『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年10月
1日(火) 晴19/30℃
一日を通して比較的良い天気で、気温も上がって熊谷の最高気温は30℃となった。それでも朝夕は涼しく、夏の名残りは感じなくなった。風邪をひいていて、九日もジョギングを休んでしまった。過去にも連続で休んだこともあったが、ここまで長引いたのは記憶にない。 風邪の原因が何であったか今になっては分からないが、丈夫だけが取り柄だった我輩にとっては、少なからず不満である。よくよく過去を振り返ってみると、妻が亡くなって初めて起こった出会いが関係していたように思えてくる。 その日がいつだったか、日記帳や日々の活動記録にも記録されていない。出会っている事が記されているのは8月5日からで、その時会食をしている。妻が亡くなって、一カ月後に三回忌がやって来る時で、妻が遠のいていく感覚にとらわれ、生きることに少なからず苦痛を感じていた。 ある日の事来客があり、ドアホンの呼び出しがあった。煩わしさが先行したものの玄関に出て行くと、背丈が私より高い、すらっとした女性が門を挟んで立っていた。門を空けたが彼女を玄関先にあげることなく、門のドアを開いての対面だった。扱いとするとどこまでも他人行儀だったが、保険屋さんと聞いて、妻の死が保険が係わっていた事を告げていた。 彼女は私の訴えを真摯に受け止め、とばっちりを受けていた。どこまでも優しい受け答えで、私の心を和ましてくれた。名刺を貰ったが、保険に加入するつもりは無い事を意思表示したが、彼女の優しい眼差しは少しも変わらず、去っていった。 日記や記録表から察すると、8月5日から本格的な付き合いを始まり、会食するようになっていた。、5日の日記からは、亡くなった妻への思いと、彼女の存在が生々しく記されるようになり、あまりにも短兵急であるが、心のよりどころとして求婚していた事は確かである。 こちらの非常識を優しく聞いてくれて、結婚の応諾は無論することはなかったが、無視されることもなく、あり得ないはずの付き合いが続いたのである。今考えると自分の図々しさが際立って、霧散してもおかしくない話が継続され、結婚を約束するまでに至った。 どこまでもおとぎ話の様で、今置かれた現実をどう乗り越えて行くかが今の課題である。
2日(水) 晴・曇19/31℃
この頃は、一日の天気が記憶に残らず、洗濯物の出し入れで想像するしか無く、熊谷気象台発表の天気と比べて不確定な天気を日記に書いている。ここまで記憶が曖昧になったのは妻が亡くなってからで、年々記憶力が乏しくなる。特別医療機関に診察してもらったわけではなく、じっと記憶の推移を見守っている状況である。 明らかに異常事態であり、今日は肩こりまで始まってしまった。精神状態がここまで影響するものか考えて見ると、結論は「その通り」となった。明らかに疾病であり、早目に対処しないと災いを被ってしまいそうである。ここまで追い込まれるとは考えたことが無く、尋常ではない事は確かである。 異常であることが認識できるのだから、改善策も見出すことができると思われる。全く孤立した状態では如何ともし難いが、話し相手がいるので、甘えて見たいと思っている。
3日(木) 曇・晴19/29℃
朝の気温が大分低くなり、日中気温が上がっても、室内まで大きな影響が無く、非常に過ごしやすかった。過ごし安いと言うより、ややもすると涼し過ぎて、体調に影響し、10日以上も本調子にはなれないでいる。治りが遅いのは、歳を取った言うことに他ならない。 テレビを見ていると、時代が大きく動き出したと実感す。実際に動き出したのは何年も前で、財界は実態を無視して、自らの首を絞めることになった。当然政治体制にも影響してきて、やる事なす事裏目になって、身動きできなくなっている。 中央の変化が時代を動かしていると言うより、中央が置き去りになって、地方を中心に自立し始め、活況を呈している。現実を踏まえずに消費税の値上げをしても、大手企業の売り上げを縮小するだけで、中小企業は実質的に値上げにならないよう値下げをし、今までと同様に活況を呈しているのではなかろうか。正に時代は大きく動き出している。
4日(金) 雨・曇・晴22/28℃
朝のうちは雨が残り、昼には曇りで、午後には晴れ間も覗いていた。今日の最高気温は30℃に届かなかったが、まだ30℃を越える日が出てくる予報となっていた。10月になると年末がすぐそこまでやってきた感じがして、今年のやり残しが気になって来るところである。 体調を崩し、長年続けてきたジョギングを9間続けて休んでしまった。今月に入って何とか回復する事が出来、足が重くなるかと思われたが、普段通り走れた。ジョギングの他に6キロ以上を目安にしたウォーキングは毎日続けてきたのが、多少はジョギング効果となっていたのかもしれない。 ジョギングやウォーキングは肉体的な維持効果はある事は確かで、風邪もひきずらくなる。肉体的な効果のみで、精神的な効果まであるとは言えず、記憶力や思考力が極端に落ちている。残念ながら脳の活性化はできておらず、判断力も衰えている事は確かである。
5日(土) 晴・曇22/31℃
三日ぶりに30℃越えとなり、日中、昼食を兼ねた散歩では、かなり暑く感じられた。それでも空気が乾燥しているのか、それほど汗ばむ事はなかった。 我輩はせっかちな性分で、何でもきっちり決めないと済まないところがあり、相手がいる時でも早急に答えを求めてしまい、嫌がられてしまう。亡くなった妻とのやり取りに置いては、私の気持ちをすぐに理解してくれて、何の行き違いも出ないのですぐに決まっていた。むしろ、妻の示唆したところに準ずる事が多く、「そこまでしなくていい」と言われて折れることがほとんどだった。 妻が亡くなった今、独り善がりが多くなって、相手に押し付けてしまう傾向にある。押しつけられる相手ができたことになるが、自分の欠落点を感じ取り、謝ることも覚えた。謝る事によって、自分の理解不足が噴出してきて、妻の様に諭してくれる人が必要と痛感した。
6日(日) 曇19/23℃
昨日までは夏の名残りが感じられたが、今日は一転、秋まっただ中の感があった。夕方のジョギングでは涼しさが先行し、ほとんど汗をかかなかった。日が落ちるのも大分早くなり、時間に追い掛けられるような一日だった。 時間に追い掛けられる日々を送ってきたが、先々の展望を建てて、時間の先取りを意識するようになった。現実には容易い事ではなく、きっちりと企画、準備が必要で、現状ではそこまで頭が回らない。地道に先取りを重ね、時間を繋ぎ合わせればきっと形になるはずである。とは言うものの、そこまでの思慮は持ち合わせておらず、一つ一つを積み上げて行くしかない。 歳を取ると言う事は、甲斐性が無くなって、場当たり的となり、積み重ねは簡単にはできそうにない。三カ月先、半年先、一年先などの展望を建てるのが難しくなっている。記憶も曖昧となっており、長期展望では途中で企画が空中分解して、何も残らない気がしてくる。長くても三カ月が限度で、三カ月でできることなど高が知れており、結局は場当たり的になってもいたしかたない。結局は老いを自覚することが肝要である。
7日(月) 曇17/25℃
熊谷の天気は一日曇り空だったように記憶しているが、ネットで調べた天気では一時雨となっていた。最高気温は25℃となっているが、体感的にはもう少し暖かった様な気がした。 体調が充分とは言えず、暫くパソコン作業が軌道に乗らなかったが、今日はけっこう楽しむ事が出来た。経験談を綴るのは、物書きの醍醐味で、主役が迫真に迫って来る。ここまでの境地になれれば、完全とは言えないまでも、一時の危機的な状態から脱出できたと言えそうである。 色々な経験をしてきて、自分には眼力があると自惚れてしまい、相手の気持ちを無視してしまう傾向にある。妻は、年齢が増すと共に写真を撮られるのを嫌がる様になったが、若い頃は自信に満ちていた。思い出の写真が沢山あり、振り返ってみると、今でも楽しくなる。 写真は人生の面白みの一部で、写真を多く残せた事は、幸福の証となる。70歳を過ぎた余生はどんなものになるか分からないが、写真を残したい人ができたので、けっこう楽しめそうである。
8日(火) 曇17/24℃
今日一日曇りがベースとなり、涼やかに過ごせ、夕方には一段と涼しくなり、ジョギングが楽に走れた。秋の深まりが一気に加速しそうであるが、今週末には日本列島に台風が接近し、天気予報だと、日本全域が大荒れになる予想となっていた。 「愛妻記」は半年前に「セピアカラーの世界」が一区切りしたところから遅々として進まなくなり、創作そのものが乏しくなっていた。ここ何日か、手掛けて見ると、進みが早くなり、これから暫く創作活動が中心の生活になりそうである。 創作は気乗りが肝心で、他の事に煩わされているとほとんど手が付かなくなる。日記だけは毎日書いているものの、内容が乏しくなり、間に合わせの文言が多くなる。それでも書く習慣が出来ると、何となくかけてしまう。パソコンだと修正が簡単なので、言わば書きなぐりをして、後で編集すればそれなりのものができてしまう。 パソコンに依存する生活となって20年が過ぎ、自己流でありながら完成域に達している。年齢と共に創作力が衰える事は否めず、衰えをいかに遅くするかが課題である。結局、いかにパソコンを習慣化するかが鍵を握っており、一時ほとんど手が出ない状態に陥っていたのが、ここ何日か思うように文字が浮かんできて、正常化された感じである。
9日(水) 曇・晴16/25℃
日が短くなると時間がどんどん過ぎていくような感覚となり、何もかも置き忘れてきてしまったと実感する。本来秋晴れの季節で、10月10日は晴天の特異日とされ、澄んだ青空が楽しめるはずなのだか、この四日間、雲が幅を利かせている。何日かすると巨大台風が関東地方にも接近する予想となっており、対策が必要だが、何をしていいのか分からない。熊谷は不思議な町で、大きな台風が来てもそれほどの被害は出ていない。 台風の情報で、毎年夏場にスダレをかけていたのを片付けた。スダレをかけるだけでけっこう暑さを和らげる事が出来、1階などはエアコンをほとんど使っていない。エアコンを使わなければ電気代が安くなり、節約志向の生活を送っている。年金の一人暮らしでは節約(たかが知れている)が大原則で、思った以上に余剰金がでている。
10日(木) 晴・曇12/15℃
今日は最低、最高気温ともに秋真っ盛りの陽気となり、涼しさが先行して、暑さは全く感じられなかった。夕方のジョギングでは涼やかさに後押しされて、大分楽に走れた。今日は穏やかな一日であったが、台風が日本列島に接近しつつあり、週末から大荒れになりそうである。 以前、パソコンのやり過ぎで、右肩が痛くなる事があった。湿布なども利用してきて、この3カ月ほど、肩の痛みをすっかり忘れていた。湿布効果なのか、それとも運動効果なのかハッキリしないが、長年の憂いが消えた事になる。 肩を痛めた要因はトレーニングでエキスパンダーを利用していたためで、若い頃は何でもなかったのが、10年近く前から肩に痛みを感じるようになった。70歳を過ぎて長年の懸案が解決し、ほとんど不自由が無くなった。 運動の回数を毎日から1日置きに変更したのも良くなった要因と思われ、肉体がいかに歳をとったとの証でもある。年相応に運動を続ける事は絶対に必要と常々実感しており、妻を失って一時変調を来したが、今は昔にすっかり戻っている。
11日(金) 曇・雨17/24℃
今日は日中小雨が降る時間が長く、それでもまだ風がほとんど無いので巨大な台風が日本列島に近付いてくると言う予兆は無く、比較的穏やかな一日だった。台風は、関東地方には明日、明後日にかけて接近するとのことで、推移を見守るようである。 「愛妻記」から暫く離れていて、ちょっと気になるところであるが、妻の事は心に深く刻まれているので、忘れると言う事はない。とは言うものの、日記を見て行くとこんな事があったのかと言う、忘れかけている事も少なくない。どの思いでも、深く心が交わっていた事は確かで、ベストパートナーであった事は揺るぎが無い。 運命を信じた事が無いが、妻との関係を考えるに、婚約から妻が亡くなるまで、齟齬をきたした事が一度も無い。二人でいるだけで幸福であり、妻が亡くなる前の5年間は、人類の主役とすら感じていた。その証となる写真を数多く残してきて、日記と共に「愛妻記」の素材に事欠かない。 妻を失った苦しさから、妻と共に歩んできた満願の人生を顧みる事が出来、苦しさが大分和らいでいる。
12日(土) 大雨(台風19号)19/25℃
今日は台風の影響で一日雨となり、強弱が続いて、夜には暴風雨となっていた。荒川の水位は氾濫危険となって、過去に経験したことの無い、本格的な大雨となった。避難情報も流れていたが、我が家のあるところは幾らか高くなっていて、過去の大雨でも道に浅い流れができた程度で、浸水被害にあった事は一度もない。 昨今、人生の価値観について考えている。妻と二人で気持ちを合わせて、より良い人生を歩んできた。満腹の幸福を享受し、歳を取れば取るほど楽しい生活となった。簡単に満腹の幸福と記したが、中々成しえない生き方である。同時に他人に教授できるものではなく、年数をかけて積み上げてきた結果であり、にわか作りではけっして味わえないものである。特別な夫婦だったと言える。 「愛妻記」は正に幸福論であり、長大な文言で語って行くしかない。生活そのものが幸福を育むもので、正に完璧な夫婦だったと言える。色々と手を付けてしまい、最近は「愛妻記」が全く進まなくなってしまい、何とか本来の余生に戻さねばと思っている。
13日(日) 曇・晴17/27℃
我が家は昨夜の台風の影響をほとんど受けずに、無事朝を迎えた。全国的には大きな被害が出て、河川の氾濫は尋常ではない状況だった。関東のみならず、中信越や東北にも及び、人命被害も少なくなかった。過去にも同様な風水害にあっているが、行政として対策を取っているとは言えず、何度も何度も同じ事を繰り返している。 国の対策など当てになるはずが無く、地方自治で考えて行かねばならない事で、多くの行政が国の対策に甘んじているだけで、自滅する事は全く考えない。社会全体が大きく揺れ動いており、財界などの力が衰えている時であり、今こそ地方の自立が求められる。地方同士で力を合わせればより合理的な対策が練れるはずで、今回の台風を教訓に、全国規模で動き出してもいいのではないか。
14日(月) 曇15/19℃
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台風19号による被害は、今日も各地から届き、かつて無い被害であった事が明らかになってきた。地球温暖化に伴う異常気象は世界各地で起こり、大被害(日本でもすでに起きている)が出ていながら、日本では何の対策も取らず、行政は指を加えて見ているだけである。 日本政府は全く当てにならない事はとうの昔から分かっている事でありながら、地方でも住まいは個人負担で復旧するしか無く、正に原始社会である。町造りを根本から見直さないと、何度も同じ事を繰り返す事になる。 今でこそ地方が手を取り合って、中央集権から離脱し、町造りを根本的に見直していく必要がある。とっくにやっていなければならない事で、ふる里納税制度でも明らかなように、故郷に目を向ける人が多くなっている。 一般市民で、財界や政府に期待する者は皆無に等しく、今回の大災害をきっかけに地方社会を作っていくことが肝要である。
15日(火) 曇15/22℃
雲の多い天気で気温が上がらず、最高気温は22℃台で、暑さをほとんど感じなかった。熊谷では台風の影響が比較的小さく、ほとんど話題にならなかった。荒川は昔は氾濫する事が多かったようだが、熊谷より上流部で堰が多くできて、熊谷では河川敷のグランドが冠水する程度で大事には至っていない。全国的には予想だにしなかった惨状が各地で起こっており、死者も少なからず出ている。 昨今、各地で台風による災害が頻繁に起こっており、地球温暖化の影響をもろに受けている。災害が起きてから対策を練るのではなく、大局的な見地でどうすべきか考えなければならない時が来ている。国の次元ではなく、地方の次元で対策を考えないと、いつまでたっても改善されないことは目に見えている。 ある意味では、中央集権国家から逸脱して、地方の連合国家に切り替える時が来ている。今動かないと「いつ動くんだ」と問われるのは必定である。
16日(水) 曇・晴14/19℃
最低気温は15℃を切って、秋の深まりを感じさせる。一日涼やかで、室内にいる時にはセーターが必要だった。老齢の所為か、夏の暑さはそれほど苦にならないが、寒いのは苦手となり、冬場は暖房に神経を尖らせるようである。 夕方のジョギングは一日置きと決めて走っており、通常はほとんど違わないのだが、最近、前日走ったがどうか記憶にはちゃんと残らず、記録表を見ないと規則性が持てない。記録表を見ると、近頃二日空いてしまう事が頻繁にあり、認知症のけがあると考えるのが妥当なのかもしれない。 一方で、二日開けて走ると快調な走りとなり、今日はかつてないハイペースで走る事が出来た。下地はちゃんとしていて、進歩が無い一方で退化の進みも遅くなるのかもしれない。
17日(木) 曇/晴11/20℃
朝から雲が多かったが晴れる時間もけっこうあり、洗濯物は乾いた。昨日、今日と気温的には秋の深まりを感じさせ、衣替えが何とかできた。天気予報によると、何日かすると25℃越えも出てきそうで、中々季節感が正常化しない。 日中できるだけ創作活動をしようと思うが、集注できる時間が短くて、すぐに頓挫してしまう。書く材料は少なからずあり、本来なら進めていけるのだが、現状ではすぐに気が散漫となってしまう。 そもそも、「愛妻記」を取り組んでいる時は、日記や写真など素材がふんだんにあって勢い良く書きあげる事が出来たが、日常の生活を書き上げる段になると、余計な事が次から次へと頭に浮かんで、文章的にまとめあげる事が出来ない。 過去にはそんな体験をした事が無く、現実に70歳を過ぎて初めて体験する事ばかりで、全く新たな境地になる必要がある。大変苦しい状況であるが、新たな世界が広がりそうで、楽しみにもなっている。 年齢を考えると、折角の体験を存分に書きあげる事が出来るか疑問にもなって来る。少なくとも後2年は創作意欲を燃やして、新たな境地を書き切りたいと願っている。
18日(金) 曇・雨15/18℃
一日を通して日射しが無く、時々雨が降ることもあって気温が上がりきらず、少々寒さすら感じる陽気だった。10月は本来晴天傾向にあるのだが、台風などの影響もあって、記録的な大雨になっている。関東各地でも浸水被害が出て、死者も少なからず出ており、明日も再び雨になるようで、警戒を要するところである。 何日か前に創作意欲が湧いてきたように感じられたが、この2日間、文章を書くことが億劫になって少しも進まなくなってしまった。季節の変わり目も関係しているのか、集注できないでいる。書くことを取ったら何も残らず、完全なる生きた屍である。 過去の創作は妻がいつも身近にいたのでできたのかもしれない。心身ともに妻の支えがあって力が発揮できた事は確かである。私にとって、伴侶がいかに重要なのか痛感する。今自分が求めているのは伴侶であり、まだ先が長いが、未来に結びつく時が来ると信じている。
19日(土) 雨・曇14/22℃
午前中は雨が降っている時もあったが、全般的には曇りがベースで、一日日射しは出なかった。洗濯はほぼ一日置きで、二日干しがほとんどなので、雨の影響はそれほど受けず、洗濯物(一人分)が溜まると言う事はほとんど無い。 創作に取り組もうとパソコンを立ち上げるが、30分も集中できず、ほとんど進まないと言うのが実情である。どう考えても年齢からくる衰えが起因していると思われる。 妻が生きている時は、創作に妻が直接関与するとこが無いのにもかかわらず、比較的順調に文章ができ上がり、けっこう楽しめたものである。妻が無くなってすぐに「愛妻記」を取り組み、1年くらいは日記を元にけっこう思うように書き綴る事が出来たが、以降、思うように書けなくなり、もっぱら写真編集に時間をかけてきた。 写真編集が一段落して、いざ創作へと意識を持って行ったが、既に半年近く、本格的に書き綴る事が出来ないでいる。私の創作は、ほとんどが妻が出てきて、妻の魅力を書き綴ってきた。妻が亡くなると、日記から妻を呼び起こす事が限界で、妻を主役とした物語は全くできなくなってしまった。死んだ者を追い求めて創作する事はできないと痛感している。 妻は最早思い出の人で、現実の生活に持ち出す事は最早困難であり、妻のいない物語を作りあげていくしかない。妻をどんなに愛してきても、死んでしまったら遠い存在になってしまうと言うことである。
20日(日) 晴・曇17/25℃
午前中を中心に晴れる時間もあったが、全体的に雲が多く、それでも気温が上がって、熊谷の最高気温は25℃となり、久々に夏日となった。気温が高かったので、雲が多くとも洗濯物が良く乾いた。夕方のジョギングでは大分涼やかで、走りやすかった。 今日も創作に取りかかったが、気が散漫となり、ほとんど進まなかった。進まない要因は日々の生活に潤いが無く、灰色の道をあてどもなく歩いているようである。能力の衰えは時間との競争となり、完全に後れを取っている。 年齢からくる衰えは、肉体だけでなく、脳も勢いよく劣化していく感じである。そうなると、何も考えずに光明を求めてさ迷うしか無く、何ともつまらない生活となってしまう。完全に光明が無いのなら、生きる意味合いが無くなってしまうが、半年と言う時間を遡った所に、新たな人生を見いだせる価値ある生活が待っているはずである。それも、本当は幻想にすぎないのかもしれないが、追い求めるものがある限り、生きる意味合いを感じることができる。
21日(月) 曇 15/21℃ 一日曇り空で、雨はほとんど降らなかった。気温は上がらずに、最高気温は21℃止まりで、秋の深まりを感じさせた。時間がどんどん過ぎていき、今年も残すところ2ヶ月ちょっととなった。これからはさらに日が短くなり、一日があっと言う間に過ぎていき、そろそろやり残しが気になって来る。 気力と言うものは自分の意思だけで高めることは難しい。妻が生きている時は、妻の存在そのものが気力に結びついており、精力的に物事を取り組んできた。妻と同様な存在ができて、気力を呼び戻す事ができればいいのだが、自分の気持ちをコントロールする事の方が重要なのかもしれない。逆に言うなら、今は、自分をコントロールできなくなった状態とも言え、持ち直すのは大変な所業と思われる。 自分なりに取り組んできた事は、無価値ではないものも少なからずあり、さらに発展させる義務があるようにも思えてくる。全てが無気力であっては成り立たず、生きる価値を見出すことが肝要である。
22日(火) 雨・曇15/18℃
午前中は雨が降っていて、昼の散歩を兼ねた昼食では、行きは傘をさすようだった。午後は傘をささずに歩ける状況で、それでも小雨がパラつく事もあった。秋本番に入っても秋晴れには中々ならず、これから先もスカッと晴れる日は暫くなさそうである。 令和天皇の即位の礼があり、天皇のご挨拶は、国民と共に歩むとの強い決意を述べられた。かつて、財閥が大きな影響力を持って、皇室を思うように動かそうとの流れが感じられたが、平成天皇から完全に距離を置く様になり、同時に財閥が破綻状態になって、発言権は著しく低下している。 現政権は財閥の傘下にある者が占めており、支配を強めようとしてきたが全く機能せず、天皇交代と共に社会そのものが方向転換を迫られている。地方に行けば行くほどその傾向が強いが、大都市や首都圏近在の都市などは時代に全く付いていけない状況である。市民主体で変革していくしか無く、市民一人一人がどう係わるかが大きな意味合いを持っている。
23日(水) 曇・晴12/24℃
今日は曇りの時間が長かったが、晴天の時間もあって、洗濯物がすっかり乾いた。日中気温が上がり、最高気温は夏日間近となった。夕方になっても気温はそれほど下がらず、夜は大分暖かとなった。台風21号は日本列島に近付くようだが、今のところ上陸の可能性は低いようだ。 妻を失ってつくづく思う事は、妻にどれだけ依存していたか痛感する。自力で何でもやり遂げてきたつもりでも、それは常に妻が後押ししてくれていた事は確かで、妻を失った今、自力では何も作りあげられないと実感する。 特に、長時間かかる事は気力が伴わず、中途半端な事ばかりしており、形として残せないと実感する。現実に幾つか手を付けている事があるが、2カ月かかっても、未だに出発点でうろうろしているだけである。内助の功と言うべきか、どんなに強気で生きてきても、妻と言う常に支えがあったからこそできたことである。 支えの必要性は自覚しており、出来る限り早く支えを得たいと思っている。簡単に記したが、そう簡単に得られるものではなく、生きることの難しさを痛いほど感じている。
24日(木) 曇16/19℃
今日は一日日射しが無く、気温が上がりきらず、最高気温は20℃を切った。夕方小雨がパラついていたが、本格的な雨とはならなかった。熊谷では半月以上スッキリと晴れる事が無く、秋晴れとは縁遠くなっている。これから先も大雨が予想され、今年の秋は疫病神が取りついているようである。 存在価値について考えているところである。妻を失った今は、自分の存在価値が無いに等しく、生きる張り合いが無いと言うことである。寄り添う相手がいればこそ互いに存在価値が感じられるが、寄り添う人間がいなければ、生きてる意味合いが薄れ、無味乾燥の世界に埋没するしかない。 寄り添う人間は簡単に見つけられそうだが、実際には困難であり、時間をかけて互いの存在価値を見出すしかない。誰でもできるはずなのだが、現実には簡単な事ではなく、無味乾燥な世界に生きるしかなくなり、さ迷える人生となってしまう。価値観を同一にできる存在を作る事が、何よりも重要である。
25日(金) 雨・曇14/17℃
一日中雨が降り続いたわけではないが、午前・夕方を中心に雨に見舞われた。関東でも海岸線を中心に大雨に見舞われ、再度浸水被害が起こっているようである。地球温暖化に伴う異常気象が通常となり、町造りを抜本的に改革していかねば、町自体維持できなくなっている。町全体を空中都市(高層化・高台)に作り替えていく必要がある。 生活のあり方で、今はパソコンに向かっている時間が極端に短くなっている。特に思考力を要する作業が億劫になって、創作など、言葉が少しも浮かんでこない。 ある著名な作家の小説を読み耽った事があるが、晩年に近い作品を読んだら、少しも面白くなかった。自分自身、かつては面白いように言葉が浮かんできたのが、すぐに気が散漫となって、言葉が続かない事が頻繁にある。 書くことで生計を立てた事は一度もないが、書くことを楽しんできた時期が再三あり、日記(ノート、デジタル)の中に様々な事を書き綴ってきた。「愛妻記」は日記の引用を中心に書き上げており、日記は正にデータバンクと言える。日記には気候や行事なども細かく記しており、日記を紐解いていけが地球温暖化の問題も浮き彫りにできる。 私にとっては日記は財産であり、書く素材はふんだんにある。しかしながら能力の衰えで折角の素材を生かしきれず、激流を下る様に落ちぶれて行っている。何とももったいなく、何とも情けない次第である。
26日(土) 雨・曇時々晴16/26℃
熊谷では、午前中は雨が降ることもあったが、全般的には曇りがベースで、午後には晴れ間が覗くこともあり、雨の影響は少なかった。千葉方面では再び大雨になって、復興しかけたのが再び災害にあっているいようである。いずれにしても異常気象が日常化して、全ての町で抜本的な対策を練る時が来ている。 以前治療した歯がぐらついてしまったので、歯医者に行ったら、直しようが無いと言われた。合わせて、歯の清掃が必要だから引き続いて来るように言われ、家に帰ってきた。以前行っている時にも、治療が済んでも同様な事を言われ、通ったが、馬鹿らしくなって行くのを止めてしまった。 その歯医者は商魂たくましく、何らかの理由を付けていつまでも通わせようとしてきて、以前は患者が多かったが、今回行った時には少なく、インターンも何人かいたのが、今回は見られなかった。私同様商魂たくましさに嫌気がさして遠退いた患者も少なくないのではと実感した。今回、一応予約をさせられたが、家に帰ってから「都合が悪くなった」と言って予約を取り消し、改めて連絡をするとして、通うのを取り止めにした。 歯医者に行って何日かすると、不思議な事に、問題の歯がほとんどぐらつかなくなり、食事の時も問題を感じずに食べられるようになった。行くのを取り止めにして大正解だった。
27日(日) 曇・晴14/23℃
今日は比較的いい天気で、洗濯物が良く乾いた。最高気温は25℃を下回ったので、散歩ではほとんど汗をかかなかった。本来なら今日の様な陽気が一番過ごしやすい。秋の深まりを感じさせ、山々の景観が色変わりし、紅葉が目を楽しませてくれるはずなのだが、台風の影響でどんな色合いを見せるのか、想像がつかない。 今までにも何度も書いてきた事だが、集注力の衰えはどうにもならなくなっている。以前は3時間ぐらい続けて書きものに専念できたが、今は10分と持たなくなっている。頭の中に霧が出て、先が見えずに書こうとするので、進まなくなってしまう。 同様な傾向がもう長い事続き、日々日記を書くことで精一杯になってしまった。老いと言うのは、肉体も明白になって来るが、脳の方も最近は明白になってきた。一つ考えられるのは、先が見えない事も創作意欲を減退させる要素に思えてくる。 創作は夢の続きであるべきで、言い替えると今は夢が持てないと言う事になる。現実に夢のような話が私を取り巻いているが、どうしても夢で終わってしまいそうな気がしてくる。年老いて夢を持つ事が可能なのか分からないが、現実の生活がややもすると夢模様になってしまい、どんどん遠くへ離れて行ってしまう気がしてくる。 夢は夢で終わっても、夢を見る事が生きる力になり、いつまでも夢を見失わない様に、ゆったりと生きて行きたいものである。
28日(月) 晴・曇13/21℃
昨今記憶が曖昧となり、今日一日の天気がどうだったのか全く思いだせない。備忘録に書くようにしているが、いつの時点なのかハッキリしなくなり、日記の天気はいい加減になってきた。日記は死ぬまで書き続けるつもりであるが、一日の行動をその都度メモをしておかねば書ききれなくなってしまいそうである。 今まで取り組んできた、多種多様な世界が大分遠のいて、何とか活動を復活したいと思うようになった。創作活動が思うようにできなくなり、時間のロスが大きく、それなら今まで取り組んできた事を復活させるのも時間の有効活用と考えた。 何事も波があり、一途に取り組んでいる事も手が付かなくなる事が頻繁にある。そういう時は今まで取り組んできた事を休止して、初心に帰って目標を建ててみるのが一番よさそうである。興味が起きなければ別のものをやってみるなり、幸い、多種多様な事を取り組んできたので、選択肢はかなり多くある。 おそらく、生活事情が大きく変わってくれば、孤高の域から抜け出し、協同の域へと広げていけるはずでる。後進の育成と考えれば自然の成り行きとなり、面白さが倍加するかもしれない。これから先、是非そうなって欲しいと願っている。
29日(火) 雨・曇12/15℃
日中雨が降っていて、夜になってやっと天気が回復し、夜空に星が瞬いていた。放射冷却現象となるかどうか分からないが、明朝は寒くなりそうである。10月も残すところ二日となり、11月に入ると冬の足音が聞こえてきそうであるが、週間予報を見ると最高気温が20℃越えもありそうである。 一人暮らしの日常は、健康促進と昼食を兼ねてウォーキングが大きな意味を持ち、特に昼食は行きつけの店で取るようになって、店員さんとの僅かな接触に気持ちが安らぐ事がある。注文以外にも言葉を交わすようになり、以前からの知己と言った関係ができ上がる。ごくごく短い会話でありながら、互いの心模様が窺え、少なからず癒される。 妻が亡くなって2年2カ月が過ぎ、妻と行きつけのコーヒー店に一人で通っている。一人で通うようになった時には店員さんはすっかり入れ替わっていて、新人からの面識となる人ばかりである。僅かな言葉の交換に言葉数が増えて昔ながら知己となり、顔を合わせているだけで癒されるようになった。 店員と客との関係が変化するわけではないのだが、一人暮らしの者にとって、貴重な人間関係となって来る。精神的にはどこまでも親しい関係となっても、限られた空間での出来事であり、かえって特別な関係を作るのは難しい。
30日(水) 晴・曇9/23℃
今日は時々雲が広がる程度で、一日を通して晴天傾向だった。日が落ちるのが大分早くなり、荒川河川敷のジョギングでは、家を出る時間を16時45分に早めたが、走っている半ばで大分暗くなり、帰って来る頃には真っ暗である。習慣性で、走る時間が早いと足が重く感じられたりして、快調とはいかない。遅くなる分にはほとんど影響が無いのだが。 以前寝酒として安価なブランデーを飲んでいたが、あまり効果が無いということで止めていた。最近寝つきが悪かったりして安眠できたとは言えなかったが、何日か前からブランデーを飲むようになって、眠りが深くなったような気がする。日中、午前、午後ともに昼寝をする日が続いたが、ブランデーを飲むようになって、日中昼寝はほとんどしなくなった。 眠りの深さが違うようで、創作活動などにも影響が出ている。冬場は特に寝酒効果が大きく、これからは必需品になるかもしれない。
31日(木) 晴・曇14/21℃
今年の10月は、スッキリと晴れる日が少なく、雨になる事も多くあって、秋らしさが薄い年となった。天気予報を見ていると、ようやく台風が発生しておらず、晴天傾向となりそうである。 創作活動を中心とした生活の戻そうと躍起になっているが、1時間もパソコンに向かっていることができなくなり、進みが極端に遅くなっている。当然、年齢からくる問題もあるのだろうが、妻が生きている時は、色々な面でサポートしてくれた事もあって、けっこう書けた事は確かである。 妻が無くなる前に「生活の詩」と題して10篇程書き綴ったものがあり、けっこう調子良く書き進み、構想からすると20篇近くなる作品で、1年程かけて、半分近く書き上げていた。夜間がベースの仕事をしていた時にもかかわらず、快調に進んでいた。 妻が傍にいると、充足感に包まれ、書くことに集中できたことは確かである。今は年齢的な問題もありそうだが、精神的な支えが無いのも創作力を衰えさせていると思われる。果たして、妻の代わりができたら、少しは創作力を戻せるのか、それとも年齢による衰えなのか、現状では判明しない。 |