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23.テンポ社とトミー・ウィナタの争い

23-1.テンポ襲撃事件(03年3月13日)

スハルト時代に閉鎖に追い込まれた経験もある雑誌社テンポが3月8日に200人ほどのデモ隊(暴徒)に襲われ、事務所に乱入されたうえ、編集者の1人が負傷させられるという事件が起こった。警察はこれら暴徒を制止することなく傍観していたと言われている。

200人の暴徒を派遣したのはトミー・ウィナタ(Tomy Winata)という華人経営者であり、軍の息のかかったアルタ・グラハ(Artha Graha)グループのオーナーである。

この200人のうちにはアルタ・グラハに雇われている者以外にPDI-P(闘争民社党)の青年行動隊(Banteng Muda Indonesia)のメンバーが加わっていたことに驚かされる。彼らはトミー・ウィナタに食わせてもらっていたのである。

この青年行動隊はメガワティや闘争民主党を護衛するボランティアの団体であるということになっていたが、こういう裏話があったとは知らなかった。しかし、いかにも無原則的実利主義者といわれるタウフィク・キエマスのやりそうなことである。

ことの起こりは週刊誌テンポの3月3日号で、先にジャカルタのタナン・アバンという大繊維製品市場(5,500軒の店が集まっている)が火事で全焼した(2月19日)事件で、トミーがその前からタナン・アバンの再開発計画を当局に提出していたことを報道したのである。

その意味するところは、トミーがタナン・アバン市場に放火をしたのではないかという嫌疑がかけられるということである。それくらいトミーの普段の行いが芳しくないものであったということである。

日本では故意か無知か理由はよくわからないがトミーはスハルト一族などとは関係しない、やり手の若手ビジネス・マンであるなどと紹介するインドネシア通もいて、それを額面どおり信じている人もいる。

しかし、彼は軍の出入り華人で軍から仕事を任されている人物で、裏社会の実力者である。軍から頼まれればデモ隊も組織するし、裏金も提供するといわれていた。彼は他の華人資本家と異なりいわば軍の使用人的存在なのである。

彼が最近話題となったのは、クルージング・ボートを使って海上賭博場を経営し、それに軍のお偉方が参加していたということで警察に追いかけられていたことである。 しかし、トミーは今や警察全体を買収し向かうところ敵無しの観すらある。

また、96年7月にはメガワティが率いるPDI−Pが民主党事務所から追い立てられたときにも、暴力団を使って軍に協力したといわれている。 今や、ジャカルタを仕切る最大の暴力団の大親分である。知事のスティヨソとの繫がりも深いといわれている。

週刊誌テンポの記事で痛いところを突かれたトミーは、手下の暴力団を使って攻撃に出たというところであろう。スハルト時代であればトミーの行動に誰もが泣き寝入りしたであろうが、民主化時代に言論機関を襲ったらタダではすまない。

しかし、例によってメガワティの夫タウフィク・キエマスはつまらないところでトミーに「借り」を作っており、政治的にトミーを攻撃することはできない。

それが判っているのでジャーナリストは本件をメガワティやPDI-Pにはアピールせずに。国民協議会議長のアーミンライスのところに駆け込んだ。国会はトミーとテンポの論説委員を呼んで事情を3月17日に聴取した。

トミーは知らぬ存ぜぬで通したが、このままは終わらない。この聴聞会に先立ち、トミーは委員長はじめ数人の国会議員と事前に秘密裏に打ち合わせをおこなっていたことが露見してしまった。

聴聞会当日は被告席に立たされたのはどちらかといえばテンポの記者であったとのことである。それが事実とすればむちゃくちゃな話しである。インドネシアの政治家達の腐敗ぶりもすさまじいものがある。

一方で 政治家はトミーの巨額の資産に目をつけている。トミーの45歳という年齢を考えれば、一介のチンピラ出身にしては資産が大きすぎる。そのは大半が誰かからの預かりものの公算が強いが、実態は不明である。

本件はメディアを通じて、広く国民に背後関係が明かされてしまった。ここでもメガワティはタウフィクに足を引っ張られる形となった。

トミーにはおそらく民主化という時代感覚が欠落しているのであろう。これを警察が黙っていたらインドネシアの「政治改革」の鼎の軽重が問われる。この事件は 日本では報道されていないようだが、実は大事件なのである。

これはインドネシアの政治状況の実態を反映した事件であり、しかもメガワティと与党PDI-Pはジャーナリストの信用がまるでないことも証明されてしまった。2004年の選挙は既にメガワティは危うい。

 

23-2. 雑誌社テンポに100万ドルの支払い命令−相変わらずの裁判所(04年1月20日)

アルタ・グラファ・グループのトミー・ウィナタ(華人)が雑誌社テンポを名誉毀損と賠償請求で訴えていた裁判で東ジャカルタ地裁のズベル・ジャダディ判事はトミーの言い分を全面的に認めテンポ社に謝罪文広告と賠償金100万ドルの支払いを命じた。

テンポ社は当然控訴するといっている。またジャーナリスト協会も不当判決であるとして強く抗議している。

内容は、テンポがトミーが違法賭博場を経営していることを示唆する記事を書いたことがトミーの名誉を傷つけたとして訴えていたものである。トミーは背後に軍が付いていることからやりたい放題のことをやっているといううわさが絶えない。

また、別件でテンポはトミーがタナン・アバン市場に放火した疑いをもたれていることを書いたことで、暴力団を使ってトミーはテンポ社を襲撃させた。(上記#23、03年3月19日記事参照)トミーの子分たちは警察の目の前で乱暴を働きながら無罪同然で釈放された。

これについてもトミーはテンポ社を名誉毀損と損害賠償を求める訴訟を起こし、近々判決が出るが、これもトミーの勝訴が確実視されている。全てはカネがものをいうからである。

インドネシアの裁判では金や権力を持っているものがほぼ必ずといっていいほど勝つことになっているのである。よほど良心的な清潔な判事に恵まれない限り、「正義が勝ったためしがない」とさえ言われている。

たまにまともな裁判官が現れると、白昼暗殺されたりする(例えばトミー・スハルトによって暗殺されたギナンジャール判事事件)恐ろしい国である。

だから外国企業がインドネシアで訴訟に持ち込まれたらまず勝ち目が無い。

こういう状態をメガワティ大統領は放置していたといわれても仕方がない。こういう国には外国資本は簡単には出て行けないのである。

 

⇒タナン・アバン火災記事についてはテンポが勝訴(04年2月25日)

中央ジャカルタ地裁のサパルディン・ハシブアン判事は2月24日(火)にトミー・ウィナタが起こしていたテンポ社と編集者アーマド・タウフィクに対する名誉毀損訴訟でテンポ社側の勝訴の判決を言い渡した。

これは繊維品市場タナン・アバン(約5500軒の店が軒を連ねていた)の火災事件で、テンポの03年3月3-9日号で、この火災は放火の疑いがあり、トミー・ウィナタが背後にいた可能性を示唆した記事を書いたということに対する名誉毀損訴訟 (損害賠償1,200億ルピア=15.4億円請求)であった。

同様な記事はオンライン・ニューズのDetik社も流していたが、こちらについて訴訟を起こさなかったのは片手落ちであるということもトミーの敗訴の理由に挙げられている。

テンポはトミーについて放火のうわさを確かめ、本人がそれを否定する談話を記事として書いていた。しかし、「噂の真相」がどこにあったのか一般読者が疑念に思ったろうとトミーは考え 、それで名誉毀損訴訟を行ったものである。

03年3月8日にはトミーが雇った100名ほどの暴徒がテンポ社を襲っ多野を警察は黙認していた(上記参照)。

ちなみに、トミー・ウィナタ側の弁護士はスハルトの3男トミー・(フトモ・マンデラ・プートラ)の弁護人であったエルザ・シャリフ(Elza Syarif)という女性弁護士であった。 蛇(ジャ)の道はヘビといったところか。

 

⇒タナン・アバン事件でトミーが第2審で勝訴(04年3月19日)

第1審はテンポ社の勝訴に終わったが、トミー・ウィナタは直ちに控訴し、ジャカルタ・中央裁判所の第2審ではトミー・ウィナタが逆転勝訴とな り、編集長のバンバン・ハリムルティ(Bambang Harymurti)に対して1年の禁固刑と賠償金を言い渡した。

ただし、賠償額は2,000億ルピアが5億ルピアに減額された。また3日間にわたり主要な日刊紙に半ページの謝罪広告を掲載するよう命じる判決を出した。

テンポの弁護人トドゥン・ムルヤは直ちに控訴すると発表した。独立ジャーナリスト協会はこの判決を言論の自由を保障した「出版法40/1999」違反であるとして強く批判している。

裁判所は「刑法」に依拠してトミーの主張のみを一方的に取り上げたという非難を浴びせられている。インドネシアの裁判所は「腐敗」で知られており、正義が勝つとは限らないというのが大きな問題になっている。

民法上の裁判では特に外資系企業が地元資本家にほとんどのケースで敗訴になっていて、これがインドネシアの投資環境の劣悪さの重要な一因とされている。

 

23-3. 最高裁、タナン・アバン事件でテンポ社に無罪判決(06年2月10日)

インドネシア最高裁判所は2月9日(木)に闇の財界の大物といわれるトミー・ウィナタに訴えられていたタナン・アバン事件(上記23-2参照)に関する名誉毀損事件で「テンポ社は無罪」という画期的な判決を下した。この日はたまたま60回目の「国民の出版記念日」に当たる。

テンポ社をめぐる裁判では1審は無罪であったがトミー・ウィナタは控訴し、2審ではテンポ社が敗訴し、最高裁で争われていたが、バギール・マナン(Bagir Manan)最高裁長官が主任判事を勤める小法廷(判事3人)で全員一致でテンポ社無罪の判決となった。

この裁判の最大の争点は、テンポ社事件を「刑法」で裁くか「出版法」で裁くかということにあった。言論機関がその記事内容について「刑法」で裁かれることになれば、「言論弾圧」が極めて容易になる。

今回、最高裁はこの事件は「出版法」で裁かれるべしとの結論に到達したという。

バンバン編集長は今回の勝訴はテンポ社の勝利というだけではなく「インドネシアの全ての言論人にとっての勝利である」と喜びをあらわにしている。

本件以外にも新聞記事をめぐる多くの「名誉毀損」訴訟が全国的にあり(テンポ社もまだ他にトミー・ウィナタとの係争事件がある)、多くは有力者が裁判官を買収して勝つケースが多いといわれるなかで、インドネシアの「言論の自由」への一歩前進であることは間違いない。

最高裁長官のバギール自身が現在スハルトの異母兄弟のプロボステジョの裁判にからむ汚職事件に巻き込まれている。インドネシアの司法制度の浄化はこれからが本番を迎える。正常な裁判がおこなわれなければインドネシアに外資が本格的に進出することはできない。