我ながら名言録200-2013年版

 2005年の5月にデジタル一眼レフカメラを購入、昆虫撮影が本格的になり、探索日数が格段に多くなり、撮影枚数も格段に多くなって、昆虫に係わる時間が格段に多くなった。写真撮影時間が多くなると、写真編集に膨大な時間を要し、ホームページに掲載するにも膨大な時間を要し、不明昆虫の名前の割り出しにも膨大な時間がかかった。以前は、時間があると日記に、気象歳時記の他に評論や随筆を書くようにしてきたが、2005年5月以降はほとんど長文は書かなくなってしまった。

2014年6月3日

 

2005年

2月5日(土)の日記より

 最近、親子と言うのは似るものだと、つくづく感じたことがある。

 我輩の働く職場は空調設備が完備し、夏は冷房、冬は暖房と、室温は常に程よく保たれている。空調設備も進化して、温度のみならず、湿度調整ができるものもある。仕事場も湿度調整がされているはずなのだが、目盛りほどの効果はなく、冬場は異常乾燥してしまう。

 新しい職場に就いて初めての冬を迎え、環境の変化から異常乾燥に適応できず、12月の初冬に喉を痛めてしまった。最近は風邪を引いたことがなく、風邪を引いても鼻風邪で、喉を痛めると言うことは、まず無かった。明らかに乾燥が原因で、加湿器の必要性を感じた。

我が家では何年か前に、加湿器を散々利用したことがあり、3台も取り揃えていた。その後、環境が良すぎて、かえって抵抗力が無くなり、外で風邪をもらってくる回数が多くなってしまったので、加湿器は押入れの奥で眠ったままになっていた。喉を痛めたことで、加湿器の存在を思い出し、会社に掛け合って、手持ちの加湿器を持ち込むことにした。加湿器の効果は絶大で、以来、喉が痛くなることはない。

先日、長男が、余分な加湿器がないか聞いてきた。息子の職場も異常乾燥していて、加湿器を置きたいとのことだった。家でも加湿器を使うようになったが、1台使用しているだけで、もう一台余分があって、持っていくのを了承した。

加湿器のみならず、我輩は個人所有のものを仕事に使うことが多くあり、息子も同様で、仕事の効率性を高めるためには私物を使うことに躊躇は無い。公私の区別を付けることは肝要であるが、世の中、物余りがひどく、我が家の加湿器同様、箪笥の肥やしならぬ、押入れや物置の肥やしになっているものが、大量にあるはずだ。業務で必要なものは会社で用意するのが本当だが、多種多様なものが世の中へ過剰に出回っており、これ以上の浪費はできるだけ避けるのも、時代の必要性になってきているのではなかろうか。

 職場や仕事を大事にしたいと思うと、息子も公私関係なく、私物を有効活用しようとする意識は、親子そっくりである。親を真似たのか、持って生まれた個性なのか分からないが、日常の言動も、似たもの同士であることは間違いないところである。

 

2月12日(土)の日記より

 野鳥の森へ写真撮影に出かけた。先日行ったときに、鷹が木に止まっているのを見つけ、止まり木になっていると予想し、今日もそこへ行ってみた。予想通り鷹を見つけ、写真撮影の準備をしたのだが、人間様がやってきて邪魔をされてしまった。最初は、我輩が姿を隠してカメラを構えているところに、自転車に乗った人が寄ってきて話しかけてきた。木陰に入って話してくれるのならいいのだが、鷹から見えるところでいつまでも立ち止まっていて、中々立ち去ってくれなかった。幸い鷹は残っていてほっとしていると、今度は犬と散歩をする人がやってきた。我輩が写真撮影をしているのは分かっているはずなのに、あろうことか、鷹から見える場所に出ると、犬を追い立てるように足をばたばたさせたのである。これにはさすがの鷹も、飛び去るしかなかった。両者とも60歳を越える男性で、ごくごく自然に振舞っていたのだろう。現代の老練な大人たちに、カメラマンの事情を理解しろと言うのは無理なのかもしれない。

 

3月28日(月)の日記より

 久々に結婚式に参加して酒を飲んだ。酒は飲めるほうではなく、晩酌の習慣など無論なく、付き合や行事でも縁が薄い。アルコールを口にするのは年に数えるほどで、飲むと気分が悪くなることが多い。大阪での結婚式で、おめでたい席ではあったが、帰宅のことを考えて控えめに飲んだつもりだった。ところが、軽いつもりで飲んだシャンパンが影響したのか、式の途中から気分が悪くなってきた。酔っていると言うより、風邪でも引きかかっている感じで、視界が狭まっていった。鼓動に合わせるように頭が重くなったり、軽くなったりして、いたたまれなくなり、席を立った。トイレに行っている最中に、脳裏にあるテレビ画面のような意識が次第につぼまってきた。それは映画で見る、ロボットの意識が閉じていくのと同じようで、完全に閉じる瞬間、これで全てが終わってしまうのかと自分に言い聞かせていた。これが死ぬということなのだろう認識し、親戚のものに呼び起こされるまで全く意識が途絶えていた。正に失神してしまったのだが、全く初めての経験で、気が付いたときには、自分の意思を離れて心身ともにコントロールできなかったことに対する屈辱と驚きが交錯した。10歳くらいのときに木の枝に飛びつこうとしてしくじり、頭を打って気を失ったことがあるが、そのときは意識を失う前兆を全く感じなかった。気を失うという経験を持つ人間がどれだけいるのか分からないが、失神する条件や場所によっては非常に危険な状況となり、死へ通ずることもあって、誰でもがそう簡単に経験できるものではないと思う。今までにも酒の飲みすぎで寝てしまったことが何度かあるが、それは寝ることを意識してのことで、意思が伴っていた。今回のように時間をかけて意識が失われていくと、死を実感するのではなかろうか。結婚披露宴が始まったのは1時半で、結婚式挨拶におけるタブーをことごとく無視した挨拶が延々と続き、実際に宴会が始まったのは2時半を過ぎていた。朝食を取ってから6時間半を越えて極度のすきっ腹となっていた。今回の失神騒ぎはあくまでもアルコールが原因だろうが、他に原因があるのではないかと非常に気になった。けっして好ましい経験ではないが、貴重な経験だったことは確かだ。

 

4月2日(土)の日記より

 それほど無理をしたつもりはないのだが、ここにきて疲れが出てきた。一定のペースで生活していれば問題ないが、所用でペースが崩れたりすると途端に疲れが溜まる。年齢的には生活安定期であり、社会が安定していれば、日々決まったことを決まったとおりに時間を過しているのであろうが、社会の変革期がやってきて、それは崩壊へと傾倒しており、おのずから生活の変化が必要となっている。今年で56歳になるが同年代の犯罪が多発しており、生活の変化に対応できずに犯罪に走っている者が少なからずいるのではなかろうか。50歳を過ぎて変化に対応するには若者と比べて時間がかかり、気長にやらねば淘汰できず、しくじってしまうのである。我輩の生活はここにきて、変革から脱却して安定期に入りつつあり、不安定な生活を誘発するような活動は差し控えねばと、老化を意識しながら言い聞かせている。

 

4月15日(金)の日記より

 デジタル一眼レフカメラに興味を持ち、しばらく前から購入を検討してきた。デジタルビデオカメラとデジタルカメラは持っており、被写体によって使い分けして、運良く面白い写真が一杯撮れた。昨年の秋から長男が仕事でデジタルカメラを使うようになり、デジカメが自由に使えなくなってしまった。ビデオカメラでは写真機として不足があり、どうしてもデジカメが欠かせず、新たに購入する必要が出てきた。しかし、同じものを買っても仕方がないと言うことで、デジタル一眼レフカメラに照準を合わせ、何度か見て回った。機能的な部分は実際に扱ってみないと何とも言えないが、デジカメに比べて桁外れに値段が高く、果たして価値があるのか大いに悩むところであった。今日も見に行って、店員と値段交渉したら、予想以上に安かった。必要なものを全部そろえると、当初14万円ほどかかると見ていたが、レンズ2本のセットで12万円を切る価格が提示された。カードでも現金でも同じだったので、思い切って買ってしまった。安いか高いかは、これからどれだけ有効に使うかにかかっている。今回知ったことは、バッテリーやメモリーがデジカメに比べてぜんぜん安いということだった。メーカーによって異なるのだろうが、電気屋と写真屋とのコンセプトの違いなのだろう、電気屋は本体の売値を下げて周辺機器で儲けようとし、写真屋は本体を高くしても周辺機器は安価に押さえている。いずれにしても、高価なものを使うのだから、今まで以上に面白い写真を撮るしかないのである。

 

9月9日(金)の日記より

 我が家では隣接した場所に駐車場を借りており、もうじき15年になる軽自動車を置いている。悪戯されることを想定して貴重品は置かないようにしているが、人の出入りが多いところで、比較的安全な場所だと思っていた。ところが、昨夜から今日の明け方にかけてバッテリーの盗難にあった。車上は荒らされておらず、同車種の持ち主がバッテリー上がりに困って、我が車のバッテリーを狙ったと思われる。当然近所の人だろうし、バッテリーだけしか手をつけていないところからすると、盗賊は罪の意識が希薄で、むしろ良心的と思っているのではなかろうか。世の中全般、自分の都合で犯した罪に対して、何が悪いのか理解できない人間が数多くいることは確かである。

 

2008年

6月28日(土)の日記より

 節約と言いながら、外食をしており、我慢のしどころと自戒している。最近できた和食レストランで食事をしたが、大変な賑わいで、早めに行ったのでたいして待たずにテーブルにつけたが、帰る時間には大勢の人が順番を待っていた。人気のあるお店であることは確かだったが、料理の評価は、少しもおいしくないである。なぜ人気があるのかは、お店の雰囲気とすぐに分かり、味よりも雰囲気で食事をする人がいかに多いか実感した。日本の社会全体が中身の薄いまやかしだらけであり、本物指向とはとは程遠い。

 まやかしがまかり通るのは、生活の基本である家庭もそうである。企業本位の情報に振り回されているのは、男以上に女たちで、浪費経済の申し子となっている。家族崩壊、家庭崩壊が時代の成り行きで、多くの子供たちがその犠牲になっている。犠牲の積み重ねが犯罪へと結びつき、多くの若者が暗たんたる人生から逃れられなくなる。特に大人への階段を上り始める少女はどこまでも閉鎖的な生活に追いやられ、自分らしさ、生活の知恵を知らずに形だけ大人となってしまう。

 まやかし論が机上の空論とならないように、今日はジョギング途中、ちょうど大人の階段へ踏み出そうとする二人の少女に声をかけてみた。二人とも子どもっぽく見えて、中学生かと思ったら高校1年生だったが、素直に話しに乗ってきた。自分らしさについて問うと、現状では自分らしさを見出すのは不可能と返ってきた。自分の可能性を最大限引き出して自分らしくなりたいとの強い願望があり、それをさせてくれないのは親、特に母親とハッキリと答えた。前段で述べたまやかし論を全面的に肯定され、延々と1時間半以上話すことになった。親と言う障害を乗り越えるのは自分自身の力と言って励まし、縁があったら指導をしてあげると約束して、どこまでも素直な二人の少女と別れた。救いを求めている子供たちで溢れていると、改めて実感した。

 

10月15日(水)の日記より

 午前中、女房殿と買い物がてら、少々遠出をして、外で昼食をとってきた。前々から目を付けていた店で、パンをメインとしたレストランだった。実際に行ってみると、ケーキの食べ放題が売り物で、女性客が大半を占めていた。予定外のバイキングで、取り放題の食べ物を見ると、わずかにパンとパスタ、サラダがあるだけだった。初めからがっかりさせられたが、昔はケーキ党だったので、割り切って、何切れか食してみたが舌が拒否反応を始めて、後は日本茶を飲んで、女房殿が食べ終わるのを待っていた。

こんなことを言ったら怒られてしまうが、ケーキ食べ放題で満足する舌は正常とは思えない。さらに怒られてついでで付け加えると、正常な姿をした女性は少なかった。以前から偏見を持っていて、多くの女性は舌で味わうのではなく、情報や雰囲気で味わっており、女性客が多く集うレスラランは、必ずしも美味いとは限らない。首をひねりたくなることが多かった。

 

10月16日(木)の日記より

 熊谷近隣、旧吹上町の荒川周辺では、毎年何百万株ものコスモスが植えられ、彩り鮮やかなお花畑が出現する。今日の午後、時間が取れたので女房殿と3年ぶりに見学に行ってみると、今年は八百万株とうたわれ、台風や大雨の影響を受けなかったので、広大な敷地に数限りない、コスモスが咲き誇っていた。念のために、主だったコスモス畑は見て回り、思い存分楽しんできた。女房殿と、帰りしなに率直な感想を述べ合ったが、10年ほど前に初めて訪れたときの感激は、湧いてこないとの評価だった。昔の植え付け株数は百万株前後だったと記憶しているが、それでもすごいと、大いに感激していた。ごく身近に見られるので一層ありがたみを感じ、毎年見学に訪れるようになった。しかし、飽きが来たらしく、シーズンに何度か訪れたのが1回になり、2年前にはコスモス畑の存在すら忘れていた。

 昨日のケーキの話でも述べたが、人間と言うものは我がままで、どんなに価値あるものも永遠に有難味が維持されるわけではなく、物があふれる時代では物の価値が薄れてしまう。地球温暖化や、資源の乱用など、物を溢れさせてはいけない時代に来ている。原油高や株価暴落、大手企業の破綻など、富める者のマネーゲームが危うくなり、今先進各国で取り組まれている政策は、資産家保護である。資産家の横暴が地球を危うくしているにもかかわらず、政治家たちは資産家の利権代表として平然と政治を執行している。選挙民が選んだ政治家であり、地球号の瓦解を、ただ指をくわえて待つしかないのだろう。

 

2009年

1月1日(木)の日記より

 あっとう言う間に新年となって、目出たいと思うことは何も浮かんでこない。世の中、不景気で貧困に見舞われた人が少なからずおり、富裕層は決して損をしない仕組みとなっていて、益々富の集中が進み、貧富の格差は常軌を逸している。日本人の特性と見るより、人間の愚かさが新たな歴史を作ったと言うべきだろう。歴史的に多くの過ちを犯してきて、当然過去を踏まえて物事を考えていくべきなのに、未だに何の反省もなく過ちを繰り返している。バブル経済は、正に富の集中を促進する悪徳経済であり、日本の経済が破綻する前触れでもあった。労働待遇の悪化が顕著になっていたにもかかわらず、民営化論を伝家の宝刀の如く掲げる執政政党が大勝するという、選挙民の愚かさを露呈して、どうにもならない状況となった。国民の愚かさが全てに繋がっていると、肝に命ずる必要がある。

 最悪な社会状況にありながら、お天道様は我が道をいくで、新年は比較的穏やかな天気で迎えることができた。西高東低の気圧配置で、関東地方でも強風が吹き荒れると思っていたのだが、それほど風の影響が無く、日差しがはたっぷりと降り注ぎ、最高気温は10℃を越えた。朝夕は寒いが、冬なのでごく当たり前の陽気であり、この冬は氷点下になることが少なく、暖冬傾向である。寒いのが嫌いで愚痴が出てしまうが、大変過ごしやすい日々を送っている。

 

2月13日(金)の日記より

 今日は一年ぶりにスキーに出かけた。スキーと言っても息子のスノボー撮影が目的で、写真とビデオ、両方撮ってきた。朝から風が強く、スキー客が少ないこともあって休止するリフトが多かった。ゲレンデコンディションはそれほど悪くなく、初めて試みた写真撮影は、連写の機能を使って600枚近く撮影し、中には満足いく写真があった。デジタル一眼レフの機能を有効に使うと、貴重な写真が数多く収集できる。

 

9月16日(水)の日記より

 今日は政権交代の日で、鳩山総理大臣が誕生した。今まで自民党が出鱈目をしてきて、それを立て直すのは至難の業と思うが、閣僚たちが私利私欲を滅却して人間らしく取り組めば、元がめちゃくちゃだから余計に変革が容易で、メディアが騒ぐほど難しさはないと思われる。一番のポイントは、地産地消を基本に地域の活性化にどれだけ力を注ぐかである。経営者や投資家の私利私欲が律する社会から、国民主体の人的力に価値を置いた社会にすることが望まれる。鳩山政権の船出は、今日の天気のように青く澄み渡っている気がする。

 

9月27 日(金)の日記より

 今日は朝から曇り空で、暑さを感じない陽気となった。家族で横浜へ出かけ、午後に時々日差しが出たので、熊谷も同様ではなかったかと思う。半袖姿で出かけたが寒くもなく、暑くもなく、ちょうどいい服装となり、過ごしやすい一日と言える。横浜へ行った目的は中華街で夕食をすることで、東京暮らしをする二人の息子を伴って、家族水入らずで、全13品を注文し、料理の判定をしてきた。我が家では昔から数多く旅行をしてきて、北は北海道から南は長野まで色々な食べ物屋を訪れ、ミシュランの星の格付けのように、家族が美味しさを納得した店だけが思い出として深く刻み込まれてきた。今日の中華料理は我が家の三ツ星とはいかなかったが、中華料理の何たるかを堪能してきた。今日は横浜開港記念イベントの最終日で、人手が多く、有名店では列を作ると聞いていたのでどんなことになるかと思ったが、この不景気に、一人五千円を下らない高級中華に飛びつくのは、どうしても制限されてしまい、列を作る中華料理屋は一軒も見当たらなかった。我が家は年金が出るようになったので、話の種に出かけてみたが、交通賃や土産物代などを含めると四万円かかり、女房殿は、いくら年金が出たからと言って、調子づいて出かけるのはしばらく中止と、宣言をした。

 

10月19日(火)の日記より

 今日は秋晴れに誘われて、熊谷近隣のコスモス見学に出かけた。元は吹上町として、荒川周辺に広大なコスモス畑を作り上げ、株数400万と公表していた。台風18号の影響はどうかと心配され、実際に横倒しの株が多く見られ、花付きも物足らなかった。吹上町は鴻巣市と合併して2年ほどになり、合併した影響か、コスモスに対する力の入れ方が大分弱くなった感じである。鴻巣市として色々なイベントがあり、バランスも考慮されて縮小されたとも考えられる。行政改革の一環として多くの市町村が統廃合され、より効率的な行政を目指したのであろうが、住民が果たして、納得し、満足しているのだろうか。地域の活性化が日本再生の特効薬であり、民主党に政権が替わったので、少しは実行の奏する施策が見えてくると期待したいが、地域行政が利権の巣窟となっている以上、変わりようがないのかもしれない。

 

11月27日(金)の日記より

思うように何事も進まない中で、年金が出たのでゆとりができ、女房殿と蕎麦行脚と洒落込んで、近隣の蕎麦屋を巡り、本日をもってほぼ回り切った。熊谷と言うのは、地元の者同士で話しても美味い店の名前が出てこない、何とも寂しい町であるが、インターネットや何とか聞き出した情報をもとに食べ歩いてみた。8軒ほど食してみて、3星まで付けられる店はなかったが、それでも蕎麦打ちの難しさなどが推察でき、ランク付けと、麺を楽しむことはでき、女房殿と蕎麦行脚が完遂できたことを讃えあった。

 

2010年

4月1日(木)の日記より

 注文してあったデジタル一眼レフカメラが届き、取扱説明書に従って色々と操作してみた。古いデジタル一眼はちょうど5年前に購入、デジタル一眼が脚光を浴び始めた頃である。5年間使ってきて、以前使っていたデジカメと比較、極めて良好と感じてきたが、デジタル一眼も日夜進化し続け、古いものと比べると遥かによくなっている。まだ実際に撮影していないので、真価についてはこれから見極めるようだが、1か月前に購入したデジカメと併用すれば、古いデジタル一眼カメラは不要になってしまいそうである。

 

8月4日(水)の日記より

 この暑さの中、昆虫撮影を控えるはずだったのだが、夏場の閑散期を確認する意味で探索してみると、思わぬ出遭いが次から次へとあり、控えめがいつしか普段通りに出かけていた。春から6月上旬までは特定な花を意識しなくとも多種多様な昆虫と出遭えたが、6月中旬ぐらいから虫の集まる花が乏しくなり、ある程度場所が限定されてきた。偶然知ったのだが、今年はセリの仲間のヤブジラミに、ハチを中心に虫が数多く集まるのを目撃、半月ぐらい通ってみると膨大な成果があった。今まで全く手をつけなかった地域だったので、大いに悔やまれた。

 2005年頃は特定な場所へいけばある程度成果があり、成果が無くなると季節性のものと諦めていた。2008年に河川敷の管理が別業者となり、管理方法が変わって、雑草などの刈り込みがほとんどされなくなってしまった。自然のままと言えば聞こえがいいが、昆虫も人間の作り上げた環境に適応し、雑草の生い茂る場所は蚊や蜘蛛などの限られた昆虫を除いてほとんど姿が見られず、発生場所が大きく変わってしまった。いつもの場所ではほとんど成果が無くなってしまい、探索場所を広げて、虫の集まりやすい場所、大方雑草が少ない開けた地域に立ち寄るようになり、成果が上がるようになった。

 2010年は最初から虫が集まりやすい何ヵ所かを巡回するようになり、かつて無いほどの成果を得てきた。その中で分かったのだが、蝶やセイヨウミツバチ、特定のコガネムシなどは花が咲けばどこでも姿を見せるが、他は、どちらかと言うと白色系を好み、ヤブジラミやニラなどが咲き始めると溢れるように集まってくる。夏場ではヤブガラシ、コマツナギ、クズなどにハチを中心に多く集まってくる。菊の仲間のヒメジョオンは一年中咲いているが、極限られた虫しか集まらず、他のキクにも意外と集まらない。

 管理の変更に伴い、虫たちの棲息場所の変化を知ったために、効率的な探索方法を確率することができ、しばらくは行き詰まりを感じないで、昆虫撮影に勤しむことができそうである。

 

2011年

1月31日(月)の日記より

 今朝も厳しい冷え込みとなり、熊谷では氷点下4℃を切った。午前中の天気予報を見ると、さいたま市では氷点下5℃を切って、さらに厳しい寒さだったようだ。埼玉でも県南の天気は東京型に近く、暑さ、寒さも熊谷より平均化していた。ところが昨今、県南でも県北に近い気候となり、夏は猛暑日日数が熊谷並みとなり、冬の最低気温が氷点下になるのも熊谷並みになっている。この辺の気象変化がどんな意味があるのか、全く解せないでいると、知人に、皇居周辺のヒートアイランド問題で、東京駅周辺の建造物が影響、一部取り壊しや、改築などが行われ、風通しがよくなったと聞いた。海風によって押し出された空気が埼玉県南方面に押し寄せ、熊谷と同じような気象状況になっていることも想定される。冬場は晴天率が高まり、放射冷却現象が強まって朝の気温低下が激しくなり、夏場は熱風が吹き寄せ、気温上昇の要因になっていると思われる。いずれにしても、地球温暖化が災いしている。

 

4月18日(月)の日記より

 『ブランデーの味わい』

 先日知人と飲む機会があって、久々にワインを飲んだ。以前にワインを飲んだこともあったが、それほど美味いと感じたことは無かったので、晩酌など習慣になることはなく、最近はアルコールに縁が無かった。知人に何種類かのワインを勧められ、じっくり味わってみると、ワインにはそれぞれの個性があり、口当たりの良し悪しを少しは味わうことができた。フランスとイタリアの白、赤三種類試飲し、フランス産の白が口にあった。だからと言って、晩酌を始めようとは思わなかった。

 我が家には20年ほど前から貰いもののブランデーとウイスキーが置いてあり、味が変わってしまうのではと、酒通の知人に訪ねると、問題は無いということで、ワインのお返しに手持ちのブランデーを献上することにした。背高のXOと表示の有るブランデーを書棚から引っ張り出し、袋に入れようとすると落してしまい、栓のガラスが欠けてしまった。老化が原因か、最近ものを落としてしまうことが多く、今回はほとほと気になった。知人には他のブランデーを献上し、落としてしまったブランデーは蓋が破損しただけなので中身に影響は無く、勿体ないので、試しに寝酒で飲んで見ることにした。蓋は無難に取り外せて、ワイングラスに芳醇なブランデーを注ぎ、じっくりと味わってみた。

 アルコールはどれも付き合いで飲むだけで、楽しむと感じたことは限りなくゼロに近かかった。今回も仕方なしに始めた寝酒だったが、意外と旨味を感じることができ、5月に62歳になる人生で初めての味わいとなった。ワインも思った以上に美味しく飲め、ブランデーはさらに美味しく飲め、少し損した気分になった。今まで酒を習慣化しなかったことを悔いることは無いが、我が家の20年物のブランデーを飲み切るまで、寝酒を続けてみようと思った。

 

9月3日(土)に日記より

 昨日と同じような天気だったが、雨の回数が多く、雨風が強くなることもあって台風を感じさせた。台風12号は当初の予想より西寄りにコースを取り、午前中に高知県、午後には岡山県に上陸し、四国、近畿に大きな被害をもたらしている。関東地方も山沿いを中心に大雨となって、高速道路などの通行止めが相次いだ。熊谷だけを見るなら、昨日、今日と降雨量は予想より少なく、災害発生までには至らなかった。台風に関してはもう何年も大きな影響を受けておらず、地震に関しても比較的影響が少なく、幸運に感謝する一方で、つけが回って、とんでもないことになりやしないか、常に不安がよぎる。荒川は山沿いの大雨により、水位がかなり上がっていたが、午前中、雨が降っていなかったからか、河川敷のグランドで多くの老人がゲートボールに興じていた。雨の降り方でいつ冠水するか分からない状況で、大会の中止ができない、現代の老人気質を思い知らされた。落語の世界では、御隠居さんが「近頃の若いもんは」と言って、うんちくのある小言やお説教をしているが、今は「近頃の年寄りは」と言って、小言を言いたくなる。

 

9月5日(月)に日記より

 昨日より台風の影響は少ないと見ていたのだが、未明から本降りの雨となり、朝と午後は雨が中心で、夕方からは間断なく降り続いた。朝の気温が低く、日中も30℃を超えることなく、この三日間と比べると涼し目に推移した。台風12号は日本海側に抜けて低気圧に変わり、風は大分収まった。12号に替わって13号が接近してきて、東北から北海道方面に大きな影響を及ぼしそうである。牛インフルエンザで九州方面を震撼させ、東日本大震災で東北から関東を震撼させ、梅雨の豪雨で新潟、山形を震撼させ、台風で近畿を震撼させ、明日からは北海道を震撼させそうで、日本全国沈没しそうな状況である。とっくに財政破綻はしており、今までの経済体制では国家再生の道は開けるはずがない。にもかかわらず、今まで同様に利権を絡めて運営しようとする無神経さに、具の音も出ない。

 

9月26日(月)に日記より

 日本列島から離れていた秋雨前線が太平洋沿岸に近づき、関東地方も前線の影響を受けて、今日一日どんよりとした曇り空となった。昨夜から気温が下がって、今朝は15℃を切り、日中も日射しが無いので20℃を切って、肌寒い一日となった。衣替えが済まないうちに夏物が不要となり、当座の秋物衣類を引っ張り出し、慌てて入れ替えた。夏物を整理する暇がなく、押し入れに積み上げて何とか帳尻を合わせた。

 9月は、前半、後半に台風が襲来して荒れた天気となり、中盤は残暑の域を越えた真夏日とって、自然界はこの時季本来の姿を見せなかった。何度か荒川河川敷を探索、撮影を試みたが、成果に乏しく、昨年に引き続いて夏場以降昆虫は激減する結果となった。そろそろシーズンオフを意識して撮影に出かけてみると、面白いことに、河川敷の市民が耕作する畑地周辺では昆虫の数が多く、管理の行きとどかない、雑草の生い茂った草地や森などではほとんど姿が見られなかった。

2009年以降、河川管理の委託先が替わり、除草が充分に行き届かなくなり、特に森など、開けた場所が少なくなったことで、溢れるように見られた虫たちが極端に少なくなった。自然界のほとんどが人間の手が加えられて、放置された空間が少なくなり、多くの生き物が人間の管理する環境に適応してきた。生態系は適応と切っても切れない関係にあり、今まで管理されていた地域が放置されて雑草に支配されると、せっかく適応してきた生き物が追いやられることになる。今日はその現実を目の当たりにすることになった。

 

10月9日(日)に日記より

 朝夕は曇ったが日中は青空が広がり、秋晴れを楽しめた。巷では三連休であるが、我輩の仕事は休日が中心で、土、月は勤め、今日は休みだったので、食事や買い物を兼ねてドライブをしてきた。熊谷は15年来景気が悪く、町全体が停滞気味だったが、ここにきて、通勤時間帯の交通量が多くなり、仕事が増えて、幾らか景気が上向いているのかもしれない。買い物をしていても最近は混雑してきており、金回りがよくなっている気がする。自分から見ると、安い給料なのに税金や保険関係でがっぽり引かれ、手取りは極めて少なく、地域経済に活性化には少しも貢献できないでいる。同様な人が多くおり、景気低迷の大きな要因になっている。バブル時代から、内需拡大が、内外から強く求められていたのに、富の集中に政財界一体となって悪巧み、資産家や政治家が、正に泡銭をしこたま抱え込んでしまった。国会では災復興費をどう捻出するか、頭を捻っているが、今の社会の仕組みでは絶対に展望が開けない。資産で動く社会から、労働力で動く社会に向けて、地域の独立性を高めるしかない。

 

2012年

7月25日(水)の日記より

 気温は猛暑日に至らなかったが、湿度が高く、最も夏らしい蒸し暑さで、不快な一日だった。猛暑日でも空気が乾燥していると室内にいれば暑さは大分軽減され、体感とデータの違いが実感できる。熱中症は、気温より不快指数が高い方がかかりやすく、今日は関東地方でも大勢の人が熱中症で救急搬送されたようである。そんな中、熊谷河川敷グランドで高校女子ソフトボール大会が開催されていた。高校野球と同様、女子ソフトボールも危険極まりないことを、何の躊躇いもなく行なわれており、熱射による皮膚病など、女性の一生にかかわる問題も包含され、指導者の見識の無さに腹が立つと同時に、学校の本来の役割が果たせないのも無理からぬことと、頭が痛くなる。

 

11月13日(金)の日記より

 昨日、今日と群馬、四万温泉旅行をしてきた。平野部では天気の崩れはなかったが、昨夜から山沿いでは雪となったようで、四万では雨が降り、朝のうちも小雨が残った。雨が降った分、朝の冷え込みは緩く、9時ごろに動きだしたが厚着は不要だった。紅葉狩りを目的で、吾妻峡へ行ったが、八ッ場(やんば)ダムの関係で、吾妻川沿いは道路工事が大々的に行われていて、吾妻峡の散策道には入れなかった。紅葉は期待通りだったが、新しく掛けられた橋上から見下ろすだけの、物足りない見学となった。以前は草津に出かけることが多く、国道145号を何度も走ってきたが、久々に通ると、川原湯温泉周辺は新たな道、新たなトンネル、新たな橋が数多く作られて、走っていると、どこにいるのか分からなくなってしまった。膨大な赤字財政の中、膨大な費用が工事に注がれと思うと、民主党新政権、鳩山内閣時代の事業仕分けが懐かしく感じられる。

 

12月9日(日)の日記より

 今朝は冷え込んで、熊谷の最低気温は氷点下2℃まで下がり、この冬一番の寒さとなった。午前中はそれほどでもなかったが時々風が強まって、寒気が絶えず流れ込み、晴天でも気温が上がらず、最高気温は10℃を切り、一日を通して本格的な冬模様となった。夜には風が弱まり、昨日に引き続いて満天の星空となった。50年前の話をするのは無意味かもしれないが、当時野中の一軒家に住み、風を遮るものが何もなかったので、夜になると家が揺れるほどの強風が吹き荒れたものである。昨今は偏西風の蛇行によって日本列島まで南下するようになったが、50年前は、偏西風には規則性があって、日本列島まで南下することはなかった。冬場は西高東低の気圧配置となって、熊谷あたりだと「赤城おろしの空っ風」が毎日のように吹き荒れていた。荒川河川敷でジョギングをするようになって30年近くになり、30年前の冬場は、夕方荒川に走りに行くと、北西の強い風に煽られ、向かい風だと立ち止まってしまいそうなことがしょっちゅうあった。状況がいつ頃から替わったのかハッキリしないが、少なくともここ10年、夕方のジョギングで強風に悩まされることは、滅多になくなってしまった。地球温暖化、偏西風の蛇行と、異常気象が日常化してしまったと言うことである。

 

2013年

1月1日(火)の日記より

 年越し寒波で新年早々寒さにいたぶられるかと思っていたら、朝から鮮やかな青空が広がり、風も弱くて気温が上がり、お正月としてはこの上ない穏やかさとなった。11時過ぎに初詣で近所の神社に出向くと、例年にない行列となって、お参りをするのに40分程並んでいるようだった。昨年も同じような時間にお参りをしたが、行列は今日の半分ほどだった。長い行列の意味するところは、天気の所為か、それとも、暗たんたる時代の神頼みなのか、家族の間で意見が分かれた。

 

1月11日(金)の日記より

 今メインに使っているパソコンは購入して5年、まだ充分に使えるが、前々から画像処理で遅く感じられ、息子たちの支援を受けて新規のパソコンを購入してしまった。長男はパソコンには精通している方で、相談しながら購入したのは、今流行の一体型デスクトップパソコンではなく、従来のボックス付きのデスクトップを選んだ。パソコン事情はメーカーの力関係が完全に崩れ、日本メーカーはボックス型からほとんど撤退、テレビ受信に力を入れた一体型パソコンが主流になっている。パソコン本来の能力を生かす使い方をする者は激減、Iモードで収まってしまったようだ。

 

1月12日(土)の日記より

 今日は昨日購入したパソコンの設定をし、苦戦を強いられて、朝から夜遅くまでかかってしまった。それでもなんとか必要な設定は完了し、日常作業を全て新パソコンでやることができた。新しいソフトは使い慣れていないせいか使いづらく、古いソフトを幾つかインストールするようである。新しいものの方が良くなっていることは確かで、慣れるようにすればいいのだが、年寄りの横着で、新しいものに慣れようとしない。

 

1月13日(日)の日記より

 昨日から新しいパソコンの設定をしてきたが、古いスキャナーの設定に一日苦了してしまった。IT機器メーカーは数多く売らんがために仕様がどんどん更新され、、古い機器は新機種対応ソフトをインターネットでダウオンロードする必要がある。滅多にやらないことなのでスンナリできず、宿題となってしまった。

 

1月19日(土)の日記より

 今日は息子のスノボーに付き合って鹿沢へ行ってきた。上信越道軽井沢インターで降りて軽井沢を通過したが、途中氷点下10℃のところもあった。この冬は各地で記録的な低温となっており、その一端を垣間見たようである。不思議なことに、スキー場はかえって気温が高く、氷点下2℃で、風が無くて青空が広がり、暖かめに感じられた。息子のスノボーに付き合ってといっても吾輩はスキーであり、スキーを楽しむというより、写真撮影が目的だった。「三文写真館」でも何度かスノボー特集を組んだことがあり、今回は撮影枚数千枚を超え、「下手な鉄砲も数撃てば当たる」の口で、特集を組むのに十分な写真が撮れた。

 

3月1日(金)の日記より

 2013年も3月に入り、気候が良くなるとともに慌ただしさが増して、人生の波にうまく乗らないと、不毛社会に置いてきぼりを食ってしまいそうである。時代に迎合しなくとも、創造性を維持して自分らしく生き、今まで積み重ねてきたものを、どんな形であれ、開花させたいものである。1月にパソコンを購入、余計なソフトを省き、処理速度とメモリーは今市販されているパソコンの倍、実際に使って、古いパソコンのことを考えると嘘の様な早さである。課題が山積している中で、この上ない道具となり、2カ月弱で大きな前進を図ることができた。

 

3月7日(木)の日記より

 我輩は10代のころから流行りものを毛嫌いする、ひねくれた性格で、ビートルズに興味が無かったし、東京タワーに行かず、シルビー・バルタンも無関心、新幹線の運行に少しも感動せず、ピンクレディー、キャンディーズ、ブルー・コメッツ、ザ・タイガーズなど、若かりし頃に全盛を極めた人気者も見向きもしなかった。結婚し、子供ができて物心がつく頃から宗旨替えして、上野動物園のパンダを見に行き、ディズニーランドも7回も訪れ、関越新幹線開業の試乗会にも応募、科学博覧会にも出向き、話のタネになりそうなものは、混雑覚悟で子供たちに体験させてきた。夫婦だけで行動するようになって、再び混雑は避けるようになり、想定外の混雑に巻き込まれたことが何度かあったが、旅行に出かけるときは、空いてる時期を見計らって計画してきた。昨日、女房殿からスカイツリーのおねだりがあり、若干抵抗を感じたが、再度宗旨替えをして、行列覚悟で本日探訪してきた。

 混雑は覚悟していたが、せいぜい1時間待ちと踏んでいたが、展望デッキまでのエレベーターに乗るのに1時間40分、展望回廊までのエレベーターに乗るまで30分、2時間以上の待ち時間を経て、展望時間は20分と言ったところである。今日は春霞が蔓延して、展望は3〜5キロほどで、遠望というスカイツリーのハイライトはお預けとなった。タワー写真だけは、帰路を徒歩で浅草方面にとって、スカイツリーが展望できる道々、隅田川を渡って川沿いを移動しながら、さらには浅草寺からも撮影して、150枚ほどのタワー写真を撮った。色々なアングルで撮影したものの、皆同じように見えてしまう、と言ったら、ひねくれ者の戯言と言われそうである。

 

3月10日(日)の日記より

 雲の多い天気だったが気温が上がり、熊谷の最高気温は昨日に引き続いて25℃を越えた。昼ごろから強風が吹き荒れて、夕方間近には急激に気温が下がり、前線が足早に通過しているのが窺えた。初夏の陽気から冬へと一気に移ろい、夜半には寒くなっていた。ここ1週間の、寒暖の差が大きい天気は、異常気象が日常化した証であり、それはまた、人的被害が日常化してきたことでもある。地球規模で大きな地震が多発し、地球が大きく変動しているとも言われている。明日は東日本大震災が発生して2年であるが、政権交代がなされ、政府と財界が一体となって原発再稼働に動き始め、原発事故の教訓がないがしろにされようとしている。一部のメディアでは震災の教訓を積極的に取り上げ、原発専門家も、何の役にも立たない立場から、存在価値を取り戻そうと、動いている。国民が選択したものは、崩壊を始めた、経済優先、企業優先の体制を容認し、心豊かな国民生活を取り戻すのを10年遅らせたることとなった。

 

8月26日(月)の日記より

 先月下旬に6年半ほど使っていた携帯が故障し、やむなく、8月に入って機種変更を行った。携帯の使用頻度が低く、より安い契約を考えていたが、今は全ての携帯が機能が変わって、iモード有りとなっていた。携帯の値段も高く、女房殿の携帯を解約して、1台にすることも考えたが、様々な特典や、新しい契約形態にすると、今までのほとんど使用してなかった時より定額料が安くなり、携帯代の24カ月分割払い分を加算しても300円程安くなった。女房殿は携帯利用が下手くそで解約を希望したが、ヘルパーの仕事をしているうちは持っていた方がいいだろうと、2台買い替えることになった。契約すると、1カ月無料と言う、余計なサービスが幾つかついてきて、1カ月で解約手続きをすることにして、今日、半日かけて操作した。見つけぬ画面で、解約をするには小さな文字を追いかけて、奥へ奥へと入り込み、どこまでも分かりずらい操作を何度も試みて、何とか解約、脱退を果たした。見慣れている人なら何でもないことなのかもしれないが、利用する気のないものからすると、解約、脱退をさせまいとする悪意としか取れなかった。やることが溢れている我輩からすると、どこまでもちっぽけにしか見えないiモードの世界には、係わる余地が無いと思っている。何とも不合理な社会である。

 

8月28日(水)の日記より

 写真展で、よく行くカメラ屋さんに色々と厄介になったので、カメラを新規購入することになり、本日納品となった。機種は、8年前に購入したデジタル一眼レフカメラの何代か後の後継機種で、レンズやストロボが古いのが使え、いささか節約になった。ただ、昆虫撮影目的で、セットしたレンズが300ミリのズームレンズで、やや長過ぎた感があり、昆虫より野鳥撮影向きである。それでなくとも大きめで重い機種なので、もてあましてしまうのではと、気になるところである。古いカメラも300ミリが付いていて、レンズに傷がついて使用不可となり、今回購入したレンズがそのまま使え、補うことができるが、今後の使用方法を考えると、古いカメラはお払い箱になりそうである。

 

9月9日(月)の日記より

 3年ほど前から我が家にハチの巣が作られるようになり、植木が中心だが、今年は洗濯物干し場となったベランダの流しに作られ、コアシナガバチがしばし傍を通り過ぎていった。コアシナガバチは比較的おとなしく、写真撮影で攻撃的な姿を見たことが無く、ベランダでもトラブルは生じなかったが、何の気なしに振り払う様な形になると反撃してくる可能性がある。洗濯物にも止まっていることがあり、トラブルは時間の問題と判断、駆除することにした。今まで見ている限りではせいぜい5、6匹で、蚊取り線香を半分に割って、両側から(4か所)火をつけて流しの下に置いてみると、次から次へと飛び出してきて、10匹以上確認できた。いったん離れてもじきに戻ってきて駆除が難しいと判断、強力スプレータイプの殺虫剤を使い、ハチ目がけて噴霧すると、ほとんどが逃げ出すが、殺虫剤がたっぷり降りかかったものは床に落ちて動けなくなった。気の毒だが箒で叩いて命を絶ち、10匹と見込んでいたものが20匹を越え、大変な手間となった。ハチの巣は取り除き、産卵坑が50程あり、10か所程穴があいて巣だったらしく、多くいても不思議ではなかった。ハチが集団で戻ってこなかったので危険は感じなかったが、殺虫した数の多さに、昆虫愛好家として、命の尊さを考えざるを得なかった。

 

9月10日(火)の日記より

 昨日の続きになるが、ハチの巣を取り除いて、20匹以上のコアシナガバチを駆除したのでもうハチは現れないと思っていたら、今日も何度か姿を見せ、最終的に25匹以上、30匹に近い数を殺傷することになった。30匹というとかなりの数であり、トラブルが無くて良かったと、つくづく思った。ハチの巣は河川敷の森を中心に、草地などで、何度も見られたが、河川敷の荒廃で多くの虫たちには棲みづらくなったようで、本来森で見られるものが、住宅地に進出してきている。スズメバチも見られ、今後トラブルになることが多くなるのではないか。

 

9月18日(水)の日記より

 明日は十五夜で、女房殿にススキの注文を受け、昆虫探索を兼ねて、通常のルートを行ってみた。予想通り昆虫は激減、ほとんどカメラを向けなかった。肝心のススキは、ほとんど見られなくなってしまい、運よく一か所に咲いているのを見つけ、10本ほど取ってきた。今年はススキが見られないようで、毎年、女房殿が月見団子を注文すると、ススキがもらえたのが、今年は用意無しとのことだった。