1、別離

 平成十二年十一月二十三日木曜日。

まどろみのなかに、優しく語りかける姉の恭子が出てきて、言葉が聞き取れないのに無性に満たされた語らいが続いていた。

「八時になりますよ」

 武司は妻の呼び声に起こされると、姪の結婚式のことを思い出していた。

 妻が雨戸を開けながら、

「お姉さんに会えるというのに、今日は珍しいこと」

 と、厭味を言ってきた。

 結婚して二十六年にもなるのに、姉と仲がいいと、未だにやきもちを焼いた。

 夫婦仲はけっして悪くなかったが、恭子への熱い思いを完全に断ち切れないことを微妙に感じ取って、穏やかな妻であったが、時々神経質になっていた。

 恭子の家は歩いて十分もかからないのに、特別なことがないかぎり顔を合わせることがなかった。お互いに連れ合いのことを気づかって会わないようにしていた。

 妻との語らいにも恭子を重ね合わせてしまうことがあり、後ろめたさを感じ、恭子の幻影をかき消すように妻を強く抱きしめたこともあった。

 妻も薄々感づいていたが、姉弟では越えられない交わりに、夫を支配しているという自負が勝って堪えさせているようであった。

 恭子への思いを断ち切れない代わりに、妻には浮気をせずに安定した生活を供与してきた。妻も平凡を最良と信じて止まず、ある程度の妥協もあって、戯れ言に嫌味を言うだけで何とか治まっていた。

 今日は恭子の次女の結婚式で、久々に恭子と顔を合わせることになっていた。いくらか気が高ぶり、昨夜から恭子のことが頭に浮かんで、中々寝つけずに寝坊をしてしまった。朝食のときも再び恭子との別離のときが蘇り、妻の話しかけに上の空だった。

 恭子が結婚し、別々の生活となって三十一年になるが、アパートでの二人暮らしのころが、何かと言えば思い出された。昨日、姪の幼いころの写真を見つけているうちに、二十歳の揺れ動く心模様が書き綴られた日記が出てきて、恭子との生活が一層鮮明に浮かび上がってきた。

 日記と合わせ、同時期に高校の仲間と作った同人雑誌や、青春を書き綴った原稿なども出てきて、不器用に過ごした二十歳の群像が明滅しはじめていた。

 武司は、昭和二十四年生まれが宙ぶらりんな世代で、不器用な仲間が多かったと感じていた。同じ団塊の世代でも、封建的な風潮から、アメリカ譲りの民主的な空気が蔓延していく時代の過度期にあって、一年一年の生まれの違いで、生き方が大きく違っていたよううに思われた。

 昭和四十年代は反戦活動をベースに学生運動が活発となり、時代を揺り動かした過激な事件が勃発していた。その多くが二三年先輩の世代が先頭に立って起こっており、二十四年生まれは、常に引っ張られて何となく活動しているように感じられた。

 実際の社会生活にあっても、先輩たちの変わり身の速さに付いていけず、いつも取り残されていたように思われた。古さを捨てきれずに宙ぶらりんになって、先に立っては歩けない世代だと考えていた。

 恋愛も不器用で、男女交際も思うようにきっかけが作れず、お見合い結婚も少なからずあって、人生そのものに不器用さが付きまとっていた気がした。

 

 恭子は、結婚式の準備を進める次女を見ながらため息が出ていた。次女が気付き、

「叔父さんは気を使っているのよ」

 と、母の気持ちを察して言ってきた。

「でも、一度ぐらい顔を出してくれてもいいと思うの」

 恭子は、武司の気持ちを知りながらつい愚痴が出ていた。夫に何度も行ってこいと言われながら、自分も訪ねることが出来なかったのを思い出すと、可笑しかった。

 武司の嫁とは頻繁に顔を合わせ、次女の結婚に際しても助けられ、摩擦があるわけではなかった。夫も理解があって、武司に会うことに何憚ることもないはずなのに、心のうちに疚しさがあって、特別に理由付けがないとどうしても会えなかった。

 自分の心のうちは、次女が一番理解していて、

「姉弟と言うより初な恋人同士みたい」

 と、二人の関係を指摘され、顔が熱くなったこともあった。

 次女に思いを託して武司のところに差し向けようとしたら、

「私はお母さんの代わりは出来ないわ」

 と、拒まれたこともあった。

 武司との安らいだ関わりは、次女がいて初めて成り立っていると思うことが多かった。

「私の心配も少しはしてちょうだい」

 と、次女に笑いながら言われ、恭子はやっと席を立った。

 娘の着替えを手伝いながら、武司との別離のときを思い出していた。

 

 昭和四十年代前半は、ベトナム戦争が世界中の議論を沸騰させ、反戦運動の気運が高まっていった。沖縄基地問題、ソ連のプラハ侵攻、日本海における米ソ緊張など、いやが上にも反戦平和が関心事となり、日本でも学生を中心とした反戦運動が活発化し、さらには大学紛争へと発展、大学の民主化要求と相まってより過激なものになっていった。東大を初めとして、多くの大学が長期紛争に入り、正常な授業が出来ない状況も起こっていた。昭和四十三年の暮れに、ジョンソンアメリカ大統領がベトナム戦争北爆全面停止を表明し、戦争集結が見えはじめた。

 昭和四十四年一月。暮れから正月にかけて日本海側では大雪に見舞われ、国鉄上信越、奥羽、羽越の鉄道各線が麻痺し、北アルプスで遭難が相次いで起きた。大雪による北アルプス遭難は、剣岳周辺で、孤立したパーティーが二十、百五十人におよび、六人死亡、十二人が行くえ不明となった。

 三億円現金強奪事件の興奮が覚め止まぬうちに年が明け、東京、京都、函館、名古屋で起きた一〇八号連続射殺事件が未解決のままで世間を賑わしている。ミニスカートが流行、膝上何センチにするか話題となり、ピンキーとキラーズやザ・タイガースの曲が町のあちこちから流れ、コント55号が一世を風靡していた。

 ソ連のゾンド六号、アメリカのアポロ八号が月周回飛行に成功し、月着陸の夢が広がっていく。川端康成のノーベル賞受賞も明るい話題として聞こえ、花田、後の貴ノ花の十八才、最年少入幕が相撲界を活気づけている。プロ野球ドラフト会議は物議をかもしたが、田淵の阪神入りが決まった。箱根大学駅伝では、日体大が大差で優勝した。

 熊谷の冬は、赤城おろしの空っ風が吹きすさび、思いの外寒く春が待ち遠しい。

武司は浪人中で、大学受験が間近に迫っていたが、受験勉強に集中できないで一年を過ごし、今年は受験もあきらめていた。大学も就職も目的が見出せず、何となく過ごす日々であった。

 

 一月八日水曜日。十二月中に申請してあった運転免許証が届いた。武司は恭子の勧めで免許を取ってはみたが、自分から積極的に車に乗りたいとは思わなかった。急激に増加していく車の利便さに隠された、事故や公害などの弊害に少なからず抵抗を感じ、素直に車に飛びつけなかった。現実を考えると、これからは車を抜きにしての生活は考えられないと理解していたが、免許取得に感激は湧いて来なかった。

炬燵で横になって本を読んでいるうちに、いつしか居眠りが始まっていた。

 まどろみのなかに、優しく語りかける姉の恭子が出てきて、言葉が聞き取れないのに無性に満たされた語らいが続いていた。

 気が付くと、恭子の夕飯を作る音が台所から聞こえてきた。包丁が刻む規則的な音を聞きながら、全く不足を感じていないのが辛かった。

 母を十四年前に病気で失い、父を七年前に事故で失って、恭子と二人でアパート暮らしをしてきた。武司の記憶に、両親のことはほとんど残っておらず、恭子から聞いた話として知るだけであった。

 母は元来病弱で、出産そのものも避けたほうが好ましかったが、どうしても子供が欲しくて恭子を難産の末出産した。出産すると予期されたとおり病気がちとなり、無理があったことは否めなかった。医者から新たな出産は危険だと釘を刺され、二人目はすっかりあきらめていた。だが、何年かすると体力が回復し、病気と縁遠くなって楽観的となり、六歳違いで武司を出産した。

 待望の男の子が授かり、このうえない幸福な家族が出来上がったが、母は出産の無理が祟って次第に病気がちとなり、家族揃っての生活は長く続かなかった。武司が三歳から入退院を繰り返す生活が始まり、四歳からは一緒に生活することがなくなった。肺炎を長らく患っていたが、結核を誘発し、面会もままならなくなり、快復することなく三十七歳で帰らぬ人となった。

 武司が物心付いて、母とのやり取りは病院に見舞いにいったくらいだった。病院の暗い印象ばかりが残って、顔すらハッキリと覚えていなかった。

 父は優しい人で母をこよなく愛し、家族を大事にする人だったと、恭子から聞かされていたが、十三年も一緒に生活をしていながら、よく覚えていなかった。

 武司が幼かった昭和二十年代は戦後の復興期で、ほとんどの家庭が窮乏生活を強いられていた。多くの父親がそうであったように、建設資材の製造工場に勤める父も、家族を養っていくには必死で働くしかなかった。

 朝早く家を出て、残業が毎日のようにあって帰宅も遅く、交代制勤務や深夜勤務、週一日の休日も仕事に出ることが多かった。たまに家にいても疲れを癒すのが精一杯で、家族をどんなに愛しても、子供との交流を持つゆとりなど全く無いというのが実情だった。

 母が亡くなったときの父の悲しみようは尋常ではなく、普段から静かな人だったが一層無口になっていた。経済的に幾らかゆとりが出てきていたが、母を失ってからもひたすら仕事に打ち込んで、家にいる時間は相変わらず短かった。父は悲しみを表情に表さなかったが、仕事で悲しみを懸命に紛らわしているようだった。

 父は武司が十三歳のときに業務中の事故で亡くなった。死に顔が限りなく安らかで、それは母の元へ旅立つ喜びの姿にも感じられ、深い愛が偲ばれた。

 子供に対しても愛情があったのだろうが、父を交えた家族との団欒はほとんどなく、父と会話したり遊んだりした記憶がなかった。仕事人間に徹することが結果的に収入を増すことになり、父にとって豊かな生活を提供するのが、家族に対する愛情表現だったのかもしれない。

 結局、両親とも思い出に乏しく、恭子が唯一の家族というのが実感だった。母方の祖父母が長男夫婦と近所に住んでいて、母の具合が悪いときにはいつも顔を出して面倒を見てもらったが、恭子が家のことが出来るようになると、たまに遊びにいくくらいでそれほどの関わりがなくなっていた。

 武司は自分の置かれた境遇が親との縁が非常に乏しいと気付いていたが、恭子が常に傍に居たので寂しいと感じたことがなかった。恭子も子供のころから弟の面倒を見なければという自覚があって、学校以外は遊びも勉強も手伝いも常に姉弟が一緒の生活だった。

 母が亡くなった年に、恭子は十二歳で、まだ中学に上がっていなかったが、母親代わりがすっかり板に付いて、家のことは何でも出来るようになっていた。武司にとって、姉というより母親との感覚が強く、今までの人生は恭子の存在無くして成り立たなかった。

 恭子は母親の役割だけでなく、時として厳しく、毅然としたところがあって父親のようでもあり、お節介が過ぎるくらいの頼れる姉貴であった。恭子を誇りに思い、いつも自慢したくなり、連れ添って出掛けるのが何よりも楽しみで、恋人気分になっていることもあった。恭子が一人何役もこなし、子供のころから不足を感じずにきてしまった。

 恭子も子供のころからの習慣で、弟の世話を焼くことが人生であるかのように、全く脇目も振らなかった。武司は今のままで充分に満足を感じており、恭子と一緒ならいつまでも幸福でいられると思ったが、それは絶対に成り立たないことだと理解できるようになっていた。

 新たな人生を作り上げていかねばならないと強く意識するが、恭子の優しい眼差しを感じると他に求めるものが何もなくなってしまい、現状を変えることが出来なかった。恭子も全て承知していながら考えまいとして、むしろ、幸福な生活が壊れることを恐れているのが分かった。

 武司は精神的に姉弟の域を越えてしまったと考えるようになっていた。現実に、恭子以外の女性に心を奪われることがなく、傍にいたいと知らず知らずのうちに家路を急いでいた。

 食事の仕度が一段落して恭子が炬燵に入ってくるのを感じると、身体を起こして視線を向けた。いつもと少しも変わらない優しい笑顔を向けられ、つい満足してしまいそうになり、気持ちを打ち消してすぐに視線を逸らした。

 恭子は雰囲気を敏感に感じ取り、言葉を発しようとすると、逃げだすように席を立とうとした。

「席を立たないで」

 と言って、恭子に目をやると、気持ちを全て察したらしく、居たたまれない様子で下俯いていた。

 今までの生活がそうであったように、お互いに心が手に取るように分かり、隠し事が出来なかった。

「浩一さんと結婚しなよ」

 浩一は近所の米屋の跡取りで、親同士が昔から懇意にしてきた。両親の死後も何かと気づかってくれて行き来があった。浩一は恭子と同級生ということもあり、接する機会が多く、前々から恭子に思いを寄せているのを武司も気付いていた。

 かつては嫉妬が先に立って、素直に見ることが出来ず、浩一の存在が不快になることもあったが、誠実な人柄で、もし恭子が結婚するなら浩一のような人が相応しいと思っていた。恭子は浩一の気持ちを知りながら何よりも自分を優先し、結婚を全く意識していないのだと分かっていた。

 武司は、現状の生活を打開するには恭子の結婚しかあり得ないと考えていた。妬ける思いが先行するが、何とか堪え、恭子が結婚して幸福になることを願っていた。自分のためにも是非幸福になって欲しいと思った。

 今までの生活は恭子から愛情を受けるばかりで、何一つとして自分から差し向けることがなかった。何もしてやれないのが堪らなく苦痛であったが、

「武司と一緒に居られるだけでとっても幸せ」

 との恭子の言葉に救われ、自分が一人前になって幸福になることが最良の恩返しだと考えていた。

 恭子は何も言わずに下俯いたまま涙を流していた。いつか訪れることと承知しながら、自分の心を隅々まで覆っている存在が離れていくと思うと寂寥感が支配し、涙が枯れるまで泣いているしかなかった。

 一方で、自分が丹精込めて育て上げた宝物が、手が届かなくなるほどに大人びてきたように思われた。優しさにも磨きがかかり、武司の申し出は自分への気づかいから発した言葉だと痛いほど分かっていた。自分が結婚する前に、武司に恋人が出来たとしたら嫉妬を抑えることができず、どんなにも辛かっただろうと考えていた。

 結婚が果たしてどんな意味を持つか想像しがたかったが、このまま二人で暮らしていくのは許されるはずがなく、武司のためにも結婚して幸福を感じなければと思った。

 浩一がこの日が来るのを待ちわびているはずだった。誠実さが際立った人で、自分を心より慕ってくれているのが感じられた。弟のための結婚となりかねず、後ろめたさはあるが結婚を承諾しようと心に決めていた。

 涙を拭いて武司を見ると、沈みきって、自分以上に辛いのだと分かった。

 恭子が手を出すと、応じて互いに手を強く握りしめ、今まで培ってきた愛情を確認するように見つめ合っていた。言葉は一切必要と感じないで、沈黙のなかにお互いの心をさらけ出していた。

 

 昭和四十四年に入ると大学紛争は一段と過激になって、大学の自治では解決できない状況にあった。一月中旬になると東大紛争最大の山場を迎え、警察の介入がなされた。機動隊の導入で封鎖されていた建物が解除されていったが、安田講堂が過激派学生に占拠され、一月十八日から十九日にかけて、警察官八千五百人との壮絶な攻防が繰り広げられた。以降、紛争の収まらぬ各大学に警察が介入し、大学紛争も新たな展開に入っていく。東大、東教大の入試問題で、坂田文相と大学とで会談がもたれたが、大学側の意向は無視されて、入試中止が決定的となった。

 アメリカでは、ジョンソンからニクソンに大統領が変わった。ベトナム戦争の終結に向けて、米国、北ベトナム、南ベトナム、民族解放戦線による、パリ和平会談の実質審議に入った。沖縄返還問題が日米七十年安保と関連し、国会内外で活発に論議されている。二月早々に沖縄を中心にゼネストが構えられ、闘争が活発化してきており、核の扱いが返還の争点となっている。一月十四日、米原子力空母エンタープライズの爆発事故で二十五人が死亡、八十五人が負傷して核問題が無視できなくなっている。

 大相撲では、大鵬が自己最多の三十五連勝を記録するとともに、初場所に全勝優勝を果たして連勝を四十四にのばし、来場所に連勝を幾つまで伸ばせるか注目される。ラグビーでは、近鉄の坂田の活躍が話題となり、サッカーでは、前年のメキシコオリンピックで活躍した、ヤンマーの釜本や三菱の杉山が人気を盛り上げている。将棋界では、大山康晴四冠が加藤一二三に十段戦で敗れ、名人、王将、十段、王位の四冠の一角が崩れた。

 映画では喜劇が多い中で、加山雄三主演の「若大将」が人気を呼び、石坂洋治の小説が吉永小百合を主演として映画化され、青春ものも話題となっている。洋画では、チャールズ・ヘストンの「ベン・ハー」、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン共演の「さらば友よ」、オードリー・ヘップバーン、ケーリー・グラントの「シャレード」、オリビア・ハッセー、レナード・ホワイティングの「ロメオとジュリエット」など、話題作が目白押しである。

 テレビでは、クレージー・キャッツに追随したコミックバンド、ザ・ドリフターズの人気が急上昇で、コント55号、てんぷくトリオなどとともに茶の間の笑いを誘う。美空ひばり、石原裕次郎、橋幸夫、島倉千代子、ザ・ピーナッツ、ダークダックスなどの変わらぬ人気と、タイガース、ブルー・コメッツ、テンプターズなどのグループサウンズが全盛で、歌番組やバラエティー番組が数多く放送されている。プロレス、ボクシング、キックボクシングなどの中継放送も多い。

 

恭子の結婚話はとんとん拍子に進み、二月に入ると、相手の意向で思いの外早手回しに段取りがなされ、結婚式の日取りが四月十三日と決まり、結納も交わされた。武司は恭子の結婚を強く願っていたが、結婚が早々に決まってしまうと、生きる支えが失われるようで沈みがちになった。

 二月二日日曜日。炬燵で対座して視線を合わすと、恭子が涙を流しながら、

「慌てて結婚することはないわ。武司がもう少し恰好付いてからでも遅くないと思うの」

 と言って、破談を口にしだした。

 結婚が決まると恭子らしからぬ言動が目に付きはじめ、顔つきも変わって、慈愛に満ちた母親らしい風貌から、途方に暮れて救いを求める少女の眼差しとなり、今までと全く違った女を感じさせた。

 恭子が堪らなく愛しくなって、失いたくないとの思いが一段と強まったが、脳裏で明滅する幻影を吹き払って何とか堪えた。

 恭子を叱るなど今までには考えられなかったが、いつしか立場が逆転し、

「いまさら何を言いだすの。浩一さんに任せたのだから従えばいいんだよ。僕のために結婚するわけではないんだから、自分の幸福をもっと考えなければ駄目だよ」

 と、駄々っ子を諭すように、声だかに言っていた。

 恭子は立場が逆転した状況に気付いて思わず笑みがこぼれていた。武司の大人を感じさせる言動に満足しながら、自分の手から急激に遠ざかっていくように感じられた。武司の居ない生活を想像すると、生きている意味がない気がしてくるが、これ以上何を求めようとしているのか考えると、何も求めてはいけないとの結論に達した。

 武司にもっと色々な世界を体験させてやらねばいけなかったのに、自分の手が届かない世界に興味を持つと飛び去ってしまうような不安に駆られ、意識的に目を背けさせていたのかもしれない。武司の欲求は何でも自分の力で充足させ、望んだとおりの素直な優しい子に育ち、懐内に仕舞い込んでおくことが出来た。

 自分のしてきたことは愛情の押し売りでしかなく、ただ単に武司をちっぽけな自己満足の世界に縛りつけていただけなのかもしれない。足かせになりかねず、お互いに離れ合うことが最も望ましい気がしてくる。

 恭子の脳裏に、自分にまつわりつく武司を、いとおしそうに見つめる病床の母の顔が浮かんできた。

「ごめんね」

 と、涙を流しながら語りかけてくる母の思いが、子供心なりに痛いほど伝わってきた。わが子を存分に愛撫できぬ歯がゆさに、病魔以上の辛苦を感じていたに違いなかった。いま思うと、母の情念が乗り移って、自分を異常なまでに武司を溺愛させていたのではと思われた。

「すまんな」

 と言って、父が子供たちまで気が回らないことを詫びてくる姿が脳裏をよぎった。父の心は常に母に向けられ、どんなに仕事が忙しくとも毎日病床の母を見舞い、口下手ながら愛情のこもった言葉を投げかけていた。母はすっかりやつれきっているはずなのに、父の言葉に少女のような初々しい笑顔を返し、二人は限りなく愛し合っているのだと感じられた。母が亡くなってからの父の姿は生きた屍に過ぎなかった。

 父は懸命に働いて生活の安定を供与してくれたが、他には何もしてくれなかった。時には不満も感じたが、母への一途な姿を見ていると、子供なりに幸福な気分となり、父が大好きだった。父の代わりなど出来るはずがないのに、武司に父の思いを懸命に伝えようとしてきた。

 自分は、母や父の代わりを勤めてきて、自分自身をどこかに置き去りにしてきたように思える。二十六年の人生は武司を育てることに精一杯で、少女らしく人形に夢中になったこともなければ、おしゃれに心を奪われたこともない。男の子に心を時めかせたこともなければ、噂話に花を咲かせたこともなかった。通常の女の子と全くかけ離れた日々で、過酷な運命に翻弄されてきたと考えるべきなのかもしれないが、不思議と、一度として苦労を感じたことがなかった。

 最高の人生であったが、それは無我夢中で生きてきた結果で、恣意的に作り上げてきたものではない。自分だけが頼りのあどけない笑顔に無心で応えているうちに、武司がいかなるものよりも魅惑的になり、高価な宝石を身にまとっているような感覚となって、女の限りない欲求を満喫させてくれたからに違いなかった。

 武司は自分が望む遊び相手に何でも変身した。時には着せ変え人形になり、肌触りのいいぬいぐるみになった。愛くるしい眼差しでまつわりつくペットであり、思いどおりに動くロボットでもあった。成長とともに自分が欲する存在に変貌し、目に入れても痛くない赤ん坊から、何でも話せる友達になり、一緒に居るだけで気持ちが華やぐ初な恋人同士にもなった。

 武司に何でも与えてきたつもりが、本当は極上の悦楽を享受され、今までの人生に不足するものは何もなかった。自分のしてきたことは、子供が人形を自分の分身のように肌身離さず可愛がるのと同じで、武司が自分の永劫の所有物という絶対条件の上に成り立つ満足感だった。武司を失っては、今までのやって来たこと全てが、子供騙しのままごとに他ならなくなり、現実に戻ると全てが夢の出来事として終わってしまう。

 これからの人生をいかに築き上げていくか考えるが、武司抜きでは何も答えが出てこない。結婚そのものに意義を感じられず、ただ単に武司との別離の儀式に過ぎない気がしてくる。

 恭子は姉弟の宿命を呪いながらも、武司の幸福を考えると結婚するのが一番との結論に達し、新たな人生も精一杯生きるしかないと言い聞かせていた。踏ん切りが付かなかったが、結婚までの残された僅かな時間に、自分が作り上げてきた最高の宝物を、心残りの無いように満喫しておきたいとの欲望に駆られていた。封印されていた女の情念が一気に沸き上がってきて、自分には律することの出来ない感情に溺れていった。

 互いに下俯いて沈黙していたが、恭子の迷いに終止符を打とうと、武司が顔を上げて言葉を発しかけると、恭子も同時に笑みを含んだ視線を向け、言葉を遮るように炬燵をおもむろに立ち上がった。武司の後ろに回ると、背中から覆いかぶさるように抱きついてきて頬ずりをした。滑らかな肌の感触が伝わってくると、武司の心に今までにないぞくぞくするような快感が走った。

 甘美な香りに酔い痴れそうになり、背中の感触に異性を強く意識して、今までにない危うい感情に支配されていた。何度も同じことを繰り返してきたが、いつもは母親の温もりを満喫する赤子の心持ちで、心地よい安心感を楽しむだけであった。今はすぐに振り向いて、女の肉感を感じ取りたいとの衝動に駆られていた。

 鮮烈な刺激は一瞬の迷走に過ぎず、男の欲望はすぐに霧散して、姉弟に許された感情に戻っていた。

 武司は、顔に当てられた恭子の手を取って両手で包み込み、

「姉さんはとっても素敵だ。きっと浩一さんは大事にしてくれるよ」

 と囁いたが、恭子はいつまでももてあそぶように頬ずりを続け、何も応えなかった。

 暫くすると恭子は急に身体を放し、武司の横に座って無邪気な笑顔を向けてきた。

「旅行に行きましょうよ」

 恭子は自らの思いつきに興奮するかのように華やぎ、武司を置き去りにして表情豊かに話を進めていった。

「車を買ってドライブがいいわね」

 恭子は気まぐれな思いつきを語りながら、武司の戸惑いを楽しむかのように悪戯っぽい目で覗き込んできた。

「まだ寒いから伊豆か房総がいいわ」

 まだ見たことのない景色に思いを馳せるように、うっとりとした表情となった。

「新婚のふりをして三泊ぐらいしてきましょうよ」

 武司は、厳格な恭子らしからぬ戯れ言に、心のうちに押し隠された苦渋を感じ、ただ黙って聞いているしかなかった。

「武司の慣れない運転で、スリル満点のドライブが楽しめるかもしれないわね」

 と言って恭子は笑い声を上げ、

「武司と一緒なら恐いものは何もないわ」

 と続け、情緒の定まらぬ表情は一気に厳粛となって、

「死んでもかまわない」

 と、一人芝居を締めくくった。

 

 二月に入っても大学紛争は沈静化せず、日大、中大、東教大、京大、関大など、全国の大学で学生間の抗争事件や建物の封鎖騒ぎは後を絶たなかった。警察の介入が各地でなされていき、封鎖解除、入学試験の妨害排除が敢行され、多くの大学が独自で正常運営できない状況だった。東大安田講堂事件などによる逮捕者の刑事処分は、五百九人が起訴され、百十八人が家裁送りとなった。東大、東教大の入試中止で、国公立大学の定員減が生じ、平均競争率が過去最高の五・七倍となる。

二月上旬には、低気圧が異常発達した台湾坊主が日本各地で荒れ狂った。強風や高波による被害は、死者不明九十一名、船舶の遭難十六隻に及んだ。北海道では猛吹雪となり、交通機関の麻痺が続いた。東京では、亜硫酸ガスの濃度基準が規定値を超えると出されるスモッグ注意報が、四日間連続で出され、工場や車の排気ガスによる大気汚染が深刻化してくる。東名高速道路の静岡・岡崎間が二月一日に開通し、全線開通まで大井松田・御殿場間を残すのみとなった。成田空港の着工が四月と決まり、地元住民を中心とした空港建設反対の動きを押し切って、昭和四十六年開港を目指すことになった。福島磐梯熱海でホテルが全焼し、避難口の不備などが原因で死者三十一名、重軽傷者三十一名を出した。

スピードスケート世界選手権男子五百メートルで、鈴木恵一が三連勝を飾り、西城正三が世界フェザー級タイトルマッチで初防衛を果たした。別府毎日マラソンには注目選手の上岡忠明、采谷義秋、宇佐美彰郎、寺沢徹、沢木啓祐、広島日出国などが参加、上岡が優勝した。南極では、村山隊が昭和基地・極点間往復五千百八十キロを走破して、南極内陸旅行新記録を作った。

 

二月二十七日木曜日。注文しておいた自動車が届き、三月二十四日から三泊四日で計画した伊豆旅行に向けて、武司は運転の練習に余念がなかった。車が手に入ると、車の弊害に対するこだわりは消えて、車の魅力に取り付かれていた。恭子は二月一杯で八年勤めた洋裁店を止め、三月に入ると恭子もドライブに加わるようになり、地図を頼りに初めての道路を走破して回った。

 限られた場所を律儀に行き来するだけの、変化に乏しい生活に執着していたのが嘘のように、車が来てから距離感が一気に縮まり、未知の世界にいとも簡単に踏み込んで、生活圏が格段に広がっていった。時間の流れが大きく変わったような錯覚に陥り、人生観に少なからず影響を及ぼしはじめていた。

 遥かに大人に見えた恭子が、車に乗った途端に若やぎ、天真爛漫な少女になってはしゃいでいた。他愛ないお喋りに目を輝かせ、ほんの些細な出来事にもさも楽しそうに笑い声を上げた。おしゃまな幼女のように、いたずらにわがままを言って、眩いくらいに可憐な仕種で甘えてくることもあった。

 車のせいばかりでなく、恭子は結婚が決まるとすぐに変わりはじめ、常に控えめだった表情に移り気な女心が露になって、語り口から母親の面影が失せていた。閉ざされていた深層の欲求が弾けだすように、化粧や服装に彩りが加わり、立ち振る舞いが艶やかになった。今までの慎ましさが嘘のように好奇な眼差しでしゃしゃりでて、試すように気まぐれな要求を投げかけてきた。

 武司は恭子の変貌振りに恐さも感じたが、理解を越えた女心に興味を引かれ、未知なる女の素顔を貪欲に観察していた。恭子は今までの母親代わりという呪縛から解き放たれ、無意識のうちに押し隠してきた自分を取り戻そうとして、奔放な女に生まれ変わったようだった。

 恭子は幼いころから武司の庇護者になりきり、弱さを少しも見せることがなかった。平凡を最良と信じ、地味で単調な生活を頑に守って、けっして華やいだ姿を見せようとはしなかった。

 武司は、恭子の華やぐことなく、厳格に単調な生活を守りつづけてきた姿を思い浮かべていた。結婚出産と、今までと代わりばえのしない、世話を焼くことに明け暮れる生活が待ち受けていると思うと、無性に哀れになった。

 自分のために恭子の失ってきた時間を考えると、このまま何の変化もなく新たな人生に引き継がれるのが忍びなかった。単調な時間に乱れが生じ、息抜きをしても罪にはならない気がした。人生を限りなく束縛してきた当事者として、恭子の青春が少しでも取り戻せればと強く願っていた。残された二人の時間を望むがままかしずいて、少しでも慰みになれればと思った。

 今までの緩みのない人生で、心のうちに秘めてきたうっすらとした欲求が蘇るかのように、恭子の人格は時々刻々変化していった。幼女になって駄々をこねていたかと思うと、快活でけれんみのない少女になり、泣き虫の甘えん坊が、利かん気になって肩を怒らせ、お転婆だったのが、多感な夢見る少女に変わった。初な乙女になって顔を赤らめていたのが、多情で軽薄な女に豹変し、ことさらに色香を見せつけたかと思うと、気位の高い淑女となって取り澄ますこともあった。

 思い込みの世界にその都度陶酔し、浮遊する時々の人格になりきって、本来の恭子とは別人になっていた。だが、一定の理性が働いて、演出された振る舞いに過ぎず、欲求が満たされると自分を取り戻し、生活に支障を来すことはなかった。

 武司は恭子のとりとめもない感情が自分に向けられた甘えだと分かり、恭子の人格に合わせ、あやしたり、涙を拭いてやったり、寝かしつけたり、胸に包み込んでやったり、庇護者になって甲斐甲斐しく世話を焼いた。

 三月二十二日土曜日。恭子の演ずる一つ一つの人格が迫真に迫り、武司はただ単に空想に耽っているのではないと感じた。今までも突飛な言動に何度も気がふれたのではとの危惧が走り、戸惑うこともあったが、すぐに本来の恭子に戻り、ゲーム感覚で対応することができた。改めて様子を窺ってみたが、別人になったきりでいつまで立っても元に戻る気配がなかった。

 武司は恭子の異常な姿に恐さを感じ、どうしたものか分からず、後ずさりするようだった。離れて観察しているうちに、催眠状態に陥っているように見えてきて、揺り動かせば目覚めるような気がした。不安に駆られ、急ぎ揺り起こそうとしたが、恭子の爛漫な姿は青春を心行くまで謳歌しているように思え、目覚めるまでそっとしておいてやりたいとの気持ちが勝った。

 自分のために閉ざしてきた恭子の欲求を感じれば感じるほど哀れになり、思わず涙がこぼれていた。恭子が涙に気付くと、円らな瞳で近づいてきて涙を拭いてくれた。堪らなくいとおしくなって、思わず抱きしめると、振り払うようにして離れていった。恭子は誘いをかけるように手招きし、近づくとすぐに後ずさりして、追い駆けっこを楽しもうとしているようだった。

 恭子は何の脈絡もなく時間を彷徨っているようだったが、幼児性が完全に影を潜め、大人へと脱皮していく様子がハッキリと分かった。多感な乙女となって、うっとりとした眼差しを向けてくるようになり、恋をしているようだった。武司も汚れのない澄んだ瞳に心を時めかせ、仄かな思いに胸を焦がす初な恋人同士になっていた。

 恭子の変遷する人格にその都度魅了され、我を忘れて夢中になっていた。陽炎のような淡い恋は、狂おしいまでに燃え上がる深遠な仲に近づいていき、いたって危険な恋愛ごっこに発展していった。恭子はやがて成熟した女に羽化し、目を向けているのが憚られるほど妖艶な姿に変身していた。

 多情な欲求を持て余すように絡んだり、服従を強いたり、媚びを売るようないかがわしい素振りを見せ、淫らな姿態をもたれかけてくることもあった。誘惑に呼応しているうちに、恭子の官能的な美しさに幻惑され、姉弟であることを何度も忘れそうになった。だが、恭子の息づかいが間近に迫ってくると、母親らしい心地よい薫りが蘇って、目覚めかけた欲望は一瞬の幻となり、卑猥な瞑想を抱かずに済んだ。

 恭子のしとやかさに憧れてきて、魔性の一面を感じたときには少なからず衝撃を受けたが、痺れさすような美しさに陶酔しているうちに、女の愛らしさだと容認できるようになっていた。むしろ、恭子に内包されていた激情に触れ、更なる魅力を感じ取って暴走しても悔いが残らない気がした。

 求め合うままに交わっても、お互いに絶対に後悔しないと分かっていたが、それは一時の激情で、後に続く人生に幸福をもたらすとは思えなかった。厳格であるが故に恭子は深く傷ついて、常に不義の呵責に苛まれ、死と隣り合わせの人生になるように思われた。

 武司は姦淫に陥った時の逃避を余儀なくされた生活を想像し、益々閉鎖的な人生になって死ぬほど苦痛になってくるだろうと考えていた。死をも予感させる情念に、どうしても溺れることは出来なかった。

 理屈では状況を理解したが、野性が頭をもたげてくるのを無視できなくなり、狂乱に埋没しそうになっていた。これ以上理性では律しきれないと感じ、危険を回避すべく、恭子の悩ましい姿を覆い隠していた。胸に包み込んで身悶える背中を優しく摩り、祈る思いで目覚めを待っていた。

 恭子を冷静に見守ろうとしたが、温もりが伝わってくるといつしか恭子の心に同調し、肉体が一体化していく幻覚が支配しはじめていた。未知なる快感が肉体を麻痺させるように覆い尽くしてくると、恭子も瞼を閉じて恍惚とした相貌となり、目元にうっすらと涙を滲ませ、深い眠りに落ちていった。

 恭子の頭を腕にのせ、いつまでも顔を覗き込んでいた。愛しさが募って何度となく頬ずりをし、限りなく安らいだ顔にこのうえない満足を感じていた。夜具に横たえるとどっと疲れが押し寄せ、股間が濡れているのに気付いていたが、そのまま恭子の布団にもぐり込んで身体を寄り添わせた。

「武司」

 囁く声に促されて武司が目を覚ますと、息が吹きかかるほど間近に恭子の顔があった。回りの気配から日が大分登っているのが感じられ、長い時間昏睡していたのが分かった。お互いに横たわった時の身体を寄せ合った状態で目覚めていた。見つめ合うと暫くは蕩けるような幻覚を思い浮かべ、少しも動こうとしなかった。

「あやまちをおかしてしまったの」

 恭子は問うように囁き、答えを待たずに次の言葉を発しようとした。武司は表情から催眠が解けたのを知った。

「私の脳裏では、許されない関係になってしまったようなの」

 恭子の目は、真実がどちらでも悔いがないと語っていた。

「私は恐い女だわ」

 淡々とした表情で話しを続け、

「武司を自分のものにしようと悪魔に魂を売ってしまったの」

 と、奇想な物語に発展していった。

「どんなに誘惑しても、武司はけっして交わってこないという確信があった」

 眼差しに鋭さが一瞬加わって、

「でも、一度交わってしまえば離れていかないことも分かっていたの」

 と告白し、

「二人ともただの火遊びとして忘れられる性分ではないもの」

 と、弱弱しく付け足した。

「自分は眠りに落ちて、悪魔に全てを委ねていたわ」

 恥じ入るように視線を逸らし、

「欲しいものを手に入れるためには手段を選ばなかった」

 と言って、涙を溢れさせた。

「軽蔑されても仕方がないわね」

 武司は首を軽く振って答えた。

「武司を誰にも渡したくなかったの」

 僅かな沈黙が訪れたが、涙を拭いて話しだした。

「大人のつもりでいても、本当は子供だったのね」

 視線を戻し、心のなかを覗き込むように言葉を続けた。

「母親代わりのはずが、子供がお人形をもてあそぶのと同じで、武司は弟というより所有物だったのよ」

 眼差しが幾分大人びて、

「理屈では何でも分かっていても感情が一切の理屈を押し退け、武司をつなぎ止めておくことしか考えなかった」

 と語ると、幻覚を振り払うように目を強く閉じて頭を振った。衝動的な動作が止むと、憂えある眼差しで問いかけてきた。

「本当のことを教えて」

 武司は恭子の望む答えを模索してみたが、想像しがたく、真実を伝えるしかなかった。

「あやまちはおかさなかったよ」

 恭子の表情から何の感慨も見いだせず、ただ見つめ合ったまま沈黙が続いた。

「よかった」

 と、無表情に言って、

「ただの一時の遊びでいられなくなることが分かっていたから、もし本当に肉体関係を持ったら私は死のうと思っていた」

 と、只事ではない覚悟を、ありふれた話のように語った。武司は恭子の言葉に少しも疑念を持たなかった。

「武司を縛りつけておくのが、死ぬより辛くなってくるのは決まっているもの」

 母親らしい雰囲気を幾分取り戻して、

「武司の幸福が最も大事だから」

 と、渦巻いていた妄想を吹き払うように言った。

「最高に幸福だったわ。優しい弟を持って良かった」

 と言って、再び幻覚を思い浮かべ、

「一生の思い出として心に刻むことが出来たわ」

 と、満足そうな顔をした。

「旅行から帰るまで恋人でいたいの」

 と、甘えるように言い、武司は素直に頷いていた。