3、一人旅

 昭和四十四年五月に入り、第四十回メーデが全国千七十六カ所、六百九十万人が参加して行われ、かつてない盛り上がりを見せた。反戦平和、沖縄返還問題、賃上げなど、国民の強い意思が反映された結果で、政財界も無視できない状況となる。春闘の賃上げ問題は公労協の三公社五現業が平均六千六百八円、私鉄が六千七百円など、十パーセントを超える高額回答が出されて決着する。

四月二十六日土曜日から五月五日月曜日までの、ゴールデン・ウィーク十日間の交通事故は、死者四百七十七人、負傷者二万七千人以上に及んだ。ゴールデン・ウィークの国鉄利用者は七千万人、収入は百八十億円になった。プロ野球阪急ブレーブスが、十六試合連続本塁打の日本新記録を作り、ゴールデン・ウィークの話題となる。

 

武司は大学受験を前提に、浪人となって既に二年目に入っていた。一年目は予備校に通っていたが、二年目は自宅浪人となり、全く自由気ままな生活になっていた。毎日の生活は目的を逸した怠惰な生活となり、そんな自分に嫌悪を感じていた。

 受験勉強に集中できない原因を様々な理由付けをしてみるが、ただ単に勉強嫌いで、意志薄弱としか思えなくなっていた。大学進学を諦めようと思うが、それ以上に何をすべきか分からなかった。

 プライドだけが先走り、自分の意思で人生を築き上げていくとの気持ちだけは強く、就職に対して安易に妥協が出来なかった。八方塞がりの状況で、受験生という肩書きが自分の立場を正当化する常套手段であった。何とかしなければと思うが、いつまでも改善出来ずにいて、生きていること自体疑問を感じはじめていた。

 五月六日火曜日。武司は生きる術を見出せないまま旅に出ることにした。旅がどんな意味があるのか分からなかったが、かつて一人で旅をした経験がなく、一人旅自体が大人への脱皮を模索するものであり、さらには、何か特別なことが起こるのを期待していた。熊谷発十一時二十分の夜行列車に乗って新潟に向かった。

 全くの気まぐれで、先の見えない心の旅路だった。各駅停車のゆったりした時の流れに自分らしさを重ね合わせようとしたが、何かを見つけ出そうとする貪欲さが頭をもたげ、わざとらしさを感じないわけにはいかなかった。

 高崎には十二時に着き、深夜だというのに弁当売りの声がした。急に腹が空いてきて、武司も他の客と同様に弁当を買った。

 高崎を過ぎると乗客は僅かとなり、四つの座席を自由に使って寝床を確保した。一睡もせずに闇に見出せる景色を追いつづけようとの安易な願望もあったが、すぐに無意味と悟り、食後の腹具合を見計らい、眠りに着こうと横になった。

 寝台車と違って思うような態勢がとれず、中々寝つけなかった。様々な思いが脳裏でうごめきだし、遠ざかったり近づいたりしてうとうとしていた。回りを見ても皆眠りが浅いとみえ、列車の大きな揺れに合わせ、目を開けていた。

 武司が列車の揺れに目を覚まし、外に目をやると空が白んできているのを感じた。身体を起こそうとしたがけだるくて思うように動かず、暫くそのままじっとしていた。

 外の景色がぼんやりとながら見渡せるようになり、越後川口に入って魚野川から信濃川へと変わり、雪解けによる水量豊かな流れが、近づいたり離れたりするのを、まだ覚めきらない頭脳で確認していた。窓を開けると冷たい空気が入り込んできて、眠気を幾らか覚まされたが、寝不足は否めず、欠伸が絶えなかった。

 国道十七号が鉄道と平行して走り、まだ五時前だというのに一台の乗用車が列車と並んで走っていた。それほど早いと思われなかったが、抜いたり抜かされたりして競争となり、列車がいかにのんびりしているのか知れた。

 長岡に近づくにつれ、古い家屋に交ざって真新しい住宅も立ち並び、新潟の近代化が急速に進んでいるのが感じられた。

 停車するどの駅にも花や木々が植えられ、非常に雰囲気がよかった。特にピンク色をした小さな花が目を引き、気分を和ましてくれた。しかし、武司には花の名が分からず、無知が悔やまれた。

 終着駅の長岡には五時に到着していた。朝が早いため、乗り継ぎの列車までに大分時間があり、取り敢えず長岡駅から出てみることにした。

 駅前から長岡の町を展望すると、ひっそりと静まり返り、人が住んでいるのが疑わしく感じられた。案内板を見ると城跡や古い建造物などが表示されていて興味を引かれたが、まだ無人でしかない町並みに歩きだす気にもなれず、ただじっと佇んでいた。長岡は大きな町のようであったが、武司には小さな素朴な町のように感じられた。

 駅に戻って新津までの切符を買うと、駅員の訛りのある言葉が返ってきて、思わず微笑まずにはいられなかった。釣り銭に百円札が出され、近頃では見ることがなくなって、地域差を実感していた。

 列車が走りだすと田畑が広がり、右手から朝日が登りはじめ、きらきらと輝いて車窓に入り込んできた。山々は霞がかかってぼんやりとし、山裾には霧が立ち込めて原型は確認できず、鮮明に映し出された田畑や、整然と並んだ木々と対照をなし、水彩画でも見ているような美しさがあった。

 景観を楽しみながら、バックに入れておいた残り物のパンを食べることにした。衝動的に旅に出て、先に多少の不安があったが、今までにない自分を感じ、期待で胸が躍っていた。

 何か特別なことを求めているようであったが、それがいったい何であるか分からなかった。美しい景色を堪能していたが、特別なものとは違っているようで物足りなさがあった。それでも広々とした田園風景を見ていると解放感に浸り、旅の意義を感じていた。

 新潟は雪国との固定観念から、寒いとのイメージが強かったが、窓を開け放しておいても少しも寒くなかった。高い山々の頂にはまだ雪が残っていたが、五月の風は非常に心地よかった。

 田んぼには人が出始めて、新潟のうまい米作りを担う人々に、「ご苦労さま」と声をかけて一礼したい思いとなる。

 東光寺、三条、保内と右手の山々は、朝日を背に受けて黒々とし、霧や残雪の白とが合わさって白黒の世界を作り上げ、スケッチを見ているようである。所々で霧や残雪が朝日に当たってきらきらと輝きだし、光の芸術も楽しむことが出来る。

 美しい景色を堪能しながら、海も見たいとのわがままな願望が湧いてくる。海に何を求めようというのか分からなかったが、気まぐれな旅は海へと意識が傾いていった。

 田上駅には桜の木が数多く植えられ、まだどの木も満開だった。赤や黄色のチューリップも咲きそろって非常に美しい駅で、おとぎの国の入口ではないかとつい空想を巡らしていた。

 新津には六時十五分に着いた。目を覚ましてから大分時間が過ぎて、早朝との意識が失せていたが、日常生活を考えるとまだ未明である。

 新津で羽越線に乗り換えると高校生が何人か乗っていて、武司は高校時代の朝が早いとぼやいた列車通学を思い出していた。それでも七時過ぎの列車で、まだ六時半になっておらず、乗り合わせた早朝通学の高校生が気の毒になっていた。

 気まぐれな旅は海を求め、新津から羽越線でゆったりと時間を刻みながら北へと進路を取った。水原では大勢の高校生が乗り込んできて、空いていた座席がすっかり埋まってしまい、武司の座席も女子高生に取り囲まれていた。

 女子高生は見慣れぬ客を意識しているようで、本来ならすぐにでもお喋りが始まるのだろうが、口数が少なかった。時間とともに気兼ねが薄らいでお喋りが始まったが、本来の調子でないのが分かった。

 武司は今まで異性を強く意識したことがなかったが、体面に座った女子高生の顔が否応なしに目に入ってきて、色白の透き通るような素肌に気持ちを奪われていた。視線を動かすごとに彼女の顔が克明になって、童顔でいて意志の強そうな顔に、かつて感じたことのない美しさを感じていた。

 彼女もお喋りをしていたが、他の二人より口数が少なく、いつしか車窓に目をやって会話から離れていた。ひとりぼっちとなった眼差しは寂しさを感じさせ、武司は彼女の心を無性に知りたくなっていた。

 彼女を強く意識するといつしか心が時めいて、今までにない感覚に捕らわれていた。ほんの行きがかりの出来事で、彼女のことなど少しも分かるはずがないのに、様々な空想を巡らし、限りなく魅力的な女性像を思い描いていた。少女への時めきは、旅に求めていた特別な出来事であるように思われた。

 恭子との満たされた生活に恋は必要としなかった。回りにどんなに素晴らしい女性がいたとしても見過ごしていたように思えた。恭子を失って心に不足が生じ、本来の青春を取り戻したのだと、意識しないわけにはいかなかった。

 いつしか彼女に話しかけたいとの思いに駆られていた。同時に彼女が自分をどの様に感じているのか気になった。旅路で偶然に席を同じくしただけの巡り合いで、いったい何が発生しえるのか考えると、衝動はいつしかないで、とても声がかけられなかった。

 同席した三人の女子高生は他の多くの高校生と共に新発田で降り、少女への仄かな思いは一気に萎み、後に虚しさが残った。

 武司はほんの僅かな出会いに、今までと違う自分を感じていた。異性に神経が過敏となり、魅力を見出そうと躍起になっていた。心の不足を補ってくれる存在として、少女の心を求めていたように思われた。

 列車は村上が終着で、次の行程を決めなければならなかった。今までのところは海を間近に見ることが出来ず、村上で降りて海まで歩いていこうかとも思ったが、地図で確認すると、羽越線は村上を出てすぐに海岸線を走るようで、海が間近に見える、ひなびた駅まで北上することにした。

 村上を出ると海が間近に見えてきて、気持ちが高ぶるが、すぐにトンネルに入ってお預けを食う。トンネルは短く、じきに明かりが射してきて、海と一体となった世界へ踏み出していく。

 広大な海が車窓全体に広がると、武司は子供のようにいつまでも一心に見つめていた。飛沫を上げて次から次へと波が打ち寄せる姿は躍動感があり、限りない力強さを感じた。同時に、大きな岩も子供のようにあしらう様を見ると、全てを飲み込んでしまうような怖さを感じた。

 海には靄がかかり、栗島という小さな島が何とか確認できたが、さらに先に何が待ち受けているのか全く分からなかった。

 羽越線は、国道三四五号線と重なり合うようにして海岸線ぎりぎりを走り、右手はすぐに山が立ちはだかって新緑が美しかった。僅かな平地に点在する家は皆古めかしく、通過してきた大きな町に見られるような、近代的な真新しい建物は見当たらなかった。今見ている景色には、古めかしい建物がマッチしているように思えた。

 トンネルや岩山に視界を遮られるが、それも僅かな時間で、じっくりと海を楽しむことが出来る。海からはい上がってくる風は冷たく、窓を開け放していると寒くて耐えられなかった。

 武司の心には、海がどこまでも美しい映像として刻まれていた。海に心を奪われているのに気付くと、少女への仄かな思いと同じように、海が幾らかでも心の不足を補ってくれるように思われた。

 全くの気まぐれで越後寒川に降り立っていた。海に出るまでにたった一人の老人を見かけただけの実に長閑な村だった。砂浜に出ると腰を下ろし、海と対座していた。波は時々刻々と姿を変え、まるで生き物のように感じられた。

 大小の波が打ち寄せ、波と波とが互いに作用し合って、白い飛沫を惜しみなく舞い上がらせ、歓迎の舞いを披露しているようであった。一際大きな波が足元まで押し寄せてくると、誘い込まれるような錯覚が走った。波音に耳を澄ませると、語りかけてくるようであり、言葉を返さずにはいられなかった。

 武司はかつて経験したことのない特別なものを海に感じていた。海も、山も、どんなに美しい景色も、今までは、恭子との心を通わす語らいの、盛り上げ役に過ぎず、海そのものが主役となって、素直な感情で観察するのは今回が初めてだった。

 打ち寄せる波が岩にぶつかって飛沫を上げると、子犬がじゃれついた姿を思い描いたり、水鳥の羽ばたく姿を想像したりして、今までにない感覚で海をとらえていた。孤独感のなかに自分を感じ、恭子の温もりに包まれた夢の世界から抜け出して、現実を生きているという実感が湧き出てきた。

 海に突き出た岩山に心の命ずるままに近づいていった。岩の割れ目に波が流れ込むと不気味な音を響かせ、まるで野獣のうめき声のように聞こえてきた。

 岩山の登り口に、特別な謂われを思わせる古い祠が建っていた。いやが上にも霊験を意識し、人一人がやっと通れる細い道をよじ登っていった。

 二十メートルほどの頂上に着いて岩に腰を下ろすと、ちょうど黒々とした蒸気機関車が白い煙を上げてトンネルから顔を出した。海岸線の線路を、ゆったりと曲線を描いて走り、やはり曲線を描いて打ち寄せる、白い波とが絶妙なコントラストを成し、正に活き作りの詩を感じさせた。

 極上の景色に酔い痴れながら新たな感覚を捜し求めていると、何の気なしに断崖になった足元に目が向いて、波打ち際の海面に僅かに顔を出した岩を見出していた。まるでキャッチャーミットを広げたような円形の岩で、期するかのように視線とともに心が釘付けになっていた。

 波が打ち寄せると、岩を覆い込むように飛沫が上がり、あたかも死に神の円舞が披露されているようであった。それは、新たな肉体を料理するための歓喜の舞いであり、一瞬、肉体が引き寄せられるのを感じた。

 武司は、身体の重心をほんの僅か変えるだけで死の扉が開かれることを意識していた。生と死の狭間に立って、自分の選択肢を懸命に考えていた。考えれば考えるほど生きている理由が分からなくなっていた。極限までに演出された今、ミットめがけて一球を投ずることが、最も楽で、最も美しいことのように思えた。

 武司は一瞬の戸惑いに死について考えていた。考えても、考えても死の意味が分からなかった。死を求めているつもりも全く無く、現実から逃げだすために美化された媚薬だと何となく感じていた。知らず知らずに迷い込んだ神秘の世界で、夢見る少年のように夢遊しているに過ぎないと気付きはじめた。

 恭子の悲しむ顔があった。自分という存在が失われたら、恭子は生きていけないのが容易に想像できた。自分も、恭子の死を絶対に容認できるはずがなかった。生きる意味がはっきりしていた。自分は恭子のために生きているのだと、どんなに否定しようと明らかだった。自分の幸福を築き上げることが、恭子が最も望むことで、何が何でも幸福にならねばと決意していた。

 既に昼となり、朝もほとんど食べていなかったので堪らなく腹が空いてきたが、ひなびた村に食堂など有るはずもなかた。

気まぐれは、次に何を目的とするか定まらなかった。小さな島に渡ってみようかと考えたり、北海道を意識したりしたが、地図を見て、取り敢えず温海温泉まで行ってみることになった。

 各駅停車の旅が再開され、さらに北へと足を延ばした。列車に乗り込むと乗客は疎らで、自由に席を陣取ることが出来た。すると、斜向かいのボックスに一人、制服姿の少女が座っていた。

 長い艶やかな黒髪の少女は、色白で目鼻がすっきりと整った顔立ちで、武司には限りなく美しいと感じられた。その美しさは、一切の感情を度外視しても美しいと感じられる、この世に宿命的に誕生した、特別な少女に思われた。

 武司は恭子を美しいと感じていたが、慈愛に満ちた美しさで、感情と重なりあって相乗効果が存分に発揮された美しさだと思った。水原で席を同じくした少女も、様々なドラマを空想し、勝手に感情を盛り込んで、心を満たしてくれた美しさだった。

 今見る少女の美しさは限りなく洗練され、涼やかな瞳で景色に目をやったり、本に視線を落としたりして、一つ一つの仕種が全て絵になっていた。海の景色もさることながら、彼女の美しさにはとても及ばない気がした。見られることに慣れているようで、回りの視線を気にする様子はなかったが、武司は彼女に悟られまいと意識しながら、海を忘れて極致に至った絶景を堪能していた。

 少女を盗み見しながら、限りなく不可能な出会いに思考を巡らしていた。昼を少し回ったばかりで、彼女のほかに高校生はいなかった。学校の帰りなのか、それとも具合でも悪いのか、行き先に何が待ち受けているのか、彼女が乗り合わせた理由は全く想像が付かなかった。

 気まぐれに訪れた片田舎で、乗り合わせた列車の時間、車両、座席と、稀に見る美女との出会いの確率を計算していくと、ただ単なる偶然と片づけるには無理があった。特別に演出された出来事と取るのが妥当で、神の仕組んだ悪戯だと考えていた。

 運命的な出会いに感激せずにはいられなかったが、彼女は自分と余りにもかけ離れた選ばれし存在に思え、恐れ多くて、折角の機会も武司の心にロマンスは成り立たなかった。旅の一時の美しい景色としてただ指をくわえて見ているだけだった。

 女子高生は、山形県に入ってすぐの鼠ヶ関で降りてしまった。とても手の届かぬ相手だと承知しながら、いつまでも見ていたいとのはかない願いが霧散して、時間が一気に味気ないものになってしまった。

 再び海が中心の旅へ戻ると、海の色が青さを増したように感じられた。光線の加減もあるのだろうが、北上とともに海が澄んできたのだろうと考えた。

 小岩川で弁当を売っていたので勇んで購入した。美女の存在で空腹を忘れていたが、弁当を前にすると飢えた狼と少しも変わらなかった。味も何も分からないままに、一気に弁当を平らげていた。

 温海温泉までやって来たが、降りる気になれず、終着の秋田まで北上を続けることにした。

 列車は海岸線から離れ、このまま山間に入っていくのかと思われたが、再び海岸線に出た。蛇行する列車の向きが海を挟んで陸地を望んだらしく、頂に雪をかぶった山々の雄姿が、ほんの一瞬であったが海の方向に現れた。

 小波渡を過ぎるとトンネルに入り、海から次第に遠ざかっていった。山の景色も興味があったが、いつしか居眠りが始まっていた。

 気が付くと既に酒田市に入り、残雪鮮やかな山が車窓に迫ってきた。山形県に入って何度か目にしてきた雪山で、それが鳥海山だと知った。

 酒田駅に着くと、女子高生が整列して列車を待っているのが目に入ってきた。一般客や男子生徒の思い思いに待っている姿と好対称をなし、女子高生の行儀のよさに感心させられる。整列した少女が皆素直に見えてくるのがおかしかった。

 武司は再び少女に囲まれ、予想に違わぬ素直そうな酒田の女子高生を間近に見ることになった。だが、自分を意識して無口になっているのを感じると、侵入者との後ろめたさがあり、安易に視線を向けることは出来なかった。

 秋田県に近づくにつれて高校生の数は少なくなり、武司のボックスも二人の女子高生は既に山形県内で降り、一人だけ秋田県まで同席することになった。お喋りの邪魔をすまいと居眠りのふりをしてきたので、素直な少女達を存分に観察できずにいたが、残された少女につい目をやって、優しそうな眼差しを感じ取っていた。

 列車は再び海岸線に出て、左手に海、右手に山の素晴らしい眺望となる。県境を越えるころには日が大分傾いて、海はオレンジ色に染まり、車窓にも夕日が差し込んできた。

 同席した少女の顔が黄金色に染まり、夕日に向けられた瞳が輝いて優しさを際立たせていた。木々が所々で日差しを遮り、少女の輝きは点滅して、映画のこま送りような映像となった。

 武司は天然自然が醸しだす映像に、ため息が出るような美しさを感じ、旅の価値を実感していた。少女の輝きを堪能しながら、毎日美しい景色を見て通学していれば、自然に心身が清められ、素直な美しさを作りだすのだろうと想像していた。

 美しい映像に酔い痴れて、優しげな少女に声をかけそびれていると、彼女は象潟で席を立ち、結局は声を聞かずに永久の別れとなった。景色という共通の話題がありながら、目の前の少女に話しかけられなかった自分の不甲斐なさに嫌気がさしていた。

 少女に気を取られているときは気が付かなかったが、耳を澄ましていると訛りの強いしゃべり声が聞こえてきた。旅の情緒を改めて味わい、落ち込んだ気分を和らげた。

 羽後亀田で男一女四の、合わせて五人の中年が大きな荷物を背負って乗り込んできた。いかにもずっしりとした荷物で、歩くのも辛そうだった。武司は荷物の重さも目的も見当が付かなかったが、生活の厳しさを嫌というほど感じ取っていた。

 今までの生活に全く厳しさはなく、恭子にすっかり甘えた生活だった。恭子を失うと身動きがとれなくなったことを考えると、自分がいかに脆弱な人間だったか思い知らされていた。自分で生活を切り開くことが正しく生きることで、生活のためには、荷物の重さに耐えられるかどうかではなく、重さに慣れるしかないのである。武司は自分の力を最大限発揮した人生に何としても転換しなければと考えていた。

 五人の顔は苦労が顔に滲み出て、秋田美人の面影は見出せなかったが、活力に溢れた味のある顔をしていた。日が沈みかけた艶やかな海原と対比しながら、両者とも芸術的な素晴らしい映像だと感じた。

 五人の働き者は再び大きな荷物を背負い、新屋で降りた。武司は五人が見えなくなるまで姿を追っていた。それは、生きるという実感を、脳裏に克明に刻み込んでおきたいとの思いからだった。

 終着の秋田には七時に着き、既に空は暗くなっていた。目的もなく秋田にやって来て、次に取るべき行動に苦慮していた。このまま夜行で走りつづけるのは、疲れ具合を考えると無理があった。秋田で宿を取るのが最善と判断し、駅を出ることになった。

 宿の心配をしながら改札を出ると、旅館の呼び込みが何人か待ち受けていて、武司が気ままな旅行客と見抜いたのか、すぐに声をかけてきた。一泊二食付きで千五百円と言われ、武司に値踏みが出来るはずもなく、言われるままに応じていた。

 秋田駅前の賑わいは乏しく、駅から何分もかからない宿であったが、案内された道のりはいたって寂しかった。宿に着くとすぐに食事にありつけ、疲れ切った身体が息を吹き返してくるのが分かった。

 早めに横になって静寂を味わっていると、蒸気機関車の蒸気を力強く吹き出す音と汽笛が響きわたってきた。秋田の町にこだまする唯一の夜想曲に、耳を澄ましてしばし聞き入った。旅の醍醐味を堪能しながらいつしか眠りについていた。

 五月八日木曜日。ぐっすりと眠り、目覚めたときには七時半になっていた。窓には強い日差しを予感させる明るさがあり、今日も旅を存分に楽しめると満足していた。食事を済ませて外に出ると思いの外温かかった。春を待ちわびるのは雪をかぶった山の頂だけだと、北国秋田の五月を納得していた。

 先ずは駅に行き、青森行きの時刻を確認すると待ち時間が大分あり、時間潰しに駅近隣を探索することになった。

 駅から延びる広い道を進んでいくと、右手に会館、図書館、美術館などの落ち着いた佇まいと、池が顔を出す。花や木がバランス良く植えられ、新緑と相まって情緒が漂い、長閑さと美しさを兼ね備えた町並みであった。

  気まぐれに図書館を覗き、目に付いた幕末関係の雑誌をひもといたが興味が沸かず、若い女性館員の無愛想にも不快になってすぐに退散した。

 続いて平野政吉美術館に入ってみた。まだ造られて二年ということで、非常に綺麗な建物であった。武司は美術の素養に乏しく、展示品に引かれたというよりも、建物の美しさにそそのかされ、二百円を払い、つい足を踏み入れたのだが、心行くまで名画を楽しむことになった。

 展示品のメインは藤田嗣治の作品で、大きな展示室に入ると、先ずは縦三メートル六十五センチ、横二十メートル五十センチの巨大なカンバス張りの大壁画、「秋田の行事」が目に入ってくる。大きさもさることながら、秋田の素朴な風土が描き尽くされた力強い筆致に圧倒される。

 「北京の力士」「踊子」「那覇の客人」と、生活や風土を実感させる作品と対面し、武司はいつしか藤田嗣治に魅せられていた。絵画の知識は学業の一貫で、画家の名前を多少なりとも知っていたが、そのほとんどが外国の画家で、日本人の名前はすぐに浮かんでこなかった。藤田嗣治の作品を見て、「日本にもこんな素晴らしい画家がいたのか」との素直な感慨を持った。

 藤田嗣治作品は多数展示されていて、武司の嗜好にあって大いに楽しみ、なかでも「私の画室」という作品に感銘した。

 藤田嗣治以外に、ルーベンス、レンブラント、ゴヤ、ドラクロア、マネ、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ロートレック、マチス、ピカソ、ダリなど、武司も聞いたことのある画家の作品も多数展示され、思わぬ芸術探訪となった。その中で、スペインの作者不詳の作品で、聖者像や聖女像などの宗教画に興味を引かれた。命を感じさせる繊細な筆致は人間業とは思えず、凡人に乗り移った神の化身が描いた作品との疑念を抱くほどだった。

 気まぐれに訪れた美術館でありながら、限りなく感性を高められた気分で、堪らなく嬉しくなってつい女性館員に声をかけていた。まだ新米といった感じの若い館員は、武司の話しかけに幾分顔を赤らめて戸惑いを示したが、藤田嗣治のことを聞くと顔が活き活きとしだした。

 訛りを隠そうと意識しているのが何となく感じられ、それでも言葉の節々に訛りが交ざってぎこちなさは否めなかったが、熱の入った語り口で説明してくれた。

「秋田の行事の壁画は、三十二年前に美術館建設が計画された時に描かれた作品で、二年前に当美術館が開館されて初めて公開されたそうです」

 彼女は秋田の土地柄と藤田嗣治の作品に愛慕の念を窺わせながら語った。

「秋田のお国柄が生々しく伝わってくる、素晴らしい作品ですね」

 武司も彼女の純朴な思いに同調し、秋田を精一杯感じ取ろうと応じた。

 藤田嗣治に対する価値観が一致し、意気投合してすぐに気安く言葉が交わせるようになり、とても初めて顔を合わす人とは思えなかった。

 彼女はけっして美人とは言えなかったが、情感のこもった眼差しは、顔立ちを遥かに越えた魅力溢れる顔つきとなっていた。武司は彼女と視線を合わせるごとに、澄んだ瞳に生命感のある美しさを感じ、胸が時めいてくるのが分かった。

 いつしか気安さが失せて彼女の説明も上の空となり、偉大な芸術を置き去りにして、純な気持ちが滲み出た彼女の爽やかな美しさに見入っていた。彼女も武司の変化に気が付いたのか、顔を赤らめ、下俯いたりして言葉が途切れがちになった。

 武司は彼女の戸惑いを感じ、慌てて視線を逸らすとともに、今まで経験したことがない沸き上がってくる激情に気付いた。これが恋なのかと考えると、あまりにも安直な成り行きに、浮ついた不真面目さを感じないわけにはいかなかった。彼女の限りなく純朴な心を踏みにじっているような罪悪感にさいなまれ、居たたまれない思いとなって、

「ごめんなさい、列車の時間が迫ってきたので」

 と言って、逃げるようにして美術館を出ていた。

 駅に向かいながら、彼女のことが脳裏にこびりついて片時も離れず、遠ざかるに連れて虚しさが押し寄せてきた。

 次第に逃げだした理由がぼやけ始め、一目惚れとの言葉に抵抗を感じながらも、一気に打ち解けた相性の良さを考えると、宿命的な出会いがあってもおかしくない気がした。

 僅かな触れ合いで恋が芽生えたとしても恥じることはないと言い聞かせるが、今回の旅で何人もの女性に心を奪われてきたことを思い出すと、自分が浮気な人間に思えてくる。恭子を失って、心の不足を穴埋めする存在を追い求めていたことは確かで、不純な下心があって、女性に意識過剰になっていたのではとの、嫌らしさも否定できなかった。

 彼女が向けてきた屈託のない笑顔を思い浮かべると、彼女も自分と同じ感覚に捕らわれていたように思えてくるが、自分の熱い視線に戸惑いを示した姿を思い浮かべると、自分の一方的な思いに過ぎない気もしてくる。彼女と二人でいれば限りなく楽しいだろうと想像すると、後戻りしたいとの思いが高まってくるが、彼女の心に再び思考を巡らすと、自分と同じ思いだとは断定できなかった。

 浮き沈みする様々な思いが駆けめぐり、結局は臆病になって否定的な結論を見出し、秋田駅に着いていた。

 奥羽線、青森行き列車に乗り込むと、世界の名画以上に美しいと感じられた、名も知らぬ乙女の像が再び浮かんできた。

 最初に見たときはごくありふれた地味な女性としか映らなかったのが、言葉を交わしていくうちに、顔つきがどんどん変わっていくのが感じられ、それは、白黒の映像に色付けしていく過程を見ているようであった。

 瞳に情感がこもって優美な眼差しとなり、頬がピンク色に染まって瑞々しさが浮き出てきた。唇の赤みが増して言葉に温もりが加わり、鼻筋から憂いが消えて優しさが漂い、後ろ姿にも神経が行き届いて、ちょっとした仕種にもうなじに艶やかさが感じられた。

 武司自身も、彼女の変化に魅了されて情が加わり、心の持ちようが大きく変化していった。限りなく優しくなって、願いを何でも叶えてやり、幸せそうな顔が見たかった。彼女の美しさを貪欲に追い求め、上面に捕らわれない、女性の本当の美しさを生々しく感じ取った思いだった。それは又、今まで恭子から感じ取ってきた美しさと限りなく類似しているように思われた。

 列車が走りだしてから、彼女の変化は自分の思いが伝わった結果ではないかと気付きはじめた。お互いに心が通じ合って、少なからず幸福感に包まれていたはずである。彼女も自分の交際の申し出を待ち受けていたのではあるまいか。たとえ恋が成就できなくとも、思いを告白するのが自然の成り行きではないか。すべてが後の祭で、武司は臆病な自分に堪らなく苦痛になっていた。

 秋田を出るとじきに河原に差しかかり、女子高生が堤に多数散在して写生をしているのが見えてきた。

 武司は可憐に見える女子高生から山間に視線を移し、「芸術の町秋田か」と口ずさみ、秋田の出来事を暫く回想していた。そして、「美しい風土が育んだ美人の町秋田」と感慨深く口ずさんだ。

 列車はやがて左手に広大な平地を見ながら走るようになる。遠くに男鹿半島の山がぼんやりと確認でき、八郎潟が広がる風景が想像された。

 天気は下り坂となり、車窓からの景観は悪くなる一方であった。武司の気持ちも曇りがちで、先への目的は失せて時間を刻む旅となっていた。旅に特別なものを求め、当てもなく彷徨ってきて、特別な出会いを享受しておきながら、置き去りにしてしまった自分の愚かさを呪っていた。

 八郎潟の駅を過ぎると広大な開拓地が展望できるようになる。まっ平らな土地を仕切るように直線的に水路が掘られていて、いかにも人工的な景観であった。

 出てくる駅は皆森に囲まれ、静けさと長閑さが売り物だったが、開発が急ピッチで進んでいく状況を実感すると、自然が容赦なく破壊されてしまうであろうと容易に想像が付いた。進歩という名分で変貌を遂げることが果たして人間にプラスになるのか、武司には断定できなかった。

 鹿渡を過ぎると八郎潟から遠のき、森林地帯へと入り、白い花を付けた樹木が目に付いてくる。森岳に近づくと、人工的に作られたと思われる湖が見えてきて、一隅に学校らしき建物が目に入ってくる。森と湖に囲まれた情緒溢れる学校で、どんな学校生活が送られているのか想像すると、純朴な人柄が育まれてもおかしくない気がしてくる。

 列車は東能代から米代川沿いを国道七号と重なり合うようにして走り、山間へと入っていく。川と森とが車窓に彩りを添えるが、武司の落ち込んだ心には、変化に乏しい景色となって、うつろな視線を送るだけであった。大館で弁当を調達し、味も分からずに義務的に食べた。

 林檎の花が目に付き、山深さを増すと列車はいつしか青森県に入り、分水嶺を越えて岩木川の支流、平川沿いを走るようになる。弘前に近づくと、頂に雪をかぶった秀麗な岩木山が左前方に雄姿を表す。靄がかかって薄ぼんやりと映ずるだけであったが、高さ形とも青森を代表する山というのが頷けた。

 弘前では通学時間帯と重なり、高校生が多数乗り込んできて、がらがらだった列車が満席となった。各駅停車の旅で、朝夕の通勤、通学の時間帯に乗り合わせ、地方の交通事情に触れることになった。列車の利用は通学が主で、通勤客が意外なほど少なかった。乗り遅れると一時間も二時間も待たされる列車本数を考えるとやむを得ない気がしてくる。長閑さに魅力を感じても、利便さを考えると手放しで田舎暮らしに飛びつけそうになかった。車の役割が益々大きくなっていくのが武司にも容易に想像が付いた。

 終着の青森に着いて駅を出ると、同じ東北でも秋田と人の流れが全く違い、大変な賑わいだった。武司はしばし佇んで雑踏に身を置き、心は秋田に置き去りになって目的を逸した旅の進行先を模索していた。

 どこまでも気ままにぶらり旅を楽もようと思ったが、たっぷりと有ったはずの資金も先が見えはじめ、北海道は遠く離れていった。逃避行でもあった架空から現実に引き戻されていくのを抗うことが出来なかった。明日は帰路に付くしかないと判断し、早々に気ままさを失ってしまったが、多くを学んだ旅だったと納得していた。

 駅の近くの食堂で夕飯を済ませ、素泊まりで宿を求めることにした。すれ違う女性の多くが色白で、青森も美人を多く排出するのだろうと想像しながら、何とか宿を見つけ出した。

 五月九日金曜日。昨夜はすぐに寝つけず、起きるのが辛かった。宿を出て何とか朝食にありつき、北海道を意識して青森港に向かった。連絡船が行き交う港の海水は濃い緑色に染まり、透明感は無かった。結局、港に武司の求めるものは何もなく、すぐに駅に折り返し、八時五十七分の東北線に乗っていた。

 青森駅を出ると、やがて列車の後方に左右に別れて岩木山と八甲田山を見ることが出来る。天気は回復して晴れてきているが、残念ながら靄がかかり、両山とも鮮明な姿が望めなかった。野内から海岸線に出ると、青森港と同じ青森湾なのに全く違った美しい眺望が広がる。海の色も緑から青に変わり、絵葉書でも見ているような景色だった。

 列車がいったん海から遠ざかると田園風景が広がる。所々で近代化の波が押し寄せ、風景に不釣り合いな真新しい建物が目に入ってくる。青森は緯度が高いだけのことがあって、晴れ渡った五月でも肌寒く、それほど高くない山にも残雪があった。雪の白さが景色にアクセントを加え、新緑と相まって味わいが出てくる。景色を見ながら耳を澄ましていると、お国訛りの話し声が聞こえてくる。趣を感じて思わず笑みがこぼれるが、武司には会話の内容が理解できなった。

 小湊を過ぎると野辺地湾が顔を出し、青森湾に負けず劣らず美しい眺望となる。東向きに進んでいた列車は、野辺地で海岸線から離れ、南へと進路を取った。武司は寝不足気味でいつしか居眠りが始まり、時間が一気に過ぎていった。

 気が付くと県境も間近の目時で、林檎園が広がっていた。林檎の花を見ながら、赤い果実がたわわに実る秋を思い描いた。青森の旅は呆気なく終わり、虚しさが残った。林檎の花に向かって、何の気なしに「さよなら」と口ずさんで別れを告げた。

 岩手県に入って東北線は国道四号と重なり合うように走り、車窓からの景観は林檎の木が相変わらず目に付いた。山深くなって木々の色合いが趣を増し、馬淵川の作りだす変化に富んだ景観も見応えがある。限りなく長閑で、旅に求めていた景色そのものだったが、武司の心は帰路に着き、否応なしに現実に捕らわれはじめていた。旅立ったときの安易な憧れは影を潜め、長閑さに、情緒よりも寂しさを感じていた。

 各駅停車の旅を回想し、若者が少なかったことを思い出していた。それは回ってきたどの県でも言えることで、学生以外に若者をほとんど見ることがなく、高校を卒業すると多くが都会へ移り住んでいく実情が窺えた。

 雪国は雪深い季節に生産しえるものが乏しく、物の溢れる人並みの暮らしを維持するには、仕事を都会に求めるのがいたって理に適った選択である。多くの町や村が高齢化して過疎となっていく状況を想像すると、日本古来の伝統や文化を守っていくのは難しいと思われた。

 岩手町を過ぎて好摩に来ると、左右の車窓に美しい山が展望できるようになる。右は雪の残る岩手山、左は富士に似た姫神山で、素晴らしい眺望が渋民まで続く。やがて牧草地帯に入り、盛岡も間近となる。

 盛岡で下車して町を散策する。町に出て先ず感じたことは森が多いということで、緑が心に優しくしみ込んできて、いつしか気持ちが安らいでいく。北上川が町を南北に流れ、駅周辺の繁華街と市民が暮らす住宅街とを分断している。川が生活に支障を来すように思われるが、住宅街が閑静で住みやすそうに見えた。

 町の中心に盛岡城跡があって公園となっている。管理が行き届き、起伏に富んだ広い敷地に、木々や草花がバランス良く配置されていて情緒がある。市民の憩いの場であり、観光客にも充分に楽しめる。無闇に近代化が進んでいく時代にあって、盛岡は人間性を何よりも大事にして街づくりが押し進められているように思われた。武司は、おのずから好感を持って公園を散策していた。

 各駅停車の旅を何とか続けてきたが、気持ちに気ままさは失せて、盛岡から急行列車に乗っていた。急行は観光客が多く、何とか座れたが、普通列車のような、しみじみとした奥ゆかしさは感じられなかった。

 観光客の立場で考えると、旅行における交通の役割は、目的地にいかに早く着くかが重要だと分かる。武司自身、無計画な旅をしてきて金と時間が掛かるのを痛感し、ゆとりがなければ出来ない贅沢な旅だと思った。生活のことを考えなければ大いに価値があるが、家族がいれば絶対に成り立つはずがないと思った。

 気まぐれな旅は、恭子を失って独りぼっちの心の不足を穴埋めする遊技に過ぎなかった。武司にとって旅が人生の目的に成りえるはずがなく、自分の新たな家族を持つことの方が重要だった。幸福な家庭を作り上げることが人生の目的であり、目的を同一にする伴侶を見つけ出すことが当面の課題だと言い聞かせていた。

 たった三日間であったが、武司は自分が限りなく成長したと実感していた。今まで自分が主体で人生を切り開いたことがなく、常に恭子にお膳立てされた生活だった。恭子の懐のうちで甘んじていれば不足するものは何もなく、正にぬるま湯に漬かった日々だった。恭子に対する思いをすぐに断ち切れるはずがなかったが、今回の旅で予期した以上に多くを学び、巣立ちの準備が出来たような気がした。

 平泉に近づくに連れ、奥ゆかしい建物が目に付きはじめる。平泉に立ち寄りたいとも思ったが、気持ちも急行となって一気に宮城県に入っていった。景色も変わって広々とした田園風景が多くなってくる。松島の名は武司も知っており、景色を是非見てみたいと思ったが、やはり、先を急いで仙台まで突っ走っていた。

 既に暗くなっていたが、仙台の町に出てみるとネオンで昼間のような明るさがあった。非常に活気が感じられたが、東京を真似ているように思え、仙台らしさがその中に存在するのか、武司には全く分からなかった。

 駅前を歩いていると、車椅子で靴磨きをしている老人が目に入ってきた。その前を若い男女が、悦楽のかぎりを知り尽くしたようなけばけばしい姿で通りすぎていった。それはかつて上野駅の近くで目にした光景と同じだった。武司はすぐにその場を立ち去り、夕食を済ませると上野行きの夜行列車に乗っていた。

 上野には四時五十五分に到着した。人の動きはほとんど感じられず、東京の静寂を初めて体験していた。見慣れた駅構内を迷わずに進み、高崎線に乗った。仙台から引き続いて残りの旅も居眠りで過ごした。