『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年2月

 

1日(金) 0/7

 

 日中晴れたが、寒気の流れ込みがあったようで気温が上がり切らず、熊谷の最高気温は7℃台と、寒かった。昼の食事を兼ねた散歩では、陽だまりを歩いているとポカポカ陽気だった。夜になると寒さが増してきて、明朝は大分冷え込みそうである。

 1月は、中旬まで「愛妻記」に力を入れ、画像処理に長時間費やした。画像処理は、高齢になると負担が大きくなり、疲労から集注力が弱まって、何をやっても時間が多くかかってしまう。眠気が射してきて余計集中できなくなり、何をしようとしているのか分からなくなり、何事も遅々として進まなくなる。

 今日も慌てずにパソコン作業をしたが、思うように進まず、否応なしにパソコンから離れるようだった。通常ペースに戻すにはどうすればいいのか考えてみたが、少しパソコンから離れるのがいいのかもしれない。年齢に関係なく、過去にも同様なことを何度も繰り返してきており、息抜きが必要なのかもしれない。

 2月は、息抜きで、普段やっていない事を試みるのも、一つの改善策と考えられる。普段は、決まった事の繰り返しで変化に乏しく、ぼけ始めた脳みそを活性化するには、何をしたらいいのか悩んでしまう。

 

2日(土) -3/15

 

 熊谷では今朝は冷え込んで、最低気温は氷点下3℃となった。朝から晴れて日射しが強く、日中は気温が上がって、最高気温は15℃となった。陽だまりと日陰では気温差が大きく、汗をかかないように日陰を選んで歩くようだった。

 昨日と同様パソコン作業に集中できず、やむなく、日射しが入り込む2階の部屋で、ソファーに座ってテレビを付けてみた。テレビを見ているうちに眠気が射してきたが、寝付くまでには至らず、ボケーとしているようだった。息抜きをしてみたが、集中力は回復せず、昨日と同様、思うように動けなかった。

 「愛妻記」のファイル作成に、僅かながら取り組んで、画像挿入に勤しんだ。昭和60年ににはスキー旅行を5回しており、子供達の上達ぶりが浮き上がってきて、今にして思うに、貴重な記録である。妻にとっても子供達の上達ぶりが嬉しかったと見えて、遅れをとるまいと、子供達に付いて滑っているシーンも少なからず残っていた。妻は至福の時を自ら勝ち取ったと言える。

 

3日(日) 晴・曇-1/13

 

 今朝も氷点下の寒さとなったが、朝から日射しがたっぷりだったので気温が上がり、昼の散歩ではそれほど寒く感じられなかった。夕方のジョギングでも寒さは苦にならず、日の暮れるのも遅くなり、家を出るのが17時10分まで伸び、大分走りやすくなった。

 寒さの所為か、疲れやすくなって、何も手が付かなくなる事が頻繁にある。居眠りでもしようと思うのだがどうしても寝付かず、慢性疲労と言ったところである。高齢者にとって冬の寒さは大きな負担となり、正月前後に葬式が多くなる。冬を乗り切るには、運動を交えた規則的な生活が効果的である。

 普段は規則的な生活を送っているのだが、サッカーアジアカップのテレビ観戦などで、この半月ほど遅寝の傾向があり、生活のリズムがすっかり狂ってしまった。寒さの所為もあって、起床時間が6時から7時過ぎになってしまい、眠りの質も良く無い状態である。何とか体調を整えなければと、少々焦っている。

 

4日(月) 3/18

 

 朝の冷え込みは緩み、日中よく晴れて気温ががり、熊谷の最高気温は18℃と、春爛漫の気温となった。昼の散歩では久々に汗ばんで、家に帰って肌着を着替えるようだった。

 午後のパソコン作業は、午前と同様1階で電気ストーブを付けてやるのが通常であるが、昨日は疲れが出てパソコンに集中できず、2階の日当たりのいい部屋でソファーに座って、居眠りを試み、大変暖かに過ごせた。今日はノートパソコンを2階に持ち込んで作業をし、大変心地よくできた。

 妻の写真が見える事を原則にしてきて、パソコン作業はきまった場所でやってきたのだが、経費節減も兼ねて、2階での作業も有効と実感した。ノートパソコンは、自分のやっている作業をするには使い辛く、今までほとんど利用してこなかったのだが、今日の試運転で何とかなりそうな気がしてきた。もう少し研究するようだが、2階にも妻の写真を飾り、午後の通常作業場所にしようと思っている。

 

5日(火) 曇・晴3/11

 

 昨日今日と、朝の冷え込みが緩んだものの、日中は昨日ほど気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は11℃と、寒さが戻ってきた感じである。散歩では、早歩きをしたので、帰りには汗ばんできた。10℃が汗ばむ目安で、気温によって外出時の服装を工夫するようである。

 妻に買ったノートパソコンを使いこなそうと、今日も午後の日当たりのいい一時に、2階で使用してみた。幾らか慣れてきて、通常の作業にも使えそうである。ノートパソコンは情報を見るのには手頃なのかもしれないが、創造するには使い辛く、私のような使い方をするものには実用的ではない。

 ディスクトップのパソコンと購入時期が5年以上の開きがあり、同じソフトでもバージョンが異なり、進歩していると考えるのが妥当である。果たして進化しているかまでは分からないが、使いこなせるようになれば、グレードアップできるかもしれない。

 ノートパソコンにこだわっているのでは無く、ディスクトップパソコンを買うことも考えており、少なくとも今なし得ている範囲は最低でも確保し、自分自身進化したいと思っている。もうじき70歳で、幾つまで生きられるか分からないが、少なくとも80歳までは進化し続けたいと思っている。進化を後人に繋げたいと願っているが、息子達は当てにならず、何らかの方策を立てて残していきたいと思っている。

 

6日(水) 曇・晴3/9

 

 朝の気温が高めで安定してきて、三日連続で3℃となった。日中は曇っている時間もあった所為で上がり切らず、最高気温は10℃に届かなかった。天気予報を見ると、これから何日か、気温が乱高低しそうで、春と冬のせめぎ合いがありそうだ。

 年齢的なものがあるのか、睡眠時間は夏場と比べて1時間以上長くなっているものの、日中パソコンに向かっていると睡魔が射してきて、文章などを書いていると、遅々として進まなくなる。「愛妻記」では、画像処理はそれほど時間がかからないが、日記の転記になると、思うように進まなくなってしまう。

 睡魔が射すと横になる事もあるが、寝付くまでに至らず、テレビでもつけてぼけっとしているしかなくなる。2階の日当たりのいい部屋で、ノートパソコンで作業をすると、比較的進んで、眠くなることも無い。寒さに抗うと体力を消耗することの証で、老化が災いしていると思われる。

 作業内容でも疲れ方が違ってきて、思考力の減退とでも言うべきか、体力の衰えと相俟っているようである。春も遠からずで、暖かくなった時にどうなるかが、今後の我が人生に大きな影響を及ぼしそうである。

 

7日(木) /-1/15

 

 この三日間、最低気温は氷点下にならなかったが、今朝は冷え込んで氷点下1℃となった。日中は日射しがあって気温が上がり、熊谷の最高気温は15℃となった。昼の散歩では、行きは寒かったが、帰りは暖かで、早歩きだと汗ばむ様だった。

 亡くなった妻のノートパソコンは、私が普段使っているディスクトップパソコンより5年ほど遅く購入したもので、各種ソフトの機能がバージョンアップされていたが、ノートパソコンそのものが使いづらく、ほとんど使っていなかった。ノートパソコンが大分古くなった感じで、新しいパソコンの購入も考えているが、その前にノートパソコンを使いこなしてみようと、色々と手掛けている。

 ワードで縦書き文章を作成して、HTM変換すると、縦書き機能を有していないようで、横書きになってしまう。その点は改善されておらず、パワーポイントで文章を画像化する方法しか、今のところ見出していない。PDFによる方法もあるが、容量が大分大きくなり、背景色など、融通が利かず、どうしても気にいらない。

 これから先どこまで発展させられるか分からないが、画像にコメントが一体化した写真集が出回れば、関心が高まるのではと思っている。写真愛好家に何とか伝授できればと、考えている。

 

8日(金) /0/9

 

 今日は朝のうちは曇りがちで、日中日射しが出ても気温が上がり切らず、最高気温は10℃を下回った。この1週間、10℃を越える日が多かったが、明日は一転、雪の可能性があって、熊谷では日中の気温が2℃と予想され、厳寒の一日になりそうだ。雪は、熊谷ではそれほど降らない予想だが、海寄りの地域では本格的な雪模様となりそうである。

 70才間近の老体には、寒さが応えるようで、体調が芳しく無い。睡眠時間は8時間近く取っているが、日中何度となく睡魔に襲われ、何もできなくなってしまう。寒さに抗うと体力が大きく消耗し、思考力が減退、酸欠状態と同じ様である。そんな状態が今年に入ってから続いており、「愛妻記」が遅々として進まなくなってしまった。

 寒さが原因ならば、後半月もすれば改善すだろうが、老化が原因だと、余生が思い通りにならなくなる。先々の展望ができているならいいのだが、全く見通しの立たない生活で、深刻な問題となってくる。妻は、息子達が結婚して孫が見れるとは考えておらず、負け惜しみで、「孫はいらない」と応えた事があった。

 妻は子供好きで、子育てに全力投球してきており、本音からすると、孫の顔を見たかったに違いない。二人の息子を見て結婚が難しいと判断、孫はできないと見極めていたのかもしれない。私が生きているうちに、霊前に孫を向かわせるのが、生きながらえる目的である。

 

9日(土) /小雪0/2

 

 今日は一日を通して日射しが無く、午後になると小雨がぱらつき、夕方には小雪が舞っていた。気温が上がらず、熊谷の最高気温は2℃で、この冬一番の寒さとなった。夕刻、小雪が舞う程度で、夜半になっても積もる事は無く、熊谷ではこの冬一度も積雪を記録いていない。

 昨日の日記で書いた、疲労について、今日は「愛妻記」の文章系が少しは進み、昨日までの倦怠感はほとんどなかった。昨日と生活条件は変わっていないのだが、疲労のピークが過ぎて、ある程度快復した証なのかもしれない。

 今書いているのは、昭和60年の日記に記された論文形式の文章で、今の社会を予言するものである。高度成長の推進力となったオートメーションの問題で、人件費削減によって安価な商品を大量生産し、中小企業などの職人技が疎んじられ時代を論じている。

 大量生産で安価な商品が流通、安かろう、悪かろうで、買い替えの促進も仕組まれていた。肝心の消費者の収入が目減りして、消費が停滞、企業の思惑通りにはいかなかった。

 やがて、家電メーカーの中には、一定期間使用すると故障する機器を販売、企業名の頭文字を取って、「Sタイマー」などと囁かれるようになった。私も「Sタイマー」なるものを知らなかったので、S社の製品を続けて選び、、2台のビデオカメラが、タイマーでも仕掛けてあるかのように、見事に故障した。

 ビデオ撮影に力を入れた時期があり、ビデオテープが大量に残っていて、PC販売店で、試しにテープのデジタル化を試みた。「愛妻記」関連のテープで、仕上がったものを一部見てみたが、「愛妻記」に掲載するほどの価値を感じなかった。

 S社は今も家電メーカーとして商品を扱っているが、テレビコマーシャルでは影を潜め、保険会社を設立、何年か盛んにコマーシャルをやっていたが、最近は、保険も家電も影を潜めている。

 日記に時代の移ろいを書いてきたので、創作の素材が少なからず残っていて、「愛妻記」に生かしていきたいと思っている。

 

10日(日) 晴・曇-1/8

 

 天気が回復して、朝から晴天傾向にあり、その分、放射冷却現象が強まって、最低気温は氷点下となった。冷たい空気が流れ込んで、晴れている割には気温が上がりきらず、熊谷の最高気温は8℃止まりだった。夜になると一段と寒さが募り、明朝はかなり冷え込みそうである。

 何日か前まで、日中睡魔に襲われ、何も手が付かなくなる事が頻繁にあった。眠りの深さが要因か、体調そのものが悪かったのかハッキリしないが、今日は一度も眠気が射す事が無かった。午後には、妻のノートパソコンを使い、色々と試してみた。

 今使用しているパソコンは使いこなせるようになり、今のところ問題は無いのだが、いつ故障するか心配であり、生活の一部を担っているので、予備が必要である。妻のパソコンである程度賄える見通しが立ったが、新規のディスクトップPCを用意した方がいいと思うようになっている。

 写真と文章が一体のファイル作成に力を注いでおり、普及させたいとの思いが強まっている。実際にそんな機会が巡ってくるか疑問だが、自分から機会を作ってみたいと思っている。パソコンは情報閲覧やゲーム専用になっている人が主流の様な気がする。物造りの土台にしない限り、本当の意味でのパソコンの価値を生かせない。

 

11日(月) /-1/4

 

 朝の気温は昨日と同じだったが、日中、冷たい風が流れ込んで、熊谷の最高気温は4℃止まりで、厳しい寒さとなった。2月に入って最高気温が10℃越えが何回もあったが、北極圏から押し出された空気が日本列島まで流れ込み、真冬並みの寒さをもたらしている。

 「愛妻記」の進みが遅く、PCの機能を色々と試していて、本題に中々入れない。考えようによってはチャレンジで、画像と文章が一体となったファイルにチャレンジし、少しでもスキルを高めて、後進に引き継ぎたいと考えている。

 パソコンが普及していると言っても、機能を生かすと言うより、情報収集やゲームが中心で、独自の世界を作りあげる事を目指しているのはごく限られているのではなかろうか。そういう意味では、私のやっている事はパイオニアであり、パソコンで独創の世界を築いているつもりである。

 幾つかの段階を経て、独自の表現方法を確立、パソコンとネットを有効に活用している。高が知れている事だが、今までネット検索を数限りなく繰り返してきたが、私の情報発信方法としては、かなり水準が高いと自負している。

 一時昆虫の世界を大々的に情報発信してきて、昆虫学会関係者から圧力がかかったほどである。圧力など全く気にしなかったが、色々な事を取り組んできた関係で、昆虫ばかり扱っていられず、さらには、妻を抗癌剤使用で失い、今は妻を忍んで「愛妻記」に専念している。

 

12日(火) 晴・曇-2/11

 

 朝のうちは、昨日の寒さが残って氷点下となったが、日中は良く晴れて気温が上がり、最高気温は10℃を越えて、過ごしやすくなったが、夕方には寒気が流れ込んで、一気に寒くなった。一時、15℃を越える日が何度かあって、一気に春めくと思われたが、この三日間、酷寒を思わせる日が続いた。寒暖の激しい天気は、もう少し続きそうである。

 ハッキリとした原因が分からないが、今月に入って体調不良となり、何をやるにしても集中できず、頻繁に眠気が射してきた。パソコン作業が滞り、創作関係から手をひいて、単純作業に終始した。

 寒さの影響も少なからずあったと思われるが、眠りの深さにも災いされた気がする。サッカー、アジア大会が日付をまたいで放映され、よせばいいのについテレビを見てしまい、朝が普段通りに起きれない日が続き、体調に少なからず影響したと思われる。

 若い頃は不規則な生活をしてもほとんど影響を受けなかったが、妻が亡くなってからは精神的に不安定になった所為で、生活の僅かな誤差でも、途端に影響するようになった。冬場は次男が毎週のようにスノボーに出かけ、週末の度に東京のアパートから帰宅して来て煩わされた。妻が亡くなる前はそれほど苦にならなかったが、今年は大きな負担になっていて、協力を拒んだ。この2週間やってこないので、老体の負担が軽減、体調が快復したと考えている。

 妻を失った苦しさ、寂しさ、空しさは未だに癒えないが、体調が幾分回復した事で、「愛妻記」に熱を入れられるようになった。熱を入れると疲れが倍増する事も確かである。

 

13日(水) 曇・晴-1/11

 

 北西の風が吹き抜け、午前中は大分寒く感じられたが、午後は日射しがあって気温が上がり、熊谷の最高気温は11℃まで上がった。2月も中旬に入り、駆け足で春めいてくると思ったが、寒暖の差が激しい日々となっている。寒さが残っていても、日が一段と伸びて、一番短い時期は16時半には暗くなっていたが、今は17時半まで伸びている。

 「愛妻記」に伴う、縦罫文章の画像化を推し進めているが、以前の方法に替えて、パワーポイントに文章を直に書いて見た。思ったほど手間がかからず、ワードに書いて写しとるより遥かに効率的である。

 パワーポイントは文章系と言うより画像系と考えていて、縦罫文章を直に書きつける事は、全く考えもしなかった。書くのに違和感が無く、ワードに書いているのとほとんど同じで、これからはワードからの転記の手間が省けるので、進みが早くなると思われる。

 パワーポイント自体が縦罫文章の画像化を想定していたのか定かでないが、使い道にかなり多様性が出てきて、「愛妻記」のみならず、私が今まで作りあげてきた、様々な分野にも有効に使えそうである。

 

14日(木) 0/8

 

 朝から晴れていたが、北西の冷たい風が流れ込んできて、気温が上がらず、熊谷の最高気温は10℃を下回り、寒い一日となった。日が大分伸びて、早い時には4時半には暗くなり始めていたが、今は17時半まで明るさが残り、1時間も違っている。

 10年以上も前の事になるが、松本清張の晩年の作品を読んだ事があり、少しも面白く感じられなかった。歳をとると言う事が実感でき、書き続ける事に敬意を表する半面、自覚が無いと感じた。

 今「愛妻記」に伴い、過去の日記を紐解いて、創作部分を転記しているが、修正の必要が出てきて、改めて創作してみるが、文章が少しも浮かんでこなかった。初めの30分ぐらいはある程度言葉が浮かんできたが、それ以降は少しも浮かんで来ず、途中で放棄してしまった。

 思考力の低下は否めず、脈絡をイメージできなくなって、遅々として進まなくなってしまう。まともにできるのはせいぜい1時間ぐらいで、過去の、一日10時間はどうしてしまったのだろうと、老化を嘆くようである。松本清張の晩年と同じなどと言ったら、ファンのかたに怒られてしまいそうだが、高齢による思考力の低下は無視でき無いのではないのか。引き際が肝要である。

 私も引き際を考えるようであるが、「愛妻記」が書き上がるまでは、誤魔化し、誤魔化しでも、何とか持ち堪えたいと思っている。

 

15日(金) /-3/7

 

 今朝は氷点か3℃まで下がり、曇りがちで、日射しが出ることもあったものの、気温が上がり切らず、最高気温は7℃で、冬真っ盛りの寒さとなった。気温が低いと体力の消耗が激しく、活字を追っていると眠気が射してきて、思考力を要する作業ははかどらなくなってしまう。

 「愛妻記」に伴って、日記を読み進んで行くと、昭和60年(1985年)の段階で、妻への思いを書き上げるつもりになっていて、「愛妻記」の準備を始めた事になる。愛妻記の第一弾である「時の旅人」を出版したのが平成12年(2000年)で、15年かかっている。

 15年の間、合理化で職場が無くなり、他部門へ転勤するなど、波乱に満ちた仕事人生となったものの、何の感傷も無く、会社を去る事と、「時の旅人」を出版する事を両輪にして、走り出していた。

 職場が変わって、行く先々で多くの友を得て、人間関係にがんじがらめになり、先々の不安と共に、小説にしたくなる交流をする事になる。中には女性も何人か含まれ、親密になったが、語らいに妻の自慢話がつい出てしまい、「愛妻家」の名を轟かしていた。

 妻にも同僚との親密な関係を報告していたが、全く相手にされなかった。むしろ、食事を御馳走するように小遣いを貰った事もあり、相思相愛の関係が揺らぐ事は無かった。

 

16日(土) -2/14

 

 今朝も昨日と同様冷え込んだが、日中は気温が上がり、熊谷の最高気温は14℃と、春の兆しが感じられる暖かさだった。昼食を兼ねた散歩では、帰りの道では久々に汗ばんできた。日の暮れるのが大分遅くなり、ジョギングに出かけるのが17時20分となり、立冬の頃と比べると50分も遅くなった。

 今年の5月で70才になる。健康維持で、昼には毎日ウォーキングをし、夕方には一日おきにジョギングをしている。ノルマをこなせるのだから老化はある程度遅れさせられるとたかをくくっているのだが、パソコン作業では短時間で眠気が射してきて、進みが極端に遅くなってしまうことがある。集中力が極端に劣化し、一日で取り組める量が大分少なくなっている。

 どんなに足掻いて見ても、衰えは如何ともし難く、能力に合わせてのんびりやっていくしかない。のんびりの中に、面白さが加わる事があり、けっこう楽しめる事がある。人間の本来持っている、創造力を働かせるのは脳の活性化となり、時々面白いように言葉が浮かんでくる。

 書くことの面白さが、僅かであっても取り戻せるなら、そう簡単に創作を放棄する必要が無い。「愛妻記」が納得いくまで書き綴れると、僅かながら自信が付いた。

 

17日(日) 1/11

 

 今朝は幾分冷え込みが緩み、熊谷の最低気温は1℃だったが、日中気温の上がり方が鈍く、最高気温は11℃と、昨日より3℃も低かった。気候が中々安定せず、春はまだ遠そうな感じである。老齢化した体は、寒さに抵抗しきれず、体力の消耗が激しく、睡眠時間が長いのに、日中何度となく睡魔に襲われる。居眠りの態勢を取るとすぐに寝付いてしまい、パソコン作業がはかどらない。

 私は1980年代に労働組合の役員をしていて、地域の労働者福祉協議会に職場の代表として参加していた。総評系や同盟系などが加わった、比較的フレンドリーな集まりで、視察旅行なども行っていた。私は役員を降りた後に、中国視察旅行の誘いを受け、1985年の5月1日から5日まで探訪してきている。

 中国が大きく様変わりした時代で、観光目的で自由に渡航できるようになっていた。労働組合が主催する旅行なので、中国の労働実態を視察することも旅行目的となっていたが、実態的には物見遊山に他ならなかった。

 中国の開放政策が花開いた時代で、日本人観光客が多く、今で言う「爆買い」が多く見受けられた。欧米人の姿も見られたが、買物目当てよりも、中国の風土を視察する風だった。

 近年、日本への中国人旅行者のマナーの悪さが話題になり、爆買いに眉をひそめる人がいるが、30年以上前に、日本人が中国に行って、同様な事をしていたのである。それは正に「おごり」であり、中国の経済成長が「おごり」を産んだと言えそうである。

 今や日本では、経済成長が失速し、大手企業の破綻が相次いでいる。中国も昨今経済成長に陰りが出てきて、日本における爆買いも沈静化してくるのではなかろうか。世界中が経済政策に陰りが出てきて、体制の在り方が問題になってきている。国の支配のあり方を見直さなければ、国が滅びてしまう。

 

18日(月) 晴・曇-1/16

 

 熊谷の最低気温は氷点下となって朝のうちは寒かったが、日射しがあって気温がぐんぐん上がり、最高気温は16℃台と、春を感じさせる陽気となった。週間予報を見ると、この1週間暖かめに推移するようで、春の兆しが一段と強まりそうである。

 何年か前から、パソコン作業で好不調があったが、それほど長時間では無く、翌日には解消する事がほとんどだった。最近は、不調(集中できない)の時がほとんどで、何をやっても牛歩の様な歩みにたなってしまう。年齢からくる衰えも当然あるだろうが、妻を失った痛手が大きい気がする。

 年がら年じゅう妻を追い求めており、決して戻る事が無いと、現実が蘇り、気力が失せてしまう。無気力状態で創作に励もうとしても、言葉が浮かばなくなってしまい、遅々として進まない。同時に睡魔に襲われ、どうにもならなくなっている。

 老齢化した肉体には寒さが蝕んできて、活性化するのが難しい。機械的に散歩とジョギングを繰り返しているが、いつも倦怠感が残って、活性化にはならない。陽気が良くなると、少しは体調が戻ってくれればいいのだが、季節の問題より、老齢化と考えた方が妥当で、これからの人生、中々厳しくなりそうである。

 

19日(火) 4/11

 

 朝の気温は高かったが、日中ほとんど日射しが無くて気温が上がり切らず、最高気温は11℃止まりだった。明日は一気に春めいて来そうで、熊谷では20℃の予想となっており、その後は再び乱高低し、そう簡単にはスッキリと春にはなりそうにない。

 愛用のパソコンの立上時の背景は、昆虫写真に夢中になっている時に撮影したハチの写真を使用していたが、昨日、何で妻の写真にしていないのか疑問を感じ、早速妻の写真に切り替えた。

 昭和60年にスキーへ行った時の写真で、妻が34歳の時だった。妻はどちらかと言うと若造りで、私には少女の様に見えてしまう。ネガからスキャナーでデジタル画像化したもので、いささか古くなった感じは否めないが、それがかえって、妻のみならず、風景も味わいがでて、気にいりの背景となった。

 これからは定期的に背景写真を替えるようにし、愛妻を忍びたいと思っている。A3写真のアルバム(ポケットファイルを使用)も作ろうと思っている。幸か不幸か、妻の写真を見る事が癒しになっていて、心身の活性化を目論んでいる。

 

20日(水) 晴・曇2/20

 

 朝のうちは、特別暖かくなるとは思えなかったが、日中気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は20℃となった。昼の散歩では幾らか薄着で出かけたのだが、肌着が汗ですっかり濡れてしまい、取り替えるようだった。夕方のジョギングでも寒いと言う感じは無く、春へ大きく進んだ感じである。

 ここ暫く、毎日倦怠感に苛まれてきたが、今日は眠気が少しもさして来なかった。文章を扱うと時間が多くかかってしまい、「愛妻記」の進みが大分遅くなっていたが、それも、今日は回復の兆しが感じられ、パソコンに向かっている時間が長かった。

 倦怠感は気候の所為もあると思われ、今日の暖かさで和らいだのかもしれない。睡眠にもお影響してくると思われ、老齢化した肉体は、冬を乗り切るのが一苦労と実感した。今日一日の陽気で全て解決したと見るのは早計だが、今迄の牛歩の歩みから脱却できるのではと見ている。

 

21日(木) 6/14

 

 昨日は夜になっても気温がそれほど下がらないように感じていたが、今朝の最低気温は6℃と大分高く、昨日の20℃を越える暖かさが下がり切らなかったようである。日中は昨日ほどではなかった、15℃近くまで上がって、春らしさが保たれた。

 「愛妻記」に伴って、昭和60年の写真を整理していたら、5月に中国へ行った時のネガが出てきた。アルバムは2冊あって、1冊は大して写真が貼られていなかったが、中国旅行専用のアルバムが出てきて、100枚以上に渡って写真が貼られていた。ネガを探し出してみると、36枚撮りネガが15本も出てきた。500枚近く撮ってきた事になる。もう1冊のアルバムは、同行者に撮ってもらった写真を掲載したものだった。

 写真をどこまで掲載するか検討しているところで、写真の枚数からすると別冊(中国見聞録)にした方がよさそうである。現実に、妻の存在は全く無いので、本来なら別館に載せるべきものであり、掲載するコーナーも検討する必要がある。

 

22日(金) /1/14

 

 熊谷の最低気温は1℃と真冬並みとなったが、日中は冷たい風が吹いて寒さを感じたものの、最高気温は14℃と春間近の陽気となった。夜になっても気温の下がり方が鈍く、寒いと言う感じは無かった。夕方のジョギングでも、家を17時半に出ても、河川敷のグランドは真っ暗にならず、本来の出発時間に戻った事になる。

 昨日の日記でも書いたが、中国旅行の写真について、スキャナーでネガをスキャンして、デジタル画像にしてみた。写真枚数は36枚撮り15本も撮ってあり、500枚程になった。結局、「愛妻記」に掲載する枚数では無く、「全国名所巡り」のコーナーの「セピアカラーの世界」に掲載するのが相応しく、「愛妻記」ではリンクする形で紹介しようと思う。家族とは切り離された旅行をけっこうしており、それらもセピアカラーとして掲載しようと思う。

 仲間との旅行は家族旅行の下調べと位置付け、「北海道・東北・中部」と広域に渡り、写真もかなり撮ってきている。中部の黒部ダムや乗鞍は家族で行けなかったが、他は家族旅行とダブっている。したがって、仲間との旅行に妻は少しも不満を漏らさなかった。

 

23日(土) 4/14℃晴

 

 今朝は寒さが緩んだものの、午前中を中心に北よりの風が強く、体感的には寒く感じられた。午後は風が弱まって気温も上がり、最高気温は14℃となった。春らしさが間近にやってきたと期待するが、この半月からすると、そう簡単には行きそうにない。

 「愛妻記」に伴って、昭和60年の写真を見ていると、私は家族サービスを重視していたつもりだったが、職場の仲間などと、家族と切り離して少なからず出かけている。飲む機会も多く、見ようによっては不良亭主ということになる。

 仲間と出かけた事は「愛先記」では触れまいと、逃げ腰になったが、色々と考えているうちに、「全国名所巡り」のコーナーの「セピア色の世界」に掲載するのが相応しいと思うようになった。昨日の日記でも記したが、仲間内で出かけた旅行は家族旅行の下見との位置付けおり、幾つかの旅行を除いて、ほとんどが家族旅行でも出かけている。

 「セピア色の世界」は、昔、ネガ写真は色が変わる(オレンジに近い色)とされ、変色した事をセピアカラーと呼んでいた。実際には昭和60年ごろになるとほとんど変色することが無くなっていた。「セピア色の世界」では家族旅行以外でも掲載して不自然にはならず、当初、没してしまうはずだった写真を生かす事にした。

 家族旅行と重複する旅行地が多くあるが、「愛妻記」と分離した世界なので、ダブル心配は無い。

 

24日(日) 0/15

 

 熊谷の最低気温は0℃まで下がったが、日中は日射しがたっぷりで気温が上がり、15℃となった。2階の日当たっリの良い部屋で午後の一時間ほど過ごしたが、暖房がいらず、のどかな時を過ごせた。夕方のジョギングでも寒さが緩んで、楽に走る事が出来た。

 妻が元気の頃は、パソコン作業は8時間以上やっても気が散漫にならなかったが、妻が無くなって極端に短くなり、せいぜい5時間が、最近はさらに減って3時間集中できればいいぐらいである。今取り組もとしている事は多岐に渡ってあり、3時間では遅々として進まなくなってしまう。短くとも5時間は何とか集注してやりたいところである。

 だからと言って改善策があるはずもなく、老化の促進を以下に抑えるか、処方箋を見つける必要がある。少なくとも「愛妻記」が出来上がるまでは、気分転換を頻繁にして、何とか乗り切りたいと思っている。

 

25日(月) 曇後晴3/18

 

 日中日射しがたっぷりで気温が上がり、熊谷の最高気温は18℃と大分暖かかった。昼食を兼ねた昼の散歩では、帰りはすっかり汗ばんでしまい、肌着を替えるようだった。この6日間、日中15℃前後の暖かさとなって、大分過ごしやすく、春へ大きく前進したようである。

 組合の役員をやっている時の仲間が何人かいて、役員を降りてからも6年近く交流を続けていた。仲間との旅行は家族旅行の下見と位置付け、写真も多く残しており、「全国名所巡り」のコーナーに値する旅行が少なからずあった。ネガがあるか見つけて見たら、仲間の写真のネガ用ポケットファイルに整理されていた。

 時代が大きく動き出した時の仲間で、組合の存在も大きく揺れ動いた時でもあり、会社側の圧力に屈して変革するか、働く者自らが改革を推し進めるかの、二者択一だった。結果は同じなのかもしれないが、労働者の意思を組み入れるか、否かで、労使の論理性の力関係が明確になる。

 私が中心に取り組んできた改革は、使用者側の論理を凌駕し、組合側の意思で動かしてきた。その時の役員仲間は、私の論理に皆賛同してくれて、八名の役員が一枚岩になって改革する事が出来た。特に、私を含めた四人は特別な繋がりができて、役員を降りた後も、交流を欠かさなかった。

 私の気持ちとしては、恩返しでもあり、その他に麻雀もやっていて、ほとんどが我が家に接待する形で、妻の手料理でもてなした。大いに喜ばれ、妻は仲間にも特別な存在であった。

 

26日(火) 曇・晴5/14

 

 今朝の冷え込みは緩く、昨日ほどではないが、日中気温が上がって、熊谷の最高気温は14℃となった。昼の散歩ではすっかり汗をかいてしまい、家に帰ると肌着を替えるようだった。夕方のジョギングでも寒さが緩み、日が落ちるのも遅くなって、大分走りやすくなった。

 この1週間、最高気温は15℃以上の日が続き、春らしくなってきた。高齢になってくると、寒さは難敵で、冬場の疲れ方は別格で、早起きが全くできなかった。他の季節では早起き(6時前後)ができるのだが、冬場は7時ごろにならないと起きれない。横になるのは23時と決めており、ほとんど違いが無いが、目が覚める時間は5時半から7時半と幅が広い。

 眠る量よりも、眠りの深さに意味があり、冬場の睡眠は質が悪いようである。老齢化してくると、肉体が寒さに抗いきれず、体力を消耗し、集中力が続かないと実感している。暖かさが増すに連れて、スッキリとしていられる時間が長くなればよいのだが、老齢化が原因だとすると、いつまでたってもエンジンがかからなくなってしまうかもしれない。

 

27日(水) 2/10

 

 曇りがちで、気温的には寒さが戻った感じでるが、一日を通して寒いと言う感じは無かった。昼の散歩では、汗ばんで肌着が濡れてしまう事が多いのだが、今日は免れた。我が家には柘植の気があり、冬場になると黒い実を付け、野鳥の餌が少なくなると、ヒヨドリが我が家に大挙押し寄せてくる。黒い実と糞で柘植の木の周りが汚れてしまい、どうしたものか考えさせられる。他にもメジロやシジュウカラもやってきて、柘植の木は野鳥の餌場になっている。

 「愛妻記」を手掛けるが、今取り組んでいる昭和60年代は、私が組合の役員を降りて2年目となり、役員中にできなかった事を、ハードなスケジュールで手掛けていた。特に釣りに凝って、遠近両用で、かなりの回数出かけていた。

 子供達と遊ぶことも怠らないようにしたが、少なくなった事は確かである。それでも、家の建て替えが終わった翌年、昭和62年代に入ると、本格的な冒険を意識した、家族旅行を企画するようになる。付き合いで出かけた旅行は完全に下調べ替わりになって、全て家族を連れて行っている。

 

28日(木) 曇・雨5/9

 

 午前中から本格的な雨となり、夜になっても続いていた。朝の冷え込みは弱く、熊谷の最低気温は5℃台だったが、日中気温が上がらず、最高気温は10℃を切った。夕方の、一日置きのジョギングをする日だったが、雨は弱まらず、断念した。一日雨に見舞われるのは久々の事で、いつだったか全く記憶にない。

 「愛妻記」の更新は中断して久しく、今日は何とか「第14章」をアップロードできると思っていたら、ワードからHTMへ変換するとエラーが生じてしまった。色々と試してみたが改善されず、足踏みしているところである。

 横道にそれてから大分日数が立ち、久々のファイル作成で、何か誤っている事があるのかもしれないが、一度穴に落ち込むと、中々立ち上げれないことが多い。原因を究明していくと、スキルアップできるので、何とか答えを出そうと思っているが、一定の制限にひっかかっているとすると、立て直しが大変である。勉強のつもりで追及していく積りであるが、視野の狭い人間であるので、困難を極めるかもしれない。