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ゴルカル

97-1.ゴルカルの党大会始まる、ユスフ・カラが党首に立候補(04年12月16日)

97-3.アクバル・タンジュン敗北、ユスフ・カラがゴルカル党首に(04年12月19日)

⇒ゴルカルの与党化は政権基盤安定を意味しない(04年12月21日)

18.Indosat 売却問題がこじれ、政争の具に(2003年1月4日)


18.Indosat 売却問題がこじれ、政争の具に(2003年1月4日)

昨年末インドネシア政府は国営海外電話通信会社(上場)Indosat(PT Indonesia Satellite Corporation)の持ち株41.9%をシンガポールの国営通信会社(STT=Singapore Technologies Telemedia) に売却した。

売却金額は1株当たり12,950ルピアといわれ、市場価格の8,600ルピアよりも50.6%もの高値の取引であり、総額5.6兆ルピアであったといわれる 。この売却の結果インドネシア政府の持ち株はわずかに15%になる。

しかい実際国庫に入った額は5.2兆ルピアであったという説が出ている。差額の4,000億ルピアはグス・ドゥル前大統領にいわせればPDI-P(闘争民主党)の政治資金となって流れ込んだということである。おそらくこれは内部告発がなされた可能性がある。

しかし、最新情報(1月4日detik.com)によると総額608.414百万ドルのうち25百万ドルがCitibankのエスクロー(中立第3者保護預かり)口座に入ったまま、インドネシア銀行への送金が遅れていたとのことであり、もしそうだとすれば金銭的不正はラクサマナにはなかったことになる。

Indosatの株はSTTに売ったということであるが、実は直接の買い手はICL(Indonesian Communication Ltd)というタックス・ヘブン(低税金地域)のモリシアスにあるSPV(Special Purpose Vehicles=特殊目的企業)である。

ICLの素性についてはモリシアス政府は明らかにしないため、本当の買主は誰かはわからない。しかし、インドネシア政府はICLはSTTが100%所有しており問題ないといっている。

もともとインドネシア政府はIMFが何といおうと国営企業を悪徳華人資本家にだけは売りたくない事情がある。国民感情もそれを許さない。

インドネシアではスハルトのクローニーとして大もうけをした挙句、97・98年の経済危機に際して巨額資金をシンガポールなどに持ち出し(資本逃避)し、IBRA(インドネシア銀行再建庁)に差し押さえられている自分の企業を安値で買い戻すことを狙っている華人資本家は少なくない。

したがって、素性の正しくない買い手に保有資産を売らないという「大原則」を維持しているのである。そういう意味ではタックス・ヘブン地域にある企業には売るべきではなかったのである。これをやったことで政府は「痛くない(?)腹を探られる」ことになったのである。

前に売却したBCA(Bank Central Asia=サリム・グループの銀行)の買収相手先のFarallon Capital グループもモリシャスのSPVであるFarindo Holdings を使っている。このなかにサリム資本が入り込んでいないという保証はない。

これらの売却劇の舞台監督は国有企業担当相のラクサマナ・スカルディである。 ラクサマナにいわせれば2002年度の国家予算には6.5兆ルピアの国営企業売却が織り込まれており、しかも10月のバリ島爆弾事件で外資から敬遠されている環境下で努力してようやく買い手を見つけたということであろう。

国民協議会議長のアーミン・ライスは国営企業を外国人に売却することに原則的に反対する立場から直接名指しをしないまでもラクサマナを「外国資本の代理人」として批判した。これに激怒したラクサマナは アーミン・ライスを名誉毀損罪で警察に告発した。

しかし、ラクサマナの所属するPDI-Pの選挙資金(2004年の大統領選挙)に怪しげなマネーが流れたという噂が広まり、ラクサマナは苦境に立たされている。 アーミン・ライスは自ら大統領選挙に出馬する意向もあり、ここぞとばかり攻撃にでており、「ラクサマナを地の果てまでも追い詰める」といきまいている。

国営企業売却反対論者の先鋒であるクイック・キアン・ギー経済企画庁長官はなぜか沈黙を守っている。ことによるとPDI-Pに必要な資金が入ってきたためかも知れない(真相は藪の中)。

Indosatの従業員は売却反対運動を起こしており、大方の世論も彼らを支持している。Indosatの従業員には売却話の出る直前に前触れもなく1か月分の臨時ボーナスが支給され、ボーナス袋には「Transformation Incentive」(変革のためのインセンティブ)と書かれていたそうである。

シンガポールの国営企業管理会社タマセク(Temasek Holdings=社長はリー・シェン・ロン副首相夫人のホー・チン夫人=Ho Ching)がTelemedia 社とSingTel社を支配下においており、インドネシアにおいて既にPT Telekomunikasi Seluler(Telkomsel)の株式35%を所有している。同社はインドネシアの携帯電話の50%以上のシェアを保有している。

Indosat はTelemedia(シンガポール)によって株式の42%を所有されることになったが、インドネシアにおいては子会社PT Satelindoという第2位の携帯電話会社の親会社である。 ちなみに2001年末の3大携帯電話会社の加盟者数の社別内訳はTelkomsel=325万件、Satelindo=176万件、Excelcom=122万件である。

今回のIndosat買収により、シンガポール政府がインドネシアの携帯電話市場に広範な顔出しができる形になる。しかし、インドネシア政府の考え方は、現在圧倒的な携帯電話市場を支配しているTelkomselに対し て依然65%の株式を所有しておりシンガポールに支配されることはない。

さらにIndosat(Satelindo)が有力な競争相手として成長(シンガポールの力を借りて)してくれば、競争が激化し、かえって電話料金が下がるのではないかということである。

長距離電話会社としてのIndosatは経営的には苦戦している。というのはIndosatの長距離電話の営業実績は2001年には682.8百万分で前年にくらべ7.5%も落ち込んでいる。それはVoIP(Voice over Internet Protocol)に食われているためであるという。

実際携帯電話の競争の結果、料金が下がるかどうかはわからない。ちなみに現在インドネシアでは固定電話は650万回線あり、人口220百万人として100人当たり3本にすぎず、一方携帯電話は2001年末には657万セット、2002年末には1000万セットと急増している。

ところが問題はそれにとどまらない。というのはシンガポールのTemasek Holdingsの株式の5.6%をなんとサリム・グループが所有しているのである。最近、インドネシア政府はサリム・グループに対して融和路線を打ち出している。

サリムの中国情報はインドネシア政府にとっても役に立つということのようである。サリムの復権までメガワティ政権が本当にやれるのか、あるいはやるつもりがあるのか疑問である。

このサリム復権シナリオはおそらくメガワティの夫タウフィク・キエマスとラクサマナが描いたものかもしれない。それは多分2004年の選挙資金対策であろう。しかし、国民にそれがバレれば選挙資金は足りたが選挙に負けるということになりかねない。

一方、PDI-Pと組んでいると考えられているゴルカルはスハルトの次男バンバン・トリハトモジョが資金的バック・アップをおこない、勢力(バンバンの)拡大をはかっているという。

ゴルカル自身も党首アクバル・タンジュンが汚職事件で有罪判決を受け、控訴中であるがPDI-Pの失点に助けられて国民の人気を挽回しつつあるという。 ゴルカルの人気が回復すればPDI-Pとの関係は冷却化する可能性がある。

前大統領のグス・ドゥルは「これから必要なのは社会革命である」と称してPDI-Pが失ったスローガンを横取りして、再起を図っている。

メガワティはアチェの独立派との休戦合意以外はスティヨソ・ジャカルタ知事の再選問題、ラフマン検事総長の汚職見逃し問題 、最近の一連の公共料金の値上げ(補助金撤廃)など国民の目に見える形での失点が多すぎる。 だからといってメガワティが直ちに次期大統領選で苦戦に陥るというわけではない。しかし、PDI-Pを取り巻く状況は日に日に悪化している。

今回のIndosat事件はインドネシアの政治歴史のうえで意外に大きな意味を持つ可能性も出てきた。


97. ゴルカル党

97-1.ゴルカルの党大会始まる、ユスフ・カラが党首に立候補(04年12月16日)

12月15日から20日までの予定で第1党のゴルカルの党大会が始まった。最大の焦点は次期の党首に誰が選ばれるかである。同党には目立った綱領などというものはない。民主主義実現に向けて・・・などと考えている党員はあまりいない。

立候補しているのは現在の党首アクバル・タンジュンと副大統領のユスフ・カラと元国軍司令官のウィラントと女性国会議員のマルワ・ダウドである。

当初はユスフ・カラは立候補する予定はなかったがSBY大統領の強い勧めがあって立候補に踏み切ったものと見られる。ユスフ・カラが出てくる前は、国会議長のアグン・ラクソノと実業家(メディア関係)のスルヤ・パロが立候補していた。

しかし、この2人はユスフ・カラが立候補の意思を示すや、立候補を取り下げ、ユスフ・カラと組むことにした。この2人は立候補しても最初から勝ち目はなく、他の「勝ち馬」に乗ることは最初から予想されていた。

特に、アグン・ラクソノはアクバル・タンジュンのおかげで国会議長にしてもらいながら、党大会でアクバル・タンジュンに弓を引くという行動に出たことはいささか問題ではあるが、これがゴルカルの体質である。何よりも個人の利益が優先される。

ウィラントも実際のところ勝ち目は薄い。彼は東チモール問題などで、国際的に悪名をとどろかせており、米国政府はウィラントを極度に忌避しているという。そうなると、アクバル・タンジュンとユスフ・カラとの事実上の一騎打ちとなる。

ゴルカルをスハルト政権崩壊後立ち直らせてきたのは、いうまでもなくアクバル・タンジュンである。しかし、スハルト体制の下に、与党として君臨してきたゴルカルには、相当問題のある人物がウヨウヨしている。

彼らに対し、ゴルカル改革を行ってきたアクバル・タンジュンとその仲間は「ゴルカル・プティ=白ゴルカル」と呼ばれ、まともな政治家が多い。しかし、彼らは残念ながらゴルカル党員の中では少数派である。

ただし、省レベルの支部長のポストを彼らは押さえてきた。ゴルカルの党の規則では省レベルの支部長の支持が党首選挙で決定的である。

しかし、今回ユスフ・カラは33支部のうち28支部を抑えた豪語し、勝利確実を宣言している。実際はどうかわからないが、ユスフ・カラが勝てば第1党のゴルカルは128議席を携えて、SBYの与党になってしまう。

そうすればSBY 政権は議会対策がやり易くなり、同時に国会議長のアグン・ラクソノも取り込んだことになる。

もし、そうなるとインドネシア政治はSBY 大統領に対するチェック機能が事実上なくなってしまう。インドネシア民主主義にとって最大のピンチとなる可能性がある。

しかし、アクバル・タンジュンもこのままあっさり敗北するとも思えない。彼が、負ければゴルカルという党組織を動かしていく人材がいなくなることを意味する。後は利権亡者の天下になりかねない。百鬼夜行の世界である。

そうなれば5年後にはゴルカルは第1党の地位を維持できなくなるであろう。しかし、考えてみればスハルトの政治機関であったゴルカルが民主体制下で依然第1党であるというのも妙な話である。

それだけアクバル・タンジュンが有能な政治家であった証拠でもあるし、メガワティ率いるPDI-Pがだらしのない政治を行ってきたということにもなろう。

 

97-2. 党則改正によって再びアクバル・タンジュン優位に(04年12月17日)

今年のゴルカルの大会はまさに政治ドラマである。党首が誰になるかで、今後のインドネシアの政局が一変することは既に見たとおりである。

今までの党則では33の省レベルの支部長と3人の特別委員の合計36人で党首を選ぶというルールであった。ユスフ・カラは33人の支部長うち、28人を買収しこれで勝ったと思っていた。

ところがアクバル・タンジュンは思いがけない方法で巻き返しに出た。それはこの党則を変更し、@投票権を「郡」レベルの支部長まで下ろしてしまったのである。これはアクバル・タンジュンが支配する中央執行委員会で決められる。

そうなると、今度は投票者の数が484名に急増する。しかも150名の推薦人がなければ、党首に立候補できないということになってしまった。

こういう条件下では普段、党活動をやっていないユスフ・カラは地盤の南スラウェシ以外では簡単に「推薦人」の獲得すら容易でなくなる。

この方法で、アクバル・タンジュンは一挙に優位に立ってしまったとみられている。しかし、これはアクバル・タンジュンにとってもリスクがある。というのは郡レベルではウィラントの人気もかなり高いからである。

改正点のAでは過去5年間に中央執行委員会もしくは地方の執行委員会に属していなければならない(実質的に党務の経験がなければならない)という点である。これによって、ウィラントも党首になる資格が失われたという。

今回はウィラントは党首のポストは争わず、党顧問委員会議長のポストで満足するのではないかと見られている。というのは、ウィラントにも党運営の実績はないし、「国際的なお尋ね者」の地位にある。

ここで、ウィラントが党首になっても、ゴルカルを政党として育てていくことは困難である。

ゴルカルの党顧問委員会の委員長というポストはかって、スハルトが就任しており、大きな権限を有していた。今は、そういう権限はないが、ウィラントの言い分は聞いていこうということにしたようである。

B党首は党務に専念しなければならない。この改正点も重要で、アクバル・タンジュンは国会議長の座をアグン・ラクソノに譲ったのもこの改正を意識していたのかもしれない。ユスフ・カラは党首に就任すれば副大統領を辞任しなければならなくなる。

それはできない相談であり、ユスフ・カラは党首選挙から降りなければならなくなるかもしれない。

党首選挙はこれから行われるので、結果はどうなるかは予断を許さないが、大会のムードはアクバル・タンジュン支持に急速に傾いているという。

特に、アグン・ラクソノがアクバル・タンジュンを裏切ってユスフ・カラについたことは一般党員の怒りを買い(上の欄の青字部分参照)、ラクソノに対する反感と、それに対し一言の苦言も発しなかったアクバル・タンジュンの態度が党員の共感と同情心を呼んだという。

 

⇒ウィラント党首候補から降りるーアクバル・タンジュンの勝利決定的?(04年12月18日)

12月17日深夜になって、ウィラントは党首候補から降り、アクバル・タンジュンを支持すると言明している。もしこれが事実とすれば、アクバル・タンジュンの勝利は決定的になる。 ウィラントは地方党員の支持者が多いからである。

だが、 ユスフ・カラはまだあきらめないで頑張っている。得意の買収戦術も対象が急拡大してしまったため、どこまでやれるか疑問である。 ただし、ユスフ・カラは300票を獲得できると豪語している。本当に間に合ったのであろうか?

確かに、ユスフ・カラにはゴルカルの悪といわれた諸氏がウィラント以外は全員ついている。彼らが、地方の党員幹部をどれくらい把握しているのかが問題であるが、ある程度党員の世代交代が進んでいればアクバルへの投票者は多いであろう。

しかし、万一、ユスフ・カラが勝つようなことがあれば、ゴルカルは「オルバ政党」に逆戻りである。そうなると、次の選挙では到底勝ち目はない。ゴルカルの将来を運命付ける党首選挙は 今夜(18日夜)である。

(http://www.thejaakrtapost.com/ 04年12月17日、18日)

 

97-3.アクバル・タンジュン敗北、ユスフ・カラがゴルカル党首に(04年12月19日)

第7回ゴルカル党大会においてユスフ・カラが323票、現職のアクバル・タンジュンが156票と意外な大差でユスフ・カラが勝利した。結局、ゴルカルの地方党員幹部は「与党」の地位にいることを選択したものと思われる。

与党でないと予算配分その他で不利であることは明らかである。

インドネシアの民主化や改革のために尽力してきたアクバル・タンジュンとしては無念の思いがあるであろうが、ゴルカルという党のスハルト政権時代の歴史を考えれば、政権にまとわり付く利権亡者の集団であった。

アクバル・タンジュンの改革路線はゴルカル党内ではいつも少数派であり、ゴルカル内のオルバ派(スハルト時代に恩恵を受けていた人々)との戦いの連続であった。

これで、ゴルカルの体質は「本来の姿」にもどり、まともな政党では なって行く。ただし、国会議員はアクバル派もかなりいると思われるので、アクバル・タンジュンの「抵抗運動」は国会の場である程度行われる可能性もある(大して期待はできないが)。

しかし、メガワティとの闘争民主党(PDI-P)との「国民同盟」はご破算である。党内の執行部は数人を除いて、ユスフ・カラ派一色になる。

今回のユスフ・カラの勝利によって、SBY は国会で安定勢力を手に入れたことになり、政治運営は当面安定するであろう。その代わり、与党内のイスラム勢力(PANとPKS)は逆にSBYから離れていくことになりかねない。

PANのアーミン・ライス前党首は前々から「ユスフ・カラが勝てば政府の反KKN(汚職、癒着、縁故主義)政策は阻害されることになろう。また、われわれの民主主義にとっても脅威となろう」と語っている。これはインドネシアでは常識的見方である。

私はSBY政権は「新オルバ政権」であるという定義づけを行ったが、実際そうなりつつある。PANやPKSはイスラム原理主義的な政党であり、オルバ派とは当然ソリがあわない。ただし、PPPはそれほどでもなく結構「清濁併せ呑む」政党であろう。

ゴルカルは急速に腐敗まみれの政党に堕落していく公算が大きく、そうなれば次の選挙ではゴルカルは国民から厳しい批判にさらされることは間違いない。

また、今回の党首選挙ではユスフ・カラ陣営はかなり買収資金をばら撒いたと噂されているがDetikの推定によると1票あたり5,000万ルピア(日本円で約55万円)であろうといわれている。

地方から来た代議員は「アクバルは精神的なお説教をくれたが、ユスフ・カラはビタミン材をくれた」と語っているという。

330人にばら撒いても1億8千万円相当である。オルバ派にとっては安い買い物である。

インドネシアの民主主義はこれで全面的に敗北したわけではない。ゴルカルが本来の姿を世間にさらしただけのことである。オルバ派にとっては「アクバル・タンジュンよ今まで御苦労さん」といったところであろう。

インドネシアのメディアや評論家はこれで、国会は「ラバー・スタンプ(政府の言うことを右から左に通すだけ)」になるというが、到底そうはならないであろう。PPP以外のイスラム勢力はまじめに「改革路線」を要求するであろう。

もし、SBYとユスフ・カラが変なことをすれば、今度は与党連合の「人民連合」が分裂をするであろう。すでに、アーミン・ライス率いるPANなどは腰を浮かせている。

アクバル・タンジュンは今後どうするか? 彼はゴルカルの役職からは完全に自由になった(オルバ派によって追放された)。彼には「新党」を設立し、新たな政治運動をやってほしいものだ。

彼はインドネシアの現代政治史上まれにみる有能な政治家であり、ゴルカルのために働くなどということはそもそも無駄な回り道であったことを思い知らされたことであろう。アクバル・タンジュンの捲土重来を願うのは私一人ではあるまい。

 

⇒ゴルカルの与党化は政権基盤安定を意味しない(04年12月21日)

ゴルカル(128議席)をユスフ・カラが奪い取ったことによってユスフ・カラの政権内での影響力が大いに強化されることは言うまでもない。それはとりもなおさず、SBY 大統領にとっては「脅威」となるという見方がインドネシアではなされている。(ジャカルタ・ポスト、04年12月21日)

また、野党連合「国民同盟」の崩壊によって、与党連合「人民同盟」も同時に崩壊するという見方が出てきているのは興味深い。

ゴルカルのような露骨なオルバ(スハルト時代)の臭気紛々たる政党とは一緒にやっていけない「清潔な政党」がもともとのSBYの支持政党だったのである。

その典型がアーミン・ライス率いるPAN(国民信託党=53議席)であり、ヒダヤト・ヌル・ワヒド率いるPKS(福祉公正党=45議席)である。それにSBY 自身の民主党(55議席)がある。

日本の新聞では「安定多数」ということがやけに強調されているが、この3党とゴルカルはまったく異質の政党であり、SBY 政権内でこれら「清潔3党(妙な言い方だが)」との対立関係が既に浮き彫りにされてきている。

ユスフ・カラがゴルカルを背景に政権内でごり押しをすれば、今度はPAN とPKSが野党のPDI-P(109議席)と組んで対抗するということになりかねない。この2党はSBY の思惑とは関係なしに今後は「是々非々主義」で行くであろう。

インドネシアの政治評論家イクラル・ヌサ・バクティ(Ikrar Nusa Bhakti=LIPI所属)氏はこれら中規模政党は{ワイルド・ボール=wild ball}(どこに飛んでいくか判らない)」だという巧みな表現をしている。それは民主党(55議席)とて例外ではないということである。(ジャカルタ・ポスト04年12月21日)

下手にゴルカルと組んで「醜態」を国民の前にさらせば、次の選挙で大敗する恐れが多分に出てきたからである。それはPDI-Pの4月の選挙結果を見れば一目瞭然である。

国民の審判が厳しいのである。既に「政党の看板」には国民はだまされなくなってきているというべきであろう。ということはインドネシア流多党政治は民主主義にとって良い政治方式なのである。

日本の政治家や学者やメディアはこぞって「アメリカ流2大政党」が良いなどといっているが、小泉政権みたいなものが永続すると国民は安心できない。それを解消する自浄作用が自民党の中にないとしたら、国民にとってこんな不幸はことはない。

「2大政党論」などはとんでもないマユツバものであった。それを支えた小選挙区制度も「地元への利益誘導」を加速させただけで、かえって日本の政治を悪くさせたように思えてならない。

もしかするとインドネシアの民主主義のほうが日本の民主主義より健全に機能しているのではなかろうか?