人生の達人

 世の中、特定なことに対して抜きん出た能力を持つ人がいる。そんな人を『達人』と呼んでいる。テレビなどで練磨された達人技を見るにつけ、常々敬服しているところである。しかし、我輩が、達人として憧れるのは、人生を思い存分謳歌している、『人生の達人』である。どんな業積や富を残しても、人生を楽しめないのでは意味がない。人生を楽しむことに長けることが、最も価値があると思っている。ここでは人生の達人とはいったいどんなことなのか、時間をたっぷりとかけて語り続けていこうと考えている。

2003年5月5日

 

2004年4月8日から15日の日記より

29年勤めた会社を辞めて、風来坊のような生活をしているが、不思議と、観光旅行が少なくなった。会社員のときは、どんなに忙しくとも、年に何回か、女房殿と遠出をしていたが、ここ3年間は、所用で出かけるくらいで、観光目的では1度もない。テレビなどで観光案内がされると、二人とも行きたいと話すが、収入の安定がないためか、本気で計画を立てることはなかった。子供が小さい頃の家族旅行を含めると、旅が我が家の目的であるかのように、北海道はもとより、青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島と、東北を制覇し、関東は無論、静岡、山梨、長野、新潟、富山、石川、岐阜と、中部までくまなく訪れている。順番だと愛知、三重、和歌山あたりに行きたいところであるが、全然話題に出ない。不満を感じても不思議ではないのだが、実際にはちょっと違っている。日々の生活の中で、買い物や散策、日帰りのドライブなど、女房殿とデート気分で楽しんでおり、ささやかな言葉のやり取りと触れ合いで、この上ない満足感に浸っている。考えようによっては、夫婦として、一番満たされたときを過ごしているのかもしれない。

女房殿とちょくちょく買物へ行く。我輩はもっぱら荷物持ちで、買物袋を一手に引き受けて、用心棒みたいなものである。季節の変わり目に、衣類なども二人で見に行き、女房殿がどれにしようか迷ったり、買い控えたりしていると、我輩のアドバイスを聞き入れて、いかにも嬉しそうに、我輩好みの装いを買い揃えている。二人のやり取りを見ていた同年代のご婦人に、「羨ましい」と、声をかけられたことがある。元来、我輩は買物が嫌いだったが、女房殿とデート気分で出かけるようになると、我輩から買物を催促するようになった。衣類だけでなく、あれやこれやと話しながらのショッピングは、夫婦の心を通わす乙な遊びで、大いに楽しんでいる。ソフトクリームなどを一つ買って、二人で仲良く食べるのもまたまた面白く、女房殿が実に可愛らしく見える。これが、若い二人であれば、恋人同士ということになるのだろうが、熟年のカップルは、他所様にいかに映るのだろうか。年季の入った夫婦は、互いにそっぽを向いているのが普通で、熟年離婚や高齢者離婚が増大している。元を正せば、互いに好き合って結婚したのだから、いつまでも恋人気分でいられるのが、ごく普通に思われる。若者たちのようにべたべたとくっつき合わなくとも、互いの愛情に裏打ちされた交わりがあれば、どこまでも満たされたものになる。どんなにドラマチックな人生を歩むより、幾つになっても、ごくごく自然体で、恋人気分でいられる夫婦が、最も幸福なのではなかろうか。

我輩の54年の人生を振り返ると、かなり強気で生きてきた気がする。本当に強いのか分からないが、自己を持って、意思を曲げずにきたことは確かである。女房殿に対しても、わんまん亭主を気取って、思い通りの家庭を築いてきたと思っている。ところが、我が家の骨格は、女房殿によって作られたというのが本当である。我輩の役割も大きかったのは間違いないが、家庭に対して、女房殿に頼るところが大きかった。女房殿も、経済的な面で我輩に依存し、互いに頼り頼られの関係ができあがっていた。お互いに必要とし合うことが、愛情に繋がり、深い絆を作り上げることができた。現代を考えると、女性の経済力が付いて、経済的に男性に頼らなくても成り立ち、女性の立場が強くなって、男女平等が確立されたと考えるべきなのだろう。メディアも、こぞって強い女性像をもてはやし、男性顔負けのたくましい女性が増えている。結婚をしても、夫婦が互いに弱さを見せず、心の底から頼り、頼られの関係が成立しなくなっている。互いに自立して生きるのを理想とする夫婦もあり、互いに好きなことをやって生きていけるのだから、新しい時代の目指すべき姿なのかもしれない。もし、それで、本当に幸福になれるのならばいいのだが。

健康目的で、女房殿と散策をしている。散策を始めたのは、もう5年以上前からであるが、週に5日以上、継続的にやるようになったのは、まだ1年に満たない。時間や天候の関係で、毎日続けるのは至難の業で、中断することが何度もあった。継続的にやっているときは、風邪も引かず、体調がいいことは確かで、人生を健康的に楽しむには絶対的な日課である。散策に自然観察も交え、会話も豊かになって、体だけでなく、精神的にも非常に有意義である。散策は、女房殿との生活の原点であり、幸福な日々の礎となっている。メディアで健康方法や健康食品、健康器具などを、大売出ししており、研究者を交え、科学的に立証された健康情報に事欠かない。日本は健康大国になって、不健康な人間などいないはずであるが、成人病なる、生死にかかわる不健康者が、増大しているのが現実である。どんな科学的な論証より、ごくごく自然体で生活することが何よりなのである。健康食品を意識するよりも、暴飲暴食、不健康な食生活を改善することが重要である。特別な健康器具を意識するよりも、日常的に適度な運動を交えることが一番である。不自然な生活形態を推し進めたのも、資本主義経済の意を受けたメディアであり、健康志向を植え付けようとしているのも、資本主義経済の意を受けたメディアである。いかに情報に操られる人間が多いかである。情報に振り回されず、ごくごく自然体で、日々を健康的に楽しむのが、人生の達人である。

我が女房殿は、平凡を絵に書いたような人で、特別なことをとことん嫌っている。目立つことが大嫌いで、人前に出ることなど考えられない性分である。自ら行動範囲が狭まり、家にいるのが一番で、我が家では共働きはありえなかった。それでも、子供の手が離れるのに伴い、我輩の勧めでボランティアにかかわるようになり、ホームヘルパーとして週に4度、高齢者の世話をしている。ヘルパーになって早10年が過ぎ、特別なことがない限り休んだことが無い。主婦としても、ヘルパーとしても、とにかく、同じことを同じように繰り返すことだけは、誰にも負けない。単調な仕事をいつまでも続けていくのは、簡単なようで非常に難しい。現代は、とことん変化を求めることが人間らしさと位置付けられ、多くの女性が、メディアの情報に順じて、とことん変化しようとしている。メイクや髪型、装いを替えると、心まで変わると言われており、現代は心身ともに美人だらけなのかもしれない。もし本当にそうなら、女房殿は最も醜い、愚人と言うことになる。しかし、我輩の目には、未だに少女のような輝きが感じられ、観音様のような慈愛が感じられる。むしろ、女房殿の、とことん自分らしさを出した偉大なる平凡に、誰にでも真似ができない特別を感じる。女房殿の放す輝きは、正に人生の達人業である。

 

2004年4月2日の日記より

長年勤めた会社を退職してから早4年目に入った。元来自由人で、時間に縛られるのが嫌いで、風来坊のような生活が非常に気に入っていた。風来坊では食べていけないので、時間に縛られずに食べていく方法を模索してみたが、結局、食べられるようにならず、企業に属さねばならない状況になった。就職難の時代にあって、50歳を過ぎての就職は厳しく、こちらの意向で職を決めるなど不可能である。それでも働き口が何とか見つかり、先月は限られた時間であったが、時間に縛られる生活をしてきた。仕事の内容は今までの経験がフルに生かせ、大いに楽しみながらできる仕事だった。仕事は少しも苦にならなかったが、風来坊の習性で、時間の拘束が苦痛に感じられ、肩の凝る1ヶ月だった。実態的には、己の意志で拘束時間を超えて仕事にのめり込んでおり、自由な発想で仕事に従事していた。企業は社員を時間で雇用するのが通常で、勤務時間内をどれだけ厳しく縛り付けるかが、企業の能力と考えており、自由を与えないことが目標になっている。人間の発想というのは、時間に縛られていたのでは生まれてこないもので、自由人であることが大きな原動力となる。多くの企業が能力主義を唱えるが、人間の持つ能力を最大限発揮させる手法を知らない。多くの管理者が、おべんちゃらに長けた、都合のいい人間を重要視して、発想豊かな自由人を軽視してしまう。人間は元来横着であり、何事でも慣れてくるとずるくなり、自らを律しきれず、自由を発展的に生かせないのも確かである。人を使うことの難しさがそこにあり、多くの経営者が、自由な発想の重要性を承知していても、どうしても確実性がある方法を選んでしまう。時間や怠惰から開放されて、自由でいるのは簡単なようで非常に難しく、心身ともに自由に仕事をこなしていくのは、正に達人業である。それは、人生の達人になるための絶対条件でもある。

 

笑顔は宝 2002年2月11日

 「お蔭様」という言葉がある。相手の親切などに対してお礼をいうときに使う。考え方としては、自分の力の及ばないところを神仏の力でいつも助けられているとの、感謝の気持ちを現したものである。果たして現代人は、お蔭様と思ったことがあるのだろうか。

 日本人は、金さえあれば何でも手に入ると信ずる金権経に属する者がほとんどで、神仏や、他人の親切に感謝の念を抱くものは少ない。宗教的な行事を商売にしている人が、自分の力を神仏のごとく奉り、現金化されたお蔭様を要求する関係で、営業用にもっともらしく「お蔭様」を使うことがあっても、真心として発せられることはなくなってしまったのではなかろうか。

 かつては家族全体が生活共同体をなし、家族一人一人が非常に大きな役割を担っていた。親は経済的な基盤と生活の維持、子供は家族の夢と希望、互いに適材適所、役割分担があって、頼り頼られして生活の中枢をなしてきたのである。しかし、現代は核家族化や単身世帯の増大で、家族のかかわりが大きく変化し、互いに存在価値が低くなっている。家族の役割をスーパーやコンビニが肩代わりするようになり、一人暮らしでも食事に手間を掛けずに生活ができる。ややもすると人に頼らずとも自分一人で生きていける気がしてしまう。自分の好きなように生きていけると思いたくなるが、現実には、様様な人たちとのかかわりがあってはじめて成り立っている。

 弁当一個を手に入れるために、いったいどれだけの人間がかかわっていることか。素材の調達から考えると、魚、肉、米、野菜全てが生産者から発しており、輸送関係、調理、梱包、そして輸送、販売店の管理者、店員と、実に多くの人の手がかかっているのである。衣料や住宅、仕事、レジャーなど全てが、人と人とが縦横に結びついていて、はじめて快適な生活ができる。

 逆に言うなら、自分自身が人の生活にどんな役割を担っているかであり、自分が口にする弁当一個に、回り回ってかかわりがあるかもしれないのである。梱包材や陳列棚の生産過程、在庫管理の機器や消耗品、プログラム、ネットワーク、保守管理など、張り巡らされた関係はとどまるところがないのである。たとえ消費者でも販売側になり、誰もが対等で、「買ってやる」との上位に立つのではなく、正に「お蔭様」の気持ちを持って弁当を味わうべきである。

 直接かかわりのない人に対してまでは無理だとしても、家族や同僚、級友など、日々顔をつき合わせる人々に対しては、自らがお蔭様の気持ちを持って接したいものである。しかし職場では、社員を同列において競い合わせる、尻たたき方式が作業効率を高める唯一の方法と信じてやまぬ経営者が多く、個人の利益が前面に押し出され、友というよりライバルと意識させられるのが実態である。だが、ライバルの以前に地球という小さな星の仲間であり、互いに助け合って存在価値を高め合っていくことの方が大事である。企業というのは異なった才能の集団であり、無闇に競い合わせるより、人間の尊厳を重んじ、社員一人一人の持っている能力をフルに発揮させたほうが、遥かに効率的な事業運営ができるのである。人間は自分の能力を発揮することを欲しており、能力を生かされればやる気に繋がってくる。社員間の仲間意識が高まれば、頼り頼られ、生かし生かされ、存在価値が感じられ、やる気も起こり、個々の能力も高まるのが必然である。トータルで見れば遥かに大きな利益を産み、特に精神的にもたらされる得は甚大である。職場が生き甲斐となり、人生の目的そのものになってくる。

 人生の達人になるには、先ずは、自らの笑顔から始まる。現代は心から発する笑顔は影を潜め、作り笑いや営業用のスマイル、自分を忘れるための大笑い、他人の不幸をもてあそぶ嘲笑など、心の通わぬ笑いばかりである。お蔭様の気持ちがなければ、時間を共有する相手の存在価値を見出せず、見くびった相手からは何も得られないのである。逆に、自分は多くの人の力添えがあって成り立っていると考えれば、些細なことでもありがたみが感じられるようになって、日々得をした気持ちになる。人間は相手の出方で気持ちが変わるもので、通常の人間であれば、お蔭様の気持ちを持って接すれば気持ちが和み、語らいに自然に笑みがかもし出される。常に笑顔で接すれば、相手も存在価値を見出して、笑顔を取り戻せるのではなかろうか。仕事にかかわる時間は長く、仕事をどれだけ楽しめるかが人生の価値を決める。職場での人間関係が良好であれあるほど、人生を楽しめることになる。正に『笑顔は宝』で、人生の達人になるためのお守りなのである。

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『時の旅人』・第一部「偉大なる平凡」・六、人生のシナリオより

私は就職するにあたって、仕事はあくまでも腰掛けに過ぎないと決め込んでいた。最初から会社を愛する気持ちなど少しも持っておらず、決められた時間を決められた手順に従って無難に勤務時間を消化していければよいと考えていた。

 父親は、私の就職が決まったのを知った翌日に労務災害で亡くなっており、正に仕事の犠牲になった人であった。

 父の姿勢は何よりも仕事を最優先にしていた。戦後のどさくさ期を必至に生き抜いてきた結果として、仕事に打ち込むしかなかったと思われる。父の仕事に対する姿勢を批判するつもりはなかったが、家にあっても仕事から離れられない姿が、私には不快でならなかった。

 父は晩酌を欠かさない生活をしていた。飲みはじめると仕事に係わる不満を母や私に語っていた。けっして悪酔いをしたというのではないが、酒が入ると職場の愚痴を零さずにはいられず、酒を飲まないと眠れないという生活をしていた。

 父の仕事に対する姿勢は真摯で、愚痴のなかで聞かされる仕事の考え方は、職場を愛する心情と建設的な思想に満ちていた。会社を愛する気持ちがあったか分からないが、一時も仕事から離れられない仕事人間で、仕事を愛するあまり、同僚や上司の怠慢に不満を募らせていたようである。

 私はそんな父が哀れに思えたが、一方で仕事に人生を賭ける姿が愚かしくも感じられていた。人生は仕事に支配されずに限り無く大きく広げていくべきだと思っていた。仕事はあくまでも生活の手段であり、より心豊かな人生を築いていくための腰掛けに過ぎないと思っていた。

 家庭や家族にまで仕事を持ち込み、酒が唯一の安らぎという姿は私には敗北者にしか見えなかった。家族との団欒を得るための仕事が、家族の気持ちを引き離すものとなっていた。

 父は工場の現場責任者になっていたが、詳細は知らないが、工場長のミスを肩代わりして責任を取り、左遷させられたらしい。配転先は工事の現場監督で、工事先が替わるのに合わせ、遠方への長期出張や早出が多く、不規則な生活となっていた。

 私の就職が決まり、採用通知が届いた日はたまたま父が出張先から帰宅していた。採用通知を見て父は何を考えたか聞いてはいないが、戦争体験や戦後のどさくさなど、命を賭けて心身共に酷使してきた生活が、私の就職でやっと楽になると思ったのに違いない。

 翌日、父は再び遠方の現場へ朝早く出掛けていった。そして父は、工事現場で労務災害にあって命を落とし、二度と生きて帰らぬ人となっていた。正に仕事に全てを捧げる人生となってしまった。

 父の姿を見て仕事に対する考え方が確立されたとは思わないが、家庭や家族にまで仕事を持ち込むのはどうしても我慢がならなかった。仕事はあくまでも腰掛けで、勤務時間が終われば後は自分の時間との意識を強く持っていた。

 就職してすぐに仕事は一歯車として時を過ごせば何とかやっていけると分かった。食うための一時的な腰掛けで、新たな世界へ羽ばたくための踏み台だと決めていた。

 しかし、就職する前に全く予期しなかった事態に遭遇した。一歯車に徹するつもりで仕事に従事したが、歯車になりきれなかったのである。それは人間であった。人と人との係わりが仕事だと知ったのである。

 職場で友を得るのに時間は掛からず、友が一人増え、二人増え、大勢の仲間ができて、がんじがらめの交流が始まっていた。

 飲酒に始まり、駅伝、スキー、ドライブ、バレー、サッカー、そして組合活動と、いつしか職場の中心となって活動していた。それはけっして強制されたわけではなく、人との触れ合いのなかで情が生まれ、友や仲間を思う気持ちが自然の成り行きとしてお節介に駆り立てていた。正に「情に棹させば流される」である。

 お節介は結婚してからも少しも変わらず、特に労働組合との係わりは父の二の舞になりかねなかった。

 「我が道を行く」と念仏のように唱えているものの、結局は人間関係が大きな障害となって心身共に仕事に打ち込むようになっていた。仲間のために少しでも職場を良くしたいとの気持ちが働き、営業所の労働組合の闘士となって活動していた。

 それは形こそ異なれ、父の職場を思う気持ちとなんら変わらないものだったのかもしれない。会社は愛せなくとも仲間を愛し、職場を愛する気持ちが公私を越えて仕事に打ち込ませたのである。

 組合活動は時間が無制限で非常に負担が大きく、役員のなり手がいないというのが常であった。帰宅が遅くなるのは日常的で生活が不規則となり、時間的にも肉体的にも経済的にも大きな負担が強いられた。かつて父の生活がそうであったように、自分も仕事が人生そのものであるかのような生活になっていたのである。

 父と異なるところは会社に対して私は少しも野心を持っていなかったことである。会社に対し、戦いを挑んだが上司に不満を持っていたわけではなかった。お人好しが高じ、仲間に担がれて組合の役員になっていたので同僚ともすこぶる良い関係であった。だから職場では少しも不満を感じずに済んだ。苦労を共にする役員仲間との交流も友情を越えた絆ができ、非常に苦労の多い日々であったが非常に楽しい日々でもあった。

 私の家庭を顧みないような不規則な生活を妻は不動の寛容さで受け入れてくれた。私の激動する日々にあって、いつも変わらぬ柔和な笑顔で迎え入れてくれて疲れを癒してくれた。妻は幼い子供たちと決められたサイクルで生活を営み、愚痴一つ零さずに安らげる家庭を守っていてくれた。だからこそ安心して思いっきり仕事に従事し、組合活動に従事できたのである。

 家族との団欒の時間は短かったが、常に充実した気持ちで家族と接し、仕事の愚痴や不満を語る必要は感じなかった。むしろ、職場で大いに楽しんでいることを吹聴していた。仕事を家庭や家族に持ち込んでしまったが、それは自分の残してきた業績が自分だけのものではなく、家族の支えがあり、妻との二人三脚で初めて成しえたもので、業績を分かち合いたかったのである。

 労働組合の中心として五年間に渡り活動を続けてきた。組合を出世の足掛かりにする者や、身分保証として利用する者も少なからずいたが、私にとっては首を賭けた戦いであった。戦いは英知の鍔迫り合いで、論理性と政策性で、相手をどれだけ凌げるのかで勝負が決まり、常に管理者より上位にいた。自分の力で職場を動かし、ただ単に権利を主張するだけではなく、時代に即応して変化を求め、経営に参画していたのである。

 労働組合の役割は高度成長の終焉を迎え、大きく変わらざるをえなくなっていた。対立から協調へと方向転換され、自分の役割も終わったと強く意識し、役員を降りることになった。

 労働組合との係わりは心身共に酷使した重労働であり、「会社は腰掛けにすぎない」との考えと全くかけ離れた生活であった。しかし後悔はしていなかった。

 会社という概念での活動ではなく、あくまでも仲間意識の延長であった。利益は一切生じない無償の奉仕であり、自分の時間を自らの意思で、純粋な活動家として取り組んできたことを誇りに思っていた。私の活動は結果として会社にとっても有効に作用し、少なからず貢献してきたことも確かであった。

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人生はマジック 2002年2月1日

 何でも鑑定団ではないが、ガラクタとして捨てられていた物が、今は財産をなす貴重なお宝になっている。見向きもされずに邪魔物になっていたときと、世間にもてはやされているときと、何も変わらないガラクタなのに、あさましい人間の目は全く違ったものに見えてしまう。愛着を持って大事に保存されていた物ならいざ知らず、ゴミ同然のものを、おのれの審美眼で価値を決めるのではなく、わけも分からぬ情報に翻弄されてお宝と感じてしまう。逆に、思いをこめて大切にしているものであれば、世間相場が安価でも、限りなく価値が感じられるのも確かである。正に思いこみの世界で、絶対的な価値は存在しないのである。

マジシャンは観客の目を欺き、不可能を可能にしてしまう。観客に固定観念を植え付け、見えるものも見えなくして、不思議を作り上げる。観客はトリックを暴こうと躍起になり、マジックそのものより、怪しげな仕草に視線を向ける。マジシャンは人間の心理を利用して、トリックとは無関係な部分に視線を集めることをテクニックとしている。マジックの面白さは、マジシャンと観客の駆け引きにあり、思いこみを利用した心理合戦である。

エステティークの広告が毎週新聞折り込みで入ってくる。ダイエット効果について、ダイエット前と後の写真が掲載され、美しくなったことを強調し、女性心理に大きくアピールしている。毎週広告が入っているところをみると、宣伝効果が大きいということになる。果たして、ダイエットを意識している人が気付いているのか分からないが、掲載された写真は、利用前は正面に向いているが、利用後は斜めに向いている。人間の身体は横広にできていて、斜めに見れば当然細く見える。効果を強調するためのトリックであり、納得する人がいるのだから、正にマジックである。

 現代は情報が氾濫し、何を見聞きするにしても自分の価値観で見るのではなく、情報で見るようになってしまった。情報ソースは手を変え、品を変え、目先を変えて、消費者に幻想を抱かせることを目的としている。トリックのような情報と常に向き合って生活し、他から生きる術を学ぶことなく大人になってしまう。たとえまやかしの幻想だとしても、現実の生活では何も見えないのだから飛びついても仕方が無い。何も考えないで、生き甲斐として思いこめればそれでいいのかもしれない。しかし、トリックだらけの幻想はすぐに種明かしがされて、夢を見つづけるのは難しい。覚めてしまった後にいったい何が残るのだろうか。

 人間は現実に生き、幻想に生きている。人間には類まれな想像力があり、想像力が思いこみを作り上げ、幻想を成り立たせる。たとえ幻想でもベストの人生と思い続けられることが望ましい。ロボットであれば規格どおりに活動できるが、人間には持って生まれた個性がある。規格どおりにならないのが人間らしさで、他人の描いた規格品に満足できるはずがない。誰にも個性を生かした生き方があり、自らの想像力が作り上げた夢の世界なら、現実とどこまでも隣り合わせとなり、現実と幻想との二人三脚の人生が歩める。言い方を代えると、ロマンあふれる人生ということになる。

自分の人生は自分が主役である。主役は主役らしく、自分が最も輝ける人生を作り上げていくべきである。人生は自らが作り上げていくもので、それぞれの人間がそれぞれに主役になろうとしており、成り行きや、他力本願ではいつまでたっても主役になれない。演劇では一人芝居が成り立っても、現実には、家族、友人、恋人、仲間、同僚など、人間関係があって初めて成り立っている。自らの存在価値を見出すことが主役になることで、価値観を同一にできる相手がいなければ存在の意味がない。人間関係をいかに作り上げていくかが人生を築くことになり、家族であれ、友であれ、恋人であれ、伴侶であれ、同じ幻想を抱ける存在を得ることが、人生の達人になるための第一歩ということになる。

人生はマジックみたいもので、どんなトリックを使おうとも幸福でいられればいいのである。人間の目は心に連動しており、心の持ちようで見えかたが全く違ってくる。ガラスのダイヤも思いがこもっていれば、本物に勝る輝きが感じられる。顔立ちや体つき、学歴や役職、資産のあるなしで人間の価値を決めたがるが、人生の価値を決める目安にはならない。美男美女、大金持ちばかりが幸福になれるわけではなく、むしろ、恵まれていることが驕りに繋がり、高慢な人間では少しも魅力が感じられない。ごくごく普通の人間でも、互いに一番相応しい相手と思えることが大事であり、相手の欠点を洗い出すより、魅力を引き出し、相手を思いやるという実に簡単なトリックで、最高の人生が築けるのである。

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『時の旅人』・第五部「時の旅人」・一、時の旅人より

妻の瞳は様々な顔を持ち、夫を気づかう妻であり、子を思う母であり、時として悪戯好きでいこじな少女であったり、子犬にもおののく臆病な天使であったり、腕白も優しく包み込む寛容な女神であったり、私が差し向けた台詞に呼応してその時々で役所が変化していく。

 妻の瞳は時として私を幻惑し、翻弄し、魅了する。衣装や化粧はけっして高価なものではないが、妻の瞳が輝きはじめると安価なものが際立って感じられ、他人の目にいかに映ろうとも、私の目にはこの上無い愛しい妻に映るのである。

 妻を語ることは我が人生を語ることでもあり、夫婦として過ごしてきた幸福な二十五年を振り返ることは、新たな人生を築いていく上での示唆がある

 妻の髪は、ふだんは染めているので目立たないが、白髪が大分増え、歳相応に小皺も増えてきた。夏の暑い盛りに散策に引っ張りだしているので日焼けをし、色っぽさは少しもない。散策の効用で身体は大分しまって足取りは軽くなってきているが、食が進み太るのが気になるところである。小柄で中肉、人込みに混ざると目立たない存在でそれを本分にしている。

 人の顔は常に変化をしており、体調や精神状態、季節、時間帯、雰囲気などで本人自体が変化し、見る側も同様でその時々の条件で顔が違ってみえる。同じ人間なのに同じ顔を見せることはなく、千変万化様々な顔を見ることができる。

 特に見る側の心持ちで「あばたもえくぼ」になり「えくぼもあばた」になる。相手を思う気持ちが深くなればなるほど、他人から見て何の変哲もない人間が特別に見えてくる。逆にどんなに美しい者も、見る側の気持ちがそっぽを向いていたのでは醜い顔に感じられてくる。

 身体は着飾ることでいかようにも変化をつけられようが、衣装だけが一人歩きして、顔はどんなに念入りに化粧を施しても誤魔化しがきかない。人の心と相まって初めて引き立つもので、心の化粧をしないかぎり美しさを際立てるのは難しい。顔は人生によって創られ、人と人との関係で創られる。

 妻の「顔つき」は私に責任がある。私の顔も妻に創られ、夫婦がお互いに顔を作り上げてきたと思っている。持って生まれた「顔立ち」は、整形手術でもしないと変えようがないが、時に刻まれて創られる「顔つき」は人生そのものを表している。

 いつも柔和な妻の顔つきは本人が持って生まれた性質もさることながら、妻の長所を殺さずにより際立たせたのは私の影響であり、妻に与えた環境がより良いものだったと自負している。理想とはいかなくとも妻に対する愛は誰にも劣らぬつもりであり、愛すればこそ精一杯尽くしてきた。妻がいつまでも優しさを滲ませていられのが、その証だと思っている。

 夫婦がいつまでも気持ちを合わせて幸福な日々を続けていくのは奇跡に近い。二十五年も一緒にいればお互いにくたびれきった関係になり、そっぽを向き合ってしまうのが通常なのかもしれない。幸いにも未だに妻が堪らなく可愛いと思う。全く客観性のない心の眼で見た思い込みの世界かもしれないが、笑みを湛えた瞳が、優しさに満ちた横顔が、あどけなさの残る仕種が、私の心をいつまでも捕らえて離そうとしない。

  妻との二十五年間、全く波風が立たなかったと言っては嘘になる。それはお互いをより理解するための試練であり、お互いを磨き合うための葛藤であった。新婚時代よりも時を共に刻むのに従ってお互いの理解が深まり、結びつきは一層強まってきた。五年よりも十年、十年よりも二十年と、お互いの存在感が高まり、歳を取っても若いころにも増して愛しいと感じられる。

 毎日顔を付き合わせている妻が最愛と感じられるほど幸せなことはない。妻が特別とは思わない。自分も特別ではない。ごくありふれた夫婦が、ごく当たり前の人生を自然体で歩んできたのに過ぎないのである。お互いを必要とし、お互いを大切にし、最愛、最良と思い込んでいるに過ぎないのである。

 「夫婦だから」と言って安易に甘えて横着になり、お互いの関係をないがしろにしたのでは結婚の意味がない。夫婦だからこそお互いの気持ちを大事にし、夫婦だからこそ精一杯付き合っていく必要がある。

 愛し合って結ばれた夫婦なら、気持ち次第でいつまでもお互いが魅力的に感じられるはずである。相手の魅力が失せたとしたら、それは自分自身に魅力がなくなったと言うことでもある。お互いに影響し合って魅力に磨きを掛けていければ、常に最愛の相手と一緒にいられることになる。それは又、愛し合って結ばれた夫婦ならごく当たり前の成り行きのはずである。

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