スハルト一族
153.インドネシア検察庁、スハルト元大統領に11.5兆ルピアの損害賠償請求(07年5月27日)
108-2.スハルト・ファミリー企業にも疑惑
(05年5月23日)
7-1. スハルト一族の武器購入汚職疑惑(02年7月17日)
スハルトの長女ツツット(Tutut=本名Siti Hardiyanti Rukumana)は愛国心の発露から1993年に軍の航空機購買を手助けした。内容は8機のホーク100練習機(イギリス製)と16機のホーク200練習機で契約価格は6億9千万ドルであった。
95年にTututの愛国心はこれにとどまらず、12機のホーク100を含む16機のジェット機購入の手助けをした。このときの購買価格は総額5億4千万ドルであった。 代理店としてはTututのPT.Bheering Diant Pramataが使われた。
しかし、これらのジェット機の購買原価は1機800万ドルであったが、インドネシア軍が支払ったのは1機あたり3千万ドルであった。すなわち1機あたり22百万ドルがTututの愛国心に基づく「手助け」の費用であった。Tututが手にしたのは95年のこの取引だけで3億52百万ドル(約420億円)であった。
これ以外にもTututはPT.Surya Kepanjen を使って50台のスコーピオン戦車を1台250万ドルで購買した。同じ戦車をシンガポールも買ったが1台100万ドルであった。(ジャカルタ・ポスト紙7月15日付け)
これは本の氷山の一角にしか過ぎない。これをみてもスハルト一族がいかに巨額の国家資金を略奪していたかが知れようというものである。トミーを救い出す買収資金などには全く事欠かない。 もちろんこういうことをやっていたのはTututだけではない。他の家族もいろいろな取引に首を突っ込んでいた。
こういう具体的な数字が表面に出てくるだけでもインドネシアの民主主義は一歩前進を遂げたと見るべきかもしれない。しかし、軍は購買には「代理店」を外すわけにはいかないといまだに主張している。その理由は軍は慢性的に資金が不足しており、代理店に資金の面倒をみてもらう必要があるからとのことである。
軍の経費は国家予算からは20〜30%しか支給されていないという。残りは軍営企業の収益金や華人資本からの寄付(軍関係の財団経由)などでまかなわれていた。軍人が汚職に加担するという体制が出来上がっていたのである。
このようなスハルト体制に莫大な膨大な援助資金などそもそも必要だったのであろうか?日本をはじめとして世界中から拠出された援助資金や融資金はかなりの部分がこのような形でスハルト一族や高級官僚、軍人、クローニー・ビジネスマン(サリムやボブ・ハッサンなど) たちの懐に消えてしまったのであった。
7-2.スハルトの長女ら汚職事件で不起訴(03年8月25日)
インドネシア検察庁は石油公社プルタミナのパイプライン建設にかんし、スハルトの長女ツツット(通称Tutut=本名Siti Hardiyanti Rukmana)の所有する建設会社PT. Triharsa Bimanusa Tunggal(TBT)に対する過剰支払い容疑が立証えきなかったとして捜査を取りやめた。
この事件はプルタミナのデタラメ経営を象徴する事件として有名な事件のひとつであった。
1987年にプルタミナはジャワ島に320kmのパイプラインを敷設する工事をTututの会社TBTに請け負わせた。ところが、このTBTは外国から融資が受けられず、工事が完成できなかったため1992年にこの工事そのものをキャンセルした。
ところがTBTはプルタミナのキャンセルによって損害を受けたとして、それまでに完成した14%の工事費として36.69百万ドルの賠償を請求し、1993年にプルタミナの当時の総裁ファイサル・アバダェは全額支払った。
しかし、オーストラリアの検査会社は工事は6.4%(14百万ドル)しか完成してないという査定をくだした。したがって、Tututの会社は自分達の落ち度で公示ができなくなった上に、22.69百万ドルタダ取りしてしまった。
国会はプルタミナの経営監査に関する特別委員会を2001年9月に設置し、調査をおこなってきた結果、少なくとも11件、金額にして17億ドルの損害を国家がこうむったという疑惑を指摘していた。
これ以外にも検察庁はバリト・グループのプラヨゴ・パンゲツの植林資金の不正事件や高速道路管理会社PT. Marga Nurindo Bhaktiのジョコ・ラミアジの汚職事件などスハルトのクローニーが絡んだ事件が次々と不起訴になっている。
インドネシア検察庁は汚職事件に対してはほとんど起訴しておらず、国内から強い批判の声があがっている。
検察長官のラフマン自身が汚職容疑があるにもかかわらず、メガワティは彼を罷免していないことから見ても、メガワティのいうKKN(汚職、癒着、縁故主義)追放はかけ声だけのものであることが国民の間にも知れ渡ってしまった。
要するに汚職問題については夫タウフィクの言いなりになっているダラシノない大統領であるという評価が定着しつつある。
7-3. イギリスの武器メーカーがツツットに巨額ワイロ提供疑惑(04年12月9日)
イギリスの武器メーカーのアルビス(Alvis Plc)社. が戦車をインドネシア軍に販売する目的で(取引総額1億6,000万ポンド)1,650万ポンド(3,100万ドル=約32億円)のワイロをスハルトの長女ツツットに渡していたという容疑が浮上している。
ツツットの母親(故人)ティエン夫人は生前、「マダム・テン」(=10%のコミッションを要求するという意味)と呼ばれていたが、娘のツツットも母親の遺志をついで、ちゃんと10%のコミッションを取っていたようである。
アルビス社はスハルトが大統領に在任中の1995-96年に、スコーピオン戦車をインドネシアに売るために、ツツットにワイロを送っていたことが04年12月6日のロンドン高等法院(裁判所)で明らかにされた。
この手の話は毎度おなじみで、メガワティ政権下の2002年7月にもツツットが1990年代を通じてインドネシア軍の武器購入に際して巨額ワイロヲ受け取っていたという報道がなされたが、当時の検察庁は微動だにしなかった。
当時の報道では、ツツットがイギリスからの武器輸入の代理店を経営し、ホーク戦闘機30機とスコーピオン戦車50台を輸入した際に、実に3億5,000万ドル(364億円)を1993−95年の間に受け取っていたというものであった。
アルビス社はガーディアン紙(新聞)からの資料提供(関係者の宣誓供述書)をかたくなに拒否しているが、裁判の過程で作成された供述書(証拠書類)を 公開すべきか否かについてガイディアン紙との論争になった。
アルビス社はツツットのことを「Lady」という暗号で、また、ワイロを「Tax」という暗号を文書に記入していたという。
この件が発覚した発端は、シンガポールのチャン・ユー・シーク(Chan U Seek)という人物がアルビス社とツツットの橋渡しをしたのに、アルビスがチャンにコミッション(600万ポンド)を支払っていないと訴訟を起こしたのがきっかけになったものである。
これはインドネシアのビジネスにはつきものの「慣行」であり、間にはいった華僑が、スハルト一族や政府高官などへのコネをちらつかせながら、欧米や日本のメーカーにしばしばアプローチしてくるのである。
ロンドンの高等法院はガーディアン紙は当初は、新聞に機密文書を公開するつもりはないとしてい たが、最終的に12月8日にガーディアンは関係書類を閲覧する権利を認めれた。(下記のサイトにアクセスすれば、実物のコピーがタダで見られます。)
まったく、すごい世の中になったものだと思います。この記事は日本の新聞が報道するであろうか?これまた、見ものである。
(http://www.guardian.co.uk/ 参照)
スシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)大統領は汚職はバンバン取り締まると公言しており、この件をどうするかが見ものである。
SBYはこんな話からは逃げたいであろう。しかし、もし逃げたら、SBY の公約した「汚職撲滅」などはスタートの段階から、嘘っぱちであったということになる。
権力者にとっては「正義」とはしばしば厄介者である。
(04年12月14日追記)
その後明らかになったことは、1994年5月4日にツツットがアルビス社にたいし、契約促進の合意書(コミッションを含む)にサインした。
2ヶ月後に、陸軍参謀長であったハルトノ中将(Hartono=個人的にツツットと親密な間柄であったといわれている)とツツットの叔母の連れ合いであるマンティリ(Mantili)中将をつれてロンドンにやってきて現物を確認させている。
ハルトノはスハルトに忠誠を誓う元ゴルカル幹部や退役軍人を集めて2002年に憂国勤労党(Partai KPB)を結成し、04年4月の国会議員選挙では2.11%の票を集め2議席を獲得している。そのとき選挙運動用にツツットの似顔絵を描いたビア・グラスまで配っている。
そのハルトノは今回の件については「よく覚えていないので、ツツットに聞いてくれ」といって、どこかの国の政治家同様、「逃げ」を打っている。ハルトノに逃げられると、ツツットが直接、今後の取リ調べや場合によっては裁判にかかわっていかざるを得なくなる。
マンティリは元陸軍参謀総長で1991年の東チモールのサンタ・クルス墓地における青年271名の虐殺事件に関与している。退役後、彼はオーストラリア大使に任命されたが、虐殺事件に関与したと言う理由でオーストラリア政府から拒否され、やむなくシンガポール大使として赴任した。
51. スハルトの長女ツツットが大統領選に出馬?(03年12月8日)
インドネシアではまたもやとんでもないことが起ころうとしている。不正蓄財の女王とも言うべきスハルトの長女ツツット(Tutut)が次期大統領選挙に出馬するというのだ。
ツツットはPKPB(Party for Popular Concern=Partai Karya Peduli Bangsa 国民の関心事のために働く政党)から大統領候補として出馬することが決まった。このPKPBというのは元国軍司令官ラデン・ハルトノが スハルトの指示で設立した政党である.
メンバーのほとんどは元軍人などの旧ゴルカル幹部と現ゴルカルのアクバル・タンジュン党首とソリが合わず、やめていった人々であり、一言で言えば、旧スハルト体制(オルバ)派である。
しかし、その勢力は馬鹿にならず、路上行商人など貧民層にも金をばら撒き組織を拡大中である。幹部の言によればすでに350万人集めたという。
あるコンピューターのオンライン世論調査ではツツットを支持すると答えた人は回答者総数2,200人中32%に上り、支持しないと答えた人は68%であったという。
ツツットやスハルト一族が隠し持っている資産は想像もできない巨額のものがあり、それを貧しい大衆にばら撒けば、ひょとしたらひょっとする結果になりかねない。
ツツットはプルタミナの発注工事にからむ汚職で起訴されかかったが、証拠不十分で不起訴になっており、今は「無実」の身である。スハルト一族くらい金を持っていればインドネシアでは汚職容疑などではめったに有罪にならない。
検察も裁判官もいくらでも買収できるからだ。メガワティはその辺の改革をほとんどやらなかった。そればかりか、汚職容疑で評判の悪い検事総長ラフマンの首を切らずに放置している。
また、同じく評判の悪いスティヨソをジャカルタ知事に再任した。スティヨソは最近もスラム一掃作戦を行い、失業に苦しむ貧困階級を強引に追い立てるなどジャカルタ市民の反発を買っている。
これらの、悪評高い人事はすべて夫のタウフィク・キエマスの指しがねと考えられているが、メガワティの大統領としての責任は免れない。タウフィクが旧スハルト派と妥協したのがこの結果である。彼もメガワティも闘わずにシンガポールで楽しいお買い物にはげんだ。
おりしもメガワティの支持率は低落の一途をたどっている。MRI(Market Research Indonesia) の調査によればメガワティの支持率は2001年49%、2002年26%、2003年7月26%、2033年9月16%と激しく落ち込んでいる。(ジャカルタ・ポスト12月8日付け)
このときの調査では大統領候補としてのマエガワティの対抗馬はアーミン・ライス国民協議会議長10%、スシロ・バンバン・ユドヨノ政治・治安調整相4%、ユスリル・イザ・マヘンドラ司法・人権相、アクバル・タンジュンGolkar党首、アブドッゥラマン・ワヒド前大統領が各2%ということでメガワティの優位は変わっていない。
しかし、ツツットのような人物が登場すると何が起こるかわからなくなってきた。資金を持っていることが圧倒的な強みでsることに加え、失業問題を解決できていないメガワティはジャカルタではますます不人気になる。
「スハルト時代は良かった」などという声が、日本の旧御用学者や御用ジャーナリストからばかりか、ジャカルタの巷の貧困層からも聞こえて来るようになる。こうなると末期的症状である。
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」というのは誰の言葉か忘れてしまったが、そうなりかねない。タウフィクやメガワティはすでに問題解決の能力を失ってしまったかの感がある。タウフィクの牛耳る闘争民主党もだめになった。
インドネシアはどこへいくのであろうか?
(04年4月の国会議員選挙でツツットの党は敗北し、大統領選挙には出られなくなった。)
スハルトの女婿でスミトロ・ジョヨハディクスモ博士の息子で特殊部隊元司令官(1995年〜98年)の退役陸軍中将プラボオ・スビアント(Prabowo Subianto=1951年生まれ)がシスオノの後を受けて「農民組合」の委員長に就任した。
シスオノは先の大統領選挙でアーミン・ライスと組んで立候補したが、第4位に終わった。その際、資産調査が行われ、正副大統領候補者合計10名中、彼は38億円強所有しており、断然トップであった。
スハルト政権下の民族派官僚なるものがいかに蓄財が可能であったかを示す数字であった。そのシスオノが農民組合(HKTI)の組合長を退き、そのポストをプラボオに譲ったのである。
プラボオは政治的野心の強い人物であり、今回の大統領選挙にも出るつもりで、所属政党ゴルカルの大統領指名選挙に立候補したが、5人中5位(547票中39票獲得)ではるかに及ばなかった。
いくらゴルカルといえども、さすがにプラボオを支持する人間は少なかった。しかし、彼はスハルトの一族であり、カネは腐るほど持っている。今回農民組合の組合長のポストを手に入れたのも、次の大統領選挙を狙った行動だと見られている。
プラボオ自身は「農民の福祉向上のためだ」といっているが、彼の経歴は人道主義とはおよそ無縁のものであった。
若いときには米国に留学し、反テロ・トレーニングを受けた。東チモールでは特殊部隊の現地部隊長として、大いに「叛徒=独立派」を弾圧し、新インドネシア民兵組織を作った。
スハルト退陣の年の1998年に彼は特殊部隊の司令官としてトリサクティ大学生の銃殺事件や、学生運動指導者の誘拐、拉致(行方不明者14名、1名は死体が発見された)に関与し、さらには特殊部隊がイスラム過激派を訓練したとさえいわれている。 彼らが、地域紛争で武闘のリーダーとなり、果てには爆弾事件まで起こしたのである。
先ごろ、砒素を盛られ毒殺された人権運動家ムニールは執拗にこれらの誘拐・謀殺事件を追及しているうちに悲劇に見舞われた。
プラボオが司令官としてどこまで学生や活動家の殺害事件などに関与していたかは明らかではないが、急遽「農民生活の向上問題]に関心が移ったとしか言いようがない。あまりに唐突な話である。
プラボオは農民政策についていろいろ具体的な提案をしている。ひとつは密輸取締り(砂糖など)を強化し、農民保護を行うというものである。もうひとつは農民から毎月3千〜5千ルピア(1万ルピア=110円)を徴収し、2千万人から 月間600億ルピア(6億6千万円)を集めるというものである。
その集めた金を活用して、農民の救済基金や生産性向上事業などに使うというものである。もちろん、プラボオほどの大金持ちがそれをネコババするつもりはないであろう。
しかし、食うや食わずの生活を強いられている大多数の農民からどうやって金を出させるのであろうか?
また、プラボオは農民にコンピューターを持たせ、IT技術を習得させ、農業経営に役立たせようとしている。そもそも彼はインドネシアの農民の生活実態を知っているのかという疑問すらわいてくる。
インドネシアは国民の約40%が農業従事者でありながら、膨大な農産品の輸入国である。2003年には米200万トン、砂糖160万トン、大豆110万トン、小麦4,500万トン、とうもろこし100万トン、牛肉45万トンを輸入している。
生産性を向上させれば米や砂糖の輸入は激減させることができる。本格的な農業政策が必要とされていることはいうまでもない。
108-2.スハルト・ファミリー企業にも疑惑 (05年5月23日)
検察庁はマンディリ銀行が1997.98年の通貨・経済危機以降の不正融資疑惑28件(総額13億ドル)中の4件について正式な調査を開始した。そのなかには元スハルト大統領の女婿で軍の特殊部隊の司令官を務めていたプラボオ元中将が所有するパルプ会社キアニス・ケルタス社(PT. Kiani Kertas)も含まれているという。
PT.KIani Kertasはスハルトのクローニー(お仲間)であるボブ・ハッサン(現在服役中)が所有していた会社であるが、通貨・経済危機時に破綻をきたし、2億ドルの融資をマンディリ銀行から棒引きしてもらって再建をはたし、現在はプラボオの所有になっているという。
検察庁次長のヘンダルマン・スパンジ(Hendarman Supandji)がマンディリ銀行関係の捜査を指揮しており、スパンジ次長はキアニス社については汚職の疑惑があると明言している。
通貨危機時には多くの企業が破綻し、BLBI(インドネシア銀行流動性支援基金=Bank Indonesia Liquidity Support Fund)に救済を求め、総額144兆5千億ルピア(153億ドル)の緊急融資がなされた。その資金の95%が不正な融資であったということがその後の会計検査院明らかにされた。
緊急融資に際しては各企業は株式資産などの「担保」を提出していたが、内容が不十分なものがほとんどであり、事実上踏み倒されたケースが少なくなかった。この融資計画を実施したのはスハルト政権であり、後に個別の処理に当たったのがグス・ドゥル政権とメガワティ政権であった。
マンディリ銀行の融資疑惑のうちユスフ・カラ副大統領の親族が経営するセメン・ボサワ(Semen Bosawa=セメント会社)とバクリー経済調整相の息子が経営するバクリー・テレコム(Bakrie Telekom)については一応、疑惑は晴れたとされている。(借入金は返すということか?)
これとは別に現在会計検査院は国営年金基金のジャムソステク(Jamsostek)が行っている貸付のうち、ユスフ・カラ副大統領のファミリー・ビジネスであるブカカ(Bukaka)グループ他への調査を行っている。
(FT インターネット版、5月23日付、参照)
153.インドネシア検察庁、スハルト元大統領に11.5兆ルピアの損害賠償請求(07年5月27日)
インドネシア検察はスハルト元大統領が自ら設立した「基金」から11兆5000億ルピア(≒1590億円)を勝手に流用したとして、その返還を求める訴訟をここ2ヶ月以内におこなう予定である。
スハルトは1974年にSupersemar Foundationなる基金を設立し、国営銀行の利益の5%はこの財団に「寄付」をさせ、慈善事業や教育などに使うとしていた。慈善事業にも基金のカネは使われたが、その多くはスハルト一族の事業資金として流れたといわれている。
たとえば、センパティ航空やトミー・スハルトの国民車会社チモールやクローブ(丁子)独占売買機構などにそのカネが流れた。
現在、この財団は1兆5000億ルピア(≒159億円)の資金と10兆ルピア相当のビルなどの資産を所有しているという。
スハルトはこれ以外にもいくつかの「基金」を設立しており、その多くはサリム・グループなどスハルトに近い華人資本家からの「寄付」でまかなわれており、それがスハルト・ファミリー企業の資金源になったとされている。今回はその一部のみを訴訟という形で明らかにいようとというものである。
スハルト一族の蓄財の構造は複雑かつ大規模で全容はつかみがたいが、一部は「スハルト・ファミリーの蓄財」村井吉敬ほか・コモンズ社1999年などにまとめられている。
今回の訴訟をキッカケにインドネシア政府の手でスハルト政権の汚職構造を是非解明してもらいたいものだ。
また、スハルトの悪業を「開発独裁」に必要なコストとして黙認・擁護する一部学者やメディアの後押しを受けて、わが国政府はスハルト体制を支援してきたことをインドネシア国民は忘れていない。
162.スラカルタ博物館から古代の石像盗難、買主は?(07年11月24日)
中部ジャワ、ジョクジャカルタから東北に65Kmほどのところにある古都のスラカルタのラディヤ・プスタカ国立博物館が展示していた古代(7〜9世紀)の5体の石像(ヒンドゥー紳、仏像)が精巧に造られた偽者と差し替えられ、外部に売り飛ばされていたことが判明した。
犯人は博物館の職員で4人が既に逮捕された。石像は警察によって回収されたが、それ以外に青銅の3体の像と陶磁器の皿も持ち出されており、行方不明だという。
まった、これらの石像などを買った人物が特定された。それは知る人ぞ知る実業家ハシム・ジョヨハディクスモ(Hasim Djojohadikusumo)であった。ハシムはインドネシア大学経済学部の初代の学部長スミトロ博士の子息であり、スハルト時代はスハルトのクローニーとして有名(悪名?)な人物で、日本の大企業も彼に痛い目に会わされたところがある。
ハシムが実業家として活躍できたのは彼の弟のプラボヲ(Prabowo)元中将がスハルトの娘と結婚していたからであった。プラボヲは特殊部隊の元司令官でスハルトが失脚するまでは、次期国軍司令官の呼び声が高く、「爆弾屋」の元締めであると噂されたこともあった。
盗まれた石像の価格は5体で5億ルピア(≒600万円)だから以外に安かったが、実際の国際価格はその数十倍であろう。これは海外に持ち出される寸前だったようでオランダ人のブローカーも容疑者として名前があがっている。
その背後には国際的なシンジケートがあることは確実視されており、行方不明の青銅像などは既に海外に持ち出され売却された可能性もある。また、博物館の所蔵庫から多くの美術・骨董品が姿を消しているとも言われている。
これらの貴重品にはスラカルタのスルタンのパクブオノ(Pakubuwono)13世の「証明書」が必要とされるモノもあること、サルタンの関与も取りざたされているという。
162.スラカルタ博物館から古代の石像盗難、買主は?(07年11月24日)
中部ジャワ、ジョクジャカルタから東北に65Kmほどのところにある古都のスラカルタのラディヤ・プスタカ国立博物館が展示していた古代(7〜9世紀)の5体の石像(ヒンドゥー紳、仏像)が精巧に造られた偽者と差し替えられ、外部に売り飛ばされていたことが判明した。
犯人は博物館の職員で4人が既に逮捕された。石像は警察によって回収されたが、それ以外に青銅の3体の像と陶磁器の皿も持ち出されており、行方不明だという。
まった、これらの石像などを買った人物が特定された。それは知る人ぞ知る実業家ハシム・ジョヨハディクスモ(Hasim Djojohadikusumo)であった。ハシムはインドネシア大学経済学部の初代の学部長スミトロ博士の子息であり、スハルト時代はスハルトのクローニーとして有名(悪名?)な人物で、日本の大企業も彼に痛い目に会わされたところがある。
ハシムが実業家として活躍できたのは彼の弟のプラボヲ(Prabowo)元中将がスハルトの娘と結婚していたからであった。プラボヲは特殊部隊の元司令官でスハルトが失脚するまでは、次期国軍司令官の呼び声が高く、「爆弾屋」の元締めであると噂されたこともあった。
盗まれた石像の価格は5体で5億ルピア(≒600万円)だから以外に安かったが、実際の国際価格はその数十倍であろう。これは海外に持ち出される寸前だったようでオランダ人のブローカーも容疑者として名前があがっている。
その背後には国際的なシンジケートがあることは確実視されており、行方不明の青銅像などは既に海外に持ち出され売却された可能性もある。また、博物館の所蔵庫から多くの美術・骨董品が姿を消しているとも言われている。
これらの貴重品にはスラカルタのスルタンのパクブオノ(Pakubuwono)13世の「証明書」が必要とされるモノもあること、サルタンの関与も取りざたされているという。