『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年8月

 

1日(木) 曇・晴27/37

 

 8月初っ端は熊谷の夏らしい暑さとなって、朝が熱帯夜となり、昼は猛暑日となった。夕方には縁歩で稲光がして、特に群馬方面では雷雨になっていた。熊谷では雨にならなかったが、夜には幾らか涼しくなって、昨夜の様な暑さにはならなかった。

 一日を思うに、時の流れが遅くなった様に感じられ、暑さに抗えず、グータレている時間極端に多くなっている。時間潰しが主流で、本来のあるべき姿になるのは一握りの時間である。時間がドンドン過ぎて行くが抗う事が出来ず、活動停止になると気を待っている様なものである。

 夏の暑さがそうさせているのかもしれないが、踏ん張りどころで、自分の出来る事、自分のやるべき事を何としてもやり遂げていきたい。

 

2日(金) 晴・曇27/37

 

 きのうとすっかり同じような天気となり、最低気温は27℃、最高気温は37℃と、猛暑となった。寝る時はできるだけエアコンは使用しまいと思うのだが、この夏はエアコン抜きでは成り立たない。日中窓ガラスは元より、よしずとカーテンも閉め切りで、昨年はエアコンをほとんど使用せずに済んだが、今年は室内が高めで推移し、冷房がどうしても必要である。

 昼の散歩や夕方のジョギングは何とか続けているが、パソコン作業は猛暑に負けて、ほとんど手付かづである。パソコンどころか、猛暑をどう乗り切るかに主眼が置かれ、日中ごろごろする時間が至って長い。ごろごろして良い結果がもたらされるとは絶対に思えず、少々焦っている。

 一方で、極めて希薄であるが、将来へ繋がる可能性の事案が出てきて、どうしたものか悩むところである。ただ終焉を待つ生活から、将来(死後も含む)に結びつく生活へと方向転換が出来るかどうかにもかかってくる。

 妻の供養がいつまでできるかとの疑念から、私の死後も供養が続く可能しを何とか作りたいと強く願うものである。希薄だが、少しでも可能性が見えてくれば、日々の生活に張り合いが出てくる。

 

3日(土) 26/37

 

 熊谷では連日37℃の猛暑となり、暑さに悩まされているが、今日は暑さになれたのか、それほど苦にならなかった。夜も幾らか涼しくなり、窓を開け放しておけた。気温より湿度が関係して、体感温度が違ってくるのかもしれない。

 ジョギングは、基本的には一日置きにやっているのだが、前日走ったのかハッキリしなくなる。日程表があるので確認すれば済む事なのだが、夕方になると、前日は走っていないと決め込んで走り出してしまう事がある。逆もしかりで、日程表で確認すれば済む事なのだが、つい、思いつきで判断してしまう。

 記録する習慣は維持しているので、本格的な痴呆とは異なるのかと、楽観的に考えている。何事も、日々、遅々として進まない事が普通になってきており、痴呆より、能力の低下(もうろく)と見るのが妥当なのだろう。

 

4日(日) 晴・曇26/36

 

 連日猛暑となっているが、湿度の違いか、夕方のジョギングでは大分涼やかに感じられた。元来、荒川河川敷は、下流から上流へと登ってくる涼風が吹きこんできて、川岸に近いグランドでは向かい風となって涼を楽しめる。河川敷は暑い割にはけっこう走りやすく、ジョギングの習慣が長年続いている。

 暑さの所為か「愛先記」が遅々として進まなくなり、早く走りださねばと、少々焦りを感じている。現実には生活の転換も意識しており、孤立した生活からの脱却を考えている。頼られ、頼る存在を意識し、生活に潤いを見出したいと願っている。娘でもいればいいのだが、女の子には恵まれず、我が道を行く独身男子二人で、生活の接点を作れそうにもない。

 少子化に伴い、家族の繋がりが希薄になってきて、我が家の周辺でも、年寄り一人で住んでいた住宅が廃墟になったり、壊されてアパートになったりし、血が途絶えるケースも少なくないのではなかろうか。当然町は衰退化して、市の税収入が少なくなるので、税金の値上げは毎年の事である。ますます住みづらくなって少子化が進み、市として維持していくのが難しくなってくる。

 どんない厳しい状況下にあっても、税金の値上げで対処しているのだがら、町が滅びるのも必定である。逃げ出し作戦しか対処が無いのではなかろうか。

 

5日(月) 晴・曇26/37

 

 今日も熱帯夜で猛暑日となり、一日暑さに悩まされた。それでも夜になって幾らか涼しくなると、少しは過ごしやすく感じられた。扇風機は欠かせない事も確かである。まだ暑さが続く事は間違いないが、日が落ちるのは早くなってきて、夜は幾分涼しくなり、疲れを解消しやすくなる。

 供養を中心とした、先々の生活展開に光明は全く見いだせず、モチベーションが下がりっぱなしである。追い詰められた感は拭えず、時間をさ迷う様な生活となっている。妻と二人で時を過ごす事が生きる目的だったので、妻が亡くなった今は、目的が霧散してしまった。

 妻の存在がいかに大きかったかを、繰り返し実感しており、現状の打開策がどうしても見いだせない。パソコン作業の中で妻が蘇って、幻影を追うのが唯一の喜びである。返事は帰ってこないが、妻との会話が、微かな希望を与えてくれる。気長にやっていくしかないと、実感出来る事があり、絶望は今のところ起こっていない。

 

6日(火) 曇・晴27/38

 

 今月に入って熊谷の最高気温は37℃止まりだったが、今日は38℃となり、暑さが増したのが実感できた。夕方のジョギングでは、荒川河川敷は風があって猛暑は幾分影を潜め、比較的楽に走れた。飲み物を大量に買ってきて、頻繁に飲んでいると体のほてりが癒えて、猛暑でも幾分楽に過ごせる。

 妻と暮らしていた時は、八方塞と言う状況は一度としてなかったが、妻が亡くなってからは何度も経験している。絶望にまで至らず、何とか打開策を見出し、結果はどうあれ、一歩は前進してきた。前進と言っても抜本的な対策を見出したわけではなく、いつまでたってもさ迷っている。

 諦めてしまえばいいのだが、妻の供養うを考えると一時凌ぎでは何の意味をもたず、絶望的な思いとなっても諦める事が出来ない。全く見通しが立たなくとも、結果がどうあれ、可能性を信じて立ち止まらない生活になってきており、自分が死ぬ間際まで追及していこうと思っている。

 

7日(水) 晴・曇26/37

 

 今日は昨日より最低最高ともに1℃低かったが、体感的には暑いのにかわりなく、動くのが億劫になってごろごろする時間が長かった。それでも、暑さ真っ盛りの中、昼食を兼ねた散歩をし、家に戻ると飲料水をたっぷり補給した。この時季はこまめに水分を補給する事が鉄則で、暑さに対する抵抗力が高まる感じである。

 

8日(木) 晴・曇27/37

 

 8月に入ってから、熊谷は連日の35℃越えで、猛暑にぽっかりと包まれた町になっている。例年猛暑が当たり前なのだが、最低気温は25℃を越えるものの、今年の様に頻繁に27℃に成る事はほとんど無い。明らかに例年の傾向と違っていて、寝苦しさは例年を越えている。

 夕方のジョギングで荒川河川敷へ行くと、涼やかな風が吹きつけてきて、猛暑とはかけ離れていた。正面から日差しを受けるとじわりと暑くなり、できるだけ木陰を走る様にしている。芝のグランド周りを6周するが、それほど苦にならずに、一日置きのジョギングが続いている。

 

9日(金) 晴・曇26/38

 

 熊谷の気温は8月に入って限定してきて、最高気温は35℃を越える猛暑となり、最低気温は25℃を越える熱帯夜が続いている。だんだん慣れてきて、特別暑いとは感じなくなった。生活も普段通りで、暑いからと言って引きこもる事もない。

 妻が亡くなってから、夜中にトイレに起きる事が何度もあり、熟睡ができない感じで、日々スッキリしない日が続いていた。水分補給が問題と意識して、水分量を工夫したり、就寝の時間を変更してみたり、寝酒を飲んだりしてきたが、解決せず、少なくとも2回は起きるようだった。

 最近は、暑い事もあって飲む量、飲む時間帯も全く関係なく、喉の渇きに応じて存分に飲んでいる。種類も色々で、5種類のペットボトルを用意している。飲料する時間帯は全く意識せず、寝しなですら水分補給をし、それでも夜中に1回起きる程度である。お蔭でよく眠れて、必ず昼寝をしていたのが、ここ何日か昼寝もせずに済んでいる。

 体調が大変良くなった気がするが、暑さで集中力が途切れ、パソコン作業が遅延している。それは体調の問題と言うより、暑さの関係でやる気が薄れているのが原因で、ごく普通の出来事と考えている。

 

10日(土) 晴・曇26/37

 

 熱帯夜で猛暑日の過酷な暑さに今日も苛まれたが、夕方のジョギングを休んだ所為か、夜は比較的楽に過ごせた。人間の感覚は対比するものによって全く違った感じとなり、温度計の様な絶対値が無い。心の持ちようで評価が違ってきて、客観性が薄まってしまう。

 テレビで各地の観光地が出てくるが、妻と出かけた所がしばし顔を出す。けっこう有名な観光地を訪れていて、テレビで妻を連れていった観光地が出てくると鼻高々である。妻は自分からどこえ行きたいと言った事が無く、妻が興味を持ちそうな場所を私が選択して旅行を提案してきた。

 妻の好みは100パーセント分かっていて、つれていった観光地については、妻は本気で楽しんでいた。箱入り娘で育ったのだが、私によって物知りとなり、妻は常々知ったかぶりを恐れていて、人付き合いを好まなかった。観光地のパンフレットをクリアーファイルに収めていて、その量は半端ではない。

 

11日(日) 晴・曇26/34

 

 今日はけっこう暑く感じられたが、熊谷の最高気温は34℃台で、8月に入って初めて猛暑日を免れた。湿度が高かったのか、昼の散歩ではかなり暑く感じられ、猛暑日は間違いないと思った。ところが、夕方のジョギングでは、荒川河川敷は涼やかな風が吹いていて、非常に走りやすかった。ジョギングの帰りで、川に近い地域はそれなりに涼やかだったが、離れるに連れて涼風は全く失われていた。自宅では夜になっても涼風が吹きこんで来なかったので、熱帯夜は必至である。

 

12日(月) 曇・晴25/34

 

 日射しが少ない分気温が上がりきらず、熊谷では昨日に引き続いて最高気温は35℃を下回った。だからと言って涼しさが感じられるわけでは無く、暑さに抗いきれずに、一日シャキっとする事が出来なかった。8月に入ってからは完全に夏バテ状態で、パソコンに向かう時間が極端に短くなっている。

 「愛妻記」から遠ざかって久しくなり、パソコンに向かって手を付けようと思うが、何から始めたらいいのか少しもイメージが湧いてこない。「愛妻記」には三つの要素があって、日記をベースにし、対応ネガ写真のデジタル化、旅行記録など、引用すべき事項が幾つもある。

 三つの要素をどうまとめるか構想を練り、具現化していくわけであるが、今の精神状態ではまとめるまでの力量がない。何とか暑さに順応して、三位一体の世界を築かねばならない。大変な作業であるが、面白みがあり、夏バテから脱皮できれば、面白いものができる気がする。

 

13日(火) 晴・曇夕雨26/35

 

 台風の影響か、今日一日天気が変化に富み、灼熱の暑さを感じられる時もあれば、風が涼やかに感じられる時もあり、夕方には短時間であるが雨が降って、荒川河川敷のジョギングでは、心地良いほど涼やかだった。河川敷の涼風は川傍の住宅地迄で、500メートルほど離れた我が家には届かなかった。

 10年前にどうだったか覚えていないが、暑さによって思うように動けなくなり、日中ごろごろしている時間が大分長くなってしまった。それでも昼の散歩と、一日おきのウエイトトレーニングとジョギングは何とか続いており、何とか食い繋いでいる感じである。

 グータラ生活を何とか打破しようと思うのだが、かったるさが先行してどうにもならない。暑さが原因であれば、秋になれば元に戻れるのかと思うのだが、意欲が薄れてきたのが原因なら、先々の展望が立たなくなってしまう。今日一日の行動からするなら、あくまでも暑さが災いしてのことと断定でき、あと少し辛抱すれば何とかなるような気がしてくる。

 何歳まで生きれるか分からないが、90歳を目安としており、後20年ならば、亡くなった妻に自慢できる作品を作れるような気がする。

 

14日(水) 曇・雨26/31

 

 一日を通してほとんど日射しは出ず、曇ったり、何度となく雨が降りだしたりで、遠く離れた台風の影響を感じさせた。気温的にはそれほど上がらなかったが、むしむしとして、不快指数は高かった。台風の影響は、関東では明日いっぱい続きそうで、気象情報をこまめに確認する必要がある。

 今日は「施餓鬼」と言って、先祖の供養でお墓に塔婆を建てる習慣がある。父が昭和47年に労務災害で亡くなり、以来「施餓鬼」は欠かさずに対応してきた。妻が生きている時は、妻が主体で対応し、妻に従って私も対応してきたが、妻が亡くなって、全て私一人で対応せざるを得なくなり、慣れない事でけっこう大変である。妻の存在がいかに大きかったか痛感する。

 私は70才となり、いつまで供養ができるか分からないが、二人の息子は全く関心が無い。自分たちの未来を考える余地が無いようで、自らが死んだときのことなど全く考えていない。ややもすると、親父がやってくれると思っているのかもしれない。どちらが長生きするか分からないが、常識的に考えるなら、息子達が後に残るはずなのだが、そこまで考えた事が無いように思える。そんな状況だから、先の先まで見据えて、万全な準備をして死を迎えるようである。

 

15日(木) 曇・雨25/32

 

 熊谷ではまだ台風の接近は感じられなかったが、影響を受けて雨が何度なく降り出した。昼の食事を兼ねたウォーキングでは傘が必要な時もあったが、それほどでもなく、夕方のジョギングでも雨の影響は受けなかった。ゆるが更けるの連れて、本降りの雨となり、風も幾らか強くなった。勢力の強い台風だが、過去の経験が生きたのか、台風の影響による人的被害はそれほど出ていないようである。

 「セピアカラーの世界」を中心に取り組んできて、何とか「愛妻記」の進捗状況に追いついた。「愛妻記」に取り掛かったものの、暑さの所為もあるのか、中々先へ進まない。昭和62年まで完了し、63年に取り掛かったものの、思うように中身に入って行かない。

 昭和は家族主体で、子供たちが主役の生活だった。親離れを意識して、妻と二人だけの行動を取るようになり、日帰りが中心だったのが、泊りがけも敢行し、子供達との行動は少なくなった。それでも子供達を誘うと、一緒に行きたがり、「ささやかな冒険」から「大冒険」を意識するようになった。

 「カヌークルージング」が先駆けで、回数は少なかったが、子供達には湖や河川のクルージングをさせた。子供達二人だけの「大冒険」で、それなりの自覚が芽生えたようである。

 

16日(金) 雨・曇・晴27/33

 

 午前中は雨が降る事もあり、昼前後は曇りで、昼下がりから時々日射しが出て、洗濯物がよく乾いた。熊谷では台風の影響はほとんど感じられず、普通に生活をすることができた。しかし、夕方になっても中々気温が下がらず、熱帯夜は必定である。

 「セピアカラーの世界」が一区切りできて、「愛妻記」を取り組んでいるが、暑さの所為か、だらけてしまい、無味な時間が多くなって、「愛妻記」が遅々として進まない。日記と写真があるのだから、すぐにストーリーはできるはずなのだが、逃げ腰になって、ごろごろしてしまう。

 ごろごろしても何も得るものが無く、限られた時間を無駄にしている。暑さもじきに和らいでくると思われ、生活が変ってくれればいいのだが、今の自分の気力を考えると、状況は変わらない気がしてくる。妻の写真を見る度に、どこまでも素敵な姿が浮かび上がってきて、思いの丈を書き上げなければ収まらなくなってくる。

 葛藤は人生の味わいであり、葛藤を楽しむくらいの気持ちで臨んで行けば、けっこう気楽に「愛妻記」を楽しめるのかもしれない。

 

17日(土) 晴・曇25/37

 

 昨日までの三日間、最高気温は35℃以下で溜まっていたが、今日は37℃と猛暑が復活した。今日は日射しが強かったので余計暑く感じられ、昼の昼食を兼ねた散歩では、日陰を選んで歩くようだった。夕方の荒川河川敷のジョギングでは、河を遡って来る涼風と、北西から吹いてくる涼風とで、猛暑とは程遠かった。

 暑さの所為でパソコンに向かう時間が極端に短くなっているが、それでも「愛妻記」が動き出し、正常化の兆しが見えてきた感じである。正常化と言っても気力と能力の衰えは如何ともし難く、牛歩の歩みになるのは必定である。考えようによっては「愛妻記」がいつまでも続く事になるが、歩みが完全にストップしてしまう事も考えられる。

 年齢からくる衰えで、何事も思うように進まなくなり、身動きが取れんくなってしまうのではと、気になるこの頃である。昔は自惚れがあって、時間がかかっても、やると決めた事は何でも完成させる自信があり、多種多様な事を成し遂げてきた。今は全く自信が無く、何をやるにしてもとん挫する懸念が先に立ち、精神的にはさ迷っている。現実に、目標としてやってきた事が何も実現できず、「愛妻記」にしがみついてるのが実情である。

 

18日(日) 晴・曇27/35

 

 今日は湿度が高かったのか、最高気温は35℃止まりだったが、非常に暑く感じられた。夜も気温がそれほど下がらず、涼感は就寝中のエアコンだけである。それでも29℃設定で、それほど涼しいとは言えない。ぎりぎりの涼しさが安眠をするには最適で、良く眠れている。

 「愛妻記」に取りかかるようになり、昭和63年代に入っている。前年に家を建て替え、多額なローンに追われる生活となっていた。当初、母から援助を受ける前提になっていたが、我が家が気に入らないと言う事で、同居したばかりだったが、家を出て行った。

 家を出ると言う事は援助をしないと言うことであり、我が家は経済的に、窮地に追いやられた。私は、母の年齢からして、そこまで我が儘を言うとは想定していなかったので、危機的な状態に陥った事は確かである。とても食べていけない状況だったが、当時職場では合理化が推し進められて、合理化に伴う工事をやらねばならない状況となった。

 通常業務の他にやる工事だったので、勤務時間外で行い、残業や休日出勤で行うようだった。私は、元来時間外労働はほとんどやった事が無く、時間外手当による収入をあてにした事が無かった。母の援助が無くなった時だったので、少なからず家計を潤した。

 家族旅行を断念するところだったが、何とか家計をやりくりして、従来通り旅行をすることができた。妻は一度も口にした事が無かったが、義父から相応の援助を受けていたと思われる。平成2年に北海道旅行をしてきたが、資金的には50万円を越える費用がかかっており、おそらく義父から多額の援助を受けていたはずである。

 北海道旅行は「巣立ちの時」と銘打って、子供達の自立を促すのも目的としていた。その後も家族旅行は行っているが、子供達二人で色々と取り組むようになった事も確かである。

 

19日(月) 雨・曇25/32

 

 日中は多少雨が降った関係で蒸し暑さがあったが。夜は久々に楽な気温だった。天気予報でも、秋めいていく予報がされていて、猛暑は一段落したようである。夕方のジョギングでは暑さより涼しさが勝って、楽に走れた。8月も残すところ2週間を切ったが、9月に入っても真夏日が持ち越される年も少なからずあり、早く涼しくなって欲しいと願うだけである。

 人生と言うのは、運不運の僅かな差で一変してしまい、妻を失って泥沼を歩むような生活となっていた。果たして幸運がやって来るのか分からないが、ごくごく小さな要因で見通しが全く違ってきて、光明を見出すこともある。幸運を逃さないようにしゃかりきになっても、かえってあだとなって、何もつかめない事が頻繁にある。運を頼っていては、結果的に何も得るものが無く、途方に暮れる時が必ずやって来る。

 人生と言うのは運不運できまるのではなく、どれだけの事を成し遂げられるのかで決まって来る。己の力量が基本で、力量が無ければどんな幸運に恵まれても、最終的に力量を越える事はない。自分の力をどれだけ発揮できるかが鍵を握っている。

 

20日(火) 曇・雨23/28

 

 今日は今月に入って初めて最低気温が25℃を下回り、最高気温も30℃を下回って、真夏の象徴を逸脱した。日差しがほとんどなく、大変過ごしやすい一日で、暑さによる疲れが幾分和らいだ。このまま一気に秋めいてくると思いたいが、そうはいかないだろう。

 妻が生きている時は、娘が欲しかったと、互いに慰め合った事がある。時代が大きく変貌して、妻の様な娘に成るとは考えづらいが、妻は自分の思いを娘に吹き込みたいと考えていたのかもしれない。現代は相手を思いやることは骨董品の価値しか無く、あくまでも自分本位で生きるのが当たり前である。

 自分本位の生き様が、真に幸福を導き出すのだろうか。妻との人生は、互いの気遣いがベースとなっていて、何事も自分一人の力で成したのではなく、二人三脚が成せる業だった。私的な事だけでなく、社会的な所業も少なからずあり、充実した人生だったと言える。

 妻の社会貢献に対し、私は全力で支えてきた。妻にとって私の支えが何よりも嬉しいと見えて、全力で私を支えてくれた。相思相愛、頼り頼られ、完璧な夫婦だった。

 

21日(水) 曇・雨24/32

 

 今日は曇りが中心だったが、雨も降る時間帯もあり、秋雨前線の影響を受け、最高気温は30℃を越えて蒸し暑い一日だった。それでも猛暑の時と比べると大分楽に過ごせ、天気予報によると、猛暑日は遠退いて、大分楽になりそうである。

 今日は通常であればジョギングをする日だったが、何かとやっていたらすっかり忘れて、気が付いたら暗くなっていた。相変わらず、毎日決まった行動は記憶から消えて、その都度記録しないと完全に喪失してしまう。記録表を見て忘れた事を知るが、休みがあってもいいと、苦にならない。ずるずると忘れてしまうと、習慣性のものがみな成り立たなくなってしまいそうだが、今のところ何とか維持できている。むしろ、休みを多くした方が自分の肉体には適合している気がする。それでもどうしても今迄通りにやらないと気が済まず、何事も規則性が維持されている。70歳を過ぎると規則性を重視しないと一気に衰えてしまいそうで、昨今神経質になっている。

 

22日(木) 23/28

 

 今日は一日を通して日射しがほとんどなく、気温が上がりきらずに、熊谷の最高気温は30℃を下回った。真夏日から解放されると、体感温度が全然異なり、一日を大分楽に過ごせた。天気予報によると、これからは真夏日になる事が少なくなり、秋へ前進しそうである。

 夕方のジョギングでは涼風が絶えず吹き抜けて、非常に走りやすかった。老体には生活の中で様々な問題が生じるが、誤魔化し誤魔化し何とかやっており、何とか平常な生活を維持している。歯車の様なもので、かみ合わせが合っていれば問題なく時間が過ぎて行くが、気が付かないうちに歯車が合わなくなっていて、何が何だか分らぬ事に出くわし、狐につままれた気分になる。

 最近はそれが普通と考えられるようになり、ショックが小さくなった。今日は網戸の補修をしている時に、誤って庭先に落ちてしまい、特に怪我をしなくてすんだが、ショックは大きかった。一つ間違えれば頭を打ってしまう可能性もあり、一人暮らしの怖さを実感した。

 

23日(金) 曇・雨24/29

 

 昨日に引き続いて熱帯夜を免れ、真夏日も免れて大分過ごしやすい一日となった。天気予報によるとまだ真夏日がやってきそうだが、今迄の様な暑さは少なくなると見られる。

 これからの生活を考えると、時の流れに任せてじっとしているだけでは、展望が全く立たなくなってしまう。だからと言って何かできるわけでは無く、時間の浪費ばかりが募って来る。そんな状況を何とか打破しようと思っている時に、些細な接点で悩みを打ち明けられる相手が見つかった。

 だからと言って問題が解決するわけではないが、自分の出来る限りの事をして、協力者になって貰えないか模索しているところである。夫婦ともに60歳代になると、妻と二人の世界を作り上げ、老後の生活を楽しんできた。あれも、これもと二人の生活領域を広げてきた矢先に、妻は抗がん剤によって殺されてしまったのである。

 妻との人生の延長を何とか作りあげたいと思ってきたが、一人ぽっちでは何も成しえない。喜びを分かち合える伴侶がいて価値が出てくるのであっる。妻の代わりを求めても、亡くなった妻は決して怒らないと思っている。今までは敢えて何もしなかったが、これからは妻に報告できるように、限られた空間から飛び出してみようと思っている。

 

24日(土) 晴・曇23/33

 

 晴れがベースの一日だった気がするが、何となく、曇りや雨もあったように記憶している。洗濯物が良く乾いた事を考えると、晴天がベースだったに違いない。とにかく、一日の事が記憶としてほとんど残っていない。その都度記録しないと、まともにやっていけそうにない。

 人が亡くなった時、供養の仕方として永代供養というのがある。通常は亡くなった年日に合わせ、周忌とか回忌が行われる。永代供養をすれば基本的には法事が完了した事になり、誰も墓参りに行かなくなれば無縁仏になってしまう。

 我が妻については、周忌や回忌、月命日、彼岸やお盆、正月など、必ずお参りするようにしている。手をかけたくなければ永代供養をしてしまえばいいので、墓参の回数が減っていくのが必定である。妻にしてやれる事は日々の仏前での線香立てや墓参ぐらいしかできず、9月で三回忌になるが、今のところできる事は全てやってきた。可能な限り続けていきたいと思っている。

 永代供養は墓参に行けなくなった時にすることで、横着供養と言う事になる。昨今は永代供養が増えて、墓参をする人が少なくなっているのではなかろうか。死んだ者にしてやれるのは供養しか無く、妻への愛する思いが欠かさずにやってきた。仏壇と共に、妻と向き合う時が心が一番安らぐ。

 

25日(日) 晴・曇21/32

 

 スッキリ晴れる日が少なくなって、気温は今迄のように上がりきらず、真夏日止まりの日が多くなった。真夏日止まりだと大分楽な感じで、一日があまり苦にならない。エアコンを付かわなくなり、今日は扇風機もほとんど使わなかった。

 70歳が過ぎてから余生をどう過ごすか気になってきた。特に妻の供養をどう続けて行くかが最大の悩みで、私が死んだら無縁仏になってしまう。二人の息子は全く当てにならず、永代供養を何時するか考えるようである。妻と共に義父の事も気がかりで、もし亡くなったらお骨を妻と並べて置きたいと考えている。我が家の貧乏生活では、事の他優雅な生活となり、父の支援が少なからずあったからこそ成り立ったものである。

 義母は義妹によってすぐに永代供養をしたようで、放置されそうである。義母も引き取るか考えどころである。死んだ者にしてやれるのは供養だけで、妻の供養は、私が生きている限りとことんやるつもりである。だが、私が死んだら供養するものがいなくなり、どの時点で全てを永代供養するか考えているところである。

 

26日(月) 晴・曇22/30

 

 今朝の熊谷の最低気温は22℃で、朝は大分涼やかだった。日中も気温が上がりきらず、苦になる暑さでは無かった。室内にいる時でも扇風機は必要なく、ホッとする一日だった。このまま涼やかになると思いきや、どうも何日かすると猛暑になる可能性もあるようだ。

 日記を書き始めて55年になる。日記の始まりは1965年12月31日で、ノートで37年、デジタルで18年、良くも長く続いたものである。内容は無意味なものから、貴重な資料となるものなど様々で、人生の功績をよくぞ残してきたものだと感心する。

 「愛妻記」は日記に基づくもので、貴重な資料をたくさん残してきた賜物である。ノートに記されたものは乱文乱筆で、書いた本人ですら解読できない事もある。思い出は写真1枚で日記の1ページ分にも相当し、余生の貴重な資料となっている。特に妻の写真は貴重な癒しとなっている。

 

27日(火) 曇・雨22/29

 

 昨日に引き続いて暑さが幾分和らいで、大汗をかく事はなかった。夜は窓を開け放しておくと涼やかな風が入り込み、8月も下旬になって、秋へ移ろう兆しがハッキリと出てきた。

 この頃、余生をどう生きるべきか考えるようになった。残された課題をどう処理するか、日々悩まされている。ごく普通の人生であれば、それほど深刻に考える必要が無いのだが、妻に先立たれ、息子二人が結婚していない状況から、先がどうなる事か全く見通せない。

 自分にいったい何ができるのか考えると、どうにもならないと言うのが結論であるが、幸運が舞い込んでくることもあるやもしれない。今までが、全て不運に見舞われ、我が命である妻を失ったのだから、運に見放された人間としみるのが妥当だが、時として妻をめとった時と同様な幸運がやって来るかも知れない。

 

28日(水) 曇23/26

 

 今日の最高気温は26℃で、室内外でほとんど暑さを感じなかった。これで暑さが弱まるとも思えないが、大分楽になった事は確かである。涼しさと合わせて日が短くなり、暗くなるのが大分早くなった。それが熱帯夜から免れる要因でもある。

 70歳を過ぎ、これからの人生をどう歩んでいくか考えると、時を刻む生き証人として伴侶がどうしても必要になって来る。妻を失った今、孤高の人として時を刻まざるを得ない。妻以外に頼れるものはなく、結局、何も成しえない気がしてくる。妻を思うと何とか状況を打開しなければと思うが、できる事は妻の供養を末長く続けて行く事が、唯一自分の出来ることである。

 妻恋しさは全く癒える事が無く、この頃は心的苦痛が伴い、打開策が無いか足掻いているところである。多くの人が存在するが、心を交える相手はほんの一握りである。私には妻しかいなかったので、今正に孤高の人となってしまった。

 

29日(木) 晴・曇23/33

 

 五日ぶりに真夏日となり、午後からは大分暑苦しかった。夕方のジョギングでは暑さが残っていて、帰宅するとがっくりだった。夜になっても中々気温が下がらず、明朝は久々の熱帯夜になりそうである。

 熊谷はラグビーワールドカップの会場になっており、駅周辺を始め、街中でも飾り物が据え付けられ、関係者の間では盛り上がっているようである。昔は熊谷の高校でも強いチームがあったが、最近はほとんど盛り上がっていない。市全体でラグビーに力を入れてきた反面、多くの人が集うサッカーには力が入っておらず、高校サッカーでは名を轟かす事が無い。

 ラグビーは今でこそ関心が高くなっているが、サッカーと比べてマイナーな競技であり、関係者が考えるほど盛り上がらないのではなかろうか。ラグービーの試合を誘致する事によってどれだけの経費がかかるか分からないが、町全体の経済が低迷している中で、市民の収入は目減り傾向にあり、それでも税金が高くなるのだから経済はますます沈滞し、少子化と人口減に歯止めがかからないのではなかろうか。

 

30日(金) 雨・曇24/27

 

 今日は一日を通して日射しが無く、気温が上がりきらずに、最高気温は30℃を下回った。しかし、湿度が高いので蒸し暑さがあり、秋めいた感じはない。

 マイホームページを検索してみたら、エラーが生じた。確認してアップロードしたつもりだったが、間違いがかなり見つかった。最近はちゃんとやったつもりでも間違いがあり、確認したつもりでも見落としがあり、中々厳しい現実に直面している。早速修正してみると、何か所も誤りが出てきて、かなり酷いものだった。

 年齢からくる衰えである事は間違いなく、様々なシーンで誤りが出てくる。供花を購入したのだがどこかに置き忘れ、いざ仏壇に供えようとすると見当たらないと言う事が二度起きている。他にも買い忘れや、不要なものを買ったり、正常とは言えない。額が小さいので生活に影響する様な事はないので、諦めが簡単にできる。

 今後の生活には幾つもの課題が山積し、確実にこなしていかねばならない。メモをするようにしているが、一人が点で、メモを見ずに判断し、忘れ物が少なからずある。厳しい現実に力ごなしにぶつかっていくのは無理であり、コツコツと用事を済ませて行くのが常套手段である。

 

31日(土) 晴・曇24/31

 

 今日は午前中から日射しが出ていたので気温が高くなると思われたが、熊谷の最高気温は31℃と、それほど高くなかった。8月も今日で終わり、9月に入れば一気に秋めいてくると思いたいが、真夏日が続く可能性が高いのではなかろうか。

 夕方のジョギングでは、河川敷が大分涼しく、大変走りやすかった。いつまで走っていられのか考えると、連続で走るには能力に乏しく、1日置きと決めて走っているが、それでも時々負担を感じる時がある。継続は力なりで、定期的に走り続けるのは大きな運動効果が表れ、一生続ける覚悟であるが、必ず挫折すると気がやって来る。

 2年ほど前、ジョギングをしている時に、隣のグランドで逆立ち歩きをしている人がいた。逆立ちの運動効果がどれほどあるものなのか分からないが、私は疑問視して見てきた。案の定逆立ち歩きの距離が縮まり始めて、いつしか姿が見られなくなった。1年のブラックの後、最近姿を見せて逆立ちをやっていたが、どうしても以前のようにできないで、早々と姿を消していた。諦めたのか、以降姿が見られなくなり、逆立ちは諦めたと思われる。

 運動の質も係わるが、高齢で負担の重い運動を続けようとすると、すぐに挫折してしまい、一気に運動効果が失われていく。歩いたり、走ったりは、自分の能力で調整ができるので比較的長続きがする。現実には走っている人を何人も見かけた時もあったが、昨今は極端に減って、自分以外に姿が見られない事が多くなった。継続は中々難しいと言うことである。