『三文文士映像日記』日記帳bT9 2021年(令和3年)12月
1日(水) 曇・晴7/20℃
早師走に入り、例年、慌ただしい一月となっている。12月になる前に、冬支度を済ませようと、自分なりにやって来たが、結果的に、流れるがままに師走を迎えた。今日は、夕方のジョギングが偶数日になっているので、夕刻はのんびり過ごした。ジョギングにダッシュを取り入れた関係で、かなり負荷がかかり、今日一日、昨日の疲れが残っていた。 生活に潤いを持たせようと意識するが、機械仕掛けの人間となって、決まった事を決まった通りにやり過ごすのが本分で、今はすっかり体に染みついている。決していいこととは思えないが、妻を失った苦しみから逃げるには、何も考えずに決まった事を決まった通りにやっていくしか手立ては考えられず、今は、時間つぶしの人生しか生きるすべが見つからない。機械仕掛けの生活は、余計なことを考えずに済むのだから、楽しいとは言えないが、苦しみは霧散する。
2日(木) 曇・晴6/14℃
本来なら12月はスッキリ晴れることが多くなるのだが、昨日、今日と雲が多い天気となり、今日は気温が上がらず、最高気温も15℃を切った。気温的にはこの時季本来の陽気と言える。昨今、季節感が乏しく、衣替えがなかなか難しい。 今日の夕方のジョギングでは、よせばいいのに通例となった3回のダッシュを試みた。全力で走っていると、まだ走れると言う満足感に包まれ、爽快な気分だる。膝の心配もあるが、今日は全く違和感がなく、まだまだやれると言う自信が付いた。 ダッシュを試みているのだから、当然、競技会に参加してみたくなる。思いっきり走れるなだから、サッカーやラグビーもできそうで、コロナの問題が明けたら、サッカーやラグビーのチームに加わるのもいいかもしれない。
3日(金) 晴2/16℃
最高気温は15℃を越えたが、最低気温は2℃で、真冬に一歩近づいた感じである。それでも、トレーニングの賜物か、今のところ寒さを感じずにおり、散歩やジョギングの、運動の成果を実感している。特に、ジョギングにダッシュを加えた事によって、肉体が若返った気がする。団体競技にチャレンジしたい気分である。 外に出て、散歩やジョギングをして、何ものにも縛られていないと思っているが、妻への思いが生活圏を限定しており、前々から考えている、旅へと気持ちが向かない。同時に、創作と縁遠くなり、どうしても文章を書く気にならない。妻が生きているときは、「愛妻記」として、妻の事を書き続けるつもりでいたのだが、実在する人物がいないと言葉が浮かんでこない。
4日(土) 晴2/16℃
12月に入り、本来なら冬へ突入してもおかしくないのだが、最高気温が15℃超えの、秋の陽気がつづいている。日常生活が、寒さに苛まれないことは、高齢者にとっては有難いことであり、夕方のジョギングも苦にならず、今のところ、ダッシュをすることも苦になっていない。 歳を取ると時間の進みが早くなっていると感じる。9月段階から暮れを意識していた所為か、一気に師走になったようである。日常のルーテーン以外に、妻の月命日を追いかけている感じで、どんどん時間が過ぎていく。 早く妻のところへ行きたいとの思いと、私が死んだら、妻の供養を誰がしてくれるのか、考えてしまう。当然息子たちと考えたいが、現状では当てにできないところである。当然、時機(私の死も含む)を見て、永代供養など、後始末をきっちりするしかないのかもしれない。
5日(日) 晴3/11℃
今日は、ジョギングの日で、よせばいいのにダッシュをしてしまい、自己満足にすぎないが、3回、全力疾走をした。ダッシュをするたびに、「この歳 (73歳)でここまで速く走れるのは驚きである」と感じている。気持ちでは速く走っているつもりだが、実際にはどんな速さなのか分からない。サッカーやラグビー、運動会など、機械があれば参加したくなっている。
6日(月) 曇4/10℃
今日も散歩や買出しで1万歩を越え、万歩が完全に定着した。夕方ジョギングをすると5千歩加算され、合計で1万5千歩を超える。歩数計を万歩計と呼ばれるように、運動量としては1万歩が目標となり、私の生活は理想と言う事になる。さらにジョギングを続けていることによって、年齢に不相応な肉体を作り上げていると言える。現在73歳、いつまで続けられるか分からないが、特別な肉体を持っていると自覚し、これからは色々な事にチャレンジしてみようと思っている。
7日(火) 曇・雨8/16℃
12月に入り、冬の走りとなっていいのだが、一昨日、昨日を除くと、15℃を越える暖かい日が多くなっている。高齢(73歳)になると、寒さに弱く、どうしても動きが悪くなる。今のところ、一日おきのジョギングは何とか継続しているので、体力は何とか維持できているが、いつまで維持できるか見当がつかない。 冬場になって生活様式を変更し、洗濯物は、日中外干ししているが、12月に入ってから、夕方までに乾ききらない傾向にある。冬場の暖房は電気ストーブと石油ストーブの併用で、部屋に物干しを通して、夕方になると乾ききらない洗濯物を吊るす事にした。色々な面で効率化するようにして、経費削減をもくろんでいる。
8日(水) 曇・雨8/12℃
今日はそれほど寒く感じられなかったが、気温は上がらず、最高気温は10℃をす少し越えた程度で、本格的な冬を感じるまでに至らなかった。この冬がどれほど寒くなるのか予想できないが、所謂、暖冬傾向になるのではなかろうか。 日記をホームページで公開しているが、ノートに書き始めたのは15歳からで、全ての日記を今も大事に保管してある。乱筆、乱文で、決して値打ちがあるとは言えないが、後に本にしようとの思いが大分前からあって、20年ほど前に、「時の旅人」と銘打って自費出版した。 さらにはホームページを持ち、2000年から公開してきた。私が文章として残してきたものは、ほとんどが妻への思いで、この日記も役割を持っていた。我が人生は妻が全てで、妻を失った今、生きた屍となり、妻の供養と、時間つぶしの生活を送っている。
9日(木) 晴5/14℃
そろそろ本格的な冬模様になってもおかしくない季節となり、従来だと寒さ対策に余念が無いところであるが、今のところ寒さが苦になっていない。例年だと冬支度を意識し、生活様式を若干変えていたが、今年は全く変更なく過ごしている。 夕方のジョギングは30代の頃から強く意識して、年齢を増すにつれて走る回数を、毎日から一日おきとなり、一時は二日おきにもなったが、ここ3年は一日おきが定着した。無理になるかと思ったが、走る速度が遅くなった所為か、完ぺきにこなしてきた。肉体的な老化を遅らせる事が出来、今のトレーニングは若かりし頃とほとんど変わらなくなった。
10日(金) 晴4/12℃
12月も10日が過ぎ、最低気温4℃、最高気温12℃と、本格的な冬模様となってきた。夕方のジョギングでは、寒さを吹っ飛ばそうとインターバルを行い、3回ダッシュを試みた。自分とするとシャカリキになって走っているのものの、どれほど早いか分からず、ただ、全力で走れたことが自己満足になっている。この冬、ダッシュを続ける事が出来るかが重要で、このままつづけられるなら、スーパーマンになった気分になれそうである。 今年も残すところ3週間となり、どんな思いで新年を迎えられるのか、気になるところである。我が生活は、今までとすっかり同じことを繰り返す事は確かで、亡くなった妻の存在がどうなるか気になるところである。私の気持ちとしては、返事の無い会話を常に楽しんでおり、妻は心の中で常に輝いている。
11日(土) 晴1/15℃
この頃ボケが進んでいる様で、しくじりが後を絶たない。何十年も続けてきた日記も、最近は、日にちが違っていることが度々ある。11日の日記は12日に書いており、昨日は日記を書き忘れたようである。ルーティーン以外の事は記憶として残らず、やらねばならない事も置き忘れをしている可能性がある。
12日(日) 晴4/16℃
年甲斐もなく、夕方のジョギングでダッシュを加え、50〜60メートル程を全力疾走している。思った以上に速く走れて、己の肉体に天狗になっている。実際にはどれほど早いのか見当がつかず、73歳のトレーニングの手法として適正か全く分からず、実体的に、昨日、今日と走る気になれなかった。 自分はいったい何をしようとしているのか考えるが、先が全く見えず、ロボットに成ってしまった気分である。73歳という年齢がどんな意味があるのか考えるが、何も浮かんでこず、今の生き方でいいのか答えが出てこない。ただ、生きている限り、自分の可能性を追求することは、決して間違っていない気がする。
13日(月) 晴4/12℃
今日は、妻の月命日で墓参に行ってきた。妻が亡くなって6年が過ぎたが、亡くなった者にしてやれることは供養だけで、月命日の墓参は欠かしたことが無い。墓地に詣でて特別なことが起こるわけではないが、自己満足に浸っている。合わせて、妻が生きているときに、墓参の帰り、行きつけのトンカツ屋に行く習わしになっていて、今日もトンカツを食してきた。 一日おきのジョギングは、疲れが出て、三日続けて休養となった。50代の時も、毎日走っていると膝に違和感が生じ、一日おき、さらには二日おき迄減らした経緯がある。今回も二日おきにするか、悩むところである。 今夜は一段と冷え込んで、真冬を実感させられる。高齢になると冬越しは大変であり、高齢者の死亡率が高まる。自分も気を付けなければと思うが、走るのを一日おきか、二日おきかで悩んでいるようでは、今のジョギングに大きな負荷を感じているとは言い難い。
14日(火) 曇・晴0/8℃
放射冷却現象が強まったようで、熊谷の最低気温は0℃と、この冬一番の寒さとなった。日中も雲が広がりやすかったこともあって気温が上がらず、最高気温も8℃と、真冬並みの寒さとなった。夜間になると一層気温が下がってきた感じで、完全な真冬モードである。 今日もジョギングを休み、4日連続となった。4日も休むなど、記憶に無く、復活できるか気になってきた。連続して休んだのは、足を怪我したことがあり、1週間ほど休んで復活した気がする。今回は怪我しているわけではなく、疲れを感じていたもので、明日にでも復活できるかもしれない。
15日(水) 晴—1/16℃
夕方のジョギングを4日連続で休んでいて、今日は何とか走ってきた。4日も休むと走りに影響を及ぼすのではと思っていたが、ダッシュも3回加え、普段通りの走りが出来た。しかし、走った後は足に疲れが残り、規則性を損なうと、少なからず影響が出ることが実証された。 12月も残すところ16日、今年もやり残しが多数あったように思えるが、義務付けられたことは何もなく、妻の月命日も義務的に墓参しているわけではなく、妻に対する愛する思いがそうさせており、お墓では幾分か妻に近づいた気分になれる。
16日(木) 曇0/14℃
老化に抗って、若いころの様にトレーニングを課し、必死に走っているが、寒さの所為か、肉体にガタが来た感じである。トレーニングの間隔を広げれば幾分、負荷が緩和されると思うが、逆に負荷をかけ続ければ肉体が順応し、今まで通りのトレーニング続けられると思っている。ある意味では挑戦であり、若いころと同様な運動量を求め続けることが、人生のチャレンジとなる気がする。
17日(金) 曇・晴5/16℃夜強風
一日を通して曇りがちだったが、それでもが晴れることもあり、夕方のジョギングの時には風がなかったが、夜は風が強くなって、木枯らしが吹いている感じである。 今日のジョギングでもダッシュを加え、必死に走ってきた。必死になる必要があるのか考えると、どうしても疑問となり、余生をどう過ごすのがいいのか、考えざるを得なくなった。考えようによっては老化に抗って、挑戦をしていると言うのが相応しいかもしれない。 何も考えずにシャカリキに走っていると、老成に抗っている感じで、今でも、「ここまでできると」とつい自己満足に浸ってしまう。比較する術をもっていないので、本当に価値があるのか分からないが、余生の道筋が出来た気分である。
18日(土) 晴中風-1/7℃
今日は日中風が冷たく、晴天だったが気温が上がらず、熊谷の最高気温は10℃に届かなかった。昼の、食事を兼ねた散歩では、寒々としていて、家に帰ってからはストーブの前でほとんど動かなかった。これがこの時季本来の気候で、高齢者にとっては、年越しが大変である。 そろそろ年越しの準備をするようである。寒さ対策も重要であるが、今回は早々に年越し準備を済ましており、普段通りの生活をきっちりとこなしていくばかりである。一日おきのジョギングをきっちりと続け、インターバルも組み入れられるかが重要である。歳に抗ってダッシュを続けていくのが良いのか、見当がつかないが、ジョギングの帰途には、疲れより、満足感に包まれる。
19日(日) 晴-3/9.1℃
昨日も日記を書いたつもりだったが、日記帳を見ると漏れていた。忘れないようにノートに一日の行動を記録していて、日記に漏れが無いようにしてきた。にもかかわらず、昨日はホームページの日記帳には何も記しておらず、20日になって書いているところである。本コーナーを維持していくのが難しい気がしてきて、ホームページを維持していくことも難しくなってきた感じである。
20日(月) 晴-2/13℃
今日は一日晴天で風も弱く、穏やかな天気だった。それでも朝の内は氷点下で、本格的な冬に突入した感がある。それでも、風が強くならない限り、日中はそれほど寒いとは感じられない。 昨今、無気力状態になっていて、先行きに明かりが灯ると言う事は全くない。妻の供養をきっちりと続けていくことだけが、今の自分に課せられたことである。肉体的には少しも不安はないが、物忘れが酷く、認知症になってしまうかもしれない。少なからず問題を抱えている事は確かであるが、ただ、本日記を継続している限り、認知症に陥ったとはならないと思っている。
21日(火) 晴0/16℃
12月はまだ残っていると思って、気まぐれに日々過ごしてきて、今日の日記で残すところ下旬だけであることに気が付いた。年越しと言っても、特別何かをしようと考えていたわけではないが、やり残しが頭の中で散乱し、少々焦りが出てきた。 今の自分にあるものは妻の供養だけで、自らに課しているものは何もない。いわゆる生き甲斐を持たず、時計の針の様に規則的に時間を刻んでいるだけである。息子たちが結婚して、孫の顔を見れれば、妻が生き返った気分になれると思うが、全く可能性が無い。 今の自分は、何も考えずに、規則的な生活をするのが、唯一の生きる術である。言い方を変えると、遣り甲斐を見出せるかであり、遣り甲斐を見出すすべを持たない状況では、寿命が尽きるまで、時間だけを刻むしかない。
22日(水) 晴4/13℃
12月も下旬に入ったが、真冬の寒さにはならず、昼食を兼ねた散歩では、長閑な感じすらあった。夕方にはジョギングに出かけ、いつも走っているグランドと隣接するがグランドでは、女子高生がラクロスをやっていた。ラクロスは毎日ではないが、一年中女子校生の姿が見られる。 年内に片付けてしまおうと考えてきたが、区切りをつけなければならない事項が浮かばず、普段通りの生活をするしかない。全て自分一存で決しており、気遣いは全く不要な生活である。気楽さが身についてきて、時間つぶしの生活に過ぎないとしても、生きる術となり、気楽に日々を過ごせるようになった。
23日(木) 晴2/12℃
12月も下旬に入ったが、日中の気温は高め傾向にあり、今のところ寒さに煩わせずに済んでいる。夜は気温が下がって、真冬を感じさせ、夕方のジョギングが億劫になってくる。しかし、ジョギングを続けているから若さを保てるのであり、「独り暮らしが続く以上は走り続けるしか無い」と自分に言い聞かせている。 独り暮らしの夕飯は、本来なら手作りが望ましいと思うが、どうしても自分で作る気にはならない。スーパーやコンビニなどで弁当を買ってきて、外食と交互に利用している。食するものが同じようになってしまうが、どう言う訳か、少しも苦にならない。妻が亡くなってから高望みをしなくなり、妻に対する有難みを噛みしめて食するようにしている。
24日(金) 曇-1/12℃
今朝は冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下となり、最高気温は12℃で、二日続けて冬モードとなった。それでも、熊谷本来の厳冬には程遠く、寒がりの自分でも少しも苦にならない。 気が付くと、今日はクリスマスイブで、妻が生きている頃は、二人きりでクリスマスらしい時を過ごしていた。クリスマスだけでなく、毎日のようにデートをしていて、昼食は外で食することがほとんどだった。二人でいることが最高の時間で、幸せの絶頂が、妻が亡くなるまで続いた。
25日(土) 晴2/15℃
今年も残すところ1週間を切り、世の中、新年に向けてカウントダウンが始まった感がある。コロナの状況は少しも改善されず、先の見えない事態になってきた。熊谷ではコロナ騒ぎはほとんどなく、普段とほとんど変わらない生活をしている感じである。
26日(日) 晴‐2/6℃
年越しは何もしないと言い聞かせているが、なんとなく気忙しくなり、やり残しが無いか考えてしまう。そもそも、しなければならないことなどあるはずが無く、唯一墓参だけは暮れの内にしておこうと決めている。 一日おきにジョギングをしているが、妻が亡くなって、今まで続けてきた日々の生活が出来なくなり、何とか立て直そうと、少しづつやるようにし、1年かけて何とか復活させた。再開した当初は、自分をロボットに仕立て上げ、何も考えずに、決まった事を決まった通りにするよう心掛け、妻を失った苦しみを和らげて来た。 ジョギングが復活してから、一日おきや二日おきなどを経て、今は一日おきが完全に定着し、休むことはほとんど無い。むしろ、体を酷使しようと考えており、今はインターバル迄取り入れている。
27日(月) 晴-5/8℃
今朝は一段と冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下5度だった。生活が規則的で、今の自分はロボットのような動きをしており、冷え込みが肉体で感じ取れていない。特に足早に歩いているので、血行が良くなると思われ、生活に何の支障も感じない。出来れば本格的な競技スポーツをしたいと思っており、機会を待っているところである。 日々の生活はルーテーンみたいなもので、何の迷いや不安が無く、楽しむまではできないが、完ぺきな時間つぶしになっている。何をやっても苦にならず、夕方のジョギングでは、別世界を確立できそうである。楽しんでいることは確かで、今は、生活に少しも不足を感じていない。
28日(火) 晴-2/8℃
暮れも押し迫ってきて、この三日間厳冬を思わせる寒さとなり、高齢者にとっては年越しが大変である。年越しと言っても、特別何かをするわけではないが、どのように新年を迎えるか、多少考えてしまう。妻を失った今、季節的な行動は全くなくなり、妻の月命日だけはお参りしている。言い換えると、背負うものが無くなり、何も考えずに時間を追っている感じである。
29日(水) 晴-3.5/7.9℃
昔は、年末になるとやり残しを意識したが、今は少しも苦にせずに、なるがままに任せている。それは、妻が亡くなって、妻が出来るだけやり残しを作らないで済むように全面協力をしてきたためで、今の自分の生活には全くこだわりが無く、なるがままに受け流しているので、少しも気に留めていない。
30日(木) 曇-3/14℃
例年、30、31日は年越しの準備をしてきて、今日も新年を迎えられるように、それなりに準備をした。あくまでも自分一人分の年越し準備で、ほとんど煩わしさが無いので気楽なものである。今日は墓参にも行って、妻への思いを花に託し、線香と共に手向けてきた。 妻の墓参は、1年を通して月命日には出向いており、今のところ、妻への思いは涸れる事は無い。墓参の後に、妻が生きている時にも行きつけとなっていた、とんかつ屋で昼食を済ませてきた。妻の愛読書を持参し、本を読みながらとんかつを味わっている。
31日(金) 晴-2/5℃
2021年も最終日となり、本来なら年越しを意識するところだが、1年の区切りをつけるのが困難で、元旦に食するものだけ用意して、諸々の課題を引きつって新年を迎えうようである。課題を引きつるのが慣れっこになり、常に気張らず、最低限の事項を消化している。 最低限の事項には、墓参とジョギングがあり、妻の月命日は欠かさず墓参に行っている。ジョギングも、一日おきに出かけており、欠かす事は年に3回も無い。毎日の散歩と合わせ、規則的な生活が生命線となっており、来年も全く変わらない生活をするつもりである。 |