『三文文士映像日記』日記帳bT8 2020年(令和2年)8月

 

1日(土) 曇・晴22/28

 

毎日ボケーと過ごしているので日にちの感覚がずれてきて、日記を書く段になって今日は8月に入っていると気付いた。ブロック塀問題が起きたのが5月の初旬で、早3か月も過ぎてしまった。なんとも時間をロスしたと、早く正常化しなければと焦りが出てきた。

妻が亡くなって、9月でまる3年となり、月日が過ぎる速さに、気持ちが追いつかないと実感する。妻は、私にとって永遠の灯であり、灯が消えることは、私自身も消えることになる。何があっても真弓様様で、いかに大きな存在だったか、あらためて認識せざるを得ない。

今の宙ぶらりんとなった生活から早く脱却して、妻の供養を中心に、創造的な生活を作り上げねばと、強く思うようになった。創造的な生活とはいったい何なのか考えるが、結論は出ておらず、方向的には生活圏を拡大する事があげられる。

いかんせん、今までの人生でも、熊谷ではいいことは何も起こらず、妻と過ごすことが全てであった。熊谷人を云々する立場にないので記すことはやめておくが、もう少し人間らしく生きれる場があるように思えてならない。

 

2日(日) /22/32

 

雲が広がる時間帯もあったが、晴天がベースで、気温が上がって熊谷の最高気温は30℃を越えた。昼の昼食を兼ねた散歩では真夏の暑さが感じられ、今迄の涼しさと比べたら、体に大分堪えた。やることは山積しているのだが、心身ともに動き出さず、いかに早く問題を解決するかに、今後の動向に影響してくる事は確かである。

果たして何歳まで生きられるか分かるはずがないが、予定では90歳を目安にしており、残すところ20年足らずで、今までの70年を考えると、あっという間に寿命が尽きてしまいそうである。大した能力があるわけではないのに、やり残しが満載で、一つでも多く完結したいと願わざるを得ない。

特に急がざるを得ないのは「愛妻記」で、亡くなった妻の事は一刻も早く書き上げたいと思っている。今の自分にとっては、亡くなった妻との語らいが何よりも大事で、古い日記や写真で現実感を持って書き綴っていこうと思っている。それが正に生きる原動力であり、昨年の8月まで続いていた。

妻への意識が薄れて早1年、一刻も早く喪失した時間を取り戻さねばと、少々焦りが出てきた。

 

3日(月) 晴・曇22/34

 

朝の内はいくらか涼しかったが、日中は気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は猛暑日一歩手前の暑さとなった。夕方になっても気温が中々下がらず、ジョギングでは大分暑苦しく、熱帯夜になりそうである。

やらねばならないことが山積しているが、ブロック塀問題によって先に進まず、時間を大きくロスしている。日々の生活では、ブロック塀問題にがんじがらめにされている感じで、自分主体の生活になかなかなれない。

自分の年齢だと大したことができないと分かっているが、今まで蓄積してきたことを発露するだけで、人生の大きさを書き綴れると思っている。今頓挫している「愛妻記」が最たるもので、まだ結婚生活の12年ほどしか書き綴っておらず、28年分残っている。

28年は夫婦をベースに過ごしてきた期間であり、幸福の絶頂期と言える。早く懸案事項を解決して、書くことがすべとなるような生活に切り替えようと思っている。

 

4日(火) 晴・曇24/35

 

最低気温は熱帯夜にならなかったが、最高気温は猛暑日となった。本格的な夏の到来で、暑さ対策が必要であるが、高齢の所為か、猛暑日になってもそれほど苦にならなかった。一方で、冬の寒さに弱く、妻が亡くなって間もなくのころは、悪寒が走ったことが度々あった。

一日も早く、「愛妻記」を書き綴っていた生活に戻したいと思うのだが、ブロック塀問題が頭から離れず、本格的な創作活動に入れない。むしろ、頭が回らくなって逃げているのかもしれず、我が人生も、実質的にはものづくりができないまでに年老いたのかもしれない。

妻の供養が最優先であるが、亡くなった妻を書き綴ることが本分であり、煩わしさに埋没しないで、物書きに何としてもなろうと思っている。口で言うのはやすしだが、ペン(今はキイボード)を動かすことができるか、実際にやってみなければ分からない。

今のところ日記を欠かさずに書いており、創作は日記の延長と考えれば、結構面白い作品が浮かび上がってくるかもしれない。

 

5日(水) 曇・晴26/36

 

昨日に引き続いて熊谷の最高気温は35℃を越え、この時季らしい猛暑日となった。この3日間、35℃前後まで上がり、今日は猛暑慣れして、それほど苦にならなかった。今年の夏は、夏らしい本格的な暑さは8月に入ってからで、例年より大分遅い猛暑日と言える。

夕方のジョギングであるが、夕方17時過ぎに荒川河川敷に行って走るのだが、人手が大分少なくなった。運動をする若者は、日中から動くようになったようで、夕方はほとんど姿が見られない。コロナの問題が起きる前の状況になったようで、気分的には走りやすくなった。

継続は力なりと言われるが、どんなスポーツでも継続しないとものにならず、限られた人間の世界と言える。自分自身限られた人間であり、夕方のジョギングは50年近く続けている。お陰で病気らしい病気はせずに来て、健康そのものである。

 

6日(木) 晴・曇25/35

 

昨日と同様熱帯夜と猛暑日に見舞われ、高齢者には厳しい一日だったが、それほど苦にならず、午前中は塀に合わせた張り巡らしてあるモッコウバラの剪定を行い、枝が道路にははみ出さないようにした。以前は庭の手入れをしたことがなかったが、モッコウバラだけは自分が手入れをするようになっていた。

そろそろブロック塀問題のけじめをつけて、「愛妻記」を書き綴る生活の戻りたいと強く思うようになった。高齢になって、自分ができることはごくわずかと実感しており、一つの事に専念することが余生のあるべき姿と実感する。

患いを避けて通れればいいのだが、持って生まれた性分が邪魔をしてどうしても寄り道をしてしまう。今も大変な寄り道生活で、自分らしさを見失ってしまいそうである。弱い立場の人に力添えをする事が、亡くなった妻との共有事項であり、妻は観音様のような人で、ヘルパーの仕事で生じた問題を、私が知恵を授けて規定外の支援を何度もしてきた。妻の優しさは、私の誇りでもあり、互いに幸福を満喫していた。

 

7日(金) 晴・曇25/35

 

空模様・気温ともに昨日とすっかり同じような天気となり、猛暑が体に馴染んできて、外出してもそれほど苦にならなかった。夕方のジョギングでは比較的快調に走ることができて、自分の得意な季節になったと実感する。

得意な季節に入っても、ブロック塀問題は全く進展がなく、相手の出方を待つだけとなってしまった。工事代金が戻ってくるのは確実な状況であり、相手がそれだけの財力があるかが問題なのである。金が戻ってきたら早々に民事裁判を起こし、工事代金と同額の慰謝料を取ろうと思っている。

 

8日(土) 曇・晴23/32

 

今日の昼の食事を兼ねた散歩では、昨日までの猛暑日と比べて大分凌ぎやすく、散歩日和と言えるかもしれない。室内にいても大分楽で、一息できた感じである。一息が二息、三息となってしまい、家にいるときはごろごろしていたと言うのが実態である。

色々とやらねばならない課題が山積しており、ごろごろしている余裕など全くないのに、妻の供養を怠らずに生き永らえると言う、全く発展性のない余生となりそうである。常に創造していくことを本分として生きてきたのだが、妻の死とともにすべて置き去りになってしまったようである。

創造ができなくなったら生きた屍であり、生きている意味合いが全くない。何とか創造の世界を作り上げねばならないと、自分に言い聞かせるが、ブロック塀問題に煩わされ、本分に戻れない。余生を考えると、一日一日が貴重な時間であり、日々チャレンジすることが生きる意味合いであり、裁判でとことん追求して慰謝料をたっぷり取りたいと思っている。

 

9日(日) 23/36

 

 今日は陽射しがそれほど強く感じられなかったが、一日晴天傾向で気温が上がり、熊谷の最高気温は35℃を越える猛暑日となった。昼食を兼ねた散歩ではじりじりとした熱波に見舞われ、日陰、日陰を選んで歩くようだった。

時間がどんどん進んでしまい、懸案事項の進展が全くない状況に、いささかイラついてくる。自由奔放に動き出したいのだが、けじめをきっちりつけないと気持ちが収まらない。71歳を過ぎて、余生をどれくらいに見積ったらいいのか、宙ぶらりんの生活では全く割り出せず、寿命から逆算して行動を起こすようである。

妻が亡くなった時点で、生きながらえるなら90歳を目安としてきて、すでに残り20年を切ってしまった。事を起こすのが20年前だったら、妻と語り合って明確な方向性が出せたと思うのだが、今の自分には生き甲斐がなく、単なる、寿命との競争となっている。健康維持を心掛けるしか生きる意味合いがなく、生きる本筋は全く見えてこない。

 

10日(月) 晴・曇26/36

 

朝の気温が下がりきらずに熱帯夜となり、日中陽射しが強くて猛暑日となり、残暑の域を超えた暑さとなった。若いころから暑さには強く、猛暑をそれほど苦にならずに70年を過ごしてきた。高齢になると暑さの感じ方が一層鈍くなり、猛暑日でもぐったりとすることはなかった。

暑さは苦にならないのだが、老齢による活力が失せて、前向きに取り組むことができなくなっている。ブロック塀問題に起因していることは確かであるが、それにしても気力が全く湧いてこず、モチベーションが下がりっぱなしである。。

何年前に作られた休日か全く記憶がないが、夏シーズンに合わせて7月23日の海の日に始まり、7月24日のスポーツの日、8月10日の山の日の祝日は、昭和20年代に生まれた者には全く利用価値がない。政府からすると選挙対策の一環で、お恵み積もりで作られたに過ぎないと言える。

 

11日(火) 晴・曇27/40

 

熊谷では35℃超えの猛暑日が続いたが、今日はさらに気温が上がって、熊谷の最高気温は40℃となった。昼の昼食を兼ねた散歩では猛暑真っ盛りで、ジワリとした暑さに見舞われた。年を取ってくると寒さには敏感に反応するが、暑さには鈍感な感じである。

熊谷ではコロナの感染者が少ないようで、人の流れは普段の真夏の光景で、特に夕方のジョギングでは、河川敷の利用者が少ない。コロナ騒ぎが熊谷でも轟いているころは、夕方河川敷のグランドを利用する若者の姿が多く見受けられたが、ここ何日か、夕方は若者の姿はほとんど見られない。

 

12日(水) 晴・曇27/36

 

午前中は晴ること多いが、午後になると雲が広がって、時々雨も混じるのが今日この頃である。夜になっても気温が下がりきらず、連日熱帯夜になっている。熱帯夜対策はエアコンを使用し、29℃設定で快眠できている。

時間がどんどん過ぎていき、ブロック塀問題が起きてから、創造的な生活が全くできていない。日記は何と書き続けてきたが、他は全く書けていない。日記は記録であり、創作とは全く違っており、本分としてきた作家作業は皆無になってしまった。

妻を失って「愛妻記」を書き始めたが、それは記録であり、創造力は全く失われた感じである。そもそも妻が生きる糧であり、今は生きる糧を失った状態で、無目的に生きながらえる状態に陥ってしまった。楽しむ術を失ったことであり、これからどうやって立て直すべきなのか、暗中模索の状態である。

 

13日(木) /26/37

 

熊谷では、今日も最高気温が35℃を越えて、猛暑日が連続で5日間となった。8月に入ってから真夏日止まりだったのは4日間だけで、猛暑日本一を誇る熊谷らしい夏になったと言える。日中の暑さはそれほど苦にならず、のんびりと過ごしている。

今日は妻の月命日で、毎月墓参に行っているが、明日は檀家になっているお寺で施餓鬼と言う行事があって、事前に申し込んであった卒塔婆をお寺さんにもらいに行き、墓地に立てるので、墓参が一日ずれることになる。供養とすると重要な行事で、欠かさずに来ている。

それは正に生きる目的であり、亡くなった妻にしてやれることは供養しかない。妻にもめいっぱい支えてきてもらったので、ごく自然な成り行きである。

 

14日(金) /25/36

 

今日も熊谷の最高気温は36℃まで上がり、6日連続の猛暑日となった。午前中、お盆の行事で施餓鬼と呼ばれ、ご先祖様に塔婆を捧げてきた。。亡くなった妻にしてやれることは供養しかなく、命日、月命日、正月、お彼岸など、墓参は欠かさないようにしている。

ブロック塀問題が起きてから、余計なことに煩わされて、思うように動けない日が続いている。気持ちの持ちようで何とかなりそうな気がするが、一段と歳を取った所為か、創作が全くできなくなってしまった。

自分の意志で解決できる気がするが、日記以外創作が完全に滞ってしまい、無為に時間を過ごすことが多くなった。カナリヤペイントに時間を奪われた事に違いがなく、高齢者にとっては甚大な損出である。裁判をして償わせようとの思いが一層強くなっている。

 

15日(土) 晴・曇26/38

 

午前中は晴れていて、日差しが強く、気温が上がって熊谷の最高気温は38℃と、11日の40℃に次ぐ猛暑となった。熊谷では8月いっぱい猛暑が続くことが結構あり、50年前の9月に父を亡くして、まだ猛暑が残る中で葬儀をした覚えがある。

ブロック塀問題で工事代金の返還を要求しているが、カナリヤペイントは返済する意思が全く無いようである。セールスの佐々木君は、私が昼食を外でとることを知っており、わざとその時間にやってきて、不在で支払えなかったとの姿勢でいるようである。

どこまでもえげつなく、返済するつもりは無いようであり、なんとも、とんでもない会社に引っかかってしまった。月曜日になったら市役所の消費者センターに赴き、返済金は消費者センターに届けさせるようにしようと思っている。

 

16日(日) 晴・曇28/37

 

今日も最高気温が35℃を越えて、8日連続の猛暑日となった。今日も昼の散歩を兼ねた昼食では、昼を回った帰り道ではじりじりとした暑さだった。昨今は暑さに弱くなったと思ったのだが、いささか慣れてきた感じで、それほど苦にならなかった。夕方のジョギングでも比較的楽に走れ、へばった感じは全くなかった。

そろそろ色々なことに取り組もうと思うのだが、思うように動けない。やろうと思っていることがいくつか出てきて、懸案事項を早くけじめをつけたいと思うのだが、中々思うようにならない。ブロック塀問題がいかに足かせになっているか痛感する。ただ待っていたのでは全く前進しないことははっきりしており、明日は市の消費者センターに行って、カナリヤペイントの返済は市に預かってもらう形を取ろうと思っている。

 

17日(月) 晴・曇27/38

 

 熊谷の最高気温は38℃となり、これで熊谷の猛暑日は10日連続となった。この猛暑の中、市役所に行ってから、昼食を兼ねた散歩にも行って、歩いた歩数は1万歩を超えた。猛暑は、しんどいことは確かなのであるが、それほど苦にならなかった。

市役所に行って、ブロック塀問題について聞いてみたら、市の方で返済方法について話し合っていて、銀行振り込みになるとのことだった。市から裁判について聞かれ、やることを断言してきた。

とにかく、ブロック塀問題は煩わしく、早く切りをつけたいとの思いが強く、創作を中心とした生活に一時も早く切り替えたいと思っている。

 

18日(火) 晴・曇26/36

 

熊谷では今日も猛暑日となって、10日連続となった。天気予報でその日その日の最高気温を記録した町の名前が出てくるが、今のところ熊谷が一番にはならないものの、連日ベスト3に入っており、全国一暑い町との称号は揺るぎ無いようである。

今のところ猛暑に参ったとの感じはなく、動きが鈍るものの、今のところ難なく切る抜けている。反面、元の生活に戻すと言う、最も重要なことは未だに果たせず、ブロック塀問題がいかに重く伸し掛かっているとの証である。

70歳を過ぎて、一日一日が大切なのだが、覇気がどうしても湧いてこず、時間つぶしの人生に完全に移行してしまったかと、少なからず焦りが出てきている。視野が狭くなって全体を見晴らすことができず、一定の方向に焦点があってしまい、ややもすると盲目的な生活になり、深刻に考えないといけない。

 

19日(水) 25/37

 

今朝は熱帯夜ぎりぎりで、5日ぶりに少しは寝苦しさが緩んだ。日中は35℃を越えて、熊谷では11日連続の猛暑日となった。猛暑があたりまえになってくると、体が暑さに慣れて、それほど苦にならなくなり、夕方のジョギングは、河川敷特有の涼風が吹き抜けて、楽に走って来られた。

 毎日本来の生活に戻そうと考えるが、どうしてお思うようにならない。ブロック塀問題が最優先となり、一刻も早く裁判を起こして、カナリヤペイントの悪質性を訴えようと思っている。70年を生きてきて、ここまで悪質な人間に出会ったことがなく、気に入らない人間とは深く交わったことがない。

妻を失い、人間関係を閉ざしてきて、それほど苦にならなかったが、物忘れのひどさにいささか危険を感じ、出会いの中で頼れると思った人との関係を何とか確立し、合わせて世話を焼く関係も出来上がった。そんな中で足踏みさせられたのがカナリヤペイントで、3か月以上も足踏みしている。

70歳を過ぎ、妻の供養を最優先し、余生を送ることにしたのだが、肝心の余生が隅に押しやられ、人間の悪意と格闘する日々である。多大な損出をこうむっており、徹底的に償わせるつもりである。

 

20日(木) 25/38

 

 今日は一日晴天傾向で気温が上がり、熊谷の最高気温は38℃となった。これで猛暑日が11日連続で、今夏も厳しい暑さとなっている。今後の天気の傾向は、猛暑の山場が過ぎて、35℃を切る日がやってきそうである。

8月も残すところ11日となり、1か月もしないで妻の命日になり、妻が亡くなって早3年になる。妻への思いは少しも変わらず、妻と築き上げてきた生活が走馬灯のように浮かび上がってきて、結局は、残りの人生は思い出に浸り、「愛妻記」を書き続けていくしかないようである。

書き続けられることを幸いと位置づけ、たとへ生活が大きくい変化しても、妻は我が心の中ではつらつとして生きている。言い換えると妻は永遠に不滅であり、これからも、今までの人生の延長である。

 

21日(金) 晴・曇26/38

 

昨日に引き続いて熊谷の最高気温は38℃となり、家にいると動くのが億劫になった。そんな中で、市役所・生活センターの担当者(女性)から電話が入り、ブロック塀が問題になっている敷地に家を建てる予定との確認が入った。カナリヤペイントはあくまでも更地を主張したようで、気になっていたことが解決したことになる。いずれにしても、施主の意志を全く無視して行われた工事であることを、裁判でカナリヤペイントを追及することになる。

熊谷では猛暑日が13日連続となり、いささか夏バテした感がある。今日は昼食を兼ねた散歩は何とか行ってきたが、家にいるときはグッタリしてごろごろしているようだった。8月も20日が過ぎ、そろそろ少しは涼しくなってきてもいいころなのに、まだ先が見えない感じである。

 

22日(土) 晴・曇24/35

 

今日の熊谷の最高気温は35℃となったものの、昼の食事を兼ねた散歩では、この13日間に比べれば苦にならない暑さだった。夕方のジョギングでは、河川敷に行くと雷鳴が轟き、時々雨が降る生憎の天気となったが、雨はいくらか涼を呼び込んで楽に走って来れた。

昨日の日記でも記したが、カナリヤペイントでは、ブロック塀は更地に立てるものとして押し通してきたが、消費者センターでも更地を疑問視して、私に家を建てる予定について問い合わせてきた。ブロック塀は、更地で作るのと宅地で作るのでは建築基準が全く異なる。

カナリヤペイントでは始めから更地と決めて工事を進め、べらぼうな金額(97万円)を請求してきた。ブロック塀の提案書がなければ、見積書も無し、契約書すら事前によこさなかった。完全な詐欺であり、私を認知症を患った呆け老人として、誤魔化しきれると踏んでいたようである。

実際問題、息子や友人に基準法に反すると言われるまで、全く問題意識を持たず、予定外に金額が張ったので、長男に幾らか支援してもらおうと家に呼び寄せたもので、長男がブロック塀を見て建築基準法に違反していると言われるまで気づかなかった。(べらぼうに高いとは意識していた)

自分一人で進めていたら完全に詐欺にはまって、取り返しがつかなかったかもしれない。

 

23日(日) 晴・曇23/32

 

今朝は比較的涼しく、熊谷の最低気温は23℃で熱帯夜は免れ、日中も気温がそれほど上がらず、今までの事を考えると大分楽に過ごせた。昼食を兼ねて久々に散髪へ行き、頭が大分すっきりした。実際は普段から髪は短めにしており、横着で何か月も行かずに済ましている。

そろそろシャキッとしないと、余生そのものが沈滞してしまい、生きる意味合いが薄れてしまいそうである。年齢からくる衰えも起因していることは確かで、余生をどう創造していくか、大きな課題を突き付けられた気分である。

去年の10月までは創造的な生活を維持してきたのだが、孤立した生活から社会復帰した生活へと切り替えた途端に、創造性は瓦解し、今はカナリヤペイントとの抗争モードとなり、何ともつまらない生活となっている。この事も補償を要求するつもりである。

 

24日(月) 晴・曇24/33

 

一昨日までの猛暑日を考えると、この2日間過ごしやすかった。とは言っても30℃超えの真夏日で、自分が子供の頃の、真夏の最高気温である。60年前と地球の気候が大きく変わってきた証で、地球温暖化対策は人類にとって必須事項である。

何をやるにしても思うように手がつかず、無為な時間を過ごしている。余生に猶予などあるはずがないのに、進歩とは程遠い日々を過ごし、人生に大きな誤算が生じている。自分にはいったい何ができるのか問うても明確な答えが返ってこず、気が付いたらら寿命が尽きていたと言う事になりかねない。

我が人生は自ら作り出すしかなく、余計なことに煩わされない生活に一刻も早くも戻さねば。

 

25日(火) 晴・曇24/34

 

最高気温は35℃に届かなかったが、猛暑が感じられる一日だった。時間がどんどん過ぎていき、実質的には何も成しえないまま9月に入ってしまいそうである。妻の命日が遠からずやってきて、亡くなって3年になるが、今も、どこまでも大きな存在である。

妻の法事は三回忌まで済ませ、法事とすると次は七回忌になると思われる。月命日は必ず墓参し、年末の墓清掃と正月の墓参をしているので、年間にすると十四回通っている。亡くなった妻にしてやれることは供養しかなく、そこに生きる目的を見出している。

供養以外に目的を持つことが肝要であり、亡くなった妻もあの世でそう願っているはずである。供養は妻との会話を意味しており、僅かな時間であるが、心を通わして満足している。

 

26日(水) 晴・曇24/35

 

今日は5日ぶりに猛暑日となり、昼食を兼ねた散歩では、ジワリと猛暑に見舞われた。日差しは夕方になっても遮られず、ジョギングではかなり暑かった。この暑さも今週中くらいで、9月になるといくらか収まってきそうである。

ブロック塀問題は市役所消費者センターで対応してくれているので、今は自分がやることは何もない。工事代金が返ってきたら、今度は自分が裁判所に提訴し、カナリヤペイントの悪行を大々的に連ね、工事代金と同額の慰謝料を要求しようと思っている。

今は何をやっても時間がかかり、中々マイペースの生活に入っていけない。創作を中心にやるべき事が山積しており、一刻も早く本来の生活に戻したいものである。

 

27日(木) 晴・曇26/34

 

この夏は8月半ばまで熱帯夜が続き、22日以降は免れてきたものの、今朝はは久しぶりに熱帯夜に見舞われた。熱帯夜対策としては、寝室に取り付けたエアコンを30℃設定にし、問題なく眠れている。設定温度が高すぎる気もするが、扇風機で循環させて、エアコンと反対方向から空気が抜けるようにした結果、寝るにはベスト(高齢者に適応?)の室温になっている。

 妻が亡くなって9月で丸3年になるが、独り暮らしにすっかり慣れて不自由を感じなくなった。生活は、本来なら家族が単位になるもので、家族無用に慣れたとしたら、生活とは言えない気がする。ロボットと同じで、決まったことを決まった通りにこなしているだけで、生活感に乏しい。残念ながらロボット生活にすっかり馴染んでしまい、今は全く不足を感じなくなってしまった。

 

28日(金) 26/35

 

今朝も昨日と同様最低気温は25℃を越えて熱帯夜になった。日中は陽射しが強くて気温が上がり、熊谷の最高気温は35℃となって猛暑日になった。まだ猛暑は続きそうで9月まで持ち越されそうである。そろそろ秋の気配が感じられればいいのだが。

日々の生活を考えると、老化がかなり進行して、何事も思い通りに進まず、今の自分には何ができるのか自問自答するようである。やらねばならない事、どうしてもやりたい事が山積しているというのに、どうしてもこなしていけない。

今の生活状況の問題と考えたいが、気力の問題と思えてならず、このままだと生活がどんどん萎んでいって、生きた屍になってしまいそうである。妻の供養さえ欠かさねば、後はいい加減でいいような気がしてくる。妻の供養をできるだけ長く続けていくのが目的となり、後は何も考えずにロボットになり切れればいいのかもしれない。

 

29日(土) 26/37

 

熊谷では8日ぶりに本格的な猛暑が復活し、外出ではジワリと暑さが伝わってきて、午後はぐったりとしていた。今日は一日おきのジョギング日であったが、暑さに恐れをなして取り止めにした。猛暑を言い訳にして、何事も思うように動けず、ただ生きながらえる人生となりそうである。

8月も残すところ一日となり、5月の初っ端に始まったブロック塀問題に今も煩わされている。4か月も縛られてきた生活は、高齢者にとって大きな損出であり、落とし前をつけてもらわねば収まらない事態である。過去の人生でも紆余曲折を経てきたが、失うもの以上に得るものがあって、決して時間の無駄遣いにはならなかった。

年甲斐もなく他人に援助してやろうなどと、余計なことを考えたのがしくじりの始まりで、失うものが多かった。失っても、無駄な経験だとは思えず、余生のあるべき姿を見出したことにもなる。

 

30日(日) 晴・曇27/37

 

 日中は強い日差しで気温が上がり、熊谷の最高気温は昨日に引き続いて37℃となった。最低気温は27℃で熱帯夜となり、9月になろうと言うのに秋の気配は全く感じられない。それでも暑さがそれほど苦にならず、夕方にはジョギングをしてきた。

 ブロック塀問題は4か月が過ぎ、高齢者にとっては取り返しがつかない程の時間を損出したことになる。年齢とともにあれもこれもと関わるのが難しくなり、今自分は何をすべきか、少しも判断がつかない。とにかく、一つ一つを確実に処理していかない事には進みが止まってしまい、近道は存在しない。

 今まさに時間との競争に入っており、のんびりとやっている余裕はなく、これと決めたことは速攻で解決していくしかない。

 

31日(月) 晴・曇24/32

 

午前中は陽射しがあって、熊谷の最高気温は32℃と久々に猛暑日から免れたものの、今までとさして変わらない暑さを感じた。早9月に入るのでいくらか秋らしさが感じられてもいいのだが、明日からどのように気候が変わるか想像がつかない。

5月初っ端に始まったブロック塀問題は、早4か月になろうとしいている。膨大な時間を要しており、他の事がまともに手がつかず、高齢者にとって甚大な損出である。自分自身の衰えも否めず、両立は不可能な状態で、問題の一定の解決を図ってからではないと前進はあり得ない。

時間の損出を償わせると決意しており、それによって膨大な時間の損出が派生し、身動きが取れなくなってしまう恐れもある。お人よしは経済的なことより時間的な損出が大きく、今後は他人とはできるだけかかわらず、マイペースで生きていくことが望まれる。