『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年4月
1日(月) 曇・晴3/15℃
4月に入り、朝の気温も春めいてくると思っていたが、熊谷の最低気温は3℃で、冬の名残りを感じさせた。午前中は中々気温が上がらなかったが、昼ころには日差しと共に一気に上がって、最高気温は15℃となった。昼の散歩では、昼食後、帰路は河川敷コースをとって、荒川堤の桜を見学、花見客がけっこう多く集っていたが、ほんの数本は三分から五分まで開花がしていたものの、大半は一分咲き程度で、東京などと比べると大分遅く、花見には手頃とは言えない状況だった。 「愛妻記」は写真を多く掲載しているが、昔はビデオ撮影もしており、ビデオも掲載できないか研究しているところである。カセット式のビデオテープをDVDへ変換してもらい、使えるようにしたのだが、「愛妻記」に掲載するだけの価値があるか、少々悩んでいる。 自分が残してきたものは出来るだけ使うとの考えで「愛妻記」を作りあげており、部分的でもいいから起用出来ないか、研究しようと思っている。写真と比べると、ビデオの価値が高いとは言い切れず、無理にビデオを掲載する意味が無いようにも思える。 一方で、写真と同様ビデオも我が家のお宝であり、デジタル化までしているので、有効利用したいところである。
2日(火) 晴2/14℃
午前中は北西の風が強く、冷気も含んで寒かったが、午後には気温が上がって、熊谷の最高気温は14℃で、幾らか暖かく感じられた。春休みとは縁遠い生活となって25年になり、昼の散歩で子供を多く見かけると、何だろうと考えてしまい、後から春休みの存在に気づかされる。 「愛妻記」は、一区切りすると横道に逸れてしまい、滞ってしまう。パソコンの利用の仕方を探求するのが一つの生き様で、決まった範疇で滞るのが何とも歯がゆくて、常に新たな可能性を考えてしまう。今囚われているのは古いビデオの可能性で、「愛妻記」に取り入れるのが果たして意義があるか検討しているところである。 パソコン販売店に依頼して、古いビデオテープをデジタル化し、再生してみると、鮮明度も含み、あまり公開するのに向いていないと感じられた。特に、声に違和感があり、無駄な画面が多くあって、写真の様に扱うのが難しい。ただ、今回扱ったのはメタルテープで、後継のデジタルビデオカセットがどんな具合か見て見たい気もしている。いずれのビデオも何年もしないで故障し、所謂、ソニータイマーに引っ掛かってしまた。両者のビデオのテープ本数は50本を越えており、貴重な記録の損失は計り知れない。
3日(水) 晴1/12℃
昨日に引き続いて、朝の気温が低く、熊谷の最低気温は1℃と、真冬並みの寒さとなった。一日晴天傾向にあったが気温が上がり切らず、12℃で春らしさには程遠い寒さだった。天気予報を見ると、北極圏からの寒気が日本列島に流れ込んで、日本海側や山沿いでは雪に見舞われたようである。寒さは夜になって一段と強まり、冬支度を要した。 平成に元号が替わった頃に、ビデオカメラを購入、旅行では、カメラの他に持参してけっこう撮影してきた。北海道旅行では2時間テープ3本半も撮影、カメラのデッキ機能はすぐに故障し、迷宮入りしたテープ(北海道旅行)をPC販売店でデジタル化してもらった。 デジタル化をしてもらったのは、「愛妻記」に組み込もうと考えたもので、実際にデジタル化してみると、迫力不足で、組み入れる価値を感じなかった。一人で見て楽しむのが限度で、中には面白い映像もあって、時間のある時に楽しもうと思っている。又、ビデオ映像の取り込み方が分からず、研究するようで、「北海道旅行」のカムイワッカ湯の滝登りだけは、取り込んで見ようと考えている。
4日(木) 晴0/18℃
放射冷却現象が強まったと見えて、今朝の熊谷は氷点下に迫った。午前中の寒さに比べて、午後の暖かさは開花を促したのに違いなく、明日は荒川堤に桜を見学してこようと思う。 ビデオをホームページに取り入れる手法を探ってみたが、今のところ手が付かないでいる。画像の取り込みにミスがあった可能性もあり、再度取り込んで見ようと思っている。実態的に利用価値があるか疑問になるところでもあり、それでも冒険を実感させるシーンには値打ちを感じ、取り込みたいとの思いが強まっている。 豊富に素材を抱えている宿命で、欲張るときりが無くなり、「愛妻記」の進行を極端に遅れさせる事になりそうである。余生の仕事と考えれば、時間の事をそれほど心配する必要が無いので、納得いくまでやってみようと思う。それに、スキルを上げると考えれば、何でも挑戦するのが私の生き様で、「愛妻記」については自分らしさに徹底したいと思う。
5日(金) 晴4/25℃
この三日間に比べて気温が高く、日中晴れて気温が上がり、熊谷の最高気温は25℃と、初夏を感じさせる暖かさとなった。荒川堤の桜は大分開花が進み。個体差があるものの、満開を感じさせる個体も少なからずあった。陽気も良かったので、平日と言うのに花見客が多かった。 やっと冬と別れた感じで、体調が変わってきた。寒い時期は色々な点で変調をきたし、特に眠りの深さが大きく違って、一日中頭がスッキリしない日が頻繁にあった。この一週間は何とか通常の生活となってきて、何事も順調に進んでいる。 年齢が高くなるに連れて、何事も手に着かなくなる時間帯が出てきて、昼寝を試みたり、テレビを見たりして誤魔化してきた。今日あたりは誤魔化しが不要で、文章系の作業が順調にう進んだ。画像処理はほとんど考えずに進められるので、スッキリしない時の逃げ道になっている。 作家を志して来た者の言い草ではないと分かっているが、実力が無いと思えば、ごく自然の流れである。創作にっ励むには、色々な点で調整を図る必要がある。
6日(土) 晴10/21℃
今日は朝の気温が高くて10℃となり、日中よく晴れて気温が上がり、最高気温は昨日に引き続いて20℃を越え、春爛漫の天気となった。今日は荒川堤へ行かなかったので、花見客の賑わいはどんなものだったのか分からないが、昼時の、駅ビルやショッピングモールの賑わいからすると、花見に人が流れたと見てよさそうである。 古いビデオテープをデジタル化し、今日はデジタル化ビデオの使い方を探求してみると、ようやく全貌が見えてきた。ネット上に公開する方法までは不明だが、仕組みが分かったので、研究していけば何とか公開できるのではないかと思っている。 ビデオ画像の大きさや鮮明度は不足気味だが、北海道家族旅行では、「苔の洞門・カムイワッカ湯の滝」の探索ビデオは「ささやかな大冒険」を象徴するものであり、是非とも公開したいと思っている。「愛妻記」が北海道旅行に辿りつくまでには3年分を残しており、概ね2カ月はかかると思われ、その時になったらダビングをし直して、結論を出そうと思っている。
7日(日) 晴・曇7/21℃
今日も気温が上がって、熊谷の最高気温は21℃で、すっかり春らしくなった。夕方のジョギングで荒川河川敷に行ってきたが、荒川堤の桜は、どこのソメイヨシノも満開となっていた。夜桜を意識したのか、18時ごろでも花見客が多かった。 「愛妻記」に伴って、昭和62年の日記を見て行くと、休日になると子供達が私について離れない事が多かった。前年の家の建て替え工事がらみで、子供達と遊んでやれる時間が少なかった所為もあり、「ささやかな冒険」を期待していたと思われる。私が子供達にしてきた事が、私の一人よがり留まらず、子供達の冒険心をそそっていたと実感した。 私は、子供達にしてやれる事は、冒険心を駆り立ててやる事だと自覚していて、妻には中々できない事を補ってきた。妻も子供に帰って、子供達と一緒になって楽しんでいた。子供達の冒険は難易度が増して、妻にはついてこれない場面も出てきたが、妻は子供達の成長ぶりを見て楽しんでいた。
8日(月) 曇・雨7/13℃
今日は朝から曇っていて、最低気温は7℃と高めだったが、日射しが無い分気温が上がりきらず、三日続いた20℃越えから、最高気温は13℃と、寒さがぶり返したような寒さだった。地球温暖化の所為で、季節外れの気温になることが頻繁にある。 我が家から歩いて5分ほどの所に、熊谷唯一のデパートがある。店内には展示室が大小2か所あり、小展示室では、絵画、写真、人形、彫刻などの展示会が6日間目安で行われている。今日行ってみると、能などに使われる面が展示されていた。 日常では能面など全く縁がないので、今日見学した時には、素晴らしいと実感した。作者の方は熊谷・妻沼地区に居住している方で、地元の人だった。知る人ぞ知る、なのかもしれないが、熊谷では全く縁のない世界と思い込んでいたので、出来栄えに驚かされた。 展示室には毎週の様に訪れ、どんなものが展示されているか確認しており、いつも思うのだが、ネットに公開する事が出来ないのか、気になってしまう。展示されるほとんどが、年に1回(6日間)であり、見学者も決して多くない。 展示そのものを否定するつもりではないが、現代ではネットで発表する事が、手軽でなおかつ閲覧者の絶対数を大幅に増やせる事は確かである。各自がホームページを持てば一番であるが、年齢が高ければ高いほど、ネットに縁の薄い人が多くおり、展示機会を充分に確保できないでいるのではなかろうか。 当初、サークルに入ってネット利用を進めて行こうと考えていたが、インターネットクラブを作るのも一考で、各種作品を代行してホームページに掲載していく事が出来ないか考えるようになった。実際にやるとなると経済的な負担も考慮しなければならず、推進役にどの年代を募るかも検討する必要がある。そう簡単の出来るとは思っておらず、自らの取り組みも膨大にあり、時間調整も必要である。 自分が今まで培ってきたノウハウを何としても次代に繋げていきたいと考える毎日である。
9日(火) 晴・曇5/16℃
朝の気温は5℃と、若干冬へ後戻りした感があったが、日中は幾分春らしさを取り戻し、熊谷の最高気温は15℃を越えた。寒暖の差が激しい事を乱高低と言うようだが、中々季節感が安定しない。4月も半ばにさしかかるところまできたが、明日は天気が崩れて気温が低く、雪も交えて真冬並みの寒さになりそうだ。 年齢から来るのか、季節の変わり目に体が適応できず、一日倦怠感に苛まれている。「愛妻記」が進まなくなり、気が散漫となって、机に座っているのが辛くなってくる。時間を潰すには、居眠りかテレビ鑑賞で、中々時間が過ぎていかない。 高齢になってくると時間が貴重に感じられ、時間の浪費が最も苦になるところである。やる気になればと、家の清掃など、切り無くあるのだが、どうしてもやる気にならず、延び延びになってしまう。陽気が良くなったので四方の窓を開けて空気の入れ替えをすると、埃っぽい臭いが大分薄まった。一人暮らしの大変さ、辛さが身に沁み、妻の存在がいかに大きかったか、改めて実感する。
10日(水) 雪・雨1/8℃
午前中の早い時間帯は小雪降っていて、早朝の時間帯より日中の方が寒いくらいで、一日を通して真冬の寒さとなった。この時期にここまで寒くなるとは夢想だにしなかったので、衣替えをしており、慌てて冬物を引っ張り出すようだった。 「愛妻記」が暫く滞って、集中力を中々取り戻せずにいたのだが、のんびりムードで取り組んで見ると、幾らか進みが早くなった。どうしても文章に時間がかかり、何度となく思考が停止してしまう。 妻への思いは少しも緩まないが、生きる意欲が減退して、思考が、波が打ち寄せるように、遠くなったり、近くなったりしている。 それは眠りにも言える事で、安眠時間が長くなったり、短くなったりしている。何もかもが老化の成せるわざなのか、それとも一時的な疾患なのか、全く分からない。自分が自分であって、時として無かったりしていると思えてくる。これが正に老いの表れなのかもしれない。何とか安定した生活を取り戻そうと、足掻いている今日この頃である。
11日(木) 曇・晴3/15℃
今日は昨日の寒さから解放され、最高気温は15℃となり、昼の散歩では、薄手のジャンパーでも寒さは苦にならなかった。ただ、午前中を中心に風が強く、体感温度は大分低く感じられた。今日はジョギング日だったのだが、すっかり忘れてしまい、一回休みとなった。実態的には余分に休んでも、何の問題も無いのだが、規則的な生活を常に意識し、忘れ事が無いように心がけている。それでも忘れてしまうのだから、幾らかぼけてく来ているのだろう。 近くのデパートで、1週間交代で展示会が行われていて、私もできるだけ見学するようにしている。絵画と写真が中心で、他にも人形や面などもやっている。どれも立派な作品であり、見学する価値が充分にある。見学者と言うと、決して多いとは言えず、もったいない限りである。 私も昆虫写真展を開催したが、見学者は少なく、特に、ほとんどの子供達が関心を示さず、展示場を覗いて帰ってしまう子供が多かった。展示場で作品を公開するのが望ましいと思うが、実態的にはそれだけの価値が無いのが現実である。 ネットでの公開も反応が薄いが、見学者の範囲が広く、我が昆虫サイトの来観者は、メールが届いたことから察するに、けっこう多かったと思われる。時代を考えるに、コンピューター利用は絶対的なものと思うのだが、学校教育そのものが教科書通りの人間を育てるものであり、時代に即応できていない。 人であるからには、物事を発想する事が肝要で、暗記止まりだと無能な人間になってしまう。一刻も早く学校のあり方を替えて行かねばならない。
12日(金) 曇/晴4/13℃
午前中は寒風が吹き抜けて大分寒く感じられたが、昼過ぎには風も弱まって、午後からはそれほど寒く感じられなかった。夕方、ジョギングで荒川堤の桜を見学すると、まだ見ごろになっていた。日中はどんな人出だったか分からないが、夕方の花見客はゼロに等しかった。 「愛妻記」の作成は、波の様で、押し寄せるように進みが早くなる事もあるが、引潮のように遅々として進まなくなるこもある。今年に入ってからずっと同じような状況が起こって、書き始めた頃から比べると、牛歩の進みになっている。 関心が他に向いたり、疲れが出たり、進むべき方向を見失ったりで、集中力を持続するのが難しくなっている。失った妻への思いは全く変わらず、妻の魅力が心を支配している。妻の写真を見て言葉を投げかけるのは日常化して、出かける時は「行ってくるよ」帰って来た時には「ただいま」と、散歩での出来事を語っている。 妻は私の心では生きており、語りかけると返事が返ってきた様な気分になる。妻との語らいは癒しとなり、時間が先へと続いていると実感する。
13日(土) 晴・曇4/18℃
一週間ぶりに、最高気温が20℃に迫る暖かさとなり、大分過ごしやすかった。しかし、昨日までの寒さが体に応えたのか、一日スッキリする事が無かった。日中何度も眠気が射してきて、昼寝をするようだった。寒さも昨日までで、明日から再び春めいてきて、春爛漫の日が続きそうである。 最初に書いたが、スッキリしない日が続き、「愛妻記」が遅々として進まなくなっていた。今までにも同様な事が何度もあり、能力の限界を意識するようである。それでも調子に乗る時もあり、何とか救われている。「愛妻記」は終焉を迎えるための遺産であり、少なくとも妻が亡くなる日までの事を書き綴らねば、死にたくとも死にきれない。 言い替えると、妻の魅力を全て映しださねば、死んでも死に切れないと言う事である。私にとって妻は全てであり、その全てを何としても描き切りたいと思っている。妻を失った今、幸福感に浸れるのは、心に妻を生き返らすことである。
14日(日) 曇・晴8/19℃
曇っている時間がけっこうあったが、昨日同様気温が上がって、熊谷の最高気温は19℃と、冬の寒さから脱出した感があった。日中どうしても眠気が射してきて、横になるとすぐに寝付いてしまう。夜寝も時間通り寝ており、どうも季節の変わり目に対応できていないようである。 「愛妻記」に何とか取り組めるようになり、昭和62年代の日記を読みあさっている。昭和61年に家を建て替え、母が同居したのだが、いつ引越してきたのかどうしても見つからなかった。日記には母の痕跡が少しも無かったのだが、昭和62年の6月の日記に、母が家を出て行ったと記されていた。 家ができ上がったのが61年の8月末日で、母がやってきたのがいつなのか特定できなかったが、同居期間はどんなに長く見積もっても10カ月持たなかった事になる。 母は自分が中心で無いといられない人で、おだて上手な人としか付き合えなかった。妻はおだて上手とは言えないが、決して争う事をせず、母に対して誠実に尽くしていた。本来、母には文句を言いようがないはずなのだが、文句を言えない事が不満であり、私が常に妻の側に立っていたので、自尊心を荒立てていた事は確かである。 母は養女に出されて、お嬢様育ちとなり、我儘を抑制する事が出来なくなっていた。我が家にあっても、孫がお母さん優先である事が、我慢ならなかったのに違いない。嫁を悪者にしないと気が済まず、常にその時を狙っていたようで、些細なことで妻に不満をぶつけてきたのである。 私は、「そんなつまらぬことで文句を言うんじゃないよ」と一喝し、関係が破綻したのである。多額なローン返済の関係で、自分の収入だけでは生活ができなことは明白だったので、母は、私が母につくとみくびっていたようである。母の誤算は、猫可愛がりしていた孫もママにべったりで、それも至らぬ嫁となって、居場所を失ってしまったのである。 多額なローンを抱えていたので、母の援助がなけらば困窮する事は明らかだったが、偶然にも、勤め先が大幅な合理化で設備工事が増えて、否応なしに時間外労働をするようで、何とか暮らしていていけたのである。
15日(月) 晴10/21℃
熊谷では10日ぶりに最高気温が20℃を越え、春らしさがやっと戻った感じである。自転車で用を足したが、少しも寒さを感じず、これからは自転車で用足しが出来る。暖かさに呼応して、衣替えをし、冬物は皆仕舞いこんだ。 季節の変わり目は体調維持が難しく、スッキリする事が無い。睡魔に襲われ、思考力が働くなり、「愛妻記」の進みが一段と遅くなっている。年がら年中気晴らしをするようで、常に逃げ腰である。季節の問題だけでなく、老化が重くのしかかってきて、動きが格段に遅くなってしまった。
16日(火) 晴8/24℃
今日は朝からよく晴れて気温が上がり、熊谷の最気温は24℃と、初夏の陽気となった。過ごすのに快適な陽気で、一日を通して睡魔に襲われなかった。日が落ちるのが大分遅くなり、18時を回っても明るさが保たれて、夕方のジョギングが大分しやすくなった。 「愛妻記」が久々に進み、第17章がほぼ出来上がった。昭和62年の前半(7月まで)の章で、後半にどう繋ぐか検討しているところである。後半には「青森縦断旅行」が控えており、写真の量が多いので、それだけで通常の1章となる。 後年にも同様な長旅をしており、撮影量の多い旅行は独立した章にするのが相応しく、北海道旅行に至っては、複数章にまたがることは間違いない。合わせて「愛妻記」の表紙も1ページ目が満杯になり、今までと違った形を模索するようである。
17日(水) 曇9/20℃
今日も最高気温は20℃を越え、完全に寒さから脱出したようである。寒さに対応していた体は、暖かさに順応しきれず、心身共にスッキリした感じは無かった。年齢と共に適応能力が衰え、本調子と感じられる時がほとんどなくなってしまった。肉体のみならず、脳の方も適応が出来なくなり、何をやっても無駄な時間が出てくる。 「愛妻記」に集中が出来ず、色々と模索してしまい、同道巡りをしている。同道巡りをしながら、「愛妻記」の展望を少しづつ見出し、「愛妻記」に連動する形で、既に「全国名所巡り」を立ち上げており、「セピア色の世界」も立ち上げている。 蜘蛛の網の様に四方八方に糸が連なり、限り無く大きな蜘蛛の巣型の「愛妻記」になりそうである。今までやってきた章はそのままでも、これからはやり方を変える必要があり、先走りしないでじっくりと形作っていこうと思う。 様々な構想が浮かんできて、進捗は極端に遅くなりそうであるが、構想的にはかなりスケールの大きい「愛妻記」ができそうである。
18日(木) 晴・曇10/24℃
熊谷では朝の気温が高く、午前中から気温が上がって、熊谷の最高気温は夏日一歩手前の暖かさとなった。薄いジャンパーを羽織って散歩をしてきたのだが、すっかり汗ばんでしまった。この1週間の暖かさで、我が家にあるモッコウバラの黄色い花が咲きだして、見応えが出てきた。近所にもモッコウバラがあるのだが、開花状況は我が家と比べると大分遅れており、設置条件と相俟って、手入れがいいと、自惚れている。 季節の変わり目でスッキリしない日が続いたが、今日は体調が良くなり、「愛妻記」も進みだした。今扱っている章は、家の建て替えの関係で、子供達と過ごす時間短かったのが、生活が落ち着いて、ことさら子供との時間を多く作っていた。 私が交代制勤務だったので、日中家にいる時間が長かったので、夏休みは子供達を頻繁に市民プールへ連れていった。妻は日焼けを嫌がっていつも留守番であり、私の気持ちからすると、妻にのんびりさせたいとの思いがあった。泊りがけの本格的な旅行は、当然妻を同行し、家族ぐるみで楽しんだ。 子供が小学校でも高学年になると、冒険を期待しており、子供たちの行動に、妻はいつもひやひやしていた。同時に子供達の方が妻より適応力がついて、母親を気遣うシーンが出てくる。妻がどこまで自覚していたか分からないが、子供達の成長が実感できた。
19日(金) 晴・曇11/25℃
この五日間、すっかり春が定着し、春爛漫の陽気が満喫できた。季節の変わり目に、身体の方が付いていけず、体調が芳しくなかったが、昨日に引き続いての初夏の陽気に大分順応が出来、予定していた作業が片付いた。中でも、妻が生きている時も自分の役割としてきたモッコウバラの剪定ができた。花が咲き始めて、我が家のモッコウバらは近隣で見られるモッコウバラより開花が進んでおり、誇らしくなって、仏壇と並べて飾ってある妻の写真に自慢話をした。 |
「愛妻記」の17章が完成して本日アップロードした。17章で妻との結婚生活13年ができ上がった事になる。妻が亡くなったのは結婚生活42年目で、「愛妻記」はまだ30年分残っている勘定になる。子供達が親離れしてからは25年となり、夫婦だけで活動したのがほとんどで、写真とすると風景写真が中心となる。 デジタルカメラが出回ったのが2000年になってからで、デジタルカメラで撮影した旅行写真のほとんどが我がホームページ「全国名所巡り」で紹介している。「愛妻記」とどの様に整合性を持たせるかが問題となり、手始めに「セピア色(ネガ写真)の世界」を更新していく必要がある。 「愛妻記」の進め方については、常に「セピア色の世界」と同時進行していくのが望ましいと考えている。色々な出来事が蜘蛛の巣の様に絡み合ってきて、老化した脳で賄い切れるか心配になってきた。
20日(土) 晴・曇10/21℃
日中は良く晴れて気温が上がり、熊谷の最高気温は6日連続で20℃を越えた。春の装いで昼の散歩に出かけたが、汗ばんできた。我が家のモッコウバラの開花が一段と進み、明日には満開になりそうである。庭の手入れは妻の仕事だったが、高所に咲くモッコウバラだけは私の役割で、剪定が上手くいったようで、毎年春になると黄色い花が乱舞した。 「愛妻記」の一部を「セピア色の世界」に委ねる作業を行った。同じ家族旅行でも、子供達が小学校高学年になるのに合わせ、夏休みの旅行は本格的な冒険旅行へと段階を上げ、旅行日数と並行して写真枚数も格段に増えてきて、「愛妻記」で賄いきれなくなってきた。それらの旅行記は「セピア色の世界」でファイルを作成、ノスタルジーに浸ろうと言うものである。 「セピア色の世界」は、今まで北海道旅行の概要を掲載しただけで、全く進捗しておらず、今回、思い切って完成してしまおうと、少々意気込んでいる。「愛妻記」が滞ることになるが、掲載するほとんどが「愛妻記」そのもであり、決して遠周りにはならない。むしろ、過去の欠落部分の穴埋め作業で、完成すれば大きな業績になると共に、「愛妻記」の関連にもなり、世界がどんどん広がっていく。
21日(日) 晴・曇10/22℃
雲も多かったが晴天傾向で気温が上がり、熊谷の最高気温は20℃を越えて、一週間続けての20℃越えになった。最低気温も10℃を越えて、一日を通して寒さを感じなくなった。気候による負担が軽減されて、何日か前までの気だるさを感じずに済んだ。 昨日も記したが、我が家のモッコウバラの開花が一段と進み、何とも誇らしくなってくる。出かける時も見学するが、窓から何度も覗いて、ついつい外から見学したくなり、道端に何度も足を運んだ。単なる自己満足に過ぎないのだが、庭の手入れはほとんどしてこなかった中で、妻の願いをかなえる形で、モッコウバラは長らく私が管理してきた。 管理をするようになると愛着が湧き、常に気に止めるようになり、年3回はモッコウバラの選定をしてきた。その作業がこの時期に実を結び、妻と共に満足感に浸った。仏壇と並べて飾っている妻の写真に報告くすると、何となく笑顔が返ってきたような気分になる。
22日(月) 晴・曇14/28℃
熊谷では朝の気温が高く、日中青空が広がるほどでもないが気温が上がり、最高気温は28℃の夏日となり、この春一番の暖かさとなった。出かけた時には、チョッキを羽織るだけで、それでも汗ばむようだった。このまま初夏の陽気が続くとは思えないが、一日を過ごすのが大分楽になった。 「愛妻記」に関連して、ネガ写真を「セピア色の世界」に掲載する作業を中心に行うようになり、該当しそうな旅写真を掘り出している。ざっと見ただけで20回分を割り出し、1項目でかなりのファイル数となりそうである。ざっと計算したところでは、1ファイル20枚、項目数は80を越え、最低でも1600枚のネガ写真を掲載する事になりそうである。 思った以上に規模の大きいコーナーとなり、「愛妻記」にも連動させる予定で、私が思い描いてきた究極のホームページになりそうである。とにかく、今まで撮り溜めてきた写真を有効利用できる事になり、生き方に自信が持てた。ただ、妻を失ってしまったので、しくじり人生でもあり、妻の魅力を徹底的に発信する事が、私に与えられた唯一の猶予となる。
23日(火) 曇・晴15/25℃
昨日に引き続いて朝の気温が高く、寒さを全く感じなかった。日中は昨日ほどではなかったが、それでも25℃まで上がり、夏日となった。日差しの所為か、我が家のモコウバラは一段と開花が進んで、黄色い花が全体を包み込むようだった。それでも蕾みが多くな残っていて、散る気配がないので、一段と見栄えが良くなりそうである。 「愛妻記」に関連して、ネガ写真を見返しているところであり、当初のイメージだと昭和までの写真に着目、平成についてはそれほど気に留めていなかった。デジタルカメラが出始めたのは2000年に入ってからで、平成12年まではネガ写真であり、子供達も交えた写真は減っていくものの、夫婦写真は10年分も残っていいる。写真はプリントしてあるものの、アルバムにはなっておらず、10年分の写真を見直し、整理してみる必要がある。 「セピア色の世界」のコーナーを構成していくと、前段で記したように、平成に入っての写真は減少傾向にあるものの、夫婦の写真が少なからずあり、写真は寄せ集められただけなので、整理するところから始めるようである。 2004年にデジタルカメラを購入してからは、ホームページに連動してきっちりと写真を整理、改めて整理する必要は無い。写真だけの事をかんがえるなら、「愛妻記」は後12〜3年分が山場である。
24日(水) 曇・雨15/20℃
午前中からどんよりと曇って、日中は小雨が降り続く天気となった。熊谷で本格的な雨になったのは2週間ぶりで、考えようによってはいいお湿りと言う事になる。今日は久々に9キロ歩き、家に着いた時にはくたくただった。何をやっても疲れを感じ、歳相応の生活を考えて見る必要がある。 今日は出かけていたので、パソコン作業は午後に少しやっただけだった。整理されていない(1990年代)写真を引っ張り出すと、妻と二人で出かけた写真がけっこう出てきた。子供達と行動を共にした旅行は1992年までで、その後は、ほとんどが二人旅だった。 長男が会津若松の大学に入ると、妻と二人でアパートに頻繁に訪れていた。行くたびにささやかな観光もしており、会津の写真もけっこう残っている。ネガ写真が有効に使えるのは願ったりで、写真を多く撮ってきた事に大いに満足している。 今までにも、デジタルカメラで撮影したものを存分に使って、昆虫を中心に名所巡りも充実したものとなり、ネガ写真と合わせると、膨大な量の情報を発信することになる。どれも自己満足の世界で、好きな事をやっていると実感する。
25日(木) 曇・晴16/27℃
午前中は曇りがちだったが、午後からは日射しが出て気温が上がり、熊谷の最高気温は25℃を越えて夏日となった。最低気温は今日で三日連続の15℃越えとなり、春爛漫と言うより初夏の陽気で、体が中々ついていけない。 今は「愛妻記」を休止して、平成に入ってからのネガ写真を整理をしているところである。平成6年頃から写真はプリントしていてもアルバムとして整理されておらず、ネガと写真を合致させて、順序立てをするところから手掛るようである。 ちょうど家族旅行から夫婦旅行へと切り替わった時期でもあり、誕生会などを除くと、風景写真が中心で、妻の姿もあまり出てこない。写真的には「名所目巡り」に属してきて、回数はそれほど多くないが、毎年2回以上出かけていた。2004年デジタル一眼レフに切り替えたところまで一気にネガ写真をデジタル化し、「セピア色の世界」を作りあげてしまおうと思っている。 「愛妻記」と「名所巡り」とどの様な形で整合性を持たせるかが問題で、今考えているのは、「愛妻記」ではプリントした写真をコピーして使用して見ようと思っている。スキャンした画像と、写真をコピーしたものでは明らかにスキャンしたもが鮮明で、「愛妻記」では「セピア色の世界」を案内する形態を意識している。写真に関しては、自分の持ち球を「名所巡り」で全開にするのが、コーナーの趣旨に合致する気がする。
26日(金) 曇・雨11/21℃
それほどは強くならなかったが、午後を中心に小雨が降り、気温は上がりきらず、20℃をやっと越える程度だった。平成も残り僅かとなり、明日から10連休とかで、世の中、どんな事になるか想像が付かず、自分は普段と全く変わらない生活をするだけである。 我が家のモッコウバラは満開となり、塀を境に南も北も黄色の花が溢れている。特に北側は、一部枝垂れ桜の様に垂れ下がり、見応えがある。散り始めた部分もあるので、見ごろも後僅かとなりそうである。 「セピア色の世界」に係わるネガ写真を整理していくと、何とか終着が見えてきた。カメラがデジタル化になったのは2000年頃からで、最初はビデオカメラのデジタル写真機能を使い、続けてデジタルフルオートカメラも愛用し、2004年にデジタル一眼レフカメラを購入、以降、昆虫写真を中心に膨大な枚数撮ってきた。撮影枚数が多い時期は、年間1万枚以上撮影、多い年では2万枚にも及んだ。 パソコンとデジタルカメは生活の必需品となり、ホームページを作るに至った。インターネットなど全く知らなかった時で、息子に教授してもらい、2001年には開館していた。早17年のベテランで、研さんを積んで、自分の思い描いたホームページができ上がった。今は、パソコン人生の集大成を意識して、様々な試みをしているところである。
27日(土) 曇・晴8/16℃
今日は風が強く、雲が広がりやすくて気温が上がらず、季節が逆戻りしたような天気だった。夕方のジョギングでも同様で、それなりに着こんでいたが、寒さを感じた。 避けて通れない厄介事がこの1週間に集中し、何とも重苦しい日々となった。それも今日で全て完了し、これからはマイペースで生活していけそうである。だからと言って明るい見通しが立つわけでは無く、飽くまでも妻を忍んで、生きながらえるだけである。 妻を忍ぶ行為は決して辛いものではなく、遠ざかると言うより、一時でも身近に感じられ、生きる心地がする。特にネガ写真を整理していると、妻の微笑みが顔をのぞかせ、ほのぼのとしてくる。余計な事を考えずに「愛妻記」に集中できれば苦労は無いのだが、そうはいかないのが実生活である。 2000年までのネガ写真が大方出そろい、「セピア色の世界」のラインナップがもうじき出来そうである。表紙に並べた写真枚数は30に及びそうで、その中には分冊されるものも数多くあり、ファイル数はざっと計算して100に及び、写真枚数となると2000枚と見ている。
28日(日) 晴・曇6/19℃
昨日に引き続いて朝の気温が低く、午前中は寒々としていた。日中は何とか気温が上がって、20℃までには至らなかったが、朝の寒さは払しょくされた。諸々の厄介事が全て完了し、今日一日スッキリした感じで、パソコン作業が一気に進んだ感じである。 「愛妻記」は「セピア色の世界」と兄弟の様な関係になっており、最終的に兄弟の揃い踏みを狙ってるところである。順序立てからすると、「セピア色の世界」が先行した方が「愛妻記」が治まりやすくなる事は必定で、当面は写真編集を中心に取り組んで行こうと思っている。 「愛妻記」の方は家族生活の写真を中心にして、旅行関係は写真をコピーして画像の差別化をしてみようと思っている。出来るだけ日記を中心にして、創作色を強めようと思っている。2002年以降はデジタル写真になるので、「セピア色の世界」は残り僅かとなり、デジタル写真になって10年は、昆虫写真が中心となり、旅行写真などは極端に少なくなる。 妻との旅行は2010年を過ぎてから本格的となり、我が旅行サイト「日本全国名所巡り」は2010年が過ぎた写真集がほとんどである。考えようによってはネガ写真とデジタル写真を対比するような形となり、面白い試みと思っている。
29日(月) 曇/晴9/21℃
雲が広がる時間が多かったが、時々日射しも覗き、外に出ている間は雨に見舞われる事はなかった。曇っている割には気温が高く、比較的過ごしやすい陽気だった。 「セピア色の世界」は構成が決まり、進みが早くなった。ネガのスキャンが追いつかない状況で、ネガスキャンの作業を先行するようである。スキャンは比較的順調に進む作業で、ネガの整理も大方できているので一気に出来上がると見込んでいる。 ネガ写真は、一時一眼レフを使用している時があり、撮影技術が伴わない事もあって、中望遠レンズを使用すると、手ぶれや、露出、シャッタースピードなど、適切に設定できておらず、まともな写真はほとんどない。諦めてしまえばよかったのだが、手にした以上寝かして置くのがもったいなく、かなりの年月付使用している。 一方でフルオート(バカチョン)カメラも何度か買い替え、一人より、家族全員で撮影していることがほとんどで、それなりに撮れたものも少なくない。ネガからスキャンしたとは思えない写真も数多く出てきて、思った以上に鮮明なネガ写真集ができそうである。
30日(火) 雨・曇12/17℃
今日は朝から雨がちで、一日を通して日射しがなかった。気温が上がらず、最高気温は17℃で、暖かさは少しもなかった。それでも寒いとまではいかず、程々の陽気と言える。我が家のモコウバラは、散りはしないがが幾分色あせた感があり、令和に呼応して散ってしまいそうである。 「愛妻記」は第17章で一区切りさせ、今は「セピア色の世界」に専念している。表紙の数とすると28枚であり、ファイル数とすると120、ページ数15と見積もるとA4写真1800枚の写真集となる。ネガ写真とするとべらぼうな数である。 文言はほとんど挿入するつもりはなく、比較的早く進むと見ている。ネガ写真の写真集としてはかなり大規模と思われる。出来上がれば「愛妻記」に連動する事が出来、直接触れなくとも進んでいることになる。色々な面で一気に促進すると、甘い考えを持っている。 |