『三文文士映像日記』日記帳bT9 2020年(令和2年)6月

 

1日(月) 19/22

 

今日は一日を通して陽射しが少なく、気温が上がらずに、熊谷の最高気温は22℃と、涼しい一日となった。今日のような陽気が一番過ごしやすいのかもしれず、楽な一日だった。

楽と言うと変なのだが、今日は懸案(違法工事)の問題の解決に前進した。違法工事が発覚し、残りの二つの工事はクーリングオフで契約を解除し、すでに済んでいるブロック塀工事の関係も手を打ったことになる。

クーリングオフの時もそうだったのだが、今日も悪戯をして、彼女に手を引かれて後処理をする、悪ガキの気分となった。彼女には、ただただ脱帽である。自分も若いころだったら少しはできただろうが、今の自分には、面倒くさくて彼女がいなければ放置してしまったかもしれない。97万円が金の価値として高いか安いか分からないが、先々を考えるとき、決して安い買い物ではなかった。

彼女の能力はただものではなく、能力を存分に発揮できる仕事をさせてやりたいと思いながら、無力な自分に嫌気がさすところである。最後のご奉公と任じ、ボケから少しでも離脱して、今後の構想を練っていきたいと思っている。

 

2日(火) 18/29

 

すっかり呆け老人となっていたのだが、ブロック塀問題で脳を刺激されたようで、眠りから完全に覚めてしまったようだ。様々な対抗策が浮かんできて、年がら年中考えている。これからは消費者センターへ行って支払った金を返還する手続きを取る予定であるが、市民が多く押し寄せて、2日待ち、3日待ちになっているようである。

コロナによって、多くの企業が収入減となり、やむなく詐欺まがいの事をしているのではと想像している。緊急事態宣言が解消されたと言え、経済的な問題が解決したわけではなく、死に物狂いでやった事が事件につながってしまった事例は決して少なくないと思っている。

市の消費者センターでは混雑をし、予約する形で訪れることになっており、今一番市民が殺到するポジションにどれだけの人数が配置されているのか見てみたいと思っている。あまりにも酷い状況だったら市長を呼び出し、職務怠慢として糾弾するつもりでる。

市の運営は市民の税金で行われており、職員オービーの年金も支えている。封建国家そのものであり、いまだに維持されているのは、財界と自民党が一体となって策したことで、家康になったつもりの財産家もいたのは確かである。

 

3日(水) 晴・曇20/30

 

今日は気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は30℃となり、真夏の暑さだった。昼食を兼ねた散歩から帰ってくるとぐたりして、ごろごろしていた。そろそろ本気モードで生活していかないと、何もかもがぼやけて幻想となり、何もなしえない余生になってしまう。

昨年の秋口からの記録表(日記とは別にその日の出来事をメモしている)を見てみると、日記を補足する出来事が書いてあった。意識的に書いてきたのだから相応の事が記されていてもおかしくないのだが、呆けた頭はそれほど重視しておらず、今日記録表を振りかえって、いささか驚いた。

日記と連動するとかなり詳細に出来事を記録していることになり、証拠物件となるとともに、創作の素材として有効に使えそうである。今はグーたれている時間が長いので創作に結び付けることができないが、精神的に安定した生活を取り戻せば、売れない作家にカムバックできそうである。

書きたい素材も数多く確保しており、軌道に乗ったらどんな人生になるのか、想像しがたい。

 

4日(木) 晴・曇20/29℃

 

 今朝も最低気温が20となり、最高気温は30に達しなかったが、一日を通して真夏モードだった。着るものも半袖で、それでも汗ばんできた。もともと暑さに強い方でそれほど苦にならず、夕方のジョギングでも比較的快調に走れた。

そろそろ本格的に動き出さねばならない時に来ているのだが、何も考えない時間が大勢占め、耄碌をしたと実感せずにいられない。何かを楽しんでやると言うことは全くなくなり、生きた屍に近づいていくようである。まだまだ一芝居、二芝居も打たなければならないのに、こんなことでいいんだろうかと、自問自答している。

 

5日(金) 晴・曇20/32

 

この4日間、最高気温は30℃前後となり、本格的な夏の暑さとなった。服装も真夏モードしてみたが、いささかぐったりして、何も手がつかなかった。夜になっても気温が下がらず、気持ちを入れ替えて夏に立ち向かっていくようである。

何も考えないようになって暫くたっているが、この半月ばかり、ブロック塀問題と連動して、様々なことが頭をよぎる。その中心が、コロナの影響を大きく受けて沈滞している社会をいかに浮上させるかがテーマで、高齢化社会にいかに踏み込んでいくかである。

高齢化の代表である自分のような立場の人が数多く存在しているはずで、高齢者福祉問題と連動してセールスをするのが一番理に適っているはずである。売る側の勝手な理屈でセールスをしたのでは、相手に誠意は伝わらず、押し売りに過ぎなくなってしまう。

亡くなった妻は40歳過ぎから60歳までの20年間、ホームヘルパーとして家事援助に携わってきた。何人もの人と関わり、お年寄りに大いに喜ばれていた。妻が50歳ころは、私自身仕事らしい仕事をしていなかったので、妻を送り迎えし、高齢者の一人暮らしの難しさを聞かされてきた。

今の福祉政策がどこまで発展したのか全く分からないが、ヘルパー制度を利用するお年寄りがどれだけいるのか気になるところである。セールスをしながら、お年寄りだけで生活している家庭を見つけ出して、福祉制度の事を話して聞かせるのも、義務なのではなかろうか。

 

6日(土) 曇・雨20/30

 

日中は曇空だったが、夕方には雨風が強まって、一時は嵐のような状態だった。雷鳴は聞き取ることはできなかったが、雷雨を思わせた。梅雨入りの天気ではあるが、梅雨明けにも雷雨となることが多く、梅雨明けにはまだまだ早いので、本格的な梅雨入りと見るのが妥当である。

夕方のジョギングは一日おきが原則なのだが、昨今は形が崩れてしまい、平均すると二日おきに近くなっている。年齢からすると二日おきが手ごろのような気もするが、性分で、一日おきにしようと焦っている。

私の性分からすると規則性を重視して、日記も毎日書かないと収まらない。毎日書いてきたおかげて、貴重な情報を多く残すことができ、創作活動に生かしている。残念ながら、長年使ってきたパソコンが故障し、新しく購入したものの、創作面ではあまり有効活用できていない。

今回、ブロック塀問題で、日記帳と合わせて記録表に事細かに書いてあり、経過を記すには十分な資料となることは確かである。それは、新たな創作にも活用でき、面白いと思うのだが、老化した脳みそでは思考がそっぽを向き、リセットできるかがカギを握っている。日記に多くの事を書いているので、頭脳の浮沈で、時間をかければ何とかなる気がする。

 

7日(日) 晴・曇19/28

 

ここ2日間の30℃越えからするといくらか暑さが緩んで、夕方のジョギングも比較的楽に走れた。荒川河川敷のグランドは、コロナ騒ぎでも夕方には多くの若者が集い、コロナに負けずに動き回っていた。普段ジョギングをするグランドも一杯で、走るコースを選ぶのに若干迷うようだった。

ブロック塀問題で、消費者センター絡みの見積書を取り寄せたら、ちょこっと見せられた見積書と全く違っていた。消費者センターは形だけで何の機能もしていないように思われ、結局は裁判にかけるようである。多くの工事業者が経済的に窮地に陥っている様で、足掻けば足掻くほど罪が重くなることを承知で、無い袖は振れないと、開き直っているのかもしれない。

熊谷ではコロナ関係で、業者に対しては何の処置も取っておらず、多くの業者が詐欺まがいの真似をしてその場を凌いでいる姿が浮かび上がってくる。止む無しでも、詐欺まがいの行為を行ったら一層窮地に陥ってしまい、身動きが取れなくなるのが必定である。

社長のやってきたことは絶対に許せる事ではないが、社員の生活を考えると何とかしてやりたいとの思いも湧いてきてしまう。同時に社長の能力では危機を乗り切ることは不可能で、むしろ、こちらからしゃしゃり出て、会社を再生するとの考えも浮かんでくる。

熊谷の行政は、市民レベルでものを考えられない悪徳の人ばかりで、市民の敵である。多くの工事業者が行き詰って詐欺まがいの行為を行っていると思われる。それを救出するのも社会貢献になると思っている。

 

8日(月) 曇・晴19/30

 

熊谷の最高気温は、昨日30℃を切ったものの1日で戻り、本格的な夏が感じられた。季節的には梅雨時で、一昨日は夕立が降ったものの1日で回復し、これから先、天気がどの様に推移するか予測がつかない。今のところは空梅雨の傾向にある。

最近の傾向として、一日スッキリすることがなく、創造的な生活がどこかに隠れてしまった様である。現状に甘んじないで、色々な事(創作)にチャレンジするのが自分らしさだったが、今は完全に影をひそめてしまった。

書くこと(愛妻記)はあるのだが、余計なことに煩わされて、ペンを置き忘れた生活と言える。妻を失った後の生活も書き綴りたいと思うのだが、現状では遠い先になってしまった。呆けた頭の中では、様々なドラマが展開され、暇を持て余すことがない。むしろ疲れてしまって、何も考えない時間を作り出している。

何とか知恵を振り絞って、ドラマチックな世界を作り出し、引退したはずの生活から、一時的に自分らしい世界に返り咲きたいと思うようになった。

 

9日(火) 20/34

 

今日は雲が広がることなく、日差しが強い一日となり、気温が上がって、熊谷の最高気温は猛暑日一歩手前まで上がった。気候的には梅雨の時期で、本格的な暑さはもう少したってからで、今日は予行演習と受け止め、暑さに向き合った。

ブロック塀問題で、相手にどう向き合うか、毎日考えているが、相手に経済力がないことは明らかで、工事代金を返還すまいと躍起になっている。なりふり構わない姿は、はじめは大きな憤りを感じたが、今は哀れに思えてきた。

言い換えると、相手は生きるか死ぬかのがけっぷちに立っている感じで、代金を返還すると食いつないではいけないとの実態が大きく浮き彫りになってきた。こちらもゆとりがあるわけではないので大いに反発を感じるが、当面は食いっぱぐれになることはなく、いくらかゆとりがある。

ゆとりがあるので相手をどう再生してやろうかと、ついつい考えてしまい、余計な構想を打ち立ててしまう。社長を交代させ、営業をどう展開するかなど、実践的な構想が浮かんでくるが、どう考えても会社を浮上させるのは困難であり、手をかけると自分自身がリスクを負うことになる。

多少迷いがあるが、それはゆとりを持った迷いであり、悩みにはならない悩みであり、将棋を指すようなゲーム感覚で、遊び半分で駒を動かそうとしているのである。

 

10日(水) 晴・曇21/34

 

熊谷では昨日に引き続いて気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は34℃と、完全に真夏の暑さとなった。一方で、朝は20℃近くまで下がるので、寝苦しさはそれほどでもない。暑さには比較的強い方ではあるが、まだ慣れきっていないので、なんともかったるい一日だった。

ブロック塀問題で争っている中、午前中にペイント会社の社員が我が家にやってきた。おそらく社長に言われて、圧力をかけにやってきたと思われる。消費者センターの関係で見積もりを提出させたのだが、一度見せられた見積書と全く違うもので、こちらが諦めたと見下して社員をよこしたように思われる。

社員に「裁判にすることに決めたと社長に伝えておきな」と伝えた。インターホンでの会話で、相手がどんな顔をしているか確認していないが、ことによると明日も来るかもしれず、もしそうだったら今度は相手の写真を撮っておこうと思っている。

社長はこちらが引き下がったと見くびったと思われるが、実際は温情で面倒をみてやろうとも考えていたもので、それを社長は勝利したと勘違いしているようである。そもそも裁判を控えようとした意味合いは、社員が路頭に迷うのを避けてやるとの発想で、「誓約書」が歴然とした証拠であり、相手のあこぎを披瀝するものである。

 

11日(木) 晴・曇・雨22/34

 

午前中は日差しがあって気温が上がり、熊谷の最高気温は三日連続で34℃となった。猛暑日一歩手前の真夏日が三日も続くと、本格的な夏に突入した感があり、梅雨明け発表もそろそろの様である。暑さに負けて、家にいるときはいつもごろごろしている。

家の事でやるべきことが数多くあり、本来なら全て片付けているはずで、何もかも進展がなく、これから先、何ができるのか不安になってくる。年齢とともに思考力の衰えを痛感する毎日で、ボケーとした時間がベースとなって、生きた屍に陥りそうである。

日記を書いていると、少しは余力を残している気もするが、必ずしも自信を持って言える事ではない。脳の衰えは人それぞれだと思うのだが、妻を失ってからは、思考力が大きく落ち込んでいて、独り暮らしの弊害は否めないのかもしれない。

 

12日(金) 晴・曇・雨21/32

 

昨日ほどではなかったが、午前中日差しがあって気温が上がり、最高気温は30℃を越え、5日連続の真夏日となった。暑いことは暑かったが、室内にいる限りではそれほど暑さを感じず、今のところ室内までは気温が上がりきらずにいる。

今日は彼女が会いに来てくれた。短時間だが話していると、気分が大分和らいだ。何日か前までは様々な空想を抱き、時間がどんどん過ぎていったが、今は空想をする必要を感じなくなって、家の片付けに手を出すようになった。

片付けは前々から懸案になっていて、室外に手を付けたが、室内もやらなければならないことが山積みされている。寿命はもう少しあると思うのだが、今のところ片付けをするのは自分しかいないので、いつ死んでもいいようにきっちり整理しておきたいと思っている。

とは言うものの、妻を失った直後のような不透明な部分は無くなって、計画を立てて片付けができそうである。手を加えなければならない箇所も多くあり、ボケッとした時間を短くして、着実に義務を果たしていこうと思っている。

 

13日(土) 雨・曇20/25

 

午前中を中心に雨が降り、気温が上がりきらず、5日ぶりに夏日ぎりぎりとなった。夏の暑さに慣れてきているので、今日は大分涼しく感じられた。塀の上にモッコウバラが広がっており、花は咲き終わり、枝が大分伸びて道路に出てしまったので剪定した。モッコウバラの剪定は20年以上続く行事であり、枝が道路側に出ることはほとんどない。

雨の中、妻の月命日で墓参に行ってきた。墓地には私以外の人の姿はなく、今までも同様で、毎月墓参に行く人はそれほど多くないと思われる。妻が亡くなって2年9か月、あっと言う間に過ぎてしまった感じであるが、妻への思いは少しも遠のいていない。

 

14日(日) 雨・曇19/24

 

連日、本格的な梅雨模様となり、最高気温も25℃を切って、暑さはほとんど感じなかった。今のところ一日雨が降り続くまでには至っておらず、洗濯物も何とか乾いて、それほど苦にならない。

一時ゴミ屋敷が話題になったことがあるが、最近はほとんど報道されていない。我が家も、ゴミ屋敷までには至っていないが、始末せずにたまった箱や牛乳パックなどがかなり溜まっており、昨日から少しずつ片付け始めた。それ以外にも片づけを要する物が多くあって、今月中には始末したいと思っている。

妻が亡くなってからと言うもの、散らかっているものを片付けるのが後回しになって、完全に独居老人の生活に陥っている。昼食を兼ねた散歩と、夕方のジョギング(1〜2日置き)は何とか継続しているが、それも怪しくなってきて、一気に老いぼれになってしまいそうである。

肉体的な問題よりも、思考力の衰えが一気に進んでいる感じで、本分を失ってしまう恐れを感じている。それは生きる意欲につながってくると思われ、何とか正常化しなければと、少々焦っている。

 

15日(月) 晴・曇21/34

 

15日は間違いなく日記を書いたつもりだったが、今日(16日)日記を書こうとすると、14日迄しか書いていなかった。長年日記を書き続けて、書き漏れはほとんどないはずなのだが、昨夜はすっかり忘れていたようである。(16日記帳)

  昨日の事はほとんど記憶がなく、年金支給日で、銀行へ行ったことはよく覚えている。

 

16日(火) 晴・曇22/32

 

物忘れがひどくなって、記録帳と日記だけは漏らさず記録するようにしているのだが、昨日の日記の書き忘れはいささかショックだった。物忘れがひどくなって、意識的になんでも記録するようにしており、絶対忘れてはいけない事と位置付けっていた。自分が瓦解する前兆に思えてならない。

 

17日(水) 晴・曇19/31

 

 今日は忘れ事がないように意識して過ごした。規則正しい一日と言え、昼の食事を兼ねた散歩と買い物、夕方のジョギングと、滞りなくできた。他にも、窓にヨシズを取り付け、夏対策が完了した。ヨシズをつけて窓を閉め切りにし、カーテンをしておくと室内温度があまり上がらず、真夏でもエアコンなしで眠れる。

ここ何日か、大分たまったゴミ(牛乳容器・紙箱)を片付けており、目途が立った。ゴミ屋敷までにはならないまでも、予備軍まで進んでいて、今日一日で明るい見通しが立った。よくテレビで目にするゴミ屋敷は圧迫感があり、自分も同類になりやしないか常々気にかけていた。まだまだやらなければならないことが多くあるが、ヨシズの取りつけとゴミの片付けが進んだことで、気分的に大分違っている。

 

18日(木) 曇・雨20/26

 

梅雨入りして、この三日間は雨降りまでにはならなかったが、今日は午後から雨模様になり、本格的な梅雨模様だった。気温も25℃を少し超えた程度で、だいぶ楽に過ごせた。片付けがまだ終わっていないのに、午後はのんびりと過ごした。

何をするにも億劫になり、ルーテーンだけで創造的なことは何一つとしてできていない。そろそろ区切りをつけて、「愛妻記」を復活させたいと思っている。「愛妻記」を書き上げるのが当面の目標であるはずなのだが、こもりがちな生活から、僅かながら社会復帰ができた途端に遠のいてしまった。

本来なら「連邦家族」と題して新たな生活を模索するわけだったが、影を潜めてしまい、我が輩が本分とする世界から完全に離脱した状態である。日記だけは漏らさず書き続けており、一定の題材は確保しているつもりである。ただ、心身ともに衰えが激しく、以前のような生活に戻すのは不可能にも思えてくる。

 

19日(金) 雨・曇17/20

 

 朝から雨降りで気温が上がらず、熊谷の最高気温は20℃止まりだった。暑い方がぐったりしそうだが、高齢になると涼しすぎる方が、動きが悪くなり、どうしてもごろごろしてしまう。やらねばならないことが山積しており、展望が立たない生活となっている。

今の自分を考えると、本来なら冬眠から覚めてしかるべきなのだが、穴蔵で半冬眠状態である。色々と考えてきたことが何もできておらず、ずるずると時間ばかり過ぎていく。

高齢になると、一日一日が貴重であり、課題については確実にこなしていかねばならない。そろそろ本腰を入れて解決していかねば、前に思い描いた人生にはなり得ない。むしろ、リセットして、改めてどう進むべきか考えねばならないのかもしれない。

 

20日(土) 晴・曇17/30

 

今日は晴天がベースで気温が上がり、熊谷の最高気温は30℃となり、三日ぶりに真夏日となった。梅雨との関係で天気が安定せず、気温が乱高低している。少々暑めだったが、私にとっては過ごしやすかった。まだしばらくは梅雨模様が続くことだろう。

今日は長男がやってきて、ブロック塀問題が解決の方向に向かっているとのこと。先日、今争っているペンキ屋の社員が我が家を訪れ、インターホン越しに「社長に裁判をすると言っておきな」と話した経緯があり、それがきっかけか定かでないが、ペンキ屋側からブロック塀を取壊しするとの話がついたようだ。

本当に話が付けばいいのだが、ペンキ屋に支払った97万円を返還してブロック塀を取り壊すのが筋道で、壊したものの、後は雲隠れしてしまうこともあり得る。今までの対応からするなら、取壊しは証拠隠滅の可能性を否定できない。

 

21日(日) 曇・雨18/25

 

曇りが中心の一日で、午後からは雨が降ることもあり、梅雨らしい天気と言える。それでも気温が25℃まで上がり、温度的には過ごしやすかった。本当なら動けばいいのだが、この頃は思うように動けず、ごろごろしている時間が長くなった。

近頃、歯の一部がぐらぐらして、噛みづらくなっている。歯槽膿漏と思われ、処置が必要なのかもしれないが、今のところ食べるのに大きな支障がない。様々な所で老化が進み、規則的な運動だけでは如何ともし難くなっている。

通常(同年代)の人なら肉体の各所に違和感を持っていてもおかしくないのかもしれないが、老化防止策(ウォーキング、ウェイトトレーニング・ジョギング)は講じていて、比較的老化を遅らせているつもりであるが、歳に勝てないというのが実感である。

 

22日(月) 雨・曇18/21

 

雨の日が多くなり、本格的な梅雨模様で、気温が上がらず、熊谷の最高気温は20℃そこそこで、半袖では寒い位だった。午後からは外での作業があり、小雨に濡れながらの作業はなかなかきつかった。これから雨模様が続くと思うと憂鬱になるが、昨今の梅雨は、空梅雨が多い。

ブロック塀工事の関係で、工事業者が勝手に入ってきてブロック塀を取り壊されて証拠隠滅を謀られないように入口に柵をした。作業中に建築関係に携わる友人が通りかかり、「多くの業者が、金がないので返済する気はない」と、消費者センターで扱わないと無理であることを助言してくれた。

当然裁判も効果的なはずで、工事業者に「裁判で解決する」と申し伝えると、さっそく息子に連絡が行き、示談を申し入れしてきたようである。息子は「ブロック塀を取り壊す」との確約を取ったが、私の方で「工事代金の返却が優先」と息子に言い、取壊しをする前(証拠隠滅の恐れあり)に、返金するように言い渡した結果、今日のところは取壊し工事に来なかった。

 

23日(火) 曇・雨・晴18/27

 

毎日その日の天気を記しているが、日記を書く段になって天気の記憶を辿ると、はっきりしない。夕方のジョギングでは雨が降っていなかったことだけは記憶しているものの、昼食を兼ねた散歩では、行きは雨がぱらついていたように記憶しており、帰りは全く降っていなかったように記憶している。

スマホや古い携帯電話の歩行距離も記憶と大きく違っていて、キツネにつままれたような気分である。これは頭の数式と全く違った数値で、スマホが異常な数値をカウントしているのか、脳が縮小された数値を記憶しているのか、今のところ結論が出ない。一日の行動が、記憶に残ってない部分があると考えるべきか、いささか解せない。可能性としてはスマホがウィルスに感染しているのかもしれない。

 

24日(水) 曇・雨20/25

 

曇りがベースの一日で、時々雨がぱらつき、梅雨らしい一日だった。暑さが和らいで、家にいる分には過ごしやすい一日だった。今日は久々に駅方面に向かい、ドコモショップに立ち寄って、スマホの不信なアクセスについて相談してみたら、取り合ってくれなかった。

本来なら設備不良と言うことで何らかの対処をするべきだと思うのだが、着信記録を有料で取得するしかないようだ。警察が介入するならデータを出すと言うことで、後はウィルスソフトを利用するしか無いようだ。会社の責任の範疇がどこまでなのか知らないが、設備的にウィルスを虐待するのが本来だと思うのだが。念のために、警察を通して問題に対処しようと思っている。

 

25日(木) 曇・雨18/25

 

昨日と同様、一日を通して陽射しが出ることはなく、梅雨らしい天気となった。それでも雨が降っている時間は短く、熊谷の最高気温は25℃止まりだった。気温的には過ごしやすく、夕方のジョギングでは走りやすかった。

時間がどんどん過ぎていき、何事も思うように進まず、何から手を付けていくべきか、少々悩むようである。特にブロック塀問題が足かせになり、自由な発想を持って物事が考えられなくなっている。早くけりをつけたいとの思いがあるが、相手に経済力がなく、話し合いそのものが成り立たない。

相手は苦肉の策で、交渉相手を息子に方向展開、ブロック塀を取り壊す方向に向かったが、「金を返してから」と息子に言わせたら、取壊しに来なかった。相手は返金する能力がなく、うやむやにしようと躍起になっていることは確かである。

返済方法について話し合いをするつもりはなく、ブロック塀を取り壊して逃げてしまおうとしており、様々な問題が内存している。

 

26日(金) 20/28

 

一日を通してほとんど陽射しがなく、それでも気温が上がって、熊谷の最高気温は28℃となった。先日ドコモショップに立ち寄って、スマホが自分以外の発信があると相談に行ってみると、ウィルスソフトを自分で組み込む事を勧められた。そもそもドコモの設備が問題であるはずで、警察に行ってデータを要求する旨を伝えておいた。

昨日は不審な発信は無くなり、今日も無かった。考えようによっては、先日ドコモショップの受付が、不審な言動が幾つか伺え、異常発信の情報を、実際のハッカー(クラッター)に情報を漏らしたとも考えられ、少々飛びすぎだが、共犯者と見ることもできる。

ただ単にブロック塀の詐欺工事の問題から、大きく飛び出してしまい、ドコモの在り方へと問題が発展してしまった。どこまで追求するか、もう少し考えてみようと思う。

 

27日(土) 23/30

 

時間がどんどん過ぎていき、今年も半年が過ぎてしまう。色々とやらねばならないと位置付けて新年を迎えたはずなのだが、余計なことに煩わされて、6月も終わろうとしている。何事も思うように進まず、半年前にイメージした生活と全くかけ離れてしまった。

時の流れは無常であり、気が散漫となって何一つとして創造し得ていない。年齢からくる衰えを意識せざるを得なくなり、これから先、大きな飛躍は絶対あり得ない気がしてくる。時計が時を刻むように、死に向けて歩き出したような気がしてくる。

 

28日(日) 曇・雨21/27

 

それほど強い雨にはならなかったが、一日路面が濡れている状況で、梅雨そのものだった。天気の所為には出来ないが、老体には少なからず影響し、ごろごろしている時間が長くなってしまう。このままグータレ生活に陥ってしまうのではと思うと、まだまだやり残しが山積しており、気持ちを引き締めねばと、自分に言い聞かせている。

コロナウィルスの関係で、社会全体が沈滞しており、中小の企業では生きるか死ぬかの状況が続いているように思われる。運が悪いことに、多少は社会貢献しようと工事を発注したら、建築基準法違反の工事で、高額な代金を請求され、扱いに苦慮している。

相手は支払い能力が全くなく、私から騙した金で何とか息をつないでいる状況である。全く返済能力がないので、あこぎなことを平然とやってきて、逃げようとしている。支払い能力のないことは分かっていて、こちらがいくらか猶予を与えようと甘く出ると、あたかも勝ち誇ったように付け上がり、返済する気持ちは全くない。

消費者センターを通して請求するか、裁判で請求するかの二者択一なのだが、支払い能力がないので社長は夜逃げをしてしまうかもしれない。全く見る目がなかった自分を嘆くしかない。

 

29日(月) 曇・晴20/30

 

午前中は雨が降りそうな空模様だったが、昼からは晴天傾向にあり、気温が上がって、熊谷の最高気温は真夏日となった。夕方のジョギングでは、荒川河川敷のグランドは人の姿がまばらで、学校が始まった証なのかもしれない。

時間がどんどん過ぎていき、6月も終わろうとしており、コロナの影響もあって、目安としていた事項がほとんど進まず、自分は今何をしようとしているのか分からなくなってきた。懸案事項が多くあって、解決の見込みが全く立っておらず、何もかもが宙ぶらりんである。

今後どうあるべきか考えると、以前思い描いていた生き方と全く違っており、運命を刻む時計が独り歩きして、何から手を付けてよいのか、分からなくなってしまった。日記だけが正確に時を刻んでいるものの、未来について全く書けない状況である。本当は単純な道筋が本道なのかもしれない。

 

30日(火) 曇・雨22/26

 

時々雨がぱらつく一日で、気温が上がらず、熊谷の最高気温は25℃を少し上回る程度だった。室内にいるときは程よい気温で、大変過ごしやすかった。

今日は、これから先の人生をどう作り上げていくか考えるようだった。私の心は常に亡くなった妻を追い求めており、仏壇と並べて飾ってある妻の写真につい語り掛けている。無論写真は何も語るはずがないのだが、私の心の内では通ずるものがあり、写真に笑顔を感ずる事ができる。

結婚生活42年は互いに何でも分かりあって、気持ちに隔たりを感じたことが一度もない。二人でいるだけで幸せが感じられ、50代後半から毎日デートをしているようだった。夫婦である前に恋人同士で、婚約中の触れ合いがそのまま結婚生活に連なり、幸福そのものだった。

妻が亡くなった今、デート気分は全く味わえないが、今も脳裏に妻とのやり取りが浮かんでくる。生活の中に妻とのやり取りがふと浮かぶことこそ、私にとって最も大事なことであり、仏壇と並べて飾ってある妻の写真と語ることが生きる証と言える。