『三文文士映像日記』日記帳bT5 2017年8月

 

1日(火) /25.5/29.8

 

 昨日と打って変って、8月初っ端は、朝から雨が降り、夕立ちになった時にはかなり強まった。熊谷では1時間もしないで小ぶりになったが、関東でも場所によっては大雨になっているようである。台風5号が発生して、どこに向かうか分からない動きをしているようである。昨年も台風が迷走した例があり、地球温暖化の影響で、常識は通用しなくなってしまった。熊谷という視点で見るなら、ここ10年、台風の大きな影響を受けていない。荒川の水位でその規模を推し量れ、河川敷が冠水することが無くなった。逆に、地球温暖化は予想もつかない事を巻き起こし、熊谷でもなにが起こるか分からない。

 

2日(水) 21.0/25.5

 

 今日は雨こそ降らなかったが、一日を通して日射しが無く、気温が上がらずに、熊谷の最高気温は25℃台で、夏日すれすれだった。朝の気温も低く、21℃で、熱帯夜と程遠く、寝苦しさが少しもなかった。今夜は昨夜ほど涼しくなく、それでも熱帯夜には届きそうにない。

 女房殿が、一昨日、緊急入院し、三日間に渡り色々な検査をした。検査結果は腹部全体に腫瘍が見れれるとのことだった。今夜行った、検査結果の説明では、何も解明できず、幾つかの恐れがあるとのことだった。別な病院を紹介するとの話があったが、御断りをして、病院側では後は何の手だてもないとのことで、病院紹介か、それとも退院かの結論を求められ、退院を選択した。医師の説明の中で、1カ月以内で発症するかもしれないと、恫喝めいた事を言われ、いったん退院し、家族そろって相談することになった。女房殿は恫喝がきいて、病院を紹介してもらった方がいいとの考えになったようである。我輩には、医師の説明は、結局は何も分からないであり、何も分からないのに、1カ月で発症などと言うのか、我輩には医療離れを食い止めようとする、商魂に感じられた。自浄能力と言うのが昨今出てきて、在宅医療やリハビリ効果が表立って、金儲け主義の医療にとって大きな脅威になっている。そもそも、医療機関の問題が多発しており、どれもが金儲け優先の医療から発している。今回の医師の説明が、それと一緒とは言わないが、二人の医師が説明にあたり、若い女医が退院後のことについて、付け加えた言葉に、食事もできるようになったので、おかゆなど、消化のいいものを食べてくださいとの注釈を付け加え、できる検査は全てしたので、退院の手続きをとりますとのことだった。女医は、家で過ごすと言う時代の流れを、軽視していないように見えた。

 

3日(木) /21.4/28.6

 

 午前中は比較的いい天気で、洗濯物は午前中でほぼ乾いた。午後になると雲が多めで、気温が上がり切らず、最高気温は30℃に届かなかった。今朝は熱帯夜どころか、大分涼しくなって、タオルケット1枚では寒くて2枚にするようだった。今夜も大分涼しくなり、かける寝具を春爛漫か、初秋用のケットに替えることにした。

 女房殿の退院は、予定通り今日となって、昼前には家に戻った。退院時、「もし他の病院へ行く時に」と、申し送りを添えられ、提出するように言われた。大変丁寧と、謹んで受け取ればいいのだろうが、我輩には昨夜の医師の説明から、紹介状である事が想像が付き、快く受け取る気にはならなかった。医療の問題を挙げればきりがないが、政治の腐敗と同様、医療の実態は腐り切っていると見ていいのではなかろうか。若い女医が、どれだけ「あかひげ先生」の心を持てるか、腐敗した行政と二人三脚となって、時代を大きく揺るがすのではなかろうか。

 女坊殿は、入院した時から、他の入院患者に比べて、大分元気で、点滴を三日間つけっ放しだったが、病院で時間を持て余す態だった。我が家に戻ってからは、ほぼ普段通りの生活となり、食事だけはおかゆとしたが、我輩が家事をするのを退け、買い物以外は女房殿が行った。僅か四日で普段通りの生活に戻ることができたが、女房殿の存在がどれほど大きいか、身に沁みて感じた。

 

4日(金) 晴後曇22.8/28.2

 

 午前中は良く晴れたものの、午後は薄曇りとなり、雨が降りそうな雲行きにもなった。台風の影響か、雨は降らなかったものの、大気が不安定に感じられ、夜になっても気温はほとんど下がらなかった。この二日間、朝の気温は25℃を大きく下回り、寝苦しさがほとんどなかったが、今夜はそうもいきそうにない。

 「荒川昆虫記」のハチ目、ハキリバチの同定作業を行っているが、手持ちの図鑑は元より、Webで検索しても答えが出てこない個体が多数あり、、何とか答えを出そうと、半月近く検索してきたが、諦めるしかなくなってしまった。従来から仮称で多くを呼んできており、今回も同様に、多くを仮称で呼ぶようである。ハキリバチだけで30種前後になる見通しで、手持ちの図鑑は17種取り扱っているだけなので、30種は半端ではない数字である。

 

5日(土) 晴・曇24.1/32.6

 

 夏本番の8月に入って、今日は初めて最高気温が30℃を越えて真夏日となり、湿度も加わって一層暑苦しく感じられた。熊谷ではまだ台風の影響は感じられないが、奄美諸島では大変な大雨になっており、九州、四国も影響が出始めているようである。記録的大雨と言われているが、地球温暖化に伴って、記録的な異常気象が普通になっており、その前提でとっくに対策がされているのが本当である。国の政策は、一部の企業が儲かるように税金を運用しており、地域事情など全く考慮されていない。大規模な対策工事は限られた大手ゼネコンが請け負い、対策費の大半はゼネコンに落ちて、ぎりぎりに絞られた金額で地域の建設会社が請け負い、地域に落ちる金は微々たるものである。地方は発展できないように縛り付けており、地球温暖化対策は少しも進まない。既に国家は破綻しており、市単位、県単位で独立し、地域が連合して、連邦国なり、合衆国を作るしかない。

 

6日(日) /25.9/33.7

 

 午前中は晴天がベースだったが、午後になると曇ったり、時々小雨が降ったりで、大きな天気の崩れではなかったものの、台風の影響が少しずつ出てきたのかもしれない。大変蒸し暑く、夜になっても気温が下がらず、熱帯夜は必至である。

 女房殿が病院を頼ったは、咳が治まらない、下痢や便秘が続いて、腹部が張って痛みを感じるとの2点だった。結局、最新の機器を使って三種の検査を行い、ハッキリした答えが出ないで、入院した三日目に別の病院で検査をするように告知された。それを断ると、すぐ退院を申し渡され、翌日、何の申し送りも無く、退院に至った。退院すると、咳の方は緩和されたものの、腹部の張りは何の改善もなかった。別病院で検査をすることと、病院を頼った、二点の症状とがイコールなのか分からないが、何の注釈もなく退院させられたのは無責任極まりない。腹部の張りが改善しなければ、普段通りの生活に戻ることができず、やむなく、別病院へ明日行くことにした。現代の医療がいかにずさんか、痛感しているところである。

 

7日(月) 晴後曇夜雨26.1/34.9

 

 午前中は晴天で気温が上がり、熊谷の最高気温は35℃間近となり、湿度も高かったので、かなりの暑苦しさとなった。夕方は風があって、幾らか涼しくなったようだったが、暗くなると、時々雨が降るようになり、風も少しづつ強くなってきて、台風の影響を僅かながら受け出した。九州、四国では、ゆっくりした台風の影響をまともに受け、大雨で、各地で浸水被害を受けているようである。関東では、大雨には至らないが、大気が不安定で、竜巻情報が出ている。最近は、熊谷では台風の被害はほとんどなく、町全体が安穏としており、各地の被害はどうしても他人事になってしまう。我が家では、最低限の台風対策で、雨戸を閉めるようにしている。

 

8日(火) 曇時々晴26.0/32..0

 

 今日は晴れている時間は短かったが、雨はほとんど降らず、曇っても薄日が射していた。最高気温は32℃だったが、湿度が高かったので不快指数は高く、何とも重苦しい一日だった。結果的に風はやや強くなる時もあったものの、強風までには至らなかった。各地で大きな被害をもたらした台風5号は、熊谷を起点に見るなら、ほとんど影響が無く、荒川の水位もそれほど上がっていなかったので、台風はこれから接近すのではと、天気予報を何度も見たが、既に、日本海側に抜けていた。

 夕食時につけたテレビで、女房殿が、今正に悩まされている、「咳き込み」について取り上げていた。先月、月末に近隣の病院へ行き、そのまま緊急入院となった。三種の検査をしたが、問題となった、咳き込みの原因と、腹部が張る原因も、結局分からず、他の病院を紹介するとのことだった。結論的には、子宮関係の癌の可能性があるとのことで、病院を頼った目的とした、咳き込む、腹が張っているとの二点について、何の処置も、説明も聞けなかった。我輩の想像では、咳き込む原因は、水分や食物が食道に行かず、肺の方へ流れてしまうとの見立てで、家にいる時は出来るだけ腹式呼吸をするようにアドバイスをし、幾らか改善されていた。

 今日のテレビでやっていたことは、喉の、空気と食物を振り分ける弁が機能せず、肺へ入ってしまうために咳き込んでしまうとのことだった。弁の機能低下を起こし、改善するには手術が必要と思いきや、唐辛子や黒コショウを食べることによって改善でき、実際に体験した人は三日ですっかり治ってしまった。腹が張った原因は、肺を通して水分が溜まってしまうと考えられ、三日間点滴をした分、腹の張りが酷くなり、女房殿を苦しめるだけで退院となったのである。溜まったものをどう解消するか、そこまで考えが及ばないが、一番の問題であった、咳き込みは、自宅療養ですぐに改善しそうである。

 

9日(水) 晴時々曇25.4/37.6

 

 今日は台風一過の晴天となり、強い日差しが照りつけて気温が上がり、熊谷の最高気温は37℃台まで上がり、この夏一番の暑さを記録した。日当たりのいい2階は、スダレをかけて暑さ対策をしているが、今日は全く効果が無く、室内でも、うだるような暑さだった。パソコン作業をするものの、集中ができず、進みが至って遅くなってしまい、時間を無駄にしているとの実感だった。

 昨日、女房殿の健康問題で、テレビでやっていた、名医が示した事例に、我輩が推察したことの90%以上が合致していた。症状として、就寝中に激しい咳がおこり、熟睡できないために体力を消耗、かなり酷い状態だった。女房殿が、頻繁に咳込むようになったのは、義母が亡くなった時で、同時に義父も半ば昏睡状態となって、母の葬儀や父の介護が重り、大変なストレスに苛まれていた。咳が酷い状態は1週間ほど続き、女房殿も憔悴しきってしまい、咳がどうしてもやまな時に、腹式による深呼吸をするように進言、5回程深呼吸をしたら、咳がぴたりと止まって、寝息が聞こえない状態となった。慌てて、口元に手を持っていくと、穏やか呼吸となっていた。嘘みたいな話で、以降、咳き込みは解消する方向に向かった。

 それから5カ月、義父の施設入所で我が家の生活がようやく落ち着いたものの、この一月、女房殿の咳が再び始まっていた。母の死に伴う処理に追われ、父の病院への緊急入院、ある程度快復して、施設入所となったが、様々な手続きに追われ、女房殿のストレスが溜まっていった。父の施設入所は、思いのほかスムーズに進んで、父自身、何の抵抗もなく、我が家も、緊急生活から解放された。一方で、老朽化した家の管理に負担がかかり、特に女房殿はほこりまみれになって片付けをしていた。片付けも一段落して、ようやく肩の荷がおりた矢先、気の緩みもあったのだろう、咳き込むようになった。

 腹式呼吸など、試みたが、若干、和らいだものの、いつまでたっても収まらず、今度は腹部が張るようになり、家庭では処置ができないところまでになっていた。結局、病院に行って、入院となったが、何の改善もされなかった。担当した女医さんに、女房殿が咳こんだ経緯を話したが、それは関係ないと思います、で、全くとりあってもらえなかった。女房殿の様な症状は、加齢に伴って機能不全が生じ、その一例が、喉元にある、空気と食べ物をふるい分ける弁が充分機能しなくなると言うことだった。

 女房殿は、食事中に咳込むたびに水分を肺に流し込んでしまったようで、検査の結果でも、肺に水が溜まっているとのことだった。腹部が膨れて、張っているのは肺に入ってしまった水分や食物が原因であることが明らかである。昨夜のテレビでやっていた、名医の診断通りで、改善策として出てきた、唐辛子と黒胡椒、それに、鱈子とシシャモを買ってきて、早速試してみた。一日では改善しきれないようで、暫く試していくことにした。

 咳込みの改善策は分かったが、腹の張りについては別に考えるようである。肺などに溜まった水分は、排便とはならず、我輩の過去の経験で、汗をかくことが一番と判断した。早速、猛暑日の中、徒歩で買い物に出かけ、たっぷりと汗をかいてきた。女房殿には、入浴で、時間をかけて汗を出す様に忠告した。一日で結果が出ると思っておらず、何日か、どう改善されるか見守っていくつもりである。

 

10日(木) 曇時々小雨24.5/28.4

 

 昨日と打って変って、一日日射しが無く、時々小雨がぱらつき、夜が深まるにつれて雨足が強まった。気温が上がらず、六日ぶりに最高気温が30℃を切り、蒸し暑さがあったものの、大分過ごしやすかった。午後、散歩に出ると、空気が場所場所で変わり、涼風が吹き抜けて心地よく感じられた思えば、暑い空気が淀んで暑苦しく感じられることもあった。雨はごく限られた時間だったが、涼気と熱気が混ざり合って、一日、大気が不安定であった事は確かである。幸い、出かけた時には雨は免れ、夕方のジョギングでも大変心地よい走りができた。

 女房殿の体調は幾分良くなり、特に、今日は咳き込むことが無かった。腹の膨らみはすぐに解消しそうになさそうであるが、咳が止んで食欲が増し、食事量は普段に戻ってきた。腹部の張りは、発汗作用を利用するしかないと見立て、できるだけ歩くようにし、入浴でも発汗を促すようにさせた。発汗量は少ないので、元に戻すには大分時間がかかりそうだが、咳が治まって、ストレスも和らいだように見え、気長に取り組んでいけば、元に戻ると思っている。

 

11日(金) 曇時々小雨21.2/25.7

 

 昨日に引き続いて一日どんよりと曇り、気温が上がらずに、熊谷の最高気温は25℃台で、半袖半ズボンでは寒いくらいだった。小雨程度だったが、雨の降る時間帯もあり、昨日干した洗濯物が今日も乾ききらなかった。ジョギングには極めて快適な涼しさだったが、夜半は一段と肌寒かった。スッキリ晴れる日は、すぐに来そうになく、冷夏による、農作物への影響が危惧される。天気と人の生活は、極めて大きな係わりがあり、天気予報が全く当てにならない状況を考えると、人工的に人の営みに適した環境を作って、一時も早く、安定した生活にしていく必要がある。それには、今の日本の金権政治では絶対に成り立たない事であり、国家体制は放棄して、地域主体で町造りをしていくしかない。

 

12日(土) /21.1/30.1

 

 曇りの時間が長く、一日晴天とはいかなかったが、三日ぶりに雨に見舞われず、最高気温も三日ぶりに30度を超えた。今日もあまりいい天気にはならない予想で、冷夏が心配されたものの、今日の日差しと暑さで、予報が若干違ってくるのではなかろうか。7月上旬には関東地方は水不足が心配されたものの、何となく水不足の話題が消えてしまい、今度は多雨で冷夏が話題になりつつあり、気象庁の長期予報は全くあてにならないことが明かになった。テレビ局によっては、気象予報士が独自の予報を立てており、確率的にはそちらのほうが高い。

 最近は旅行計画を立てるだけの余裕がなく、天気予報を当てにする必要がないが、かつて、ウェザーレポートの予報を当てにして、弘前城公園に桜見学に行ってき。1週間前の予報で、予報通りの天気となり、午後2時ころから雨が降る予想もドンピシャだった。観光地によってはウェザーレポートと契約して、観光案内の中に天気予想が組み込まれている。予報の元になる情報は、気象庁は観測衛星とスーパーコンピューターの機械任せ、ウェザーレポートは各地域にサポーターがいて、生情報を収集しているようだ。将棋や囲碁では棋士よりコンピューターが勝っているが、天然自然を相手にするには、人間の持つ感性、即ち、ルーティーンの方が優れている。イエスマン作りの白痴化教育は、無能企業を作り上げ、大手企業が幾つも破綻している。

 中学生の犯罪で、罪を犯した少年の、「そそのかされた」との供述に基づき、他の少年二人が、警察の強要によって犯罪者に仕立て上げられた。後で、二人の少年は関与していないことが明らかになり、自白を強要した警察官が処分された。いじめ問題で、少女が遺書を残して自殺したのに対し、教育委員会は、いじめはなかったとの結論を出し、後になって、いじめが明らかになった。同様な事件は数限りなく起こっており、その多くが、いじめる側が、親が地域の有力者がほとんどではないのか。公的な立場の多くが、コネがらみで、人間として腐りきっているのではないのか。全て政治がらみで発しており、公的機関は犯罪組織に成り上がってしまった。

 

13日(日) /24.1/31.8

 

 空が時々怪しくなるが、雨までにならず、気温も上がって、熊谷の最高気温は30℃を越えた。洗濯物が中々乾かない日が続いたが、今日は昼過ぎには乾いていた。

 昨日は熊谷の花火大会があり、花火(お盆)に合わせ、二人の息子が家に帰ってきた。花火見学もしたが、息子たちは、女房殿の健康を心配し、ネットで癌の相談窓口(電話相談)を見つけてくれた。現状では、病院に行った一番の目的だった、咳き込みはほとんど治ったものの、もう一点の腹部の張りは少しも改善されず、今も張りに悩まされている。時間が解決してくれると、楽観視していたが、女房殿の手足がやせ細ってきて、顔もやつれた感じがあり、自然治癒は難しい気がしてきた。18日に市内の病院が予約となっていて、そこでの診察の結果を待つようである。

 昨夜の花火で、撮影手法を今までと替え、ピントはオートにしないで、遠方で固定し、できるだけシャッターを切るようにした。その結果、花火の明るさによってシャッター速度が違って、小さな花火はシャッター速度が遅く、よく撮れなかったが、大きな花火はけっこう早くシャッターが切れ、そこそこの写真が撮れた。撮影枚数は1200枚程となり、200枚程はけっこう綺麗に撮れた。今は多忙で、「うちわ祭」の写真と合わせ、公開できるのは大分先になりそうである。

 

14日(月) 23.1/26.4

 

 一日曇り空で、薄日が射すこともなく、小雨も降らずに、正に曇り空だった。気温が上がらず、最高気温は26℃台で、本来なら大分涼しいはずが、湿度が高かったので、むしむしして、涼しさはほとんど感じられなかった。

 次男坊が女房殿の容態を心配し、昨日、友人と会って、友人の母親が喉頭癌の経験をし、手術までの経過を聞いてきた。女房殿に対しても、急いで検査をしてもらうべきとの、熱心な忠言で、本日深谷にある日赤に行ってきた。我輩はお盆と言うことで施餓鬼の対応をしたので、病院の方は、次男坊が対応してくれた。結局、問診はしてもらったようだが、改めてと言うことになった。考えようによっては、緊急性が無いとの見方もでき、腹の張った、中途半端な状態がいつまでも続きそうである。我輩は、病院に期待しない主義なので、やはり、で気持ちは収まったが、次男坊は、母親を思う気持ちがにじみ出て、失望したようである。女房殿と会話で、子供たちの思いやりに、少なからず満足をしたことは確かである。

 

15日(火) 22.1/23.1

 

 朝から小雨が降っていて、一日日射しが無く、雨が止んでいる時間もほとんどなかった。気温が上がらずに、熊谷の最高気温は23℃台で、最高気温が25℃を越える、夏日にも届かなかった。半袖では肌寒くて、長袖を羽織り、靴下も履くようだった。天気予報によると、暫く晴天になる見通しが立っておらず、日照不足、冷害による、農作物に影響が心配される。逆に、天気予報が当たらないのが日常化しており、何日かすると、全く異なった予報になってくるかもしれない。

 

16日(水) 20.9/22.5

 

 昨日に引き続いて、一日小雨が降り続き、気温が上がらず、熊谷の最高気温は22℃台で、肌寒い一日となった。雨模様が続くと思いきや、明日にはようやく日射しが出て、最高気温は30℃近くなりそうである。今日の週間予報(気象庁発表)では、本格的な晴天は暫く望めないと予想していたが、暑さが戻るとの予想を立てる気象予報士もおり、冷夏による農作物の被害を考えると、夏復活を期待するところである。

 女房殿の病気で、予約してあった病院に出向き、次男坊が付き添って医者の話を聞いてきた。説明では、どこに癌が発生しているのか、まだはっきりしていなが、子宮を手術するとのことだった。ハッキリしない中で手術をするのはどうかと思うが、女房殿の腹部の張りが治まれば何でもいいとの気持ちになっている。次男坊が女房殿を心配し、早急に対処すべきとの考えで、意気込んで対応してくれていたが、今回の結果に、次男坊もふっきれない思いがあるようで、言葉少なになり、東京に帰っていった。手術には長男坊も立ち会うことになっていて、女房殿は、子供たちの気遣いに、少なからず感激している。

 

17日(木) /20.9/29.4

 

 今日は何とか雨が上がり、薄雲リが中心だったが、晴れ間が覗くこともあり、気温が上がって、熊谷の最高気温は30℃間近となった。天気予報によると、明日は再び曇りが中心となり、雨も降る予想となっている。涼しい方が楽でいいが、夏は猛暑でもそれほど苦にならず、昔から暑さを楽しむ癖があり、今も暑い日を期待してしまう。

 最近はほとんど行かなくなったが、以前は、真夏時でも昆虫撮影に出かけていた。昆虫も暑さを嫌がるようで、大変な思いをしても、昆虫はほとんど出てこず、空ぶりのことも何度かあった。暑い時季に姿を現す昆虫もいて、春から秋まで撮影を続けられれば一番である。今は、フィールドにしている荒川河川敷は管理が行き届かず、年間を通して、最盛期の10分の1も姿を見せなくなってしまった。年間を通して本格的に撮影をしたのが2004年から2011年までで、以降限られた日数しか出かけず、2014年以降は、ほとんど撮影に行っていない。ハチを中心に、手を付けていない、撮り溜めした写真が少なからずあり、現在、更新作業を続けていて、図鑑は元より、Webで検索しても出てこない個体が少なからずあり、膨大な種類を保存していることになる。更新作業が終われば、他に例が無い、とんでもないデジタル図鑑ができそうである。

 

18日(金) /23.3/26.9

 

 昨日の日射しは今日に持ち越されず、朝からどんよりと曇って、今にも雨が降りそな空模様だった。降っても小雨で、本格的な雨模様までにはならずに済んだ。最高気温は27℃前後で真夏日には程遠かったが、湿度が高いので、不快指数は高かった。週間予報は定まらず、真夏が復活しそうな予想だったが、曇りや雨の日が多いと変わってきた。昨日の様に、僅かでもいいから、日差しと高温が待たれる。

 「荒川昆虫記」ハチ目、ハナバチの全面更新を手掛け、今はハキリバチを取り組んでいる。当館が収集したハキリバチの写真は思いのほか多く、手持ちの図鑑やWebで検索しても答えが出ない個体が数多く出てきて、どの様にまとめるか、少なからず苦労した。1カ月をかけて、残すところトガリハナバチのみとなり、ようやく出口が見えてきた感じである。ハキリバチが完了しても、ハナバチの半分にも満たず、道のりは険しくて長いと、痛感する毎日である。

 

19日(土) /晴夜雨24.0/32.3

 

 朝夕は雲が多かったものの、日中は晴れ間が覗く時間もあり、日射しが強くて気温が上がり、熊谷の最高気温は6日ぶりに、32℃台の真夏日となった。夕方には暗雲が立ちこめて、時々遠方で雷鳴が轟いていた。夜には雨が降り出して、時々強まったが、熊谷では大したことは無かった。連日大雨警報が出され、落ち着いて生活ができない感じである。地球温暖化による異常気象は日常化し、とっくに分かっていたことでありながら、対策はゼロに等しく、運不運で生活の安定が決まってくる。政治、経済、行政が無能の一体化となり、先手必勝は全く成り立たない。

 

20日(日) /曇夜雨22.3/29.0

 

 日中はけっこう日射しがあったが、気温はそれほど上がらず、熊谷の最高気温は30℃を切った。夕刻には暗雲が立ち込めて、今にも雷雨が起こりそうだったが、夕立ちは無く、夜半になって一時本降りの雨となった。中々スッキリと晴れる日がやって来ず、少々憂鬱になってくる。

 「荒川昆虫記」の花バチの更新で、難解だった「ハキリバチ」がようやく先が見えてきた。それにしても時間がかかり過ぎで、更新を花バチ一括と考えていたが、いつまでかかるか分からず、各科分離して、できた科からどんどんアップロードした方がよさそうである。当館の更新を待望している人が少なからずおられると思われ、一括からでき上がり次第に方針転換することにした。

 

21日(月) /晴夕雨23.4/30.9

 

 朝夕雲が多かったが、日中は比較的日射しが出て気温が上がり、熊谷の最高気温は30℃を越えて真夏日となった。夕刻には雨が降って、一時強くなったが、夜半には上がっていた。何日か前までは曇りや雨の日が続くと見られていたが、今日の晴天もそうだが、週間予報が晴天傾向に替わってきた。熊谷でも夜は一時雨が強くなったが、関東各地で天気の急変があり、大雨被害が出ているようである。熊谷近隣でも連日にわか雨で被害が出ているが、今のところ、熊谷では大きな影響を受けていない。夕方のジョギングも、2日やって1日休みのペースが続いており、いささか呑気になっている。

 

22日(火) /24.5/32.4

 

 日中は晴天がベースだったが、夕方には暗い雲が広がり始め、遠方で雷鳴が轟いていた。熊谷では夕立が無かったが、連日夕方になると雷雲が発生し、大気が不安定である。熊谷でも何度か雨に見舞われたものの大したことは無く、一方で、関東各地で連日に大雨に見舞われれている。今の科学技術だと、身近でいつ災害が起きるか分からず、運不運で人生が決せられる。

 医療も同様で、今、女房殿が病気で悩まされている。病院を頼ったのは、咳き込みが酷いと言うことと、腹部が大きく張って苦しいと言うことだった。検査ばかりして、医療を頼った目的は全く無視され、検査検査で、癌がある無しに終始し、手に負えないと言うことで他の病院へ行くよう勧められた。癌があったとしても、先ずは咳込みの治療と、腹の張りに対する対処を求めたが、全く相手にされず、退院の手続きをとるとのことだった。退院したものの、腹部の張り(検査の結果、肺に水が多く溜まっているとのこと)は酷くなって、女房殿は大分苦しんでいた。咳込みの方は、退院してすぐに、テレビで、喉の、空気と食物を振り分ける弁の機能低下についてやっていて、対処策に従って、唐辛子と黒胡椒を食し、咳は見事に収まった。しかし、腹部の張りは(入院時、三日三晩点滴をする)一向に収まらず、近隣の病院に行くことになった。近隣の病院では、最初に行った病院の検査結果をもらってくるよう言われ、検査データを取得、病院に提出すると、お盆も入った所為もあり、8日後に来るようにと言われた。(緊急性を認めなかったとも取れる)

 東京で同じアパートに住む二人の息子達が心配して、癌の実績がある病院に電話をし、次男坊が女房殿を連れていった。そこでも2軒目の病院と対応が同じで、次男坊は空しく、女房殿と帰ってきた。次男は我輩の楽観的な見方を批判しての行動だったので、かなりショックを受けたようで、口数が少なくなった。2軒目の病院の手術のスケジュールは決まっていたので、息子達はいったん東京にに戻って、手術に合わせ、来ることになっている。女房殿は、明日入院で、25日手術予定になっている。腹部の張りは一向に改善せず、腕が大分痩せ細って、可哀そうでならない。手術は癌の可能性がありとしているが、手術してみなければ分からないとの前提で、極めていい加減である。

 我輩は、医療機関(特に最初に診察を受けた総合病院)に対し、深く不信を抱いている。鬱憤やるかたないところであるが、とにかく、女房殿の苦しみが和らげばいいとの気持ちで一杯であり、女坊殿にできるだけ付き添うものの、病院に対して一切ものを言わないつもりである。

 

23日(水) 晴・曇24.2/34.7

 

 今日は朝から気温がぐんぐん上がり、熊谷の最高気温は猛暑日一歩手前で、湿度が高く、大変暑苦しい一日だった。夜になっても中々気温が下がらず、動くのが億劫になって、だらだらと時間を過ごすようだった。

 女房殿が予定通り入院し、主治医から、手術の説明を聞いてきた。我輩は何でも思った事を言ってしまう癖があり、今日は言わないと決めていたので、ただ一つ、女房殿の大きく張った腹部の改善(水抜き)について念を押しただけで、後は納得したふりをして聞き入った。主治医の説明は念がいったもので、専門的な用語を交えて、解説を加えて話してくれた。原因は分からない前提で、様々な可能性、様々な措置についても聞かされ、危険度も丁寧に話してくれた。必要以上に詳細に語るのは、本来なら大変親切と評価したいところだが、我輩には、聞けば聞くほど白々しく感じられた。明後日には手術で、退院がいつになるか分からないが、少しでも早く退院できればと、願うばかりである。

 

24日(木) /24.7/35.8

 

 昨日よりも気温が上がって、熊谷の最高気温は35℃を越え、15日ぶりに猛暑日となった。湿度も高かったようで、一層暑苦しく感じられ、昨日以上に動きが封じられた感じである。女房殿の見舞いを自転車で行い、午前午後の2回したので、ジョギングに換算すると4キロ走った勘定になる。無理をして、我輩が体調を崩しては、我が家の過去最大の窮地を乗り切れなくなってしまう。女房殿と離れ離れの生活が、前回の入院を合わせると6日となり、女房殿の存在がいかに大きいのかが実感される。明日は手術の予定になっており、療養期間がどれほどになるのか分からないが、我輩の人生には大きな痛手である。我輩も、女房殿にできるだけ支えになれるよう、生活の最優先にしてきたが、女房殿の理解で、我輩が思うがままに人生を築いてきた。互いに支え合って、自己満足に足る、とことん充実した日々を築いてきた。

 

25日(金) 晴‣曇24.9/32.0

 

 今日は昨日より曇っている時間が長く、気温が上がりきらずに、最高気温は32℃台だったが、昨日よりさらにムシムシ感が強く、けだるい一日だった。

 女房殿の手術の日を迎え、我輩の方が精神的に重圧を感じていたようで、手術前の女房殿との会話は、女房殿の方がさばけていた。女房殿が手に余ることは、我輩がなんでもやってきて、手術の件に関しては何も手助けができず、本当に歯がゆい一日だった。手術室に入って3時間半、本を読んで時間を過ごしたが、気持ちはまんじりとしていなかった。術後、執刀医から手術の説明があり、癒着していた肉の大きな塊を見せつけられ、大掛かりな手術であったことは確かで、手術の正当性を見せつけられる思いだった。それと、我輩が一番心配していた、腹部の張りの原因だった水については、バケツ一杯はあろうかと思われる量の赤茶けた水液がガラス瓶2本に入っていた。それを見たら、押し出されるようにして退院した前病院の存在が消えて、病院を替えたことが、どんなにも懸命だったか知ることとなった。同時に、もっと早く水を抜けなかったのか、女房殿が苦しんできた姿を思うと、一層、前病院の対応の悪さに腹立たしくなった。手術を終えて、女房殿が移されてくると、麻酔の関係もあって、意識がほとんどなく、会話は全くできなかった。激しい息遣いだけが耳に残り、それが、生命力のある力強さと受け止めるべきか、手術の痛手による息苦しさか、女房殿が痛ましくてならなかった。命の保証はされていると判断し、早々に引き上げた。

 

26日(土) 晴・曇25.4/34.5

 

 一日を通してみると、晴れと曇りが半々と言った天気で、それでも気温が上がり、熊谷の最高気温は猛暑日間近の暑さとなった。夕方になっても気温が下がらず、ジョギングでは、暑さに苦しめられた。

 午前中、本来は面会時間外なのだが、女房殿の容態が気になって、息子二人を連れ立ち、見舞ってきた。術後の女房殿の息遣いが、力強いのか、息苦しんでいたのか確認が目的で、答えは力強さだった。見舞いに行くと、手術前とほとんど変わらない女房殿が待っていた。普段の女房殿らしく、色々な注文が出てきて、「そんなに急がなくていいのでは」と諭すようだった。息子たちが東京に帰る関係で、午後にも、見舞いと、送りを兼ねて出かけると、午後の女房殿は、入院前の姿に戻り、すっかり安心させられた。息子たちも、午前中の見舞いで安心し、今日帰ることになったのである。

 

27日(日) /23.4/31.1

 

 薄雲が広がることもあったが、一日を通して晴天傾向で、最高気温は30℃を越えた。朝夕は大分涼しくなり、夏の盛りは過ぎた感がある。今夜は大分涼しくなり、熱帯夜の心配はなさそうである。

 昨夜、ネットで、「誤嚥肺炎」を調べてみると、情報が溢れていて、解説を読めば読む程、女房殿が「誤嚥肺炎」に犯されていたと感じた。女房殿は、大分前から咳込むことがあり、水ないし、食べ物を肺へ送り込んでいたと思われる。特に酷かったのが、義母が亡くなった時で、義父も後追うように、意識の薄い状態となり、2月下旬から3月上旬にかけて、義母の葬儀と、義父の緊急入院とが続いた。女房殿は疲れ切って、ストレスと咳込みが両輪となり、深夜に咳が止まらない状態となった。その時は、我輩が、腹式呼吸で深呼吸をするようにアドバイス、ほんの10秒もかからずに咳は止んで、今度は寝息すら聞こえない状態となった。我輩は慌てて手を口元に持っていき、微かに息遣いが伝わってきて安心した。女房殿は疲れきって、咳が止んだ週間、深い眠りについてしまったようだ。

 女房殿は、この時点で「誤嚥肺炎」に完全に陥っていたと思われ、早めに病院に行けば、今回の様な異常事態にならなかったと思われる。ただし、「誤嚥肺炎」を認識している医師がいるかか問題で、病院を選ぶ必要がある。熊谷あたりは、金儲け医療が普通になって、「誤嚥肺炎」を見抜けないのではなかろうか。「誤嚥肺炎」は、初期段階であれば投薬で改善できるようである。女房殿は、末期の状態で、大がかりな手術によるしか、処置が無かったと判断される。

 女房殿は余程辛抱強いと見えて、今日見舞いに行くと、手術後の回復室から、一般の病室に移っていて、点滴などのチューブが体を取り巻いているものの、一人で歩けるまでになっていて、会話はすっかり普段に戻っていた。

 

28日(月) /20.8/31.0

 

 昨日と似たような天気で、晴れが中心だが、薄雲が広がる時間帯もあり、最高気温は昨日と同じ様だった。朝の気温は昨日より低く、最低気温は20℃台で大分涼しかった。この時季は、最高気温は真夏並みになっても、最低気温は秋を感じさせるようになる。

 今日も女房殿を見舞ってきたが、点滴をしているので動きに制限があるものの、今にも気ままに動き出しそうな元気さだった。快復が早いと見ていいのか、それともまだまだ動きが悪いと見るべきか、我輩には分からない。息子たちは土曜日に帰って、今度の土日に帰ってくることになっており、長男に女房殿の状態は、治りが早いと報告、見舞いに戻ると言うより、「退院祝いができる」と、希望的観測を述べた。

 

29日(火) /24.5/33.0

 

 日中は、昨日と同じような天気だったが、朝が気温が高く、熱帯夜間近となり、日中も気温が上がって、最高気温は33℃となった。台風が近々に接近してくる予想で、秋雨前線より、太平洋の夏の空気が流れ込んでくる可能性がある。

 女房殿と面会してきたが、大分元気そうで、今夜から食事を出すと、看護婦さんに言われたそうであある。女房殿は、あまり痛みについて話さないが、こちらから聞きだすと、お腹周りが痛むとのこと。看護婦さんには、できるだけ歩くように勧められているとのことで、我輩には、容態をどの様に判断したらいいのか分からなかった。水ぐらいなら飲んでもいいと言われたとのことで、今日は水を持っていった。話を総合的に判断すると、快復に向かっていると考えてよさそうである。

 一人暮らしが大分慣れて、食事など、買物が上手になり、それほど苦労を感じなくなった。女房殿のありがたみをじっくり味わう機会と見て、一人暮らしの仕方を研究してみようと思っている。今学んだことで、コンビニで野菜パックを売っており、主食で何を食べるにしても、野菜を欠かしてはいけないと言うことだ。野菜を意識していない時は、食事が苦痛となっていたが、野菜を買うようになって、普段通りの食事ができるようになった。まだ70歳には間があるが、70歳の手習いである。

 

30日(水) 晴後曇後時々雨26.0/32.0

 

 午前中を中心に比較的晴れて気温が上がり、熊谷の最高気温は30℃を越えた。午後からは雲が広がりやすくなり、夕方には北よりの涼やかな空気が流れ込んできた感じで、僅かであるが涼やかになった。日本列島は、今太平洋上に発生した台風と、日本海側にある秋雨前線とが影響しあって、地域によっては大雨に見舞われているようである。日本列島全体を見ると、記録的な大雨が日常的になり、分かっていながら大雨対策は少しも進んでいない。

 今の国家体制では、過去の独裁体制の歴史を踏襲している様なもので、地域の財産を中央に献上する、理不尽な体制である。国会も参勤交代制度そのもので、地方の国会議員は人質であり、個人の利益にありついて満足し、地元には何の役にもたっていない。その結果、国の存亡の危機に陥ってしまい、地域はいち早く独立しないと滅亡してしまう。

 

31日(木) 22.2/25.1

 

 今朝は気温が低く、日中は日射しがほとんど無くて気温が上がらずに、一日を通して夏場の面影が少しもなかった。外出は、半袖で過ごしたが、長袖でもいい陽気で、机上作業をする時は長袖を羽織るようだった。女房殿がいない生活になって早1週間が過ぎ、一人暮らしの「おさんどん」が板に付いてきた。買物も無駄が少なくなり、大分知恵が付いた感じである。買物は、スーパーとコンビニを使い分け、食料品の調達は健康にも配慮して、野菜を欠かさないようにしている。要領が良くなると、家事の時間がそれ程負担にならなくなり、昔で言う、独身生活を謳歌しているのかもしれない。女房殿には絶対に言えない事であるが。