闘争民主党(PDI-P)
18.Indosat 売却問題がこじれ、政争の具に(2003年1月4日)
23-1.テンポ襲撃事件(03年3月13日)
103.PDI-P(闘争民主党)をめぐる動き
103-1.-.闘争民主党大会開催、反メガワティの動き活発化(05年3月30日)
103-2.改革派は別に会議を開く−事実上の党分裂(05年3月31日)
103-3.メガワティを党首に再選、改革派はソッポ(05年4月1日)
103-4. 改革派幹部12名を除名、PDI-Pの終りの始まり(05年5月12日)
103-5. 改革派ラクサマナを中心に民主改革党結成(05年12月2日)
18.Indosat 売却問題がこじれ、政争の具に(2003年1月4日)
昨年末インドネシア政府は国営海外電話通信会社(上場)Indosat(PT Indonesia Satellite Corporation)の持ち株41.9%をシンガポールの国営通信会社(STT=Singapore Technologies Telemedia) に売却した。
売却金額は1株当たり12,950ルピアといわれ、市場価格の8,600ルピアよりも50.6%もの高値の取引であり、総額5.6兆ルピアであったといわれる 。この売却の結果インドネシア政府の持ち株はわずかに15%になる。
しかい実際国庫に入った額は5.2兆ルピアであったという説が出ている。差額の4,000億ルピアはグス・ドゥル前大統領にいわせればPDI-P(闘争民主党)の政治資金となって流れ込んだということである。おそらくこれは内部告発がなされた可能性がある。
しかし、最新情報(1月4日detik.com)によると総額608.414百万ドルのうち25百万ドルがCitibankのエスクロー(中立第3者保護預かり)口座に入ったまま、インドネシア銀行への送金が遅れていたとのことであり、もしそうだとすれば金銭的不正はラクサマナにはなかったことになる。
Indosatの株はSTTに売ったということであるが、実は直接の買い手はICL(Indonesian Communication Ltd)というタックス・ヘブン(低税金地域)のモリシアスにあるSPV(Special Purpose Vehicles=特殊目的企業)である。
ICLの素性についてはモリシアス政府は明らかにしないため、本当の買主は誰かはわからない。しかし、インドネシア政府はICLはSTTが100%所有しており問題ないといっている。
もともとインドネシア政府はIMFが何といおうと国営企業を悪徳華人資本家にだけは売りたくない事情がある。国民感情もそれを許さない。
インドネシアではスハルトのクローニーとして大もうけをした挙句、97・98年の経済危機に際して巨額資金をシンガポールなどに持ち出し(資本逃避)し、IBRA(インドネシア銀行再建庁)に差し押さえられている自分の企業を安値で買い戻すことを狙っている華人資本家は少なくない。
したがって、素性の正しくない買い手に保有資産を売らないという「大原則」を維持しているのである。そういう意味ではタックス・ヘブン地域にある企業には売るべきではなかったのである。これをやったことで政府は「痛くない(?)腹を探られる」ことになったのである。
前に売却したBCA(Bank Central Asia=サリム・グループの銀行)の買収相手先のFarallon Capital グループもモリシャスのSPVであるFarindo Holdings を使っている。このなかにサリム資本が入り込んでいないという保証はない。
これらの売却劇の舞台監督は国有企業担当相のラクサマナ・スカルディである。 ラクサマナにいわせれば2002年度の国家予算には6.5兆ルピアの国営企業売却が織り込まれており、しかも10月のバリ島爆弾事件で外資から敬遠されている環境下で努力してようやく買い手を見つけたということであろう。
国民協議会議長のアーミン・ライスは国営企業を外国人に売却することに原則的に反対する立場から直接名指しをしないまでもラクサマナを「外国資本の代理人」として批判した。これに激怒したラクサマナは アーミン・ライスを名誉毀損罪で警察に告発した。
しかし、ラクサマナの所属するPDI-Pの選挙資金(2004年の大統領選挙)に怪しげなマネーが流れたという噂が広まり、ラクサマナは苦境に立たされている。 アーミン・ライスは自ら大統領選挙に出馬する意向もあり、ここぞとばかり攻撃にでており、「ラクサマナを地の果てまでも追い詰める」といきまいている。
国営企業売却反対論者の先鋒であるクイック・キアン・ギー経済企画庁長官はなぜか沈黙を守っている。ことによるとPDI-Pに必要な資金が入ってきたためかも知れない(真相は藪の中)。
Indosatの従業員は売却反対運動を起こしており、大方の世論も彼らを支持している。Indosatの従業員には売却話の出る直前に前触れもなく1か月分の臨時ボーナスが支給され、ボーナス袋には「Transformation Incentive」(変革のためのインセンティブ)と書かれていたそうである。
シンガポールの国営企業管理会社タマセク(Temasek Holdings=社長はリー・シェン・ロン副首相夫人のホー・チン夫人=Ho Ching)がTelemedia 社とSingTel社を支配下においており、インドネシアにおいて既にPT Telekomunikasi Seluler(Telkomsel)の株式35%を所有している。同社はインドネシアの携帯電話の50%以上のシェアを保有している。
Indosat はTelemedia(シンガポール)によって株式の42%を所有されることになったが、インドネシアにおいては子会社PT Satelindoという第2位の携帯電話会社の親会社である。 ちなみに2001年末の3大携帯電話会社の加盟者数の社別内訳はTelkomsel=325万件、Satelindo=176万件、Excelcom=122万件である。
今回のIndosat買収により、シンガポール政府がインドネシアの携帯電話市場に広範な顔出しができる形になる。しかし、インドネシア政府の考え方は、現在圧倒的な携帯電話市場を支配しているTelkomselに対し て依然65%の株式を所有しておりシンガポールに支配されることはない。
さらにIndosat(Satelindo)が有力な競争相手として成長(シンガポールの力を借りて)してくれば、競争が激化し、かえって電話料金が下がるのではないかということである。
長距離電話会社としてのIndosatは経営的には苦戦している。というのはIndosatの長距離電話の営業実績は2001年には682.8百万分で前年にくらべ7.5%も落ち込んでいる。それはVoIP(Voice over Internet Protocol)に食われているためであるという。
実際携帯電話の競争の結果、料金が下がるかどうかはわからない。ちなみに現在インドネシアでは固定電話は650万回線あり、人口220百万人として100人当たり3本にすぎず、一方携帯電話は2001年末には657万セット、2002年末には1000万セットと急増している。
ところが問題はそれにとどまらない。というのはシンガポールのTemasek Holdingsの株式の5.6%をなんとサリム・グループが所有しているのである。最近、インドネシア政府はサリム・グループに対して融和路線を打ち出している。
サリムの中国情報はインドネシア政府にとっても役に立つということのようである。サリムの復権までメガワティ政権が本当にやれるのか、あるいはやるつもりがあるのか疑問である。
このサリム復権シナリオはおそらくメガワティの夫タウフィク・キエマスとラクサマナが描いたものかもしれない。それは多分2004年の選挙資金対策であろう。しかし、国民にそれがバレれば選挙資金は足りたが選挙に負けるということになりかねない。
一方、PDI-Pと組んでいると考えられているゴルカルはスハルトの次男バンバン・トリハトモジョが資金的バック・アップをおこない、勢力(バンバンの)拡大をはかっているという。
ゴルカル自身も党首アクバル・タンジュンが汚職事件で有罪判決を受け、控訴中であるがPDI-Pの失点に助けられて国民の人気を挽回しつつあるという。 ゴルカルの人気が回復すればPDI-Pとの関係は冷却化する可能性がある。
前大統領のグス・ドゥルは「これから必要なのは社会革命である」と称してPDI-Pが失ったスローガンを横取りして、再起を図っている。
メガワティはアチェの独立派との休戦合意以外はスティヨソ・ジャカルタ知事の再選問題、ラフマン検事総長の汚職見逃し問題 、最近の一連の公共料金の値上げ(補助金撤廃)など国民の目に見える形での失点が多すぎる。 だからといってメガワティが直ちに次期大統領選で苦戦に陥るというわけではない。しかし、PDI-Pを取り巻く状況は日に日に悪化している。
今回のIndosat事件はインドネシアの政治歴史のうえで意外に大きな意味を持つ可能性も出てきた。
(03年6月27日) STTに630億ルピアの配当支払い
Indosatは2002年の純利益3,360億ルピアのうち、45%を株主に配当し、残り55%を投資資金として留保することを決定した。
1株当たりの配当金は146ルピアであり、株主のシンガポールのSTT(Singapore Technologies Telemedia)に対して630億ルピアの配当をおこなう。
なお、STTの投資総額は5.6兆ルピアであった。
⇒インドサット売却問題で検察庁はラクサマナを近く取り調べ(04年11月26日)
Detik(インターネット版、11月26日)によると、検察庁は近く、前の国営企業担当国務相ラクサマナ・スカルディを取り調べる方針であるという。
スハルト時代に閉鎖に追い込まれた経験もある雑誌社テンポが3月8日に200人ほどのデモ隊(暴徒)に襲われ、事務所に乱入されたうえ、編集者の1人が負傷させられるという事件が起こった。警察はこれら暴徒を制止することなく傍観していたと言われている。
200人の暴徒を派遣したのはトミー・ウィナタ(Tomy Winata)という華人経営者であり、軍の息のかかったアルタ・グラハ(Artha Graha)グループのオーナーである。
この200人のうちにはアルタ・グラハに雇われている者以外にPDI-P(闘争民社党)の青年行動隊(Banteng Muda Indonesia)のメンバーが加わっていたことに驚かされる。彼らはトミー・ウィナタに食わせてもらっていたのである。
この青年行動隊はメガワティや闘争民主党を護衛するボランティアの団体であるということになっていたが、こういう裏話があったとは知らなかった。しかし、いかにも無原則的実利主義者といわれるタウフィク・キエマスのやりそうなことである。
ことの起こりは週刊誌テンポの3月3日号で、先にジャカルタのタナン・アバンという大繊維製品市場(5,500軒の店が集まっている)が火事で全焼した(2月19日)事件で、トミーがその前からタナン・アバンの再開発計画を当局に提出していたことを報道したのである。
その意味するところは、トミーがタナン・アバン市場に放火をしたのではないかという嫌疑がかけられるということである。それくらいトミーの普段の行いが芳しくないものであったということである。
日本では故意か無知か理由はよくわからないがトミーはスハルト一族などとは関係しない、やり手の若手ビジネス・マンであるなどと紹介するインドネシア通もいて、それを額面どおり信じている人もいる。
しかし、彼は軍の出入り華人で軍から仕事を任されている人物で、裏社会の実力者である。軍から頼まれればデモ隊も組織するし、裏金も提供するといわれていた。彼は他の華人資本家と異なりいわば軍の使用人的存在なのである。
彼が最近話題となったのは、クルージング・ボートを使って海上賭博場を経営し、それに軍のお偉方が参加していたということで警察に追いかけられていたことである。 しかし、トミーは今や警察全体を買収し向かうところ敵無しの観すらある。
また、96年7月にはメガワティが率いるPDI−Pが民主党事務所から追い立てられたときにも、暴力団を使って軍に協力したといわれている。 今や、ジャカルタを仕切る最大の暴力団の大親分である。知事のスティヨソとの繫がりも深いといわれている。
週刊誌テンポの記事で痛いところを突かれたトミーは、手下の暴力団を使って攻撃に出たというところであろう。スハルト時代であればトミーの行動に誰もが泣き寝入りしたであろうが、民主化時代に言論機関を襲ったらタダではすまない。
しかし、例によってメガワティの夫タウフィク・キエマスはつまらないところでトミーに「借り」を作っており、政治的にトミーを攻撃することはできない。
それが判っているのでジャーナリストは本件をメガワティやPDI-Pにはアピールせずに。国民協議会議長のアーミンライスのところに駆け込んだ。国会はトミーとテンポの論説委員を呼んで事情を3月17日に聴取した。
トミーは知らぬ存ぜぬで通したが、このままは終わらない。この聴聞会に先立ち、トミーは委員長はじめ数人の国会議員と事前に秘密裏に打ち合わせをおこなっていたことが露見してしまった。
聴聞会当日は被告席に立たされたのはどちらかといえばテンポの記者であったとのことである。それが事実とすればむちゃくちゃな話しである。インドネシアの政治家達の腐敗ぶりもすさまじいものがある。
一方で 政治家はトミーの巨額の資産に目をつけている。トミーの45歳という年齢を考えれば、一介のチンピラ出身にしては資産が大きすぎる。そのは大半が誰かからの預かりものの公算が強いが、実態は不明である。
本件はメディアを通じて、広く国民に背後関係が明かされてしまった。ここでもメガワティはタウフィクに足を引っ張られる形となった。
トミーにはおそらく民主化という時代感覚が欠落しているのであろう。これを警察が黙っていたらインドネシアの「政治改革」の鼎の軽重が問われる。この事件は 日本では報道されていないようだが、実は大事件なのである。
これはインドネシアの政治状況の実態を反映した事件であり、しかもメガワティと与党PDI-Pはジャーナリストの信用がまるでないことも証明されてしまった。2004年の選挙は既にメガワティは危うい。
103-1.-.闘争民主党大会開催、反メガワティの動き活発化(05年3月30日)
3月28日(月)から5日間の予定でバリ島で野党第1党のPDI=P(闘争民主党)の党大会が開かれている。現職の党首であるメガワティ前大統領が再度党首に立候補しており、このままいくと次の5年間もメガワティが党首としてPDIーPを率いることになる。
2009年には大統領選挙があるが、SBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)に敗れたメガワティが再度、大統領選挙に出ることになる公算が大である。しかし、メガワティが大統領選挙で次回勝つとは思えない。
SBYはスマトラ沖の大地震・大津波という自然災害を何とか乗り切り、彼なりの民主化路線を推し進め、もしかすると国軍を押さえ込むかもしれないという期待を国民に持たせている。ユスフ・カラ副大統領に代表される多くの小悪党も今のところ鳴りを潜めている。
ただし、ゴルカルを与党に強引に引きずり込んだが、主要なイスラム政党が逆にそっぽを向きだし、政権基盤が安定しているわけではない。SBYが一歩間違えばオルバ(スハルト時代)の残党が待って ましたとばかりに、しゃしゃり出てくることは明らかである。
メガワティはSBYの失点を待って、次の選挙に期待するといったところであるが、インドネシア国民は再度メガワティヲ大統領に選ぶほど愚かではないであろう。というのはメガワティの後ろにはタウフィク・キエマスというトンでもハップン的な亭主が依然付いているからである。
このままではPDI−Pはもたないという意識は党員の間から出てくるのは当然である。まともな党員はタウフィクーメガワティ路線で今後もやっていけるなどとは考えていない。ただし、キエマスには金(カネ)があるらし く、PDI−Pは俺たちのものだと考えているようだ。
だから、今回党首選挙をやればメガワティは勝てるであろうが、その結果として、PDI−Pの将来が明るく開けるわけではない。
そこで、党内改革派が何人か現れ、彼らが次第に勢いを得てきたというのが党大会3日目の姿である。その代表格が前の国有企業担当相でPDI−Pきっての切れ者のラクサマナ・スカルディである。若手の行動力ある活動家がラクサマナの もとに結集し始めた。
ラクサマナ以外にメガワティの弟でスカルノの長男のグル・スカルノプトリの名前が挙がっていたが、能力がないということで立ち消えないなった。
また、石油会社MEDCOのオーナーであるアリフィン・パニゴローの名前も挙がっていた。しかし、彼はもともとギナンジャールの子分で、カネモチになった経緯がスッキリせず、しかも元ゴルカルの 幹部党員でもあり、PDI−P生え抜きの活動家からは支持されていない。
103-2.改革派は別に会議を開く−事実上の党分裂(05年3月31日)
PDI−Pはラクサマナがメガワティにはっきりした離縁状を突きつけるという意外な事態に展開しているが、タウフィク・キエマスーメガワティ派がPDI−Pの多数派を占めていて、メガワティが次期党首に再選されることは間違いない。
メガワティ自身はたいした政治的な信条や課題をもって政治家をやっているわけではなく、完全に夫タウフィクの言いなりになっている操り人形的な存在である。PDI−Pはいまやタウフィク対改革派という2大派閥に分裂したと見ることができる。
タウフィクの強みはカネである。メガワティが大統領に在任中にしこたま溜め込んでいるといわれ、それがゆえにPDI−P内での多数派を維持し続けている。一方のラクサマナ改革派はカネという点についてはあまりたいしたことはない。
ラクサマナはシティ・バンクの役員やリッポ銀行の頭取を勤めたことがあるが所詮はサラリーマンである。国営企業担当国務相時代に蓄財のチャンスはあったかも知れないが、それはおそらくPDI−Pのためのものであり、個人の懐をさほど肥やしたとは思われたい。
しかし、SBYの前例もあり、カネだけが全てではないこともまた確かである。ともかくタウフィクの牛耳るPDI−Pは先細りであることは目に見えている。
今回のバリ大会が終わった後にジャカルタで別組織の旗揚げ大会を開き去就を明らからかにするものと思われる。
なお、PDI−Pのなかにはメガワティ支持の行動隊が組織され、彼らはRepdem(Democratic Struggle Volunteers)と称している。この組織は04年12月3日に結成され、若手の党員が可なり入っている。
このなかにはスハルト政権末期の学生運動の活動家であるブディマン・スジャトミコ(Budiman Sujatmiko)が入っている。ブディマンは自ら元民主人民党(Democratic People Party)というインドネシアでは数少ない左翼政党の党首であった。
彼自身は反スハルトを公然と宣言し、活動を続けていたが、1996年に逮捕され13年の刑を言い渡され服役していたが、スハルト政権崩壊により1999年に釈放された。
その後民主人民党の党首として活動を行っていたが 大衆の支持が得られず、イギリスに渡りケンブリッジ大学で哲学の修士号をとって帰国し、いつの間にかPDI-Pに入りRepdemの幹部に納まっている。
Repdemのボスに選ばれた人物はこれまた有名な学生運動の活動家であったベアトール・スルヤディ(Beathor Suryadi)である。彼は1990年に逮捕され4年半の禁固刑に処せられた経験を持つ。
そのほかにもBambang SubunoとかAfnan Malayといった著名な学生運動の元リーダーが入っている。彼らはキエマスに心服しているというよりは一応食わせてもらってと見たほうが良いであろう。
RepdemはPDI-Pについてバラ色の将来像を描いており、次の選挙では大幅な躍進が可能であると見ている。彼らはラクサマより10年以上若く30歳前後であり、ポスト・メガワティを狙える立場にある。そういう意味でもタウフィクに付き合っていても損はないと考えているのかもしれない。
肝心のPDI-Pの執行部はタウフィクとプラモノ・アグン(Pranomo Agun)とパンダ・ナババン(Panda Nababan)やチャホ・クムロ(Tjaho Kumlo)などが握ることになろう。しかし、ラクサマナ・グループに抜けられた後の空白はあまりにも大きい。
古手の幹部のクイック・キアン・ギーは去就を明らかにしていないが、タウフィクにもついていく気はしないし、かといってラクサマナと何か一緒にやる気もしない(仲が悪い)。当面党内にとどまって「改革派」や「中間派」の引止め役でもやるほかないであろう。
103-3.メガワティを党首に再選、改革派はソッポ(05年4月1日)
3月31日に予定より2日早く党首選挙が行われ、改革派は投票に参加を認められないまま,「満場一致」でメガワティが党首に再選された。というのはメガワティ以外に立候補者はいなかった (排除した)からである。
党大会運営委員会は、選挙に先立ち立候補者は25%以上の推薦者を事前に獲得しなければならないとして対立候補を事実上締め出してしまった。闘争民主党は自ら民主主義を否定するような党運営をやってしまったことになる。
ついで党執行部のメンバーの発表があったが書記長にはプラノモ・アグンが選出された。プラノモはPDI-Pの3悪人(クイック・キアン・ギー曰く)のひとりでありタウフィクの代理人である。その他の人事でも改革派は排除された。
ただし、一時改革派に名を連ねたメガワティの弟グルは副党首と教育文化委員長のポストを与えられて執行部に残った。 なさけない人物であるとしかいいようがない。あるのは保身だけである。
この人事によってPDI-Pは完全にタウフィクーメガワティの私党に変質してしまった。これで実質的にPDI-Pの運命は終わりである。 また、当然のことながら金の切れ目が縁の切れ目である。
これからは改革派がどういう動きをしていくかが注目される。おそらくラクサマナは新党を作ることになるのではないかと思われる。
103-4. 改革派幹部12名を除名、PDI-Pの終りの始まり(05年5月12日)
PDI-Pは執行部からラクサマナなどの従来PDI-Pを支えてきた幹部で「改革」を要求するグループを排除してきたが、5月10日(火)正式にこれら12名の改革派幹部を除名してしまった。
ラクサマナ・スカルディ(Laksamana Sukardi=前国営企業担当国務相)、アリフィン・パニゴロー(Arifin Panigoro=石油会社MEDCOグループのオーナー)、Sophan Sophiaan, Roy B.B. Janisなど12名の古参党員である。
彼らは3月31日の「党大会の決定」を無効として南ジャカルタ地裁に提訴中であり、その判決が出るまで執行委員会そのものの地位が確定せず、したがって今回の執行委員会の決議も効力を持たないとしている。
しかし、改革派12名は既にメガワティ(とその夫タウフィク)指導の下ではPDI-Pは将来が無いとして改革を訴えてきたグループであり、日々党勢が劣化していくPDI-Pに残るつもりは無いであろう。
態度を明らかにしていない古参党員のクイック・キアン・ギーもこのままではPDI-Pは2009年選挙で惨敗を喫することは確実であるとしてメガワティ執行部に態度の変更を求めているが、メガワティの夫キエマスには何を言っても通じない。
確かにPDI-Pはまともなスタッフが残っておらず、タウフィクの蓄財資金にぶら下がって存続を続けるだけでクイック・キアン・ギーのいうとおりになることは間違いない。
一方、改革派12名は資金は持っており、新党を結成することはできるが、地方組織が無い状態であり、PDI-Pの党員を大量に取り込むという骨の折れる仕事が残っている。
また、アリフィン・パニゴローはMEDCOのオーナーであるが、もともとゴルカルであり、ギアンンジャールの子分であった人物であり、ラクサマほど国民的人気が高いわけではない。この2人の主導権争いもやがて課題になるであろう。
103-5. 改革派ラクサマナを中心に民主改革党結成(05年12月2日)
メガワティと夫タウフィク・キエマスのグループからPDI-P(闘争民主党)を追われたラクサマナ・スカルディ等の「改革派」グループは「民主改革党」(PDP=Partai Demokrasi Pembaruan=Democratic Refirm Party)を12月1日付けで結成した。
ロイ・ジェニス(Roy B.B. Jenis)が執行委員会議長にラクサマナが幹事長(Cordinator)に就任した。執行委員会は32名で構成される。
党幹部にはこの2人以外にアリフィン・パニゴロ(Arifin Panigoro)、スコワルヨ(Sukowaluyo Mintohahardjo),ムフタール・ブフォリ(Muchtar Buchori)、ソパン(Sophan Sophiaan)などの大物が名を連ねている。
また、最大のイスラム組織からも支持者が出ている。具体的にはAbdul Kholik Ahmad, Faturachman, Tari Siwi Utaniの3名が執行委員会メンバーとなっているのが注目される。
PDI−Pにとっては同党の屋台骨を支えてきた実力派幹部が新党を結成した形になり、最大のライバルが出現したことになる。
スコワルヨが党員を代表して結党宣言を読み上げ「インドネシア独立の原点である、スカルノ精神に基づく真の民主主義の実現を目指す」としている。
また、PDPは他のスカルノ主義者にも参加を呼びかけていくとしている。スカルノ精神を党の基本としている政党は、PNBK(Freedom Bull Nationalist Party=党首Eros Djarot),Pioneer Party(党首ラフマワティ=メガワティの妹), Indonesia Marhaenist Party(マルハエン主義国民党=スカルノの大衆主義を標榜する政党、党首スクマワティ=メガワティの妹)がある。
PDPの支持基盤を広げることが当面の課題となるが、PDI-Pの地方活動家もかなり新党に参加する可能性が高い。 これでメガワティの2009年大統領選での当選の目はほぼ完全に消失した。