『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年7月

 

1日(月) 22/26

 

 今日は雨こそ降らなかったが、一日どんよりと曇って、梅雨らしい天気となった。最高気温はぎりぎり25℃を越えて夏日となったが、暑さに悩まされる事はなかった。室内にいても涼やかで過ごしやすく、横になるとすぐに居眠りは始まる。

 妻を失ってから月日の過ぎるのが一段と早くなった感じがする。余生を意識すると、機械仕掛けの人形の様に規則的に動くしか無く、生活の枠を越えて何かをしようとは少しも思わない。むしろ、時がどんどん過ぎ去ってしまった方がいいと思えてくる。

 それは、自己を喪失した表れで、妻を忍ぶのが全てと言うところである。一人暮らしの中に、息子達がやってきても、煩わしいだけで、人付き合いをしたいとは少しも思わない。一方で、妻のDNAを何とか残したいとの思いから、息子たちの結婚を強く願ってしまう。悲しいかな、息子たちは結婚に全く縁が無く、絶望的な余生となりそうである。

 何事も思うようにならない中で、今まで残してきた記録の中に、妻を蘇らす写真や文章が出てきて、心の語らいは途絶える事が無い。むしろ、妻の魅力を再発見する生活となり、心の潤いは毎日得られている。「愛妻記」が完成するまでは、死んでも死にきれない。

 

2日(火) 曇時々晴22/29

 

 今日は曇りが中心で、若干日射しも出て、洗濯物は乾いた。日差しが出た所為で気温が上がり、熊谷の最高気温は29℃で、真夏日一歩手前となった。夜になっても気温が下がらず、久々に熱帯夜になるかもしれない。暑さの中、散歩とジョギングをし、非常に疲れた感じとなって、何をやっても億劫になってしまった。

 「セピアカラーの世界」は、海水浴写真集を作っている。海水浴は泳ぎが目的でなく、海遊びが中心である。砂遊びや波乗りで、子供達は存分に楽しみ、はしゃいでいた。生き生きした姿を見ると、連れて行って良かったとつくづく思う。

 遊びが子供達にどんな影響をもたらすのか、数値化できないが、社会人になっても、遊び心を持って、仕事を楽しんでいる。それは創造力を養えたと言うことであり、遊び心が最新技術に何の抵抗を持たずに対応できると言うことである。子供達は自分の意思で仕事を選んでおり、遊び心が適応力を養った証である。

 

3日(水) 22/28

 

 明け方には雨が降ったよだが、日中は曇り空で、雨はぱらつく程度だった。最高気温は28℃で、蒸し暑さはあったのかもしれないが、室内にいる限り、暑いとは感じなかった。夜の外気温は室内温度よりわずかに高く、窓を空けておいたら、室内が大分暑苦しくなってしまった。

 鼻炎スプレーを止めていたのだが、僅かに残っていたので使いきろうと三日前から使用を再開した。前回は午前と夜の2回使用し、眠気が酷くて、一日気だるい感じとなり、取り止めたのだが、鼻炎スプレーを使いきってしまおうと再び使用を始めていたのである。一日2回から午前の1回にして様子を見てきたが、前回と同様日中眠気に苛まれ、思うようにう動けなくなってしまった。

 それでも僅かながら「セピアカラーの世界」を手掛け、牛歩の歩みで進めてきた。昨日今日と、遅々として進まなくなり、これ以上時間をロスする事が不安となり、鼻炎スプレーの使用はきっぱりと止めることにした。止めても結果が同じだったら、どうしたものか悩むところであるが、自分の能力と割り切って、マイペースで進めて行くしかない。

 

4日(木) 21/23

 

 今日は一日日射しが無く、朝と日中の気温差が小さく、熊谷では最低気温が21℃、最高気温は23℃で2℃しか違いが無く、異常な感じである。特に日中の涼しさは、大気が異常をきたしている様な気がしてくる。九州では記録的な大雨となっており、豪雨が日本列島を縦断しそうな勢いである。

 異常気象が日常的になっており、実態が分かっていながら事前に対策を練る自治体は皆無である。一つ間違えば町が滅亡しかねない異常気象であり、今の無策・無能だらけの自治体制では滅亡する町も出てくるのは必定で、地域が独立して、市民レベルで議論し、市民レベルで自治を運営していく必要がある。

 鼻炎スプレーの使用で、一日気だるい感じとなってしまい、昨日から使用を止めたら、今日は日中眠気もさして来なかった。体調が完全に戻ったとは言えないが、本来の調子に近づきつつある。一方で老化からくると思われる症状も出てきて、実質的な一日の活動量は減少している事も確かである。

 多くの課題を抱えており、確実に問題解決をしていかねばと思っている。問題解決と言っても、如何ともし難い老化に抗いきれず、ペース配分をきっちりしていかないと長続きしそうにない。

 

5日(金) 19/24

 

 昨日と同様一日日射しは無かったが、日中雨が降る事が無く、涼やかで過ごしやすい一日だった。夕方気まぐれに庭木の剪定を行い、熊谷うちわ祭で山車が通る時に邪魔にならないようにした。実際にはほとんど道に張り出しておらず、問題は無いのだが、気分的にやらざるを得なかった。

 鼻炎スプレーの使用停止に伴い、今日も日中眠気はさして来なかった。年齢からくるのか、気だるさは抜けきらず、パソコン作業を集注して出来なかった。忘れ事も多く、出来るだけ備忘録に記しておくようにしているが、それでもちょいとした事を忘れ去ってしまう場合が頻繁にある。

 今夜洗濯をしようと洗濯機の蓋をあけて見たら、昨日か一昨日かハッキリしない洗濯物が入っていた。こんな調子でもまともに生活できるのか不安になってくる。

 テレビで、夫を事故で失った妻の話と、子供のころに家族を置いて出て行った父親を捜す娘のドキュメンタリーをやっていた。残された妻、家族の思いを感じる時、自分が妻を残して先立たなかった事を良かったと思った。妻を一人残す事は、私には考えられない事で、妻をも守りきれなかった悔いは一生付きまとうだろうが、供養を欠かさない日々に僅かながら充足感がある。

 最低でも90歳まで頼り頼られして生きて行く事が当然のことと思っていたので、先立たれた事に悔いが付きまとって、脳裏から離れる事はない。

 

6日(土) 曇・晴・小雨19/26

 

 朝のうちは雨が残ったが、日中は曇りが中心で、時々日射しが出て、洗濯物が乾いた。夕方には僅かであるが小雨がぱらつき、一日を通してみると梅雨らしい天気となった。7月に入って晴天の日が一日もなく、気温的には大変過ごしやすくなっている。

 今日も昼寝をせずに過ごせたが、パソコン作業に集中できず、気晴らしでついテレビを見てしまう。時間がどんどん過ぎて行く感じで、これから先どんな事になってしまうのだろうか、心配になってくる。今の自分にあるのは「愛先記」を書きあげることで、どれだけパソコンに向かっていられるかが、命運を握っている。

 パソコンに集中できなくとも、妻の素晴らしさが時々で湧きあがってきて、妻と共に歩んできた事が、どれだけ楽しかったのか、改めて実感する。妻は妻なりの役割を意識し、私は私なりの役割を意識し、独自の生活時間はあるものの、二人でいる事に充実感を味わえた。

 生きると言う事は、愛する者同士が時間をどれだけ共有できるかにかかってきて、その意味では、妻と共に人生を満喫してきた事は確かである。

 

7日(日) 曇・雨19/24

 

 今日も涼しい一日となり、生活をするには一番過ごしやすい気温と言える。梅雨時の本来の陽気と言う事になるのだろうが、ここまで涼しい日が続くのは珍しい気がする。平年並みならば良いのだが、40年程前だったか、冷夏に見舞われ、米が極端な不作となり、米騒動が巻き起こり、米屋に長蛇の列ができたのを思い出す。今夏が同様になるとは思わないが、異常気象が当たり前になった昨今であり、未だに1カ月先の見通しが予測できない天気予報の実情からすると、非常に気がかりである。

 日中睡魔が射す日々となっていたが、鼻炎スプレーの使用を停止して四日が過ぎ、昨日今日と昼寝をせずに一日を過ごした。パソコン作業などの集中力も幾らか取り戻し、時間は長いとは言えないが、以前の様に取り組めるようになった。反面、暇つぶしをしている事も確かで、楽に過ごせる時間を追い求めている。

 与えられた時間をいかに有効に過ごすかが、過去の人生の生き様で、時間の浪費を出来るだけ抑制してきた。それでも、疲れてくると暇つぶしに陥っていた。妻が亡くなる10年ほど前から、妻と出来るだけ時間を共有する事に重きを置き、妻が楽しめそうな観光旅行を年2回以上を目安に繰り返してきた。

 旅行のみならず、アウトレッドモールなどのウィンドショッピングを定例化し、昼食もウォーキングを兼ねて毎日外食をしてきた。妻が亡くなってからも、昼食を兼ねたウォーキングは今も続けており、妻の代わりに、妻が愛読した文庫本を持参して、読書をしながら食事を楽しんでいる。

 

8日(月) 19/25

 

 今日もここ何日かと同じような天気となって、最低気温は20℃を切り、最高気温は25℃以下となった。ここまで日射しが少ないと日照不足になって、農作物などに影響してくるのではなかろうか。涼しさの要因は、北海道東北沖のオホーツク海高気圧から関東方面へ寒気が流れ込んでくるようである。年数は忘れたが、10年以上前からこの時期に寒気が流れ込む事が何度もあり、寒気の流れ込みが長引くと農作物に影響し、冷夏となることがある。今年は冷夏の時と似ている様な気がする。

 今日の昼の散歩は、食後の帰り道を荒川河川敷コースを取り、荒川の流れに沿って登っていった。熊谷では大した雨になっていないが、秩父山系では大雨になったのか、荒川の流れは濁りを伴ってかなり早かった。野草が多く咲きそろい、ノカンゾウが多く咲いていた。

 荒川の草花の撮影は10年以上も滞っており、どんな変化があったのか全く見当が付かないが、種類が減った様な気がする。野鳥も同様で、何かが変ったのか、目を通しては全く見当が付かない。昆虫も含め、荒川の自然と縁遠くなった事は否めず、「荒川の自然」を作新する必要を感じた。

 「愛妻記」が中心になるが、2000年を区切りに、ホームページの見直し、更新、新規に力を注ごうと思っている。活動能力の低下は否めず、どこまでものんびりと進めて行くようである。

 

9日(火) 18/22

 

 最低気温はここ何日かとさほど変わらなかったが、一日日射しが無くて気温がほとんど上がらず、熊谷の最高気温は22℃だった。天気予報では日照不足と相俟って、冷夏の可能性を示唆していて、農作物への影響を懸念していた。昨日の日記で冷夏について記したが、全く蒸し暑さを感じずに済んでおり、異常な涼しさと言わざるを得ない。

 「セピアカラーの世界」では、海水浴の写真集ができ上がった。海水浴と言っても、水族館やプールを利用し、海では味わえない経験もしてきた。海水浴は大洗か阿字ヶ浦がほとんどで、海は泳ぐのが目的とならず、波乗りや砂遊びを楽しんだものの、泳ぐのは海に隣接するプールがほとんどで、地元のプールと共に、子供達は一人前に泳げるようになった。

 波乗りと言ってもサーフィンが盛る前の事で、浮袋に乗って波と戯れていた。子供達は波に押し流されるスリルを楽しみ、海水浴の価値が高まった。海がもっと近ければ、サーフィンの可能性もあったのだろうが、熊谷の立地だとスキー場の方が遥かに近く、次男は20歳頃からスノーボーダーになっていた。

 写真を多く残してきたが、どれだけ価値があるのか人それぞれと思うが、私の今の置かれた状況からすると、生きながらえる価値となって、非常に大きな成果だったと実感している。特にネガ写真をデジタル化できたことは、人生を大きく羽ばたかせてくれた。

 

10日(水) 18/24

 

 昨日と同様雨こそ降らなかったが、一日どんよりと曇って気温が上がらず、夏とは思えない涼しさだった。特に夕方から気温が下がった感じで、夜は室内にいても肌寒かった。日差しが無いので洗濯物が中々乾かず、溜まり始めている。日照不足が本格化して、農作物への影響は避けられないのではないか。

 睡魔に襲われると言う事で、鼻炎スプレーを常用しなくなって1週間となる。この何日かは昼寝をほとんどしておらず、日中色々と手掛けられるようになった。手掛けられるのはけっこうなことなのだが、すぐ疲れてしまい、パソコンの前に長時間座っていられなくなった。

 普段使っているパソコンが故障して、購入した店で修理してもらった。同時に買い替えの時期を意識するようになり、見積もりまで出してもらったのだが、修理後今までと同様問題なく使えて、買い替えを急ぐ必要性を感じなくなった。

 年齢的に考えると、いつまでパソコンを使いこなせるものか気になってくる。現状では集中時間が短くなっている事は確かで、先々まで見越す事がどうなのか疑問になってくる。「愛妻記」が完成するまでは何としても続けようと思うが、今の状態から考えるに、長い年月は無理な気がする。後1年ぐらいで「愛妻記」は完成させたいと思っているが、どうなる事やら。

 

11日(木) 曇・小雨18/22

 

 今朝の熊谷の最低気温は18℃と、七日続けて20℃を切った。昼の散歩では長袖を着るようで、全く夏の気配が感じられない。気象庁でも冷夏になる予想が出始めて、涼しくて楽だとばかり言っていられなくなった。オホーツク海高気圧の影響があり、過去の冷夏と同じ現象と言える。

 ネガ写真で冷夏を思わす写真集がある。1987(昭和62)年の7月28日から8月1日にかけて家族で「青森縦断旅行」をした時の事である。一番暑い時期だったが、晴天は一日としてなく、運悪く雨がちだった。半袖の夏らしい服装はほとんど出来ず、天候的には最悪だった。

 果たして今年の天候がどうなるのか予想ができないが、オホーツク海高気圧から吹き出た冷気が関東地方に流れ込む現象は何度も起こっている。冷夏傾向にあるものの、暑さが盛り返す年もあって、農作物に影響する夏はそれほど多くない。いずれにしても、人類の力では気象を左右するだけの能力は身に着けておらず、神頼みにならざるを得ない。

 

12日(金) 18/23

 

 昨日と同様一日日射しが無く、気温が上がらずに、熊谷の最高気温は23℃で、夏服では用が足りなかった。それでも過ごすのには負担が無く、一番いい陽気と言えるのかもしれない。若い頃は夏の暑さを苦にせずに、活動的だったが、年齢と共に、猛暑になると動くのが億劫になってしまった。

 「セピアカラーの世界」で、ディズニーランドに行った写真集を作っている。回数的には7回は行ったように記憶しているが、写真として記録されている回数は5回である。子供達が小学生までで、回数が多くとも飽きることなく、いつも楽しんでいた。

 妻にとって、子供たちが楽しむ姿を見るのが一番の楽しみで、妻も楽しそうにしていた。子供たちの笑顔を見るのも楽しみだったが、私にとっては、妻が楽しんでいる姿を見るのが旅行の最大の目的だった。夫婦二人旅になっても、妻が喜ぶ姿を見るのが目的で、妻の嗜好に合った旅を模索してきた。

 妻は旅行への思いをほとんど顔に出さなかったが、パンフレットの収集など、旅の記録を多く残していた。専業主婦だったが、体験が豊富な分、知識も豊富となっていた。それでも、知ったかぶりを恐れて、人付き合いで経験を語るのは避けていた。

 

13日(土) 曇・晴19/28

 

 一日曇りがちだったが、日射しの出る時間帯もあり、溜まっていた洗濯物が何とか乾いた。気温も上がって、熊谷の最高気温は28℃と、10日ぶりに真夏日間近となった。室内の温度はそれほど上がらず、今日も涼やかに過ごせた。

 昨日、墓参の関係で供花を購入した。家に帰ってくると供花が見つからず、購入したスーパーに忘れてきてしまったようである。昨年もお供え用の菓子を購入、同様に忘れてきてしまった事があり、その時はスーパーに問い合わせてが、残っていないと言う事で諦めた。

 今回は気がついた時点で諦め、他の店で供花を購入してきた。とにかく忘れっぽくなって、買物ではメモを持っていくが、それでも忘れたり、余計なものを買ってきたりして、正常とは言えない。昨夜は雨戸を閉めたか確認したつもりなのだが、いい加減だった様で雨戸が空いていた。雨戸をしめなくとも問題ないのだが、チェックまでしていてもちゃんと確認できておらず、何とも耄碌したものである。

 玄関だけは寝る前に何度も施錠確認をして、鍵のかけ忘れは今のところないが、保証されたものでは無く、チェック表が必要なのかもしれない。通常の事は備忘録でチェックをしているので大きな忘れ事はないが、閉じまりについてはチェックはしておらず、チェック表に追加する必要がありそうだ。

 

14日(日) 曇・雨20/24

 

 曇りが中心だったが、時々小雨が降り出して、全く日射しの無い一日だった。最高気温も25℃に届かず、暑さは全く感じられない、過ごしやすい陽気だった。7月に入ってまともに晴れ渡った日が一日もなく、日照不足による農作物への影響が心配されるところである。

 昨日も記した忘れ事の問題であるが、今日も忘れ事が多く出てきた。夜は雨戸を閉めて戸締りをするのだが、確認したはずの雨戸が閉まってなかった。雨戸の必要性がどれほどあるのか分からないが、一人暮らしと言う事で、今まで以上に神経質になっている。

 パターンを作って戸締りをすればいいのだが、気を利かせて空気の入れ替えなどをすると、必ずほころびが生じる。ロボット化して、決まった時間に必ず閉めるようにすれば忘れる事が少なくなると思うのだが、その日の天気によって空気の入れ替えを意識すると閉じまりに抜かりが生じ、規則性を逸脱するとほぼ100パーセントしくじってしまう。

 備忘録を作って予定と実行を記しているが、日常生活のチェック表は作っていない。チェック表を意識する事が忘却を防ぐ最善の方法である事は確かで、認知症の予防にもなるのではなかろうか。

 

15日(月) 20/25

 

 今日は雨こそ降らなかったが、日射しが全く無く、それでも熊谷の最高気温は25℃となった。今年の夏は日照不足は免れない様相となってきて、農作物の問題が出てくる事が予想され、倹約生活に支障を来すかもしれない。唯生きながらえるだけの生活では、出費は限定され、食料品が高騰しても何とかなると思われる。

 「セピアカラーの世界」では「ディズニーランド」の写真集を作っている。七度訪れていて、六回目を取り組んでいるところである。六回目にはディズニーランドの事情はすっかりわかっていて、過去の訪問で見学しきれなかった夜の「エレキトリックパレード」を目的としていた。

 日中も色々と見学をして、写真が膨大な枚数となった。言わば総集編の様な位置づけとなり、卒業旅行と言う事になる。以降、子供達から「ディズニーランドへ行きたい」との言葉は発せられなかった。写真からは妻も楽しんでいる様子が窺え、満足していたと思われる。

 自分自身はカメラマンなので、写真枚数が少ないが、子供達が小さいうちからカメラを持たせ、妻とのカップル写真も少なからず残っている。

 

 

16日(火) 19/25

 

 今日も日射しはほとんど出ず、薄日が時々射す程度で気温が上がらず、夏日ぎりぎりの陽気だった。雨が降っていないので大変過ごしやすい天気と言う事になり、夕方のジョギングは少しも苦にならなかった。今年は冷夏の可能性があるが、今日の天気予報では、7月下旬に入ると太平洋高気圧の勢力が強まってきて、梅雨明けの可能性が出てきた。

 睡眠に問題があって、就寝時間を24時を目安にして、ようやく規則的な睡眠ができるようになった。同時に昼寝をせずに済むようになり、一時に比べると体調が良くなった気がする。とは言っても七十歳と言う年齢には勝てず、老化が一段と進んだ感じである。

 日中のパソコン作業が順調になり、極端な遅れは無くなってきた。作成作業が苦にならなくなり、様々な発想が出てきて、まとまりが良くなってきた。まとまりが良くなると意欲が違ってきて、僅かな時間も惜しむようになってきた。

 体調改善を模索し、様々な事を試みてきて、ここにきて開花した感じである。何事も遅々として進まない時期があり、これから先どうなるのか危惧されたが、当面は順調な暮らしになると確信している。ただ、妻の供養の事を考えると、私が死んだ後にも墓を守ってくれる人を何とか見つけなければと、追いつめられた生活となっている。

 息子達がごく普通の人生を歩んでくれればなんの問題もないのだが、二人の息子は全く結婚に縁が無く、自ら結婚相手を見つける意気地も無く、こちらがお膳立てしない限り、結婚はあり得ない状況にある。縁を作れるものか、色々と足掻いて見たが、現状では全く可能性が無い。何とも辛いところである。

 

17日(水) 曇・晴20/31

 

 今日一日曇りがベースだったが、晴れ間も覗き、気温が上がって、熊谷の最高気温は今月に入って初めて30℃を越え、真夏日となり、洗濯物が良く乾いた。体感的にはそれほど暑く感じられず、室内にいる限りでは、過ごしやすかった。日中は室温が上がりきらなかったが、夕方から暑さがジワリと沁み込んできて、熱帯夜になる可能性も出てきた。

 「セピアカラーの世界」は、当初目標としていた「ディズニーランドの記録」まで進んだ。使用した写真枚数は現段階で1000枚に及び、写真集としては大規模になりつつある。全国名所巡り一覧にも計上し、探訪先は100か所を越え、自慢したい気分である。

 今回計上する写真集は、全て妻を伴った旅行記録で、箱入り娘だった妻を物知りにさせたと、つい自慢したくなる。妻はどこへ行っても地域の案内パンフレットを手に入れて、ポケットファイルで整理していた。それは妻が旅行を楽しんできた証でもあり、妻が亡くなって行けなくなったが、九州方面も予定していた。

 妻が亡くなってしまった今、どこかえ行きたいと、これっぽっちも思わなくなった。写真集は再編集して、心の旅を楽しみたいと思っている。

 

18日(木) 曇・雨22/28

 

 午前中は雨を免れたが、昼下がりから小雨が降り出して、夕刻には強弱はあったものの、本格的な雨模様となった。雨と共に熱い空気も流れ込んできたようで、夜はこの夏一番の暑苦しさとなった。熱帯夜までにはならないと思うが、今夜は寝苦しくなりそうである。

 「セピアカラーの世界」を手掛けてきて、目標としたところまで完成し、「愛妻記」と連動して何とか思い描いていた形ができ上がった。合わせて、「愛妻記」もリニューアルをし、道筋が完全に出来上がった感じである。暫く「愛妻記」から遠ざかっていたが、当面は「愛妻記」を中心に取り組めそうである。

 6月まで体調が芳しくなかったが、生活パターンを模索してきて、何とか落ち着いたようである。パソコン作業が定着し、昼寝はほとんどせずに済むようになり、進みも早くなった。同時に「愛妻記」の見直しをして、構成ができ上がってきた感じである。甘いかもしれないが、思い描いていた通りの「愛妻記」ができ上がると確信し、手法も確立できた気がする。

 

19日(金) 晴・曇・雨23/32

 

 熱帯夜までにはならなかったが朝の気温が高く、午前を中心に日射しがあって気温が上がり、熊谷の最高気温は30℃を越えて、今月になって2度目の真夏日となった。夜になっても気温が下がらず、この夏初めての熱帯夜になりそうである。

 「セピアカラーの世界」が一段落し、「愛妻記」も更新して、両者が一体なものになった。「愛妻記」では、当初対応の写真を出来るだけ掲載したが、概略写真にして、文章に重きを置く事にする。「愛妻記」の表紙からも「セピアカラーの世界」へ入り込めるようにして、セットで読み進んで行けるようにした。事によっては「愛妻記」の文言と対応写真をリンクすることも考えており、関連性をより深めようと思っている。

 文言の記録よりも写真の方が雄弁で、人物の心模様が読み取れる。特に妻の子供に対する愛情が素顔にほとばしり、妻が一層魅力的な女性に写っている。

 今までは「愛妻記」の区切りを意識して、少々焦っていた感があるが、これからはマイペースで妻の魅力を引き出していきたいと思う。

 

20日(土) 24/30

 

 今日は日射しがほとんどなかったが、熱い空気が関東地方にも流れ込んだようで、熊谷の最高気温は30℃の真夏日となった。むしむしとして、夜には一段と蒸し暑くなり、今夜こそ熱帯夜に成りそうである。昨夜までは寝苦しさに悩まされなかったが、今夜は避けて通れそうにない。

 「セピアカラーの世界」が一段落して、「愛妻記」と連動させる予定である。「愛妻記」でも写真を多く使っており、重複してしまうので、「愛妻記」に添付してある写真を間引く作業に入った。章によっては写真で膨大なページ数になってしまい、文章がおまけ程度になってしまった感がある。

 既にでき上がっているファイルを修正して、章の合併も考えており、「愛妻記」の道筋ができ上がりそうである。昭和49年から始まった「愛妻記」は昭和63年で家族を主体とした生活が一区切りとなり、その後も家族旅行に出かけているが、「巣立ち」を意識するようになって、夫婦旅行へと少しずつ切り替えていく。

 「セピアカラーの世界」が様変わりすることになり、今回は家族旅行の写真集で区切りをつけ、「愛妻記」も連動する形で作り替える予定である。

 

21日(日) 23/27

 

 今日は一日を通して日射しが無く、昨日の様に気温が上がりきらず、一日を通して暑さに悩まされる事はなっかた。夕方のジョギングでも楽に走れ、夜には大分涼やかになり、熱帯夜にはならずに済みそうである。

 熊谷では昨日から「うちわ祭」が始まり、街中は人通りが多かった。妻が亡くなる前年までは必ず祭見学に行き、写真を残してきて、「全国名所巡り」では「熊谷うちわ祭」の写真集も掲載している。

 妻とは昭和49年の婚約時代も祭見学をしており、混雑の中、いつも手を繋いではぐれないようにしていた。一時祭見学はほとんどしなくなったが、2012年から再び見学するようになり、祭の写真を大量に撮って、写真集を作るまでに至った。妻が生きていれば祭見学は続いたと思われるが、妻を失ってからは、昼食を兼ねた散歩でも祭を避けるように歩いている。

 私の人生は妻が一緒で成り立っていて、今は思い出を作る事を避けている。引きこもりにならない様に、散歩とジョギングは続けて行く積りである。

 

22日(月) 曇・雨21/24

 

 曇りが中心だったが、雨が降る時間帯もあり、スッキリしない一日だった。熊谷の最高気温は25℃を越える夏日が続いていたが、今日は24℃で、、一日を通してそれほど暑さを感じなかった。7月も20日が過ぎ、梅雨明けをしてもおかしく無い時期となって、どうやら何日かすると本格的な暑さがやってきそうである。

 荒川の自然を対象に平成25年までは本格的に撮影してきたが、以降撮影回数が激減、気まぐれに出かける程度になってしまった。今日は散歩の帰りに河川敷を歩いて見ると、色々な昆虫と出会えたが、名前が思い出せないものがほとんどだった。昆虫総数も大分少なくなった感じで、荒廃が進んでいるように思われた。

 現状では荒川探索は不可能で、昆虫とは縁が薄くなってしまった。我がホームページ「荒川昆虫記」では2500種を越える種類の昆虫を掲載しているが、撮影しても手をつけてない昆虫写真が少なからずあり、全てが整理できれば3000種に及ぶと思っている。

 現状では「愛妻記」を中心に取り組んでいるので、昆虫には手が出ないが、時間割を作って昆虫写真についても整理を図っていきたいと思っている。余生がどのくらい残っているのか想像が付かないが、自分が成してきた事業を総ざらいしたいと思っている。

 

23日(火) 22/31

 

 今日は一日曇り空だったが、薄日が差して気温が上がり、熊谷の高気温は30℃を越えて、真夏日となった。湿度は高そうだったが、気温の割には体感的に暑苦しさはなかった。天気予報を見ると晴天傾向の日が見えてきて、遠からず梅雨明けしそうである。

 お盆の関係でお寺さんに塔婆を申し込んだり、妻の命日に合わせて三回忌法要のお願いをしたりで、8月9月と妻の供養をするようである。妻が亡くなって、9月で丸2年になるが、あっと言う間の年月だった。妻恋しさは全く抜けず、未だに妻を追い求めている。妻の写真を見ると、一時でも心が安らぎ、苦悩から解放される。苦悩から解放された僅かな時間が生きる糧になっており、時には前向きに物事を考えている。

 妻の魅力が蘇ってくると、何と素晴らしい人生を歩んで来られたかと実感する。妻から遠ざかって新たな人生を作りあげて見ようとも考えるが、すぐに消え去って、妻の魅力を探求することこそ、最も相応しい人生に思えてくる。

 

24日(水) 曇・晴・雨23/32

 

 今日は曇りがベースだったが、日中は晴れ間も覗き、夕方には雨も降っていた。この2カ月、曇りや雨が中心の天気だったので、布団干しが中々出来ず、今日の晴天で思い切って干してみた。午後の2時間ほどだったが、寝具関係を真夏モードに変更できた。夜になっても気温が下がらず、熱帯夜対策の寝具に変更したので、今夜はどんなものか寝るのが楽しみである。

 「愛妻記」に関連して「セピアカラーの世界」を2カ月程かけて作りあげ、「愛妻記」の写真利用を削減する作業に入っているが、いささか疲れ気味で、思うように手が付かない。家の作業も色々出てきて、なおかつ息抜きが必要でテレビで時間を潰す事が多くなっている。

 パソコン作業に集中できないのは老化による集注力の欠如と見る事が出来、気長にこつこつと積み重ねて行くしか、生きながらえる方策はない。息抜きを主体とした生活に切り替えて、気分的にゆとりができたらパソコン作業に打ち込めばいいと、自分に言い聞かせている。

 

25日(木) 曇・晴24/33

 

 朝は熱帯夜にならなかったものの暑苦しさを伴っていて、晴れ間が覗くと一気に気温が上がり、熊谷の最高気温は33度の真夏日となった。梅雨明けと思われたが、天気予報では関東地方の梅雨明けは発表せず、関東地方へ接近しそうな台風の卵が北上傾向にあり、台風との兼ね合いで梅雨明けの発表があると思われる。

 昨日も暑くなったが、何とか堪えられる気温で済んだが、今夜はいつまでも気温が下がらず、本格的な熱帯夜に見舞われそうである。今までは、エアコンは無論、扇風機も使わずにきたが、今夜は扇風機に頼るようである。就寝時はエアコンの使用も考えるようであるが、出来るだけ使わないようにするつもりである。

 エアコンがあるのに使わず、熱中症でもなったら笑い者になってしまう。取りあえず扇風機で凌いでみるが、熟睡ができなければ時間の無駄遣いになってしまう。ここ何日かは、夏の暑さをどう乗り切るかにかかってくる。

 

26日(金) 晴・曇25/34

 

 朝の気温は熱帯夜となり、日中の気温は猛暑日一歩手前まで上がり、熊谷の夏本来の暑さとなった。日中は風があった所為か、気温の割には凌ぎやすく、散歩をしていてもそれほど苦にならなかった。本来なら梅雨明け発表があってしかるべきところだが、気象庁は台風の卵、熱帯性低気圧の動きを見守っているのだろう。

 「愛妻記」の掲載写真と、「セピアカラーの世界」の写真集と自ずから重複し、工夫が必要である。「愛妻記」では日記などの文章に付随させる形をとっており、あくまでも写真集では無い。今までは完全に写真集を同居する形となっていて、ページ数が多くなっていた。

 今回の編集では添付写真と位置付け、かなり限定していおるので、1ファイル100ページ以内に収めている。同時に、今後作成するファイルは日記の引用を増やし、文章が主体である事を色濃くさせようと思っている。旅行などでは計画書と記録書を作っており、文言としてもかなりの量になってくる。

 

27日(土) 晴・曇24/34

 

 晴れ間も覗く事もあったが、一日を通して曇りが中心で、それでも気温が上がって、熊谷の最高気温は35℃の猛暑日一歩手前の暑さとなった。熱帯性高気圧(台風)の影響で一日を通して風があり、気温の割りには暑さがそれほど苦にならなかった。夕方のジョギングでもそれほど暑さを感じず、走りやすかった。

 「愛妻記」のリニューアル(添付写真の削減)と「セピアカラーの世界」の開設で、昭和時代の家族物語が完成した事になる。本来なら妻が生きている時に作りあげ、進呈すべきところだった。結果的に3年遅れてしまった事になり、懺悔をするようである。

 家族写真は子供達が中心だったが、妻がセットされることがほとんどで、妻の姿も克明に残す事が出来た。私には妻がどこまでも魅力的に映り、生きる原動力だった。妻を失った今、妻を語り尽くす事が生きる目的となっている。

 

28日(日) 25/35

 

 ハッキリと覚えていないのだが、曇りの時間が多かったが、晴れることもあったように記憶しており、気温が上がって、熊谷の最高気温は35℃の猛暑日となった。いよいよ熱帯夜と猛暑日がセットされる季節がやってきたようで、熱帯夜対策を考えなければならなくなった。

 すでに仕上げていた「愛妻記」の全面更新を果たし、もれなく確認したところ、エラーは見つからなかった。息子達を交えた家族旅行の大半が描けて、夫婦だけで作りあげたおしどり生活に時代が移ろっていく。互いの存在価値が一段と高まったが、社会に対し、それぞれが果たす役割を意識し、妻は福祉活動(ホームヘルパー)、私は身近な自然観察(地球温暖化問題を意識)と創作活動へ力点を置いた生活となっていく。

 年2回を目標に遠方への旅行を意識し、日常的には二人で行動(散歩やショッピング)をし、二人でいる時間を多く取った。妻と二人でいる時は会話が弾んで大いに楽しみ、最高の人生を作りあげる事が出来た。経済的には家を建てかえで多大な額のローンを組んだ関係でゆとりが出来ず、倹約生活でもあった。

 二人で時を過ごすのには大金はいらず、ぎりぎりの生活の中でもロマンが感じられ、妻が一段と可憐に感じられた。妻が亡くなる5年ほど前から、昼は食事を兼ねて散歩(ドライブの時もあった)をし、行きつけの店も幾つかできた。そのうちの一つにコーヒー店があり、妻が亡くなってからも、妻の愛読書を携えて、一人で毎日のように行っている。

 

 

29日(月) 晴・曇25/36

 

 今日は熊谷の最高気温は35℃を越えて、正に猛暑日となり、本格的な真夏と実感したが、関東の梅雨明け発表はなかった。気象庁では先進のコンピューターを使って気象予測を立てているようだが、実態に合った予報が必ずしもできているとは言い難い。梅雨前線の影響による雨は遠退いて、真夏モードになっているが、慎重と言うべきか、天気予報の誤差が大きいと感じられる。

 「セピアカラーの世界」を取り組んできて、他の事が疎かになり、表面的には進歩が無くて、「愛妻記」が滞っている事は確かである。気力も凪いで来て、時間があると見返して時を過ごし、先へ遅々として進まなくなってしまった。

 日記はまだノートの段階で、旅行記録を多く残してきており、先へ取り組む材料は少なからずある。迷う必要はないのだが、気力が伴わず、宙ぶらりんの生活を改善できない。増しては猛暑が本格化し、一層怠惰な生活となる事は明らかで、気力の充実が望まれる。

 残念ながら意識が散漫で、何事も集中して取り組めけなくなっている。今こそ堪え時で、老齢を少しでも押しのけて、創作三昧の生活に何とか取り戻したいものである。

 

30日(火) 晴・曇25/36

 

 熊谷では三日連続で熱帯夜と猛暑日となり、今日は特に暑さがジワリと押し寄せてきた感じで、動くのが億劫になった。関東地方の梅雨明けの発表があったのかどうか、ハッキリしないが、熊谷本来の夏らしい一日だった。日中の暑さは堪えられても、熱帯夜だけは抗いきれず、昨夜は扇風機を付けっ放しで寝るようだった。

 生活を、創作中心に戻そうと思うのだが、思うように動けなくなって、「愛妻記」は全く進展が無い。たまに構想が浮かぶのだが、パソコンに向かう事が出来ず、心身ともに夏休みモードになっている。そもそも考えるのが億劫となり、季節的にはますます暑くなる事が目に見えていて、心身ともに夏休みモードになるのは避けがたい。睡眠や食事、買い出しなどは全く問題が無く、思考力の低下は否めない。一方で、妻への思いはますます強くなり、置き去りにされた気分となってしまう。自分の終焉をどうするか考えるようになり、全く見通しの立たない現状に、気持ちが重くなる一方である。

 「愛妻記」に専念して、妻との語らいをどれだけ作りあげられるかが、生きる意味合いに繋がってくる事は確かである。妻の写真を見る事が、明るい兆しを見いだせる、唯一の手だてである。

 

31日(水) 晴・曇26/36

 

 熊谷では猛暑日が四日連続となり、熱帯夜も同様で、本格的な暑さをやり過ごすのが大変である。昨日までは暑くとも生活は大きく変わらなかったが、今日は午後から身動きが取れなくなり、扇風機を使ってごろごろしているようだった。一日置きのジョギングも休み、熱中症対策に終始した。天気予報によると暫く同様な暑さとなりそうで、踏ん張りどころである。

 気が付くと7月も今日で終わり、足早に時が過ぎて行く感じである。思うように動けないので、先が全く見えなくなり、時を彷徨っている感じである。猛暑が負担となって身動きが取れず、これから先どうしたものか考えざるを得なくなってきた。

 何でも手をかければその気になって一定の到達点に歩を進められたが、肝心の気力が満ちて来ず、何事に対しても逃げ腰になってしまう。猛暑を何とか乗り切れば状況が変ってくるかもしれないが、年齢的な問題も意識せざるを得ない。