『三文文士映像日記』日記帳bT8 2020年(令和2年)9月
1日(火) 晴・曇22/28℃
9月に入り、朝も日中も気温が上がりきらず、夏が幾らか退いた感じである。午前中は陽射しがあって気温が上がると思いきや、涼風が吹いて、午後にはいくらか曇ってきて、涼やかな夜となり、大分楽に一日を過ごせた。 5月以降、予定外の問題に時間を奪われて、思い通りに動けない毎日である。気力が失せているのも要因で、何としても生活を形付けねばならない状況に陥っている。気分的には束縛は感じずにいるが、自分の頭の中で様々な思案を巡らせている。 一時新たな人生の構想を練ってみたことがあったが、今はどうしても時の流れに身を委ねている状況となり、少しも発展がない。老化がそうさせていると考えるのが妥当と思うのだが、なんとなく創造的な生活も作れる気がしている。とにかく、煩いは全て排除し、自由な立場に身を置いて、最後の踏ん張りで気持ちを奮い立たせたいと思っている。
2日(水) 午前中晴後曇・雨24/31℃
午前中は陽射しが出ることもあったが、午後からは曇りの時間が多く、夕刻には雨が降り出した。夕方のジョギングで5時半頃荒川河川敷に向かうときには多少雨が降っていたが、荒川に着いた時には雨が上がっていて、大分涼やかな中で走って来られた。まだ暑い日が来そうで、台風とも絡んで荒れ模様になりそうである。
3日(木) 晴・曇26/35℃
昨日、日記を書くことは書いたのだが、途中で中断し、後を書くのを忘れてしまい、今日の日記と合わせてアップロードするようである。 今の生活では忙しいと言う事はなく、動くのが億劫になって、やるべきことをちゃんとこなせていないと言うのが実態である。ブロック塀問題だけが生活を狂わせている要因ではなく、老齢によって覇気が失われた事も大きな原因である。 毎日億劫で、昨年の9月まではできていた事ができなくなり、全く進歩がない状態である。進歩は年齢に関係がなく、生きる意欲が肝心で、今は意欲が失せて成り行き任せのつまらない生活を送っている。高齢者と言う事が大きな要因であることは確かで、特に妻を失って心の支えが無くなったのが最大の痛手で、妻がいかに大きな存在だったのか、実感する毎日である。
4日(金) 晴後曇夕雨24/36℃
日中日差しがあって気温が上がり、熊谷の最高気温は36℃となり、非常に暑かった。午後からは雷雲が発生して一時雨となり、一気に気温が下がった感じである。9月に入って日にちの感覚がずれてしまい、日記を書くのを忘れてしまったりして、呆けてきた感じである。 9月には入れば涼しくなると思いきや、昨日、今日と猛暑日となり、いささかうんざりである。何事も思うようにいかず、時間ばかりがどんどん過ぎていく。自分に与えられた時間がどれほどなのか見当がつかないが、人生の評価を高めるには余生をどれだけ有効に生きたかで、人としての価値が決まる気がする。 自分の価値は他人にとってどれだけのものなのかは全く関係なく、妻をどれだけ幸福にできたかにかかっている。妻が亡くなる前日、見舞いに行って足をもんでやり(血行が悪くなって足が冷たくなっていた)病室を出るとき、僅かに動く手首を前後に振って「どうもありがとう」との最後の言葉を残してくれた。 それは、二人の心はどこまでも通じ合っていた証と思っている。
5日(土) 晴・曇・雨24/34℃
9月に入って最初の二日間は最高気温は35℃を切ったが、以降は35℃前後となり、いささかうんざりである。今日の昼の食事を兼ねた散歩では、できるだけ日陰のコースを取り、猛暑より涼を楽しめた。 中々思うような生活ができず、時間をどんどん失っていくと実感する。自らを律しなければならないのだが、ついついのんびりしてしまい、余生を作り上げるとの意気込みが消失してしいる。我が人生は妻がいたからこそ成り立っていたもので、内助の功で素晴らしい人生を作り上げてこられた。 妻が亡くなってからは、本来の自分は影を潜め、余生をさ迷っている状況であり、先が全く見えなくなってしまった。今のままでは終われないとの思いが増してきて、そのうちに創造的な人生に転換できると、自分に言い聞かせている。
6日(日) 晴・曇24/31℃
今日も雨が降ってきそうだったが何とか免れ、散歩もジョギングも無難にこなすことができた。最高気温はいくらか下がって、31℃止まりだったが、夏を脱出した気分にはなれない。今夜から明日にかけて大型台風が九州方面に上陸しそうで、関東にも影響しそうである。 中々思うような生活ができず、時間ばかりが足早に過ぎ去っていき、こんな調子だと余生がどうなってしまうのか心配になってきた。カナリヤペイントからブロック塀工事代金を返還させると言う事で市の消費者センターで動いているが、もう1か月以上過ぎてもなんとも言ってこない。 裁判も起こす予定で、今の調子だといつになるのか見当がつかず、いつまでも煩わされそうである。生活を本来の形に戻さねば、貴重な時間が無為に失われてしまう。
7日(月) 曇・晴24/31℃
9月には入れば涼しくなると思っていたが、早1週になろうとしているのに暑さは変わらず、今日は湿度が高かった所為か、一段と暑苦しかった。夜になっても気温が下がらず、熱帯夜が復活しそうである。 生活の立て直しが課題であるが、ブロック塀問題が早く解決しないと先へなかなか進まない。妻が亡くなって1年間は「愛妻記」を書き綴ることが生きる意味合いになっていたが、こもった生活から社会性を持った生活に切り替えた途端に創作から縁遠くなり、時代に翻弄されている感じである。 生活の立て直しを何とかしなければと思いつつ、逃げ腰で気が散漫になっている。自分自身で生活の立て直しをするしか無く、その気になって一つ一つ解決していくことが求められるが、今の自分には解決する能力がないのではと、弱気になってしまう。生活そのものが逃避に近い状態なのではと、思わざるを得ない。一方で、きっちり落とし前をつけるとの決意は揺るぎ無い。
8日(火) 晴・曇24/34℃
猛暑日こそならなかったが、熊谷では気温がぐんぐん上がって、最高気温は34℃となった。この二日間、最高気温は30℃をぎりぎり超えたくらいだったので、今日一日の暑さに幾分辛さがあった。それでも夕方のジョギングは欠かさず、夕方の荒川河川敷の人出は一段と少なくなり、のんびり走れた。 生活を一新したく、色々っと考えてみるものの、億劫になって実行に移せない。妻が亡くなった時の、妻を書き綴ると言う意欲は完全に霧散し、妻の存在が大分遠のいてしまった感じである。どう考えても余生は妻を語ることに重きを置くしかなく、道筋ははっきりとできているのに、怠惰と老化が人生をさ迷わせている。 妻から距離を置くようになってちょうど1年になり、社会復帰して現実をいやと言うほど知らされた。妻のみの生活に戻すことが一番相応しい人生になることは分かっており、一時も早く解決すべく、待ちの姿勢から、攻めの姿勢へと変換していかねばならない。
9日(水) 晴・曇24/34℃
天気的には昨日とすっかり同じようで、9月に沿った気温とは思えない状況である。実体的には9月も真夏と同じような陽気になることが度々あり、50年前に父を亡くした時も同じような天気だった。9月中旬までは、けっこう猛暑が残ることが多い。 連日今にも雨が降ってきそうな空模様になっているが、4日免れている。全国的にみると大雨に見舞われて生活の足を奪わている人も少なくない。熊谷と言うのは、60年以上住んでいて、大きな災害に見舞われた事はない。荒川が増水する姿は、台風が過ぎた後写真撮影に行くのが通常となっており、暴れる姿はとらえても、氾濫する姿は見ずに済んでいる。
10日(木) 晴・曇24/32℃
朝の気温は7日連続で25℃を下回り、秋の気配を感じさせた。日中は相変わらず30℃を越えて、夏日の称号は消し去れない。すぐには本格的な秋模様にはならないだろうが、夕方のジョギングでは比較的楽に走れた。 そろそろ本来の生活に戻すべく、何をすべきか考えるが、ブロック塀問題の解決が先に出てきて、本格的な創作活動ができない。意志薄弱と考えれば辻褄が合うが、年齢からくる衰えと考えれば、正に自分らしい姿であると実感する。 本来なら70歳も過ぎれば不惑になるものだが、妻と共に生きてきた時のような不惑になかなか辿りつけない。亡くなった妻への思いには全くの迷いはなく、生きる原動力になっていた。
11日(金) 晴・曇24/34℃
今日は一昨日以前に戻ったようで、熊谷の最高気温は34℃となり、猛暑日一歩手前となった。昼の昼食を兼ねた散歩では、確かに猛暑を感じさせ、日陰を選んで歩くようだった。熟知したコースなので、日差しを受けるのは最小限で済んでいる。 時間がどんどん過ぎていき、妻が亡くなって丸三年がやってくる。法事と言う点では回忌や周忌に該当せず、内々で墓参に行くだけであり、珍しく息子たちも墓参をするとの連絡を受けた。 私は月命日に墓参を欠かしたことはなく、亡くなった妻にしてやれることは何でもやっていくつもりである。墓参をしたからと言って特別何かが起こるわけではないが、気分的にはスッキリする。同時に、墓の前に佇むと、なんとなく妻と会話をしている気分になり、心が安らぐ。
12日(土) 曇23/27℃
今日一日曇り空で気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は30℃に届かず、暑さを気にせずに過ごせた。9月も中旬に入り、そろそろ秋の気配が感じられそうである。 明日は妻の命日で、法事ではないが、息子たちも墓参にやってくる。最近では家族が揃う事はほとんどなく、それでも妻の命日だけは顔を揃えている。 今日は昼の散歩で荒川河川敷に行ってきた。夕方のジョギングは河川敷に決まっているが、散歩については変化してきた。特にコロナの問題で行動領域が変わり、駅方面はほとんど行かなくなった。コロナの問題も、熊谷では収束傾向にあるようで、ほとんど話題にならなくなり、そろそろ行動領域を駅方面に戻してもいいのだが、歩く場所としては、昔東武妻沼線が走っていたのが廃止になり、一部の区間が公園に変わり、「亀の道」と呼ばれ、樹木が多く生い茂り、夏場に散歩をするには最高である。
13日(日) 曇・雨21/28℃
一日を通して晴れ間は覗かず、午後を中心に時々雨が降っていた。気温が上がらず、昨日に引き続いて最高気温は30℃を切り、比較的過ごしやすかった。今日は妻の命日で、亡くなって早3年が過ぎた。息子二人もやってきて、家族揃って墓参に行ってきた。 息子たちは昼食後お茶休憩をとってからと東京に戻ったものの、久々に家族が揃った気分を味わえた。家族が揃っているときは妻が主役だったので、脇役ばかりで話は弾まなかった。 昼は車で移動しての食事となり、散歩が無かったが、息子たちが帰ってから散歩に出て、少々遠いコースを取り、8キロほど歩いた。夕方のジョギングも行ってきたので、合わせると12キロ近く歩いて走ったことになる。少々負荷が大きくて、走ってきた後にはぐったりだった。
14日(月) 晴後曇夕雨20/28℃
昼の食事を兼ねた散歩では日が射していて、曇ることはあってもも雨は免れた。夕刻になって本格的に雨が降り出し、季節的にも秋の長雨の時期であり、秋に突入した証なのかもしれない。 ブロック塀問題の敷地は、次男の家を建てる前提で始めた工事だったが、更地の前提で作られてしまい、早く工事代金の返還とブロック塀の取り外しが求められる。市の消費者センターを通して返金は決まっているはずなのだが、いまだに戻ってこない。 いつまで待たされるのか、会社に返済能力が無いとの見方もでき、現時点ではただ待っているしかない。営業に来た青年にできるだけ力になってやろうとの温情が仇となったもので、他人を信じ込むことが、いかに難しい時代になったと思い知らされた。
15日(火) 晴・曇21/28℃
今日は午後から、問題のブロック塀の建つ敷地の草取りをした。クーリングオフをしてあるのに中々費用が返って来ず、先に進まない。敷地には家を建てる予定だが、ブロックべ問題の、けじめをきっちりとつけないと、次の行動に移れない。 敷地には雑草が生い茂り、荒れ地の様になってしまい、カナリヤペイントの思う壺になってしまう。初めから荒れ地と決めていて、ブロック塀の建築基準では荒れ地に建てる場合は、通常のブロック塀と条件が緩和されている。カナリヤペイントはこちらに意向を全く無視して高額の料金を請求し、実体的には30万円でできるものを、97万円請求してきたものである。 カナリヤペイントの悪質性については警察も承知しており、昼前後、我が家周辺をパトロールしてくれていて、パトロール葉書(不審者目撃)が二度投函されていた。
16日(水) 曇22/28℃
ブロック塀が問題になっている西側の敷地は4か月近く放置してあったので雑草が多く生い茂り、昨日と今日で大分整理した。妻の実家の敷地と地続きになっていて、将来的には両方の土地を一つにして、家を建てる予定にしている。 今日は午後から雑草狩りをして、けっこう重労働になり、疲れてしまった。手をかける気ならいくらでもやることが出てきて、隠居を自認しても成り立たない。今日一日の動きを考えるなら、20年前に戻ったような働きぶりで、その気になればまだできると、安心した。 この5か月間は、家の事が山積しているにも関わらず、グーたれた生活となり、時間が止まってしまった様である。今日一日、変化に対する道筋をつけた気分となり、隠居暮らしから足を洗えそうである。今すべきことが幾分見えた気分であり、遠からず我が道(亡くなった妻と歩む)を進めそうである。
17日(木) 曇・晴21/28℃
今日で六日連続で最高気温は30℃を下回り、日中が大分過ごしやすくなった。夕方の荒川河川敷でのジョギングは利用者が少なく、大分走りやすかった。午後から草取りなど作業をして疲れ気味になった後に走ったので、大分疲れた。歳を感じざるを得ない。 熊谷では最高気温が今日で六日連続で30℃を下回り、そろそろ秋の気配が感じられそうだが、明日には再び30℃越えの真夏日になるようだ。それでもこれら先、所謂「秋の長雨」のシーズンとなり、夏が少しずつ遠ざかっていきそうである。 今日もブロック塀問題関連の工事をし、結構重労働だった。重労働はしばらく縁が無かったので非常に疲れた。ジョギングを休めばよかったのだが走ってしまい、体中が疲れ切った状態である。
18日(金) 晴・曇23/31℃
日中は晴れている時間が長く、気温も上がって、一週間ぶりに真夏日となった。暑いと動く気にならず、家周りの作業があっても手を付けることなく、午後からはのんびりと過ごした。ブロック塀が関わる敷地には、一階は駐車場で、生活スペースは二階にするつもりで、妻の実家だった敷地が地続きになっていて、連結した家にしようと思っている。 昼食を兼ねた散歩では、昔、東部妻沼線の線路伝いに「亀の道」と呼ばれる長い公園ができていて、樹木が多いので夏場でも涼やかに散策ができる。涼を味わうとともに、多くの昆虫が姿を見せ、特にセミとともにトンボのたまり場となっていて、昆虫大好き人間には非常に楽しめる公園である。 今年はカメラを持参していないが、来年になってゆとりができたら、写真撮影もセットした散策を楽しもうと思っている。同時に、ホームページの再生を果たそうと思っている。
19日(土) 曇・雨21/27℃
今日は一日を通して陽射しがなく、気温が上がりきらず、最高気温は30℃に達しなかった。午後からは雨が降ることが多く、夕方のジョギングでは雨の中を走るようだった。気温が抑えられたので比較的快調に走ってしまい、家に戻ると疲れがどっと出た。 歳をとると甲斐性が無くなると言うが、今の自分が正にそれである。待つのが苦痛になって、問題を一刻も早く解決しないと気が済まない。ブロック塀問題は、現状では待つしかなく、じらされている状況である。とんでもない業者に肩入れしてしまい、自分の人を見る目の無さを嘆くしかない。40代の勤めていたころには人間関係で大きなしくじりはなく、騙されるようなことはなかった。 時代が大きく変わってしまったとの見方もできるが、社会そのものが狂い始めているとの見方もでき、閉じこもった生活から、社会性を意識した生活に替えた途端に、お人よしでは渡り歩けない社会になっていることを気づかされた。だからと言って、お人よし生活から完全に現実社会に適応できるとも思えない。
20日(日) 曇・雨20/23℃
一日を通して陽射しがなく、時々雨が降る天気で気温が上がらず、熊谷の最高気温は25℃を下回った。ここまで気温が下がるのは、本格的な夏に入る前の事であり、秋に突入した証である。昼の昼食を兼ねた散歩では、日陰を求めて歩く必要がなく、散歩がしやすくなった。 |
妻を失ってから月日の感覚が喪失してしまい、企画を立てて物事を進めていくことができなくなってしまった。時間がどんどん失われて行き、自分は何をすべきか改めて考えざるを得ない。年齢的に考えても創造的なことを考求めるのは難しくなり、身動きができなくなっている。 その気になればやることが幾らでも出てくるが、やる気が起こらないと言う、致命的な欠陥が生じている。妻を失うまでは常に創造的なことをやり遂げてきたことは確かで、妻を失った後も、一年間は「愛妻記」の執筆に夢中になり、今までの自分を継続できた。 それが、社会性を意識した途端、妻から離れるような生活となり、「愛妻記」は全く書けなくなってしまった。「愛妻記」イコール余生であり、さもなければ生きた屍に他ならなくなり、ただ単に時を刻んでいくだけの生活になってしまう。余生をもう一度作り直すことが、今一番重要なことである。
21日(月) 晴・曇20/27℃
今日は雲が広がることが多かったが、午前中は陽射しも出て、散歩をするには程よい陽気だった。ここにきて季節が確実に移ろっていき、暑さ対策は終焉を迎えそうである。特に夕方のジョギングでは大変涼やかで、薄手の長袖を羽織って調度良かった。 妻を失ってから、カレンダーが脳裏から消えてしまい、土曜日から4連休と言うのは全く意識がなかった。今の生活では休日は全く存在せず、生活パターンはほとんど変わらない。実際は生活を取り戻さねばとの意識が強く、ボケーとした時間をいかに短くするかが、一番の課題である。 夕方のジョギングは、コロナ禍と幾らか変わってきて、荒川河川敷のグランドを利用する人が減って、以前のようにのんびり走れるようになった。あと何年走り続けられるか分からないが、走ることは私にとっては生命線で、16歳から続けている。仕事の関係なので長く休むことも何度かあったが、基本的には続けてきて、年齢とともに走る距離や回数が減ってきたものの、生活の一部であることに変わりがない。
22日(火) 晴/曇18/28℃
雨こそ降らなかったが、はっきりしない天気で、それでも気温が上がって、熊谷の最高気温は28℃となった。昼食を兼ねた散歩では公園など日差しを避けられる場所を選んで歩くようだった。樹木の多い公園で、何日か前まで多くの昆虫が見られたが、一気に減少した。 今日息子からブロック塀問題について連絡があり、相手の返済額が低く見積もられているのが分かった。とにかく、あくどいことは確かで、あくどさはクーリングオフでは全く関知されず、全て裁判で決着つけることを決めた。 今まで費やしてきた時間が何だったのか、いささか悔しくなる。いつまでも時間を浪費する余裕はなく、人生の幕引きを、時間をかけて作り上げていかねばならない。5月に始まった事件で、遠からず半年になる。時間をどのように取り替えしていくかが今後の課題となる。
23日(水) 曇後雨19/25℃
今日は一日を通して雨がちで、気温が上がりきらず、最高気温は25℃止まりだった。昼食を兼ねた散歩では、小雨が降ることもあったが最後まで傘を差さずに済み、暑さも和らいだので非常に歩きやすかった。夕方には気温が下がって、半袖姿では寒かった。 いよいよ秋の長雨シーズンとなり、連日雨に見舞われている。雨の時間帯がそれぞれなので、今のところ、昼食を兼ねた散歩では傘を差さずに済んでおり、夕方のジョギングでは雨を苦にせずに走っている。必ずしも快調とは言えないが、体力の衰えは感じずに済んでいる。 継続にどんな意味があるかハッキリしないが、70歳を過ぎても不調はほとんど感じない。継続は力なりで、散歩とジョギング、日記と生活の管理とが相まって、寝込むような病気にならずに済んでいる。
24日(木) 曇・雨19/23℃
曇りが中心だったが時々小雨が降る展開で、気温が上がらず、熊谷の最高気温は25℃を下回った。散歩をするには手ごろの気温で、用事を絡めたので7キロほど歩くようだった。 今日は市役所に行って、カナリヤペイントとの示談について断ってきた。あくまでも裁判でやると申し出て、予定通りの結果になった。悪質性について全く問われない示談など絶対に容認できず、自分の問題だけでなく、私と同様詐欺にあった老人が少なからずいると思えてならない。 過去に裁判にかかわったことは一度もなく、若いころに労働組合で団体交渉に臨んだ経験をそのまま持ち出し、自分の主張を徹底的に唱えて、納得いくまで交渉に臨んでいきたいと思っている。そこまでやるには少々年を取りすぎた感があるが、最後の大舞台として、思い存分追及しようと思っている。
25日(金) 曇・雨18/21℃
一日を通して雨が降っている時間が長く、気温も上がらず、秋の深まりさえ感じられた。9月も残すところ僅か、ブロック塀問題で煩わされて早5か月、創作から離れて1年になろうとしており、余生の体内時計が完全に狂ってしまった。ブロック塀問題が決着間近になったが、失われた時間を考えると、そう簡単に容認できない。自分の周りの者を煩わせた事を考えると、早期解決が望ましいと実感する。 昨日に引き続いて、八木さんを同行して市役所に行ってきた。役所の人には、私は呆け老人扱いされ、一人で出向くことは嫌がられ、長男や八木さんに連絡が行くようになっている。特に、カナリヤペイントは破綻寸前と言うべきか、返済能力が極めて低い様である。だからと言って悪質な行為が許されるはずもなく、頭を下げるところから始めるべきである。
26日(土) 曇・雨17/21℃
今日は小雨だったが、雨の降る時間が長く、肌寒い一日だった。そんな中でも昼食は外でとり、散歩は絶やさなかった。服装も長袖にチョッキを羽織るようで、家に帰ってから、夏物はしまい、秋物を引っ張り出した。 季節の移り変わりの所為か、いつもと同じような生活をしていても倦怠感が強く、自宅にいる時は思うように動けない。気分的なものもかなり影響していると思われ、多大な時間を損出しているようで、何とか気持ちを入れ替えて、時間の損出を抑制することが課題となってきた。 余生の展望も靄がかかっている様で、路頭に迷っている気分である。創作ができないと言う事が一番の問題で、日記だけが防御策で、それもいつ崩れてしまうか、全く見当がつかない。
27日(日) 曇17/23℃
今にも雨が降ってきそうな時間帯もあったが、一日を通して雨は免れ、昼の食事を兼ねた散歩と夕方のジョギングはいつものようにしてきた。夕方のジョギングでは、荒川河川敷のグランドに集う人は少なく、散歩なども数える程だった。 雨がちの天気が続き、洗濯物と衣替えが一緒になって、物干しが溢れている。妻が亡くなってから衣類などはほとんど買っていないが、妻が生きているときに、衣類などの買い物では、妻はいつも控えめにし、私も買わないと買いづらいらしく、私も購入させられた。衣替えをすると、手を通していない下着など、たくさん出てきて、「お父さんも買って」との妻の声が聞こえてくる。
28日(月) 晴・曇15/28℃
この1週間と比べると、今日は比較的いい天気で、日差しの出る時間も多く、気温が上がって、6日ぶりに最高気温が25℃を越えた。今日は昼の散歩は休みで、昼食は外でとって、車の移動でほとんど歩かなかった。夕方のジョギングだけは出かけ、荒川河川敷で走る人は数える程度だった。熊谷ではコロナはそれほど騒がれず、本来の生活に戻った人も少ないのでは。 ブロック塀問題で今日も市役所へ行き、一定の方向性は出て、最終的に明日もう一度市役所に行って、カナリヤペイントの社長が交代したと言う事で、問題の経過を新社長に、じかに話す予定になっている。どんな話し合いになるか分からないが、今回の問題の流れは理解すると思っている。 互いに一方的な見方しかしていないので、実態を完全に把握できているとは言い難く、基本的な認識の一致をしようと思っている。
29日(火) 曇17/23℃
今日一日スッキリと晴れることはなく、それでも雨にも見舞われず、涼しい一日だった。外出時間が長かったが、歩くより車の移動が中心だったので、運動量としては軽微だった。 ブロック塀問題は市役所の消費者センターの介添えで、会社とは一定の決着をつけ、後は個人との直接対応をするとの、こちらの意志を認められる形となった。返済額からすると60パーセントまで確定し、残り40パーセントについて詰め寄っていく。ただし、ちゃんと応じなかった時には裁判に打って出るつもりである。 今回の消費者センターにかかわる対応は、見守りをお願いしている彼女に同行してもらい、何とか進展させることができた。自分一人で対応していたら問題がこじれて長期戦になったかもしれない。自らの能力の衰えは否めず、見守り人の必要性を痛感している。
30日(水) 晴・曇14/26℃
夜になると気温が下がって、暖房が欲しくなるようだった。明日には10月となり、完全に衣替えをするようで、今日はほぼ完了し、涼しさには対応で来るようになった。電気ストーブも1台使用できるようにして、10月への準備も進んでいる。 夕方のジョギングの何とか続いており、河川敷のグランドでは人影がまばらになり、コロナ前の状態に戻った。冬場は1周500メートルのグランドを独り占めでき、ジョギングを続けている人は少ないと実感している。 そろそろマイペースで生活ができるようにしないと、余生に狂いが生じそうである。特に「愛妻記」の続きを手掛けないと、生きながらえる意味が無くなってしまう。仏壇と並べた妻の写真はいつもにこやかに私を見守ってくれて、気持ちが和らぐ。ややもすると、妻の写真とのやり取りに我が人生の道筋が続いている様で、よそ見をする余地がどんどん狭まっている。 |