『三文文士映像日記』日記帳bT7 2019年1月
1日(火) 晴0/11℃
新年早々大分冷え込んだように感じられたが、実際は0℃前後で、思ったほど気温は下がらなかった。最高気温は10℃を越えたものの、寒風が流れ込んで大分寒く感じらた。熊谷の最高気温は11℃で、正月としては比較的穏やかと言えそうである。 我が家では、昭和59年から正月に墓参に行く習慣ができ、妻が亡くなった年の正月まで続けてきた。妻が主体で墓参の準備をし、二人で仲良く墓参に行ってきた。昨年からは私一人となったが、正月の墓参は欠かさずに続けてきた事になる。 妻が生きている時は、私の実父の墓参だったが、今は妻のことだけを思って手を合わせている。私が生きている限りは続けるつもりだが、その後のことを考えると、現状からすると全くも通しが立たず、何らかの方策を考えなければならない。 正月早々考える事ではないと思うのだが、妻の供養を途絶えさせたくないとの思いが溢れ出て、焦りを感じている。当面は「愛妻記」に熱中しているので、それほど深刻にはならないと思うが、余生を無駄なく過ごす事が絶対条件になってくる。
2日(水) 晴1/11℃
決して暖かいとは言えないが、最低気温が氷点下とならず、最高気温が10℃を越えたので、正月としては比較的穏やかな一日と言えそうである。元旦は、多くの店が休みとなり、日課となった昼の散歩を兼ねた昼食は諦めたが、今日はやっている店もありそうなので、いつものように駅方面に散歩をしてきた。散歩では、必ず珈琲ブレークを取って、本を読み、今日も同様に読んできた。妻が生きている時は、我が家で珈琲を入れることもあったが、妻が亡くなる前の3年は喫茶店で飲む習慣が付いていた。その時は妻との語らいがメインだったが、今は妻の愛読書を持参して読み耽るのが習慣となっている。 正月は、息子達が帰ってくると煩わしく、次男はスノボーで当然のごとく帰ってきて煩わされているが、長男には「何もしてやれない」と言って正月は来ないように話していた。ところが、今日になって「墓参がしたい」と言ってやってきた。遠慮があったようで、墓参を済ませるとすぐに帰る姿勢を見せたので、昼食だけは一緒に摂る事にした。 妻が亡くなって、家族に亀裂が走り、私は自分の事で精一杯となり、息子達が帰ってくると煩わしいだけになっていた。妻の写真を見ると、怒っているように感じられ、今日の昼食では、事前に長男に1万円を渡し、食事代は長男が支払う形をとった。 本当はもっと家族を大事にしなけらばいけないと思うが、妻に孫の顔を見せられなかった事を考えると、息子達をよく思えなくなってしまう。何とか妻のDNAを残したいとの思いが、独身の息子達に辛く当ってしまうのかもしれない。
3日(木) 晴-1/10℃
年が替わって既に3日となり、暮れと同様、あっと言う間に時が過ぎて行く。日記を書いていると、一時的ではあるが、過去に遡れる。写真を残すと、過去が一層身近なものとなり、「時の旅人」になれる。 私は15歳から日記を書き始めて、53歳、2002年からはホームページを立ち上げ、ノートからデジタル日記に切り替えた。旅行に行った時は写真と合わせて日記に旅行記録を残し、貴重なデータを保有してきた。 妻が亡くなって、生きる意味合いを、膨大なデータを披歴する(愛妻記)事に置き、この一年、遮二無二取り組んできた。新たに作成してきた「愛妻記」の他に、既に出版をした「時の旅人」の元データがあり、両者を一体にする形で、「愛妻記」を作りあげている。 「時の旅人」は文言だけだったが、「愛先記」同様写真を添付し、文章も画像化して、HTMファイルで作り替えてきた。本日何とか完成し、写真を挿入する事によって、題名通り、時を旅するかのような作品に作り替えることができた。 初め、画像挿入はおまけ程度に考えていたのだが、画像を挿入しているうちに、時を旅する気分となってきた。これこそ本当の「時の旅人」とばかり、文章に合わせ、スキャナーでネガをスキャンしてデジタル化し、添付しやすくした。 「時の旅人」は、夢のような話で、写真を添付しなければ実話である事を証明できないのである。写真は言わば報道写真となり、空事では無い事を立証してくれる。写真は文言以上に雄弁で、記録としての価値を格段に高めてくれた。保持している記録は膨大で、今度は「愛妻記」の時間を進めていき、何としても全てを放出したいと思っている。
4日(金) 晴/曇-2/11℃
熊谷では、日中は10℃を越えて、それほど寒いとは感じなかったが、朝の気温は0℃を切る事が事が多くなって、動くのが億劫になってくる。三が日が過ぎて、生活を普段に戻そうと思うのだが、パソコン作業を根を詰めてやってきた所為か、疲れ気味で思うように動けない。 日記では「愛妻記」に関する事を毎日書いてきて、たまには「愛妻記」から離れた事を書いて見ようと思ったが、書く事が浮かんでこなかった。妻を思うこと以外に、何の張合いも無く、時間をより規則的に過ごすことしか意識していない。機械仕掛けの人形のようで、過去に残してきた記録を読みあさって過ごすしか、生きる術を見いだせないと言う事になる。時間潰しを見つけて、空白時間を作るものの、少しの癒しにもならない。 結局妻を追い求めるのが生活のベースで、散歩の道道で幼児の生き生きとした姿を見るのが、貴重な癒しになっている。それは、妻が無垢な心をいつまでも持ち続けていて、天使の輝きを放っていたからだと思っている。言い方を替えると、悪意に満ちた情報に見向きもしないところに連なっている。
5日(土) 晴-2/16℃
朝は冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下となったが、良く晴れ、昼過ぎには気温が上がって、熊谷の最高気温は15℃を越え、冬支度だと汗ばむ陽気だった。しかし、日が落ちるのに合わせたて気温がぐんぐん下がってきて、昼の馬鹿陽気はすぐに消滅した。 「愛妻記」を、根を詰めて取り組んできた所為か、何日か前からパソコンに向かっていると集中できない事が頻繁に出てきた。何をやろうとしているのか、何をやっているのか分からなくなり、先へ進まない状況が続いている。仕方が無いので、作り上げてきたものを何度も見直しており、時間が止まってしまったようである。 「愛妻記」は、時の旅人になる事で、日記や旅行記録、写真を見て、想念を過去に旅立たせ、忘れていた思いを浮き上がらせている。人間の記憶はいい加減なもので、今やっている作業で割り出すなら、100の内、記憶に残っているは10にも満たない感じである。記録を残すと言うのはいかに重要か、改めて認識している。 年齢が増すに従って、記憶が実像からただの点でしかなくなり、さらに進むと認知症になってしまう。今のところ備忘録が効果を発揮し、「忘れっぽい」の範疇ですんでいる。
6日(日) 晴・曇2/8℃
朝の気温はそれほど下がらなかったが、日中中々気温が上がらず、熊谷の最高気温は8℃台で、北風も吹いて真冬らしい天気となった。昼の散歩では、真冬に入っても汗ばんでくる事があるのだが、今日はさすがに汗をかかなかった。 「愛妻記」に伴って、パソコン作業が連日長時間となってきて、大分疲れが溜まっていたようで、ここ3日程思うようにパソコン作業ができなかった。大きな区切りがついて、今日はネガ写真のスキャンに手をかけて見た。同じパソコン作業でも、疲れが溜まるものと、スキャン作業のように余裕を持ってできものとがある。 スキャン作業は踏ん切りが必要で、走り出すと中々止まらず、ずっと先の方まで手を伸ばしてしまう。今スキャンしているのは息子が中学時代で、小学生の時の様に頻繁に出かける事が無くなり、写真の枚数的にはそれほど多く無い。家族旅行から夫婦旅行へと少しづつ変わっていき、妻が好みそうな場所へ探訪する事になる。 「時の旅人」の第5章「時の旅人」は飛騨高山・木曽路旅籠巡りで、ネガカメラからデジタルカメラへ移行する何年か前である。「愛妻記」はデジタルカメラになってからも続き、16年程の実績を残してきた。デジタル時代に入ると画像処理が楽になり、進みが早くなると思われる。画像だけでなく、文言でも記録を多く残しており、量的には多くなるとと思われる。
7日(月) 晴0/11℃
寒さに慣れてきた所為か、本格的な冬になっても、どれほど苦にならない。今日などは、暫く散髪に行っていなかったので、耳が髪の毛に刺激されて不快になり、やむなく、寒空の中、自転車で散髪に行ってきた。ニット帽とネックウォーマーで防寒対策をしたので、それほど寒さは感じなかった。 「愛先記」に伴って、スキャナーでネガをスキャンして、デジタル化しているが、息子が中学生になってからは、家族旅行の回数が格段に減って、妻との二人旅が少しづつ出てきた。日帰りがほとんどで、本格的な夫婦での旅行をするまでには、二人の息子が高校生になってからである。 旅行の趣は、妻の好みを配意して、古き町並みを探訪する事がほとんどである。妻は旅先でパンフレットをもらってきて、ファイルまでしていた。旅の一つ一つを大事にし、心に深く刻んでいた。見ようによってはかなりの博学であり、お喋り仲間を作らないのは、「知ったかぶりをしたくない」からである。
8日(火) 晴-3/11℃
今朝はかなり冷え込んでいると感じられ、熊谷の最低気温は氷点下3℃と、1シーズンに5回あるか無いかの寒さだった。氷点下5℃を切ることもあるが、何年かに一度有るか無いかである。偏西風の流れ具合で傾向が大きく変わってきて、偏西風の蛇行は地球温暖化による事に起因し、人間の力では防ぎようのない異常気象が多発している。 「愛妻記」に伴って、ネガ写真のデジタル化に勤しんでいるが、息子達が15歳ぐらいまでは、ネガがちゃんと整理されていたが、夫婦単位で出かける事が多くなると、ネガの現像とサービスサイズでプリントしてあるものの、写真がネガと一緒に仕舞われており、アルバムには全くしていなかった。 整理するのが大変で、一日がかりで取り組んだが、半分もできなかった。ただ、家族旅行が中心の時と比較して、撮影枚数が格段に減り、「愛妻記」は後半になると進みが早くなるかもしれない。
9日(水) 晴0/7℃
昨日と比べて朝の冷え込みはそれほどでもなかったが、日中気温が上がらず、熊谷の最高気温は7℃台で、寒い一日となった。昼の散歩では、早歩きするので、冬場でも汗をかいていたが、今日はほとんど汗をかかなかった。気が付かなかったが、熊谷でも雪がちらついたようである。 ネガのデジタル化を、昨日、今日と手掛けたが、「時の旅人」に係わる写真が多く出てきて、画像の添付を増やすようである。第5章の「時の旅人」は、旅は長い年数にまたがっているので、ネガ写真のほとんどが対象になってくる。 デジタルカメラを利用するようになったのは、2000年に入って間もなくで、最初はビデオカメラの写真機能を利用し、1年もしないでフルオートデジタルカメラが出回り、2004年にデジタル一眼レフカメラへと繋がっていく。 デジタル一眼レフカメラを手に入れてからは昆虫撮影がが中心となり、2004年〜2012年にかけて膨大な枚数の昆虫写真を撮ってきた。2005年〜2010年は、昆虫写真だけで年間1万枚を越えており、「荒川昆虫記」の立ち上げへと繋がっていく。 昆虫に力を入れている期間は勤めの関係で遠方への旅行が難しく、昆虫写真に専念する形となった。2013年には、荒川の荒廃と並行して昆虫が激減、縁がどんどん無くなった。勤めも辞めて、夫婦で出かける事が多くなり、数多くの写真を残してきた。それは「愛妻記」に係わる写真がほとんどで、旅行写真だけで一万枚は超えているはずである。
10日(木) 晴・曇-5/6℃
今朝は一段と冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下5℃で、この冬一番の寒さだった。日中スッキリと晴れずに、北西の寒気が流れ込み、気温が中々上がらず、最高気温も6℃と、やはり、この冬一番の寒さとなった。妻を失ってから寒さに弱くなり、悪寒が走る様な事もあったが、今はかなり強くなった。寒さ対策も意識して、それなりに施しているので、今のところ、それほど苦にせずに生活している。 「時の旅人」のリニューアルを手掛けて、何とか更新を図ったが、急いだ所為か、見直すと何か所かエラーが見つかり、全面チェックして修正した。せっかちの性分で、何でもしくじることがあり、見直しに時間をかけざるを得ない。今日一日修正してきて、何とか完了する事が出来た。 修正作業は厄介だが、その度に時を旅する気分となり、妻や子の表情を楽しんでいる。特に、妻の体形の変化に着目、子供達から手が離れると、安心しきったのか、中年太りになっている。運動不足も影響したと思われ、尻を叩いてウォーキングを中心に運動させてきた。妻が太っている頃の写真はほとんど残っておらず、一時写真を撮られるのを嫌がった事を思い出した。
11日(金) 晴1/11℃
今朝は氷点下にはならなかったが、けっこう寒く感じられ、朝は動くのが億劫だった。日中10℃を越えたようだが、風が冷たく、日陰ではかなり寒く感じられた。いつもと同じ服装で散歩に出かけたが、早歩きしても汗ばむ事は無かった。 「愛妻記」を先へ進めようと思うのだが、「時の旅人」のリニューアルに精力を傾けたのでいささか疲れが出て、気が散漫な所為か、何から手をつけたらいいか考えがまとまらず、無駄な時間が多くなっている。 「時の旅人」のリニューアルでは、画像を多く添付した事によって、題名通り「時を旅する」気分となり、写真を数多く残してきて本当に良かったと、つくづく思っている。あくまでも自己満足に過ぎないのかもしれないが、ここまで家族の記録を残せる人がどれだけいるか考えると、自分が特別に思えてくる。 自分が特別になったのは、妻が常に寄り添っていてくれたかであり、妻が特別と言った方が相応しい。「愛妻記」も先へ進めようと、写真編集の年代を昭和から平成へと移り、妻が中心の底抜けに明るい家族が、少しも変わらない素顔を見せた。人生で最も幸せと感じられる時であり、妻の後ろ盾になれた事を、ただただ幸運としか言いようがない。
12日(土) 晴・曇-2/8℃
今朝も冷え込んで、日中気温が上がり切らずに、熊谷の最高気温は8℃台だった。昼の散歩で、1月に入っても汗ばむ事が多かったが、このところ、ほとんど汗をかかずに済んでいる。汗ばむ原因は、その日の気温もさることながら、歩く速度も起因している。歩速を速めるには、足に力を入れるのではなく、手の振りを速めた方が足に力が入らず、スムーズに動く。 今机上作業(パソコンがメイン)をしているのは4畳の部屋で、1間幅の細長である。部屋をビニールで半分にしきり、電気ストーブでも作業場所が暖まるようにした。作業をするには大変快適な空間で、気持ちがいいので眠くなってしまうこともある。 早朝や夜間など、冷え切った時間対にあっても、作業場は正にオアシスである。大変いい環境を作りあげたものの、気力が減退し、長時間は取り組めない。一日どれだけするのが自分の能力にあっているのか模索するものの、その時の体調や気分次第で大きく違ってくる。5年ほど前までは気力が充実し、一日10時間を越えてパソコンに向かっている事もあった。今は午前2時間、午後4時間が限度の様である。
13日(日) 晴1/11℃
熊谷では異常乾燥が続いて、今年になってまだ雨、雪に見舞われていない。鼻や喉に違和感を持つものの、今のところ風邪と思われる症状は出ていないが、地域によってはインフルエンザが頭をもたげているようである。今の生活では他人との接点がほとんどないので、大丈夫と考えてしまうが、得てして気がゆるむと風邪をひいてしまう。 「愛妻記」は、昭和60年以降の写真編集に入っている。「時の旅人」のリニューアルに伴い、関連する写真を先行して行ったので、編集済の写真もあるが、それでもかなりの量の写真が残っている。中でもスキーの写真が多く残っており、子供たちの技量の上達具合も見えてくる。 写真編集は厄介な仕事であるが、当時を思い出して、時を旅する気分である。日数を多く要した旅行は「時の旅人」で編集したので、小旅行が中心で、冬場はスキー旅行が多くなっている。子供達のスキーの上達具合は写真にクッキリと残っており、色々と経験させた事が自慢となってくる。 スキーは、長男は20歳にはほとんどやらなくなったが、次男はスキーからスノーボードに乗り換え、スノーボードも2005〜7年にかけて散々付き合わされた。言い方を替えると、私はスノーボードの経験が全く無いのに、師匠の立場で教えてきたのである。 指導が的中し、次男はかなりのレベルとなり、当時は初心者が中心の時代で、スノーボーダーとしてはかなり目立った存在になっていた。私は寒いのが苦手で、指導するのを拒否したが、妻の「行ってあげれば」の言葉に抗えず、年に何回かは付き合わされた。 付き添う時にはビデオカメラとデジタル一眼レフカメラ(連写機能を使用・「全国名所巡」りにもスノボー写真集を掲載)を持参し、滑りを撮影してやり、自宅に帰っても指導するようだった。いずれにしても、妻と結婚してからは、カメラは生活の必需品となり、膨大な写真を撮ってきた。
14日(月) 晴-3/10℃
熊谷では、日替わりで最低気温が0℃を境に行ききし、今日は氷点下3℃まで下がった。家での防寒対策は、今はダウンジャケットで寒さを凌いでいる。今はやりのダウンとは異なり、大分膨らみがあって厚着をしてる気分であるが、非常に軽くて、日常生活には少しも問題が無い。様々な防寒対策を施した結果、今のところはなんとか寒さを凌いでいる。 妻は結婚する前、運動らいき事はほとんどやった事が無く、子供たちの成長に合わせてスポーツらしき事をさせてきたが、妻は子供がする事をやりたがり、何でも子供と一緒になって挑戦していた。 海では波乗り遊びをし、山ではスキーをやっている。遊園地に行けば、冒険心をそそる乗り物にも子供と一緒になって乗っており、昭和60年代の写真を編集していると、妻の、思いがけない写真が次から次へと出てきて驚かされた。 私は、子供達に冒険させる事が勤めと任じ、年齢に合わせて「ささやかな大冒険」を企画し、子供達の冒険心を駆り立てて楽しんできた。幼児から子供へと成長し、妻には手の届かなかった世界に入り込むと、妻も子供達に右へ倣いをするようになり、子供たちの成長ぶりには追い付けなかったものの、妻なりに何でもこなしてきた。 子供達の写真が中心であるが、妻の初めても記録しており、子供と一緒になって楽しむ姿が多く出てきた。子供たちと同じようは表情を見せ、何とも可愛らしい。
15日(火) 曇/晴-3/8℃
熊谷では、昨日に引き続いて最低気温が氷点下3℃となり、日中も気温が上がり切らず、最高気温は10℃に届かなかった。午後になると風が弱まり、陽だまりでは大分暖かく感じられた。今日はジョギングを休む日だったのだが、記憶違いで二日続けて走ってしまった。以前、膝に違和感が出て、走る度合いを減らした結果として1日置きとしたのだが、最近は調子が良くなって、膝痛には悩まされなくなった。一日置きが良かったのか、膝が完治したのかハッキリしないが、走る回数を増やしてみたくなった。 「愛妻記」に伴って写真編集に勤しんでいるが、昭和62年の4月まで進んだ。61年の12月から、62年の3月まで4回も家族スキーに行っている。子供達のスキー上達ぶりが窺えるが、妻も必至で取り組んでいる姿が出てくる。私は子供達に指導するものの、妻まで手が回らず、妻なりに子供達に付いていけるように頑張っていたのである。たまに妻の写真を撮っていたが、どれも少女の様な可憐さが感じられる。
16日(水) 晴・曇-1/11℃
今日は昨日のような厳しい寒さは無く、日中は10℃を越えて、風もそれほど強くは無く、大分凌ぎやすかった。12月までは、昼の散歩で早歩きすると汗ばむ事があって、家に戻ると肌着を取り替えるようだったが、1月に入ってからは、着替えるまでに汗をかかないでいる。季節的には一番寒い時期に入っており、寒さをどう乗り切るかが課題である。今実行しているのは、以前は外出用に利用していたダウンジャケットを室内着にして寒さを凌いでいる。 最新のパソコンを使用した事が無いので、どんな具合か分からないが、パソコンショップの店員さんに聞いた限りでは、今使用しているバージョンに近いものは販売されておらず、今までと同じように使えるパソコンを手に入れるのは難しそうである。 今使用しているパソコンは6年ほど前に購入したもので、自分の思い描いた事は全て実現できている。その後ノートパソコンを購入したものの、使い勝手が悪く、全く使っていないのと同じで、新しいものには拒否反応すら生じてしまう。自分が成した事は大したことでは無いと思うが、同様な使い方を求めている人は少なくない気がする。「愛妻記」を書き上げるのが命がけの課題であるが、自分が作りあげた事を後に繋げたいと思う気持ちが強くなっている。
17日(木) 晴-1/13℃
朝は氷点下となったが、日中は日射しがたっぷりで気温が上がり、熊谷の最高気温は13℃となり、昼食を兼ねた散歩では、帰りには大分暖かく感じられた。熊谷では、今年に入って雨らしい雨は降っておらず、空気が異常に乾燥して、目鼻口などに違和感が生じている。 「愛妻記」に伴う写真編集は昭和の最後の年、64年迄進める事が出来た。昭和59年まで完成しており、近々に4年分を仕上げようと思っている。昭和61年は新築工事があった関係で、それほど出かけられなかったが、62年以降は、夏休みに長期旅行をしており、本格的な冒険記が出てくる。 幕開けは昭和62年の4泊5日の「青森縦断旅行」、昭和63年には6泊7日の「田沢湖高原旅行」、平成元年には5泊6日の「裏磐梯キャンプ」、平成2年には11泊12日の「北海道旅行」をしている。これ等の旅行は、「時の旅人」に全て出てきて、「愛妻記」と重複してしまうが、違った切り口で書き上げたいと思っている。これらは1旅行で1章分になり、北海道旅行は3章ぐらいに分けるようである。 時間がかかりそうであるが、写真集の様相を呈し、写真の編集が順調に進んでいるので、思った以上に早く進むかもしれない。
18日(金) 晴1/9℃
今朝は冷え込みは幾らか緩んだが、日中気温が上がり切らず、熊谷の最高気温は10℃を下回った。日本海側では本格的な雪になっているようだが長続きはせず、関東でも何日かすると、最高気温が15℃近くなって、この時季としてはポカポカ陽気になりそうである。 ネガ写真のデジタル化に伴う画像処理をしていると、どれだけの人が画像処理の手法を知っているのか疑問となってくる。写真の展示会を何度も訪れ、2013年には私自身デジタルカメラで撮影した「昆虫写真展」を開催、A3サイズの写真1000枚展示した。残念ながら来館者数は少なく、多くの方に知ってもらうことの難しさを感じた。 むしろ、展示会をするより、ネット上に公開した方が見学する人数が多くなる事は確かである。写真愛好家は数多くいると思われ、地域発信と同時に、各地の愛好家グループと連絡を取り合って情報交換と交流につなげていけば、遣り甲斐も出てくるのではなかろうか。 地域の写真愛好家と接点が持てるようであれば、私がやり遂げてきた世界を紹介、手法を教授できればと思うようになってきた。あくまでも「愛妻記」が主流であるが、私の作りあげた手法を残したいとの思いも強く、何とか交流の場を作りたいと思っている。
19日(土) 晴1/12℃
日中は10℃を越えて暖かとなり、昼食を兼ねた散歩では、帰りがけは汗ばむようだった。一時厳冬を思わせたが、ここにきて寒さが幾分緩み、寒さに苛まれる事が無くなった。まだ暫くは本格的な寒さが続くと思われるが、例年に比べると暖冬傾向なのかもしれない。 「愛妻記」に伴う写真編集が、遠からず昭和の最後まで完了しそうで、愛妻記本体に入って行けそうである。掲載を考えている写真枚数はかなりのものとなりそうで、1旅行で掲載数が100枚近くなるものも少なからずあり、1章で100ページを目安にしているので、「ささやかな大冒険」だけで10章近く行きそうである。 当初は1章ごとに分けていたが、1章の中に第一部〜幾つか部に分けて掲載しようと思っている。章とすると15ぐらいに分け、部とすると100を目安に考えてる。写真が中心になるが1万ページを越えると考えている。写真が中心でも、旅行計画表や旅行記録なども加える予定で、文字数も多くなると思われる。 「愛妻記」を楽しみながら進めて行こうと思うが、他にもやらなければならない事が出てきそうで、妻を失った苦しみから、暫くは逃れられそうである。
20日(日) 曇・晴-2/13℃
今朝は冷え込んだが日中は良く晴れて気温が上がり、熊谷の最高気温は13℃と、比較的穏やかな天気となった。昼食を兼ねた散歩では、冬本番となって汗ばむ事はほとんどなくなったが、今日は薄らとであるが、汗ばんだ。 「愛妻記」に伴う写真編集は、何とか昭和を完了する事が出来た。その中で、冬場はスキーに何度となく出かけており、子供達の上達ぶりが窺える。妻も同行し、スキーもやっているものの、私の指導は妻にまで及ばず、初心者の域を越える事が出来なかった。妻は妻なりに懸命にスキーに励み、緩斜面なら転ばずに下りて来られた。 妻の懸命さが写真から窺え、もっと付き添ってやりたかったと、今更ながら悔やまれた。スキーに同行する回数は減っていき、同行しても見守るだけになっていた。そんな中で、義父も同行する事が多くなり、父娘のツーショットも残っている。 義父は口数が少ない人だったが、娘や孫と一緒の時は笑顔が絶えず、いつも楽しそうにしていた。子供達もお祖父さんにはよく懐き、義父を交えた家族旅行では、家族みんなの笑顔が絶えなかった。妻は父親の楽しげな姿を見て、憂いが消えていたに違いない。義父が家族旅行に同行したのはごく限られた期間で、満足したのか、誘っても遠慮するようになった。
21日(月) 晴0/10℃
熊谷の今日の天気は、この時季としては標準的な天気で、温度だけでなく、湿度も異常乾燥となっている。鼻の調子がおかしくなるのも標準的で、冬を乗り切るのは中々大変である。暮れるのが大分遅くなり、ジョギングで、家を出るのが、一番早い時期より30分遅くなり、ジョギングの継続がしやすくなった。今日のお月様は東北方面にかなり大きく顔を出していた。 妻が亡くなって、今まではがむしゃらに「愛妻記」に勤しんできたが、他にもやり残しが山積し、一つ一つを解決していこうと、幾らか気持ちにゆとりができた。妻が亡くなる5年ほど前から、人付き合いを閉ざしてきて、自分のやってきた事は妻一筋でどこまでも狭隘だった。自分のやってきた事を後に残すことなど全く考えていなかったが、後人に残すべき価値あるものを、少なからず保有していると考えるようになった。妻を忍ぶことも一時休んで、引き継ぐことも考えるようになった。息子にも引き継ごうと思っているが、新たな友を募って、多くの人に引き継ごうと思っている。
22日(火) 曇・晴-3/10℃
今日の熊谷は、最低気温が氷点下3℃まで下がり、午前中は大分寒かった。日中は日射しがたっぷりと降り注ぎ、最高気温は10℃に達した。昼食を兼ねた散歩では、陽だまりは暖かだったが、日射しのささない道筋ではかなり寒かった。 「愛妻記」に伴った画像処理が一区切りして、ファイル作成に取り掛かる事が出来た。対応の日記を紐解くと、大したことは書かれていないが、子供達を連れて、ジョギングをしており、時にはサッカーをやっていた。私自身体力が大分衰えていて、子供達と一緒になって動いたくらいで、疲れ切っていた。 昭和58年から始めた家族スキーは、60年代に入ると何度も連れて行く様になり、子供達は一人で滑れるようになっていた。妻も何とか滑れるようになって、家族スキーが本格化し、義父も加わり、親子三代のスキー旅行は大いに楽しいものだった。特に、妻にとって父親に孝行するのが嬉しかったと見えて、笑みが絶えなかった。海水浴にも義父を誘い、親子三代の揃った写真がけっこう残っている。 義父は、我が家に対して理解があり、妻は一度として話した事が無いが、経済的なピンチに救われた事が少なからずあったと推測している。
23日(水) 晴-4/11℃
今朝は昨日よりもさらに冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下4℃と、新年になって2番目の冷え込みとなった。日中は良く晴れて気温が上がり、最高気温は11℃と、朝と昼の温度差が15℃もあった。昼の食事を兼ねた散歩では、出がけと帰りがけの体感は、正に気温差通りだった。 夕方のジョギングでは、日の入りが一番早い時期は家を16時30分には出ないと帰りがけには真っ暗となってしまったが、今は17時でも明るさが保たれるようになった。日の長さは12月の冬至が一番短いようだが、地球のゆがみの関係で、暮れるのは11月7日の立冬が一番早く、冬至までごく僅かづつ早まっていき、冬至が過ぎると30分は遅くなっている。 今日はジョギングに出かけたのは17時で、ジョギングの準備がゆっくりできた。一方で、日が明けるのはまだ遅くなっていて、2月4日の立春が区切りと思われる。日の入り、日の明けはある程度知っていたが、今回のように記録したのは初めてで、メカニズムがある程度理解できた気がする。
24日(木) 晴1/9℃中風
今朝は風が強かった所為か、放射冷却現象が弱まったようで冷え込みが緩く、熊谷の最低気温は1℃と、昨日より5℃も高かった。日中は寒気が流れ込んで気温が上がり切らず、最高気温は10℃に達しなかった。降水量が少なく、異常乾燥状態がしばらく続き、喉や鼻に少なからず影響している。 「愛妻記」に本格的に取り組み、日記を紐解いているが、昭和60年代は慌ただしい日々を送っていたようで、日記には僅かしか書かれていない。写真はたっぷりと残っているので文言をそれほど多く必要としないが、写真を撮った背景を記さねば、ただの写真集になってしまう。 本格的な旅行では、計画表から車の運行記録、観光記録を残しており、文言を多く記述できるので、「愛妻記」の体裁を取る事が出来る。一方で、写真は子供の成長記録が中心となり、妻の子供への甲斐甲斐しさが映し出されている。この二つの素材を生かして、どう創作していくかが書き手の能力にかかってきて、「愛妻記」を綴る意味が出てくる。 「時の旅人」では文言が先行して作りあげたもので、そこに写真を取り込んで、文言の信憑性を高めている。作り事ではない事を立証するのが目的で、妻の素晴らしさをとことん追求しようと思っている。
25日(金) 晴/曇0/10℃
朝のうちは晴れていたが、午後からは雲が広がる時間もあったようで、夕方のジョギングでは曇り状態だった。明日には日本海側を中心に雪が降りやすい状態で、関東では山沿いだけでなく、内陸部も雪が降る可能性があるようだ。 寒さの所為か、一日気だるい状態で、集注して取り組むのが難しかった。最近は寝坊をする事が多くなり、厳冬は老体には抵抗しきれず、体調維持が難しい。今のところは何とか持ち堪えているが、ちょっとしたきっかけで、身動きが取れなくなってしまうかもしれない。 昼のウォーキングや、夕方のジョギングで抵抗力を高め、今のところは無難に過ごしているが、ちょっとしたきっかけでどうなる事か予測できない。考え方を替えると、運動が負担になっていることも考えられ、自分の能力を推し量っていく必要がある。
26日(土) 晴/曇0/10℃
今日は昨日とすっかり同じような天気となり、温度も最高、最低ともに同じだった。ただ、夜になって冷え込みが厳しく感じられ、明朝はかなり冷え込みそうである。パソコン作業をする机周りの寒さ対策は、ビニールを使って周りを覆い、電気ストーブで、早朝でも充分に暖が取れ、比較的心地良く作業ができている。大寒が過ぎたので、この冬は乗り切れそうである。 「愛妻記」の続章を手掛けているが、日記を読み進んで行くと、日々テーマを決めて、評論・随筆が1ページを目安に書き綴られていた。妻や子供達の事を書いているわけではないので、「愛妻記」に相応しいか疑問が残るが、私が志してきた作家としての一端を表すもので、創作の灯を消すまいとするものである。 創作の灯は「時の旅人」へと繋がっており、さらには「愛妻記」へと繋がると考えている。今まで書き上げた「愛妻記」と趣が異なり、同じ「冒険旅行」でもテーマが明確となり、遊びから本格的な冒険へと様変わりしていく。テーマは子供たちだけのものでは無く、妻も同列に置いたもので、妻は観光地のパンフレットや、自分なりにも記録を残していた。 計画表から車の走行記録、観光地の評価など、私が作成した資料を妻は大事に取っており、妻なりに感想も書いていた。特に二人旅になると、かなりの資料を保持し、満足していたと思っている。多くの記録が残せた事を誇りに思うところである。
27日(日) 晴-1/9℃
今朝は四日ぶりに氷点下となり、寒いと実感した。最高気温も10℃を切って、北西から寒気が吹き寄せ、体感的には大分寒く感じられた。夕方のジョギングでは、家を17時に出ると、帰ってくるまで明るさが残っていた。17時出発だと、慌ただしさが大分緩み、続けやすくなった。 我がホームページ、文学サイトでは、小説を6編掲載している。15歳の頃から書く事が好きで、乱文、乱筆ながら書き綴ってきた。一時は作家の道も志したが、食えないと諦め、暇を見つけては書いてきた。力を入れた時期が、何年かおきにあるものの、縁遠くなった時期が、書いている期間より大分長く、日記の戯言程度と言うのが大半である。 結婚してからも、10年単位で書きなぐる時期があり、作家を完全に諦めたわけでは無かった。ネット利用になってからは、日記もホームページに切り替え、評論を中心に書きなぐってきた。旅行記も残しており、そのうち「愛妻記」に計上するようである。 結局、創作は日記の一環で、15歳から書き始めたので、55年近く記録が残っている。見ようによっては作家人生とも言えて、日記を掘り起こしていけば、「文学館」になる。「愛妻記」とともに、作家としての役割を意識し、「文学館」の充実にも力を注ぎたいと思っている。
28日(月) 曇・晴-2/10℃
午前中は曇る事もあって、気温が中々上がらず、昼の食事を兼ねた散歩にでると寒々としていたが、帰りは日射しがたっぷりで気温が上がり、暖かく感じられた。最高気温が10℃を越えると冬としては暖かに感じられ、季節的に春へ何歩か近付いた感じである。 年齢が増すに連れて、冬場を凌ぐのが大変になり、体力の消耗も夏場と大きく違ってくる。何を取り組むにしても気が散漫になり、眠気が射してくる事がある。睡眠時間も長くなり、通常6時起きだったのが、7時を回ってしまう事が多くなった。余分に寝ているのだから、日中眠くならないと思うのだが、老体が寒さに抗うのはかなりの労力を要するようである。妻が生きている時は、ほとんど起こらなかった現象で、妻を失った痛手がいかに大きかったか、実感する。
29日(火) 晴1/9℃時々中風
今日は北西の風が強く、晴天だったが気温が上がり切らず、最高気温は10℃に届かなかった。夕方のジョギングでは、風が治まらない中、荒川河川敷に行くと、東南方向に走っていると追い風となり、足取りが軽かった。北西方向は、荒川堤や樹木に風が弱められ、向かい風を受けるものの、大分弱まって、比較的快調に走れた。快調と言っても年寄りの冷や水で、何となく走っているにすぎない。 昨夜、アジアカップサッカー、日本対イランの試合をテレビ観戦した。初め、後半戦は就寝時間になるので見るのを諦めていたが、床に着いたものの、どうしても気になって起き出し、最後まで観戦することになった。前半の試合の流れを見た限りでは、イランは後半は動きが悪くなると見て、日本が勝つと予想した。案の定、後半に入って日本が3点取り、圧勝した。 何十年前になるか、日本が初めてワールドカップに出場した時、アジア予選の試合を全てテレビ観戦した。当時の日記を紐解けば、詳細に書いてあると思うが、アジア予選の代表選手の事で、予言をした。当時エースとされていた三浦和良選手を代表から外せば、ワールドカップへ行けると、日記に書くとともに、葉書に書いて自分宛てに投函(消印があれば郵送した日付が分かる)したのである。 妻も証人とする形で予想し、代表メンバーが発表になると、三浦和良選手が外され、岡田監督に批判が集まったものの、アジア最終予選を勝ち抜いて、初めてのワールドカップ出場が決まったのである。あくまでも「まぐれ」に他ならないが、サッカーに関しては、不思議と予言、予想が当たり、その後も何度か日記に予想を書いてきた。 昨夜の試合も、前半戦を見ただけで日本が勝つと予想、3対0で勝ち進んだ。前半を見た時、イランは優勢との流れが窺え、前半で決するべく、精力的に動いていた。後半は勢いが落ちると予想し、日本が勝つと実感したのである。前半で就寝の時間となり、いったんは床に着いたものの、試合が気になって眠気が全く射して来ず、起き出して後半戦も最後まで見る事になった。予想が的中、イランのディフェンスに緩みができて、日本が3点を奪取、結果的に大勝する形となった。 まぐれに他ならないが、サッカーの予想は外れた事が無く、Jリーグが発足した年の優勝チームは鹿島アントラーズと予想、これも見事に的中している。 日記をデジタル化した2001年以降の日記にも、サッカーの予想と評論を数多く書き残しており、予想の的中率はかなり高い。
30日(水) 晴-3/10℃
今朝は放射冷却現象が強まったようで冷え込み、熊谷の最低気温が氷点下3℃台となり、朝のうちは確かに寒かった。日差しがあって、風もそれほど強く無かったので、日中はけっこう暖かく感じられた。午後は、二階の日射しが射しこんでくるソファーに座っていると、大変心地よく、のんびりして疲れを癒した。 ここ何日か、疲れが溜まっていたようで、パソコンに向かっていると眠気が射してきて、「愛妻記」の進みが極端に遅くなってしまった。寒さと合わせ、疲れも重なって、集中ができなくなり、何事も遅々として進まず、休息の必要を感じた。過去にも同様な事が何度もあり、生活が停滞して、時間をどうつぶすか悩まされた事がある。今日は、日向ぼっこをしながらテレビを付け、居眠りも交えて、何とか凌ぐ事が出来た。
31日(木) 曇・晴・小雨-2/15℃
午前中は曇りが中心だったが、時々晴れる時もあり、午後は気温が上がって、熊谷の最高気温は15℃だった。夕方のジョギングでは小雨がぱらついており、寒さはそれほどでもなかった。異常乾燥状態が続いているのでお湿りは願ったりだが、今日の雨模様からすると、異常乾燥状態を収めるまでには行きそうにない。 1月は、自分の気持ちからするともたもたしていて、長く感じられた。特に、疲れが溜まっていた所為か、集注でき無い状態が長く続き、何をしても時間が多くかかってしまった。体調がいつ戻るか分からないが、いずれにしても、何をやっても時間がかかりそうである。 気分転換をするのが一番なのだが、常に鬱積したものがあり、気分がスッキリする事が無い。肉体的には規則的に運動をしているので、今のところは維持できているが、不安が募る。 |
|