「愛妻が儲け医療に殺される・殺された」 2017年9月13日 関連日記 2017年8月 9月

 

 妻が、咳き込むようになったのは、義母の死と、ほとんど同時に起こった、義父の緊急入院と、時期を同じくしていた。

 義母の介護生活が始まったのは、5年ほど前で、普段、ほとんど歩かなかったために、足腰がすっかり弱り、自分の力では、全く歩けなくなっていた。ディーサービスや、ショートステーなど、介護サンターを利用していたが、妻の負担は少しも軽くならず、妻自身、過労とストレスが溜まっていた。ストレスを解消すべく、散歩や買い物、外食を頻繁に行ってきたが、完全に過労を解消するまでには至らなかった。心身ともに、アップアップした生活の中で、2017年の2月下旬、義母が、体調が悪いということで、ディーサービスを休み、ベットに寝かせておいた。

 午後に状態を確認すると、義母はまったく息をしておらずく、救急車の発動を依頼した。消防署から、心臓マッサージをするように言われ、私が試みたが、状態は全く変わらなかった。

 救急車が来て死亡が確認され、警察や、医師が駆けつけて、正式に死亡確認となった。一方、義父も、息こそしているものの、意識が無い状態で、義母の隣で横たわっていた。

 2月下旬の義母の葬儀と、3月上旬に、義父の緊急入院とが、僅か5日のうちに立て続けに行うことになった。妻は、葬儀の疲れと、義父の対応とで息つく暇が無く、咳き込みが酷くなって、夜中には咳が止まらない状態にまでなっていた。見るに見かねて、腹式で深呼吸をするように言うと、何秒もしないうちに咳が止んで、寝息すら聞こえない状態だった。慌てて、口に手を持っていくと、微かに息遣いが感じられ、ホットした。妻は疲れ切って、咳が僅かに止んだことで、深い眠りに付いたようだった。

 それからも、食事中や就寝中に咳込んだりしたが、一時からすると大分少なくなり、一安心した。一方で、義母の死亡届や、年金処理など、市役所に行くことが多く、市の対応は、死亡届で全てが明確になるものを、何を持ってこい、この処理をしろと、容赦なく発し、地続きでありながら、あくまでも妻は義母と別居扱いのために、様々な注文が出され、何度も足を運ぶようだった。年金処理も同様で、死亡届を送付すれば、全て明らかになっているのに、様々な証明書を取るように言われ、何度も市役所に足を運ぶことになった。年金の未払い分の請求でも、色々と注文が来て、最後には、妻は未払い分はけっこうですと突き放した。担当者は、払わないとなると、担当者の責任問題になると見えて、低頭する形で、最後の1枚の証明書を取った。

 義父の緊急入院で、一時、ほとんど動けなかったのが、冷暖房設備など、生活環境が良くなると、その日のうちに息を吹き返した。妻は、週2回の見舞いで事足りるようになり、退院後のことも、懇意にしていたケアマネージャのお蔭で、介護施設の入所が決まり、直面する厄介事は一区切りした。しかし、疲労がすぐには抜けなかった。

 妻は、完全に咳が止んだのではなく、食事中や、就寝中に咳込むことが何度もあった。特に、義父の介護施設の入所が決まり、あらゆる面で解放されると、労力に緩みができるのと同時に、咳込みが酷くなり、喉や鼻に起因していると判断、鼻炎薬や咳止薬を試してみたが、全く改善されなかた。7月中旬に、近隣の医院に行くと、風邪と診断され、何の手だてもされなかった。やがて、腹部の張りにも悩まされるようになり、7月31日に再度医院へいくと、手に負えないと言うことで、総合病院の紹介状をもらい、出向くことになった。

 総合病院に行くと、即、入院となり、入院に必要な衣類などを、私が取り揃えて持ち込んだ。「咳込む」「腹部が張る」の2点で入院したのだが、3種の検査が必要とのことで、三日間に渡って行われた。途中で、咳込みが始まった時期や、原因について話をすると、若い女医さんは、一言「それは関係ないと思います」で、一切無視された。

 検査と、三日三晩点滴がされ、妻の腹部はハチ切れそうなまでに膨らみ、痛みすら出ていた。結局、検査では、肺に水が溜まっているとの症状は確認できたが、癌については画像上には全く出てこなかった。最後に言いだされたことは、子宮近くで浮遊する癌細胞が一つだけ見つかったとのことで、癌の専門病院、もしくは専門医師を紹介するから、そちらに行くようにと、ベテラン産婦人科医師から言い渡された。

 癌の問題より、咳込む、腹部が張っているの二点について見てもらえないのか問いただすと、退院の手続きを取るとの強固姿勢で、やむなく退院することになった。強行姿勢の中には、恫喝めいた言葉も混じり、取りようによっては、医療ミスを誤魔化そうとしているようにも感じられた。腹部がパンパンに張っているのに、三日三晩点滴をするのがどうなのか、症状を重くしたことに他ならないのでは。

 退院は8月3日で、他の病院に行くよう押し付けられたが、様子を見ると言うことで、すぐには病院へ行かなかった。

 8月8日に、たまたまテレビで、加齢に伴う、喉の、食道と肺へ、飲食物と空気を振り分ける弁の機能不全についてやっていた。食べた時や、寝ている時に咳込むことが多くなるとの症状で、正に、妻が今悩まされている症状だった。改善策に、唐辛子、黒胡椒が効果的とのことだった。その後すぐに試したら、確かに咳が治まった。

 何日かして、今度は「誤嚥性肺炎」についてテレビで取り上げられ、肺に飲食物が入り込むために起こる肺炎で、これも、正にに妻に起こった症状だった。

 総合病院での検査結果は、正に「誤嚥性肺炎」の兆候を示すもので、癌は画像上には全く出ていなかった。様々な疑問を抱える中で、妻の症状は悪くなる一方で、やむなく、総合病院で紹介のあった、産婦人科が優秀との病院へ行くことになった。

 妻一人で診察を受け、総合病院の検査結果を取るように言われ、翌日も行った。お盆休みもあり、次の通院日が8日空いた。途中、息子二人が帰ってきて、母親を心配し、ネットで、癌の専門病院などを調べ、次男が妻を連れていった。そこでも、ハッキリしたことが分からず、妻と次男は意気消沈で帰ってきた。

 お盆明け、予約日に病院へ行くと、入院日が決まり、妻は、8月23日から闘病生活となり、25日に手術となった。癌が前提で、肺に癒着した肉の様な塊と、バケツ一杯もあるような水液を抜き出し、4時間に渡る手術は何とか無事に終わった。妻は、手術をした日は息絶え絶えだったが、翌日には話ができるようになり、三日目には動けるようになっていた。

 無事生還したとの感じでホッとさせられた。主治医の話では、あくまでも癌が前提だったが、どこが原因なのか特定されておらず、画像としては全く提示は無かった。難しい手術であったことは確かで、当初の問題である、「咳込む」「腹部が張る」の2点は改善され、深く感謝した。

 妻は、手術後1週間程は大変元気に見えたが、9月に入ると動きが悪くなり、点滴など、体に色々と取り付けられ、動けなくなっていた。容態が悪くなる一方で、歩くのもままならなくなり、人の手を借りないと何もできなくなってきた。主治医の指示では、「できるだけ動くように」だったが、動けなくされているようにも見え、不審を抱かざるを得なかった。

 9月4日に、今度は、癌の元が分かったと、図示して説明があり、画像については一切なく、抗癌剤使用の話になった。言葉尻の説明だけでも、否定するだけの知識は無く、妻自身、当然抗癌剤投与を望んでいたので、踏み切ることになった。抗癌剤については、一日がかりで、妻にとっては大きな負担のようだった。

 抗癌剤治療に合わせて、大部屋から、保険の利かない個室への移動を勧められた。私は、妻を一刻も早く退院させ、自宅でリハビリを行おうと考えていたので、とりあえずOKとしたが、早期退院を考え、通院治療に切り替えるつもりにしていた。抗がん剤を投与した後、妻の体調はすぐれず、半寝たきり状態となり、早期の退院が必要と考え、病院側に、その旨を話した。

 翌日、主治医から、退院の事も含めて話があったが、「今のままだと寝たきりになって、廃人同様になってしまう」と、強く申し出た。すぐの退院は無理でも、2、3日中に目途をつけるとの回答を得、とりあえず話を打ち切った。

 病院は、患者は素人だから、いい加減な事を言っても通ると思っており、金儲けが先行して、治療している。現実に、あちこちの病院で医療ミスが話題になり、表立たない事も少なからずあるだろうから、「あかひげ先生」の精神はとっくの昔に消えてしまっている。一方で、在宅医療が話題になり、儲け主義の病院に対抗する動きも出てきている。患者の話を丁寧に聞く、名医がいることも確かで、何が原因か分からないままに、とにかく検査をすれば儲かる風潮は、高まる一方ではないか。

 社会そものが儲け主義で、市民の側に立って商いをするのは、夢物語となってしまった。愛妻は儲け医療に殺されてしまいそうだ。とにかく、一刻も早く退院できるようにしならなければとの思いで、大々的に社会に訴えていくことにした。

 妻は、両親の介護で命を縮め、儲け医療の餌食になり、命をもてあそばれている。どこまでも優しく、どこまでも親思いで、どこまでも家族思いである。私にとっては、掛けがいのない伴侶で、何よりも大事にしてきた。愛妻が廃人や、命を落とすことになったら、とことん、世に訴えていくつもりである。

 今回の問題が表に出れば、医療側の対応に疑問を抱いていた人たちが、大挙訴えて出るのではなかろうか。

 

「愛妻が儲け医療に殺された」 2017年9月13日

 昨夜、女房殿を見舞って、足のマッサージをしている時、右足だけが大分冷たく、看護婦にその旨を伝えると、何でもないかのように応えてきた。我輩は気になって、右足のマッサージを懸命に行い、少しは暖かくなった気がしたが、左足と明らかに違っていた。家に帰って、そのことが気になり、横になっても中々寝付かず、明け方に僅かに寝付いただけのようだった。胸騒ぎがしていたことは確かである。朝になって、長男から電話が入り、「お母さんが死にそう」との連絡が入った。我輩は、昨夜のうちに問題を指摘してありながら、何の処置もせず、死を招いていることを悟った。本来なら、病院側は我輩に連絡すべきところを、恐れて長男に連絡したのだった。急ぎ病院に向かうと、主治医が脈を見ていたが、既に死亡状態で、「時間の問題」と答えてきた。

 結局、最後に何も語れずに、亡骸になってしまった。予期していたとはいえ、あまりにも惨い結末に、泣くに泣けなかった。事前にしたためてあった、「愛妻が儲け医療に殺される」を手渡した。我輩が声を張り上げると、長男は「止めてよ」と制止してきた。妻は元より、長男も癌の名をかたる脅しに抗えず、母親を失った自らの責任も感じているようだった。次男が遅れて駆けつけてきて、亡骸にすがりつき、泣き崩れていた。あまりにも残酷な結末に、自分を抑止できなくなっていたようである。

 自分自身、妻の死による痛手は底知れず、何度も涙が込み上げてきた。あまりにも残酷な事態に、これからどう生きていけばいいのか、何の答えも見つからなった。いつまでも悲しみに暮れているわけにもいかず、亡骸を家に帰す算段となり、我輩は急ぎ家に帰って、受け入れ準備をすことにした。

 準備をしながら、「何故妻は死ななければいけないのだ」と、腹が煮えくり返っていた。母親の介護に疲れきり、父親の介護に疲れきり、どこまでも親孝行だった。父親は、妻をどこまでも信頼し、頼りきっていた。最愛の娘の死を聞いたら、どこまで落胆するものか、計り知れず、ことによると命を縮め兼ねないのではないか。全て、儲け医療の所為である。

 妻が家に戻って、結婚時に妻が持ってきた布団に寝かせた。葬儀屋と葬儀の準備で1時間ほど話し、妻とじっくり対面できるようになった。唇を水でしたし、顔に手を当てて、妻の冷たい肌を感じた。手を当てていれば体が温まって生き返ると、何度も自分に言い聞かせた。妻の顔は、あらゆる痛みと苦痛から解放されて、どこまでも穏やかな顔になっていた。こけていた頬に丸みが出て、棟方志向の描く観音様を見るようだった。唇を水に浸すのと、頬をなぜるのを何度も何度も繰り返したが、息を吹き返すことが無かった。どこまでも愛すべき、観音様の様な女性で、人生の伴侶として、存分に生活を楽しんできた。大きな楽しみを奪われた今、これからどうやって生きていばいいのか、考えても、考えても答えは出なかった。少なくとも、後20年は、妻と、とことん人生を楽しめると思っていた。この代償は必ず払わせる。