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IBRA/BLBI
164.BLBI被疑者ヌルサリムの代理人、検察官買収容疑で5年の禁錮計(08年8月1日)
163. インドネシア検察庁、BLBI問題でサリム・グループを再度取り調べ(07年12月13日)
108-2.スハルト・ファミリー企業にも疑惑
(05年5月23日)
67.IBRA悲喜劇のうちに6年間の幕を閉じる(04年3月1日
60. シンガポールのタマセク、インドネシアの主要民間銀行支配を目指す(04年2月11日)
63. IBRA所有のBahana の約束手形2.9兆ルピアを3,680億ルピアで売却(04年2月24日)
48. バンク・インターナショナル・インドネシアの買い手にダイム・ザイヌディンが参加(03年11月6日)
32. BLBIの後始末は国民の税金で(03年7月6日)
25. BLBI事件で元インドネシア銀行理事に実刑判決(03年4月3日)
1997−98年の通貨危機・経済危機のときに、スハルト大統領の指示により、インドネシア銀行は48の銀行に対して、「取り付け」騒動を防ぐことを目的に144.5兆ルピアの資金援助をやらせた。
これはBLBI(Bank Indonesia Liquidity Assistance=インドネシア銀行流動性支援)計画と言われるものである。後の会計検査院の調査では、この資金資金の95%は民間銀行(大半が華人系)によって、ドル買いなどの投機にまわされたという。
しかも、その多くが焦げ付きとなり、一部しか回収できないことが明らかになった。ただし、個々の貸付にはインドネシア銀行の事務局が関与しており、そこに大きな疑惑が残されていて、現在でも幹部がしばしば検察庁に呼ばれて取調べを受けている。
今回の事件は、インドネシア銀行の元理事のヘンドロ・ブディアント(Hendoro Budianto73才)が担当した9.793兆ルピア(11億ドル)の融資に関して、注意義務を怠ったとして、中央ジャカルタ地裁から禁固3年の実刑判決を受けた (求刑は6年)。
ヘンドロは健全な銀行にのみ特別融資をおこなうようにという大統領令に反して、倒産してしまったBDNIやBank Modernなどの不健全な18の銀行に融資をしてしまったというのが、主な罪状である。
しかし、考えてみれば当時まともな銀行などほとんど実在しなかったのである。
ヘンドロはこれらの怪しい融資に対してワイロをとっていたのではないかという疑惑は、証拠不十分で不問に付された。しかし、彼が所有している3台の自動車は没収された。
ヘンドロ以外にもHeru Suprapyomo とPaul Sutopoの2人の元理事も裁判にかけられている。
また、当時インドネシア銀行の総裁であったスドラジャド・ジワンドノもBLBI資金9兆ルピアを不適正融資した罪により、近く送検されるという。
スハルト政権末期の経済的混乱のなかで、預金者を救済するという名目で、インドネシア銀行(中央銀行)は民間銀行48行に緊急融資をおこなった。これは銀行への「取り付け騒ぎ」を回避する目的でスハルトの支持によっておこなわれたものである。
それがBLBI(Bank Indonesia Liquidity Support=インドネシア銀行流動性支援)と呼ばれるものであり、1997〜99年にかけて総額144.5兆ルピアに達した。 なお、政府機関による金融機関全体への支援融資総額は合計で457兆ルピアであったといわれる。
しかし、その後会計検査院(BPK)で調べたところ、そのBLBI融資のほとんど(138兆ルピア)が為替取引などに目的外流用されていること、判明した。
また、その緊急融資も、担保はIBRA(インドネシア銀行再建庁)が集中管理し、売却をおこなってきたが、帳簿価格と実売価格との乖離が著しく、インドネシア銀行は巨額の損失をこうむる羽目に陥った。
INDEF(Institute for Development of Economics and Finance=経済・金融開発研究所)の調査によればIBRAの 回収実績は16〜17%に過ぎないといわれる。すなわち、金利は別として120兆ルピア(約1兆7,350億円)の損害になると見られている。
いわなれば、経済危機の混乱状態のどさくさにまぎれてスハルト政権は華人資本(一部プリブミ=インドネシア資本も含まれるが)やスハルト一族に大きなプレゼントを与えた結果になった。
インドネシア銀行は自己責任分として24.5兆ルピアを負担するが、残り(額は未確定)はIBRA(実質は国家予算)で面倒を見て欲しいと要望してきた。
国会は、BLBIはインドネシア銀行法違反である当初その要求を全面的に拒否してきたが、最近になって態度を軟化させ、取り急ぎ損害の詳細な内容を30日以内にはっきりさせるように、当事者に命じた。
その上で、おそらく中央銀行と政府との間で処理方法が検討されることになる。
実害を与えた華人資本は、依然としてインドネシアでビジネスをしたり、シンガポールで優雅な暮らしをしたり、悠々としている。また、IBRAが差し押さえている自分の担保物権を市場で安値で買い戻そうとして虎視耽々として狙っている。
国会の軟化姿勢に対して、会計検査院は依然強い異議を唱えている。
債務者は政治家を買収して、何とか難を逃れ、またインドネシアで一儲けしようという意図ははっきりしており、この問題の「政治決着」いかんによってはメガワティの再選は絶望となりかねない。
48. バンク・インターナショナル・インドネシアの買い手にダイム・ザイヌディンが参加(03年11月6日)
インドネシア政府所有のBII(Bank International Indonesia)の株式51%はシンガポールの国営企業群の持株会社テマセク・ホールディング(Temasek Holding)と韓国の国民銀行 およびイギリスのバークレー銀行のコンソーシアムに売却される見込みである。
ところが、このコンソーシアムに思いがけない参加者が現れた。それはスイスのジュネーブに本社を置くICWグループであり、そのオーナーはマハティールの右腕として数々の疑惑を持たれ2001年に財務相の地位を追われたダイム・ザイヌディンなのである。
ダイムはタマセクに欠けている「企業家精神」を持っているなどと、マラヤ大学のテレンス・ゴメス教授は持ち上げているが、そんなセリフを信じるマレーシア人は少ないであろう。
テマセク社は先ごろもインドサット買収で大いに物議をかもしたが、今度は背後にダイム・ザイムディンという大物疑惑人物がいたということになるとBIIをこのコンソーシアムに売却したIBRA(インドネシア銀行再生庁)とそれを監督しているラクサマナ国務相の立場は微妙なものとなろう。
IBRAは10月におこなわれた、入札でパニン(Panin)・グループより入札価格の低かったSorak Financial Pte. Ltd consorthium(テマセクと国民銀行の合弁)を売却先に選んだ。Sorakの出した買収価格は約2億2500万ドルと見られる。
Sorakの入札価格は1株当たり78ルピアでパニンは90ルピアであったとのことである(10月29日付け、Bisnis Indonesia)。しかし、Sorakの法がBII経営に対するビジネス・プラン(具体的に何を指すかは不明)が優れているため、Sorakを選んだということである。
傍から見ていても何のことかわからないが、ダイム・ザイヌディンの名前が出てきてはじめて、この取引が「政治色」の強いものであったのではないかという疑惑が出てくる。
なお、このBIIはシナル・マス・グループ(ウイジャヤ一族)の持ち物であったが、通過・経済危機の際、借金の担保としてIBRAに資産を移されたものである。
なおIBRAはBIIの株式20%を引き続き保有しているが、いずれ時機を見て売却するという。
63. IBRA所有のBahana の約束手形2.9兆ルピアを3,680億ルピアで売却(04年2月24日)
IBRA(インドネシア銀行債県庁)が所有していたPT. Bahana Pembinaan Usaha Indonesiaの2.9兆ルピアの資産(10年年賦の約束手形)が、国営企業担当相ラクサマナの承認を得て、PT. Teknologi Nasional Indonesia(TNI)にわずか3,680億ルピアで売却された。
回収率はわずかに12.7%である。(現在1万ルピア=128円)2.9兆ルピア=371.2億円、3680億ルピア=47.1億円。
これは3ヶ月前にIBRAが行った「入札」でTNI社が1番札を入れて落札したものであるが、もしBahanaがTNI社に負債を支払わなければBahanaは破産宣告され、清算される可能性 もあった。
しかし、実際はそうはならなかった。このTNI社というのは実はトンネル会社としてしか機能していない「幽霊会社」に等しかったのである。その辺のカラクリを週刊誌テンポは最新号で見事に暴いている。 (http://www.tempo.co.id/ Feb24-Mar1 ,2004 参照)
このBahanaというのは政府系金融機関であり、過去にもさまざまなスキャンダルの渦中にあった。Bahanaはインドネシア銀行への債務が支払えず、上記の約束手形をIBRAに差し出していた。
ところが、このBahanaには大物の債務者がいた。主な顔ぶれは、@プラヨゴ・パンゲツ(バリトー・グループで木材財閥、チャンドラ・アスリのオーナー)、AモハマドS. ヒダヤト(Hidayat− 不動産王で2月22日にインドネシア商工会議所会頭に選ばれた。ゴルカルの会計部長)、BPeter Sondakh、CAgus Anwarであり、4人の債務は3兆ルピアである。
TNI社は203年2月に設立され、事務所はテンポ襲撃事件の首謀者として悪名高いトミー・ウィナタのアルタグラハ・ビルにあり、事実上のワンマン・オフィスである。そもそもこんな怪しげな会社にBahanの手形を引き渡すとはIBRAも異常なことをやったものである。
しかし、それは政治的取引であったことが明らかになる。
テンポの記者はゴルカルの幹部ヒダヤトにインタビューすると、そこで、この取引はTNI社に1%足らずの口銭を渡して、Bahanaの手形を買い取り、それをBahanaに持ち込み、借金を棒引きしてもらうという内幕が暴露されてしまう。
この取引で、BahanaもIBRAへの債務が解消され、プラヨゴ・パンゲツ以下のBahanaの主要債務者も借金を83%も値引きしてもらって、返済することにより「身ぎれい」になれるという幸せな物語である。
しかし、不幸せな人物が存在する。それはインドネシア国民である。IBRAの安売りの付けはインドネシア政府に回ってくる。それはインドネシア国民の負担になるという筋書きである。
このシナリオを仕組んだのは誰であろうか?ラクサマナはいやいやこの話に乗ったに過ぎないであろう。ゴルカルにはこんなことを仕組む実力は既にない。とすれば主役は誰であろうか?
それは読者のご想像にお任せしたい。
60. シンガポールのタマセク、インドネシアの主要民間銀行支配を目指す(04年2月11日)
シンガポールの国営持ち株投資会社タマセク(Tamasek Holding)はインドネシアの有力銀行BNI(#48 BIIの記事参照)の51%の株式(IBRA所有)の買収に成功する可能性が高まっているという。
そのことに対する危機感が現在の経営陣や議会にも高まり、改めてメガワティ大統領やラクサマナ国営企業担当相の政治姿勢が問われる可能性が出てきた。
タマセクは既にバンク・ダナモンとバンク・インターナショナル・インドネシアを実質的に支配下に置き、さらにバンク・ネガラ・インドネシアも買収しようとしている。
またインドサットの買収にも成功し、インドネシアの通信事業や金融機関の良い部分を押さえようとしているという非難が出てきている。
確かに、今までの一連のIBRA資産の売却方針をみればシンガポールのタマセクに優良部分が優先的に売却されてきたことは間違いない。
67. IBRA悲喜劇のうちに6年間の幕を閉じる(04年3月1日)
IBRA(Indonesian Banking Restructuring Agency=インドネシア銀行再建庁)は通貨・経済機の真っ最中の1989年2月にIMFの構想に基づき設立さ、今年2月27日に予定通り解散された。 残りの業務はPT PPA(Asset Management Company)に引き継がれる。
インドネシア語ではBPPN(Badan Penyehatan Perbankan Nasional) として知られていた。インドネシアの主要紙の経済欄にBPPNの文字が出ない日はめったになかった。Penyehatanという意味は「健全化」ということである。
通貨・経済危機でガタガタになったインドネシアの銀行機関を再建するのが目的であった。
政府は71の破綻銀行の処理をIBRAに託した。また、政府機関が保有する372,930件の不良債権(340兆7200億ルピア=約400億ドル)と他の不良資産360兆ルピアを引き取った。
それらは額面の数字であり、実際価値ははるかに低く、法的にも問題のある物件が少なくなかった。
しかし、IBRAはたとえ額面上とはいえ合計770兆ルピアを超える資産を保有する一大政府機関になってしまい、その処分権はインドネシアの歴史上最大のものであった。
当然、IBRAにはさまざまな政治勢力、悪徳ビジネスマン、悪党どもが群がり、利益をむさぼろうとした。その中で最も悪辣なのはIBRAに差し押さえられた自分の会社の資産をIBRAから、あるいは市場から安値で買い戻そうという動きである。
うまく安値で買い戻せれば、差額は「借金」を負けてもらったと同じ結果になるのである。
結果的にIBRAは差し押さえ資産の売却によって簿価に対して28%しか資金を回収できなかった。残りの72%は国民の税金から支払われることになる。
IBRAが解散になっても1,128件の訴訟中の案件が残っており、金額にして25兆ルピア、債務者の数は447名が未解決である。
未解決の主要なビジネスマンの名前が公表された。次の4名は解決に非協力的であると名指されている人たちである。
@Kaharuddin Ongko; 3兆4,800億ルピア、A Samadikun Hartono;2兆6,630億ルピア、B Trijono Gondokusumo(PSP Bank);3兆ルピア、CAgus Anwar;7,000億ルピア。
また、IBRAへの債務28.4兆ルピアを完済したといわれるSjamsul Nursalim 関連の書類が警察と検察庁に届いておらず、Nursalimの所有するPT Gajah Tunggal Mas(タイヤ・メーカーで上場企業)とPT GT Petrochem Industries のGaribaldi Venture Fundへの売却は凍結されているという。
IBRAはNursalimの11兆ルピアの抵当として受け取った資産をGaribardiに1.83兆ルピアで売る格好にして現金を受け取ることになっているが、Garibardiは即金での支払いはできないといっているという。
GaribardiはPTGaja Tunggal Masの株式78%とPT GT Petrochem Industriesの株式20.4%を受け取るという。これはIBRAの典型的な資産処理のやり方である。 (http://www.bisnis.com/ 04年3月2日参照)
IBRAの資産売却については終始一貫汚職の臭いが付きまとっていたといっても過言でないであろう。
108-2.スハルト・ファミリー企業にも疑惑 (05年5月23日)
検察庁はマンディリ銀行が1997.98年の通貨・経済危機以降の不正融資疑惑28件(総額13億ドル)中の4件について正式な調査を開始した。そのなかには元スハルト大統領の女婿で軍の特殊部隊の司令官を務めていたプラボオ元中将が所有するパルプ会社キアニス・ケルタス社(PT. Kiani Kertas)も含まれているという。
PT.KIani Kertasはスハルトのクローニー(お仲間)であるボブ・ハッサン(現在服役中)が所有していた会社であるが、通貨・経済危機時に破綻をきたし、2億ドルの融資をマンディリ銀行から棒引きしてもらって再建をはたし、現在はプラボオの所有になっているという。
検察庁次長のヘンダルマン・スパンジ(Hendarman Supandji)がマンディリ銀行関係の捜査を指揮しており、スパンジ次長はキアニス社については汚職の疑惑があると明言している。
通貨危機時には多くの企業が破綻し、BLBI(インドネシア銀行流動性支援基金=Bank Indonesia Liquidity Support Fund)に救済を求め、総額144兆5千億ルピア(153億ドル)の緊急融資がなされた。その資金の95%が不正な融資であったということがその後の会計検査院明らかにされた。
緊急融資に際しては各企業は株式資産などの「担保」を提出していたが、内容が不十分なものがほとんどであり、事実上踏み倒されたケースが少なくなかった。この融資計画を実施したのはスハルト政権であり、後に個別の処理に当たったのがグス・ドゥル政権とメガワティ政権であった。
マンディリ銀行の融資疑惑のうちユスフ・カラ副大統領の親族が経営するセメン・ボサワ(Semen Bosawa =セメント会社)とバクリー経済調整相の息子が経営するバクリー・テレコム(Bakrie Telekom)については一応、疑惑は晴れたとされている。(借入金は返すということか?)
これとは別に現在会計検査院は国営年金基金のジャムソステク(Jamsostek)が行っている貸付のうち、ユスフ・カラ副大統領のファミリー・ビジネスであるブカカ(Bukaka)グループ他への調査を行っている。
(FT インターネット版、5月23日付、参照)
163. インドネシア検察庁、BLBI問題でサリム・グループを再度取り調べ(07年12月13日)
1997−98年の通貨危機・経済危機のときに、スハルト大統領の指示により、インドネシア銀行は48の銀行に対して、「取り付け」騒動を防ぐことを目的に144.5兆ルピアの資金援助をやらせた。
これはBLBI(Bank Indonesia Liquidity Assistance=インドネシア銀行流動性支援)計画と言われるものである。後の会計検査院の調査では、この資金資金の95%は民間銀行(大半が華人系)によって、ドル買いなどの投機にまわされたという。
しかも、その多くが焦げ付きとなり、一部しか回収できなかった。
スハルトの最大の華人クローニー(取り巻き)であったサリム・グループも傘下の銀行BCA(Bank Central Asia)が救済の対象になり、巨額の融資を受けた。
その後、サリムは52兆ルピア(≒6,600億円)の担保をIBRA(Indonesian Bank Restructuring Agency=インドネシア銀行再建庁) 差し出し、インドネシア銀行からの借り入れは返済したと称していた。
しかし、その後の監査で、担保の価値は23兆ルピアしかなく、それを売却したらさらに19兆ルピアしか回収できなかった。回収率は36.5%であり、33兆ルピア(≒3,950億円)は国民が負担させられたことになる。
一方、サリムはインド・フードという世界最大のインスタント・ヌードルの会社を自分の資産として温存し、インドネシア国内で隆々と ビジネスを継続し膨大な利益を上げている。香港ではファースト・パシフィックという持株会社がフィリピンで長距離電話会社(PLDT)に出資し、これまた 巨額の利益を上げている。
一体どうなっているのだという疑問は誰しも持つところであり、インドネシア検察庁はBLBIの処理をめぐってサリム・グループに限らず、スハルト・ファミリーを含め、全面的に再調査に乗り出すことになった。
検察庁は12月11日(火)にはサリム財閥の2代目アンソニー・サリム(Anthony Salim)を検察庁に出頭させ、取調べをおこなった。また、この問題の責任者であったリザル・ラムリ(Rizal Ramli)元経済調整相(グス・ドゥル政権)も同じ日に取調べを受けている。
なお、INDEF(Institute for Development of Economics and Finance=経済・金融開発研究所)の調査によればIBRAの 回収実績は16〜17%に過ぎないといわれる。すなわち、金利は別として120兆ルピア(約1兆4,400億円)の損害(最終的には国民の負担)になると見られている。
164.BLBI被疑者ヌルサリムの代理人、検察官買収容疑で5年の禁錮計(08年8月1日)
インドネシアにとって1997−98年の通貨・経済危機は10年後の今日も終わっていない。それはスハルトの政権末期におこなった最大の暴挙とも言うべきBLBI(Bank Indonesia Liquidity
Assistance=インドネシア銀行流動性支援)計画の後始末が未だについていないからである。
114.5兆ルピアという莫大な資金が経済危機におちいった大手銀行・企業に貸し付けられたが、その中でスジャムスル・ヌルサリム(Sjamsul Nursalim)のケースについて検察庁が証拠不十分として不起訴処分に持ち込むようにヌルサリムの代理人が工作していた。
ヌルサリムの事犯を担当していたウリップ・トリ・グナワン(Urip Tri Gunawan)検事が2008年3月2日にヌルサリムの代理人と思しきアルタリタ・スルヤニ(Artalyta
Suruyani)女性から66万ドルの現金を受け取っていたことが発覚した。
ヌルサリムは08年2月29日に1件BLBIがらみの事件について「不起訴処分」を受けていた。そのわずか2日後にKPK(the Corruption
Eradiation Commission=汚職撲滅委員会)がウリップとアルタリアを逮捕したのである。
アルタリアは66万ドルのカネはウリップが経営している自動車修理工場への融資金だと主張したが「汚職裁判所」はその主張を退け、アルタリアに5年の禁固刑と罰金2億5000万ルピア(≒90万円)を申し渡した。
実はKPKは2007年12月からウリップとアルタリアの電話交信を44回盗聴していて、その中で融資の話しは一度も出てこなかったという。
ウリップ検事以外にもこの買収事件に関与した疑いで特別犯罪担当の検察庁次長のケマス・ヤハ・ラフマン(Kemas Yaha Rahman) と特別犯罪局長のムハマド・サドリ(Muhammad
Salim)が解任され、さらに08年6月にはアルタリアと「連絡をとった」ことを認めウントン・ウジ・サントソ(Untung Udji Santoso)検察庁次長が辞任している。
このようにインドネシアの司法は検察も判事も汚職に手を染める人物が未だにかなり多いことは注目に値する。この辺の大掃除と改革がおこなわれない限り、インドネシアの将来は以前くらいものがあるといえよう。1945年8月17日の独立宣言の精神は国のエリートの中の不心得者によってかき消されてしまったかの如しである。
ちなみに、アルタリアはスジャムスル・ヌルサリムとは知己であるが彼のために工作したことは否定している。ヌルサリムはシンガポールに逃亡して巨額の借金を踏み倒したまま姿を現さない。インドネシアとシンガポールとの間には「犯人引渡し協定」が存在しないため、シンガポールは悪徳華僑にとって安全な隠れ家となっている。
また、奇妙なことにアルタリアの「応援団」が300人近く裁判所に詰めかけ、彼女にエールを送っていたという。
本件に対する捜査のやり直しを要求する声は高まっているがインドネシア検察庁は目下のところ沈黙しているという。