『三文文士映像日記』日記帳bT8 2020年(令和2年)4月

 

1日(水) 9/14

 

一日を通して雨となり、寒々とした感じだったが、最高気温は14℃まで上がり、確かに春の装いで寒さは凌げた。雨の中、荒川堤の桜を見学してきたが、人通りは少ないものの、桜自体はまだまだ見応えがあった。この雨で明日には花が散って、見ごろは今日までではないか。

コロナウィルスの猛威は衰えを知らず、感染拡大に歯止めがかからないようである。感染を意識して、今日の昼は、いつもの駅構内にある喫茶店ではなく、郊外にある喫茶店に出向き、昼食をとった。コロナウィルスを少しは意識して、人が多く集まる駅周辺から、一時的に鞍替えを意識した。

世界的に見てもコロナウィルスの感染に歯止めがきかず、経済にも大きな影響をもたらしている。ウィルス問題が解決した後、どう経済対策を取っていくか、関心を持たざるを得ない。日本では景気に関係なく、公務員は従来通りの収入が保証され、一般社会人より大分多く収入がある。

年金も同様で、これから年金が支給される人は、年金の原資が確保できないということで支給できないとのコメントを、総理大臣がぬけぬけと宣っていた。サラリーマンは給与天引きで年金掛け金を徴収され、徴収された掛け金は特定な企業に投資されて、投資された分に一定の利息をつけて戻ってくる仕組みで、投資先が破綻して年金の原資が戻ってこないという、詐欺まがいの行為が行われている。

公務員は市民から収奪した税金で、給与、年金を賄っている。それも水準の高い金額が、景気に関係なく支給され、江戸時代の幕藩体制そのものである。少子化が進んでいる現状を考えると、収奪される市民と、教職員などを含む役人の数とがより近くなって、市民は奴隷と同じで、飼い殺しにされることになる。

義務教育は正に役人の悪行を容認する、イエスマン(奴隷化)作りであり、日本の教育は、世界先進30か国の教育を比較したとき、他の国より大きく引き離されての最下位である。市民の奴隷化を目指してきた財界の多くがIT化の波に押し流されて破綻状態となり、年金を着服したのである。

益々少子化へと進んで、国家として成り立たなくなり、役人は排除して、市民が力を出し合って町づくりをしていくことが必要になってくる。

 

2日(木) 晴・曇8/18℃中風

 

一日晴天傾向だったが風が強く、気温は18℃と高めでも、結構寒く感じられた。昼食を兼ねた散歩では、食後荒川堤に足を延ばし、桜並木を散歩してきた。桜吹雪と思いきや、花びらはまだしっかりとついていて、満開状態だった。独りぼっちだったが、昨日今日と花見ができて、気分が和らいだ。

近頃疲れやすくなって、1日おきのジョギングが続かない。昼食を兼ねた散歩で、平均7キロを歩いており、それだけで充分な運動量なのかもしれない。だからと言って、ジョギングをやめてしまえば一気に老化が進んで、行動範囲が狭まってしまう気がする。

ホームページ、画像系のプロバイダーにアクセスできず、今日も色々と設定を替えてみたが、結果が出なかった。それでも少しは近づいた感じで、遠からずアップロードできるようになると思う。画像系のサイトは容量が大きく、そう簡単に容量オーバーにはならないはずで、創作活動(画像を伴った)の復活を果たせると思っている。

「愛妻記」はまだ結婚15年に満たないところまでしか進んでおらず、家族活動から夫婦活動にまだ移行しておらず、本格的な愛妻記はこれからである。主だった夫婦活動は日記にすべて記してあり、「愛妻記」が復活すれば、時間の無駄遣いが減少すると思っている。

 

3日(金) 5/19

 

今日は久々に1日を通して晴天傾向にあり、気温も20度近くとなった。いつもなら昼は必ず散歩をしているのだが、所要もあって歩く時間が短く、体調も良くなかったので夕方のジョギングも休み、久々に1日の運動量が少なかった。コロナウィルスに感染したのではないと思っている。

今住んでいる家は昭和62年に建てたもので、30年になる。前々から外壁の塗り替えを考えていて、そこにペンキ屋さんが偶然やってきて塗り替えをすることになった。築30年ではあるものの、生活をしていてそれほど不便を感じなかったので、塗り替えはのびのびとなってきた。

家の事は自前で色々と造作をして、比較的便利に使えており、古臭くなったという感じは持たず、建て替えなどとは全く考えたことがなかった。平成の30年間、生活をしてきて、比較的満足しており、現状一人暮らしであり、片付けが大変であるが、少しも問題を感じていない。外壁を塗り替えればさらに20年は持ち堪えるのではと思っている。20年たてば90歳、生きているかどうかも分からず、自分の責任は終えると思われる。

 

4日(土) 7/23

 

今日も、昨日に引き続いて晴天傾向にあり、気温が上がって、熊谷の最高気温は20℃を超え、暖かな1日だった。4月に入って20℃前後の暖かな傾向にあり、春爛漫の季節となったようだ。暖かいほうがいいに決まっているのだが、体がけだるくなってくる。

一日ごろごろしていた感じで、進歩に乏しい生活となっている。そんな中、築30年を超えた家の壁面が大分くすんできて、全面的に塗装をし直すことにした。以前から外壁の塗替えは考えていて、知人に頼むことも考えたが現在に至り、知人は同学年で70歳を超えていて、今も塗装業をしているのかも確認しておらず、今回出会ったペンキ屋さんは20代で、セールスを中心にやっているようだった。

私もお節介で、色々とお喋りをしてしまい、相手もお喋りを楽しんでいる様で意気投合、壁の塗替えの契約をした。妻がなくなってから、懸案となることが次から次へと出てきて、新たな人生に大きく転換していくように思えてくる。

妻の供養で余生を送ると思っていたので、生きた生活へと転換し始め、張り合いが感じられるようになった。一方で、高齢からくる怠惰が、波が打ち寄せるように心身を支配し始め、これから先、気持ちを鼓舞して人生を作り上げようと、自らに鞭打っている。

 

5日(日) 曇・晴7/14

 

晴れがベースの天気だったが、冷たい風が吹き抜けて、熊谷の最高気温は15℃を切り、昨日までの様な暖かさとはならなかった。コロナウィルスを意識して、昼の食事を兼ねた散歩は駅方面と逆に道筋を取り、食事を済ませてから荒川堤の桜を見学してきた。

荒川堤の桜は、荒川大橋を境に下流部と上流部に分かれており、上流部はいくらか途切れている区間はあるものの、2キロ以上の桜並木になっている。今も満開状態を維持しており、見応えがある。駅から離れているということもあって見物客は疎らであり、間違いなく穴場と言える。

日常的にジョギングとウィーキングをしており、体に異変を感じたことはほとんどなかったが、ここ何日か膝やふくらはぎなどに違和感が出て、ちょっと気になっている。トレーニングのし過ぎと言うほどやっておらず、老化に伴う無理が祟ったのではと、気になるところである。

70歳という年齢がどの様な位置付けにあるのか分からないが、今までに経験したことのない現象で、年甲斐もない運動をしていると考えるのが相応のような気がする。過去にも同様に無理を感じて、運動レベルを下げて対応してきた。今回も運動量を調整する必要があるか、色々と試してみようと思っている。

 

6日(月) 4/17

 

今日も晴天で、お花日和ということで、荒川堤の桜を見学してきた。熊谷のソメイヨシノは3月下旬に開花して、10日以上過ぎているものの、気温がそれほど上がらなかった所為か、花持ちがよく、今日も十分に満喫できた。荒川大橋の上流部、下流部ともに桜を見学、歩行距離は6キロに及んだ。

使いあぐねていた新規のパソコンも、何とか使いこなせるようになり、ホームページのリニューアルも考えるようになった。2つのプロバイダーのうち、写真集を中心としたプロバイダーのアップロードがまだできずにいるが、目途が立った感じで、ファイル作成も少しずつ進めていくつもりである。

アップロードのやり残しも少なからずあり、出来るだけ早く片付けて、新たな人生の足跡を前面に出せればと願っている。自分では今まで通りにできるつもりだが、新規パソコンの取り扱いにとことん苦慮する結果となり、新たな展開が本当に出来るのか心配である。

出来る、出来ないなどと悠長なことを言っている状況ではなく、何としてもやり遂げなければ生き永らえる意味がない。それは、新たな人生を構築することであり、亡くなった妻と作り上げてきたのと同様、ドラマチックな余生を作り上げようと思っている。

 

7日(火) 6/18

 

コロナウィルスを意識して、昼の食事を兼ねた散歩では、駅方面と反対方向にコースを取り、今までと変わらない距離を歩いている。まだ桜の状態が見ごろを逸しておらず、荒川大橋より上流部の桜を楽しんでいる。昼食は今までと同様、喫茶店系の店で食しており、常連になりつつある。

夕方のジョギングでは荒川河川敷に出向き、河川敷のグランドには、部活の女子高生がいて賑やかだった。熊谷ではコロナウィルスの影響がどんなものなのか分からないが、女子高生のみならず、小中学生も運動しているのを見かけ、みんな元気そのものである。

 

8日(水) 6/21

 

今日の昼の散歩では、昔走っていた東武妻沼線の跡地に「亀の道」と呼ばれる公園ができていて、国道や鉄道(高崎線)で何か所か途切れるが、かなり長く続いている。妻が生きているころ、散歩のコースにして何度も歩いたところで、久々に「亀の道」を散策してきた。いいのか悪いのか、昔と少しも変わっていなかった。

築30年を超えた我が家の手直しを考えていて、たまたまセールスにやってきたペンキ屋さんと話が合って外壁の塗り替えをすることにした。ところが、コロナウィルスの関係で日本でも全国的に感染が広がり、緊急事態となっており、そんな最中に大きな音を立てて工事をするのに抵抗を感じ、延期することにした。

我が家と線路を挟んだ向こう側で工事の音が轟いてきて、やはり今やることは不謹慎と感じざるを得なかった。工事はその他にブロック塀も依頼していて、そちらのほうはそれほど抵抗を感じないで、早めにやってもらうことにした。

二つの工事の質の分類が至当なのか考えるところであるが、工事に伴う音量が間違いなく塀工事の方が小さいと判断し、正式に工事をやってもらうことにした。コロナ対策では外出禁止まで盛り込まれており、それでは生活や商売が立ちいかなくなり、実効性は極めて薄い。

世界的にみると、コロナウィルスの発生源の中国では、対策が効を奏し始めて、感染者が縮小傾向にあるようだ。日本のように、財界優遇の国家体制では、社会全体が沈没してしまう危険を孕んでいる。国の体制の在り方そのものを考えてみる必要がある。

 

9日(木) 8/19

 

コロナウィルスの関係で、昼食を兼ねた散歩では、従来駅ビルにある、食事もとれる喫茶店を利用していたが、家から逆方向へ1キロほど行った場所に、やはり食事もとれる喫茶店があり、今月から店を替えて、毎日利用するようになった。初日は客がそこそこいたのだが、日々客が減ってきて、今日は何人もいなかった。

政府は様々なコロナ対策を取っているが、馬鹿正直に準じていたら日常生活ができなくなってしまい、経済的にも疲弊してくることは明らかで、混乱を招く恐れがある。だからと言っていい対策があるとは思えないが、ここまで問題が深刻化する前に、的確な対策を取っていれば、全国的に波及せずに済んだと思われる。

国家という枠組みは多大な弊害を包含しており、各市町村が独立して、独自の対策を取ることで、利権絡みの場当たり的な対策を封じ込めることができるのではなかろうか。コロナウィルスの問題だけでなく、国家体制による弊害で満ち溢れており、市民生活にも重くのしかかっている。

コロナウィルスの問題は、世界的にも体制の問題が噴出しており、利権争いを封印して、市民の総意による町作りをすることが求められる。言い換えると、江戸時代の幕藩体制をそのまま持ち込んだ封建社会を、全て消し去る機会になればいいのだが。

 

10日(金) 6/15

 

我が家から見ると、駅と反対側(西)にある、昼食もとれる喫茶店に通い始めて10日になる。コロナウィルスの関係か、客の数が日毎に少なくなり、今日は数人しかいなかった。我が輩は一人暮らしということで、昼食は運動を兼ねて外食と決めており、帰りに夕飯の惣菜を購入して、生活が成り立っている。

東京では感染者が一向に減らず、外出自粛要請が出たりしているが、それでは生活が成り立たなくなる者も少なからずいるのではなかろうか。打つ手がないと言ったところで、先が全く見えない状況になっている。世界各地で同様な状況になっているようであるが、騒ぎの発端の地、中国では収束方向に向かっているとの情報も流れている。

安倍政権は失政が続いており、それでも企業の後押しで政権が維持されてきたが、今回のコロナウィルス対策で、中小企業を中心に自民党離れに拍車がかかり、日本のありように大きな変化が出てくるのではなかろうか。

 

11日(土) /5/17

 

気温はそれほど低くなかったが、一日を通して陽射しがなく、午後には雨がぱらつく天気となった。「菜種梅雨」と言う季節用語があるが、今はその時季に当たるのではないか。曇っていても、気温的には寒さは感じられず、動きやすい陽気と言える。

コロナウィルスの関係で、東京では営業の取りやめ要請が出たりして、経済的な問題も出てきて、このままウィルスが蔓延していけば収拾がつかなくなるのではなかろうか。熊谷ではそれほどの騒ぎは感じられないが、「熊谷うちわ祭り」の中止が早々と決まったようである。

身の回りでそれほど騒ぎが起きていないと、安穏としてしまい、危機感が薄れて、何でここまで大騒ぎになったのか、日本におけるコロナ対策はしくじったのではと思えてくる。この先どうなっていくか全くわからないが、今後もマイペースでやっていこうと思っている。

 

12日(日) /7/15

 

曇りが中心だったが、晴れるときもあり、それでも気温が上がらず、暖かさがほとんど感じられない一日だった。今日は午後から、我が家の塀の上に柵を立て這わせているモッコウバラの剪定を行った。毎年この時季になると、モッコウバラは蔓の様に枝が伸びて大きく広がってしまい、剪定をしないと収拾がつかなくなってしまう。選定はこの時季の恒例行事になっている。

この頃は、昼食前に荒川堤に出て散歩をし、帰りがけに食事もできる喫茶店によって昼食を済ませるようにしている。パンを中心にパスタやカレーなどのご飯ものもあり、毎日のようにメニューを替えている。どれもそこそこの味わいがあり、読書のみならず、食事も楽しんでいる。

コロナウィルスの騒ぎがある前は、駅ビルにある喫茶店でパン食が日課だった。それでも飽きずに過ごしてきたが、日替わりも結構楽しめて、散歩と合わせ、今までの生活とほとんど同じになってきた。散歩については、荒川堤が中心で、コロナの影響もあってか、荒川堤を歩く人が日毎の多くなって、今日は独り歩きになる時間が全くなかった。

 

13日(月) 6/11

 

今日は一日雨が降り続いて気温が上がらず、春の装いでは寒かった。そんな中、亡くなった妻の月命日で墓参をしてきた。命日のほかに月命日で毎月墓参をし、暮れに正月の準備で墓掃除をし、元旦にも墓参をし、お彼岸やお盆など、年間で15回以上墓参をしてきた。亡くなった妻にしてやれる、唯一の供養を、自分が動けるうちは続けるつもりである。

 

14日(火) 7/16℃中風

 

今日は風が強く、荒川堤を散歩しようと思ったが、土手下を歩くようだった。人もほとんどおらず、桜散らしとなった。夕方も風が強かったが、ジョギングをし、街中のタータントラックを走ってきた。ウォーキングとジョギングをしていると、コロナウィルスも寄せ付けない気分となる。

携帯電話からスマートホンに取り替えたのは2か月ほど前で、年寄りの悪い癖で、携帯電話とすっかり同じ使い方に終始し、ネット利用は全くしたことがない。それらの機能を有効に使えば非常に便利なのだろうが、面倒くさくて全く進歩がない。

コロナウィルスの関係で行動範囲が大きく違って、夕飯などの買い出しを、今までほとんど使ったことがない、自宅から歩いて5分ほどのスーパーに切り替えた。そこでポイントカードを取得し、ネットで登録することになった。

ホームページを持っているので、ネットの事はある程度分かっているつもりだったが、ホームページ関連で検索する程度で、ネット予約やネット登録などしたことがない。いざ手続きしようとすると、億劫になって気持ちがそっぽを向いてしまい、途中でやめてしまった。

画像系ホームページのアップロードでも中々ファイル転送ができず、いまだに収まっていない。明らかに能力の衰えで、探求心のかけらもない。以前の様に様々な世界を描くことができないと、いくらか諦めがちになってきた。このままでは、生きた屍になってしまい、時間つぶしの生活が待っているのではと、いささか畏怖している。

 

15日(水) 5/22

 

この五日間、この時季としては気温が低い傾向にあったが、今日は22℃まで上がり、ようやく春らしい陽気になった。上着を羽織って散歩していると、汗ばむようだった。本来なら出かけやすい陽気なのだが、コロナの影響で町中は人がまばらだった。

今日は、髪が大分伸びてむさくるしくなり、散歩の途中に床屋に立ち寄って髪を短くしてきた。少々寒く感じられたが、さっぱりして、気分が幾らか変わった感じである。だからと言って、散歩から帰ると疲れが出てきて、当たり前だった散歩が負担になってきたことを実感した。

コロナには関係ないはずなのだが、町中を歩いていると生活感が薄れている感じで、このままいつまでも沈滞ムードが続くと、日本は沈没してしまうように思えてならない。それは、中央化から地方化へ移行するきっかけになるのではなかろうか。政府の存在が地方にとって大きな足かせ以外の何物でもない証となり、地域、地域で独自の経済活動が求められる。地方同士が連合して、互いに不足部分を補い合い、市民が中心の社会へ移行するきっかけになればいいのだが。

 

16日(木) /8/17

 

晴れている時間もあったが、曇っている時間も長く、気温が上がりきらず、薄手の上着では寒く感じられる時もあった。コロナウィルスの影響か、人の流れは少なく、スーパーも大分少なかった。コロナ対策は後手後手に回って、収束の気配が全く感じられず、外出の禁止も打ち出されそうである。

医療関係の対応も限界にきている様で、対応しきれない状況となり、正にパンク状態に陥っている。外国の対応状況を馬鹿にした風潮もあったが、今は独自の対応策に拘っていたら、大変な事態に陥ってしまうかもしれない。

コロナウィルス問題は、国の在り方自体に波及し、日本のみならず、世界各地で変革の必要性が出てくる気がする。国家単位から市町村単位に社会が移ろっていくきっかけになるのかもしれない。

 

17日(金) /8/17

 

今日の天気は、空模様、気温が昨日とすっかり同じで気温が上がりきらず、春爛漫とは程遠かった。4月も半ばが過ぎて、春一色の時期であり、動き出したくなるはずなのだが、中々動き出したくなるような陽気にはならない。

コロナウィルスの猛威は収まる兆しが見えず、大会の荒波に漂っている様で、世の中、通常活動が全くできなくなっている。一般市民の収入にも大きく影響して、国として崩壊する勢いである。政府としては、一人、一律10万円を支給することによって、現体制を維持しようと目論んでいる。

行き先が見えない状況がいつまで続くのか分からないが、政府や公務員、教職員、警察など、いわゆる役人は足かせ以外の何物でもなく、市民の自治体制を模索するいい機会なのではないか。

 

18日(土) 雨・曇10/16

 

朝から本降りの雨が降っていて、午後になって小降りになり、夕方には上がっていた。雨量とすると結構な量で、散歩もままならず、久々に休むことになった。夕方には雨が上がっていたのでジョギングをしたら、脹脛が筋肉痛になった。高齢になると、より規則的に運動をこなしていかないと、すぐに老化が促進してしまう。

外出を控えるよう促されているときに、自分に合った運動量と運動の質を模索して、マイペースで実行している。長年、運動(ジョギング・ウエイトトレーニング)を続けてきて、年齢とともに質、量を軽減してきて、現在も一定量の運動を続けている。

60歳台に入ったころから、今までのやり方では無理を感じ、ほぼ毎日から、一日おきになり、走る距離も6キロから5キロ、今は4キロと、それは宿命と割り切り、自分の適量を設定して続けて来た。続けることが肉体にどれほどの効果があるか実感してきたが、それも、昨今は崩壊しつつある。ジョギングよりウォーキングに力を入れるようになったものの、それでも足に負担がかかってきて、今後どうするか考えるようである。

 

19日(日) 晴・曇9/22

 

午前中は比較的いい天気だったが、雲が張り出しやすかった。最高気温は四日ぶりに20℃を超えて、春らしい一日だった。昼の散歩を兼ねた喫茶店での昼食では、客の数が少なかったが、それでも確実に客がいて、昼の憩いの場にしているようである。

最近は、運動による、脹脛などの筋肉痛が日常化して、負担が大きいようである。年を取って運動量を減らすと、再び同量の運動に戻すのは難しく、肉体が衰えてしまう。今までは一定の水準を何とか維持してきたが、質と回数を減退せざるを得なくなってきた。

5年ほど前に運動量を減らしてからは、ほとんど変わらずに運動をこなしてきたが、昨今、回復が遅くなって、1日おきで推移してきたのが、二日開けたり、三日開けたりして、明らかに減退している。頑張りで回復できるのか分からないが、今が正念場として、昨年までの運動量を維持していこうと思っている。

 

20日(月) 雨・曇8/12

 

朝から雨が降っていて気温が上がらず、熊谷の最高気温は12℃と、肌寒い一日だった。何日か前から足が重くなり、今日は散歩を休もうかと思ったのだが、買い物が必要となり、昼食も外でするようで、結局、いつものようにウォーキングをするようだった。さらには夕方のジョギングもして、痛みこそ出なかったが、足が一段と重く感じられた。

パソコン作業が多く残っていて、自分の描くスタートラインができるように努めているつもりなのだが、パソコンに向かうのが億劫になって、少しも進歩がない。一時進展を諦め気味の時もあったが、それでは余生が楽しめないと一念発起して、少しはやる気になっていたところで、慢性疲労の感があり、進みが極端に遅くなっている。

気持ち的には書きたいことが一杯あって、頓挫することは生きる意味合いが失われることにもなり、新たな人生を作り上げるのは不可能になってしまう。あと何年生きられるか分からないが、生きた屍になることだけは何としても回避したい。

 

21日(火) /8/20

 

この頃の天気は、暖と寒が日替わりでやってきて、今日は最高気温が20℃まで上がり、昨日の寒さと打って変わって、大分暖かかった。気分よく歩けると思ったのだが、足が重く、老化による疲れが溜まっているように思えた。運動量の削減を考えるようである。

ホームページの見直しにかかり、妻が亡くなる前の態勢を作り上げたいと思っているのだが、なかなか進まない。目途の立ったところから始めるべく、今日は日記帳の見直しをかけ、何とか正常化が図れた。新規パソコンを使いこなす大きな一歩であり、生活の主体に置けるようにしたいと思っている。

ややもすると、生きる意味合いが薄れてきて、何も手がつかなくなってしまうことがある。パソコンが幾らか使いこなせるようになって、危機的状況から離脱できたような気がしてくる。過去のファイルも見直したりして、新たな世界を作り上げようとの意欲が湧いてきた。

 

22日(水) 曇・晴9/18

 

雲の多い一日となり、気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は20℃に達しなかった。それでも春らしさが感じられ、過ごしやすかった。天気予報によると、これからも温度差の激しい日が続きそうで、体調維持が難しそうである。

昨日に引き続いてホームページの直しをし、今まで書き上げてきた日記のファイルがばらばらで、統一化しようと考えたが、その年年で気まぐれにファイルを工夫しており、決して不揃いを訂正する必要が無いとの結論に達した。ただ、同種のファイルでも年によって違いがあり、少なくともその辺のところは一本化しようと考えている。

パソコンに意欲が湧いてきたと自慢するほどでもなく、地道に作り上げていければいいと思っている。作り上げることの面白みを取り戻した感じで、パソコンが中心の生活に戻せるかもしれない。

 

23日(木) /6/18

 

雲が広がる時間がながったが日差しもあり、最高気温は20℃に届かなかったものの、比較的過ごしやすい陽気だった。昨今、従来通りの運動量をこなしてきたが、肉体が悲鳴を上げ始めて、運動量と運動の質を工夫する必要が出てきた。明らかに老化の表れで、致し方ないことと諦めがついた。だからと言って運動を止めるつもりはなく、老化に抗っていこうと思っている。

老化の所為で、創造力に陰りが出てきて、パソコンに向かっている時間が極端に短くなっている。5年前までは、一日に8時間以上パソコンに向かっているのが普通だったが、昨今は4時間も携わることができなくなっている。

無為に時間を過ごす事が多くなり、進化とは程遠い余生を送っている。それは、生きる意欲が希薄になってきている証で、自分の存在価値が朧になっていることなのかもしれない。妻が生きているときは、妻の絶対的な存在となることができ、妻も私には絶対的な存在であり、永遠に続いていくと思っていた。生きる礎が失われると、何をやっても充足感がなくなり、時間つぶしでしかなくなってしまう。

 

24日(金) 曇・晴7/19

 

今日は陽射しが出たものの、すっきりと晴れるとはいかず、朧な1日だった。こんな天気がこの時期本来なのかもしれないが、春爛漫を意識してしまう。コロナの問題もあり、社会全体が明るさにかけ、有名人のコロナ感染による死亡も報道されている。

散歩による、脹脛などの張りが気になって、今日はウォーキングの量を減らし、足の具合を確認してみると、ほとんど張りを感じなくなり、調整したのが効を奏したようである。トレーニングを疎かにするのはプライドが許さず、無芸大食にはなるまいと、少なからず意識している。年寄りの冷や水以外何ものでもないのだが、生活に張りを持たせる効果が絶大で、グータレタ生活に陥らずに済んでいる。

 

25日(土) 4/19

 

午前中は風が強かったが、昼頃には収まって、午後は穏やかな天気となった。コロナウィルスの関係で外出を控える人が多くなっているようだが、荒川河川敷には、中学生と思われる子供たちが野球をやっている姿を見る。家族連れの姿も見られ、時間をどう過ごすか、苦慮している家族が多いのではないか。

コロナの問題で、国によって対策が異なり、アメリカは完全に後れを取っていて、感染者数は世界一になってしまったようだ。日本も感染を防ぐ対策が劣っている様で、いまだに拡大を続けており、無策大国にのし上がっている。

今の日本の体制は偏り政策で一貫してきて、コロナ問題だけでなく、収拾のつかなくなった問題が数限りなくある。権限が集中した弊害で、日本自体沈没しかねない状況ではないか。そんな社会の道筋をどう変革していくか、市民一人一人が参画して、道筋を開いていく必要があるのではなかろうか。

 

26日(日) 晴・曇7/25

 

雲が広がる時間もあったが、晴天がベースで気温が上がり、熊谷の最高気温は25℃で夏日となった。昼の食事を兼ねた散歩では、薄着だったが汗ばむ様で、上着は脱いで歩くようだった。気温は徐々に春爛漫に近づいてきたものの、上着が取れずに遅れ気味だったが、今日は上着いらずの、正に春爛漫だった。

一時、ウォーキングやジョギングで脹脛が張る傾向にあったが、ウォーキングの量を減らしたら張りがほとんど消えて、元に戻った感じである。ジョギングの方が、負担が大きいと思うのだが、距離が短く、一日置きが原則で、二日空きや三日空きが頻繁にあり、負担が軽減されていたようである。

運動も適度にやることが肝要で、今回原点に戻ったことになり、見方によっては生活全般がリセットされた可能性もあり、無為に過ごす時間が少なくなるといいのだが。

 

27日(月) 10/17

 

昨日と打って変わって日差しの少ない一日となった。気温が上がらず、熊谷の最高気温は17℃と、桜の開花時期に戻ってしまった。春爛漫のゴールデンウィークに入るというのに、季節感がずれてしまった。

老齢の所為か、日々の温度差に翻弄されている感じで、すっきりした生活ができない。気だるさや眠気がさして、やらねばならないことも手につかず、どうしてもグータラな生活に陥ってしまう。自分に課していることがすっきりと果たせず、何をやっても中途半端になっている。

人生の本格的な立て直しが緊急課題としていても、絵に描いた餅となり、自分にはいったい何ができるのか分からなくなる。コロナウィルスの問題も影響し、老化と無気力とが合体して、先の見えない暗黒にさ迷ってしまったような圧迫感もある。

71年生きてきて、ここまでプレーシャーを感じた生活は初めてである。過去にも大きなプレーシャーを感じたことが何度かあったが、打ち負かす気概があって、自分が思うが儘に生きてこられた。今こそ正念場であり、90歳までは創造的な生活を維持していこうと思っている。

 

28日(火) 晴・曇9/19

 

4月も残すところ僅かとなり、本来なら20℃超えの春爛漫となっているのだが、薄手の上着で外出すると、少々寒いくらいだった。過去には、オホーツク海高気圧から流れ出した寒気が関東地方に流れ込んで、季節外れの涼しさに何度か見舞われたことがあったが、今年の涼しさは大陸や太平洋高気圧から流れ込んだ涼気の影響がありそうである。

私の悪い癖と言うべきか、親しくなるとつい思い入れが強くなり、大して資産があるわけではないのに肩入れをしてしまう。今は三名も存在し、どこまでできるのか推し量っているところである。

妻が亡くなって、しばらくは他人との接点がほとんどなかったのだが、この半年で三名と繋がりを持ってしまった。勤めていたころとすっかり同じで、自分の仕事(本分)を差し置いて、仲間(同僚)のバックアップに勤しんでいた。

お節介にすぎないのかもしれないが、多くの若者がお節介を快く受け入れてくれて、自己満足に浸っていた。出世はできなかった(全く望んでいなかった)が仕事を楽しんでいて、妻に報告するのが日課になっていた。妻は、「お昼でもご馳走してあげたら」と言って小遣いをよこすこともあった。人生は人間関係が全てで、亡くなった妻とは究極の夫婦となっていた。

 

29日(水) 7/23

 

スッキリしない天気が続いていたが、今日は一日を通して晴天傾向で、気温が上がって、熊谷の最高気温は20℃を超え、春爛漫を思わせた。週間予報によると25℃超えも予想され、5月に入ったら早々に五月晴れが期待できそうである。

2010年代前半は昆虫撮影に力を入れていて、新たな出遭いに恵まれ、アマチュアの域を超える勢いがあった。ホームグランドにしていた河川敷の森が、地球温暖化の影響を受けて立ち枯れする木々が散在し始めて、昆虫は減少傾向にあった。立ち枯れによって上部にいた昆虫が下部に降りてきて、手持ちの図鑑には載っていない原始を思わせる昆虫が幾つも姿を見せるようになっていた。

身近な自然の衰退を目撃するのに合わせたように、昆虫撮影に縁遠くなり、今荒川の自然がどうなっているのか全く分からない。風水害や地震が多発して、昆虫界がどのように影響を受けているのか調査する必要があるのだが、なかなか思うように動けない。

 

30日(木) 10/25

 

昨日に引き続いて晴天となり、気温がぐんぐん上がって、最高気温は25℃の夏日となった。早4月も終わって、暖かさから暑さに見舞われる季節となる。ゴールデンウィークに入っていくが、コロナの問題もあって、休日の感覚がなくなり、日々どう過ごすか、頭を痛める人も少なくないようである。

昨年の11月に、借地にしてあった土地が戻ってきて、隣の敷地と仕切る塀がない状態で半年が立ち、ゴミなどが放置されて、早くブロック塀を作ろうと思案していた。そんな時にペンキ屋さんがセールスにやってきて、家壁のペンキ塗り替えと、ブロック塀工事の契約を結び、コロナ問題を鑑み、ペンキ工事を後回しにして、工事としてそれほど目立たないブロック塀工事を先にしてもらった。

今日はブロックを積む工事となり、まだ半分ほどではあるが、隣地との境がハッキリしたことで、気分的には大分落ち着いた感じである。

熊谷のコロナ状況がどんなものなのか耳に入ってこず、多くの人がマスクをしているものの、健康的な動きをしており、大騒ぎをしている地域を思うと、別世界の様である。特に、荒川河川敷では若者(子供を含む)が多く集って、サッカーや野球などをやっており、親子ウォーキングやジョギングなど、元気そのものである。