10、夢追い塾

 良介が目覚めると、うつ伏せになって寝ていた。周りの明るさから既に昼近いことを窺わせていた。今までうつ伏せで寝付いたことがなく、疲れきってベッドにやっと辿り着き、そのまま寝てしまったのだろうと、想像した。

 魔界から、風神雷神と、河川敷のグランドに降り立ったところまでは、薄っすらと記憶にあったが、その後のことは全く覚えていなかった。自分のベッドにいるのすら不思議でならず、まだ覚め切らぬ意識で、全てが夢だったのかと、疑っていた。

 起き出そうとしても、体が言うことを聞かず、いつまでもうつ伏せの状態を変えられなかった。それは、暗示でもかけられているようで、何かを解決しなければ、いつまでもこの状態が続いていくように思われた。

 恵の顔が浮かんできた。憔悴しきった顔で、

「お兄ちゃん。疲れたよう。もうゆっくり寝ていたいの。お兄ちゃんと、風を感じて走る夢を、いつまでも見ていたいの」

 と、苦しそうに訴えてきた。

「だめだよ。夢よりも、本当に走ろうよ。お兄ちゃんと、本当に走ろうよ」

 良介が呼びかけても、恵は目を閉じて、いつまでも起きようとしなかった。

 恵の憔悴した顔を見ていると、揺り動かしてまでは、起こす気になれなかった。

「もう少しだけだよ。もう少し寝たら起きるのだよ。それまではゆっくりお休み」

 金剛は走るのをやめて、暗い顔で語ってきた。

「神々は、人間から全ての制約を取り外し、人間がどんな時代を作り上げるか、壮大な実験を試みられた。人間の自由が作り出した時代は、多くの女たちが男と結ばれなくなり、男が作り上げた時代と結び付いたのである。今正に、女たちが時代を写す鏡となっている。神々の意思も、悪魔の意思も全く関係ない。全て人間自らが選んだものである。私の役割はもう終わったようだ」

「人間のしでかしたことを映し出す悪魔がいなければ、人間はいつまでたっても自分の姿が見えない。金剛さんに、いつまでも時代へ警鐘を鳴らしていて欲しい。いつまでもライバルとして、一緒に走っていて欲しい」

 金剛は、良介の呼びかけに何も応えずに、立ち止まったまま走ろうとはしなかった。

 良介は、鳥仙人を懸命に探していた。探しても探しても見つからなかった。夢追い塾など、できるはずがないと、どこかで囁いているように感じられた。

 良介は走りながら、詩織がやってくるのを待っていた。待っても待っても詩織は現れなかった。オリオン座の方向を見ても、サーチライトは遠くを照らすだけで、青白く輝く星は見出せなかった。懸命に走っても、身体は少しも宙に浮かなかった。

 風神雷神を懸命に呼んだが、姿を現さなかった。妖精の森へ見つけにいくと、荒れ果てた森となっていた。人間の守り神である、オオタカの姿は見られなかった。

 真二と五人の仲間が、不満そうに話しかけてきた。

「大人には夢が見られないのだ。大人たちの価値観で何でも決められて、子供の夢を奪っている。これじゃ、どうやったって夢追い塾なんか作れないよ」

「でも、みんなががんばらなければ、誰も作れない。もっと夢を追ってみようよ」

 良介がいくら呼びかけても返事はなかった。

 良介は、再び寝入りそうになりながら、全てが夢だったのかと考えていた。たまらなく空しかった。どんなに大きい夢を見ても、何も変わらなければ意味がないと、自嘲した。

 恵が目覚めて、果たして本当の幸福が待っているのだろうか。殺伐とした時代に、穢れのない少女が、幸福を見つけていくのはとても困難なことだ。子供の頃の楽しい夢を見続けていたほうがいいのかもしれない。恵を目覚めさせようとするのは、自分の我がままではないのか。詩織のような、心を埋め尽くしてくれる女性が現れるはずがない。結局は、自分の心を埋める愛玩物として、恵を求めているのではなかろうか。

 良介は、砂を噛むような日々が営々と続けられる人生を想像していた。

 一方で、夢は夢で終わらないと、心のどこかで訴えていた。

今まで見てきたものが、たとえ夢の中の出来事だったとしても、恵が起こした奇跡を、一つでも本物にしていかなければならないはずだ。魔界は人間の心が作り上げたもので、人間の心が変われば、奇跡が起きるはずだ。夢ではないのだ。夢で終わらせないようにするのが、自分の仕事ではないか。

今まで見てきたものが、夢か現実か決めるのは、自分の心だと分かった。人々の心だと思った。人の心が恵を求めているかどうかだと思った。これから先のストーリーは、自分で思い描くしかないのだと分かった。

良介は、これから先の出来事を、ハッピーエンドを求めて懸命に空想し、頭の中に文字を書き並べていた。

 恵の病室へ入っていくと母が私を見つけ、急ぎ寄ってきて、

「遅かったじゃないか。恵が目覚めそうなのだよ」

 と、涙を見せながら、興奮気味に言ってきた。

 母の声に、他が一斉に振り返り、私の出現を確認した。

「兄貴、ちょうどいいところにきた。恵みがうなされて、兄貴のことを呼んでいる」

私は嬉しさで体が燃えるように熱くなり、涙を溢れさせながら近づいた。

「今まで声を上げるなんて一度もなかったから、きっと良い兆候だよ」

父が涙を堪えながら、告げてきた。

私は、恵の憔悴した顔を見て、今までの辛苦が浮かんできて、かわいそうで仕方がなかった。だが、時より見せる大きな息遣いが、目覚めの兆候を感じさせ、懸命に落ち着きを取り戻し、今自分のできることを考えていた。

私は、赤見が増した恵の頬に触れ、手を握りながら、

「恵、お兄ちゃんだよ」

と、何度か囁いてみた。

 そのうちに、握った手が呼びかけに合わせて弱く握り返してくるのが感じられた。

 私は嬉しくなり、声を高めて呼びかけた。

「もう、目覚めておくれ。疲れているだろうけど、恵の目でお兄ちゃんを見ておくれ」

 やがて、恵は呼びかけに応えるように、ゆっくりと目を開けた。

 恵は私を確認すると手を強く握り返し、涙を浮かべていた。

「お兄ちゃん。ありがとう」

 弱弱しいが、恵の声は、間違い無く目覚めを宣言していた。

両親と真二も恵を取り囲み、静かであったが、家族で歓喜した。

 真二が私の肩に手を当てて、

「兄貴、本当にありがとう。よくやってくれたよ」

と、耳打ちしながら、涙を溢れさせた。

 翌日になると恵はすっかり体力が快復し、身体を起こして話ができるまでになっていた。両親や真二は恵みが疲れを見せないかぎり話しかけていたが、私は、恵と視線を合わすだけで、言葉は出さなかった。見つめ合っているだけで、互いに思いやる心が分かった。むしろ、今は言葉が無意味に感じられた。

 恵は、二人きりになると、

「詩織さんは、小悪魔さんを返しにいっています。もう少し日数がかかるかもしれません。金剛さんが付いていますから、心配ないですよ」

 と、一度だけ言葉を発して、私の押し隠している懸念に、安心を添えてきた。

 恵の心づくしの安心を噛み締めながら、夢ではないのだと、いつまでも吹っ切れなかった疑念にも、終止符を打った。

 詩織さんが現実に存在していると思うと、恋しさが頭をもたげ、切なくてならなかった。夫婦の思いが、詩織さんを胸に包み込み、頬に触れて労わっていた。心の一人芝居を恵に感じ取られると、私は赤くなって、照れ笑いをした。

 私は、夕方になると、恵の眼差しにも促されて、トレーニングに出かけた。心身ともに疲れは抜けておらず、詩織さんへの思いに後ろ髪を引かれたが、思いやりを守る戦士として、トレーニングを疎かにできなかった。

夜になると、真二と五人の仲間たちが、帰還祝いを催してくれた。恵や、詩織さんのこともあって、母の手作りの、ごくごくささやかな宴であったが、語らいは、どこまでも熱のこもったものだった。

 魔界でのエピソードもせがまれたが、全てが正常に動き出してから、時間をかけて語り聞かせることを約束し、話題はもっぱら夢追い塾だった。

「これだけ情報網が発達しているのに、今俺たちが見られるものは、商売になることだけのような気がする。大人たちの価値観で情報が操作され、もっと見たいものが一杯あるはずなのに、今の生活の中では、見せてもらえない。夢追い塾は、本当に知りたいものが何なのかを知る必要がある」

 真二の話が皮切りに、それぞれが、熱い思いを語りだした。

「コンピュータグラフィックや、映像技術が発達しているのだから、みんながみんな、実際に海や地中に潜らなくとも、正確な情報を作って、誰でもが見られるはずだ。夢追い塾では、テレビゲームのように、好きな世界をボタン一つで見られるようにしたい。映像を見て、興味が湧いたり、疑問を感じたりしたら、コンピュータで何でも調べられるようにする。色々なことが分かってくれば、今度は、知識を寄せ集めて、実際に存在しないことまで空想できるようになる。そして、空想したものを簡単に映像化できるようにする。映像になれば、今度は作ってみればいい。たとえ思った通りに動かなくとも、それが踏み台になって、可能性が出てくると思う。空想や夢がないかぎり、先へちっとも進まない。子供の既成概念にとらわれない発想が、最も斬新な夢を作り、時代の推進役になる。学習塾で、詰め込み勉強ばかりしていたのでは、せっかくの空想力も死んでしまう」

「コンピュータと人間との関わりを、よく理解しておく必要がある。これからの時代はコンピュータをどれだけ生活に生かせるかが鍵になってくる。これだけパソコンが出回っても、実際に機能を生かしている人は、ほんの一握りではないのか。夢追い塾ではコンピュータと生活との結び付きを、子供たちと一緒になって研究する場所にできればいいと思う。大人たちが使えないから、使い方を教える人がいない。使い方が分からなくては、子供たちの可能性を生かせない。コンピュータが代わりをできる知識や情報を、いちいち暗記する時代は終わったと考えるべきだ。暗記する時間をもっと創造するのに使うべきだ。子供たちがコンピュータを使いこなせるようになれば、既存のデータベースに、さらに上の世界を考えていける」

「大自然の神秘を徹底的に追求していく必要がある。大地がもたらす恵や、大気や、太陽、月や星星との関係を知る。そして、生命の起源を見つめていく必要がある。地球という星の人間の存在がいったい何なのかを知り、生命の誕生と成長、親子、兄弟、夫婦、仲間など、人と人との関係がもたらす影響を、子供の頃から、様々な体験を通じて知っていく必要がある。生きていく大本を理解してから、新たな世界を作り上げていかねば、作る目的が全て利害に左右され、人間にとって本当に必要なものに結び付いていかない」

「今まで作られた伝統や文化は、長い年月をかけて、生活と結び付いて維持発展してきたはずだ。初めから古さだけが強調されて、若者の目を背け、後継者がいなくなる一方ではないか。先入観をなくして、実際に経験すれば、素晴らしさが分かるはずで、若者に、ごく日常的に、色々なことが体験できる環境を作る必要がある。一つでも多く、伝統や文化を残し、長い歴史をばねに、新たな伝統や文化を作り上げていくべきだ」

「人間には何ができるのか知っておく必要がある。自分の行いが、他人にどんな影響を及ぼすのか知り、自分の存在価値を実感することが大事だと思う。今は、自分の欲求を追い求めることしか選択ができないで、自分の存在価値が分からなくなっている。自分の欲求を追い求めることと、自分の存在を必要とされることと、どちらに価値があるのか、両者とも経験させ、自らの判断で選択させていくべきだ。夢追い塾では、色々な角度から自分の存在を知る機会を作るべきだ」

仲間たちの、夢追い塾への熱い思いが延々と語られ、実現に大きな困難があるかもしれないが、明日に向かって希望が見えてきた。

何日かして病院へ行くと、詩織さんが看護婦姿となって、ベテラン看護婦に怒られていた。私は、詩織さんとの再会に胸が踊り、今すぐにでも抱き合いたいと思ったが、少し離れて、二人の様子を見ていた。

「来てまだ五日も立たない見習い看護婦が、手術に立ち会うなんてとんでもないことですよ。いくら新先生がいいって言っても、私は反対ですからね」

 ベテラン看護婦の強い口調にも、詩織さんは少しも動じずに、強い意志を見せていた。

すると、近くで見ていた、医師の格好をした金剛さんが近づいて来て、

「君は何を言っているのだ。詩織君は、前の病院で見てきて、優秀なのは、私が一番分かっている。私の希望で無理に連れてきた人なのだぞ。思いやりのないベテランより、思いやりで看護をする若手のほうが、ずっといい」

 と言って、怒鳴った。

ベテラン看護婦は怒って行ってしまうと、詩織さんの視線がちょうど私の方に向いて、喜びを体中に表し、走りよってきた。

「とても会いたかった」

 と、いとおしそうに手を私の胸に当ててきた。

私も、思わず抱きしめそうになったが、周りの目が気になって、胸に当てられた詩織さんの手を握るだけで、後は涙を流しながら、じっと見つめ合っていた。

私には自分の心を映し出す詩織さんの姿が、どこまでも美しく感じられ、ホットした。

二人の姿を、遠慮がちに見守っている金剛さんに視線を向けて、笑顔で再開の喜びを表すと、金剛さんも嬉しそうに笑顔を向け、握手を求めてきた。

「どうもありがとうございました。おかげで恵も無事に戻り、どのように御礼を言ったらいいのか、言葉が出てきません」

「何を言っているのですか。私は、貴方方ご兄妹と出会えたのが、人生最良の出来事なのです。お役に立てるなら、何でもやらせて欲しいのです。自分の存在価値を感じて生きていけるのが、何よりもありがたいのです」

 再開に話は尽きなかったが、区切りを付けて、恵の病室へ入っていった。

 母が入り口にいて、三人を見ると姿勢を正し、金剛さんに向けて、深々と礼をした。

「こちらの先生が恵の異変に気付いてお知らせいただいたのだよ。良介の方からも、よくお礼を言いなさい。それから、今度、今までどうしても治らなかった恵の病気も手術してくださるのだよ。こちらの先生は神様みたいなお人だ」

 私は、母の指示に従って、金剛さんと初対面を装って、お礼を言った。

「それから、詩織さんがこの病院の看護婦さんだと、今日初めて知って、驚いてしまったよ。お前が何も言ってくれないから恥をかいてしまった。恵の面倒を良く見ていただいて、お前からもお礼を言いなさい」

「僕も、詩織さんが、ここの看護婦さんだと、今日初めて知ったのだよ」

「何で我が家のお嫁さんになるかもしれない人のことを、知らないのだね。お前も無責任だね」

 母の厳しい言葉に、三人は苦笑いをするばかりだった。

 長引きそうな話に終止符を打って、恵のもとへ行くと、輝くような笑顔で迎えてくれた。

「金剛さんと詩織さんで、悪魔が植え付けた病気を取り払ってくれるのよ」

 恵は母の存在を気にしないで話してきた。

「良かったね。今度は自分の足で野原を走れるね。お兄ちゃんと競争しよう」

「お兄ちゃんも、詩織さんが本当に現れてくれてよかったわね。もう現れないと心配ばかりしていたのではないかしら」

私は、恵の鋭い指摘に何も応えられなかった。

 私はいつものようにトレーニングへ行き、詩織さんがいつもの時間に姿を現すと、なぜだかホットした。

全てが今まで通りになって、本当に現実だったと分かった。私は、詩織さんのお腹に自分の子供がいると実感できず、証を求めて、お腹に触れてみた。

「まだ大丈夫ですよ。でも今日はあまりとばすのはよしましょう」

 と応えて、詩織さんは、二人の愛の結晶を宿しているのを認めていた。

 星空を見ながら走りだすと、オリオンの星星に向かって、一本のサーチライトが伸びていった。すると、一際輝く星があり、詩織さんがため息を付くように言った。

「今日もまた、悪魔に魂を売った人がいるのね」

「せっかく魔界を浄化しても、すぐに戻ってしまうのかな」

「売られた魂の部屋は、増える一方なのかもしれませんね」

 詩織さんの手を取って走ると、何度も星空に向かって身体が浮いて感じられた。全てが本当の出来事だったと、改めて実感した。

私は走りながら、詩織さんへの熱い思いを語らずにはいられなくなっていた。

「私には、いつまでたっても、全てが夢だったのではないかと思えてしまうのです。詩織さんが、もう二度と現れなと、いつも心配ばかりしています。貴女なしの人生は考えられません」

「良介さんは、私を疑っておられるのですか。私たちの関係はそれほど特別なのでしょうか。私は、本当に愛し合う男女であれば、ごく当たり前だと思いたいのです。貴方が誓ってくれた言葉は、出任せだったのですか」

「出任せでは絶対にありません。私の心の中で、貴女はどこまでも大きくなって、心が張り裂けそうです。いつでも側にいて、守っていたいのです。貴女は、永遠に心の宝物です。心に宝物を持って生きるのが、一番幸せだと思っています」

「私も、貴方の宝物でいられるように、いつまでも貴方に恋をしていこうと思います」

 詩織さんを送り、家に帰ると、両親に子供ができたことを話すことにした。

「詩織さんのお腹に子供ができたのだよ」

 私は、何の悪気もなく、ごく当たり前の報告のつもりでいたら、父がすごい剣幕で怒り、拳骨をもらってしまった。

「人様の大事なお嬢さんを傷物にするなんて、とんでもないやつだ」

「まったくですよ。この子は固いだけが取り得だと思っていたのに、情けなくなってきますよ。親御さんに何て言ってお詫びしたものか」

「きっと詩織さんは泣いているぞ。早く結婚式を上げて、責任を取らなきゃならん」

「お父さんは、結婚するまで、私に指一本触れなかったのですからね」

 私は、両親の叱責に、言い訳をしようと思ったが、余りの剣幕に、ただ頭を下げて謝るしかなかった。

「ところで、良介が詩織さんと知り合ってどのくらいたつのだ」

「十日ぐらいかな」

「いつ関係を持ったか知らんが、何でもう妊娠したと分かるのだ」

「女の感ですよ。でも、詩織さんは、良介をよっぽど愛してくれているのだね。妊娠って聞いて、驚いてしまったけど、二人が深く愛し合っているのが分かって安心した」

 母が、いかにも思い深そうに語った。

 私は既に、ごくありふれた生活に戻ったのを知った。

両親の言葉を聞いて、詩織さんとの激しい交わりが、本当に愛し合う男女であれば、自然の姿だと考えられるようになっていた。夢か現実かを知ろうするのは愚かで、ごくありふれた生活の中に、本当の夢があると思いたくなった。

 恵は思いのほか早く退院できて、真二の用意したパソコンに、すぐに取り組んでいた。何日もしないで、すっかりパソコンを覚え、ホームページ開設に向けてがんばっていた。

「今日か明日にはホームページを開設できるみたい。お兄ちゃんが撮ってきてくれた野鳥の写真を使って、妖精の森の住人と言うコーナーを作ったのよ。お花のコーナーもあるし、将来は、私のおとぎ話のコーナーも作るの。お兄ちゃんと二人が主役の、冒険物語も書こうと思っているのよ」

「恵のホームページが、世界中の子供たちに見られるといいな。恵の心が伝わって、夢を一杯見せて上げられればいいのだが」

「すぐに結果を出そうと思っていないわ。命の続く限り取り組んでいくつもりです」

 恵のホームページは、真二や五人の仲間も加わり、素晴らしいものができ上がった。

 詩織さんとの結婚式について、両親からの強い指示で、詩織さんのご家族と面会する必要が出てきた。

私は、詩織さんの今の身上を、何も知らないのに気付き、面会のことが気掛かりだったが、詩織さんは一つ返事で日取りが決まってしまった。

 当日、我が家に詩織さんが姿を現すと、後に、鳥仙人さんが、慈愛に充ちた奥様を連れて、とぼけた顔で付き添っていた。

 私は事情が少しも理解できず、恵と真二に慌てぶりを冷やかされながら、必死に落ち着きを取り戻そうとした。

 詩織さんのご両親らしき二人に、両親は平身低頭して、挨拶を始めた。

「今回は、わざわざこちらまでお越しいただき、真にありがとうございます。このたびは息子がとんでもない不始末を致しまして、本当に申し訳ございません。大事なお嬢様を傷つけ、さぞお怒りのことと存じますが、全責任を取らせますので、どうかご勘弁をお願い申し上げます」

 私は、父の言葉に、両親の真心を感じ、親のありがたみを痛いほど感じていた。父につられ、手を付いて謝っていた。

「まあ、お手を上げてください。詩織は、こちらから望んで良介君に差し上げたものですから。こちらこそ、勝手を申し上げ、申し訳なく思っている次第で。早い二世誕生を急がせたのもこちらの望んだことで」

 格式ばった両家の面会は最初だけで、すぐに意気投合、大変な賑わいとなった。詩織さんのお母様はどこまでも慈愛に満ち、恵と対座すると神々しく感じられた。女神と天使の対談となり、二人は多くを語らなかったが、神々の御心を携えた者同士の苦労を、労わり合っているようだった。

 詩織さんの存在は、私一人のものではないと、強く認識する面会だった。そして、家と家との結び付きを、いかに深めていくかを知る勉強でもあった。儀式の中に、心の通い合いを感ずるにつれ、古いしきたりに、重さを感じないわけにはいかなかった。

 詩織さんの見送りをしながら、鳥仙人さんから、夢追い塾の話があった。

「近々に着工しようと思っている。バブルで設けたあぶく銭で、どれだけのことができるか分からんが、命をかけてやってみる。わしのやってきたことは、己の利益のために子供たちの夢を摘み取ってしまったことは確かだ。残された時間で次代にどれだけ夢を残せるかが、わしに課せられた責務だと思っている。地獄に持っていくしかない財産を、夢に振り向けられると思うと嬉しくなってくる。みんなで思い存分やってみてくれ」

 私は、鳥仙人さんの力強い言葉に、気が引き締まり、夢追い塾が夢であってはならないと、何度も口ずさんでいた。

 恵の病気がすっかり治って、妖精の森へ一緒に行った。

初めはゆっくりだったが、恵が自分の足で走り出した。まだまだ早く走れなかったが、風を感じて走っていた。

「お兄ちゃんも一緒に走りましょうよ。早く、もっと早く走りましょうよ」

 恵はさわやかな声をこだまし、大空を風神雷神が飛んでいた。

 私は恵が倒れやしないか心配で、何度も声を出そうと思ったが、髪をなびかせて走る恵は、空を舞うようで、妖精以外の何でもなかった。これからは、恵を背負って走ることはないだろうが、二人で走ったのが幸福の原点であるのを、いつまでも忘れないと思った。

 毎日のトレーニングに、詩織さんは参加しなくなったが、金剛さんが加わり、必ずしも全員が一緒とはいかなかったが、真二や五人の仲間も参加するようになった。多いときには八人全員が揃い、大変な賑わいとなった。

 全てが順調に動き出し、私と詩織さんとの結婚式を行うことになった。ごく内輪での結婚披露宴で、思いやりを守る戦士が勢ぞろいして、さながら、結団式の様相だった。両親は事情を知らず、初めは戸惑っていたが、子供が何人も増えたつもりで、結婚式と程遠い宴を、大いに楽しんでいた。

 夢追い塾の工事がいよいよ始まり、大きな夢が動き出した。

 良介は、懸命に夢を思い描いたつもりであったが、全て現実的なものだと思った。考えれば考えるほど、夢の生活は、ごくありふれたものになっていった。

 夢追い塾だけは何とか完成させたいと、何度もつぶやいていると、暗示が解けて、やっと身体が動かせるようになった。意識がはっきりしてきて、ゆっくりと起きだした。

着替えをしようと思うと、新しいトレーニングウエアが目に入り、ぼろぼろになっているはずのウエアは、どこを探しても見当たらなかった。魔界で活躍したはずの手鏡や、縄飛び、リュックなどが、恵の部屋に置いてあるだろうと、一瞬思ったが、望まない結果を考えると怖くなり、確認できなかった。

 身体中が痛みともつかぬ倦怠感が支配し、動くのが億劫だった。何をしたらいいのか分からないまま、当てを求めて食堂に降りていた。

 食堂には、当て込んだ通り、母の伝言が置いてあって、恵に何かあったことが記され、最も先んずるべきことを思い出した。

 良介は、病院へ向かいながら、心臓が高まってくるのをどうしても抑えられなかった。恵が本当に目覚めるのか容易に信じられず、今までの出来事は全て夢だったと、つい考えてしまい、恵の姿を思い浮かべるのが怖かった。

 恵の病室へ入る前に、夢ではないと、何度も言い聞かせながらドアを開けた。すると、聞こえるはずがない、恵のはしゃぎ声が心にこだましてきた。

「走ってお兄ちゃん、もっともっと速く走って」

幼い恵を背負って、風を感じて走っている姿が脳裏に大きく広がってきた。

「走ってお兄ちゃん、もっともっと速く走って」

「しっかりつかまっているのだよ。思いっきりとばすからね」

「でもお花は踏んではだめよ。虫さんにぶつからないでね」

「今度は森へ走っていくからね」

「あ、メジロさんが一緒に飛んでくる。あっちにはモズさんがいる」

「今度は川へ行くぞ。大きな魚が泳いでいるかな」

「私は小さいお魚がいいな。カニさんとも会えるかな」

「今度は空を飛ぶからね。しっかりつかまって」

「お星様を見にいくの。うれしいな。走ってお兄ちゃん、もっともっと速く走って」

 病室には両親をはじめ、真二、医師と看護婦が恵のベッドに向かって佇んでいた。

 良介は、二つのことが頭をもたげ、目覚めか、永遠の眠りか、心臓が破裂しそうになるまで騒いでいた。

足が思うように進まず、もがくように足を踏み出した。