4、出会い 武司が新聞を見ながら食事をしていると、二人の子供たちも起きだしてきて食事に加わった。二人とも男で、武司はどちらかが女の子だったらと、よく考えた。口に出すと、「お姉さん代わり」と、妻に皮肉を言われそうなので黙っていた。 恭子の子供は二人とも女で、小さいころから恭子の代わりに遊びにやって来た。特に下の娘は恭子にそっくりで、妻が妬くほどについ可愛がり、 「自分の子供より可愛いようね」 と、何度も厭味を言われた。 姪がほとんど顔を出さなくなって、結婚が決まったと聞かされたときは、恭子との繋がりを断ち切られるような思いとなり、堪らなく辛かった。 長男は姪と二つ違いで、年が近いこともあって遊ぶ機会が多く、好意を抱いているようだった。従姉弟の結婚話を聞いて少なからずショックを受け、沈みがちとなっていた。 二人の結婚も模索したが、本人の意思よりも、自分の恭子への思いが先行しているのに気付き、話を進めることは出来なかった。むしろ、従姉弟同志の結婚は好ましくないと吹聴し、暗に牽制してきた。 妻は、長男の沈んだ姿を見て、 「従姉弟同志でも結婚させてあげればよかったのに」 と批判してきたが、恭子とこれ以上複雑に絡み合っていくのは望まなかった。姪の結婚で、恭子との心のえにしを全て断ち切りたいと考えていた。 子供たちを見ながら、恭子への思いをぼやかそうと懸命に足掻いていたころを思い出していた。
恭子は、準備が整って結婚式場に出向こうとしながら、 「裕介と結婚すればよかったのに」 と、言ってはいけないと言い聞かせながらつい愚痴っていた。 「それは言わないの。叔父さんは反対していたのよ。それに、私はお母さんの分身でないの。今日の結婚式を心から祝ってくれなければ駄目よ」 次女に諭されながら、自分の未練がましい思いが気恥ずかしくなっていた。 「叔父さんは立派な大人なのよ。お母さんが心配してあげなくとも自分で幸福な人生を築いているわ。お母さんのしていることは子供のままごと遊びと同じよ」 恭子は、次女の厳しい言葉に一瞬血の気が引くようだったが、目が覚まされたことも確かだった。 武司との関係は、ままごと遊びに他ならないと感じはじめていた。そう簡単に武司への思いを清算できるはずがなかったが、次女の結婚で武司との心のえにしが薄らいでいくのは間違いないと思った。 娘の結婚に餞の言葉を贈るより、もらってしまった自分の愚かさを痛感すると共に、娘の成長を感じ取って複雑な顔を向けるしかなかった。 武司への思いが薄らぎ、娘が堪らなく可愛くなって抱きしめていた。 「もう急がないと」 と言って、長女が部屋に入ってきた。 二人の涙を見て、 「母娘の涙の別れ。意外とセンチメンタルなのね」 と言って、荷物を持ち出しはじめた。
昭和四十四年五月。十六日にソ連の惑星間ステーション、金星五号、六号が金星に到着。十八日にはアメリカのアポロ十号が打ち上げられ、二人の乗った着陸船が切り離されて月面一万五千二百メートルまで接近、母船とのドッキングにも成功して無事帰還する。 昭和四十四年の日本の経済は、イザナギ景気とよばれ、昭和三十六年の岩戸景気を上回る好景気となっている。十一月発行の岩倉具視新五百円札の造幣が始まる。東名高速道路の大井松田、御殿場間二十五・八キロメートルが開通し、三百四十六・七キロが全線開通となる。第三十六回日本ダービーは、入場者数十六万七千人、売上五十六億七千万円、新記録の盛況の中、ダイシンボルガードが優勝する。東京ではスモッグ注意報が出され、夏場に向けて大気汚染が深刻化していく。 大学紛争は沈静化に向かっていたが、大学立法に関連して、京大、明大、日大など、紛争が激化し、機動隊との小競り合いが続いている。東大では、紛争の火元であった医学部が一年四ヶ月ぶりに授業が再開された。大学紛争をよそに、デート禁止の女子短大が話題になっている。タクシーの乗車拒否が問題となり、警察の取り締まりも効果なく、改善の見込みがない。国鉄、動労が機関助士廃止に反対してストに入り、長距離列車を中心に全国で百四十本が運休、混乱をきたす。
五月三十一日土曜日。武司は強い陽射しを感じながら熊谷を出ると、国道十七号が予想外に渋滞しており、時間を気にしながら車を走らせた。 早めに家を出たつもりであったが、待ち合わせ場所の喫茶店に着いたのは、約束の十一時を三十分ほど回っていた。既に他は揃い、武司が顔を出すと一斉に顔を向けてきた。その中に、見知らぬ三人の女性の顔も混ざっていた。 「遅いじゃないか」 と、グループのリーダー的存在である大久保が声をかけてきた。 仲間と一年ぶりの懐かしさや、近況報告が手短に交わされ、お互いに少しも変わらないことを確認し合った。 武司は人付き合いが乏しかったが、高校のときに本が取り持つ縁で六人のグループが出来上がり、それなりの交流があった。恭子から離れて自分の意思で活動した唯一の付き合いで、旅行などもしてきている。 大久保から三人の女性が紹介されたが、三人とも高校の同窓生と言われ、何となく見覚えがあるような気がした。 女性が加わることに何の考えも持たなかったが、意外であったことは確かで、無用に意識して、思うように打ち解けて話が出来なかった。 この時代の男女交際は、高校生では突出した者の世界であり、男女共学であっても通常の学生は、男女が表立って連れ添う姿をまず見ることがなかった。比較的おとなしい人間が寄り添って出来たグループで、女性には縁がなく、女性が加わることはグループの大きな前進と考えるべきだった。 食事を注文し、同人雑誌の運営について具体的な話し合いに入っていった。 大久保が同人雑誌を制作するのに必要な謄写版などの値段を調べてあったので、予算はすぐに目算がたった。発行回数についても話し合ったが、実際に進めてみないことには想像が付かず、取り敢えず創刊号を早めにだそうということで、原稿の締め切り日を決め、話し合いがまとまった。 雑誌の話し合いでは幾分堅苦しさが付きまとったが、開放されて思い思いに話しだすと一気に打ち解けたムードとなり、不慣れなはずの男女の交流もスムーズに進み、結成されたばかりのグループとは思えないほど仲間意識が高まった。 食事が済むとドライブに出ることになり、武司は、同人雑誌を作ることより女性を交えて遊ぶのが目的のようで幾分抵抗を感じた。女性も同意しているならよいがと気掛かりだったが、皆がうきうきしているようで、男女の交流に理屈があるはずもなく、野暮なことを言うまいと思った。ただ、言葉をほとんど発しなかった美里だけが、怪訝な顔をしているようで気になった。 美里は常に下俯き加減で、黙って聞くばかりで笑顔を見せなかった。しかし、同人雑誌を作ることには関心があるようで、話し合いのときに決まったことを、一人メモを取っていた。 美里を特別に意識するつもりはなかったが、浮かぬ顔が気になってつい視線がいってしまい、無理に仲間入りさせているようで気の毒になっていた。 二台の車に別れ、缶詰状態でのドライブが始まり、母校を訪れてから児玉方面に向かった。間瀬川をせき止めて人工的に作られた間瀬湖を訪れると、山間の木々が初夏の装いにすっかり衣替えし、精気がみなぎっていた。若さみなぎる二十歳の息吹はおのずから同調し、際限のないほど華やいでいた。 明るい陽射しの下に身体をさらけ出すと自然と開放的になり、話が弾んで笑い声が絶えず、まだ会って何時間もしないのに、すっかり気の合ったグループとの雰囲気が出来ていた。 武司は積極的に会話に加わらなかったが、女性が混ざっての交流の価値を少なからず感じはじめていた。 美里に目をやると、初夏の明るい陽射しが容姿を鮮明に浮き上がらせていた。長い黒髪を二つに束ねて胸に垂らし、小作りな顔は浅黒く、頬は丸みがあり、目鼻口がこじんまり整い、艶やかさは無いが、清楚な美しさがあった。 美里は相変わらず口数が少なかったが、不快ということもなさそうで、時々笑みがこぼれるようになっていて安心させられた。美里も男女の交流に慣れていないようで固さが抜けず、ややもすると男に対する警戒心とも感じられ、回りも遠慮して積極的に語りかけなかった。 美里を意識していると、恭子への思いが薄らいでいるのに気付いた。特別に心を引かれているとは思わなかったが、何故か気になって仕方がなかった。 仲間のはしゃぎ振りに、武司と美里が置いてきぼりを食った形となり、成り行きとして二人で静かに語らう舞台が出来上がっていた。 「森田さんは書くのは好きなんですか」 違和感無く言葉が出て、美里を特別に意識せずにいられた。 「本当は書くことが苦手なんです。もうすぐ二十歳になると思うと、今までの何もしない自分を少しでも変えてみたいと思って参加してみたのです」 仲間外れになった同類のよしみを感じるのか、美里も打ち解けて話してきた。 「自分は時々書かずにいられなくなることがあるんだ。書くことが言い訳になって受験勉強に集中できずにいるみたいで、何ともお粗末な生活をしている。生きることの目的も失われ、なんとなく時間が過ぎていってしまう」 会って間もない人に話す内容ではないとすぐに気付いたが、後悔はなかった。 「二十歳が特別な意味を持つとは思えないけど、大人として自分がいったい何をしようとしているのか考えると、目的が見えなくなってきます」 「自由なはずなのに、社会そのものが生き方を規定しようとしている。規定された生き方に疑問を持たない人間はいいが、自由に生きてくるとかえって時代に適合できなくなってしまう。会社のため、社会のためと、うたい文句は聞こえがいいが、本当は自分のために生きてるんだから、自分らしさを追求していかなければ生きる意味がない」 「自分らしく生きるのはとても難しいと思います。自分らしくと思っても、回りのことが気になって、結局は何をしたらいいのか分からなくなって、何となく時間が過ぎていってしまいます」 武司は話が難しくなってしまったと少々後悔したが、同人雑誌の目的に沿った会話だと考えていた。かつての付き合いから想像すると、集まったメンバーの誰もが、時代に適合せざるをえないと分かっていても、少しでも自分らしさを追求しようとの思いが、書くことに繋がっていると理解していた。 美里も例に漏れず、懸命に自分らしさを見出そうとしていた。追い求めるものが際限なく類似し、話が合うのが頷けた。 食うことから経済成長が最優先される時代へと変貌を遂げ、経済優先は仁義無き戦いとなり、企業モラルを失墜させ、水俣病などの公害や、無節操な自然破壊を許容していた。さらには、人間が人間らしく生きることを許さなくなってきており、男女に関係なく、人生の選択が難しくなってきていた。 女性の企業進出が脚光を浴び、女性は結婚が就職との風潮は薄れ、仕事と家事や育児の価値を比較し、どちらに自分らしさを見出すか選択を迫られる時代になっていた。むしろ、経済のうねりは女性の労働力を巻き込むことを前提に高まっており、選択の余地は無いに等しかった。 自分がいったい何をしようとしているのか見えないままに、気持ちが置き去りになって進学、就職と、多くの者が無難な道筋を歩んでいた。一方で、人生を自分の意思でどこまで作り上げていけるのか思い悩む者も多く、時代の波に押し流され、身動きが取れなくなることを予感しながら生きていた。 恭子の保護下にあって、思うまま儘に生きてこられたと、武司はいつも感謝していた。自由を実感しながら選択したものは、恭子への甘えばかりで、先々の道筋を全く見出せないままに日々楽しんできた。 恭子自身も、自分が甘えることを最高の喜びとしているのが感じられ、お互いに絶対に成り立つはずがない永久の幸福にしがみついていた。恭子を失うと脱け殻のような生活となって、生きていること自体無意味に感じられ、書くことに心を癒す生活となっていた。 武司は、美里が心の空白にしみ入るように入ってくるのを予感していた。それは恋愛感情と必ずしも一致せず、お互いの空白地帯が偶然にも重なり合って引きつけあっているようにも思われた。 ドライブを終え、解散する段階になって、美里の家は地元でも町の外れにあり、バスで帰ることを知った。武司と帰る方向が同じで、成り行きとして車で送ることになった。 仕組まれていたわけではないのだろうが、今日の出会いはいやが上にも自分と美里が浮き上がっているように思われた。 美里のことはまだ少しも分からないはずだったが、男女の交流に臆病になっているように感じられた。議論を交わしていても厚い壁に阻まれ、どうしても入っていけない世界があるような気がした。 二人の関係はあくまでも同人雑誌を介しての付き合いであり、男女の色恋に結び付けるのは不条理で、建前を抜きにしては成り立たないと意識していた。美里の心に入り込めないと感じながらも、不思議と同調し合うものがあり、間違いなく気になっていた。 武司は沈黙を恐れ、二人になるとすぐに言葉を発していた。 「作家は誰が好きですか」 「特に好きな作家はいないですが、志賀直哉の作品を多く読んでいます」 「自分は現代作家の作品を読みもしないのに初めから毛嫌いして、もっぱら漱石や龍之介に傾倒している。志賀直哉も幾つか読んで、短編はいいと思ったけど、長編は面白くなかったな」 「私には評価ができないです。どんな本でも苦にならないけど、文字を追っているだけで、何を読んでも特別に感動を持つわけではないのです」 「自分も本当の評価は出来ないかもしれない。読むよりも書くことを意識して、自分の考えと違うと不満になってくるんだな。表現力や構成力など、文学的な価値が分からずに論理性を追求し、人間はこうあるべきだと決め込んで、それに合致しないとまやかしみたいで価値を感じなくなってくるんだ」 「考え方の違いで表現の仕方が違うのは当然だと思います。でも、私も何かが違うのではとつい考えてしまい、どうしても素直に受け入れられないです」 車のなかでも違和感無く言葉が交わされ、堅苦しい内容になることは否めなかったが、ややもすると恋人同士のような雰囲気を感じていた。二人を見る誰もが恋人同士と錯覚するに違いなかった。武司は、正しく錯覚だと言い聞かせ、男女の関わりに何のこだわりもいらないと思っても、単なる友達と強調する必要を改めて意識していた。 美里の家は古い大きな農家だった。車を止めて、美里を下ろしてすぐに立ち去ろうとすると、 「寄っていってください」 と言われ、家に案内された。 農家の典型的な家屋で、土間に入り込むと美里の両親が顔を出し、高校の同窓生と言って紹介された。二人とも穏やかそうで、けっして愛想は良くないが、実直そうな雰囲気が感じられた。二人とも高齢に見えて、美里は歳がいっての子供だと分かった。 お茶を進められたが、丁重に断って急ぎ帰路についた。ただ単に行きがかり上紹介されたに過ぎないと思ったが、幾分堅苦しさがあり、特別な儀式を行ってきたような感覚が残った。 五時を回り、国道十七号に出ると酷い渋滞となっていた。のろのろ運転をしながら、今日一日の出来事を振り返っていた。 美里との関係があまりにもピッタリと噛み合って不思議でならなかった。今までに女性との付き合いは無く、全てが新たな体験でありながら、戸惑いを全く感じなかった。 美里は異性に対して臆病になっているはずだったが、何故か打ち解けてきているようで、運命的な出会いを感じないわけにはいかなかった。 武司は家に着いて、机に向かうと美里のことが思い出され、湧き出てくる思いを書き綴ってみたいと思った。 恭子の存在が薄らぎ、女性を好きになるとの実感があった。時間が立てば立つほど美里が好きになっていた。それは、恭子からの脱皮を模索する姿でもあり、美里に夢中になることを望んでいた。 一方で、あまりにも短兵急な思いに安直さが拭えず、恋を見出せなかった。美しさに憧れるが、美里が男であっても、気の合う友人として付き合っていたに違いなかった。正にガールフレンドであった。 美里への思いがいかに発展していくか全く想像が付かなかった。美里の臆病な面を感じると、安易なきれい事を振りかざして恋愛を語ったとしても、傷つけるだけだと感じられた。独りよがりに文字を綴って、恋に発展させていくのは不可能だと思った。 美里への思いを同人雑誌に載せるのはすぐに諦め、恭子を失った虚無感に気持ちが切り替わって、「生と死」と題して書きはじめていた。 自由という言葉は非常に聞こえがいいが、自由が選択する人生が何なの考えると、けっして自由でなくなってしまう。 大学紛争を考えても、闘争に明け暮れる学生が選んだものは、自由を基本に行動しているはずなのに硬直した考えに縛られ、他の考えを聞き入れずに排除しようとしている。思いどおりにならない相手は、暴力的に自由を奪おうとしているように思えてならない。自らの自由を守るために、他人を犠牲にすることなど許されるはずがなく、自分ひとりの世界ではないのだから、一定の制約を受けるのは当然である。自由のつもりでいても、他者の様々な影響を受け、経験によって考えが異なってくるのがごく自然な姿で、人それぞれの考えがあっても当然である。 自分自身、自由を謳歌してきたが、それは姉を犠牲にして成り立った生活で、姉の自由を限りなく縛り付けてきた。だが、姉は一切の異を唱えず、束縛されていることを承知で単調な生活を懸命に維持しようとしていた。一方で、自分も自らの欲求を満たすことより姉が望むことを叶えようとしてきた。本当に自由だったのか分からないが、自らの意思で選択したものであった。むしろ、姉を失うと自分で作り上げてきたものが何もないことに気付き、姉の存在がいかに大きかったか実感した。 姉の存在は、物質的な擁護の価値ではなく、精神的な支柱であり、自由のつもりが、姉がいて自分のやっていることに意味があり、ややもすると姉のために生きているかのようであり、正に生きる術であった。生きる術を失った今、何を目的に生きていくべきか皆目分からない。 自由に生きていても、自分の欲求を満たすことを選択するとは限らず、相手の気持ちを考えることも自由である。人間の行動は人間関係に大きく左右され、互いに影響しあうことを欲している気がする。影響しあうものがなくなれば本来は気ままなはずであるが、むしろ自分がやろうとしていることの意味が薄れ、同じことをやるにしても意欲がなくなって苦痛になってくる。生への執着を推し量ってみると価値が見出せなくなり、自由が作り出すシナリオは、死への逃避行を模索させている。死の選択は絶対にありえないのに、死を意識することによって自らの生きざまを正当化しようとしている。 それは怠惰な心から発するもので、窮地を知ることなく、いたずらに逃げまどう姿である。現実を直視して人生を切り開いていくしかないのに、何もせずに時間を浪費している。自分は何をしようとしているのか考えれば考えるほど、何もしていないことを知る。生きる目的と生活手段との板挟みにあって、自分が何を成しえるか考えると、どんなに自惚れてみても高が知れている。成り行き任せに時代に適合していくしかない気がしてくる。 生きることに苦痛を感じているわけではなく、現状を打開することが億劫なだけで、いつまでも甘えを払拭できずにいる。死が目的とはならないが、生きる目的も、生活の手段も見出せなければ、行き着く先は決まってくる。死への憧憬がないにしても、無為に生き長らえるよりも、自らの意思として死を選択することをいさぎよしとしている。 そもそも人生を論ずるだけの実績も実力もなく、ただ単なる横着に過ぎない論理は何の価値もない。自由の選択が怠惰をもたらし、怠惰を正当化するために理屈をこね繰り返して、社会の問題に転化し、批判しようとしているのである。どんなに素晴らしい理想論も、日々の生活を作りえないものには成り立つはずがない。 では生活とはいったい何なのだろうか。生命を維持していくための日常の営みは、仕事にしても家事にしても限りなく単調である。ロボットであれば、何の疑問をもたずに決められた工程を決まったとおりにこなしていけるだろうが、人間であるからには、様々な欲求があって、単純に同じことを繰り返していくのは困難である。それでも同じことを繰り返していかなければ生活は成り立たず、自らの欲求を律して、規則的な生活に意思を差し向けなければならない。それが、義務的なものなのか、自由な意思で選択するものなのかで、生活の意味が全く違ってくる。 単調な生活に満足できるとは思えないが、生活を支えることが目的となって日々を懸命に築いていく人間が少なからずいる。むしろ日常生活を維持していくことが主で、雑多な欲求を満たすことは余暇として位置付けられ、社会は何とか維持されている。様々な欲求を駆り立てられる現代において、生活重視の気持ちを維持していくのは並大抵ではない。時代に翻弄されて生活が乱れていくのはやむを得ない気がするが、誰もが同様であっては、社会そのものが維持出来ない。消費が美徳とばかりに懸命に欲望をそそるものがいるかと思うと、正常な生活をいかに維持させていくか躍起になっている人間もおり、自分自身がどうあるべきか考えると、生きることが非常に難しくなってくる。 仕事にしても、家事にしても、自分の自由な意思で気持ちを込めて続けていけるとするなら、何がそうさせるのだろうか。それが分かれば生きる目的が明らかになってくるのかもしれない。 生活の根源を成すものが何なのか問わざるをえない。偉人を真似て大義名分を掲げるのは無理があり、自分勝手に生きるのも自己満足になって味気がない。自らに正直になって探究していくと、それは、在り来りな答えに辿り着くのではあるまいか。 武司は書き終えて、恭子への思いが蘇ってくるのを感じていた。懸命に脳裏から振り払おうとしたが、律しきれずに虚しさに包まれ、恭子への思いを書かずにはいられなかた。 一方で、恭子への熱い思いを仲間に知られるのが憚れ、特に美里に知られるのを恐れているのに気付いた。恋に発展させていくには、恭子への思いを全て断ち切ることが絶対条件に思われた。 武司が書き綴りたいと、心のなかで揺れ動く恭子への思いは、秘め事として日記帳に記されるだけだった。
六月に入り、政府は沖縄返還について核ぬき本土なみ、七十二年度実施の方針を決め、七十年安保自動延長とあわせ、ニクソン大統領に提案することになった。ベトナム戦争終結に向け、ニクソン大統領が八月末までに米軍二万五千人を南ベトナムから引き上げると発表した。アポロ十一号の七月十六日打ち上げが正式に決まり、フランスではドゴールからポンピドーに大統領が変わり、チェコではソ連のプラハ侵攻に伴う自由化運動家の粛清が始まる。 政府経企庁は、昭和四十三年の国民総生産が五十一兆九百二十億円で初めて五十兆円の大台を超えたと発表。西側では西ドイツを抜いて、アメリカに次ぎ第二位となるが、一人あたりの所得は世界で二十位程度と推定される。国連が、一九五八年から一九六七年、十年間の工業生産の伸び率で、日本は二四五パーセントで世界一の成長を遂げ、世界人口は一九六七年半ばで三十四億二千万人を超えたと発表した。 日本自動車の欠陥問題がクローズアップされ、トヨタ、日産をはじめ、十社合わせて二百四十五万台に上ることが明らかになる。交通事故死の数が六月に入って七千人を越し、前年より一ヶ月も早く達成する。熊本の水俣病問題では、チッソ会社に対して、患者百十二人、六億数千万円の損害賠償請求が出される。サトイモ、ごぼう、サツマイモ、グリンピースなどの色付き野菜が問題となり、漂白剤や色素などの使用禁止が取りざたされている。 世界女子バトミントンで、日本の高木、湯木、天野、高橋がインドネシアを破り、王座を初防衛する。競馬では、元値二百五十万円のタケシバオーが九千万円を超える賞金を獲得して話題となる。テレビでは、石坂浩二の「天と地と」、渡哲也、栗原小巻の「あいつの季節」、丹波哲郎の「キイハンター」などが話題となっている。
六月二十八日土曜日。「さざなみ」と銘打って創刊号が発行され、創刊を祝して一ヶ月ぶりに仲間が集まった。自己紹介が中心だったが三十ページに及ぶ雑誌となり、思った以上の出来栄えに、誰もが嬉しさを隠さなかった。 武司は雑誌を読みながら、自己紹介や投稿作品と、今までの交流で感じていたイメージを重ね合わせ、仲間一人一人の人物像を思い描いていた。 リーダーの大久保は、おっとりしているように見えるが、けっこう何にでも気が回る性質であり、仲間うちでは遠慮せずに表立って動いているが、他では目立たない存在で、むしろ臆病に見えた。時代に適合する能力は高く、何でも無難にこなしていくタイプで、心で不満に思っても、臨機応変に切り盛りできそうである。 水野は中々の博学で、広範に渡って造詣が深かった。常に冷静で、それでいて自分をしっかり持ち、目的を決めると確実に遂行していくタイプである。回りに振り回されないのが魅力であるが、時として冷めた感じにも受けとれた。期待の持てる同人である。 沢田は頑固なまでに自分を持ち、回りのことは気にせずに自分の世界を楽しんでいる。だからといって他人のことを無視するわけではなく、相手の考えも尊重し、思いやりもあって非常に繊細な感性の持ち主である。人付き合いが上手いほうではなく、余計に仲間を大事にしていた。 石橋はいたっておとなしい性格で、居るのが忘れられそうな存在だった。仲間うちでは自分の考えを出そうとしていたが、結局は皆に合わせることになり、お人好しは否めず、周りに振り回されていることが多かった。何事も目立たずにこつこつやるタイプで、優しさと堅実さが魅力であった。 井田は自分に正直で、内向的な人間の集まりにあって、一人積極的なタイプだった。遊びに関しては先駆けで、仲間にいい刺激を与えていた。根は真面目で、手堅い生き方を意識しているようだったが、素直な気持ちが前面に出て、青春を謳歌しようとする姿が時として不真面目に感じられてしまう。 江利子の筆致は柔らかく優美で、書き慣れた感があり、同人雑誌は彼女のためにあるような感じさえした。文才もあるようで、どんな作品が拝読できるのか楽しみである。視野も広く、しっかりした考えを持っているようで、女性の考えを知るということでも大いに期待してしまう。 秀美は気弱で女性らしさが感じられ、平凡さがかえって新鮮な心模様が窺えた。他人の考え方を学ぼうとする姿勢が強く、好感が持てる。女性らしい感性で意見が出されれば、今までにない議論が出来そうで、男の独りよがりに良い刺激になる。 美里は書くことが嫌いだと自らを語り、そんな自分を少しでも変えようとするのが参加目的のようであった。文章に固さがあり、今まで感じ取ってきた姿が、文章にそのまま出ていた。 武司は、同人として集まった誰もが、何かをしなければとの思いと、人生に対する不安とが交錯して、生きていくヒントを得ようと足掻いているように感じられた。既に仲間意識が強まって、普段では中々語り合えない本音も出て、ペンネームに託された語らいは奥深いものとなっていた。 食事を挟み、同人雑誌の出来具合が延々と論議されたが、武司の生と死をテーマにした文章が特に話題になっていた。次回からは、共通のテーマを決めて論じ合っていくことが決まり、月刊誌を目指すことになった。 武司は雑誌の出来具合もさることながら、美里が気になって仕方がなかった。美里は黙って聞くばかりだったが、けっして仲間外れというわけではなかった。言葉を交わすには席が離れすぎて遠い存在になっていた。 美里との距離を感ずると前回の出会いが夢でしかない気がした。全くの別人が存在し、美里への思いも薄らぐようで一緒にいるのが辛かった。 二次会が提案されたが、武司はその気になれず辞退した。すると、美里も用があるからといって、一緒に帰宅することになってしまった。 何一つ示し合わせていたわけではなかったが、雰囲気として、二人が特別な関係になっていた。美里は、全く意識していないと想像されたが、男女の関わりとして大胆極まりない言動であり、平静を装うのに躍起になっていた。 武司は二人の関係が特別になるのを恐れていた。入り込めない心の奥底に、計り知れない臆病が潜んでいる気がしてならなかった。特別がもたらす結果は終局との予感があり、常に必然性に裏打ちされた行きがかり上の出来事とすべきだった。 美里はいとも簡単に禁を侵しても、表情に一切けれんみがなく、余計に心が分からなくなっていた。誰が考えても自分を好いているとしか言いようがなかったが、今まで座っていた距離以上に遠く離れた存在でしかなかった。 美里の無表情な語らいに明らかに幻惑されていた。恭子との特殊な世界から抜け出して、ごくありふれた世界に走り出したつもりが、今まで以上に不可思議な世界に入り込んでいた。自分には荷が重すぎると思いながら、心は抑えようがなく奪われていった。 武司は、二人になっても言葉を発することが出来ず、すぐ傍にいるはずの美里が、どんどん遠ざかって、そっぽを向いている姿を思い描いていた。迷宮を彷徨っているように心を詮索していると、今まではけっして先んずることがなかった美里から話しかけてきた。 「在り来りの答えは何ですか」 問いただすような言い回しだった。 創刊号に人生の目的を謎掛けた文章を掲載し、同人の反応を見ようと思っていた。いきなり答えを要求されて面食らい、何と応えたものかすぐに言葉は浮かばなかった。 美里がじれるように、 「私には答えが分かりません」 と言ってきた。 「人それぞれの答えがあってもいいと思うんだけど」 「でも、在り来りと言っているからには、答えは一つのはずです」 武司は責めたてられているようで、謝るべきなのか考えていたが、 「愛だと思う」 と、つい応えていた。絶対に言うまいと思っていたが、美里の気迫に屈して、あたかも愛を告白するような感覚となっていた。同時に、二度と修復できない関係になってしまったのではとの危惧を抱いた。 美里は暫く沈黙していたが、 「姉は、人間の心は変わりやすく、愛は不変ではないと考えています」 と言って、会話を継続する意思が示され、取り敢えず危機が回避されたと分かった。 「確かに愛を持ちつづけるのは難しいかもしれない。特にこれからの時代は精神的なものより物質的なもののほうに人の目が向いていく気がする」 武司は、愛を信じたいと言いたかったが、美里の考えが全く分からず、現段階でこれ以上深入りするのはとても恐くて言葉を呑み込んでいた。 美里の家に着くとお茶を飲んでいくように言われ、 「用があるんでしょ」 と、聞くと、 「遅くなるのが嫌だったのです」 と、あっさりと答えた。 武司には、二人になることが目的ではないと言っているようにも聞こえ、関係は全く進展していないと思った。 立ち寄ることを合意したが、それも形式的なことだと、自嘲するように暗黙していた。甘い期待を抱いていたことも明らかで、浮き沈みする関係に少々疲れを感じ、ちょうど良い休憩だと納得していた。 座敷に上がるように勧められたが、上がるのは固辞して、結局縁側で父親と語らうことになった。 美里はお茶をいれると、傍らに正座して二人の語らいを黙って聞いていた。 広い庭の片隅に、雨を待ちわびるように紫陽花が勢い乏しく咲き、少し離れて菖蒲が寂しげに咲いていた。 日常では感じられない季節感を意識し、三人の据えられた状況と相まって、遥か昔に身を置くような感覚がよぎった。 「お宅は学生さんかね」 「浪人ということになっているのですが、大学へ行くかまだ分かりません。何をするか考えているところで、大した能力がないのに望みばかりが高くて、少々甘ったれている気がします」 「まあ、慌てずにやることだな。まだ先が長いんだから、その気になれば何だって出来るよ」 「自分もそう思います。やりたいことが出てくればその気になると思います」 「親御さんは何をしてるんだね」 「姉と二人だけなんです。母は十四年前に病気で亡くなり、父は七年前に業務災害で亡くなって、姉も二ヵ月前に嫁ぎ、今は全く一人で呑気にやっています」 「それは寂しかろう」 「姉に可愛がられて育ちましたので、両親がいなくとも寂しいと感じたことはないんです。姉が嫁いだのはちょっと辛かったですけどね」 父親のゆったりとした話し振りに、武司もすっかり同調して、久々に安らいだ気分となっていた。 美里は最後まで傍らに正座して、二人の様子を窺うだけで何も語らなかった。今置かれた状況を昔の写真を見るように頭に描き、古いしきたりがそのまま生きている家風なのかとつい詮索していた。父親の柔和な笑顔からは男尊女卑を見出せなかったが、かつて経験したことのない古風な情景に、現代が遥か彼方に遠のいていた。 美里の表情は、二人のときの固さはすっかり薄らぎ、心なしか笑みを浮かべ、満足そうに語らいを聞き入っているように思われた。美里にとって自分はいったい何なのか益々分からなくなっていた。今置かれた状況は、二人の関係が確実に深まっていく儀式のように思えてならなかった。 美里に見送られながら車を走らせた。最後に見せた美里の顔は表情に乏しく、深く頭を下げたが無言であった。それは、恋人との別れとは言いがたく、一気に遠ざかっていってしまった。 相変わらず国道十七号は混雑していた。抜け道に気付いていたが知ろうとは思わなかった。美里の家に立ち寄る必然性を失いたくなかった。渋滞に身を委ね、時間を掛けて美里のことを考えていた。 恭子への思いはすっかり失せて美里に夢中になっていた。近づいたり、離れたりする姿に幻惑されて、理解の及ばない世界を懸命に理解しようと足掻いていた。足掻けば足掻くほど分からなくなり、美里への思いはどこまで行っても行き着くことはなかった。 武司は、心が美里に奪われるとともに、自らの生きざまを探究していた。精神世界は恭子からの脱却が進んでいるように思われたが、現実をいかに切り開いていくか全く白紙だった。 大学受験を前提に生きているはずだったが無目的で、受験勉強の必要性を少しも感じなかった。必要性がなくとも右へならいをするのが得策だと言い聞かせたが、結局は迎合することが出来なかった。 今のところは死んだ親の財産で食うに事欠かなかったが、自らの力で生活をしていくことが何よりも重要だと考えていた。自立して初めて自由が成り立つと言い聞かせ、何も生産しえない自分に自由はなく、論ずる資格もない気がした。同人雑誌に参加するのも、美里を好きになるのも憚られた。 時代の流れは、仕事に人生が翻弄されているように思われた。仕事と人生を同率に置くのも我慢ならなかった。仕事は大きな人生の枠組みからすれば、ほんの些細なものとして常に意識していた。 求人難の状況を考えると就職はいつでも可能と考えていた。だが、肝心の人生が置き去りになり、何をしたいのか全く分からなかった。生きること自体価値を見出せなくなっていた。 虚無感のなかに、美里だけが鮮明に浮かび上がっていた。堪らなく美しいと思った。完全なる形を思い浮かべたが、それは、血の流れも肉感も感じえない、透明感溢れるガラスの置物でしかなかった。自分自身、美里と一緒に並べても違和感のないガラスの置物に思えた。 武司は次号の原稿に手を付けていた。東北を回ってきたことを書こうと考えていたが、美里の手前、つぶさに書くのはいささか躊躇いがあって、「東北の現状」と題した固い論文となった。 各駅停車の列車の旅をしてきた。新潟を含む東北の各地を、車窓というごく小さな視野で見て回り、そこで感じえたものを語ってみたい。 どこの県も県庁所在地を中心に都市化を図ろうと躍起になっているのが窺えた。大きな町の周辺には新築住宅が数多く立ち並び、開発と自然破壊とがセットになって、問答無用の近代化のうねりを感じさせる。一方で、大きな町を離れると昔のままの古めかしい風景が広がり、近代化とは全く疎遠な過疎の状況を垣間見ることが出来る。 テレビの普及で情報格差が縮まり、テレビが提示する情報の真偽は関係なしに、生活判断の基準となり、人間の欲望と相まって物の溢れる大都市への憧憬を無視出来なくなってきている。 都市によって近代化の方向性が異なり、ただ単に東京を真似ることに終始するものと、地域の個性を失わないことを基調に都市化を押し進めるものとがあり、ほんの僅かなさじ加減で、地域固有の文化の命運がかかっているように思われた。 過疎化の現状も痛感した。列車に乗り合わせた若者は高校生ばかりで、高校を卒業すると多くが大都市へ流出していく実態が想像された。古来の生活習慣に身を置く若者もいるとは思うが、それが果たして恵まれた環境と言えるかどうかは定かではない。残存する男女比率の推移を考えると、結婚問題がより深刻化していくと思われる。 古いものにこだわる必要はないと思うが、必ずしも新しい風潮が良いとも思われない。歴史が刻まれた生活習慣には、人間の理に適ったものが篩にかけられて定着してきたはずで、安易に変更するのも考えものである。特に精神文化の面を考えると、歴史に学ぶべきものが多くあるような気がしてならない。 時代の潮流は、物が溢れ、欲望の探究が義務づけられているかのようで、どうしても精神生活が置き去りになってしまう。人間の本性を考えると、良識よりも欲望が先立って時代に振り回されてもやむを得ないと思うが、それが、進歩として誇りえる、万民の幸福と結び付くとは考えられない。 現実を考えれば考えるほど、地方の過疎化に歯止めをかけるのが不可能に感じられ、列車に乗り合わせた高校生を見ながら、純朴さが失われていくのをただ手をこまねいているしかないと思った。 列車の旅で時間の流れを意識しないわけにはいかなかった。限られた時間のなかで、より有効に時間を過ごすというのは人生の命題である。交通機関が発達して移動時間が格段に短縮され、より時間が有効に使えるようになったはずである。文明の力と相まって無駄のない充実した時間が過ごせると信じたいが、実際は、無制限の情報に翻弄され、有余は常に塞がった状態で、時間に追われるという実感を拭えずにいる。時間短縮の意味合いが果たしてあったのか不明となってくる。 過疎化の現状を憂えながらも、地方に見る、ゆったりとした時間の流れは、現代人が失いつつある安らぎを取り戻してくれるようで、人間性を回帰させる重要な役割を果たす気がしてならなかった。人間が本当に求めているものを考えると、より多くの物を積み上げていくよりも、安らぎを感じえることの方が、より価値が大きいのではないのか。 長閑さに限りなく憧れながらも、自分の生活を田舎に置くことに手を上げられるかというと、すぐには答えが出せない。ただ、地方で見た人々の表情に、堪らない魅力を感じていることは確かである。
六月の末から七月のはじめにかけて、大陸の低気圧と梅雨前線が影響しあって西日本一帯で大雨となり、被害は二十七府県、死者五十八名、行方不明五名、負傷者百二名、公共施設の被害額は八十二億円に及んだ。気象庁は、七月十六日に関東以西の梅雨明けを発表した。 人類初の月着陸を目指すアポロ十一号は、アームストロング、オルドリン、コリンズの三名を乗せて、予定通り七月十六日にケネディ宇宙センターから打ち上げられた。二十日にアームストロング、コリンズ両飛行士の乗った月着陸船が月面の「静かな海」へ着陸、アメリカ東部夏時間、二十日午後四時十七分四十秒に、アームストロング船長が左足から人類初の月面に降り立った。ソ連では宇宙ステーション月(ルナ)十五号を十三日に打ち上げ、二十一日に月面に到着した。二月二十四日に打ち上げられたアメリカの火星探測器マリーナ六号は、七月二十九日、火星からの写真を伝送してきて、テレビ中継された。 南ベトナムからのアメリカ兵第一陣の引き上げ、八百十四名が八日に帰国した。東大の紛争は七月で全ての学部が正常化となった。他の大学でも同様に沈静化の方向にある。小中高の体格測定の結果、十四歳の女子に肥満が多いとの結果が出て、原因をテレビの見すぎとしている。 大相撲の一時代を成した柏鵬の柏戸が引退し、横綱が大鵬一人となる。次代を担う新横綱として期待がかかるのは、北の富士、玉の島、琴桜などが上げられ、清国、長谷川、前乃山、麒麟児、竜虎、高見山なども活躍している。アメリカの主婦、シャーロン・アダムスさん三十九歳が、全長九・四メートルの「シー・シャープ二世号」で、五月十二日に横浜を出港して、七月二十六日にサンジェゴ港に入港、女性初の太平洋横断を果たす。ソ連の著名な作家、アナトリー・グズネツォワ氏がロンドンで亡命する。 夏休み映画では、長編カラー動画「巨人の星」が人気を集め、洋画では「ウエスト・サイド物語」が上映される。テレビでは松原智恵子主演、緒形拳、石坂浩二共演の、大学紛争を扱った異色の青春ドラマ「颱風とざくろ」が話題になっている。
七月の下旬に第二号の雑誌が発行され、会合は持たれなかったが、二十七日に仲間が求め合うように集まっていた。女性の参加は無く、旧知のよしみで募ったものだった。 武司は美里がいないことを承知していながら、仲間の顔を見るとつい探し求めていた。募る思いが逃げ場を失い、無口になるのを堪えることが出来なかった。一方で、雑誌の内容に少なからず満足し、文字を追うのに気がいって、美里のことを一時的に忘れがちだった。 創刊号で武司が論じた生と死がテーマとなって、何人かが投稿し、今回の雑誌に掲載されていた。 投稿した者の心を窺うに、武司と同様、生きる意味合いに疑問を持ち、誰もが死を意識しているのが感じられた。 高校時代は、大学進学が目的となって、より機械的に時間を追って過ごすことが求められてきた。多くの者が何故との疑問を持ちながら、他に進むべき道筋を見出せず、遮二無二突き進んできた。 進学が叶って、さらに行き着く先を意識しはじめるが、ややもすると、就職が目的の学生生活となり、自分自身のためにやっているはずが、あたかも企業のためへと転化していく。人生の目的を企業に置くことに疑問を持つが、全てが時計のように、就職という時間に向けて確実に時が刻まれていく。 機械仕掛けの人間に成りたくないとの思いとは裏腹に、ロボットに成っていくことに抗えず、思い悩む姿が死を意識させているのだと分かる。何も考えずに成るがまま、ロボットに成りきろうとするが、結局は人間を捨てきれず、思いを掃き出し合える仲間を求めて集まっていた。 又、生への思いは、人間らしさが基本となって、生きている証として愛を求めていた。友情のなかにも生きる勇気を見出し、励みになっていることも確かであったが、突き詰めていくと、異性へと思いは馳せ、愛する人を捜し求めていた。それはまた、限りなく結婚へと結び付いていた。 だが、二十歳では若すぎて、愛そのものが何なのか理解しきれなかった。多くの者が男女の関係に臆病になりがちで、断片的な交流だけでは、愛を求めて安易に突っ走ることが出来ないのが普通だった。それでも、限られた出会いに手探りで愛を見つけようとしているのが、昭和四十年代前半の二十歳の群像に思われた。 井田から次回のテーマに、雑誌に載っていた杜香織の「愛のすがた」が記され、夫婦愛について提起された。 戦時下の空襲を受けた若い男女が命からがら生き延び、深い愛を実らせて結婚した。一生愛すると誓い合った幸福な夫婦であったはずなのに、ある日突然に男は別れ話を切り出して、二人の愛が消滅したという事例が上げられていた。 夫婦の「愛のすがた」に問題を投げかけた文章で、夫婦が永続的に愛を持ちつづけることの難しさを訴えており、仲間たちの関心が高いテーマであった。 音楽好きの水野は、ポップスにも興味を持ち、ヒールポト誌のランキングが一部紹介されていた。 一位にビートルズの「ゲット・バック」 二位にクリーデンス・クリアーウォーター・リバイバルの「バッド・ムーン・ライズィング」 三位にフィフス・ディメンションの「アクウェアリアス」 五位にレッド・ツェッペリンの「グッド・タイムス・バッド・タイムス」 十位にサイモンとガーファンクルの「ボクサー」 アポロ十一号の打ち上げ前に書かれた投稿には、月着陸の期待が込められ、星に関する文章が幾つもあった。フランスの作家、サン・テクジュペリの「星の王子様」も紹介されていた。 江利子の作品を期待して読むと、予想どおりの素晴らしいもので、旅行の回想録は女性の繊細な感性が滲み出た作品で、実力のほどが知れた。 旅行記や詩、中には学生運動の標的となっている日米安保条約についても投稿され、話題が盛りだくさんで、四十ページを越える雑誌に仕上がっていた。 月一回発行の目鼻も付き、皆が大いに満足して話しも弾んでいた。 武司も雑誌の仕上がりに興奮を覚え、書くことに一層の意欲が湧いていた。美里の投稿はなく、すっかり遠い存在となって意識から消え入りそうだった。 興奮が冷めて帰路を意識していると、誰からともなく美里との関係を興味深げに聞き出そうとしてきた。武司は一瞬、むっとなって顔色が変わったのが分かった。状況を考えると二人の仲を囁かれてもやむを得ないと分かっていたが、絶対に触れられたくないとの思いがすぐに顔に出ていた。 仲間の顔からは、興味本位というより、やっかみと期待とが混在し、グループ交際の今後の展望をも視野にいれた関心事だと感じられた。 通常であれば、男女の色恋話として少しは天狗になって話して聞かせていたのにと思いながら、 「家に送っていっただけだよ」 と、期待を裏切る返事をしていた。 二十歳の恋愛に何でここまで臆病にならなければいけないんだと、幾分腹立たしく思いながら、二度と話題にしてくれるなと祈っていた。 帰路についていつものように美里の家の側を通ろうとも考えたが、必然性が見出せず、混雑を避けて迂回路へと車を進めていた。 美里への思いを燃え上がらそうと躍起になったが、痕跡が途絶えてしまうと、過去のことが全て夢の出来事のように思え、美里自体が存在したのか疑わしかった。 顔を思い浮かべるのが難しくなり、今までの波が打ち寄せるような思いが何だったのか分からなくなっていた。余計に気になって、何としても会いたいと思った。 電話で連絡を取ろうとも考えたが、美里の家はまだ地域集団電話で、複数の家が共同で利用するため、電話といっても簡単には繋がらなかった。電話をすること自体が特別な行為となり、気軽に電話をするというわけにはいかなかった。手紙に頼るのが一番であったが、いざ手紙を書こうと机に向かったが、書くべきことが思い浮かばなかった。 結局、二人の関係は武司の心のなかで一人芝居を演じていただけで、特別なものは何も存在しないと考えるのが妥当に思われた。それでも明らかに、今までにない自分を感じはじめ、異性を強く意識できるようになり、少しは大人になった気がした。 大人と意識すると同時に、今の自分が宙ぶらりんの状態を何とかしなければとの思いが強まっていた。生活を考えると、自らの力で収入を得ることにこだわらざるをえなくなり、七月三十一日から牛乳配達をすることになった。 牛乳配達が始まると、今までの不規則な生活が一変していた。最初の一週間は早起きが辛かったが、慣れてくると目覚まし時計が鳴る前に目が覚めるようになって苦にならなくなった。早起きはすぐに慣れたが、生活自体のリズムが中々整わず、日中が思うように動けなかった。無為に時間が過ぎていくようで気が重くなることもあったが、自分で稼ぐという意識が、宙ぶらりんの圧迫感を幾らかでも和らげてくれた。 生活の建て直しに躍起になりながら、美里のことを思い出そうとしたが、顔がはっきりと浮かんでこなかった。父親を交えた三人の古めかしい映像が薄ぼんやりと映し出されるだけで、恋を感じさせる証は何一つ残っていなかった。恭子を失った時と同じように、心に空白が出来、虚しさに襲われていた。 先の見えない恋愛でも、相手を思う気持ちがあるかぎり、生きているという実感が湧いてきたが、心を寄せる標的が失われると、何もかもが無意味に感じられた。愛の必要性を痛感しながら、次号のテーマとなった「愛のすがた」について、「ガラスのダイヤ」と題して論評を書きはじめた。 本物のダイヤモンドとガラスで作られた模造品の区別が付くかと問われたなら、区別をする必要がないと答えたい。 もしダイヤモンドが手に入ったら、本物か偽物かが問題ではなく、素晴らしいと感じられるかどうかが重要な気がする。それは恋愛にも言えることで、相手が本当に理想かどうかよりも、理想と信じ込めるかどうかが大切で、価値は質を問うものではなく、心に宿すものではなかろうか。 人間の心は常に揺れ動いており、絶対評価はあり得ない。心の持ちようで時々刻々価値観が変わって、どんな高価な宝石でもずっと見ていたのでは飽きてしまう。どんなに美しい人間でも毎日顔を突き合わせていれば新鮮さが薄れ、いつも一緒に居れば欠点が見えてきてありふれた人間と感じてしまう。ましてや、相手を買いかぶっていると実態との違いを感じ、粗捜しが先行して幻滅するだけである。 宝石に幻想を抱き、心に大事に仕舞い込んでおけば価値が変わらず、恋愛も幻想を抱きつづければ、永久の愛を感受することが出来る。正に思い込みの世界で、ガラスのダイヤを本物と信じ込もうとするところに愛が生成されるのではなかろうか。 人を知るというのは非常に難しい。自分ですら自分が分からないのに、他人が分かるはずがない。むしろ、人間には絶対的な人格はなく、その時々で二重にも三重にも人格が移り変わって、気分によって全く別人になってしまう。上っ面を見ただけで他人を知ることなど出来るはずがなく、内面的な評価で恋愛を育むのは不可能である。結局は、見てくれに幻想を抱いて本物と思い込んでいくのが恋愛だと思われる。 人間誰もが役者であり、名優に成れるかどうかが人生の価値を決める。人と接するときに、無意識のうちに相手によって振る舞いや言葉遣いが違ってくる。相手によって様々な顔を持ち、役所によって全く違う人物を演じている。目下や嫌悪する人間と接するときは傲慢な悪役となり、心を寄せる相手と接するときは完全無欠の主役となる。 互いに粗を隠してヒーロー、ヒロインに成りきれれば恋愛と感じられ、さもなければ打算で引き合っていくしかない。いずれにしても結婚までのプロセスに、永続的な愛を保証するものは何もない。結婚すると共同生活という利害関係が生じ、現実的になってダイヤの真偽を互いに鑑定し合うことになる。本物と思い込めなければ我慢比べの生活が待ち受ける。恋愛は結婚までのセレモニーに過ぎず、どんなに劇的なメロドラマも結婚で幕が下りてしまう。 結婚が目的の恋愛では意味がない。むしろ結婚は、恋愛を育んでいく通過点に過ぎず、単なる儀式と考えたい。ガラス玉に過ぎないごくごく普通の男女でも、互いにダイヤと思い込んで愛し合えれば、テレビや映画の偽物のラブロマンスに劣らないドラマを作り上げていける。 愛は自然発生するものではなく、育むものである。どんなに素晴らしいカップルでも永遠の愛などあり得ない。横着をして馴れ合いになればすぐにでも消滅してしまう。愛を持ちつづけるには、常にヒーロー、ヒロインに成りきって、気持ちを高め合っていくしかない。ロマンスをいつまでも感じていられれば最高の人生になるに違いない。名優になれるかが人生を決定付ける。 言うが安しで、互いに価値観を同一にしていつまでも気持ちを高めていくなど不可能である。結婚してしまえば目的は達成し、大根役者になって、手抜きだらけの三文芝居が待ち受けている。心身を磨きあげて魅力を維持していくよりも、成り行き任せになるのが本来の人生なのかもしれない。 武司は原稿を書き上げて、姉への思いは永遠の愛だと口ずさんでいた。
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