『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年6月

 

1日(土) 晴・曇17/28

 

 気が付くと6月に入っていて、やり残しが少なからずある様に思えてくる。実質的な作業時間が非常に短くなり、何をやっても進みが遅く、こんな調子で生活していたらどんなことになってしまうのか、疑問となってくる。今のところ疑問で済んでおり、老化を肯定して生きている。何もできないのでは困りものであるが、限定的でも目標を持って生活を営んでおり、生きている証をしっかりとつかんでいる。

 まだアップロードしてないが、「セピアカラーの世界」が順調に進み、一区切りさせて「愛妻記」を進めようと思っている。何をやっても時間がかかり、事前作業が中途半端だった可能性も出てきて、一度、今迄やってきた事を総ざらいしてみようと思っている。

 進みが遅いが、確実に進んでおり、「愛妻記」関連の旅行記を中心とした冊子が多く出てきて、創作の素材には事欠かない。正に創作作業で、厄介でも面白く感じられ、妻の存在がますます大きくなる。妻との語らい見たいなもので、辛さより楽しさが醸し出され、改めて妻に夢中になっている。生きる意味合いがふんだんに溢れ出て、様々なイメージが描けるようになってきた。やる事が一杯で少々疲れ気味で、昼寝が日課となってしまった。

 

2日(日) /19/25

 

 雲の多い天気で気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は25℃止まりで、一日を通して暑さに悩ませる事は無かった。この頃、ジョギングの回数が減って、一日置きが基本なのだが二日起きが多くなってしまった。一日空けるのは回復に時間がかかるのを補うためなのだが、二日空くと補うから衰えへと様変わりし、三日目に走ると足が重くなってしまう。70才になって、年齢からくる衰えは否めず、少しでも現状を維持しようと躍起になっているところである。

 「セピアカラーの世界」を一区切りさせるべく、整理を図っているところである。「愛妻記」の進捗状況に合わせて進めて行けばいいので、全部先行して作りあげる必要は無い。私にとっては自己満足の世界で、妻を蘇らせ、家族の成せる幸せを蘇らせる、非常に楽しい作業である。

 妻との幸福な日々を蘇らすと、次第に妻を失った大きさを思い知らされ、辛くなってくる。これから先どんな事をやっても、辛さは消えるはずもなく、時として開き直り、妻と腕を組んだツーショットを見て、本当に幸せな人生だったと、自己満足している。

 

3日(月) 曇・晴19/28

 

 今日も雲が多めで気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は30℃を下回った。むしむし感もなく、家にいても比較的過ごし易い天気だった。天気予報によると、関東地方の梅雨入りも遠からずの様で、生活がし辛くなる。とは言っても、昔の様なじめじめした天気が長く続く事が無くなり、梅雨の中休みが多い傾向である。

 「セピアカラーの世界」に伴って、昔の資料を引っ張り出してみると、旅行経過をかなり細かく記してある資料が出てきた。一つは今も続けている計画表で、パソコンが普及し始める前のワープロでかなり細かく記録されていた。他にも車の運行記録や旅行記録も出てきて、「愛妻記」の作成資料にも事欠かない。

 写真の方が整理しきれておらず、アルバムに残されていない写真も多く出てきた。そのほとんどがネガを現像しており、スキャナーで存分に画像化できる。

 旅行回数は減ったものの、1991年からの旅行は計画(記録)表に余さず残されており、日記や写真と照合すると、我が家の事が全て見えてくる。その他にも旅行記録が多く残り、日記帳にも記されているので、「愛妻記」を存分に書き綴る事ができそうである。

 

4日(火) 曇・晴18/30

 

 午前中は雲が多めだったが、日中は晴れ間が覗く時間が長く、熊谷の最高気温は30℃度で真夏日となった。空気が乾燥しているのか、気温が高い割には汗をそれほどかかず、室内にいる限りでは真夏の暑さは感じなかった。夕方のジョギングでも大分涼やかで、薄手の上着を一枚羽織ってちょうど良かった。

 「セピアカラーの世界」に係わって、「カヌークルージング」の写真を見つけてみると、3回分しか残っていなかった。3人乗りのカヌーで、陸地から撮影するしか無く、撮影枚数も限定されるので少なく、写真枚数は全部で20枚程しか残っていなかった。

 「カヌークルージング」も機会が少なく、子供達が成人してからも使わなかったので、カヌーは宝の持ち腐れになってしまった。テントも同様で、一時であっても家族旅行にはこの上ない道具だったが、孫でもいれば再利用できるのだが、今となってはそれもかなわず、自分が元気なうちに処分するしかない。

 

5日(水) 晴・曇20/28

 

 今日は一日を通してスッキリと晴れる時間が短く、熊谷の最高気温は28℃止まりだった。外で日射しを受けると暑さがジワリと迫ってきたが、家にいる限りでは大変過ごしやすく、昼寝日和だった。鼻炎の液剤を噴霧している関係で、頭が重くて眠気が射し、横になるとすぐに寝付いてしまう。昼寝をしてもスッキリすることなく、頭が重い毎日である。

 「愛妻記」と「セピアカラーの世界」は同時進行が合理的で、遠からず歩調が位置しそうである。「愛妻記」は、昭和が終わるところまで進んでおり、「セピアカラーの世界」は平成一桁台まで進める予定で、それほど時間はかからずに、歩調が合ってくると思っている。

 「愛妻記」は文章を中心にし、重複する写真が出てくるものの、無意味ではない様に工夫するつもりである。要所要所の写真を流用するが、写真で物語るつもりはない。日記の他に築き上げてきたものは、膨大な旅行記録であり、そのまま「愛妻記」に引用できる。当面は妻を追い求める生活が続けていけそうである。

 

6日(木) 晴・曇19/34

 

 今日は猛暑日にはならなかったが、昼ごろから気温がジワリと上がり、熊谷の最高気温は34℃となった。真夏の天気に突入と思いきや、天気予報だと梅雨入り間近と予想され、高温状態は何日も続かないようである。今夜は気温が下がりきらず、熱帯夜も遠からずと思われる。

 「セピアカラーの世界」の進捗状況は、当座の目安としてあった時期まで進み、残すところ、繰り返して出かけた旅行の総集編だけとなった。ほとんどが「愛妻記」で紹介している行事で、元データは既に出来上がっている。それが完了したら「愛先記」に戻る予定である。

 鼻炎の液剤を噴霧してきた所為か、眠気が頻繁にさしてきて、何事も遅々として進まず、液剤の使用を一時停止することにした。鼻炎の症状とすると幾らか良くなった感じで楽になってきており、このまま使用停止して鼻炎の症状が薄れればいいのだが、そう簡単には行かないと思う。

 

7日(金) 雨・曇18/23

 

 今日は午前中から本降りの雨となっていて、強弱はあったものの、熊谷では一日雨模様だった。気温も上がらず、昨日の最高気温より10℃以上も低い、涼やかな一日となった。過ごしやすさからすると、今日の様な陽気が一番である。

 昨夜から鼻炎の液剤の噴霧を中止したら、今日一日昼寝をしなかった。横になって見ても寝付かず、噴霧してた時の様な不快感も無かった。明らかに副作用があったと言うことで、取り止めにして正解だった。何軒か薬局で鼻炎剤を見のだが、どう言うわけか同じものは置いてなかった。ことによると副作用の問題があって販売停止となっているのかもしれない。

 今日一日鼻の具合を見ているのだが、使用している時と大きな違いは無く、鼻炎の症状が復活したとは断定できない。このまま推移すればいいのだが、鼻炎の症状が出る様だと、不快になる事が多くなり、新たな対策を考えるようである。

 

8日(土) 曇・晴18/27

 

 雲の多い天気だったが日射しもあり、熊谷の最高気温は27℃で、この時季としては比較的過ごしやすい陽気だった。室内にいても程良い暖かさで、昼寝こそしなかったものの、のんびりできた。雨さえ降らなければ一番過ごしやすい天気と言える。

 今日は一日のんびり過ごしたので、パソコン作業は滞りがちで、良いテンポで進んでいた「セピアカラーの世界」も足踏みをしてしまった。鼻炎薬の影響で体調が悪かったこともあって、何事も牛歩の歩みとなり、気分的に視界が悪くなった感じである。

 「愛妻記」が中心の生活に、少々休養をとり、やり残しに手をかける必要がある。我がホームページは、「荒川昆虫記」がベースとなっているのだが、未紹介の写真が数多く埋もれていて、こっちの方も区切りをつける必要がある。「野鳥」も「野草」も同様で、埋もれてしまった写真が少なからずある。

 どれも量が多いので一気に片付けることは不可能で、長期的な展望を立てて取り組んで行く必要がある。妻を失って生きることの辛さを噛みしめる毎日であるが、もし妻が生きていれば、何でもきっちりやる事を望んでいたはずで、妻の気持ちに応える意味でも、やり残しを少しでも減らす必要がある。健康が維持されている限りは、とことんやってみようと思っている。

 

9日(日) 雨・曇15/20

 

 朝から雨がちで、気温が大分下がって、熊谷の最低気温は15℃止まりで、日射しが無いので気温も上がりきらず、最高気温は20℃止まりだった。最高気温が30℃以上と25℃以下を行ききし、体調維持が難しく、着こなしには充分配意する必要がある。

 鼻炎薬の影響で睡魔に襲われる事が頻繁にあったが、中止してから3日目で、本来の生活の戻った感じである。逆に鼻炎の症状が復活した感じで、痰が喉に絡むようになってしまった。酷い時から比べると些細な症状なので、何日か様子を見る必要がある。

 「セピアカラーの世界」の進捗状況が芳しくなく、完全に滞るまでにはなっていないが、何とか通常のペースに戻さねばならない。「愛妻記」を中心に取り組む時期が、どんどん先延ばしとなり、頭の回転が悪くなる一方なので、一定のペースを維持したいものである。

 

10日(月) 15/18

 

 一日雨となり、気温が上がらず、熊谷の最高気温は18℃と、肌寒い涼しさとなった。今日の様な長雨は久々で、梅雨らしいと受け止めれば、この時季本来の天気と言う事になる。仕舞いかけた春向きの衣類を引っ張り出すようだった。

 鼻炎用の噴霧剤を停止して3日目となり、今日は極端に涼しいと言うこともあって、鼻炎の症状が元に戻ってしまい、不快な時間が頻繁にあった。一方で眠気が薄れて、昼寝をせずに一日過ごせたが、集中力がすぐに薄れ、時間潰しの時が多くなった。今後どう対処するか悩むところである。

 鼻炎剤を噴霧するのに合わせ、寝酒として愛飲してきたブランデーを飲まなくなった。再び愛飲するかどうかも悩むところであり、今朝は予定通り起床し、昼寝もしなかった事を考えると、寝酒の必要性が希薄になったと考えざるを得ない。より規則的な生活を目指しており、どうする事が一番適切なのかまだハッキリしない。

 妻を失った時の精神的な痛手は大きく、不眠傾向や、体温維持が難しかったが、ブランデーが良薬になって生活を取り戻す事が出来た。今の精神状態は、苦しみから妻を追い求める生活へと転換し、苦しみは大分和らいでいる。ブランデーを愛飲するか、考えどころである。

 

11日(火) 曇時々雨15/24

 

 一日曇りが中心で、雨は時々ぱらつく程度で、散歩やジョギングをした時には雨の影響を受けなかった。最高気温は24℃で、比較的過ごしやすい陽気だった。30℃越えの真夏日を経験し、感覚的には真夏モードになっていたので、着る物など少々悩まされ、風邪気味になってしまった。

 「セピアカラーの世界」は家族旅行で何度も行った場所の総集編を手掛けており、子供達が幼児だった時に5回も行った「那須旅行」が何とか完成した。冒険旅行の先駆けで、遊園地での乗り物が年々冒険度が増していき、最後に行った時には、子供達は一人前の顔をして乗り物に乗っていた。

 定例化した那須旅行の途中から、「ディズニーランド」行きが定例化し、「那須ハイランド」は卒業する形となった。ディズニーランドのみならず、埼玉県内にも「テーマパーク」が幾つもでき、子供達の成長に合わせて冒険を楽しんだ。

 定例化した旅行には、海水浴とスキー旅行があり、海水浴は長男が10才になるまで、スキーは長男が16歳になるまで続いた。次男に関しては平成18年からスノーボードに変更、私が指導する形で2年程付き合った経緯もある。

 

12日(水) /15/23

 

 曇りがちの一日で、それでも薄日が中心で日射しが出る時間帯もあり、久々に雨は免れた。少々涼しさが勝ったが、過ごしやし一日で、肉体的には大分楽だった。天候の所為か、昼寝が常習化していたのに、今日は日中眠気が射して来なかった。

 年齢と共に忘れっぽくなっていたが、妻を失ってからは痴呆になってしまったように思えてくる。備忘録ノートを作成して、やった事は出来るだけ残しておくようにし、それで何とか賄っているが、前日の事すら記憶になく、特にジョギングをしたかどうか、記録表で確認しないとちゃんとした答えが帰ってこない。

 今日もジョギングをしたのだが、昨日しなかった前提で走っており、記録表を見たら昨日も走った事になっていた。基本は一日置きとしており、この一年、二日続けて走ることはほとんどなかった。今日のジョギングは二日続けてと承知していたのか、記録表で昨日走った事を確認しなかったのか、ハッキリしない。

 事によると、非常に危険な状態(痴呆)に陥ってしまったのか、自分には分からない。ただ単に物忘れが酷くなっただけならいいのだが、頭が整理できない状態なのか、備忘録をこまめに書いて、診断してみる必要がある。同時に睡眠についても同様で、就寝時間を何時にし、起床時間を何時にするか、試行錯誤する必要がある。

 

13日(木) 15/29

 

 今日は晴天がベースで気温が上がり、最高気温は30℃までは達しなかったが真夏の陽気となった。湿度が低い所為か、それほど暑くは感じられず、室内にいる限りでは、暑からず、寒からずで、大変過ごしやすかった。梅雨が遠のいた感じだが、明日は夕方には雨模様が予想され、梅雨らしさが戻ってきそうである。

 今日は妻の月命日で墓参に行ってきた。毎月行っており、花を手向け、線香をあげてくるのだが、今日はうっかりして線香を持参するのを忘れてしまった。大事な事は何でも記録し、うっかりミスを出来るだけ少なくしようと思っているのだが、確認を忘れてしまう事が頻繁にある。それでも線香を忘れたのは今回が初めてで、認知症の症状が出ているのかもしれない。

 確認しても忘れてしまうこともあり、今のところ大事に至っていないが、大変な事態が起こりはしないか心配でならない。ただ、今は大変な事態になる様な事は手掛けておらず、忘れても取り返しが利く事ばかりである。人間関係に及ぶのだと大変な事になってしまうが、今は警戒して人との接触を出来るだけ避けており、外食や買い物で人との接点があるだけで、特別な問題が起きずに済んでいる。

 

 14日(金) 曇・晴18/28

 

 雲の多い天気だったが日射しも出て気温が上がり、熊谷の最高気温は28℃と、それほど苦になる暑さでは無かった。夕方のジョギングでは薄手の長袖を羽織ってちょうど良かった。梅雨入りが発表されたものの、雨の影響はほとんど受けていないので過ごしやすい。

 鼻炎スプレーの使用を控えてから、昼寝をすることが少なくなり、作業をする時間が多く取れるのだが、のんびりする時間が長く、何事も遅々として進まなくなってしまった。それでも日課としているウォーキングと一日置きのジョギングは何とか続けており、体調的には一時より大分良くなった感じである。

 高齢になると体調維持が重要で、規則性を持った生活が望まれる。規則性は常に意識しているのだが、忘れっぽくなって、規則性にどうしても乱れが生じてしまう。何とかしなければと思うのだが、忘れっぽくなっているのは如何ともし難く、どうしてものんびりしてしまう。のんびりこそ年寄りの特権で、時の流れに身を委ねて、その気になったらのんびりやればいいと、思えるようになった。

 

15日(土) 15/21

 

 今日は一日雨降りで、強弱はあったものの、雨が完全に止んだ時間は無かった。気温が上がらず、熊谷の最高気温は20℃を少し超えた程度で、夏らしさは全く無かった。室内でいる時も暖房器具が欲しいくらいで、重ね着をするようだった。

 「セピアカラーの世界」で、家族スキー旅行の写真集を取り組んでいるが、スキーの写真を撮るのは難しく、撮影枚数からするとそれほど多くない。望遠レンズを使って撮影すれば滑走シーンも撮れるのだが、昭和60年代では望遠レンズには手ぶれ補正が無いので、長い距離の滑走を写し撮ることはできなかった。

 望遠撮影には技術を要し、にわかカメラマンでは扱いきれず、宝の持ち腐れだった。デジタルカメラが普及し、手ぶれ補正があって、連写も可能だったので、2000年代に入って、次男のスノーボードでは、かなり鮮明な写真が撮れるようになった。(スノーボード写真集も作成)

 子供達と共に行動していた時代は、子供達の写真も多く残してきたが、1990年代になると子供と行動を共にすることはほとんどなくなり、妻か、私と二人で写っている写真しか残っておらず、大半は風景写真で、デジタルカメラになってからは、プリントまで全て自前でやっていたので、1年分でネガ写真の枚数を越えていた。

 

16日(日) 晴・曇16/32

 

 今朝は16℃と大分涼しかったが、一日よく晴れて気温が上がり、最高気温は30℃を越えて、久々に真夏日となった。空気が乾燥していたようで、真夏日になってもそれほど暑苦しと言う感じはなく、室内にいる限りでは涼やかだった。

 就寝時間を3日前から24時を目安にし、従来より1時間遅くした。起床時間の目安も自動的に1時間遅くなり、比較的いい睡眠が取れている。従来は昼寝をしないといられなかったが、昨日今日と、横になっても寝付かず、昼寝の習慣が薄らいだ。

 昼寝が少なくなれば、パソコン作業が増えると思っていたが、集中できずにテレビを見て過ごす時間が長くなった。暫く様子を見るようだが、かつてそうだった様に、24時就寝に替えた事が、日中の活動量を増やす事に結びつけばいいのだが。

 

17日(月) 晴・曇19/28

 

 昨日の暑さから今日も気温が上がると思っていたが、雲も多かった所為か、最高気温は30℃に満たなかった。夕方になると気温が下がって、夜は大分涼やかで、大変過ごしやすかった。気温的にはいいのだが、体調がスッキリせず、どうしてものんびりしてしまう。体調の問題と言うより、年齢からくる衰えと考えるべきなのかもしれない。

 妻が生きている時は、毎日妻と一緒に過ごす時間があり、妻との時間が充足感となり、生きているとの実感があった。今はただ妻を追い求めているだけで、存在しないという現実が、充足感と縁遠くしている。妻と過ごした証を紐解くことが生きる目的で、心の内で妻との語らいを楽しんでいる。返事のない会話でありながら一時の安らぎを得て、規則的な生活を作りあげようとしている。時計と同じで、表示されるものは時間だけで、時間を追いかける生活となっている。

 時間との競争は決して面白いとは言えないが、確実に時を進める、最も生きやすい生活と言える。今あるのは過去だけであり、未来については全く見通しが立たず、自分の力ではどうにもならないことも分かっている。自分はいったい何をしてきたのか考えると、妻の幸福を確保することで、死んでしまっては何もしてやれない。正に八方塞がりの余生である。

 

18日(火) 晴・曇17/29

 

 日中、外では暑さがジワリと押し寄せてきたが、空気が乾燥しているのか、室内にいる限り涼やかだった。以前は夏場でも風通しを良くすべく、出来るだけ窓あけるようにしていたが、妻が亡くなってからは、夏場は窓を閉め切りにし、スダレを垂らして日射しを弱め、室内の温度を上げないように工夫した。昨年の夏は籠り型の暑さ対策が功を奏し、エアコンは一日を通してほとんど使わなかった。その経験から、今年も外気を出来るだけ遮断するようにして、今のところエアコンの世話になっていない。

 「セピアカラーの世界」の関係で家族スキー旅行の写真集を作っている。スキー旅行の回数は多く、1983年〜1992年の10年間で25回以上行っている。集中して20回、本格指導すればかなり上達をするのだろうが、指導すべき本人がそれほど上達しておらず、子供達に好きに滑らせ、もっぱら写真を撮っていた。

 10年もやらせれば大方の斜面は滑れるようになり、妻を除き、3人で追いかけっこをして滑り下りられるようになっていた。指導する側が初心者の域を越えておらず、自己流の滑りで楽しんでいた。妻はほとんど付いてきていたが、子供達に後れをとっている事を承知していて、留守番に回る事もあった。それは親離れが進んだことを自覚していたと言える。

 

19日(水) 晴・曇20/29

 

 今日も最高気温が30℃間近となったが、外を歩いても暑苦しさがなった。室内は閉め切りの関係で温度がそれほど上がらず、大変過ごしやすい涼しさだった。夕方に我が家のモッコウバラの選定を行い、1時間以上外にいたがほとんど汗ばむ事はなかった。

 この頃体調維持が難しく、慢性疲労の感がある。ウォーキングやジョギングの負荷が大きい可能性もあるが、止めてしまったら肉体の老化が促進されるのは間違いない。少なくともウォーキングは健康維持には欠かせない運動であり、動けなくなるまで続けるつもりである。

 ジョギングは肉体にどんな影響を及ぼすのか、文献で調べたわけではないが、過去の経過からすると、運動量の加減が年齢と共に減少させる必要性を感じてきた。極端に減らしてしまうと足に老化が押し寄せてくるのを実感したことが何度もある。とにかく、バランスを見極めることが肝心で、続けて行く事に越した事はない。

 70才になって明らかに曲がり角に立っており、いい加減が重要である。

 

20日(木) 曇・晴21/29

 

 雲の多い天気だったが気温が上がり、熊谷の最高気温は30℃近くまで上がった。暑さはそれほど苦にせずに済んだが、睡眠の問題があるようで、一日スッキリせず、倦怠感に苛まれた。そろそろ本調子にしなけらばと焦っているが、何をどうすればいいのか、打つ手が見いだせない。

 普段使っているディスクトップパソコンが立ちあがらなくなり、今日の日記は亡くなった妻のノートパソコンを使用して、何とか凌ごうと思っている。ディスクトップパソコンは購入してから10年になり、買い替えてもいいのだが、使い慣れていて、今までは問題なく使えており、何とか現状維持をしたいと思っている。

 手持ちのノートパソコンは使いづらく、日常ではほとんど使用して来なかった。今日の日記は妻のパソコンで何とかしようと思うが、早急にディストップパソコンを修理して、修理ができなければ新しいパソコンを購入するようである。

 

21日(金) 晴・曇20/28

 

 午前中を中心に晴れていて、午後は僅かな違いで雨や曇りがあり、駅周辺では小雨が降り、駅から1キロ程の我が家周辺では雨は降らなかった。洗濯物も問題なく乾き、涼やかで大変過ごしやすかった。

 昨日、普段使っているパソコンが故障して、早速修理に出した。故障の原因は、ハードディスクの電池が切れていて、交換で元に戻った。今回、すぐに修理できたが、古いがために発生する問題が多くあるようで、新たにパソコンを購入するようである。

 見積もりを出してもらうと、20万円は楽に越えてしまいそうで、我が人生の先行きを考えると、古いパソコンを誤魔化し誤魔化し使っていくのが望みだが、余生と考えると、パソコンを生きる盾として、踏ん切りをつけるのもいいのかもしれない。

 今の自分からパソコンを取ったら何も残らず、パソコンは、亡くなった妻替わりでもある。

 

22日(土) 曇後雨後曇20/26

 

 午前中曇りの傾向で、昼ごろから雨が降り、夕方には雨が止んでいる時間帯もあったが、小雨は完全には上がりきらなかった。気温も上がりきらず、温度的には過ごしやすく、むしむしした感じはなかった。

 長年愛用してきたパソコンが故障し、修理に出したら簡単に直り、取りあえず原状復帰が叶った。故障は2度目で、寿命が来ていると考えるべきなのだろう。

 パソコンのみならず、家電製品は買い替えの促進を図る目的で性能を落とし、一定期間が過ぎたら故障する事を目論む企業も少なくない。中にはSタイマーと称される、粗悪品を製造し、どんどん新機種を発売して買い替えを促進する、あこぎな商売をするメーカーも出てきて、結局、製品が売れなくなって破綻状態に陥っている。

 昨今は粗悪品は少なくなったようだが、元の黙阿弥で、買い替え時期が延びて、中々売れない時代となっている。これらの事を総合的に考えると、故障が起こらない限り、現用のパソコンにこだわるのがいいのか、新たに購入して、余生の道具として使いきってみるのも一考に思えてくる。

 

23日(日) 曇・雨19/25

 

 物忘れが酷くなって、今日一日の天気を思い出そうとしても答えが出ず、日記の書く時悩まされている。散歩に出た時、傘を差したかどうかで判断するが、散歩中傘をささないと、一日を通してどんな天気だったのか全く思いだせない。備忘録に書くのだが、朝の時点の天気を記録するだけで、日中がどんな空模様だったかまでほとんど記録しておらず、こうして日記を書く時に大いに悩まされる。

 ここ暫く、睡眠の問題もあって、パソコン作業に中々集中できず、「セピアカラーの世界」が遅々として進まなくなってしまった。パソコンも故障した事も災いし、生活の立て直しが中々出来ない。今日は日中睡魔に襲われる事が無く、昼寝はしなかったが、気が散漫で、自分がいったい何をしようとしているのか分からなくなってしまった。それは、あくまでも一時的なもので、夜になってからは迷うことなく普段の生活に戻っていた。

 能力の衰えは否めず、いつまでパソコンを中心とした生活を維持していけるのか、見当が付かない。パソコンの新規購入を考えているが、先行きの展望が立たないので、じっくり検討する必要がある。

 

24日(月) 雨・曇18/22

 

 午前中は雨が降り続き、午後から降ったり止んだりで、夕方にはほとんど雨は上がっていた。日差しが無いので気温が上がらず、梅雨寒の一日となった。雨が上がったので荒川河川敷のグランドにジョギングへ行ったが、ぬかるみはなく、靴を濡らさずに走ってこれた。

 睡眠の取り方を改善してきて、比較的有効な就寝となり、昨日今日と昼寝を試みるが、寝付かなかった。今までの様に眠気が射して来ず、一日の時間が長く感じられた。空き時間をパソコン作業に向けられればいいのだが、すぐに気だるくなって、テレビを見たりして時間潰しをしている。ただ、生活改善の兆しが感じられ、何日かすれば実働時間が長くなると思っている。

 70歳と言う年齢をどの様に受け止めるべきか、全く分からないが、創作に拒否反応が生じるかどうかがバロメーターになると踏んでいる。睡魔に襲われない限り、創作時間が固定してくると期待している。

 

25日(火) 晴・曇17/29

 

 日中雲が広がりやすかったが、晴天傾向で気温が上がり、久々に30ど間近まで気温が上がった。空気は乾燥しているようで、気温の割には涼やかな感じで、特に室内では大変過ごしやすかった。着る物がいつまでたっても真夏モードにならず、室内では長袖が欲しいくらいである。

 「セピアカラーの世界」では家族スキー旅行の写真集を作っているところで、息子達が中学から高校へと進学する段階となって、家族スキー旅行は終焉を迎える。ただ、子供達独自ではスキーに行っておらず、高校へ入っても親頼りで、私自身がほとんど行かなくなって、写真も残っていない。

 長男は全く縁遠くなったものの、次男は高校を卒業するとスノーボードに転進、私が付き合わせるようになって、指導を乞われた。私はスノーボードの経験は全く無く、興味すら持っていなかったので、付き合う理由がなかったのだが、経済支援と合わせて同行するようになった。

 私自身、スキーですらへぼ状態で教えられずが無いのだが、息子の滑りを見ているうちに何となくスノーボードの滑りのイメージが描けるようになり、徹底指導する事になる。スキーについてはイメージを描いて滑った事が無く、へぼ状態から脱却出来なかったのだが、息子のスノーボードを見ていると何となく技術的な事が見えてきた。

 息子は、一シーズンで格好が付き、二シーズン目にはかなり上達し、急斜面も難なく滑れるようになり、アルペンスノーボードでは上級者に躍り出ていた。スノーボーダーのみならず、スキーヤーにも注目されるようになり、目立った存在になっていた。

 「セピアカラーの世界」では、今「スキー旅行の記録」と題して写真集を作っており、1983〜1992年10年間のスキー経験を披歴している。10年やってきてやっとスキーらしくなっており、妻は子供達に後れをとっているが、スキー旅行に付き合う気概は持っていた。

 

26日(水) 晴・曇21/32

 

 雲が張り出す事もあったが日射しが多く出ていて、熊谷の最高気温は30℃を越え、洗濯物が良く乾いた。昼食を兼ねた散歩では、涼風も味わえたが、大分汗をかき、肌着がびしょびしょだった。室内は窓を閉めッきりしていたので気温の上がり方が鈍く、暑苦しさには見舞われなかった。

 「セピアカラーの世界・スキー旅行の写真集」では、妻も伴った、最後の家族スキーまで作りあげる事が出来た。1990年の12月に、鹿沢国民休暇村スキー場に出かけた。鹿沢では「ハイランドスキー場」がメインに利用してきたが、混雑や雪質の問題などで、最後の最後に「国民休暇村スキー場」を試しに利用してみた。

 「国民休暇村スキー場」は設備的には極めてローカルで、何年かして、再開発はされずに閉場となったスキー場である。家族で利用するにはもってこいで、家族揃って本格的なスキーを楽しんだ。妻が最後に利用したスキー場で、写真が良く撮れていて、妻が一段と輝いていた。

 

27日(木) 晴・曇・雨21/29

 

 今日は朝のうちに晴れ間も覗き、日中は雲が多くて時々小雨が降り、むしむしした一日だった。夜になっても気温は中々下がらず、熱帯夜も間近と言う観がある。梅雨前線や熱帯低気圧の接近で全国的に雨模様になりそうである。

 「セピアカラーの世界」で「スキー旅行」の写真集を作りあげた。スキー旅行は10年間で20回を越え、スキーを教える私自身が上手とは言えず、子供たち自身が回数を重ねて覚えて行ったと言うのが真実である。妻はスキーの経験が無く、私が指導できる状況ではなかったので、10年たっても初心者の滑りしかできなかった。

 子供達は無論の事、妻の写真も多く撮ってきて、どの写真も魅力的に感じられた。妻にとっても子供達の接点を多く持つ事は望んでいて、生き生きとしていた。写真は正に財産である。

 

28日(金) 雨・曇22/30

 

 午前中は雨模様で、昼にはいったん雨は上がったものの、夕方には小雨がパラついていて、梅雨らしい天気となった。熱帯性低気圧の影響もあって気温は高めで、雨ながら熊谷の最高気温は30℃となった。時間が過ぎるのが遅い気分となっていたが、今月も残すところ二日となり、今年も半年が終わってしまうと思うと、自分に残された時間はごく僅かに思えてくる。

 「セピアカラーの世界」は、「愛妻記」と歩調を合わせるとの考えで、当面の目標とすると「海水浴の記録」と「ディズニーランドの記録」を残すのみとなった。「愛先記」が大分遠回りした感があるが、「写真集」と「文言碌」を両立、同時進行させる意味で、非常に意義ある事と思っている。「愛妻記」の進め方が明確になり、日記のみならず、旅行記録などもふんだんに残しており、文章も大分多くなる見込みである。

 妻を若くして失うなど考えた事が無かったが、夫婦の暮らしを出来るだけ克明に残しておきたいとの思いがあって、文章も大量に蓄えてきた。日記をデジタル化しても、日々の暮らしのみならず、妻を主題にした日記も書いている。「愛妻記」は長編になる事は必須である。

 

29日(土) 曇・雨19/22

 

 それほど雨は強くならなかったものの、小雨がぱらつく事が何度もあり、晴れ間が覗く事はなかった。気温が上がらず、熊谷の最高気温は20℃を少し越えた程度で、湿度は高かったが、涼やかな一日となった。梅雨寒と言う事になるのだろうが、最も過ごしやすい陽気と言えるのではなかろうか。

 「セピアカラーの世界」では、海水浴の写真集に取り掛かっている。熊谷と言う立地だと海水浴場は遠く、茨城方面が中心だった。茨城の海岸は太平洋の波が直接押し寄せており、波が高いと言うのが通常だった。サーフィンでもやるのにはいいのかもしれないが、波乗りが流行っていない時代で、泳ぐにも危険が伴い、浮袋につかまって戯れる程度だった。

 海水浴は1986年を最後に縁が無くなり、サーフィンが流行り出すまでに5年以上の開きがあった。一方スキーは1992年まで家族で出かけるのは終息したはずだったが、海水浴と異なって車で行くのには時間的に大分楽で、次男と二人で行く機会があった。海と同じ様に、2000年頃からスノーボードが流行り出し、次男が関心を持って付き合わされることになった。

 

30日(日) /20/26

 

 昨日に引き続いて、曇りや雨の一日となり、最高気温は26℃と、夏日ぎりぎりだった。昼食を兼ねた散歩では、何とか雨は免れ、夕方のジョギングでも同様で、降っている時間は思ったより短かった。この時季本来の天気である。

 ウォーキングやジョギングを規則的に行って体力の維持を心がけているが、運動をした後は疲れからか、何事も手に付かずに、テレビを見たり、昼寝をしたりして、パソコン作業が遅々として進まなくなった。正に牛歩戦術で、気長にやろうと割り切っている。

 「愛妻記」はライフワークで、健康さえ維持していれば、目標である90歳までには納得いくまでやれると思っている。思うように進まなくとも、何とかなる気がして、開き直りに陥っている。一日に取り組める時間は5時間を切っており、「愛妻記」が完成するまで後20年はかかりそうである。

 言い方を替えると、90歳までの余生をぎりぎりまで楽しもうと言う事になる。同時に妻の供養の限界地であり、後を引き継げる後継者が出てくるかが、最大の悩みである。