五十四歳の決断

2003年7月10日

 二週間前に入社して研修を受けていたが、研修を終了する前に退社することになった。

 景気の悪化で、五十歳を過ぎると就職が難しい中、比較的好条件で求人があり、応募して、幸い採用が決まった。研修を受けて、過去の仕事の経験がそのまま生かせると感じ、楽観はできなかったが、やっていく自信はあった。

 自分の置かれた状況を考えると躊躇するような場合ではなく、仕事に情熱を注ぐべきだったのに、気持ちはいつまでも煮え切らない状態だった。何が原因か分析しないで、何となく心にわだかまり残しながら研修に従事していた。

 そんな中、友人が店を持つとの情報が入り、店作りに力を欲しているのが分かると、今度は何の躊躇いも無く、仕事を棒に振ることを決した。むしろ、心の片隅にあるもやもやを顕在化するきっかけに過ぎなかったのかもしれない。人生の大きな決断のときだったのだろうが、友人の最後の勝負から比べると、自分は仕事を断念してもやり直しがきくと、全く保障の無い状況下でも決断していた。

 仕事を辞めるために、色々と言い訳を考え、会社側から退社を促させるように仕向け、円満退社することになった。正式に退社が決まると、若干の心残りが出てきたが、新たな世界を思い描き、気持ちは充実していた。

退職の手続きをしに会社へ出向くと、余りにも簡単に手続きが済んでしまい、全て割り切っていたはずなのに、判断に誤りがあったのではとの思いが、頭をよぎるのだった。

退社について家族に話したとき、妻は特に反対はしなかったが、言っても駄目との諦めもあって、黙認するしかなかったと思われる。気持ちは、安定した生活を強く望んでいたことは確かで、大きなショックを受けているはずだった。子供たちは納得していたが、父親の無鉄砲に多少は不安を抱いたのではないかと思われる。家族を思うと、自分の信念だけで行動するのが果たして良いのか疑問になった。特に、一刻も早く妻へ安定した生活を与えてやりたいとの思いが強まった。

帰宅を始めると気持ちは切り替わって、新たな人生を思い描きながら歩いていた。浦和駅に着くとちょうど列車が来るところで、急げば間に合うと思ったが、慌てるのが嫌で、次の列車を待てばいいと判断した。お茶でも飲んでいこうと考え、次の列車時刻を確認すると十五分ほどの待ち時間で、お茶を飲んでいるには短すぎた。急げば乗れる列車は快速で、次の列車と到着時間に二十五分程の開きがあった。熊谷に着いてからお茶を飲んだほうがよいと考え、今度は二十五分がもったいなくて、慌てて改札に入っていった。

階段までくると列車がホームに入っているのが分かり、階段を駆け登れば間に合うと思ったが、体力に自信がありながら、慌てる姿を想像して抵抗を感じ、歩くことになった。ホームに着くと列車はちょうど入口が閉まったところで、結局は間に合わなかった。

ホームに取り残されると、判断の一つ一つが皆ちぐはぐで、全てが裏目の結果となったのを実感した。それは又、人生の選択そのものにも思え、自分の判断してきたこと全てが、間違っていたのではないだろうかと、考えざるを得なかった。

判断の甘さ、愚かさによって、人生に狂いが生じてしまったとの思いに駆られ、しばし憂鬱になった。自信過剰で、多少は不安がよぎっても、人生の選択に迷いは無かった。後悔をしたことがなく、選択した人生を精一杯過ごし、大いに楽しんできた。経済的な問題を除けば順風満帆の人生と言えた。ところが、列車に乗り遅れると、人生そのものも乗り遅れているような気がしてきて、言葉がこんこんと脳裏をよぎっていった。

考え事をしていたので、十五分の待ち時間はあっという間に過ぎ、言葉を遮って、列車に乗り込んだ。

列車は空いていて、長い座席を独り占めし、再び人生の選択について考え始めた。メモ帳を取り出し、思うことを書き綴っていくと、ペンが生き物のように動き出し、五十分ほどの時間、止まることがなかった。

列車に乗り遅れたために、人生を振り返るきっかけができたようで、鬱から、躁へと気持ちが切り替わっていくのが分かった。創作への意欲が湧き出てきて、書くことの面白さが蘇っていた。

不況、就職難の状況を考えると、せっかく決まった職を、まだ実際に仕事をしないうちに退職を決めるなど、愚挙以外の何ものでもなかった。しかし、我が人生における職の位置付けは、些細なものに過ぎなかった。職はいつでも替えられるが、人生や家族はかけがえの無いものであり、人生の選択にとって、大きな要素とはならなかった。むしろ、職は、人生と全く別に存在する、月のようなものだった。

かつて、二十九年間会社勤めをしてきたが、気持ちは、会社は人生に影響を及ぼさないと位置付けていた。企業に心酔したり、上司にへつらって野心を抱いたりしたことは一度も無かった。だが、実際は職場に限りなく縛られていた。職場における打算の無い人間関係は、身動きが取れないほど良好だった。それは、自らが選んだ道で、人生は人間関係で成り立っており、人間関係の面白さは、人生の大きな要素と考えていた。

人間関係が深まれば深まるほど大きな拘束となり、時として本意でないところまで結びつき、人生に悪影響を感じることが多くなっていた。二十九年も勤めておきながら、会社を辞める時に何の抵抗も感じなかった。退職時には、会社とは全く別個に、既に新たな人生が勢い良く動き出していて、充実した日々が出来上がっていた。

五十四年の人生は、悔いは一つも無かったと、結論付けた。そして今、新たな人生に向けて様々な創造を巡らしていて、五十四歳の決断もけっして間違っていなかったと、熊谷駅につくまでに納得していた。