トップ・ページに戻る

12.バリ島の爆破事件とその後の一連の事件 

 

12-17.アブ・ドゥジュナという爆弾屋のボスを逮捕(07年6月14日)
 ⇒本当の親分、ザルカシも同時に捕まっていた(07年6月15日)

12-16. ハンバリーバリ事件などへの関与否定(07年4月14日

12-15.インドネシア最高裁バアシールはバリ事件に関与せずとの判決(06年12月21日)

12-6.⇒ハンバリ、グアンタナモ基地から家族に手紙(06年10月17日)

12-14. バリ事件の死刑囚が獄中から爆弾テロを指示?(06年8月28日)

12-13. 爆弾博士アザハリが爆死か?(05年11月10日)

12-12.アル・ファルクが米軍のアフガニスタン収容所から脱獄?(05年11月3日)

 ⇒アル・ファルクはイラク、バスラ付近で死亡(06年9月27日)

12-11. 米高官クランプトン氏インドネシアにテロ対策強化を督励(05年11月19日)

12-10-4. グス・ドゥル元大統領曰く、バリ事件は軍か警察が関与(05年10月12日)

12-10-3.ジェマー・イスラミアはかってインドネシアに存在せずーカラ副大統領(05年10月9日)

12-10-2. SBY大統領、国軍にテロとの戦いに協力要請(05年10月6日)

12-10-1. バリ島でまたも爆破事件22名以上死亡、120名負傷(05年10月2日)

   ⇒日本人3人が行方不明?(05年10月8日)

12-8-4.⇒最高裁バアシールの有罪判決を支持(05年8月7日)

12-8-4.⇒高裁バアシールの地裁判決を支持(05年5月17日)

12-9. マレーシアのバリ事件重要犯人(?)は釈放(05年3月23日)

12-8-4.⇒バアシールに改めて2年半の実刑判決(05年3月3日)

12-8-6.米国はバリ事件の1ヶ月前にもバアシールの身柄引き渡しを要求(05年1月14日)

12-8-5. バアシールを暗殺すべしーオーストラリア外交官の本音(04年12月18日)

⇒ほとんどの証人がバアシールの爆弾事件関与を否定(04年12月10日)

 

12-1 バリ島爆破事件(2002年10月14日)

10月12日23:10(現地時間)にバリ島の繁華街で起こった爆発事件は202名の死者と300名以上の負傷者を出すというインドネシアの歴史上もまれに見る大惨事となった。事件の詳細については日本のテレビでも報道されているのでここでは触れない (文末に国籍別の死亡者数のみ掲載)。

事件の起こった場所はバリ島のクタ地区で外国人の観光客の多い地域である。事件のあったサリ・クラブは特に外人専用ともいうべきクラブでインドネシア人は原則的に出入り禁止の場所であった。

地元のバリ人でも入場するときは1人5万ルピア(700円弱)支払わねばならなかった。これは外国人の同伴者としてでも同じであった。ただし、白人専用というわけではなく、外国人であれば日本人でも中国人でもOKであった。

はっきりいって、日ごろからインドネシア人には嫌われていた場所なのであった。問題はだれが何の目的でやったかである。

最も「判りやすい」答えは「アル・カイダの一味による無差別テロ」ということになろう。 この説はアメリカのブッシュ大統領が真っ先に主張した説であり、今や通説化しつつある。アメリカの偉い人が言うと何でも通説になってしまうのは困りものである。

だが、この答えはすこし変である。アル・カイダやオサマ・ビン・ラディンの仲間がやったとされるニューヨークとワシントンの昨年9月11日のテロ事件ははっきりと「アメリカ帝国主義批判」や「アメリカのイスラエル支持政策への反発」という大義名分があったはずである。

今回はそうした大儀名分は何もない。アメリカ、シンガポール、マレーシア、フィリピンなどから名指しでアル・カイダの仲間とされているジェマー・イスラミヤ(JI)の指導者アブ・バカル・ バアシールを主犯扱いにしている。

しかし、インドネシアはバリ事件に直結させる「証拠がない」として彼を逮捕をしなかった(後に別件で逮捕)。

もしJI一派が今回の事件を起こしたならば、かねてから他の爆弾事件で疑惑のさなかにあるバアシールのみかJIの組織そのものが一掃されるリスクを犯すことになる。そんなことは考えにくい。

一方、インドネシアの国内には「バアシールの逮捕」をインドネシア政府にブッシュ政権がプッシュすべく、CIAなどが仕組んだ事件であるという見方もある。しかし、これはうがち過ぎの感を免れない。

米国がこれほどまでの事件を起こしてまで バアシール逮捕に踏み切らせるような、切羽詰った事情にあるとはとうてい私には思えない。

(03年3月22日追記) 

ところがインドネシアの知識人の間ではいまだにCIA説が根強い。というのは、国際テロリストのアル・カイダが東南アジアでも活発な活動をおこなっていて、それをやっつけるのはアメリカの役目(世界の警察官としての)である ということを現地の国民に認めさせたいからだという。

その一環としてイラクのサダム・フセイン政権を除去する必要もあるというのである。2001年9月11日の同時多発テロ事件の犯人はアル・カイダ・グループであるが、それを強引にイラクのサダム・フセイン政権に結びつけるということをブッシュはやったのである。

さらに、米国が狙っているのは、東南アジアの主要国、特にインドネシアとフィリピンには米軍のプレゼンス(存在)が必要だということである。

たしかに、バリ事件があった直後からブッシュはアル・カイダ犯人説を主張していた。また、米国の駐インドネシア大使はバリ島での事件を直前に予告していた。これは何らかの確実な情報があったと見ることができよう。

CIA説のもう1つの根拠はフィリピンで最近起こったダバオ空港爆発事件である(フィリピンの話題参照)。これはイスラム独立派のMILF(モロ・イスラム教徒解放戦線)の仕業ということになっているが、どうもCIAが怪しいということになっているようである。

というのは以前CIA要員がホテルの自室で爆弾事故を起こし、負傷したことがあった。また、MILFは事件への関与を強く否定し、フィリピン政府 とMILFと和平交渉を以前からやってる事実を強調していた。

この和平交渉は、犯人も捕まらず、事件後間がないのに再開することになっている。 また、フィリピン政府は米軍のアブ・サヤブ攻撃参加を強く拒否している。せっかく1000名以上の米軍を呼びながら、フィリピン軍への「訓練」だけがその目的になってしまった。

バリ事件の場合は、CIAと軍の特殊部隊と情報部が組んだということもありうる。実行犯は以前から軍(特殊部隊関係者)が使っている「爆弾屋」一味であるが、JI(ジェマー・イスラミヤ)主犯説は以下に延々 とのべるとおり極めて根拠が乏しい。

JI犯人説を最初から唱えていたのは、@米国政府、CIA、Aインドネシア軍情報部、マトリ国防相、Bシンガポール政府であった。

 

この事件の本質については、前の大統領でインドネシア最大のイスラム教徒の団体のナフダトゥール・ウラマのボスのグス・ドゥルの筆法を借りると 「国際テロではなく国内テロ」であろう。

用意された爆発物はインドネシア国軍から出たものであることは間違いない。私の推理で間違っている可能性はあるが、いくつかの仮説を列挙すると

仮説@:非主流国軍(たとえばかってのプラボオ・スビアントが率いた特殊部隊の残党)が国内のイスラム過激派(前掲の9.イスラム過激派・・・、 および10.荒れる国軍参照)のどれかに爆弾を引渡し、彼らがやった。

仮説A:国軍関係者(特殊部隊関係者など)の直接行動。

動機@:他の国内テロと同様、メガワティ民主政権の「無能ぶり」をインドネシア国内にアピールし、スハルト政権の「正さ」や「治安の安定振り」を強調する狙い。

動機A:ディスコなどの「用心棒代」をめぐるいざこざ。これは奇説に思えるかもしれないが、現実にインドネシアでは随所に起こっている事件である。 パプア事件もこのような動機に基ずく特殊部隊員の犯行とみられている。

使われた爆発物は軍が管理していた強力なものであったはずであり、国軍が事件解明の鍵を握っていることは確かであろう。また、 下手人たちは、これのど多くの死傷者が出るとは考えていなかったフシもある。現在目撃者の1人として現場のサリ・クラブの守衛が現地の警察に身柄を保護されている。

なお、今回の事件で死者の国籍が判明しているのは;

@オーストラリア:88名、Aインドネシア:38名、Bイギリス:23名、Cスエーデン:9名、Dアメリカ:7名、Eドイツ:6名、Fオランダ:4名、などであり、日本人も2名の方が犠牲になった(10月18日鈴木康介氏、20日夫人の由香さんの遺体確認)。

このように202名もの多数の方が、罪もなく、不条理な死をとげられたことに対し、心から哀悼の意を表します。 また多数の負傷者のご回復の早からんことをお祈り申し上げます。

⇒イスラム過激派ラスカル・ジハドに解散命令(02年10月15日)

インターネットのdetik(http://www.detik.com インドネシア語)によると本日、イスラム武闘派集団ラスカル・ジハド(Laskar Jihad=聖戦ゲリラ)が自主的に解散した。彼らは南スラウェシのマルク地方、アンボンなどでのキリスト教徒との戦闘のために組織された武装イスラム集団である。

発会式にはアミアン・ライス(国民協議会議長)、ハムザ・ハズ(開発統一党党首、現副大統領)などが出席した(前掲の9.イスラム過激派参照)。 彼らには国軍による強いバック・アップがあったことは良く知られている。

彼らの活躍範囲は南スラウェシに限らず、ジャカルタやジョクジャカルタなど全国的に展開し、随所で「活動」していた。彼らの解散が今回のバリ事件と直接関係あるかどうかは不明である。

アンボンに展開していた1,000名弱の隊員はすべて引き上げたといわれる。 司令官のジャファー・ウマル・タヒブはアルカイダとの関係を否定している。ジャカルタとジョクジャカルタの本部事務所は閉鎖されている。

⇒犯人探しージェマー・イスラミアの登場(10月17日)

爆発事件の犯人探しは完全に「通説」ができつつあるように思われる。それは米国やシンガポールなどがいっているアル・カイダージェマー・イスラミア(JI、アブ・バカル・ バアシール師がリーダー)説すなわち「国際テロ」説であり、日本のメディアもほとんどがこの説を支持している。インドネシアのマトリ国防相もアル・カイダ説を採っている。

この説はインドネシア政府にとっても米国ブッシュ政権にとっても都合のいい説なので「定説」あるいは「通説」になりかねない。しかしこの説は間違いであろう。

その理由は既に述べたとおりであるが、16日になって国防・治安調整相のスシロ・バンバン・ユドヨノが「インドネシアにはジェマ・イスラミアなる組織は存在しない」と断言した。これは驚くべき発言である。スシロのいうとおりだとすれば、国際テロ説は一気に崩れることになる。 (10月16日、ジャカルタ・ポスト)

さしあたりは、JI犯人説は空中分解する。JIはインドネシアには存在しないというのは重要容疑者(米国にとっての)バアシール師の説でもある。インドネシアの国防・治安の最高責任者スシロの発言はマトリのような日和見的素人発言とは重みが全く異なる。スシロにはいままで 「正しい情報」が伝わってなかったらしい。

では真犯人は誰か?インドネシア政府はおよその見当はついているはずである。しかし、それを公表すると政治的・社会的衝撃が大きすぎて、多分歪めた形で問題を処理するであろう。その第1弾がラスカル・ジハドの解散ではないかと推測される。

次には粛軍がおこなわれるであろう。これはスシロしかやれない。

スシロにとっては粛軍はのるかそるかの大博打であり、失敗すれば失脚どころか命さえ失うことになりかねない。しかし、粛軍を断行しなければインドネシアからテロは根絶できないし、スハルト体制の残滓も克服できないであろう。

(しかし、スシロには何もできないまま03年8月7日のマリオット・ホテル爆破事件を招いてしまった。)

(イギリスのガーディアン紙の記事)

10月17日付のガーディアン紙 (http://www,guardian.co.uk/) がバリ事件の特集をしているが、その中に驚くべき(私にとっては)記事が掲載されていた。それは2年前にヨーロッパのアル・カイダのメンバーがアフガニスタンでなくインドネシアで軍事訓練を受けていたというのである。これはスペインの裁判記録から明らかになった。

その橋渡しをしていたのはインドネシア人のイスラム過激派パリンドゥガン・シレガール(Parlindugan Siregar)通称パリンとマドリッドに本拠を置くシリア人のImad Eddin Barakat Yarkas別名アブ・ダダー( Abu Dadah)である。アブ・ダ ダーは昨年の9・11事件に連座し逮捕されている。

パリンはマドリッドに住んでいたがインドネシアのラスカル・ジハドのメンバーで,、その令官はジャファー・ウマル・タリフ(収監中)である。ジャファーはスハルト体制と強いつながりを持っていたと思われる(記事のママ)。

ちなみにラスカル・ジハドはウィラントらの当時の軍部の後ろ盾(資金提供者にサウジ人の名前が挙がっているが)によって作られた組織であることは先に述べたとおりだが、ジャファーが逮捕された直後、副大統領のハムザ・ハズが拘置所に見舞いに行っている(2002年5月)

アル・カイダはインドネシアのJIなどではなくほかのイスラム過激派と関係を持っていたのである。ただし、これら過激派武闘集団はアル・カイダの指令に基ずいて活動していたのではなく、独自の目的で動いていたのである。

なお、実行犯の有力容疑者として退役空軍中佐のDedy Masruchinなる人物が取調べを受けている。デディは爆弾についての技術・知識を持っているといわれている。

空軍当局はデディの関与はありえないと主張しているが、一部自供を始めたとの説もある。空軍はデディに対する法的な支援は おこなわないと言っている。(しかし、デディは容疑なしとして釈放されてしまった。)

⇒警察の喚問を前にバアシール師入院(02年10月18日)

警察からの喚問の通知を受けてアブ・バカール・バアシール師は卒倒し、救急車で病院に担ぎ込まれ、警察の事情聴取は延期となった。バアシールは今回のバリ事件には直接かかわってはいないようだが、もともと「叩けばホコリの出る身」である。口ほどになく繊細な神経の持ち主であられたようだ。

なぜなら、彼の門下生のハンバリはアルカイダとの関係が深く、現在お尋ね者となり、潜伏中であるからであり、また、インドネシアのイスラム過激派の中にも仲間や門下生が少なくないからである。おそらく素性のよくない金も彼の懐には入ってきているとみられている。

前大統領のグス・ドゥル(アブドラマン・ワヒド)はバアシールとハビブ・リズィク(Habib Rizieq=FPI=Islamic Defender Frontのボス)は直ちに逮捕すべしと前々から主張していた。実際にハビブは16日の夜に「ジャカルタの歓楽街騒乱事件」の首謀者の疑いで逮捕されてしまった。

インドネシア最大のイスラム教徒集団であるナフダトゥール・ウラマ(NU)の総帥であるグス・ドゥルには多くの情報が入っていたのであろう。

米国とオーストラリアもバリ事件についてインドネシア政府と「協力」することになったようだが、逆に混迷が深まる可能性もある。どうしてもアルカイダを犯人にしないことには米国はおさまらないからである。しかし、インドネシア政府のスシロ国防治安調整相は事件の本筋を既に掌握しているような雰囲気が感じられる。

(02年10日20日)犯人は外国人だとすべてが丸くおさまる?

バアシール師の「緊急入院」もむなしく、警察が入院のまま逮捕し、健康を回復し次第取調べをおこなうことになっている。 しかし、バアシールは警察の「逮捕」を拒絶するといきまいている。この分では病気はたいしたことはなさそうだ。彼は米国から圧力がかかったので政府は彼の逮捕に踏み切ったと主張している。

しかし、 既にインドネシアでは「テロ防止令(政令)が02年10月18日に施行され、いつでもテロ行為の容疑者は逮捕でき、1年間の拘留が可能であり、犯人には最高で死刑が適用される。 バアシールもこの対象となりうる。

ただし、この政令は国会で新たな「テロ対策法」が決められれば、廃止される。この政令の特徴は「予防拘禁」が可能となっていることである。マレーシアとシンガポールにあるISA(国内治安法)と性格が似ている。

バアシールをバリ事件の首謀者とするのは、さすがのCIAの報道官のような日米の新聞記者諸氏も無理という見方になってきたようである。しかし、バアシールにはここ2、3年の国内爆破事件にからんでいたという容疑は晴れていない。特に問題にされているのは2000年12月の教会爆破事件(死者18名)などである。

今回のバリ事件の犯人は「外国人説」ということでウヤムヤに終わらせる可能性が出てきた。かなり前からイエーメン人が首謀者で、マレーシア人がアシストしたというような情報 をインドネシアの情報局(BIN)が流していた。これが記事になって最近チラホラ見え始めた。

こういうシナリオがインドネシア政府にとっては何かと都合がいいのではなかろうか。BINは「この爆弾操作の技術は極めて高い技術を要し、インドネシア人にはできない」などと、いつになく謙虚である。

これはとんでもない嘘っぱちである。使われた爆弾C4はインドネシア軍が所有していたものである。

話は、戻るがウマル・アル・ファルク(Timeに登場した人物)はやはりCIAの手先だった可能性がある。BINが捕まえてしまったところ、CIAから身柄引き渡し要求があり、BINは上司(スシロ・バンバン・ユドヨノ国防・治安調整相など)の許可をえないで引き渡してしまったのではないだろうか?マトリ国防相が独断で許可を与えた可能性もある。

マトリは軍人ではなく、ナフダ・トゥール・ウラマ系のPKB=(国民覚醒党=グス・ドゥルの政党)の党首であったが、グス・ドゥルとそりが合わず、メガワティ支持にまわり、同党から追放された政治家である。

彼はしきりにアル・カイダ説を主張し続けている。しかし、彼はBINからの報告を鵜呑みにせざるをえない(他にたいした情報網を持っていない)立場の人間である。彼の意見が米国CIAの筋書きと一致するのは偶然ではない。

(02年10月28日) 容疑者として2人の将軍が浮上

10月28日付のジャカルタ・ポスト (http://www.thejakaratapost.com/) によれば事件前後にバリに出入りした2人の国軍と警察の将官がバリ爆弾事件の容疑者として浮上してきているという。

また、かって東チモールの併合派民兵(インドネシア国軍の傀儡とみられていた)の司令官も同時期にバリに出入りしているという。

爆破に使われた三菱L-300(ミニバン)はレンタル車ではなく、あらかじめエンジン・ナンバーの削られた車であったことが判明した。

このニュースに対して国防・治安調整相スシロ・バンバン・ユドヨノは単なる噂にすぎないとして否定した。

その後、軍が明らかにしたところによれば1人は国軍司令参謀学校校長ジャヤ・スパルマン(Djaja Suparman)中将であり、もう1人は国軍参謀長のリャミザード・リヤチュドゥ(Ryamizard Riyacudu)将軍である。2人とも休暇でバリに滞在していたという。ふたりとも最右翼の強硬派幹部である。

また、前のジャカルタ警察長官のヌグロホ・ジャユスマン(Nugroho Jayusman)や元東チモールの民兵(独立反対派)ユーリコ・グテレス(Eurico Guterres)も当時バリにいたという情報もある。

ジャヤ・スパルマンは1998年に学生運動に対抗させるためにイスラム過激派のJihad(聖戦)グループを組織した黒幕の1人であるという。 彼は特殊部隊の司令官や東ジャワ軍管区司令官やジャカルタ軍司令官などを歴任した大物軍人である。なお、Laskar Jihadはバリ事件の直後、解散させられている。

(02年11月7日)ミニ・バンの所有者を逮捕

インドネシア警察はバリ爆発事件の現場で使用されたミニ・バンの所有者を突き止め身柄を拘束し取調べをおこなっている。容疑者の名前はアムロジ(Amrozi)といい、現場で爆発作業を分担しておこなったことを認めているという。

アブ・バカール・バアシールとの関係は不明だが、熱心なイスラム教徒であるという。アムロジがつかまったのは東ジャワのテングルン(Tenggulun)というところにあるイスラム学校の近くの自宅である。

(11月8日)アムロジは取り調べの中でJI(ジェマー・イスラミヤ)の武闘派のハンバリ (逃亡中)とは会ったことがあるが、「ハンバリは今回のバリ事件とは関係ない」と供述している。

また、アムロジは今回の事件の共犯者としてイマム・サムドゥラ(Imam Samudra)の名前を挙げているという。彼は2000年のクリスマスの教会爆破事件の容疑者でもあるが、まだ捕まってはいない (その後02年11月21日に逮捕、03年9月10日に死刑判決)。

国家警察長官ダイ・バフティアールはバリ事件におけるアムロジの役割については言明を避けている。(テンポ・インターネット)

一方、マトリ国防相は今回の事件はアルカイダと結びついた「JIの仕業だと確信している」と、従来からの主張を繰り返している。またCNNはアルカイダのホーム・ページでバリ事件の実行犯であることを言明しているという。いずれもCIA流のシナリオであり、確証はない。この話はオーストラリアから来ている捜索チームも確認していない。

また、別のニュースではアムロジが殺そうとしたのはアメリカ人であって、オーストラリア人を多数殺してしまったのは残念だったといっているという。

本当にそんな供述をしたのかどうか知る由もないが、サリ・クラブはオーストラリア人の溜まり場として地元ではよく知られた場所であった。事実アメリカ人の犠牲者は3名であったが、オーストラリア人は約90名が死亡している。

インドネシア警察が発表していると伝えられるようにアムロジが起こした今回の事件と2000年のクリスマス事件もともにアルカイダの影響下にあるJIグループの仕業だとしたら、アルカイダはスハルト政権崩壊以降インドネシアでしきりにテロ活動(目的不明の)をおこなっていたことになる。どうも腑に落ちない話である。

(02年11月11日) アムロジは主犯ではない

インドネシア当局もアムロジを主犯に仕立て、罪をかぶせて死刑にしてしまいたいところだが、スハルト時代と異なり、イスラム教徒の弁護士も付くし、そうは問屋がおろさない。

それと、アムロジ自身は田舎のオートバイの修理屋という身分だし、これだけの爆発テロ事件を起こすような実力があるとは誰の目から見てもとうてい思えない。

無理にジェマー・イスラミアやアルカイダと結び付けても、全体のシナリオがまるで体をなさない。実行犯はイスラム暴力団か軍人であることは間違いないところであろうが、その背後関係者が誰かが大問題である。

真犯人は誰かはインドネシア政府のトップ゚にはおおよそ見当がついているであろう。しかし、それが仮に軍部だとしたら、捕まえて死刑にするような実力は今の政権にはない。

それにしてもイスラム暴力団(ラスカル・ジハドなど)に肩入れしていた、ハムザ・ハズ副大統領やアミアン・ライス国民協議会議長などは最近急に静かになった。

(02年11月23日)実行犯リーダーのイマム・サムドラの逮捕

インドネシア警察はアムロジの自供に基づき、イマム・サムドラ(Imam Samudra)32才を実行犯の首謀者とみなし、行方を追及していたが、21日の夕刻、西ジャワのメラク港で逮捕し、いくつかの供述を得ている。そのなかで2000年12月24日にインドネシア各地で起こった教会爆破事件(19名死亡)の実行を認めた。

それ以外にもジャカルタのセネン地区のアトリウム・ショッピング・プラザ爆発事件、バンドン爆破事件、ジャカルタのセント・アン教会爆破事件などの一連の爆破事件に関与していたことを自供しているという。

サムドラは1970年生まれで、地元の高校を卒業後、コンピューター技術を習得した。実行犯グループのなかでは最高の「技術屋」であり、リーダーであった。アフガニスタンでタリバン軍にはいり2年間過ごしたのち、6年間マレーシアで働いていたという。

サムドラは2000年のクリスマス・イブの爆破事件の容疑者として以前から警察が追求していた人物であるが、警察は捕まえる努力を怠っていた模様である。その証拠に彼はここ2,3年で3回ほど身分証明書を更新しているという。

また、サムドラのグループはバリ事件の資金獲得ため、郷里のセラン(Serang)で宝石店に強盗に入り、4億ルピア(当時約9万ドル)を強奪したという。

サムドラとJIグループ(実在は疑問視されているが)のリーダーとされるバアシールとの関係は不明である。

サムドラがアル・カイダの一味として今回の事件を企画・立案し実行したとすれば、過去の教会爆破事件も全てアル・カイダの仕業ということになり、アル・カイダは2001年11月のアメリカでの同時多発テロに先立ち、1年も前からインドネシアでテロ活動を実行していたことになる。

それにしてはアルカイダのインドネシアでの爆破事件の「大義名分」は不明である。

これらの爆発事件以外にもスラウェシ島中部のポソ地域で頻発していた爆発事件も未解決であり、警察が本格的に捜索活動をおこなっていた様子は見られなかった。いわば「爆弾屋」は半ば自由にインドネシア内での活動ができたのである。バリ事件もその一環として考えざるをえない。

問題は30歳代の爆弾屋グループに資金を与え、活動させていたのは誰かということである。それが名も知らぬイエーメン人では話にならない。彼らの背後にKopassus(特殊部隊)がいることは巷の噂になっている。若いサムドラが何もかも取り仕切っていたとは考えられない。

サムドラは西ジャワのパンデグラン(Pandeglang)でイスラム暴力団の軍事訓練がおこなわれていたときのメンバーとして名前が挙がっていた。これはセラン・グループとよばれていたものである。セラン・グループは2000年以降に続発した爆弾事件の実行犯と目されている。

セランとパンデグランは近距離にある。しかもこのパンデグランにはKopassusの第1グループの基地があり、スハルトの女婿プラボオが司令官を務めていた場所である。プラボオはセランやその近郊から青年を集め「民兵」を訓練していた。

(02年12月1日)サムドゥラはバアシールとの関係を否定

12月1日付のジャカルタ・ポストによれば、サムドラに接見した弁護士の言葉として「サムドラは警察の取調べ調書のなかでジェマー・イスラミアのリーダーと言われるアブ・バカル・ バアシールについては何も話していない。また、バリ事件以外の爆発事件への関与を認めている。」

マトリ国防相はしきりにサムドラがJIにかかわりアルカイダの一味であることを主張しているが、どうもそうではないらしい。マトリは真犯人を隠すために、あえてCIA作成のシナリオをアナウンスしている感を免れない。

(12月8日追加)

サムドラの自供によってJIの武闘派リーダーの役目をハンバリから引き継いだとされるムクラス(Mukhlas=アモルジの兄 、別名Aji Gufron)が12月3日に捕まった。

その他の小者も 数人逮捕され、総勢20名近い「爆弾屋」一味がお縄を頂戴して、バリ島テロ事件は1件落着ということになった・・・といいたいところだがどうも腑に落ちない。

というのは「爆弾屋」一味は捕まったが、だれが彼らにやらせていたのかという、肝心の首謀者が捕まっていないからだ。爆弾屋一味はいかにも「走り使い的」な小者集団としか言いようがないし、アル・カイダから資金提供を受けてこれだけの事件を起こしたということは考えられない。

ムクラスはマレーシアで捕まっているビジネス・マンのWan Mingから3万ドルほど貰っていたと伝えられる。

スハルト政権崩壊直後から起こっている数々の爆破事件の多くに彼らはかかわっている。これらをアル・カイダと全て関係付けるのは無理である。

米国CIAのシナリオにそって「あれもアル・カイダ、これもアルカイダ」ということで本件を落着させるのであろうか?そうなる可能性は強いが真犯人を捕まえない限り、インドネシアの治安の安定はありえないし、国民も納得しない。

真犯人はわかっていても捕まえられないというのがインドネシアの今日の実情であろう。悲劇の国である。

 

12-2.マカッサルのマクドナルド店爆破事件の犯人は、地元イスラム過激派(02年12月9日)⇒9-2に移動

 ⇒アンボン騒動は特殊部隊が首謀者である‐実行犯が自供(03年1月8日)

バリ事件は別に南スラウェシのマカッサル(ウジュンパンダン)市でマクドナルド・ハンバガーの店が爆破され3名の死者と10数名の負傷者がでた。

12月5日のことである。ほぼ1時間後、トヨタ自動車の中古社販売店も爆破され、自動車は多数破壊されたがこちらは怪我人はでなかった。この店のオーナーは福祉担当調整相のユスフ・カラである。

これも犯人は例によって「アル・カイダ」であるとの報道がなされたが、これまた先走り情報である。

時限爆破装置の設定を間違った犯人が「自爆(事故死)」してしまったが、その人物は、アンサール(Ansar)であることが後に判明した。このグループこの地域のイスラム過激屋のラスカル・ジュンドゥラ(Laskar  Jundullah)のメンバーであるという疑いがもたれている。

ちなみに、フィリピンで爆弾を所持していた容疑で8年の禁固刑で服役中のアグス・ドウィカルナ(Agus Dwikarna)はこのラスカル・ジュンドゥラのリーダーである。

南スラウェシ警察本部長のフィルマン・ガニ(Firman Gani)は警察としては必ずしもLJに容疑を向けているわけではないと説明している。

警察は爆弾屋グループのメンバーを特定しており、既に数人逮捕し、家宅捜索の結果、同地区の教会所在地などを書いた地図と、2.5KgのTNTおよび黒色火薬(爆発力は低い)と爆弾作成の手引き書を押収している。また犯人グループのうちの2名はLJのメンバーであるとしている。

今インドネシアはラマダン(断食月)が明けたばかりで、12月4日(政府は5日といっている)からイドゥル・フィトリ(Idul Fitri)という、いわばイスラム正月に入っている。

こういうときに 人ごみを狙って爆弾を破裂させるのは「キリスト教徒」の仕業ということにして、この地域に新たに宗教抗争を再燃させたいという政治的意図があったのであろう。

ラスカル・ジハドはバリ事件直後に解散させられたが、同種のイスラム過激団体はまだ残っている。このラスカル・ジュンドゥラというのは「インドネシアにイスラム法を確立するための委員会=Komite Penegakkan Syariat Islam(KPSI)」というマカッサルに本部を置く団体の「実行部隊」である。

また、イスラム青年戦線(FPI)のメンバーにも容疑がかけられている。

12月11日現在犯人グループ4名が逮捕され、主犯格の1人アグン・ハミッドが指名手配中である。

警察のすばやい逮捕に対し、「警察は事件を事前に知っていたのではないか?」という疑いをもたれている。また、2000年のクリスマス・イブの教会爆破事件のとき何故犯人を捕まえられなかったのか?という当然すぎる疑惑がもたれている。

警察は事件の全貌も犯人グループも知りながら、ある事情(特殊部隊が関与)により逮捕に踏み切らなかったという見方がある。

【情報部、特殊部隊はテロリスト・グループとコンタクトを持っていた】(12月14日)

12月11日付けでICG(International Crisis Group http://www.crisisweb.org )が公表した「Indonesia Backgrounder: How The Jemaah Islamiyah Terrorist Network Operates=インドネシアの背景;ジェマー・イスラミアのテロリスト・ネットワークの活動状況」によれば、JI系のイスラム過激派爆弾屋集団はインドネシア軍情報部と特殊部隊にホット・ラインを持っていたことが関係者の証言から明らかになった。

このなかでICGは関係者へのインタビューと過去からのデータに基づきJIグループのなかの武闘派(アブ・バカル・バアシールは彼らからは疎外されていたようだ)の活動について、2000年のクリスマス・イブにインドネシア全土10数箇所でほぼ同時刻に起こった教会爆破事件にスポットを当てながら主に人の動きを中心に解説している。

本文は29ページにもおよぶ力作で、全体の紹介はできないが、まず7ページにアチェ独立運動(GAM)から離脱したグループの話が出てくる。その指導者にファウジ・ハスビ(Teungku Fauzi Hasbi)がいる。

彼はダルル・イスラム運動の指導者の息子であり、「真正GAM」のリーダーを自称しており、配下にはGAMを離脱した手下がかなりいる。彼は、また、いまやお尋ね者の筆頭の武闘派のトップのハンバリを息子のように可愛いがっている。

ハスビはJIに近い人物でありながら、1979年にインドネシア軍特殊部隊に投降して以来、当時の特殊部隊の中尉シャフリ・スジャムスディン(Syafrie Sjamusuddin)と親しい関係にあり、シャフリが少将に昇進しインドネシア国軍司令部の報道部長となっている現在も定期的に情報連絡している。

そればかりか情報部勤務が長く、現在は軍情報部長のヘンドロプリヨノ中将(Hendoropriyono)とも近しい関係にあるという(9ページ)。

この辺の情報を読むと軍情報部はことさらにCIAの情報に乗って、バリ爆破事件をアル・カイダの指令を受けたJI(ジェマー・イスラミア)の仕業だという「宣伝」をしていることの背景が読めてきそうな気がする。ご関心の向きにはICGのリポートを一読されることをお勧めする。上記のcrisiswebから簡単にダウン・ロード(付属資料込みで約50ページ)できる。

スハルト政権崩壊以降のインドネシアの爆弾テロ事件の全貌が少しずつ解明されつつある。アル・カイダの仕業だなどという単純なお話ではないことがはっきりしてきた。

 しかし、これぐらいのことはGus Dur前大統領などははじめから知っていたのであろう。だからこそ、イスラム過激派の幹部の名前(バアシール以下数名)を新聞記者が口にしたとき、かれはタンガップ(捕まえてしまえ)とはき捨てるように言ったのだ。

⇒アンボンの暴動は特殊部隊が仕組んだもの(03年1月8日)

スハルト政権が98年5月に崩壊した後、インドネシアでは軍の統制が乱れ、各地に暴動や爆弾騒動が起こった。その最終的な大事件は昨年10月12日に起こったバリ等事件であった。日本のマスコミの一部(というよりは多く)はスハルト独裁体制の方が治安が安定していてよかったという論調である。

マルク諸島のアンボンでのキリスト教徒とイスラム教徒の武力抗争はその代表的事例であった。1999年以降両者の武力抗争で約5,000人の死者が出ている。

ところが、アンボンの暴動の火付け役を果たした キリスト教徒のチョカール(Coker=Cowok Keren=イカス野郎)団の親分であるベルティ・ルパティ(Berty Loupaty)なる人物が、あの暴動はインドネシア軍特殊部隊(Kopassus)が首謀者であると告白した。

アンボンのポルトとハリア村をスピード・ボートに乗った暴力団が襲撃したのが事件のきっかけでもあるが、ボートを買う金はKopassusが出したもので、ボートには特殊部隊員も乗り込み、彼らの指示に従って攻撃を仕掛けたのだという。

それ以外に昨年の「和平協定後」のほとんど全ての抗争事件に関与し、少なくとも11件の爆破事件を起こした。これらは全て特殊部隊の差し金であった。特殊部隊はアンボンに「騒乱状態」をつくることが目的であったという。(http://www.tempo.co.id の03年1月8日の記事他参照)

なおルパティと17名の仲間はアンボン騒乱事件を起こした罪でジャカルタ警察本部に拘置されている 。本人は昨02年11月に警察に自首した。自首しなければ、口封じのために殺害される危険を感じたからであろう。

なお、Kopassusは上述の通り、スハルトの女婿プラボオ中将の強い影響下にあった組織である。 アンボン地区の宗教騒乱の背後にはKopassus がいたという話しは事件の当初から噂話としてジャカルタではささやかれていた。

私のような門外漢にすぎない一介の旅行者の耳にすら入っていた話である。それが具体的生き証人によって語られ始めたのである。

この紛争にはご存知「ジャスカル・ジハド」などハムザ・ハズ現副大統領やアミアン・ライス国民協議会議長が少なからず肩入れしてきたイスラム暴力団組織も「応援」に駆けつけて騒ぎを拡大してきた。これら暴力団組織は爆弾屋グループとも浅からぬ接点があったはずである。

今回、バリ事件をきっかけにインドネシアのいわゆる「政情不安」の根幹が急速にあばかれはじめたことによって、インドネシアの政治不安(騒乱事件、爆破事件)の1つが取り除かれる結果に終わることを祈りたい。

 

12−3 ベネディクト・アンダーソンはアル・カイダ犯人説に懐疑的(02年12月27日)

米国の著名なインドネシア学者(コーネル大学教授)のベネディクト・アンダーソンはタイのとある講演会で次のように語った。@アル・カイダはオサマ・ビン・ラディンがイスラエルを支持する米国を叩くためにつくった組織であり、バリ 事件は政治的にも経済的にも米国とは何の関係もない。

Aまたジェマー・イスラミア運動の源流はオランダ植民地時代にまでさかのぼり、それはオサマが生まれるはるか前のことである。

Bインドネシアのイスラム教徒による暴力組織「コマンド・ジハド」は70年代にスハルトによってつくられ、共産主義者と戦う「暗黒の (暴力)組織」であった。この組織は今でもインドネシア国内で特定のグループの商業的および政治的利益のためにテロ事件を起こしている

Cバリ事件で使われたC-4爆弾は米国製であり、インドネシア軍の技術者とレッド・ベレーと呼ばれる特殊部隊によって使われているものである。

Dバリ事件の首謀者はおそらく軍部の一部であり、東チモール独立問題でオーストラリアに仕返しをする意図を持っていたのではないか。また彼らは同時に政治的に国軍の復権によって利益を得ようとしているグループでもある。

Eバリ事件はアル・カイダによる国際的陰謀ではなく、国内政治との関係が深い。 特に「暗黒の作戦」に長い経験をもつ軍事グループとの関係が深い。インドネシアの場合はテロリストは国家機関内にいるのである。

Fアル・カイダ・グループはタイを含む東南アジアを目標にするとは考えられない。なぜなら東南アジアでことを起こしてもうるものは何もないし、彼らはここでは安全だからである。世界最大のイスラム教刻のインドネシアや非イスラム教国のタイに世界の注目を集めるメリットは何もない。ここではアル・カイダの戦士達は休息し、食糧を買い、買い物をする場所なのである。

これは02年12月19日のタイの英字紙ネーションに詳しく記載されている。 http://www.nationmultimedia.com/

アンダーソン教授のこの説は私がいままで本欄でながながと述べてきた内容とほとんど同じ趣旨である。アル・カイダ=ジェマー・イスラミア主犯説が米国のCIAを源流として世界中に流され、日本のマスコミもほとんど全てがそのシナリオに乗っているというのは一体どういうことであろうか。

こんな金太郎飴みたいな馬鹿げたマス・メディアはこれほど多く存在する意味はない。戦時中の大政翼賛新聞とどこが違うのだろう。

NHKをはじめ日本のマスコミはもっとしっかりしないと「アジアの劣等生」となってしまうではないか?少なくともタイのネーションの記者はアンダーソンの名前を知っていて、彼の講演を聞きにいき必死にこの記事を書いたに相違ない。

ちなみに、ベネディクト・アンダーソンの著書は「言葉と権力」という表題で日本エディタースクール出版部から邦訳(1995年、中島成久訳)が出ている。

 

12−4 一連の裁判の開始と捜査の進展(03年5月30日追加)

5月12日から いよいよバリ爆破事件の裁判が始まった。 最初に起訴されたのはアモルジ(40歳)である。彼は爆薬を調合し、買ってきた三菱自動車のバンに積み込んだというものである。起訴状にはジェマー・イスラミアについての記述がないとのことである。

また、アブ・バカル・バアシール師の裁判が5月28日から始まった。バリ事件の主犯格のムクラスとイマム・サムドラとアリ・イムロンとフトモ・パムンカス (別名ムバロク)の4名の証人が呼ばれ供述した。

なかでもムクラスはハンバリの後継者としてジェマー・イスラミアの武闘派のリーダーであるといわれている。

4人ともバアシールはバリ事件とは関係がないと証言した。ただし、4人ともバアシールを直接・間接に知っていると供述した。

そのなかで、ムクラスはアフガニスタンに滞在したことやオサマ・ビン・ラディンを良く知っていることを認めたがオサマ自身はバリ事件には関与していないし、援助もしていないと語った。

また、彼は元マレーシア工科大学講師のワン・ミン・ワン・マットからバリ事件の資金として3万ドルの資金提供を受けたと語った。

イマム・サムドラはバアシールの説教は「現代の問題に触れていないため、退屈で眠くなった」と語った。これはバアシールが武闘派とは離れた存在であったことを示唆している。

今回の一連の裁判の焦点は、バリ事件はアル・カイダの国際テロなるものとは関係なく「国内テロ」だということになるかどうかということと、犯人の「爆弾屋グループ」がだれから頼まれて、いかなる動機でこの事件を起こしたかである。単なる「聖戦」ではあるまい。

(03年6月12日)ジェマー・イスラミアはただの宗教団体にすぎない

バアシールの裁判で弁護側の証人にたったマス・スラマット・カスタリ=別名エディ・ハルヤント(Edi Haryanto)42歳はジャカルタ中央裁判所において「JIは単なる普通の宗教団体にすぎない」と証言した。

スラマットはシンガポールのJI支部長で、昨年リアウ州ペカンバルにおいて文書偽造の罪で逮捕された。JIは神の法に従って信徒と社会の発展を目指すことを目的にしたものだと答えた。

また、JIは日常活動において暴力行為を働いたことはなく、そのグループはシンガポールにおける米国関連の施設を攻撃する計画をつくったが実行には至らなかったとも答えた。

また、彼は1999年からシンガポールの支部長をやっているが、それは亡くなったアブドゥラ・スンカール師から任命されたと語った。さらに、アブ・バカール・バアシール師がスンカール師の後任であったかどうかは確認していないとも語った。

バアシールの説教は「純粋に宗教的なもの」にとどまり、インドネシア政府に対する敵対的発言はなかったとも述べた。

⇒ 主要容疑者、警察の取り調べ供述を覆す。JIについても否定ー(03年6月12日)

6月11日のアモルジの裁判で、証人にたったイマム・サムドラとフトモ・パムンガス(別名ムバロク)はバリ爆破事件の事前打ち合わせには出席をしていないし、打ち合わせそのものを知らないと証言した。

これは、彼らが警察で「自供した内容と」全く異なるため、検察は窮地に追い込まれることになる。アモロジは「事前打ち合わせ」というのは彼がでっち上げた供述であると言っている内容とも一致する。事前打ち合わせなどやっていなかったということである。

アモルジは「警察はイマム・サムドラを捕まえられないと思い、好き勝手な供述をした。ところが彼が捕まってしまったので、前言を撤回したまでだ」と語った。

ジェマー・イスラミアの地方幹部のアリ・グフロンはアモルジの兄に当たるため、証言を拒否した。これは合法である。

サムドラは「2000年の爆破事件以来、警察に追われており、とうてい会合には参加できず、Eメールで必要な連絡をとっていた、また仲間との直接の連絡をとらないようにしてきた」と証言した。

また、サムドラは「ヘリアントとズルカルナンを知らない。爆薬や三菱ミニ・バンの購入のことなど知らなかった。ただし、米国とその同盟国への聖戦のためにバリにやってきた」と語った。

アモルジ自身は2000年8月のフィリピン大使館攻撃事件や2000年末のキリスト教会爆破事件や01年のジャカルタのショッピング・センター爆破事件のときの爆弾の製造と実行に関与したことを認めた 。

アムロジは爆弾製造技術をマレーシアの石切り場で働いていたときに、オーストラリア人の技術者から教わったとのべている。

さらに重要なことは。アムロジはバアシールの説教は聴いたことがあるがJI(ジェマー・イスラミヤ)については知らないと供述している(この項はシドニー・モーニング・ヘラルド http://www..smh.com.au  6月12日付け)

⇒ アモルジは警察での自供は拷問の脅しに屈したものと供述(03年6月20日)

アモルジは6月19日のアル・バカール・バアシール師の裁判で、「マレーシアにおいてバアシールの説教会に参加していない」と証言した。

また、「警察の調書では参加したとしているが、それは目の前でムクラスが拷問を受けているのを見せられ、恐ろしくなって警察の言うとおりに供述書にサインしたものであり、実際はバアシールがJIの指導者かどうかなどは知らない」と供述した。

ムクラスほか数人の証人もバアシールがこの地域のテロ活動に関与していたかどうかは知らないと証言した。

これによって、バアシール師への検察の立場はいっそう弱くなった。ただし、警察のスポークスマンであるエドワード・アリトナン准将は拷問の脅しを否定している。

JIなる組織がインドネシアに実在し、それがアルカイダの指令に基づいて積極的なテロ活動をやってきたなどというシナリオ自体が虚構であるとしか私には思えない。最近の裁判の進行を見て、ますますそのように見えてきた。

確かに爆弾屋グループは存在した。しかし、彼らの行動の目的と動機が何であったのか?今後の進行を見守りたい。私の仮説は上に述べたとおりである。

(03年6月23日)ムクラスも拷問による自白と主張

ムクラス、別名アリ・グフロンは本日の裁判で、彼がバリ事件を計画したという自白は警察の拷問による取調べの結果だと主張した。彼によれば異常かつ非文明的な精神的、肉体的拷問を受け、それに耐え切れずに警察の調書に署名したという。

バアシール師がバリ爆破事件を命令したという自白も、拷問によるものだと主張した。

(03年6月27日)シンガポールで捕まっているJIメンバーはバアシールに不利な証言

シンガポールで捕まっているマレー人のJIメンバーである称するファイズ・ビン・アブ・バカール・バファナ(41歳建設業者)は6月26日ビデオ会議という珍しい方法でバアシール裁判の証言をおこなった。

そのなかで、ファイズはバアシール被告は2000年のキリスト教会爆破事件に責任があること、メガワティ暗殺を計画したことを述べた。

また、オサマ・ビン・ラディンとハンバリ(JIの武闘派リーダーで逃亡中)は会って、爆弾計画を相談していたと語った(この行はワシントン・ポストによる)。

同日、シンガポール国籍のマレー人、ジャファー・ビン・ミツキ(43歳郵便配達夫)とハシム・ビン・アバス(42歳技術者)もバアシールがJIのボスであるとの証言をおこなった。

バアシールの弁護士モハマッド・アセガフは「シンガポールで捕らわれている証人の証言などまともに受け取れない。彼らはシンガポール政府の圧力を受けている」と述べた。

これら3人はシンガポールにおいて悪名高いISA(Internal Security Act=国内治安法)で捕らわれている。ISAは治安維持の目的で裁判抜きで長期間拘留できるという政府にとってはまことに好都合な非人道的悪法である。これはマレーシアにもある。

(03年7月9日)マレーシアの弁護士協会、テレビ証言を非難

バアシール裁判で、7月3日に、今度はマレーシアでISA(治安維持法)で裁判も受けずに拘留されているジェマー・イスラミアのメンバーと目されるアーマド・サジュリ・ビン・アドブル・ラーマン(Ahmad Sajuli bin Adbul Rahman)がビデオ証言をおこなった。

内容的にはシンガポールの証人とほぼ同じような内容で、バアシールはJIのリーダーであり、2000年のクリスマス・イブ爆破事件やモルッカ諸島の一連のキリスト教徒との武闘にかかわったという証言をおこなった。

これに対して、マレーシアの弁護士協会は「憲法違反であり、かつ弾圧的放棄であるISA」で捕らわれている人物をビデオ証言に立たせるマレーシア政府のやり方は容認できないと強く抗議した。

このように、弱い立場にあり裁判も受けておらず、刑も確定していない人物を拘留したまま証言させるということ自体、証言の信頼性に欠けることは自明である。

シンガポールは証人には拷問などしていないし、自発的に証言したなどといっているが、それはいつもながらの「手前味噌のロジック」というやつで、第3者の理解を得られるものではない。

ところで、シンガポールの弁護士会は本件に関して、何も発言していない。こういうところを見ると、マレーシアのほうがシンガポールよりも多少民主的なのかなとも思う。もちろん、これだけでは判断できないが。

⇒ バリ爆破事件はオサマ・ビン・ラディンにいわれてやった??(03年7月11日)

かねて、ジェマー・イスラミアの会計部長としてマレーシアで拘置されているワン・ミン・ワン・マット(Wan Min Wan Mat) はバリ爆破事件はオサマ・ビン・ラディンからの呼びかけに応じて行ったものであると文書で証言した。

この爆破事件は02年2月にバンコクで計画されたものであるという。彼は35,000ドルを用意し、仲間に渡したが、用途については知らなかったという。

オサマが何時どういう方法でワンに連絡してきたかは明らかにされていない。

この種類の「やらせ的」証言はこれからも出てくるであろう。

同日付けのウオール・ストリート・ジャーナルによると、マレーシアではISA(国内治安維持法)で、裁判にもかけてもらえず、自由に弁護士とも接見を許されない「イスラム過激派」が70名も強制収容されているという。

そのなかには、JIのメンバーとされる者も含まれるが、最近、ビデオ証言と称して、インドネシア当局に都合のいい「証言」をするものが出てきているが、かれらはマレーシア当局からいわれるままに証言しているに過ぎないという見方をされている。

⇒爆弾屋グループを7名(最終9名)逮捕、1名自殺?武器弾薬大量押収(03年7月12日)

警察は最近7名のイジェマー・イスラミア(JI)の過激派メンバーを逮捕したと発表した。

7月8日、ジャカルタで2名の爆弾屋の容疑者を捕まえ、 また、7月9日にはスマランで4名の容疑者が捕まった。

彼らの案内で靴屋の裏に行ったところ、4箱(160kg)のTNT火薬、25袋(900kg)のポタシウム・クロレイト(化学肥料で爆弾の材料)、1,200個の起爆装置、ピストル1丁、M-16ライフル2丁、ロケット弾、22,000発の弾丸、爆弾作成の手引書などを押収した。

そのうちの1人、アシム・イワヌディン(Asim Ihwanudin)28歳は、警察で手錠をかけられて、取り調べの最中に、警官のM-16自動小銃を奪い、トイレに逃げ込み、弾倉ケースを銃に装着し、胸を撃って自殺したという。

アシムはJIのジャカルタ地区の支部長であったという。手錠をかけられたアシムが武装している警官から銃を取り上げ、こんな離れ業をやれるはずはない。

当然のことながら、地元の人権団体は彼が警察官によって射殺されたのではないかと疑問の声を上げている。 いずれにせよ、警察による作り話のにおいがすることは確かである。アシムは口封じのために殺された可能性もある。

警察では彼らと、バリ爆破事件との関係を調査中であるという。

また、7月15日の警察の発表によると、彼らは8個の爆弾をジャカルタに送ったという。

(03年7月14日)今度は国会で爆発事件

7月14日午前7時半(現地時間)ころ、国会議事堂で爆弾が破裂し、壁の一部と窓ガラス数枚が破壊された。国会は休会中で警備もまばらで、怪我人はいなかった。

犯人や爆弾の種類などは特定できていない。

スハルト体制崩壊以降、一連の爆破事件が起こっているが、民主政権の「無能ぶり」をアピールすることが、爆破事件の狙いとしか思えない。

⇒ アモルジに死刑判決(03年8月7日)

バリ事件で三菱のミニ・バンを購入。所有し、かつスラバヤの肥料商から、爆弾の一部に使われたポタシウム・クロライドを買い付けたアモルジはテロ行為を企画・実行した罪で、デンパサール地裁で死刑判決が下された。

裁判長のイ・マデ・カルナは控訴には1週間の時間的猶予が与えられると言い渡した。

裁判所の内外では死刑判決を支持する歓声が上がったという。

アモルジは「殉教者として死ぬのは幸せである。私の後に100万人以上のアモルジが現れるであろう」と語っていたという。

アモルジの弁護団はこの判決を不服として、直ちに上級審に控訴すると言う。というのは、アムロジは主犯というのには程遠い役割しか果たしていないという点である。

この場合の重要な論争点の一つはアムロジが犯したバリ事件の後に、「テロ取締り法」ができて、その法律で裁かれたことである。

⇒ アリ・イムロンの証言ーバリ島爆破事件はJIの仕業ではない(03年8月21日)。

先に、1審で死刑判決を受けているアムロジの弟であり、主犯格とみなされているムクラスの弟でもあるアリ・イムロンの裁判が本日おこなわれた。そのなかで注目される証言がBBCの記事で伝えられている。

先ず、バリ島爆発事件は9月11日におこなう計画であったが爆弾の手配ができず、10月12日にずれ込んだ。

アリ・イムロンの兄ムクラスが事件を計画した。

JIが爆破事件を命じたかどうかは疑問である。ハンバリとムクラスの両人が計画したものである。JIの人々はほとんどが暴力には反対である。

爆弾を作ったのはドゥルマティンであり、爆薬を混ぜ合わせたのはアブドゥル・ゴニである。

イドリスが宿舎などの手配をし、アムロジはバンと化学薬品の購入をおこない、私(アリ・イムロン)はアモルジの手伝いをやっただけである。

(8月22日付のジャカルタ・ポストによるとイムロンはアブドゥル・アジズ=イマム・サムドラと共にサリ・クラブなど現場の下見をやり、最も人の出入りの多いサリ・クラブとパディ・クラブを選択したことを認めている。)

また、テンポ紙によるとアブ・バカール・バアシールはJIの存在そのものを否定し、いわんやJIのリーダーなどではないと再三強調しているという。

⇒バアシールに4年の禁固刑の判決(03年9月2日)

いわゆるジェマー・イスラミア(JI=イスラム共同体)の頭目といわれているイスラム教導師アブ・バカール・バアシール師に対する国家転覆罪等の容疑に対する判決が本日(9月2日) 中央ジャカルタ地裁で下された。

検察側の15年の禁固刑の求刑に対し、判決は4年の実刑と大方の予想に反し比較的軽いものであった。

それでも、裁判所を取り巻くバアシールの支持者からは不満の声があがり、反米のシュプレヒ・コール(Gantung Amerika=Hang America)が鳴り止まなかったという。しかし、市内の暴動にまで発展する様子は見られな かった。

判決の中では、政府に対する「反逆(Treason)」の謀議に加担したことと、公文書偽造と移民法違反が有罪の根拠とされ、メガワティ大統領暗殺計画 や国家転覆(Subversion)」の容疑は無実とされた。

また、バアシールはJIを率いて一連の爆破事件(教会爆破事件、バリ事件など)を主導したという容疑も無実とされた。

バアシールは、「この裁判は一連の爆破事件がアルカイダの指示に基づくJIの組織的犯行だとする米国政府・CIAのシナリオによるものであり、インドネシア政府はブッシュ政権に迎合するために彼を逮捕した」のであり、いわば「政治裁判」であると主張している。

バアシールはこの判決を不服として、直ちに控訴することを決めた。

確かに、バアシールの言うように、バリ事件がJIの組織的犯行であるというならば、バアシールをその指導者として認める以上、4年の判決ではすまないはずである。

この判決は米国政府とシンガポールがバリ事件のかなり前から「バアシールを指導者とするJI」というアルカイダに密接なテロリスト集団の存在という、「基本シナリオ」を覆すものである。

テロリスト集団は爆弾屋集団であることは事実としてもJIなるバアシールを頭目とする組織であるかどうか、抜本的な検討を迫られることになろう。

また、シンガポールでISA(治安維持法)で拘置されている人物に、「ビデオ放送」という異常な手段で証言させ、バアシールを有罪に持ち込もうとした検察側の意図は判決によって否認された。

ISAで拘留されている「容疑者」に証言させるということ自体検察側の失態であった。

この判決で、一応メガワティ政権の面子は救われた。有罪の決め手が「シンガポールの牢獄からのビデオ証言だけ」などということになったら、それこそインドネシアの司法制度の内容が疑われる。

しかし、全くの無罪(そうなる可能性も普通の先進国の裁判ではありえたが)ではバアシールという「大物」を引っ括った政府の立場もなかったであろう。

イマム・サムドラに死刑判決(03年9月10日)

イマム・サムドラ(Imam Samudra)はバリ島デンパサール地裁においてバリ島爆破事件の首謀者として死刑判決を受けた。死刑判決は弟のアムロジ被告に次いで2人めである。

弁護団は直ちに控訴すると発表した。

オーストラリア政府は、自国では死刑という制度は廃止されているが、バリ事件の犯人の死刑は容認するといっている。またオーストラリア人の被害者の遺族の1人は「死刑は好ましくない」と発言したという。(ジャカルタ・ポスト9月10日付)

⇒ ナフダトゥール・ウラマ会長がテロ組織としてのJIの存在を改めて否定(03年9月11日)

インドネシアで最大のイスラム教徒の組織(4000万人)であるNU(ナフダトゥール・ウラマ)の会長であるハシム・ムザキ(Hasyim Muzaki)氏は東南アジアにおけるアルカイダ組織としてのジェマー・イスラミアの存在を改めて否定した。

彼は先週土曜日(9月6日)にこの発言をおこなった後に、真意を説明するために米国のラルフ・ボイス大使、オーストラリアのデビッド・リッチー大使、EU議会のハルトムート・ナサウアー議員に個別に面談した。

ナサウアー議員は少なくともテロ組織のメンバーが自らジェマー・イスラミアと名乗っていないことだけは確かだという認識を示した。

⇒ ムクラス(アリ・グフロン)に死刑判決(03年10月3日)

デンパサール地裁(バリ島)は10月2日(木)にバリ事件の主犯格のムクラス(Muklas本名Ali Gufron)に死刑判決を宣告した。ムクラスは直ちに上告した。

これで、死刑判決はアムロジとイマム・サムドラに続いて3人目である。

首謀者と見られるハンバリについては8月11日に逮捕されてから、米国が身柄を拘束しているが、インドネシア当局の直接的な取調べを許していない。不可解な米国の行動である。

 

12-5 ジャカルタのマリオット・ホテルで爆破事件、12人が死亡(03年8月5日)

本日、現地時間12時45分ころ、ジャカルタのマリオット・ホテル(米国資本の5つ星ホテル)の外部で強力な爆弾が破裂し、判っているだけで12人の死者がでた。 負傷者の数は149名に達している。さらに犠牲者は増える見込みという。

爆発はホテルのロビー入り口の駐車場に止めてあったトヨタ・キジャン車から起こり、ホテルのロビー入り口には2メートルほどの穴が空いており、自動車も22台が破壊されたという。高性能爆弾が使われた可能性が高い。

小さい爆発は2階でも起こったといわれている。

近くにいた、守衛で重傷を負った人の証言では、1台のシルバー・カラーのトヨタ・キジャンがロビー入り口付近(6m)に駐車し、しばらくしてこのバンが爆発し、炎上したという。

インドネシア警察は自殺テロの可能性が強いと述べている。その根拠にバンのなかに人体の破片が残っていたという 。その後5階から運転手の首が見つかり、アスマール(Asmar Latin Sami 28歳)であることが確認された。

もう1台のブルーのバンの運転手はヨハネス・ブラン(52歳)といい、病院に運ばれて死亡したが、彼が運転してきた車はシンガポール人、ニィ・キティ・リウがオーナーで、INS証券の現地幹部であり、ホテルに友人を迎えに行かせたという。 事件とは関係ないもよう。

アスマールは自爆テロだといわれていたが、実際は守衛が2人近づいてきたので、あわてて爆弾の起爆装置を作動させたものとインドネシア警察は推測している。

アスマールは爆弾屋の一味で、前から警察がマークしており、しばしば電話を盗聴していたという。

死亡が確認されているのはオランダ人の銀行員1名、他ホテル従業員、タクシー運転手など6名である。

(ジャカルタ・ポスト http://www.thejakartapost.com/ 参照)

⇒ 犯人はジェマー・イスラミア?(03年8月6日)

シンガポールのストレート・タイムズはいち早くジェマー・イスラミア(JI)が犯行宣言を出し、メガワティ大統領に対し、戦闘集団JIに対してこれ以上弾圧をするなといっているとのこと。

どうも、シンガポールはJIとの連絡が良いようで、こういう報道は目下のところジャカルタでされていない。

7月31日付けのストレート・タイムズもインドネシア情報部員の話しとして、近日中にバリと同様な事件が起こると予測していた。

目下、逃亡中のJIメンバーのうち、5名が組織のトップになり、爆発事件を計画しているという。ということは、今回の事件もある程度インドネシア情報部は、場所と時間は別としても、予測していたものと思われる。

この事件以前に先月、インドネシア警察は、9カ所の爆発物の隠し場所を発見している。 そのときは1,000個の起爆装置、30kgのポタシウム農薬の入った袋30個、TNT火薬4箱、65PETN(インドネシア軍需工廠製?)起爆装置65個を押収している。

要するに、JIとよばれる「爆弾屋」グループはかなり、残っていて、それらはおのおの、軍用爆弾を支給されて持っていたと思われる。したがって警察としては、それを回収に行ったのであろう。

しかし、なおいくつかのグループは爆弾を返さないで、逃げてしまったものもいるし、あるいは、新たに、爆弾屋を組織して、利用しようとしている政治グループがインドネシア国内にいるものと思われる。

この事件は、「政治的事件」と見るべきであろう。それを、単に、アル・カイダの仕業だなどと的外れの議論をしていては、テロの根絶は期し難いであろう。

⇒ 犯人はあくまで爆弾屋で背後の雇い主は誰か?(03年8月7日)

今回の事件はバリ事件と手口が似ている。全くその通りである。バリ事件でも今回のマリオット事件でも明らかにされていない点がある。それは爆弾についてである。

確かに肥料を原料にした手製の爆弾も使われていたが、起爆装置と主要な爆弾はインドネシア国軍から、どういう方法か判らないが、出ていることは間違いない。

これは何らかの形で、軍がこの爆弾屋組織に関与していたことを物語っている。

フィリピンにおいてもダバオの爆弾事件は軍の犯行であることが、反乱軍によってすっぱ抜かれてしまった。あれもアルカイダの指導を受けたMILF(モロ・イスラム解放戦線)の仕業ということになっていたはずである。

マリオット事件の1週間ほど前に警察がスマランの爆弾屋の武器庫を捜索し、押収した武器弾薬の類のほとんどがインドネシア国軍から出たものであるといってよい。

この肝心のポイントが議論されずにシンガポールのストレート・タイムズの某記者が「JI筋からえた情報」とやらが独り歩きしているのは、いったいどういうことなのであろうか?

スハルトと後継者のハビビ失脚以降に急に増えだした爆弾事件は、大きな流れでいえば、「民主主義政権」に対する、旧スハルト派の挑戦あるいは巻き返しと見ることができよう。

今回、驚きなのは2004年の大統領選挙でメガワティ追い落としのために、オルバ(新秩序=スハルト体制)・グループの筆頭ともいうべきウイラント元国軍司令官がゴルカルの候補になるべく立候補宣言を正式におこなったことである。

旧スハルト系の軍人は大喜びであろう。「軍でなければ、このテロは抑えられないのだ」というムードつくりは今回のマリオット事件を期にいやがうえにも盛り上がってきた。

ゴルカルはアクバル・タンジュン党首がいるが、彼は「汚職事件」に巻き込まれて、現在3年の実刑判決を受け、控訴中である。アクバルはゴルカルの大統領候補になるべく立候補しているが、彼がゴルカルの大統領候補者になれるとは限らない。

最近スハルト派の元軍人が大挙してゴルカルに入党している。スハルトの女婿で特殊部隊司令官だったプラボオもゴルカルの大統領候補選に顔を出しているという。いまや、ゴルカルは旧スハルト系軍人のタマリ場になりつつある。

メガワティのオルバ・グループに対する甘い姿勢が、ついに自分の足許を掘り崩し始めたのは皮肉である。もちろん、最大のマヌケは夫のキエマスであることは確かだが。

今回の事件も、アガサ・クリスティー流に言えば、「最大の受益者が真犯人」なのであるという視点からみれば全てが見えてくる。

JIが東南アジアに大イスラム共和国を本当に作ろうとすれば、テロ行為は逆効果のはずである。

(03年8月8日追加)

ここで、忘れてならないことがもう1つある。それはアメリカの世界戦略である。アルカイダとジェマーイスラミアのテロリストの脅威を理由に、米国のこの地域への干渉や、米軍のプレゼンスが極めて容易になる。

お隣のフィリピンのアロヨは、米国のブッシュのいいなりなることによって、「次の大統領選にはぜひ出なさいよ」などという暖かいご声援までいただいている。

もともと不人気で、出馬をあきらめていたアロヨは、今やすっかり次の大統領選挙に出るつもりになっているという。

シンガポールは米国の経済的、軍事的後ろ盾が何より必要であり、アルカイダとJIの脅威を必死で宣伝している。

おまけに、シンガポールのストレート・タイムズの某記者(JIとは特に親密な情報網を持っているらしい)はインドネシアにISA(治安維持法=裁判抜きで怪しい者を何時までも拘置できる、無類の悪法)がないことを陰に陽に非難している。

アルカイダとJIは民主主義抑圧のタネにもなるらしい。そういえば、タイのタクシンも国内のイスラム教徒をシンガポール政府からのご注進によって3人ほど引っ括ったが、証拠が挙がらず苦労しているらしい。

 

12-6. 爆弾屋の親分ハンバリついにタイで捕まる(03年8月15日)

ジェマー・イスラミア(JI)の爆弾屋グループのトップのハンバリ(39歳、Hambali別名Riduan Isamuddin)がタイのアユタヤ市付近でタイ警察によって8月11日( 月)に逮捕された。実際はCIAの係官との共同逮捕であった。

現在は身柄を第3国(おそらくシンガポールか米国)に送られ取調べを受けている。この取調べにはタイの官憲も2名加わっている。

タイ警察は10月20-21日にタイで開かれるAPECのサミットの警備を強化していたところ、怪しげな人物が網に引っかかったということにしているようである。 しかし。

逮捕のきっかけは、ハンバリが潜伏していたアユタヤのイスラム教徒集落の住民が警察に密告したことであると、タイ警察は語っている。ハンバリは顔に整形手術を施しており、タイ警察もなかなか本人と確認できなかったという。

ところが、これらは作り話で、実際にハンバリがタイに潜伏中であるということを密告したのは7月に南タイで捕らえられ、シンガポールに引き渡されたヤジド・ズバイール(Yazid Zubair、マレーシア国籍)であるという。

ハンバリは所持金として130万バーツ(約360万円)の現金と13万ドルの銀行口座を持っていたという。また、スペインの偽パスポートを所持していた。

ハンバリは既に逮捕されている、アブ・バカール・バアシールの弟子で、99年以降インドネシアの各地で起こった爆弾事件の首謀者と目されている。

バリ事件のときは既に爆弾屋のトップの座を降り、逃亡中であったと言われていた。 ハンバリは爆弾屋仲間では本場のアルカイダと直接のつながりがあり、アルカイダの軍事委員会の唯一非アラブ系メンバーであるという。

米国のブッシュ大統領はいたくお喜びのご様子であり、「彼は自由を愛するわれわれにとって、もはや問題でない」と語ったという。また、スコット・マクレラン報道官がハンバリ逮捕の記者発表をおこなった。

ブッシュの愛する自由とはイラクに勝手に侵略して無実の市民を6,000名以上も殺戮する自由も含むらしいから、なかなか厄介な代物のようだ。

インドネシア警察は、8月5日のマリオット・ホテルの爆破事件の首謀者はハンバリだという言い方をしている。

しかし、ハンバリが捕まってもインドネシアの爆弾騒ぎは終わりそうもない。というのは爆弾屋組織の本物のオーガナイザーは未だ捕まっていないどころか、追求も受けていないからである。

現在、米国がハンバリを取り調べているが、近日中に身柄はインドネシアに引き渡される予定という ことであった。とろが米国はハンバリをインドネシアに引き渡すつもりはなさそうである。

インドネシアの警察もハンバリには9月17日現在直接会うことはできないでいる。

(03年8月17日) 爆弾製造のエキスパート、アザハリも逮捕?

爆弾屋グループの「爆弾製造博士」といわれるアザハリ・フシン(Azahari Husin)が8月12日(火)にスマトラのベンクーレンで逮捕されたようだとマレーシアのニュー・ストレート・タイムズは報じている。

アザハリはバリ島爆破事件の爆弾を製造したという容疑を持たれ、また今回のマリオット・ホテル爆破事件の爆弾も彼が作ったと疑われている。少なくともマリオットの爆弾はベンクーレンで加工されたものであると警察では見ている。

アザハリは元ジョホール工科大学の教授であり、博士号を持ち、爆弾製造についてはアフガニスタンで指導を受け、爆弾屋グループに作り方を「伝授」していたといわれている。

彼の1番弟子は目下逃亡中ドゥルマティン(Dulmatin)であり、中古車販売業を営んでいたがエレクトロニクス技術の専門家でもあり、バリ事件の爆弾作りをおこなったと見られている。

警察はアザハリの逮捕については目下コメントを避けている。

(03年8月20日) アザハリ博士は未だ逮捕されていなかった

インドネシア警察はマリオット事件の容疑者として10名の名前を公表した。そのうち8名が未だ捕まっていない。そのなかにアザハリ博士やドゥルマティン(Dulmatin)やズルカルナエン(Rahman Zulkarnaen)といった「著名人」の名前が入っている。

ハンバリの取調べの状況はほとんど報道されていないが、APECサミットを狙っていたということは否定しており、単に隠れていただけだと話しているらしい。

インドネシア警察によれば、6月にタイでリリというマレーシア人に45,000ドル渡してインドネシアの爆弾事件を起こすように指示したともいうことになっている。

今回のマリオット事件の爆弾の材料は2000年末のクリスマス・イブ事件の残りの爆薬を使ったものだという。

(03年9月17日)ハンバリ逮捕の報奨金として米国はタイに1千万ドル(11億円)支払った

タイのタクシン首相によれば米国政府はハンバリ逮捕の報奨金として1千万ドル送金してきたので、関係した警察官その他に分配するという。タクシンは大変ご満悦であったらしい。

現在ハンバリは米国の官憲の手にあるが、身柄の所在地は秘密にされている。ハンバリはインドネシア人であり、バリ事件の首謀者であるとみられており、現在バリ事件の裁判が進行中であり、既に2名に死刑判決さえ出ている。

ハンバリのインドネシア送還とインドネシアでの裁判は誰が考えても当然であろう。世界に民主主義と法治国家であることを誇り、途上国に武力による教訓さえたれている米国は一刻も早く身柄をインドネシアに引き渡すべきである。

 

⇒ハンバリ、グアンタナモ基地から家族に手紙(06年10月17日)

ジャカルタ・ポスト(10月16日)によれば、3年前に逮捕されたアル・カイダ幹部にして第1次バリ島爆破事件(02年10月)の首謀者とみられているハンバリはグアンタナモの収容所から国際赤十字社経由で家族に手紙を送ってきたという。

最近14名の重要容疑者がグアンタナモに送られてきて、そのうちの1名がハンバリであった。国際赤十字社のスタッフはハンバリに会っているはずだが、健康状態など一切明らかにしていない。

最近、米国政府関係者から「ハンバリはインドネシアにとって重要人物か?」という問い合わせがあり、インドネシア当局者はバリ事件の容疑もあり、当然「きわめて重要である」という返事をしたとのこと。

インドネシア国籍の人間を逮捕しておきながら、裁判にもかけず、秘密の場所に長期間拘留しインドネシアの取調べ当局者との面談を一切拒否するというような権限が米国政府にそもそもあるのか、大いに疑問である。

こういう実態は世界的によくしられており、米国のいう民主主義や人権などというものが、どれほどのものかという疑問が寄せられているのは当然といえよう。今回の件は米国がいかなる理屈をつけようがインドネシア共和国に対する主権侵害と言われても仕方があるまい。

 

 

12-7. バリ事件後にできた「反テロ法」で被告を裁くのは違法ー憲法裁判所(04年7月23日)

7月23日、インドネシアの憲法裁判所は2002年10月12日のバリ爆破事件以降に制定された「反テロ法」(2003年法令13号)でバリ事件の被告を裁くのは違法であるという判断を下した。 判事の表決は5対4であった。

本件はバリ事件に連座したとして15年の禁固刑判決を受けているマシュクール・アブドゥル・カディール被告 が、「反テロ法」で過去の犯罪を裁くのは憲法違反であるということで提訴し、上記のような判決を得た。

これは法治国家としては当然の判断である。事件が起こった後に制定された法で裁かれるというのは一種の政治裁判であり、法治国家の採るべき方法ではないことは言うまでもない。

これによって、現在バリ事件で32名の被告(うち3名=Amorzi, Imam Samudra, Alu Gufronは死刑)が裁判を受けているが、裁判のやり直しの必要が出てきたと考えられる。またその結果として量刑に違いが出てくる可能性が出てきた。

⇒バアシールはバリ事件の訴追を受けず(04年7月28日)

この憲法裁判所の判決によって、バアシールは新たな証拠が出てこない限り、バリ事件との関連で起訴し公判を維持することは困難という判断が警察・検察側にでてきて、「バリ事件」では訴追されないこととなった。(7月28日ジャカルタ・ポスト)

しかし、反テロ法ではテロに対する教唆・扇動の容疑があれば逆に訴追することは可能であり、今後は反テロ法容疑でバアシールの身柄を拘束し、取調べを続け起訴する方針であるという。

警察はバアシールが2000年にフィリピンで行われたイスラム過激派(警察はJIと称している)のトレーニングにリーダーとして出席していたという証言を得ているとしている。

 

12−8. バアシールの第2次裁判

12-8-1.バアシール刑期18ヶ月に減刑ーまもなく釈放(04年3月9日)

ジェマー・イスラミアの総元締めと目されていた、バアシールに対する最高裁判決が下され、従来の3年の禁固刑が18ヶ月に減刑された。最初は4年間の禁固刑であったが、03年12月に高等裁判所で3年間に減刑されていた。

このまま行けば3月19日、遅くとも4月末までには釈放されることになる。

ジャカルタのアメリカ大使館と オーストラリアのアレクサンダー・ダウナー外相はこの判決に失望したとコメントしている。失望するくらいなら具体的な証拠をインドネシア当局に提供すべきであろう。

実行犯の大ボスハンバリを昨年8月にタイで捕らえて身柄を拘束し、取調べをおこなっているのは米国政府である。

結局ジェマー・イスラミヤとは何なのか?組織としていかなる実体があったのかは不明である。 多くのインドネシア人はジェマー・イスラミアという「組織」はフィクションではないかと今でも考えている。

 

12-8-2. バアシールの件につき米国政府が干渉ーインドネシア外務省が言明(04年4月17日)

複数の国、特に米国政府はバアシールを4月30日の釈放期限以降も釈放しないようにインドネシア政府に働きかけを行ったとインドネシア外務省の報道官マーティー・ナタレガワは語った。

米国政府はバアシールを「ジェマー・イスラミア」という存在が確認されてもいないアル・カイダ関連組織の総責任者として名指していたが、インドネシア国内ではジェマー・イスラミア組織の存在自体にイスラム関係者も疑問を投げかけている。

米国は昨年8月に爆弾屋グループの総元締めといわれるインドネシア国籍のハンバリをタイのアユタヤで逮捕したが、身柄をインドネシアに引き渡すことなく、どこかに拘束している。

ハンバリの供述に基づきバアシールの容疑があるという報告書をインドネシア政府に渡したといわれ、それを根拠にインドネシア警察はバアシールを新たに「バリ爆破事件」容疑者として裁判にかけようとしている。そうなれば当然バシールは釈放されない。

不思議なことに、インドネシア政府関係者はハンバリとの面会も果たしていない(米国政府は面会を認めるといっているが実現されていない)。⇒12-6参照

民主主義と自由を標榜する国(そのためにイラク戦争を仕掛けたらしいが)である米国の態度にしては誠に不透明である。一刻も早くハンバリの身柄をインドネシア政府に引渡し、独立民主主義国家インドネシアの司直の手にゆだねるべきであろう。

 

12-8-3. バアシール再逮捕、支持者は騒乱起こす(04年5月4日)

バアシールは予定通り4月30日の釈放後、直ちにバリ事件を含むいくつかの爆破事件の容疑者として再逮捕された。詰め掛けたバアシールの支持者たちのデモ隊約700名が暴れまわり、100名(うち警察官60名)の負傷者がでたがその後事態は一応は治まっている。

バアシールの再逮捕には米国からの強い働きかけがあったことは否定しがたい。

昨年、施行されたテロ防止法によれば、警察は被疑者は6ヶ月間拘束できるとの根拠から、バアシールも今後相当期間拘置されることは間違いない。問題は警察や検察が新たな証拠を提示できるか否かにかかっている。

大統領候補の一人であるアミアン・ライス国民協議会議長は早速警察に再逮捕の根拠を示せと迫っている。

問題はバアシールの一番弟子といわれる爆弾屋の親分ハンバリの身柄を拘束し、取調べを行っている米国当局が何らかの新たな証拠を提示できるかである。

いつの間にか国際常識に近い形になってしまった「ジェマー・イスラミア」なる「テロリスト集団」の存在自体がインドネシアのイスラム関係者の多くから否定されているのが現状である。

また、インドネシア国会の「法と人権委員会」はバアシールの再逮捕は米国政府の圧力によるものだとして警察に強く釈放を求めていくことを決めたと伝えられる。

 

12-8-4. バアシールを再起訴(04年10月18日)

検察庁は10月14日(木)のラマダン(断食月)入りの前日、南ジャカルタ地裁にバアシールがバリ事件とマリオット・ホテル事件に関与したとして、再度起訴した。

これは上に述べた、「反テロ法」ではバアシールを裁けないとする憲法裁判所の判決を受けて、新たに起訴状と証拠書類を作成し起訴に踏み切ったものであり、どうしてもバアシールを両事件の主犯にしたいという検察側の政治的意図が見て取れる。

JIの事件の首謀者として、バアシールをどうしても有罪にしなければ米国とオーストラリアへの顔が立たないというのだろうか?インドネシアは米・豪の属領ではあるまい。

今回の事件は異例とも言える5人の担当判事が近く任命される。 裁判の進行如何によってはインドネシアのイスラム教徒の反米・豪感情がいっそう強まることも予想される。政府としてはイスラム教徒対策に忙殺されることになりかねない。

特にマリオット事件などはバアシールが既に獄中にいたときの事件であり、いくらインドネシアでも獄中から事件を指揮するなどということは考えにくく、検察側がどのように主張していくかが見ものである。

⇒バアシールの公判再開(04年10月30日)

バアシールの仕切りなおしの公判が10月28日から再開された。バアシールはこの裁判はブッシュと彼の奴隷であるホワード(オーストラリア首相)の差し金によって行われる政治裁判であると主張した。

検察側の主張はバアシールはアル・カイダの指令を自分の指揮下にあるジャマー・イスラミア(JI)に実行に移すように指示し多というものである。

また、南フィリピンで2,000人のメンバーを集め、米国とその同盟国の人間を殺害する訓練をしたというものである。ただし、バリ事件以降に制定された「テロ防止法」の適用は受けないため、有罪の場合も最長で20年の禁固刑が科せられるに過ぎない。

バアシール主犯説が説得性にかけるのは米国の奇妙な態度のその理由がある。バリ事件の主犯としてタイで逮捕したハンバリをどこかに隠し、インドネシア当局者の面接すら拒否していることである。

まあt、バリ事件の前に米国はシンガポールと組んで、「アルカイダの手先であるJIがテロを企画し、その親分はバアシール」であるとしきりに宣伝していたことである。

そのさなかにバアシールがバリ事件など起こすはずがないという感じが私にはするのである。もし彼がやったとしたらあまりにも無神経過ぎるといわざるを得ない。

この裁判でインドネシア当局はインドネシア国民であるハンバリの身柄を米国から奪還し、公判の場に引き出すことである。それを拒否する米国に「国際テロリストJI」を非難する大義名分があるとは思えない。

実際のところバリ事件、マリオット事件、そしてこの間のオーストラリア大使館事件はいずれも米国とオーストラリアの陰謀であると信じているインドネシア人は少なくないのである。その「疑念」を解く1つの重要な鍵はハンバリである。

⇒バアシールの反論その1(04年11月4日)

前回の起訴状についてバアシールがひとつずつ反論した。あまりに馬鹿げた起訴状であり、米国のブッシュ大統領の筋書きにそったものであると述べている。

バアシールが2000年の4月にフィリピンのJIの軍事訓練基地を訪問したとされるときは、彼はジョクジャカルタにいてMMI(Majelis Mujahidin Indonesia=インドネシア・ジャヒディン委員会)の大会準備をしていたとアリバイを主張した。

マリオット事件のときは牢獄につながれてうずくまっていたので爆弾事件の指揮などとれるはずがないと述べた。

裁判所には50人の支持者が傍聴し、「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫んで気勢をあげていたという。

ただし、バアシールはバリ事件のニュースを聞くと大変興奮して喜んでいたと伝えられているが、その話は今回の裁判とは直接関係がない。

⇒ほとんどの証人がバアシールの爆弾事件関与を否定(04年12月10日、12日追記)

バリ事件以前から米国とシンガポール政府によってアル・カイダの下部組織で国際テロリスト集団である「ジェマー・イスラミア=JI]の存在と、その指導者としての、イスラム教導師バアシールの「危険な存在」が指摘されていた。

バアシールについては何と01年9月11日の同時多発テロ事件の8日後に、たまたま訪米したメガワティに対し、ブッシュが「バアシールの身柄を米国に引き渡」すように要求していたという(http://www.washingtonpost.com/ 04年12月11日版参照)。

メガワティはそういう無法な要求は一国の大統領としては断固拒絶した。しかし、それくらい前から、米国政府は「アル・カイダージェマーイスラミア仮説」を持っており、バアシールはその指導者として執拗にマークされてきたのである。

02年に入るとジェマー・イスラミアはアル・カイダの組織であるという宣伝が米国とシンガポール政府およびその御用を務める学者やメディアから日ごとにたかまり、バアシールの周辺もかなりにぎやかになってきた。

その直後にバリ事件が起こり、ついでマリオット事件が起こった。今回のバアシール再起訴はどちらの事件もアメリカ・シンガポールのシナリオ通りに、「バアシールが主犯」であるという説にたって彼が起訴され2度目の裁判が実施されている。

しかし、爆弾屋グループとして逮捕、起訴されている(一部は刑が確定)している人物からの12月9日までの証言では、バアシールが直接爆弾事件に関与しているという証言は得られなかった。また、JIなるものがアル・カイダとの関係があるという証言も得られなかった。

証人の多くはバアシールを知ってはいるが、イスラム導師としてのバアシールであり、それ以上のものではなかったという証言であった。

検察側はまだ他に何人かの有力な証人を用意しており、バアシールを有罪に持ち込めるという自信を示しているという。

このようなバアシールについての米国政府の「異常とも言える思い込みと偏見」を見ると、どうしてもバアシールを有罪にしなければブッシュは気が済まないように見えてくる。

もしかすると米国はインドネシアのような経済的に弱い国、あるいは極東の某経済大国に対してすら主権と尊厳を認めていないのではないかとすら疑いたくなってくる。最近では沖縄のヘリコプター事件や韓国の女子中学生ひき殺し事件など実例は数え切れない。

⇒12月16日の公判でも証人はバアシールの関与を否定(04年12月17日)

@Imron Baihakiの証言;イムロンは03年7月に捕まった、比較的大物とみられている人物である。彼はアフガニスタンに義勇兵としていき、そこで軍事訓練を受けた。

彼は東ジャカルタ地裁で「武器所有」の罪で7年の禁固刑を言い渡されている。

彼はキリスト教会の地図やtPDI-Pの事務所の地図などを所持していたといわれる。彼は以前にバアシールが2000年にJI のリーダーになり、フィリピンのモロのゲリラ訓練キャンプを2002年4月に訪問したと警察には証言していた。

しかし、今回彼はその件を否定した。彼はフィリピンにおいて仲間から、バアシールが1999年にスンカールが死んでからJI の指導者になったと聞かされていたが、インドネシアのソロに帰ると、バアシールはJI のリーダーではなく、MMI(インドネシア・ムジャヒデン評議会)の会長だと知らされた。

2000年8月にバアシールはMMI を設立し、自らその会長におさまっている。MMI はイスラム法を法制化させようという団体である。

彼は以前にバアシールとモロの訓練キャンプであったことがある供述したのはウソであった。警察に迎合するためにあえてウソをついたのである。警察が一番上の子供と妊娠中の妻を逮捕拘留したので、警察に逆らってはまずいと思ったと述べた。

彼自身はJIという組織に属しているが、それはイスラム風の生活様式を広めようとする啓蒙団体に過ぎないと語った。

ASutiknoの証言;スティクノはバリ事件の情報を知りながら、それを隠していたという罪で3年の禁固刑を言い渡されている。

スティクノは2002年4月に西ジャワのプンチャク峠でJI のリーダーであったバアシ−ルがMMIの会長に就任するのでアブ・ルスディン(Abu Rusdin)にJI のボスの座を譲ったと供述した。

しかし、それは彼が警察から拷問を受けたためにウソの供述をしたのだと証言した。プンチャク峠の集会は単にアフガン戦争に従軍した志願兵たちのOB 会に過ぎなかったということである。

彼はJI のメンバーであることは認めたが、彼の役割は説教師であったこととグループの会計係であったと証言した。

他の3人の証言もJI というのはイスラム教サークルであって、テロリスト集団ではないことと、バアシールは爆弾屋(爆弾の備蓄を含む)ではないことを証言するものであった。

 

⇒バアシールに改めて2年半の実刑判決(05年3月3日)

南ジャカルタ地裁は3月3日、バアシール被告に対し、「テロリズムには関与していないが、忌むべきバリ事件の陰謀に加担した」という理由で2年半の禁固刑の判決を言い渡した。検察側の求刑は8年の禁固刑であった。

5人の判事は一致してこの判断を下したようであるが「バリ事件に直接は関与していないが、爆破事件への承認を与えた」という説明である。インドネシアの「反テロ法」はバリ事件の後に制定されたもので、この法律ではバリ事件の犯人は裁けないということになっており、一般の刑法で裁いたとしている。

なお、マリオット事件は本人が獄中にあった出来事であり、無罪となった。

ほとんどの証人がバアシールのバリ事件への関与をひていしており、検察側と何らかの取引をしたと思われる若干の証人の証言のみで、強引にこの判決を下したという見方が現地ではされている。

もっと判りやすくいえば、米国のブッシュ大統領を「なだめる」ための判決であるという見方が一般的である。

バアシールはこの判決は受け入れられないとしており、当然控訴するものと考えられる。

(05年3月6日追記)

この判決に対し、米国とオーストラリアは失望感を表明した。この裁判は、わが国の「大津事件」と多少似た性格を持っている。外国の圧力で、ある国が国内法を枉げた判決を下すかどうかという問題である。

ブッシュ大統領がどういおうと、インドネシアの裁判所は自国の法律に基づいて裁判を行い、判決を下したのである。その刑が重いか軽いかは外国の政治家が文句をつけるのは勝手だが、見識のなさを疑われるだけの話である。

なぜ、ブッシュがバアシールにこだわるのかは私にはまったく理解できない。(下の、12-8-5と12-8-6とをあわせてご覧いただきたい。)

バアシールをバリ事件の犯人と決め付けるのだったら、米国とオーストラリアは根拠を明示すべきだし、捜査にも協力すべきである。それどころか、バアシールの第1の子分で爆弾事件を指揮したと米国が主張するハンバリを捕らえたまま身柄をインドネシアに引き渡さないばかりか、捜査官の面接も許可しない。

あたかも、米国がハンバリをかくまっているかのごとき印象すら与える。その前のアル・ファルクについても、ジェマー・イスラミアの重用参考人だとしながらも、インドネシアから身柄をどこかに移したままどうなっているかも判らない。暗黒国家のやり方である。

何の透明性も合理的説明もないままアルカイダ⇒ジェマー・イスラミア仮説をでっち上げ、自分(自国というべきではないであろう)に都合のいいシナリオを世界に宣伝しまくっているとしか思えない。残念ながら日本のメディアもこれに少なからず協力させられている。天下の朝日新聞などもなどもまったくダラシがない。

バアシールについては米国が9.11事件の政治犯を捕まえて痛めつけたところ、そのうちの誰かがバアシールはアル・カイダの仲間だと「自白」したことが根拠になっているということである。(Asia Times, Bill Guerin レポート参照)

 

⇒高裁バアシールの地裁判決を支持(05年5月17日)

ジャカルタ高裁はバアシールに対する30ヶ月の禁固刑という南ジャカルタ地裁の判決を支持した。

南ジャカルタ地裁の判決は米国とオーストラリア政府が「バリ事件の主犯」に対する判決としては軽すぎるとして、猛然と抗議していたが、重要証人であるハンバリの身柄を隠匿したままインドネシア当局に面談すら許さない米港政府の立場は奇妙なものといわざるを得ない。

要するに、ババシールを主犯と決め付けるには決定的な証拠や証言は得られなかったのである。

バアシールは当然ながら無罪を主張したが、それも認められなかった。

被告と検察側双方とも最高裁に控訴するものと思われる。

 

⇒最高裁バアシールの有罪判決を支持(05年8月7日)

インドネシア最高裁は8月3日(水)、バアシールに対する30ヶ月の禁固刑判決を支持し、バアシールの有罪が確定した。判決を公表したのは8月6日(土)であった。

  

12-8-5. バアシールを暗殺すべしーオーストラリア外交官の本音(04年12月18日)

シドニー・モーニング・ヘラルド(http://www.smh.com.au/ 04年12月18日)によれば、オーストラリア外務省の元高官(次官)でイタリーとオーストリア大使を務めたことのあるダンカン・キャンベル(Duncan Campbell)氏はテロ対策として次のように語った。

『イラクやアフガニスタンで戦争を行い、多くの市民が犠牲になったり、多数の戦死者をだしたりしている現状を考えれば、政府が支援する暗殺行動は正当化されるべきである(犠牲者が少なくコストもかからないという意味で?)。

ジェマー・イスラミアの精神的指導者であるアブ・バカール・バアシールなどはさしずめその「目標」になろう。

獄中にいる間にバアシールに毒を盛ることなど簡単なことである。そうすればオーストラリア人の手を汚さなくてすむ。』

というご託宣である。バアシールが爆弾テロと関係のない人物だったらどうなるか?そういう複雑な問題にはこのキリスト教徒は答えない。目的のためには手段は正当化されるという考え方である。

そういえば、ユダヤ人を最も効率的に殺害するためにアウシュビッツでガス室を考えたヒットラーもこういう考え方の人物であろう。

イスラエルもパレスチナのイスラム過激派指導者に対して「暗殺行為」を行っている。その過程でしばしば婦女子を含む一般市民が巻き添えにあって殺害されている。

しかし、キャンベル氏がこういう意見を堂々と新聞に発表できるというのも、オーストラリアでは彼への共感者が少なくないことを意味しているかもしれない。

ちなみに、オーストラリアのダウナー外相は「国家による暗殺」行動は否定しているという。

オーストラリア人は比較的良識派が多い国だと個人的には思っていたが、思わぬ人物もいるものだと愕然とさせられる。

SMH紙は「オーストラリアとイギリスは米国の諜報網(インテリジェンス・ネット・ワーク)に結びついていると締めくくっている。

私に言わせれば米国が「アル・カイダージェマー・イスラミア仮説」を唱えれば日本の新聞も簡単にそれに飛びつく。「徳は孤ならず、必ず隣あり」といったところか?いやこれは少し変だ。孔子様のおっしゃったのはこういう意味ではない。付和雷同というべきところである。

「バスに乗り遅れるな。どんどんいこう。」が20世紀初頭からの日本人の「真骨頂」だったはずだ。21世紀の今も少しも変わっていない。漱石の小説「三四郎」の中で広田先生いわく「(日本は)滅びるね。」不吉ではあるが、正しい予言であった。

 

12-8-6. 米国はバリ事件の1ヶ月前にもバアシールの身柄引き渡しを要求(05年1月14日)

先に、ブッシュ大統領がメガワティ大統領とが9.11事件の直後に会談した際、バアシールを逮捕して、身柄を米国に引き渡すよう要求して、メガワティはこれを断ったと書いた。(12-8-4)

1月13日のバアシール裁判で、元米国国務省の通訳を務めていたフレデリック・バーク(Frederick Black Burk)氏が証言台に立った。

彼は、2002年の9月16日にラルフ・ボイス大使(当時)と米国安全保障評議会の役人カレン・ブルックス(Karen Brooks)とCIAの役人がメガワティ大統領を訪問し、「バアシールはすこぶる邪悪(Wicked)な人物なので、即刻逮捕して米国に引き渡せと要求した」と陳述した。

メガワティは、あまりのことに大きくため息をついてしばらく沈黙していたが、その「ブッシュ大統領の要求」を断った。 断ったからといって米国とインドネシアの関係が悪化しないことを希望すると述べた。

それから約1ヵ月後の02年10月12日にバリ東南アジアの爆破事件が起こった。

また、同じ日(13日)に証言したムハメディアの指導者シャフィー・マアリフ(Syafi'i Ma’arif)はボイス大使からインドネシア政府に働きかけてバアシールを逮捕するようにしてもらえんかと依頼されたが、「証拠もないのにそんなことはできない」と断ったと述べた。

 

12-9. マレーシアのバリ事件重要犯人(?)は釈放(05年3月23日

ジェマー・イスラミアの重要メンバーとしてバリ事件の直前にマレーシア警察によってISA(国内治安維持法)によて3年間身柄を拘束されていた元大学講師 (マレーシア工科大学)ワン・ミン・ワン・マット(Wan Min Wan Mat=45歳)は起訴もされないまま3月22日に釈放された。

ワン・ミンはバリ事件の裁判では重要証人として「活躍」した。彼は30,500米ドルをジェマー・イスラミアのグループに渡したことを認めた。ただし、 バリ事件を起こすための費用だとは知らなかったとしてバリ事件への直接関与を否定し続けた。

ワン・ミンの証言は「ジェマー・イスラミア」が実在し、バリ事件をバンコクで謀議したとする証言を文書で行い、バリ事件の実行犯を多数実刑判決に追い込む根拠を与えた。

インドネシア警察はワン・ミンはバリ事件の首謀者格の「共犯者」として身柄の引渡しを要求していた。

ワン・ミンは釈放後はケランタン州のコタ・バル市から30Km離れた彼の奥さんの実家のある村に居住を制限され、夜9時から翌朝6時まで自宅にいる義務があり、毎日警察に「報告」しなければならないとされている。

マレーシア警察が彼を釈放した理由は「彼は最早、国民の安全(ナショナル・セキュリティー)」を脅かす存在ではないからだということである。こういうマレーシア当局のやり方をみると「アル・カイダにリンクしたジェマーイスラミア」の実在がますます怪しく見えてくる。

また、彼とは別にアフガニスタンとパキスタンでジェマー・イスラミアの若いリーダーとして「訓練」を受けたとされる2人の学生も2年間の拘留期間が終了したのちに釈放されたと警察は発表している。

なお、マレーシア警察は他に90名のイスラム過激派をISAに基づき裁判抜きで拘留しているという。彼らが無事に出獄するには、「可なり良い行い」か「恭順の意を表する」必要があるようだ。

インドネシア当局はワン・ミンに事情聴取を行いたいとしている。ワン・ミンはジェマー・イスラミアから報復を受けないという保証があれば事情聴取に応じても良いといっているが、それは多分できない相談であろう。

もしジェマー・イスラミアがワン・ミンのいうように「国際的テロ組織」であればイスラム教徒のいるところどこにでもテロリストがいることになるからである。

また、現在インドネシアで逃亡を続けていると見られるアザハリ博士(Azahari bin Husin)はマレーシア工科大学(ジョホール)における彼の同僚であり、ノルディン(Noordin Mohamad Top)はそこの学生であった。

 

12-10. 第2次バリ爆弾テロ事件(05年10月1日)

12-10-1.バリ島でまたも爆破事件22名以上死亡、120名負傷(05年10月2日)

10月1日(土)午後6時45分(現地時間)ごろバリ島のクタ(Kuta)地区(2002年10月12日に爆破事件のあった地域)とそこから8Kmほど離れたジンバラン(Jimbaran)ビーチの海鮮料理店の2ヵ所で同時に爆弾が破裂し た。

少なくとも22名(テンポやロイターの当初の報道では32名)が死亡し、約120名が負傷するという事件が起こった。両方とも、外国人観光客の多い地域ではあるが、今回も 外国人5名(オーストラリア人、アメリカ人、日本人など)とインドネシア14人プラス自爆者3名の死亡が確認されているという。

クタ地区はラジャ・バー・アンド・レストランとハード・ロック・カフェの2ヵ所で、またジンバラン海岸ではフォーシーズン・ホテルの近くのKafe NyomanとKafe Menegaというレストランで爆発が起こった。

爆発犯人は「自爆テロ」であると警察では見ている。首と足しかない遺体が数体発見されたのがその根拠だという。

バリ警察のパスティカ(Pastika)署長は「捜査は開始されたばかりだが、アルカイダが関わっているという証拠はない」と説明した。爆発物には、おのの約22ポンドのTNT火薬が使用されたものと推定される。(NYタイムズ、10月3日、インターネット版)。

ユドヨノ大統領はテロリストを非難する声明を発表した。10月1日はインドネシア政府が平均126%もの石油製品価格の値上げを発表した日であり、国民の間に動揺が高まっている時でもあった(関連は不明)。

10月5日からイスラム教徒の断食月(ラマダン)が始まるので、その前を狙った犯行と見られる。ジャカルタでは1ヶ月前から爆弾テロの情報が流れており、引き続き警戒を要する。

バリ島での最近の動きとしては自治権を拡大せよという要求が島民から出ていた。これはスマトラのアチェ州で自治権を拡大する方針(アチェ自由運動GAMとの和平協定の条件として)に刺激されたものである。しかし、これが爆弾テロと結びつくものではない。

「ジェマー・イスラミア」研究の大家であるシドニー・ジョーンズ女史は「最近はジェマー・イスラミアの勢力は衰えた」と語っていたが、どうも「爆弾屋」は健在なようである。

バリ事件およびマリオット・ホテル事件の首謀者の一人とみられるアザハリ(Azahari Husin)博士 とノルディン(Noordin)が背後にいるのではないかと取りざたされている。 しかし、彼らをアルカイダ組織と関係を持つジェマー・イスラミアだという見方には疑問がある。

インドネシア政府はジェマー・イスラミアの存在に否定的である。ただし、爆弾屋グループの存在は「テロリスト集団」として認めている。これについては本ーム・ページで私は詳論している。

首謀者と見られていたハンバリは03年8月タイのアユタヤで逮捕され、身柄は米国が確保しているがその後の消息や取調べ状況は公表されていない。 もし、ハンバリがジェマー・イスラミアのトップであったなら、米国は捜査結果を速やかに公表すべきである。

何でもかんでもアルカイダに結びつければ、イラク侵攻を含む全ての米国の軍事行動が正当化されるとでも思っているのであろうか?これによってユドヨノ大統領の立場は非常に苦しくなった。特に米国から米軍への協力関係をいっそう強化するよ要求されることは間違いない。

それでは今回の事件の犯人は一体誰で、いかなる目的を持った犯行なのであろうか?ほかのテロ事件にまま見られる「犯行声明」なるものはどこからも出ていない。これはスハルト政権崩壊後起こったす べての爆弾事件についていえることである。

ただし、実際犯行に加わった人物はイスラム教徒の中・下層階級の人たちであり、ほとんどが非知識階級である。彼らは「過激派」と呼ばれているが「過激なイスラム教」を信仰していると は必ずしも思えない。また、イスラム原理主義運動についての理論的な理解者とも思えない。

彼らの組織の出発点は、インドネシア国軍の「特殊部隊」とのかかわりがあったということ をどうしても無視することはできない。 反政府学生運動に対抗するたえにも、国軍がイスラム教徒の過激派グループを組織してテロ事件を仕掛けさせたというものである。(それ以外の目的もあったろうが)

それは初期のICG(International Crisis Group}のレポートに詳しい。しかし、それはインドネシア軍関係者の強硬な抗議によって最近はトーン・ダウンさせられた。

ICGのレポートを書いたシドニー・ジョーンズの最近の発言は米国やシンガポールの政府関係者の発言とさほど距離は無くなってきたように思える。

シドニー・ジョーンウズが爆破事件後に語ったところによると今回の事件の主犯と見られているアザハリとノルディンは最近ジェマー・イスラミアの組織をはなれて、自分たちの「軍団」をつくって活躍しているようだとのことである。

02年10月のバリ事件以降125名もの「爆弾屋」が逮捕され、組織が弱体化した体というのが最大に理由らしい。

今回の件は、私の想像だが、アチェの和平交渉の成立と関係があるような気がしてならない。アチェの和平交渉を成立させためにユドヨノ大統領は国軍のタカ派を切ってしまった。参謀総長のリャミザールなどがその代表格である。

しかし、タカ派将校は納得して円満退職したわけではない。そこで今回の「事件」が起こった、あるいは「起こされた」可能性があると私は考えている。われわれ(タカ派将校グループ)でなければ「爆弾屋=テロリスト集団は押さえられませんよ」というデモかもしれないのだ。

もちろん、それは誤りで、オサマ・ビン・ラディンから大金を貰って、アザハリなどの「ジェマー・イスラミア」(NHKはニュースで連呼していたが)と呼ばれるグループが事件を起こしたのかもしれない。

しかし、アルカイダも近年多忙で、インドネシアのバリ島などで事件を起こしているようなヒマとカネはなかろうと思われる。

そもそも他のジェマー・イスラミアの幹部や兵士が片っ端から捕まっているのに、なぜアザハリとノルディンだけが捕まっていないのであろうか?これもなんだか変である。おそらく「泳がされている」のではなかろうかと思われる。一日も早く「奇跡の逮捕」劇があって、真相が解明されることを祈りたい。

私が、アル・カイダの組織としてのジェマー・イスラミアなるもののに疑問を抱く理由のひとつは、彼らは01年の9月11日事件(米国の同時多発テロ)以前から、爆弾事件を起こして「活躍」していることである。その主な事件は下表に見るとおりである。(青字は外国人が巻き込まれた事件)

2000年8月1日 フィリピン大使館爆破 2名死亡、フィリピン大使重傷
2000年9月13日 ジャカルタ証券取引所爆破 10名死亡、16名負傷
2000年12月24日 11カ所のキリスト教会爆破 19名死亡、100名負傷
2002年10月12日 バリ島ナイトクラブ爆破 202名死亡、負傷者多数
2002年12月5日 スラウェシ、マクドナルド爆破 3名死亡、11名負傷
2003年8月5日 マリオット・ホテル爆破 12名死亡、150名負傷
2004年9月9日 オーストラリア大使館爆破 11名死亡、200名負傷
2005年5月28日 テンテナ,キリスト教徒爆殺 22名死亡、40名負傷
2005年10月1日 第2次バリ島事件 26名死亡、100名負傷(数字は未確定)

 

⇒ニューヨーク・タイムズ、爆弾犯は元ギャングのメンバー?(05年10月7日)

ニューヨーク・タイムズにある意味では緊要な記事が出た(10月7日付け、インターネット版)。それは元ジェマーイスラミアの幹部だったと自称する人物(匿名)の話しとして、今回のバリ事件の自爆犯人はいままで知られていない人物で、アルカイダのような大組織とは関係のない小グループもメンバーであろうとのことである。

そればかりではない、アザハリ(Azahari Husin)博士 とノルディン(Noordin)はジェマー・イスラミアと離れて独自にテロ活動をやっているというのである。これではいくらジェマー・イスラミアを非合法化してところで何のオマジナイにもならない。

オマジナイはインドネシア軍が自分勝手に利用するのが落ちである(理由は下の項参照)。

ICGの専門家シドニー・ジョーンズ女史によればは「ジェマー・イスラミアの主流のメンバーはテロ行為に反対している」そうである。

だとすれば、日本や米国のメディアは一体何をわめいていたことになるのであろうか?不肖、私めの「爆弾屋」仮説のほうがより真実に近いことになるかもしれない。

 

⇒日本人3人が行方不明?(05年10月8日)

事件後5日間が過ぎた後、インドネシアとオーストラリアの合同の検死チームによる犠牲者の確認作業の結果が発表された。それぬ夜と、オーストラリア人は子供を含め4人が死亡していた。目を負傷したオーストラリア人はシンガポールで手当てを受けているが、失明の可能性が高いという。

これとは別に、ボランテアが調査したところによると、日本人3名、ドイツ人2名、アメリカ人2名、アイルランド人、イギリス人、ドイツ人各1名が行方不明であるという。

日本人の名前は、@ササキ・明子、Aサカモト・セイジ,Bワタナベという名前がジャカルタ・ポストの10月8日付けインターネット版に掲載されていた。

 

12-10-2. SBY大統領、国軍にテロとの戦いに協力要請(05年10月6日)

ユドヨノ大統領はインドネシア国軍に対し「テロとの戦いにもっと積極的役割を果たすように」求めた。これは10月1日のバリ島爆弾事件の捜査が行き悩んでいることや、事前に情報を察知できなかったことへの反省から、SBYが大統領として、国軍への協力を求めたものであると表面的には解釈される。

しかし、これを聞いて、国軍司令官は大変感銘し、内心可なり喜んでいる様子が伺える。なぜなら、このSBYの「要請」は国軍が民主化の過程で、軍と警察とに分離され、軍は「地域での治安活動(Territorial Command)」から外されていたが、再び「地域への関与」を認められたと理解しているからである。

スハルト時代のインドネシア国軍は。いわゆる二重機能を有し、国防のみならず「国内政治」にも関与すべきものとされ、地方においても、軍隊を常駐させたり、政治的にも首長の送り込みを認められるなど、大変強大な権限を要し、 国民協議会にも無投票で議員を送り込んでいた。

それによって、軍人は地方でボスのように振る舞い、人権侵害を初めとする多くの悪行を重ねてきたことはインドネシア人には骨身にしみて判っている。もちろんそんなことは日本のメディアにはほとんど報道しないので日本ではあまり知られていない。

オーストラリアの新聞記者はしばしば報道するので私は少しは知っていた。しかし、彼らはスハルト時代には実にしばしば国外追放になった。

それがスハルト政権崩壊以降、国軍の権力が縮小され、国内の治安は国軍から分離した警察が担当することとなり、地方における国軍の権益が急速に失われていった。そのため、麻薬販売組織の奪い合いから軍と警察が銃撃戦をおこなうなど、芳しからぬ事件も発生した。

国軍はさらに「軍営企業」を国営企業に転換させられるなど、軍の特権はSBY時代になってからも急速に減少しつつある。国軍司令官は今回のSBY大統領の発言を「善意に(あるいは拡大)解釈して」、「国軍に以前のような地域治安権限」を復活させてもらったと、スタルト(Endriartono Sutarto)総司令官は喜びを隠せなかった。

これを見て、インドネシア国内ではいっせいに反発が起こっている。国民協議会のヒダヤット(Hidayat Nur Wahid)は「国軍の地域関与復活には反対である」といきまいている。それは「住民にとっては新たなテロ(国軍による)の復活になりかねない」と手厳しい。(Tempo インドネシア語版)

政治学者のイクラル(Ikrar Nusa Bakti)氏(シンクタンク、LIPI)も軍の地域関与の復活は「政治への干渉復活の引き金になる」と警告を発している。(ジャカルタ・ポスト、10月6日)

また、元大統領のグス・ドゥル(アブドゥラマン・ワヒド)も「国軍の地域統制がを復活させればテロがなくなるなどと誰が保障できるのか?確実にもとの権威主義体制(スハルト時代の軍部独裁体制)に逆戻りするだけだ」と強い調子で反対論をぶち上げている。

国軍の[地域治安管理体制の復活]が仮にあるとすれば、それは国軍にとっては、皮肉にも今回の「バリ事件」の最大の政治的効果ということになろう。

今回のバリ島爆弾テロ事件でオーストラリア政府をはじめとして各国からテロ対策を強化し、ジェマー・イスラミアを「非合法化」せよという要求を突きつけられている。日本のメディアもここぞとばかり「ジェマー・イスラミア」の犯行説を強調、大部分の日本人はそう信じ込まされているようである。

ジェマー・イスラミアについては私は前にも述べているように、インドネシア政府としては「ジェマー・イスラミア」という組織自体を公式には認知していない。なぜなら、実態が不明だからである。どこにどういう組織があり、誰が指導者で、資金の流れはどうなっているのかさえ不明である。

組織の大親分として米国やオーストラリアやシンガポール政府が名指ししているバアシールというイスラム導師はずっと獄中にあり、何の動きもできない。日本の某一流紙によれば「バアシールはかつて武闘派だったから」などと書いている。ムードや風評で人を処断する悪い癖である。

バアシールに次ぐ武闘派の大ボスであったハンバリは上に述べたように、03年8月から米国に身柄を拘束されたまま、インドネシアの政府関係者とすら面接を許されていない。その前にインドネシア情報部が身柄を拘束し、取り調べもしないまま米国に引き渡されたアル・ファルクは一体どうなっているのであろうか。

ただし、インドネシア国軍の情報部は「米国のCIAと情報を共有」しているらしく、今回の犯行はジェマー・イスラミアによるものだと公言している。それを日本のメディアはおめでたくも鵜呑みにして朝晩、新聞やテレビで流している。

確かにテロをやった連中はいる。しかし、それが「ジェマー・イスラミア」であると断定するには「実態があまりにも不明」である。私は彼らは誰かに利用されている、単なる「爆弾屋グループ」と見ている。

某一流新聞には「ジェマー・イスラミア」の犯行一覧表が、載っていた。私の上の表と違うところは、2000年のジャカルタ証券取引所の爆破事件が記載されてないのである。故意に外したのかどうかは判らない。私は、これも一連の犯行と見ている。

また、これは私のいつもの的外れの妄想といえるかもしれないがアザハリ(Azahari Husin)博士 とノルディン(Noordin)は既にこの世にいないかもしれない。というのはこの2人についての情報が可なり前から途絶えているからである。

インドネシアの警察と軍が徹底的にマークしている人間を見失うはずがないとうのが私の見方である。だれかに消された可能性もある。もちろん生きたまま捕まって洗いざらいぶちまけてもらうのがインドネシア国民にとってはベストであるが、そうは問屋が卸さないかもしれない。

というのは10月5日(水)のTempoの記事で、バリ事件の死刑囚のイマム・サムドラ(Imam Samudra)の仲間がいなくなって、彼らが今回の事件に関与しているのではないかという記事が出てきたからである。こんなことを捕まえる前に発表するのは変である。

しばらく、事態の推移を見守るしかない。

ノルディン(Noordin)を取り逃がす?(05年10月8日)

中部ジャワで警察がノルディンの隠れ家と思しき家を捜索したところ、危険を察知したノルディンは数時間前に姿をくらましたと警察は発表した。逃がしたのか逃げたのか良くわからないが、インドネシアでは「情報」がタイミングよく入るものである。

これとは別に、今になって、米国政府は05年10月6日(木)にジェマー・イスラミアの幹部で2002年10月のバリ島爆弾事件の主犯とみられるドゥルマティン(Dulmatin)の逮捕につながる情報提供者には1,000万ドルの賞金を与えると発表した。

この額はハンバリにかけられていた懸賞金と同じ額である。オサマ・ビン・ラディンへの懸賞金が2,500万ドルだから、ドゥルマティンという人物はかなり大物なのであろう。

ドゥルマティンは1970年に中部ジャワで生まれ,自動車のセールスマンをやっていた。その後、「爆弾屋」仲間に加わり、アズハリ博士の弟子となり、爆弾の製造技術、携帯電話を使った爆発技術などを学んだといわれる。

ドゥルマティンは頭の切れがよく、仲間のあいだでは「天才=Genius」と呼ばれていたという。バリ事件以降、フィリピンのミンダナオ島に逃れ、フィリピンのイスラク過激派アブ・サヤフと行動をともにしていると伝えられる。

シドニー・ジョーンズ女史によれば、ドゥルマティンとウマール・パティク(Umar Patek)のふたりがフィリピンでは最も重要な「お尋ね者」であり、アブ・サヤフのキャンプでテロ活動の「技術指導」をしているという。

 

12-10-3.ジェマー・イスラミアはかってインドネシアに存在せずーカラ副大統領(05年10月9日)

インドネシアのユスフ・カラ副大統領は改めて「インドネシアにはジェマー・イスラミアは存在したことがない」と明言した。これは、従来からのインドネシア政府の見解を再確認したものである。(www.tempointeraktif.com インドネシア語版、10月9日付け)

2002年10月のバリ事件以降、一連の爆弾テロ事件の犯人をジェマー・イスラミアという組織の犯行であるという、米国ーオーストラリアーシンガポールー日本の政府あるいはメディアの発言に対し、真っ向から反対する発言である。

これは直接的にはブッシュが「保安官」と持ち上げる(?)オーストラリアのハワード(John Howard)首相やダウナー(Alexander Downer)外相が、インドネシア政府はジェマー・イスラミアをもっとマジメに取り締まれと執拗に迫っていることへの反論である。

私は、本ホーム・ページで一貫して、ジェマー・イスラミアという組織の存在そのももに否定的な見方をしてきたが、その根拠はこのページの一番は最初からお読みいただけば、明らかなはずである。

それはメガワティ前大統領およびSBY現大統領のインドネシア政府に限らず、グス・ドゥル元大統領初め、大多数のインドネシア知識人あるいは一般国民の共通の見方でもあった。

米国政府は第1次バリの前からジェマー・イスラミアがアルカイダと結びついたテロ組織であると主張して、その大親分のバアシール師を逮捕せよとインドネシア政府に迫っていた。その最中にバリ島で爆弾テロ事件が起こった。

しかし、バリ事件以前から爆弾テロ事件はインドネシアではしばしば起こっていた。その段階ではジェマー・イスラミアなどという組織名は出てこなかった。彼らのことを私は「爆弾屋」グループという言い方をしてきたが、テロリスト集団といっても同じことである。

彼らは東南アジアにまたがるイスラム国家の建設などという大義名分は初めからもっていない。彼らを操ってきたのは、インドネシア国軍の暗黒部隊とも言うべき特殊部隊や「情報部」であろうという疑惑が持たれていた。そこのところは未だにクリアーされてはいない。

しかし、スハルト政権時代もその崩壊後もインドネシア国軍がバックについている「暴力集団」が陰に陽に活躍していたことはよく知られている。ポソ紛争もそうだし、最近の人権活動家ムニールの暗殺事件もインドネシア国軍の「情報部」が背後にいたという疑惑はきわめて濃厚である。

実体がないのにあたかも存在するかのごときトーンで記事を書いたり、テレビで放映したりする日本のメディアには、いつものことだが、あきれてしまう。本当に程度がが悪い。

同じ新聞でもニューヨーク・タイムズの今日(10月9日)の記事にはジェマー・イスラミアなどという言葉はどこにも使っていない。ノルディンをすんでのところで取り逃がしたという 記事であるが、インドネシア警察は「ノルディンが今回の事件に関与している確たる証拠はないと」言っていることをきちんと紹介している。

ただ、インドネシア警察としてはアザハリとノルディンの手配写真1万枚をバラ撒いて行方を必死で追及しているということである。

実は、インドネシアの国内で「ジェマー・イスラミア」を認知している政府組織がある。それは国軍とりわけ情報部である。なぜなら、インドネシア国民の疑惑が自分たちに向けられているときに、「別の犯人がいる」というのはきわめて好都合だからである。

 

12-10-4. グス・ドゥル元大統領曰く、バリ事件は軍か警察が関与(05年10月12日)

2002年10月12日バリ島で爆弾テロ事件があり、202名の死者を出した。本日はその3周年記念日に当たる。

ジャカルタ・ポスト(インターネット版)によると、アブドゥラマン・ワヒド(通称グス・ドゥル)元大統領は「あの2002年の事件には軍か警察のどちらかが関与していたのではないか?」と語ったという。

また、テレビのインタビューでもインドネシアの官憲(authorities=この場合は軍・警察)とテロ・グループ(複数)の間には関係があると語った。さらに「最初のバリ事件(2002年10月)はテロリストが起こした事件だが、今回の事件は官憲(軍か警察)が仕組んでやったものであろう」と語った。

さらに、「テロリストにああしろこうしろという指令は軍から出るものであって、イスラム原理主義者のグループから出るものではない」とも語った。

グス・ドゥルがこの時期にこれだけ思い切った発言をするのはそれなりの根拠があってのことであろう。

グス・ドゥルはインドネシア最大のイスラム教徒団体であるナフダトゥール・ウラマの最高指導者であり、彼の言葉は「伊達や酔狂」ではない。それなりに「重く受け止めて」も良いのではないかと思う。

私はグス・ドゥルのいうとおりだろうと前々から考えている。「テロリスト」という言葉ではなく「爆弾屋」という表現を使用してきたが、本ページの頭から私はそう考えてきた。

日本の常識では(米国には懐疑的な人もいるが)、「2002年のバリ事件はジェマー・イスラミアの仕業であり、今回の事件もジェマー・イシラミアの仕業である」ということになってしまっている。これはメディアの不勉強を物語るものであろう。

「インドネシアに最大の拠点があるジェマー・イスラミアが東南アジア各地に拡散してテロ活動をおこなっている」などという記事をまことしやかにでかい活字で書いて、実態の検証も無しでキャンペーンを張っている大新聞もある。一体何が面白くてこんな いいかげんな記事を書くのであろうか?

南タイのイスラム教徒による反タクシン政権抵抗運動(軍、警察、仏教徒が多数殺されているが、タイ軍によるイスラム教徒虐殺事件が先行しているがそれには触れていない)を単なるテロリストと決め付け、ジェマー・イスラミアの同類であるかのような書き方をしている。

日本の一流紙というのもなかには(あるいはほとんどといったほうがよいかもしれないが)結構「タイチが悪い」ものがある。

米国政府は最近はさほどでもないがオーストラリア政府はしきりにインドネシア政府に対し「ジェマー・イスラミアを禁止しろ」と迫っているが、インドネシア政府としては「実態のないものを禁止しようがない」と突っぱねている。

そもそもブッシュ大統領が「ジェマーイスラミア」を目の敵にしているのは、彼らが米国(人)にテロ攻撃を仕掛けると思っているからである。

「ジェマー・イスラミアの指導者」とされるバアシールやハンバリ(人権を重視する米国に裁判抜きで無期限拘留されている)がマレーシアでイスラム原理主義活動をやっていた。

マレーシアやインドネシアからアフガンで義勇兵としてアル・カイダとともに戦った経験者が多数いて、帰国後マレーシアのバアシールのところに集まった者が可なりいた。かれらはやがてKKM=(Kumpulan Militant Malaysia=マレーシア武闘グループ)という反米、反政府組織を作った。

メンバーの中にはインテリが少なからずいて、マレーシアのジョホールにあるマレーシア工科大学(UTM=Universiti Teknologi Malaysia)の講師グループが2002年3月に治安維持法(ISA)違反のカドで一斉検挙さるという事件が起こった。

いま、インドネシアでお尋ね者になっているアズハリ博士などもその仲間である。かれらの指導者がバアシールということになっているのである。KKMではマレーシアに限定された組織という印象があるため、誰がつけたか「ジェマー・イスラミア」という名前になったのである。

しかし、インドネシアの「爆弾屋」グループはそんな種類のインテリ集団ではない。

 

12-11. 米高官クランプトン氏インドネシアにテロ対策強化を督励(05年10月19日)

米国の国務省「テロ対策コーディネーター」という高官であるヘンリー・A/クランプトン(Henry A. Crumpton)氏がインドネシアを訪問し10月18日(火)に「インドネシア政府のテロ対策は手ぬるい。もっとしっかりやってもらいたい。米国はインドネシアとは対等のパートナーとして手助けするよ」という趣旨の発言をした。

ところがインドネシア人は「米国がインドネシアとテロの証拠を共有していない」点を問題にしていることにクランプトン氏は鋭敏(?)にも気が付いたという。これはニューヨーク・タイムズに出ていた記事である。(10月19日付け、インターネット版、Raymond Bonner記者)

というのはインドネシアの記者から「なぜ米国はハンバリにインドネシアの官憲の面接を許さないのか?ハンバリはオサマ・ビン・ラデンの子分かもしれないが、ハンバリはインドネシア人でインドネシアで犯罪をおこなったのではないか?」という至極ごもっともな質問が出された。

これにはクランプトンも参ったらしい。到底米国政府の対応はインドネシアを「イコール・パートナー」として処遇してないばかりか、取調べの内容も公表せず、裁判にもかけずどこかに「閉じ込めておく」という人権侵害を犯しているのである。

もとCIAのスタッフだったというクランプトンは「インドネシア政府には取り調べの経過を説明したが、インドネシア側は満足していない」と答えたそうである。ハンバリはアルカイダとジェマー・イスラミアとの関係について供述したという。

また、「米国はなぜドゥルマティン(Dulmatin=フィリピンに潜伏中といわれる最初のバリ事件の容疑者)に1千万ドルの懸賞金をかけながら、アズハリとノルディン逮捕には懸賞金をかけていないのか?」という質問には、「ドゥルマティンはこの地域にとって脅威だと米国政府は考える」と応えた。

アズアハリとノルディンの方がはるかに「爆弾事件」の回数も多く、主犯と目されているはずなのに不思議である。インドネシアにとって脅威であったも「この地域=東南アジアの意味?」にとっては脅威ではないとすれば、この二人はジェマー・イスラミアではないのかな???

最新情報(ジャカルタ・ポスト)ではアズハリとノルディンは母国マレーシア領のボルネオに潜伏中でマレーシア警察が追及しているという。本当に生きているのだろうか?

 

12-12.アル・ファルクが米軍のアフガニスタン収容所から脱走?(05年11月3日)

米国の言うところのアル・カイダの下部組織の「ジェマー・イスラミア」)の有力メンバーとしてオマル・アル・ファルク(Omar al-Faruq)は2002年6月にインドネシアの情報部によって逮捕された後、直ちに米国に引き渡された。

その後、アル・ファルクの身柄はどこに移されたか秘密にされていたが、アフガニスタンのバグラム(Bagram)空軍基地に収容されていたことが判明した。それは米軍がアル・ファルクがバグラム収容所から今年7月に 他の3名の仲間とともに「脱走」したと米軍が発表したからである。

この収容所はCIAが所管しており、中では彼はおそらく裸で、手足を縛られた状態で収容されていたという(ニューヨーク・タイムズ、11月3日)。

脱走後、今まで、インドネシア政府には米国側から何の連絡もなかったという話しである。脱走後4ヶ月もたって、「危険人物」が逃げたから注意をするようになどと連絡してくるというのは、いくらなんでも信じがたい話である。

そこには何か隠された事情があるものと推測せざるをえない。

そもそも警戒厳重な米軍の基地から脱走そのものが可能なのだろうか?アル・ファルクがもしアル・カイダの「危険なメンバー」であるなら、絶対外にはでられないはずである。もしでるとすれば、フィリピンでのアル・ゴジのように「脱走後銃撃戦の後に射殺された」という実質的に「処刑」のためであろう。

もし、アウ・ファルクがCIAの要員であるとすれば、「新たな任務」につくために「釈放された」という可能性がある。真相は、アル・ファルクがどういう形で次に登場するか、そのときまでわからない。

アル・ファルクはクウェート生まれで、両親はイラク人であると伝えられている。彼はアル・カイダに入り、1992〜95年までアル・カイダのアフガニスタンにあるカルダム(Khaldam)・キャンプで軍事トレーニングを受けた後に1995年フィリピンに派遣された。

彼はミンダナオ島のイスラム・ゲリラのキャンプでジャングル戦のトレーニングなどを受けた後にインドネシアに移り、インドネシア人のイスラム原理主義者の娘と結婚し、キリスト教会爆破事件などに関わっていたとされる。

 

⇒アル・ファルクはイラク、バスラ付近で死亡(06年9月27日)

テンポ(インドネシア語版、インターネット、06年9月27日)によれば、2005年11月ごろアフガニスタンの米軍基地から「脱走」したとされる、インドネシアの「ジェマー・イスラミア」の 重要メンバーであるウマム・アル・ファルクは06年9月25日英軍と銃撃戦の上、イラクの南部の都市バスラで死亡したとのことである。

インドネシア情報局はクウェート国籍のアル・ファルクはもともとCIAの要員であったとして逮捕後あっさりと米国に引渡し、後にBAKIN(インドネシア情報局)のマヌラン(A.C.Manulang)元局長は雑誌テンポ(02年9月19日号)で語っている。

また、02年9月15日号の米国の雑誌Timeにアル・ファルクの告白なる長文の記事が掲載されている。それによるとアル・ファルクはアルカイダの東南アジアにおける上級幹部で、さまざまなテロ活動を組織していたという。

今年6月刑期満了で釈放になったジェマー・イスラミアの最高指導者アブバカール・バアシールと連絡を取ってジェマー・イスラミアのメンバーを使って破壊工作をやってよいという許可をもらって活動し ていた。

彼らと一緒に、マレーシアの米国大使館爆破事件や1999年のジャカルタのモスク爆破事件や2000年の教会爆破事件に関与した。また、メガワティ暗殺も狙っていたなどと告白している。

それ以外にもいくつかの爆弾事件に関与したという。もしそれが本当ならばインドネシア当局はアル・ファルクを米国に引き渡すはずもないし、引き渡した後も面談調査しているはずである。米国もインドネシア当局に積極的に協力すべきであった。

このような不透明な事態の推移をみると米国CIAがジェマー・イスラミアがかかわった事件にかなり関与していたのではないかという疑惑が当然わいてくる。全てが不自然であった。アル・ファルクの死によって真相の解明がいっそう難しくなった。

インドネシア情報局(BIN)のシレガール長官はアル・ファルクはクウェート育ちのイラク国籍の人間であり、インドネシア女性と結婚してはいたが国籍上の関係はないので、遺体引取りなどは考えていないと語っている。

 

12-13. 爆弾博士アザハリが爆死か?(05年11月10日)

インドネシア警察の捜査部副部長のゴリエス・メレ(Gorries Mere)の説明によれば、爆弾屋の大ボスのアザハリ博士(Azahari bin Husin、48歳))は11月9日(水)に東ジャワのマラン(Malang)市の近くのバトゥ(Batu)の隠れ家にいたところを警察官に発見され、銃撃戦ののち死亡したという。

一説によると、追い詰められたアザハリは自ら爆弾を破裂させ自殺したといわれている。

アザハリは変装の名人のため本人かどうかは最終的には確認されていない模様であるが、ゴリエス副部長は「多分間違いない」といっている。

しかしながら、インドネシアのテロ対策の総責任者のアンシャード・ムバイ(Ansyaad Mbai)少将はアザハリの死亡についてはまだ聞いていないといっている。

⇒指紋からアザハリと確認(05年11月13日)

その後、警察は指紋によってアザハリであることを確認した。警察の発表ではアザハリは警察との銃撃戦で3発の銃弾によって銃殺されたもので、自らのばくだんで死亡したものではないということになっている。

爆死したのはアザハリの子分のアルマン(Arman)であることも確認された。警察は当初3名殺害しあっといっていたが、実際は2名であった。

隠れ家からは小型爆弾30個が発見されたという。

アザハリの家族はクアラルンプールに住んでいるが、夫人は「アザハリの死は神様の定めたところである」と語ったという。

アザハリの盟友のノルディンは依然として捕まっていない。

これで、インドネシアの爆弾事件はなくなるかというと、そうでもないであろうという見方が有力である。要するにインドネシアの「爆弾屋」はあちこちにおり、彼らを利用とする「国内勢力」が存在するからである。

 

12-14. バリ事件の死刑囚が獄中から爆弾テロを指示?(06年8月28日)

2002年10月12日の第1次バリ島爆破事件の首謀者として死刑判決を受けているイマム・サムドラ(Imam Samudra)が獄中でノート・パソコンを手に入れ05年10月1日の第2次バリ爆発事件を指示していた疑いがもたれているという。

しかし、警察はアムロジイマム・サムドラが使っていたといわれるパソコンの現物は確認していないという。

警察は8月中頃、第2次バリ事件の容疑者としてアグン・セティヤディ(Agun Setyadi,31歳)とアグン・プラボオ(Agun Prabowo,23歳)を「サイバー・テロリスト」として逮捕した。

この2人はパソコンを使って05年10月の第2次バリ事件をサムドラが「組織する」のを手伝ったというものである。年長のセティヤディがノート・パソコンをバリ島のケロボカン刑務所に持ち込み、看守がパソコンを外部に接続してやり、サムドラがそれを使って仲間と連絡をとり、第2次バリ事件が起こったという話しである。

とうてい常識では考えられない話ではあるが、インドネシア警察のサイバー犯罪部長のペトルス・ゴルセ(Petrus Golse)警察大佐が「サムドラはパソコンを使ってセティヤディらと連絡を数ヶ月にわたって連絡を取り合い、それは2005年10月まで続いていたと認めた。

その際、サムドラはアラビア語の名前Alirhabを使い、キャシュ・カードから資金を引き出すように仲間に指示し、そのカネが爆弾屋に使われていたという。

第2次バリ事件の直後に3人の死刑囚(サムドラ、アルモジ=Amrozi、ムカラス=Mukhalas)はバリの刑務所からヌサカンバンガン(Nusakambanbangan)島の刑務所に移された。

セティヤディはセマランのスティクバンク(Stikubank)大学の情報技術学科の講師であり、パソコンのエキスパートである。インドネシア警察は8月16日に大学構内でセティヤディを逮捕したという。

また、警察はセティヤディの自宅からサムドラの弁護士アフマド・ミファダン(Achmad Michdan)が持っていたパソコンと周辺機器や携帯電話2台なども押収した。

アフマド・ミファダン弁護士は最近、同僚の弁護士ギルロイ(Gilroy)に自分が使っていたノート・パソコンを渡し、それをセティヤディが修理するという話しは聞いていたと語っている。ただし、彼のパソコンには弁護活動に必要なデータは入っているが、それ以上のものではないと説明している。

この話しとは別にアムロジ死刑囚もバリ島の刑務所から携帯電話を使って、外部と連絡を取っていたことが明らかになったと英字紙テンポは報じている。

これrの話しがどういう結末になるかは今後の警察の調査を待つほかないが、インドネシアの刑務所は場所によってはきわめて大らかであり、外部との連絡はもちろん、外出もかなり自由であるという話しはある。

例えば、ゴールデン・キー事件の主犯のエディ・タンシルは14年の刑で服役しながら、昼間は外出し、夜だけ刑務所に泊りに帰っていたが、ある日突然刑務所に帰らなくなり、「脱獄した」といわれている。エディ・タンシルの行方は今もつて不明である。消された可能性もある。

スハルトの3男トミーも判事殺害の罪で服役中だが、毎週病気治療のためと称してジャカルタに現われ、仕事をしたり、ガール・フレンドと逢ったりしている。挙句の果てに15年の刑が4年そこそこで来月には出所するという話である。理由は「模範囚」だからということらしい。

もちろんこういう特別待遇を受けるには「先立つもの」が必要であることはいうまでもない。

(後日この話はガセネタであったことが判明した)

 

12-15.インドネシア最高裁バアシールはバリ事件に関与せずとの判決(06年12月21日)

インドネシア最高裁は06年12月21日(木)に既に刑期をおえ釈放(06年6月14日)されているイスラム導師バアシール師(69歳)について、バリ事件については無罪であり、同師の名誉を回復するようにインドネシア政府に命じる判決を下した。

これまでの記事で明らかにしてきたようにバアシール師は「バリ事件」の前から、アルカイダの下部組織であるジェマー・イスラミアの指導者であり、テロリスト集団のリーダーであるという主張がブッシュ政権やシンガポール政府からなされてきた。

しかし、どこからも具体的な証拠は何一つ提供されず、ジェマー・イスラミアの最高指導者のハンバリを逮捕しながら、インドネシア当局者の面談すら許さないという、およそ法治国家としてわけの分からない行動を米国政府は取ってきた。

バアシールは釈放の前に「再審」請求を出していた。無罪の決め手となったのはバリイ事件の実行犯のアムロジ(Amrozi)とムバロク(Mubarok)が爆弾事件の前にバアシールに事前の許可を得 たとする証言を今回は覆したことである。

今回両人ともバアシールに面談したこと自体を否定した 。それ以外の証人もバアシールの事件への関与を認めるものは誰もいなかったという。ただし、ジェマー・イスラミアの内部事情に詳しいと自称して記事を書いていたシンガポールの某記者が証人として呼ばれたかどうかは分からない。

今回はインドネシア最高裁は30人の証言をえるなどマジメに審理を尽くしたようである。

米国政府やシンガポール政府あるいはオーストラリア政府が今回の判決に不満であるならば新たな証拠を提出して争うべきである。われわれはそれを期待している。

それにしてもバアシールを犯人扱いにしてきた国際メディア、日本のマスコミも一言あってしかるべきであろう。

(ジャカルタ・ポスト12月22日インターネット版参照)


12-16. ハンバリーバリ事件などへの関与否定(07年4月14日

ジャマー・イスラミアの最高幹部として米国政府から1千万ドルという多額の懸賞金をかけられ、行方を追及されていたが2003年8月にタイのアユタヤで逮捕された(#12-6参照)。

ところが身柄を米国政府が確保したままインドネシアの官憲との面談も許可しないという、民主主義国家を標榜する米国としてはきわめて異常なやり方をしてきた。

ハンバリは現在はグアンタナモ基地で拘束されているが、4月4日に開かれた米国の「Combatant Status Review Tribunal」というグアンタナモ基地内でのイスラム過激派14名の軍事法廷での供述内容が一部明らかにされた。

それによると、ハンバリはアルカイダとのかかわりを一切否定しているという。また2002年10月12日に起きたバリ島爆破事件や2000年末のジャカルタの教会爆破事件(18名死亡)やシンガポールの米国大使館爆破計画などにも全く関与していないという。

ハンバリは2000年にはジェマー・イスラミアという組織を脱退したと述べた。脱退するまでのその組織の活動内容については供述を拒否したという。

また米国での2001年9月11日事件についても何も知らなかったと供述したという。

米国政府としてはハンバリはバリ事件には直接は関与していないという見方をしているが、FBI(連邦捜査局)に寄せられた情報ではハンバリはタイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアの東南アジアショクでバーやナイトクラブなど白人が出入りする場所の爆破計画に参加していたという。

(バンコク・ポスト、ジャカルタ・ポストのインターネット版、4月14日参照)


12-17.アブ・ドゥジュナという爆弾屋のボスを逮捕(07年6月14日)

インドネシア警察のテロ対策特殊部隊である第88部隊はかねて米国から特別の訓練を受けた「精鋭部隊」だということであるが、訓練の効果が出たためかジェマー・イスラミアの指導者でかねてお尋ね者であったアブ・ドゥジュナ(Abu Dujuna)という人物を6月9日(土)に逮捕したと発表した。

最初はアブ・ドゥジュナかどうか不明であったが、DNA検査の結果、本人であるkとが確認されたという。

アブ・ドゥジュナはアザハリが死んでからジェマー・イスラミアの指導者に昇格したという。それまでは余り知られた人物ではなかった。

1968年ごろ西ジャワのチアンジュール(Cianjur)で生まれたとされる。ダルル・イスラム運動の家族と関係が深く、子供の頃からイスラム原理主義運動の指導者のダダン・ハフィズ(Dadang Hafidz)の指導を受けた。

後にパキスタンで軍事教育を受け、アフガニスタンでソビエト軍と戦い、爆弾製造技術などを習得したといわれる。そこでジェマー・イスラミアの幹部となるハンバリなどと知り合った。

1990年代はじめにに東南アジアにもどり、インドネシアとマレーシアでイスラム学校の教師などをしていたという。そこで後にバリ島事件の主犯となるムクラス(Mukhlas)と知り合った。

インドネシアではモルッカや中部スラウェシ(ポソ周辺)で主に活躍していたとされる。

2000年のはじめごろにはジェマー・イスラミアのトップ10のリーダーになっていたという。バリ事件やマリオット事件、オーストラリア大使館事件などにも主犯格として参画し、インドネシア当局のお尋ね者になっていた。

その後、バリ事件が起こり、幹部が逮捕されたり、死亡したためトップの地位に押し上げられたと見られる。
ジェマ−・イスラミアの実力者ノルディン・モハッマド・トップは別組織を作ってジェマー・イスラミアと袂を分かち、目下逃亡中である。

インドネシアではジェマー・イスラミアという呼称で一味のことを呼んでいる機関は警察と国軍情報部など限られている。ジェマー・イスラミアなどは存在しないとグス・ドゥル元大統領などは公言しているし、政治学者も同じ意見のものが少なくない。

特にアル・カイダから資金援助を受け「国際テロ活動」の一環として爆弾事件を起こしているという説には疑問が多い。

しかし、インドネシアには2000年頃から爆弾事件がしばしば起こっているが、それはむしろ「国内政治」情勢の反映ではないという見方が出来る。

軍とイスラム過激派との関連や、一時期はトミー・スハルトとの関係も噂された。いずれにせよインドネシアの一連の爆弾事件とその組織的解明は今日なお十分になされているとは到底いえない段階にある。


⇒本当の親分、ザルカシも同時に捕まっていた(07年6月15日)

インドネシア警察のスルヤダルマ・サリム(Suryadarma Salim)准将の説明によれば、ジェマー・イスラミアの親分としてアブ・ドゥジュナ(Abu Dujuna)の逮捕を昨日発表したばかりだが、今日(6月15日)になって同時に逮捕した爆弾屋の一味の中に、「本当の大親分(?)」であるザルカシ(Zarkasih=別名Mbah)という人物が捕まっていたというのだ。

結局ジェマー・イスラミアと警察が呼んでいる爆弾屋の一味には複数のボスがいて、今度のザルカシのほうがアブ・ドゥジュナより地位が上だということである。

両名とも2002年の第1次バリ事件から2005年の第2次バリ事件まで一連の爆破事件の主犯であったというのである。一体ナニが本当なのか良く分からない。

警察もザルカシを捕まえたことを最初は認識していなかったようだ。

ジェマー・イスラミアも創業の大親分であるといわれたアブ・バカール・バアシール師は無罪になり、ハンバリは米軍がグアンタナモ基地に監禁したままインドネシアの官憲との面会・調査も認めていない。

全体の解明のためにもハンバリの身柄をとりあえずインドネシア側に引き渡すべきであろう。

米国やシンガポールにジェマー・イスラミアの専門家なる者がいて、彼らが書いたシナリオをブッシュ政権が買い取り、それが世界中に流布しているというのが実態であり、必ずしも真実ではない。それを知っているのはインドネシア人の有識者である。