『三文文士映像日記』日記帳bT8 2020年(令和2年)10月
1日(木) 晴・曇17/25℃
10月に入り、今年も残すところ3か月となり、ブロック塀問題で失われた時間がいかに大きいか実感する。一方、ブロックの取り壊しが済んだので、早速、近所の、ブロック塀工事をする方に話をし、近日中に工事が始まることになった。 塀は最近の傾向の、フェンスを使った塀で、近所の、ここ10年で建てられたブロック塀と同じ形である。5か月も違法な工事に対抗してきたことになる。70歳を過ぎた呆け老人にとって極めた甚大な時間で、考えれば考える程腹が立ってくる。 今日は食後の散歩に荒川河川敷を選んだ。2010年頃迄昆虫撮影に頻繁に出かけていた、河川敷の道を歩いてきたが大きく様相が変わっていた。方向感覚は問題なかったので、すんなり歩いてこれたが、10年の歳月が荒川河川敷を大きく変えていた。 予定外の散策でカメラを持参していなかったので、昆虫を撮影することはなかったが、大きく様相が変わっていたと実感し、これからは昆虫撮影を再開してみるのも一考かと思った。
2日(金) 曇14/27℃
昨日、今日と歩く量が多く、1日10キロ近く歩いている。さらに4キロのジョギングもしてきて、今日の移動距離は17キロになっていた。足が重いと感じたが、普段とそれほど変わらず、日常のトレーニング効果を実感する。 今日は市の行政センターから電話が入り、カナリヤペイントからの入金確認があった。その連絡が入る前に、これから始まるブロック塀工事の前金を払うべく銀行に行ってきたのだが、ATMの操作が間違っていて、記帳確認ができていなかった。市から電話を受けてから再度同じ銀行に行って確認すると、センターの方が言うように入金されていた。何をやってもいい加減になってしまい、老いぼれたと実感せずにはいられない。 新たに頼んだブロック塀工事の代金、半額を支払った。コロナの問題もあってどこの会社も厳しそうなので、気を利かせたもので、大変喜ばれた。
3日(土) 晴・曇18/25℃
ようやく気温が秋めいてきて、今日は昼食時、初夏に習慣となった荒川堤のコースを歩いてきた。日陰コースだとせいぜい5キロほどしかならないが、荒川堤のコースだと7キロ近くなった。昼の散歩としては手頃で、当面は続けていこうと思っている。 家にいるとどうしてもごろごろしてしまい、歩く方で頑張っても頭の老化は進んでいくと思われる。構想とすると色々と手がけようと思っているのだが、老化との競争となりそうで、老化を遅らせるためにも、もう少しどん欲に何でも取り組んでいく必要がある。 早10月に入ってしまい、ブロック塀問題に5か月以上も振り回されてきたことになる。早々に終焉の形を作り上げようと思っている。
4日(日) 曇18/23℃
今日一日日差しはなく、気温が上がらずに、熊谷の最高気温は23℃止まりだった。気温が低いと散歩も楽だし、ジョギングも楽で、足腰に負担を感じないで済んでいる。スマホで今日の移動時間を確認してみると、13キロ以上歩いたり走ったりしたように記録されていた。記憶ではせいぜい10キロ程で、脳裏にぽっかり穴が開いているようである。 ブロック塀問題については、カナリヤペイントの新しい社長との間では一定の収集をつけたが、前社長及び佐々木君の間では全く問題解決に至っていない。明日には警察に行って相談しようと思っている。
5日(月) 曇・晴18/24℃
昨日と同じような陽気で、暑さはそれほど感じずに一日を過ごせた。今日から新たに依頼したブロック塀工事のブロックが運び込まれた。ブロック塀が完成したら、出入り口の門扉を自分で作ろうと思っており、そろそろ構想を練るようである。 昔から家周りの事は自分でやり、我が創造物が各所に見られる。二階建ての物置まで作ってしまい、便利に使っている。昔から溜め込んでっきて、もう二度と使うことが無い遊び道具が大量にしまい込んである。 息子たちが結婚して孫でもいれば、日の目を見るものが少なからずある。宿命と言うべきか、後に繋げる体制を作れなかったことは、自らの不覚と言うべきなのかもしれない。亡くなった妻の血を後世に残せないのは、人類の損失と思えてならない。
6日(火) 曇16/23℃
今朝は気温が大きく下がり、熊谷の最低気温は16℃だった。日中もそれほど気温が上がらず、最高気温は23℃と、夏の暑さから完全に抜け出した。昼の食事を兼ねた散歩では、特に日陰を選ばずとも暑さが苦にならなかった。 ブロック塀の工事は頭が一人でやっているので進みが遅く、出来上がるのに1週間はかかると見ている。出来上がったら門扉や車庫を作る必要があり、どう進めていくか検討するようである。 「愛妻記」を中心に創作活動も再開したいと思っており、1年間の休止を取り返せるか、自信がない。創作を取ったら生きた屍になってしまい、生きる意味合いが薄れてくる。何としても「愛妻記」の再開を果たしたいと思っている。
7日(水) 曇・雨15/23℃
昨日に引き続いて、1日を通して陽射しがなく、気温が上がらずに、熊谷の最高気温は23℃だった。このまま一気に寒くなるとも思えないが、高齢者には嫌な季節である。熊谷では、今週に入って最高気温が25℃以下で、夏の気配が一掃され、天気も愚図つき気味となり、足早に秋が深まっていくようである。 ぐらついていた歯が上下重なり合って2本あり、昨日下の歯の1本が抜けてしまい、ぶつかり合うことが無くなったので、問題なく食べれるようになった。歯が抜けて問題が無くなるとは考えもしなかったが、今日1日食べることに関しては支障を感じなかった。歯と言うのは食に大きくかかわってくるので、生活に大きな影響をもたらす。
8日(木) 曇・雨13/16℃
今日で3日連続で陽射しがなく、今日は特に気温が上がらず、晩秋を思わす一日だった。電気ストーブを引っ張り出して、じっとしているときは付けておくようだった。元来、暑いより寒いのが苦手で、これからは動くのが億劫になりそうである。 そろそろ生活の立て直しをしようと強く意識するようになり、自分の置かれた事情をすっきりして、「愛妻記」を書き綴っていた状況に戻そうと強く意識するようになった。そのためにはクリアーしなければならない事項が幾つもあって、気持ちを入れなおさないとやり切れないと思われる。色々と課題を残した生活に慣れてしまい、脳が居眠り状態で、中々覚醒できずにいる。 最早、安穏としていられない年齢に達しており、気持ちを奮い立たせる必要がある。
9日(金) 雨/曇14/16℃
昨日と同様晩秋の涼しさとなり、雨も降って動きづらい一日となった。幸い、今のところは体調に問題はないが、ルーテーンとなった散歩とジョギングだけはきっちりこなしているものの、全く発展性のない生活となっている。 今日は大分涼しかったので、炬燵など、冬支度を始めた。独り暮らしなので、自分の事だけを配慮したものなので、半日で仕上がった。昨年と同じような冬支度で、見ようによっては冬眠モードと言ったところか。
10日(土) 曇・雨14/19℃
四日続けて雨が絡む天気で、気温が上がらず、今日も最高気温は20℃を切り、家にいる時は暖房が欠かせず、正に冬モードである。下置き型の、炬燵用の電熱器があり、小さなテーブルの下において簡易な炬燵を作ってみた。 中々ボケ生活から脱皮できずに来たが、諸々の課題は全て棚上げし、今の自分に合致した生活に作り替えを意識する様、何も成しえないままに時間ばかりがどんどん過ぎていき、人生の損失を強く意識するようになった。 耄碌をしたものの、心身ともに健康体であることは確かで、自分の気持ち次第で煩いを排除できると思えるようになり、創造的な生活に何としても切り替えようと思っている。一年前までは、「愛妻記」を中心に創作を日常業務としてきて、充実した余生を送っていたはずなのだが、いつしか歯車が狂いだしていた。 人間関係をどこまで維持するかがポイントとなり、妻を失って孤高の生活の中に充実感を見出していたことを考えると、社会生活にこだわる必要が無い気がしてきた。
11日(日) 曇17/26℃
昨日までは炬燵が欲しい涼しさだったが、今日は一転、時々陽射しが出て気温が上がり、熊谷の最高気温は25℃を越え、八日ぶりの夏日だった。天気がぐずつき気味だったので洗濯物が溜まっていたが、すっかり乾いた。 以前の生活を取り戻そうとの思いが強まってきて、ブロック塀問題について区切りをつけようと思っている。ごろごろすることが多くなり、生産性に乏しい生活に陥っていおり、早急に立て直しを図っていきたいと思っている。 やるべきことは数多く残っており、今のままだとやり残し人生に陥ってしまう。「終わりよければ全て良し」ではないが、やりたい事、やらねばならない事を常に意識して、生活を作り上げるようにしようと思う。本当はそれだけの能力を持ち合わせていないのかもしれないが、チャレンジこそ生きる意味合いとなり、人生を楽しむことにする。
12日(月) 晴・曇18/26℃
昨日に引き続いて、台風の影響か、暖かい空気が流れ込んで気温が上がり、熊谷の最高気温は26℃の夏日となった。衣類は秋向きにしたので、着こなしの調整がうまくいかず、汗ばむことが何度もあった。 少しづつ家の作業に手が付くようになり、ごろごろする時間が短くなった。 新たに注文したブロック塀工事がやっとやっと進みだした。基盤工事が念入りに行われ、セメントを流すところまで進み、何日かすれば出来上がると思われる。 自前で炬燵の工事をした。とは言っても正式な掘りごたつを配置したわけではなく、小さなテーブルに下駄を履かせ、一人住まいであれば十分な形体となった。自前で何でも作ってしまうのが、我が人生における真骨頂であり、家には我が手作りがふんだんに配置されている。 ある意味では昔に戻った生活と言え、工夫を楽しんでいる。自前で何でも作ってしまうのが自分らしい生きざまで、妻の供養と両輪を成し、余生を楽しめそうである。
13日(火) 晴・曇18/28℃
曇りが中心だったが日差しもあり、気温が上がって、熊谷の最高気温は28℃と、真夏日間近となった。妻の月命日で墓参をし、墓石を前にすると、妻が遠くへ行ってしまったと、あらためて実感する。妻にしてやれることは供養しかなく、虚しさとともに、「愛妻記」を復活させようと、心に誓った。 今日も夕方にはジョギングをし、家を出るのを5時過ぎにしたら、荒川河川敷は闇が勝って、広いグランドを全く一人で走るようだった。例年、この時期になると少しづつ走り出す時間を早めて、ある程度明かるさが保たれた中で走るようにしてきた。一番早い走りだしは4時半前後となり、風来坊でなければできない習慣である。
14日(水) 曇18/23℃
今日は曇りがちで気温がそれほど上がらず、陽気とすると大変過ごしやすかった。昼食を兼ねた散歩では秋冬コースへと切り替えて、帰路は荒川堤を歩いてきた。コロナの問題が起きる前は駅方面を中心に歩いてきて、昼食は駅構内の喫茶店で済ませることがほとんどで、コロナ対策として駅とは逆方向の店に替えた経緯がある。 5月に入ってからブロック塀問題に煩わされ、5か月にわたって対応してきた。70歳を過ぎた人間の生き様は余生となり、創造性に乏しいもになりがちである。記録として残せるのは価値の乏しいものばかりであり、生きる意味合い自体薄れてくる。何とか創造性のある生活に切り替えねばと思うのだが、最早その能力は無いと考えるのが妥当なのかもしれない。
15日(木) 曇16/20℃
一日を通して曇り空で、雨も降ってくるかと思われたが、熊谷では一日持った。気温がいよいよ上がらなくなって、最高気温は20℃止まりで、秋の深まりを感じさせた。夕方のジョギングでは暗くなるのが早く、薄暗い中で走ってくるようだった。 今日の昼食を兼ねた散歩では広域を歩いた関係で、10キロ越えとなった。足に疲れが残ると思ったがほとんど感じず、ジョギングと合わせると14キロ以上移動したことになる。足に影響が出てもいいはずなのにいつもとほとんど変わらず、少しは自信がついた。
16日(金) 曇13/18℃
昨日とすっかり同じような天気で一日曇り空となり、気温が上がらず、熊谷の最高気温は20℃を下回った。今までは上着としてチョッキを利用していたが、今日は長袖の上着を使用した。それでも歩き始めは涼しさが勝ったが、長い距離を歩くと汗ばんできた。まだ10月であり、寒さを感ずるには後1か月を要するのでは。 ブロック塀問題については納得いくまで争うつもりだったが、期間が長くなって時間が勿体なくなってきた。他にやるべきことを少なからず抱えており、区切りをつけることにしたのである。どこまでできるか分からないが、創造性に則った生活に切り替えることにした。 今までの遣り掛けになっている事を復活させ、納得いくところまでとことんやってみようと思っている。「愛妻記」の続きを書き上げることが基本であり、「愛妻記」は長編となることは確かで、死ぬ間際まで続けることになると思っている。
17日(土) 雨・曇11/15℃
今日は雨の降る涼しい(寒い)一日だった。昼食を兼ねた散歩では、よせばいいのに河川敷まで出向いて長い距離を歩くことになり、靴がびしょびしょになって、疲れを感じた。無理の利かない体であることは確かであり、自重する知恵を持ちたいものである。 今、新たなブロック塀を作っているところであるが、雨の関係で予定通り進まず、次の段階になかなか進まない。5月の初っ端に最初の工事が行われ、5か月半が過ぎてしまった。あまりにも大きな誤算で、余生の設計がなかなかできない。 余生の設計に合わて始まったのだが、大きな狂いが生じ、先の見通しが立たなくなってしまった。自らの能力の問題と考えるべきなのだろうが、成り行き任せには絶対したくなく、今まさに葛藤しているところなのかもしれない。何事も進みが遅く、地道に積み上げていくしかないことは確かである。
18日(日) 曇10/19℃
朝の気温は10℃となり、昨日よりさらに気温が下がて、この秋一番の涼しさだった。ついこないだまでは夏が抜けきらない暑さだったがこの五日間で様相が一変、朝などは寒さを感じるようになった。体調管理が難しくなりそうである。 夕方5時前にジョギングに行ってくると、河川敷のグランドを利用する人が一段と減っていて、一周五百メートルのグランドを利用するのは数える程だった。昼前も荒川堤を歩いたが、多くの若者が野球グランドを中心に利用していて、コロナ騒動の前の状態に戻ったようである。
19日(月) 曇・雨10/16℃
熊谷では、先週の木曜日から陽射しがほとんどなく、最高気温は20℃を切り、晩秋もモードである。昼の食事を兼ねた散歩では、薄手の上着では寒いくらいだった。午後からは雨も降りだし、涼しさが増して、炬燵で丸くなっているようだった。 昼食に出かけ、無性に焼き肉が食べたくなって、いつも昼食取っているエリアにある焼き肉店に行ってみると、夕方以降の営業で、昼は食べれなかった。当てが外れると無性に食べたくなり、明日は、妻が生きている時の、行きつけの店に行ってみようと思っている。 まだ、本来やるべきことに行きついていないが、だんだん煩いが薄れていき、昨年の秋の状態に戻そうと気持ちが高ぶってきた。懸案事項が多く残っていることに変わりがないが、一つづつ何とか復活させようとの意欲が湧いてきた。
20日(火) 晴/曇10/22℃
曇りや雨の日が続いていたが、今日は陽射しもたっぷりあって、熊谷の最高気温は久々に20℃を越えた。日が沈むのが一段と早くなって、5時を過ぎると薄暗くなっている。例年、この時期になるとジョギングの走り出しが早くなって、冬至には4時半になると薄暗くなっている。 作り替えのブロック塀工事が始まって早2週間になろうとしているが、今週中に終わるか微妙なところである。マイペースで過ごせばいいのだが、本来自分がやるべき事が出来ずにおり、これから先どんなことになるのか見当がつかなくなってきた。
21日(水) 晴・曇11/20℃
朝から雲が多めだったが日差しもあり、洗濯物は問題なく乾いた。最高気温が20℃前後になると、昼の散歩が楽になり、7〜8キロ歩いている。歩数にして八千から九千で、散歩としては理想的である。ジョギングも一日おきだが4キロ走っており、70歳を超えた者には理想的な運動量のような気がする。 まだ本格的に取り組んではいないが、創作をベースとした生活に戻そうとの意欲が湧いてきた。画像系のホームページにまだアップロードできる状態になっておらず、その辺から何とか改善して、昨年の8月の状態に何とか戻したいと思っている。
22日(木) 曇13/19℃
今日は一日を通してほとんど陽射しがなく、最高気温は20℃を切った。今週に入って昼食をとる場所を毎日変えており、今日は蕎麦を食してきた。普段の歩くコースと違ってきて、歩行距離は伸びている。いつも決まったものばかり食べているのと違い、食べる楽しみが蘇ってきた。 妻が生きている時も昼食を外でとることが多く、デート気分を味わった。買い物もセットされ、衣類も買うことが多かった。妻はいつも遠慮していたが、私が勧めていたので結構購入し、手を通さなかったものも結構あるかもしれない。本当だったら処分してしまえばいいのだろうが、私には妻の持ち物をどうしても処分できない。
23日(金) 曇・雨15/19℃
今日一日はっきりしない天気で気温が上がらず、熊谷の最高気温は20℃を切り、秋の深まりを感じさせた。散歩がしやすくなって、ここのところ7キロ以上歩いている。夕方のジョギングも走りやすくなって、荒川河川敷の夕方の利用者が激減、広いグランドを独り占めしている。 行きつけの喫茶店でコーヒーを飲み終わってレジに行くと、見かけない店員さんが応対し、「新人さん」と問うと、前にも来ていて、私の顔を知っているとのことだった。記憶力の衰えは今までも痛感してきており、今回はせいぜい3か月ぐらいのブランクで、ショックだった。 今週に入って、昼食の店を意識的に広げ始めた。以前、妻と定期的に行っていた店にも行くようになり、昼食の楽しみが増した。基本的には徒歩で行けるところで、食事を楽しんでいる。以前行っていた駅周りの店とは半年以上縁がなく、コロナの事もあって、駅方面に向かうか、悩むところである。
24日(土) 晴・曇13/21℃
3日ぶりの晴天となり、気温が上がって、熊谷の最高気温は20℃を越え、過ごしやすい一日だった。昼の散歩では、久々にラーメンが食べたいと、少々遠出をしたら、大きな勘違いをしてしまい、カレーの店に辿り着いてしまった。 コロナの問題が起きてから、昼食は駅と反対方向の喫茶店でとることにしてきたが、この1週間、寿司、焼き肉、レストランと、食事エリアを拡大してきた。喫茶店でのメニューは限られてしまい、他の店で食した昼食は大いに楽しめた。どこの店も妻と何度も食事をしてきて、気分的に妻が蘇った気分である。 今は駅方面と逆なコースを歩いており、たまには妻と食した駅方面の店も行ってみようなどとも思っている。
25日(日) 晴10/22℃
昨日ラーメンを食べ損ねて、今日は、家から5分とかからない場所に、最近ラーメン店ができていたので行ってみた。イメージとすると喜多方ラーメンと同様な店と思っていたのだが、全く違っていた。それなりに美味しく頂いたが、喜多方ラーメンと全く異なり、ますます喜多方ラーメンが恋しくなった。 喜多方ラーメンは35年以上前に食していて、東北方面に旅行した時など必ず喜多方に立ち寄り、我が家は虜になっていた。一時熊谷でも「喜多方ラーメン」を売り物にした店があったが、今は消えてしまった様である。妻との思い出の店の存在が幾つも薄れてきて、なんとも寂しい限りである。
26日(月) 曇・晴9/23℃
最高気温が20℃を切ると秋らしさを感じるのだが、この三日、熊谷の最高気温は20℃を越えて、日差しをまともに受けると汗ばむようだった。着るものを上手に選ぶ必要があり、しゃれっ気を無視して、実用性を重視している。 すったもんだしたブロック塀工事が何とか完成し、門扉など自前で付けようと考えている。当面は駐車場として使用し、1階部分は車庫として利用できる2階建ての家を次男に作らせようと思っている。まだ門扉は作っておらず、構想としては出来ており、近々にとっかかろうと思っている。 昔は何でも自分で作っていたのだが、もう10年以上やっておらず、果たして本当にできるか分からない。成し遂げるには、心身ともにリフレッシュする必要がある。
27日(火) 晴・曇11/21℃
午前中は晴れがベースで、最高気温は20℃を何とか超えたが、体感的には結構熱く感じられ、汗ばむようだった。散歩から帰ると汗ばんだ肌着を替えるようで、独り暮らしでありながら連日洗濯物が出て、ほぼ毎日洗濯するようである。 コロナの問題が出てきて、それまでは昼食を駅方面で取っていたが、駅と反対方向に出向くようになった。半年近く続いてきたが、決まった喫茶店で昼食をとるようになって半年になり、いささか飽きた感じで、近隣の別の店で昼食を取るようになった。とは言っても、毎日ではなく、基本は喫茶店で食し、必ずコーヒーも飲んでくる。別な店で食事をとってもコーヒーブレークは続けており、読書(亡くなった妻の愛読書)を欠かすことはない。
28日(水) 曇・晴12/20℃
雲が広がることもあったが晴天がベースで、同様な天気が5日連続となり、比較的穏やかである。10月も残すところ三日となり、11月になれば晩秋となり、寒さが加わってくるに違いない。今は暑さが残って、中途半端な日々であり、一気に衣替えができない。 時間がどんどん過ぎていき、やり残しが溢れかえる状態が続いている。とは言ってもそれほど苦にならず、何でもマイペースでやっている。妻を失ってからは最優先とする事項が浮かんでこず、気まぐれに時を過ごしている。当然、切迫感はなく、何をしても、しなくても、何の抵抗も感じず、気まぐれを楽しんでいる。ある意味では悟りの境地と言うべきか、些細なことの一つ一つを楽しんでいる。
29日(木) 晴・曇12/22℃
今日は一日を通して晴天傾向にあり、気温が上がって、今日も熊谷の最高気温は20℃を越えた。長袖姿だとどうしても汗ばんでしまい、昼食を兼ねた散歩から帰ってくると毎日肌着を替えるようである。独り暮らしで洗濯物は少ないはずなのだが、毎日洗濯をしている。 昼食は、通常は決まった店で済ませてきたが、先々週あたりから昼飯は各所に行くようになった。コーヒーだけは行きつけの店に通っており、妻が残していった文庫本を読み耽っている。連載58冊に及び、もともと熟読型で全編を読み切るには時間がかかり、1年?がかりになっているかもしれない。 今は3度目で、本来なら先が見えてしまって面白くないはずなのだが、忘れが酷く、3度読んでもうっすらと記憶がよみがえるだけで、初めて読んだのとそれほど変わらない。実に安上がりの読書家である。
30日(金) 晴・曇11/20℃
今日も雲が広がることもあったが、今までと違って晴天がベースで、寒さは少しも感じず、過ごしやすい一日だった。今日は昼の食事を兼ねた散歩では、食後そのまま散髪に行き、大分短くしたのでスッキリとなった。 散髪はけちるつもりはないのだが、面倒で行きそびれてしまい、特に冬の寒さを意識して、本格的に寒くなる前に行くように考えているのだが、行きそびれて長くなったまま春まで過ごしてしまう事が多々あった。今回は冬の寒い時には長い髪で過ごせるように、10月中に行ってきた。 怠け癖がついて久しくなり、早々に元の生活に戻そうと考えてはいるものの、なかなか改善ができなかったが、この1週間、思うように動ききれないものの、改善の糸口ができたような気がする。言い方を替えると、主体的に物事に取り組むようになり、頭の中に設計図が出来つつある。 過去は豆とのレッテルが張られ、家の事は何でも手を付けて、生活をするには便利そのものにしてきた。そのほとんどが妻に対してしてきたことで、いつも頼られ、大いに喜ばれてきた。我が家には既製品以外の作り物が多数陳列されている。
31日(土) 晴9/19℃
雨こそ降らなかったが、雲の多い日が続いていて、今日は久々に一日晴天傾向だった。食事の後に荒川堤で遠回りし、携帯電話の歩数計では9キロ記録した。散歩は通常6キロ目安なのだが、この4日間は8キロ前後歩いている。体調はすこぶるいい状態である。 熊谷では、本日19時以降に荒川では花火が打ち上げられていた。市報はほとんど見ていないので、今日の花火がどんな意味があるか分からないが、短時間だったものの、荒川大橋上流部で打ち上げられ、我が家の2階からよく見えた。 散歩用のバックは、長年散歩をしてきた関係で数多く持っている。昆虫撮影などでも使っていたので大小合わせて7個になる。用途によって持っていくのは異なっていたが、最近は昼食を兼ねた散歩なので、小さなショルダーバックを利用している。とにかく、何でもが、新たに購入することはほとんどない。 |