人生の不思議

2004年6月23日

 人生には、偶然がもたらす不思議がある。確率的にどこまでも可能性が低い出来事が、五十五年の人生に何度かあった。

 三十年近くも前のことであるが、今も記憶に残る出来事がある。北アルプス、北穂高岳の山小屋で、偶然にも友人に会ったのである。北穂高小屋は、三千百六メートルの北穂高岳山頂付近にあり、日本でも最も高いところにある山小屋である。

 当時、我輩は山登りに全く興味がなく、先輩に体力試しをそそのかされて、何も分からないままに、十月早々、人生たった一度の本格登山に同行したのである。登山道具などほとんど持っておらず、あるもので間に合わせ、履き慣れないキャラバンシューズで登山に挑んだ。

 日常的に運動をしていたので体力は問題なかったが、靴が大問題で、歩いて十分もしないうちに靴擦れが始まり、それでも北穂高岳と槍ヶ岳の縦断コースを完走し、上高地に着いたときには、足はぐちゃぐちゃとなり、爪が四枚はがれる始末だった。

 北穂高から槍への縦断は、両端が深い崖となった大キレットを通過するのだが、我輩は足の痛みとの戦いで、危険との隣り合わせの、自分の置かれた状況を全く関知していなかった。槍ヶ岳側で休憩しているとき、男勝りの女性登山家一行に出会い、大キレットについて聞かれたが、ちんぷんかんでいると、「初心者の来るところではない」と、厳しく諭されてことを憶えている。

 三千メートルを超える山々では、十月ともなると冬へと足早に進み、日が暮れると気温が急激に下がる。山小屋への到着時間が遅れると凍傷の恐れも出てくるのである。我輩は先輩に付き従い、二時前には到着し、模範的な登山を行っていたが、五時も回って、薄暗くなって山小屋にたどり着いたグループもあった。その中に友人が含まれていたのである。顔を見合わせると、お互いに「何でこんなところにいるのだ」と、思いがけない出会いに驚き仕切りだった。

 北穂高小屋には全国の登山家が集い、何の連携もなく、百名に満たない友人、知人の中の一人に、人生百年の中のたった一度、たった一日、たった十数時間滞在した山小屋で出会う確率は非常に低い。友人と多くは語らなかったが、互いに、偶然の織り成す不思議に感慨もひとしおだった。

 話が変わるが、『三文文学館』の小説欄で紹介している「花飾り」にかかわる話しである。

 「花飾り」は、昭和44年の二十歳の群像を書き上げたものだが、3年半程前に、昭和44年の時代背景を考証するため、図書館通いをしたことがある。昭和43年の11月から昭和45年の2月までの新聞を紐解き、時代を象徴する出来事を調べ上げたのである。膨大な活字量の中から、面白そうな情報を抽出するのだから、非常に時間がかかり、トータルで20日ほどかかった。

図書館は受付で申し込みをし、席が割り当てられて利用する。受付は交代制で人が変わるが、頻繁に出入りしていれば、図書館員とのやり取りはほんの僅かであっても、顔はいつしか覚えてしまう。図書館通いも後半となったある日のこと、手馴れたもので、受付では相手の顔を良く見ないで、さっさと割り当てられた席に着いてしまう。新聞の縮小版は利用者が入れない別室に保管されていて、受付に改めて申し出をしなければならない。受付に縮小版の利用を申し出ると、受付者が普段のメンバーと違っているのに気づいた。目が合うと見覚えのあるような顔で、花飾りのヒロインのモデルとなった女性を思い起こした。今正に書いている女性だったので、一瞬、唖然としてしまった。

既に30年以上も会ったことがなく、どんな姿になったのか想像がつくはずがないのに、何故か、目を合わせた彼女は、30年の時を飛び越えて姿を現した、ヒロインのように思えた。ヒロインは、良き妻、良き母になることを宿命付けられたような女性で、恋愛に遊びを持ち込めない人だった。見かけよりも誠実さを最良とし、裏切りのない、真っ当な人生を歩んできているはずだった。見かけで人を判断できないが、目前にいる彼女の容貌は、年を積み重ねたヒロインそのものだった。

冷静になって彼女を見てみると、年齢的にヒロインより一回りも若く、全くの別人だと、すぐに気が付いた。小説の世界に埋没し、思い込みが作り上げたで合いに過ぎないのだろうが、彼女が創作活動へ与える影響は大だった。

 他にも同様な、不思議を感じる出会いや、事件、事故、縁などがあり、人生何が起こるか分からない面白みがある。そして最近、不思議な出会いを経験した。

 父の日と言うことで、女房殿の両親と外で会食することになった。日曜日なので混雑が予想され、早めに家を出たのだが、予定した店は既に行列を作り、やむなく、他の店へ移った。その店もやや混んでいて、食事が終わったのは予定より遅くなってしまった。それでも七時を少し回った程度なので、義母の希望もあり、スーパーへ立ち寄ることになった。

 店へ入るのは女房殿と義母の二人でよかったのだが、荷物持ちで我輩も同行、息子も買物がしたいと言うことで、義父を車に残して四人で買物をすることになった。

 親子三代が寄り添って買物をする光景は、幸福家族そのものであり、現代では中々見られなくなった姿である。買物を手伝いながら、ふと見上げた先に、どこかで見たような女性の顔があった。すぐには誰か分からなかったが、相手も我輩に気付き、笑顔を向けて頭を下げてきた。彼女の顔がハッキリと映し出されると、中学の同窓生と気付き、こちらも急ぎ頭を下げた。彼女の周りにも、ご主人と二人の娘が付き従い、幸福家族そのものだった。我輩の挨拶に、いかにも優しそうなご主人も、いぶかしそうな表情で頭を下げ、彼女との出会いはお開きとなった。

 考えようによっては、何も不思議ではない出会いであるが、彼女との長い経過を振り返ると、どこまでも不思議な出会いと感じられてくる。

 彼女を知ったのは中学二年の時である。仲の良かった同級生が、青春を盛り上げようと、しばし、我輩の好きな女生徒を突き止めようとしてきた。それなりに憧れを持った女生徒はいたが、冷やかしが嫌で、当たり障りがないように、派手さのない彼女の姿を指差したのが始まりだった。話しをしたこともなければ、名前も知らず、うやむやになる存在だったのが、友人が彼女のことを良く知っていて、以来、中学時代は彼女のことで冷やかされっぱなしとなった。

 ダミーのはずの彼女を、否応なしに意識し始めると、様々な空想を巡らすようになり、全く話しをしていないのに、いつしか特別な女性像が出来上がっていた。憧れから恋へと発展し、片思いであったが、一生忘れられない存在となったのである。

 結局、中学時代は話しをすることもなく、高校を卒業して、電車の中でたまたま乗り合わせ、世間話をわずかにしたのが、彼女との唯一の接点である。成人してからも、街中で何回か姿を見かけたこともあったが、ただの通りすがりで、彼女がいったいどんな人生を歩んできたのか全く知るよしがなかった。それでも、我輩の心の片隅で、忘れ得ぬ人として、いつまでも残っていたことは確かである。

 我が家では、通常、七時過ぎに買物へ出ることは無い。昔は、子供を含めて買物をすることがしばしあったが、最近は全く無い。ましてや、義母を交えて、三代で買物をするなど無いに等しい。

 果たして、彼女の生活習慣がどんなものなのか分からないが、家族揃って七時過ぎにスーパーを訪れる確立は、けっして高くないと思われる。近くに住んでいる可能性が高いが、それでも、両者の出合う確率は、どこまでも低いはずである。

 ごくごく低い確率の出会いの中で、互いに、幸福を絵に描いたような姿を見せ、彼女は、我輩が熱い思いをかき立て、空想してきた女性像と、かなり類似していると、感じさせられた。ごくわずかな時間であったが、彼女の末永い幸福を祈っていた。

テレビドラマでは、絶対に有り得ない偶然が次から次へと起こることがあっても、実際の人生では、偶然に偶然が重なって起こる出来事は、ほんの数えるほどである。ドラマなら、偶然が大きな転機となるが、実際の偶然は、何も起こらない事が多い。

我輩の人生の中では、偶然が重なって起きた出来事で、人生が変わったことは一度も無い。変わる可能性を秘めていた出来事も数少なくないが、チャンスを逸したのか、それとも、自らの意思で偶然を利用しなかったのか、今になってみるとハッキリしない。

今の生活の中では、多くの問題を抱えており、時として偶然を当てにしたり、幸運を当てにしたりして、軟弱な心の持ちようであるが、先日の出会いで、自らの意思、自らの力で人生を切り開いていこうと、強く意識するようになった。