『三文文士映像日記』日記帳bT8 2020年(令和2年)2月

 

1日(土) 0/13

 

新規パソコンが使いこなせないうちに2月に入ってしまった。新規パソコンは、追加ソフトを購入しない限り、今までと同等のファイルが作れないことが明確になった。メーカーというのは商魂が逞しいとしか言いようがないと分かった。それは、日本のIT技術の遅延につながり、中国に大きく水をあけられている要因になっているのではなかろうか。

能力を高めるには自己研鑽が不可欠で、商魂が大きな弊害となる。日本の教育制度はイエスマン作り、即ち白痴化教育と言う事であり、有能な若者を阻害し、いじめ問題や、引きこもり問題を惹起せしめている。いま日本で発展しているIT企業は、学歴に関係なく、探求心が旺盛 な若者によって支えられているのではなかろうか。

何を言っても無能な公務員を一新することができない体制が存在する限り、日本の発展は望めない。

 

2日(日) 晴・曇1/13

 

 雲が広がる時間帯もあったが、晴天がベースで気温が上がり、比較的暖かな1日だった。今年もあっと言う間に1か月が過ぎて、何もなしえないままに時が移ろっていくと思うと、少々苦痛になってくる。気持ちの面からすると創作への意欲がにじみ出てきて、一つのきっかけで人生が進展する気がしてくる。

一人暮らしになって、冬場の暖房は電気ストーブか、石油ストーブを頼ってきたが、電気炬燵を引っ張り出してきて、一時凌ぎではあるが、炬燵で暖を取るようにした。暖かさの面では、非常に効率的で、大変暖かく過ごせるようになった。逆に言うなら腰が落ち着いてしまい、テレビばかり見ているようである。

 

3日 () 晴・曇1/14

 

 今日一日、昨日と同じような天気で推移し、朝は寒かったが日中は暖かかった。まだ寒い日がやってくるのだろうが、二月に入ってから暖かめであり、山間部でも雪が少なめで、スキー場によっては、まともに運営できないようである。

 一日おきのジョギングでは、冬場のメイングランドであるタータントラックを走っているが、利用者が少なく、大変もったいないと感じている。ジョギングをしている人は、私を除くと一人か二人で、昨夜などは全くの、私一人だった。ウォーキングや犬の散歩は数人いるが、いつも同じ人と言う事ではない。

 運動の必要性はだれでもが分かっているのだろうが、実行できる人は極めて少ないと言う事である。季節でも異なって、夏場は、私が昔利用していた時には多くが集まっていて、今も冬場が少ないと言う事なのかもしれない。多くの人が運動の必要性を分かっていても、実行するのは億劫なのだろう。

 

4日 () 晴・曇4/12

 

 今朝は冷え込みが緩んだが、日中雲が多めで気温が上がり切らなかった。それでも例年に比べ、この時期としては暖かめで、冬らしい寒さが無く、完璧なまでに暖冬傾向の年になった。毎日昼食を兼ねた散歩に出ているが、未だに本格的な冬支度をしていない。

  男女の仲というのは、良好に過ごすのは大変難しい。価値観を同一にする事が肝要で、幸いなことに、亡くなった妻とは、完璧なまでに価値観が一致し、喧嘩らしい喧嘩はしたことが無かった。むしろ、妻に遠慮をされて、怒ったことがある。

 妻との関係で培ってきたお節介は、妻が亡くなった今も残っており、自分の価値観を押し付けてしまう傾向にある。時代とともに、現代の生活環境と相まって、価値観は人それぞれであり、価値観を共有するには、相手の気持ちをどれだけ理解するかにかかってくる。

 年齢的に考えると、今の自分にどれだけ寛容になれるか疑問になるが、意外と抑制力が脳の片隅に存在し、時間とともにより良い方向を見出そうと模索し、突っ走ることが無くなった。

 

5日 () 晴・曇0/15

 

 朝は0℃まで気温が下がったが、日中日差しがたっぷりで気温が上がり、熊谷の最高気温は15℃に達した。それでも夕方のジョギングでは大分寒くなっていて、明朝も冷え込みそうである。

亡くなった妻のパソコンは、破棄したパソコンと同等の機能があり、ルーテーン作業は全く問題なく続けていられる、年齢的に考えて、革新的な取り組みは難しくなり、新規パソコンの利用価値はそれほど高くない。一方で、高見を目指したいとの思いが強く、作業中に出てくるセールスに応じて、自己満足の世界を作り上げようとの意欲も沸いてくる。

今までの経過からすると、より発展的に創作活動ができるとの自負があり、余生をとことん楽しめるような気がしてくる。意欲が出てくれば年齢に関係なく、とことん探求していけると思っている。創作のみならず、亡くなった妻に傾けた思いを受け止めてくれる存在ができれば、至極の時を得られる気がする。

 

6日 () 晴・曇-1/5

 

今朝は氷点下の寒さとなり、冷たい風が吹いて気温が上がらず、熊谷の最高気温は5℃止まりで、この冬一番の寒さとなった。夜になると一段と寒くなり、明朝は氷点下5℃近くまでに下がりそうである。寒さは長く続かず、何日かすると最高気温は10℃を超える日が戻ってくるとの予報である。

衣類は、妻が亡くなる何年か前に、妻の買いだめを促進する意味合いもあって、付き合って購入した事があり、不足は無いに等しい。肌着類や靴は古いものの破損により、ある程度買ってきたが、今日は久々に上着を買ってきた。

帰ってきてクローゼットなどを見ると、買ってあったのを忘れていた上着がいくつか出てきた。余所行き用に分類してあったもので、これから先の人生を考えたときに、余所行きを意識して仕舞っておく意味合いは全く感じられず、今日購入したものは無駄買い以外の何ものでもなかった。

無駄に思えても積極的に着れば意味が出てきて、余所行き用を意識しないで、全てを交替で着こなしていけば価値が出てくる。あと何年生きられるか分からないが、今までにほとんど手を付けなかった衣類を普段着と同等の扱いをして、それなりの利用実績を重ねていこうと考えるようになった。

 

7日(金) 晴・曇-5/7

 

 今朝はこの冬一番の冷え込みとなり、熊谷の最低気温は氷点下5度となった。16歳の時から日記を書き続け、天気のことも付け加えてきた。気温迄書くようになったのは、2002年にホームページを持つようになって日記のコーナーを設け、天気だけでなく、気温も書き加えるようになった。

2000年代は、冬場の最低気温は0℃が通常で、1シーズンに氷点下5℃を記録することが何回かあった。地球温暖化の影響を受けて、氷点下5℃になることは少なくなり、日記を読み返していないが、5年ぶりぐらいと記憶している。

昨日も気温が下がって、日中の気温も上がり切らなかったが、今日も寒かったものの、最低と最高の気温差が12℃もあった。

週間予報を見ると、日々の気温差が激しく、何日かすると最高気温が15℃を超えることもあるようだ。2月は平年に比べ、温度は高めに推移し、ソメイヨシノの開花が早まりそうである。

 

8日(土) 晴・曇-3/10

 

昨日に引き続いて冷えこみ、最低気温は氷点下3℃となった。それでも日差しがたっぷりだったので、日中は気温が上がり、3日ぶりに10℃を越えた。これで寒さが一段落してくれると有り難いのだが、都合のいいようにはいかないのが天気である。

新規のパソコンでメール設定をしようとするのだが思うようにいかず、未だにできていない。とにかく、妻が亡くなってから、何をやるにしても思うようにならず、我が生活は妻の支えがあったからこそ正常に動いていたと言う事になる。

今の自分は、能力の衰えが顕著となり、かつて、なんだかんだ言いながらも、何とか一定の到達点に達していたことは確かで、妻を失うことによって、あらゆるものが衰えたと実感する。時間がかかっても何とか思い描いとことは実現させ、余生の楽しみにしていきたいと思っている。

 

9日(日) 0/7

 

 今朝はこの2日間と比べるとそれほど冷え込まなかったが、冷たい風が吹いて気温が上がらず、熊谷の最高気温は7℃止まりだった。夜になると一段と冷え込んできて、明朝は寒くなりそうである。

新規パソコンについて、進展しなくなったので、ワードを立ち上げるたびに出てくるセールスに応じ、申し込むことにした。完全に申し込みができたのか定かでなく、支払い方法もはっきりしないので、どんなことになるのか見当がつかない。

過去のパソコン経験は、何台もあるが、ホームページ運用のほとんどが、故障、処分したパソコンによるもので、見ようによっては内弁慶と言える。新規パソコンも、内弁慶でいいので何とか使いこなし、今までの維持とともに、新たな世界を作り上げてみたいと思っている。

パソコンの問題が解決すれば、老いからくる創造性欠如を幾分和らげられると、楽観的に見ている。創造することの楽しさは十分承知しており、亡くなった妻との生活は創造的に過ごしてきた。新規パソコンを使いこなせるようになれば、新た生活も創造的に発展させていけるような気がする。

 

10日(月) /-3/9

 

今朝も冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下3℃となり、日中も気温が上がり切らず、寒い一日となった。寒さの所為ばかりではないのだが、一日のんびり過ごした感じで、進歩とはどんどん縁遠くなりそうである。

夕方に、一日おきではあるがジョギングを続けている。夏場は荒川河川敷、冬場はタータントラックがある公園を利用している。5年程前までは一年を通してタータントラックを利用していたが、夏場夕方の利用者が多く、走りづらいので河川敷に替えてトレーニングを続けてきた。

以前は冬場でもタータントラックの利用者が多かったが、この冬に関しては利用者が少なく、ジョギングをしているのは私一人と言う事が多く、利用者実態が大きく変わってきているように思えた。

何事も継続するのは難しく、誰もがとまでは言わないが、25年(中断の時期が何度もあったが20歳ころから続けている)近く継続する人はごく一握りである。継続こそ力なりで、健康体を作り上げることができた。自慢ではないが、70歳にしてはよく動けると自負している。

 

11日(火) 晴・曇0/11℃

 

 熊谷の最高気温は久々に10℃を越えたが寒いことに変わりはなく、春の温もりが恋しくなる。一人暮らしのこつは室内にあっていかに暖を取るかで、にわか作りの炬燵を作り、テレビを見ながら暖を取っている。今のところいいあんばいであり、寒さに悩まされることは無くなった。

 新規パソコンに慣れるべく、連日操作しているが、今のところ際立った進展が全くない。いささか嫌になってきており、少しの期間パソコンから離れるのもいいきっかけができるかもしれない。PC関連の、やらねばならないことが山積しており、どれも思うように解決できず、少々憂鬱になってきた。

 憂鬱になった時には、昔書いた小説を読んでみるのも気晴らしになり、結構面白く読める。昔から作家になることが夢で、自己満足ながら面白い作品がけっこうある。

我が小説の根底にあるのは思いやりで、幸福の探求といったところである。70年の人生で、亡くなった妻の幸福を常に意識して、可能な限り尽くしてきた。愛する者に尽くす事が生きる目的であり、妻が亡くなった今、新たに愛する人を見出すことが、余生にとって極めて重要なことである。

 

12日(水) -2/13

 

 朝は氷点下の寒さだったが、日中は気温が上がり、日差しを受けると大分暖かく感じられた。明日からはいったん寒さが遠のき、春を感じさせる日も出てきそうである。それも一時的なもので、2月半ば、春にはもう少し時間がかかりそうである。

今日は、20代前半に書いた小説を読んでみたが、けっこう楽しく読めた。我がホームページ「三文文学館」に掲載した作品で、架空の出来事と、実際の出来事を織り交ぜてあり、恋愛遍歴の一端を書き綴っている。実際ではあるが、現代の感覚で読んだなら、実際には有り得ないドラマとなっており、それは、昭和24年生まれ独特の風潮と言った方がいいかもしれない。

実際に、20代の男女が好きあっていながら、男の口から「結婚」の言葉が発せられず、二人の関係が全て解消してしまう。小説では、男の側が浪人中で、中途半端な状態であり、生活力が無いのに結婚の言葉を発せられないとしたが、当時から、亡くなった妻の存在を無視できずにいて、逃げ出したというのが本当だったのかもしれない。

幸か不幸か、我が人生には魅力的な女性が多く存在し、妻の存在が無ければ、どんな関係になったのか、断定しきれない女性もいる。そして、妻が亡くなった今も、魅力的な女性の存在を感じている。

 

13日 () 晴・曇6/20℃

 

 ここ何日かの天気と打って変わって、朝昼ともに春の陽気となった。昼食を兼ねた散歩では、少しは薄着をしたものの、汗ばむようだった。午前中は亡くなった妻の月命日で、墓参に行ってきたが、寒さは感じなかった。

 昔ながらの携帯電話を使ってきたが、近ごろバッテリーが持たなくなって、すぐに充電をするようになった。買い替えが必要と思ったが、慌てる必要はないと言い聞かせ、今日は買替をするつもりはないのに、昼の食事を兼ねた散歩のコースにスマホショップがあり、どれくらいで買い替えができるのか店員さんに聞いてみた。

 どこの携帯メーカーでもスマホに買い替えさせようと、買い替えはことのほか優遇されていて、料金は格安になっていた。財布には1万円しか入っていなかったので、あくまでも参考に聞く立場だったが、現金は不要と知り、結局、買い替えてしまった。

 今までは電話の機能だけで済ませてきたので、いざ使ってみると、思った通り使う予定の無い機能が盛りだくさんで、触れる事すら気が引けて、使いこなしている彼女に教授してもらおうと、何も理解せずに机に置いてしまった。 新規パソコンと同様、今の自分には、使いこなす力量を持ち合わせていないと、身にしみて感じさせられた。

 

14日 () 晴・曇7/17

 

今日も朝から暖かめに推移し、一日を通して寒さを感じずに、楽に過ごせた。このまま春モードへ移行するとは思えないが、温暖化を考えると、厳寒は大分遠のいたのではなかろうか。一般に、一番過ごしやすい温度は18℃と言い、散歩をするには快適だった。

昨日携帯電話からスマホに買い替え、今日はスマホのベテランと会食をして、使い方をいくらか学ぶことができた。取り扱い説明書を読めば一番いいのだが、へそ曲がりで、使っているうちに覚えればいいとの横着心が強く、なかなか進化しなかった。

着信があってもどう操作すればいいのか分からず、間違えて切ってしまい、こちらからかけ替えるようだった。それでも夜にはそれなりに使えるようになって、自分から電話をし、無難に用足しができた。

 

15日 () 曇・晴6/16

 

今日で三日連続最高気温は15℃を越え、春の兆しと言ったところか。まだ2月も半ばであり、寒さが戻ってきてもおかしくない。夕方のジョギングでも寒さを感じずに、楽に走ってこられた。夕暮れが大分遅くなり、走っている間も明るさが維持されていた。

 新規パソコンが思うように使いこなせない事で、いささか老化が進んだと実感したが、携帯をスマホに買い替えて、使い勝手が思うようにならず、パソコンと同様に老化の進み具合を推し量るようだった。そもそも、携帯電話の価値観の問題があって、あくまでも通話が目的で、後は歩数計利用ぐらいで、それ以上のことは求めていない。

 自分の価値観で利用制限をしようと思うが、家族が放っておいてくれず、ある程度機能をマスターせざるを得ない。使いこなせるようになれば便利であることは、何度も見せつけられて分かっているはずなのだが、向学心はとうの昔に置き忘れてきてしまい、立ち往生が日常化してしまった。

 

16日 () 6/11

 

 今日は日差しがほとんど感じられず、気温がなかなか上がらずに、春を思わす陽気から冬に逆戻りした感じだった。足早に時が進み、やり残しが山積みされた実態に、いささか嫌気がさしてきた。妻が亡くなってから、何事も思うようにいかず、急激に歳を取って、峠を急降下している気分である。

  妻との晩年の生活は、毎日デートをしている気分で、一緒にいることが互いに喜びとなった。ショッピングなどをしている時、同年代の奥さん連中の目を引き、羨む姿を何度も目撃してきた。中には、「羨ましいこと」と声をかけてくる女性もおり、妻は常に主役だった。

 妻を主役に仕立て上げることが私の務めと任じており、妻は控えめを本文としているものの、どこに行っても目立った存在で、私は妻をガードすることを存分に楽しんでいた。妻が主役に相応しい観光地を見つけては出かけていき、頭の中にストリーを書き綴ってきた。

 

17日(月)/6/16

 

今日は一日曇りがちだったが、それでも気温は上がって、熊谷の最高気温は15℃を越えた。この5日間、最高気温は15℃を越えて、春近しの感がある。菜種梅雨にはまだ早いが、すっきり晴れる日が少なく、眠気がさしてきて、気分的にもすっきりしない感じである。

新規パソコンを使いこなすべく、色々と試しているが、今日は、今主流にしている、亡くなった妻のノートパソコンで、ファイルを作成、新規パソコンに持ちこんで見たら、問題なくHTMファイルが使えることが分かった。

新規パソコンを、作成の基本に置くことはまだしていないが、ことによると、古いソフトがそのまま使えて、懸案になっている、ワードからのHTMファイルへの変換が、処分したパソコンと同等に使えるようになるのではと、期待している。

正に、牛歩の歩みではあるが、以前のように思い通りのファイルが作れるかもしれない。

 

18日(火)/3/11

 

雲が広がることもあったが、晴天がベースで、風の影響があって気温が上がり切らなかったものの、家にあっては、比較的過ごしやすかった。夕方のジョギングでは、風が収まっていたので走りやすかった。

この冬は一段と疲れやすくなって、ゴロゴロしている時間が大分長くなっている。横になるとすぐに寝付いてしまい、やろうと思っていることがほとんどできず、ぐーたれた生活となっている。特に、簡易な炬燵替わりを作って、居眠りがしやすくなり、いかにも年寄りっぽく、これから先、いったい何ができるのか疑問になってくる。

ただ、パソコンが思うようにならなかなかったのも災いしていて、それでもいくらか糸口が見つかり、本格的に創作活動に入っていけるような気がしてきた。老化との競争になりかねないが、今までの生活がそうであったように、創造することが活力となっていたことを考えると、まだ人生を楽しめる気がする。

 

19日(水) 晴・曇1/13

 

朝は0℃近くまで下がったが、風はそれほど強くなく、日差しがあったので気温が上がり、最高気温は13℃と、日中はそれほど寒さを感じずに済んだ。夜は放射冷却現象によるものか、大分寒くなり、明朝も氷点下近くまで下がるのではないか。

思うように使いこなせない新規パソコンは、亡くなった妻のノートパソコンで作成されたファイルを持ち込んで見ると、何とか思い通りのファイルが作れそうである。HTMファイル変換まで辿り着いていないが、ノートパソコンで作成したHTMファイルは問題なく復元でき、使いこなせそうな予感がしてきた。

ホームページについては日記の更新だけで、他は全く手を付けていない。そもそも更新すべき材料は全く持ち合わせておらず、焦りは完全に消えている。早めに手を付けたいのは「愛妻記」であり、写真からするとネガ写真の時代を早く書き上げたいと思っている。

 

20日(木) 1/12

 

今日は薄日が時々さす程度の曇り空で、それでも最高気温は10℃を越えて、真冬から脱皮した感がある。季節の変わり目の所為か、朝から頭が重く、すっきりすることはなかった。明日以降、ますます春らしくなるようで、桜の開花が早まりそうである。

 以前から鼻炎の傾向にあったが、薬を多用せずに何とか収まっていたが、今年は中々収まらず、寝しなに痰が出たり、鼻詰まりになったりして、なかなか寝付けないでいる。寝不足も絡んで、すっきりした時間が無くなり、けっこう苦しい状態でいる。

 鼻炎がベースだと思うが、花粉症も出てきているのか、気になるところである。鼻具合が悪いと気分がすっきりすることが無く、いつも頭が重い状態である。集中して取り組も事が出来なくなり、ゴロゴロする時間が長くなる。気になるのはこのまま老化が進んで、無目的に生きながらえるのではと、少々心配になってきた。

 新しいパソコンを使いこなすのが当面の目標で、老化が先か、創造力を復活させるか、人生の大きな転機に来ている気分である。ここ何日か、創造することを楽しめるようになっており、うまく軌道に乗れば、15年前に逆戻りできるかもしれない。

 

21日(金) 晴・曇2/15

 

今日も雲が広がることもあったが、晴天がベースで、気温が上がって、熊谷の最高気温は15℃に達した。花粉の飛散量が増えたらしく、鼻の調子が良くない。元々、鼻炎の傾向にあったが、スギ花粉の影響は受けずに来て、花粉症とは縁がなかったのだが、この4、5日、鼻がぐずって体調不良に陥っている。

新規パソコンを何とか使いこなそうと、色々と試しているが、思い通りの結果は得られていない。逃げ道は何とか見つけ出して、新規パソコンの利用価値が幾分上がった感じである。一方、気力の問題があって、パソコンに向かっている時間がどうしても長くならず、生産活動は低迷している。

年齢的な問題は否めないが、妻を失ってからの余生を考えると危機的な状況と言う事になり、体調を整えて新たな世界を構築していかねばならない。そのためには意欲が重要で、老化を打ち負かす気概を何とか持ちたいと思っている。

 

22日 () 晴・曇5/17

 

今日は風が弱く、日差しがたっぷりだったので気温が上がり、熊谷の最高気温は17℃と、春の陽気になった。昼の食事を兼ねた散歩では、帰路を荒川河川敷に取り、春を愛でる感じだった。

携帯からスマホに変更し、携帯の機能として使っていた歩数計と同等の機能を利用しているが、甚だ使い勝手が悪く、散歩のときは古い携帯の歩数計を利用している。精度としてどうなのか分からないが、履歴が見られるので、過去の散歩と比較でき、納得できる数値が得られる。正確な距離が得られなくとも、実績が残せればそれでいいはずなのだが、性分で記録をどうしても残したくなる。逆に言うなら、記録にこだわるから継続できるのであって、記録を怠るとうやむやになって、頓挫してしまう。

我が人生のことは日記帳で長年記録してきて、16歳から始めて、早70歳なので、54年以上の実績がある。見ようによっては創作の一環で、実質的には自己満足作家と言う事になる。

 

23日(日) 5/14

 

  昨日ほどではなかったが、一日穏やかに晴れて、それほど寒さは感じなかった。花粉の飛散の影響か、鼻の具合がよくなくて、頭が重い状態が続き、何をやるにしても思うように手がつかなかった。高齢者の宿命か、一日すっきりすることがなくなった。

 妻が亡くなる前は、常に高見を目指して何でも取り組んできたが、今は現状維持が精一杯で、どんどん後れを取っている。進化が無いと気力が凪いで来て、何をやっても中途半端で終わってしまう。パソコンを続けてきた目的は、進化し続ける事であり、進化が感じられない今、生き様を替えるしかないのではと、考えるようである。

一方、日記だけは書き続けており、逆に言うなら、日記を書き続けることが進化し続けることであり、今のところ、毎日一定量の文章を書いている。文章を書いているうちは、進化とまではいかないが現状維持されている事であり、己の存在価値を見出していることでもある。

日記に人生をかけるというのは、いささかみみっちい気もするが、中身がどうであれ、自己主張続けている限り、人生の後退は免れると考えている。

 

24日(月) 3/16

 

今朝はけっこう寒かったが、日中は日差しがたっぷりで気温が上がり、熊谷の最高気温は15℃を越えて、春を思わす陽気になった。夕方のジョギングでも寒さを感じずに済んで、楽に走れた。ホームグランドのタータントラックを利用する人の数は少なく、特に、ジョギングをする人はほとんど見られない。

ホームページの維持(現状では日記の更新のみ)は何とか出来ており、亡くなった妻のパソコンで間に合っていると言う事になる。色々と手を付けたいと思うのだが、新規のファイルを作るところまで至っておらず、先々どう運営していくか、明確になっていない。

無気力状態と言う事になり、革新しようとの意欲は全く湧いてこない。革新すべきことは脳裏で明滅しているが、具現化する迄の気概が無い。余生を考えると、亡くなった妻のことや、新たな人生のことなど、ホームページに連動させることが最も大事と考えている。心技体が一体となって取り組める時がやってくると信じている。

自らの特性を論ずるなら、創造力を欠くことはできず、ジャンルを特定せずにチャレンジしていく気概を何とか取り戻したいと思っている。それは、言い換えると時間を楽しむことであり、「時の旅人」になることである。時を旅するには、時間を共有する存在が必要である。

 

25日(火) /3/14

 

 今日は日差しの無い一日だったが気温が上がり、熊谷の最高気温は14℃となった。まだ本格的な春までには日数がかかるだろうが、この冬は地球温暖化の影響を受けた気候となり、冬らしい寒さはほとんどなかった。寒いのが苦手なものにとっては、大変有難いことであるが、ウィンタースポーツを楽しむ者にとっては、不足を感じるシーズンだったのに違いない。

この頃、睡眠の度合いが浅いのか、日中何度も睡魔に襲われる。午前中のみならず、午前午後の2回昼寝をしてしまうことが多く、一日すっきり感が無い。年齢からくるものなのか、一日を通して思うように動けない。

一人暮らしに合わせて簡易な炬燵(炬燵用のヒーターを使用)を作り、寒さをこらえている。寒さからくる体力の消耗も睡魔に起因していると思われ、冬越しが難しくなってきた。今後の生活設計を本格的に立てる必要があり、精神的なよりどころ(生き甲斐)も重要になってくる。

 

26日(水) 曇・晴6/10

 

今朝はそれほど気温が下がらなかったが、日中日差しがほとんどなく、気温がなかなか上がらずに、最高気温は10℃止まりだった。日中気温が上がらないと、一日中だるくなってしまい、時間が取れるとゴロゴロしているようである。

創作活動がほとんどできなくなって、何とか盛り返そうと、以前書いた作品を読み返している。自分の思い通りに書いた作品だから、読んでいて楽しくなり、再び創作の世界を作り上げようと言い聞かせるが、昔書きあげた作品に目が行って、新たな世界が全く浮き上がってこない。

年齢からくる能力の衰えなのかもしれないが、脳裏に湧き上がってくるものがあり、具現化したくなる。いざパソコンに向かうと、書き上げるより、過去の作品に目が行って、なかなか本腰を入れて創作に打ち込めないのが実情である。

脳裏で拒否反応を起こしているわけではなく、書くことに対する意欲は失せていないと思っている。唯一、日記だけは一日も欠かさず書き上げており、日記の延長が創作へとつながっていくことも確かである。

頓挫している「愛妻記」も日記がベースで書き上げており、再開すればすぐに進展していくことは確かである。他にも書かなければならないこともあり、題材はふんだんにある。阻害するものは老化現象なのかもしれず、生きる意欲を持てる生活を何とか作り上げねばならない。

 

27日(木) 3/11

 

 昨日に引き続いて、日中気温が上がり切らず、寒い一日となった。日中の散歩の他に、夕方ジョギングに行ってきたが、寒々として、グランドでは人影がほとんどなかった。何日か前までは春の兆しが感じられたが、寒の戻りとなり、何をするにしても動きが鈍らされた。

 新規パソコンンをなんとか使いこなそうと取り組んでいるが、なかなか集中して取り組めず、進化はないに等しい。昼の散歩と、一日おきのジョギングは何とか継続しているが、一日の大半がごろごろしている感じで、ぐーたらな人間に格下げになった感じである。

 気概に乏しいのが現実で、生活に潤いが無いのが大きな要因である。同時に命の終息段階に入っていることは確かで、どれだけスマートに死を迎えられるか、模索するのも現段階の課題である。

 

28日(金) 晴・曇1/12

 

今朝は放射冷却現象の所為か、気温が思ったより下がって、寒い朝となった。日中は晴天傾向とあって何とか気温が上がり、熊谷の最高気温は12℃となった。2月も終わろうとしているが、ここ何日か寒い傾向にあるが、2月を通してみてみると、暖かな傾向にあり、昨年に引き続いて地球温暖化が顕著になっている

 ジョギングは通常1日おきにやっているのだが、昨日は走ったか記憶になく、確認しないで今日も走ってきた。後で記録表を見てみると、昨日も走っており、二日続けて走ってしまった。年齢からくる衰えで、ジョギングを毎日続けると膝が痛くなり、何年も前から一日おきと決めて継続してきた。

 一日おきにしてから膝痛はほとんど感じなくなり、ジョギングの継続を果たすことができた。70歳を過ぎたので、ウォーキングをすれば、無理してジョギングをする必要はないと思うのだが、20代からの習慣で、労働組合の役員をやっている時期を除いて続けている。

お陰で病気しらずで、健康が唯一の取り柄ということになる。肉体は健康を維持しているが、脳まで波及しないようで、今は物忘れがひどくなっている。

 

29日(土) 晴・曇2/14

 

朝は2℃まで下がったが、日中は気温が上がり、熊谷の最高気温は14℃となった。2月も終わりで、これからは春らしさが増していくと思われるが、天気はお天道様次第で、気候がどう変わるか想像がつかない。

日々進化しようと思っているのだが、頭が重かったり、眠気がさしたりで、実働時間は非常に短くなっている。何事も進化が途絶えた感じで、無意味に生きながらえている。先々生活が一変する可能性もあり、そこに焦点を当てて、年寄りの冷や水になってしまうかもしれないが、閉じこもった生活を一変したいと思っている。

10歳も若ければもう少し違った生活を作り上げることも可能だが、70歳というのは大きな曲がり角のような気がする。15年以上前だったか、好んで松本清張の作品を読んでいたが、晩年に近い作品を読んで、なんとつまらない作品と感じられ、以来清張の小説は読まなくなった。

個人差はあるのだろうが、70歳というのは人間の大きな曲がり角のような気がする。現実、私自身創作が苦になってきて、構想が少しも沸いてこない。ただ、妻がいたから成しえたことが少なからずあり、この10年を考えてみても、創作には妻の存在が必ずあり、妻がいたからこそかけたと言う事なのかもしれない。

妻と同様な存在が果たして得られるか分からないが、妻がふさわしい人を導いてくれるなどと、少々楽観的になっている。