軍と警察
141.急死した陸軍将官の自宅から大量の武器弾薬発見(06年7月3日)
135.
東チモールでインドネシア軍は18万人殺害した?(06年1月21日)
133.次期国軍司令官に空軍の参謀長ジョコ・スヤントを指名(06年1月16日)
131. 米国、引き続きインドネシアへの武器禁輸措置継続(05年11月5日)
10-2.軍と警察とも銃撃戦(02年9月28日)
第2の事件は02年9月27日に北スマトラのビンジャイ(Binjai)で200名ほどの国軍部隊が警察署を包囲し、警察と9時間におよぶ華々しい銃撃戦をおこない、7人の警察官と3名の民間人がが殺害され、 軍側も1名の「戦死者」をだした。ほかに27名の兵士と1名の民間人が重傷を負い入院している。そのほかに14台の自動車と多数のモーターバイクが炎上した。
ことの起こりはマリファナを販売目的で所持していた男を警察が捕まえたところ、それが軍の「売人」(兵士説もある)であった。現地の軍隊(空挺部隊)はその売人を奪還するために警察にいったところ、拒否されたため銃撃戦になったという判りやすい事件である 。
国軍は20名の責任者をまず除隊処分とし、さらに8名の士官を後から追加で除隊させケジメをつけ 、軍法会議にかけられることとなった。
同様の事件は2001年9月16日に東ジャワのマディウンでも起こっている。そのときは戦略予備軍の兵士がやはり警察署を襲い、銃撃戦の上2名の民間人が死亡し、15名が負傷した。事件の背景には軍と警察の利権争いがあった。
国軍と警察の間の抗争事件は2000年1年間では79件が報告されており、6名が死亡、70名が重傷、76名が軽傷であった。2001年には衝突事件は52件、3名が死亡し、39名が重傷、31名が軽傷とやや事態は改善されたかにみえた。今年にはいって8月までは衝突事件は23件が報告されている。今回の事件は最大規模である。
スハルト政権崩壊後、2000年7月から軍と警察が分離されたまではよかったが、両者とも「国家予算による給与」の支給がすこぶる貧弱なため、いろいろ資金稼ぎのアルバイト(会社警備など)をおこなってるが、手っ取り早く資金を稼げるのは「麻薬密売」とか「木材の盗伐」などであり、都市部では麻薬密売が最も流行しているといわれている。
それらの利権争いが絶えず、近年各地で軍と警察の争いが頻発している。今回のような正規軍の出動はまれなケースであるが軍の経費の増額はインドネシア政府にとっても急を要する課題である。国民の安全を守るべき軍や警察が最大の暴力団組織になってしまうてはどうにもならない。
軍は国家予算では経費の20〜30%ていどしかまかなえない状態が長年続いており、不足分を軍営企業の利益やスハルトの財団や華人資本などからの寄付や汚職でまかなってきたとされている。スハルト政権末期には「偽札」まで発行していたとさえ噂され、大規模な「偽札事件」が実際に起こった。
最近は長引く不況と、クローニー華人資本の凋落により、またプルタミナなどの有力資金源の監視も強化され、予算外の資金調達が困難になってきた。国営企業の民営化はさらに国軍の収入源を圧迫している。
加えて、軍と警察の分離により、民衆に直接接する警察は「警備員」のバイトや交通違反取調べなどに伴う小遣い稼ぎの余地が広いのに反して国軍はアルバイト先が限られている。兵士の給与はきわめて低く、ジャカルタの最低賃金を下回っているとさえいわれている。
そうなると、武器購入での大幅なマーク・アップや麻薬取引などかなり荒っぽい稼ぎをやらざるをえなくなる。メガワティも軍予算には「特別配慮」をしているが、とうてい追いつかない。給与の低さは一般公務員や教員も 同様である。
「汚職はインドネシアの文化である」などといわれるが、そのようなことは決してない。インドネシアに汚職の慣行を持ち込んだのはオランダの東インド会社の職員であるといわれる。それが会社の代理人を勤めていたインドネシア人の貴族階級に伝染していったと考えてよいだろう。
汚職をなくすには公務員の給与を引き上げることが先決であると私は考えている。役人の給与が低すぎるのである。たとえば大学を出て10年くらいのキャリアでも100万ルピア(110米ドル)程度しか貰えない。民間会社なら低くても300万ルピアから400万ルピアくらいは貰っている。(大卒の公務員初任給は70万ルピア、税関役人は130万ルピア)
月給だけでは「全員」がやっていけない。したがって「全員」が何らかの形で正規の収入以外のマネーを入手する必要がある。給料を民間並みに貰っても汚職はなくならないが、少なくと「汚職は罪である」という認識は徹底する。すなわち「汚職は文化である」といういいわけはできなくなる。日本の戦後の「ヤミ米」と同じである。
しかし、インドネシア政府には公務員の給与を一気に引き上げるだけの力はない。しかし、引き上げの方向に向かって「舵を切る」必要があるのだ。インドネシア政府の支出には無駄が多いし「水漏れも」多い。
インドネシア国軍司令官スタルト(Endriartono Starto)は4月12日に軍営企業は2年以内に全廃し、またスハルト政権時代に創設された「合弁事業」からは5年以内に完全に手を引くということを宣言した。
インドネシア軍の経費は国家予算では30%程度しかまかなわれず、残りは軍営企業からの収益金や華人資本家からの寄付金でまかなわれており、97・.98年の通貨・経済危機後は華人資本がシンガポールなどに資産逃避を行ったり、あるいは没落してしまい十分な資金が集まらなくなった。
そこで軍は木材の不法伐採や企業の用心棒などさまざまなサイド・ビジネスを行って何とかつじつまを合わせてきた。しかし、こういう現象は近代国家としては異常であり、経費を国家予算で100%まかなうという、通常の姿に戻す必要があった。
このことをグス・ドゥル政権時代から主張していたのはジュオノ・スダルソノ国防相であった。軍人出身のSBY大統領もインドネシアの近代化のためにはこの問題を解決しなければならないという認識を持っており、今回軍営企業廃止という歴史的大転換に踏み切ったものである。
現在赤字の企業は直ちに閉鎖し(売れるものは売却するであろうが)、残りのものは民間に払い下げるか、国営企業化するという。民間に払い下げるときには、またすさまじい「汚職」劇が展開されることになりかねない。
また、国家予算で軍の経費を本当にまかなえるのかどうかもはっきりしない。当然、さまざまな補助金(燃料やコメや砂糖などの)を削減せざるを得ず、行政改革も大規模に行う必要が出てくる。
106.大統領が公務員と兵士の給与増額を約束(05年4月17日)
SBY大統領は4月15日に公務員と兵士の給与増額を約束した。低給与が広範な汚職の理由となっていることと「職業意識」の低下につながっているという前々からの批判に答えるためである。
中央官庁の課長クラスが月数万円の給与にもかかわらず自動車を2台も持っているというような話はよく聞かれる。
現在公務員の初任給は月905,400ルピア(約1万円)である。その後の昇給が低く年平均40,000ルピア(約500円)程度しか上がらない。したがって、役所でさまざまな給与補給を行っている。例えば昼食時に打ち合わせと称して弁当が支給されるといったこともある。
各役所によってプラス・アルファーの金額は異なるが、最も恵まれている財務省では何だかんだといって新入公務員には180万ルピア(約2万円)程度が渡っているようである。
国会議員はベース・サラリー(諸手当は別)が1,500万ルピア(約17万円)である。しかし、余禄が非常に多いといわれている。
民間の中小企業では初任給は150万ルピア(約1万7千円)程度であり、毎年15万ルピア(約10%)程度は給料が上がっていくといわれている。
このように官民の格差が大きすぎるので、これを是正するというのが前々からの政治課題であった。しかし、この給与問題を重点において国家予算を編成していくことは重要である。足りない分は予算の不正使用の温床になっているし、外部からタカル口実を与えていることは間違いない。
アブリザール・バクリ経済調整相は今年の予算は公務員給与の増額は織り込まれていないが2006年予算では最大の努力をすると言っている。現在インドネシアには360万人の公務員と50万人の兵士がいる。それ以外に公務員年金受給者が150万人いるといわれている。
(http://www.thejakartapost.com/ 05年4月17日付け参照)
131. 米国、引き続きインドネシアへの武器禁輸措置継続(05年11月5日)
インドネシア政府はアチェの和平交渉成立後、現地からインドネシア国軍の一部撤退を開始するなどの努力をおこなっているが、米国上下両院はインドネシア国軍が過去に広範囲に及ぶ人権侵害を行っていたとして武器輸出の禁輸措置(1991年開始)を継続することを決めた。
特に、東チーモールでのインドネシア軍の残虐行為の後始末がスッキリせず、裁判もかなりおざなりであったことが悪い印象を残しているようである。
インドネシア軍として特に困るのは米国製の戦闘機F-16などの部品が輸入できないことで、だんだん飛ばせる軍用機が少なくなってきているという。ただし、インドネシア海軍はさほど「悪行」を働いていないとして100万ドルの援助を受けることが決まった。
今後、ライス国務長官のOKがでれば事態は変わるようで、「テロ対策」として米軍の「協力」をインドネシア国軍が受け入れれば、「いっそうよい印象」を米国議会に与えることは間違いない。
しかし、逆にインドネシア国民は、米国のイラク侵攻以降、反米感情を激化させており、米軍がインドネシア領内に大手を振って入り込むと激しい反政府・反米行動を引き起こす可能性がある。
⇒米国政府はインドネシアへの武器供与と軍事協力を推進(05年11月23日)
米国議会は上に述べたとおり、インドネシアへの武器供与停止措置を継続する意向を示したが、ブッシュ政権は11月22日(火)にインドネシアとの全面的軍事協力体制を推進するとともに、武器輸出の禁止措置を解除するという方針を決定した。
これは形式的にはインドネシアの政治的民主化が進歩しつつあるということと、テロ対策への協力姿勢を評価するということである。
一方、インドネシア国軍はF16戦闘機の部品供給が止められたことで、空軍としては困っており、SBY大統領が先頭にたって、武器輸出再開を米国政府に働きかけていた。先ごろの釜山におけるAPEC首脳会議でも両国大統領が個別に会談し、今回の措置につながったものと見られる。
インドネシア政府は今回の米国政府の決定を歓迎するとしながらも、米国議会の反応を待ちたいとしている。
しかし、インドネシアの国内外の人権団体や活動家はこの米国政府の決定に反対の意向を示している。
また、国内のイスラム団体もイラク侵攻中の米国と軍事的関係を強化する動きに反感を持っており、単に武器輸出解禁措置のみであればさほど大きな問題にはならないであろうが、米軍との協力体制の強化については可なりの抵抗が予想される。
133.次期国軍司令官に空軍の参謀長ジョコ・スヤントを指名(06年1月16日)
ユドヨノ大統領はジョコ・スヤント(Djoko Suyanto)空軍大将を現職のエンドリアルトノ・スタント司令官の後任のインドネシア国軍司令官候補者に指名し、国会の承認を求めることとなった。
注目の陸軍強硬派の代表ともいうべきリャミザード前陸軍参謀長は外された。リャミザードはメガワティ率いるPDI−P(闘争民主党)が強くサポートしていたが穏健・改革派が指名されたことによってインドネシア国軍の体質もかなり 変わることと思われる。
この人事はさほど問題なく国会で承認されるであろうし、インドネシア国民にとっては吉報といってよいであろう。
ただし、陸軍の右翼強硬派がリャミザードの人脈として相当残っており、陸軍ではむしろ「主流」を形成しているといってよい。彼らはアチェからは[追放されたが、中部スラウェシ(ポソ地域)やマルク諸島(アンボンなど)で騒乱を画策しているという説がある。
ジョコ新司令官だけの力で陸軍の体質改善が急にできるとは思えない。これは、マトモで有能な軍人を時間をかけて昇進させていく以外にはない。
ユドヨノ大統領はジョコ・スヤント(Djoko Suyanto)空軍大将を現職のエンドリアルトノ・スタント司令官の後任のインドネシア国軍司令官候補者に指名し、国会の承認を求めることとなった。
注目の陸軍強硬派の代表ともいうべきリャミザード前陸軍参謀長は外された。リャミザードはメガワティ率いるPDI−P(闘争民主党)が強くサポートしていたが穏健・改革派が指名されたことによってインドネシア国軍の体質もかなり 変わることと思われる。
この人事はさほど問題なく国会で承認されるであろうし、インドネシア国民にとっては吉報といってよいであろう。
ただし、陸軍の右翼強硬派がリャミザードの人脈として相当残っており、陸軍ではむしろ「主流」を形成しているといってよい。彼らはアチェからは[追放されたが、中部スラウェシ(ポソ地域)やマルク諸島(アンボンなど)で騒乱を画策しているという説がある。
ジョコ新司令官だけの力で陸軍の体質改善が急にできるとは思えない。これは、マトモで有能な軍人を時間をかけて昇進させていく以外にはない。
135. 東チモールでインドネシア軍は18万人殺害した?(06年1月21日)
東チモールをインドネシアが占領していた24年間(1975年〜99年)にインドネシア軍が殺人・暴行などやりたい放題の乱暴狼藉を働いたことは世界中に知れ渡っており、その責任者(ウィラント元国軍司令官を含む)の裁判がインドネシアでおこなわれているが、ほとんどが実質的な罪に問われていない。
また、その具体的な被害の数字は従来必ずしもはっきりしていなかった。それは被害の内容が多岐にわたり(銃で殺されたものや飢餓作戦で殺されたものや婦女に対する強姦・殺人など)実態の把握が困難であったことにもよる。
最近に至り、「東チモールの真実と和解のための委員会」という独立団体が8千人にインタビューするなど詳細な調査をおこない、まとめた被害報告書が国連に提出された。
未公表であるが、そのレポートには直接・間接に軍によって殺害された人数は約18万5千人に上ると書かれているという。 そのうち90%以上が、軍政によって引き起こされた「飢餓と伝染病」などによるものだという。
また、1999年の「独立の民意を問う国民投票」の際には1,000に人が殺害された。
この話しを聞いたユドヨノ大統領もあまりの大きな数字に驚き、懸念しているという。また、スタルト(Endriartono Sutaruto)国軍司令官は飢餓や病気による死は必ずしも軍の責任ではないと弁明している。
また、報告書の中でインドネシア軍が1975年に東チモールに侵入した際にナパーム弾や化学兵器を使用したり、井戸を毒物で汚染したりしたと書かれているという。
この中で、ナパーム弾については当時のインドネシア軍はそういう武器を所有していなかったと軍関係者は弁明している。
いずれにせよ、さらなる実態の解明が待たれるところである。このままではインドネシアは改めて国際的非難の的となりかねないであろう。
141.急死した陸軍将官の自宅から大量の武器弾薬発見(06年7月3日)
06年6月25日に心臓発作で急死したクスマヤディ(Koesumayadi)陸軍准将の自宅に145丁の自動小銃、42丁の拳銃、28,985発の銃弾、9個の手榴弾などが隠匿されているのをインドネシア憲兵隊が発見した。
クスマヤディ准将は陸軍の「軍事資材調達・輜重部門」の副司令官であった。彼がいかなる目的で「自宅」にこれらの国有財産である兵器を隠匿していたかは明らかではないが、何らかの「裏工作」に使う目的であった可能性が高い。
もちろん、クスマヤディ自身が個人的にこれらの武器を蓄えていたものではないが、通常の武器調達ルート(国防省所管)によるものではなく、「予算外」資金で購入されたものであることは間違いないという。
クスマヤディ准将は戦略予備軍(Kostrad)でながいこと武器の調達業務に携わっていた。 彼は北スマトラの出身でジョコ・サントソ参謀総長と陸軍士官学校を同期(75年)で卒業している。
また、クスマヤディは最後まで国軍総司令官のポスにつく可能性があった、陸軍の最強硬派のリャミザード前参謀総長の下で、戦略予備軍時代から武器調達を担当していたといわれている(06年7月4日、ジャカルタ・ポスト)。
戦略予備軍は1965年9月30日に「共産党がクーデター」を起こしたという疑惑の残る「真犯人」をでっち上げ、「たまたまジャカルタ」に駐在していた戦略予備軍司令官スハルト 少将が、その事件を収拾し、「共産党の陰謀」をを粉砕すると言う「輝かしい」戦歴を持つ部隊である。
その後、50万人ともいわれる共産党員とその同調者を虐殺し、スハルトは32年間の独裁者としてインドネシアに君臨し、汚職・腐敗、ファミリー・ビジネスの横行などにより今日のインドネシアにはかりしれない「負の遺産」を残し た事は、今まで述べてたとうりである。
このような「非公式」あるいは違法に軍が所持している武器は、軍以外の組織に渡され、地域的な騒乱や、反政府分子の暗殺等の「謀略」に使われるケースが多いということである。
こういうことが、インドネシア軍では以前から行われており、ポソの銃撃戦や、数多く起こったキリスト教会爆破事件などにウラで軍部が関与しているのではないかという疑惑がしばしばもたれてきた。
事態を重視したサントソ(Santoso)国軍参謀総長は6月29日(木)に突如としてテレビで国民に「真相解明」を約束した。 ユドヨノ大統領も真相の究明を指示したと言う。
この種の事件は、従来のインドネシアでは「闇から闇に」葬られ、一般の国民に知らされることはマレであったが、今回、インドネシア政府がこのような発表をおこなったのは、何らかの意図(軍の一部の勢力を追放するなど)があることは明らかであり、単なる突発事件としては終わりそうもない。
⇒憲兵隊の調査結果ーあれは彼の趣味であった(06年8月10日)
6月25日に心臓発作で急死したクスマヤディ(Koesumayadi)陸軍准将の自宅に145丁の自動小銃、42丁の拳銃、28,985発の銃弾、9個の手榴弾などが隠匿されているのをインドネシア憲兵隊が発見し、慎重な調査の結果、「あれはクスマヤディ将軍の趣味であった」という発表をおこなった。
この発表はインドネシア国軍の憲兵隊司令官ヘンダルジ(Hendardji)少将がおこない、そこはジョコ・サントソ(Djoko Santoso)参謀総長が同席していた。ようするにこれがインドネシア国軍の正式見解と言うことになる。
予想されたこととはいえ、唖然として言うべき言葉もないというのがインドネシア国民の大方の感想ではなかろうか?趣味で145丁もの自動小銃を隠し持っているような酔狂な人間がどこにいるだろうか?
生前のクスマヤディは陸軍の最高実力者であったリャミザードの忠実な部下だった。リャミザードはアチェの独立派GAMとの妥協を徹底的に排除し、弾圧を主張し続けた人物であり、戦略予備軍司令官を務め、1999年のグス・ドゥル大統領の軍部改革に強く反対していたことはよく知られている。
グス・ドゥル大統領はインドネシアの「民主化はインドネシア陸軍を押さえ込む」ことにありと考え、それを軍内部の改革派と組んで実行に移そうとした。グス・ドゥルは当時最大の問題となっていたアチェのGAMとの和平交渉を一旦は成立させたのである。
しかし、グス・ドゥルにも欠点があり、大統領を解任され、メガワティが後を引き継いだ。そのメガワティはリャミザードのいうことを聞いてアチェの和平をぶち壊したのである。その背後にはリャミザードと同じ南スマトラ出身であったタウフィク・キエマスというメガワティの亭主がいたのである。
グス・ドゥルが大統領のとき(1999年)からマルク諸島のアンボンやセレベスのポソなどで宗教対立(イスラム教徒やキリスト教徒)が激化して、しばしば銃撃戦が起こり多数の死傷者が出た。これは火付け役が軍部であるというのは公然の秘密である。
この地域のイスラム教徒に武器弾薬を渡したのは言うまでもなくインドネシア陸軍である。これにさらにイスラム過激派(ラスカル・ジハドIなど)が応援に駆けつけ紛争を一層激化させたのである。(#90.参照)
その中で、非合法の武器調達の中心的役割を果たしたのが、クスマヤディであったと推測される。現に正体不明の武器・弾薬が大量に隠匿されていた。
軍改革を主張し続けた文民のジュオノ・スダルソノ(Juwono Sudarsono)国防相は、すっかり困ってしまい「調査結果は尊重されるべきであろう」といったままダンマリを決め込んでいるという。
しかし、インドネシア軍がスハルト体制崩壊以降の軍改革の流れに抵抗するためにナニをやってきたかが、この武器隠匿事件をキッカケに多少なりとも解明に向かうことを期待したい。それをやれるのはインドネシア議会のはずだが、おそらく怖くて何もやれないのではないだろうか?
人権運動家のムニールもついこの間殺されたばかりである。
(ジャカルタ・ポスト、8月10日付け、インターネット版参照)