『三文文士映像日記』日記帳bT9 2020年(令和2年)7月

 

1日(水) 曇・雨22/28

 

早7月となり、本格的な夏が間近となってきた。夏だからと言って特別何かがあるわけではないが、暑さをどう乗り切るか、色々と考えてしまう。妻が生きているころはエアコンを使って寝苦しさを凌いできたが、妻が亡くなってからは、日中から窓にカーテンをして、熱気を部屋に入れないようにしたら、真夏でも夜にはエアコンをつけずに過ごすことができた。

7月に入って、今までの懸案事項をリセットし、マイペースで生活を切り開いていこうと思うようになった。昨年の9月から、生活が一変し、妻の供養に専念する、閉じこもった生活から、いわば社会復帰して、人間関係を僅かながら回復してきたが、どれもが見立てが違っていて、えらく遠回りした観が否めない。

妻が亡くなって、「愛妻記」を取り組み、書き上げるのをライフワークとしてきたのだが、すっかり置き去りにした生活となり、時間を大分損失した思いである。それによって、一時的でも社会復帰できたのだから、今後の人生の教訓となり、生きる道筋が復活した思いである。

懸案事項が解決したら、本来、自分があるべき姿を模索したいと思っている。

 

2日(木) /22/34

 

雲が多めだったが日差しが出るときもあり、気温が上がって、熊谷の最高気温は猛暑日間近となった。外に比べて室内は比較的過ごしやすく、ごろごろするのに快適だった。早7月、真夏へ一歩踏み込んだ感じで、暑さに負けずに夏を乗り越えられるか、もう少し様子を見る必要がある。

毎日行動記録表をつけているのだが、頭で考えている限りでは、前日の事は失念している。夕方のジョギングについて、脳裏では前日走ったように思え、一日おきが二日おきになっていることが多くある。年齢的には二日おきでちょうどいいのかもしれず、一時膝に違和感があったのが、今はほとんど感じずに済んでいる。年齢からくる老化は防ぎようがなく、回数を減らして継続するのが一番良さそうである。

 

3日(金) 晴・曇・雨20/29

 

午前中は陽射し(薄日)が出る時間帯もあり、熊谷の最高気温は30℃間近となった。夜には本格的な雨模様となったが、気温が下がった所為か、ムシムシ感はそれほどなかった。本格的な梅雨模様になるのは遠からずか?

自分が歩んできた社会生活は、常に人間関係が絡んできて、信頼のおける友が多くできた。裏切りが必要のない時代で、長い付き合いとなった。現代の時代認識については無いに等しく、我が道を行くで、全く無頓着だった。誠意を持って対応すれば裏切られないとの意識が強く、いつまでもお人よしを演じてきた。

だからと言って、裏切られないとの認識は無く、お人よしは病気のようなもので、裏切られても穏便に済ますのが習性となっていた。だから、長年嫌な思いをせずに来て、今も、裏切られても反発はそれほど強くない。本来の生活に戻れば、何もかもがリセットされる。

 

4日(土) /19/25

 

午前中から曇り空で今にも雨が降ってきそうで気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は25℃止まりだった。気温的には大分過ごしやすく、一日のんびり過ごした。のんびりは日常的となり、何事も思うように進まないが何もかもが吹っ切れた感じで、これからどうあるべきか、なんとなく固まってきた感じである。

ームページのプロバイダーは2社と契約しており、昨年11月に13年使ってきたパソコンが故障、仕方なしに新規のディスクトップパソコンを購入、1社は何とかアップロードできるようになったが、1社はどうしてもアップロードできず、片肺運転で半年以上過ぎてしまった。

日記を運営するプロバイダーは何とかアップロードできて、日々更新を続けているが、写真をメインにしたプロバイダーはどうしてもアップロードできなかった。この際、契約を解除してしまおうと思ったが、生活自体改善しなければならない時に来ているので、カメラを持った生活を取り戻そうと考えている。

妻が亡くなってから、旅行は全く行っておらず、妻と築き上げてきた旅行写真集を復活させようと思っている。社会復帰は失敗に終わったが、妻とまだ行っていない観光地を目指して、遺影写真を友に、車を走らせようかと、考えるようになった。

 

5日(日) 21/28

今にも雨が降ってきそうな時もあったが、一日曇り空で、熊谷の最高気温は30℃には達しなかった。夕方のジョギングでは、荒川河川敷の人の姿が少なく、コロナの前に戻った感じである。グランドを好きなコースを選べるようになり、大変走りやすくなった。

2002年に人生の課題を幾つも設けて、2001年からホームページを作り、課題を一つ一つクリアーしてきた。ホームページも年々進化して、2010年には「三文文士ワールド」を確立できた。

最初は創作をベースにしてきたが、昆虫に魅せられて「荒川の自然」をテーマに昆虫・野鳥・野草などの写真集を作り上げ、さらには旅行写真もメインとして、妻とのランデブーを映し出してきた。それは、今書きかけの「愛妻記」と連動しており、結婚生活43年の夢物語である。

妻が亡くなって、夢が完全に消えたとは言えず、「愛妻記」を完全に書き上げる事こそ夢であり、この半年、引きこもった生活から脱皮しようと試みた行為が、全て眼鏡違いで、多大な浪費をしてしまったことになる。時間に追われる生活になることは確かで、懸案事項は早期に解決して、しがらみをすべて解放すことが肝要である。

 

6日(月) 曇・雨22/26

 

雨が降る量と時間は短かったが、一日を通して陽射しがなく、正に梅雨模様だった。気温がそれほど上がらなかったので比較的過ごしやすかった。天気予報によると、これからは雨が絡む日が多そうで、本格的な梅雨模様である。

今九州では大雨に見舞われ、浸水被害も出ていて、大変な事態になっているようである。毎年同様な風水害に見舞われており、本来なら被害が出る前に対策を練っておくべきなのだが、全く進歩がない。今の国会体制では改善できるはずがなく、各地方で、独立した対策を取っていくときに来ている。

今の私は、様々な問題を抱えており、面倒くさいが、一つ一つ解決して、余計なことは全て拭い去りたい気分である。すべてを解決しないと進むべき道が見えてこず、今の私の緊急課題である。人を信ずることが難しくなり、問題解決をするには大騒ぎをするしか無いようである。

自分自身の進むべき道が見えてきたところであり、懸案事項を一つ一つ解決するしかない。社会そのものがコロナの関係で混とんとしており、日本自体が沈没しかねない状況でもあり、社会そのものの在り方が問われている時でもある。

 

7日(火) /23/29

 

今日で梅雨模様が4日続き、気分的に覇気が無くなってしまう。そろそろグータレル生活から足を洗い、ホームページを正常化させねばならない。これからどう生きていくか考えると、妻が亡くなる前の生活に戻すのが最も肝要なことで、生きている証を作り上げることである。

妻が生きている時も、自分の時間を持っていて、生きている証を作り上げてきた。それは妻と一体となった生活で、妻は妻なりに自分の時間を作っていた。基本的には二人の時間を最優先し、妻は人前では口数が少なかったが、私といるときは雄弁で、「お喋り」と言って揶揄したことがある。

今も妻の写真を見ながら会話をしており、気分的に妻の気持ちが伝わってくる。ホッとできる時間であり、妻を失った辛さはほとんど感じずに済んでいる。

 

8日(水) 22/29

 

雨こそ降らなかったが、どんよりとした空模様で、九州豪雨と連なって、飛騨高山など、中部にも影響が出始め、関東でもそのうち大雨に見舞われそうである。何年も前から毎年のように集中豪雨で大きな被害が出ているが、行政では無策のまま来ており、毎年大災害が繰り替えされてきた。

違法建築のブロック塀問題で、今日はペンキ屋の社員が様子を見に来ようで、インターホンで呼び出された。ブロック塀問題は、民事裁判から、刑事裁判に格上げとなったと見ており、今後は警察に委ねようと思っている。

ペンキ屋の社長は、金がないのを担保にして、違法工事も何知らぬ顔である。こちらも、社員の事を考えて、できるだけ穏便に済ませてやろうとの気持ちがあり、社長はそれを弱気と思い込んで、今日は社員を壁塗り工事の勧誘によこした。1か月ほど前だったか、同様なことがあり、こちらが動かずにいると勝ち誇ってしまうようである。

ペンキ屋の置かれた状況がよくなったわけではないのに、こちらが動かずにいると、勝った気分になるようである。明日には刑事事件として警察に委ねることを通知しようと思っている。

3年前に妻を失って、孤高の生活を送ってきたが、妻の三回忌を契機に、社会復帰を意識するようになった。半年程の時の流れに、3人の知己を得たが、同時に今は3人の友を失った。

今にしてみると、友が本当に必要だったのか分からないが、私の心の中には常に妻の笑顔が鎮座して、知己が必要だったというより、社会貢献を意識していた気がする。友を失った今も何の不足もなく、むしろ、自由になった感じで、気ままに人生を楽しもうと思っている。

 

9日(木) 曇・雨23/27

 

梅雨らしい天気で、一日晴れることはなかった。天気の所為ではないのだろうが、なんともかったるい一日で、ごろごろしている時間が長かった。それでも塀の上部に這わせているモッコウバラの剪定を行い、道側にはみ出した枝を伐採して、通行の邪魔にならないようにした。

妻が亡くなって2年間費やした生活が少しずつ戻ってきた。本当は妻の供養に専念してきた生活が苦痛だったわけではなく、「愛妻記」を書いて楽しんでいた。孤高の生活が自分には相応しかったはずなのだが、社会貢献を意識するようになっていたことも確かである。

社会貢献を意識して、接点を持ったものの、結局は裏切られ、現代の時代認識を実感せざるを得なかった。妻と培ってきた人生は、愛し愛され、頼り頼られ、どこまでも充足感のある生活だった。それは、現代においては夢物語であり、多くの人間が時代に翻弄されて、夢を見ることができないのかもしれない。

言い方を替えると、社会貢献など無用の長物で、単なるお節介にすぎず、どんなに気持ちがこもっても理解されることはなく、押し付けになってしまうのかもしれない。

 

10日(金) 雨・曇22/26

 

午前中を中心に雨が降る時もあり、一日を通して陽射しがなかった。気温的には大分楽に過ごせ、のんびりとしていた。夕方のジョギングでは、荒川河川敷のランニングコースは人がほとんどおらず、独り占め状態だった。コロナが騒がれている時には夕方でも多くの若者が集まっていたが、熊谷では本来の生活に戻りつつあるようだ。

妻が亡くなって、供養をベースとした孤高の生活に戻そうと思うのだが、ブロック塀問題を解決しない限り自由にならない。工事業者は、こちらが追求しないとあたかも勝ったつもりになって、社員を壁塗り工事の勧誘にわざとよこす。

私は馬鹿が付くお人よしで、社員の生活を気遣って、穏便に解決をしようと甘くなってしまう。それを逆手にとって、相手・社長はずにのってきて、全く返済する気がない。今までは、相手に支払い能力がないのは見えていて、それなりの手段で追及すれば夜逃げをするつもりなのかもしれない。

どうも仕事が取れたようで、わざと社員を我が家に向けて、壁塗りの勧誘にきた。前回も同じようなことがあって、その時は裁判にかけると言ったらおとなしく帰っていった。今回は一蹴して話はしなかった。社長は、まさか私が警察に訴えるとは思ってなく、最後通告で今日電話をしたら、私の電話は受け付けないようにセットしてあった。

考えてみたら、わざわざ宣言して警察に訴える必要がなく、私の心に甘やかしがわずかに残っていたようである。いずれにしても、日記には今までの経過をすべて記してあり、ホームページ上の記述だから後書きでないことも証明されており、後は警察に任せておけばいい話で、早々に日記をプリントアウトしようと思う。

 

11日(土) 23/28

 

雨こそ降らなかったが日差しもなく、一日曇り空だった。九州や西日本では大雨に見舞われ、大きな被害がでているようで、今の人間には大自然に太刀打ちできないのが実態である。同様な災害は毎年起こっており、日本人には風水害に対処する能力を持ち合わせていないと言う事である。

近頃人間関係が面倒くさく感じられ、妻を失って孤立した生活が懐かしく思えてきた。人間関係は相手に対して親身になることで、果たして親身になれるような相手と出会えるか疑問になってくる。妻が生きている時の生活は他人の事はほとんど意識しておらず、親身になる必要がなかった。

勤めているときは否応なしに人間関係が大きな意味合いがあったが、それが面倒くさくなって早めに退職をし、気楽な生活を送っていた。経済的な問題が出てきて、アルバイト程度の仕事をするようになり、アルバイトでも人間関係に縛られるようになり、それが嫌で何年もしないで辞めてしまった。

結局は妻と二人だけの生活がよくて、再再就職はしなかった。お陰で夢の延長のような生活を復活させ、毎日存分に楽しんでいた。

 

12日(日) 23/33

 

今日は午前中しか外に出ず、最高気温は33℃となったようだが、室内ではそこまでの暑さを想像できなかった。日中は窓などを閉めてカーテンをしておくことが多く、そうすると外気温が室内まで伝わってこない。

ブロック塀問題で、長男が心配して家にやってきた。私が行き過ぎた対応をするのを恐れたようであり、今までの記録(日記)を警察に申し出るものであって、カナリヤペイントの処置を警察に委ねようと言うもので、自らが交渉するつもりはない。

今まではコロナ問題で多くの業者が収入がなくて苦慮しているのが伺えたが、カナリヤペイントは仕事が始まったようで、私など相手にしない姿勢でいる。私は刑事事件として警察に申し出るもので、警察がどう対処するかの問題である。私は、警察に申し出る資料(日記による)を作成して提出するだけである。

 

13日(月) 曇・雨19/25

 

今日一日今にも雨が降ってきそうだったが、午前中の墓参や、昼の食事を兼ねた散歩では傘を使うことはなかった。日差しがない分、気温はそれほど上がらず、熊谷の最高気温は25℃止まりで過ごしやすかった。

今日はブロック塀問題で警察に行くわけだったが、資料を揃えるのに時間がかかり、警察行きは明日にしようと思っている。ブロック塀問題にいつまでも関わるのは時間がもったいなく、できるだけ早く本来の生活に戻したい。経済的な問題だけでなく、時間が勿体なく、創作を中心とした生活に戻したい。

この半年、なんとも不運な生活となり、自分が主体で作り出した時間はゼロの等しく、高齢者としては甚大な損出である。熊谷と言う立地もよくないのかもしれない。

 

14日(火) 20/24

 

今日は今にも雨が降ってきそうだったが、曇り空で終始した。最高気温は夏日に達せず、比較的過ごしやすい一日だった。夕方のジョギングも走りやすかったが、河川敷のグランドを利用する者は僅かだった。元来の人数で、大きなグランドを独り占めするようで、走りやすかった。

予定通り警察へ行ってきたが、カナリヤペイントにどう対応したらいいのか、警察の説明を聞いてもよく分からなかった。警察はこちらの話をよく聞いてくれて、こちらの主張を理解してくれたようだ。どう対応するかが理解できておらず、司法書士?に話してカナリヤペイントに申し入れをすれば良さそうなのだが、自分が完全に理解できているか分からず、明日はどうすべきなのか学ぶ必要がある。

経験がものをいう社会で、全くもめごとの経験がなかったので、争いごとにどう対処するのかちんぷんかんぷんである。

 

15日(水) 曇・雨18/24

 

今日は、昨日警察に行って相談した結果を受けて、消費者センターへ行ってきた。消費者センターでは年寄り扱いされるだけで、息子に連絡、改めて息子を交えて話をすることになった。今回起こったブロック塀問題は、ただ単に違法建築をしたと言うだけではなく、呆け老人扱いで、騙そうとする悪質な言動があり、私にとってはそこが一番重要なのである。明日、もう一度警察に行って、裁判を起こす事を伝えようと思っている。

プリンターで文章をコピーしようと思ったら、全く機能せず、2台あって、2台目でも全く駄目だった。何日か前に、ブロック塀の写真は色変わりしていたが何とか写し出すことができたのだが、機能しなくなっていた。消費者センターに提出する資料はコピーしたものだけで、USBは全く受けつけてもらえなかった。

コピー機は同機種が2台あるが、両者ともしばらく使っていなかった所為もあって全く使えず、新しく購入するか、1台修理するか悩むところである。何事もうまくいかず、苛立つより可笑しくなった。

 

16日(木) 17/24

 

今日一日日差しがほとんどなかったが、雨に見舞われることもなく、比較的過ごしやすい陽気だった。夕方のジョギングでも走りやすく、無論スピードは出せなかったが、ゆったりと走ることができた。コロナの問題が全盛の時は、夕方荒川河川敷は若者が集い、サッカーやラグビーなど、運動する人がけっこ見られたが、この頃は大分少なくなった。

2013年に近所のデパートで「荒川の昆虫写真展」を開催、A3サイズ1000枚の写真展を行ったことがある。すべて自前の2台のプリンターで写真を作り、その時のプリンターが昨日まで残っていた。昨日プリンターを使おうとしたらエラーとなり、2台目も同様で、止む無く、故障プリンターを廃棄して、A4サイズまでしかプリントできないプリンターを購入してきた。

ブロック塀問題で警察に行ったが、USBメモリーでは受け付けてくれず、そのためにプリンターを買ってきたのである。

ブロック塀問題はホームページの日記に経過を書いており、ある意味での証拠になり、ホームページをプリントアウトして、再度警察に対応するつもりである。

ブロック塀問題は金額より、カナリヤペイントの対応に問題があり、先日警察に行ったときは焦点とならなかった。私からするとあこぎな姿勢を訴えることが目的で、刑事事件と思っている。明日警察に行って日記をプリントアウトしたものを提出、どう受け止めてくれるか分からないが、やるだけやってみようと思っている。

 

17日(金) 曇・雨19/22

 

日記は毎日書いているつもりなのだが、どう言うわけか、17日の日記は書いていなかった。昨日の夜の事を思い出そうとしても全く頭に浮かばず、ただ単に忘れただけなのかもしれない。可能性とすると新しく購入したプリンターをいじくっていたので、日記を書くのを忘れたのかもしれない。

 

18日(土) 19/23

 

今日は雨こそ降らなかったが、日差しもなく、どんよりとした空模様だった。いつものように昼に行きつけの喫茶店(食事もできる)で昼食を取り、帰ってからデパートとスーパーに買い物に行き、夕方にジョギングもしてきた。スマホの歩数計を見ると一日合計が15キロ、歩いたり、走ったりしたことになっている。記憶を辿るとそこまで歩いた覚えがなく、キツネにつままれたようである。

そろそろ脳に破綻がきて、完全にボケ老人になってしまうのか、気になるところである。健康を意識して毎日の散歩と一日おきのジョギングを欠かさないようにしているのだが、肉体は現状維持が何とかお出来ているようであるが、脳の方は安定していないのかもしれない。

ブロック塀問題で、呆けた頭が幾分覚醒したような気がするが、プッツンする時間があるように思えてきた。ブロック塀問題を早く解決して、心身ともにフリーになり、余生を楽しみたい気分である。

 

19日(日) 晴・曇20/32

 

今日はすっきりと晴れるまではいかなかったが、日差しが一日あって洗濯物がよく乾き、気温も上がって、最高気温は30℃を越えた。7月も半ばが過ぎ、そろそろ梅雨明けしてもおかしくない時季である。

時間がどんどん過ぎていき、明日は、例年だと熊谷では「うちわ祭り」が行われ、夏休みの風物詩なのだが、今年はコロナウィルスの関係で中止となった。1980年代に熊谷に移り住み、うちわ祭りが中止になったのは今年が初めてである。

カナリヤペイント問題の資料が揃い、明日には警察に出向いてみようと思っている。警察に示談と言う前提で、カナリヤペイント社長と佐々木君、それにブロック塀工事をしてくれた業者社長も召集して、カナリヤペイントを糾弾するつもりである。

余生を永らえるものにとって、一日一日が貴重であり、カナリヤペイント社長の悪意によって時間を大きく損出したことになる。時間を取り返さなければ気が済まない。

 

20日(月) 曇・雨22/33

 

今日はほとんど陽射しがなかったが、熱気が流れ込んだようで、熊谷の最高気温は33℃となった。蒸し暑さに体が言う事を聞かず、かったるい一日だった。夕方ジョギングをしてきたのだが記憶に残らず、歩数計を見てやっと走ったことが分かった。

警察に行ってカナリヤペイントのことを話したら、ブロック塀工事は違法ではないと言われた。八木さんに話したら、やはり違法ではないと言われたようで、何とも情けなくなった。おそらく更地におけるブロック塀工事と、建物があるブロック塀工事とでは規定が違っている様で、次男に家を建てさせる予定で、そのために始めた工事であり、家を建てる時には塀を壊して再びブロック塀工事をすることになってしまう。

明日、もう一度警察に行って、この辺のところを確認しようと思っている。

 

21日(火) 曇・雨22/28

 

 今日も警察に行ってブロック塀工事のことを確認すると、どうもブロックが更地に立っているとされて、手続き上の違法性はないようだ。それはあくまでも家が建っていないとの条件で、これから家を建てるとすると、違法性が出てくると思われる。だからと言って工事が施主の意志であることが前提になっている様で、今日の警察の方の話では、日記があるのだから、裁判をすれば違法性は問えると言われた。

午後は雅子君から電話が入り、孝介を交えて市役所でクーリングオフをするからとのことで、雅子君の迎えで対応してきた。事前に雅子君と孝介で打ち合わせをしていて、消費者センターでクーリングオフの手続きを取って、書留でカナリヤペイントへ郵送した。

結局、カナリヤペイントの違法性が認められたことになり、カナリヤペイントがどう出てくるかである。以前、孝介がカナリヤペィンとと交渉したとき、別な社長がが出てきたと話していたが、社長交代もなされているのかもしれない。

 

22日(水) 曇・晴24/32

 

 今日はお盆に向けての、施餓鬼の申し込みをしてきた。施餓鬼は父と妻との塔婆申込で、大・小があり、妻の施餓鬼は大である。父は小で、亡くなってから既に50年を過ぎており、そろそろ永代供養で済ませてしまえばいいのだが、長年の習性でどうしても切り離すことができない。

今日、消費者センターから電話が入り、カナリヤペイントからクレームがあったようで、電話がかかってきても対応しなくていいとのことだった。結局、電話はかかってきておらず、向こうが何を考えているのか分からない。クーリングオフ(工事代金が帰ってきたら)が済んだら民事裁判も予定しており、カナリヤペイントの悪質性を追求して、慰謝料を要求するつもりである。

 

23日(木) 雨・曇21/25

 

午前中は雨が降っていて気温が上がらず、午後は雨は弱まって曇り空が中心だった。例年だと梅雨明けの時期で、本格的な暑さに悩まされところである。今年はコロナウィルスの関係で「うちわ祭り」と「熊谷花火」が中止となり、中々な真夏がやってきたとの実感が湧かない。

亡くなった妻は賑やかなところは好まないのだが、毎年うちわ祭りは見学に行った。各地の祭りも見学しており、北は北海道登別の「地獄祭り」、金沢の「加賀百万石祭り」、飛騨高山の「高山祭り」など、楽しんできた。妻が亡くなってからは賑わいに関心が亡くなり、「うちわ祭り」すら出かけることがなくなってしまった。

 

24日(金) 曇・雨21/27

 

妻が亡くなって、祝祭日などの休日とは縁が無くなってしまい、昨日今日と連続で祝日とは気が付かなかった。世の中も、コロナの関係で休日の意識が薄くなっており、子供たちも学校で仲間と出会えるのが楽しみになっているのではと思われる。

コロナの影響で、社会の仕組みも見直さざるを得なくなって、にっちもさっちも行かなくなった状況をどう打開するかが問われるのではなかろうか。一国支配から、県ごとの連邦制など、大手企業優遇の体制から、市民を中心とした社会に作り替えていく必要がある。

 

25日(土) 22/27

 

梅雨明け間近と言う事なのか、曇ってはいるものの雨はほとんど降っておらず、この時季としては比較的過ごしやすい。そもそも今夏は、まだうだる様な暑さを経験していない。十代のころは猛暑をそれほど苦にしておらず、夏でも活発に活動していた様に記憶している。

果たして、年齢からくるボケなのか、それとも思考力が蘇ったのか、カナリヤペイントを裁判でいかに追及するか、頭の中が一杯である。肝心のクーリングオフをした工事代金が返還されておらず、休みが続いているためなのか、返還する気がないのか分からない。

返還されればすぐに裁判を起こすつもりで、カナリヤペイントが繰り返してきた悪事を糾弾する予定である。糾弾は下請けに対する縛り付をも含んでおり、行政をも突き動かそうと言うものである。

 

26日(日) 曇・雨23/28

 

曇りが中心で時々雨が降る、梅雨らしい一日で、夕方には雨は止んでいたので荒川河川敷でジョギングをしてきた。河川敷ではほとんど人の姿が見られなくなり、1周500メートルのグランドを独り占めした。通常はこんなものである。

片付けなど、やらねばならないことが数多くあるのだが、日中どうしてもごろごろしてしまう。創作する意欲は全く途絶えてしまい、時間つぶしのグータラ人間になってしまった。カナリヤペイントの問題が終着すれば少しは違ってくると思いたいが、脳がすっかり老いぼれてしまったのかもしれない。

 

27日(月) 雨・曇24/28

 

曇る時間帯もあったが、小雨がベースで一日晴れることはなかった。天気予報によると、関東でも今週中には梅雨明けを予想しているが、それにしてもだいぶ遅い梅雨明けである。熊谷の「うちわ祭り」は梅雨明けと重なる時が多く、祭り見学で雨に見舞われたことはほとんどない。今の自分の生活では雨の影響はほとんど受けず、気楽な毎日である。

前段で雨の影響を受けないと記したが、何もかもがマイペースで、特別希望があるわけではないので、思うが儘(ぐーたれた生活)である。生活の立て直しも考えているが、特別シャカリキになってやる必要を少しも感じず、のんびりとじっくりやっていけばいいとの結論に達している。

自分の持ち時間は限られていることは確かで、今の調子だと何もなしえないままに寿命が尽きてしまいそうである。

 

28日(火) 23/27

 

どんよりと曇ることもあったが、一日雨に降られずに済んで、散歩と夕方のジョギングは滞りなくできた。前にも記したが、コロナの関係で、夕方荒川河川敷に多くの若者が集まってきて、サッカーやラグビーなどスポーツに興じていた。熊谷ではコロナが落ち着いてきた感じで、日中に活動する人が多くなったのか、夕方はほとんど人影は見受けられず、広い芝のグランドを独り占めしている。

昨年の11月に長年愛用してきたディスクトップパソコンが故障し、新規パソコンに買い替えて取り扱ってきたが、いまだに前のパソコンと同じように使いこなせず、ブロック塀問題もあって、創作など全くご無沙汰をしている。日記だけは何とか書き続けており、重要な情報は漏らさず書き綴っている。

ブック塀問題で警察の人にも日記のコピーを見せたら感心し、裁判で勝てると励ましてくれた。大学ノート時代を合わせると、日記は16歳から書き始め、今は71歳なので55年書き続けていることになる。日記は創作に引用し、書き続けてきた価値は多分にあった。ブロック塀問題を裁判にかけたら、独演会になってしまうかもしれない。

 

29日(水) 曇・雨21/25

 

今日は曇りが中心で、時々小雨がぱらつき、気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は25℃止まりで、夏の暑さは全く感じられなかった。そろそろ関東でも梅雨明けの兆しが出てきたようで、それでも8月に入って、過去の梅雨明けの最も遅い日と競うとの予報が出ていた。

生活の立て直しを何とかしなければと強く意識しているのだが、雑念が脳裏を支配し、創造的な生活にどうしてもならない。今の自分の実力からすると、創作が中心の生活に戻すのは無理なのかもしれない。一応90歳まで生きるつもりで、余生20年を呆けっと過ごすのはプライドが許さない。

ブロック塀問題が解決すれば、1年前の生活に戻せるか疑問であるが、「愛妻記」を思い通りに書き綴ってきたことを考えると、自己流が復活するのではと、甘い期待を持っている。それには余計なことに煩わされないことが肝要で、孤高の生活に戻すことができるかが鍵になる。

 

30日(木) 20/27

 

今日は雨こそ降らなかったが、日差しはなく、一日曇り空だった。九州から関西にかけては梅雨明けが発表され、関東でも明日か明後日には梅雨明けしそうである。本格的な暑さがやってくるのだろうか。

一年前は、亡くなった妻を語るべく「愛妻記」を躍起になって書いていたが、長年(13年)使ていたディスクトップパソコンが故障し、以後全く書けなくなってしまった。同時に、いくつかの出逢いがあって、引きこもった生活から脱却した感があったが、新しいパソコンも何とか使いこなせるようになったものの、どうしても創作意欲が湧かない。

創作が無くなったら、自分には何も無くなってしまったのに等しく、余生は妻の供養だけになってしまう。自らの存在を感じ取るには、創作しかないと分かっており、ここが人生一番の山場になるような気がする。いずれにしてもブロック塀問題を解決しないことには、先へ進めない。

 

31日(金) 曇・晴21/30

 

コロナウィルスの関係で日にちの意識が薄れ、気が付くと7月が終わってしまった。梅雨が長引いて本格的な夏の暑さとは縁がなかったが、明日には関東でも梅雨明けしそうで、全国一二を争う猛暑地帯、熊谷の本領を発揮しそうである。

ブロック塀問題の所為で、何事も思うように進まず、余生を送る者にとって甚大な損出である。すっきりした生活環境ならば、マイペースで生活を楽しめると思うのだが、懸案を残した状態では身動きが取れない状況である。

気持ち的には色々とやってみたいことが浮かんできて、活動領域を広げ、新たな人間関係を作れればと考えている。勝手な言い分になるが、熊谷人とは相性が悪い感じで、現実に、妻が生きているときは熊谷人との親しい関係はなかった。

退職後、アルバイトを幾つかしたものの、40歳前のような人間関係はできず、妻と二人で過ごすことがほとんどだった。自分自身、妻以外の人間関係を望んでいなかったこともあり、妻が亡くなったら孤高の人になっていた。

孤高の生活が嫌になったわけではないのだが、孤独死を恐れ、社会復帰を意識して新たな人間関係が出来上がり、若い営業マンとの出会いで、できるだけ力になってやろうと思ったら、ブロック塀工事で詐欺をやらかされ、消費者センターを通して、やっと工事代金の返還手続きを取ったところである。

問題が起きたのは5月上旬で、早3か月になる。高齢者にとって、3か月はあまりにも長時間で、相応の慰謝料を取らなければ気が済まない。