ではないかと酷評している。私はそこまで言うつもりはないが、最近の闘争民主党の「後退ぶり」は目に余るものがあるといえよう。(7月11日追加)
20. ズレの目立つメガワティの政治・現実感覚(03年1月13日)
政治家の「経済的現実感覚のズレ」については日ごろわれわれ日本人にとってはお馴染みのことであり、別に驚くにはあたらない。しかし、インドネシアのメガワティ大統領も相当なものであり、急速に国民の支持を失いつつあるようだ。
まず、昨年末から新年にかけて、あの爆弾テロ事件の記憶も生々しいバリ島において夫キエマス・タウフィクの誕生パーティーを華々しく挙行したことである。500名の国会議員を含む数千人に招待状を出したといわれている。
いくら観光客が激減したバリ島の救済策という名分はあったにせよ「無神経」ぶりの方が気になるところである。
メガワティは父スカルノの母親がバリ人であった関係から、バリ島には特別の思い入れが強いらしく、1月11.12日の週末にPDI-P(闘争民主党)第30周年記念大会 (実際は民主党、PDI-Pは96年に民主党の分派として結成された)を開催した。
しかし、この大会は党の大幹部であるクイック・キアン・ギーなどはボイコットした。幹部党員が多数ボイコットしたらしいことが事実とすればPDI-P内部にいっそう亀裂が深まっている可能性が強い。
出席した閣僚は今やタウフィクと最も親密なラクサマナ国営企業相のほか内務相ハリ・サバルノ、保健相アフマド・スジュディ、通産相リニ・スワニ 、労働・移住相ヤコブ・ヌワ・ウエァ、生活環境相ハッタ・ラジャサな、女性地位向上相スリ・レジェキ・スマルヨトど一部にとどまった。
参加費は一般党員100万ルピア(110ドル)であったが閣僚クラスは3,000〜4,000ドルという高額なものであったという。5万人の参加を予定していたが、結局3,000人しか参加しなかった。12日の本大会の費用の総額は15億ルピア(2千万円)であったという。
それはさておき、党首メガワティの演説は傑作である。 昼食の時間が長引いて予定より30分も遅刻してきた挙句、「政治家や官僚や地域の指導者は長引く経済不振のもとでは簡素な生活(Modest Lifestyle)を心がけなければならない」というものである。
これを聞いてさすがの熱烈なるメガワティ支持者の多くも唖然としたらしい。演説の途中からぞろぞろと会場を立ち去るものが多かったという。
母親の「よき薫陶(?)を受けて」普段から簡素な生活を送っているはずのメガワティの娘プアン・マハラニ(Puan Maharani 30歳)は台湾人の男性バンド「F4」のコンサート(大騒ぎの割には評判倒れであったという)の切符を30枚も買い込み、大統領のボディ・ガードを引き連れて御臨席したとのことである。
こういったことはスハルト時代は日常茶飯事で規模もはるかに大きかったが、メガワティ夫妻のやっていることはミニ・スハルト的であり、彼らには貧しい多くの国民が苦しい生活を送っていることが見えないのである。その意味では彼らは伝統的な インドネシア流の支配者なのである。
メガワティは「私はあえてポピュリズム(大衆迎合的)路線をとらず、中長期的に見て国家に必要なことをやっていく」と高らかに宣言している。そのためには補助金をカットするために生活物資(燃料など)の値上げに踏み切ったということであろう。
国民はこういう政治に対し何が何でも反対とは言わない。それはインドネシア人でも日本人でも同じである。しかし、それが金持ち優遇主義(日本では小渕内閣の所得税率の改定以来露骨にそうなっている)であることが明らかになってきたときに国民の怒りは爆発する。
16ヶ月後には選挙だあるので頑張れなどとハッパをかけたが会場にはむしろシラケ・ムードが漂っていたという。(1月13日ジャカルタ・ポスト参照、http://www.thejakartapost.com )
これからは、物価値上げ反対闘争の大衆的盛り上がりが起こったりすれば、国民各層に急速に反メガワティ・ムードが浸透していく可能性がある。そうなれば2004年の大統領選挙におけるメガワティ楽勝ムードも壊れる。
メガワティやタウフィクに貧しい一般庶民(オラン・クチル=小さな人間)に対する心からのシンパシーや配慮がないと国民が悟った瞬間から、インドネシアはさらなる政治的混乱に陥っていく。その瞬間をオルバ(スハルト派)・グループや軍部の悪党どもが狙っている。
あまり賢いとも見えないこのご夫妻は一歩一歩かれらの罠に近づいているように私には見える。
(03年1月19日)反メガワティ・ムードが高まる
燃料値上げ問題でジャカルタを中心に各主要都市で反対デモが盛り上がりをみせているが、旧スハルト・クローニー(取り巻き)が騒乱の拡大を目論んでいると、政治・治安調整相のスシロ・バンバン・ユドヨノが1月16日に警告を発した。
最も派手な動きをしているのはスハルト政権末期に国税局長から財務相に昇格し、スハルトの金庫番といわれたフアド・バワジール(Fuad Bawazier)である。彼は目下 物価引き上げ運動を機に、メガワティ追い落としの急先鋒となっている。背後にはスハルトの元親衛隊長で国軍司令官であったウイラントの名前も挙がっている。
18日には500名ほどの学生デモ隊がメガワティの邸宅に押しかけ、警護の警官隊に追い返されたり、ボゴールの農科大学の式典に向かった公用車(メガワティは欠席)に牛の糞を投げつけられるという事件が起こった。活発に動いているのはファアドの息のかかった急進イスラム学生連盟グループであるといわれている。
それ以外は、さほど激しい暴動騒ぎには至らないが、ジャカルタ市民の間にもメガワティに対する失望感と不信感はかなり高まっている。メガワティにとってはなぜ自分に対する反発がここまで高まっているのか理解できていない可能性がある。
グス・ドゥルの場合と同じく取り巻きが悪いのである。PDI-Pの支持基盤である貧しい庶民(オラン・クチル=小さい人々)とのコンタクトがなくなり、旧スハルト・クローニーなどに赦免を与えたりして、政治姿勢がズレてきたということが国民の反発を買い始めたのである。
22. クイック・キアン・ギーが「闘争民主党が最も汚職が激しい」と批判 (03年2月18日)
クイック・キアン・ギー(KKG)は与党のPDI-P(闘争民主党)の汚職が最も激しく、このままでは党は次回の選挙で敗北し、崩壊するという厳しい警告を発している。PDI-Pの党員は政府プロジェクトをよこせとしきりに政府に圧力をかけ、もし言うことを聞かなければ大衆を動員してデモをかけるなどといっている。
この発言に対しPDI-Pの書記長スティプト(Sutjipto)は「これは党内問題であり、文句があるなら党内で証拠をもとに発言せよ」とKKGに噛み付いた。 また、KKGの盟友であったラクサマナ国営企業担当相は「党内から党を攻撃する老人幹部(KKGのこと)は辞任すべきである」と発言している。
ラクサマナはさらに、「私を調べるというなら、やってみるがいい。2004年の選挙で勝つには団結が必要だ。選挙には金がいる。選挙に負けるわけにはいかない」と興奮のあまり口を滑らしてしまった。(detik.com 03年2月19日)
このラクサマナ発言は、これまでPDI-Pの結束を維持してきた番頭格の古参党員間の分裂を意味するもので事態は深刻である。
ラクサマナはIBRA(インドネシア銀行再建庁)が保有する株式(BCA銀行など)の売却をめぐって疑惑が持たれ、また最近では通信会社インドサット(Indosat)の株式をシンガポールに売却して事件でも「疑惑をもたれており、いささか神経質になっている。
たしかにKKGは党内の会議にこのところ全く出席していないらしい。こういうところにもPDI-P内部の亀裂の進行がうかがわれる。
タウフィク・キエマスとその仲間がPDI-Pを完全にハイジャックした形になり、古参の改革派党員は寄り付かなくなってしまっているのではないかという疑問が生じる。もしそうだとすれば2004年のメガワティ再選はかなり問題含みである。
一方、PDI-Pの国会議員の中にもメガワティが「汚職退治に不熱心である」と考える人たちもかなり存在する。彼らは当然KKGを支持している。
古参政治家でもとムハメディア師範学校の校長であったモクタール(Mochtar Buchori)は多くの議員がわずかな間に大金持ちになった点を指摘し、メガワティの政治的な意志(汚職退治への)の欠如を問題にしている。
PDI-Pの財政部長であるノヴィアンティカ(Noviantika Nasution)は党幹部の目が届かないところで党員が汚職をおこなっている。党員の汚職についてはもっと厳しく対処する必要があるといっている。
彼女はKKGの批判は2004年の選挙で党が勝利するための建設的なものであり、これを受け入れる必要があると主張している。
KKGは党内に汚職問題を解決するための20人委員会を組織し、これにはメガワティも承認を与えている。しかし、諸悪の根源はほかならぬメガワティの夫タウフィク・キエマスにあることは衆目の一致するところである。
KKGはすこぶる意気軒昂であり、「証拠を出せというなら出す」と称し、50ページものの小冊子を7,000部用意し、あちこlこちに配る構えをみせている。
よせばいいのに、悪役の筆頭のタウフィクは「KKGは党内で孤立しており、KKGとは一緒にやって行けない」というような発言(kompas.com 2月19日)をおこなっており、もはや党内で修復不可能な段階にまできてしまった。
確かにKKGは執行部内では孤立しているかもしれないが、汚職批判という点では圧倒的にインドネシア国民の支持があるはずであり、メガワティの次期選挙での立場はいっそう苦しくなった。PDI-P結成以来の最大の危機を迎えた。
このような動きのなかでアクバル・タンジュン率いる第2党のゴルカルは大統領選挙で勝ち目が出てきたと意気込んでおり、アクバル以外の人物を候補者に擁立すべく準備を進めている。
候補者のうちジョクジャカルタのサルタンであるハメンク・ブオノ10世のほかもとゴルカルの国会議員でスハルト批判により議員辞職に追い込まれたビジネスマンのスルヤ・パロー(Surya Paloh)の名前がダーク・ホースとして挙がっている。(シンガポールのストレイト・タイムズの2月19日付記事)
スルヤは日本人にはほとんど知られていないが、アチェ出身のイスラム教徒でメディア・インドネシアという日刊紙や、メトロTVのオーナーでありイスラム教徒から軍にまで幅広い支持があるという。
ただし、彼はスハルト一族とのビジネス関係があり、影の部分はよくわからない。
(03年2月20日)メガワティのとりなしで一応の妥協が成立、問題の先送り
メガワティはクイック・キアン・ギーに対し、党の批判をするときはもっとやわらかい表現でやって欲しいとたしなめ、実権派に対してはKKGの批判を謙虚に受け止めるようにとさとし、KKGの追放と党の分裂という最悪の事態は回避された。
KKGとラクサマナとヌワ・ウェア(労働運動家で労働・移住相)の古参党員3人による話し合いがおこなわれ、今回の件は一件落着とした。苦楽をともにし闘ってきた同志の間だからできる話し合いであったとでもいうべきだろうか?
しかし、ここにはタウフィク・キエマスは参加していない。このままでは何時問題が再燃するかわからない。党の政治資金獲得を名目に党員が好き勝手に悪事を働いていることへの国民の不信・不満が鬱積しており、KKGの問題提起はPDI-Pの信頼回復のための最後のチャンスといってよいであろう。
問題はタウフィク・キエマスの態度であり、彼はおそらく反省してやり方を変えるといってタイプの人間ではなさそうだ。今後いっそう混迷状態が激化することは避けられない。 メガワティのピンチは続く。
31. ロシアの戦闘機購入問題でメガワティ窮地に(03年6月28日)
メガワティは今年4月にロシアを訪問の際、スホイ戦闘機4機と2機の攻撃ヘリコプター(Mi-35)を1億9260万ドルで買い付ける契約をしてきたが、この取引について国会で疑惑が追及されている。
国会内に特別調査チームを設置することは何とか回避できたが、取引の仲介に当たったビジネス・マンは国会に呼ばれ、国防委員会において質疑を受けることになった。
仲介の主役を果たしたのはアントン・スレイマン(Anton Slaiman, Djarum Groupのオーナーであり、石油会社Medcoの会長)であると見られているが、テクサムコのマ ニムレン・シニバサンの名前やメガワティの娘婿のハッピー・ハプソロの名前も挙がっている。
Happy Papsoroはメガワティの娘、Puan Maharaniの夫である。
さらに、スカルノ時代から一家と付き合いのあったシンガポール在住の華人の大物で海運業などを手広く営む、トン・ジョー(Tong Joe)も登場する。
これらの人物の背後にはマガワティの夫、タウフィク・キエマスが存在する。タウフィクとマニムレン(マリムツ・シニバサンの弟)の関係は特に強い。
マリムツ・シニバサンはタミール族で1937年にメダンで生まれ、テクサムコの創業者である。彼はスハルトのクローニーであったが、アブドゥラマン・ワヒド大統領にもうまく取り入り、さらに今回、タウフィク・キエマスの支持をえている。
ことの起こりは財務相のブディオノが2003年度予算にこの購入分は計上されておらず、国会の承認もえていないということで、前渡し金の支出を拒否したことにある。
また、国防相のマトリも武器購入の権限を持つ国防省には何の事前の協議がなかったと説明している。
また、国軍司令官のエンドリアルトノは国防相にはこの話しはしていたが、正規の手続きを踏んでいたか否かは定かでないとしている。
彼によれば、スホイ購入の計画は1994年に一度契約をし、97年にキャンセルした話しを復活したものであり、国防省が知らないはずはなく、今回の計画はカウンター・トレイド(物々交換)によるもので価格もリーゾナブルなものであると説明している。
しかし、この取引にかかわっている人物がかなり「いわくつき」であることと、正式の国内手続きを踏んでいないという致命的な欠陥ががり、早くもバンドン工科大学の学生はメガワティ糾弾の動きを見せている。
このての話しにはメガワティの夫、タウフィク・キエマスが絡み、金銭疑惑を生んでおり、今回の騒動はメガワティの政治生命にかかわる可能性を秘めている。あきらかに、メガワティは不用心であった。
44. メガワティは次期大統領選挙で敗北の可能性(03年9月17日)
メガワティの政党PDI-P(闘争民主党)は最近すっかり「闘争性」をなくし、急速に支持者を失っているという。改革を旗印に掲げながら、悪質軍人・警察を排除できず、汚職検察庁を放任し、言論機関の弾圧をおこなうというような行動が目立ってきたためである。
最大の元凶は夫タウフィク・キエマスの大衆への配慮を欠いた、数々の愚行に求められるが、最も責任が重いのはメガワティ本人である。
もともと大統領の器としては問題があり、スカルノの長女というだけで、何らかの「政治的使命」を感じて政界入りしたわけではないから、それもやむをえないところである。
タウフィク・キエマスの言うとおりにしていたために、今日の不評を買っているのである。そういう意味ではフィリピンのアキノ元大統領とよく似ている。彼女も最後は親族のいいなりになって国民の期待を裏切った。
インドネシアの場合、PDI-Pが敗れると、もっと困ったことが起こる。それはスハルト人脈がゴロゴロしている、ゴルカルの復権である。すでに、世論調査ではゴルカルの人気がPDI-Pのそれをしのいでいるという(フィナンシャル・タイム紙9月17日付)。
大統領候補としてはゴルカルの現在の党首アクバル・タンジュンは汚職容疑で2審まで3年の禁錮刑の有罪判決で、現在最高裁に控訴中であり、有罪が確定すれば、もちろん大統領候補にはなれない。
ゴルカルからはウイラント元スハルトの護衛隊長、国軍司令官などが大統領選に出ようとしている。
最近、国民の間に人気が出ているのは現在の政治・治安調整相のスシロ・バンバン・ユドヨノであるという。彼は退役軍人であるが、スハルト政権時代はスハルト体制の非主流派であった「紅白組(スハルト主流派は緑組みと呼ばれていた)」であった。
スシロは今回のバリ島事件で疑惑の国軍を見逃してやったこともあり、軍には相当なニラミが効いているはずであり、ゴルカルから大統領選に出ることになれば、かなり有力である。
いずれにせよ、タウフィクやメガワティの命運は既に尽きているように私には思えてならない。PDI-Pを支えてきた有力な活動家で党を去ったものは少なくない。党の執行部はタウフィク一派で固められつつある。
「闘争しなかった闘争民主党」を政権党として持ったのはかわいそうなインドネシア一般国民である。「アルゼンチンよ泣かないで」という名曲があったが、今や「インドネシアよ泣かないで」といいたい気持ちである。
81. ラクサマナ国営企業担当相が疑惑の矢面に立たされる(04年9月29日)
スシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)前政治・治安調整相(事実上の副首相的存在)が9月20日の大統領決戦投票で現職のメガワティ大統領を6対4の大差で破り、10月20日から新大統領に就任することになった。
そのSBYが大統領選挙の最終結果が出る前の9月24日にはラクサマナを名指しで「国外に雲隠れするなよ」と警告を発している(本ホーム・ページ、#65-18)。
それくらいラクサマナはSBYに目の敵にされている理由は、彼が国営企業担当相として国営企業の民営化(株式売却)とIBRA(インドネシア銀行再建委員会)の不良債権資産の売却の責任者だったからである。
彼は、そのポストを利用して与党闘争民主党(PDI-P)の資金稼ぎをメガワティの夫タウフィク・キエマスの指揮下でやってきたと見られているからである。
彼の行った問題行為はインドネシア大学OB会、バンドン工科大学(ラクサマナの母校でインドネシア大学より格上のインドネシアの最高学府)OB会、トリサクティ大学OB会など の有志が連合して報告書を作り検察庁に提出したといわれている。
IBRAの資産売却ではBCA(サリムがかつて所有していたインドネシア最大の民間銀行)の売却をめぐる疑惑や、通信会社インドサット社の株式売却をシンガポールのテマサクに売った時の疑惑や、最近ではプルタミナの大型タンカー売却問題などの疑惑が山ほどある。
これらはインドネシアの財政の補填のために売られたが、裏金がラクサマナ側(メガワティ陣営)に相当流れ込んできたことも事実であろう。
グス・ドゥルが大統領に就任したときに、国営企業担当相のポストの重要性に真っ先に気づいたというのも、このポストが自分の政党の活動資金の源泉になるからである。
実際ラクサマナはどういうことをやったのかは明らかではない。売却に際しては議会の承認を個々に受けており、表面上は全て合法の形になっているので、「確かな証拠」をそろえてラクサマナを追求することはなかなか容易でない。
ラクサマナは頭の切れではインドネシア政界ナンバー・ワンといわれている人物である。そう簡単にボロを出すとも思われない。
SBYはかってリッポ事件(本ホーム・ページ#24参照)で追求に辣腕を振るった証券アナリストのリム・チェ・ウェイ(Lim Che Wee) をブレーンに引き込んでラクサマナの追求に当たる構えである。
しかし、SBYとて政権を担当すれば政治資金をどこからか工面しなければやっていけないはずである。国軍系のアルタ・グラファ銀行(頭取はテンポ事件で有名をはせたトミー・ウィナタ)だけでは到底不足するであろう。
シンガポールに資本逃避をしてインドネシアへのカムバックを狙っている華人資本家たちから手に入れるのであろうか?または国営企業(石油公社プルタミナなど)からカネを引き出すのであろうか?
どちらにしても何らかの形で資金を捻出していかなければ政権を維持していけない。これはインドネシアの汚職体質の根本原因の1つである(ほかにも公務員の極端な安月給などが指摘される)。