『三文文士映像日記』日記帳bT8 2020年(令和2年)11月

 

1日(日) 晴・曇7/18

 

午前中は晴れている時間が長かったが、午後からは曇りがベースとなり、気温が上がりきらず、最高気温は20℃を下回った。11月の天気とするとまだ気温が高めで、散歩では汗ばんできた。この頃歩く距離が長くなり、昼の散歩で8キロを超えることが度々ある。

以前の生活(2019年8月以前)に戻そうと躍起になっているが、詐欺にあったブロック塀工事の事が頭に残ってスッキリせず、思うように元の生活に戻れない。生産性がある生活を取り戻してから生活に大きな変化が出てきて、本来の道筋から大きく逸れてしまい、老後の生活をさ迷っている。

生活パターンは何とか確立できた感じで、本来なら、大工仕事は何の抵抗も感じずにできているのだろうが、頭で少しはイメージできても、実行に移せない。妻が生きているころは、とにかく何でも自分でやって、便利な生活を維持してきたが、それはあくまでも妻と言う心の糧があってこそ出来た事で、今は目標となるものが全く存在しない。言い換えると、自己満足のための、妻と言う推進力が無く、何事も本気になってやりきれない。

 

2日(月) 晴・曇・雨11/17

 

午前中は晴れていたが午後からは雲が広がり、夕方には雨がぱらついていた。秋晴れと言って、10月に入ってからは晴天傾向になるのだが、今年はスッキリと晴れた日はほとんどなかった。温度的には比較的安定していて、体調を崩さずに済んだ。

ブロック塀工事にかかわり、家にかかわる工事をする予定なのだが、事前作業がなかなか進まず、体制ができていない。自分自身が何でもが億劫になって動ききれず、まさに心身の老化が災いしているようである。散歩とジョギングは規則的にできており、体調的には問題がないと思われるが、活力が影を潜め、何もかもが思うようにできずにいる。

余生の設計図ではないが、きっちり仕上げていかないと生きた屍になりかねない。当然、長期間気持ちを鼓舞することは不可能でも、力を出し押しみして、悠長に構えていくのが、唯一可能なやり方と思える。

 

3日(火) 晴・曇13/20

 

11月に入っての、この2日間と比べると今日は晴天傾向が強く、熊谷の最高気温は20℃となった。昼食を兼ねた散歩では、特別意識したわけではないのに長い距離を歩いており、スマホによると10キロ以上歩いたことになる。夕方にはジョギングも行っており、かなりの運動量だったが、どう言う訳かそれほど負担を感じなかった。

家周りのことを色々とやらねばならないことがあるのだが、億劫になってなかなか手がつかない。数年前までは色々な構想が湧き出てきて、何でもすぐにとっかかれたのだが、最近は少しも脳が奮い立たない。手作り作業を楽しんできたのは過去の出来事になってしまったのかもしれない。

我が家には、私の手作りの造形物が数限りなくあり、中でも高床式の物置は傑作と自負している。妻との生活は、こちらが自主的に便利な環境を作り上げることがほとんどだったが、妻の要求にも数多く応えてきた。妻にも大変喜ばれ、妻が刻んできた世界が各所で見られる。

 

4日(水) 晴・曇8/18

 

1日を通して久しぶりにいい天気だったが、気温はそれほど上がらず、秋の深まりを感じる。同時に今年も残すところ僅かとなり、いささか焦ってくる。パソコンでの作業が滞りがちだったので、心機一転、パソコンディスクを模様替えした。使い勝手を良くしたつもりなのだが、実質的には今までと変わらない気もしてくる。

70歳を過ぎて能力の衰えを痛感せざるを得ない。能力と言っても生活の知恵と言った方が合致し、長年既製品に頼らず、ほとんどが日曜大工で問題解決してきた。その功績が生活の節々で感じ取れ、楽しめる時間が増えた。

知恵を働かす楽しみを知ったものにとって、生活を楽しむことに繋がってきて、時間を持て余すことが無い。妻を失って、時間を喪失する時間が長くなり、張り合いも失っていた感じである。思うように、以前の様な張り合いを持つまでに時間を創造するまでには至っていないが、ここにきて、牛歩の歩みながら、生活に変化を感じ始めた。

 

5日(木) 晴・曇・5/20

 

今日は雲が広がる時間もあったが、概ね晴天傾向で、散歩では調子づて長い距離(8キロ)を歩いてしまった。さらには庭(亡くなった妻の実家)の草取りをし、2メートル前後伸びてしまった雑草が地面を覆いつくしていて、非常に大変だった。

この頃は動くのが億劫で、やらねばならない事が多数ありながら、ごろごろしてしまい、正にぐーたれた生活に陥っていた。生活を変えねばと意識するが、もう1年近くまともな生活ができなかった。時間の損出は膨大で、このまま呆け老人として生きていくしかないかと、意識せざるを得なかった。

無気力さを完全に払しょく出来たとは言えないが、生活の改善を意識するようになったことは確かで、老いに負けずに人生を楽しもうと、僅かながら考えるようになった。

 

6日(金) 曇・晴8/15

 

今日の最高気温は15℃止まりで、今月に入って一番の涼しさだった。午前中、昼食を兼ねた散歩では荒川堤を北上、風が冷たく感じられた。午後からは、亡くなった妻の実家(隣)の草取りをした。地面が背丈の高い雑草で完全に覆われていて、草取り作業は今日で三日目となり、何とか取り終えた。

ジョギングを一日おきにやっているが、記憶が曖昧となり、間隔が開いてしまうことがしばしばである。ウォーキングは毎日なので記憶に頼る必要が無いが、一日おきと言うのは間違えてしまうことが度々ある。記録帳があるのだから確認すれば済むことなのだが、いい加減なので思い込みで判断してしまう。

 

7日(土) 晴・曇9/20

 

この5日間、一日おきに最高気温が20℃となり、秋の深まりが足踏みしている感じである。寒くなるのが遅れ気味なのは、高齢者にとっては有難いことで、動きが緩慢にならずに済んでいる。昨日までの草取り作業は重労働だったが、体に痛みが残らなかったところを見ると、普段のトレーニングの成果が出たと自慢できそうである。

ブロック塀問題で5か月以上煩わされてきたが、今はスッキリとして前向きに物事を考えられるようになった。生活の改善がなされたとまでは言い切れず、思うように動ききれていないものの、今までとちょっと違ってきた感じで、物造りに意欲が湧いてきた。

年齢的に考えっると物造りができるとは言い切れないが、ここ何日か、色々な発想が湧いてきて、昔取った杵柄で、何とかなりそうな気がしてきた。それも年寄りの冷や水と言う事なのかもしれない。

 

8日(日) 晴・曇13/24

 

雲が広がることもあったが、一日を通して比較的好天となり、少々気温が上がったものの空気が乾燥していて、それほど暑いとは感じられなかった。夕方のジョギングでは、けっこういい調子で走る事が出来、帰ってきて入浴をすると、疲れがどっと出た感じである。

ブロック塀問題から離れて2カ月ほどたち、今では完全に過去の事となって、引きずらない生活ができるようになった。同時にこれから何をすべきか考えられるようになり、グーたれた時間が短くなった。考え始めると様々な試案が浮かんで、出来るところから手を付けるようになった。

明らかに本来の生活に戻った感じで、「愛妻記」を復活させなければと意識し始めた。それが余生であり、本格的な創作ができるようになれば万全な人生に変身できる気がする。

 

9日(月) 晴・曇9/18

 

11月に入ってスッキリと晴れる事はなく、それでも気温は暖かめに推移している。寒いのが苦手な者にとっては有難いことで、家にかかわる作業が苦にならず、今日は庭石の整理で結構重労働になったが、一定のところまでやりきる事が出来た。

以前の生活に戻そうと意識しているが、中々思うように進まず、特に創作活動が滞っている。日記は何とか欠かさずに書いているが、肝心の「愛妻記」とはご無沙汰となっている。私にとって「愛妻記」を書き上げることが生きる目的だったのだが、早1年近く書き綴っていない。

妻の事を書いているときは、過去の、一体感を持った生活が蘇ってきて、少なからず癒しとなっている。今は、仏壇に並べて妻の写真を飾っており、毎日、何度ともなく顔を突き合わせる気分になって、言葉を投げかけている。応えるはずの写真がやさしく語りかけてくるようで、いつも心が和んでいる。

 

10日(火) 5/16

 

今日は朝のみならず、日中も寒さを意識させる陽気で、晩秋を感じさせた。夕方のジョギングでは冬モードとなり、ニット帽とネックウォーマーを着用した。今は近隣の公園のタータントラックを走っており、寒さに伴い、夕方の利用者が大分少なくなり、走りやすくなった。

亡くなった妻の実家の土地(今は息子の名義になっている)の整地を手掛けており、同時に庭石やブロックを、新たに駐車場にする敷地に運んでいる。運ぶ距離とすると10数メートルで大したことはないが、運ぶ個数が多いので重労働である。71歳になって無理かとも思ったが、普段のトレーニングの成果で、何とかしてしまった。

明日からはブロックを利用して、新たに駐車場にする場所の整地をするのに利用する予定ある。本来なら業者に頼めばいいのだろうが、予算の都合で、自分のできることはできるだけやってしまおうとのケチな根性で、余計な苦労をしている。

 

11日(水) 6/16

 

昨日と同様気温が低めで、室内にいる時は暖房は欠かせなかった。夜になると一段と寒くなり、冬に突入した感じである。衣替えをちゃんとしていなかったので、夕方には冬服を引っ張り出した。

昨日、門扉関連の作業をし、敷石の移動にはかなりの力を使ったが、疲れを今日に持ち越さずに済んだ。門扉関係は2軒分作るようで、外での作業が多くなっている。年齢的に重労働は出来なくなってしまったと思っていたのだが、昔取った杵柄で、結構やれるものである。

本来なら業者さんに頼んでしまえばいいのだが、昔からの性分で、どうしても自分でやってしまう。大変な思いをするようなのだが、嫌いではなく、我が家には私の作り上げたものが多数存在する。70歳を過ぎて、もうやることはないだろうと思ったのだが、創造することの楽しみを知ってしまい、脳裏に様々な創造物を思い描いてしまう。

 

12日(木) 曇・晴3/14

 

時々陽射しも出たが、一日曇りがちで気温が上がらず、熊谷の最高気温は15℃を切った。晩秋に入った感じで、銀杏並木の道は落ち葉で黄色く彩られていた。家に戻るとパソコンを置いてる机周りをビニールで養生をし、冬場の寒さ対策を施した。今夜のパソコン作業は快適である。

老眼で近いところが見づらく、老眼鏡で凌いでいる。歳とともに近視の傾向も出て、眼鏡を欠かせない生活となっている。当初は近くが見づらいだけだったが、高齢になるにつれて遠くも見づらくなり、遠近両方の眼鏡をいつも用意している。度数と言うのはどんどん変わってきて、用途に応じて度数を替え、3種類の眼鏡を用意している。

 

13日(金) 5/19

 

今日は妻の月命日で、墓参に行ってきた。妻が生きている時も、父の墓参の帰りによく訪れたとんかつの店で昼食をとった。とんかつは妻の口にも合って、墓参のあと立ち寄るのが楽しみなっていた。しばらく行ってなかったので味が変わったか気になったが、味も値段も変わらず、安価で楽しめた。

ブロック塀問題で膨大な時間を煩わされたが、ブロック塀の作り替えが完了し、先月から、今何をやるべきか模索するようになり、主体的に動けるようになった。それは、創造性を再生するようなもので、様々なイメージが湧いてきて、けっこう遊べるようになった。

 

14日(土) 8/22

 

妻が亡くなってからも、昼食は妻と行きつけの駅構内の店をメインに出かけていたが、コロナの問題もあって、今年の4月上旬から駅と反対方向に足が向くようになり、以来、駅方面に向かうことが無くなった。距離にすると駅とほとんど同じで、昼食と散歩を兼ねている。

駅と反対方面でも行きつけの店ができて、毎日同じ店で昼食をとっていたが、喫茶店で食事の方は限られてしまい、いささか飽きたので、同じ方面の別の店で昼食をとるようになった。それも飽きてきて、今度は妻と行きつけだった店(車を使用)に足が向くようになり、食事を楽しめるようになった。

一人での食事では侘しさもあるが、色々と食べ歩くことが楽しみになったことは確かで、行動範囲が広がった事もあり、生きる意欲が増した気がする。

 

15日(日) 晴・曇4/18

 

妻が亡くなってから、パソコン作業は1階でするようになり、日当たりのいい部屋(サンルーム)で、冬場でも比較的暖かく、日中は暖房を必要としない。夜には大きく気温が下がって、一昨年から机周りをシート(ビニール)で覆うと、電気ストーブがあればホカホカになった。パソコン作業をするのに万全となったが、呆けた頭では思うように創作ができない。

昼食は決まった店で済ましていたが、この二カ月、色々な店で食するようになった。歩いて行ける店は限られてしまい、最近は車利用で昼食をとることが多くなった。妻が生きている時も、週に二度は車で食事をしに行き、色々な店を食べ歩いた。

妻がいないと車で食事に行く気にならず、行動範囲が限られていたが、食事の楽しみを復活させた結果、行動範囲が広がったとともに、楽しみが増えた事は確かである。

 

16日(月) 5/22

 

今日一日目まぐるしく動いたようで、スマホの距離計を見ると、ジョギングを含めて15キロ以上移動したことになっていた。ジョギングは4キロなので、歩いたのは11キロとなり、どう見積もっても10キロを超えたように思えない。とにかく記憶は極めて曖昧で、昨日ジョギングをした覚えがなかったので今日走ってきたので、三日連続で走ったことになった。

年齢とともに続けて走ると膝痛が出てきて、必ず一日は空けるようのしているのだが、記憶を頼りに判断すると、えてして同様な間違いを犯してしまう。

最近は、昼食を終えて帰ってくると、休憩を挟んで家周りの事に手を付けている。今日はたまたま、庭と駐車場の境に立てた竹垣を見ると、ぐらぐらしていた。竹垣は何本かの支柱によって維持されているのだが、1本の支柱がぐらぐついているのが分かった。

支えとなている木の根元が朽ちていて、緊急を要すると言う事で、他の工事を差し置いて、優先的に補修、何とか維持できる状態にした。家を建てて40年は過ぎており、詳細に調べていけば補修を要する場所が少なからずあると思われる。

 

17日(火) 晴・曇9/21

 

妻を失って、昼食は決まった店でとっていたが、この半年は色々な店に出向くようになり、昼の食事を楽しんでいる。妻が生きているときの昼食は、週に2度は外でとっており、最近は妻と行った店に出向くようになった。

昼食は機械仕掛けの様に元の生活に近い状態になったが、家での生活はなんとも味気ないものになってしまい、何事も義務的に動くだけで、家での生活を楽しむと言う事はほとんど無くなっていしまった。ところが、家周りが傷み始めて、手を付けざるを得なくなり、何日か取り組んでみると、昔の生活に戻った感じがしてきて、厄介ごとを楽しんでいる。

人間、創造性が失われると楽しむ事が出来なくなり、この1週間で「ものづくり」の楽しさを再認識するようだった。作る過程でいろいろな設計図が脳裏に浮かび、故障個所を再生する楽しさは、昔を再生することに繋がり、時間の過ぎるのを忘れてしまう。

 

18日(水) 晴・曇7/21

 

朝の気温は10℃を切ったが、日差しがあって気温が上がり、熊谷の最高気温は20℃を越えて、昼の散歩では汗ばむようだった。夕方、家から500メートルほどの運動公園へジョギングに行くと、18時前と言うのに利用者は少なく、タータントラックを独占するようだった。

70歳を過ぎてのジョギングで、速度的には歩く方に近いかもしれないが、この1週間、グランドを独占するようで、非常に走りやすい。年寄りの冷や水の域を超えることはないが、続けられることが誇らしく、何か特別なことをしている気分である。

昼食は家から歩いて10分ほどにある喫茶店で食してきたが、いささか飽きてきて、食事は別の店でとって、コーヒーだけ飲むことが多くなった。果たして駅方面が、コロナ対策をどのようにしているのか分からないが、去年までは駅構内にある喫茶店をを利用し、コーヒーだけでなく、食事(パン)も取る事が多かった。

駅方面だと様々な店(食事関係)が幾つもあり、その日の気分で何を食べるか決めていて、飽きることはなかった。散歩も今と同様にできるので、久々に駅方面に行ってみようと思っている。

 

19日(木) /10/22

 

昨日の日記に記したが、早速、昼食は駅方面に鞍替えした。コロナ騒ぎが起きる前に利用していた、駅構内のコーヒー店を訪れ、前に行っていたときの顔なじみの店員さんは一人も見当たらなかったが、馴染んだ味が待っていた。コロナの影響は受けていないようで、特別な対策は取られていなかった。

食後は、以前の行動パターンをそのまま再現し、二つのモールを梯子して、モールの一番外れから荒川へ向かい、河川敷を上りあがり、ジョギングをしているグランドを通って我が家に戻ってきた。およそ7キロのコースで、散歩としては理想のコース・距離だった。

昼食を何にするかによって方向を替えるかもしれないが、熊谷でもコロナの問題が多くなれば考えるとしても、完全に移行することになるだろう。

 

20日(金) /14/21

 

昼食休憩は駅方面に移行し、今日は駅と反対方向にある寿司屋に立ち寄り、荒川沿いに下って、行きつけのコーヒーショップで読書をしてきた。今日歩いた距離は8キロとなり、昼の散歩とすると理想的だった。当面は毎日道筋を替えて、気に入ったコースを見つけたいと思っている。

そろそろ創作を中心とした生活に戻そうと思うのだが、どうしてもじっくろと考える事が出来ず、書くことはその日その日の出来事に推移して、本格的な創作へと移行できない。邪魔をするものは怠惰以外の何ものでもなく、覇気が失われている証である。創作を楽しんでいたのは遠い昔の出来事だったのかもしれない。

 

21日(土) 9/19

 

今日は一日晴天傾向で、昼の散歩では荒川河川敷を歩き、ゆったりとした気分となった。今までも散歩としては満足していたが、食事面でメニューが限られてしまい、いくらか飽きが出ていて、車を使ったりして遠方での昼食もとるようになっていた。駅方面には色々な店があって、日替わりができる。

最近は、午後になると家周りの工事をするようになり、時間が過ぎるのが早く感じられるようになった。家自体、築30年は過ぎていて、手を加える必要がある個所が幾つもあり、午後の時間帯もボケっと過ごす事が少なくなった。それが脳にいい刺激となって、色々なことが頭に浮かんでくる。

40代は、日曜大工が習慣となり、様々な物を作り、多くが亡くなった妻のためにしてきたことで、大変喜ばれた。喜んでくれる人がいればこそ遣り甲斐がでるもので、夫婦としての幸福感を満喫する日々となった。今は、心の片隅に妻が居残っていて、日曜大工にのめり込んでいくようである。

 

22日(日) /6/18

 

日中は晴れていて、洗濯物がよく乾いた。熊谷の最高気温は昨日に引き続いて20℃を切り、一日を通して暑いと感じることはなかった。過ごしやすい気温の所為か、家周りの柵や門扉の補修工事をやり、何とか完成した。

新しくブロック塀を造った敷地の門扉について、前々から構想ができていたのだが、他の工事に時間がとられて放置(網で仕切り)した形になっていた。門扉用の材料についは一部用意してあり、他にも材料が必要だが、すぐにでも始められる状況になっている。

パソコン作業をするデスクについては、冬場はビニールで2畳程の空間を作り、電気ストーブをつけるとホカホカとなり、寒さ対策は万全である。大変居心地がいいのだが、パソコン作業は滞りがちで、せっかくの対策も無駄になってしまう。

 

23日(月) 曇・晴9/19

 

今日は勤労感謝の日とともに、結婚記念日で、毎年ケーキか煎餅を用意した。亡くなった妻は煎餅大好き人間で、私も美味しい煎餅の店をいくつか知っていた。今も仏壇へのお供えに煎餅も加え、欠かしたことが無い。

妻が亡くなって、何かを作る時の構想が浮かばずにいたが、今月に入ってどんどん構想が湧いてきて、面白いものが作れるようになった。亡くなった妻の実家の門扉については補修が完了、合わせて、我が家の駐車場と庭の境になっている策の補修も何とか出来、残るはブロック塀問題になった敷地の門扉である。

門扉の構想は色々湧き上がってきて、今日はセメントと砂利・砂を購入してきた。近い将来、敷地に家を建てる予定で、家が建たないと手が付けられない部分もあり、暫定的な工事と考えており、できるだけ無駄にならないようにしようと思っている。

 

24日(火) 晴・曇夜雨8/15

 

午前中は晴れることもあったが、午後からは曇りが中心となり、夜には小雨が降ってきた。今日は本格的に晴れることがなく、気温が上がりきらずに、熊谷の最高気温あ15℃止まりだった。11月も残すところ1週間を切り、いよいよ冬らしくなってきた。

熊谷ではコロナの問題は表立ってこず、道行く人の多くはマスクをしているものの、コロナを気にしている人はそれほどいないように見える。昼食を駅方面の店でとるようになり、多くの飲食店があるので日替わりで昼食場所を決めており、食べる楽しさを取り戻した感じである。

 

25日(水) 晴・曇/8/14

 

今日は昼食を駅と反対方向の寿司屋を利用し、その後、家を通過し、駅構内でコーヒーを飲んできた。歩行距離は10キロ近くとなり、夕方にはジョギングをしたので、スマホの歩数計では15000歩、15キロ近く移動したことになっていた。さすがに、足に疲れが残った。

ブロック塀問題から、何故かいいアイディアが浮かばなかったのだが、今月に入ってから色々と手がけるようになり、色々な発想が浮かんできて、昔(15年前)に戻ったような気分である。パソコン作業をするデェスクも寒さ対策を施し、快適に作業ができている。

何をやるにしても時間がかかることは確かで、若いころの様にはいかない。それでも色々と想像するようになり、イメージを具現化できるようになった。今やっているのは、ブロック塀を造った敷地の門扉を手掛けており、色々な構想と、色々なやり方で具現化しつつある。それが私の生き方であり、独自の造形物が今でも数多く残っていて、頭の中では門扉が浮かび上がっている。

 

26日(木) /4/16

 

昼食は駅方面に戻し、コロナ前に足蹴く通っていた、「くまがやうどん」の店に7カ月ぶりに訪れた。コロナの影響を受けたのだろうが、前に訪れていたのと全く変わらない、熊谷うどんを楽しんできた。以前に戻すのが目的で駅ビルを訪れていて、昼食をとっていた店は後3軒残っている。

今日は散歩の距離が10キロにも及び、さすがに疲れが残った。元来、6キロが目安だったので、オーバーワークであることは確かである。今日はジョギング定休日だったので、思ったほど疲れは残らなかった。

ブロック塀問題だった敷地の門扉について取り組んでいるが、イメージが固まらずに、なかなか進まなかった。今日はイメージが湧いてきて、直接工事はしなかったが、ストリーが出来上がった感じである。半ば道楽で、想像し、創造することが我が人生であり、先が幾らか見えてきて、楽しくなってきた。

 

27日(金) 8/13

 

朝から曇りがちで気温が中々上がらず、熊谷の最高気温は13℃止まりだった。最高気温が13℃となると、晩秋の気候と言える。昼の散歩を兼ねた食事では、早歩きをしたので寒さ知らずであり、コロナ前の昼食スタイルに完全に移行し、8カ月前に戻った生活となってきた。

今日は、駅ビルにある和食の店に行ってきた。妻が生きている時から頻繁に出向き、私の好物はサバの塩焼きで、今日は久々に和食を堪能した。毎日昼食が楽しみとなり、義務的に動いていた生活から脱皮した気分である。

一日おきのジョギングは、日が短くなっているので街灯を頼りに走り、大して速くなっているわけではないのにスピード感がある。タータントラックのある公園で走っているのだが、やってくる人は日々少なくなって、今日は私以外は一人だった。グランドを独占したと言う事は、継続的にトレーニングをしている人がいかに少ないかの証である。

 

28日(土) 7/16

 

今日は一日晴れていたが、昨日と同様、秋より冬と言った感じの寒さだった。今月も残すところ二日となり、師走に突入するのだから、冬に変わりがない。以前は年越しを意識して年末に向けて大掃除をしていたが、妻が亡くなってからは普段と全く変わらない生活となっている。

今日も昼食はコロナ前に戻って、駅ビルにある蕎麦の店に行ってきた。これで、通常の生活を完全に取り戻した感じで、昼の心配がいらなくなった。食事の安定は生活の安定に結び付き、平常な生活に戻った感じである。

 

29日(日) 6/13

 

この頃は物忘れがひどく、今日一日の天気がどんなものだったか、ほとんど記憶に残っていない。気が散漫なのかもしれないが、色々と構想を練ったり、散漫と言うより取りつかれていると言った方が合致しているかもしれない。ブロック塀の問題から物事に集中できなくなり、時間を大きくロスしたように思えてならない。

以前(50代)は何でも自分でやってしまい、他人を頼ったことが無かったが、この頃は何事にも心酔する事が出来なくなり、構想が浮かばなかった。ところが、ブロック塀問題関連の工事についていくらか心酔するようになり、設計図を書かなくとも、色々と脳裏に絵が浮かんでくる。片手間で何とかしようと思っていたが埒があかず、具体的に動いてみると、やっと先が見えてきた。

昼の散歩を兼ねた昼食について、駅方面の、以前行っていた店は一通り利用してみた。味わいがみな違うので飽きることがなく、他の地域にも出向いているので昼食が大いに楽しみになっている。食べる楽しみは生活にとって大きな意味を持っており、空白時間が少なくなった気がする。

 

30日(月) 晴2/15

 

時間がどんどん過ぎていき、明日から師走に入り、今年も残すところ僅かになった。ブロック塀問題で時間を大きくロスし、手がけたことが何も完成せず、この半年間、何とも無為に過ごしてしまった。今、懸命に時間を取り戻そうと、躍起になっているが、失われた時間を取り戻すことはできないと実感している。

今は細々ながら、想定したことの、ほんの一部でもいいから何とか具現化しようと、古びた知恵を絞って僅かずつ形作っている。だんだん脳が正常化してきて、イメージがどんどん湧いてくる。一日や二日でできる事ではなく、部分部分を切り取って創作している。

時間が多くかかりそうだが、楽しくなってきたので、一時的にもボケが幾らか遠のくのではないかと期待している。資材調達はしくじりを気にして慎重になり、必要なものをまとめて買う気にはならず、方向転換がいつでもできるように意識している。