『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年5月

 

1日(水) 曇・雨14/24

 

 午前中は曇りでほとんど日射しがなかったが、気温が高めで、熊谷の最低気温は14℃と、少しも寒さは感じられなかった。日中も曇りがちだったが、さらに気温が上がって、最高気温は夏日間近となった。午後には雨となって、夜半までやむ事はなかった。

 5月1日は天皇が替わって、年号が令和となった。朝から皇室関係の番組が目白押しで、平成天皇になってから、天皇は国民に寄りそう姿勢を見せるようになり、日本の支配を目論む輩と一線を画すようになった。皇室に様々な圧力がかかって、大分苦労をなさったようだが、毅然たる態度ではね除けてきた事が窺える。

 新天皇も国民寄りの姿勢を持ち、戦前からの、国の支配を目論む輩と隔絶するように窺え、独裁とも言える現政権も維持していくのは難しくなったのではなかろうか。国の正常化に結びついてくれることを願うところである。

 

2日(木) 晴・曇13/24

 

 昨日の雨は朝から影を潜め、日中は晴れて気温が上がり、熊谷の最高気温は24℃となった。洗濯物が良く乾き、衣替えが完了した。この時季は服装選びが難しく、汗をかかないように、多少寒くとも薄着傾向にするようである。夕方のジョギングでも大分走りやすくなった。

 今は「愛妻記」は休止状態で、もっぱら「セピア色の世界」を手掛けている。取りあげた写真集は、半分くらいは既にネガをスキャンしてあり、表紙については順調に出来上がっている。個別ファイルは後回しにしているので、完成までには大分時間がかかりそうである。

 個別ファイルを作成していて、ワードからHTMファイルへ変換すると何度かエラーが発生、原因がハッキリしなかったので初めから作り替えをして、何とか正常化を図ってきた。作り替えは大きな時間のロスとなり、エラーの原因を掴む事が望まれ、今はその辺の調査をしているところである。

 いずれにしても、今まで順調に来ていたのが遅延し始めて、やり直し作業に、いささか疲れを感じている。当面の目標である、「セピア色の世界」の完成が、思った以上に時間がかかりそうなので、対処策を練るようである。ただ、エラー原因が少し見えてきた感じで、明日確認する予定である。

 

3日(金) 晴・曇10/28

 

 雲が広がることがあったものの、気温が上がり、熊谷の最高気温は28℃と、初夏の陽気となった。昼の昼食を兼ねた散歩では、薄着で出かけたものの、それでも汗ばむようだった。室内では暖房が不要となり、過ごしやすく、季節の変わり目が見えた感じである。

 ファイル作成でエラーを生じていたが、字重なりは、MS文字を使用するか、MSP文字を使用するかで違いが出てきた。立った一度の探求で、結論を出すのは早急かもしれないが、エラー状態が行の重なりであり、元来MSP文字は詰まっており、可能性が高いと思っている。

 ファイル作成には色々な問題が出てきて、長年に渡って解決を図り、独自の世界であるが、大きく成長してきたと自負している。パソコンの機能を知りつくしたとは言えないが、今までに何度も問題にぶつかってきたが、どれも諦めずに解答を割り出している。ほとんどが自分の思い描いた形のものが作成でき、今のところはそれほど不自由をしていない。

 パソコンの面白いところは、自分次第で可能性がどんどん広がっていくことで、自分の持っているものを全て生かせると言うことである。

 最近は何を取り組んでも億劫となり、必要以上に疲れが出て、進みが著しく遅くなっている。それでも日々の地道な努力の積み重ねていけば、必ず思った形に辿りつく。後何年取り組めるか分からないが、体調管理をしっかりやりながら、少なくとも「愛妻記」が完成するまでは続けていきたいと思っている。、

 

4日(土) 13/25

 

 今日は朝から暖かく、雲が多目ながらも気温が上がって、熊谷の最高気温は25℃で夏日となった。夏日と言っても過ごしやすい陽気で、肉体的には大分楽だった。家の窓を開け放して置けるので室内の空気が爽やかとなり、パソコン作業が比較的順調に進んだ。

 「セピア色の世界」を連日手掛けているが、今日は家族スキー旅行の写真集の表紙を作成した。1年に行くスキー回数はそれほど多くないが、次男が4歳から始めたので、10年を越えて家族スキーに行っている。10年連れていったものの、その後、長男はスキーと縁が無くなり、次男はスノーボードに転向、スキーの実績は残らなかった。

 次男については、スノボードに転向しても、私に指導(私はスキーで対応)を求めてきて、何度も同行するようだった。次男は小柄で、スキーよりスノーボードの方が合っていたようで、上達が早かった。2年程でかなりのレベルに達し、上級コースも難なく滑れるようになった。「アルペンスノーボード写真集

 私自身は全くスノーボードをやった事が無く、本来なら指導などできるはずが無かったのだが、所謂、ルーティ―ンを実感し、イメージを重視した。私は年齢と共に寒いところが苦手になり、スキー自体が億劫で、同行を拒んだものの、2016年に再度指導を求められ、嫌々同行し、欠点を全てクリ―アーすることができた。

 

5日(日) /9/26

 

 今日も気温が上がって、熊谷の最高気温は25℃を越え、春爛漫の陽気となった。夕方のジョギングでは、汗を沢山かくように重ね着をして走り、思惑通り大分汗をかいたが、体は軽くならず、むしろ足が重く感じられた。この頃ジョギングの回数が、一日置きから二日置きになってしまい、現状維持が難しくなっている。歳をとったと言う証なのだろう。

 「セピア色の世界」を日々取り組んでいるが、今は海水浴を取り扱っている。埼玉熊谷からすると、車で行くに一番近い海は大洗で、子供が幼児の頃から何度も海水浴に行ってきた。近いと言っても、大洗方面に抜ける高速道路はできておらず、4時間はかかっていた。

 大洗は波が荒く、引潮の影響など、子供を遊ばせるには決して良い海岸では無かった。30年以上も前の話で、まだサーフィンが流行っておらず、マット風の浮袋に体を横たえて波乗りをするのがけっこう面白く、波乗りの写真が多く残っている。見ようによってはサーフィンの奔りで、10年後ぐらいからサーフィンが流行り出した。

 次男はサーフィンこそやらなかったが、スノーボードに凝ってかなり上達し、波乗りならず雪乗りを今でも楽しんでいる。

 

6日(月) 曇・晴14/24

 

 曇る時間もあったが、日射しも出て、洗濯物は問題なく乾いた。最高気温は25℃を越えず、比較的過ごしやすい陽気で、寒さに縁遠くなったので、体調が大分良くなった。先月までは常に気だるさがあって、何事も思うようにできなかったが、ようやく普通の生活ができるようになった。

 今は「セピア色の世界」に専念し、昭和60年代から平成前半の、子供達も交えた旅の記録を作りあげている。写真を存分に残してきて、家族4人の幸福な日々が浮かび上がってきた。写真をネガからスキャンしてデジタル化してみると、かなり鮮明な画像となった。

 ネガ写真の量が多く、2000年までの写真となるとかなりの量となってしまい、「愛妻記」の進捗に合わせて区切りをつけようと思っている。今まで思い描いた形が現実のものとなり、亡くなった妻が、より近づいてきた気分である。まだ先が長いが、余生の役割を持てたことで、生きる張り合いができた。

 

7日(火) 曇・晴10/19

 

 今月に入って、最高気温は20℃越えの日が続いていたが、今日は19℃止まりだった。日中風もあったので余計涼しく感じられ、昼の散歩では汗ばむ事はなった。今の生活には10連休は全く関係なく、いつもの生活に徹し、体調が大分良くなった。体調が良くなっても、散歩などでは以前と疲れ方が違ってきて、散歩から帰ると、倦怠感に苛まれる。

 パソコン作業を中心に、規則的な作業があって、必ずこなす様にしているが、多くがこなしきれなくなっている。翌日回しになってしまうものが目白押しであが、牛歩の様な歩みでも、着実に進んでおり、一定の成果が出ると、極上の満足感に浸れる。

 牛歩の歩みであっても、滞る事が無く、一区切りしてみると、自己満足に足る業績が輝いている。手間がかかっても喜びが満ちており、生きているとの実感が湧きでてくる。それは、いつまでも妻を追い求める生き様で、心では今も燦然と輝ぎ、それこそ幸福の証で、当面は不足するものが無いと言える。

 

8日(水) 6/25

 

 今朝は放射冷却現象が強まったようで、熊谷の最低気温は6℃と、季節が2カ月逆戻りしたかのようだった。良く晴れたので気温が上がって、熊谷の最高気温は25℃を越えて夏日となった。朝と昼の温度差は20℃近くあり、体調を維持するのが難しい。

 「セピア色の世界」を連日取り組んでいるが、今日は新婚旅行の写真を取り扱っている。妻が23歳の時で、まだ少女の様な雰囲気を残していて、新婚旅行では私にすっかり頼り切った仕草が窺えた。婚約期間が半年もあり、半年間でお互いを理解し合い、結婚に対する不安は全くなかった。

 新婚旅行では三脚を持参し、二人揃っての写真を数多く残す事が出来た。妻の写真を見ているだけで温もりが伝わってきて、心が和んでいる。「セピア色の世界」の第一弾として、当面12項目作りあげる予定で、ファイル数は100近くなり、1ファイル20ページを目途にしており、2000枚の写真を掲載することになる。

 2000枚の写真となるとかなり大きな写真館となり、残りを1000枚とすると、A4写真3000枚の大写真集になる。さらに、デジタル写真の「日本全国名所巡り」を加えると、30000枚を越える大写真集である。昆虫は2600種近くあり、写真枚数は30000枚になると思われる。

 我ながらとんでもない写真サイトを作ってしまったものである。

 

9日(木) 曇・晴12/24

 

 朝の気温も春爛漫の暖かさとなり、日中は25℃まで上がらず、大変過ごしやすい一日だった。衣類は完全に切り替えられなかったのだが、今日は春モードにすっかり切り替えた。一人暮らしなので衣類も限られているので、いとも簡単に衣替えができてしまう。

 「セピア色の世界」は何とかファイル作成の段階に入り、新婚旅行の写真集ができ上がった。ネガ写真は変色(セピア色・オレンジに近い)することがあり、新婚旅行の写真でも一部その傾向が出ている。ネガの管理の問題か、撮影技術の問題かハッキリしないが、昭和40年代の写真にその傾向がある。昭和のカメラは機能が低くて、一眼レフカメラなどは使い勝手が悪く、不鮮明な原因をカメラマンの腕と言うことで片付けられていた。

 写真はいつシャッターチャンスがやってくるか分からず、三脚などの使用での撮影は限度があり、カメラ自体が未成熟だったと受け止めるべきなのかもしれない。その点フルオートカメラ(バカチョンカメラ)は性能が高く、撮り慣れない人でも綺麗に撮れた。カメラの実情が分かった時点でフルオートカメラオンリーにすればよかったのだが、割高の一眼レフカメラを買った手前、何とか使いこなそうと、無駄な事をしてしまった。

 最近の、デジタル一眼レフカメラは手ぶれ補正機能があって、三脚を使用せずに鮮明な写真が撮れる。連写機能もあって、スノボーなどコマ送りの写真が撮れて、写真で講習ができる。次男坊に付き合って連写写真を撮りまくり、滑り方の講習を行い、スラロームがかなり上達した。

 

10日(金) 12/29

 

 朝からよく晴れて気温がぐんぐん上がり、熊谷の最奥気温は29℃と、真夏日一歩手前の暑さとなった。散歩では気温が上がるのを見越して薄着で出かけたので、早歩きしても汗ばむまでには至らなかった。家にいる時は窓を全面開放して、室内の空気をすっかり入れ替えた。閉め切りだと、清掃を怠っていることもあって、室内がほこり臭くなってしまう。

 「セピア色の世界」を押し進めており、順調とはいかないが、牛歩の進み具合で確実に前進している。デジタル写真だと、カメラとメモリーを一度揃えてしまうとお金がかからなくなり、一つのテーマに千枚を越えて撮影する事があり、「下手な鉄砲も数撃てば当たる」の口で、写真集を作るのに充分な量を撮影してきたが、ネガ写真は撮影枚数で金のかかり方が大きく違ってきて、無駄撮りは控えざるを得なかった。

 考えようによっては、撮影技術にも大きく係わってきて、デジタルカメラは撮影技量の差はそれほどでないと言える。ネットに掲載するとなると、撮影技術より編集技術が大きな意味合いが出てきて、パソコンにどれだけ精通できるかがが、撮影能力に係わってくる。

 パソコンと写真を連動させると、マイワールドを作りあげる事が出来、創作意欲をかき立てられる。今正に過去の遺産を再生している事になり、大変だが非常に面白い時間を作り出す事が出来る。体調の問題があって、取り組める時間はまちまちだが、完全に冷めてしまうこともなく、実生活の3割から4割を占めており、生きながらえる原動力になっている。

 

11日(土) 曇・晴14/29

 

 朝のうちは曇りがちだったが、日中は良く晴れて気温が上がり、熊谷の最高気温は昨日に引き続いて30℃に迫る暑さだった。夕方のジョギングでもやっと薄着で走ってこれるようになり、夕方でも気温が下がりきらないので、初夏の陽気に突入した感がある。

 季節の変わり目は、肉体に歪でも生じるのか、あちこちで異変が起こっている。胸部に僅かであるが痛みが生じたり、肩がこる様な症状が出たり、気だるい感じが抜けずにいる。老体は順応性が薄れ、環境に慣れるのに時間がかかってしまい、自分の思う様にはならないものである。

 継続は力なりの理は実感でき、毎日の繰り返しを違えなければ、衰えを最小限に抑える事が出来る。運動面では理通りであるが、精神面では全く当てはまらず、気持ちの持ちようが大きな意味合いとなってくる。残念ながら、精神面では揺らぎの生じる年代となり、生活を作りあげるのが難しくなっている。むしろ、迷走状態で、手探りで進んで行くしか無く、常に障害が待ちうけていて、元の黙阿弥になってしまう。

 

12日(日) 晴・曇14/23

 

 午前中は日射しがあったが、午後は曇りがちで、気温が上がりきらず、最高気温は25℃に達しなかった。暑さが緩んで比較的過ごしやすい陽気で、植木の手入れをした。モッコウバラが枯れ始めて、道端に花弁が落ち、かき集めるようだった。庭の手入れは充分とは言えないが、モッコウバラは満足いく花揃いだった。

 「セピア色の世界」は、掲載する写真量が半端では無く、思った以上に時間がかかっている。写真を見ながら、家族生活がどれだけ充実したものだったか、あらためて実感している。

 旅行計画は全て私が立てたもので、妻を含め、子供達は「今度はどこえ連れて行ってもらえるのか」期待していて、計画に異を唱えた事はない。

 妻も同様、旅行計画は全て私任せで、生活圏を広げられる事に、子供たち以上に楽しみにしていた。その流れは子供達が親離れしてからも変わらず、私も妻が好みそうな場所を選んで二人旅を楽しんできた。妻は「世間知らずの内気」との周りの評価を完全にふっしょくし、同年代の女性と比べて物知りとなっていた。

 妻が世間に対して恐れていた事は、「知ったかぶり」の汚名を浴びせられる事で、義務的な付き合いの域を越える事はなかった。私も子供達が親離れしたのと同時期に、職場などの付き合いはほとんどしなくなって、妻が喜びそうな観光地を選んで、時間さえ取れれば連れていった。

 妻との二人旅の大半が、カメラがデジタルになってからで、「全国名所巡り」へと繋がっていく。家族が揃っていた時でも旅は生きている証で、現実から隔絶した時間だった。夫婦互いの存在感を目一杯楽しんできた事も確かで、どこまでも幸福な人生を歩んできた。

 

13日(月) 晴・曇12/25

 

 今日は雲が出やすかったが、日射しもあって気温が上がり、熊谷では夏日となった。羽織るのはチョッキだったが、それでも日射しを受けると暑苦しく、日射し対策が必要になってきた。夕方の河川敷でのジョギングでは南東の風が吹き抜け、日射しが落ちても寒さは全く感じなかった。

 「セピアイロノ世界」を取り組んでいるが、「田沢湖高原キャンプ」の写真を見て、「ささやかな冒険」から「本格的な冒険」へと一歩進んでいた。子供達二人で、田沢湖湖岸にある岩山に登っており、妻が悲鳴をあげそうな危険度で、親離れが少しずつ進んでいた。

 「田沢湖高原キャンプ」の2年後には「北海道旅行」を敢行、「巣立ちの時」と銘打った。兄弟で危険度を見極められるようになり、冒険に果敢に挑んでいた。母親のおぼつかない動きを見守り、一人前の顔になっていた。親離れが進んでいたが、その後も家族旅行を続けた。

 妻は家族で多くの経験を積んできたが、それは家族内の秘め事で、知ったかぶりを恐れて知人に話す事はなった。旅行での出来事は妻なりに記録し、観光地では必ず案内書を貰ってきて、ファイルに収めていた。かなりの物知りで合った事は確かである。

 

14日(火) 16/21

 

 今日はほとんど日射しが無く、時々小雨がぱらつく事もあり、梅雨を思わす天気だった。天気の所為ではないと思うのだが、一日気だるさが抜けず、思うように動けなかった。何事に対しても集中できる時間が限られてきて、動きが鈍化する事が頻繁にある。

 眠りが不規則になり、夜中に目が覚めて中々寝付かなくなる事が頻繁にあった。寝付き自体は大方安定していたが、起きる時間がまちまちで、規則性が失われていた。規則的な眠りを維持できないと、日中睡魔に襲われ、昼寝をせざるを得なくなる。

 悪循環が起こると、一日の実働時間が短くなって、「愛妻記」の進みが極端に遅くなってしまった。寒さにも苛まれて、重苦しい月日が4カ月近くも続いた。何とか脱出したく、色々と試みたが少しも改善されずにきたが、4月に入って暖かさが増してくると、弊害を少しずつ取り除く事が出来た。

 今は改善の兆しがハッキリと見えてきて、取り組みを企画できるようになった。疲れ方はそれほど差が無いが、成果が大きく違ってきて、着実に歩めるようになった。冬が巡って来た時、果たしてどんな事になるか想像つかないが、妻を失った生活が確立できたような気がする。

 

15日(水) 曇・晴15/26

 

 曇っている時間もあったが、晴れる時もあって、最高気温は25℃を越えて夏日となり、洗濯物は良く乾いた。夕方のジョギングでは大分涼しくなっていて、走りやすかった。日々の気温の変動が激しく、老体は気温差に対応できず、不調感が強まっている。遠からず70才になり、高齢者に間違いなく、体調が悪くて当たり前なのかもしれない。

 連日「セピアイロノ世界」を取り組んでおり、当面、平成2年までの旅行写真集を作りあげたいと思っている。平成2年までのネガについてはスキャンしてデジタル写真にしてあるので、それほど時間はかからないと思われる。

 家族旅行は平成2年の「北海道旅行」が「巣立ち」を意識して出かけており、以降「夫婦旅行」が中心となっていく。実際には、以降も家族で出かけており、平成6年の「裏磐梯カヌークルージング」が最後となる。

 夫婦旅行は、近隣(日帰りができる距離)が基本だったが、北陸・能登や、飛騨高山・木曽路へと足を延ばすようになった。

 

16日(木) 曇・晴14/26

 

 午前中は曇りが中心で、日中日射しが出る時間もあったが、本格的に晴れ渡る事はなった。昼食を兼ねた散歩では、食後の散歩コースを替えて、旧妻沼線の跡地にできた公園「亀の道」まで足をのばし、花の咲き具合を見てきた。亀の道には桜を始め、花を咲かせる木が何種類もあり、けっこう楽しめる。桜はとっくに終わってしまって、今日は面白みが薄かった。

 「セピア色の世界」で、平成元年に出かけた「裏磐梯キャンプ」の写真集を作っているところである。前年の「田沢湖高原キャンプ」に次ぐキャンプ生活を記録してきた。テントの設営、撤収で手間がかかるので、ゆとりを持った計画をしないと難しさがあり、テントを利用した旅行は3回で終わっている。

 キャンプ生活は厄介でも家族が一つになって築き上げる生活で、非常に充実感があった。移動の多い旅行ではテントは使いきれず、ワンボックスカーだったので、キャンピングカー替わりにして「北海道旅行」を実現させた。家族で出来る事はやり尽くした感があり、以降、妻との二人旅に切り替わっていく。

 

17日(金) 晴・曇16/27

 

 朝も気温が下がりきらず、日中は気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は25℃を越えて夏日となった。日中の暑さは夏を思わせ、半袖でちょうど良かったかもしれない。夕方のジョギングでは汗を多くかくよう一枚多く羽織り、たっぷり汗をかいた。

 睡眠では目覚ましを使わず、目が覚めた時点で起きるようにしてきたが、不規則となり、三日前から目覚まし時計を使うようにした。早めに目が覚めてしまう事が多くなり、今のところは目覚ましで起きる事は無い。特別暗示でもかけているわけではないのだが、目覚ましがセットしてある事が無意識の内に植え付けられ、体内時計が働いているのかもしれない。

 今のところ日中睡魔に襲われる事が無く、むしろ意識的に横になる様にしており、過去の様な倦怠感が薄まってきた。目覚ましをかけていないと、無意識に時間が気になってきて、眠りの深さに違いが出てくるのかもしれない。もう少し様子を見る必要があるが、規則的な生活を作りあげるには、目覚時計が大きな役割を果たしそうである。

 

18日(土) 晴・曇14/27

 

 午前中は雲が多かったが、日中日差しが強く、気温が上がって熊谷の最高気温は27℃と、日射しを直接受けると暑さがジワリと押し寄せてきた。暗くなっても気温はそれほど下がらず、夏らしさがジワリと押し寄せてきた感じである。

 「サピアカラーの世界」では北海道旅行に入り、面白い写真が数多く出てきた。今の状況では250枚程写真を使うことのなりそうで、本格的な写真集である。旅行計画、旅行記録も残っており、これを「セピアカラーの世界」で使うか、「愛妻記」で使うか検討しているところである。

 北海道旅行の記録は膨大で、計画表から行動記録、走行記録まで残っており、それだけでもかなりのページを要している。前年に出かけた「裏磐梯旅行」も同様で、どの様に活用するか、見当を要するところである。

 私は元々書くことを基本に生きてきて、日記は50年以上書き続けている。大半は数行で終わっているが、何か特別な事があると、数ページに及ぶ事がある。旅行に関しても書き綴っており、計上する素材に事書かないのである。正に「ちりも積もれば山となる」である。

 それは妻を忍ぶ素材でもあり、妻が今も生きているのと同じである。

 

19日(日) 晴・曇16/27

 

 一日を通して雲が出やすい天気だったが、気温が上がって、最高気温は27℃の夏日となった。これで最高気温が25℃以上の夏日が五日続き、初夏と言った感じである。朝夕を通して寒いと言う感じが全く無くなり、日中は半袖でもいいくらいである。

 原因はハッキリしないが、一日を通してやたらと疲れが感じられる事があり、だらける時間が大分長くなっている。パソコンに向かっている時間を8時間を目標にとしてきたが、5時間向かっているのもしんどくなってきた。

 今日は一日おきのジョギング日だったのだが、疲れが酷くて取り止めにするようだった。昨日誕生日を迎えて70歳の大台となり、年齢的にどこまでできるのか分からないが、気持ちの持ちようが大きく影響してくると思いたい。崩れかけた生活を何とか持ち直して、「愛妻記」を完成させたいと、強く願うところである。

 

20日(月) 晴・曇・雨14/26

 

 午前中は晴れ間が覗く時間もあったが、午後からは曇りが中心で、夜には小雨が降り出した。最高気温は25℃を越えたが比較的過ごしやすい陽気だった。昼の食事を兼ねた散歩では、薄着だった事もあって、ほとんど汗をかかずに済んだ。

 「セピアカラーの世界」では、北海道旅行の写真集が「カムイワッカの湯の滝」迄進んだ。カムイワッカは計画段階からメインと位置付け、実際に子供達の成長が感じられ「巣立ちの時」を実感する事が出来た。

 妻は運動音痴で過激な運動とは全く縁が無く、それでも、段差の大きい岩場を家族揃って「湯の滝」まで登り詰める事が出来た。天然自然の温泉に、私と子供たちで水中メガネをかけて泳ぎ、妻がその姿を写真に撮ってくれた。正に我が家の財産であり、北海道旅行の目的を達成出来たと言える。

 北海道旅行は家族旅行の集大成であり、ラストになると思っていたのだが、その後も2回程家族旅行を楽しんでいる。子供の巣立ちと共に、夫婦旅行を重視し、仕事などの都合で出かけられない年もあったが、デジタルカメラの普及と共に、「全国名所巡り」のサイトを立ち上げるまでに至った。妻の好みである古都巡りが中心で、妻が一段と引き立つ写真が数多く残っている。

 

21日(火) 曇・雨17/23

 

 午前中から雨がぱらつき、昼過ぎには傘を必要としない時間帯もあったが、夕方には再び雨が降って、梅雨を思わすような天気だった。天気予報を見ると梅雨前線の影響では無さそうで、明日以降晴天傾向に戻るようである。

 3年程前になるか、鼻炎の傾向にあって、噴霧式の鼻炎液を使用した事がある。喉用の液材も併用して、比較的良好な状況になっていた。所が、妻を亡くして日々の暮らしにアップアップとなり、薬の使用はすっかり忘れれて冷暗場所に保管してあった。

 昨今、鼻の具合が芳しくなく、ふと思い出して鼻炎液を使用してみた。喉の液材も合わせて使用、鼻と喉の具合が大分良くなっている。ただ、頭が重くなる傾向にあり、その度に横になって様子を見ている。鼻・喉の具合は良くなっている感じで、痰の出る量が大分少なくなっている。

 液材が大分古いので気になるところであるが、予備として全く使用してなかった液材が、鼻、喉共に置いてあったので、それが無くなるまで使って見ようと思っている。年齢からくる不快感は拭い様が無いが、試せる事は何でもやってみようと思う。

 

22日(水) 晴・曇15/25

 

 雨絡みの天気が二日続いたが、今日は一日を通して晴天傾向で、熊谷の最高気温は25℃の夏日となった。空気が比較的乾燥していたと見えて、暑苦しさは無く、夕方のジョギングでは走りやすかった。天気予報によると、この先1週間は30℃越えの日も出てきそうで、熊谷に至っては35℃に迫る日もあるとの予想だった。

 「セピアカラーの世界」に伴って「北海道旅行」の写真集を作っているが、旅行後に書き上げた記録が残っていて、時間や距離のみならず、活動内容も事細かに記してある。写真集には見出し程度の文言しか記していないが、「愛妻記」では全文を乗せようと思っている。日記の延長と見る事が出来、有効に使えそうである。

 「北海道旅行」のみならず、「裏磐梯高原旅行」でも同様で、A4で45ページ程記されていた。事細かに記されているのはこの二旅行だけで、後は日記に書かれているだけである。日記の方はまだ読み返していないのでどこまで記されているか分からないが、2015年以降のデジタルカメラになってからも、それなりに日記に書いてあり、「愛妻記」はかなり長文になりそうである。

 

23日(木) 15/28

 

 今日は最高気温が28℃の夏日となったが、空気が乾燥しているのか、昼食を兼ねた散歩ではそれほど暑いとは感じなかった。それでも日差しの強さは無視できず、帽子が欠かせなくなった。室内で過ごすには快適な温度で、過ごしやすい一日となった。

 「セピアカラーの世界」に伴う北海道旅行の写真集を作っているが、残すところ札幌周辺だけとなった。前にも北海道旅行については掲載していたが、ネガからスキャンした装置が初期のもので、あまり鮮明な画像とならず、既に消去した。

 新しいスキャナーによる画像化では、色合いがより自然に近くなっており、カメラや撮影技術の問題を除けば、写真集に十分対応できている。「セピアカラーの世界」では文言は最小限としており、実際には膨大な文章が残されていて、「愛妻記」に充分生かせる。

 我が人生は写真もさることながら、日記を中心に文章も多く残しており、「愛妻記」では写真より文章に力を入れようと思っている。既に写真集化した章もあるが、出来上がったものはそのままにして、新しい章から写真の使用数を減らしていこうと思っている。

 今までは1年分を2分割す章が幾つか出ているが、これからは1年分に絞っていこうと思っている。構想が随時変わってきて、無駄になりそうな章があるかもしれないが、「愛妻記」と「セピアカラー」の役割を明確にしていきたいと思っている。

 

24日(金) 14/31

 

 熊谷では朝からよく晴れて気温が上がり、最高気温は30℃を越えて真夏日となった。全国的に見ると猛暑日間近になった地域もある様だ。高温傾向は何日か続きそうで、熊谷でも猛暑日になる予想となっていた。今日は空気が乾燥していた所為か、真夏日の暑さは感じずに済んだものの、気だるい一日となった。

 今日は「セピアカラーの世界」「北海道旅行」の写真集ができ上がった。全部で250枚程の写真を利用、思ったほどではなかった。

 ネガ写真だと現像代とプリント代がかかり、むやみに撮る事は出来なかった。デジタルカメラになってからは、多いものでは撮影枚数が1000枚を越える旅行もあり、実態的にはカメラとメモリーを買う時に支出するだけで、後はほとんど費用はかからない。北海道旅行ではフイルム代とプリント代を合わせると5万円前後かかったように記憶している。

 今はズームレンズを使っても手ぶれ補正があり、フルオートで撮影すれば無難に撮れる。デジタルカメラは貧乏人からすると格別で、昆虫撮影をしている頃は年間2万枚撮影した事もある。1シーン1枚だけでなく、幾枚も撮っておけば「下手な鉄砲も数撃てば当たる」であり、どこへ行くにもカメラが手放せなくなった。

 

25日(土) 16/34

 

 朝から気温が高く、日中日射しがたっぷりだったので気温が上がり、熊谷の最高気温は34℃で、猛暑日一歩手前まで気温が上がった。全国的に気温が高く、場所によっては35℃越えの猛暑日になったようである。一気に真夏の暑さとなり、日当たりの良い窓際にはよしずを取り付けるようだった。

 「北海道旅行」の写真集ができ上がったので、「愛妻記」を進めようと思ったのだが、体調がすぐれず、考え事には拒否反応が生じて、もっぱら力仕事に精を出している。よしずの取り付けは6月に入ってからと決めていたのだが、頭を使わずに、決まった事を決まった通りにする仕事に従事した。衣類も夏モードに衣替えし、当面の暑さ対策は万全となった。

 以前は暑さ対策と言うと窓を開けて空気の入れ替えに力点を置いていたが、妻が亡くなって迎えた夏は、猛暑の時間帯は熱風を遮断するとの考えに立ち、窓のみならず、カーテンまで閉めてみた。明け方幾らか涼しくなった空気を保持しようとの考えで、対策が功を奏して日中ほとんどエアコンを使わずに済んだ。夜も使わないようにして、一夏で数えるほどしか使用しておらず、電気代を大幅に削減できた。今年も同様に考えており、昨年と同様に出来るか、熱風をどれだけ遮断できるかにかかっている。

 

26日(日) 17/35

 

 朝の気温は20℃を切ったが、日中は日射しがたっぷりで気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は35℃の猛暑日となった。昨日に引き続いての高温で、体が暑さに付いていけず、日中倦怠感に苛まれ、午前、午後二度も昼寝をするようだった。気象条件によって活動時間が制限され、何事も牛歩の歩みである。

 前段に記したが、今日一日牛歩の歩みとなり、「セピアカラーの世界」はほとんど進まなかった。一定のところまで切りをつけたいと思っているのだが、今の調子だと大分時間がかかりそうである。

 「愛妻記」の方は全く手が付かない状態であるが、旅行写真に合わせて文言の旅行記録が多く残されていて、日記と合わせるとかなりの量となる。年齢と共に能力の衰えを実感しているところであるが、能力を補って余りある記録に支えられて、「愛妻記」はかなり充実したものになりそうである。

 妻を語れる喜びがひしひしと湧いてきて、創作の意欲がひしひしと湧いてくるが、老化した脳を活性化させるのは難問となってきて、これから先どんな事になるのか全く予断を許さない。

 

27日(月) 晴・曇18/36

 

 今日は熊谷の最高気温が35℃を越えて、二日続けての猛暑日となった。空気が乾燥していた所為か、気温の割には凌ぎやすく、窓を閉め切って部屋にいると、それほど暑く感じられなかった。夜になると暑さが治まってきて、熱帯夜は免れそうである。

 24日から四日連続で30℃を越え、内二日間は猛暑日となり、5月としては異例な暑さとなっている。暑さの予兆は感じていたが、肉体が暑さに順応しきれず、日中何度となく睡魔に襲われている。実働時間が極端に短くなり、何事も思うように進まない、辛い日々である。

 明らかに年齢からくる圧迫感で、この暑さが続くと、果たして耐えられるか疑問となってくる。今日は1日置きのジョギング日だったが、無理を来しそうなので取り止めにした。その辺の判断が正常に出来るか疑問だが、何とか乗り切らねば。

 

28日(火) 曇夕小雨21/29

 

 昨日までの猛暑がいったん緩んで、熊谷の最高気温は30℃を切り、暑いながらも大分過ごしやすかった。昼の昼食を兼ねた散歩でも、行きも帰りも楽に歩けた。過ごし易さは居眠りを誘い、午前、午後2度も昼寝をするようだった。夕方のジョギングでは、涼しさと合わせ、着る物も半袖、短パンに切り替え、走りやすかった事もあって、最近にはない快調な走りとなった。

 「セピアカラーの世界」は「山形・宮城こけしを巡る旅」を扱っている。妻主体の旅行だったが、息子達も同行し、目新しい事がらが多かった事もあって、息子達も楽しんでいた。妻は浪費癖は無く、折角訪れたこけしの町だったが、買いあさる事はせず、山形、宮城でそれぞれ1個買っただけで満足していた。

 妻は記念品を大事にし、私が作ってやったこけし棚に、ウサギの置物と一緒に綺麗に並べていた。実に慎ましいコレクションで、今も妻の魅力を何度も浮かび上がらせている。

 

29日(水) 曇・晴18/28

 

 午前中は薄雲が広がりやすい空模様だったが、日中は日射しが優先で、最高気温は28℃となった。一昨日までの真夏の暑さが緩んで、大分凌ぎやすくなった。まだ梅雨入りにもなっておらず、異常な暑さはこれからもやってくるのか、いずれにしても年寄りには厄介な天気である。

 「セピアカラー」で今扱っている写真集は、山寺で知られる立石寺で、急な山道を登りつめて行かねばならない。妻は途中でばててしまい、社の台座に座って途中棄権の状況となった。妻を置いて登っていくと、山寺まで残すところ僅かだと分かり、妻を迎えに行ったのである。写真からすると、妻の座っている隣に長男の姿があり、妻が登っていく前には次男がいた。妻は子供たちの励ましを受けて、山寺まで登ったと言う証拠写真が残されていた。

 妻は子供達に一方的に奉仕してきて、求めると言う事はしなかった。それでも、子供達は母親を見守ると言う気持ちは培われていて、全く一方通行の関係では無かった。だからこそ、子供達が15歳が過ぎても、家族で行動を共にする関係が続いたのである。

 

30日(木) 晴・曇13/28

 

 一日を通して雲が出やすかったが、晴れの時間が長く、空気が乾燥していたようで、気温の割りには涼やかに感じられ、過ごしやすかった。夕方のジョギングでは涼やかな風が吹いて大変走りやすかった。日が大分伸びて18時30分を回っても明るさが維持されている。

 1週間前から鼻炎用のスプレーと、喉用の液剤を使用している。大分古いもので、買い置きしてあった未使用の液剤で、使用期限があるなら期限が過ぎている事は間違いない。期限切れが原因か分からないが、薬を噴霧すると頭が重くなり、昼寝をしてしまう事が頻繁にあるが、痰の量が少なくなった事は確かで、一定の効果が感じられる。

 噴霧する時間は一日二回、朝食後と夕食後である。使用方法が適当かどうか分からないが、痰の量が著しく少なくなって、気分的には大分楽である。妻が亡くなる前から使っていて、一定の効果が感じられ、常用していたのだが、妻が亡くなってから全く使用していなかった。使用しないからと言って、問題があったわけではないが、痰が頻繁に出てと非常にうっとうしく、噴霧することで改善されたことは確かである。暫く常用して、液剤が無くなった時点で、どうするか決めようと思っている。

 

31日(金) 曇・晴17/25

 

 真夏日、猛暑日が続いていたが、この四日間は最高気温が30℃を切り、この時季本来の気温となった感じで、苦にならない陽気が続いている。室内でいる時は長袖でちょうど良く、日が沈むとカーディガンを羽織るようだった。今日の天気予報だと梅雨入りの予想を行っていて、平年並みとする予報士が多かった。

 5月も終わりとなり、体調が不安定で「愛妻記」関連の作業が遅れ気味となっていたが、本格的な家族旅行としては最後となった「山形・宮城こけしを巡る旅」が完了した。飽くまでも「セピアカラーの世界」の写真集で、「愛妻記」としては文章をベースに置く予定である。

 旅行記録は写真のみならず、文章でも多く記録しており、日記と紀行文とを合体させれば、かなりの長文になると思われる。飽くまでも自己満足で終わってしまうのかもしれないが、我が人生にとっては大きな意味があり、妻を心の底に再現させている。